文豪のつぶやき

2008.07.16
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カテゴリ: 時代小説
不識庵の末裔

江戸表より越後三田藩の三田陣屋に早駕籠が着いたのは慶応四年三月三日の夜半のことである。
使者は御用人篠原正泰。藩内での地位は国家老に次ぐ、江戸屋敷においての最高責任者である。その御用人が自ら使者になるなど尋常ではない。しかも単身である。
篠原は齢二十四、家柄も名門ながら三田藩きっての英才であり、若年ながら抜擢された。
 篠原、三田陣屋の門を抜けると旅塵も払わず伝令をとばし、藩士を召集した。
ほどなくして藩士たちは三田陣屋の大広間に集まった。
国家老以下お目見以上の藩士は五十人、一万石の家禄にしては決して少なくない。
やがて、太鼓が打ち鳴らされると藩士たちは平伏した。
 篠原はただひとり上座。

 「殿さまがみまかられた」
 篠原はそう言うと、懐中から油紙で包んだ書状を取り出し読み始めた。
 殿さまとは越後三田藩十二代藩主長尾慶範のことである。
 十年前、先代の死去によりわずか六才で家督を継ぎ、幕末の動乱期にその命を翻弄され続け、五年前に江戸で倒れてそのまま病床についていたのである。
 それがここにきて、容体が急変し、二月二十五日に終に亡くなった。
 篠原が書状を読むあいだ大広間からは啜り泣く声が聞こえた。
 篠原は読み終えると書状を国家老青木正和に渡した。
 青木正和は平伏して受け取ると、上座に座った。
 篠原は入れ替わり下座へ。
「三田藩存亡をかけたこの時期に殿さまがみまかったのは無念至極であるが、この難局を何とか乗り切らねばならない」
 国家老青木正和は悲痛な声で云った。

 前年の十月に大政奉還が行われている。事実上の日本の国王、徳川慶喜が政権を放り出したのである。盟主を失った藩主は路頭に迷わざるをえない。





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最終更新日  2008.07.16 13:39:17
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