文豪のつぶやき

2005.07.12
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カテゴリ: 新撰組
蛤御門では、来島の隊に児玉、国司信濃の隊が合流し、幕府軍を火のように攻め立てる。会津藩がかろうじて支えているだけであった。
長州兵の形相はすさまじく鬼気をおびている。特に槍を突き入れ突き入れして全身に返り血を浴びている来島又兵衛はまさに鬼神であったろう。
騎乗の武士たちは兵に向かって、ころせころせと叫ぶ。
無論、兵たちも会津兵をこの世に一人も残さない気持ちでいる。
「御所内へ」
長州兵は口々に叫んだ。御所には天皇がいる。天皇をかっさらって長州に動座していただく。その御所が目の前にある。
長州軍の猛攻の前に、さしもの日本屈指の会津兵も崩れ落ちるかと思われたとき、薩摩軍が到着した。
この戦闘するために生まれてきた薩摩隼人はわくわくしただろう。
薩摩藩では、剣の流儀は示現流である。攻撃方法は、背伸びするように上段に構え、相手を右肩から左に斬り下げるか、左肩から右に斬り下げる袈裟斬りしか技がない。もちろん防御もない。

ただ、たいていの場合、最初の一太刀で相手は体が二つに分かれ、肉塊と化した。
すさまじい剣技である。
薩摩兵が北側の乾御門から入ってきた時、来島は目をむいて「薩賊」と叫んだ。
長州兵全員が総毛立ったといっていい。
思えば、一年前の8月18日の政変で長州を京都政界から追い落としたのは薩摩ではないか。しかも、薩摩は長州と同様勤王である。それが京都政界で自分の藩が主導権を握るため佐幕の会津と手を組んだ。これを機に長州は京から撤退し、残った長州系志士も新撰組に見つけ次第殺されてゆく。池田屋はその最たるものであろう。
来島又兵衛は馬首を薩摩軍にむけると、大声で呼ばった。
「薩摩兵をみなごろしにせよ」





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最終更新日  2005.07.12 06:33:29
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