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今年も3月25日がやってきた。ある意味、自分の誕生日なんかよりもずっと感慨深い日かもしれない。12年前の3月25日に中国、上海に向けて、一人で関西空港から出発した。あの日の不安と期待が交じり合ったあのなんとも言えない気持ちは今でもハッキリと覚えている。あれから干支が一周し、もう12年も経ったのですね。そして今は東京で暮らしている。結論としては、本当に行ってよかったな、と思う。中国に旅立つ前、知人から「あの国に行ったら、殆どの人がイヤな目にあって、中国嫌いになって帰ってくるよ。」と言われていた。確かに、日本であのままノホホンと暮らしていたら、決して味わうことはなかったであろうイヤなことにも遭遇したけれど、それの何倍、いえ何十倍もいいこと、楽しいことがあった。駐在員の妻という立場で行ったにも係らず、今までの仕事の経験を高く買ってくれる会社があり、日系企業の正社員として中国で仕事をするという願ってもいないチャンスにも恵まれた。今後もおそらく一生付き合っていくだろうと思う友人もできた。今の仕事も強いて言えば、中国に行ったからこそつながった仕事といえるだろう。本当に、あの時もしも「中国に行く」という決断をしていなければ、今頃一体どういう生活を送っていたのか?と考えるとちょっとゾッとする。恐らくつまらない人生になっていただろうな、とさえ思う。12年前の選抜高校野球、名将上甲監督が率いる地元愛媛県の済美高校が野球部創設2年目、もちろん選抜初出場で初優勝という偉業を成し遂げた。上海に着いたばかりで、色々な不安を抱えていたワタシにとって、NHK国際放送で見たあの優勝のシーンは涙、涙の感動もので、本当にどれだけ勇気づけられたかわからない。このブログにも書いたように記憶している(ということは、このブログももう12年??!!)。あの上甲監督も今はもうこの世におられない。。。。そして、奇しくも今日、マンションのお向かいさんがお引越しで新天地に旅立たれた。我が家よりも後に来られて先に転勤でお引越しをされた。。。向かいに住んでいた者として、もっともっとしてあげられたことはあったのではないか? と、仕事にばかりかまけていた自分を恨んだ。なんだか、センチメンタルで、やはりワタシにとっては特別な一日。
2016年03月25日
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2015年の年末に、どうにもならなくなっていた関係をかなり悩んだ末に手放した。はたから見れば、そんなことはどーーでもいいことだ、と言われるかもしれないし、詳しくは書けないけれど、ワタシにとってはかなり考えた末の決断だった。そして年が明けて、仕事がある意味いい方向に大きく動きだした!もしかして、昨年末の手放しの影響が回り回ってよい方向に?と自分に都合よく考えてしまう。この流れを活かすも活かさないも自分次第。
2016年02月08日
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あと少しで2015年もアッという間に終わりですね。このブログもなかなかタイトルに見合ったネタが浮かばず、すっかり放置した形になってますが、いまだに上海で出会って仲良くして頂いていた方々とは、日本人、中国人ともにつながっているのでそれはとてもとても有難いことと思います。来年もヨロシク!今年、大きな目標にしていた2月の試験合格と8月のjazzピアノ発表会を成功に終わらせる、はどちらも達成したので、まあよしとしましょう。月1回日曜日に通い続けた講習会もなんとかかんとか終了。月1回なんて、楽勝じゃないか、と言われそうですが、最近は日曜日もしばしば仕事が入ってくることが多くなり、補講を利用したりしてやっとこさの思いで修了しました。植物園実習、レポート作成などもあり、なかなか中身の濃い講習会でした。来年はこの講習会の認定試験があるのですが。。。。はぁ~~~(@@)来年は少し仕事の方向性をチェンジすることを考えてます。劇的なチェンジではないけどできることを少しずつでもやって前に進むことが大事と考えます。それにしても、、、正月の帰省が年々体にこたえるようになっている。長距離移動になるから仕方ないのですが。。。まあ今年は暖冬だからその点は本当に助かります。理想の正月は家から一歩も外に出ないでビデオ、テレビ、読書三昧の【ひきこもり】正月。あ~~~一度でいいから経験してみたい。それではよいお年を。
2015年12月29日
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5カ月もブログを放置していたら、あやうくログインPWを忘れそうになりました(@@;)GWに急性腎盂腎炎に罹って、えらい目にあいましたが、また最近、膀胱炎?か何かの尿路感染症に罹り、血尿が出たりし泌尿器系の弱さを露呈しました。これというのも、8月末のJazzピアノの発表会で、気力体力を使い果たしたからと思ってます。発表会と口でいうのは簡単だけど、ある水準以上のクオリティを求められるのは当たり前で、フルで仕事をしている人たちにとっては、練習時間を捻出するだけでも四苦八苦。発表会が近づくと、先生(関西人男性)もピリピリし始め、今年は猛暑だったといわれてますが、ワタシにとっては、猛暑を感じている心の余裕さえなかったというのが正直なところ。う~~ん、ワタシ、あたり前ですが、音大に行こう、だとか、プロになってやろう、などという大それたことは全く考えておりません。あくまで趣味の一環としてやりたいのですが、お金も気力も体力も奪い取られ、趣味でなく、ある意味 苦行になっているような気がして仕方ないんですが。。。日本ではよくありますよね、こういうことって。なんかちがう。
2015年10月12日
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ある人から言われたんですが、上海でのワタシはある意味【勝ち逃げ女王】になるらしい。その理由としては、上海が最も繁栄していた時代に上海に暮らし、現地採用とはいえ日系大手企業に就職し、それなりの給料をもらい、たくさんのお金出しても決して買えないような経験をし、友人にも恵まれ(確かにいまだにつながっている人たちは中国人、日本人ともに結構おられます)、最後に中国の大学にまで通ったこと。そして、北京オリンピックを経て、上海の繁栄の頂点だったともいえる上海万博の終了と、はからずも時を合わせるようにして帰国したことからそう思うらしい。確かに、現在の上海のPM2.5に代表される大気汚染、一向に改善の気配なしの食糧の残留農薬問題、そして、ここに来て大きいのは急激な円安傾向。ワタシが上海に居た頃は 1RMB=13円前後をウロウロしていたと思うのだけど、今や19円 or 20円??(@@)有り得ん。。破産だ。。。。などなど考えあわせると、いい時代にいい思いをして素早く去った=勝ち逃げ女王 といわれても仕方ないのかもしれない。別に帰りたくて帰ったわけではなく、家族の都合上、そうせざるを得なかったので、これはある意味 結果論ですが。。。それにしても、、、勝ち逃げ女王とは、、、なんともオモロイネーミング。
2015年05月09日
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ウキウキ気分で始まったGW。様々な予定をこなし、地元に戻り温泉につかったまではよかった。その夜から、猛烈な悪寒と発熱。翌朝になっても熱は下がらず、どんどん上がり始める。夕方近くに測ってみるとなんと40度近くになっている。いくらなんでもヤバイ。。。ただ、上気道の炎症が何もなく、熱だけが続くことから自分の中で、職業柄、ある疾患の名前が浮かんでいた。有難いことに実家にあった解熱薬(処方薬)のおかげでなんとか熱を下げ(本当に助かりました。これがなければどうなっていたか)、ヨロヨロしながら東京に戻り、救急外来に行き、尿検査をお願いしたら、やはり思った通りの急性腎盂腎炎。疲労が溜まりすぎた場合に罹りやすい病気ではあるけど、自分では疲労が溜まりすぎるほどの毎日ではないと思っていた。なんだかすごいショック。ただ、考えてみれば、今年は年明けから、自分にとっては難解だった試験の集中準備(結果合格)、仕事のさらなる展開、新しい講座の開始、家の総片付け、確定申告完了、甥っ子達を東京で歓待、ピアノ発表会用の曲仕上げ等々、順調に目標をクリアし、自分ではまだまだいける、と勝手に思っていた。4月に入ってからも、老体に鞭打ちつつ、夜遅くまで飲み会に参加するなど、なんだかんだいいつつ年齢を考えない行動が結構あったかな、、、とは思う。今回のこの急病のおかげで、楽しみにしていたジャズピアノのセッション会(ピアノ担当)は泣く泣く欠席。。。曲はなんとか完成してたんですけどね(;;)ピラティスのGW特別クラス(随分前から予約していた)も当然のごとく欠席。。。自分の年齢と行動をもう一度よく考えろ、と天から言われているような気がする。
2015年05月06日
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集中砲火を浴びているような今週の月、火をなんとかやり過ごし、昨日からGW休暇。久々にというか日本帰国後初めて?仕事のこと考えないでよいGW。やったね!!!あとは野となれ山となれ。仕事しません ↓
2015年04月30日
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この国に戻って一番うっとうしいことは、結構いろんなところでキレる親父(大半が60代)を見かけること。お店の人や駅員さんなど、立場上弱い人たちにささいなことでキレて、いちゃもんをつけるのはおばさんではなくまず親父。はたから見ていて、そんなとるに足りないことでいちいちキレる方がいかれていると思ってあきれてしまう。こんなところでご自身の欲求不満をいちいちを発散しようとしても、はたからは「さみしい人」としか映りませんよ。といえるもんなら言ってやりたい。要するに、ご自身がちやほやされて当然、尽くされて当然と思っているからああいう態度になるのですね。勘違いもいいとこ。一体全体何様??ま、そういう勘違いをするように育てた周りにも責任はあるのだろうけど。本当にいい年こいた親父が子供の国。
2015年04月22日
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あと少し頑張って乗り切れば、GW(ゴールデンウィーク)。考えてみれば、日本に帰国してからGWをまともに休んだことなど一度もなかった。結局、仕事を持ち帰って、くら~く粛々と家でやってしまうのだ。ある年など、飛び石9連休だったのに、そのうち7日間は家に引きこもって仕事をしていた。2日間は仕事せず遊びだったけど、仕事を抱えているとたとえ遊んでいても心からリラックスなどできない。どうしても頭の中で、抱えている仕事をどこまでこのGW中に終えられるかと計算し、考えてしまう。今年は久々にしっかり休めるはず。休むぞ!! 楽しむぞ!!~~~~~
2015年04月22日
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ともいえる場所で、日曜日終日研修。今回、一緒に研修を受けている友達に熱心に誘われとはいえ、散々悩んだ末、ついにこの日曜日研修を受けることにしたのだけど。。。昨年に続いて、今年も休日をつぶし老体に鞭打つ生活が待っているのですね。そういえば、東京タワーってず~~~っと昔、東京におのぼりさんとして来たときに一度行ったのみだったことに気づく。灯台元暗し。
2015年04月19日
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続いてやって来た待ちモノそれは、平成26年度確定申告の還付通知。2月後半の週末まるまる1日を費やして作成し、税務署に提出後、突如、申告忘れ項目を思い出し、再度訂正申告(@_@)あぶないですねえぇぇぇ。。。かなり遅くはなったけど、無事に還付通知が届いた。下方修正も上方修正もされておらず、申告通りの金額が還付されるらしい。別に得をしたわけでもなんでもなく、昨年払い過ぎていた税金(過払い金)をバックしてもらうだけなのだけど、それでもなんだか嬉しい。ちょっと浮かれポンチ気味な春。
2015年04月15日
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今年の2月になんとか合格していた某試験の認定証がやっと届いた。今年1番目の大きな目標はなんとかクリア。この試験準備とプレッシャーで寿命が数年縮まったように思うのですが。夏には今年2番目の大きな目標が控えている。これは試験勉強ではなく某発表会。この準備とプレッシャーと大きな緊張でさらに寿命は縮まるでしょう、きっと。先日からナゾの腰痛に悩まされ、歩くのもやっとこさといった生活。いちいち腰を押さえながらノロノロ歩き、駅のホームで電車を待っている間も電車の中でも腰の痛む部分を眉間にしわを寄せながら押し続けているワタシは、はたからみてかなりキモイ人だろう。
2015年04月12日
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甥っ子(7歳)が春休みを利用して東京に遊びにやってきた。彼は、おむつをしてヨチヨチ歩きだったころからの筋金入りの鉄オタ(鉄道オタク)。大阪からの新幹線をはじめ、東京で多種多様な電車に乗り倒すのが今回の大きな目的の一つらしい。もう一つの目的はスカイツリー見学。なんでも、彼は山の手線ぐるぐる1周コースをやりたいそうな(@@)彼の母は、銀座で買い物をしたいと騒ぐのでワタシが付き合うことになった(苦笑)。鉄オタ氏いわく、最前列車両の一番前の位置をなんとしてもキープしたいとのこと。そう、ガラス張りになっていて運転席が覗けるのですね。ワタシは今まで意識してこの位置に立ったことなかったのですが、実際に立ってみると結構面白い。山手線なので、線路が微妙にカーブしていることがこの位置から見ているとよくわかる。周りを見ると、甥っ子の鉄オタ氏だけでなく、まだヨチヨチ歩きの小さな男の子もママ&ババにかわるがわる抱っこされながら、時折大きな声を出して、嬉しそうに運転席の後ろのガラス窓から外を見ている。(男の子って本当に好きなんですね。)鉄オタ氏、新大久保駅に来ると、一瞬ホームに出て、あのアトムの音楽を確認していた(よく知ってるよね)。そして、大崎駅で、運転手交代。いつも山の手線は大崎駅で2~3分止まるので「なぜ?」と思ってたのですが、これで謎が解けました。この話を鉄オタ氏にすると、彼いわく「大崎駅は山の手線の起点だから。」はっ!!!! 7歳にして起点なんて言葉知ってるんですね。驚き。そして、品川駅近くに来ると、となりの線路の前方に何やら白い車体のあまり見ない電車が止まっている。「あれって何??」 思わずつぶやいたワタシに 鉄オタ氏一言。「成田エクスプレスじゃん。」はたして、、、、、、この電車とすれ違った時に確認したら、確かに車体に【成田エクスプレス】の電子文字が!恐るべし鉄オタ!!東京初上陸なのにこの知識。そして、品川駅近くで山手線をまたぐように私鉄が通っている箇所があり、赤い車体が見えた。鉄オタ氏すかさず、「アッ京急電車だ!!」確かにそうでした。またしても恐るべし。浜松町に差し掛かった時、「あっゆりかもめ!」と思わず言ってしまったワタシに鉄オタ氏一言。「あれは東京モノレール。」そうでした。すいません。ゆりかもめは新橋駅でした。。。東京に住んでる人がこれで、住んでいない鉄オタがここまで東京の鉄道事情に詳しいとはね鉄オタ恐るべしです!!そして、山の手線1周の旅はジャスト1時間だった。もしかしたら、2周、3周する、と言って騒ぐのではないかとヒヤヒヤしてたけど、さすがに1時間ぐるっと回ったら鉄オタ氏も気が済んだらしい。ほっと胸をなでおろす叔母。翌日のスカイツリーツアーは、朝から雲一つない快晴。絶好のスカイツリー日和で、富士山から房総半島まで360度視界良好で大満足だったらしい。なんだか強運ですよね、鉄オタ氏。東京に住んでいるはずの叔母はまだ行ったことないのにね(苦笑)鉄オタ氏は、鉄オタの聖地とも言われている大宮の【鉄道博物館】にどうしても行きたいらしく、夏休み、あるいは秋の連休には必ず再度東京に来るらしい。そして、ワタシも鉄道博物館にはちょっと行ってみたいかな、と思っている。自分にももしかしたら鉄子の血が流れているのでは?(@@)とチラッと思った春休み(笑)。
2015年04月01日
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めっきり暖かくなって春間近といったところの今日この頃。頑丈なワタシは、有難いことに今年もインフル、ノロウイルスとは無縁の冬でした。感染者に何度も接触してたんですがね(笑)。この頑丈なワタシでも中国のウイルスには本当に参った。中国ではなぜか結構風邪をひき、しかもその風邪が本当にタチが悪く、日本から持っていった薬が全く効かない(ワナワナ。。。。)しかも、風邪をこじらせて気管支炎にまでなる始末。咳が1カ月以上も止まらない。そうこうしているうちに体の抵抗力が落ち切って帯状疱疹になり、またしても病院通い(@@)そういえば、病気だけではなく、足の肉離れで2か月以上 まともに歩けなくなったこともあった。あの頃、海外旅行傷害保険には本当にお世話になりました。なんといっても医療費がタダなのですから、こんなに有難いことはありません。。。。春が近いからといったわけでもないのですが現在、週末になると少しずつ家の片づけをやっている。一気にやろうとすると疲れて本当に嫌気がさすので、少しずつ、でも確実に今日はここと決めていた部分は仕上げるのがコツ。それにしても。。。。以前からよく耳にする断・捨・離ということば。確かに、家のキャパはきまっているのである程度、ものを捨てていかなければ家がもので溢れてしまうことはわかってはいるけれど、どうしても捨てるふんぎりがつかないものもいくつか出てくる。ワタシに洋裁、リフォームの才能があれば、着なくなった服をうまくリフォームして使い回すことができるのだけど、、、、、ミシンさえない我が家。いえいえ、ミシン以前にそれだけの腕があんのか? → 全くありません。捨てるだけでなく、こういった洋服に限らず、もののリフォームがうまい人が本当の意味での生活・家事の達人ですよね。
2015年03月15日
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東日本大震災から4年経ったのですね。テレビで被災地の復興が遅々として進んでいない状態を見ると、あの日本国内はもとより、世界各国から集まった膨大な募金は一体どこに使われているのか?? という気がしてなりません。忘れもしません。4年前の今日も真冬のように寒い一日でした。ワタシにとっては、中国から思いっきり後ろ髪をひかれつつ帰国し、初めての東京生活が始まったばかりで、右も左もわからないところで遭遇したこの大災害。今考えたら、あの状態で、夜を徹して会社から自宅まで6~7時間かけて徒歩でよく帰れたもんだと思います。「やはり、自分は帰国すべき人ではなかったのではないか?」などとその後1年以上一人で悶々としていました。今 生かされていることに感謝し、少しでも前を向いて歩いていかなければいけない、としみじみ思います。
2015年03月11日
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この春節休暇中も大陸からの旅行者の方々が大挙して銀座、秋葉原などで【爆買い】ツアーをされた模様。1人当たりの買い物平均予算が100万円!などとおっしゃる方もおり、毎度のことながらビックリ(@@)考えてみれば、ワタシが上海に住んでいたころ、日本に一時帰国した時は、まさにこの【爆買い】をしていた(さすがに、予算100万なんてことはあり得ませんが。。。苦笑)。なんだか、爆買いツアーの大陸の方々が、かつての自分の姿とダブって仕方ないのですが。。。苦笑。半年分の化粧品やらシャンプーやらドラッグストア用品、薬の数々。そして、洋服やら本やらテニス用品やら友人に頼まれた土産やら。限られた短い時間内に息も絶え絶えになりながら、爆買い&爆食いに精を出していた。今でこそ本当に豊かになり、お金さえ出せば、日本のものは殆ど買えるようにも見える上海だけど、、、、ワタシが住んでいたころはお金は多少あっても(実際、自分で仕事もしていたので)、買いたいと思うものが殆どなく、日本に一時帰国した時に、ここぞとばかり爆買いするしかなかった。上海に住む太太さんたちのブログを見ていると、日本の外食産業もどんどん進出していて今は随分、住みやすいだろうなあ、とちょぴりうらやましくも思う。当時はまだ、食うに困る、自分の食べたいものがそうそう簡単には食べれない、といった状況もしばしばだったので。。。自炊はもちろんしていたし、弁当も作ってはいたけど、やはりあの国でフルタイムの仕事をしながら、勉強をしながらだとかなり疲れる。しかも使い手の使い勝手など考えてもいない使いにくさ満載のキッチンだったので毎日の料理は、日本で同じものを作る時の2倍の時間はゆうにかかっていた。でも、、、あの時代、あの時だからこそ経験できたこと、知り合えた人たちがたくさんいる。今思い出しても胸が熱くなる思い出が満載だ。多少不自由だったとしても、やはりあの時代に上海で過ごした6年半は今までのワタシの人生で最も光輝いていた時代だったとつくづく思う。
2015年02月26日
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そんなこんなで、年明けから大騒ぎだった試験。一応、Web上の合格発表で自分の受験番号を確認できたし(現在は、大学受験の合否もWebで確認できるみたいですね)、同じく合格したご学友からも「お互いよかったよね~」メールをもらったのだけど、、、疑り深いワタシはまだ信じられないのです。思えば、この1年間、フルタイムの仕事の合間に土曜日ごとにまるで行商のおばちゃんのような大荷物(テキストがたくさんありすぎてしかも激重)を抱えて学校に通い、疲れ切った体にムチ打って、時に居眠り、意識朦朧、偏頭痛に悩まされながら、老体に鞭打ってなんとか乗り切ったのだから喜んでしかるべきなんでしょうが。。。写真入りの認定書(楯入り)が手元に届くまでは、まだ心の中に疑いの気持ちがあるというかなんというか。。。この認定書の作成には1カ月近くかかるらしい。う~~む。それにしても、この猜疑心の強い性格、自分でもイヤになる。今年は遊ぶぞ!楽しむぞ!だったんじゃないっすかあ?
2015年02月19日
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2月前半にある試験を控えていたため、この正月は気が気ではなかった。確かに、元旦早々勉強しているわけではなかったけど、試験が近づくにつれて机に張り付く時間がどんどん長くなり、最後の3日間は一歩も外に出ないで、ひたすら机に張り付いていた。そしてなんとか終わりました試験。結果は神のみぞ知る(まだ結果出てません)。ただ、やっと来た正月ということで久々に箱根の温泉へ。電車の中で食べた すき焼き弁当とデザートのイチゴ杏仁。これだけでも気持ち上がります。そして、肝心の温泉は、箱根には珍しい「にごり湯」でお肌しっとり温まりました。温泉に何回か入ったら、酷かった肩こりが、幾分マシになりました。湯治で1週間くらい逗留したら、もしかしたら完治したかもしれませんね~お金と時間に余裕がなければ、とてもできませんが。。。そして、箱根に来たら、必ず立ち寄る箱根湯本駅近くのコーヒー屋さん。コーヒーの美味しさは言うまでもなく、特筆すべきはここのコーヒーソフトクリーム。これを食べなければ帰れません。いつも大勢の人たちが押し寄せ、狭い店内は満員御礼状態。関東は、手軽に行ける温泉地が結構あるので、これからできる限り行きたいと思います。思えばこの数年、仕事はもちろんのこと、今回の試験にたどり着くための段階的な試験を毎年のように受け続け、なんだか疲れた。年々、体力、気力の衰えはイヤでも感じる。このままでは、全く楽しい思い出なしで人生終わってしまいそう。そんなのあんまりぢぁないっすか。今年は遊ぶぞ!!
2015年02月14日
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まるで、昨年まで長年続いていたウツウツとした気分を昨年の大みそか 飛行機に乗っていた時にその飛行機に落ちた雷が一気に取っ払ってくれたかのような年明けの運気です(^^)vこの年齢になって、新しい仕事の可能性が舞い込んでくるなんてそうそうあることではありません。こういう時こそ慎重に。
2015年02月06日
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2月上旬にある試験(語学関係ではありません)を控えているので、仕事、家事以外の時間は粛々と勉強せざるを得ない今の自分。とはいっても、年のせいか、昔より記憶力も集中力も続かなくなっていることは嫌でも思い知る。語学の試験は、範囲があるようでないので、記憶力の勝負というよりも結局は、その人の総合力がやはり出てしまうように思う。ただ、今回の試験は、ある意味記憶力が勝負の部分があるのでかなりの苦戦を強いられています。こんなんでいけるんか、ワタシ?いや、かなりきわどい
2015年01月27日
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といえば、ワタシにとっては、あっつあつの韓国料理。スンドゥブチゲ、石焼ビビンバ↓などなど。今の職場は、近くに韓国料理はじめ、都内にしては内容、量ともにお得なお店が多く、にぎやかなエリアにあるので助かります。
2015年01月08日
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毎年のように実家で労働に従事した年末年始。大晦日 帰省のため、国内線の飛行機に搭乗して飛行中に飛行機に雷が落ちました飛行機に雷が落ちることはある、と聞いてはいましたが、破裂音とともに、窓の外にオレンジ色の光が見え、かなりの衝撃でした。この影響か、着陸を時間をかけてやり直し、結局定刻より30分遅れ。空港で待ってくれていた方に大きな迷惑をおかけしました。すみません。。。もしかして、雷の影響でエンジン系統がおかしくなって、胴体着陸でもやるつもりなのでは? と内心覚悟はしてました。そうではなかったので一安心。紅白歌合戦ふなっしー さすがの存在感でした。復興ソング「花は咲く」でフィギュアスケート ソチオリンピック金メダリストゆづリンの映像がたくさん出たことに大満足!紅白の後にみたフジテレビの昨年あまり良いことがなかった有名人のヒト達が集まって、煩悩を消し去る鐘つきをする番組が面白すぎて見入ってしまった。久々に林家ペー パー子夫妻を見ました。そしてお決まりの箱根駅伝。すっかり正月ボケですが、明日からは完全に通常営業に戻ります。今年もヨロシクお願いいたします。
2015年01月03日
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ついに2014年の最終日ですね。この時期になると、毎年のように来年の目標は?という話になりますが、この年になれば、特に新年に対する野望もなく現状維持が精一杯という気持ち。新年を迎えれば、また気持ちも変わるかもしれませんが。。。。できれば、笑って過ごしたいですね
2014年12月31日
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渋谷で最も有名な方【ハチ公ことハチ君】もサンタになってました。
2014年12月25日
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今晩、仕事関係者の方との勉強会で頂いた豪華なお弁当(ステーキ丼+サラダ)。まず、自分では買いません、いえとても買えません。この年になると、クリスマスといってもヒトにプレゼントするばかりで逆にプレゼントされる、といった機会が殆どないので、こういう親切は本当に身にしみます。この関係者の方には今後も何とかして力になろうと思います(← 単純)今はヒトから何かしてもらうのを待っているヒトが溢れているからこういうヒトのために何かできるヒトが俄然光る世の中だと思う。ヒトのためにこういうことができる人が最終的には巡り巡って大きな幸せを掴むのだと思う。
2014年12月22日
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上海に住んでいた時は、師走といっても街にクリスマスの飾りつけがチラホラ見られるくらいでしたが、日本ではやはり師走は師走です。何も大したことなどしてないくせに、なんだか慌ただしい気持ちになりますね。これから年末まで忘年会やら何やら結構続きます(年寄には結構こたえます 苦笑)し・か・し まだ12月まではよいのです。取り敢えず、年末休みを目指して駆け抜ければよいのですから。。。その反動というべきか、年明け 1月、2月が妙に暗~くて長いような気がするのは私だけ?は?? こんなくだらないブログを書いているヒマなどないはずではないか?? ↓ のように優雅でマイペースな彼ら。うらやましい。
2014年12月12日
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一体、いつからでしょう?日本でここまでハロウィンが盛んになったのは。今年のハロウィンは金曜日にあたったということもあり、あちこちでパーティが開かれ、また渋谷ではワールドカップの時をしのぐ、ものすごい人たち(しかも皆 仮装してます)が集まって、警察まで出る大騒ぎになったそうだ。確かに、この週末は、仮装したまま電車に乗っている人を見かけた。小さな子供たちが仮装しているのは、なんだか微笑ましいけどいい年した大人がドラキュラに仮装して電車に乗っている姿はなんだかちょっと引いてしまった。人間だけではなく、お店をされている知人宅は看板犬のワン君まで仮装し、多くの子供たちにお菓子を配り、まさに八面六臂の大活躍だった!エライぞ ワン君!!ボクにお菓子はないのですか??
2014年11月03日
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中国に住んでいた時にしつこく受験し続けていたHSK(漢語水平考試)。ある意味【おたく】だったといってもよいでしょう。4年ほど前から、全世界的にHSKの試験体制・方式の変更が行われ、新方式(1級~6級)になったことは知っていた。一度受けてみようかなあ、と思ってはいたが、何せ日本帰国、再就職後仕事で使う外国語は、英語オンリーのトホホ生活。時々、上海に住んでいた時に仲良くしてくれた中国人の友人が中国語でメールを送ってくれていたので、それに答えるのが唯一といってもいいくらいの中国語との接点だった(><)しかし、今回なにを血迷ったか、突然思い立って、先月実施された新方式HSKを日本で受験した(@早稲田大学)。受けたのは、5級。旧HSKでは、7,8級レベルに相当するらしい。実は、このレベルには中国に居た時に既に達していたので本当は最上級の6級を受けたかったのですが。。。問題を見ると6級は、旧HSKの高級試験(9級~11級)に相当するとのことで、今の私には、か・な・りのハイレベル。よって、今回は、新5級(听力,阅读(包括语法),作文)にしました。そう、新方式は、全ての級に【作文】がつくのですね。これが今までの旧方式とは大きく異なる点。とは言っても、思い立ってから試験まで1カ月しかない。一体どうするんだワタシ?と思いながら、ウダウダとテキストを開いて渋々やり始めた。最初の1週間は、中国語特有のカンがなかなか戻ってこなくてかなり苦しんだけど、年取ってからでも苦労して身につけたものはやはり裏切らないんですねっっっ 徐々にカンを取り戻し、なんとか試験までに間に合った。取り敢えず5級はクリア!!!まあ、4年前に到達していたレベルなんで、なんとか元に戻せて良かったというところ。そして、残すはやはり最上級。ムムムムム
2014年10月14日
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日本でも上海蟹を食べることができる昨今。現在は雌ですよね。こちらの上海蟹のスープはなかなかの美味でした。それにしても思い出すのは、上海に住んでいた時、会社の同僚達としょっちゅう円卓を囲んで夕食を食べたこと。このシーズンはもちろん皆で上海蟹をムシャムシャ。日本の会社では今や廃れつつある会社の宴会が中国ではまだまだしっかり残っていた。中国では、あまり飲めない人(特に女性)に酒やお酌を強要しないし、皆で楽しくお話をし、歌あり、時に踊りありの賑やかな宴会で日本に居た時のおやじのどーーーーでもいい自慢話ばかりを聞かされ、お酌を強要される宴会とは比較にならないくらい楽しいものだった。本当に懐かしい。
2014年10月09日
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前回、ウツウツとしたブログを書き、実際にかなり落ち込んでいた。先日、上海に住む大学同窓会の幹事D氏(中国人)より、上海で開催される同窓会へのお誘いメールが来た。5月に彼から同窓会に参加しませんか?というメールを頂き、溜まっていたマイレージを利用して久々の上海行きを果たし、懐かしい多くの方々と再会した。そして、今回も来月の同窓会開催のお知らせメールを頂いた。弁護士であり、ご自身の弁護士事務所を開業されているD氏は超多忙な方だ。なのに、こういった同窓会の幹事役を長年に渡って文句ひとつ言わずに一手に引き受け、すでに何年も前に本帰国したワタシにも相変わらず連絡をくれる。その気遣い、優しさにいつも救われる。人との付き合いが表面的なものに終始しがちな日本と違って、中国人の方の一度親しくなった人に対する優しさにはいつも本当に感動する。今回の同窓会は残念ながら参加できないけど、今の気分はこんな感じ↓
2014年10月02日
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この9月に、ワタシにとって大きな影響力をお持ちであったお二人が相次いでこの世を去られた。。。ともに50代と60代。現代の日本人の平均寿命に照らし合わせると、どちらも早すぎる死と思う。お二人とも全く別々の分野でご活躍の方で、本当に人生の意味ようなものを最期までご自身の身を持って教えてくださった方々だったと思う。一生忘れません。そして、9月といえば、上海に住んでいた時、大学同窓会で中心人物であったL氏(中国人)が亡くなり、お葬式で涙に暮れたことを思い出す。L氏はまだ40代に入ったばかりだった。あれからもう5年も経ったのだ。。。。この3名の方々を思い出すと、惰性と執着の人生だけは送るまい、と思う。でも、結局、世の中の大半の人にとって、生きるとは惰性と執着になるのではないかという気もし、なんだか本当に空しい。
2014年09月29日
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昨年読んだのだけど、また借りてきて読んでしまった「月下上海」戦時下の魔都上海を舞台に描かれている小説だけど長年実際に上海に住んでいた私にとっては、描かれている街並みや通りの名前が懐かしく、小説の内容よりもそちらに引き込まれてしまった。淮海路って、この時代はジョッフル路と呼ばれていたのね、福州路は四馬路と呼ばれていたなどということもわかる。この時代とは異なっているんだろうけど、小説の中に出てくる各通り(〇〇路)独特の雰囲気、景色、匂い、人々の生活などが次々と思い出された。確かにワタシはあの街に居たのだ。思えば、よく上海の街中を散歩・散策と称して、ウロウロしたものだ。自宅から外灘(バンド)まで40分近くかけて歩いていったことも結構ある。そして、いくら散策しても全く飽きることがなかった。できるものならば、一度、魔都と呼ばれた戦時下の時代の上海にタイムスリップしてみたい。
2014年09月22日
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どうしても怒りが収まらない。こんなことをするヒトとは思えないヒトがいる国。これが先進国 お・も・て・な・し の国の実態。防犯カメラを駆使して絶対に犯人を検挙し、全国に放送して欲しい。そのために防犯カメラをあちこちに設置しているのでは?なぜか、リンクを貼ったはずのURLが表示されません。事件をかいつまんで記述すると、何者かが電車に乗って飼い主さんと移動中だった盲導犬君のおしり部分を刃物で刺した。それでも訓練されていてけなげな盲導犬は鳴き声ひとつあげなかったため、飼い主さんは気づかず。職場に行って、職場の同僚がおしり部分が血だらけになっている盲導犬に気づく。
2014年08月27日
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事態は【八方塞がり】になってしまった、という意味ですが、まさに、今の自分がこういった状況。あまり考えたくはないけれど、この国には最初から自分の居場所なんてないのかもしれない。こういう気持ちでいるから、余計に八方塞がりの事態を自ら招いてしまうのか?
2014年08月22日
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少しも利己的なところがなく、ひたすら人のために尽くす、という意味なのですが、こういう神のような人は現実には存在しないわけで。ただ、つくづく思うのは、日本人は自分好きな人が本当に増えたということ。自分大好きで自分にばっかり集中しているから、絶えず満たされず、イライラした印象を周りに与えてしまう。こういう人に限って、中国の話になると「中国人って自分好きで、謝らないでしょう?」などとしたり顔でおっしゃるが、ワタシはそういう時、必ず「日本人だって同じような人が最近は本当に多いと思いますけどお。」と言ってしまう。ただ、ひたすら人のためばかりに尽くしていると、必ず不平不満が出てくるのが人の常だと思う。誰だって、自身の生活があり、聖人君主ではないのだから。大切なのは、自分を良い状態に保ちながらも、人のためにできることは率先してやる、というこのバランスなのだろうな、と思う。日本に帰って来て、最もびっくりしたのが電車の中での光景。中国では、若者(特に男性)が、普通席に座っていても妊婦さんや老人、子供連れの方が乗ってきたら、素早く立ち上って席を譲る光景を毎日のように見ていた。対して日本では、怪我をしているわけでもない、健康ないい大人(若者含む)が電車の中で優先席に踏ん反り返り、席を譲るべき人が前に立っていても寝たふりをしたり、スマホばかり見て知らん顔をする人が本当に多いのです。こうやって自分にばかり集中しているからどんどん苦しくなるのですよね。
2014年08月21日
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え~~~ お盆休みで、チンタラチンタラ仕事を家でやってはいるものの基本ヒマです。こういう時、頭に浮かぶのは、題名の中国語。乱暴な訳ですが、要するに、「凡人はヒマしてるとロクなことにならない。」という意味だと思います。まさに完全同意。人間は、忙し過ぎると心を病み、ヒマすぎるとこれまたおかしくなる。ワタシは、何事もほどほどにてきとーにやりたいのですが、今の日本って忙しすぎるかヒマすぎるかの選択肢しかないように思う。今日もまた、人身事故とやらの電車飛び込みが起きた。東京では、毎日といっても過言ではないくらいこの人身事故が起こる。これで、お・も・て・な・し の国なんて本当に言えるのだろうか?なんだかおかしいこの国。
2014年08月11日
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3連休を利用し、箱根の温泉に行った帰りに横浜中華街の昔からのなじみのお店で作成した魔除けのブレス。誕生石であるアメジスト:精神の安定をもたらす 効果あり。アメジストとクリスタルの間の山岳民族カレン族が作成した銀色のチャーム;魔除け・厄除け 効果あり。なんといっても最大のポイントは、真ん中のハート型のペンダントトップこちらもカレン族が作成したもの。このハート型のペンダントトップが入ることによって、一般的なよくあるクリスタルのブレスが2つとない魅力あるものに仕上がってますね。ずっと昔から欲しかったブレスが、憧れの女性の手によって、思っていたよりもさらに素晴らしい形で手元に。大満足です!!
2014年07月22日
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いよいよ佳境に入りつつあるワールドカップ2014ブラジル大会。4年前の南アフリカ大会は上海で観た。決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦で日本がPK負けを喫した直後夜中の1時過ぎに中国人の友人Mより、すかさず「負けたけど日本はよく頑張った。」という趣旨のかな~~り上から目線のショートメッセを受け取ったことを懐かしく思い出します。ワールドカップに出場することさえできなかった国の方にそこまで上から目線で言われたくはなかったのですがね(苦笑)ところで、今回の日本のリーグ敗退(失礼ながら個人的に予想してましたが。。。)で、最もひっかかったことが、多くの選手たちが口にした「自分たちのサッカーができなかった。」という言葉。はあ???????自分たちのサッカーっていったい何?それができたからって勝てるという絶対的な保証なんてあるんでしょうか?相手だって必死で日本を研究し、なんとかつぶしに来るだろう。自分たちのサッカーなんてできない、と考えるのが普通では?相手のオウンゴールによる1点での1-0で勝利。PKによる1点での1-0での勝利。たとえそうであったとしても、勝ちは勝ち。勝ち点3なのだ。これに関しては、内容よりも結果がすべてなのだから、俺様流になどこだわっているヒマがあるのなら、体投げ出してでも点取りに行けば、とさえ思ってしまう。でもこれって、今の日本社会そのものという気さえしてしまうのは、うがった見方でしょうか?少なくともうちの会社では、ど~~~でもいいことにばかりこだわって時間かけている人が本当に多いような気がする。とにかく、目標がはっきりと見えているのなら、四の五の言わずに、そこに向かって最短で進む方法を考えるのが普通では?と思うのですが。どうしてそんなに、ど~でもいいことにこだわった俺様流を貫こうするのか訳がわからない。そういう人は、仕事だけでなくプライベートでもそういうやり方をするので結局大事なものを何一つつかむことができないような気がしてしょうがないのです。
2014年07月04日
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先週末、大学同窓会上海支部の総会に参加するために上海に行って来た。わが大学の同窓会、上海男人に幹事をお願いしているのですが、本当に彼にお願いしてよかったと思う。普通、本帰国から3年以上も経った日本人をわざわざ同窓会に誘わないと思うのだけど、彼は私を誘ってくれた。(やはり、上海男人、優しいです。)そして、運よく、ANAのマイルがかなり溜まっており、またマイルのいくらかが6月末で失効するという連絡が来たので、思い立って上海に出かけることにした。2年ぶりの上海。同窓会は、日本人の移り変わりの激しさは相変わらずだけど懐かしい長い付き合いの中国人の方々と久々に語り合い、本当に楽しかった。東京でお会いする約束もしました。また、この楽天ブログを通して知り合った日本人の方々にも久々にお会いでき、ディープなお話ができ、2泊3日という弾丸ツアーではあったけど、本当に充実した旅になりました。上海の街は、ただ歩いているだけでも、どの通りを歩いても溢れんばかりの思い出が詰まっていて、、しばしば足を止めてしまう。会社が入っていたビル(会社が引っ越しばかりしていたので、思い出のビルは市内のあちこちに)、お昼に行った場所、同僚達あるいは上海で知り合った日本人の方々と飲み会をした場所、通い続けたテニスコート、中国語学校、帯状疱疹を患って通った病院、中国人の友人とケンカし、泣き泣き歩いた通り、移動の足だった路線バス(なんと、まだ2元だった!!このご時世本当に立派)、ずっと住んでいたマンション、食糧調達に週末ごとに行っていたスーパー、百貨店。。。。ただ、街を歩いているだけでここまで思い出が溢れている場所は私にとって世界でただ一つ 上海だけだ。今後もそれは変わらないだろう。最後に、いつもの散歩コース、花園飯店の近くを通った時、ガーデンウェディングをやっていた。そう、この結婚シーズンは、雨さえ降らなければ、毎週末ガーデンウェディングをやっていて、参列者以外の一般の方々も遠くから見守ってよいのです。ということで、懐かしのWeddingシーンの写真も
2014年05月31日
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なにがやねん? と言われそうですが。。。10年前の今日が、上海に降り立った日でした。はっきり覚えてます、あの日のこと。あのなんとも言えない不安な気持ち。心細さ。あれからもう10年も経ったのだ。とてつもなく短かったようにもまた長かったようにも思う。ひとつだけ言えることは、上海での生活、会社員としての仕事、中国国内出張、大学生生活、中国語学校、HSKを受け続けたこと、異文化体験、あてどない街歩き、部活さながらのテニス特訓、日本人・中国人含めて出会った多くの方々、中国人の友達とケンカしたこと、仲直りしたこと、一緒に遊びに行ったこと、数々の週末の夜遊び/飲み会/お食事会、大学同窓会、マーケティング研究会、お世話になったネイルサロン、ヘアサロン、北京オリンピック、上海万博ツアー、、、、、、今でも関係が続いている方は、楽天仲間の方々も含めて結構いらっしゃいます。ワタシの人生にとって光輝く財産です。もし10年前に上海に行っていなかったら、、、、間違いなく、淡々とし過ぎて味気ない人生だっただろうな、と思う。想像すると空恐ろしい。。。。本当に行ってよかった。
2014年03月25日
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忘れもしない3年前の3月11日。真冬のように寒い日だった。私にとっては後ろ髪を思いっきりひかれつつ泣く泣く帰国し、日本式のどうでもいいことにこだわる重箱の隅ツツキ体質、そして自分にしか興味のない人たちにうんざりし、「やっぱり戻ってくるんじゃなかった。」と毎日ウツウツとしていた時に発生した東日本大震災。家をなくし、仕事をなくし、家族をなくした被災地の方々に比べれば、ワタシのこのウツウツ感なんて全く取るに足らないもの自分のことで悩めるなんて、贅沢極まりない、と頭ではよくよくわかっていた。わかってはいたけど、、、、頭も体もどうにもついていかない。このウツウツ感をどこかでず~~~とひきずり続けた3年だったと思う。この3年、ワタシは一体何をしたのだろう?
2014年03月11日
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すっかりオリンピックボケの今日この頃。特に、子供のころから大ファンのフィギュアスケートは夜寝をして、真夜中過ぎにムクッと起き上がり、明け方まで観て会社に行っていた。当然のように会社では頭がいつも以上に働かず、ぼやけていた。オリンピックを観ていて思ったこと、それはメダルをとるような選手達(メダルに手が届かなかった選手も含め)はおそらく、連日、極限の努力を続けているのだろう。ただ、好きなことだからこそ血を吐くような努力が続けられるのだろう。もちろん、金メダルをとると一族郎党の一生分の生活が保障される国もあるらしい。そのためには、馬車馬のごとく努力するのだろう。しかし、好きでもないことにいくらお金のためとはいえそこまで努力できるものだろうか???翻って自分のことを考えてみる。今の仕事が好きか?と問われると正直返答に困ってしまう自分がいる。会社にはとても言えないが、極限の努力をしてまでやりたい仕事だとはどうしても思えない。ただ、このご時世、次の仕事の目途もないのに早々と正社員の職を手放す気にはならない。よくよく考えてみると、この年齢で、中途採用でしかも、中国帰りの頭の中は完全に外人の私にちゃんとした会社の正社員の職があるだけでも本当に恵まれたことなのだとは思う。頭ではわかっちゃいるんですがね。。。。こういう単なる執着が自分で自分の首を絞めているのかもしれない。支離滅裂日記
2014年02月27日
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前回の日記で書いた試験の結果が出ました。合格 ということでホッと一息。自分のバックグラウンドを考えるとこの試験に落ちているようでは、お先真っ暗だったのですが。。。取り敢えずは安心しました。お陰様で、今年は上々のスタートとなりそうです。ゆづリン 本当にお見事でした!3年前に初めて彼の演技を見て、その美しさ、レベルの高さ、ある種の天性ともいえる才能に感動して以来、ず~~~と「ソチの金メダル候補」とみていた私にとっては最高の結果でした。まだ世界的には(日本でも)無名だった彼を「ソチの金メダル候補」と周りにふれ回っては呆れられていたことが 懐かしく思い出されます。どんなもんです、ワタシの先見の明 と内心思ってます(笑)本当におめでとう!!そして有難う!!!最高に格好よかったです!!
2014年02月19日
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ついに終わりました。。。。年明けからひそかに患っていましたこの試験準備。会社から要求されたわけではなく完全に個人で勝手に受け試験ですが、、何気に中国と関わりがある中医学関係の試験です。この試験に落ちるようでは正直、お先真っ暗なのですが。。。。合否判定はまだ少し先。。。結果は、、、神のみぞ知る。
2014年02月02日
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なんてことない話題ですが(早くもネタ切れの気が。。。。)年末のどん底気分を一気に救ってくれた中国人の友人Mとは相変わらず、ちょくちょくメールのやり取りをするメル友状態が続いている。私の中国語力をこれ以上落とさないためにもこの状態は本当に有難いです。考えてみれば、中国に行った当初、ま~~~たく中国語を勉強する気がなかった私が、HSKを受験し続けなんとか8級レベルに達し、帰国前に中国の大学の留学生にまでなったのはひとえに会社の若き後輩だったMのおかげ。Mが携帯メールをよくくれたので(もちろん中国語で)最初のころは返事を返すだけでも四苦八苦で、レストランやバスの中でもお構いなしに電子辞書をひきひき、やっとこさの思いで返信メールを返していた。恐らく、あの当時の私の返信メールは文法的にも間違いだらけだったのではないかと想像してます。心優しいMはそれでも私にメールを送ってくれ、会社ではボディガードのように甲斐甲斐しく私の世話を焼いてくれた。次第に中国語力は上がり、辞書なしで、まさにチャット状態で携帯メールのやり取りができるようになった。やはり、愛の力って大きい!!学校よりも、テキストよりも最も生きた中国語を学べまた、そのモチベーションも並みのものではないのだから。
2014年01月19日
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中国での主にPM2.5による大気汚染 その後状況はいかがでしょう?時々、日本のテレビでもニュースで街の映像が流れますが、、マスクをしていない人も結構見られて驚きます。「なぜ、マスクをしない人がいるのか?」日本に住む中国人の知り合いの方によると「中国の人たちは中国製のマスクの性能を信用していないから。」とか(@_@)中国に住んでいた時、私の仕事は、中国市場に喘息薬を出すために、臨床試験のデータおよび膨大な資料をまとめこんで中国当局に申請し、販売の許認可を取得することだった。そして、多くの中国人スタッフと協力し、予定より早く中国市場での販売の許認可を取得し、その後は販路開拓のためのマーケティングプランの作成やら、製品パンフ、資料の作成、営業担当者への研修の立案等々。。。。実は、この喘息薬は体に貼るいわゆる貼付剤で、小さな子供にもとても使いやすいもの。もちろん、大人にも使えます。中国での大気汚染のニュースを聞くたびに、あの薬の効果の高さを知っている開発担当者としては、恐らくかなりの数の子供たちの喘息、気管支炎等の呼吸器疾患が楽になっているのではないか?と 思っている、いえ、きっとそうだろうと信じてます。なんだかんだいいながら、6年半も住まわせて頂き、数々の決してお金で買うことができない貴重な経験や出会いをくれたこの国に少しでも恩返しできたかと思うのはこの点です。未来ある子供たちが、少しでもつらい思いをすることなく健やかに成長できますように! 祈ってます。
2014年01月12日
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今年は、最高の日並びで年末・年始が9連休と長かった。途中で田舎に帰省し、強制労働に従事しましたが、明日からはまた日常生活に戻る。これだけ休んでしまうと体も頭も元に戻すのに時間がかかるでしょう。きっと。それにしても、、、年末の首相の靖国参拝、、なぜこの時期にわざわざ?一般の戦没者の御霊のみならず、他に誰が祀られているか当然御存知ですよね?そして、そのことに対して、中国・韓国の人たちがどんな気持ちになるか、いい年をした良識ある大人ならば、十分に想像がつくはずと思いますが。そして、個人的にも、ちょっと残念なことがあった年末でした。はたからみれば携帯電話のメール着信拒否なんて大したことではないかもしれないけど、私にはかなりショックでした。ストーカーのようにしつこくした覚えも全くなく(するわけないし、そこまでヒマじゃない)、また少なくともこの2年、その人の不利益になるようなことをした覚えもない。なのに突然。友達ではなく、知り合いというべき関係の人だったので、仕方ないかとも思うのですが、、、、でも、私が帰省中に届いていた中国人の友人Mからのメールに本当に救われました。考えてみれば、Mとはしばらく前に、ちょっとした行き違いからかなり気まずくなり、メールでの連絡も途絶えていた。単なる知り合いではなく、仲の良い友人だっただけに、もうメールが来ることはないだろうとあきらめていた。だけど、突然。「長いこと連絡を取ってませんよね。どうしてますか?」との連絡。近況を書いて送ると、私が現在勤務している会社(外資系)は、中国の上海にも支店があるので、ぜひぜひそこで働いたら?という有難いお言葉。年末の日本でのショックな出来事とは本当に対照的な展開で、救われました。まさに、「捨てる神あれば、拾う神あり」あまり言いたくはないけど、今の日本って人の気持ちがわからない、わかろうともしない いい年した大人(正しくは大人の格好をした子供)が増えているなと感じる。ちょっとでももめると、たとえもめてなくても、自分の都合、利益だけですぐにその人との関係を断ち切ろうとする。だから、全てが上っ面だけの表面的な薄っぺらい人間関係しか築けないんですよね。たとえ揉めることがあっても一度仲良くなった人に対する中国人の方の懐の深さに救われました。深刻な大気汚染、貧富の拡大等多くの問題はありますが、やはり大陸中国 島国とは国土も人もスケールが違います。奥が深い。私がどうしてもこの国から目が離せないのはこの部分なんだろうなあ、と思う。
2014年01月05日
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中医学で昔から言われている大切な教えの一つは体を冷やさないこと。中国で冬にスカートにブーツという格好で出かけようとした時に周りの方々から「ズボンをはきなさい!!」と注意されたことを懐かしく思い出します。日本では春まだ浅しの薄ら寒い時期におしゃれを意識して「生足」「うす~いストッキング」の人をたまに見かけますが、正直有り得ない、とさえ思ってしまいます。自分自身、体を冷やすと言われているコーヒーをさらにアイスコーヒーにして飲んだ後の調子の悪さを身を持って知っているため、この教えの意味がよくわかります。また、真夏でもジュース等に氷は一切入れません。この季節は、体を温める「生姜」と沖縄産のミネラル豊富な黒糖が入った【国産しょうが入り 黒糖しょうがぱうだー】で体を温めましょう。http://www.kakinohana.jp/(久々にブログにリンクを貼ろうとしたらうまくできませんでした。。。どうしちゃったのでしょう??)
2014年01月04日
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涙涙にくれた日本帰国から早3年。今回、突然ですが、今まで何を書いてよいかわからず放置状態にあったこのブログを少しずつ再開することにしました。年末、「今後、もう連絡をとることはないんだろうなあ。。。」と思っていた中国人の友人から本当に久々に突然メールをもらった。また、中国の大学に通っていた時に翻訳のアルバイトをしていた会社からこれまた3年ぶりに突然メールをもらった。なんだか、上海(中国)に向けて風が吹いてませんか??ということで、これから少しずつ、どうでもいいことばかりになるでしょうが、個人のたわ言をツラツラと書いていこうと思います。
2014年01月03日
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日本帰国後、骨格矯正、インナーマッスル強化ストレス発散!? の目的で始めたピラティストレーニング。残念ながら、毎日が自転車操業の働く主婦としては そうそう頻繁に行くことはできないのだけど、それでもノロノロながらも通い続けて1年。今月から、月会費が1,000円下がった。そう、ここは通い続ければ、年々月会費が下がっていく(リミットはありますが)という、日本ではまず見かけない古くからの会員に目に見える形で手厚いスクール。少なくとも、日本ではこの手の学校は本当に珍しいと思う。。。長く通ってもこれといった特典がないばかりか慣れからか どことなくなあなあに扱われるようになり、メンドくさくなって行くのやめる、というのがよくあるパターンだったように思う。また、どういうルートで入手するのかナゾですが、新製品のシャンプーやトリートメント、柔軟剤、新発売の栄養ドリンク等の【サンプル】を時々配って下さるのも嬉しい心遣い。こういうちょっとしたお土産って、嬉しいもんです(^^)また、インストラクターの方々から社員旅行のお土産沖縄の「ちんすこう」を頂いたのも忘れられない思い出。もちろん、インストラクターの皆様 いつも明るく親切で、授業時間外でも気づいた点はもったいつけずにすぐにアドバイスしてくださるし、「ボス子さん、始めたころに比べれば随分、腹筋、腹胸筋がしっかりしてきましたよ!」とよく声をかけてくれる。こういう学校に出会えたことは本当にラッキーです。
2013年03月04日
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