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本日7月29日はニューヨークでは満月です。満月🌕のように丸くて黄金に輝いている、ゴールド薔薇イヤリングの特売をいたします☆こちらは2年前に、ジュエリーのお客様ご優待販売をしたイヤリングです。お陰様でお客様達からとてもご好評いただいたので、今回、一般発売します。今回は、パーティーやご親戚の集まりが多い季節に重宝するような、お買い得価格なのに高見えするイヤリング、ピアスです。素晴らしい高品質のヴィンテージのアクセサリー素材をニューヨークでコツコツ探して集めていますが、その中からとびきりのもの、私のお気に入りのものを厳選しました。昔は、1940年代50年代頃は、全て各国で専門の職人さんが手作りで高品質なアクセサリー用パーツを作っていた時代なので、造りが丁寧で、上質です。90年代以降はもうアジアに生産拠点が移って大量生産になっていったため、昔みたいな職人さんが作るのとは違うので、安かろう悪かろうで質が低下してしまいました。アクセサリ-もファストファッションになっていきました。アメリカは戦争で爆撃を受けなかったため、アンティーク・ジュエリーや、1940年代のアクセサリー用パーツも全てきれいな状態で在庫が残っています。 サイズ参考のため、50円玉を置いて写真撮影しました。 写真よりも実物の方が美しいです。 <ゴールド薔薇イヤリング>: 8880円(送料込)#注:いくつか他のものもご購入の方は同梱として送料分を差し引いて、調整いたします。 お値段が安すぎですが(!)、円安で不景気ですし世界中で天変地異や戦争が激しくなってきていますし厄払いも兼ねて、皆様に満月の幸運アップ↑金運アップ↑で喜んでいただきたいです☆ 実物を手にした方は、お気に召していただけると思います。 ぞろ目888は縁起が良いので、8880円の満月特売にしました。 この薔薇は、丸くて大きくて黄金で輝いているので、まるで満月みたいですよね!!! 素材は全て1940年代のヴィンテージのデッドストックで、新品で、当方が厳選して組み合わせてデザイン製作しました。 薔薇の直径は約35㎜(とても巨大なゴージャスなイヤリングです) 1940年代・セルロイド製 ゴールド塗料(40年代当時は金価格が安かったので、けっこう普段使いのアクセサリー用素材やボタンにも本物の金の素材の塗料を使用していました。この金色の塗料の素材は確認していませんが、年代と金色の発色の素晴らしさからもしかしてもしかすると・・・?) セルロイドは天然素材の木綿などのセルロースと樟脳で作られた初期プラスチックで、合成なのですが天然素材と変わらない扱いです。現代のプラスチックよりもセルロイドのほうが味わい深く、象牙の代用品として開発されて、模造象牙の素材として昔は使われていたそうです。質感が象牙のようで、高級感があります。 イヤリング金具は1940ー50年代の真鍮製のヴィンテージで、耳からずりおちにくいように&痛くないように現代のシリコン製カバーでサイズと形が合うものを探して付けました。 薔薇が大きいため、もし金具を薔薇の真ん中につけると耳たぶの上へもだいぶん出てしまって着けると邪魔なので、着けた時に耳たぶから下へ薔薇が収まって留まるように、薔薇の上のほうに金具を付けました。 この金具はジュエリーや金属用の強力な接着剤を使用してとめました。ご注文のお客様には修理の仕方なども個別に対応いたします。 セルロイド製品は外気に当たると経年により劣化するものですが、このゴールド薔薇のパーツは当時の箱のまま未開封のままで保管されていたもので、箱を開けると薔薇が6個ずつ並べられて薄紙で丁寧に包まれて糊付で留められているままの状態で、1940年代に作られてからずっと80年間以上、外気にあたらずに完璧に保存されていました。 このゴールド薔薇は一目ぼれだったのですが、運良く箱ごと全部(!)手に入ったため、今回の特売企画でイヤリング製作に使うことが出来ました。 ですから、素材は80年以上前のヴィンテージのセルロイドなのですが、新品のまま現代によみがえったもので、完璧な質です。もうすぐアンティークになります☆ 2年前にお客様ご優待販売のお客様のご感想をシェアします☆(以前特売の、ゴールド薔薇イヤリング(ピアス)について)>「品のあるゴールドの色味や細かい部分まで丁寧な作りで重厚感があり、あのお値段で良かったのでしょうか?!と、とても驚いています。ジェットのヘアゴムとも合い、ベレー帽にも合うので嬉しいです。惜しみなく使わせていただきます^ ^大きさもあり存在感抜群なので、ブローチ代わりにも使ってみようかなと思います。」 ↑・・・お気に召して下さり、嬉しいです。 このゴールド薔薇イヤリングは巨大で立派でしたので、先行発売では多くの方々からご好評いただきました。ありがとうございます。 お客様達のご感想、体験談はとても参考になります。 大変ご好評で、まだ在庫がございますので、一般発売をします。 これは、1940年代の素材で、80年以上前の手作りのセルロイド製なので、とても貴重な歴史的なサンプルでもあります。 先行発売時はイヤリングのみでご案内しましたが、その後、ピアスもご用意できました。お問い合わせ、お申込みは、wowshichifuku☆gmail.com(☆をアットマークに変えて下さい。迷惑メール防止のため) いつもありがとうございます☆ 満月おめでとう☆ ご縁に感謝いたします☆
2026年07月30日
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直近でアップしました、Tap City2026(NYタップダンス・フェスティバル)①②③、3部作の記事について、取材させていただいたTony Waagご本人にリンクをお知らせしました。すると、現在は日本語でも英語に無料翻訳の精度が上がったため、内容を英語に翻訳して全て読んでリンクも観て下さいました!時代が随分進んで、なんて素晴らしい世の中になったのでしょう!!!私が書いた文章とリンクの内容を、トニー本人が日本語から英語へ翻訳して、内容が伝わって通じたのですね!ああ、ビックリです!トニーに伝わって、私もすごく嬉しいです!そして、トニーは現在の多言語の翻訳が自由で簡単な世の中になって初めて、私がどのように記事の文章を書いているのかその内容を直接翻訳してご自身でチェック出来て、私の記事の文章の完成度にとても驚いて、喜んで下さいました!人種や国や言語が違っても、通じて理解しあえたので、嬉しいですね☆ パート①の記事を送った直後にいただいたトニーのお返事には、このようなことが書いてありました。「これは素晴らしい記事です! パート2と3を楽しみにしています。 あなたの思考と意見をいただけるのがありがたいです。 現在はもうこのような(あなたのような)作家がいないです。」 ↑・・・嬉しいご感想と最高の評価をいただきました。尊敬しているトニーにそうおっしゃっていただけて、光栄です。トニーはダンス界の重鎮なので彼のご活動について、世界中あちこちの大手の媒体でたくさんの記事が書かれているのに、「現在は、もうこのような(あなたのような)作家がいないです。」というご感想をいただいてビックリです!え?ニューヨーク・タイムズとかダンスマガジンとか、いつも大手の媒体でトニーについての記事がたくさん書かれているのに。・・・こうおっしゃっていただいたのは、とても意外でした!私としては、以前からいつも取材の姿勢は同じで、昔から何も変わっていません。いつもと同じように、淡々と取材して、書いているだけです。ただ、編集者がいる環境では以前のように「バレエだけ取材して下さい、コンテンポラリーダンスは出来るだけ扱わないで下さい、日本人を取材しないでください」などと色々と制約があり、その制約の範囲内でしか取材が出来なかったです。でも現在は編集者なしで、自分で好きなように取材して書きたいだけたくさん書き切ることが出来るので、私にとってはそのほうが良い環境になりました。ダンス関連の舞台を自分で観て、舞台上で起こっていることを見つめて、ペンと紙を持って下を向かずにメモを書き続けて、観察し続けていきます。取材中は、何も考えずにリラックスして楽しんで観るのとは違って、メモし続けて観察する仕事なのでずっと集中しなければならないのです。舞台上で起こっていること・舞台装置・衣装・どんな振付のテクニックを使って何回転したか数えたり・気付いた点・このダンサーは何が得意か・何が不得意かなどを、メモし続けます。そして、第一幕が終わって休憩時間や、第二幕が終わって帰り道の地下鉄やバスの中で、先ほど観た内容を忘れないうちに思い出してメモを書き加えていきます。後で記事を書く時に、そのメモを観ますが、舞台を前を向いて観ながら客席で下を向かずにメモを書いたものはホントにミミズみたいな文字で自分にしか解読できないシロモノなので、観えないものや2重に文章が上から重なっていて分かりにくいところはルーペで拡大して見て解読したり、大変な作業が続きます。その作業は、その時の舞台の臨場感があふれてきます。私はもともと画像の記憶が鮮明に残りやすい体質で、思い出す時も画像や映像なので、それで絵を描いたり美術が得意なのです。この画像や映像を鮮明に記憶しやすい美術家の体質が、ダンスの舞台を観て取材することにとても向いています。それで、何年も前のことでも、その時舞台で何が起こっていたかの記憶が鮮明なので、臨場感があふれる記事になってしまうのはこのビジョンの記憶が鮮明に残る体質のお陰が大きいです。そして、何年も前の昔の舞台の様子もありありと鮮明に映像の記憶がよみがえるので、昔の舞台と比較してそのダンサーの成長についても分かるのです。普通なら、そんな昔の舞台の様子や振付の細かい進歩なんて、忘れていて思い出せないものだと思います。私は幼少時から13年間バレエ経験があるダンサーでもあるので、他のダンサーが上手いかどうかとか、どのように以前の舞台から成長したかとか、この振付はプロの中でも普通は出来ないレベルだとか、練習量というより身体能力が抜きんでているからこの振付が出来ているとか、よく理解出来るのです。そして、舞台上で踊っている振付も細かいところまで観察できるし覚えられます。これは、私がダンサーも兼ね備えているから、観察して書けるのですね。自分では、「きっと他の人にはこのような記事は書けないだろうなあ」と想像していましたが、トニーから今回このようなご感想をいただいて、確信しました!それと同時に、トニーにも私が書く時に気を付けている点、他のライター達が取材していない内容を掘り下げる点、舞台上で起こっている詳細を記憶しておく点など、よく理解していただけたので嬉しいです。「現在はもうこのような(あなたのような)作家がいないです。」というトニーの表現は、「今の世の中に、あなたのような作家は他にいない」という意味ですよね。「あなたのような作家は他にいない」というご感想は、英語圏も含めて他にいない、唯一無二ということなので、これはとても嬉しい評価です。もしかしたら、大昔はゲーテとかニーチェとかヘルマン・ヘッセとかよく思考して書き切ることが出来る作家がいたように、他にも舞台をよく観察して記憶力と思考力で書き綴る作家がいたのかもしれませんね。・・・現代は、発信する媒体が動画になってきている時代なので、文章を書くことが廃れてきてしまったのでしょう。文章を書くことが廃れると、文章を読む人も減り、いずれほとんど誰も読まなくなるのかもしれませんね。ほとんどの人々がチェックする媒体が動画にシフトしてきていますよね。今は出版業界は斜陽産業で、毎年縮小していっているので、紙媒体の出版が激減してきていますから。本が売れない時代になったのです。そういうわけで、書くことが廃れていっている時代なので、よく思考して完成度を高めて書き切る習慣のある作家がいなくなってきているのかもしれません。今回のトニーのご感想をきっかけに、このような時代背景と媒体の移り変わりについて、考えてしまいました。トニーにも喜んでいただけて最高に素晴らしい評価をいただいたので、これからも私は日本語でOKで思考と意見も書き綴っていき、様々に書き残していこうと思います。私は3か国語で暮らしていますが、第一言語が母国である日本語なので、私にとっては日本語が一番、思考や意見を書きやすいですし、日本語で書いていると自然に降りてきます。ダンスの取材も淡々と、少しずつ、今までどおりに継続していきます。今時は、日本語で書いている内容でも他の言語に簡単に翻訳できる世の中になっているという実情を、とても実感できた体験となったので、ダンス以外の内容、真理、神、霊的なことなども普段通りに書き綴って保管しておいて、公開非公開関係なく書く作業は続けていこうと思います。もしかして、他の言語の方々の中にはトニーのように琴線に触れて共鳴して下さる方がいらっしゃるかもしれません。トニーは、「全ての(ジャズとタップダンスの)歴史とリンクは、よく出来ました!」ということも、書いて下さいました。日本の皆様にとっても、全くジャズとタップについてご存知ではなかった方にも、ジャズとタップが連動してアメリカで発達していったアメリカらしい文化であるというその情報満載の記事を作ったので、ご参考いただけると思います。何より、とても明るく楽しいタップダンスなので、皆様にも記事を観て楽しんでいただければ幸いです。いつもありがとうございます☆
2026年07月25日
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・・・Tony Waag's Tap City パート3です。(ニューヨークのダンス公演レポート)(Tap City2026(NYタップダンス・フェスティバル)③Tony Waag's Tap City- The New York City Tap Festival a 25th Anniversary Celebrationトニー・ワーグ’s タップ・シティー - ザ・ニューヨーク・シティー・タップダンス・フェスティバル 25周年記念式典2026年5月19日 - 24日Joyce Theater ジョイスシアターにて上演Founding Artistic Director 創設芸術監督:Tony Waag (トニー・ワーグ)・・・前回続きです。 次は、"Steam Heat"です。ダンサー、アレンジ・振付・ヴォーカル:マックス・ポラック(Max Pollak)音楽"Steam Heat" 作曲Adler & Ross(Richard Adler-Jerry Ross) "Steam Heat" (作曲:Richard Adler-Jerry Ross) は、1954年のブロードウェイ作品、 “The Pajama Game”の中に出てくる曲です。元の振付はボブ・フォッシー(Bob Fosse)です。(ボブ・フォッシーは、ミュージカルの歴史的な振付家で、この“The Pajama Game”が彼の最初のブロードウェイ振付作品です。) マックス・ポラックは、オーストリア生まれのミュージシャン、作曲家、バンドリーダー、パーカッシブダンサー、教育者です。The Max Pollak Groupは25年以上にわたり世界ツアーを行っており、2015年に初のリーダー・アルバム"RumbaTap"をリリースしました。 タップダンス、ボディパーカッション、歌唱を融合させ、身体を多様な楽器として扱い、エネルギッシュで唯一無二のパフォーマンスを生み出します。 ジャンルを超えて、ジャズ、クラシック、ラテン音楽の伝説的アーティスト(Ray Brown, Chucho Valdés, Paquito D'Riveraなど)と世界中でコラボレーションしています。 彼は、タップダンスを称える米国郵便公社のフォーエバー切手となりました。オフ・ブロードウェイのヒットショー”Carmen – To Havana and Back”の共同制作者でもあります。https://www.maxpollakmusic.com/ この作品は、マックス・ポラックがソロで様々な音を出すワンマン・バンドで、"Steam Heat"をアレンジしたものです。 アカペラでの歌、口笛、タップダンスとボディーパーカッションなどです。タップダンスも上手で、早打ちのリズムタップのところもありました。 観客にも参加させて、マックスの歌に合わせて”ドゥ~ワッ”などとはもらせて合いの手を入れてもらい、劇場全体で盛り上がりました。 最初は静かにのんびりと始まり、だんだんリズムが早くなっていき、ファンクっぽいリズムタップになり音も大きくなりました。 1人だけで全身を使って様々な音を出して、観客にもはもらせて音を分厚くして、皆さんを楽しませて素晴らしかったです。観客を笑わせて、面白かったです。 マックス・ポラックの作風は、オーストリア出身ならではのクラシック音楽、ラテン音楽やジャズを混ぜて”ルンバ・タップ”という独自のタップダンスを作りあげていて、ラテンでもないしジャズでもない独自の音楽とリズムと自身で編み出したタップのステップで、唯一無二です。 他に似ている作風やタップのステップが無いため、ジャンル分けがあてはまらず、彼しか出来ない個性的なパフォ-マンスです。 今回はソロでしたが、大勢のパーカッショニストとミュージシャンと共に演奏とタップをしたり、4~5人のユニットでタップをしたり、様々なサイズのグループを率いて公演を続けています。 このマックス・ポラックのThe Max Pollak Groupの"RumbaTap"の公演も、小さな劇場で上演していた時から、2003年から時々取材してきました。彼は当時最初から唯一無二で、誰にも似ていないタップダンスとリズムで、どのタップダンスの名人の影響も受けすぎていない彼独自の世界観を築いていたことが、驚きです。 彼は最初から、自分自身の特質を見つめて生かして、自分独自のタップダンスを編み出していて、誰の真似もしていない、誰の影響も受けすぎていなかったことが、素晴らしいと思います。 そして、彼はいつも大所帯のメンバーと公演をしていて皆が楽しそうで、彼のお人柄が良くて皆ついてきているご様子が分かりました。 トニーのタップシティーにも、長年、マックス・ポラックがよく出演してきました。唯一無二であることと、お人柄による人徳でしょう。 トニーが今までに抜擢なさってきたダンサーは、当時まだ駆け出しで全く実績が無かった方々でも、お人柄が良い方ばかり多かったです。 そしてその後、時が経ち、トニーが抜擢してきたダンサー達は大勢が、素晴らしい実績が出来て世界的に大活躍していきましたし、受賞も多数で、長く第一線で活動なさっている方ばかりです。 振り返ると、改めて、トニーはダンサー達の特質と将来性をよく見抜いていらっしゃることがよく分かります。Max Polak ((c)Amanda Gentile)↓ 1954 “The Pajama Game”: Steam Heat、ボブ・フォッシー(Bob Fosse.)振付(Carol Haney, Buzz Miller and Kenneth LeRoy) タップダンスはアメリカ文化としてステップの基礎が確立されているので、初心者の時期は誰か名人をリスペクトして真似して練習するのは最初は良いことです。 でも、ある程度のタップの基礎をマスターした後は、早めに誰かの真似することを辞めて、誰かの影響を受けすぎないようにレッスンに通うのを辞めて自分1人だけで練習を続けて、自分を見つめて自分の内と会話して取り出して、自分独自のステップやタップと独自のリズムや音楽を追求する方向へエネルギーを集中するほうが良いと思います。 ボブ・フォッシーの振付も、他の誰の振付にも似ていなくて唯一無二のものばかり打ち出して発表していったので、とても独特で個性的で、現代でも振付家やダンサー達に大きな影響を与え続けています。 次は、"Intersections with Armstrong"振付&ダンサーは、(Lisa La Touche)音楽は、"Hotter than That" (performed by Luis Armstrong & His Hot Five)、作曲はLil Hardinです。 リサ・ラ・トゥーシュはニューヨーク出身でカナダとトリニダードの血を引いていて、タップダンサー、振付家です。パフォーマンス、教育、研究を融合させ、アフリカ・ディアスポラの歴史に焦点を当てています。ATDFフーファー賞受賞。 ブロードウェイの"Shuffle Along"、Savion Gloverのツアー、STOMP、New York Philharmonicにホスト&タップダンサーとして、出演しています。2010年から自身のカンパニーTap Phonicsを率いています。 以前、the Louis Armstrong House and Museumの“Armstrong Now” のアーティスト・イン・レジデンスであり、現在はThe New Orleans Jazz & Heritage Foundationのリサーチフェローです。 彼女の創作は系譜と民俗を重視しており、Etienne Charlesと共に“Trinidad & Tap Dance: As Folklore”のプロジェクトを開発しました。 the National Jazz Museum in Harlem、The Whitney Museum、Jacob’s Pillow、The Brooklyn Museumなどの機関と協力したり、PACE大学で教えています。https://www.lisalatouche.com/ 以前、初めてリサ・ラ・トゥーシュがATDFの何かの舞台に出演した時に、トニーに「彼女は上手ですね!どこで活躍している方ですか?」とお聞きしたら、「彼女は、我々のATDFの生徒です。」とおっしゃって、「え!生徒なのですか!」と、とても驚いたことがありました。ATDFのユースプログラムなどの生徒さん達の中から、トニーは、何か光る才能やお人柄が良い方々をまだ芽が出ていない時期から次々に抜擢してきました。 その1生徒さんだったリサ・ラ・トゥーシュが、現在は大きく成長して実績をたくさん作り立派になられて様々にタップの分野で活躍していらっしゃるのを観て、トニーの直観どおりで素晴らしいなあと思います。 この演目では彼女は、ルイ・アームストロングなどの昔の曲をいくつか組み合わせて、伝統的なタップのステップと、現代のリズム・タップを踊りました。 舞台後方には、ルイ・アームストロングの昔の画像が次々に映し出されていきました。 彼女は明るくて元気な方で、タップダンスのテクニックも上手で、リズム感抜群で音にもメリハリがあります。Lisa La Touche((c)Amanda Gentile)↑ Hotter Than That · Louis Armstrong & His Hot five, 1927 次は、"Xana DuMe"(ザナドゥミー)、世界初演です。振付&ダンサーは、フェリペ・ガルガンニ(Felipe Galganni)です。ピアノ:Ge Enrique、サクソフォン:Susan Jackson音楽は、"Maneater" (作曲:Hall and Oats)衣装デザイン:Lob Lewis フェリペ・ガルガンニ(別名ザナ・ドゥミー)は、ブラジル生まれの男性で、ニューヨークを拠点とするタップダンサー、俳優、振付家、教育者で、20年以上の国際的な活動の実績があります。 誇り高きノンバイナリー・アーティストとして、タップ、演劇、アイデンティティ、コミュニティの交わる場所でリズム駆動型の作品を制作し、インクルージョン(社会的包摂)とクィアの可視性を中心に据えています。 フェリペはニューヨーク市でのブラジル文化の普及に対してthe Machado de Assis Medal、ユニークなジャズプレゼンテーションのためのthe Bistro Award、そして the 2024 BroadwayWorld Cabaret Award for Best Drag Artist(ブロードウェイワールド・キャバレー賞のベスト・ドラァグアーティスト賞)を受賞しています。 彼らのドラァグキャラクター、ザナ・ドゥミー(タップダンス・ドラァグクイーン)は、国際的なタップやキャバレーのステージで観客を魅了しています。 ステージ以外でも、フェリペはインターネットでの活気あるオンライン・プレゼンスを築き、爆発的に広がるダンスやパフォーマンス動画が世界中で何百万人もの視聴者に届いています。 今回の演目の衣装は、全てロブ(Lob Lewis)のオリジナルのデザインで手作りなので、とても手が込んだ素晴らしい作品の衣装です。普段から、フェリペがドラァグのザナ・ドゥミーに扮して上演する時に、ロブが衣装デザインを担当してきました。https://www.felipegalganni.com/@galganni on Instagram 現在のフェリペの活動は、自身の内を見つめて自分の中から独自の特質を取り出し、様々な分野(タップ、演劇、アイデンティティ、ドラァグなど)をクロスオーヴァーさせて、ザナ・ドゥミーというドラァグの架空の人物になり切って、唯一無二のパフォーマンスをしています。同時に、これからも教育者も続けていくそうです。 実力派のタップダンサーで、スリムでスーパーモデルのように美しいドラァグクイーンも兼ね備えているフェリペは、世界で他に観たことも聞いたこともない存在で、誰にも似ていなくて唯一無二で、素晴らしい独自のアイデアです。 後日、改めて詳細を掲載したいと思いますが、フェリペが数年前にザナ・ドゥミーというドラァグアーティストとしてオフブロードウェイでワンマンショーをやり始めたことを知り、とても驚いて興味を持ち、すぐにその初期の頃に取材したことがあります。「なぜ、ザナ・ドゥミーというドラァグアーティストをやり始めたのですか?」と聞くと、「父が他界してしばらく悲しんでいた時に、自分自身の内を静かに見つめていたのです。 自分1人で部屋にこもって、自分が子供の頃に好きなことは何だっただろう?と、子供の頃のこと、父のことなどを思い出して、じっと自分の内を見つめました。 そういえば、子供の頃、私はお化粧するのが大好きで、母の鏡台で化粧品を勝手に使って自分の顔にお化粧していたら、その度に、”男の子”なんだから化粧なんてやめなさい”と親などに注意されていたものでした。 私の出身地であるブラジルはラテンの国だから、男は男らしくなければならないのです。そのため、ブラジル人の私は、男は女みたいに化粧したらダメだ、男らしくしなければならない、というふうに自分を抑圧してきたことに、気が付きました。 私は子供の頃は、お化粧するのが大好きだった!と思い出して、本当の自分を追求するため、自分の顔にお化粧をしてみました。・・・それがザナ・ドゥミーというドラァグアーティストの誕生でした。」などと語ってくれました。 もともと、今から10年位前のこと、フェリペが初めてタップシティーに出演した時に、「とても感じの良い好青年だな、ニューヨークではなかなか見かけないな、品性が上品で誇り高い雰囲気だな、ぜひモデルを頼みたい!」と思い、さすがトニーが抜擢するタップダンサーは感じが良くて何か輝いているなと感心して、それから(2016年から)フェリペといくつか活動をしたことがあります。 それがフェリペとの出会いで、タップシティーがきっかけで私がスカウトしたのでした。 フェリペにモデルを長時間していただいて、彼の肖像画を私が2回デッサンで描いたことがあり、私の企画の男前カレンダーに2回掲載しました。 私はフェリペのタップダンスのクラスも何年間か受講していたので、フェリペは私のタップの先生でもあります。 その10年前から、フェリペのタップダンサーとしての活動は着実に、現在もどんどん目覚ましい成長をし続けています。もともとフェリペは運動神経が良いしブラジル育ちでリズム感も良いし、タップダンスも実力派です。 毎回ステージを観る度に、以前とは違う振付や作風になっていたり、タップダンスのテクニックが発展しているので、努力家です。今回の演目も、さらにタップが発展していました。 彼のますますの成功はとても嬉しいです。 彼は努力家で前向きで、誇り高いので、今後も発展していき、さらに成功していくことでしょう。これからも頼もしい存在です。 この演目では、フェリペはザナ・ドゥミーになり切って女装で演技していて、ドラァグの化粧をして変身していて、ヒールが高い女性用のタップシューズをはいていました。 曲はホール&オーツの"Maneater" (マンイーター:男を食い物にする女)で、生演奏に乗って踊りました。 最初、舞台後方のスクリーンに、ザナ・ドゥミーの映像が始まり、ブラジルのサンバの仮装の様子が映りました。 そして、静かにタップダンスを始めました。右手に扇子を持ち、静かで細かい音で、繊細なタップです。リズムタップのようなインプロビゼーションのタップの早打ちもあり、メリハリがあって上手です。ベテランのダンサーなので、身体の重心が安定しています。 ブラジル人ならではのブラジル音楽のリズムで、新しいタップのステップを独自でたくさん開発しています。Felipe Galganni ((c)Amanda Gentile)↑ "Maneater" (Hall and Oats)1982年 次は、"My Mind Is on Mingus"、世界初演です。振付:ブレンダ・バファリーノ(Brenda Bufalino)ダンサーは、ミシェル・ドーランス(Michelle Dorrance)音楽は"Pithecanthropus Erectus" ,"Reincarnation of a Love Bird" , "Cell Block F" 作曲:チャールズ・ミンガス(Charles Mingus) ミシェル・ドーランスは、ノースカロライナ州チャペルヒル出身の世界的な実力派のタップダンサーであり、振付家、芸術監督、作曲家、教育者でもあります。ニューヨーク大学で文学士号を取得し、ノースカロライナ大学から名誉芸術博士号を授与されています。 ニューヨーク市を拠点に25年以上活動し、 Savion GloverのTi DiiやオフブロードウェイのSTOMPなどに参加しました。 2011年、彼女はドーランス・ダンス(Dorrance Dance )を設立し、タップダンスを新しくダイナミックに魅力的な文脈で観客が観ること、黒人アメリカ人の芸術遺産を称えることを使命としています。 このカンパニーの初公演でベッシー賞受賞し、その後オリジナル作品を20点以上を国内外で上演し、高い評価を受けています。 2014年にATDFのフーファー賞を受賞しています。他にも、受賞歴多数です。2018 Doris Duke Artist、2017 Ford Foundation Art of Change Fellow, 2015 MacArthur Fellow、2012 Princess Grace Awardなど。 Jacob’s Pillow, the Alpert Awards, United States Artists, The Field, ATDFから認められ、支援されています。https://www.dorrancedance.com/ ミシェル・ドーランスは、女性タップダンサーでは名実ともに世界一の実力です。男性も合わせた世界のタップダンサーの中でも、1、2位を争う実力の持ち主だと思います。タップダンスのテクニック的にも、他の人が出来ないステップをしたり、世界で実力が抜きん出ています。リズムタップが得意で、ダイナミックでパワフルな早打ちと大きな音は、いつもすごい迫力です。 彼女は非常に身体能力が高く、アスリートのような運動神経の良さで、敏捷性がすごくて、速いです。お母様は元バレエダンサーで教育者、お父様は元サッカー選手と監督なので、並外れた運動神経を引き継いでいらっしゃるのでしょう。 トニーは早い時期からミシェルを抜擢して。タップシティーにも昔から度々出演していたので、いつもミシェルのタップダンスを観る度に素晴らしさと実力に驚いていました。彼女はいつも踊る時ににこやかで楽しそうで、とても明るい表現なので、観ているこちらも楽しくて元気になります。 タップシティーでミシェルのタップダンスを何度も観て、感動し、彼女のドーランス・ダンスの公演を何回も観に行ったことがあります。 さすがの実力で、彼女は今回のタップシティーのトリを飾りました。 この演目は、偉大なタップダンサーであるBrenda Bufalinoの振付で、ミシェル・ドーランスが踊りました。けっこう長い作品でした。 ミシェルは、小さなマイクをつけていて、この音楽について少しナレーションをしていました。 いつものミシェル自身のリズムタップの振付とは全く違う作品で、伝統的なタップダンスのステップを中心に、静かに抑え気味の音で、繊細な柔らかいタップダンスでしたので、驚きました。しっとりと静かなタップダンスでした。 それでも、静かで繊細で柔らかいタップダンスの中にも、時々、ミシェルの敏捷性と運動神経の良さが特徴として現れていて、次の動作と姿勢に移る時にさっと機敏で素早かったです。メリハリが効いていました。 途中で、ミシェルらしい高速の早打ちも披露していて、盛り上がりました。 舞台上を縦横無尽に動き回って、舞台をいっぱいに使って表現していました。 普段と違うミシェルのタップダンスが観れたので、良い機会でした。興味深かったです。Michelle Dorrance((c)Amanda Gentile)Michelle Dorrance((c)Amanda Gentile)↑ Charlie Mingus - Pithecanthropus Erectus 1956年 次は、フィナーレです。 "Chair Dance"、振付The Copaseticsです。ダンサーは、出演者達ほぼ全員によるアンサンブルです。音楽は、伝統音楽です。 皆、イスを使ってタップダンスをしました。((c)Amanda Gentile) そしてそのままフィナーレを続けて、皆さんで、"Shim Sham Shimmy"です。 振付はLeonard Reed、音楽は"Lester Leaps" by Youngです。 この「シムシャムシミー」または「シムシャム」は有名な振付です。毎回タップシティーのフィナーレで必ず踊って〆る、お約束のタップダンスです。 これは、タップダンスの生徒が初期に必ず習う、楽しい練習の基礎のステップです。ことあるごとに皆で踊って、大勢が加わって盛り上がる時に、これさえ知っていれば皆のシムシャムの輪に加われるお約束の振付です。 これは今では、アメリカの伝統的なタップダンスの振付なのです。 トニーは、タップシティーのために少しアレンジを加えていて、時々静止してポーズを決める時に、「タップシティー、タップシティー」とか、「タップシティー、タップタップシティー」と皆でつぶやきます。 今年のタップシティーは、大御所ダンサーがたくさん出演して、盛りだくさんで見ごたえがあり、ますます素晴らしい公演でした、((c)Amanda Gentile)↑ アメリカの伝統的なSHIM SHAM、様々なバリエーションの動画です。<後記> 現在は、トニー・ワーグはニューヨークから引っ越して別の地域にお住まいなので、今思うとそれまでに長年ご縁をいただけていて良かったです。 トニーは幼少時から絵画を学んできた美術家で絵画も好きなので、長時間モデルをしていただいて私がトニーの肖像画を描いてカレンダーに掲載したこともありました。 この肖像画もとても喜んで下さいました。 トニーも私もいくつもの分野のことをしているので、「私もあなたも似た者同士だねえ」と彼からいつも言われ、「そうですねえ、似たもの同士ですねえ、あはは」と笑い、楽しいです。本当に恐縮ですが、光栄です。 トニーの活動をATDFとタップ・シティーの創成期からずっと長く取材し続けてきて、ここまで彼のご活動が大きく成長してきて、振り返ると感慨深いです。私はトニーのタップ・ダンスのクラスも何回か受講したことがあります。トニーは私のニューヨーク生活で出来たご縁の1つで、お陰様でトニーから良い影響を受けました。これからも時々、トニーの活動を取材し続けたいと思います。 ありがとうございます。
2026年07月13日
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・・・Tony Waag's Tap City パート2です。(ニューヨークのダンス公演レポート)(Tap City2026(NYタップダンス・フェスティバル)②Tony Waag's Tap City- The New York City Tap Festival a 25th Anniversary Celebrationトニー・ワーグ’s タップ・シティー - ザ・ニューヨーク・シティー・タップダンス・フェスティバル 25周年記念式典2026年5月19日 - 24日Joyce Theater ジョイスシアターにて上演Founding Artistic Director 創設芸術監督:Tony Waag (トニー・ワーグ)・・・前回続きです。 次は、"Tribute to Bill "Bojangles" Robinson"(「ビル・”ボージャングル”・ロビンソンに捧ぐ」)、振付、ダンサーは、デュウィット・フレミング・ジュニア(DeWitt Fleming Jr.)です。 彼はこの公演のリハーサルディレクターも務めています。 音楽は、"Swanee River"(スワニー河(故郷の人々))、スティーブン・フォスター(Stepeh C. Foster)作曲、1851年の有名なフォークソングです。 デュウィットは世界的なタップダンサーで、長年ブロードウェイでパフォーマーと振付家として活躍しています。 Riverdance(リバーダンス)、Cirque du Soleil(シルク・ドゥ・ソレイユ)のフィーチャー・タップダンサーとして世界中をツアーし、グラミー賞受賞アーティストのアリシア・キーズ、ウィントン・マルサリス、ボビー・マクファーリンと共演しています。 直近では、ブロードウェイの「ア・ワンダフル・ワールド」(A Wonderful World)でタップダンサー&振付家としても出演しました。 チタ・リベラ賞に2度ノミネート、ブロードウェイ・ワールドのダンサー・オブ・ザ・ディケイド賞、ATDFフーファー賞、ニューヨーク市のフロー・バート賞を受賞しています。https://www.dewittflemingjr.com/DeWitt Fleming Jr. ((c)Amanda Gentile) デュウィットはボージャングルが低い4段の階段のセットを使ってタップ・ダンスをするStair Danceの振付を見事に再現していました。 4段の階段が左右に合体しているセットが、舞台真中に置かれていました。 この階段を昇り降りしながらタップを刻み、階段の側面も使って足でけって音を鳴らしたり、ジャンプして木の階段の空洞を響かせたり、様々な音色を出してリズムを刻んでいました。 スタンダードなジャズに乗って、複雑なステップのリズムタップも披露しました。 ビル・”ボージャングル”・ロビンソン(Bill "Bojangles" Robinson)は、「タップダンスの神様」と呼ばれ、彼の誕生日5月25日はアメリカの「National Tap Dance Day」となっています。ダンサー、タップダンスの名手、振付家、歌手、俳優で、現代のタップダンスの基礎を作ったと言われています。 ご両親を早くに亡くしたビルは6歳からタップダンサーとして働き始め、様々なカンパニーで巡業していました。1920年代にボードヴィル、1930年代に映画で活躍しました。 前回のパート①で紹介しましたコパセティックス(The Copasetics)は、ビル・”ボージャングル”・ロビンソンが埋葬されて7日後の1949年12月5日に、彼を尊敬する音楽とタップのアーティスト達がボージャングルの記憶を保存していくために、「社交的で親しみやすい慈善クラブ」として組織されました。 会員は、組織の前文に記載されているように、「友情を促進し、クラブ内の人格を強化するために全力を尽くすこと」を誓いました。クラブのモットーは「すべてがコパセティック!」(“Everything’s Copasetic”)というボージャングルの表現で、(全て順調、OK)という素晴らしいものでした。(The Copaseticsの活動は、→ ATDO → ATDFへと受け継がれていきました。)↓ Bill "Bojangles" Robinsonの、Stair Dance, 1932年の映像↓ "Swanee River" · Paul Robeson 次は、"Blue Skies"、振付&ダンサーは、カレブ・タイチャー(Caleb Teicher)、ネイサン・バグ(Nathan Bugh)で、ペアで踊りました。 音楽は、"Blue Skies"、Irving Berlin作曲(1926年)、"In Walked Bud"、Thelonious Monk作曲(1947年)です。 カレブ・タイチャーは、リーダーとしてのパフォーマー、振付家、演出家、音楽的協力者、音楽主導のダンスと学際的コラボレーションのキュレーターとして幅広く活躍し、ベッシー賞を2回受賞(6回ノミネート)しています。 カレブは多くのショー(SW!NG OUT, Counterpoint, Ear To The Ground, B-Z-Z-Z)を制作しています。 グッゲンハイム美術館のWorks & Processのアーティスト・キュレーター・イン・レジデンスも務めています。https://www.calebteicher.net/ ネイサン・バグは、リンディホップとジャズダンスの世界有数の代表者の1人で、ベテランのソーシャルダンサーです。彼はジョイス・シアターのSW!NG OUTのクリエイター&振付家の1人です。 スウィング時代の著名なフランキー・マニング(Frankie Manning)、ノーマ・ミラー(Norma Miller)、ドーン・ハンプトン(Dawn Hampton)などから直接学びました。 1990年代からソーシャルダンスのリンディホップで活躍し、ILHC(国際リンディホップ選手権)などでソロジャズ、リンディホップ、チーム、招待、スローダンス、ミックス/マッチ部門で多数、優勝しています。http://www.nathanbugh.com/ カレブ・タイチャーとネイサン・バグは、タップではなくソフトシューズのスニーカーで出てきて、でもタップのようにステップを踏み鳴らしながら、時々はもってアカペラで歌いながら踊りました。リズム感も安定していて、スピードがとても速く、上手でした。 カレブは実力派のタップダンサーなのですが、このようなソーシャルダンス、早い速度のリンディホップも上手に踊れるので驚きました。タップだけでなく様々な他のスタイルのダンスもマスターしていらっしゃいます。 2人は手をつないでお互いに全身の体重をかけて引っ張り合って、遠心力を使ってすごく早いスピードでぐるぐると周っていました。 右回り、左回りを入れ替えたり、スピード感のあるリンディホップのテクニックが見事で、すごいスピード感でお互いに手を引っ張り合ったままで向かい合いながら周り続けるところが多く、もし途中で手が離れたら吹っ飛んで床へたたき落ちてしまうのではないかとハラハラするようなスリル感があるダンスでした。 2人ともベテランのダンサーなので、基礎がしっかりしていて、身体の重心が安定していました。 速いスピードでスイング感が抜群で、歌もあり、とても楽しい演目でした。Caleb Teicher & Nathan Bugh ((c)Amanda Gentile)↓ Blue Skies · Ella Fitzgerald (1958)↓ In Walked Bud · Thelonious Monk (1948) 次は、第1部の最後、"Tribute to the Masters"で世界初演、振付、ダンサーは、Jason Samuels Smith(ジェイソン・サミュエルズ・スミス)です。 このMasters(マスターズ)というのは、過去の様々な偉大なタップダンサーのマスター達へ捧ぐ、ということですね。 音楽は、Medley Mash Up(様々な曲のメドレー)です。 ジェイソン・サミュエルズ・スミスは、エミー賞受賞のタップダンサー、振付家、教育者、そして文化的リーダーであり、コンテンポラリー・ダンス界で最も影響力のある1人と言われています。 1996年のトニー賞受賞ブロードウェイ作品、"Bring in 'Da Noise, Bring in 'Da Funk"(ブリング・イン・ダ・ノイズ、ブリング・イン・ダ・ファンク)の元プリンシパル・ダンサーです。 マイケル・ジャクソンなど多くの著名アーティスト達とコラボレーションしています。 ジェイソンはニューヨーク市でご祖父母の代からの芸能一家に生まれ、ご両親は伝説的なジャズダンス・マスターのジョジョ・スミスとスー・サミュエルズです。御祖母とお父様はKatherine Dunham Companyに参加していました。ハーレム・ルネサンスとアメリカの芸術に根ざした多世代にわたる血統を受け継いでいます。 ご自身が独自のタップ・シューズを考案しています。https://www.jsamsmith.com/ ジェイソンは過去にTap Cityに何度も出演していたので覚えていますが、久しぶりに舞台で拝見すると、すっかり貫禄が出ていました。ヒゲをたくわえていて、スーツ姿で、黒いサングラス着用でした。 ニューヨーク生まれの都会っ子ならではのとても自然体な方です。 ジェイソンは強靭な肉体でアスリートのような運動神経で、体力とパワーがあり、力強いメリハリの利いた音で早打ちで、リズムタップが得意です。 途中からバンドの演奏が始まり、伝統的なスタンダードのジャズ曲が使われていましたが、すごい早打ちの超絶技巧でパワフルで激しいリズムタップを、結構長い間、披露しました。彼はタップでつま先もけっこう使います。 とても見ごたえがあり、第1部のトリを飾りました。さすがの実力です。 彼のタップダンスのパフォーマンスは、40代後半の現在も20代~30代の頃と変わらず今もパワフルで素晴らしいです。リズムタップはエネルギーが有り余っている若者のダンサーがパワフルにダンスバトルを繰り広げるイメージがあります。これだけの激しいタップの実力を今でも保つためには、日々練習の努力を続けていらっしゃるのですね。Jason Samuels Smith ((c)Amanda Gentile)↓ "Bring in 'Da Noise, Bring in 'Da Funk"(1996年、トニー賞受賞) 休憩をはさんで、第2部です。 "Endless"、振付はAnthony Morigerato、ダンサーはJohn Manzari, Anthony Morigerato, Jessee Robinsonの3名です。 音楽はJ.S. Bach, Kareless、舞台セットはAndrew Pate Desigです。 アンソニー・モリジェラート(Anthony Morigerato)は、国際的に活躍しているタップダンサー、プロデューサー、監督、教育者、映画製作者、エミー賞ノミネート振付家です。 彼はニューヨークを拠点とするダンス、映画、演劇の会社であるAM Dance Productionsの創設者であり、現在エグゼクティブ・プロデューサーを務めています。 2014年にOperation:Tapを設立し、タップダンスコミュニティのためのプラットフォームを提供しています。 2011年、アンソニーは1分間で最多タップ音を出した世界記録(1,163回)を達成し、現在も破られていません。https://www.amtapdance.com/ ジョン・マンザリ(John Manzari)はダンサー、歌手、俳優、振付家です。 Funny Girl (OBC)、White Christmas (TUTS)、Anything Goes (MUNY)、The Tap Dance Kid (Encores!)、Bzzzなど多数の舞台に出演しています。https://www.johnmanzari.com/ ジェシー・リー・ロビンソン(Jessee Robinson)はカリフォルニア出身のニューヨーク市を拠点とするダンサー、振付家です。”Sole Defined”出演や、Lisa La Toucheと共演など。https://www.jesseeleighrobinson.com/ 大がかりな舞台セットで、舞台真中に四角い板が浮いていてずっと回転している、回転台を使っていました。 照明を暗く落とした中で、電飾が内蔵されている様子で板が時々光ったり点滅していて、客席から観ていると目がまぶしかったです。ダンサー3名はその板の上に乗ったまま踊っていて、板は至近距離だとさらに電光がまぶしいため目を保護するための黒いサングラスを着用していました。 静かな曲に乗って、3人で回転台の板の上に立ち、踊りました。とても息が合っていて、振付も揃っていました。回転し続けている板の上に3人で立って、落ちないように、ぶつからないように、身体の重心を安定させてタップダンスを見事にし続けていました。John Manzari, Anthony Morigerato, Jessee Robinson ((c)Amanda Gentile)John Manzari, Anthony Morigerato, Jessee Robinson ((c)Amanda Gentile) 次に、司会のトニー・ワーグが客席の一番前の辺りに登場し、Tap Cityの歴史について、最初はどのように2001年から始まったのか、などのストーリーを話しました。前出の演目の大掛かりな舞台セットを片付けて次の演目が始まるまで、客席の辺りでMCをして、上手くつないでいました。 次は、"Experts from "The Kitchen" Soles of Duende"です。 振付、ダンサーは、Amanda Castro(Tap)、Arielle Rosales (Flamenco)、Brinda Guha (Kathak)の女性3名のダンストリオです。 音楽は、Soles of Duende Ensemblesです。 生演奏で、ミュージシャンはRyan Stanbury(トランペット、音楽ディレクター)、Andrew Jagannath(電子ギター)、Okai Musik(パーカッション)です。https://www.solesofduende.com/ ダンサー達3名はとても明るくてパワフルで、それぞれタップダンス、フラメンコ、カタックダンスという違う種類のダンサー達が集まって、足で床を踏んで音を出しながら踊るという共通点を生かして融合しています。 ルーツの国が違うダンスの形式を3人が持ち寄って、それぞれの違いと個性を生かしながら融合していいて、とても興味深い活動です。アイデアが素晴らしいです。この3名は各ダンス分野でそれぞれが実績があり、活躍している方々が集まっています。 アマンダ・カストロ(Amanda Castro)はプエルトリコ系アメリカ人で、ベッシー賞受賞、多分野で活躍するアーティストで、リズムに根ざしています。 最近では、ブロードウェイの"Gypsy"の副振付家、"Jelly’s Last Jam" (by Dormeshia Sumbry-Edwards and Edgar Godineaux)に出演しています。 Urban Bush Womenの元プリンシパル・ダンサーで、"Singin’ in the Rain" (Kathy Selden役), ”42nd Street”(Jared Grimes’ ensemble)、 ”West Side Story”のAnita役など、主要なミュージカルに出演しています。 Soles of Duendeの共同創設アーティストであり、著名な振付家Justin Peck(NYCB), Julio Monge, Caleb Teicher, Michael Heitz, Francesca Zambelloなどとコラボレーションしています。https://www.acastrodance.com/ アリエル・ロサレス(Arielle Rosales)はベッシー賞にノミネートされたパフォーミング・アーティストで、フラメンコ、打楽器、演劇、インプロビゼーションを織り交ぜています。振付家、教育者でもあります。 テレビ番組のThe Today Show (NBC)、Good Morning America (ABC)、そしてNokiaやTargetの全国CMにも出演しています。 Flamenco Vivo Carlota Santanaの元アーティスト・イン・レジデンスです。 Soles of Duendeの共同創設ダンサー、Batalá New Yorkのバンドメンバーでもあります。https://www.ariellerosales.com/ ブリンダ・グハ(Brinda Guha)はニューヨーク市を拠点とする南アジア系アメリカ人アーティストで、ベッシー賞にノミネートされ、ジャージーショアとコルカタにルーツを持っています。 彼女が積んできた訓練は、カタック、マニプリ、フラメンコ、そして現代のハイブリッド形式に及びます。 2010年、Kalamandir Dance Companyを共同設立し、オリジナルの長編作品でDixon PlaceやDancewaveでのレジデンシーを獲得しました。https://www.kalamandirdanceco.com/ ブリンダはCESD Talent Agencyに所属し、Kalamandir of NJ(カンパニー&ダンススクール)を主宰し、Ailey Extensionの教員を務め、Soles of Duendeの共同設立者でリードアーティストでもあります。 プロデューサー、キュレーターとして、女性の神聖さや女性主導の組織を称える季節ごとのライブアートプラットフォーム「Wise Fruit NYC」を設立しました。https://www.brindaguha.com/ この作品は、音楽も生演奏なので迫力と熱気があり、パーカッションが響いて盛り上がって良かったです。 タップダンスとフラメンコはシューズをはき、カタックダンスは裸足で足首に鈴をつけていました。 3人で、セリフをしゃべりながら真中を向いて集まって踊り、中心に何か鍋を置いて料理しているようなパントマイムをテーマに繰り広げていきました。 一人ずつ順番にソロで踊るところも長く、3人でそれぞれ別の振付で踊っていました、。 ダンスバトルもあり、激しくて速いスピードでお踊るシーンもありました。 人種のるつぼであるニューヨークらしいカンパニーで、素晴らしい活動だと思いました。Amanda Castro(Tap)、Arielle Rosales (Flamenco)、Brinda Guha (Kathak)((c)Amanda Gentile)・・・レポートは次回に続きます。
2026年07月08日
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(ニューヨークのダンス公演レポート)(Tap City2026(NYタップダンス・フェスティバル)①Tony Waag's Tap City- The New York City Tap Festival a 25th Anniversary Celebrationトニー・ワーグ’s タップ・シティー - ザ・ニューヨーク・シティー・タップダンス・フェスティバル 25周年記念式典2026年5月19日 - 24日Joyce Theater ジョイスシアターにて上演Founding Artistic Director 創設芸術監督:Tony Waag (トニー・ワーグ) 5月19日から24日まで、「トニー・ワーグ’s タップ・シティー」 - ザ・ニューヨーク・シティー・タップダンス・フェスティバル 25周年記念式典が、ニューヨークのコンテンポラリー・ダンスの殿堂であるジョイスシアターで上演されました。 私は5月23日土曜日夜に観に行きました。劇場は満席で、端のほうの席まで埋まっていて、大人気の公演でした。 大御所のタップ・ダンサー達が大勢出演し、タップ・ダンスの歴史をたどって多くのジャズ名曲が選曲されていて、アメリカ文化であるタップ・ダンスとジャズが分かりやすい構成で、とても勉強になる公演です。 アメリカで、タップ・ダンスはジャズと共に発展してきたので、音楽の要素がかなりの部分を占めています。タップ・ダンスをやるには必ず音楽もセットで学びます。タップ・ダンサーの先人達が発達させて残したステップと振付が伝えられて基礎として保存しつつ、常に新しい世代のタップ・ダンスのステップが発展してきています。現在もさらに新たなステップが生まれ続けていて、技術はだんだん難しく進化しています。 せっかくなので演目ごとに補足としてタップ・ダンスの歴史を簡単に掘り下げて、文化的背景の詳細、音楽の情報も満載に、3回に分けてアップします。 タップ・シティーはATDF(アメリカン・タップ・ダンス・ファンデーション)の創設者であるトニー・ワーグが、ある日ダウンタウンを歩いていた時にふと、「ニューヨークにはたくさんのダンス・フェスティバルがあるけれど、タップ・ダンスのフェスティバルは無いなあ、ぜひ我々がタップ・ダンス・フェスティバルを作りたい!」と思いついたことが始まりでした、 トニーはすぐに周りの仲間達に話していると、「ぜひやったら良いですよ、私が資金を出してあげましょうか?それを実現するにはXXXドルで足りるかしら?」とご友人の1人に言われて、「XXXドルあったら十分実現できるよ」ということで具体的に動き出し、2001年に創設したニューヨーク・シティー・タップ・ダンス・フェスティバルです。 トニーのお友達が大金をポンと出資してくれたなんて、さすがニューヨークでの出来事ですね。 その出資者のエピソードをお聞きして、「トニーはお友達がすごく多いですね!」と私が言うと、「はい、とても多くのお友達がいるし、知人がすごく多いです。」とおっしゃっていました。トニーの人徳ですね。 毎年開催され、タップ・ダンスの魅力を多くの方々に伝えてきて、伝道師のような役割のタップ・シティーです。 途中、コロナ(Covid19)のパンデミックの時にニューヨーク中のすべての劇場やダンススクールが閉鎖していた時期は企画がなかったのですが、それ以外は毎年必ず開催されました。 最初の頃の会場はブロードウェイのド真ん中にあるザ・デューク・シアター(The Duke)で、その後はマンハッタンのアップタウンにあるシンフォニー・スペース(Symphony Space)でした。 ついに今年のタップ・シティーは、25周年を迎え、ジョイスシアターで1週間ロングで上演されることになり、ずっと長く見守ってきた私にとって感慨深いです。 25年間で世界中から数百名のタップ・ダンサーを動員して発展し、タップ・ダンスの素晴らしさを世に広めるご活動で世の中に貢献されました。今後もタップ・シティーは毎年ジョイスシアターで上演されていくことでしょう。 ニューヨーク・シティーは、世界で一番タップ・ダンスが盛んな場所で、世界中からタップ・ダンサーが集まっています。 タップ・シティーは私が大好きなダンス・フェスティバルの1つで、私がニューヨークでダンス取材を始めた2003年以降の全てのタップ・シティーを取材して、毎年楽しみにしていました。 トニー・ワーグとATDF、タップ・シティーのご活動を創成期から少しずつ発展して大きく成長していった様子を、私もワクワクしながら彼らの活動を追って取材し続けて、約23年間に渡ってほぼ全て見届けることが出来ました。昔のTony Waagの写真(ATDF提供) アメリカのダンス業界での長年の功績が認められ、トニー・ワーグは2014年にダンス・マガジン・アワード受賞、2024年にThe Lifetime Achievement Award受賞しました。このように今では、トニーはアメリカのダンス業界の重鎮で、アメリカが生んだ文化であるタップ・ダンスの歴史的な大御所となりました。 この受賞直後にトニーにお会いした時に、「受賞おめでとうございます。すごいですね!」と私が言うと、「フフフ・・・」と大したことないですよという感じでほほ笑んだだけで、(受賞してもしなくても私は変わりがないですよ、今までの私と受賞後に違いは無いですよ、世間がたまたま賞を与えただけですよ)というニュアンスが私に伝わってきて、驚いたことがありました。受賞しても有頂天になっていないのです。 この態度はトニーらしくて、なるほどな、褒められても有頂天にならない、いつも淡々としていらっしゃるのだなと分かり、この時に、素晴らしい人格者だとトニーの片りんを観ることが出来て改めて感心したものでした。 やはり私が熱意を持って2003年から毎年取材し続けたトニー・ワーグとタップ・シティーは、アメリカ文化を代表する名実ともに素晴らしいご活動だったのだと、後で改めて納得しました。 私がここまで入れ込んで取材したのは、芸術監督であるトニーのお人柄の良さに惹かれていたからなのです。その23年前のトニーについての私の直観は当たっていました。ですから、トニーが大御所になられていくのは私もとても嬉しかったです。 創設芸術監督のトニー・ワーグはとても明るくて面白そうだったので、以前インタビュー取材を何回かして日本へ紹介したことがあります。 その時にトニーの人生について語って下さり、いつも霊感、直観が先にあって、何かに導かれているような生き方でした。 トニーはコロラド生まれで、幼少時から絵画を学んできた美術家で、地元のコロラド大学の美術学部彫刻科の学生だった時にブレンダ・バファリーノのタップ・ダンス公演を観て感動し、タップ・ダンサーになりたい!と思ってすぐ進路をダンス学部へと変えてユダ大学に転校しました。 その後、彼はサンフランシスコでタップダンスを学び、ニューヨークに引っ越してきたそうです。 そしてニューヨークに着いてすぐ、マンハッタンを歩いていたらあのブレンダと道でばったり遭遇して驚いた、運命的だった、デジャブのようだったというエピソードをお聞きしたことがありました。 この広いニューヨーク・シティーで歩いていてブレンダと遭遇することは滅多にない確率ですね。 トニーはすぐブレンダのクラスに通い、ご自身もプロのタップ・ダンサーになり、やがてブレンダと共にATDO(アメリカン・タップ・ダンス・オーケストラ)で長く活動しました。美術家からタップ・ダンサーに転向したのです。(注:ATDOは後に形を変えてATDFとなりました。) トニーは歌も上手で、ウクレレを弾きながら歌ってタップ・ダンスを踊って、舞台上で面白いことを言って皆を笑わせたり、とても器用な方です。 美術、音楽、タップ・ダンス、芸術監督、組織の運営の責任者など、多分野で幅広く活躍なさっています。 ダンサー皆さんや生徒さん達のことを繊細によく観ていらっしゃって、トニーが抜擢なさる若かりしタップ・ダンサー達は人柄やキャラクターが良くて後に発展していった様子をリアルタイムで見届けたので、それぞれの個性をよく見抜いていらっしゃいます。 タップ・シティー出身のかつて若かりし駆け出しの方が、やがて時が経った後に世界的タップ・ダンサーになり大活躍している方々は多いです。 このように、トニーは面倒見が良くていつも多くの人々を励まし育てることが出来るので、芸術監督に向いていらっしゃいます。 私はタップ・シティーの取材を重ねて観ているうちに、出演者の皆さんがとても生き生きしていて明るい笑顔で楽しそうだったので、「タップ・ダンスって楽しそうだなあ」と感動して私もやりたくなり、トニーのATDFのタップ・ダンス教室に通うようになりました。 かつてATDFでは毎日様々なレベルのタップ・ダンス・クラスが開講されていたので、私も趣味と運動のため長い間15年位は通って、毎年のショーケース(発表会)にも出演していました。(私はATDFでBrenda Bufalino、Derick K.Grant、Tony Waag、Felipe Galganniなどの偉大なタップ・ダンサー達のクラスを受けました。 ) ATDFとタップ・シティーを取材しにきたジャーナリストが感動して、後日、彼らのタップ・ダンス教室に通ってショーケースにまで出演していたのは、おそらく世界で私1人だけだったと思います。 タップ・シティーで皆さんが楽しそうに踊っている様子を観て自分の中のダンサー部分が刺激されてまた火がついて踊りたくなってたまらなくなってしまい、私もタップ・ダンスを楽しむようになりました。 私は幼少時からバレエ経験が13年間あるのでもともとダンサーで、バレエは全てのダンスの基礎なので大抵のダンスは得意です。 私に人生でもう1つの分野、タップ・タンスの魅力を教えて下さったのがこのタップ・シティーとトニー・ワーグでした。ATDFとTony Waag ATDFの事務所と教室は長らくマンハッタンのダウンタウンにありましたが、数年前にトニーがATDFを閉鎖しようという時に引き継ぎたい仲間が現れて、同じ場所で現在はTap Dance Centralとして生まれ変わって意志は継続されています。 さて、今年のタップ・シティーの公演のレポートです。休憩をはさんで2幕の構成で、様々な小品集で、第1部の演目は9個、第2部の演目は8個でした。 舞台上手の後ろのほうにミュージシャン達がいて、ピアノ、ドラムス、ベースの3名がずっとほとんど生演奏をしていました。 タップ・シティーでは、いつもこのように、タップの本場ニューヨークならではのジャズの生演奏に乗ってタップ・ダンスを披露していきます。 最初、舞台後方のスクリーンに、初演のTap City 2001の白黒の映像が映し出され、始まりました。 今から25年前、2001年の若かりしスリムなトニー・ワーグが画面に映っていました。 第1部の最初の"Dream Again"は、トニー・ワーグご本人が舞台に登場し、歌いながら、タップ・ダンスをしました。トニーは歌も上手なのです。 トニーはタップ・シティーでいつもおなじみのキャラクターで、舞台上に時々出てきて、演目をつないでいって、ご挨拶や司会、MCをしていきます。 トニーが歌ったのは、”Dream a little dream”(ドリーム・ア・リトル・ドリーム)で、アメリカのジャズ名曲です。 こんな難しい情感あふれる曲を、トニーはとても上手な節回しで完璧に歌いました。(1931年、作曲ファビアン・アンドレ(Fabian Andre)&ウィルバー・シュワンド(Wilbur Schwandt)、作詞ガス・カーン(Gus Kahn)) 名曲なので、エラ・フィッツジェラルドとルイ・アームストロングのバージョンをご紹介します。タップ・ダンスにピッタリの曲です。(このように、タップ・ダンスは楽しいうえに音楽の教養も身につきますね。) 次に、“A Capella"では、舞台上に出演ダンサー達16名が全員出てきて、インプロビゼーションのアンサンブルが短くありました。 これから演目へ出演するダンサー達のお披露目のような、明るい始まりです。 "The Pulse"は、気鋭のダンサー、振付師、ボディパーカッショニストのライアン・K・ジョンソン(RYAN K. JOHNSON)で、ニューヨーク初演です。 メリーランド州を拠点とする先駆的なパーカッシブダンスカンパニー、SOLE Definedの芸術監督でもあります。 受賞歴多数で、今、とても伸びている注目のダンサーです。 ボディーパーカッションは、ダンスと打楽器を融合して、踊りながら両手を使って自分の身体のあちこちをパーカッションに見立ててたたいてリズムを鳴らしていきます。 ライアンはスニーカーをはいていて、床をタップのように踏み鳴らしながら、ボディーパーカッションで黒人のリズムを刻んでいき、口を開けて口や首もたたいてのどの空洞を響かせて音を鳴らしたり、迫力がありました。 たった1人で楽器無しでこんなに多様な音を鳴らしてリズムを刻んで、舞台で観客を楽しませるのは驚きました。 けっこう長い演目で、途中、ライアンは舞台上から観客を盛り上げていき、まず観客を4つのブロックに分けて、リズムの見本を見せて足踏みやボディーパーカッションで観客参加型で音を皆に鳴らさせて、次のブロックの人々には違うリズムを鳴らさせて、とうとう4つのブロックの人々が違う種類のリズムを刻み続けて観客全員でリズムのアンサンブルが完成しました。 すごい盛り上がりでした。 ライアンは無言なのに、ジェスチャーと顔の表情、ボディーパーカッションだけで観客とコミュニケーションを取っていて、観客が鳴らす音の強弱や、スタート、止め、という合図も手で表現していました。 打合せなしでここまで観客を参加させて劇場全体で大きなリズムを刻んでいて、間合いや表情が面白いから皆、大爆笑の連続で、とても楽しかったです。 これはダンス、ボディーパーカッション、ギャグもあり客席を爆笑させるコメディアンでもあり、演劇やパントマイムでもあり、一言でジャンル分け出来ないような幅広い演出でした。 彼は明るくて楽しい人気者です。舞台に出てきただけでその場がパッと明るくなります。https://www.rkjdance.com/Instagram @rkj.danceRYAN K. JOHNSON ((c)Amanda Gentile) "Tribute to Gregory Hines" (I'm Just a Lucky So and So)は、再びトニー・ワーグが歌い、自身の振付でタップ・ダンスをしました。偉大な歴史的タップ・ダンサーであったグレゴリー・ハインズに捧ぐものです。 舞台後方にはグレゴリー・ハインズの生前の写真が映し出され、「ブロードウェイ・ミュージカルの”Duke Ellington's Sophisticated Ladies”にグレゴリー・ハインズは出演しており、偉大なダンサーでした。」と、トニーが紹介と説明をしました。Tony Waag ((c)Amanda Gentile) トニーが歌った曲は、その”Duke Ellington's Sophisticated Ladies”の中にも出てくるジャズの名曲”I'm Just a Lucky So-and-So"です。 これもいつもトニーのおなじみの面白い振付、エキセントリック・タップが披露されました。歌いながら踊りました。(1945年、作曲デューク・エリントン(Duke Ellington)、作詞マック・デビッド(Mack David) これも名曲なので、デューク・エリントンとルイ・アームストロングのバージョンをはりつけますね。↓ DECFA提供。ブロードウェイの”Duke Ellington's Sophisticated Ladies”の短い紹介動画。グレゴリー・ハインズも出演しています。(1981年) 次は、”Tribute to the Tap City Tap Divas”(世界初演)です。振付、ダンサーは、テリー・ブロック(Terry Brock) とカレン・キャラウェイ・ウィリアムズ(Karen Callaway Williams)です。 カレン・キャラウェイ・ウィリアムズは、ブロードウェイのベテランです。トニー賞ノミネートのミュージカル"Play On!"(プレイオン!)から"Riverdance"(リバーダンス)までブロードウェイで多く活躍し、受賞歴もあり、全米38州、世界13か国で公演しています。 ニュージャージー・タップ・アンサンブル(New Jersey Tap Ensamble)の創設メンバー・初代ダンスキャプテンでした。 1930年代のコーラスガールの遺産を称えるThe 2nd Generation Silver Bells(第二世代シルバーベルズ)の芸術監督として、ドキュメンタリー映画”Been Rich All My Life”(2006年公開)に登場しました。 ニューヨークで撮影された”Been Rich All My Life”は、当時84歳から96歳の現役女性タップ・ダンサー5名のダンス・カンパニー、The Silver Bells(シルバーベルズ)についてのドキュメンタリーです。 彼らはかつて、ニューヨークのハーレム・ルネッサンスの黄金期である1930年代から40年代にかけて、ハーレムのアポロシアターやコットンクラブでタップ・シューズをはいて踊っていたコーラスガール達でした。 その1930年代に黄金期を迎え発達していったタップ・ダンスのステップはアメリカのジャズ黄金期の文化遺産なので大切に保存して後世代へ伝えたいと、当時の生き証人・歩く文化遺産・生きた化石であった5名のおばあちゃん達が再び集まって、1985年に結成したのがシルバーベルズです。 この映像の中で84~96歳のおばあちゃん達が元気にタップ・ダンスを踊ってステージに立っているので驚きました。 この年齢では普通なら杖をついている方々も多いですし、ヨボヨボと無事に動いているかどうかハラハラさせられるものだと思います。 しかし彼らは高齢を感じさせないほど、皆さんとても元気できれいにお化粧して踊っていて、素晴らしい実話で、世界中の皆に元気と勇気を与えてくれますね。 タップ・ダンスはお年寄りでも続けることが出来るダンスで、足を踏みしめるので骨粗鬆症予防にもなると言われていて、適度な有酸素運動で健康に良いです。 やはりシルバーベルズの5名は皆さん黒人女性としては異例の長生きで、97歳、96歳、94歳、94歳、94歳まで生きましたので、ビックリ仰天で、タップ・ダンスの精神と肉体への健康効果の証人でもありますね。 まず何より、とても楽しそうで笑顔で、生き生きとしていらっしゃいました。 タップ・シティーでは過去に毎年、タップ界のレジェンドであるとても年配のタップ・ダンサー達が多く出演して往年の伝統的なタップのステップを披露していたので、ニューヨーク在住だった彼らも登場していたことでしょうし、私も彼らのパフォーマンスを生で観たことがあると思います。 テリー・ブロックはタップ・ダンサー、振付家、国際的な教育のキャリア、タップ・フェスティバル出演、交響楽団との共演など、多彩な活躍をしており、ATDFフーファー賞受賞しています。 偉大なタップ・ダンサーでハリウッド映画の黄金期1930年代から40年代に活躍したエレノア・パウエルのタップシューズの受益者であり、彼女の振付を引き継いでいます。↓ (Fred Astaire and Eleanor Powell - ”Broadway Melody of 1940”「踊るニューヨーク」の、 "Begin the Beguine"の動画) テリーは、Lynn Dally(リン・ダリー)がロスで1979年創設したthe Jazz Tap Ensemble(ジャズタップアンサンブル)の長年のメンバーです。 伝説的フーファーであるグレゴリー・ハインズ、ハロルド・ニコラス(Harold Nicholas, The Nicholas brothers)や、現代のフーファーであるサム・ウェバー(Sam Weber)などと共演しています。↓(ニコラス・ブラザーズ(The Nicholas brothers)、映画"Stormy Weather" (1943)でのタップ・ダンス) 今回、テリー・ブロックとカレン・キャラウェイ・ウィリアムズが共演し、けっこう長い演目で、4曲使用しました。 タップ・シティーに出演したディーヴァ(歌姫)達へ捧ぐため、女性をテーマにした名曲が選曲されていました。"I’m a woman"(作曲デュオのJerry Lieber & Mike Shorterによるブルース曲)"American Woman" The Guess Who(カナダのロックバンド)、1970年"Oh, Lady be Good" 作曲Count Basie、1939年"Satin Doll" 作曲Duke Wllington、1953年 全て、往年のジャズやブルースに乗って、伝統的なタップのステップがよく合う曲でした。 最初、テリー、カレンがそれぞれソロで踊り、やがて2人でデュオで踊りました。 お二人とも、今も元気で現役で活躍しているダンサーで、余裕があるベテランらしいタップで上手で、とても楽しそうににこやかに踊りました。 伝統的で基本に忠実なタップのステップを披露していて、姿勢が良く、タップだけでなく手の表情もバレエのように表現するシアター・ダンスでもありました。 途中でとても速く打つステップのリズムタップもありました。Terry Brock((c)Amanda Gentile)Karen Callaway Williams ((c)Amanda Gentile)Terry Brock&Karen Callaway Williams ((c)Amanda Gentile)↓ "I’m a woman", by Jerry Lieber & Mike Shorter:Peggy Leeが歌ったバージョンが1963年に大ヒット↓ "Satin Doll", by Duke Wllington、「サテンドール」(私の大好きな曲です。) 次は、"Copacetic Song/Walk around/Coles Stroll"、作曲Charles "Hony" Coles & Roy BrankerCharles "Hony" Coles振付。大勢の出演ダンサー達がアンサンブルで踊りました。 1949年創立の音楽とタップ・アーティスト達による社交的で親しみやすい慈善クラブ、コパセティックス(The Copasetics)を主宰していた偉大なタップ・ダンサー、チャールズ・ハニー・コールズ(トニー賞など受賞歴多数)が考案した有名な「コールズ・ストロール」(Coles Stroll)というブラブラとゆったり散歩しているような振付です。少しずつステップが複雑になっていきます。 これは現在のタップ・ダンスの基本の練習としてお約束の振付なので、私も習ったことがあるステップです。簡単で楽しい振付なので老若男女問わずエクササイズにピッタリです。 この演目では、コールズ・ストロールでタップを踏んで音を鳴らして歩いていき、舞台上に1人ずつ、ダンサーたちが1列になって出てきて、ぐるぐると舞台を大きく周っていきました。 舞台後方のスクリーンには、コパセティックスとコールズが映っていました。Ensemble ((c)Amanda Gentile)↓ The Copasetics, Do the Coles Stroll, 1979↓ Charles "Hony" Coles Documentary 1996 TV française(フランスTVの、チャールズ・ハニー・コールズのドキュメンタリー番組の映像)・・・レポートは次回に続きます。
2026年07月06日
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ニューヨークは7月2日~独立記念日7月4日は3日間猛暑(38度)だったので、3、4日にビーチに行きました。海外に出てからは毎年、海洋療法(海水浴療法)で体調を整えています。・・・海洋療法は、15分以上海水に浸かると身体に不足していたり必要なミネラルを自然に吸収できるそうです。身体に適度な水圧もかかるので、血行にも良いです。海洋療法をすると、その後、すっきりしてしばらく元気になり、体調が整って、お肌にも良いですし、不調和なところは癒されます。猛暑日1日目の7月2日はダンス公演取材に行きました。劇場内は冷房が効いていて涼しく楽しく過ごせます。気温38度の猛暑日は、ピークの気温の時刻でなくても、外に出るとモワ~っとすごく暑く、日差しもジリジリとしてきつく、空は真っ青の快晴でした。 ニューヨークは東海岸の端にあるので、周りにはたくさんのビーチ公園があるのです。探せば割ときれいなビーチを近場で見つけることが出来ます。 ニューヨークの公共のビーチは公園なので、営業時間内はライフガード達が見張りをして下さっています。ニューヨークのビーチでは海水が急に深くなっているところもあり、時々、営業時間外に勝手に泳いでいた大人の男性の方々が溺死して何度もニュースになっていました。30代男性でもビーチで溺死するなんて、自然は険しいのだなと驚いたことがありました。 他にも以前ニューヨークで、時々、急に天候が崩れてきて営業時間内なのにビーチで逃げ遅れた何名もの子供達の身体に次々と落雷して(!)吹っ飛んで、亡くなったというニュースがありました。(ライフガードが”嵐が近づいているのでビーチは今すぐ閉鎖します、皆さんすぐにお帰り下さい、避難して下さい”と言っているのに、ビーチで泳いで夢中になっている子供達は言うことを聞かずにいつまでも泳いでいたというのは、想像出来ます。雷が鳴りだす直前までにはライフガード達も全員が避難してしまいいなくなるので、親御さんの言うことも聞かずに残って遊んでいて逃げ遅れの子供達だけに次々と落雷しました。)大自然は偉大ですが、このようにとても険しい怖い面もあるので、ナメたらダメで、天候を見て慎重に行動する必要がありますね。 ですから、ライフガードがいる時間帯にビーチ公園で泳ぐほうが安全なのですね。雷を伴う急激な夕立と嵐にも、気を付けておくほうが無難ですね。 私の場合、ビーチでの滞在時間はいつも1~2時間以内なのですが、その短い間に、今回の2日間ともその場で数名の行方不明の幼児がいました。 行方不明児がでる度に監視員がビーチから全員を外へ出して、さっとですが探します。 近くのライフガードに、「何かあったのですか?」と聞くと、「また子供の行方不明。」と答えていらっしゃったので、ビーチでも子供の行方不明はいつもよく起こるありふれたことなのですね。 アメリカでは行方不明になる子供達~20代の人々が多くて日常的な光景なので、ビーチで目の前で幼児たちが何名も行方不明になっったのにその場の誰も驚いていなかったです。バイデン政権の時にアメリカでは32万人の子供達が行方不明になったとニュースになっていましたが。32万人の子供達は一体どこへ消えたのでしょうか。 でも今では日本も、行方不明の子供と10代20代の方が増えているのですね。もう日本は昔のようには安全ではない様子なので、日本でも日頃から気を付けるほうが無難です。(日本:警察届け出の行方不明者8万486人 男性が5万人超、10代と20代で全体の4割)https://www.fnn.jp/articles/-/1065389 このニュースの、全体の4割ということは日本では10代20代が年間3万2千人も(!)行方不明になっているのですね。年間3万2千人は多すぎますよね。10代20代だと分別も付くし身体も大きいのに、それでも何かに巻き込まれて行方不明になってしまっているのですね。家出扱いしかされないのでしょうか。日本でも自衛して気を付けるほうが良いですね。 お便りの一部をシェアします。>「日本でも、誘拐事件に巻き込まれるのは、今は男性でも危険ですね。10年くらい前には 車で20分程の距離でも、自転車通学する高校生もいましたが、今では危険ですし、見かけなくなりました。天災、野生動物、誘拐。色々危険がありますからね。」 なるほど。安全のためには、高校生でも親御さんが送迎とか、電車バス通学のほうが無難なのですね。 日本もだんだん、安全ではなくなり、海外の状況と変わらなくなってきている様子なので、お気をつけ下さい。
2026年07月06日
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2003年4月から毎月、20年以上、ニューヨーク・シティーのダンス公演の取材を続けて、チャコットのNY特派員をつとめていました。途中、567のパンデミック(2020年)の頃は、ニューヨークのダンス公演は休演が長く続いたので、ダンス公演の取材が出来なくなり、ダンサーにインタビューをしていました。その後も、567が収まった後にもまだしばらくずっとワクワクをしていないと劇場に入れない状況が続いていて、長らく取材が出来なかったです。ここ1年ちょっとの間は取材の仕事はお休み中でして、本業のアーティスト(美術とジュエリー製作)に従事して集中しています。お伝えしておりませんでしたが、実は、チャコットは私が仕事していた頃とは状況が変わりました。チャコットは数年前に会社がオンワード樫山グループに買収されて、渋谷のチャコット本社ビルも売却されました。現在は、チャコットは看板がオンワード樫山で引き継がれて、ブランドは継続していて、コスメティックにも力を入れていますね。オンワード樫山グループは筆頭株主が横文字のため、実質的には外資系で、次々に国内の様々な有力ファッションブランドの買収を進めていて、吸収・合併が続いていますね。古着でスタートして成功したWEGOもチャコットと同じようにオンワード樫山に買収されたことを知り、ビックリです。WEGOの創業者がスタートなさった古着屋から急成長して成功していったご様子について、私もその創業者のお知り合いから成功のストーリーを直接リアルタイムで聞いていたのでその周りと見守っていて、すごいなあと感心しておりました。・・・外資系に次々に買収され吸収されていっているのはファッション業界もなのか!と、しばらく前からじわじわと日本で起こっていることをうすうす感じております。チャコットの会社と本社ビルが売却されたのは当時ちょっと寂しい気がしましたが、生き残るためとさらなる発展のため、日本ではこのように外資系の筆頭株主の会社に買収されていっているのですね。(チャコットの創業者は土屋氏で、そのお名前のローマ字を並べ替えてつけた会社名だったとお聞きしたことがあります。)他にも、私の周りでこのような会社や部門の売却で環境が変わったことがありました。私のブレスレットやペンダントなどアクセサリーを何回か企画して販売していただいたことがある、月刊誌の学研ムーも、状況が変わりました。567の最中のことだったそうですが、実は学研が学研ムーを編集部ごと他の出版社へ売却しました。売却してしばらく後に、学研元取締役の方からその旨をお聞きして、ビックリ仰天でした!学研はもともと教育分野の出版社としてスタートしましたが、インターネットが出てきてから出版不況が進んできて毎年出版業界は縮小し続けていたため、だいぶん前から学研の主力の事業は老人ホームなのです。当時の学研の経営陣がさすが賢かったので、出版業界が縮小し続けている中で大勢の社員を抱えたままで生き残るために老人ホームを主力な事業としてシフトを続けていたのですね。さすがです。でも、もともと学研がスタートした当時からの出版部門は赤字でも残し続けるのだと、当時から取締役(ムー編集長が昇進して学研取締役になられた)からお聞きしていました。会社は、事業転換して、生き残っていくように、時代と共に変化して成長、衰退していくのですね。その出版不況と縮小について学研の取締役からお話はお聞きしていたので、理解は出来ましたが、当時学研の中では売り上げが良くてドル箱だった雑誌、学研ムーが他の出版社に売却されたということを聞いて、え~!売れていた雑誌がなんで売却されたの?と本当にビックリしてしまいました。・・・これは、売れていた雑誌だからこそ、売れているうちに買い手がつくうちに学研が他社へ売却したのですね。ですから、今はもう学研ムーではなくなり、月刊ムーと呼んでいるのですね。もともと、実は私の存在を発見して推して下さったのは、当時の学研ムーの編集長だったのです。(現編集長の前の代の方です。)(その学研ムーの編集長はその後、学研の取締役に昇進され、今はご退職なさっています。ムーから学研の取締役に昇進なさったほど、今よりはまだ出版部門の景気が良かったのですね、)その当時の学研ムー編集長は、日本全国の津々浦々の霊能力者達のことをよくご存知なので、私は他の方からの紹介で「あなたに紹介したい方がいる、あなたはきっと学研ムーの編集長と話が合いそうだから紹介したい」と、この編集長へと紹介されて、引き合わせていただいて、帰国中にこの皆さんとお食事をしたりよくお話をしたり交流が続いていました。私の存在が琴線に触れたそうで、この編集長が私を抜擢して下さったのです。そして、この当時の学研ムー編集長から、「日本全国の霊能者の方々を観てきましたが、ブルーシャさんはそれだけの霊力があるのだから、ぜひムーでブルーシャさんの簡易なアクセサリーを企画したい、何か作って下さいますか?」と、何年間も長い間、ずっと辛抱強くお願いし続けて下さいました。私の製作はお陰様で数年間分詰まっていたので多忙でしたが、簡易なアクセサリーの企画を何か出来るかどうか、検討してみて、話し合いを続けて、何回か学研ムーで企画が実現しました。企画は、何年か長年かけて5回くらい実現したでしょうか・・・。・・・私の存在を発見して推して下さっていたこの学研ムー編集長はしばらく後に、学研取締役となり、やがてご退職なさったので、すっかり当時の担当者さんが入れ替わり、学研ムーが編集部ごと他社へ売却されて、現在は状況が変わりました。ちなみに、この学研ムー元編集長(学研元取締役)の方とは今も交流があり、横浜にお住まいで、今でも変わらずお付き合いは続いているので、今思うと「ご縁」だったのだろうなと感じます。長く続く人とのご縁ってありますね。人のご縁、出会いは一瞬ですね。ご縁に感謝いたします。私がチャコットでNY特派員の仕事し始めた2003年4月からずっと、営業・広報部の担当の部長さんも最近、移動先のオンワード樫山にて定年退職なさいました。当時、担当だった広報部の女性社員は子育てのためご退職なさって久しいです。この部長さんにも女性社員にも長年お世話になったので、長きに渡り、本当に感謝しています。・・・年月が20年以上過ぎれば状況が変わるのは当たり前だなぁ、もうそんなに長い時間が経ったのだなと実感しています。長年、淡々と毎月、ニューヨークでダンス公演を数本取材してレポートを書き続けてきたので、振り返るとニューヨークのダンス業界の多くの人々、ダンサー、振付家、プロデューサー、広報の方、劇場の方、ダンススクールの方など、そこら中にたくさんの友人知人が増えました。お陰様でダンス取材やインタビュー取材は私に向いていたので、ニューヨークで充実して楽しく過ごすことが出来ました。そして、今でも、ニューヨークのダンス業界の人々とご縁が続いていて知り合いが多いですし、ダンス公演を観るのが好きなので、ダンス取材を再開することにしました。毎月数本、好きなダンス公演、興味があって観てみたいダンス公演を取材して、レポートをアップしていく予定です。年月が20年以上経つと担当がご退職なさったり、関わりがある人々の移り変わりがあって状況が変化していきますが、ダンス取材という自分の軸は変えずに細々と続けていきます。現在はどこにも所属していないので、アーティストである私の目線で興味があるダンス公演を心置きなく好きなように取材先を選んで、面白い公演のレポートをお届けしたいと思います。今まではコンテンポラリー・ダンスの取材はしないでくださいと言われていたので、取材するにしても主にクラシック・バレエの記事で時々コンテンポラリーをほんの少しだけという状況でしたが。でも、ニューヨークのアートはコンテンポラリーが主な場所柄、コンテンポラリー・ダンスの面白い公演も盛んに上演されています。アーティストの私ならではの視点で面白い公演を選んで、他の媒体と重ならないような公演のレポートを書いていきますね。書く媒体は、ちょうど続けてきたこのブログはお陰様で今までの読者数が多いので、しばらくはブログに綴って発表していきます。ニューヨーク在住のアーティスト目線の興味深いダンス公演という切り口で、私の活動の一部としての新たなステージでダンス取材を続けていきます。ダンス取材の仕事内容自体は今までやってきた取材と何も変わらないですが、切り口はアーティストの私ならではの内容になります。少しずつ発表しますね。いつもありがとうございます。これからも、よろしくお願いいたします。
2026年07月01日
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さて、今年2026年の夏至の前日と当日に発売しましたブレスレットについて、補足情報です。まず、夏至の日に発売の女性用ブレスレット、「幼子イエスを右腕に抱くカルメル山の聖母」ブレスレットC(祝夏至ブレスレットC)について。発売後落ち着いてから集計しまして、今回発売の7種類のブレスレットのうち、これが一番多く売れました。フタを開けると、女性達にこれがとても評判が良く、お気に入りの女性が多かったです。鮮やかで美しい紫色のアメジストと、経年により表面が変色してきている年季の入ったヴィンテージの御メダイと、グリーンと、全体の色の組み合わせが素晴らしいという声が多かったです。☆「幼子イエスを右腕に抱くカルメル山の聖母」ブレスレットC(祝夏至ブレスレットC)・御メダイ・ムラーノガラス(1940~50年代ヴィンテージ、淡いグリーン&シルバー・フォイル)・純銅6㎜玉・アグニマニタイト(透けていてうっすらグリーンがかった茶色)約11㎜玉・最高品質AAAAAアメジスト(ウルグアイ産)10㎜玉(表面ファセットカット)他にも、黒いブレスレットがお洋服に合わせやすい、黒いムラーノガラスがステキ!と、黒いブレスレットもご好評いただきました。おっしゃるとおり、黒はファッションに合わせやすいですね!(祝夏至ブレスレットCについてお客様達のご感想)>「新作ブレスレットも素敵ですね!御メダイのレリーフが美しいですし、デザインが私は見たことがなく、珍しいと思いました。御メダイの経年による色味とビーズの配色が絶妙で美しいです、、、!メダイのサイズがほとんど50円玉と同じですね。どれも素敵で迷いました。が、今回はムラーノガラスとアメジストに心惹かれました。」>「かっこいいブレスレットをお求めやすい価格でのご提供に感謝いたします^^よく見るとマリア様の周りにパヤパヤと可愛い天使が飛んでいるように見えるのですが、細かいところまで凝っていて素敵な御メダイですね!最初はブラック系をお願いするつもりでお問い合わせをしたのですが、Cの大胆なカラーリングに魅入ってしまいました!僧侶の袈裟でこういう鮮やかな配色があったような気がして、高貴かつ神聖な雰囲気で素敵だなと思いました。」>「夏至の新作ブレスレットのご案内を、ありがとうございます。オシャレなデザインに見惚れて毎日写真を拝見しております!こんなに素晴らしいブレスレットを無料で見られるのも幸せです。ブログ読者の方々もさぞお喜びのことでしょう。いつも、ブルーシャ様の抜群の美的センスに感動いたします。「幼子イエスを右腕に抱くカルメル山の聖母」の御メダイが素敵です。聖母マリア様の母性が感じられ、心が安らぎます。男性用ブレスレットもカッコイイです!高価な希少鉱物のビーズを省いていらっしゃるとのことですが、それでも破格でございますね。ブルーシャ様のご厚意に感謝申し上げます。」>「黒色メインは締まってカッコ良いですし、アメジストのブレスレットが特に素敵だと思いました。」>「本日も祝夏至ブレスレットの画像を拝見しておりました。何度も見たくなってしまい、今日は御メダイの繊細な彫刻に魅了されておりました^^」>「だんだんアメジストに惹かれてきました(笑)実物はもっと素敵なのでしょうね。今回はガーネットがある方にしましたが、アメジストにもご縁があるといいなと願っております。」>「Cのブレスレット、アメジストタイプを1つをお願いします。色の合わせかたが綺麗で、気に入りました。」>「アメジストのファセットカットのビーズ、グリーンカラーのムラーノガラス、精巧な御メダイ、初めてのアグニマニタイト、今までのブレスレットともまた一味違って、とても楽しみです。」>「友人から「ブログに新作が上がってたよ!」と教えてもらい拝見したところ、こちらのアメジストのブレスレットに特に目が留まりました(教えてくれた友人も同じ物を購入するそうです笑)。 友人はちょうど夏至の日に「もっとサードアイを開けるようになりたい」とお願いしていたようで、「すごいタイミング!」と話していました。 また、私も車の不調があったので修理も仕方ないかなぁ、と思っていたのですが、結果は特に問題はなく、様子見ということになりました(一過性のものかも、と)。見積もっていた費用がちょうどこちらのブレスレットとほぼ同じ代金であったこともあり、お金さんや車に感謝しかありません。」>「素敵なジュエリーの画像に心が癒されました。本当に素敵ですね。」(以下、ブルーシャ記す) ご感想ありがとうございます。画像も喜んで下さり、嬉しいです。 特に女性は、毎日美しいものを観ると癒されますよね。 魔除けの効果が高い鉱物を選んだブレスレットでファッション性が高いデザインになるように一工夫して、女性が普段身に着けておしゃれな装いになるようにお作りしています。 鉱物のビーズのブレスレットはどうしても数珠みたいになってしまうものなので、おしゃれで可愛いデザインになるように工夫しています。 観て身に着けて美しさに癒されて気分が楽しくなるもの、特別な美術作品のレリーフのマリア様&幼子イエス様の御メダイ、古いヴィンテージであと少し寝かせるとアンティークになるもの、他の人達が持っていないからかぶらないもの、など様々に長く楽しんでいただければ嬉しいです。 長くご愛用いただくために、ゴムがのびてきたり裂けたり切れたら、ご自身で修理いただけます。修理は簡単で、今ではビーズ屋さんや手芸店で1~2回分用のブレスレット修理キットが売っていますし、無料動画でも修理の仕方があるので、お試し下さいませ。修理については、ご購入いただいたお客様達にお知らせしております。 ブレスレットはジュエリーやクセサリーのデザインとしては簡単なことのほうですが、例えば今回のものは黒い魔除けの色がテーマだったので、あの可愛い御メダイで黒中心で作ろうとしている時に淡いグリーンのムラーノガラスで組み合わせていて、ふと紫色のビーズが並んでいるビジョンが具体的に浮かんできたのです。 その紫色のビーズが並んでいるビジョンを観てから、紫色のそのようなビーズのお宝のストックがあったことを思い出しました。 このように、最初に作品が仕上がったビジョンが浮かんできて、ビーズの補充は後付けです。 女性のお客様達のご注文が多かった紫と淡いグリーンの組み合わせのブレスレットは、作りながら神と交信しているうちにビジョンが与えられて、ビーズの種類が決まって、最終的にこのデザインが仕上がりました。これも神から送られたブレスレットのデザインでした。 そしてそれを再現して作ってみると、たしかにちょうど良くはまっていて、デザインがきまっています。・・・フタを開けると、お客様達からこのデザインのご注文が一番多かったので、上記のようなことを伏せていて何も書いていなかったのに、やはりお客様達は無意識でこのようなこと(神から送られたブレスレットのデザイン)を何か感じ取っていらっしゃるのでしょうね。 きっと直観で、神からのデザインということを感じ取られていらっしゃるのですね。 中には、黒いブレスレットをご注文の後に、この紫色のブレスレットが気になってきてもう1個追加でご注文の方もいらっしゃいました。その逆(紫色をご購入の後に黒も追加でご注文)もいらっしゃいました。 ご好評いただいて、お役に立てて嬉しいです。 いつもありがとうございます。
2026年07月01日
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