文豪のつぶやき

2008.07.30
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カテゴリ: 時代小説
 白井は振り切るようにその場を立ち去ると、地蔵峠への険しい道を登った。
 やがて、峠の頂上に差しかかった。
 ふりかえると長岡城が燃えていた。
(お城が燃えている)
 白井はへたへたとしゃがみこんだ。
 炎天を焦がすように長岡城が燃えている。
 一つの時代が終わった、と白井は思った。
 そしてあのあたりには、と足軽横町付近に目をやった。
 青木、矢口、伊藤、加藤の亡骸が転がっている。

 それが今は白井一人、しかも敗残兵となって力尽きてしゃがみこんでいる。
 ふと見ると、目の前に煙管が落ちていた。
 煙管には剣片喰の紋が入っている。
 これは伊藤が先々代の藩主から拝領したもので生前愛用していたものである。
 伊藤はこれを脱藩してから失くし、しきりに気にしていた。
 その煙管がここに落ちている。
 白井はその煙管を拾うと両手で握りしめ号泣した。
 それはあたかも子供が母親にすがるような泣き声であった。
 何もかも失くしてしまったという悲しみが白井の胸を締めつけた。
 やがて涙も嗄れ果てるほど泣くと、しゃくりあげながら立ち上がり燃えつづけている長岡城に背を向けた。
 眼下には夕陽に輝く三田陣屋が見えた。

(帰ろう。三田へ帰ろう)
 お幸の顔が浮かんだ。
 姉上、これから帰ります。
 帰れば罪人である。捕縛されるであろう。
 しかし、河井先生と約した。

 白井は伊藤の形見の煙管を手拭いでくるみ懐に入れると、地べたに刀をそっと置いた。
 そして大きく深呼吸をすると、沈み行く日本海に向かうように地蔵峠を疾風のように駆け降りた。

                                   完





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最終更新日  2008.07.30 23:35:05
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