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テレビ朝日45周年記念番組と称して『エースをねらえ!』がスタートした。テレビ朝日もどえらいもんに社運を賭けたものである。どこが記念番組なんだか。かつての月曜8時「月曜ドラマイン」を彷彿とさせる作風である。これぞテレ朝という気がしないでもない。別に原作に思い入れもないしビデオ録画してまで観たいドラマでもないので、『とんねるずのみなさんのおかげでした』を観ながらパチパチとザッピングしながらこのドラマをちょろっと覗いてみた。主演は上戸彩。どう見ても性悪な匂いがする彼女はいじめられ役には向いてないと思う。そこのところ、これから彼女の演技力でカバーできるかどうか。たまたま見たシーンは、岡ひろみのラケットのガットがズタズタに切られているシーンだった。他にも「靴に画鋲」などという、非常にプリミティブな苛めの数々が展開されている。なんかいいな、靴に画鋲。わかりやすくて逆に心が和む。このドラマの見所は岡ひろみ役の上戸彩よりも、「お蝶夫人」こと竜崎麗香を誰が演じるかというところであった。結局、「お蝶夫人」を演じるのは松本莉緒だった。『ガラスの仮面』の姫川亜弓役に引き続き、少女漫画における縦ロールを三次元の世界に体現することに成功していると思う。違和感なし。すげえ。松本莉緒は元々松本恵という名前でドラマなどで活躍していた。ちなみに高校のクラスメイトの友達の妹であるらしい。東京郊外出身ということで妙に親近感。私が抱く彼女のイメージは『サイコメトラーEIJI』における、目がクリクリした妹キャラであった。しかし『サイコメトラーEIJI』も既に7年前のドラマである。可愛らしかった彼女ももう22歳だ。月日が経つのは早いもので。そんな松本莉緒を『エースをねらえ!』でチラリと観たとき、「顔が変わった」と思った。やっぱり大人の顔つきになったのか。松本莉緒はどことなく武田久美子に似てきた気がする。武田久美子というと、かつてのスポ根ドラマ『スワンの涙』で主演の宮沢りえを苛める役柄が思い起こされる。演じる役柄に差こそあれ、何となく通ずるものがある。高校生でありながら夫人。松本莉緒はそんな竜崎麗香に説得力を与えているように思える。平成のご時世だからこそ縦ロールが逆に新鮮である。あくまで原作に忠実であろうとする製作者の姿勢は好印象。この際上戸彩はどうでもいい。このドラマは松本莉緒のためのドラマである。そしてまた、「縦ロール」のイメージが定着しつつある彼女はこれからどのような路線を歩むのか。よくってよ、よくってよ。 お蝶夫人ホタテ夫人
2004.01.18
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今日は午前中に就職活動をしてきて、午後がぽっかり空いてしまったので渋谷で『ヴァイブレータ』を観てきた。今年初めての映画館である。しかし渋谷という街はいつ行っても迷う。宮益坂だの道玄坂だの、東京ネイティブでもさっぱりわかりましぇん。迷いに迷って到着したイメージフォーラムは、平日午後ということもあってか空いていた。『ヴァイブレータ』という映画の内容からしても、客層は若い女性が多いのかとタカをくくっていたら、シニア層がかなり多いことに驚いた。1人で観に来ているおじいちゃんや友人と観に来ているマダムなど、意表を突く客層であった。やはり、寺島しのぶという玄人受けする女優が主演している故か。フリーのルポライターである早川玲は、頭の中で響く声に悩まされている。そのせいで情緒不安定になってしまった彼女は、食べては吐くことを繰り返しアルコールにも依存してしまっている。そんな彼女は深夜のコンビニで、長靴を履いたフリーの長距離トラック運転手・岡部希寿と出会う。彼を見かけた玲は咄嗟に「あれ、食べたい」と思い、彼が運転するトラックに乗り込む。トラックの後部座席でセックスをする2人。玲は1度はトラックを降りるが、再びトラックに戻る。「道連れにして」という彼女を乗せて、トラックは新潟へと向かう。これ以降はネタバレを含む。『ヴァイブレータ』は東京と新潟を往復するだけのロードムービーである。そんなに長い距離じゃない。しかしそこに流れている時間はとてつもなく濃厚である。行きずりの相手と肌を合わせるということは軽薄な行為とみなされるだろう。しかし一時でも「誰かと肌を合わせる」ということでお互いの体温を感じることがちょっと羨ましくも思える。寺島しのぶ演じる早川玲は様々なコンプレックスから精神のバランスが崩れてしまう。冒頭でコンビニに現れた彼女は攻撃性に満ちていて、しかしどことなく怯えているような表情をしている。そのコンビニで出会った、大森南朋演じる岡部と行動を友にし、再び同じコンビニに帰ってきた玲の表情はうって変わって清々しいものになっていた。孤独であることには変わりはない。でも誰かと触れ合えたことが少なからず自信に変わり、どん底から再生できた彼女の微笑がとても美しい。あちこちで取りざたされているのが、この映画におけるラブシーンである。確かにかなり過激な描写を含んでいる。しかし描き方が巧みなために、エロい中にも複雑な心理が描きこまれている。セックスという行為の間抜けさや照れがとてもリアルに描かれている。そんなリアルさに「人間は卑小だけど、でもいとおしい存在」と感じさせられる。寺島しのぶも大森南朋も評価に違わぬ好演である。というか、私は「寺島しのぶと大森南朋の芝居を観た」というよりは「早川玲と岡部希寿のドキュメンタリーを観た」という錯覚に陥ってしまった。寺島も大森も、とても自然で確かな肉体性を持ってスクリーン上に存在していた。この映画はこの2人でなければ成り立たないと思えるような確固たる存在感を持っていた。この映画の見所の1つであるのが、ラブホテルでのラブシーンである。声にならない声が頭の中で響いて爆発しそうになってしまう玲を、岡部が優しく包み込む重要なシーンである。人間の弱さと優しさを同時に描ききった、出色の出来である。ラブホテルという空間は卑俗的ではあるが、逆にそんな空間であるからこそ2人の営みがいとおしく感じられる。ただ「脱いだ」という話題で片付けられるべきではない、素晴らしいラブシーンであった。この物語の大半は、トラックの車内という密室で展開される。このシチュエーションも秀逸である。本筋とは関係ないが、私は高速道路を走る車に乗るのが好きである。風景が後ろに流れる疾走感や、真っ暗な中で煌々と光る深夜のサービスエリアのハレの感じが大好きなのである。そして何よりも車に乗っているときの心地よい振動がたまらなく好きである。この映画を観ていて、そんなハレの感じやタイトル通りのヴァイブレーションを体感できて心地よかった。結局、玲は東京に帰ってきて岡部と別れる。「彼を食べて、彼に食べられた。それだけのこと」というセリフに続く「ただあたしは、自分がいいものになった気がした」という最後の言葉がこの映画の全てを物語っている。淋しいけれど、それでも何かを吹っ切れたような爽快感がここにはあった。寺島しのぶと大森南朋の演技力が光る、シニカルでありながらも優しい、エロいけどポップな映画が誕生した。良い映画を観た後は、何とも言えない高揚感に包まれる。映画の余韻を引きずったハイなようなローなような不思議な感覚である。久しぶりにそんな感覚を味わえた映画である。これは女性のみならず男性も観るべきである。この映画の大森南朋のような男性になりたいものである。でもあんなに優しい男はいないと思う。そこはかなりファンタジーである。★★★★☆
2004.01.20
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