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今日は終日雪で、交通機関も大混乱。でも実は1時間遅れで発車した電車に乗れたおかげでいつもどおりに自宅へと帰ることができたのですが(笑)、電車がなかなか来ない時のために暇つぶし用の本を買って用意はしてたんです。買ったのは、なんと静岡県の地図! 先日こんな出来事があったし、今後も静岡の方とは仕事をする機会が多いので、一応の知識ぐらいは抑えておかねばと思ったんです。先日ハマった東海道、確かに静岡~藤枝間、島田~掛川間、湖西市付近では旧東海道と東海道本線が大きく離れていますね。いずれも急勾配を抱える難所であり、鉄道が街道筋を避けたのもよくわかりました。ただ、静岡市と焼津市の境界である日本坂もまた長大トンネルの建設を余儀なくされる(そう言えば、ちょうど30年前に東名高速の日本坂トンネルで大規模な火災事故が起こりましたね)など明治時代の鉄道にとって難所であったことが推察できるし、街道筋とどちらを選ぶべきかは当時の建設関係者も迷ったんじゃないかなぁ?また、東海道で言うと、各々の街中を東海道がどのように通っていたのかも、街道好きとしては気になるところ。静岡市の場合鉄道に沿って通る現在の国道1号線ではなく、やや西側を通っている本通が旧東海道なんじゃないかと地図を見ながら推察を立ててみますが、それ以北がどうだったのかはちょっとわかりません。静岡駅と新静岡駅に挟まれた所にある伝馬町はいかにも街道筋っぽい町名ですが、仮にここが旧東海道だったとすると、本通りと伝馬町の間はどのルートになっていたのか? 現在繁華街・歓楽街として栄えている両替町か呉服町じゃないかと推察します(御幸通は駿府城に近接しすぎているのでたぶん違うと思います)が、果たして正解やいかに?コロムビアミュージックエンタテインメント 氷川きよし/箱根八里の半次郎/大井追っかけ音次郎
2009.01.31
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上の子が学校の友達から風邪をもらってきたみたいで、休前日なのに早めに寝てしまいました。幸い(?)喉だけ調子が悪くその他は何ともないのですが、油断は禁物。今度の土日は家でじっとしているしかなさそうですね。逆に下の子はというと、今のところ、風邪の兆候はなし。ただし、予防のために幼稚園では常にマスク着用だし、今夜は兄の様子を見て自宅でもマスク。上の子もマスクをしていたので、二人してマスクをしながら寝ておりました。毎年冬になると流行る風邪ですが、早く暖かくなって流行も治まらないかなぁ? 冬至から一ヶ月が経過し早朝でも空が薄明るくなってきましたけど、冬将軍が去るのはもう少し先の話になりそうです。小児用の総合風邪薬(カンゾウエキス配合)新小児ジキニンシロップ 24ml
2009.01.30
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北海道に拠点を持つ百貨店・丸井今井が、民事再生法の適用を申請しました。それにかこつけて… という訳ではないけれど、ちょいと気になって北海道の旧友に電話。会話内容については割愛しますが、あまり景気のいい話は聞けませんでしたね。札幌ではロビンソンの閉店に続く激震なだけに、地方経済の疲弊ぶりが伝わってきました。今現在も伊勢丹の支援を仰いでいる丸井今井ですが、今後はどうなるんでしょうか? ここ数年で小樽、苫小牧、釧路の店舗を閉店させ室蘭店も閉店の方向に動いていた折、店舗を存続する方針であった函館店や旭川店もあおりを食って閉店の憂き目に遭うんじゃないかと、ちょっと心配になります。北海道に限らず、地方では百貨店が減少傾向にあります。つい先日も仙台と浜松で大丸が出店を取りやめるなど、増加の見込みはまったくなし(そういえば、浜松って政令指定都市なのに、遠鉄百貨店しか百貨店がないんじゃなかったっけ?)。百貨店自体が現在のニーズにそぐわないのかもしれませんが、地域の顔でもあるだけに、閉店は寂しいですね。2008JリーグTEコンサドーレ札幌#CS53 ドーレくん&コンサドールズ
2009.01.29
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我が家の掃除機が壊れてしまったので、先日妻が新しい掃除機を買ってきました。結婚から丸8年を迎え、あの時新品を買いそろえた家電も、いよいよ買い替えのローテーションに入った模様です。次にやばいのはヒーターかな? このところフィルターにちょっと埃が入っただけで止まってしまうことが多いし、今年の冬は越せても来年は大丈夫なんだろうかとちょっと心配。あと、テレビも心配ですね。我が家のテレビは依然アナログなので、仮に買い替えしなくてもチューナーは準備しとかなきゃならないし…その他にも、洗濯機、電子レンジ、冷蔵庫… 果たしていつまでもつのやら? 無駄な出費を極力抑えるためにも、一日でも長く大事に使っていきたいものですね。【カード決済可】【お買上げ15750円以上で送料無料】三菱電機 スティッククリーナー [HC-UH3J-D]【在庫目安:お取り寄せ】 【PC家電_012P2】
2009.01.28
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現在再開発が進められているあすと長町に本社工場が隣接しているNECトーキンが、国内外の事業所を閉鎖し全従業員の半数にあたる約9,450人をリストラするとともに今年中にNECの完全子会社になることを発表しました。ここ数年赤字決算が続いていたとはいえ、相当な大ナタ振るいですね。私の中学の同級生にもここの従業員がいたはずですが、大丈夫なんだろうか? もう20年近く会っていませんが、心配です。心配といえば、昨年秋に無配転落を発表した仙台銀行もまた、気になります。この銀行は非上場ではありますが、昨年まで毎年1株当たり50円の配当を出していたんです。同行の1株当たり純資産は、昨年3月末の段階で2,417円28銭。仮に上場しておりPBR1倍の時価で取引されているというド単純な前提だったとしても、配当利回りが2%超と地銀にしては良好な部類だったんです。それが突然の無配転落な訳ですから、単なる経営不振以上の何かがあったんじゃないかとついつい勘ぐってしまう次第。いずれにせよ、金融危機を発端とした実体経済の悪化は私たちの生活を蝕み始めている訳で、仙台に本社のある企業でノホホンとサラリーマン生活をしている私も、気を引き締めてかからなければ明日はないぞと思う次第です。DVD±RWドライブを搭載しておりますので、DVD映画の鑑賞、DVDソフトの再生やDVD±R/RW、CD-R/RWへの書き込みやコピーなども可能です♪★NTT光新規加入でDVD±RW!512M!オフィス2007付!WindowsXPパソコンが1円!!安心の保証付★
2009.01.27
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今日の株式市場で、福島銀行の株価が一時額面割れとなる1株49円をつけました。以前から低空飛行を続けていた同行の株価ですが、額面割れとなると尋常じゃない事態のような気はします。瞬間的なもので終わってくれるといいのですが…そう言えば、同じ福島県を営業エリアとする大東銀行の株価も、ピリッとしません。今日の終値は1株59円で福島銀行よりはまだましにすぎないというレベル。こちらもいつ何時額面割れするか予断を許さない状況です。いっそのこと、山形のきらやか銀行(殖産銀行と山形しあわせ銀行が合併)のように、両行が合併して店舗のリストラとかどしどし進めちゃった方がいいんじゃないかと思うことがあります。まぁ、私自身が両行の店舗に足を運ばないせいもありますが、店舗も過剰気味に感じますしね。県北地方だと伊達市保原町や川俣町、二本松市で両行の店舗が存在しますが、これらなど統合しちゃっていいように思います。福島県/小高町立小高中学校吹奏楽部指揮:北野 英樹『課題曲(III)祈りの旅 』
2009.01.26
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今日、Yahoo! Japanのトップページを漫然と見ていたら、「みんなのアンテナ」のコーナーに「左利きの世界」と題して、左利き関連の知恵袋の質疑応答がいくつか掲載されていました。私も左利きなのでちょいと気になるところがあって、その中のひとつ「左利きはなおしたほうが良いでしょうか」という質問のページを覗きます。右利きにした方がいいという人、左利きのままでいいという人、回答はまさに十人十色ですが、質問、回答を通じて違和感を覚えるのは、「左利きを直す」とか「矯正」とかいう言葉が普通に使われていること。これって、発言者が意識しているしていないに関わらず、右利きが「正」、左利きが「誤」という考え方に基づいてないかい? 現在社会において右利きが「メジャー」、左利きが「マイナー」であることは明白ですが、これは決して正誤の物差しでは測れないものですよね。「矯正」というのも、「歯列矯正」「人格矯正」のように「現状を変えないと本人や周囲が将来的に不利益を被ってしまう」ケースに使われる言葉。昔ならともかく現在においては左利きであることによって不利益を被る機会はごくごく限定されたものですし、「矯正」もまた使用するのは相応しくない言葉のように思います。せめて「変更」とか「転向」ぐらいの表現であればなぁ… だいぶ前からそう思っていて、同じ左利きの人たちに何度か疑問をぶつけてみたことがあります。でも結果は、大半が「気にしてない」とのこと。私はマイナーの中でもマイナーな存在だったという訳か(苦笑)ただし、その中で、「『ぎっちょ』は差別用語だ!」と声高に主張する人が、一人だけいました。確かに、「めくら」「つんぼ」「おし」あたりと並べると、ぎっちょもまた差別用語っぽい雰囲気にはなります。でも、逆に私は、ぎっちょが差別用語だという認識は、その人に言われるまで持ったためしはなかったなぁ… その人は多分小さい頃に「ぎっちょ」という言葉でいじめを受けたとか、苦いトラウマを受けていたのかもしれませんね。DOBERMAN『左利きのワルツ』
2009.01.26
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我が家では毎週日曜日に「笑点」を観ているんですが、そこの画面に妙に気になる人物が出演? 登場? しているんですよね。「♪テッテケテケケテ…」でおなじみのオープニングの音楽が終わり、画面は会場へと転換。客席の真ん中で司会の桂歌丸が挨拶するシーンが流れます。「彼」が登場するのはこの場面。YouTubeで確認するとこちらに映っていたのですが、歌丸の左後にいるメガネをかけて口髭を生やしている男性。この方、かなりの確率で客席にいるんですよね。今日も歌丸の真後ろに映ってました。恐らく番組関係者だとは思うのですが、どうしていつも客席にいるのだろう? すごく気になりますし、不思議でなりません。【送料無料選択可!】NHK新落語名人選 桂 歌丸 / 桂歌丸
2009.01.25
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行程記については別館をご覧ください。手抜きで申し訳ありませんが、ご了承願います。なお、目安表を、ここに記します。ただし、これは私の脚によるものであり、決して標準的なものではないことを、お断りしておきます。【起点=自宅(桑折町)】30分後 桑折町成田 桑折町立睦合小学校付近1時間後 福島市飯坂町湯野 福島市立西根中学校付近1時間30分後 福島市沖高 五月乙女(さおとめ)団地付近2時間後 福島市北沢又 ドコモショップ福島店付近2時間22分後 福島市森合 トイザらス福島店(コープマートいずみ)着(終点)トイザらス限定 ジェルジェム バックS ひなまつり ミッキーとミニー
2009.01.24
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センバツの出場校が、発表になりましたね。史上初となった早慶同時出場が話題になっていますが、個人的には21世紀枠の3校が気になっています。春夏通じて初出場となった宮城県の利府の選出には同校が21世紀枠にありがちな伝統進学校でも過疎地校でもないだけに驚いたのですが、それ以上に興味を引いたのは、滋賀県の彦根東。藩校をルーツに持つ同校は実に56年ぶりの出場になりますが、実は56年前に出場した時のエースだった中川隆さんが私の父の元勤務先(府中市にある小さな水道屋でした)の同僚だった時期があるので、妙に身近に感じてしまうんです。56年前の彦根東は初戦敗退したのですが、その時のピッチングが認められたのか、中川さんは卒業後毎日オリオンズに入団。プロ2年目の1955年にはなんと最優秀防御率のタイトルを獲っています。その後は低迷して1961年に引退し、巡り巡って父の同僚となった次第。「もう少し活躍した時期が後だったら解説者になれていたかもわからないな」と父はよく言ってました。そういえば、これも父から聞いたのですが、1960年代にカープでクリーンナップを打っていた興津立雄さんも、高円寺だか阿佐ヶ谷だかで水道屋を自営していたとのこと。興津さんこそ広島でコーチや解説者をする口はあっただろうに、球界と(更には広島とも)スパッと縁を切ったのはすごいなと思います。ついでに言うと、利府、彦根東とともに今年の21世紀枠に選ばれた大分上野丘(こちらも旧制大分中学をルーツとする伝統校)のOBにも、中川さんと同時期にオリオンズで活躍しクリーンナップを打った葛城隆雄さんがいます。いわゆる黒い霧事件に巻き込まれる形で引退した経緯もあって、この方も引退後は球界とは無縁でした。確か沢木耕太郎の「さらば宝石」というノンフィクションだか短編小説だかに書いていたと思うんですが、引退後は自動車整備の仕事をしていたんじゃないかな?その「さらば宝石」の主人公として取り上げられた榎本喜八さん(なんと名球界有資格者(会員ではない)です)もまた、奇行が噂された結果引退後は球界に残れずじまいで、中野区でマンション経営しているというし、有名選手であっても引退してから球界と縁を持たないプロOBは結構いらっしゃるものですね。それはともかく、今回21世紀枠に選ばれた3校の健闘を、期待したいものです。打撃の神髄ー榎本喜八伝
2009.01.23
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鰹節製造大手のヤマキとマルトモで、偽装が相次いで発覚しましたね。ヤマキが製法偽装でマルトモが産地偽装ですか。食品への眼が厳しくなっている中、よくそんなことやっていたな… ちょっと呆れます。でも、それ以上に驚いたのは、この両社、いずれも本社が愛媛県伊予市にあるということ。しかも本社工場が隣接しています(笑)愛媛県って私の住む東北地方とはあまり縁がないし私自身も足を運んだことがない地方ですけど、ヤマキやマルトモの他にも、「伯方の塩」の伯方塩業(今治市)、「晩餐館」シリーズの日本食研(今治市)、「ポンジュース」のえひめ飲料(松山市)など、商品そしてCMが妙に印象に残る食品企業が目立つのが非常に気になります。今回の事件は愛媛県の食品業界にとっては大きな打撃になったでしょうが、その個性の強さを生かして、捲土重来を果たしてほしいものです。株式会社えひめ飲料POMポンジュース1000ml【あす楽対応_関東】【あす楽対応_近畿】【あす楽対応_中国】【あす楽対応_九州】【あす楽対応_四国】【あす楽対応_東海】【あす楽対応_甲信越】【あす楽対応_北陸】
2009.01.22
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今度の土曜日は、下の子の誕生日です。プレゼントにホッピングが欲しいということで、福島市森合にあるトイザらスに買いに行く予定。ただし、妻と子供達はクルマで、私は徒歩で、現地へ向かうことになりそうです。つまり私にとっては、今年2回目の早朝(?)散歩という訳。コースとしては、昨年11月15日の散歩コースに近いものになるのですが、自宅~県道飯坂桑折線~飯坂町湯野~福島北警察署付近~国道13号線~福島西道路が有力かな? 歩行時間は2時間15分程度といったところでしょうか。今年の方針がまだ決まっていない中で先週に引き続きウォーミングアップ的な散歩をこなすことになりますが、2時間以上の散歩は昨年11月29日以来のこと。厳寒の折、無理をしない程度に身体をいじめたいなと思っております。トイザらス限定 ジェルジェム バックS 桃の節句 ミッキーとミニー
2009.01.21
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昨日、今日と、静岡からいらしたお客様と一緒に仕事をしてました。その方は私がブログをやっていることをご存じで、「今日はこのことブログに書くんですか?」と何度か突っ込んできます。すいません。「あのこと」と「そのこと」は、ちょっとここでは書けません。ご容赦願います(苦笑)その代わりと言ってはなんですが、今日は、仕事中の雑談で出てきた東海道のネタで。よくよく考えてみると、私はここ5年近く、東北地方から一歩も外に出ていないんですね。その間早朝散歩とかやっていたから地元に対する地理的知識は増したと自負していますが、その反面、他地域に対する地理的知識はちょっと落ちたような気がします。それと東海道がどう結びつくのかというと、東海道の宿場町がなかなか思い出せずに間違いを繰り返すという失態を演じてしまったんです。「金谷の次の宿は菊川でしたっけ?」「いや、菊川には宿はないですよ。次の宿は日坂です。」「そう言えば、その辺に横須賀という宿場町はありませんでしたっけ?」「白須賀宿なら、静岡県の西端にありますよ。」万事こんな調子。「静岡県の西端といえば舞阪とか新居とか…」とお客様が繰り返す中で、そう言えば、鷲津って宿場町でしたっけ? と問いかけたものの結局口にしませんでした。後で調べてみると鷲津は宿場町じゃなかったですね。危うく恥の上塗りをするところでした。東海道本線の駅を中途半端に知っているせいもあって、東海道の宿場町に関する知識も、これに引きずられている部分が往々にしてあります。東京近郊に関して言えば蒲田、鶴見、茅ヶ崎、二宮は宿場町ではないし、静岡県以西に関して言えば清水、静岡、磐田、豊橋は宿場町名としては存在しません(宿場町名はそれぞれ江尻、府中、見附、吉田)。結構相違点があるので、あまり知ったかぶりはしない方がよろしいですね。【ご当地キティ】静岡由井 東海道五十三次ハローキティ根付ストラップ
2009.01.20
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福島県の郷土史関係のサイトを見ると、福島と相馬(中村)とを結ぶ中村街道(現在の国道115号線の原型)のことを「塩の道」と呼ぶ表現に時折出会います。相馬で製造した塩を福島に運んでいた史実は多分あったのでしょうが、海沿いと福島市近辺とを結ぶ塩の道の「メインルート」だったのかどうかは、ちょっと気になるところ。というのも、少なくとも江戸時代の時点では、海沿いと福島市近辺とを結ぶルートとしては、阿武隈川の舟運が存在していたから。当時は陸路より水運の方がスピードや大量輸送の点で優れていたので、こちらの方がメインルートと考えるのが自然なように思うんです。それでも何故、中村街道が「塩の道」と言われてしまうのか。ヒネクレ者の私は、「現代において、相馬と福島を結びつけたがる人がいるのだろう」という解釈をしています。ぶっちゃけた話、東北中央自動車道を開通させたがっている(私は、福島~相馬間については不要だと思う)人たちとかね(笑)阿武隈川の舟運もまた、荒浜、丸森、福島以外に河港町と呼べる集落が発展していない点を考えると1960~80年代の丸森線(阿武隈急行)の開通促進運動に乗じて実像以上に栄えていたように語られている感もなきにしもあらずだし、歴史って、実のところ現代における需要によって、その重要度が高くなったり低くなったりするのかな… と思います。塩の道
2009.01.19
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今日の福島民友を開いたら、こんな記事が載ってました。同じ町にそんな方が住んでいたとは! 超驚きです。何より感心するのは、JR私鉄問わず全部の駅の入場券を買ったということ。購入費を抑えるために子供用を買ったとはいえ、それだけで40万円前後の出費。もちろん旅費だってかかっているだろうし、それだけでとてつもない偉業です。こういうのを見せつけられると、私が散歩の「証拠」を残していないのは、ちょっとまずいなぁ… と思ってしまいます。やっぱり今後は観音参りで御朱印GETの散歩にシフトか? それとも散歩で乗下車した駅の入場券を今から集めるか? いや、一番手っ取り早いのは、デジカメで散歩先の様子を撮影することでしょうか?でも、これらは訪れた証拠にはなりますが、散歩した証拠にはならないしなぁ… その点でもこのニュースは「やられた!」という感じです。こちらは39年前に開催された大阪万博の入場券です。↓■USED■EXPO70 大阪万国博覧会 当時物 入場券 未使用◆1枚(エキスポ70)
2009.01.18
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ふと思うところがあって、10年以上前に遊んでいた「A列車で行こう4」を棚から引っ張り出して、自宅のパソコンで遊んでおります。簡単に言うと「街づくり」のゲーム。うちの子供達が遊んでいるような、数分程度で結果が出る類のものではありません。だから、遊んでいればパソコンを占領する結果になるのですが、このテのゲームは子供達にとっては新鮮だったようで、しばらく経ってちょっと画面が変化していると「あれ、ここにビルができたんだね」とか結構反応してくれます。見ているだけでも面白いみたいです。このゲームに限らないのですが、このところ、子供達には私がゲームをしているところを眺めたいという欲求もあるみたい。そんなに上手じゃないのにね(笑)【中古PSソフト】A列車で行こう4 グローバル
2009.01.18
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今日、明日と、大学入試センター試験ですね。受験生の皆さんには、是非ともベストを尽くして頑張ってもらいたいものです。今年の受験者数は史上最高記録を更新したという話ですが、肝心の二次試験に関しては、折からの不況の影響か私大への進学を諦めたり浪人できないからと志望校のランクを落としたりするケースがずいぶん増えた模様。また、自宅から通える大学を選択するケースも、増えているようです。こうして見ると、大学進学って、結局のところ本人の実力よりも親の懐具合がモノを言うものなんだよなぁ… と感じます。この辺、我が家も身につまされる部分が、大いにあります。子供達が大学進学を望んだ場合、我々はどんな選択肢を用意してあげられるのだろう? 可能性や将来性を思えば間口は広いほど良いのはわかりきった話ですが、その一方でどうしても避けられないお金の問題があり… 上の子などは呑気に「うちゅうひこうしになりたい」なんて語ってますけど、その夢をどこまで支えてあげられるか? 彼がセンター試験を受験するのは早くて11年後の話なのですが、親が今から頑張っておかないと将来大変なことになるなと感じています。大学入試難易ランキング(2009)
2009.01.17
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行程記については別館をご覧ください。手抜きで申し訳ありませんが、ご了承願います。なお、目安表を、ここに記します。ただし、これは私の脚によるものであり、決して標準的なものではないことを、お断りしておきます。【起点=福島駅】15分後 福島市森合 福島交通美術館図書館前駅付近30分後 福島市泉 福島市道泉萱場線と福島西道路の交差点(泉地下歩道)付近45分後 福島市南沢又 福島交通道合バス停付近1時間後 福島市笹木野 福島交通長林バス停付近1時間15分後 福島市笹木野 高野集落付近1時間30分後 福島市笹木野 JU福島付近1時間37分後 福島市町庭坂 福島県運転免許センター着(終点)【福島の梨】はじける果汁! 豊水 光センサー特秀 7~9玉2.5kg化粧箱セット【9月中旬~9月下旬発送】
2009.01.16
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では、どうして、常葉に鉄道忌避伝説が起こってしまったのか。実は、磐越東線開通当時の常葉は福島県田村郡(現在の田村市、田村郡及び郡山市のうち阿武隈川東岸)においてそれなりに人口の多い地域だったいう事実があります。ウィキペディアにおける田村郡の記事によると、常葉の町制施行は1898年で、三春(1889年)、小野新町(現・小野町。1896年)に次いで三番目という早さ。現在の常葉町域は人口6,000人ほどしかないので、意外な感じすらします。意外と言えば、磐越東線の主要駅があり現在田村市の市役所が置かれている船引は逆に町制施行が遅く、なんと常葉から遅れること36年も経った1934年の施行。磐越東線が開通した1915年時点では片曽根村という名前でした。ちなみに、片曽根とは町の南方に位置しその円錐状の形から「田村富士」とも形容される片曽根山のこと。一般に自治体名は規模の大きな大字があった場合その名前が付けられるものですが、そうではなかった点に逆に船引の規模が小さかったことが伺えます。この歴史が今なお尾を引いている証左として、三春と小野には警察署があるのに船引にはないという現実を挙げることができます。また、田村郡においては、船引に続いて1940年に滝根、1942年に大越と、磐越東線沿線の地域で町制施行が相次いでいます。この背景には当地で多く産出される石灰石を基盤とした鉱工業の発展という側面もあるのでしょうが、これらの重要な輸送手段でもあった(なんと2000年まで石灰石輸送の貨物列車が運行してました)磐越東線開通の影響も、ある程度はあったでしょう。特に鉄路から外れた常葉の人たちにとっては、「自分たちの地域は元々発展していたのに鉄道がなかった故に出遅れた」という思いは強かったものと推察されます。この思いを下敷きにして紡ぎ出されたのが、常葉の鉄道忌避伝説ではなかったでしょうか? 伝説そのものには否定的な見解を下さざるを得ませんが、常葉の置かれた立場には、同情できる面もなくはありません。ゼンリン住宅地図 B4版 田村市(常葉・都路) 発行年月200505 07211C10A
2009.01.15
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先日、適当にネットサーフィンしていたら、ウィキペディアにおける磐城常葉(いわきときわ)駅の記事に、面白い文章を発見しました。以下、少々長くなりますが引用します。「(1917年に全通した磐越東線は)本来の計画では常葉町七日市場地区に駅が設けられ、同町関本地区を経由して大越駅に抜ける予定であったが、鉄道敷設に反対の声が上がった。 それは三春町から物資の輸送を担当していた60台からなる馬車組合と農地の解放を渋る農民であった。また、政治的な感情も鉄道敷設問題に影響した。当時、憲政会と立憲政友会の対立が強まりつつあった。常葉町民は明治初期に当地の戸長を歴任した河野広中を絶対支持しており、河野が所属する憲政会の勢力が強い地域であった。 そこで憲政会を支持する町民は、この鉄道敷設計画は憲政会と対立する立憲政友会の西園寺公望を総理とする政府の計画であるとして反対運動を展開した。この結果、計画は変更となり常葉町を避けて敷設された。」簡単に言うと、磐越東線の敷設時に田村市常葉町で鉄道忌避の動きがあった、ということです。なお、この文章はどうやら「福島県史」を下敷きにしているらしく、時の政治家や政権の名前まで登場して、もっともらしい話に仕上がっています。しかし、鉄道忌避伝説の面白い所は、「基礎史料の明示がない場合、例え自治体史のようなオフィシャルな歴史書であっても、真実が書かれてない可能性が多分にある」という点。ちょっと調べてみるとわかるんですが、この文章もまた、率直に言ってトンデモ話なんですよね。以下指摘してみましょう。(1)「本来の計画では常葉町七日市場地区に駅が設けられ、同町関本地区を経由して大越駅に抜ける予定であったが」地図については読者各自で確認して欲しいのですが、この部分からして既に噴飯モノ。推察するに磐越東線は田村市船引町から大滝根川や都路街道(現在の国道288号線)に沿って常葉まで東進する計画だったと読めます。ちなみに、七日市場とは常葉の中心街の東端にあたる地域。ここまではいいのですが、その後の「関本地区を経由して大越駅に抜ける」云々が明らかに変。関本は常葉の町の真南にあたりますが、ここから大越の間には標高500メートル前後の山々が連なっており、少なく見積もっても2キロ以上のトンネルを掘らなければ直通できないのです。磐越東線の建設が進められた1910年代の初頭には既にこのクラスのトンネルがいくつか開通してはいるもののいずれも「そこを掘らなければならない」必然性ゆえのものであり、トンネルの回避が可能な路線にわざわざ掘ったケースは皆無でした。また、現行の磐越東線の船引~大越間の距離は8.2キロですが、常葉を経由するとなると、確実に2倍近い距離になります。常葉の馬車組合や農民が鉄道敷設に反対したのかどうかはわかりませんが、そもそも常葉は西の船引方面を除く三方を丘陵や山岳に囲まれており、鉄道建設のリスクが大きい場所なんです。例え当時磐越東線の誘致がすすめられていたとしても、願いがかなえられる可能性はそう高くはなかったでしょう。(2)「当時、憲政会と立憲政友会の対立が強まりつつあった。常葉町民は明治初期に当地の戸長を歴任した河野広中を絶対支持しており、河野が所属する憲政会の勢力が強い地域であった。 そこで憲政会を支持する町民は、この鉄道敷設計画は憲政会と対立する立憲政友会の西園寺公望を総理とする政府の計画であるとして反対運動を展開した。この結果、計画は変更となり常葉町を避けて敷設された。」確かに河野は1870年代前半にこの地域の戸長を務めた経験があります。また、磐越東線の建設当時、反立憲政友会の立場を貫いていたのも事実です。が、当時の日本の政治状況は現在のように一つの政党がずっと与党にいるといったものではありませんでした。その中で河野自身も政権の中枢にいたことがあり、奇しくも磐越東線(当時の呼称は平郡西線)の三春~船引~小野新町間が開通した1915年には、第二次大隈重信内閣において農商務大臣の地位にありました。また、そもそも河野は三春出身であり、その三春には鉄道が通じているのに常葉で反対運動が起こったというのも、おかしな話です。なお、瑣末な話になりますが、憲政会という政党は、田村市内の磐越東線が開通した翌年の1916年に結成されたものです。従って「対立が強まる」云々という話も、正確な情報とは言えない面があります。そんな訳で、この文章(厳密に言えば「福島県史」か?)の執筆者の知識、常識をちょっと疑ってしまうのでありますが、どうしてまたそんな話が出来上がってしまったのか? 次の日記では、その背景を、私なりに探っていきたいと思います。Hi-vision 列車通り ゆうゆうあぶくまライン 磐越東線 いわき~郡山(DVD) ◆20%OFF!
2009.01.14
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先日、宮城県の最新版の地図を買ってきました。我が家にあった地図は2001年版だったから、新旧の地図を見比べると、改めて、地域の変化に驚かされます。地図を見ていると、散歩にも行きたくなりますね。特に気になるのが、仙台近郊だけれども訪れる機会がない地域。仙台近辺はくまなく回ったつもりでいるけれど、七ヶ浜町や大郷町や仙台市の西部(山沿い)など、訪れたことはあるけれども長らくご無沙汰しているのが結構多いんですよね。これらのいくつかを選んで散歩に出かけてみるというのも、いいかもしれません。ただ、どうやっても行くのがちょっと難しいかなと思われるのが、仙台市の南西に位置する川崎町。鉄道の駅から歩くルートとしては、(1)大河原駅~村田町~川崎町中心部(2)長町駅~国道286号線~釜房ダム付近(3)愛子駅~秋保温泉~釜房ダム付近と意外にあるのですが、そのいずれもが、片道20キロ前後の長距離モノ。しかも、午前10時台に町中心部を出るバスに乗り遅れると、お昼過ぎまで待ちぼうけというからちょっとすさまじいものがあります。でもだからこそ、歩いてみようかという気持にもなってしまうんですけどね(笑)柴田郡川崎町(2004)
2009.01.13
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こちらの日記に書いた今年初散歩の件、早ければ今週末にも行けそうな感じです。でも、コースをどうしようかはまだ検討中。有力なのは福島駅から八島田街道(県道庭坂福島線)を通るルートですが、飯坂街道(主要地方道福島飯坂線)から松川の南岸~福島刑務所やら笹木野原やら~を経由するルートも面白そう。東福島駅から福島サティ~笹谷経由のルートも考えましたが、さすがにこれは無謀か。いずれにせよ、行きと帰りで別々のルートを歩き、合算して2時間半程度の散歩にはなる予定です。ところで、今年の散歩のテーマについてもまた、決めかねている部分があります。以前信達三十三観音めぐりはどうだろうかと書いたことがありましたが、再び奥州街道を歩いてみたいとも思うし、昨年歩きたいと思っていたのに中途半端に終わってしまった阿武隈川の橋も気になるところ。また、今年も何度か来訪する機会があるであろう郡山市富田町を基点とする散歩も、いくつか企画したいなと思っております。孤影奥州街道
2009.01.12
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今日も天気が悪く、終日家の中におりました。パソコンは、子供達に占領されたまま。という訳で、私は地図を見ながら暇つぶし。散歩コースの検討ではなく、「国道も鉄道も通っていない自治体の捜索」といういささかマニアックなもの。こちらの日記でこの種の自治体のひとつである福島県西白河郡中島村のことを取り上げて以降、ちょっと気になっていたんです。とりあえず、東北地方についてみていくと、以下の自治体が該当します。青森県中津軽郡西目屋村秋田県南秋田郡大潟村秋田県山本郡藤里町宮城県宮城郡七ヶ浜町宮城県黒川郡大郷町福島県西白河郡中島村6か所もあるんですね。結構驚きました。でも、平成の大合併以前に遡ると、これだけあったんです。青森県中津軽郡岩木町(現・弘前市)青森県中津軽郡相馬村(現・弘前市)青森県西津軽郡稲垣村(現・つがる市)青森県西津軽郡車力村(現・つがる市)岩手県和賀郡沢内村(現・西和賀町)岩手県二戸郡浄法寺町(現・二戸市)※1宮城県登米郡南方町(現・登米市)※2宮城県牡鹿郡牡鹿町(現・石巻市)※3秋田県仙北郡千畑町(現・大仙市)秋田県仙北郡太田町(現・大仙市)秋田県平鹿郡大森町(現・横手市)※4秋田県平鹿郡大雄村(現・横手市)※4福島県岩瀬郡岩瀬村(現・須賀川市)福島県西白河郡東村(現・白河市)※1 ただし、八戸自動車道が町内を通っており、ICもあります。※2 1968年まで仙北鉄道→宮城バスの軽便鉄道が町内を通っていました。※3 町内を縦貫する牡鹿コバルトラインがかつて有料道路だったことがあります。※4 区域の東端を秋田自動車道が通過しています。また、大森町には、1966年まで羽後交通横荘線が通っていました。東北地方においてはさほどでもなかった平成の大合併の波ですが、それでも3割ほどに減少している「国道も鉄道も通っていない自治体」。離島部だけで構成される自治体が皆無の東北地方においては、絶滅する日もそう遠くないかもしれません。図解国道データマップ(平成16年度 東日本版)
2009.01.11
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上の子の通う小学校では土日にあった出来事ひとつを日記にして提出しなければならないのですが、今日みたいに強風が吹き荒れて外出できない日が続くと、「きょうかくことないよぉ」と上の子は半ベソをかいてしまいます。確かに、「その日にあった出来事」だけをネタにしてしまうと、日記って、非常に難しいものがありますね。ステレオタイプな毎日が続けば、尚更です。私の日記だって、読み返してみると、厳密な意味での「日記」じゃないですしね。どちらかと言えばエッセイ、いや感想文の類としか思えない(苦笑)で、今日真新しい出来事が何もなかった上の子はどうしたか? なんと、パソコンに向かってゲームを始めた(笑)今までできなかったことができるようになったならば、ネタになるかなと踏んだのでしょうか?その点は、私も同じです。ネタ探しにいろんなサイトを逡巡した経験は何度もありますし(笑)まぁこれは不健康すぎるにしても、「ネタがないならば自分で動いてネタを作る」という方法は、日記継続のためには必要不可欠な手段のひとつではあります。ノート*ムーミン 日記帳(1ページ2日)
2009.01.10
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今日TBS系で放送されていた「報道特集」で、自律更生支援センターの設置問題というテーマを取り上げていました。自律更生支援センターとは、仮出所後の犯罪者が一定期間居住し社会復帰のための研鑽(という表現でいいのか?)を積む施設。この種の施設は従来民間にゆだねられていましたが、民間では限界があるということでこのほど国営の自律更生支援センターを福島、京都、福岡の3か所に建設しようという話が進んでいます。この施設自体については、特に身元引受人が見つからない出所者の社会復帰を促しかつ再犯率を防ぐという意味で必要性は感じます。が、現状でさえも出所者の再犯率が約4割(満期出所者で約6割、仮出所者で約3割)に達することを考えると例え再犯率が減少したとしてもセンター建設地域の治安悪化は十分に予想できるし、加えて法務省が建設地域への十分な事前説明を怠っていたという経緯も相まって、各地域で建設反対を求める住民運動が起こっているというのが現状です。番組はこれらの事情に十分に配慮し、ごくごく公平に放送されていたように思います。その上でどうしても思ってしまうのですが、あの住民運動ってやつは何とかならないのだろうか? 福島でも「文教地区になぜ作るんだ!」と叫んでいた人が映っていたけれど、文教地区じゃなければバンバン建設してもいいのか? それともセンター自体の必要性を認めていないのか? 申し訳ないけれど、彼らの主張がクローズアップされ過ぎると、議論の本質がぼやけてしまいがち。降って湧いたような騒動に巻き込まれた住民に対案を求めるのは酷な話とは知りつつも、住民運動が「どういう条件であれば自宅の至近で自律更生支援センターの建設がOKになるのか」という議論に発展していけばいいなと思ってしまうんです。でないと冗談抜きに、反体制的な考えを持つ輩が住民をオルグしかねませんからね。そっちの方が前科者が近所をウロウロするよりもある意味ずっと恐ろしい事態なんじゃないかなぁ?今年からスタートする裁判員制度も、刑事事件に限定せず、(仮に裁判になったとしたらの話ですが)こういう案件にこそどんどん活用してもらいたいもの。市井にいる「知識人ではない」第三者から見た「建設的な」視点が活かされる機会は、結構あるように思うのですが…裁判員になってもあわてない本
2009.01.10
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昨日から今日にかけては、芸能ニュースがてんこ盛りでしたね。まず朝のスポーツ新聞でチャゲ&飛鳥の解散説が報じられるし、お昼には安達祐実と井戸田潤の離婚、そして夕方には「ケンちゃん」シリーズの父親役だった牟田悌三の死去というのもありました。特に印象に残ったのは、牟田悌三の死去ですかね。私もケンちゃんの端くれなので、亡くなったのは残念に思います。もう80歳だったそうですが、亡くなる直前まで元気でこの正月にはウズベキスタンまで旅行していたというから、尚更です。そう言えば、牟田悌三って、ふじっ子煮のCMにも出演してませんでしたっけ? ここでも人の好いお父さんキャラを演じていましたね。ちなみに、ふじっ子煮を製造販売しているフジッコは、東証一部上場。ふりかけ、漬物、箸休め系の食品企業で上場している所は永谷園など数社しかない(意外なことに丸美屋食品工業やミツカングループ本社が非上場)ので、「意外な大企業」のイメージがあります。あと、牟田悌三と言えばどうしても思い出してしまうのが、村田兆治と顔が似ているということ。右ひじの故障から復活した直後の村田のダイナミックで悲愴感あふれるピッチングを目にするたびに「どうして牟田悌三が投げてるんだ?」と冗談半分に思ったものでした。そんな訳で妙に印象に残っている牟田さん。ご冥福をお祈りいたします。噛んでそのまま食べられる!『フジッコ 煎り黒豆 60g』
2009.01.09
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こないだの日曜日は結局出掛けられなかった早朝散歩。今度の土日も悪天候が予想されるので、また行けそうにありません。そんな折、自宅に一通のハガキが。福島県運転免許センターから運転免許更新手続についてのハガキでした。2月13日が誕生日なので、1月13日から3月13日までの間に同所に出向いて更新をして欲しいとの由。「また歩いて行くんでしょ?」ニヤケ顔の妻。免許センターは福島駅の西方約7キロの庭坂にあるので、往復すれば確かに手頃な散歩コースにはなります。「そうしようかな?」と思わず答える私。でも、仮に歩いたとして、どのコースにしようかは、ちょっとした悩みの種。福島駅から八島田街道(県道庭坂福島線)か高湯街道(主要地方道福島吾妻裏磐梯線)を歩くのが無難なコースでしょうか。行きは前者で帰りは後者というのも面白いかも。あるいは片道は鉄道かバスの公共交通機関を利用するとして、微温湯(ぬるゆ)街道(県道福島微温湯線)か国道115号線(の旧道)とフルーツラインを経由して福島駅と免許センターの間を歩くのも面白そうですね。庭坂までは3年前の11月に伊達駅からフルーツライン経由で歩いたことがあるのですが、福島駅からとなると早朝散歩では未知の世界。沿道、特に庭坂近辺は吾妻颪が直接吹き付けて寒いかもわかりませんが、風景は思いっきり堪能できそうな気がします。福島県産【秀峰】梨:晩秋のジャンボ梨。大きいのに果汁たっぷりの梨です【ジャンボな秀峰梨】福島県かやばの梨(約1.6kg箱約3~4玉入)。1玉450g以上の大きな梨。
2009.01.08
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昨年末から、通勤電車の中吊りにはパルコのバザールの広告がかかっています。昨年8月に仙台パルコがオープンしたばかりだからか、妙に気合が入っている感じ。でもって、モデルの女の子が可愛いんだ、これが パルコなんてまず足を運ばないけれど、広告だけはすごく気になる私。「この子は将来絶対大物になるぞ!」と勝手に思い込んでネットで調べていたら、何のことはない。モデルは宮崎あおいだったのでした。既に大物じゃんでも、CMの映像を観ると、ちょっと見には宮崎あおいだとはわからない。宮崎あおいって、優等生⇒良妻賢母的なキャラばかり演じていたし、実際に今人妻だし まさかこういうキャラで登場するとは思いもよらないところがあるんですよね。更に調べてみると、どうやら今春公開予定の映画「少年メリケンサック」とのタイアップ企画らしいのですが、見事な変身ぶりだと思います。苗字が宮崎なだけに「どげんかせんといかん!」 と本人が思ったかどうかはわかりませんが、昨年の「篤姫」からガラッと変わってしまった宮崎あおい。2009年の活躍も、かなり期待できるのであります。少年メリケンサック 奇跡の復活をナビゲート!! / 宮崎あおい
2009.01.07
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目下のところ子供達がハマっているゲームが、ディズニー・オフィシャル ホームページのゲームサイトだったりします。さすがはディズニーで、ゲームのキャラが豊富ですね。ゲームの内容自体も短時間で終われるものばかりだし、暇つぶしにはちょうどいいものばかりです。休日なんかは親子して遊んでたりしますね。あともう一つハマっているのが、日清どん兵衛のホームページにあるどんらんど。こちらは昔懐かしい雰囲気の子供達がゲームの主役で、ゲームの内容自体もゲームなんかじゃなくて同じことを外でやればいいじゃん! と突っ込みたくなるものばかり。それでも遊んでみると、なかなか面白いものがあります。我が家にはDSその他諸々のゲーム機の類はないけれど、このテのサイトで穴埋めしてまぁなんとかもっている感じですね。冬休み中は二人してパソコンを独占していました(笑)日清食品 どん兵衛 天ぷらそば ミニ 1個【合計¥2400以上送料無料!】
2009.01.06
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今年2009年は、松本清張と太宰治が生誕百年を迎えるそうですね。松本の生誕百年は何となく想像がつくのですが、太宰も生誕百年とはちょっと驚き。だって、昨年没後60周年を迎えていたわけですからね。もう少し年上だとばかり思っておりました。調べてみると、1909年生まれの作家って、結構大物がいたりします。北九州市小倉にある松本清張記念館のサイトを見ると、「松本清張生誕百年記念企画展―一九〇九年生まれの作家たち」なんて企画をやってるんですね。松本、太宰の他にも大岡昇平、中島敦、埴谷雄高が1909年生まれなんですね。中島は確か終戦前に没したはずだし逆に今年13回忌を迎える埴谷は亡くなる直前まで精力的に作家活動をこなしていたから同年代という感覚はますます薄くなってしまうのですが、これほどまでに幅広い作家群を輩出した世代というのも、なかなかないと思います。企画展、見に行きたいけど、さすがに小倉は遠すぎるなぁ…松本清張初文庫化作品集(1)
2009.01.05
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前の日記に引き続き、新潟県の鉄道ネタです(笑)新潟市をはじめ、ここ数年で新しく政令指定都市に昇格した市が増えていますが、その中で軌道系の市内交通機関がないのは新潟市だけなんですよね。静岡や浜松は地元私鉄が市街地と郊外とを結んでいるし、堺や岡山には路面電車が走っているし。軌道系交通機関は政令指定都市の必須要件ではありませんが、都市の規模の大きさや市民へのサービス度を示す一つのバロメーターとはなり得ると思うんです。ところが新潟に関しては、新潟駅と繁華街の古町通との距離が結構離れているにも関わらず、両者を結ぶ公共交通機関は定時性に劣るバスのみ。冬季の積雪のことを考えると、かなり貧弱と言わざるを得ません。調べてみると、新潟交通の電車(1999年廃止)が現役だった1950年代に、新潟交通のターミナルだった県庁前駅から新潟駅までの路面電車を敷設する計画はあったようですね。もっとも、モータリゼーションが発達途上だった当時のこと。今さら路面電車でもないだろうとのことで計画は立ち消えになったそうですが。せめて中心街を縦貫する地下鉄があれば便利なんじゃないか? もう15年ほど前の話ですが、当時新潟大学に通っていた友人に、訊ねたことがあります。ところが友人の答えは非常にあっけないもの。「無理だよ。だって新潟は信濃川を流れた砂が堆積してできた所だもん。地質が砂岩質で脆弱だから地下鉄なんて作れないと思うよ」なるほど… 需要以前に地形的な問題があった訳ですね。あと、あの広い信濃川の真下を掘るのも、非常に大変そう。仮に新潟駅から古町通までの地下鉄を作るとなると萬代橋の南詰にある万代シティのバスターミナル付近への駅設置は不可欠でしょうが、かなりの大深度地下に設けざるを得ないでしょう。ならば、広島のアストラムラインや那覇のゆいレールのような新交通システム系の路線はどうかと思うのですが、札幌の地下鉄のように積雪対策として線路にシェルターを覆わなくてはならないだろうしそうなると国の重要文化財に指定されている萬代橋付近の景観に影響してしまいそうなので、これもあまりお勧めできない感じ。結局、温故知新じゃないけれど、50年前の案に戻って、路面電車しかなさそうです。ただ、仮に路面電車を走らせた場合、萬代橋の上を走らせるかどうかは、検討の余地がありそう。走らせれば観光スポットになり得る魅力がある反面、萬代橋の車線減少であぶれたクルマをスムーズに通行させるために、新潟駅付近から柳都大橋へのアクセス改良や八千代橋の拡幅などが必要になってくると思います。萬代橋を渡りましょう/越後人/静乃かおり,土屋友宏[CD]
2009.01.04
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リンク先のslash555さんのブログでは、slashさんの旦那さんのご実家の所在地である新潟県直江津という地名が時折出てきます。厳密に言うと新潟県上越市の旧直江津市地区なのですが、「上越」とは言わず「直江津」。上越市は38年も前の1971年に高田市(この市名があったために岩手県陸前高田市、奈良県大和高田市、大分県豊後高田市、(これは間接的にだが)広島県安芸高田市の市名ができた)と直江津市が合併してできたものですが、いまだに旧両市への帰属意識が強いのか、上越という地名はあまり使われていないのが現状のようです。ところが、5、6年後(!)に開業を控えた北陸新幹線では、上越市内にできる駅(現・信越本線脇野田駅)の仮称を「上越駅」にしているとの由。これに関連して上越市長が「現在の上越新幹線(上越市を経由しない)を『新潟新幹線』に改称しろ!」と主張したり、逆に上越市という市名に疑問を呈している市民が「旧郡名の『頸城』を使った市名に改称しろ! 新幹線の駅名も『頸城』を使え!」と訴えたりと、個人的にはかなり面白い事態になっているようですね。私自身の考えを言うと、そもそもの地名の起こりとしては上越市の「上越」(京都に近いことに因み名付けられた広域名称。厳密には「上越後」が起源)の方が上野(こうずけ)と越後を結ぶ鉄道路線名として名付けられた上越線・上越新幹線の「上越」よりも古いことを考えると、上越市内にできる北陸新幹線の駅名に上越の名を冠しても特段の問題はないと思います。ただ、紛らわしい名称をつけてしまったとはいえ上越線・上越新幹線が有した歴史にも配慮を示して「上越市」あるいは「上越妙高(南隣の妙高市にも配慮した駅名)」あたりに収めるのがベターでしょうか。なお、「頸城」を使った駅名は、旧西頸城郡に属する糸魚川にも新幹線駅ができる関係上、却下せざるを得ないでしょう(同じ理由で、上越市の「頸城」を使った市名改称案にも反対)。また、実のところ、上越新幹線の改称にも、消極的ながら賛成なんですよね。北陸新幹線の開業で支線的存在への転落が確実視されることだし、群馬・新潟限定の色彩が強い名称の上越新幹線から、山形県庄内地方や秋田県への延伸を視野に入れた「羽越新幹線」「日本海新幹線」あたりに改称してもいいんじゃないかと思うんです。群馬県の方は納得しかねる部分もあるでしょうが、ご容赦を…上越市「謙信・兼続」検定公式テキストブック
2009.01.04
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どういう訳か、上の子がチェスに興味を持ち始めました。「おしえて」「あそぼう」周囲の大人を誘うのですが、誰もルールを知らないという体たらく。仕方がないので、上の子と一緒に、基本的なルールを覚えることにしました。まずは6種類ある駒の動かし方。キング(王)…前後左右斜めに1マスずつ動かせる。将棋の王将の動きと同じですね。クイーン(女王)…前後左右斜めに何マスでも動かせる。ただし、進行方向に味方の駒があった場合には、その手前までしか行けない。将棋の飛車と角行、あるいは後述するチェスのビショップとルークの動きを合わせた最強の駒です。ビショップ(僧侶)…斜め方向に何マスでも動かせる。ただし、進行方向に味方の駒があった場合には、その手前までしか行けない。将棋の角行の動きと同じ。ルーク(戦車)…前後左右に何マスでも動かせる。ただし、進行方向に味方の駒があった場合には、その手前までしか行けない。将棋の飛車の動きと同じ。ナイト(騎士)…将棋で言う桂馬に似ているが、桂馬が2つ前のマスの両隣にしか動けないのに対して、ナイトは2つ後ろのマスの両隣と左右に2つ行ったマスの前後にも動けます。文章だとわかりづらいので図解すると、<桂馬>○★○★○○○○○○○○◎○○○○○○○○○○○○<ナイト>○★○★○★○○○★○○◎○○★○○○★○★○★○※◎=元の駒の位置、★=動くことができる場所御覧の通り。なお、桂馬もナイトも、味方相手問わず間にある駒を飛び越して動かすことが可能です。ポーン(兵隊)…将棋の歩兵と同様、前に1マスずつしか動けない。ただし、最初に動かす場合に限り、2マス前に進むことができる。また、1マス前に相手の駒がある場合はその駒を取ることも前に動くこともできないが、斜め前に相手の駒があった場合に限り、これを取った上で斜め前に進むことができます。…はぁ、疲れた。実はこの他にも特殊な駒の動かし方(プロモーションやらアンパッサンやらキャスリングやら)があったりして一から覚えるのは本当に骨が折れるのですが、ちょっくら頑張ってみたいと思っております。B3-639 旅のお供にポケットチェス
2009.01.03
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所詮関東ローカルとは思いつつもついつい気になってしまうのが、箱根駅伝の結果だったりします。今年もまた、ニューヒーローが誕生しましたね。東洋大学の5区を走った柏原竜二選手。平成元年生まれ(!)の1年生です。驚いたのは、彼、福島県いわき市の出身なんですってね。ついこないだまで「山の神」と呼ばれてた今井正人選手が南相馬市(旧小高町)出身だったし、それ以前を遡ると、佐藤敦之(会津若松市出身)、藤田敦史(白河市(旧東村)出身)と、福島県は数年置きに優秀な陸上選手を輩出しているという訳。これらのタレントを地元・福島大学で受け入れるというルートは作れないものかなぁ? 女子短距離には強みを見せているのだから、そろそろ男子の方にも本腰を入れてもいいはず。箱根駅伝の出場は物理的に無理ですが、出雲駅伝や全日本大学駅伝で実績を積めば面白いのになぁ… と思うのであります。箱根駅伝パーフェクトガイド
2009.01.02
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家族揃ってまったりと自宅で過ごす元旦。子供達は二人してパソコンを占領し、ゲームに興じています。おかげで私は、日記の更新もできず、ひとりコタツでテレビ。「正月番組はつまらない」と言われて久しいですが、改めて観てみると、それなりの暇つぶしにはなりますね。ビールとおつまみ片手にあまり画面に集中しないで観るというスタイルがベターでしょうか。でも、子供達は、積極的にテレビを観ようとはしません。ゲームの方が面白いというせいもあるのでしょうが、総じて正月番組って、子供向きにできていないんですよね。アニメとか放映してくれれば少しは違っていたのでしょうが、どの局も芸能人ズラズラのバラエティー番組ばかり。まぁ、テレビ局には改善をあまり期待してはいないのですが、お正月のテレビって、子供にとっては受難の時期ではありますね。防犯・安全・監視 82暗視高感度監視カメラ&テレビモニターセット 3690-213●送料無料
2009.01.01
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新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。仙台・宮城デスティネーションキャンペーンが、昨日で終わりましたね。地震や不況の影響を乗り越えてそれなりの実績を残したようですが、個人的にはあまりいい気分はしないキャンペーンでした。理由は、キャッチフレーズに「伊達」を使用しすぎること。「美味し国 伊達な旅」「ここにホントの【伊達】があります」「伊達に行きましょう」。どこもかしこも伊達だらけ。同一のフレーズを繰り返す地域としては二言目には「百万石」が登場する石川県が代表例ですけど、それに匹敵する「一つ覚え」のような気がします。特に引っかかったのは「ここにホントの【伊達】があります」。福島県伊達郡在住の私としては「じゃぁ、私が住んでいる所はバッタモンの【伊達】なのかい?」という気持ち。いやいやそんな訳はないでしょう。だって、伊達政宗の苗字のルーツは、そもそも伊達郡にある訳ですから。伊達郡がなければ伊達政宗だって存在し得なかったことを考えれば、仙台が「ホントの【伊達】」なんて名乗るのは伊達郡の住民としては非常に許し難い行為です。キャッチフレーズで使用する「伊達」は「伊達男」「伊達メガネ」などに見られる形容詞的用法だとは理解できるのですが、そこは配慮を示してほしかったです。ところが当の伊達地方は、このフレーズに抗議するどころか伊達市がデスティネーションキャンペーンに参加している体たらくですからね。「伊達氏発祥の地」を自任しているのにも関わらず、地元を走る阿武隈急行(宮城県も出資している第三セクター鉄道)の各駅で「ホントの【伊達】などと書かれた仙台・宮城デスティネーションキャンペーンのノボリが掲げられているのを目の当たりにして、なんとも思わなかったのでしょうか? 同一市名を避けるようにとの総務省の通達を振り切ってわざわざ伊達市と名づけたほどの「伊達」に対する矜持がこの件ではまったく見られなかったことに対して、腹立たしさすら感じます。仙台・宮城デスティネーションキャンペーンに関して言えば、「美味し国 伊達な旅」の「美味し国」の部分について、「美し国」をキャッチフレーズとして観光キャンペーンを展開していた三重県が宮城県に対して噛みついたという経緯があります。そのぐらいの気概が、伊達市にも欲しかったですね。老舗表彰工場が贈る京銀紋染「伊達政宗厚手巾着袋」
2009.01.01
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