文豪のつぶやき

2005.07.16
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カテゴリ: 新撰組
蛤御門の変の後、大物が新撰組に入隊した。
伊藤甲子太郎である。
伊藤甲子太郎は常陸志筑の出身で、最初水戸で文武の修行している。
当然、勤王主義の水戸学の影響を多分にうけている。後、江戸に出て北辰一刀流を学び免許皆伝をとって道場を開いた。まさに文武両道に秀でた秀才といえよう。
常陸志筑は八千四百石の旗本の領地で、しかも父の代で浪人している。背景を持たないで文武に優れた秀才という意味では、清河八郎とちょっと似ている。こういう才子肌の男は策を好む。
伊東は自らの勤王思想と新撰組の佐幕思想の差を、おのれの才で埋められると思ったのであろう。
伊東にしてみれば新撰組は武骨一辺倒の人斬り集団にしか見えない。
伊東は、あるいは近藤、土方を抹殺し、新撰組を丸抱えして勤王革命軍に看板を変え、盟主になろうとしたのではないか。
背景もなく、いかに高名とはいえたかだか百人程度の道場主でしかない。

伊東はただ両者が攘夷という点で一致するという理由で、門弟ごと新撰組に入隊した。
無論、通常の入隊ではない。一朝事あれば京都の革命軍になる。





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最終更新日  2005.07.16 08:55:55
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