文豪のつぶやき

2005.09.23
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カテゴリ: 新撰組
市村鉄之助は兄剛蔵とともに京における最晩年の新撰組に身を投じたが、兄剛造が鳥羽伏見の敗戦のあと、江戸でさっさと脱退したのに対し、鉄之助は残った。
土方が沖田に似ているといったからだといわれている。
憧れの剣士、沖田総司に似ているといわれた鉄之助はそれだけで感涙した。
それだけで、新撰組のためならばと思った。
16歳の多感な少年である。
鉄之助が江戸にいた時期、沖田総司を介護する機会があった。
鉄之助は沖田に接するにつれ、沖田や土方や新撰組に親しみを感じていったのだろう。
その親しみがかれを五稜郭まで行かせる。
新撰組が江戸から離れた後は、鉄之助は土方の小姓として五稜郭までついていく。

鉄之助は、土方の義兄、佐藤彦五郎を訪ねるとき、乞食に身をやつしていた。
官軍の厳しい目があったからである。
佐藤彦五郎は鉄之助を数年間、かくまいほとぼりが冷めた頃、大垣まで送り届けている。
その後、かれは西南の役の、警視庁隊に応募し戦死している。
この当時、会津をはじめ賊軍と汚名を着せられた旧幕軍が西南の役の征伐に応募している。
かれらは、幕末の仇だと声を上げて参加したが、市村鉄之助の場合はわからない。
市村鉄之助は新撰組の最後の募集に応じたものであり、明治新政府ともさしたる怨恨もない。
あるいは沖田や土方との短くはあったが濃い思い出が、薩軍討伐に参加させたのかもしれない。
沖田に似ている、ただそれだけで市村鉄之助は最後の殉死した新撰組隊士となったのではないか。






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最終更新日  2005.09.23 08:11:19
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