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【ケープタウン】「窓を割って逃げるんだ」「どうやって割るの?(縛られてるのに)」「俺って石頭だから」「バカね、、、頭でガラスを割る気なの?」「どうせ空っぽだし」「あなたって成長がないんだから」「これからもずっとガキだよ、、、でも君を愛してる」監督も脚本もフランス人なので、こういう色合いの作品になっても何ら不思議はない。パリパリのフランス映画である。お国柄なのか、犯罪モノともなれば、暗く陰鬱なムードで視聴者を深い闇へと引きずり込んでしまう。主演はオーランド・ブルームとフォレスト・ウィテカーという二大巨頭であるから、悪かろうはずがない。オーランド・ブルームの代表作に、『パイレーツ・オブ・カリビアン』や『ロード・オブ・ザ・リング』などがあるが、どれも好青年でまっとうな(?)役柄だったのに対し、『ケープタウン』においては酒浸りで、しかも女にだらしのない刑事役なので驚いた。そんな中、「いや、このキャラはオーランド・ブルームにはムリじゃないのか?」と一瞬でも思わせる場面はなく、最後まで無頼を決め込んでくれた。一方、フォレスト・ウィテカーという役者さんもスゴイから見ごたえがある。オーランド・ブルームが来日した際のインタビュー記事を読んで、ますますフォレスト・ウィテカーが好きになった。 「病院のベッドから起き上がるシーンがあったのですが、起き上がって彼(フォレスト・ウィテカー)がそのまま床にドンと倒れてしまいました。みんな(スタッフ)はケガをしたんじゃないかと慌てて駆け付けたのですが、“ごめん、ごめん、ちょっと役に入りすぎてやりすぎた”と言ってました」 こういう迫真の演技ができるというのは、それだけに役柄を丁寧に追求し、キャラクターを我が物として操っていることに他ならない。正に、役者としての職人技である。 ストーリーはこうだ。南アのケープタウンが舞台。元ラグビー選手の娘ニコールが何者かに殺害される事件が発生した。アパルトヘイトはすでに撤廃されていたものの、黒人ながら警部にまで昇進したアリ刑事らがこの事件を捜査することになった。アリ刑事のもとで働くブライアンは酒浸りで、しかも女にだらしがなく、自堕落な生活を送っていた。別れた妻との間には一人息子がいたが、なかなか思うようには打ち解けられず、歯がゆい思いをしていた。別れた妻にはすでに同棲している歯科医の男がおり、ブライアンのつけ入る隙などなかった。一方、彼らの同僚であるダンには、難病を抱える妻がおり、仲睦まじい夫婦の絆を垣間見せられた。そんな折、ニコール殺害の捜査中、ダンは凶暴で悪質な黒人グループに殺害されてしまう。しかしその現場には、怪しい薬物が残されていた。それは、ニコールの体内から検出された未知の分子が含まれた麻薬だったのだ。手がかりを得たアリとブライアンは必死で犯人の行方を追うのだった。 『ケープタウン』に登場する一人一人が闇を抱えているのだが、フォレスト・ウィテカー演じるアリ刑事の過去は壮絶だ。幼いころ父を殺害され、さらには狂暴な犬から必死で逃げる中、性器を噛みつかれ、その場に居合わせた白人らから足蹴にされるという残酷極まりない体験を持つ。そんな辛酸と苦杯をなめた男(アリ)がどんな思いで、どうやって警部にまで昇りつめたのか、想像を絶する。南アにおいて、一人一人の命というものがあまりにも軽く見なされることに絶望しているブライアンも、警察官であることに誇りなど感じられず、自堕落に日々を生きるしかない。そういう背景をあれこれ想像しながらこの映画を見ると、南アフリカという国がどんな地域性を持つのか、少しだけ理解することができる。 特に、命についての価値観がまるで違う点については、日本人にとって大きな参考となるであろう。「話せばわかる」というのは、同じ伝統・文化・言語を持つ民族の中だけであり、一歩外に出たら、南アの状況を思い描けば助けになる。気に入らなければ殺害し、欲望を感じれば女を犯す。警察官など気休めに過ぎず、大勢でよってたかって惨殺してしまう。子どもは売り飛ばし、金に換える。そういう犯罪行為が野放しになっている国家が、地球上のあちらこちらに存在することを知らず、キレイゴトだけを並べる偽善者にはうんざりしてしまう。 これからどんどん外国人が日本に入って来るのは避けられない。「話せばわかる」相手ではない。(もちろん、外国人のすべてが悪人なわけではない。)防衛について、もっと真剣に考えるべきではないのか。平和とは対極にある、この『ケープタウン』をぜひともご覧いただきたい。現実というものの一端を垣間見られるに違いない。 2013年(仏)、2014年(日)公開【監督】ジェローム・サル【出演】オーランド・ブルーム、フォレスト・ウィテカー
2015.09.27
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【悪の法則】「僕を助けてくれませんか?」「あなたは自分が置かれた状況の事実を見るべきだ。これは私の心からの忠告だ。どうすべきだったかは私からは言えない。犯した過ちを取り消そうとする世界は、過ちを犯した世界とはもはや違う。今あなたは岐路にいて道を選びたいと思っている。だが選択なんてできない、、、受け入れるだけなんだ」脚本を担当したコーマック・マッカーシーという独特な名前には覚えがあった。この作家、『ノー・カントリー』の原作者でもある。『ノー・カントリー』と言ったら、絶望に輪をかけたような、後味の悪い作品だった。とはいえ、メガホンを取ったのがコーエン兄弟で、徹底的な悪の象徴としてハビエル・バルデムが好演。さらにはいぶし銀のトミー・リー・ジョーンズが、善き人間の最後の砦として輝いていた。そのせいか、決して嫌いな作品ではなく、むしろ、人間の非情と無秩序を綿密に表現していたと思う。さすがはコーエン兄弟監督である。 一方、『悪の法則』はリドリー・スコット監督がメガホンを取った。『エイリアン』を作った人である。おどろおどろしい殺害方法は、やはりホラーを感じさせる。インパクトは強烈だし、容赦ない危険性に溢れている。だが、何と言ったら良いのか、そこに品性が見られないのだ。テーマとなっている人間の原始的本能(ウィキペディア参照)、道徳外など、思う存分残虐性は表現されているのに、セリフに込められた哲学的フレーズがどうも追いつかないのだ。 ストーリーはこうだ。若く有能な弁護士“カウンセラー”は、恋人のローラとベッドを共にしていた。その後カウンセラーは、美しいローラにプロポーズするため、宝石商から高価な指輪を購入する。カウンセラーは決して貧乏ではなかったが、さらなる自己実現を果たすため、裏社会のビジネスに手を染めていく。カウンセラーの友人である実業家のライナーに、「一回限り」という約束で、麻薬ビジネスに足を踏み入れたのだ。ライナーから紹介された麻薬の仲買人ウェストリーは、弁護士という立場のカウンセラーに好奇心を抱きつつも、取引に関わるメキシコの麻薬組織が、弁護士には容赦ないと警告する。カウンセラーは動揺を隠せず、絶句するが、欲望は抑えられず、利益率4000%という数字に決断してしまう。一方、自動車工場では、ドラム缶に入れたコカインをバキュームカーに隠す作業が行われていた。そのバキュームカーは、デザート・スター下水処理会社へと向かっていた。 こういう作品を目の当たりにすると、やはり人間というのはどうしようもない生きものであることを痛感する。メキシコの麻薬組織をあげて、徹底的な悪に仕立て上げているが、とにかくハンパない。美しい人間の女性でも容赦なく殺害し、見る影もない死体をごみ処理場にポイ捨てだし、殺される理由のない人間でも蟻を踏み潰す程度の感覚で殺害される。そこには感情など存在せず、命乞いは無駄な抵抗に過ぎない。本能に突き動かされた人間を、常識人にはもうどうすることもできないという現実を物語っている。 オールスターが演じているだけに、演技そのものは非の打ちどころがない。だが、この世に「善」などありはしないという究極の結論を突き付けられた気持ちは拭えず、絶望的だ。とにかく興味本位だけで見てしまうと、大失敗する。心身ともに健全な方で、どんな映画も肥やしにしたいと思っておられるエネルギッシュな方、限定かも。 2013年公開【監督】リドリー・スコット【出演】マイケル・ファスベンダー、ペネロペ・クルス、キャメロン・ディアス、ハビエル・バルデム、ブラッド・ピット
2015.07.04
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【ミッドナイト・ガイズ】「今後の予定だが、ずっとしてみたかったのに、まだ実行していないことはあるか?」「2人の女とヤることだ」「そんなのお易いご用だ。すぐ叶えてやる」映画好きの誰もが感じていることだとは思うが、最近の流行は、かつてのヒーロー・スターが年齢を経た今も現役で頑張っている姿をクローズアップした作品である。たとえをあげるとするなら、『RED/レッド』とか『エクスペンダブル』などである。それにはいろんな意味合いがあると思うが、“まだまだ若いもんには負けられない”という視聴者サイドの気持ちを代弁していることがあげられる。もっと突き詰めて考えると、“若いころはいろいろあった。だけど老いた今、自分の信じる道をまっとうに歩みたい”といった、ある種の哲学さえ伺える。かつて、映画鑑賞が娯楽の筆頭だった世代もすでに中高年となり、同じように年齢を経た、ヒーロー・スターたちへの感傷的で懐古的な心情は、否定できない。しかし、そういう多くの映画世代の支持により、かつてのヒーロー・スターが今も尚、映画市場を賑わせるのだ。 『ミッドナイト・ガイズ』も七十代のアル・パチーノと、クリストファー・ウォーケンによるギャング映画だ。演技派の名優2人も、鮮明な画質にさらされてしまうと、その皺の数や白髪に老いは隠せない。当然である。だが、そこがまたいい。“終わり良ければすべて良し”を地でいく内容となっている。 ストーリーはこうだ。28年もの間、仲間の罪をかぶって刑務所に入っていたヴァルは、刑期を終え、出所した。刑務所の外で迎えてくれたのは、親友のドクたった一人きり。2人は再会を喜び、ヴァルの願いを叶えるべく、売春宿に出かけたり、ディスコに出かけたり大いに楽しむ。そんな中、ドクは今一つ浮かない顔をしている。というのもギャングのボスから、翌朝の10時までにヴァルを殺すよう命令されていたのだ。しかしドクは、なかなか踏ん切りがつかない。一方、ひょんなことからかつての仲間が現在老人ホームに入所していることを知り、ヴァルとドクはそこから仲間を連れ出すことにする。老人ホームにいたのはハーシュで、車の運転にかけてはA級ライセンスだった。3人は、夜のハイウェイでパトカーとのカーチェイスを楽しみながら、その追跡を振り切ってしまうのだった。 アル・パチーノは『ゴッドファーザー』シリーズでもおなじみで、正にハマリ役。一方、クリストファー・ウォーケンも代表作に『ディア・ハンター』や『デッドゾーン』などがあり、言わずと知れた個性派俳優。『ミッドナイト・ガイズ』では、至ってマジメそうなオジさんなのに“節約”と称して薬局に盗みに入り、高血圧の薬やら胃潰瘍の薬などを持って行くところが面白い。血生臭い暴力映画に辟易している方々にも、ぜひともご覧いただきたい。いかがわしく乱暴なシーンは一つもないからだ。ところどころに笑いのスパイスが効いていて、あっという間の90分なのだ。 2013年公開【監督】フィッシャー・スティーヴンス【出演】アル・パチーノ、クリストファー・ウォーケン※ご参考まで『REDリターンズ』はコチラまで
2014.08.10
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【アイガー・サンクション】「部員一人がチューリヒで敵二人に殺された。犯人を“サンクション”しろ」「悪いが誰かほかの者に殺させるんだな」「“殺す”など下品な言葉はよせ」「“サンクション”でも“制裁”でも、要するに殺しは殺しだ」つくづくクリント・イーストウッドはスゴイ人物だと思う。役者としてのキャラは、ご本人もよくご存知のようで、ちょっとばかしクセのあるヒーロー役がお得意だ。そういうキャラクターを生かすも殺すも、全ては監督の演出に左右されるものなのだが、イーストウッド本人が監督でもあるので、その辺においても全く抜かりない。70年代の作品なのでもちろんCGなどは使用しておらず、全てが本物だ。このリアリティーはどうやったって作り物からは感じられない。アナログだからこそのド迫力というものだ。さらに、音楽を担当したのが、あのジョン・ウィリアムスだ。ジョン・ウィリアムスと言ったら『スターウォーズ』の音楽を手掛けたことでも有名な人物。この人のメロディーがバックで流れたら、それだけで作品は成功したようなものだろう。見どころはやっぱり、アイガーを制するために、垂直にそそり立つ岩壁を登るシーンだろう。この命懸けのシーンを見るだけでも『アイガー・サンクション』の存在価値はあるからだ。話はこうだ。今は大学で美術の講師として勤務するジョナサン・ヘムロックは、実は敏腕の殺し屋だった。ある日、ボスでもあるドラゴンから使者が来た。それは、再び殺し屋としてターゲットを始末せよという依頼だった。だが現在はすでに殺し屋稼業から足を洗ったジョナサンは、断るつもりでいた。が、それは不可能。なぜならドラゴンはジョナサンの弱みを握っていたのだ。仕方なく依頼に応じたジョナサンは、難なく一人を始末したのだが、ドラゴンはもう一人も“サンクション”せよ、という。ジョナサンは断るものの、ドラゴンの息のかかった美人のキャビン・アテンダントと一夜を過ごしてしまい、金庫に入れておいた3万ドルの小切手と政府発行の保証書を盗まれてしまう。こうしてジョナサンは、もう一人も“サンクション”しなければならなくなってしまった。ところがターゲットの名前は不明。分かっているのは、近々アイガーに挑む国際登山チームの一員で、どうやら片足が不自由な人物だという情報のみだった。ジョナサンは登山経験者で、しかもアイガーには2度挑戦して2度とも失敗していたのだ。作品を鑑賞して気づいたことなのだが、どうやらクリント・イーストウッドはスタントマンを使っていないようで、ご本人自らがリアルに登山に挑んでいる。隙のない真剣な顔つき、見事な登山技術は、どこから見てもスゴイの一言。スイス・アルプスの広大な自然美を眺めるだけでも癒されそうだ。圧倒的なリアリティーを感じさせる完成度の高い作品だ。1975年公開 【監督・出演】クリント・イーストウッド
2014.05.11
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【ラスト・ターゲット】「私はここで瞑想に耽るのです。私によくしてくださる神に心から感謝したり、罪深い友人たちをお救いくださいと頼んだり・・・」「人は皆罪深い」「より罪深い人々もいます。平安を求める者は、過去に多くの罪を犯しているのです」 犯罪モノと言うともっと血生臭くて、ストーリーよりはむしろアクションに重点を置いたものが多い。だがこの作品は、イタリアのローマを舞台に、映像の美しさとは対極の殺人シーンや、神父と暗殺者、賑やかな聖体行列と主人公の孤独が見事に対比されている。監督のアントン・コービンのプロフィールを調べたところ、もともと写真家で、スチール写真とビデオを組み合わせたミュージック・ビデオなども数多く手掛けているようだ。それが影響してかどうかは想像だが、確かにワンカットワンカットが誌的で美しい。冒頭から主人公のジャックが、彼女と一緒のところを狙撃され、見事、敵に撃ち返して事なきを得るのだが、その時、自分の傍らにいる彼女まで撃ち殺してしまうシーンがある。つい今しがたまでベッドを共にしていたと思われる彼女に発砲するとは、なんて冷酷非情な男なのだろうと思ってしまう。だがジャックは、これまでずっと暗殺を生業にして来た孤独な男で、誰に対しても疑心暗鬼になっているのだろう。この辺りの心理描写、あるいは状況描写が難しいところかもしれない。スウェーデンで女と一緒のところを狙われた、殺し屋のジャックは、ひとまず身を隠すためにイタリアのローマへ行く。組織の一人であるパヴェルから、ケータイと車のキーを手渡されると、ローマから遠く離れた田舎町へ行くよう指示を受ける。その後、ジャックは指示とは異なる町で、アメリカの写真家として小さなアパートを借りる。そこで再び組織から仕事の依頼を受ける。それは、減音器付きの狙撃ライフルの製作だった。ジャックは町のカフェで組織の女と会い、詳細を訊くと、さっそくライフルの製作に取り掛かった。この作品が魅力的なのは、最初から最後まで無駄なシーンがないところだ。主人公ジャックが、孤独を癒すためか、度々出向く風俗店でのカットさえ、隠微で悲哀を誘う。お気に入りの娼婦(クララ)がいない時など、さっさと風俗店を出てしまう一途な男の一面も見逃せない。殺し屋として生きて来たジャックが、冒頭で連れの女に疑いを向けて殺害してしまうシーンで、ジャックの内面の戸惑いや嫌悪感をもっと効果的に表現できたら、さらに完成度は高くなったかもしれない。いずれにしても、見事な犯罪サスペンスに仕上げられている。2010年(米)、2011年(日)公開【監督】アントン・コービン【出演】ジョージ・クルーニー
2013.10.20
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【ロシアン・ルーレット】「申し訳ないけど・・・どうも僕がここにいるのはマズイようだ。それなら帰るよ」「手遅れだ」「帰りたいんだ!」「いや、参加してもらう」友人から「これはB級映画の正統派だ」という賛辞の(?)言葉を耳にして、半信半疑の中で鑑賞してみた。だが、それはウソではなかった。B級映画に流派があれば、『ロシアン・ルーレット』は正に、本家本元の正流であろう。 この作品を手がけたのはフランス人監督のゲラ・バブルアニだ。まだ30代という若さで、そのせいか勢いとか意気込みを感じさせる作風だ。ストーリーはノワール風で、全体的に暗く陰鬱で、人生の無常観すら漂わせるものだ。 舞台はアメリカの片田舎にある豪邸。しかもその地下室で秘密裏に行われているという設定になっている。だがさすがはフランス人監督で、何やらヨーロッパの紳士の集まり的なムードさえ感じさせるから不思議だ。内容としては、人間の命を賭けてのギャンブルで、17人のプレーヤーたちに怪しげな富豪らが大金を賭けていくというものだ。病院で入院中の父を持つヴィンスは、しがない見習い電気技師。働けない父に代わり、まだ幼い妹を含む家族の生活が重くのしかかっていた。ある日、工事の仕事で出向いた家で、そこの主人が何やら大金の儲かる仕事について話しているのを訊いてしまう。仕事の内容が書いてあると思われる手紙をこっそり盗み出すことに成功したヴィンスは、手紙の指示通り列車に乗り、タクシーで指定の場所まで向かうことにした。ところがヴィンスのやろうとしていた仕事は、命を賭けた集団ロシアン・ルーレットだった。どこかの刑務所から出されたばかりの囚人パトリック役に、ミッキー・ロークが扮しているのだが、このふてぶてしさとか、最後まで悪運の強いキャラが、見事にハマっている。また、ほとんどセリフはないが、ジェイソン・ステイサムも好演。入院中の実兄を無理に連れ出して、ロシアン・ルーレットのプレーヤーにさせる、血も涙もないような非道な弟ジャスパーを淡々と演じていた。主人公のヴィンス役に扮したサム・ライリーは、まだ知名度こそ高くはないが、ミッキー・ロークやジェイソン・ステイサムのようなアクション・スターを相手に、確かな演技で互角に演じていた。今後の活躍が楽しみな俳優さんだ。それにしてもこの作品、金のためとは言え、命を賭けてのギャンブルだなんて余りに恐怖を覚える。ロシアン・ルーレットなだけに、あな、おそろしや。(笑)2011年公開【監督】ゲラ。バブルアニ【出演】サム・ライリー、ジェイソン・ステイサム、ミッキー・ローク
2013.10.13
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【ストーン】「ムショを出たい気持ちは変わらねぇよ。けど外でも中でも・・・感じることは同じだ」 「何も問題ないとでも言うのか?」「突然前向きになったわけじゃないさ。ずっと考えてることだ。今でも善人じゃない。相変わらず短気を起こして悪態ついて手も出すだろうぜ。でも俺は俺でしかない。それでいいんだ」久しぶりに見ごたえのある作品に出合えて、本当に嬉しい。しかもロバート・デ・ニーロとエドワード・ノートンの二大俳優の共演とあっては、見ないでいられるわけがない。強烈な印象を受けるはずのデ・ニーロが、ここでは至って平凡なサラリーマン役で、いつもの凶悪なマフィアのドンみたいな雰囲気は微塵も感じられない。職場に必ず持参している水筒や、ヨレヨレの背広姿を見ても、しがない公務員にしか見えない。一方、こういう捉えどころのないキャラを十八番として演じられるのが、エドワード・ノートンだ。この俳優さん以外には、ちょっと考えられないぐらいハマっていた。さらに、ミラ・ジョヴォヴィッチにも驚かされた。これがあのジャンヌ・ダルクを演じた女優なのか?!囚人である夫の面会には欠かさぬ良妻でありながら、性欲を持て余して行きずりの男を求める。そして昼間は幼稚園の先生としてかいがいしく働いているのだ。こういう人間模様は、ストーリー展開上とても興味深いし、ワクワクする。定年を目前に控えたジャック・メイブリーは、デトロイトで仮釈放管理官として働いていた。最後に担当するのは、放火犯のジェラルド・クリーソン(ストーン)だった。ストーンは、自分の犯した罪の償いを充分に果たしたと訴え、早く刑務所から出してくれるようにと強く希望する。だがジャックは、ストーンのその態度から誠意が感じられず、保留。ストーンは刑務所生活に耐えられず、妻のルセッタにジャックを誘惑するように頼む。 そうすることで、自分の仮釈放の申請が早まるように画策するのだった。真面目で宗教心の篤いジャックだが、いつも何か抑圧されたものを抱え込んでいて、それが自分でもよく分からず、いっそのこと誰かが自分を殺してくれれば良いとさえ思うことがある。ジャックの妻も同様で、自分本位の夫にはとっくに愛想を尽かしているのだが、甘んじて良妻を演じている。だが自分の中に溜まっているオリのようなものは、すでに爆発寸前だ。一方、刑務所で悶々と過ごすストーンは、ある自己啓発のパンフレットを読み、何か憑き物がとれたように人格が一変する。作品の捉え方は皆それぞれだが、ストーンのセリフにもあったように、偉そうな顔をして囚人の仮釈放管理官をやっていても、お互い五十歩百歩なのだと。法を犯すことは何一つやっていない、ということはあり得ない。だとすれば、誰も人を裁くことなんてできやしないのだと。どんな人間も神の前には平等で、それを認めなければ生涯孤独の中を彷徨うしかないのだと、ストーンのセリフを通じて表現されている。しがない、ちっぽけな、取るに足らない自分を受け入れる・・・それがどれほど苦しく切ないことかを、ジャックが納得するのは難しい。人はみな罪深い偽善者なのだと省みた時、初めて人が人である所以を理解するのであろう。2010年公開【監督】ジョン・カーラン【出演】ロバート・デ・ニーロ、エドワード・ノートン、ミラ・ジョヴォヴィッチ
2013.09.22
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【フレンチ・コネクション】「君は今も銃は足首に所持しているのか? 足首の訳も聞いたよ。女を抱く時、刑事と分からないからだって・・・そんなのウソだろう。それはだまし撃ちにいいからだ」「おい、もうよせ」70年代のハリウッド映画は、“ニュー・ハリウッド”と呼ばれ、映画を再構築する多様な試みが成された時代である。日本では1972年に公開された『フレンチ・コネクション』は、そんなニュー・ハリウッドの時代を象徴し、代表する作品なのだ。この作品の主人公ポパイ役に扮したのがジーン・ハックマンで、この映画に出演したことにより一躍大スターの座にのし上がった。というのも、『フレンチ・コネクション』はアカデミー賞を5部門において受賞した、非常に完成度の高い作品なのだ。こうしてオスカー俳優となったジーン・ハックマンは、ハリウッドのドル箱となり、次々と話題作の常連となる。彼のもう一つの代表作である『ポセイドン・アドベンチャー』の宣伝に来日した際、かの映画評論家である淀川長治が取材している。淀川長治の著書によると、「ジーン・ハックマンの映画出演の作品のかずかずと私の好みとがぴったりと合っている」と記述されていることからも高評価。さらには「ハックマンの顔が私のどこか体質とぴったりして好きとか嫌いを通りこした“好き”の本質的な“好き”」とも語っている。べた褒めだ。プロの評論家さえ呻らせるジーン・ハックマンの演技は、それはもうホンモノだ。間違いない。ニューヨークのブルックリンが舞台。ニューヨーク市警の刑事ドイルは通称ポパイと呼ばれ、相棒のラソーとともに強引な手法で麻薬の密売人を検挙していた。二人は、ナイト・クラブで金遣いの荒い男に目をつけた。男は、ブルックリンで妻とともに雑貨店を営んでいるが、捜査を進めるうちに夫婦には前科があり、麻薬ルートとのコネクションを図っていることが分かる。ドイルとラソーは、大掛かりな麻薬密売を暴くため、執拗に尾行を開始するのだった。 この作品は、確かに見ごたえがあり、70年代を代表する映画には違いない。だが女性にはどうだろう?ストーリー性とかドラマチックな展開を期待する女性には、苦痛かもしれない。見どころはやはり、ジーン・ハックマンが車で犯人の乗る列車を追いかけるシーンだろう。クライマックスでは、敵に狙いをつけ、一発の銃弾で仕留めるところなどカッコイイ。 こういうガン・アクションは、バンバン撃ち合うだけがスリリングなわけではない。そこに込められた作品の意思を汲み取るのも、視聴する側としての役割かもしれない。 CGを駆使したデジタル作品に飽きた方には、かえって新鮮ささえ感じるアナログ映画である。ジーン・ハックマンの本物の演技にも注目したい。1971年(米)、1972年(日)公開【監督】ウィリアム・フリードキン【出演】ジーン・ハックマンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2013.01.20
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「盛大な葬式だな。俺たちが死んでも道端に埋められるだけだ」「そのうち町になる」「そしてその上を買い物客が通るのか」今さらショーン・ペンの魅力を熱く語ったところで、説得力には欠けるかもしれないが、少しだけ語らせていただこう。この人物、正しく、役者バカだ。もっとスマートな言い方にすると、職人か。推測するに、きっと芝居以外には趣味らしい趣味もなく、若い時分からこの道をひたすら走って来たに違いない。だから、性格的にもものすごくとんがっている!激しく世間に抵抗することが、カッコイイことだと思っている。思い上がりも甚だしいが、役者としてはこのぐらいのインパクトがなければ、脚光を浴びることもなかったであろう。事実として、ルックスは明らかに地味めで、主役を演じるには今一つの感は拭えない。 だがその分を穴埋めするだけの存在感に恵まれた。天性のものというよりは、後天的なものであろう。そんなショーン・ペンが、この作品ではアイリッシュ・ギャングの仲間に加わって、大暴れする。舞台はニューヨークのウエスト・サイドの無法地帯。そこで青年期をすごしたテリー・ヌーナンは、しばらくボストンにいたのだが、事情があって再び帰って来た。場末の酒場に行くと、幼なじみのジャックが飲んでいて、テリーとの偶然の再会を喜ぶ。 ジャックは、この辺り一帯をしきる、リーダーのフランク・フラネリの実弟で、いわゆるギャングだった。テリーはそれをコネに、フランク一家の仲間として仕事をさせて欲しいと依頼する。さっそくテリーはジャックとともに仕事を任され、アパートの放火、恐喝、借金の取り立てなどをして、縄張りを死守するのだった。ギャング映画というのは、昔から一つのテーマが出来上がっていて、正義は必ず勝つとか、犯罪者の孤独な最期とか、あるいは警察組織の汚職とか、そういうストーリーテリングが一般的だ。そんなありふれた映画商品が成功するには、どれほどの技術や演出が必要とされたことだろう。一本の傑作の背後には、自然とその時代のあり様が反映されているだろうし、それ以前に、役者らの本気の演技が必要とされる。本作「ステート・オブ・グレース」は、数あるギャング映画の中でも、ショーン・ペンという職人俳優の演技によって救われた作品に思える。ボストン警察の潜入捜査官として送り込まれたテリー・ヌーナンが、幼なじみであるジャックの兄が率いるアイリッシュ・ギャングの一味に加わり、後ろめたい気持ちを必死に隠しながら、葛藤し続ける孤独な男を演じている。内容的にはありふれていながら、この圧倒的な存在感を視聴者に植えつけることに成功している。ショーン・ペンの一人勝ち作品だ。1990年(米)、1991年(日)公開【監督】フィル・ジョアノー【出演】ショーン・ペン、ゲイリー・オールドマン、エド・ハリス、ロビン・ライト・ペンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.08.29
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「なぜ銃が置いてある?」「今夜街を流してカージャッカーを何人か殺す」「手当たり次第にか?」「中には運よく親父殺しに当たるかもしれない。復讐さ」「それで気が晴れると?」同じ殺し屋でもジェイソン・ステイサムが演じると、どうしてこうもスタイリッシュでクールな殺し屋になるのだろう?行為そのものは、倫理観の欠如した非道なものなのに、何やら知的で仕事のデキるクール・ガイとして描かれている。もともと『メカニック』という作品は、70年代にオリジナル版があって、今回はそのリメイク版という形を取っている。オリジナル版の方は、残念ながら観ていないため、比較の仕様がないが、リメイク版である今回の作品に限って言えば、アクション映画としてはすばらしいと思った。特にハラハラさせられるシーンと言えば、殺し屋のアーサー・ビショップが、恩人の息子であるスティーヴと二人でターゲットを暗殺するところだ。当初予定していた暗殺方法から別の手口に変更し、見事殺害に成功するのだが、スティーヴのふとしたミスで、ターゲットの取り巻きに気付かれてしまうのだ。その際の脱出シーンは、レベルの高いアクションとして冴え渡っている。とある豪邸内のプールで、一人の男が泳ぎを楽しんでいた。南米コロンビアの麻薬王だった。男はその最中、何者かに足を取られて暗殺されてしまう。殺し屋であるアーサー・ビショップは、殺人の痕跡を残さないため、麻薬王の死も、単なる溺死として片付けられてしまった。アーサーは犯罪組織から金で雇われ、確実にターゲットを仕留めることで定評があった。 そんな中、アーサーに次の暗殺依頼の話が来る。それは、アーサーの恩人でもあるハリー・マッケンナを殺害するというものだった。身体の不自由な車椅子生活を送るハリーを殺ることに抵抗を感じつつも、アーサーは粛々と実行に移すのだった。ジェイソン・ステイサムのスマートな演技も、ベン・フォスターの役柄としての青臭い演技も、それなりに評価できるものであるが、いかんせん脚本に無理があるような気がしてならない。というのも、放蕩息子であるスティーヴが、父の死をきっかけに自分もプロの殺し屋になろうと、アーサーのもとで修行(?)するのだが、そのアーサーが実は父を暗殺した張本人であることを知り、やがて復讐するくだりはマズイ。これではラストを観た時、視聴者が納得しないのではないか?(放蕩息子に感情移入してしまった視聴者のブーイングがあるのでは?)父の敵討ちという大義名分のあるスティーヴだが、もしも人柄がサイアクで極悪なイメージが強ければ、ラストの結末にも納得がいくだろう。が、決してそうではない。つまり、キャラクター設定に問題があるとも取れる。生意気で恐縮だが、ストーリー展開に異議を感じてしまった作品だ。2011年公開【監督】サイモン・ウェスト【出演】ジェイソン・ステイサム、ベン・フォスターまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.02.26
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「俺を本気で好きになったのかい?」「いけないわね・・・でも自分が分からない」「君は分かってるさ」やっぱりソダーバーグ監督は天才だ、と思ったのがこの『アウト・オブ・サイト』である。作品上で、時間や年月が前後するのにもかかわらず、ちっとも違和感がないのはなぜだろう?この計算されたリズムというのかテンポは、ソダーバーグ作品の独特の味わいをかもし出している。物事や事象がいったん結果を出した時、ストップモーションになる場面は、視覚的にものすごく効果的で印象深い。こういう娯楽的な作品に、目を見張るほどに感じられる才能は、正直めずらしい。徹底的なエンターテインメントを追求する『オーシャンズ』シリーズとは違い、どこかメタフィジカルなものを感じるからだ。銀行強盗のジャック・フォーリーは、銃を使わず騒ぎ立てることもなく、スマートに金を盗むことに成功。だが逃走用の車のエンジンがかからず、警察に捕まってしまう。フロリダの刑務所に収監されたジャックは、相棒のバディと見事に脱獄に成功する。その際、たまたま刑務所に立ち寄った連邦保安官のカレンとバッタリ出くわしてしまう。 ジャックとカレンは車のトランクに押し込められ、バディの運転でどうにか逃走するが、暗く狭いトランクの中で、ジャックとカレンは会話を交わすうちにお互いが惹かれ合っていくのだった。ヒロインのカレン役に扮するのは、ジェニファー・ロペスだ。この人はもともと歌手で、演技もできるので時々映画にも出演する。私生活では恋多き女性として浮名を流しているが、とてもセクシーで魅力的な人物であることは確かだ。主役のジャック・フォーリーは、もちろんジョージ・クルーニーで、ソダーバーグ監督とは切っても切れないツーカーの間柄である。ジェニファー・ロペスとの息もピッタリで、最後まで酔わせてくれる娯楽犯罪映画だった。『アウト・オブ・サイト』は、後に製作された『オーシャンズ』シリーズに向けての実験的な試みもあったかもしれないが、だとしたらずば抜けて完成度の高い作品だ。ソダーバーグ作品を堪能する上で、ぜひともおすすめしたい一作である。1998年公開【監督】スティーヴン・ソダーバーグ【出演】ジョージ・クルーニー、ジェニファー・ロペス、ドン・チードルまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.12.21
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「計画はちゃんとできてるんだ」「あんたの女房を誘拐するって?」「ああ」「おれたちに誘拐させて、身代金8万ドル払って、半額の4万ドルをあんたが取り戻すって? 自分が払った金を取り戻すのか?」「僕が払うんじゃないんだ。女房のおやじに出させるんだ」この兄弟コンビの作り出す世界観はスゴイ。サスペンスモノには必ず救いようのない犯行に及ぶキャラクターがいて、その魔の手に脅えることを一つの娯楽とするのが通常だ。ところがこのコーエン兄弟はどうだ。凶悪なことが、実は、なんでもないことのように表現している。気に入らないから殺す、邪魔だから殺す、目が合ったから殺す。動機なんてあってないようなものなのだ。感情的なものは皆無で、そこにあるのは凶悪という現実だけだ。ザラついた床のように乾いていて、神仏の存在さえ忘れさせてしまう。『ファーゴ』のヒロインであり、警察の女署長でもある主人公が身重で、ゆったりとした動きの中、殺人現場を検証する場面が出て来るのだが、この凄惨な状況に不釣合いな体型、雰囲気が、よりリアリティーを誘うから不思議だ。コーエン兄弟の表現する、揺るぎない悪は、日常的で珍しい行為ではなく、現実に溶け込んでいる。だからこそ凶悪犯罪に酌量の余地はなく、絶望的なものを際立たせるのに成功しているのだ。1987年ミネソタ州ミネアポリスが舞台。自動車販売会社の営業部長であるジェリー・ランディガードは、投資目的で金の工面に困窮していた。妻の父親で、社長でもある裕福な義父には融資を断られ、思い余ったジェリーは身代金目的に妻を誘拐させる計画を立てた。実行するのはカールとゲアという二人組で、彼らには報酬として販売店から持ち出した新車のシエラと、義父に出させた8万ドルを支払うフリをして半分の4万ドルを受け取ろうという算段だった。だが守備よくジェリーの妻を誘拐したところまでは計画通りだったが、ナンバープレートを付けていない実行犯の車を不審に思い、職務質問をして来たパトロール中の警察官を殺してしまう。さらに、彼らの犯行を目撃した通りすがりの車も追跡し、殺害してしまうのだった。コーエン兄弟の作り出す作品に共通するのは、脱ハッピー・エンドのような気がする。 そんなに世の中は甘くないんだと、シニカルな笑みを浮かべている製作者の表情が、目に浮かぶようだ。人という厄介な種族が存在する限り、どこまでも絶対的な悪が横行するのだと断言している。我々は、そんな世知辛い世の中で、何食わぬ顔をして普通の暮らしを営んでいくのだ。 『ファーゴ』は、ありきたりな勧善懲悪モノとは違い、すこぶる凶悪を現実的なものとして表現した犯罪映画だ。1996年公開【監督】ジョエル&イーサン・コーエン【出演】フランシス・マクドーマンド、ウィリアム・H・メイシーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.12.09
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