文豪のつぶやき

2005.09.26
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カテゴリ: 新撰組
北海道政府の残る陣地は五稜郭、函館港弁天崎砲台、千代ヶ岡砲台の三ヶ所である。
この千代ヶ岡砲台の台長は中島三郎助という老人である。浦賀奉行所の与力出身で、いわば幕臣である。
与力時代、ペリー来航があり、小船に乗ってペリーに尋問交渉をしている。
その後、幕命で長崎海軍伝習所において射撃、砲台築城、軍艦操練法などを学んでいる。
この千代ヶ岡砲台長の当時は齢49、当時では老人に入る。
中島は、榎本武揚の上司だったこともあるが、病身でしばらく幕府の中枢から遠ざかっていた。
幕府崩壊の時、病身を押して、長男恒太郎、次男英次郎をつれ、榎本と共に五稜郭に拠った。
幕臣としては気骨の男である。
こういう古武士然とした中島三郎助は土方とは気があったらしい。

この男も、土方と同じ死所を求めてきたのであろう。
こののち榎本ら幹部が降伏してもなお戦闘をやめず、子供らと共に戦死している。
が、この男が戦死したときには、土方はこの世にいない。
かつて長州の木戸孝允に砲術を教えたことがあり、木戸は中島の死を聞き、悼んだという。





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最終更新日  2005.09.26 05:30:17
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