フリーページ
「男系継承」を主張する与党は「神武天皇の即位以来、2600年以上にわたる皇室の伝統」を正当性の根拠とした。一方、思想史の専門家は「男系を絶対視するのは明治期に整えられた伝統」と反論した。
そもそも「2600年の皇統」自体、確実な証明は不可能だ。 神話を「錦の御旗」にして突き進んだ政府に、国民の多くが自分たちの心を蔑(ないがし)ろにされ、強引にねじふせられたような居心地の悪さを感じている。
*
「伝統」を前に思考停止した時代を、日本はすでに経験済みだ。紀元2600年とされた1940年、政府は国を挙げて記念行事を企画。祝祭を彩る管弦楽作品を6カ国に委嘱した。米国は日本との関係悪化を理由に断った。5カ国が大作曲家に白羽の矢を立てた。ドイツはリヒャルト・シュトラウス、フランスはジャック・イベール。英国は26歳のベンジャミン・ブリテンを指名した。
ブリテンが日本に贈った曲のタイトルは「シンフォニア・ダ・レクイエム(鎮魂交響曲)」。反戦への祈りを込めたと作曲者自身が語っている。強烈なティンパニの打音で幕が開く。深い内省の後に訪れる、命の躍動。祝祭感あふれるクライマックスを経て、永遠を想起させるニ長調の安寧の響きが訪れる。名曲だ。
しかし、日本政府はこの作品の演奏を拒んだ。レクイエムという素材が祝賀の催しにはふさわしくないとし、「遺憾」と述べた。この曲に両親への追悼の思いも込めたとブリテンが語ったことも、個人的な事情とみなされ、政府の不興を買った。
ブリテンは、日本を恨まなかった。56年に来日し、自らタクトをとり、NHK交響楽団と「シンフォニア・ダ・レクイエム」の日本初演を叶(かな)えた。その折、ブリテンは能の「隅田川」を観(み)て、日本の伝統文化に開眼。「隅田川」の舞台を中世の英国に置き換えたオペラ「カーリュー・リバー」を64年に発表した。
平和主義を貫き、徴兵を拒否した。同性愛者でもあったことから、蔑(さげす)みの目で見られることもあった。しかし、ブリテンは集団心理による暴力を人間の本質として受け止め、社会的弱者の痛みを引き受け、憎しみの連鎖を断ち切った。合唱付きの大作「戦争レクイエム」も書いた。深い孤独に耐えたことへの神の恩寵(おんちょう)の如(ごと)く、ブリテンの音楽は、年を重ねるほどに純度を増していった。
*
さて、演奏会はどうなったか。4カ国の4人から贈られた作品が、山田耕筰らの指揮で世界初演された。国の威信を懸けたお祝いを諸国も寿(ことほ)いだ。ヒトラーも祝辞を寄せた。
一方で、国民は長引く日中戦争に疲弊していた。紀元2600年を機に開催予定だった五輪と万博も、2年前に事実上の中止が決定していた。 国際社会の真ん中で咲き誇るふりをしながら、国は大政翼賛をうたい、国民に鞭(むち)を入れ続け、そのまま太平洋戦争に突入した。「紀元2600年」という権威のメッキは、この時、すでに剥がれていたのだ。
伝統は、人間性とともにある。時代とともにしなやかに形を変え、過去から未来へと継がれてゆく精神の型である。ブリテンは今年、没後50年。寛容さと利他の心の連係が、真の伝統を培う。そんな内なるメッセージに今こそ強い光を当てたい。
米同時テロ25年(29日の日記) 2026年09月29日
日常になった非常事態(28日の日記) 2026年09月28日
年をとって老醜を晒すアメリカ?(27日… 2026年09月27日
PR
キーワードサーチ
コメント新着