文豪のつぶやき

2005.07.18
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カテゴリ: 新撰組
伊東甲子太郎は結局なすところなく新撰組を去る。
かれが新撰組にいたのは元治元年(1864年)10月27日から慶応三年(1867年)3月20日まで二年五ヶ月。
この間仕事らしい仕事はしていない。逆に勤王側は坂本竜馬、中岡慎太郎による薩長同盟など倒幕が進んでいく。
伊東は所詮、才子でしかなかったろう。
おのれの弁舌で新撰組を乗っとれると信じていたが、ついに叶わなかった。
伊東はやむなく新撰組脱退を決意、慶応三年(1867年)3月10日、薩摩と相謀って御陵衛士を拝命、一朝事にして勤皇側に寝返る。無論新撰組がこれを許すわけはない。
近藤と伊東が決裂した理由は恐らく、伊東が薩長同盟を知っていなくても(当時これを知っていたのは薩長のごく一部の者だけであった)雰囲気が倒幕に向かっているのを察知したからだろう。薩長同盟が成れば倒幕は具体的に進む。伊東には水戸藩に知己が多いし、北辰一刀流筋からも情報が入る。
一方、近藤は、池田屋事件で勲功を認められ、伊東が新撰組加入以降、いっぱしの議論も出来るようになり国士然とするようになり、老中小笠原長行や一橋慶喜ら幕府幹部に評判もいい。
ついに幕府から旗本格として処遇され始めた。

双方の利害が一致したといえよう。
しかし、近藤ら新撰組は平和裡による伊東の脱退を認めるわけにはいかない。
粛清である。





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最終更新日  2005.07.18 05:20:42
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