文豪のつぶやき

2005.06.27
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カテゴリ: 新撰組
単なる京都警備だった新撰組が公的に認められた文久三年(1863年)8月18日、新撰組は芹沢鴨を筆頭に御所へ出陣する。
隊旗は赤地に誠の文字を白く染め抜き、浅黄色に袖口を山形にしたダンダラ染羽織、かれらが蛤御門から御所内に入ろうとした時、警備をしていた会津、桑名の藩兵に槍を向けられる。
芹沢は胆力がある。藩兵を一瞥するや、大声で「われわれは会津候お預りの新撰組である。会津候の命によりお花畑にまかり通る。道を開けられたい」
臨戦態勢の状態では、会津兵は気が立っている。槍を持つ兵たちはいつ刺し殺してもおかしくはない。
しかも芹沢らはただの浪士組である。
正規の藩兵から見れば、浮浪ぐらいにしか見えなかったろう。
が、この時の芹沢の態度は堂々としたもので、会津藩兵たちも槍を降ろして、芹沢らを通した。
蛤御門を警備する会津藩兵たちが、このわけのわからない一団を御所内に入れるということは一体どういうことだろう。会津といえば薩摩と並んで、当時最強の軍隊である。それが芹沢の一声でおとなしく槍を下げ、御所内に入れたのである。
芹沢というのはよほどの人物であったことがわかる。やはり大将の器だったのであろう。






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最終更新日  2005.06.27 14:08:49
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