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ニューヨーク出身の、世界的オルガニストのコリー・ヘンリーの紹介と動画をアップしてから、彼の音楽のルーツは黒人の教会のコミュニティーでゴスペル音楽を演奏してきたことについて考えていました。そしてふと、昔、私が日本でオルガンを学んでいた子供の頃に、教材の楽譜の中には「黒人霊歌」というジャンルがあったことを思い出しました!!!今思うと、小学校2年生くらいの低学年の時に、習ったオルガンの楽譜の曲には曲名の横に「黒人霊歌」と書いてあって、これが何のことか全く分からずに(笑)、謎に思っていたのでした。小学2年生の子供に「黒人霊歌」って言っても、もちろんさっぱりわけが分からないのは無理ないですよね~。当時、オルガンの先生に、「黒人霊歌って何ですか?」と聞いてみても、「アメリカの黒人に昔から伝わっている古い霊歌」と説明されただけだったと思います。ふう~ん・・・。「昔から伝わっている古い歌なのか~。」と、当時の2年生の私は、「黒人霊歌」について全く意味が分からないまま、オルガン曲を学んで練習して弾いていたのでした。黒人霊歌はオルガンの教材の中にたくさん出てきましたから、私は有名な黒人霊歌の曲はたいてい学んで練習して育ちました。↑・・・これって今振り返ると、私が選んで学んだ楽器はオルガンなので、黒人のゴスペルの教会で演奏されるB3オルガンの曲が多かった理由が分かりました!・・・今まであまり気にしていませんでしたが、オルガンの教材はアメリカの黒人のゴスペルのオルガン曲が多かったのは、本当に現代のオルガン曲のルーツに沿って理に適っていた選曲だったのですね!!!いや~、今まで、全く気がついていませんでした(笑)。私の幼児体験が5歳からオルガンを学び始めたことだったので、自然に黒人霊歌もたくさん教材に出てきて習って、無意識下に幼少時から「黒人霊歌の旋律とベースラインとコード進行」が染み込んで育ってきたのですね。オルガンを学ぶといきなり子供の頃でも最初から、両手と同時に左足の足鍵盤でコードのルートの音やアルペジオやオルタネーティブ・ベース、ウォーキング・ベースとかも習ってベースラインも足で弾いて、右足ペダルで音の強弱もつけるのです。オルタネーティブ・ベースが教材で出てきて習ったのは小学1年生か2年生でしたよ。当時は2年生だから意味も分からずに(笑)、オルタネーティブ・ベースっていう用語をカタカナで丸覚えしていました~。ウォーキング・ベース(左足)は小学校高学年くらいから出てきて習いました。ニューヨークに来てから知りましたが、ウォーキング・ベースってアメリカのブルースやジャズでも基本のベース進行で、オルガンやピアノの左手でも皆さんよく演奏されているベタなベースラインです。・・・これ、本当に今まで全く気にしていなくていちいち考えたこともなかったですが。私はオルガンを学んだお陰様で、音楽はアメリカの黒人霊歌の影響をもろに強く受けて幼少時から育っていたのです。知らなかったあああああ~!黒人霊歌の教材はシンプルで簡単なコード進行のものが多かったので、子供でも練習すれば弾ける曲でした。・・・私は、このような黒人霊歌がたくさん染み込んで育ったため、黒人音楽が潜在意識の底に沈みこんでいたのだな~、オルガンのせいだったのだな~と気が付きました。オルガン・ジャズやソウル・ジャズ、ジャズ・ファンクなど黒人音楽が好きなのは、こういう上記のような幼児体験、育った環境、5歳からオルガンを学んだことがすごく大きく影響していたのだなと気が付きました。私には知らず知らずにオルガンの楽譜によって黒人霊歌の影響を強く受けていたことに今頃気付き、私の音楽のルーツは黒人霊歌だとも言えるのですね。今になって私の音楽のルーツに気が付いたため、気になって黒人霊歌について少し調べてみましたところ、18世紀から19世紀のアメリカで、奴隷だった黒人達が集まっていた共同体の教会で歌われて作られて育ってきた宗教歌で、昔の当時はニグロ・スピリチュアルと呼ばれていたそうです。その後、公民権運動が起こって奴隷解放が進んでからは、それはニグロ・スピリチュアルというのは差別用語となったため現在はこのように呼ばれていないですし、そう呼んではいけないそうです。・・・日本語の黒人霊歌というのはこの差別用語を日本語にモロに直訳した言葉だったのですね!!!日本語には黒人霊歌という単語が残ってしまっています・・・。これもビックリです。このような古い黒人霊歌が元になって発展して、後にゴスペルになっていったそうです。コリー・ヘンリーの音楽のルーツは、まさに上記の黒人霊歌とゴスペルなのですね!黒人霊歌とゴスペルの演奏をしてきたからこそ、2歳からB3オルガンを弾き始めて、オルガン演奏が自然に発展していったのですね。・・・オルガン音楽って、ゴスペルの伴奏でもあったのですね。そして黒人霊歌はゴスペルだけでなくブルースやジャズの母でもあるから、現在のアメリカ音楽のルーツそのものだと言えます。・・・こういうことを今一度、思いを馳せてみると、なるほど私が好きな音楽は黒人音楽が多いこととコリー・ヘンリーのオルガンが私の音楽のツボにはまることなど、点と点がつながって線になりました!!!もしオルガンを選んで学んでいなければ、小学生で黒人霊歌なんか習わないしなじみが全く無かっただろうから黒人音楽の影響は受けないで育っていたと思うし、皆と同じようにテレビから流れてくる歌謡曲を聴いていたのかもしれません。私が子供の頃からどうしても日本の歌謡曲が苦手でカラオケも苦手で全く合わなかったのは今まで理由がさっぱり分かりませんでしたが、本日振り返ってみて、オルガンを選んで学んだからその教材の楽譜は小学校2年生からは黒人霊歌が多かったということと、黒人霊歌を実際にオルガンで演奏して影響を大きく受けたのが7~8歳からなので私の魂と音感にも深く染み込んだのが早かったからだな~と気が付きました。・・・なぜ、日本で育ったのに歌謡曲が私には全く合わなかったのだろう?と謎でしたが、今、謎が解けました!!!良かったのか悪かったのか分かりませんが、アメリカに引っ越してこちらで生活しているので、アメリカ音楽が好きだったのは良かったなと思います。ニューヨークの友人達とは音楽の話が合うし、音楽好きのご縁でミュージシャンの友人も広がったので良かったです。・・・きっと、将来、海外で生活する運命で幼少時から神から全て音楽とオルガンまでセットされていたと思います。日本で学んだオルガンの教材の楽譜には、黒人霊歌の他にも、古いメキシコ民謡、ルンバ、マンボ、ブラジル音楽(サンバ、ボサノバ)、アルゼンチン・タンゴ、ハワイアン音楽、スタンダード・ジャズなどがあり、ジャズやラテン音楽が多かったです。その中で私が特に気に入って好きだったのは、ボサノバとジャズの曲でした。他に自主的に弾いてみたくて教材以外で自分で少しずつ練習していた曲は、ポール・モーリアの曲でした。小学校1年生の時にポール・モーリアの曲を知って、「きれいな曲だな~、こういう曲を弾いてみたいなあ~」と強く思い、だんだんどうしても弾きたくなったので、2年生の時に母親に頼んで楽譜を買ってきてもらいました。・・・すると、母親が楽器店でポール・モーリア・オーケストラのオルガン用の楽譜を買いたいと聞いたら、「ポール・モーリアの楽譜は上級者向けですよ!子供には難しすぎるから無理です。やめておいたほうがいいです。」などと言われ、でも娘が弾いてみたいっていうから買って帰りたいとこれこれしかじか説明すると、「ええ?2年生ですか?小学校2年生の子供には弾くのは絶対に無理ですよ~!2年生には難しすぎます!」と説得されたそうです。それでも、止められても母親は買ってくるだけは買ってきてくれました。それから、オルガンの先生にも、ポール・モーリアの曲はまだ難しすぎるよと言われました。・・・そんなに大人から寄ってたかって難しすぎるから無理って言われても弾いてみたいのに~!と思って、私はあきらめられませんでした。小学校2年生の子供は家事をしなくていいから暇だから(笑)、放課後、土日とかに少しずつ少しずつ楽譜をなぞって読んで練習してみて、左足の鍵盤は上手く届かなかったから右足で立って左足鍵盤のベースラインも弾いて、音楽をすぐ覚えていたから耳コピも合わせて、両手と左足を同時に弾けるようになりました。最初に弾いてみたのは「薔薇色のメヌエット」で、それから次々にポール・モーリアの楽譜集を少しずつ勝手に長時間練習し倒して、何曲もたくさん弾けるようになりました。↑それから、弾けるようになった曲をオルガンの先生に弾いてみたら、「ええ~!自分で全部練習したの?すごいねえ~!次の発表会はポール・モーリアの曲にしましょうね!」とすごくビックリ仰天されてひっくり返ってしまいました。・・・子供って「難しすぎる」っていう先入観が無いし、時間がたっぷりあって暇だから(笑)、大人達が思っているよりもチャレンジ精神があって少しずつ練習したら小さい子供でも何でも出来るようになるのですよ。私の体験から学んだことで、真実です。この当時のことを振り返ってみると、オルガンの教材の順番で、5歳から始めて数年後の小学2年生からは黒人霊歌がたくさん楽譜で出てきていたので、黒人霊歌はシンプルでコード数も少なくてリズムもゆっくりだから弾き始めの子供でも弾きやすい曲なのでしょうね。前回掲載しました、コリー・ヘンリーの4歳の時の映像を観ると分かりますが、彼のご両親や周りの大人達はコリーのことを「2歳の子供にはオルガン演奏は無理だ」とか「4歳で教会でオルガン演奏の本番をやらせるのは無謀だ」とか全く考えずに、「コリーちゃん、才能があるじゃないの!すごいねえ。ぜひ弾いてくださいね!」と道を開いて機会を与えてあげて、8曲弾けるようになったばかりだった4歳当時でも「マスター・ヘンリー!」と周りが呼んで褒めて本人のやる気と才能を伸ばしてあげたのですよね。コリー君のご両親がすごいですね。子供扱いしなかったのですよね。最初から一人の人間として扱っていて、お母様は子供用の童謡(ABCの歌とか)を教えたのではなく、2歳で最初からいきなり「アメージング・グレイス」を教えたのですからね。子供の可能性と限界をナメたらいけないのだと思います。子供のほうが「難しすぎるからあきらめよう」という先入観が無いので、「うわ~!ステキな曲だな~!私も弾いてみたいなあ~!」と素直に感動してしまって、やってみよう練習してみようとするのだと思います。コリー・ヘンリーも、もし周りの大人達が「この曲はまだ2歳児には難しすぎるから、もっと簡単な子供用の曲から練習しなさい」という順番でやっていたら、今のコリーみたいには究極的に世界一の難易度の弾き方までには到達していなくてごく普通のオルガニストになっていたのかもしれません。大人が子供の限界を勝手に限定して抑えて子供用のことを教えるというのは、子供の無限大の可能性をつぶしてしまうからもったいないことですね。ぜひ、親御さん達は、小さな子供が興味を示してやってみたいということは、難しいことでもやらせてあげたらいいと思います。↓参考に。コリー・ヘンリーが教会のゴスペル音楽の伴奏をしている映像。ノリノリで熱い魂の叫びのようなすごいゴスペルですね!!!このオルガン伴奏も普通ではなく、すごすぎます!!!会場の皆の魂に火が点きますね!
2021年09月12日
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先週、スペインで起きた列車事故で79名もお亡くなりになり、驚きました。ご冥福をお祈りします。運転士は生き残って取り調べを受けていますね。この運転士の方はいろいろ白状しているので、正直で良いと思いました。しらばっくれていないところが素晴らしいです。起こったものは仕方ないですものね。。。どっかの国の放射能を撒き散らし続けている電XX会社とはえらい違いです。スピードを出しすぎで、制限速度の2倍以上も出していたそうですね。しかも、倍くらいのスピードを出すことが常態化していたとのこと。スペインに長く住んでいましたしご縁が深い国なので、人事とは思えないです。夏休みなどにスペイン国内を旅行したこともあるため、列車にも乗ったことがありますから、ゾ~ッとしました。もし事故にあった列車に乗り合わせていたらと思うと、ゾッとします。サンティアゴへの巡礼の旅に出かける人々は、スペイン国内からも世界各地からも多いので、もしかして巡礼に行く人々も事故にあっていたのかもしれませんね。昔、スペインの高速バスに乗った時に、あまりにもすごい猛スピードで走っていたので、乗っている時に”スピード出しすぎで怖いな~”と思ったことがあります。(高速バスもたまに事故があるそうです。)あと、スペインは交通事故死の割合が日本より多いのですが、皆さん、けっこう、日頃から車もスピードを出しすぎな気性の方々が多いのかもしれないです。スペインの交通事故死で若者のアホなケースがあるのですが、”カミカゼ”(神風)といって、高速道路とかで車を猛スピードで進行方向とは逆方向へ走る、というやつがありましたそんなアホ行為は、今でもあるのかな?カミカゼがスレスレで上手く行ったら、勇敢だとか、なんとか、若者同士であるのでしょうね。そんなアホなことを若者がやって死んでしまった日には、ご両親は落ち込むでしょうし、ショックでしょう。育て方を間違ったのかな~とか。スペイン人は向こう見ず、やりすぎな気性があるのは確かです。交通事故死の多さで、在住当時、その向こう見ずな気性については気が付いていました。スペインでは周りの知人たちも、毎年何人かは、交通事故(車やバイク)で亡くなっていっていました。多くがスピードの出しすぎで。知人の友人とか、知人の知人とか、知人の恋人とか家族とか・・・。毎年誰かが。日本に住んでいた頃は、こんなに交通事故死は周りでなかったな~、私の友人知人家族では誰も交通事故で亡くなった方はいなかったな~と思っていたものです。日本では私の身近では、交通事故死は滅多に聞かないです。そのため、日本とスペインとは気性が、えらい違いやな~と思っていました。(・・・牛追い祭りでは毎年、人々が負傷し、時々亡くなりますものね。。。)この列車事故の原因、制限速度の倍以上を出してカーブを曲がっていたと聞いた時、ああ、スペイン人らしい面かもしれないな~と、いろいろと上記のことを思い出していました。複雑な心境です。。。
2013年07月31日
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↑ これは、沖縄で購入しました、沖縄産の黒糖です。純粋な黒糖ですね~。これらの会社の黒糖も、沖縄の知人が、「これはいいですよ!」とすすめてくれたものです。「この沖縄黒糖の、小さなサトウキビのマークが入っている黒糖を選ぶといいですよ!沖縄県黒砂糖共同組合に認定されている黒糖が、マーク入りです。このマーク入りは全部美味しいですから、ハズレがないですよ。ちょっと苦味があるので、沖縄でもその苦味が苦手という方もいて、わざわざマークなしのものを買う方もいますけれど。私はその苦味も好きなので、このマーク入りのものほうが味が好きです。私は黒糖を買うなら、マーク入りのものにしています。」・・・などと、教えてくれました!このマークとは、黒糖のパッケージの表に小さく入っている、(丸い小さなサトウキビのマーク)のことです。黒糖ももちろんたくさん売られていたので、沖縄の方からおすすめを教えてもらえてラッキーでした!マーク入りは苦味があるということでしたが、食べてみたら、私もこれは美味しいと思いました!自然な感じのお味です。黒糖の全ての成分が、精製されずに含まれているのでしょうね。連続で5個くらいバクバクと食べてしまいました~!調べると、沖縄の黒糖にはミネラル分も多く含まれているので、きっとそういうミネラル分を身体が欲していたのでしょうね~。そして、沖縄の知人はオフィスで働いている方なのですが、「勤め先のオフィスでも、いつもこの一口ずつ小袋に入っている黒糖が常備されていて、みんな時々、つまんでいますよ。毎日、黒糖を何個か食べています。」と教えてくれました!へえ~! それはきっと、沖縄独特の習慣ですね!きっと、日本ではオフィスに飴が常備されているようなものでしょうね。沖縄では、飴の代わりに黒糖なのですね!なんて健康的なのでしょう!この、黒糖を毎日つまむ沖縄の習慣のことも、感心しました!黒糖も、琉球王国の時代から、食べ続けられているのですね。・・・沖縄は、日本とは別の国だな~とここでも感じました。私もニューヨークに帰ってから、まだしばらくお土産の黒糖はありますが、それがなくなったら、こちらでも似たような黒糖を探して、毎日つまむ習慣にしようと思います!ミネラル補給に良さそうな感触です。ニューヨークでは、きっと、メキシコとか南米産の黒糖が売られているのではないかな~と思います。どこかで観たことがあります。探してみますね!
2013年02月08日
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こちらは、沖縄でお客様からいただきました、手作りの鬼餅(むーちー)です。 月桃の葉にくるまれています。アロマテラピーの香ですね。中身は、黒糖で味付けしたお米のお餅だそうです。毎年、健康・長寿の祈願、厄払いのために食べる風習があるそうです。 美味しくいただきました☆沖縄ならではの風習を教えていただき、お話を聞かせていただいて、興味深かったです。もともと、沖縄は琉球王国でしたから、日本とは別の国で、文化と風習、食生活が全くといっていいほど違いますよね。とても興味深いです。お客様のお陰で、とても良い経験をさせていただき、ありがとうございます。感謝しています☆
2013年02月02日
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大阪近辺の温泉に行ってきました~♪日本の温泉は、とっても良いですね!源泉かけ流しの、湧き出ている温泉に何度も行ってみたので、本当に効いてきました。おかげさまで、2年間休み無しだった、たまっていた疲れがとれてきて、蘇りました☆☆☆それだけではなく、お肌がつるつるになる効果もあるみたいで、ビックリしました。温泉はすごいですね!!!美容にも良いのですね!海外には、ヨーロッパ、ドイツなどには温泉治療の施設がありますが、欧米は普通は温泉の習慣が無いですね~。日本の温泉は、素晴らしい文化ですね!!!(アメリカには、日本の温泉みたいな施設はあるのかな~? あったらいいな~。掘ったらでてくるだろうに。また調べてみます。)
2013年01月06日
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続きです。スペインは本当に食費が安いので、自炊すれば、毎月生きていくために日本人から観たらほんの少しの金額で事足りるのです。農業国だから、貧しくても食べ物だけは豊富にあるのです。米なんて、日本と同じ形の丸いお米(ジャポニカ米)で、パエーリャに使うものは、1キロ100円とか150円位でしたよ、留学当時。「え~! 一体、日本ではこれ主食やのに何倍するねんっ! 2キロでいくらと思っとるんやっ!」(・・・帰国時に持参しよか?と一瞬思い、それもあほらしいな~とやりませんでしたが。)スペインで、もしも失業して家に何も食べるものが無い人でも、米1キロで数日はしのげますよね。それは乞食をしたら恵んでもらえる金額ですね。スペインの市場で、知り合いの路上ミュージシャンが「捨てるつもりの野菜と果物があったら、捨てないで私に恵んでください」と実際に言ってみたら、ホントに、売るには痛みかけているけどまだ十分食べれる、かえって熟れ頃のものをタダでくれた~!助かった~!と言っていましたから。そうするとほとんど食費がかからず生き延びられますよね。1ヶ月で一人300円で生き延びられます。肉魚抜きで、野菜と米しか食べなくても人間は十分健康に生きられます。帰国するたびに思っていましたが、日本はなぜ、こんなに食費が高いんだろう?高っ!!!とビックリします。農業国ではないからですね。食費のためだけを考えても、何か働かなくてはならない金額がかかります。とにかく米と野菜と果物が高いですし、肉魚はもっと高いですよね。もし、市場とかスーパーに行って、上記のスペインの失業者・路上ミュージシャンと同じことをしたら、遠まわしに断られることが多いでしょうしね。捨てるつもりの野菜や果物は特売品コーナーに集めて積まれていますものね。それで、日本独特の言葉、「働かざる者、喰うべからず」というのがあるのでしょう。日本では餓死がありますしね。(スペインでは餓死は歴史的に無いそうです。食べ物がどんな時でも豊富だったからです。その前に誰かが助けるせいもあります。)よく考えたら、これは恐ろしいことです。働かない者は食べるな!ということですから。世界の他の国々に言ったら、”え~!それはひどいね。”とビックリされることでしょう。・・・そういう言葉はスペインには無いです。おそらくイタリアにも無いことでしょう。 もし、自分が働き者の方が、他人に対しても自分の基準と同じそれ「働かざる者、喰うべからず」を押し付けるのは、それは余計なお世話ですよね。自分が働き者の性質で、黙々と他人の何倍も働くのは構わないのです。でも、自分が働き者であることを「良いことだ」と刷り込まれて洗脳されているせいで、自分より働きが少ない者のことを「怠け者だ」とか「悪い」と評するのは、やらないほうがいいですよね。働かざる者のことを「怠け者だ」と決め付けるのは間違っていますよね?そして、怠け者は悪いことなのでしょうか? 別に本人が良ければ、それでいいのではないでしょうか? 放っておいてあげたらいいことですよね。
2012年12月06日
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さて、前回、続きです。「・・・そして、豊かで(とくに働かなくてもみんななんとなく)「食えてる」というのも、スペインとイタリアの皆さんが他人に意地悪しない性格、という大きな理由だと思います。 あくせくしなくても、別に他人の足を引っ張って妨害しなくても、十分豊かに食べていける、という意識が大きいのでしょうね。あんまり働かなくても、どんどん作物が育つし、食べ物は豊富にあるし、ワインは水みたいに安いし、食費がとても安くつくのですよ。食べ物がとても安いことに、日本人から見たら驚くばかりです。・・・というか、日本とかイギリスの食べ物、野菜・果物が高すぎるのだな~と気が付きます。もしかして、スペインやイタリアの食物の物価が普通なのかもしれないですよね。」・・・と書き込みましたことについてです。一行目の、(とくに働かなくても)というのは近いけれど、 ↓(四十六時中あくせく仕事に追われて長時間働かなくても)、というのがもっとふさわしい表現だと思います。スペイン人とイタリア人はあまり働かない怠け者、というイメージも日本では強いと思います。一般的には、会社やお店で働く人々は、確かに日本と比べるとそうです。彼らは日本人よりも労働時間が短めでバケーションが長い(1年に1ヶ月間、まとめても取れるし、2回とかに分けて取ることもできる)のです。日本で1年に1ヶ月もの間、バケーションを取っている人はなかなかいませんよね。そんな行動を取ろうとしたらすぐクビですよね。そしてキリスト教カトリックでは日曜日は休息日(孫から祖父母までその家系の家族全員で会う)とされているため、スペインでは一般的に、日曜日にお店を営業したり働く人がほとんどいないのです。(大型デパートは日曜日も開いています。)きっとイタリアもそうなのだろうな~と想像します。そしてスペインでは、「毎年新年1月1日には上から下まで、下着でもワイシャツでも全部新品を、家族全員分、そろえる」「クリスマスには家族全員が必ず実家に集まり、みんなで1年で一番豪華なご馳走を食べる、その全員分のプレゼントを買って用意しておく」・・・など、ほかにもまだありますが、わけのわからない、一見、そこまでするのは無駄なんじゃないかな?と思えるような習慣があります。・・・これについて当時、気がついていたことですが、よ~く考えると、この習慣のお陰様で、スペインの地元の小さなお店たちが潤うのです。この習慣は、これでちゃんと消費が上がってるという経済効果があるのですよね。だから無駄ではないのです。街中の人々が色んなお店で食物、服、下着、プレゼントなど、地元のお店で買い物をしまくるので、そのせいでその街の消費が上がるのです。おそらく、大昔は、スペインではこれで十分、みんな街中、まんべんなくどの職業・お店の人も1年に1回は盛大に潤っていたのだろうな~と思います。今は十分、まんべんなく行き渡って潤うというのは難しいかもしれないですが、ある程度は潤いますよね。皆、お互い様になりますよね。多分その習慣も、結局、街中のどの職業の人々も、自分と他人を比べて劣等感や優越感を持つことが無い原因の一つでしょうね。自分と他人を比べて嫉妬心を持つなんてことは、スペイン人はふつうはしないです。自分に無くて人が持つものを欲しがることは悪魔の特徴だとされているからです。常に「自分と神との対話」だけがあるのです。「自分と周りの人々との対話(自分と他人を比べる)」は、スペインには無いです。長くなりますので、続きは次回!
2012年12月06日
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興味深い動画をご紹介しますネ☆「海を渡ったサムライの末裔のスペイン人」・・・私のスペイン語本(CD付き)、「世界最速でアミーゴができる!スペイン語入門」 ~柔らかくて毛深いスペイン語の本~ (ブルーシャ西村著)の中にも、この情報について少し書きました。P11 です。(よかっらたご覧くださいませ。)1600年代初め(江戸時代)にスペインへ渡った支倉常長と慶長遣欧使節団のうち、日本へ帰らずに現地に残ったサムライたちの末裔が、現在もスペインにいるのです!彼らは”Japon”(ハポン)さん(←日本という意味)という名字が名前に入っています。とてもロマンのあるお話ですね!そのせいかどうか、スペイン人はけっこう、日本の「侍(サムライ)」についてご存知の方々が多いですよ!スペイン人たちは、「日本のサムライは、とても誇り高い精神で、高貴な人々」ということはご存知で、憧れが強いのです。「武士道」が好きなスペイン人もいますよ。そして、この動画の中に出てくる末裔の”ハポン”さんがおっしゃっているように、「誇り高き日本の祖先を持っていることが、ワシらの自慢じゃよ」ということをお聞きすると、嬉しいですよね~。日本人は嬉しいですよ。今の日本から見たら、今は昔で何の面影もないような状態かもしれませんが、こういうスペイン人の「日本のサムライへの憧れ」のお話を聞くたびに、日本人として嬉しいですよね!きっと、当時、スペインへ渡ってその地に留まった江戸時代の武士たちは、スペイン人から見ても驚くほど、誇り高い人々だったのでしょうね! その誇り高い精神のサムライが一人や二人ではなくて、全員そうだったのでしょうね。そのせいで、スペイン人の間で、「日本のサムライへの憧れ」が伝わっているのでしょう。スペイン語本には書きませんでしたが、じつは私はスペイン現地でしょっちゅう、スペイン人の友人達に、「君の先祖にはサムライがいますか?」と聞かれましたよ~(笑)(←日本人が歴史の長いヨーロッパに出ると、このような”ご先祖様は何?”と時々聞かれることがあります。アメリカじゃあ、そんなことは一切無いですよ、ほとんど。もし黒人の方々にそんなことを聞いたら、みんなご先祖様はアフリカから船で運ばれてきた奴隷だったのだろうから、絶対聞いちゃダメですよね。こういう無神経なことを聞くのは、アメリカではタブーだと思います。逆に、私はそんなことはアメリカ人にも日本人にも誰にも一切聞きませんよ~!失礼ですものね。関係ないですし。もしかしてヨーロッパでは、外国人に対してはそんなことを聞くのかもしれませんね。)このエピソードと質問文(スペイン語)をスペイン語本に書くかどうするか?考えましたが、いや、書いたらまずいだろう~!書いたらアカンやろう~!やめとこうっ!と自粛して書きませんでした。昔の身分制度にまつわるような話はタブーだと思うからです。・・・面白い話ではあるのですがね~。でもやめておきました。。。今回、この番組の動画を拝見してみて、”ああ、やけにスペイン人たちに時々あんなこと(ご先祖様にサムライがいますか?)を聞かれたのは、スペインにその末裔が今でも生きているからだろうな!”と納得しました。私のご先祖様は武士でした。両親の家系ともそうです。・・・私が鍛錬を積む&信念を貫くのは、その血をダブルで引いているせいかもしれないですね~。末裔の私の血にも、「武士道」が入っているのだな~と思います。「武士道」の本を読んでみたくなりました~♪♪♪この動画を観ていると、いろんなことに思いを馳せて、ロマンがあるな~とつくづく思いました。
2012年05月22日
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面白いニュースを見つけました! 読売新聞です。リンクを貼り付けますね☆http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120410-00001285-yom-soci「サムライ末裔?スペインのハポン(日本)さんDNA鑑定」「江戸時代初期に渡欧したサムライの末裔(まつえい)ではないかと言われる「ハポン(Japo´n)」の姓を持つスペイン人のDNA鑑定を行い、日本との関係を探る研究プロジェクトが、近く始まる。 スペイン語で「日本」を意味する「ハポン」姓を持つ人は、スペイン南部セビリア近郊の町コリア・デル・リオとその周辺に約800人が住んでいる。 サムライの末裔と言われるのは、〈1〉1614年にスペインに到着した「慶長遣欧使節」一行が同町に一時滞在した〈2〉古文書に「ハポン」姓が出現するのは、一行が去ってから数十年後から――などの理由からだ。 地元の郷土史家が「サムライの子孫」説を提起していることは、1992年のセビリア万博の数年前から日本でも知れ渡り、関心を集めるようになった。」最終更新:4月11日(水)16時18分 (読売新聞)(以下、ブルーシャ記す) これ! この記事の内容を少しかいつまんで、私のスペイン語の中にも書いて紹介してあるのです!「世界最速でアミーゴができる! スペイン語入門」 ~柔らかくて毛深いスペイン語の本~ (国際語学社) ブルーシャ西村著 の中の、P11に書きました~! これは、ロマンがある話だな~と思います。 私の本の中から、その記述を抜粋して掲載しますね!「・・・ このように人間を本来の姿のまま伸び伸びさせてくれるスペインだからでしょう、江戸時代初め(1600年代)にスペインへ渡った支倉常長と慶長遣欧使節団のうち、”日本へ帰りたくない”と言って、スペインに残って帰らなかった人々がけっこういたのです。 一行約30名のうち、7名が現地に残って、武士を捨てて人間として生きることにしたそうです。その末裔は今でもスペインにいて、ハポン(Japon)さんという名字が名前に入っています。現地に残ったサムライの彼らのお気持ちはよく分かる気がします。 そのくらい、スペインは日本と正反対なところがあって、開放的なのです。」
2012年04月13日
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さて、前回書き込みました、スペイン人友人の話、「友達やのに、ありがとう、ありがとうと言うな! よそよそしい!」のように言ったことについて、ちょっと続きです☆これは、もしかして、日本の皆様は、このような価値観を持ち、このように言ったスペイン人友人は、下町っ子とか労働者階級の方なのかな~?と思ったかもしれませんね。いえいえ、その反対で、貴族階級出身の友人なのです。それも1000年以上続いている家系です。名字にタイトルがついてる人達です。(スペインは一度は覇権を握った国ですし、伝統のある古い国ということもあり、今でも階級社会です。)ビックリでしょう?貴族の方が、そんなことを言うなんて。私もビックリしましたよ!「ああ、スペイン人にとってアミーゴ(友達)とは、そういう近距離なもの、お互い様で家族のようにつきあうもの」なのだろうな~と理解しました。「文化の違い」のようなものを、肌で感じて理解した出来事でした。
2011年12月28日
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「マヨルカ島のゲイ友達」(ポット出版)ブルーシャ西村・著について、ご感想のお便りをいただいていますので、その一部分をご紹介させていただきますネ☆ どうもありがとうございます! 「・・・ところでマヨルカ島のゲイ友達の本が届きました! Que ferte!!!毎日がHalloween!ですね~ 昨年私が扮装したミニスカポリスがちゃちく見えますf^_^; びっくりしたのが、コックさんのFernandoです。 あの写真集の中で1番華がある人だと思いました。 木の枝と同化している様な写真が凄く好きです☆ アートですよ、あの写真は。あれもブルーシャさんが撮られたのですか? 白目を向いてるのは何かコンタクトとか入れたのかな?(←興味深々) それぞれの友達との会話も印象的でした。 とても洞察力のある質問や、受け答えで。 あんな込み入った会話を本場の早口だろうスペイン人と交わされている事も。 凄すぎです~ またブルーシャさんのマルチな才能と側面を垣間見させて頂きました。 あの写真集を見てマヨルカ島にめっちゃ行きたくなりました☆ 特にブルーシャさんがおられたクラブで夜遊びしたい! ああいう土壌だと、ホント出る杭はさらに延びるでしょうね。 お金持ちのお宅に居候させて頂いた話も凄いですね。 ホントに渡西は運命だったのですね。」 (以下、ブルーシャ記す) この本は私が、1998年くらいからスペイン現地で取材を始めて、2000年くらいに書き上げて、2001年に出版したものです。 私が初めて出版した本です。 1冊目の本だったせいもあり、内容を濃くてんこ盛りにしすぎていて、比較文化の内容で読むのが難解なものになってしまいました~。 この本のときは、内容の加減をしてなかったです(苦笑)。 タイトルは「マヨルカ島のゲイ友達」となっていますが、内容は比較文化です。 今思えば、私がまだうら若き時期から考え方が一貫していて、当時から深くものを考えていた痕跡が残っている本だなと思います。 頭も若々しいほうが、頭が冴えていて発想や思考が鋭いのでしょうね。 1冊、あのような内容が濃い本を、自分がとても若い時期に書き残すことができて、今振り返ると良かったなとつくづく思います。 「あの年齢でよくあんな内容の本を書けたな~」と、今の自分が思うくらいなのです。読み返すたびにキツネにつままれたような気持ちになります。 フェルナンドの写真(いちじくの木と同化しているような写真)も、私が撮影したものです☆お気に召していただけてありがとうございます! うれしいです。 彼は白目をむいています。コンタクトを入れているのではないです。 この本は写真集&インタビュー集です。 私はもともと、スペイン現地の公的ギャラリーで写真展をやったことがあり、写真家ですので、写真が得意なのです! 写真集の企画の審査が通り、スペイン現地でも私の写真の評価が高かったので、嬉しかったです☆ もともとは、写真が大好きだったのですよ~! そして、大学在学中から、 文章&写真で取材の仕事をしていました。 今でも、ジャーナリストとして文章と写真と両方をやっています。 「世界最速でアミーゴができる!スペイン語入門」(国際語学社)にもたくさん写真を挿入しましたが、全て、私がスペイン現地で撮りためていた写真なのです。 これらの写真も、語学本にしては写真のクオリティーが高いと思います。もとが写真家ですからね~。写真だけでも楽しんでいただける語学本だと思います。 ・・・この語学本は、写真だけではなく、イラストも表紙も全部、私が自分で描いています~。 アーティストとして、本領を発揮できた本です! >「 あんな込み入った会話を本場の早口だろうスペイン人と交わされている事も。 凄すぎです~」 ありがとうございます! これは、周りの私と親しい友人たちも同じことを言っていて、ものすごく驚いています。 「全部、スペイン人とスペイン語であんな込み入った会話をしているの?」と、ビックリされます。 ・・・そうなのですよ、全部、スペイン語でああいう会話をしています。 私はスペイン語教師なので、当たり前といえば当たり前ですよ~。教師はあのくらいスペイン語をしゃべれないといけないと自負しています。 スペイン在住時は、私は普段、スペイン語でものを考えていたし、夜寝ている時もスペイン語で夢を見ていましたから☆ スペイン語は日本語と同じような感覚になっていました。 スペイン語を日本語に訳しているという感覚は無くなっていて、 スペイン語のまま理解している頭になっていました。 日本で生まれ育った日本人なのに、摩訶不思議な感覚ですね。 スペイン現地では、私は人気者で多くのスペイン人の皆々様にとても良くしていただいたので、本当に感謝しています☆ とても多くのスペイン人の皆様に助けられてきました。 ありがたいです。 スペイン上陸してすぐからそうなったので、やっぱり私がスペインに行ったのは運命だったとしか考えられません。 続きは次回!
2011年04月02日
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書き込みいただきありがとうございます。 コメントを少し書きますね。 > 「文明の象徴である物質的なものの破壊などが進むのでしょうか。あっけなくビルが倒壊した911のテロも思い出されます。日本が幕開け・・というのも、日本の精神性や行動力を世界中に示す役割があるのでしょうね。」 (以下、ブルーシャ記す) 今回の地震で被害にあわれた方々にお悔やみ申し上げます。 さて、日本にいる日本人の方々は「日本の精神性や行動力」が「他の人種に比べて高い」と考えているケースを多く目にしますしあちこちで聞きますが、そんな「人種の差、優越」を考えるのは間違いです。 どの人種でも同じ、人類皆兄弟であるはずですから、人種の違いで人間性(人格)の善し悪しに差は無いと私は考えます。ですから、今回の地震災害が、「日本の精神性や行動力を世界中に示す役割」があるから、というのは間違いだと思います。 スピリチュアル系の人々でさえ、「今の時代に日本人として生まれたのは特別だ」とか言っているのをよく目にするので、その度に「おかしいことを言っているな~」と思ってきましたよ。 どの人種に生まれるのが特別だとか、恵まれてる恵まれてないとかいうのは間違っている心の姿勢だと思います。 これを機に、日本人の多くの人々が、自分の中にある他の人種に対する「驕りや優越感」を消して、なくしていかなければならないと思います。または「劣等感」も間違いなので、なくしていかなければなりません。そんな気持ちが自分の心の中に少しでもあっては神とつながることができません。1点でもそういう心の汚れがあってはならないので、いつかは全て汚れをなくしていかなければなりません。「日本人は特別」と考えないことが大事です。どの人種も同じです。 むしろ、日本は「産地偽装問題」がまかりとおっている場所なので、そういう隠蔽体質を発揮させて今回の原発爆発の事実や放射性物質の実際の被害の事実を隠さないでほしいなと願っています。国民に対しても世界に対しても、 実際の被害の事実を、隠さないで公表してほしいものですよね。 もし隠蔽されて事実を教えてもらえないのだとしたら、目に見えない放射性物質に対して、どのようにみんな逃げたら良いのでしょうか。 でもおそらく、産地偽装が蔓延している日本だから同じように、パニックを避けるために原発事故の真実をそのまま公表はしてくれなさそうだな~と心配しています。 真実を知りたいものですよね。でも、実際に真実を知るのはごく一部分の人々でしょうね。 現実に、過去に私に対してつっかかってきた人達、自分と他人を比べで妬んできた人達は、日本人ばかりでしたよ。 これは一体、どういうことでしょうか?その度に私は、「同胞であるはずの日本人としてこんな恥ずかしい人達がいるのか。いつか彼らが自分で気がつく時が来るまで、そっとしておいたほうが良いな~」などと思ってきました。 実際に、私は過去に、多くの外国人の方々から助けられてきましたし、励ましていただいてきましたよ。外国人の方々で私につっかかってきた人は過去に記憶にないです。なぜ、こうなのでしょう? 今回の大地震と原発爆発のことでまた頭に思い浮かんで思い出したのは、私につっかかってきて「ニューヨークに住まないで日本に帰ってきたほうが良いですよ」 と何度も何度も10ヶ月以上に渡って言ってきて泥舟を差し出してきて沈めようとしてきた男性達のことでした。男の自分に出来ないことをしていてニューヨークに住んでるのが羨ましいという、妬みの気持ちが心の中にあるからこそ、そんなことをしてきたのですよね。「それ、間違ってたらどう責任取るつもりでそんなこと言ってくるんだろう?無責任だな~。他人に介入しすぎで頭おかしいな。」とずっと思っていましたが、今回の件で再確認しました。やっぱりそうでしたね。そういうことを言って邪魔し続けた男性達も、今になってよく分かったでしょうね。 もし私が完全に日本に帰国してたとしたら、これから先どうなってただろうと思います。 私一人だけでも海外に拠点を作っておいたほうが、日本にいる他の私の周りの人々をいざというときに助けることができるのですよ。放射能汚染の影響のことで最悪の事態がもし起こっても、周りの人を助けることができますからね。 他にも、今まで私につっかかってきた日本人の方々のことを思い出しました。 私は守護霊のお導きによって、全ての行動を深い考えから行っていますから、私の行動には絶対に間違いというのは無いです。 私は、完全に自分自身の判断力と決断と選択に、絶対の自信があります!!! 自分の行動は責任持って選んでいますからね。 私は全て、自分で分かっていて選んでいます。全て確信に至っています。 誰もが私に対して、介入不要です。 なぜ今回の大地震と原発爆発が起こったのか? それは「原因と結果の法則」のためです。これは宇宙の法則です。まいた種は刈り取らなければならないから起こったことです。全ての出来事は結果であり、それが起こるには必ず原因があるのです。 今回のことでも、多くの日本人の方々にとって学ぶことがたくさんあります。
2011年03月14日
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6月19日付け、時事通信の記事です。面白いものがありました☆ 「来日中のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世(74)が19日、都内で記者会見し、「日本の若者は英語を学び、中東やアフリカ、ラテン・アメリカなどへ積極的に赴き、その発展に大いに貢献すべきだ」と述べ、海外雄飛を勧めた。閉塞(へいそく)感に満ちた現代日本の若者にメッセージを送ってほしいとの質問に答えた。 ダライ・ラマはまた、「今回の来日の主な狙いは、非暴力主義や慈悲の精神を広めることにある」と政治的訪問でないことを強調。「そのためには政府の指導者より民衆が大切だ」と述べた。 (以下、ブルーシャ記す) 私自身も、このダライ・ラマのお考えと全く同じ考えを10代の頃から持っていたので、英語とスペイン語の両方を勉強して身につけようと思っていたし、大学卒業後は海外雄飛をしよう!せっかくだから留学して何か大事なことを吸収してこよう!と計画していました。 実際にスペインに渡ったきっかけは、1992年3月ごろからスペインのカトリック系の神々様が出現して私にコンタクトを取り続けてきて、 「1996年11月25日に出発しなさい。その日は私達が貴女をお守りできるので無事にスペインに護送しますから、単身で来ても大丈夫です。」という強いメッセージをいただいたからですが。それも前に書いたことがあります。 霊的な背景は色々な意味が、平行していくつか重なっていて、私が日本代表で派遣されて行ったわけです。 霊的なお導きでした。前に少し書いた、「現代版ノアの箱舟」として食料自給率が高い国へと、日本国&家系代表で派遣されたのです。重要な任務です。 そして私は、案の定、海外生活を長く続けることによって、日本にいる以上に、思っていた以上にたくさんのことを学びました。 色々な面で、鍛えられましたよ! 海外に渡ることは、長期で腰をすえて行くのはなかなか、日本の若者は決断できない難しいことだとはお察しします。 でも今、不景気でなかなか日本で閉塞感があるのなら、思い切って海外雄飛してみる大きなチャンスとも言えると思います。 ダライ・ラマがおっしゃるように、私達以降の世代の日本人たちは、「英語は話せて当たり前!必須」です。 それプラス、国連最重要3ヶ国語のスペイン語かフランス語が話せると、さらに世界が広がり、出来る仕事も多くなると思います。 もうじき日本でスペイン語学習ブームが来ると思いますヨ。 スペイン語のウェーブをひしひしと感じます!キテマス!(笑) そしたら、ラテンアメリカに行く日本人の若者も増えてくるかな~。
2010年06月27日
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前回続きです☆私はカトリック国のスペインに住んで、スペイン人たちが日本人に比べていちじるしく嫉妬心が少ないことに驚いたのです。そして、彼らはカトリック教徒なのでその信仰心からくるものだと思われるゆるぎない「自信」がみんなあるのですよ。これはユダヤ教徒のユダヤ人も、同じだと思います。信仰心からくる自信が強いのですよね。それで彼らは多くの日本人のような「劣等感」がないのです。「嫉妬心がない」=「自信がある」=「劣等感がない」ということで、この3つは関連性があってつながっていて、表裏一体です。スペインのようにみんなが劣等感と嫉妬心がなくて自信がある人々ばかりという社会の中では、言葉をオブラートに包んで婉曲に角が立たないように言う必要が全くなくて、ストレートにそのまま事実を言います。何か言った言葉によって誰かが嫉妬して落ち込んで傷つくような状況がないからなのです。スペインにはそういう、誰かが言った言葉とか事実に反応して勝手に自分の劣等感を刺激されて落ち込むような人がいないも同然なのです。それが、日本から行った私がビックリしたことです。そのため、日本では決して言ったらいけないようなことでも、彼らはごく普通に言います。気にしていないのですよ。前回書きましたエピソードもそうです。「インテリ」と「インテリでない」のを、ただ単にそれぞれの個性と捉えていて、差別をしていないからですね。「インテリ」も「インテリでない」も、その事実をただの事実として、そのままありのままで受け入れるからです。インテリもただの事実で、単なる個性なのだから、そのままの姿でそこにいても良いのです。誰かがインテリだとしても、才能があったとしても、スペイン人はそれに対して嫉妬しないのです。神様が「インテリ」も「才能」もお与えになっているのだから、そのままの姿でいていいのですよ~!日本だと、何でも優劣をつけてみたり、他人と勝ち負けを意識したりしてしまう風土なので、「インテリ」という事実に対しても、もし自分がインテリでないという意識があれば嫉妬心をおこしてしまうのでしょうね。だから、他人がもし劣等感を抱えているのならそれを刺激しないように、言葉をオブラートにくるんで表現するのでしょう。「出る杭は打たれる」という恐ろしい言葉が日本語にはありますから。恥ずかしながら。スペイン語にはこんな言葉が無いです。 インテリということだけではなく、例えば、日本では言ってはいけないようなことで、他にも彼らはいろんなことをストレートに言葉で言います。それでもみんな平気なのですよ。これが彼らにとって当たり前の姿なのです。例えば、日本では、優劣とか成熟&未熟とか、そういうことに対しても何も言わないようにしたほうが角が立たないから生きやすいという空気がありますよね。そういうこともスペインでは、みんな普通に口にするのですよ。優劣や、成熟未熟についても、それをそのまま「ただの事実」としてそのままの姿で受け取るのですよね。日本人はついつい、優劣にしても「優」が良くて「劣」が悪い、とか、「成熟」が良くて「未熟」が悪いというふうに反射的に捉えてしまうようです。でもスペイン人たちは、「劣」ならこれからまだまだ練習して頑張って上手くなろう!「優」の人を見習おう!というふうにとらえているのですよ。自分が今「未熟」なら、頑張って「成熟」している人を見習って自分も成熟を目指そう!ととらえるのです。だから、「未熟」ということを指摘されたりして分かっても何とも落ち込まず、それをただ単に自分の事実としてとらえているのです。光と陰の両方があることを、そのままでとらえているから、光側の「優」や「成熟」に対して全く嫉妬しないのですよね。彼らを観察してみて、これらの冷静に事実をとらえる様子、キズつかない精神の強さ、劣等感と嫉妬心のなさは、宗教からくる「自信」があるからだろうな~と気がつきました。日本人が、嫉妬心が強い人と劣等感がある人が多いのは、スペイン人やユダヤ人みたいな宗教の信仰心がないから、自信がないことが原因だろうなと思います。宗教を信仰することは生きていきやすい方法ですが、それ以外でもそれと同じような「自信」を自分の中に作って劣等感と嫉妬心を持たないことはきっと可能だと思います。・・・とここまで理解が進んだのだから、その方法を考えるゴールは近い!!!と思います☆自信を持って、劣等感と嫉妬心をなくす方法。ちょっと待ってて下さいネ☆ 乞うご期待!!!その1つとして、「親の育て方」と「家庭ごとに先祖代々続く環境の遺伝」が大きいでしょうね。普段私は、もう海外にでて長いですし、スペイン人やアメリカ人の中にいるときは、ストレートに言葉を言っています。でもぜんぜん大丈夫で、むしろそれで彼らにとっては普通です~。私はこれでも、日本人に日本語で書いたり言ったりするときは、スペイン語や英語を使うときよりも言葉にオブラートをかけてやさしく表現するようにしていますヨ(笑)。(←それでもか~!)
2009年11月30日
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ニューヨークはけっこう寒くなってきました☆昨日なんて風がすごく強かったです~☆私は今日は家で仕事をしていたので、ずっと家の中にいました☆ あとでちょっと近所のデリかなにかに散歩に行こうかな~と思います。さて、前回少し書きましたブラックフライデーは、毎年アメリカでサンクスギビングデーの翌日に行われる大バーゲンなのですが、朝の5時台とか6時台からお店がオープンしてスタートします。この習慣はきっと感謝祭にちなんで、「日頃のご愛好を感謝する大セール」なのかな~と思います。なぜか1年のうちこの1日だけ、家具などの大型日用品が一斉に半額とかになるのですよ~。そして、この日だけはどの店も黒字になるので、「ブラックフライデー」と呼ばれるようですヨ☆お店にとっても在庫がはけるし、助かるのでしょうね。面白いアメリカの習慣の1つです☆さて、「嫉妬心が全く無い状態」になるために効果的なものの価値観は、クリスチャンやユダヤ教徒の人達の宗教観からくる自信が、無宗教(多宗教)の日本人にとって参考になるな~と気がつきました。今日はそれについてちょっと書いてみますネ☆嫉妬心がある人の原因は、「自信がない」からということだと思います。他人の良い面を単純にうらやましがることが出来るというのは、自分の中の自信が乏しいからなのでしょう。私がスペインに住んでいた時に感じたことは、スペインはカトリック国なので、先祖代々みなさまカトリック教徒で、その価値観が根付いていて、環境の遺伝で考え方まで子孫に受け継がれていっています。そして、彼らカトリック教徒は、なんだか当たり前のように「自信」があって、それがぐらつかないのですよ、ちゃんと円満な家庭に育った大抵の人々は。もちろんカトリック国にも例外があって、複雑な家庭で育った人は精神的にトラウマをたくさん抱えてアダルトチルドレンになっていくので、当てはまらないケースもごく一部でありますけれど。ここでは、大抵のスペイン人のことを書いてみます。たいていのスペイン人たちはカトリック=神に守られている、という信仰心からくるものだと思われるゆるぎない自信があるので、そういう人達が当たり前でごく普通の世界の中では、人々は自分が思ったことや考えていることをごく普通に表現しています。みんなのびのびしていて、好きなことを言ったりやったりしていて、日本から行った私はビックリしてカルチャーショックを受けましたよ~。「そんなこと日本で言ったら、たたかれるで~!」というような内容でも、彼らは平気で言うのですよ~。それで周りもそのまま、ありのままで受け止めて、何とも気にしていないのですよね。そして自分と他人のことを比べないし、うらやましいとも思わないので、嫉妬しないのです、彼らは。前にも書いたことがありますが、カトリックでは、「魔界の悪魔は、自分になくて他人が持っているものを欲しがる」ということが特徴だと教えています。だからカトリックは嫉妬しないのですよね。例えば、私が驚いた出来事のなかには、現地で私に親切に助けてくださったスペイン人女性の方が、「あなたは、一緒に住むにはインテリが良いわよ。任せなさい! インテリを紹介してあげる!」とおっしゃって、アーティストである私を一緒に住まわせて下さるインテリ家庭を紹介してくださったのです。(ヨーロッパの上流階級の人々は、未だに伝統的に、若いアーティストを助ける風習があるのですよ。)これはスペイン上陸後半年くらいの出来事だったので、こんなにはっきりと言うスペイン人達のことを、面食らって驚いてしまいました。この出来事も、ポット出版から出しました私の一冊目の本の「マヨルカ島のゲイ友達」にも少し書いています。日本から日本の価値観のままで現地に行った私は、「ええ~!”あなたには、一緒に住むにはインテリのほうが良い”とか、そんなにはっきり言うなんて!」と驚いたわけです。日本だったら、「インテリのほうが合っている」のようなこんなことは言ってはいけないことだと思います。実際にもし日本の中でこんなことを言ったら、ひんしゅくを買うでしょう。でも、彼らスペイン人は、これだけでなく何事でもそうですが、日本人みたいに言葉をオブラートに包まずに、ダイレクトにそのまま言います。「事実」を淡々とそのまま言うのですよ。逆に日本人みたいに事実をオブラートにくるんで角が立たないようにして婉曲に表現するほうが、彼らスペイン人にとっては信じられないようなことなのですよ。これは、宗教観と文化と言語構造の違いが関係していることだと思いますが、「事実」はそのままの姿で自分も周りも受け入れるもので、その方が自然、それを受け入れられない人は嫉妬深くてひねくれている、というふうにとらえているのですね。そして、日本人にとっては、例えば「インテリ」という言葉の意味と価値観を、「良い」「悪い」でとらえてしまったり、人と自分と比べて嫉妬したりしてしまいがちですよね。「インテリ」が良くて、「インテリじゃない」のが悪いみたいにネガティブに受け取ってしまうのでしょう。でもそれはよく考えると、自分が自分の中で思っている「自分はインテリじゃないから劣っている」みたいな傷になっている価値観が、「インテリのほうが合っている」という言葉に反応してしまって、落ち込んだりムカついたり嫉妬してしまうだけのことなのですよね。だから、逆に言うと、日本人のほうが、「インテリ」と「インテリでない」のを区別してポジ&ネガでとらえてしまっているから、そういうことは言わないような空気になっているのでしょう。よく考えると、「インテリ」も「インテリでない」のも神が創ったのだから、ありのままの姿でそこにいて良いのですよね。そして、それは単にそれぞれの「個性」なのであって、どちらが優れているとか劣っているとかは無いですから。だから、この点ではスペイン人を見習って、私たち日本人も、「周りの優れていると感じるものでもありのままで受け入れると気にならなくなり、嫉妬心がなくなる」のだと思います。カトリックの人達は、自分は神に守られているしみんなも神に守られている、という価値観が当たり前のように強くあるので、「自信」があります。それが普通の状態です。だから、「もしこれを言ったら、周りの誰かが傷つくかもしれないから言わない」という気を使う言葉の選び方は、日本人のようにはしないのです。日本人は多神教ではあるけれども、無宗教みたいなものなので、自分のアイデンティティーを築きにくいのかもしれませんね。だから周りに反応してしまって、嫉妬したり落ち込んだりする人やうつ病が多いのでしょう。カトリックとか特定の宗教の信者として生きるほうが、精神的にはうんと楽に生きていきやすいのだと思います。そして、ユダヤ教の十戒とか、キリスト教の大罪とかは、「しないほうが良い」ということを禁止事項として、きっとキリストも親切で民衆に教えてくれていたのだと感じています。どうしてこのような「しないほうが良い」ことをしなければ幸せになれますとキリストたちが説いたのかというと、「そのほうが人生を進めていって将来的に罪悪感を抱えなくて済み、明るくのんびりした平安な気持ちで生きていけるから」ということだと思います。人間はみんな神の子なのだと思うので、何かネガティブなことをしても心の底に罪悪感というしこりが残るのは当たり前なのです。自分の心の奥底、潜在意識の中には、「ああ、しなければよかったな」という罪悪感というものが、自然に宇宙の光と闇のことを本能で知っているからこそ沸いてくるのだと思うのです。宇宙には「光」と「闇」の両方があるので。サイババも「闇から光へ!」向うようにと説いていらっしゃいますよね。だから、キリストはそれを簡単に説明するために、「しないほうが良いこと」をしないようにすれば、罪悪感を抱えることなくずっと平安に生きていくことができるから精神が楽になります、ということを教えようとしていたのだと感じます。だからカトリックの人々は、毎日毎日を生まれたときからこのように過ごしてきているので、それは心の中に闇(=罪悪感)を作らないようにする生き方でもあるため、大人になると「自信」が強くなるのでしょう。「罪悪感の原因になるような負のカルマを積む行動をしないほうが良い」という生き方は、続けると人生のあとの方がどんどん楽になってくるのですよ。最初から罪悪感を作らないように生きることは精神が楽になるので、余力ができてきて、他のやりたいこともできるようになるのだと思います。そしてそれまでの自分の人生を振り返って、神に守られているという実感と供に自信がゆるぎなくなってくるのでしょうね。確かに「不倫や離婚」など、霊的には「しないほうが良いこと」というのはあるので、それを知って実践するだけでも、あとあとが楽になると思いますヨ☆モーゼもキリストも、禁止を作って人々に罪悪感を植え付けて支配しようとしていたのではないと思いますし、その反対に「親切心で」教えてあげていたのだと感じます。これらの事実も、それぞれの言葉の受け取り方の問題なのでしょうね~。
2009年11月29日
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ここのところ最近、ちょっと重いネタが多かったので、今日は軽い内容を一発☆☆☆昨年末に帰国したときに、そこであのベタな紅白歌合戦を拝見しました。紅白を観たのは、いったい何年ぶりのことでしょうか・・・。そこで森進一が登場して歌っているのを見た瞬間に、「あれ?この歌い方、どこかで見たような・・・」と、脳裏で記憶を探した次の瞬間、「あっ! フラメンコ歌手(カンタオール)と全く同じだっっ!」と気がつきました☆それをポツリと言った時には、周囲は爆笑しましたよ☆☆☆そのときに森進一の歌っている様子、顔の筋肉の動かし方、特に口角の両端とかこめかみとか眉毛とか・・・そういう動かし方から表情から何から何まで全くそっくり!!!しみじみした表情も。歌うときに空中を両手でつかむところも。こぶしを握るところも。歌うときに力を込めるから少し前かがみになるところも。ゆれ方も!!!苦しみの表情も。哀愁も!!!!!ふだん話す時のしゃがれ声も!!!もだえるような歌い方は、まさにフラメンコそのものです☆そういえば髪型も。アミーゴっぽい顔立ちも!!!小柄で細身の体格もっ!細身でスソが短めのパンタロン(死語)まで!!! (・・・ちなみにスペイン語でズボンはパンタローネスと言います。。。)服の好みまでおんなじ~!!!もう~、全部そっくり!!!!フラメンコ歌手と同じじゃないかあああああ! と、気がつきましたよ☆☆☆フラメンコ界の歴史的巨匠で、カマロンというカンタオールがいるのですが、森進一とカマロンの生前の様子が重なりましたよ~☆カマロンは92年に永眠したのですが、私がスペインに在住時にも何度もカマロンが歌っている映像がテレビに登場し続けていたほど、大スターだったようです。スペインに住んでいた時は、毎週"Algo Mas Que Flamenco"(アルゴ・マス・ケ・フラメンコ)というフラメンコ番組をいつも楽しみに拝見していたのです。それには毎週フラメンコ歌手やギタリストやダンサーたちが登場して、フラメンコを繰り広げる迫力満点の番組です☆そういうわけで、私はフラメンコの映像をたくさん観ていたわけです☆☆☆森進一はデビュー当時からすでにフラメンコ歌手みたいなそっくりな歌い方をしていたのですから、驚きです☆☆☆きっと当時はまだフラメンコ歌手の歌っている映像など情報が日本に入ってきていたとは思えませんし、無意識で全く同じ歌い方を、しかも10代とか20代前半でマスターしていたということなので、信じられないことです~。森進一は前世がきっとフラメンコ歌手だったに違いありません!!!・・・そうじゃないと、普通に日本でフラメンコの情報が無い時代に育って、自然にフラメンコ歌手そっくりな歌い方を20歳そこそこでマスターしていたなんて、ありえない話ですし説明がつきませんよおおおおお~!しかも! 相当なレベルまで、フラメンコの歌唱法を自然にマスターしていますから。日本で森進一のように歌う歌手の方は、他に知らないですし。独断と偏見ですが(笑)、絶対に森進一は前世でスペインのアンダルシア地方のセビージャあたりの、アミーゴなフラメンコ歌手だったに違いありません☆☆☆Camaron de la IslaCamaron森進一おふくろさん(ohukurosan)番外編コロッケ ものまね 森進一おふくろさん
2009年05月19日
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私は海外に出て向こうで生活して12年半以上が過ぎました☆スペインにちょうど6年、ニューヨークに引っ越してきて6年半が過ぎたわけです。現在もニューヨークを中心に生活して仕事をしています。その間、さまざまな人種の方に出会いました。そして、外国人の方々にも親友ができていきました。そういう経験で気がついたことが一つあるのですが、「嫉妬心が全く無くて、他人の幸せを自分のことのように喜べる人」というものは、日本人よりも欧米人のほうが圧倒的に割合が多かった☆ということです。これは、文化的背景、宗教的背景、社会の成熟度などが関係している複雑な現象だと思います。狩猟民族と農耕民族に違いもあると思います。個人と村社会の違いもあるでしょう。世界では、「日本は成功した社会主義国だ」と言われています。ヨーロッパもアメリカも、「格差はあるものだ」ということをそのまま「格差も人の個性の一部」として受け入れているからかなと考えたことがあります。ヨーロッパはもともと、貴族階級社会なわけですから。格差はいろいろな意味であるものなのです。それが自然な姿です。(もちろんその後、社会をより住みやすくするために、機会均等と貧困層をなくすために、近代経済学が発達してきたのです。)だから、人にも個性や格差があるものなのだから、それに対して自分と人と比べていちいち嫉妬心を持つほうが間違っている見苦しいことだ、という意識が欧米では強いのかなあと感じました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私自身にとっての「友人」というものは、「嫉妬心を全く持たない」ということと、「相手の幸せや成功や才能を、自分のことのように心の底から嬉しく思い、喜びを分かち合う関係」だととらえています。これは、「友人」に限らず、「恋愛」「結婚」「知人」の関係にも当てはまることだと思います。特に結婚関係のように人間関係が濃密なときには、「嫉妬心」というものがあるとその関係が致命的に壊れる方向に作用していってしまいますから。男性でも女性でも、嫉妬心があるとそれは本当に損な性分です。友人も作りにくくなってしまいますし、せっかくの関係を壊していってしまいます。人間関係に亀裂が入ると、それは長い目で見て他のチャンスも失っていってしまうということにつながります。たとえば男性は、「女の人に負けたくない!」という意識が強い方も多いので、そういう意識が妻の成功や才能に嫉妬する方向に出てしまって離婚するケースも多く見てきました。心の底にある嫉妬心と劣等感が原因です。女性も同じく、「このバカ男!」とご自分のご主人を心の中でバカにして見下げていてご主人と張り合ってしまうケースも、ご本人の心の底にある嫉妬心と劣等感が原因なのです。こういうケースは、今まで私が見てきた離婚した人々の原因のほとんど99%でした。子供がいるのに離婚するのは、私はおすすめしません。不倫もおすすめしません。理由はこれまでに何度か書いてきたとおり、霊的な背景やご先祖からの霊統と子孫への負のカルマのためです。短絡的な理由で書いてきたわけではないですから。友人関係や恋愛&結婚関係でも、長く続く人間関係というものはとても大事なことだと思います。真の友人&伴侶とは、「相手の幸せと成功と才能を、自分のことのように喜べる関係」だとつくづく思います。それには、自分の中に嫉妬心がほんの少しでもあると、決して成り立たないことです。ユダヤ人の友人たちが常に言っている言葉に、「みじめな人々は、同じようなみじめな境遇の人同士で、集まって群れる」ということがあります。みじめな人はみじめではない人の側にいると自分のみじめさが浮き彫りになって嫉妬心が沸いてきてしまうから、みじめな人としか仲良くできないため、みじめな人同士で群れる、ということだそうです。だからこそ、私のユダヤ人の友人は、他人に幸せや良いことがあると自分のことのように常に喜べる性格のままで保ちたい、と言っています☆なるほど、この言葉(彼らのことわざのようなもの)とその解説を教えていただいて、感心しました。こういうみじめな人同士で群れている状態も、心の底にそれぞれが嫉妬心を抱えているままでの付き合いなので、魂同士が親しい関係にはなれないでしょう。「嫉妬心」というものは、魂同士に壁を作ってしまう原因になり、人間関係が親しくなることを邪魔してしまうのです。・・・そう言うと、「人間なんだから嫉妬心があるのは仕方がない」とか、「人間は嫉妬心があるものなのだ」という反論もあることでしょう。それも十分に想定済みです。ほとんどの地球上に存在している人間は、嫉妬心があるということなのでしょう。もしそうだとしたら、ほとんど全員が嫉妬心があるのが普通だとしたら、だからこそ全く嫉妬心が無い人を見つけたら、それは砂浜の中から一粒のダイヤモンドの原石を見つけたくらいの奇跡だと思えるし、その人をかけがえのない人物として末永くお付き合いを続けていくことができるでしょう。「全く嫉妬心が無い人」というものは、少ないですが実際に私の周りにも何名かいます。日本人にもいらっしゃいますし、数は欧米人のほうが圧倒的に多いです。そういう友人はかけがえのない存在なので、長続きしてきていますね。嫉妬心を抱くと、それが原因で、貴重な有益な人間関係を失ってしまうことにつながるので、なるべく、自分で意識を上に保つ努力をし続けて、改善していくほうが人生がよりチャンスに満ちて開けてくることと思います。
2009年05月05日
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スペイン語で、笑ったものは、その単語の”音”がかわいいな~!と思ってほほえましかったものも結構たくさんあります☆スペイン語の響きって、かわいいものが多いな~と思います。例えば、”スーパーマン”は、スーペル・オンブレSuper Hombre と書きます。Hombre オンブレ が、男 という意味です。 ちなみにスペイン語は、Hは発音しません。スーペル・オンブレ と聞いた日には、”・・・ううむ、なんだか、あまり強くなさそうな雰囲気に聞こえるなあ。”とずっこけましたよ☆響きがかわいいな☆と。似たものでは、スーパー・マーケットは、スーペル・メルカード と言います。Super Mercado と書きます。メルカードは、市場という意味です。これも初めて聞いたときは、”なんか可愛い響きだな~!”と思いました☆童話の”赤ずきんちゃん”は、カペルシータ・ロッハ。Caperucita Roja と書きます。Roja は、赤い という形容詞の女性形です。ロは巻き舌で発音します♪ 前の単語のずきんちゃんに係っています。これも、私は初めて聞いたときは、”なんか、可愛い音だな~!”と思いました☆
2008年10月17日
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スペイン語は巻き舌以外はローマ字読みで発音するので、日本語と音は同じとか似たような音で全然違う意味の単語が多いです~の続き☆前に書き込みました、”コモド”の続きです☆”ヘニオ(Genio)”という単語があるのですが、これは、天才(の男性形)です。(天才の女性形は、ヘニア Genia。スペイン語は、名詞、形容詞とも、男性形と女性形があります。)・・・これを聞くと、日本人の私は、”へに男”とか、”へに雄”・・・という、”お”で終わるなんか日本の男性の名前のように連想してしまっていました~♪そして、”コモド”の件で、日本から来た友人に爆笑された時に、追い討ちをかけるように、またまた続けてボケてしまいました~。”ねえ、それからまだあるんだけど、もしも将来、自分の子供に、”ヘニ男(へにお)”という名前をつけたら、やっぱりグレるだろうねえ。。。”・・・と言うと、やっぱり大受けで、爆笑していました♪
2008年10月15日
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スペイン人の友人達としゃべっていると、彼らは彼らなりに、スペイン語なまりで英語を使っているのをよく耳にしました☆スペイン語なまりの英語って、結構、かわいいのですよ~☆☆☆例えば・・・最初にスペインに初めて上陸した時に、空港で聞いたアナウンスにビックリしました~。スペイン語と英語と両方で交互にアナウンスしているのですが、その彼らの英語が、なんだか巻き舌っぽくて、どう聞いてもスペイン語みたいに聞こえるんですよ~。例えば、ナンバー1 を、”ヌンベルワン”みたいに。これには、行ってそうそう、ずっこけましたね~。・・・と同時に、「な~んだ、外国人が外国語しゃべってるんだから、別になまっててもいいんだよな~。だって、英語が流暢とされている職業の空港の人達だって、なまっているんだから。」・・・と、ホッとしましたよ☆別に、ビビらなくてもいいんだ~!と気が楽になりました☆他にも色々あります。笑ったものは、「バーガーキング」は、ブルゲルキング「ウォーホル」は、ワルホル「シェイクスピア」は、シャケスペレ「イースト・ビレッジ」は、イースト・ビラジ・・・などなどかなあ?これ全部、友達同士の会話で出て来た時に、最初は全然意味が通じなくて、分からなかったものなのです。全部実話です♪「僕は、ワルホル好きなんだ!」・・・って言われても。「はい? 誰? それ?・・・」「アンディ・ワルホルだよ~!」「・・・ああ! アンディー・ウォーホルのこと?」「私、シャケスペレ好きなんだ! 知ってる?」「いや、知らない。誰?それ?」「え~? シャケスペレ知らないの? イギリスの文豪だよ~! マクベスとか。」「ああ!シェイクスピアのことおおおお? やっと意味が分かったよ! それなら知ってるよ~!」・・・そして、スペインの友人がニューヨークに滞在中に会う約束をしたときに、「イースト・ビラジの**で、待ち合わせようか?」「イースト・ビラジって、どこ?」「イースト・ビラジだよ、ビラジ!」「ああ~! イースト・ビレッジのことおおお? やっと意味が分かったよ。ビラジって、スペイン語なまりだよおおおおおおお!」・・・・このような、数々の体験をしてきました☆外国人が外国語を話ししていて、なまっていても全然大丈夫だし、構わないのですよ~!スペイン語なまりもO.K.ということは、日本語なまりでも全然O.K.なのだとワタクシは思います。それでも通じるし、普通に生きていけますから。ですから、日本に住んでいる皆様も、英語やスペイン語など、外国語を習得しようとする時に、最初から気合を入れてビビらないで、気楽~~に構えて、なまっていてもいいんだ~♪と思ってやり始めたらいいと思います。ナメてかかったほうが、上達が早いと、ワタクシは思います。
2008年10月13日
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スペイン語は、巻き舌以外はローマ字読みでベタベタに発音するので、日本人にとっては耳が慣れやすい言語です☆そのためスペイン語の中には、日本語にも同じ音や似た音で、全然意味の違う言葉があったりして、面白い♪です。例えば、スペイン語の発音=意味の表記で、バカ=乳牛 アホ=にんにくケ(毛)?=何?オラ!(俺ア)=こんにちは!・・・などなどです。友達同士で、なれなれしいくだけきったスペイン語で話す時には、何か聞き逃した時とか、聴こえにくかった時に、”?Que?” (ケ?) と聞き返します。(何?)という意味です。・・・関西弁だと、”何て~?”とか、”何やて?”みたいなニュアンスでしょうか?ケ? だけなんて、短いですよね~! 日本人の私は、それを聞くたびに、”毛???”とイメージしてしまいますう~! (アホ)もちろん、こんなくだけたスペイン語は友達同士だけの会話なので、正しいちゃんとしたスペイン語で、聴こえなかったことを聞き返すときは、”?Perdon?”(ペルドン?)とか聞きます。すみません? とか、ごめんなさい? という意味です。あと、イエス(Yes)は、”Si”(シー)なのですが、これを聞くたびに、これまた日本人の私は、昔実家にいた飼い犬プードルちゃんを散歩に連れて行ったときに、ワンコにオシッコさせるとき、”シーシー”・・・とか私が言っていたのを思い出してしまいます~!そして、スペインに行ったばかりの頃に、よく耳にしていつも別のことを連想してしまった単語で、Comodo(コモド)というのがあるのですが、これは、英語ではカンファタブル(快適な)という意味です。ソファが座り心地が良かったり、お家やカフェ(スペイン語ではバル)が居心地が良かったり、そういう時にスペイン人は、”コモド”をよく使います。想像力豊かなワタクシは、コモドと聞くたびに、なぜか、「子供(こども)」を思い出してしまっていました~♪それで、つい、スペインに友人が来たときに、「・・・ねえ、もしも、将来、自分の子供に”コモド”っていう名前を付けたら、グレるだろうねえ?」・・・などとアホなことを言ってしまったことがあり、そのときは、大受けでしたよ。「・・・コモドっていう子供??? あんた、ソファーやないねんからああああ!」
2008年10月10日
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2005年10月12日発行分 公開アーティスト・ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol. 48 10/12/05 (水) 発行 皆様、こんにちは。お元気ですか?季節の変わり目なので、お体にはくれぐれもお気をつけ下さい。 日本と、アメリカやスペインの、表現や仕事の進め方の違いについて、前回2回にわたって書いたところ、反響が大きかったです。日本にずっと住んでいるとその中の習慣や表現が普通だと思いがちなので、外国の常識を改めて文章化したものを読んで、「はっ」と気づいて考え直すきっかけになったのでしょうね。 ボーダーレスの国際化が進んできて、日本人の若者がどんどん海外に出て行くのはありふれたことになっていますが、外国に行っても、意識が日本の中にいた頃と同じ状態のままだと、現地で外国人の中に入っていって対等に仕事を進めていけません。外国に出ていても日本人の中で仕事をしている人なら問題ないですが、そうでないならば、自分の意識の日本的な殻を外して国際的にしなければ、可能性が縮まって、ずぶずぶと沈んでいってしまいます。外国に出るならそれにあわせて、意識を変えることが大切だと思います。 読者の一部の人達に対しては、お役に立てた様子で、嬉しいです。これからも、疑問や感想など、何でも嬉しいので、ご遠慮なくお便りを下さい。大歓迎です。お待ちしています。「コンテンツとスキル重視の時代到来の兆し!」1*日本の25歳以下の後輩たちへ 私はまだまだ、「こんなことを書いたら、落ち込んでキズつく人がいるかなあ」なんて考えがよぎって、あまりきついことは書けませんね。しかし、自分の意見を公に書くということは、共感する人もでるけれど、反感を持つ人もでるのは当たり前のことなのですよね。 それでもあえて自分の意見を書きたいという理由は、私は日本の若い後輩たちへ、彼らに目覚めてもらうためにメッセージを送りたいからなのです。もうすでに脳みそが固まってしまっているトラウマだらけの人達は遅いので、それよりももっと若い世代の人々に、元気を出して伸び伸びと才能を伸ばして欲しいのです。それが、沈んできている日本の再生の道だと信じているからです。 日本の後輩たちにどんどん目覚めてもらうために、10代や20代前半の人達でポテンシャルが高い人達を見つけるたびに、私は力強く励まし続けています。それが、私が身の周りで出来る小さな人助けです。これは、この先もずっと続けていこうと思っています。 日本の、「若い芽は摘む」という言葉は、間違った習慣だと考えているからです。この言葉は、無能な人でも若い芽を摘んで、若い人にチャンスを与えないようにしておけば、自分が生き残っていくことができるというやり方を、一言で言い表したものなのです。つまり、日本人で無能だけれども権力を持ってしまった人は、能力の高い若い人に下手にチャンスを与えると自分の無能さがばれてしまって自分の仕事のチャンスを失ってしまうので、それを防いで自分がぬくぬくと生き残れるように、若い優秀な人にチャンスを与えないようにしていくのですね。 日本の社会のこういう習慣は、かなり昔から続いているそうですね。日本は、今まで、一種の社会主義国に近い状況なのではないかと、私は直感で感じています。若い優秀な人にチャンスが与えられないという場所は、まさに、社会主義国ではないですか。 今までの日本では、どんな若い人だったらチャンスが与えられてきたかというと、「丁稚奉公」型と、「たたき上げ」型です。仕事の出来や才能や成果よりも、その道一筋でもくもくと、エネルギーを注いで一生懸命がんばっているというパフォーマンスを見せ付けることの方が大事だったのです。一生懸命がんばっているんだという姿を見せ付けなければ、誰か大先輩に引っ張り上げていただいてチャンスを与えてもらえることはありえないのですね。だから、様子を伺いながら、一生懸命さをアピールして、ひたすらチャンスを待って、やりたいことも犠牲にしなければなりませんでした。江戸時代以降の百姓根性が、何百年もずっとそのまま残ってきていたのですね。 でも、このやり方や風習では、これからの日本の再生は、とても難しいと私は危機感を持っています。もっともっと、優秀で実力のある若者に、チャンスをどんどん与えていかなければなりません。実力主義になっていけば、日本は再生すると信じています。*国際的になりましょう 前回の私のメルマガで次のようなことを書きました。「とても日本的な、本音と建前を分けて波風立てないように自分を押さえ込むタイプの人は、アメリカやヨーロッパの生活には、あまり向いていないということです。このようなタイプの人は、本来ならば日本にいるほうが向いているだろうし、アメリカに住んでいても仕事をするなら日本人の中でやるほうが合っているということだと思います。そうでなければ、本人も気疲れしてしまうし、相手のアメリカ人(ヨーロッパ人)も気疲れさせてしまいます。」 その前にも、私の著作やメルマガの中で、何度も、「出る杭は打たれるという言葉は、日本独特のもので、スペインにはそんな言葉は無い」ということについて、詳しく述べました。何年も前から、繰り返し、私はこれについて書いて、日本の後輩たちに目覚めてもらうために、彼らに知らせようと思って、試みてきました。 国際人とは、グローバルスタンダード(世界水準)の考え方と価値観を身につけ、外国人に混じって対等に仕事をしていくことが出来る人のことだと思います。この場合、語学力よりもその人の考え方と価値観、頭の中身とキャラクターのほうが、重要です。語学力を磨くだけでは、あまり意味がありませんし、外国人の恋人とつるんでいるだけでも意味が無いです。外国人の恋人とつるむことだけでは、国際的とは言いません。やはり、外国人と対等に意見を交し合って、日本人社会の中でつるむのではなくて外国人とも仕事をやっていける人こそが、国際人だと思います。日本の後輩たちには、国際人になっていって欲しいと思います。 そのためには、意思表示をはっきりして、自分の意見を述べることが重要ですね。そうすれば、仕事相手として、外国で仲間に入れてもらえると思います。 今回、私が、私以外7人全員アメリカ人の世界水準のジャズ・ミュージシャン達とバンドを組んで、音楽を録音できた経験から、そのように学びました。もしも、私が、日本人的に縮こまっていたら、彼らは認めてくれなかっただろうし、参加してくれなかっただろうと思います。アメリカに来る前に、6年間スペインに一人で住んでいたので、その時に色々学んで、知らないうちに国際的になっていたのだと気付きました。* 丁稚奉公型、たたき上げ型が無意識下であせりだした日本の様子 最近のお便りや友人からの相談を見ていて、日本の社会の枠がくずれはじめ、時代が変わってきている様子を、肌で感じています。 何が起こっているかというと、「スキルとコンテンツ重視の時代」に変わってきているのです。 私の周りで、今まで私と同じように、ずっと勉強を続けて才能や能力を磨き上げてきた友人達が、日本でどんどん信じられない抜擢をされて、それこそごぼう抜きの飛び級で、ありえない速度で若くして出世し始めているのです。丁稚奉公型やたたき上げ型の人々を通り越して、いきなり、彼らの上司になったり、大きな会社で一番偉い人として抜擢されるケースなどが、ここ数ヶ月ずっと、続いているのです。おかしいです。確率論からいって、そんなに何人も続出することは、ありえません。 最初は、昔からの友人が、出世したニュースを聞いて、「よかったね!おめでとう!」と一緒になって喜んでいましたが、それがまた一人、さらにまた一人と続くと、「これは、日本の時代が変わってきているんだ、今はカオスの状況だ! 何かが起こっている」と気付きました。そんなわけで、はたと気付いた私は、昔からの友人で、霊体のポテンシャルが高かった人々を思い浮かべて、彼らの名前をグーグルで検索し始めました。すると、みんな、出世しているではありませんか! 中には国会議員になっている人もいました。まだ若いのにありえない話しです。一昔前では、考えられない状況になってきています。多くの私の友人達が、飛び級出世状態です。 カオスです。そうして、数日前、ある友人から悩みの相談を受けました。彼はずっと留学して学問を積んできたので、日本に帰国していきなり取締役になったのですが、たたき上げ型の人々から嫌味をねちねちと言われ続けているらしいのです。なぜなら、彼は勉強を長く続けたお陰で、人がちょっとやそっとでは追いつかないくらいの知識と能力を蓄えているからで、スキルの実力が抜きん出ているからなのです。たたき上げの人達が毎日いろんなことを犠牲にして働き続けている間に、彼は、自分の勉強に集中して、好きなだけ思う存分に能力と知識を伸ばしたのだから、即戦力となる高いスキルがあるために、会社は彼を抜擢したのです。彼は人を使う側になったので、使われる側になった彼の友人は、急に嫉妬心から嫌味を言ってくるようになってしまったといっていました。「そんな、卑屈で嫉妬心の強い人達の言うことなんか、無視して、元気を出してがんばって!」と、私は励まし続けています。ここで、彼はへこたれてはいけません。「へこんでいるひまがあったら、どんどん仕事で結果を出して、優秀さを発揮して!」と勇気付けています。 今までだったら、飛び越して急に出世するということは、日本ではありえなかったことですね。優秀で能力が高くても、チャンスさえ与えられませんでした。それが、今になってなぜ、優秀な人々が抜擢されてだんだんチャンスが与えられるようになっているかというと、すぐに結果を出せる優秀な人に活躍してもらわなければ、会社の存続が危うい、経済が下降気味のカオスの状況だからです。 少子化で、財源が減ってきていることも影響して、結果重視の、アメリカのような実力主義に、日本も変わってき始めているのですね。今までのように、「実力がさほどではないけど一生懸命にやってますぅ~パフォーマンスのみで生き残る方法」が通用しなくなってきているので、丁稚奉公型やたたき上げ型の人々が、「追い越されてしまう、やばい、有能な人にチャンスを奪われてしまう!」と、あせりはじめているから、優秀で急激に出世した人を、たたくのですね。なせ、彼らは自分が能力を高めることではなく、優秀な人をたたく方向にエネルギーが向かうのか、それは、自分の人生が上手くいっていなくて満足していないので、自信が無いからです。 日本では、この先、まだまだこの混乱は続くでしょうし、急激に出世した優秀な人々を、たたき上げ型と丁稚奉公型が、ねちねちと嫌味を言ってたたいて足を引っ張るという現象が、もっともっと続いていってしまうでしょう。しかし、次の時代へ生まれ変わるための、膿だと思うので、次の日本を再生させる役割の優秀な人達は、そういう風当たりに、決してへこたれないで下さい! 優秀な人をたたく、嫉妬心を持っている卑屈な人は、放っておいても、ちゃんと宇宙からしっぺ返しが来ますので、そんな卑屈人なんて余裕を持って無視して、自分の道を突き進んでください! 日本が沈んできてしまっている今の時代だからこそ、私はそんな人達を応援します! これからの日本は、頭の中身(コンテンツ)と、スキル重視の、実力主義に変わっていきます。 続きは、また次回!
2007年10月29日
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