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ここで言う宇宙とは、いわゆる銀河系とかの3次元の物質的な宇宙だけを指すのでは無く、多次元にまでわたる宇宙構造とその仕組みのすべてを指しています。
まず、宇宙の根源・根本について述べてみましょう。
ここではこの宇宙の根源・根本であるものを「ワンネス」と呼んでおきます。
「一つなるもの」とでも言った意味になりますが、何かしら名称が無いと不便ですので便宜上、そう呼んでおきます。
ここで「ワンネス」と表現している宇宙の根源・根本は様々な名で呼ばれています。
根源、根本、第一原理、それ、神、等々。
この「ワンネス」のことを説明し語ることは、一般的に言って非常に難しいのです。
と、言うのも人の思考や理解には、なかなか収まってくれない代物だからです。
理由はあります。
難しいと言っていますが、実際には難しいのでは無く、私達がそれを理解し実感しないようにして、世界が成り立っているからなのです。
難しいどころか逆のもの。
複雑怪奇どころか、これ以上無い単純なもの(でも単純という言葉すら本当は当てはまらないもの)。
だって宇宙には本当は「それ」しか無いのですから。
宇宙の実態は「それ」しか無いのです。
この理解し難いものを、それでも何とか説明してみましょう。
まずは完全なものを思い浮かべてみて下さい。
完璧なものを思い浮かべてみて下さい。
「ワンネス」とはそういったものでもあるのですが、でも完全とか完璧とか言うと普通、欠けの無いものを想像しませんか?
欠けが無いと言えば、確かに欠けが無いのですが、欠けるということは、欠けるに足る実態がまずあるわけです。
その実態すら無いのです。
「ワンネスとは無のようなものか?」と何人かの別々の人に聞かれました。
「そういう風に思うんだ」という感想と、複数の人に判で押したようにこの同じ質問をされましたので「皆、同じような疑問を抱くんだ」という感想を持ち、とても興味深く感じましたが、答えは「違います」というものです。
「無」の逆です。
「ある」という感覚が強いて表現するなら近いものです。
それも圧倒的な「ある」という感覚。
でも「圧倒的」と言うと「量」があることになるわけです。
その「量」もありません。
「質」も無いです。
「時間」もありません。
「空間」もありません。
「次元」もありません。
「感情」もありません。
「思考」もありません。
「意志」もありません。
「意識」もありません。
「動き」もありません。
まったく分かたれていないのです。
分離が一切ありません。
でも分かれるとか分離とかいうと、その分かれたり分離したりする元があるように思いますが、その分かれる元自体が無いのです。
で、「じゃあ、無のようなものか?」という質問が出てくるのでしょうが、「違います」。
むしろ「逆」です。
ちなみに本当の「無」というものは宇宙に存在しません。
本当の「無」ということがあるのなら、それは究極の錯覚状態のことを指します。
また、「分離の果て」というものも本当はありません。
「分離」というものも本当は宇宙に存在しないのです。
本当に宇宙にある実態は「それ」のみ、「ワンネス」のみなのです。
「ワンネス」とは「絶対」です。
でも普通、何となく「絶対」というと「強固な信念」とか、「それだけで強化したもの」とか、「それだけで純化したもの」とか、「特化したもの」とか、その他そんな風な感じで受け止めませんか?
そういうものでは無いのです。
ここで言う「ワンネス」の「絶対」とは、「質」も「量」も「その他のもの」もありません。
「絶対」とは結構、言い得て妙の言葉で、文字通り「対になるものが絶っした(絶無)」の状態なのです。
反対語が「相対」です。
これも言い得て妙の言葉で、私達が経験する宇宙はすべてこの「相対」で成り立っています。
「ワンネス」。
もしかしたら、「高次元超精神生命融合体」のようなものを想像してもらえると、ちょっとだけ「ワンネス」のイメージの理解に近いかも知れませんが、本当に「高次元超精神生命融合体」というものがいたら、それは相対の多次元宇宙の中の一存在に過ぎませんので、根源たる「ワンネス」そのもののことではありえません。
「ワンネス」は、精神でもなければ、融合体でもなく、高次元の存在ですらありません。
次元という幻影を作り出している本体でもあるからです。
「ワンネス」。
存在そのものであり、生命そのものであり、絶対そのものであり、神そのものであるもの。
宇宙の唯一の実態。
すべてのものの本当の正体。
そして私達の究極の正体でもあります。
ちなみに「神」と言っても「ワンネス」は、これをしろとか、あれをするなとか、これが神の意志だとか、神の計画だとか、一切言いません。
「意識」とか、「意志」とか、持っていないです。
よく「神」がこう言ったとか、「神」の意思だとか、「神」の法則だとか言いますが、本当の宇宙の唯一の実在である「神」=「ワンネス」には一切そんなものは無いです。
「ただある」それだけです。
「存在」そのもの。
そういうものです。
ある意味でですが(便宜上の説明ですが)究極の喜びとは、「ワンネス」のことです。
神への回帰、あるいは神人合一とは、「ワンネス」のことです。
ニルバーナ(涅槃・悟り)もまた、本来は「ワンネス」のことです。
他にも「仙道」の方の還虚合道とかも本来「ワンネス」のことです。
ある人が、人とかすべてのものの究極の目的は「ワンネス」になることだというようなことを言っていたのですが、「違います」。
正直、「よくわかってない人だな」と思います。
あの、「ワンネス」ってなるものじゃあないんです。
なるもくそも、最初から「ワンネス」以外のものって無いんです。
人の目的もワンネスになることではありません。
ある個人、一人のある人が自分で決めた人生の目的が、自分の正体がワンネスであることを完全に思い出すということはあり得ます(これも便宜的表現ですが)。
でも人の目的、人類の目的、すべての存在の目的がワンネスになることなんてことは無いです。
なぜなら、逆に私達はワンネスである実態から、わざわざ芸術的なまでに錯覚に錯覚を重ねて今ここで人間としての個人の意識を持って、わざわざ人生を送っているからです。
じゃあ、人生の目的って何でしょう?
その人が決めた目的以上のものなんてありません。
その人が人生の目的を変えれば、文字通り人生の目的は変わります。
また、別の表現をさせてもらえれば、人であることがあなたの目的です。
あなたがあなたであることが、人生の目的です。
あなたの人生を生きることが、あなたの目的です。
そういう言い方もできます。
例えばあなたが個人として、自分の究極の正体がワンネスであることを思い出し完全に実感するとします。
そうするとどうなるかと言うと、あなたは消えます。
投影をやめてしまいます。
相対をやめて、絶対に戻ってしまいます。
錯覚をやめます。
「ワンネス」であることを完全に思い出し実感するとは、「ワンネス」そのもののこと。
あなたという幻は消え、ワンネスだけがそこにあることになります。
言っちゃあ、何ですが、私達はわざわざ錯覚を起こし、幻である人間の「私」を生きています。
すべての「人」がです。
「人」どころか、すべてのもの、すべての存在がそうなのです。
人生の目的とは何か?
あなた自身が目的です。
そしてあなたが決め選択したことが目的です。
それは「奇跡」と言えば「奇跡」なのですよ。
私が多次元宇宙の探求を経て、何が一番驚嘆したって、この「制限」を作り出すほうが大変なんだという事実です。
例えばですが、この制限だらけのいやになる物質世界をわざわざ作り出すために、どれだけの芸術的な技術の極みとでもいうべきものを駆使して、錯覚に錯覚に錯覚を重ね、投影に投影に投影を重ね、幻影に幻影に幻影を重ねて、わざわざ作り出されているか。
まさに究極の芸術、技術の粋と極み、そんなものでわざわざできているのです制限って。
人間であるって、ある意味、すごいことなんですよ。
あなたがあなたであるって、ある意味、すごいことなんですよ。
あなたが「神」なんです。本当に。
ああ、でも私なりの助言です。
あなた以外の人も「神」なのです。
あなた以外のすべても「神」なのです。
だから軽々しく犯しに行かないで下さいね。
他人を自分に貢ぐための道具にしたり、他人を自分を崇拝させて自分の優越感を感じるための道具にしたり、他人を貶めて自分の価値を感じるための道具にしたり、他人にやらせても自分がやったと盗んだり、その他もろもろ、まったくおすすめしません。
そんな必要が無い人生をおすすめします。
それでも上記のことをどうしてもやるというなら、別に止められませんし、ある意味で止めません。
でも、責任も自分で背負うことになります。
逆もそうです。
自分で自分を犯すような、自分で自分を傷つけるようなことも止めることをおすすめします。
自分自身を不当に傷つけたり、また、不当に搾取される所に自分を置いたり、自分への虐待を許したり。
そういったものも、まったくおすすめしません。
ガラにも無く何か偉そうなことを言っちゃいましたが・・・。
あなたの人生をあなたが彩ってみて下さい。
それは「可能」です。
また、他の人と共同創造で何かをやってみたいなら、それもありです(ただ、相手や仲間は、自分と共同創造するに本当にふさわしい人を選んだ方がよいとは思いますが・・・例えばあくまで一例ですが、搾取もせず、搾取もさせぬ相手を)。
「自由」。
あなたは本来「自由」なのです。
制限だらけの嫌になっちゃうこともあるだろうこの世界で、本当はあなたは「自由」です。
その「自由」の本源は、「あなたは神だ」という紛れもない事実なのです。
あなたが本当に持っているもの、それは幻で制限を作り出し、その自分縛りの中でいかに自分の創造性や独自性を発揮し、自分自身の生きがいを生きるかという、制限というものを自分に課す自由すら自分に駆使した「自分で作ったゲーム」の「主人公」だという事実なのです。
次回は、この唯一の実態である「ワンネス」から、言わば「絶対」からどのようにして「相対」の世界が作られ、多次元世界が作られ、私達の生きる物質世界が作られていったのか、そういった話をしたいと思います。
<宇宙の仕組みについて・No2に続く>