文豪のつぶやき

2005.06.17
XML
カテゴリ: 新撰組
岡田以蔵と坂本竜馬の交渉は、土佐勤王党時代に出来上がる。
といっても、竜馬の家は明智光秀の重臣、明智左馬之助の系譜といわれ、しかも同一敷地内の縁戚才谷屋は土佐でも三本指に入る商家。
しかもこの頃には竜馬は、剣道場日根野道場でぬきんでた才能を発揮していたので、先祖が武市の郎党であり、貧乏足軽の岡田以蔵とではおそらく対等の付き合いは出来なかったのではないか。
岡田以蔵は師匠に当たる武市半平太と対等に付き合っている、おぼっちゃま竜馬を羨望のまなざしで見ていたに違いない。
ただ竜馬の性格は決して人を馬鹿にしたり、侮ったりしない。そういう差別意識のなさが、貧乏で身分の低く無教養の暗くて卑屈な性格の岡田以蔵には、土佐勤王党にあって唯一甘えられる存在だったのではないか。
後年、天誅華やかなりし頃、竜馬が師の勝海舟の護衛を岡田以蔵に頼んだ時も、逡巡しながらもこれにしたがっている。なにしろ、開国を説く幕臣勝海舟は当時、尊攘浪士たちからみれば、それこそ天誅の親玉みたいなものである。岡田以蔵にしてみれば自分が最も斬りたい相手であったろう。それをあえて護衛をしたのは差別されることに敏感な岡田以蔵が竜馬に親しみを感じていたからであろう。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2005.06.17 13:11:08
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: