文豪のつぶやき

2005.08.01
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カテゴリ: 新撰組
大政奉還と王政復古の号令は表裏一体のものであろう。
大政奉還が幕府主導に対し、王政復古の大号令は薩長主導である。
大政奉還どおりになれば、慶喜は数百万石の領地と徳川旗本らをその手に持ちながら、将軍職を放棄する。それはとりもなおさず、諸藩の中で群を抜いての大大名として残ることになる。これは前田の加賀百万石や薩摩の七十余万石、をはるかに上回る。
当然来るべき新政権(明治政権)においては、首座を占めることになる。慶喜の狙いもそれであった。それゆえあっさりと将軍職を放棄した。
慶喜としては老朽化した幕藩体制の将軍としているよりも、新体制の首座のほうがいい。
しかし、薩摩の西郷、大久保、さらに岩倉はこれを許さない。敵を作らねば革命の大義名分が出来ないのである。かれらはなんとしても敵を作ろうとした。
それが徳川慶喜である。
敵を明確にし、断罪し、その上で新政権を発足させたい。敵は幕府であり、慶喜である。そのため慶喜にのみ領地没収を命じた。まことに持って理不尽で強引な手法である。
もちろん受け入れられなければ即、戦争である。慶喜もそこを知り抜いている。だからこの時期、京の二条城を退去し、大阪城に下った。ひたすら事を構えず、恭順するために。

あまりの無理難題に朝廷に強訴することを決めた。
慶応三年十二月の暮れ、幕府は老中松平正質を総督として「討薩表」をもち、京に向かった。朝廷に対する陳情である。しかしただの陳情ではない。兵が動く。大軍が動く。その数16400人。
対する在京の薩摩長州軍は4000人。その差3倍以上である。





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最終更新日  2005.08.01 06:37:35
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