文豪のつぶやき

2008.07.27
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カテゴリ: 時代小説
 その気分は特設隊である太子堂組にも伝わっている。彼らは長岡城占領をしたあと、市街へ出て痛飲した。やがて宿舎に戻ると斎戒沐浴し、香を焚きしめた。
 そして、静かに車座になって座った。
 どの顔も戦さにつぐ戦さで疲れ果てた顔をしているが表情はすがすがしい。
 皆、押し黙っている。
 やがて新町口の方で砲声が聞こえてきた。
 官軍の進撃が始まった。
 矢口が口を開いた。
「いよいよだな」
 伊藤が諾、と頷くと、

 城が落ちてももう退却しないでここで討ち死にしようとということである。
 伝令が敵襲でござる、新町口に敵襲でござる、執政は今、新町口に向かいました、とさけびながら廊下を駆けていった。
 執政とは河井継之助のことである。
「行くか」
 矢口が立ち上がった。
「これは置いていこう」
 青木がかたわらにおいてあるミニエー銃を指さして云った。
 戦がはじまる時、河井がみなに一挺ずつ渡した最新式の銃である。
 青木は武士として死んでいくのに銃は不要だと思ったに違いない。
「そうだな」
 ミニエー銃をすでに持っていた加藤も丁寧に畳の上に置いた。

 伊藤が声をかけた。
「おめさん、本当に帰る気はないか」
「白井さん」
 矢口が白井をじっと見つめている。
 青木も加藤も声なくうつむいている。

 そしてそれは彼らの宿舎を震わせた。
「白井」
 伊藤は再び云った。
 白井は小さく首を横に振った。
「そうか」
 伊藤はそういうときっと顔をあげ、
「じゃあ、行こう」
 白井の肩を叩いた。
「あの、これ」
 加藤が恥ずかしそうに白い布を出した。
「おめさん、これは」
 剣片喰が染め抜かれた袖印であった。
 剣片喰は三田藩の家紋である。
 皆、袖印は長岡藩の家紋である五間梯子をつけている。
 最後は三田藩士らしく三田の家紋をつけようということであろう、加藤はこれを密かに生来の器用さで作っておいた。
「最後ぐらいはのう」
 加藤は顔を赤くして云った。
(加藤はいつもそうだ)
 と矢口は思った。
 決して表面に出ることなく人一倍気を使う。
 三田に残っていれば、篠原を助け幕僚として存分にその力を発揮出来たであろう。
 矢口は加藤の才を惜しんだ。
 加藤はもともと武士道という思想めいたものはない。
 この人のいい男は伊藤や矢口が行くから私も行く、といった多分にそういうような人情的な気分でついてきた。無論、それは家を潰し、死をともなう。
 青木にもそういう所はあるが加藤のそれは実務的に有能な分だけ凄みがある。
 その加藤は黙々と皆に針と糸で袖印を付けている。
 この時、皆の心から河井継之助は消え、三田藩士に戻った。
 加藤は最後に自分の袖印を付けようとすると矢口がそっと加藤から針と糸をとり加藤の袖に付けはじめた。
 再び砲声が轟き、近くに落ちたのか土煙が部屋にも入り込んできた。
 が、そんな事に気づかうふうなく、矢口は袖印を縫い付け、回りの者はそれをだまって見ている。
 やがて縫いおわった。
 五人は互いにうなずきあうと宿舎を新町口にむかって出ていった。






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最終更新日  2008.07.27 18:37:07
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