文豪のつぶやき

2008.07.24
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カテゴリ: 時代小説
 篠原は三田に帰るやただちに首脳部を招集した。
「兵を出すしかあるまいの」
 青木がそっと呟いた。
「よいではないか。三田武士の強さを見せてくれようぞ」
 押見が云った。押見は一個の武弁である。
 むしろこの事を喜んでいるようにも見える。
「それにしても太子堂の連中も罪なことをしてくれたものよな」
 加藤博信が深刻な顔をして云った。
「このことが露顕せねばあるいはうまくやれたかもしれんからな」

 篠原が云った。
「河井さんがそれほど凄かった、ということでしょう」
 篠原は越後一帯に偵察隊を放っている。
 この偵察隊がもたらす情報はことごとく河井の凄さのことばかりである。
 河井は会津藩ら奥羽列藩の援軍をうけているとはいえ官軍の四分の一の兵力で戦っている。
 しかも、官軍はひましに兵を増強しているにもかかわらず戦況は長岡軍に分がある。
「いっそ、長岡軍につくか」
 矢口秀春が冗談っぽく云った。
「もしかすると河井は長岡城を取り返すやもしれぬ」
「まさか」
 加藤博信が云った。

 矢口秀春があわてて訂正した。
「いや、考えられる」
 篠原がこわい顔をしていった。
(河井先生ほどの男だ。とんでもない事を考えているだろう)
「本与板から十二潟、富島、森立峠まで官軍で埋め尽くされている。薄いのは八丁沖だけだ。攻め込む隙間などあるまい」

 八丁沖は長岡の北にある大沼地で、天然の要害としてあり、長岡城もこれを考慮して築城されている。即ち長岡城は平城であるが東は信濃川、西は森立峠、南は悠久山に護られ北は一度足をさらわれたら二度と浮かび上がれぬ八丁沖がある。
 河井軍は今町にいる。長岡城は今町の南にあるから中之島から十二潟を抜け新保を経て長岡へはいるしか道はない。
 しかし、十二潟には官軍が充満している。
 しかも、この方面には最強といわれた薩摩兵がいる。
「所詮、河井の長岡攻略は無理だ」
 押見が云った。
 篠原はちょっと違うと思った。
 河井は多分何かするであろう。
(しかし)
 よしんば長岡城を奪取して長岡を河井の元におさめてとしても時勢は官軍にある、と篠原は思った。
 いずれは河井も時勢の前に流されるだろう。
 それゆえ、今は忍従しても官軍に従わなければならぬ。
 篠原は一つの提案をした。
「殿さまに官軍本営にご動座願いましょう」
「げっ」
 皆のぞけった。
 ありうべきことではない。
 こともあろうに藩主を人質に出すというのだ。
「しっ篠原殿」
「これしかありませぬ。三田を護るためには、これしかありませぬ」
 篠原は握った手を震わせながら云った。
「万が一の事があったとしてもこの篠原が腹を切ったとてそれで済むとはおもいませぬ。が、しかし私は」
 三田を護るためにはこれしかない、と再び云った。
「でなければ、私をこの場で斬り捨てて兵を挙げてください」
 篠原はそういうと脇差を前に置き、静かに首を差し出した。
「わしらは篠原殿を江戸家老に推挙したときから、篠原殿に一切をまかせている」
 押見が優しく云った。
「篠原殿に全てをお任せ申す」
 かくて、藩主を人質に差し出すことに決まった。
 篠原はすぐさま藩主に目通りを乞うと事情を説明した。
 この幼い藩主は篠原に全幅の信頼をよせている。
「なんだ。そんな事でよいのか」
 と逆に篠原を気づかって気軽に云ってくれた。
「私は江戸と、この三田しか知らぬ。他の所も色々と見聞したいと思ってた。それにかねがね陣中とはどのようなものかも見てみたいと思うていた。丁度よい機会じゃ」
 その言葉が篠原には痛い。
 篠原は拝謁を終えるとただちに山県のもとへと急いだ。





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最終更新日  2008.07.24 19:27:08
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