文豪のつぶやき

2005.07.17
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カテゴリ: 新撰組
伊東の入隊を一番敏感に感じていたのは土方歳三であったろう。
伊東が勤王思想の水戸学を学び、北辰一刀流を学んでいるという経歴が土方を警戒させた。
北辰一刀流にはろくな人間がいない、というのが土方の持論であった。
清河八郎、坂本竜馬、みな倒幕論者ではないか。
政治好きな近藤と違って土方は技術者であった。
いかに最強の組織を作るか、そればかりが念頭にあった。そのため組織を、搾りに搾り、締め上げるように作っていった。確かにこれ以上の組織はあるまい。
隊規を局長法度でがちがちにして前にしか進めないようにし、戦法は赤穂浪士の多人数で少数に当たる、という合理的な方法を使い、、かつ規律をフランス軍隊に求めた。
土方の思想といえば、ただ単純にかれの出身である天領の百姓にとって将軍のみが主君であり、将軍を守ること以外にない。
伊東のように、尊い将軍の上にさらに尊い天皇があるという論法は認められない。

元治元年(1864年)10月15日伊東は門弟を連れて江戸を出発、10月27日新撰組に入隊した。
伊東は新撰組に入隊するなりいきなり参謀という、副長土方に次いでの位置を得た。
ひそかに喜んだのは同じ北辰一刀流出身の幹部山南敬助、藤堂平助であったろう。
かれらもいくばくかの勤王思想があり、近藤ら試衛館一派とは意を異にする一抹の寂しさと不安があったに違いない。





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最終更新日  2005.07.17 08:28:52
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