文豪のつぶやき

2008.07.22
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カテゴリ: 時代小説
 山県は柏崎へ戻った。
 これが時山との今生の別れになった。
 五月十三日山県は浦柄への到着が遅れてしまったのである。
 この日は濃霧。朝日山を強襲するには絶好の機会である。山県の来着を待っていては戦機を逸すると判断した時山は、手勢をひきい朝日山へ向かった。
 時山の隊は霧の中を粛々と進む。
 朝日山を守る長岡軍はたれもこの隊に気づいておらず、少数での攻撃とはいえ山県を待たずに朝日山に向かった時山の戦術は間違っていなかったといえる。
 ただ、一人の男がいたために時山に不運が起こる。
 朝日山を守る長岡藩の兵の中に立見鑑三郎という男がいる。
 長岡の人間ではない。

 立見は生来の戦さ好きで、鳥羽伏見の戦いでは江戸にいたため戦闘には参加出来なかったことを悔しがっていたが、北越戦争がはじまるとただちに志願した。
 立見にとってこの戦さが初陣にあたる。
 官軍が山を登ってきた時、立見は朝日山の陣地の一番前に立っていた。そこへ官軍が濃霧の中ひょっと顔を出した。
 立見には機知がある。官軍の不意の出現に内心驚いたが、騒がず、
「ご苦労」
 と官軍を装って声をかけた。
 官軍の兵が、
「貴方は」
 というと、
「私は官軍麾下の特別隊のものである。すでに朝日山は我々が占領した。貴方がたは安心して山をくだってもらいたい」
 と云った。

「かかれい」
 と攻撃を命じた。
 安堵していた官軍は何が何だかわからずともかくもわれさきに逃げはじめた。
 一人時山のみは陣容をささえようとしたが流れ弾にあたって戦死した。
 こうして天才戦略家立見の巧妙な作戦により、時山率いる官軍は朝日山を転がり落ちていった。

 後の立見尚文である。
 山県が朝日山に登りかけたとき、時山は山県の前に戸板にのってあらわれた。山県は後年この時の遅れによる時山の戦死を、顕職を成した松下村塾の同窓に攻められる事になる。
 一方、朝日山から官軍を追い落とした長岡軍はわきにわいた。
 本営のある摂田屋村でも長岡城でも戦勝気分であった。
 しかし、河井だけは冷静である。
 朝日山の戦闘は単なる局地戦である。
 官軍にはありあまる軍隊と豊富な武器がある。わずか七万四千石の小藩は勝ちつづけなければならない。
 そのためには引き続き官軍に大鉄槌をくらわさねばならない。
 河井はこの余勢をかって小千谷と本大島の官軍の両本営を十九日夜襲することを決めた。
 河井は早速前島付近に長岡軍の主力軍を集結させた。
 一方山県は、
(このままでは官軍はずるずると後退する)
 と考えていた。
 山県をはじめ他方面にいる官軍の首脳は、最大の敵は会津藩としていた。それがこんな越後の小藩に手間取っていたのでは天皇政権が危うくなる。
 山県は起死回生の策として、出雲崎に温存していた三好軍太郎の軍に長岡急襲を命じた。三好は夜行軍で静かに信濃川を渡り、長岡城をめざした。。
 それが十九日払暁。
 わずか数時間の作戦決行の差で勝敗は決した。不意をつかれた長岡の藩兵はたちまち潰乱した。
 長岡急襲、の報をうけた河井は機関砲隊と三田五人組の特設隊ら数名の者を引きつれ摂田屋を飛び出て長岡に向かった。
(しまった)
 河井は長岡に向かう馬上でいくたびも呟いた。
 河井はまさか官軍がこうも早く攻撃してくるとは思ってはいなかった。
 河井は官軍の作戦本部は小千谷にあるとおもっていた。小千谷の本営の官軍幹部は榎峠、朝日山を重要さを知らない無能ぞろいである。あの岩村を官軍の頭にいただいているかぎりこの戦さは長岡藩有利のまま進むというのが河井の頭にあった。
(あの岩村の小僧にこんなことが出来る訳がない、とすればこの方面の官軍で将器を備えているのは山県しかいない。)
 河井は柏崎の本営に山県がいることを知っている。しかし山県は北陸道鎮撫隊の一軍の将でしかないとおもっていた。全軍を指揮する立場にはないとおもっていたのである。
(山県が北陸道の官軍を掌握しているとなればこの戦いは容易ならぬものになる)





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最終更新日  2008.07.22 20:29:56
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