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【オデッセイ】「相手は宇宙だ。まったく協力的じゃない。ある時点で人間を見放す。君らは思うだろう。“もう終わりだ”“僕は死ぬ”とね。それを受け入れるのか闘うのか、そこが肝心なんだ。まず始めるんだ。問題を一つ解決したら次の問題に取り組む。そうして一つ一つ解決していけば、必ず帰れるんだ」先日、『ゼロ・グラビティ』を見て感動し、興奮冷めやらぬ中、同カテゴリである『オデッセイ』も見てみた。なるほどNASAの全面協力もあって、かなり見ごたえのある出来映えだと思った。だが映画というものはしょせん娯楽だ。好き嫌いが出て来る。レビューを読めば大絶賛のものもあれば、酷評をつらつらと並べ立てているものもある。それでいいのだ、それこそが娯楽。私個人としての『オデッセイ』評は、可もなく不可もなく、である。リドリー・スコット監督がメガホンを取っているだけあって、140分という長時間にもかかわらず楽しく視聴できたのは幸いだ。ありがたいことである。この監督の描く女性はいつだって強くたくましく勇敢である。それは『エイリアン』のときはもちろん、近年では『プロメテウス』でもそうだ。『オデッセイ』では、女性が船長として活躍している。冷静で客観的な判断力を持ち、正義感にあふれた人物として描かれている。同性としてたいへん嬉しい。 それにしても、である。ハリウッドすら買い占めてしまいそうなほどの強い影響力を持つのだろうか、中国は。『オデッセイ』を見ていたら、役柄としてはとても「おいしい役」に中国人が設定されている。ざっくり言ってしまえば、火星に一人置き去りにされてしまった主人公を救出するため、NASAは必要な援助を中国に求めるというくだりである。そこではインテリジェンスにあふれた中国人科学者が、その良心に従ってNASAを支援するのだ。このシーンだけはものすごく違和感を覚えた。 ストーリーはこうだ。火星の探査中、アレス3のクルーたちは大砂嵐に見舞われる。船長の決断で全ミッションを放棄し、火星から退避しようとしたところ、マーク・ワトニーだけは破損したアンテナの直撃を受けてしまった。クルーたちはなんとかしてマークを救助したいと思うが、二次被害を防ぐため、やむなくヘルメス号を出発させてしまう。一方、てっきり絶命したと思われたマークは、重傷を負ったものの生存していた。火星に一人取り残されてしまったことを知り、すぐさま基地にあるわずかな食糧のチェックをしてみたところ、とうてい足りない。地球からの救助が来るのが4年後であることに絶望しかける。だが幸いなことに、マークは植物学者である。その知識をフル活用し、火星の土とクルーらの排泄物を使ってジャガイモの栽培に成功するのだった。さらには、旧式の通信機能をどうにか回復させ、地球との簡単な内容の交信に成功する。NASAは、火星に一人取り残されたマークが生存していることを確認すると、さっそく食料輸送のロケット打ち上げを試みるが、発射時に失敗。NASAは完全に行き詰ってしまう。そんな折、中国国家航天局からロケット支援提供の申し出を受けるのだった。『オデッセイ』の見どころは、やはりあきらめない精神性であろう。どんなに過酷な状況下に置かれても、最後まであきらめず生きることに執着する精神力である。あと、後半はややキレイゴトに思えてしまうのだが、緊張関係にある国家間でも、人命の尊さを最優先させることの大切さ、みたいなものを感じた。「助け合い」の必要性を表現しているのは間違いないが、根本的なところで違和感を覚えてしまったのは私だけだろうか?これが夢物語で終わらぬよう、真の平和な世の中になることを願ってやまない。 2015年(米)、2016年(日)公開【監督】リドリー・スコット【出演】マット・デイモン、ジェシカ・チャスティン
2017.04.02
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【ゼロ・グラビティ】「僕のことは構うな。諦めることも学ぶんだ。『必ず生還する』と言ってくれ・・・さぁライアン、言うんだ」「・・・必ず生還する」「よし、頑張れよ」仕事でイヤなことがあったり、人間関係のつまらないしがらみやいざこざで、もう何もかも放り出してしまいたくなることがある。そんなときに空を見上げると、鳥が自由を満喫しているように見えて、「ああ、私も大空をはばたいてみたい」などと思ったりする。地上での暮らしは、なんとせせこましくみみっちいものなのかとうんざりする一方で、地上から見上げる蒼天が清々しく思えるものだ。逆に空から見下ろした地球というのも美しいに違いない。たくさんの命が集まって、その集合体がこの青い星を形成しているのだとしたら、ほとんど奇跡に近い。その奇跡の星の大地をしっかり踏みしめて生きることは、何にも代えがたい行為なのだ。 今回見た『ゼロ・グラビティ』は、3人の宇宙飛行士たちが宇宙空間での船外活動中、トラブルに巻き込まれるというSF・サスペンス作品となっている。 ストーリーはこうだ。舞台は地上600キロ上空の宇宙空間。ライアン・ストーン博士、マット・コワルスキー、それにシャリフの3人は、ハッブル宇宙望遠鏡の修理作業を行っていた。今回初めて参加するライアンは、船外活動のため、体の不調を訴えながらも点検補修作業に従事していた。そんな中、ヒューストンの管制から無線が入る。なんと、ロシアが自国の人工衛星を破壊したため、その影響で膨大な破片が宇宙ごみとなって3人のいるところへ急接近していると言う。3人は慌てて緊急避難しようとするが間に合わず、大量の宇宙ごみを直撃してしまう。中でもシャリフはまともに被害を受け、即死。ライアンは宇宙空間に投げ出されてしまい、パニック状態を起こしてしまう。だが、マットによって的確な指示を受け、どうにかこうにか正気を取り戻すのであった。 『ゼロ・グラビティ』のヒロインに、当初はスカーレット・ヨハンソンやナタリー・ポートマンなどの女優さんらの名前が上がっていたようだが、結果的にはサンドラ・ブロックがおさまった。私はそれで良かったのではと、改めて思う。サンドラ・ブロックの名前を知ったのは、2011年3月11日に起きた東日本大震災のあとである。義援金を送った方々の名前がテレビで読み上げられた。その中に“ハリウッド女優”としてサンドラ・ブロックの名前を見つけ、ちょっとした感銘を受けたのだ。そのサンドラ・ブロックが受賞こそ逃したものの、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされたときは嬉しかった。 この作品の何がすばらしいかというと、すべてがスタンダードで映画としての醍醐味を充分に味わせてくれるという点である。内容は実にシンプルだが、次から次へとトラブルに見舞われ、そのつど思考錯誤して何とか脱出をはかるという定石は、見事な流れだった。ヒッチコックのようなユニークなカメラアングルや、長回しもサスペンスとしては申しぶんがなかった。私はこの作品のラストが好きでたまらない。やっとの思いで地球に帰還するライアンが地球の引力を感じるのだが、それまで無重力空間にいたためのギャップでよろよろする。その際、見ているこちら側まで急に体が重くなったような錯覚さえするから不思議だ。2本の足で大地をしっかり踏みしめる姿に思わず目頭が熱くなる。この映画はおそらく、このラストを表現したいがために作られたのではと思われるほどだ。余談だが、ヒューストンの管制官の声がエド・ハリスだった。声だけの出演なのに、妙にしっくりときたのは『アポロ13』がチラついたせいかもしれない。「ゼロ・クラビティ」は、生きることの意義や意味を見失っていたヒロインが逃げることをやめ、再生しようと決意する素晴らしい人間ドラマなのだ。 2013年公開【監督】アルフォソン・キュアロン【出演】サンドラ・ブロック、ジョージ・クルーニー
2017.03.12
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【シグナル】「俺も具合が悪いんだ。まるで体の中に何かがいるみたいだ。その何かが俺をむしばんでいるんだ」「どんなふうに?」「まるで体じゅうに、、、」「・・・違和感がある?」「そうだ」『シグナル』の予告編にもあるように、内容は意外性とか予想を超えた展開に目を見張るものがある。とはいえ、作品自体は低予算映画であることに違いはない。(要するにB級映画というやつだ。)作品の冒頭は、何やらイイ感じの青春映画的な彩りで、男子2人女子1人の関係にワクワクさせられる。これのどこがSF映画なんだろうかと首をかしげながら探っていくと、段々と流れが分かって来る。 ストーリーはこうだ。マサチューセッツ工科大学のニックは、足が不自由で杖を頼る生活をしていた。ガール・フレンドのヘイリーが複雑な想いを抱えつつも、カリフォルニア工科大学へと1年間転学することになり、ニックとその親友ジョナは引っ越しを手伝うことにした。もともとは障害のなかったニックだが、足にハンデを負ったことで、ヘイリーとの関係がギクシャクしていることも理由の一つだった。そんな中、謎のハッカー“ノーマッド”がマサチューセッツ工科大学のコンピュータをハッキングして来た。ニックとジョナはMITの学生という誇りがあるため、何とかしてそのハッキングを阻止してやりたい、突き止めてやりたいという意気込みがあった。マサチューセッツからカリフォルニアへと横断する際、ネバダへと立ち寄ることにした。GPSで“ノーマッド”の居場所を突き止めたからだ。ニックとジョナは、車内にヘイリーを残すと“ノーマッド”の居場所と思われる廃墟を捜索することにした。深夜の廃墟は不気味で、人の気配はなかった。“ノーマッド”にまんまと一杯食わされたと思っていると、突然、車内に残したヘイリーの金切り声が聴こえた。驚いたニックとジョナは、慌てて車の方に戻ると、ヘイリーは何者かに拉致され、突然、周囲が漆黒の闇に変わった。 作品そのものの意図することは、正直わからない。そもそもB級映画にテーマなんかないかもしれないが、ただ、もう少し主人公の背景を知りたかったのは事実だ。たとえばニックのハンデは生まれつきのものではないことは、作中の回想シーンで明らかである。何かクロスロードカントリーのような競技の最中、降雨の後なのか泥に足を取られて転倒するシーンや、ジョギングしているとき水かさの増した川を前に立ち往生する場面が出て来る。これが一体何を意味するのか?このときまで足にハンデはないから、この競技の後に何らかのトラブルに巻き込まれたということなのか?あるいは、ニックが隔離施設に収容されている際、ドクターから「君は地球外生物と接触したことで汚染されている」と説明を受けたあと、ニックは鼻血を出す。このどす黒い鼻血の意味するものは何なのか?さらには、隔離施設でずっと昏睡状態にあったヘイリーが、ニックとともに脱出後、いきなり目覚めるのだが、施設内と外では空気が違っていたのだろうか?そのへんの経緯がわかれば、もっと楽しめただろうし、自分なりの解釈もできたに違いない。漠然と思ったのは、マサチューセッツ工科大学のエリートさえ太刀打ちのできないインテリ生物が、この宇宙には必ず存在するのだ、ということだ。要は、“上には上がいる”という意識を再確認したわけだ。 SF好きには必見の逸作である。 2014年公開【監督】ウィリアム・ユーバンク【出演】ブレントン・スウェイツ、ローレンス・フィッシュバーン
2015.12.14
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【チャッピー】「いや、ダメだ。ムダなことだよ。ボクは死ぬ。バッテリーがないんだ」「いやよチャッピー! きっと何か良い方法があるはずだわ」「いや、ボクは死ぬ」ニール・ブロムカンプ監督と言えば、大ヒット作『第9地区』を作った監督でもある。この監督の一貫したテーマでもある「見かけだけで人を判断してはならない」という主義は、この『チャッピー』においても際立っていて、改めて豊かな表現力と想像力を賞賛せずにはいられない。主人公チャッピーを演じるのはシャールト・コプリーで、役柄上、顔は露出されないけれど『第9地区』以来ずっとブロムカンプ監督とタッグを組んで来た役者さんである。 舞台となっているのは定番の南ア・ヨハネスブルクだ。世界でも有数の犯罪都市ということもあり、警察組織が犯罪に巻き込まれるのを防ぐため、危険な前線にロボットを配備するという設定が、現実味を帯びていて面白い。なにしろヨハネスブルクと言えば最悪の治安で、たとえ警官と言えどもおちおち一人では歩けず、身ぐるみ剥がされるばかりか、最後は当然のように殺されてしまうからだ。そんな状況下で、警察が自衛手段としてロボットを導入するという発想は、今後、あながちありえなくはないのではなかろうか。 ストーリーはこうだ。ヨハネスブルクの当局は、犯罪を軽減するため最先端の人型ロボットを導入した。それらロボット兵器は、警官の代行として危険な前線で戦っていた。人型ロボットの設計者はディオンで、さらなる高性能の人工知能ソフトウェアの開発に勤しんでいた。それは感情さえ持っている人間の知性を搭載したソフトウェアで、やっと開発に成功したのだ。ある時、ディオンは上司にロボットの試作を申請したところ、許可されなかった。だがディオンはあきらめきれず、廃棄寸前のロボットを実験台にするべく、必要なUSBとともに自宅へ持ち帰ろうとした。ところが帰宅途中、3人組のギャング、ニンジャ・ヨーランディ・アメリカにロボットもろとも誘拐されてしまう。一方、ディオンの同僚ムーアは、自分の開発した攻撃ロボットを当局に売り込んでいた。プレゼンテーションではムーアの開発した攻撃ロボットではあまりにいかつい外見で、しかも街じゅうを戦場にしてしまいそうな攻撃力のため拒絶されてしまう。そんなムーアは、前途洋々のディオンに対し、並々ならぬ嫉妬心を抱くのだった。 この作品を見ると、いろんなことを考えさせられる。最悪な治安状況下では、警官の代わりとして活躍をする人型ロボットは、一見、大変効率の良いツールのように思える。ところがいったんウィルスが何かの影響でダウンしてしまうと、ロボットは使い物にならず、やはり最後は生身の人間が手をくだすこととなるのだ。また、外見というものがそれほど大切なものではないとすれば、人の意識をコピーするソフトウェアを使うことで、人としての肉体が滅びようともロボットとして永遠に生き続けるという選択肢もある。そんな中、この問題を追求してしまうと、何やらこれまでの「見かけだけで人を判断してはならない」という主張にメスを入れることになりそうな気がしてならない。 『チャッピー』は日本で公開されるにあたり、カットされたシーンがあるようだ。(ウィキペディア参照)それは、3人組ギャングの一人であるアメリカが、ムーアの開発した攻撃ロボットに惨殺されるシーンらしい。本来はギャングの方が悪役で、ロボット開発者のムーアがやったことが正義となるはずなのだが、この作品では完全に善悪の判断が変わっている。そのあたりをじっくりと考えながら見るのも楽しい。チョイ役でシガニー・ウィーバーが出演しているのも嬉しい。こういう近未来映画には圧倒的な存在感を誇る女優さんなのだ。 2015年公開【監督】ニール・ブロムカンプ【出演】シャールト・コプリー、ヒュー・ジャックマン※ご参考ニール・ブロムカンプ監督の『第9地区』はコチラから
2015.11.30
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【猿の惑星 新世紀(ライジング)】「ここは危険だ。無線が通じたからじきに兵隊が来る。仲間と逃げてくれ。ここに君がいたら戦争に巻き込まれる」「戦争、すでに、始まった。エイプ、戦争、始めた。人間、エイプを、きっと、許さない。戦いが始まる前に、君、逃げろ。すまない、友よ」「共存できると思ったのに、、、」「私もだ」これだけ分かりやすいと、安心して見ていられる。『猿の惑星』シリーズ、創世記の続編である新世紀(ライジング)は、人間と猿の共存・共生の難しさをテーマとしている。もっと突っ込んで言うと、意外にも敵というのは味方・同胞の中にいて、なかなか一筋縄ではいかないという嘆きにも似た悲哀に包まれている。人間も猿(エイプ)も、インテリ層はある一定の理解を示し、なるべく戦争を回避しようと試みるのだが、身内にうごめく武力や権力への欲望、恐怖心からの暴走、無知の悲劇等が戦争へと発展していくのだ。一般的な考え方として、ハリウッドが製作していることから言っても、アメリカ国内において年々信者数を伸ばしているイスラム教徒への脅威を表現しているのは、まず間違いない。なにしろキリスト教圏であるにもかかわらず、もうほぼ互角の信者数ではなかろうか。宗教観の異なる日本人には理解しづらいことだが、国内の支配宗教がキリスト教→イスラム教へと変わるというのは、大変な意識の改革、変更にもつながる。下手をすれば、文化伝統さえ覆されかねない。アメリカは近年、その根幹を揺るがすほどの脅威にさらされていると言えるかもしれない。とはいえ、日本にとって対岸の火事だと、たかをくくってはいられない。 ストーリーはこうだ。10年前に始まった猿インフルエンザにより、人類は激減した。わずかに生き残った生存者グループは、荒廃した都市部に身を潜めていた。一方、森の奥に平和なコミュニティを築く猿の群れは、リーダー格であるシーザーのもとに団結していた。ある時、武装した人間が猿の集落を脅かす。猿に取り囲まれた人間は、恐怖のあまり銃を発砲。猿にケガを負わせてしまう。怒った猿たちはシーザーに先導され、人間の集落まで出向き、二度と縄張りに近づくことがないよう釘を刺し、争いを回避した。そんな中、人間はどうしても猿の集落内にある水力発電施設に行く必要があった。燃料の尽きかけている今、どうしても電力が必要だったのだ。生存者グループを代表し、マルコムは命を懸けて猿の集落に再び出向くのだった。 敵が身内にいるというのは、もうどうしようもない。考え方が異なる同種族間の争いは、だれにも止められない。例えば、シーザーの側近であるコバは、なんとしても人間をやっつけてしまいたいから開戦派。激減し、弱っている人間を徹底的に滅ぼすなら今しかないと考える。ところがシーザーはあくまで不戦派。むやみやたらと争いごとはしたくない、いざ戦いともなれば、味方にも多くの血が流れるからだ。そんなわけで、意見の違うコバは、シーザーに反発。クーデターを起こす。このような流れから、戦争という行為が、実は身内の中から発生する危険性を示唆している。また、様々な理由・要因から、戦いを回避できない状況になっていく流れのようなものが存在するのを知る。 時代は共存・共生などというキレイゴトから、もっと根幹となる実態を直視せねばならないところまでやって来た。私たちに必要なのは知識か、理解か、それとも武力なのか。この作品を見て、大いに論じ合おうではないか。 2014年公開【監督】マット・リーヴス【出演】アンディ・サーキス、ジェイソン・クラーク、ゲイリー・オールドマン※ご参考まで前作、『猿の惑星 創世記』はこちらから。
2015.07.18
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【トランセンデンス】「人間は未知のものを恐れる。(超越した)私を殺したいのか?」「ウィル、もうやめて。人類を滅ぼすの?」「違う。人類を救うんだ」アメリカ本国では興行的に伸び悩んだ作品らしいが、私個人としては、それはもう楽しめた。もちろん、細かいところではツッコミを入れたくなる場面がいくつかあったし、取り立てて斬新さを感じるところもなかった。だが、見終わった後の何とも言えない切なさとか、寂しさが、私の胸の内を渦巻いたのだ。それは『エイリアン3』を見終わった後にも似ているし、『ミッション:8ミニッツ』の純愛の要素を含ませたSF映画に通ずるものを感じたからかもしれない。さらには、演じた役者の顔ぶれも、見事に一流どころを揃えただけのことはあった。ジョニー・デップを始めとし、モーガン・フリーマンやクリフトン・コリンズ・JRなど、何も心配はいらない。その存在だけで作品が良質に思えて来るから不思議だ。 物語は、人工知能が人類を救済するか否か、あるいは神の領域へと踏み込もうとする暴走について語られている。あらすじはこうだ。 人工知能PINNを研究開発する科学者ウィルは、反テクノロジーの過激派テロ組織RIFTの凶弾に倒れてしまう。死を間近にしたウィルの傍で、妻のエヴリンは何とかして夫を助けたいと願い、友人であり科学者でもあるマックスの助けも借り、ウィルの頭脳をスーパーコンピューターへインストールした。ウィルの頭脳が見事、人工知能へとアップロードされたことを喜ぶエヴリンだったが、ネットに接続することで想像をはるかに超える進化をし始めるのだった。 この作品が他のSF映画にはない魅力に包まれているのは、完全なる人工知能に対する否定ではないことだ。たいていはテクノロジーを否定するような、コンピューターなんか諸悪の根源的である扱いを受けがちなところ、珍しく中立の立場を取っている。例えば、作中、全盲の男がナノテクノロジーによって、みるみるうちに開眼するシーンなどは感動的だ。さらには、作品冒頭とラストで、コンピューターがウィルス感染されて使い物にならなくなってしまった時、荒廃した世界が茫々と広がることの恐怖さえ感じさせる。つまり、この現代社会では、ある程度のテクノロジーが許容され、人工知能と人類とが共存することこそ望ましいとさえ訴えているようでもあるのだ。 主人公であるウィルが目指したものが、人類の救済だとしたら、やり方は無謀だったかもしれないが、間違いではなかったはずだ。しかし何より、ウィルの意識と自我を持った人工知能が肉体の再生を計り、愛するエヴリンを抱きしめるシーンは最高の純愛だと思った。人は皆、崇高な理念・目的意識を持ち、世のため人のためと、社会貢献こそ良しとする傾向にあるが、結局のところ、大切な人を抱きしめ、愛を語らい合うことの方がよっぽど重要で切実なことなのだ。逆に言えば、それなくして人類を救済するテクノロジーなど、幻に過ぎない。『トランセンデンス』は、限りなくテクノロジーを否定した肯定であり、悠久の愛を讃えた作品なのだ。 2014年公開【製作総指揮】クリストファー・ノーラン【監督】ウォーリー・フィスター【出演】ジョニー・デップ、レベッカ・ホール、ポール・ベタニー
2015.03.07
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【プロメテウス】寒中お見舞い申し上げます。当ブログをご覧頂いている皆さま、年始はお元気にお過ごしいただけましたか?吟遊映人は、今年も映画や読書を中心にご案内させて頂きますので、何とぞよろしくお願い致します。「その船を止めないと大変なことになる! 帰り着く地球がなくなってしまう! それは、、、それは死を運ぶ宇宙船よ!」「つまり、我々に戦えと言うのか?」「戦ってもかなわないことぐらい、重々承知の上よ。でも止めなければ、、、」平成27年の幕開けにピッタリ(?)の作品をご紹介できることが嬉しい!やっぱり年の始めはガツンと来るようなインパクトの強いものでなくちゃ。人は皆、自分のルーツというものを知りたがる。それがすなわち、己を知ることになり得るのだから。 『プロメテウス』は、『エイリアン』のプロローグみたいなものだ。あの不気味でグロテスクなエイリアンが、どうやって誕生することになったのか、そこに焦点が当てられている。だが、エイリアンを探ることは、どうやら人類の起源をも探ることになるようなのだ。何回か見てみないと、解釈を誤ってしまいそうだけれど、少なくともエイリアンが自然発生的に誕生したわけではないことが分かる。そこには必ず「創造主」が存在するのだ。一方、時代は2089年が舞台となっているため、当然のように人が作り出したアンドロイドというものが存在する。アンドロイドの「創造主」は人であるが、どうもこのアンドロイドは人に対して反逆の精神(?)を抱いている。(アンドロイドは魂を持っていないはずなのに。)この宇宙人→人→アンドロイド、という関係性が、物語の軸になっていると私は考える。 ストーリーはこうだ。考古学者であるエリザベスは、古代遺跡の壁画から、人類を創造した知的生命体からの招待状ではないかと分析した。ウェイランド社による出資で、科学者たちを中心に編成された調査チームが、宇宙船プロメテウスに乗って未知なる惑星を目指した。エリザベスの論説では、エンジニアなる宇宙人が存在し、その異星人こそが人類を創造したのではないかというものだった。惑星に巨大なドーム状の岩山を発見し、着陸したところ、すぐにチームは調査を開始することにした。その岩山内で発見したのは、エンジニアらしき生命体が扉のところで頭部が切断された死体であった。エリザベスは、その死体の頭部をプロメテウスに持ち帰り、DNAを分析したところ、なんと人間のものと完全に一致するのだった。 さすがリドリー・スコット監督が手掛けたものだけあって、ビジュアルが美しいのなんのって!目の覚めるようなCGを駆使した見事な出来栄えなのだ。こういう作品を見ると、「ああ、やっぱり映画っていいなぁ」とつくづく感じる。近い将来、人類を取り巻く環境がこんなふうに変化するのかと思うと、ワクワクする!ロケ地を調べたらアイスランドとのこと。(ウィキペディア参照)広々としていて深遠で、勢いよく流れる滝など、マイナスイオンたっぷり感にあふれていた。だがそれだけじゃない、リドリー・スコット監督の十八番とも言える、リアルな気持ち悪さを表現しているシーンも見逃せない。それは、エリザベスが体内に寄生したエイリアンを、自動手術装置で異物摘出をする場面である。これは凄まじい!視聴者はこういうリアリティーによって、SFホラーを娯楽として楽しめるのだ。 作品には、おそらく重厚なテーマが掲げられていることは間違いない。しかし、大切なのは月のクレーターの細部ではなく、全体として眺める「お月様」の美しさなのだ。私はこの『プロメテウス』に、久しぶりの高揚感を覚えた。 余談だが、エイリアンとプレデターとの戦いがまた見たくなってしまった(笑)いずれにしても見事なSF超大作である。 2012年公開 【監督】リドリー・スコット【出演】ノオミ・ラパス、シャーリーズ・セロン、マイケル・ファスベンダー
2015.01.04
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【エリジウム】「娘は死にかけてるの! 白血病の末期なのよ! 私の人生は複雑よ。お願い、手を貸してちょうだい。方法が分からないのよ」「何の方法だい?」「エリジウムへ行くための、、、」「ムリだ。俺にできることなら助けるんだが、、、」格差社会が問題となっているのは、日本だけではないようだ。『エリジウム』を見ると、それが地球規模で起こっていることがよく分かる。一方で、“超富裕層”と呼ばれる上流階級が存在するかたわら、食べる物にも困るような低所得者層が多数を占める社会。そんな一部の富裕層だけが甘い汁を吸う世の中なんて、認めたくはないけれど、現実はそれが事実である。金持ちは子どもに高い教育を受けさせ、卒業後は高学歴を誇り、ホワイトカラーの職種が約束される。貧乏人は子どもにろくな教育も受けさせられないので、職業の選択が狭められ、肉体労働が主となる。その結果、いつまで経っても金持ちは金持ちを産み、貧乏人は貧乏人を産み出すこととなる。負のスパイラルというやつだ。 『エリジウム』では、そんな格差社会を皮肉る内容となっている。監督はニール・ブロムカンプで、代表作の『第9地区』は世界から絶賛された。 ストーリーはこうだ。舞台は2154年の地球。環境破壊の進んだ地球は、人口過密と同時に犯罪と貧困で荒廃していた。一方、超富裕層と呼ばれる上流階級の人々は、そんな地球には住んでおらず、スペース・コロニー“エリジウム”で暮らしていた。マックスは身寄りがなく施設で育ったが、青年となり犯罪に手を染め、辛い刑務所生活を余儀なくされたことで、立ち直ろうと思い立つ。厳しい管理下でマックスは、アーマダイン社の労働者として従事していた。そんなある日、手のケガで病院に出向いたところ、幼なじみのフレイと再会する。フレイは、末期の白血病に罹る娘を育てながら、看護師として働いていた。ある時、マックスは工場での作業中の事故で、致死量の照射線を浴びてしまい、余命5日との宣告を受けてしまう。使い捨て労働者に過ぎないマックスは、会社から解雇され絶望的になるが、一縷の望みを捨てなかった。それは、エリジウムにある先端医療で身体を再生することだった。だがそのためには、エリジウムへと密航する必要があった。エリジウム市民でない限り、地球を出てエリジウムに渡航することは、許されないからである。マックスはなんとしてでもエリジウムへ行くため、密入国組織のリーダーであるスパイダーのもとへと行くのだった。 『第9地区』では見事なアドリブで主役を務めたシャールト・コプリーが、今回はとんでもない凶悪な傭兵役として出演している。この、非人道的で何とも言えないいかがわしさが、上手い具合に演出されていて良かった。主人公のマックスに扮したのはマット・デイモンで、この人もまた並々ならぬ意気込みを持って坊主頭をさらしている。残念だったのは、エリジウムの防衛総責任者役に扮したジョディ・フォスターである。更年期障害みたいに苛立つシーンばかりで、この女優さんの良さが全然引き出されていないではないか!ジョディ・フォスターをもっと魅力的に演出して欲しかった。 作品は、「お金さえあれば、難病や重労働、厳しい監視とは無縁だなんて、そんなのはおかしい!」と言っているような気がする。だが全員が全員、金持ちになるのは絶対不可能なのだから、叶えられない願望にも似て、ちょっと虚しい。ただし、世界レベルで格差社会が問題となっているということは、資本主義体制の限界を皆が一様に感じ始めていることの現れでもあろう。ちょっと考えさせられるSF話題作である。 2013年公開【監督】ニール・ブロムカンプ【出演】マット・デイモン、ジョディ・フォスター
2014.08.31
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【クラウドアトラス】『あらゆる垣根は幻想だ。必ず超越できる。乗り越えようと思う者には越えられるはずだ。今、この瞬間、君の鼓動を間近に感じる。僕らの距離も幻想なんだ。僕の魂は、時空を遥かに超える』『クラウドアトラス』は、上映時間3時間という長大作である。6つの異なる時代に生きる人々を描いた作品で、テンポの良い場面切り替えのおかげか、だらけるということはなかった。近未来の描写の仕方や絵面みたいなものが、どうも『マトリックス』に似ているなぁと漠然とした感想を持ったのだが、監督の名前を見て納得した。ウォンシャウスキー姉弟だった。そして残るもう一人の監督は、『パフューム~ある人殺しの物語~』を手掛けた、トム・ティクヴァである。つまり、3人の監督が6つの物語をそれぞれ分担してメガホンを取ったようだ。 この作品は、東洋の輪廻をテーマに扱ったものだが、どういうわけか、東洋人の意図する輪廻転生とは少し違う解釈のようだった。だがそれはそれで充分納得のできる捉え方だと思った。6つの異なる時代が何かしらリンクしているのかと思いつつ見ていると、実はそうではなく、ちゃんと一つのストーリーとして完結している。次世代につながっていくものではないのだ。例えばトム・ハンクスが演じるキャラクターは、ある時代においては悪党であり、別の時代においては勇者である。その一人の人物が生まれ変わりではないのだとすれば合点もいくが、生きとし生けるものが常に輪を描くように循環している、という東洋思想とはちょっと違う感覚に、新鮮味さえ覚えた。 ストーリーは次のとおり。年老いたザックリーが、幼い子どもたちに昔話を聞かせるところから始まる。ザックリーは、異なる時代に生きた“自分”の物語を話して聞かせたのだ。1849年の太平洋諸島、弁護士のユーイングは奴隷売買の契約を終え、アメリカへの帰路についた。その際、船にはたくさんの金貨が積まれていて、その箱のカギをユーイングは大切に首からぶらさげていた。ところが金の盲者である医師のグースは、ユーイングの持ち物を片っ端から奪おうと、毒を盛って殺そうとする。1936年、ユーイングの航海日記を愛読する若き音楽家フロビシャーは、同性の恋人・シックススミスのもとを離れ、スコットランドの大作曲家であるエアズの家へ身を寄せる。そこでフロビシャーは、採譜者を務めるのだった。1973年、すでにこの世の人ではないフロビシャーを、人知れず胸に秘めるシックススミスは、物理学者となっていた。シックススミスはフロビシャーから届いた手紙を大事に持ち歩き、飽くことなく読んでいた。そんな中、エレベーターで偶然知り合ったジャーナリストのルイサ・レイに、原発事故を引き起こし、石油企業の利権を守ろうとするフックスを告発するための報告書を託そうとする。ところがその勇気と正義も虚しく、資料をルイサに手渡す直前に、ホテルの一室にてシックススミスは殺害されてしまうのだった。 私が注目したのは、E.M.フォースター原作『モーリス』を彷彿とさせるような、フロビシャーとシックススミスの禁断の恋だ。きっと世の女子たちは、フロビシャー役のベン・ウィショーとシックススミス役のジェームズ・ダーシーにキャーキャーと黄色い声をあげるのではなかろうか?2144年の近未来の物語は、ハリウッドの総力をあげての特殊メイクとCGで、視聴者に圧倒的な臨場感を堪能させてくれる。内容は教訓的なものながら、見終わった後の満足感はこの上もない。長時間作品なので、時間に拘束されることに抵抗のある人は、日を分けて鑑賞しても良いだろう。一見の価値ある作品だ。 2012年(米)、2013年(日)公開【監督】ウォシャウスキー(姉、弟)、トム・ティクヴァ【出演】トム・ハンクス、ハル・ベリー
2014.07.10
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【猿の惑星~創世記~】「薬の本数を記録しよう。月に一本打つだけで十分だ」「すごい効果だ!」「投与量に注意しよう。血液検査やスキャナー検査もやらなきゃ」「ウィル・・・ウィル! 病気が治った!」「よかったね!」 オリジナル版の方はあまりにも有名で、今さらとやかく言うまでもない。今回の作品はリメイクというわけではなく、そのタイトル通り、地球がサルたちに支配されてしまうことになったきっかけを描いている。驚いたのは、一匹一匹のチンパンジーたちの本物すぎる(?)表情、しぐさである。CGを駆使したとはいえ、びっくりするほどの自然な動きに、思わずフィクションであることを忘れてしまう。とにかく見事な出来映えだ。もともとサルというのは、ヒト科に一番近い生物であることから、何かと一目置かれて来たのは事実だ。そんなサルたちが、ヒトの横暴な振る舞いに耐えかね、敵意をむき出しにするという設定が原始的でおもしろい。サルというのは粗野で、無知で、野蛮なものの象徴として描かれている。ヒトからは一ランク下に置かれ、好奇な目で見られ、それでいてややもするとヒトの存在を脅かす位置にいるので、煙たがられるわけだ。この作品を見れば、いかにヒト様の提言する動物愛護の精神が偽善であるかが分かるのだ。アルツハイマー型認知症に苦しむ父親と二人暮らしのウィルは、サンフランシスコの大手製薬会社で日夜研究に取り組んでいた。それも、アルツハイマー病に効果がある新薬だった。実験には一匹のメスのチンパンジーを使っていたが、目覚しい成果が出た。しかし、いざその研究を発表する段階になって、チンパンジーは副作用のためか何なのか大暴れし、研究室をパニックにしてしまった。その結果、ウィルの研究は失敗と見なされ、プロジェクトの中止を言い渡されてしまう。 『猿の惑星』は、とても完成度の高いSF映画に仕上げられているが、いかんせんキーマンとなるウィルのキャラクター設定に魅力を感じないのだ。役者さんの演技力には申し分ないのだが、セリフや行為に惹きつけられるものがなかった。それを除けば、近来稀に見る迫力あるSF映画として成功していると思う。オリジナルの『猿の惑星』を知らない人も、この新しい版を鑑賞すれば、きっと興味を持ち、ちょっと見てみたいという気持ちにさせられる。新旧併せてオススメしたい作品だ。2011年公開【監督】ルパート・ワイアット【出演】ジェームズ・フランコ、アンディ・ケーキス
2014.04.17
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【インセプション】「私は誰かを待っていた気がする。あの頃は若かった。私はもう老いぼれだ」「後悔を抱えたまま・・・?」「孤独に死を待っている」「サイトー、あなたに会いに来た。あの頃のあなたを思い出してほしくて。ここは現実じゃない」2010年公開映画では傑出して評価の高い作品だったので、今さらだが鑑賞してみた。 大げさでも何でもなく、久しぶりに大作に出合ったような気がする。ちょっとハリウッドっぽくないなぁと思ってウィキペディアを検索してみると、監督がクリストファー・ノーランで、イギリス人だった!代表作に『バットマン』シリーズがある。ハリウッド・アクションにありがちな、飛んで、走って、カーチェイスという作風ではなく、全体的にシリアスで、それなのに決して娯楽性を忘れていないという冴え渡るSF作品なのだ。とくに驚いたのは、夢の中という設定なので、無重力状態での格闘シーンがあるのだが、そのリアルさたるやスゴイ!すっかり自分も映像の世界観に迷宮入り(?)なのだ。日本人俳優の渡辺謙が、大企業のトップ、サイトー役として堂々の出演。主役のレオナルド・ディカプリオと互角に渡り合っていて、視聴者サイドも清々しい気持ちになる。作中、我が国の誇る新幹線が颯爽と走り行くシーンが登場するのだが、嬉しいことに富士川の鉄橋あたりが撮影場所として選ばれたようだ。静岡県出身の私にとって見慣れた風景も、映画のワン・シーンとして鑑賞すると、また一段と愛しい気持ちになるから不思議だ。『インセプション』のストーリーはこうだ。主人公のコブは、人の夢の中に入り込んで様々なアイディアを埋め込み、依頼者を有利な立場にさせるのを仕事としている。今回の依頼は、日本の大企業のトップ、サイトーからで、ライバル会社を解体させるというものだった。コブが考えた筋書きは、ライバル会社の社長の御曹司であるロバートに、父親の会社を解体させるアイディアを(ロバートの潜在意識に入り込んで)植え付けるということ。それにはかなりのリスクが生じるため、悩むところだが、妻殺しの容疑をかけられているコブは、本国に帰ってこれまでの履歴の抹消を条件に、依頼を受けることにした。この仕事を完璧にやり遂げるためには仲間が必要だった。古くから仕事のパートナーであるアーサー、夢の設計士であるアリアドネ、なりすましを得意とする偽装師・イームス、夢を安定させる調合師・ユスフ、そしてこの仕事を最後まで見届ける者として、依頼者であるサイトーを加えた6人での決行だった。ノーラン監督の完成度の高い『インセプション』と出合い、私は『バットマン』シリーズも見てみたくなった!こういうSFは素晴らしい。余分な効果音やBGMに踊らされていないし、何より、人間の持つ繊細な深層心理に触れているところが、SFでありながら視聴者に共感を誘う強みである。いや、本当に良かった!まだ鑑賞されていない方、だまされたと思ってご覧いただきたい。何とも言えない心地良さを覚えるに違いない。私はこの作品で、完全にノーラン監督のファンになってしまった!2010年公開【監督】クリストファー・ノーラン【出演】レオナルド・ディカプリオ、渡辺謙
2014.03.30
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「あなたはロボットなの? 人間はあんなに優しくないわ」「人造人間にハートがあるとは知らなかったぜ」「ロボット? ロボットの二世なのか?」「ロボットが自らを改良して造った新モデルだな?」シリーズ4作目にして驚いたのは、あの死んだはずのリプリーが生きているではないか?!よくよく見ていくと、リプリーはリプリーでもクローンによって再生された新リプリーであることが分かる。さらに、監督はフランス人監督で、そのためかどうかは分からないが日本には友好的(?)で、ウェイランド・ユタニはこの作品において存在しない。前作では、エイリアンを軍事利用のため生物兵器として開発していた凶悪な日系企業という設定だった。そのイメージは強烈で、主人公リプリーVSウェイランド・ユタニ(日系企業)的な図式で描かれていた。4作目では、軍と科学者たちが徹底的な悪役として描かれている。これは、日本人としてスッとした。『エイリアン4』で注目したいのは、遺伝子工学によって誕生した次世代エイリアンが産み落とされて間もなく、母であるエイリアンを殺してしまうシーンだ。この新生エイリアンはリプリーの遺伝子を受け継いでいるため、自分を人間だと思い込んでいるのだ。また、リプリーこそが母であると、甘える様子さえ見せるのだからたまらない。このストーリー展開は、遺伝子くみかえ等の本来あってはならない遺伝子操作を、暗に批判する意図もあるかもしれない。エイリアンの幼生とともに自らの命を絶ったリプリーだが、その200年後、遺伝子工学の発展により、リプリーのクローンが再生された。冥王星の周囲に停泊する宇宙医療船オリガ内で、リプリーのクローン8号が誕生したのだ。その宇宙船オリガでは、軍と科学者たちが、エイリアンを生物兵器として利用するため躍起になって研究が進められていた。そんな中、宇宙貨物船ベティ号が、何やら怪しげな積荷をオリガに運び込む。その積荷は、冷凍睡眠中に誘拐して来た、どこかの宇宙船のクルーで、しかもエイリアンの宿主として利用するために買われたものだったのだ。今現在のところ、この『エイリアン4』で完結しているわけだが、ラストを見るとまだまだ続編ができそうな勢いを感じるし、意味深だ。一方、遺伝子操作によって人間の女性と同じ子宮を得たエイリアンは、出産後に悲劇的な死を迎える。このことにより、従来の凶悪な宇宙生物としてのエイリアンは終焉を迎えたような気もする。とはいえ、前作よりさらにグロテスクでホラー色満載の『エイリアン4』は、猛暑を乗り切るための切り札になること間違いなしだ。1997年(米)、1998年(日)公開【監督】ジャン=ピエール・ジュネ【出演】シガニー・ウィーバー★シリーズ1作目「エイリアン」はコチラから。★シリーズ2作目「エイリアン2」はコチラから。★シリーズ3作目「エイリアン3」はコチラから。また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.08.05
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「この子・・・死体の解剖が必要よ。原因を調べなくては」「言っただろ? この子は溺死だ」「疑わしいわ。開いて中を見ないと・・・」「そんな必要ない」「疑う理由があるの」「それなら教えてくれ」「・・・細菌の感染があるかも・・・」シリーズ3作目ともなると、すでにエイリアンという凶悪な宇宙生物に対しても、ある程度の免疫(?)が出来たような気がする。なので、ストーリー展開も「うん、やっぱりこうなったか」といった、予測可能な構成になっていた。とはいえ、この作品では重要な役割を担うクレメンス医師が、まさかまさかの結果に。 惑星そのものが刑務所の役割を果たす囚人だらけの流刑地にあって、リプリーと同じインテリのクレメンスは、きっと最後まで重要なポジションにいるに違いないと思い込んでいたのだが・・・残念。さらに気になったのは、エイリアンの軍事利用をもくろむ企業として“ウェイランド湯谷”という日系企業であることが前面に押し出されていることだ。もちろん、この企業名は前作にも出て来たが、今回の3作目ほど強調されてはいなかった。この演出はいかがなものかと思う。宇宙船や基地の施工主が日系企業と言うなら大いに納得するところだが、軍事利用のため生物兵器の開発を推し進めるのが日系企業だなんて。もうこの辺りからして3作目の評価は個人的にも低い。リプリー、ニュート、ヒックスを乗せた非常救命艇は、惑星フィオリーナ161に不時着した。その惑星は、染色体異常の凶悪犯罪者の収容される刑務所になっていた。睡眠カプセルの中で眠っているうちに、何らかのトラブルに巻き込まれ、ニュートもヒックスも死亡し、生き残ったのはリプリー一人だけだった。医師のクレメンスに手当てを受けたリプリーは、快復間もなくクレメンスにニュートの死体解剖を懇願する。リプリーは「コレラの危険性がある」とウソをつくのだが、実は、エイリアンの寄生を疑うのだった。この『エイリアン3』を手掛けたのは、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのあるデヴィッド・フィンチャー監督だ。代表作に『セブン』『ソーシャル・ネットワーク』などがある。そんなフィンチャー監督も、『エイリアン3』を手掛けた時はまだ駆け出しで、多くの映画評論家たちから酷評され、興行的にも伸び悩んだようだ。ところがその後の活躍により名声を手に入れたフィンチャー監督の評価は上がり、『エイリアン3』の評価も好転した。(2005年に『エイリアン3』の未公開シーンを追加した完全版が公開されたことによる。※ウィキペディア参照)『エイリアン3』の完全版は未見だが、いずれにしてもこのシリーズは1作目と2作目が良すぎたため、3作目はキビしい世間の評価にさらされることになったのは仕方がない。可もなく不可もなくと言った作品だ。1992年公開 【監督】デヴィッド・フィンチャー 【出演】シガニー・ウィーバー ★シリーズ1作目「エイリアン」はコチラから。★シリーズ2作目「エイリアン2」はコチラから。★シリーズ4作目「エイリアン4」はコチラから。また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.07.29
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「これは生物兵器部にとって貴重な標本だ。持ち帰れば君も僕も英雄になれるぞ。一生安泰だよ」「あなた正気なの? 第一、危険な生物が検疫を通るはずないわ」「隠して持ち込めばいいさ」「私が言いつけるわ。あなたが植民者157名の死を招いたってこともね」シリーズ2作目になると、監督はリドリー・スコットからジェームズ・キャメロンに代わり、作風もガラリと変わった。当時、キャメロン監督は『ターミネーター』で大成功を収め、波に乗ってこの『エイリアン2』でも大ヒットを飛ばした。前作との明らかな違いは、やはりその道のプロが指摘したように、ホラー色よりもアクション性を重視した点だろう。1作目は、エイリアンの不気味さ、グロさが前面に押し出されていたが、2作目はエイリアンとの戦闘シーンがクローズアップされ、ドキドキハラハラ感に溢れている。どちらも特色が生かされ、甲乙付け難い完成度の高さだ。見どころは何と言っても主人公リプリーが、パワーローダーを装着し、単身エイリアンと戦うシーンだろう。そもそもパワーローダーは武器ではなく、物を持ち運ぶフォークリフトのようなものだ。 その機械を女性であるリプリーが見事に操作し、しぶといエイリアンを宇宙船から振り落とすのは、正に感動的だった。宇宙船ノストロモ号にただ一人生き残ったリプリーは、57年という長い間、冷凍睡眠カプセルの中で眠っていた。というのも、コンピューターの何らかのトラブルで宇宙空間をずっと漂い続け、発見が遅れたのだ。地球に帰還したリプリーを驚かせたのは、何と、エイリアンの巣食う惑星LV-426が、今は開拓され地球人が住民となっているという事実だった。そんな中、惑星を開拓した住民全員が消息を絶ったとの連絡が入り、リプリーの不安は的中するのだった。今回、日進月歩の科学技術の向上を感じさせたのは、ビショップというアンドロイドの存在だ。前作ではアッシュというアンドロイドに、リプリーは殺されかけたため、そのトラウマからビショップを嫌悪する。そんなビショップは、自分は改良型で問題はなく、人間ではないが恐怖心はあると、リプリーに穏やかに説明する。この辺りの表現方法は、さすがはキャメロン監督の演出。ターミネーターの改良型の登場を彷彿とさせ、科学技術は常に進化しているのだと訴えかけて来る。今回登場する生き残りの少女ニュート役のキャリー・ヘンは、エイリアンに脅えながらも健気に生き延びる姿が意地らしい。キュートな愛らしさで作品に癒しを与えてくれる。『エイリアン2』は、前作同様、いやそれ以上に、生きることへ執着する人間の強さを教えてくれる、素晴らしい作品だ。1986年公開【監督】ジェームズ・キャメロン【出演】シガニー・ウィーバー★シリーズ1作目「エイリアン」はコチラから。★シリーズ3作目「エイリアン3」はコチラから。★シリーズ4作目「エイリアン4」はコチラから。また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.07.22
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【エイリアン】「指令は何なの?」「マザーの解析を読んだだろう? 異性物を持ち帰ることさ。それが最優先だ」「ちくしょう! 俺たちの命はどうなる!?」「もちろん二の次だ」SF映画に限ったことではないが、近未来を推測、想像しての作品なだけに、時代の変遷をまざまざと突きつけられることが多い。というのも、1979年に公開された『エイリアン』において、宇宙船ノストロモ号は日系企業の所有との設定になっている。80年代に入り、バブル期に突入する日本の繁栄を予期していたかのような設定に、ある種の感慨を覚える。一方、近年公開された『MOON月に囚われた男』というSF映画では、月面に作られた基地の内部はハングル語になっている。韓国企業のたい頭を現しているのに他ならない。時代の流れを感じないではいられない。さて、『エイリアン』は今さら言うまでもないが、シガニー・ウィーバーを世に出した代表作である。これまで、美人でフェミニンな女優さんが圧倒的な優位に立っていた業界に転機を起こした作品でもある。シガニー・ウィーバーは、女性でありながら二等航海士という国家資格を持ち、当時まだまだ男性優位の職場環境で、戦う女戦士リプリーとして描かれている。そんなリプリーというキャラの登場により、これからますます女性の社会進出が進むであろうことを予感させたのだ。通商船の巨大宇宙船ノストロモ号は、長い冬眠状態を経て、地球へと帰還しようとしていた。ところが途中、見知らぬ惑星からのSOSを傍受してしまい、救出に向かうことになった。 SOS信号が発信されている宇宙船を探ることにしたケイン、ランバート、ダラスの3人だが、そこでケインが一面に卵のようなものが産みつけられているのに気付く。興味本位からか、ケインが卵の一つに顔を近づけたところ、突然、未知の生物がケインの顔面にへばりつくのだった。見どころはいろいろあるが、特にショッキングなシーンと言えば、ケイン役に扮するジョン・ハートが、食事中、突然苦しみもがき出し、そのうち腹部が内部から切り裂かれ、寄生したエイリアンの子どもが飛び出すところだ。この強烈なインパクトはスゴイ。また、リプリーをけむたがる科学者のアッシュが、丸めた雑誌をリプリーの口に突っ込んで殺そうとしたところ、他のメンバーがアッシュを取り押さえ、打ちのめす。そうしたところ、実はアッシュはアンドロイドだっというオチが、なんともSFチックで印象的だ。この夏、猛暑を乗り越えるためにも、『エイリアン』を見て背筋の寒くなる思いを味わっていただきたい。SFホラーの金字塔だ。1979年公開 【監督】リドリー・スコット 【出演】シガニー・ウィーバー★シリーズ2作目「エイリアン2」はコチラから。★シリーズ3作目「エイリアン3」はコチラから。★シリーズ4作目「エイリアン4」はコチラから。
2012.07.15
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「仲間を捜せ。もっと強くなれるぞ」「君の助けがいるんだ」「お前なら大丈夫。仲間を捜せるさ。お前には想像もつかない力がある」「・・・ヘンリー」若かりし頃は誰もが抱く、自分に内在した特殊性。“オレはアイツとは違う”“世間のヤツらみたいに単純じゃないんだ”的な自我の目覚め。それが大人になるにつれ、たいていの人は丸くなっていく。この作品でも、他人とは違った状況にある少年たちが、自分は今何をするべきなのか、何をしたら良いのかに気付き始め、少しずつ大人への階段を上って行くというストーリーになっている。端的に言ってしまえば、青春サクセスストーリーにSFがリンクしているような感じだ。 宇宙のどこかで侵略戦争が起こって、その星の生き残りの一人がナンバー4なのだが、地球という第二の故郷で青春を謳歌する。だが侵略者たちは、その生き残りたちを逃がすことなくどこまでも追って来る。戦々恐々として、ナンバー4とその父親(守護者)は身を隠し続ける。このようなストーリー展開は、正直なところ常にありがちで、斬新さには程遠い。メインが若手の役者さんばかりということもあり、演技力にも期待が持てず、残念な仕上がりだ。惑星ロリアンを侵略され、地球に逃亡して来たジョン(ナンバー4)とその父親ヘンリーは、オハイオ州の片田舎で暮らすことにする。侵略者たちから常に命を狙われ続けるジョンだが、普通の高校生として通学したくてたまらない。どうにかヘンリーを説き伏せ、高校に通い始めるが、そこで感性の豊かな少女サラと出会う。ジョンはサラに惹かれ、好きになり始める。同時に、ジョンは自分自身が普通の人とは違った特殊な能力を持っていることに気付く。 それは、両手から青白い光を放つ、レガシーというパワーだった。必死な演技で意気込む主役のアレックス・ペティファーだが、むしろヒロインのサラ役ダイアナ・アグロンの方が魅力的だった。カメラで人物を撮影するのが趣味の、感性豊かな少女というキャラだが、なかなかのキュートでチャーミングな印象を受けた。さらに、ナンバー4の守護者ヘンリー役のティモシー・オリファントも、若いキャスティングの中にあって、さすがに堂々とした演技が際立っていた。日本でも一応劇場公開されているようだが、あまり話題にはのぼらなかったような気がする。興行的にはどうだったのかしら?吟遊映人の個人的な感想で恐縮だが、全体的には可もなく不可もなくと言ったところだろう。2011年公開【監督】D.J.カルーソー 【出演】アレックス・ペティファー、ダイアナ・アグロン、ティモシー・オリファントまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.06.24
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「死んじまった・・・みんな死んじまった。レニハンもゲレロも・・・グレイストンには子供もいるんだ、死んじゃいけねぇんだ!」「お前だってそうだ! 生きなきゃダメだ! いいな? シェリースと結婚するんだろ?! 彼女に泣きつけ。俺は慰めてやらねぇからな!」最初にお断りしておきたいのは、この作品を観るにあたり、DVDソフトに原因があったのかプレイヤーに原因があったのか、後半部に難があり、ベストな状態で鑑賞できなかったということだ。なのでいつものように最後までモチベーションを維持して観られたわけではなく、作品本来のおもしろさが半減してしまったかもしれない。だがその点は大目に見て、吟遊映人の感想にさせて頂こうと思う。作品はお約束の勧善懲悪モノで、視聴者のカタルシスを追求した娯楽映画に仕上げられている。宇宙から降って来たワケの分からないエイリアンを相手に、アメリカ海兵隊のツワモノたちが立ち向かう姿は勇ましいが、敵の急所を調べるためにエイリアンをよってたかって解剖していくあたりは、強さを超えてちょっと残酷なぐらいだ。ややもするとワザとらしくなりがちなSF作品だが、その点も撮影のリアリズムを追求して、手持ちカメラを用いているようだった。おかげでとても視覚効果にあふれていた。さらに、使用されている効果音(戦闘シーン等の音)は、ゲームを連想させ、ある意味身近に感じられるのも不思議だ。2011年、宇宙から大量の流星群が地球上に降り注いだ。だがそれらは沖合いから海岸に上陸し、世界中の大都市を一斉に攻撃し始めた。例外でなく西海岸のロサンゼルスも、宇宙からの侵略者たちによって容赦なく攻撃を受ける。アメリカ海兵隊の隊員であるナンツ二等軍曹を始めとするチームは、前線であるサンタモニカの警察署に取り残された民間人の救出に出向くのだった。主役のナンツ二等軍曹に扮したアーロン・エッカートだが、これはベストキャスティングだと思った。人相が地味なだけに、この作品ではその素朴さがとても生かされていた。また、女兵士役のミシェル・ロドリゲスだが、ウィキペディアによると、シーシェパードを支持しているそうな。しかも札付きのワルとか。こういう粗暴なキャラを自然体で(?)演じることが出来るのも、ある種の才能だろう。 戦禍をくぐり抜けて来た、したたかな女兵士に相応しい演技だった。全体として、ゲーム感覚で楽しめるSF映画という印象を受けた作品だ。2011年公開 【監督】ジョナサン・リーベスマン 【出演】アーロン・エッカート、ミシェル・ロドリゲスまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.05.27
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「自分を隠すな。虎は自分の縞模様を隠すか?」「いいえ、でも・・・」「君は魅力に満ちている。世界は君を抑圧してきた。これからは自由になれ」結論から言ってしまい恐縮だが、『X-MEN』シリーズ中、一席をつけたいほどの傑作に仕上がっている。もちろん、一作目のメガホンを取ったブライアン・シンガー監督の“差別される側”の状況描写は見事だった。関係あるかどうかは分からないが、シンガー監督が同性愛者であり、様々な苦境に立たされて来た体験が、作品にリアリティーを与えていたのかもしれない。その点、ファースト・ジェネレーションにおいても、ミュータントという特殊な能力を持つ人間たちを明らかなマイノリティーとして表現することに成功している。CGを駆使しただけの単なるヒーローモノとはまるで趣を異にしていることも、ポイントが高い。1944年、ニューヨーク州ウェストチェスター郡のとある豪邸。少年チャールズ・エグゼビアは、キッチンでいるはずのない母親と遭遇。すぐにそれがミュータントで、変身能力を持つ者の仕業であることを見破る。だがチャールズは、ミュータントの少女レイヴン・ダークホルムを家族として迎え入れた。一方、ポーランドの強制収容所において、母親と引き離された少年エリック・レーンシャーが、超能力で頑丈な鉄の門を捻じ曲げるという事件が起きた。その様子を目撃した科学者のシュミットは、エリックを呼び出し、自身の目の前でその特殊な能力を見せろと迫る。もしもできなければエリックの目の前で母親を撃ち殺すというものだった。結局、エリックの母親は殺害されるが、皮肉にも、その時の怒りによってエリックは己の能力に目覚めるのだった。こうして18年後、成人したエリックはシュミットに復讐するため、チャールズはオックスフォード大学でミュータントに関する研究者として、運命の出会いを果たすのだった。若かりし頃のチャールズ・エグゼビア(プロフェッサーX)役に扮するのがジェームズ・マカヴォイだが、ふさふさで艶のある頭髪がまぶしい。演技も若々しく、ハツラツとしていて好感が持てる。一方、後のマグニートー役をマイケル・ファスベンダーが好演。母親を殺された怒りと、殺した相手に対する復讐心のみが、己の能力を強大なものにした件を見事に演じていて、後の悪役に回るキャラとは思えない悲劇のヒーローを確立している。シナリオはキューバ危機を背景に、海上で睨み合う米ソと、若きミュータントのプロフェッサーXとマグニートーとが生きる道を分けるまでのプロセスが展開されている。この見事なストーリー描写が、作品の完成度を一層高めたことは言うまでもない。シリーズ中、最も良質なSFアクション映画である。【掲載紹介】◆X-MENはコチラ◆X-MEN2はコチラ◆X-MEN:ファイナルディシジョンはコチラ◆ウルヴァリン:X-MEN ZEROはコチラ2011年公開【監督】マシュー・ヴォーン【出演】ジェームズ・マカヴォイ、マイケル・ファスベンダー、ケヴィン・ベーコンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.02.19
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「遅れてるの」「何が?」「(生理が)遅れてるの」「・・・どれぐらい?」「分からない。最近、気分が悪くて調べてみたら・・・」あら探しをしてしまえば、低予算で製作されたことが丸分かりだが、それにしたって充実したSF映画に仕上げられていると思うのだ。しかし、ストーリーはありがちで、グロテスクなエイリアンが地球人を次々に吸い込んでゆくという展開も、斬新さは感じられない。残念。主人公ジャロッドとエレインを含めたグループが、マンションからの脱出を試みて、エイリアンからひたすら逃げるシーンが一つの山場となっている。ここでは、一人ずつエイリアンの手に落ちてゆく模様が描かれているが、この辺りをもっと脚本と演出の力でパニック・ホラー的な要素を取り入れることによって、スリリングな展開に持って行った方が完成度が高くなるような気がした。ロサンゼルスに到着したジャロッドとエレインは、事業で成功したテリーのもとを訪れた。テリーはリゾート・マンションの最上階に住んでいて、この日、誕生パーティーを開くことになっていたからだ。宴もたけなわの中、テリーはジャロッドにロサンゼルスで一緒に仕事をやろうと誘って来る。だがジャロッドには寝耳に水で、即答を避ける。一方で、エレインは妊娠の兆しが見え、化粧室でジャロッドに告白する。早朝、浅い眠りから目覚めたエレインは、ブラインド越しに射し込むまばゆい光に驚きを隠せず、隣で眠るジャロッドを起こすのだった。手前味噌だが、作品としてはまずまずのSF映画だと思う。では何が物足りないのか、よくよく考えてみたところ、一つ思い当たるのは主人公に対する思い入れだろうか。つまりこの物語の主人公にさほどの魅力を感じなかった点が、このSFのレベルを下げているような気がしてならない。むしろ、リゾート・マンションの管理人(?)役に扮したディヴィッド・ザヤスの方が良い味を出しており、最後までおいしいところを持って行ったような感じだ。(だが、あくまでもザヤスの演技という点ではなく、キャラクターだ)ラストは、SFモノにはお約束なのか、続編がありそうなビミョウな終わり方だった。 とはいえ、次回作が妙に気になるということは、つまり、この作品がそれなりに成功しているという証拠なのだろう(笑)2010年(米)、2011年(日)公開【監督】ストラウス兄弟【出演】エリック・バルフォー、スコッティ・トンプソンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.10.29
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「古代!」「はい」「俺はあれを破壊することに決めた。援護してくれ」「無理です。とても向こうまで渡りきれません」「俺たちが向こうに渡ったのを確認したら、雪と一緒にヤマトに帰れ」「何を言い出すんですか?!」まず説明しておくことがある。昨今、ちまたでブームとなっている「機動戦士ガンダム」も「新世紀エヴァンゲリオン」も、「宇宙戦艦ヤマト」というSFマンガがアニメブームの先駆けとなっているのだ。「宇宙戦艦ヤマト」を生み出したのは、漫画家の松本零士で、代表作は他にも「銀河鉄道999」や「キャプテン・ハーロック」「千年女王」などがある。吟遊映人は正に、松本零士のオタクで、何回もマンガを読み直すうちにセリフも覚えてしまい、第〇巻のおおよそ△△ページにこんなセリフがあるとか、あんなシーンが出て来るとか、そういう次元のオタクだった。だが社会人になって、そういう憑き物がとれて、今は大半の内容を忘れてしまった。アニメの実写化というのは多大なリスクが生じ、下手をするとがっかり感ではすまされず、絶望的になってしまうことも少なくはない。ところが本作「ヤマト」はやってくれました! すごいですよ!音楽も故・宮川泰の作曲した“さらば~地球よ~♪”の、あの壮大なテーマ曲が使用されているし、登場人物にもほぼ変更はなく、なによりヤマトの内部が忠実に再現されていて本当に嬉しい!日本の誇るメイド・イン・ジャパンのSFアニメが母体となっているだけに、その内容は深く、日本人にとって一番要となる「御国(おくに)のために命を捧げる」崇高な精神性を垣間見ることが出来るのだ。西暦2199年、地球は放射能汚染により地上の生物は絶滅の危機に瀕していた。人類は地下都市を建設し、どうにかその日暮しを送っていたが、謎の異星人ガミラスによる遊星爆弾の攻撃を受け、もはや風前の灯となっていた。そんな中、マゼラン星雲のイスカンダルからメッセージカプセルが不時着する。そこには、波動エンジンの設計図とイスカンダルの正確な座標がインプットされているのだった。その後、イスカンダルには放射能除去装置を持ち合わせているとの情報も確認され、地球防衛軍はヤマトに乗って旅立つことになった。吟遊映人が注目していただきたいシーンは、とくに2点。一つは、空間騎兵隊隊長の斉藤がガミラスの攻撃を矢のように浴びる中、仁王立ちとなって絶命するシーンである。まるで「一歩たりとも近付くな、行きたければオレの屍を越えてゆけ」と言わんばかりの壮絶さだ。さらにもう一つ、技術班技師長の真田が、ガミラスの中枢部を破壊するため爆弾を仕掛けるシーンである。それもこれも仁王立ちとなって死守した斉藤のおかげなのだが、真田も爆弾のスイッチを押し、自爆する。無論、ガミラスの中枢は破壊される。このシーンは、正に神風特攻隊の再来を思わせる感動の場面だ。さて余談になるが、吟遊映人が幼いころ、「宇宙戦艦ヤマト」のテレビアニメにかじりついて観ていたが、主人公・古代進の声を担当していたのは故・富山敬であった。その富山敬が亡くなった時、記憶に間違いがなければ、スポーツ新聞か何かに「さらば、古代進」という大見出しのもと、富山敬の訃報が報じられた。それほど「宇宙戦艦ヤマト」というのは、若者に影響力を及ぼしたSFアニメだったのである。そんなすばらしい作品がこうして見事に実写化され、SF映画の可能性を感じることができ、この上もない喜びである。ぜひとも多くの皆さんに、ご覧になっていただきたい作品だ。2010年公開【監督】山崎貴【出演】木村拓哉、黒木メイサ、山崎努また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.07.17
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「人類は駆除される。さっきの連中は乗りうつられた人々だ。意志の弱い者たちだよ」 「乗りうつられた? 悪魔にか?」「いや、違う。・・・天使だ」美辞麗句を並べ立てても、作品を鑑賞すれば分かってしまうことなので、ストレートに言わせてもらうと、ズバリ、本作はいわゆるB級の部類に入るものだろう。“神”とか“天使”さらには“世界の滅亡”というキーワードから推察するに、おそらく終末思想的ストーリー展開だろうと、おおよその見当はつく。こういう脚本に必ず付き物なのは、ゾンビ化する人間たちで、例外なく活躍(?)している。作中、アイスクリーム屋のワゴン車が音楽を鳴らしながらやって来て、そのワゴン車から男がゆっくり降りる。すると、不自然なほど男の口が大きく開かれ、手足がスルスルと伸び、獣のような態勢を取る。これはもう「エクソシスト」へのオマージュだろうか。四大天使のうちの一人、ミカエルが己の翼を切り落とし、絶滅しようとしている人間たちを救おうと必死になるのに対し、ガブリエルの方は容赦なく人間を襲う。いわば天使のうちでも“右派”と“左派”がいるということだろう。砂漠にポツンと建っている安っぽい食堂で、ウェイトレスとして働くチャーリー。彼女は身重だった。だがチャーリーは未婚で、シングル・マザーになろうとしていた。そんなチャーリーに想いを寄せるのは、食堂の店主の息子ジープ。ジープは密かにチャーリーのお腹の子の父親になりたいと望んでいた。そんな折、食堂のテレビやラジオ、それに電話が不通となる。そこへ、おしゃべり好きの老婆が食事にやって来る。一見、普通のお年寄りに見えたが、いきなり形相を変え、他の客の首に噛み付き、暴言を吐くのだった。近年、この手のゾンビ映画で成功を収めているのは、やはり「バイオハザード」シリーズであろう。ストーリーというより、視覚的なおもしろさ、大胆さ、そして感情の希薄なところが受け入れられたような気がしてならない。人なら一度や二度、人生のリセットを望んだことがあるだろう。それを終末願望と呼んでいいのか分からないが、とにかく神の裁きを受けたがっている人々が多いことは確かだ。本作「レギオン」は、滅亡に向かう人類を救うために、四大天使の一人が神に背いて人類の側につくというお話だ。しかし皮肉なことに、種の保存として選ばれし民は、生むつもりのない子を宿した未婚の女性と、そんな女性に想いを寄せる内向的でしかし意志の強い男性ということになっている。特に女性の方は、母性など皆無に等しく、若さゆえか、扱いづらいタイプに見受けられた。こうして見ると、最終的には頑固で自分勝手なぐらいの人の方が生き残れるという暗示なのかもしれない。アメリカらしいファンタジー、かつ合理的なスリラー映画であった。2010年公開【監督】スコット・スチュワート【出演】ポール・ベタニー、ルーカス・ブラック、エイドリアンヌ・パリッキまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.03.09
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「君の娘が(オペするのか)?」「そうよ。私は麻酔係でこの子が名外科医よ」「5歳だろ?!」「(いいえ)9歳よ。でも4歳の時からやってるの」今年はつくづくSF映画が充実していると思う。とにかくしっかりとしたテーマに基づき、人類の近未来のあり方を問うている作品が多く、どれも秀逸なのだ。風刺を越えたナンセンスは、実にSF的で、小説の世界観を映像の域まで見事に広げている。人情とビジネスの狭間を、器用に割り切れなくなった人間が、世の中から追われる身となっていく姿など、あまりにも冷酷な資本主義の行き詰まりを想像せずにはいられない。人間の命さえも金で買うことのできる社会になった時、果たして人類に命の重さなどを説く倫理観など、存在し得るのであろうか?近未来、病気や事故などで臓器に損傷ができた場合、人工臓器を付けることで延命が叶う世の中となっていた。この人工臓器の販売は、アメリカのユニオン社が担っており、莫大な利益を上げていた。 高額な人工臓器は、一括で支払えない患者のために、ローン返済が可能となっていた。 だが万が一、支払いに遅延が生じた場合、回収人を差し向け、生きている人間から容赦なく臓器を回収するのだった。この作品のポイントとなるのは、やはり主人公レミーが、人工臓器の回収中に不慮の事故に遭い、心臓の損傷を受けてしまうところであろう。このことにより、それまでレポ・メンとして鬼のような仕事人だったレミー自身が、人工心臓を取り付けられたことで負債を抱える身となってしまうのだ。皮肉なことに、自分がレポ・メンに追われる身となり初めて恐怖感や絶望感を思い知らされるくだりは、この作品の核心部であろう。作品は、たとえそれがビジネスであろうと、割り切ることのできる合法的殺人など存在してはならないのだと主張している。傾きかけた人類の未来には、暗澹とした世界がはびこるのが関の山なのだ、と訴えているものだろうか?いや、吟遊映人はそうは思わない。人類崩壊の予感に反して、純粋に平和な世の中を実現するために、一体我々に何ができるだろうかと、本作は警鐘を鳴らしているのだ。我々は常に、高雅な文明に対して客観性を保ち、生命を脅かす権力を真っ向から見据えなくてはならない。生きることをいたずらな習慣にするのではなく、己が生まれて来た目的に立ち返り、人生とは愛と死の実現にあることを信じなければならぬであろう。※レポゼッション・メン・・・人工臓器の回収人の意。2010年公開【監督】ミゲル・サポクニック【出演】ジュード・ロウ、フォレスト・ウィテカーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.12.09
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「サム、失敗するよ」「どうして?」「君が起きてからすべてを記録してる。僕のメモリを調べられたら君が危険だ。消去してくれ。君の出発後、再起動する」「いいのか?」「君を守るのが僕の仕事だ」今年はどういうわけか、近未来を予測するようなSFモノが充実していた。とにかく新しい形なのだ。また、奥行が感じられる。本作「MOON」を手掛けた監督の年齢を調べたら、なんと吟遊映人と同い年で、しかも誕生日は数日しか違わない。封建的なしがらみの根強い映画界にあって、いよいよその業界でも世代交代が行なわれ始めたのかもしれない。作品のテーマは、ずばり、“企業と労働者”そして“自我”である。捉え方は人それぞれだろうが、クローン人間が登場することで作品のテーマはグッと深みを増す。人工的に生産されたクローン人間に、人権はないのか?企業の馬車馬となって働き、生涯を終えていくだけのロボットに過ぎないのか?いや、クローンにだって自我はある。なぜならクローンは、列記とした人間なのだから。と、そういう倫理的な意味合いが色濃く感じられた。さらに、企業VS労働者という点については、もっとあからさまで、過度な成長を遂げた資本主義社会を暗に批難しているようだ。近未来、宇宙飛行士のサム・ベルは、ルナ産業との契約で3年間、月に派遣されている。 月面で採掘されているヘリウム3を地球へ送る仕事である。だが、作業員はサム一人きりで、基地には他に人工知能を搭載したロボット、ガーディが話し相手兼助手としているに過ぎない。あまりの孤独な日々に、独り言も増え、苛立ちを隠せない。そんなある日、月面で作業車を操縦中に事故を起こしてしまう。しかし、気付くとサムは診療室で手当てを受け、ベッドに寝かされているのだった。作品に出て来る基地の名前や、衛星通信機に映る企業側の人物を見ると、どうやら韓国資本の企業のようだ。これをどう受け止めたら良いだろう?吟遊映人としての見解はこうだ。近未来、宇宙開発の先端を担うのは、アメリカでもロシアでもなく、無論、日本でもなく、なんと韓国なのだ、と作品は予測しているのだ。これは、世間一般の常識から言っても、当たらずも遠からずで、我々はなるほどと肯かずにはおられまい。本作「MOON」を製作したのはイギリスの映画会社であるが、さすがに重厚にして格調高く、とかくB級に陥りがちなSF作品を、テーマ性の強いリアリティのあるものに仕上げている。非常に完成度の高い、新しいSF映画であった。2009年(英)、2010年(日)公開【監督】ダンカン・ジョーンズ【出演】サム・ロックウェル また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.12.01
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「これが俺が選ばれた理由さ。ずっとお前たちを観察してた。(そして)信用させた。(そして)誰も見抜けなかった。地球では俺は殺人鬼・・・異常者だ。でもモンスターたちと一緒だと、普通なんだよ。居心地がいい・・・ここにいたい」“プレデター”というエイリアンは、これまでの単なる気味の悪いグロテスクな地球外生物というハードルを飛び越え、人間を狩猟する種族で、しかも知的生命体であると定義付けられた。そのせいでプレデターを相手に戦う主人公にも、アーノルド・シュワルツェネッガーのように、筋骨隆々として屈強なアクション・スターが抜擢された。つまり、そんな力強い主役でも、なかなかどうして倒すのに難儀するプレデターという、言わばプレミアみたいなものを付加させたわけだ。その後、「プレデター」はシリーズを重ね、本作「プレデターズ」が公開された。驚いたのは、主人公ロイス役に扮したエイドリアン・ブロディである。この役者さんは、今でこそ37歳という中堅どころにありながら、代表作である「戦場のピアニスト」において、すでにその風格を備えていた。どういう風格かと問われれば、とにかく“知的”で“頭脳明晰”なムードをかもし出している、と答えておこう。そのエイドリアン・ブロディが、削ぎ落とされた肉体美と、類稀なるインテリジェンスでプレデターに立ち向かっていく姿は、実に小気味良かった。なにしろやみくもに戦うのと訳が違う。頭脳戦なのだから。ジャングルの密林地帯のようなところに落下して来た8名は、自分の置かれている立場などが全く分からないまま、とにかくそこから脱出しようと行動に出る。リーダー格のロイス以下、ほとんどが軍人であったり用心棒であったり囚人であったりするが、エドウィンだけは医師だった。皆は脱出するためにジャングルをさまようが、分かったのは、そこが地球ではないことと、自分たちが何者かの狩猟の対象にされているということだった。そんな中、プレデターらの野営地らしき場所で、小型のプレデターが生きたままくくり付けられているのを発見する。本作でチョイ役として登場しているに過ぎないが、ローレンス・フィッシュバーンが出演している。彼は、その風貌からしてベテラン俳優の域に達していると思いきや、まだやっと40代後半にさしかかろうとしている、脂ののり始めた役者さんなのだ。代表作に「マトリックス」シリーズがあり、モーフィアス役として有名である。今回、紅一点のアリシー・ブラガは、イスラエル諜報特務局の女性スナイパーという役柄だが、女性らしい思いやりを忘れない正義感の強いキャラクターとして登場している。物々しい現場にあって、花を添えてくれた存在と言えよう。本作「プレデターズ」は、これまでのグロテスクさ気味悪さから一転、頭脳戦SF・アクションと言ったカラーを強めた作品だった。2010年公開【監督】ニムロッド・アーントル【出演】エイドリアン・ブロディ、アリシー・ブラガ、ローレンス・フィッシュバーンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.11.28
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【第9地区】「母船でどのぐらいかかる?」「何がだ?」「腕を元に(治すのに)」「予想より時間がかかる」「どのぐらいだ?」「3年だ」我々が映画に求めるものって一体何だろうと考えた時、単純に言えば自分の感性にあった面白さを提供してくれるものと出会いたいからではなかろうか?ここで言う面白さというのは、人によって様々だが、ある人はドキドキハラハラ感であったり、またある人は号泣するほどの感動であったり、身の毛もよだつ恐怖感だったり、とにかくいろいろだ。そんな中、作品一つを取り上げても評価は二分され、他者のレビューにざっと目を通してみると、「ああ、いろんな考え方があるんだな」と今さらのように気付かされる。映画は商品だ。商品である以上、作り手から離れた時点で視聴者にその評価は委ねられる。故・淀川長治氏のことばを引用させていただくと、「観客自身が批評家の目を持つ必要がある」のだ。だが、気をつけなければならないのは、それは決して映画のあら探しになってはいけないということだ。欠点ばかりを取り上げて、評論家気取りになっては成長がないからだ。正直、駄作と呼ばれる映画もたくさんあることは認めよう。だがそんな駄作であっても、必ず長所はある。それを、宝探しのように見つけていこうではないか。さて、本作「第9地区」であるが、久しぶりに斬新な作品とめぐりあえたような気がした。元々映画というのは、過去の作品のパターンを模倣したもの、あるいはそれに色付けして更新を繰り返しているに過ぎないからだ。だが「第9地区」はやってくれた。なにしろストーリー展開が読めないのだから!良い意味で裏切られた感のある作風であった。南アフリカのヨハネスブルク上空に、突如として巨大な宇宙船が出現する。超国家機関MNUが調査したところによると、宇宙船が故障したことにより船内のエイリアンらは弱り果てていた。南ア政府は、難民化したエイリアンたちを第9地区に仮設住宅を作り、ひとまず住まわせることにする。28年後、第9地区は治安が悪化し、スラム化していた。MNUは、エイリアンの強制移住を決定し、立ち退き要請の同意を得るため現場にヴィカスが派遣された。主人公ヴィカス役を演じたのはシャルト・コプリーという役者さんだが、この人物、なんと監督の高校時代の友人なのだそうだ。道理で訊いたことのない役者さんだと思ったはずだ。もちろん、ニール・ブロムカンプ監督も、この作品が世に出るまでは全くの無名で、この「第9地区」が出世作となった。本作を観てつくづく思ったのは、やはり“見た目”というのはどんな倫理的なこじ付けによっても、自分にウソはつけないということだ。地球外生物とは言え、地球人レベルから見て、グロテスクな風貌を持ち合わせていればやはり本音は“気味がワルイ”し、“エビみたい”にも見える。そういうところから差別が生まれ、やがて軽蔑の対象となっていくのかもしれない。人間の誰しもが身に覚えのある、醜いものへの嫌悪感や侮蔑と言ったものを、真っ向から捉えたところに本作の意義はあると思う。「第9地区」を観ることで、斬新な世界観と、キレイゴトではない人間本来の厭らしさを感じ取ることが出来れば、もうそれだけで自分を見つめ直す一歩を踏み出したように思えるのだ。2009年(米)、2010年(日)公開【監督】ニール・ブロムカンプ【出演】シャルト・コプリー
2010.08.29
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「スカイ・ピープルは言ってる。“欲しいものをもらう”“邪魔をするな”と。奴らに返事をしよう。風に乗って飛び立とう。他の部族を集めるのだ。“トルーク・マクトが呼んでる”と。俺と一緒に飛び立とう! 兄弟よ! 姉妹よ! スカイ・ピープルに言おう。“勝手な真似は許さない!”“この星は俺たちのものだ!”と」本作は余りにも話題になりすぎて、内容よりも“3D”という視覚効果の言葉が一人歩きしてしまったような感がある。メガホンを取ったのは、言うまでもなく、ジェームズ・キャメロン監督であるが、この人物の凄いのは常に映画を進化させている点である。映画史上最大のヒットを記録した(後に「アバター」に記録を更新される)「タイタニック」では、大勢の人々を乗せた豪華客船が、一夜にして海の底へ沈没していくというリアルには表現しにくい大掛かりなシーンを成功させたのも、記憶に新しい。あるいは「ターミネーター2」で完成された液体金属の描写。あれは衝撃的だった。ワンカットで液体金属が自在に変化し、別人になりすますという設定なのだ。それもこれも、やはりCG技術の画期的な発展に寄るものであろう。キャメロン監督は、その時代の流れを巧みに利用し、映画製作をよりリアルで完成度の高いものへと成長させたのである。西暦2154年、衛星パンドラが舞台。パンドラは密林に覆われた未開の星で、青い皮膚と長い尻尾を持つナヴィという種族が生存していた。パンドラには稀少鉱物であるオンオブタニウムが眠っており、地球人は虎視眈々と採掘することを狙っていた。人間はパンドラの大気を呼吸することが出来ない。そこで、人間とナヴィの遺伝子の組み合わせによって作り上げられたアバターという肉体にリンクし、活動するのだった。本作を観てつくづく感じたのは、やっぱりキャメロン監督は強い女性が好きなのだということである。強い女性の代名詞とも言えるのが、「エイリアン」シリーズのリプリー役を演じたシガニー・ウィーバー。今回は科学者として登場しているが、なかなかどうして、屈強な男性の皮肉めいた言動にも怖気づかない。その他、女性陣はとにかく強い。メソメソした潮らしいシーンなど皆無に等しい。「アバター」は、その話題性からもアカデミー賞は堅いとされていたが、9部門にノミネートされるも、「ハート・ロッカー」に敗れている。奇しくも、メガホンを取ったのはキャメロン監督の元妻であった。とは言え、「アバター」のおもしろさは、超現実的な世界観と、まるで我が事のように体感できる浮遊感ではなかろうか。ゴージャスで繊細な特殊効果を駆使した逸品なのだ。2009年公開【監督】ジェームズ・キャメロン【出演】サム・ワーシントン、シガニー・ウィーバーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.05.05
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「長い戦いで多くの物や愛する者を失ったが、まだ仲間はいる。世界中に抵抗軍は潜んでる。・・・生死を決する時だ。敵の主要兵器の有効距離は100m以内。装備は強力だがT-600は重くて遅い。初期のモデルだ。逃げ遅れても手はある。運動皮質が首の後ろにのぞいている。そこを刺せば追跡機能がマヒする。ともかく生き延びろ。君たちは・・・みんな未来にとって重要な存在なんだ。(中略)私はジョン・コナー。これを聞いている君は抵抗軍の一員だ」前作まで主役を演じていたアーノルド・シュワルツェネッガーは、「ターミネーター3」を最後に政界へと転身。本作ではほんのワンカットの出演に止まっている。彼にとっての当たり役であり、ターミネーター=(イコール)アーノルド・シュワルツェネッガーという図式を、いかにして乗り越えてゆくかが問われた作品でもある。だが、そんな不安もよそに「ターミネーター4」の出来栄えは素晴らしい仕上がりであった。映像技術の完成度もさることながら、様々なアングルで様々な距離から撮影され、視聴者を飽きさせないのだ。息の長いシリーズモノは、回を重ねていくにつれ飽和状態に陥りがちだが、そんな懸念は微塵も感じられない。2018年、近未来が舞台。人類は、超高性能コンピューターネットワークであるスカイネットにより核攻撃を受ける。荒廃した世界でなんとか生き延びた人類は、ジョン・コナーをリーダーとする抵抗軍を結成した。同じ頃、ロサンゼルスの郊外で一人の男が目を覚ました。男は過去の記憶を一切失っており、目の前に広がる荒涼とした世界に驚愕する。男の名前はマーカスと言い、見たこともない殺人型ターミネーターに遭遇し、窮地に陥る。しかし、銃の扱い方もろくに知らない少年と聾唖の少女に出会い、命を救われるのだった。吟遊映人は、決して鳩山政権に批判的であるとか、思想のようなものは持ち合わせてはいないのだが、この「ターミネーター4」を観た後、つくづく感じたことがある。それは、日本の代表でもある首相に、ジョン・コナーほどのカリスマ的指導力と勇気とそして決断力があったら・・・ということだ。ターミネーターシリーズを毎回楽しく観ているが、本作ほど指導力のなんたるかを痛感させられた作品は初めてかもしれない。誰かを信じ、そしてその人を信じた自分をもまた信じることの大切さを教えてくれる作品なのだ。2009年公開 【監督】McG(マックジー) 【出演】クリスチャン・ベール、サム・ワーシントンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。 See you next time !(^^)
2010.03.07
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「月の恋人はクエクワツーという精霊」「本当の話か?」「うふふ・・・毎晩二人は夜空を散歩したの。でもトリックスターという精霊が嫉妬した。トリックスターは月を奪うためクエクワツーをだまし、花を摘みに行かせた。“月のために人間の世界のバラを取れ”と。・・・でも人間の世界に入った精霊は・・・空に戻れない。毎晩彼は空を見上げて月の名を叫ぶの」つくづくハリウッドが凄いと痛感するのは、やはり実写によるマンガの映像化である。 「バットマン」にしろ「スパイダーマン」にしろ、限りなくリアリティーのある特殊撮影には舌を巻く。それだけに、力のあるスポンサーの影響力と莫大なドルの動きが見え隠れしたりする。 アメリカ人の映画に対するエンターテインメント性の追求は、並々ならぬものがあるということの裏返しでもあろう。本作「ウルヴァリン」は、X-MENシリーズのいわば起源に当たるものである。例えて言うなら「スターウォーズ」シリーズのエピソード1みたいなストーリー展開になっている。そんなわけで、主人公ローガンがどんなきっかけで今に至っているのかを語る切り口なのだ。幼い頃、ショッキングな出来事がきっかけでミュータント能力が覚醒したジェームズは、兄のビクターとともに軍隊へと入隊する。南北戦争やベトナム戦争に参戦した後、ストライカー大佐に誘われ、ミュータント・グループに入る。だがチームの冷酷非情な行為に嫌気のさしたジェームズは、そこから脱退する。その後、ジェームズは名前をローガンと変え、小学校の教員をしているケイラとともにカナダの大草原でひっそりと暮らすのだった。そんな折、ローガンの前に再びストライカー大佐が現れた。主人公ローガン役に扮するヒュー・ジャックマンは、この獣のような役どころとは対極にもエリート一家に育ち、シドニー工科大学を卒業したインテリジェンスなのである。役者内では、タバコ嫌いとしても有名らしく、実に紳士な俳優さんであるとのこと。(←ウィキペディア参考)また、悪役のストライカー大佐を演じたダニー・ヒューストンは、吟遊映人と同じ誕生日で5月14日生まれだ。(←何の脈絡もないが、ちょっぴり嬉しいので書いておく)作品は全体を通してCG効果を駆使したアメリカらしい見応えのある映画であった。もちろん、前作にも引けを取らないストーリー性が高く、魅力的な作品なのである。2009年公開【監督】ギャヴィン・フッド【出演】ヒュー・ジャックマン、リーヴ・シュレイバーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。 See you next time !(^^)
2010.03.01
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「私はダルクワンディエ博士・・・オーロラの父親だ」「(あんたは)死んだはずだ」「死ねば生まれ変わることもできる。今に分かる」SFというジャンルは好き嫌いのハッキリ分かれる部類かもしれない。奇抜なストーリー展開やエイリアン・ロボットなどの登場、そして宇宙紛争。複雑なストーリーでなければ概ね内容的には似たり寄ったりであろう。本作「バビロンA.D.」は、【SF】というカテゴリに分類したものの宇宙規模のものではなく、ましてやエイリアンなどは登場しない。舞台は近未来のセルビア、そしてアメリカということになっている。胡散臭い宗教団体の教祖や、クローンの話題が織り交ぜられているが、あながちあり得ないことでもなく、妙にリアリティを感じさせられるから不思議だ。作中、ヒロインであるオーロラをめぐって争うシーンが出て来るのだが、そこで披露されるのが“パルクール”である。パルクールというのはフランス発祥のスポーツで、人が肉体のみを駆使し、道具などを使わずに障害物を越えたり高い壁をよじ登ったりする技術である。これはここ最近注目されているスポーツで、アクション・シーンなどに多く起用されているのだ。荒廃した近未来、極寒のセルビア地方に住む傭兵のトーロップは、ゴルスキーから大金と引き替えにオーロラという女性をアメリカまで連れて行くよう依頼される。オーロラはノーライト派の修道院にいて、外部とは全く接触することなく暮らして来た者だった。トーロップはオーロラとその保護者でもあるシスター・レベッカとともにアメリカへと渡る旅に出るのだが、待ち受けていたのはオーロラをめぐる怪しい武装集団であった。単純なラブストーリーやアクション映画に見慣れてしまったせいだろうか、この「バビロンA.D.」は難解な作品である。オーロラがウィルスの保菌者で、しかも歩く人間兵器でありながら、双子の子どもを妊娠していること。さらには出産後は用済みとなって生命を全うしてしまうことなど、今一つ踏み込んだ説明があると分かり易いのではと思った。だが、映画を観ながら必死でストーリーの内容を確認していく作業は、脳に刺激を与えるという意味でトレーニングにもなる。食わず嫌い解消のための一作ではなかろうか。2008年(米)、2009年(日)公開【監督】マチュー・カソヴィッツ【出演】ヴィン・ディーゼル、メラニー・ティエリーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。 See you next time !(^^)
2010.01.16
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「(もう)ミサイルはないのか!?」「まだあるぜ大統領!・・・おれに任せろ!」「ミサイルを(持っているのか)?」「(ええ)しっかりと持ってますぜ」何だかんだ言いながらも、またたく間に過ぎ去ろうとしている2009年(平成21年)。本年最後のDVDは、これを観て締めとする。それは本作「インデペンデンス・デイ」である。愚かな人間が地球を汚染する中、エイリアンによって襲撃を受け、人類滅亡の危機に瀕するというストーリーである。内容そのものに斬新さは感じられないかもしれないが、地球への尊崇の念と感謝の気持ちを忘れがちな現代人には、今一度省みなければならない“エコ”意識ではなかろうか。本作に登場するエイリアンは、イナゴのように惑星から惑星へと移り、資源を食い尽くしてしまう凶悪な存在として描写されているが、実は利己主義に走る我々現代人のことを“エイリアン”として表現しているようにも感じられた。今年は環境問題が大きく取り沙汰された年でもあり、地球規模のテーマとして人類にとって何が一番大切なことかを考える時期が来ているのだ。普段と変わらない日常を送っていたところ、にわかに空模様が怪しくなり、各家庭のテレビの映り具合が悪くなる。原因はなんと、ワシントンD.C.を覆い尽くすほどの驚くべき大きさの未確認飛行物体の出現であった。アメリカ政府は和平交渉のため、UFOとの交信を試みたところ、容赦ない攻撃を受けてしまうのだ。本作のようなSF・パニックを鑑賞したところで、まずあり得ないのだが、吟遊映人は思わず目頭を熱くしたシーンがある。それは、ラッセル・ケイスという酔っ払いの農夫なのだが、元ベトナム帰還兵であり現在は農薬散布のために自家用小型飛行機のパイロットをしているという設定の人物。普段は変わり者で周囲からはバカにされている存在なのだが、ラストではミサイルを搭載した飛行機もろともエイリアンの円盤に突っ込んで行くという悲劇のヒーローなのだ。それはまるで、第二次世界大戦下の日本の悲劇、神風特攻隊のような有終の美であった。 我々は何気ない日常を当たり前のように暮らしている。だが、この地球を愛する気持ちがなければ、必ず隙をつかれて破滅の運命を辿るのだとこの映画は教えてくれる。実に有意義で、深いテーマの隠された作品であった。1996年公開【監督】ローランド・エメリッヒ【出演】ジェフ・ゴールドブラム、ビル・プルマン、ウィル・スミスまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.12.28
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「信じられない・・・光であふれてる。すべて光でできてるようだ。君にも見せたい」 「十分見せてもらったわ」「・・・どうかしたのか?」「一緒には行けない・・・ここまでが精一杯」マトリックス・シリーズも佳境に入っていよいよ最終章となる3作目。しかし本作も実に複雑極まりなかった。・・・いや、待てよ。ふと気付いてしまった。内容は概ねの理解で良いのではなかろうか、と。あるいは作中、ところどころに隠されているキーワードに気付きさえすれば、充分「マトリックス」効果を楽しむことができるのでは、と。誰もがお気付きのように、本作も含めた一連のマトリックス・シリーズには役者陣の熱演という雰囲気はあまり感じられない。(一部、ミフネ船長の熱い殉職シーンを除く)それもそのはず、監督の意向もあるのだろうが、映像と編集のテクニック、つまりデジタルという特殊技法を駆使することによる視覚的な面白さを全面に打ち出すことを主としているのだ。そのため、役者の過度なオーバーリアクションなどは不必要なのである。ネオは意識不明の状態が続いていた。しかしネオの脳波はマトリックスに侵入している時と同じ神経パターンを表していた。 実はネオは、マトリックスとソースの境界であるモービル・アヴェニューという地下鉄の駅に捕らえられていたのだ。そしてその場所は、トレインマンと呼ばれるプログラムに制御されていることを知る。 一方、モーフィアスのところに預言者から連絡が入る。そしてネオがモービル・アヴェニューで捕らえられていることをモーフィアスとトリニティーに告げるのだった。吟遊映人が注目したのは、ネオが閉じ込められてしまったモービル・アヴェニュー駅で出会った少女サティー(インド人ぽい顔立ち)と、その両親の存在する意味である。実はここを何度か巻き戻してセリフを検証してみた。その結果、次ようなことが推測できる。父親はリサイクルのプログラム(コンピュータ)であり、母親はプログラマーつまり人間(人類)である。よって少女サティーは、人間とコンピュータの混血であるということ。両親はそんなサティーを愛している。つまり、どんな形であれ愛することは普遍的なのである、と。これはあくまで吟遊映人個人的な考察なので、間違っていたらご容赦願いたい。一方、理屈抜きで愉快だったのが、クローン化したエージェント・スミスがわさわさと現れるシーン。あれだけの人数(しかも皆スミスばっかり!)に取り囲まれて決闘するネオのプレッシャーたるや、いかばかりか・・・!?何はともあれマトリックス・シリーズは、デジタルとアイデアを惜しげもなく注いだ、画期的なアクション映画なのである。2003年公開【監督】ウォシャウスキー兄弟【出演】キアヌ・リーブス、キャリー=アン・モス、ローレンス・フィッシュバーンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.11.14
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「トリニティー・・・」「怖がらないで」「・・・君を失いたくない」「失うことはないわ。感じるでしょ? あなたを離さない」マトリックス・シリーズの2作目は、前作と比較しても歴然とした違いがあることに気付かされる。それは言わば“ロマンス”あるいは“ドラマ性”とでも表現すれば分かり易いだろうか。 そう、ネオとトリニティーの愛し合う2人の姿がクローズアップされているのだ。ややもすれば乾いた空間になりがちなSFアクションの中に、男女間の豊かな情感を取り入れることにより、内容に丸みを持たせる効果が期待される。そうは言いつつも、マトリックス・シリーズは一度観ただけではなかなか理解しにくい難解な内容であることは確かである。前作をかなり熟知した上で、本作の鑑賞をオススメしたい。まず吟遊映人が理解に苦しんだ点。それは、時間と空間がある種崩れたような感覚に陥ってしまったことだ。なにしろマトリックス・シリーズにおいて、時間の概念はもはや直線的なものではないからだ。過去の次に現在、そして未来・・・という時系列ではない。もっと平面的で、同時に様々なことが存在している。そしてそれは仮想、つまりバーチャルな世界であるということ。このしくみを解き明かすには、ある種のセンスが必要かと思われる。残念ながら吟遊映人は「たぶんこんな感じでこんな意味があってこんな風になったのかな・・・?」などと想像しながらの鑑賞となった。非常にあいまいな読後感に近いものがある。前作では救世主として迎えられたネオが、宿敵であるエージェント・スミスを倒したところで終わった。本作ではネオが愛するトリニティーを失う悪夢にうなされるところから始まる。現実世界に生き残ったわずかな人類の世界であるザイオンに戻ったネオ。つかの間の安らぎもままならず、倒したはずのエージェント・スミスがクローン化し、ザイオンに侵入していることが発覚。また一方で、マトリックスを支配するコンピュータ側は、ザイオンを総攻撃するべくセンチネルと呼ばれる破壊ロボットを25万体も送り出すのだった。見どころはなんと言っても高速道路におけるカーアクションシーンであろう。手に汗握る見事な銃撃戦であった。さらに、トリニティー役のキャリー=アン・モスは、本当に知的な美しさで視聴者を魅了してくれる。カナダ国籍の女優さんだが、最近では「ショコラ」に出演しジョニー・デップと共演を果たしている。今後ますます期待できそうな大物女優なのだ。2003年公開【監督】ウォシャウスキー兄弟【出演】キアヌ・リーブス、キャリー=アン・モス、ローレンス・フィッシュバーンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.11.11
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「マトリックスは社会だ。敵は社会だ。その中にいるのは・・・ビジネスマン、教師、弁護士、大工・・・我々が救おうとしている人々だ。だが今はまだマトリックスの一部で・・・つまり敵だ。彼らはまだ真実を知る準備ができていない」「マトリックス」という作品は、あらゆる側面から話題になった映画である。特に印象的なシーンと言えば、何と言っても、エージェント・スミスが撃った弾丸をネオ(キアヌ・リーブス)がエビ反りになって避けるというあの名場面だ。なぜここまでインパクトがあったのかと言えば、おそらく誰もがお気付きのはずだが、実際には見えるはずのない弾丸がどこをどう通り抜けて行ったのかスクリーンに映し出されてしまった点にあるようだ。何かの雑誌に書いてあったのを思い出したのだが、西部劇などは銃を撃ったカットの次に撃たれた人のカット(よろよろと倒れるシーンなど)につながり、視聴者はそれを見て「ああ、あいつが撃たれて死んだ」と知るのである。つまり、目に見えないほどの速さである銃撃シーンにおいては、その手法こそがアクション映画の王道であったのだ。ところがそれを見事に打ち破ったのが本作「マトリックス」であった。この演出は、実に衝撃的な弾丸避けのシーンとして語り継がれるようになる。大手企業のコンピュータ・プログラマーであるトーマス・アンダーソンは、一方で天才ハッカー・ネオという裏の顔を持っていた。ある晩、ネオのところに“白ウサギについて行け”というメッセージが届く。ネオは謎の美女トリニティーに導かれるまま、さる人物のところまで案内される。その人物はモーフィアスと言い、ネオに恐るべき真実を語り始めるのだった。それは何と、今まで現実と思っていた世界が、実は仮想現実でしかないということであった。ところで「マトリックス」という語源だが、ラテン語で子宮を表す言葉とのこと。つまり、何かを生み出す母体という意味なのだとか。とすると、本作は機械(コンピュータ)によって養殖される人類のことをテーマとしているのだろうか?端正な顔立ちでどこか薄幸そうな雰囲気を漂わせる天才ハッカー・ネオ役のキアヌ・リーブスは、正にこの役を演じるために生まれて来たようなベスト・キャスティングである。複雑なSF・アクションの世界にぐいぐいと惹き込んで行く、得体の知れない魅力に溢れる役者さんだ。現代の銃撃戦を最新の映像と演出で楽しませてくれる、秀逸の作品なのだ。1999年公開【監督】ウオシャウスキー兄弟【出演】キアヌ・リーブス、ローレンス・フィッシュバーン、キャリー=アン・モスまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.11.08
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「金星(ビーナス)というのは昔の人が見た目の美しさでそう名付けたの。でもその実態は毒ガスと硫酸雨だって。・・・そう聞いてすごく興味を覚えた。この銀河だけで4000億もの恒星が存在してるのよ。恒星の百万に一つが惑星を持ち、惑星の百万に一つに生命があり、全宇宙には数百万の文明があるはず」「そうでなかったら空間(スペース)がもったいない」本作は正に、ゼメキス監督の代名詞、あるいはゼメキス監督“らしい”作品である。この監督は一貫して失われた時間とか過去の記憶などをテーマにしている。例えば主人公エリーは、幼くして父親を亡くしている。大好きな父親との過去に囚われるあまり、実存的なものは信頼しながらも抽象的なもの(神など)に対して距離を置いている。それは学者としての立場から生ずる理屈なのかもしれないが、妙に意地を張っているようにも見える。これはおそらく、過去との折り合いがきちんと成されていないため、次なる一歩が踏み出せないエリーの苦悩を表現しているようにも思えた。エリナー・アロウェイ(エリー)は、生後間もなく母を亡くし、9歳で父も亡くしてしまう。しかし、その父から無線機の扱い方や星座の見方など、様々なことを教わり、学習した。 そんな幼いころの体験がきっかけとなり、天文学の研究者となった。エリーはSETIプロジェクトという宇宙文明の存在を検知することを目的としたチームに所属しているが、天文学の権威ドラムリンによって研究費を打ち切られることになってしまう。ところが後日、独自で探査を続けていたエリーは、ついにヴェガから発信し続けられる電波信号を受信。大騒動となる。まず驚いたのがヒロインであるエリー役を、オスカー女優でもあるジョディ・フォスターが演じていることだ。彼女のこれまでの出演作品を考えると、時代を映し出す鏡となるような、いわば社会派映画に多く出演して来たこともあり、ここへ来てSF映画に出演というのはちょっと面食らってしまった。ジョディ・フォスターという女優さんは、もともと頭脳明晰でチャレンジ精神旺盛の人物である。そんな理由からも、あらゆるジャンルの映画に体当たりでぶつかって行こうとする姿勢が感じられる。おそらく「コンタクト」もそんな揺るぎないポリシーゆえの出演ではなかろうか。いずれにしても女優としての新境地を匂わせる作品となっている。1997年公開【監督】ロバート・ゼメキス【出演】ジョディ・フォスター、マシュー・マコノヒーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.09.13
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「私を見ろ! 君を助けたいんだ!」「心から出て行け」「君自身まで危険になるぞ。・・・私が力になる! 君はパワーに支配され愛するスコットを失った」「イヤ! やめて!」前2作ではブライアン・シンガー監督がメガホンを取ったこともあり、かなり知的面で仕掛けられた作品であった。言わば社会的マイノリティーのあり方を問う、リベラルな闘いがそこかしこから感じられた。本作は、シンガー監督が降板したことでだいぶ趣が変わった。前2作に比べると、よりドラマチックでストーリー性を重視した運びになっている。前作で死んだかに思われたジーンが発見され、さらに彼女が絶大な特殊能力の持ち主であることが判明。そんなジーンの能力が邪悪なものに支配されようとしている。そこでローガンは彼女を愛するが故に涙を呑んでジーンを殺害する・・・このくだりはシェイクスピアか何か、文学の香りさえ漂うのだ。(あるいは壮大な叙事詩のような趣さえある)大企業ワージントン社の社長は、ずっと部屋にこもりきりの息子を心配して何度か呼びかける。息子のウォーレンは自分の背中に異様なものが生え出そうとしていることに苦悩し、ナイフで削るなどして体中を血だらけにしていた。父親はいよいよただ事ではないと無理矢理部屋をこじ開けてみたところ、息子の背中に翼が生え始めようとしている光景を目の当たりにする。それは紛れもなくミュータントである証拠であった。一方、アルカリ湖で亡くなったはずのジーンが発見された。しかしジーンには恐るべき能力があった。彼女は二面性の人格を持ち、邪悪な一面をチャールズ・エグゼビアによって抑制されていたのだが、なんとその人格が覚醒してしまったのである。本作でポイントと思われるのが、ミュータントの能力を消し去る治療薬“キュア”が開発されたという点である。まるで少数派であることが病気か何かであるような扱い方なのだ。それを良しとするのか否か、視聴者に問題提議する形を取って行くのかと思いきや、やはりネガティヴな問題だけのことはあり、さらりと流している。一方、プロフェッサーXの殉職やローガンの勇気ある決断が物語の大きなクライマックスとなってメリハリを与えている。アクションシーンも満載で、最終章に相応しいSF映画であった。追記:サブタイトルの“ファイナルディシジョン”に踊らされて、本作が最終章かと思いきや、X-MENシリーズはこの後も続きます。遅ればせながらその旨を最近になって知りました。管理人の勉強不足、何とぞご容赦下さい。2006年公開【監督】ブレット・ラトナー【出演】ヒュー・ジャックマン、パトリック・スチュワートまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.09.05
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「サーカス団員以外の人間は俺を恐がったが、憎くはなかった。むしろ憐れんだ。理由・・・なぜだと思う? 彼らは自分の目で見ること以外何も知らずに生きてくから」「私は憐れみなどとっくに捨てたわ」「君のような美人に怒りは似合わない」「怒りは生きる力になるわ」前作に引き続き、人類とミュータントとの間に起こる様々な摩擦を問題にした2作目。 本作を観て、直感的に思った感想を言ってしまおう。それは、アメリカを襲った9.11事件の影を色濃く落としているのでは、という点である。これまで人類と突然変異のミュータントがそれぞれの持ち味を生かし、平和的に共存しようではないかというテーマが中核にあった。これを現実社会に置き換えてみると分かり易い。様々な人種がそれぞれの文化・宗教を認め、平和的に解決していこうということである。 だが、例の9.11事件である。あの事件をきっかけに世論は激しく動揺した。「やっぱり上手くいきっこない」「○○○民族は敵だ! やっつけてしまえ!」という具合になってしまったのである。「X-MEN2」でもそれが反映されているのか、「やっぱりミュータントは敵だ! やっつけてしまえ!」的な、人類VSミュータントの図式に変化しているのだ。テレポートの能力を持つミュータントが、ホワイトハウスを襲撃する。やっと人類とミュータントが平和的に共存しようとする矢先の事件であった。反ミュータントを推進する対策担当官のストライカーが、ミュータント撲滅のためにプロフェッサーXを監禁してしまう。その間、ストライカーはミュータントの学校を突き止め、捕獲作戦に出るのだった。一方、人類を滅ぼそうと企てたマグニートーは幽閉されていたが、一味の手助けにより脱出。再び人類への憎悪を加速させていくのだった。本作における“ミュータント”を、“よそ者”とか“少数派”という言葉に置き換えてみたらとても分かり易いのではなかろうか。地球という同じ舞台で複数の人種、複数の文化が平等にスポットライトを浴びる日が来るのか・・・?それは、今を生きる我々の永遠のテーマなのかもしれない。2003年公開【監督】ブライアン・シンガー【出演】ヒュー・ジャックマン、パトリック・スチュワートまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.09.03
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「大丈夫、おれだよ」「証明しろ」「お前はクソ」「(フン)いいだろう」「ギャング・オブ・ニューヨーク」を観ても分かるように、アメリカという国はその成り立ちからして、同じ国土を多数の人種が分かち合うことを余儀なくされた。その場合、文化も違えば信仰する宗教も違うため、一方の人種が他方の人種を支配することで統一を計ろうとして戦争が起こる。しかし、そのリスクと犠牲たるや莫大なもので、多くの人命が失われ、差別が生まれた。 そこで現代は、それぞれの人種・文化・宗教を認め、共存していこうとするスタイルに変わりつつある。なぜ吟遊映人がこんなことを話題にするかと言うと、「X-MEN」はそんなアメリカの多文化主義の象徴ではなかろうかと思うからだ。つまり大まかに言ってしまうと、人間とミュータントがそれぞれの特性を尊重し、共に生きていこうではないかというテーマが見て取れるのだ。マーベル・コミック社から出版された同名マンガである「X-MEN」は、単なるSFマンガとは一線を画す、奥の深い近未来マンガなのだ。近未来、突然変異のミュータントは、人間から様々な迫害を受けていた。自分が何者であるか分からないまま、一匹狼として旅を続けているローガンもミュータントで、指と指の間から鋭い超合金の爪が出て来るのだった。ある時、心に傷を負った少女ローグと出会う。ローグは触れた相手から生命力を吸い取ってしまうという特殊な能力を備えたミュータントであった。そんなローグの力を虎視眈々と狙うのは、同種のミュータントでありながら悪の道を進むマグニートーであった。「X-MEN」は、人間VSミュータントという図式ではない。ミュータント同士の争いとして捉えた方が良い。一方は人間との共存を望み、他方が人間を支配しようと企む同種族の抗争だ。これが一体何を意味するのか?思うに、共存・共生を唱えることは簡単だが、なかなかキレイゴトでは済まされないという現実を、暗に物語っているような気がする。本作をどのような視点で捉えるのか、それは各人にお任せしたい。一人で観るにはもったいない。友人やファミリーと共に鑑賞し、作品についてあれこれディスカッションしてみる価値のある一作なのだ。2000年公開【監督】ブライアン・シンガー【出演】ヒュー・ジャックマン、パトリック・スチュワートまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.09.01
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「(もしもし交換手か)国防総省へ緊急通話だ! 分かるか? 国防総省へ・・・」(激しい銃撃戦が続く)「カードはない!」「怒鳴ってもすぐにはつながりません。はっきりしゃべって下さい」「戦争の真っ最中なんだぞ!・・・カードが必要なのか。おい、財布あるか?!」「(マシンガンを撃ちながら)ポケットだ!」「どの(ポケット)?!」「後ろのポケットだ!」「10個もあるぞ!」「左の尻っぺただ! 左の尻(のポケット)!」「VISAの・・・」「国際通話優待サービスを(ご利用になりますか)?」「そんなの必要ない!」アニメの実写化というのは、非常に難しい。視聴者側にはアニメの中でくり広げられる世界観がしっかりとインプットされているし、製作者側が必死で追求したリアリティー性もケチをつけられたりで、なかなか両者の需要と供給はバランスが取りにくいというのが現状である。ところが本作「トランスフォーマー」は、大成功を遂げている。マイケル・ベイ監督の手腕によるところが大きいのかもしれないが、非常に完成度の高い作品となっている。車がみるみるうちに精巧なロボットに形を変えていくシーンなど、繊細で滑らかでしかも美しいのだ。高度なCG技術が駆使されていることは間違いないが、物凄い臨場感である。さらに、おざなりになりがちなストーリーも、しっかりとした組み立てによるもので、エイリアンとの共存・共生を謳っているかのような壮大なテーマを思わせる。ところどころに散りばめられた愉快なハプニングも視聴者を飽きさせないし、シリアス路線に固定されない遊びの部分が実に上手く生きている。中東カタールのアメリカ空軍基地に、謎の軍用ヘリが着陸。その軍用ヘリは突如としてロボットに変形し、基地を攻撃、大打撃を与える。さらには、未確認のエイリアンが内部に入り込み、アメリカ国家機密データをハッキングする。一方、ロサンゼルスに在住の16歳のサムは、免許を取得して初めて中古車を購入。ところが深夜その車がガレージから動き出し、サムは窃盗犯の仕業だと思い込んで自転車で急ぎ追いかける。その後、車がロボットに変形するところを目撃し、自分の車には意思があり、それそのものが生きた存在であることを知るのだった。誰もがお気付きのように、カタールの空軍基地を勇壮に歩く兵士たち、あの描写は正に「アルマゲドン」を髣髴とさせ、マイケル・ベイ監督の十八番と言っても過言ではない。また、意思を持った車が主人公を執拗に追いかけ、つけ狙うシーンなど、スピルバーグ監督作品の「激突!」へのオマージュなのではなかろうか。本作「トランスフォーマー」は、素晴らしいSFアクション映画として吟遊映人おすすめの一作なのだ。2007年公開【監督】マイケル・ベイ【出演】シャイア・ラブーフ、ミーガン・フォックスまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.08.07
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「気の抜けたビールと敗北のニオイ。理由があって“スーパー・ソルジャー・プログラム”は凍結された。生身より“鉄”のほうが信頼できる」「スターク(じゃないか)! いつも上等な“スーツ”を着ているな」「いかにも。・・・厄介な悩みがあるとか?」「君ほどでは」本作は、これぞ正しくアメコミの象徴と言えるであろう。主人公はいつだってパーフェクトなヒーローであってはならない。コンプレックスの塊で誰よりも人間臭く、そして情に厚い。だが何らかの影響で、望むと望まざるとに関わらず、自己改革を果たしてしまう。それは本来の自分とはまるでかけ離れたモンスターであったり、ロボットであったり、とにかく“変身”を遂げるのだ。そしてそこからヒーローとしての壮大なストーリーが展開されるというわけなのだ。「インクレディブル・ハルク」においても例外ではなく、主人公はもともと科学者で、どちらかというと文科系である。筋肉モリモリの体育会系とは程遠く、逆に線が細くて薄幸な印象さえ受けるのだ。そんな主人公がある事故によって驚愕すべきモンスターに変身し、大暴れする・・・と言ったアメリカン・コミックの王道をゆく物語に完成されている。研究実験中の事故により、科学者のブルースは怒りなどで心拍数が上昇すると緑色のモンスター“ハルク”に変身してしまうのだった。そんなハルクは、軍事目的のために利用しようと企むロス将軍から逃れながら、南米で生活していたところ、ロス将軍の精鋭の部下ブロンスキーが追っ手としてやって来るのだった。この作品は、観ていただければわかるのだが、単なるヒーローモノとは言いがたい愛と正義の物語として完結している。バケモノのような姿になったブルースを、昔と変わらずに愛し続ける恋人。そんな彼女を命を懸けて護り抜くブルース。この辺りが見どころなのではと思われる。ラストで「あっ!」と驚いたのは、同じマーベル・コミック社による「アイアンマン」の主人公トニー・スターク役のロバート・ダウニー・Jrがチョイ役で出演していること。こういうニクイ演出は、さすがにアメリカならではだけのことはある。エドワード・ノートン演じるブルースが、憂いを抱え苦悩する表情、細身でか弱ささえ感じるのに、ある瞬間、凶暴なモンスター“ハルク”に変身するという激しいギャップがおもしろく、実に良かった。2008年公開【監督】ルイ・レテリエ【出演】エドワード・ノートン、リヴ・タイラー また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.07.24
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“You are terminated.”(お前を抹殺する)ターミネーターシリーズは前2作で完結したものと思われたが、2003年にファンの間では度肝を抜いた。なんと、「ターミネーター3」が公開されたからだ。だが、前2作のメガホンを取ったキャメロン監督は「T3」の製作を断固として反対し、本作ではオファーを断わり、代わりにジョナサン・モストウ監督がメガホンを取っている。驚いたのは、アーノルド・シュワルツェネッガーの肉体美!当時、すでに50代後半の彼は(現在61歳)、この作品のために前作「T2」の時とほぼ同じ体型を作ったというからスゴイ!そんなアーノルド・シュワルツェネッガーは、周知の通り現カリフォルニア州知事で、この「T3」の撮影を最後にしばらく役者業を休業することになる。残念なのは、前2作で強くたくましい母親(サラ・コナー役)を演じたリンダ・ハミルトンは、台本を読むなり「この脚本にはストーリーがない」と言って出演を断わっている。そんなわけで、本作はアーノルド・シュワルツェネッガーを除いてほぼ新しいキャストとスタッフでの撮影となった。液体金属で作られたT-1000型ターミネーターとの結末からすでに10年が過ぎた。人類とスカイネットとの戦争“審判の日”は、1997年8月29日が過ぎても事無きを得た。 だが2032年、新たに2体のターミネーターが未来から送り込まれて来る。1体は、ジョン・コナー率いる抵抗軍の副官達の抹殺を目的とする最強のターミネーターT-X。そしてもう1体は、ジョンとケイトを護るために送り込まれて来たT-850型であった。 なんと、回避されたと思っていた核戦争は、予定が狂っただけで先延ばしされたに過ぎなかったのである。本作においても前2作を凌ぐアクションシーンが満載であった。何と言っても今回は女性が悪役だから、そのナイスバディと虫も殺さないような顔立ちに反比例した大胆な破壊力と殺傷能力には肝を冷やした。また、モストウ監督がいかに前2作を愛しているか垣間見られるのだが、我々のイメージするターミネーターをそのままターミネーターとして登場させてくれるのが嬉しい。さらに、撮影に関してもCGを駆使するばかりの合成的なカットは少なく、リアルに撮れるものにこだわり、イメージの定着化を図った気配りが感じられた。全体的に安定して楽しめるアクション映画に仕上げられていた。2003年公開【監督】ジョナサン・モストウ【出演】アーノルド・シュワルツェネッガー、ニック・スタールまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.07.01
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「“運命ではない”“人生は自分で築く”パパが残した言葉だ。未来の僕がパパに教えたんだけどね。・・・とにかくこういう事だ。未来は運命が決めるものではない。自分の手で切り開くんだ」「(おまえの)母さんは未来を変える気だ」「たぶんね」前作に続く2作目となるこの「T2」のすごいところは、ターミネーターが無機質な機械の塊などではなく、液体金属で出来ているという点である。しかもそのことが有利に効いて、様々な人間に形を変化させたり、格子の間をくぐり抜けたり、手を鋭利な刃物に変化させたりなどとにかく変幻自在に操れるすごワザの持ち主という設定なのだ。21世紀に突入した現代では、恐怖や慄きを感じる対象というと、例えば感染力の強い猛毒性ウィルスであったり、得体の知れないスピリチュアルなものであったり、外観的な特殊性には飽和状態にある。それほどまでリアリティを求められるようになった今でも、この「T2」は充分に恐怖感を抱き、文字通りのドキドキハラハラ感を得られる最高傑作なのだ。前作において、サラ・コナーはカイル・リースとの間にジョン・コナーを儲けた。本作では、サラ・コナーが精神異常者として精神病院に収監され、息子のジョンは養父母に引き取られ非行に走るというプロローグを見せる。ある日、時空を越えて2体のターミネーターが現代に送り込まれる。1体はT-800型で、未来のジョンが自分自身を護るためにT-800型を再プログラムしたもの。そしてもう1体は、変幻自在の液体金属の体を持つ最新型モデルT-1000型で、10歳の少年となったジョンを抹殺するために送り込まれたのだった。80年代、90年代、そして現代。悪役も時代とともにずい分とその様相を変えた。いつの頃からか、「13日の金曜日」に登場するジェイソンにはほとんど恐怖を感じなくなってしまい、「エイリアン」や「プレデター」では恐怖と言うより気持ち悪さを感じるというのが本音なのだ。そんな中、このターミネーターシリーズは、まだまだイケるという感触を得た。アクションと恐怖感と、そしてラストのちょっぴり切なさ感がいい案配にまとまった、完成度の高い作品である。1991年公開【監督】ジェームズ・キャメロン【出演】アーノルド・シュワルツェネッガー、リンダ・ハミルトンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.06.28
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「命令されて来たの?」「志願した」「なぜ?」「伝説の人物、サラ・コナーに会いたかったから。息子に戦闘と組織の方法を教えこんだ人だ」「ターミネーター」に続く「T2」、それに「エイリアン2」あるいは「タイタニック」など素晴らしい作品を手掛けたジェームズ・キャメロン監督には、一つの法則があるように思える。それは、ヒロインの女性が強くたくましく生き抜く力を持っていることだ。このことがどんな意味を持つかなんて、それは観る側の問題でしかないけれど、吟遊映人はそこに“母性”とか“変わらぬ愛”を見たような気がする。そういう人間の底知れぬ深い情愛は、いかに高知能を持つスーパーコンピューターと言えども、太刀打ちは出来ないと表現しているように思えるからだ。当時、ボディビルダーとして活躍していたアーノルド・シュワルツェネッガーも、役者としては全くの素人で、彼を一躍有名にしたのがこの「ターミネーター」なのだ。無名のボディビルダーを主役に抜擢したキャメロン監督の先見の明には、もう脱帽と言う他ない。人工知能を有するターミネーターが、核戦争を引き起こして人類を絶滅させようと企む未来。人類は、生き残った戦士のうちの1人が指導者となり、ターミネーターと戦う。彼の名はジョン・コナー。母親であるサラ・コナーから戦闘と組織の方法を徹底的に教え込まれている人物であった。一方、ターミネーターはジョン・コナーに恐れを抱き、過去にタイムスリップすることで母親サラ・コナーを歴史から抹殺するべく1984年(現代)のLAに送り込まれて来た。70年代に“ウーマン・リブ”という言葉が流行した時期がある。いわゆるフェミニズムの一端であるが、キャメロン監督の描く女性たちは、強くたくましく男性と肩を並べて生きて行こうとする世界中の女性たちを味方につけた、あこがれの女性戦闘士なのだ。まだまだ男性優位の社会にあって、その荒波に揉まれながらも勇敢に戦う女性は素晴らしい。そんな女性たちに向けた、キャメロン監督からのエールようなSF映画に仕上がっているのだ。1984年(米)、1985年(日)公開【監督】ジェームズ・キャメロン【出演】アーノルド・シュワルツェネッガー、リンダ・ハミルトンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.06.26
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「スタークさん、コールソンです」「あんたはたしか・・・」「戦略国土調停補強配備局です」「名前が長すぎる」「(ええ)よく言われます」アメコミに登場するヒーローは、やっぱりこうでなくちゃいけない。とにかくヒーローになる前は、放蕩者で、好き勝手にやって、何事にもルーズ。だが何かをきっかけに、その身を振り返るのだ。“自分とは何ぞや?”自己の愚かさを知り、それまでの生き方を180度転換させる。信じられる者とそうでない者を見極め、己の力を知り、今何をするべきか何をしたら良いのかを自問自答し、己の道を信念を持って邁進するのだ。これこそが正に、アメコミにおける正統派ヒーローと呼ぶものであろう。マーベル・コミック社のマンガを愛読するハリウッド・スターは想像以上に多いようで、ヒーロー役にしろ悪役にしろ争奪戦がくり広げられるらしい。ニコラス・ケイジあたりも愛読者の一人らしく、マーベル・コミック社のマンガの実写化に伴い、よく出演するメンツなのだ。本作「アイアンマン」においても、主役級の役者テレンス・ハワードやグウィネス・パルトローらが脇をがっちり固め、非常に完成度の高いアクション・ヒーロー映画に仕上げられている。武器製造会社の社長であり天才発明家のトニー・スタークは、開発した最新型のミサイルの宣伝にアフガニスタンを訪れる。帰り際に現地のゲリラに突如として襲撃を受け、同行していた兵士たちが次々と殺されてしまう。必死に逃げ惑うトニーであったが、ゲリラが使用している武器に目を向けると、それらには“スターク・インダストリーズ社製”のロゴが刻印されていたのだった。それらを目撃してしまったトニーは、これまでの自分のあり方、姿勢を見直す心境に至るのだった。ストーリー的にはあまり斬新なものは感じられない、正直なところ。だが、作者の平和と勇気を愛する精神はこちらサイドにも伝播する。武器・弾薬を作って大儲けしようとも、決してそれでは人間は幸せにはならない。大切なのは、人と人との絆である。信頼のおける友人を作り、助け合って生きていくことが大切なのだと教えてくれる。ヒーローマンガが原作とは言え、そこから教えられることは多い。ぜひともご家族で楽しんでいただきたい作品なのだ。2008年公開【監督】ジョン・ファヴロー【出演】ロバート・ダウニー・Jr、テレンス・ハワード、グウィネス・パルトローまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.04.18
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「普通の人間だったのに目覚めたら特別な人間だった。注射しようとすると肌に刺さらず針が折れた。頭の傷は1時間で治っちまった。医者はもちろんびっくり。俺自身は何も分からない。」「記憶喪失ね。・・・頭を強打されて。」「そうらしい。ポケットにあったのは風船ガムと映画の切符2枚。ボリス・カーロフの『フランケンシュタイン』だ。」今やハリウッドのドル箱スターであるウィル・スミスは、グラミー賞受賞歴を持つ列記としたミュージシャンである。歌も芝居も何でもござれのマルチ・アーティストというわけだ。「バットマン」や「スーパーマン」と違う今回の「ハンコック」は、もちろん前者と同様に超人的な力を誇るスーパーヒーローのお話なのだが、なんと言うのかヒーローっぽくないのだ。ある意味、正義の味方とは言いがたく、行き過ぎたバイオレンスやバカ力に市民からブーイングの嵐と言った具合なのだ。言わばヒーローの落第生みたいな存在だ。そんな茶目っ気たっぷりのキャラクターを、ウィル・スミスはすっかり我が物にしている。恐るべし、ウィル・スミスである。ロサンゼルスで起こる難事件を次々と片付けていく一方で、街に多大な損害を与える男、ハンコック。粗野で手荒な性格も災いして、市民からはいつもブーイング。だがある時、そんなハンコックに助けられたPR会社の落ちこぼれ社員のレイは、命の恩人であるハンコックのイメージ改善計画に乗り出す。なんと、ハンコックに刑務所で罪を償わせ、正義のヒーローとして社会に貢献させようというイメージアップ作戦であった。PR会社の社員であるレイが、イメージ戦略として売り出そうとしていたハートのシンボルマークを、月面に描いたハンコックの茶目っ気が可愛いと思った。また、時を同じくしてレイとハンコックが違う場所から月を仰ぐのだが、それもロマンチックなエンディングとして仕上がっていた。本音を言ってしまえば大絶賛とまではいかないが、観終わった後、なんとなく心があったかくなるような、そういうSF映画であった。2008年公開【監督】ピーター・バーグ【出演】ウィル・スミス、シャーリーズ・セロンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.02.17
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「連中の目的は?」「俺たちを殺す(ことさ)。気づかなかった?」「なぜ殺す?」「俺たちが邪魔だから。・・・頭ニブイな。やつらは中世の頃からジャンパーを殺してきた。宗教的狂信組織、魔女狩りもやつらの仕業だ。やつらは賢い。素早くて邪魔者は誰でも殺す。お前の家族や友達や・・・ローマで一緒だった彼女も。・・・みんな殺される。慣れておけよ。」人は皆、辛い現実から逃避してしまいたいと願う。特に思春期は様々な局面で思い悩み、戸惑いを隠せない。そんな折、もしも自分に特殊な能力が備わっていたら・・・。例えば、A地点からB地点まで瞬間的に移動できたら。そんなテレポートが可能なら、自分は神に一歩も二歩も近づける。スーパーマンやバットマンみたいに正義のための特殊能力なんかじゃない。自分の私利私欲のためだけの超人的な力。この作品は、そういう人間の素朴な願望から生まれたストーリーなのではなかろうか。 ミシガン州の田舎町。内気な高校生デヴィッドは、同級生のミリーに片想い。ある時、デヴィッドは思い切ってミリーにプレゼントを渡すが、それを見ていた同級生の男子が二人を冷やかす。さらにそのプレゼントを奪い、凍てつく冬の川に放り投げてしまう。デヴィッドはそのプレゼントを取り戻そうと凍った川の上を歩いて拾いに行くが、突然氷が割れて川の中へと落ちてしまうのだった。溺れてパニックに陥るデヴィッドだが、気がつくと公立図書館に瞬間移動していたのだ。 世界じゅう場所を選ばずテレポートできたら、どんなに爽快な気分だろう。スフィンクスのてっぺん、エベレストの頂上、渋谷のスクランブル交差点のど真ん中。 ドラえもんのどこでもドアを越える夢のような能力。しかし、この世は全て二極化されているのも事実。天があれば地があり、男があれば女があり、神があれば悪魔があるのだ。“ジャンパー”があれば“パラディン”も存在する。そういう意味で、世の中バランスが取れているのかもしれない。ちなみに“パラディン”とは、作中において“ジャンパー”の抹殺を使命とする組織のことである。いつの世でも、神がかりな技を持ち合わせる人間は狙われるのだ。正に、「出る杭は打たれる」の事例である。2008年公開【監督】ダグ・リーマン【出演】ヘイデン・クリステンセンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.08.27
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「“魂”を持っていた人間をわたしはうらやましく思う。人間は生の意味を問い続けた・・・芸術、詩歌、そして数学の分野で。人間は存在の意味を解く鍵だった。だがその人類は絶滅した。」形而上学的なテーマは難しい。単なる近未来の童話ではないことぐらいは理解できる。この作品は親子愛を探し求める新型ロボットの登場をテーマにしたものなのか・・・? 作品の冒頭から感じられるテーマパーク的な世界観。感傷的でせつなく、内へ内へと入っていくネガティヴな思考に捉われてしまいそうになる。スタンリー・キューブリック監督の遺志を継いだスピルバーグ監督は、エンターテイメント性を削ぎ落とし、見事な精神世界を表現してくれた。そして、アナログが凌駕されデジタルが劣化しないことを証明してくれた。それが良いか悪いかは別として、形あるものは必ず滅びることを作品のそこかしこから教えてくれる。限りある命だからこそ、我々人類の崇高な精神とかけがえのない愛を全うしなくてはいけないのだ。と、ここまでは作中、少年型ロボットのデイビッドが母恋しさと絶望感から海の中へ身を投げるシーンまでの感想である。だが、ストーリーはここまでではなかった。その後の展開からテーマは混迷していくような気がする。某企業が、親への絶対的な愛情をインプットした少年型ロボットを開発した。そのロボットはデイビッドと名付けられ、試験的に同社の社員であるヘンリーとその妻モニカの元に送られる。二人には難病の息子がいたが、現代医学では治らない絶望的な状態であった。最初は敬遠していたモニカであったが、寂しさと苦しさから逃れるため、ロボットであるデイビッドを息子の身代わりとして受け入れることにする。オスメント君のまばたきをしない演技に度肝を抜いた。表情を極力変えずに、ロボットらしい微妙にぎこちない動き方など正に「人工的」で、子役としての力量を感じさせられた。また、ジゴロのジョーを演じたジュード・ロウも大変良かった。ドライな表情の中にロボットとして全うする己を受け入れた高度な精神性を見た気がしたからだ。思わずリアルな人間であることを忘れてしまいそうな演技力だった。※A.I.・・・Artificial Intelligence の略。人工的な知能(知性)の意。2001年公開【監督】スティーヴン・スピルバーグ【出演】ハーレイ・ジョエル・オスメント、ジュード・ロウまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.08.19
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「人はなぜ落ちる? (それは)這い上がるためだ。コウモリ(が恐いの)か?」「(うなずく)・・・。」「なぜ襲ったと思う? (コウモリは)お前を恐れた(からさ)。」「バットマン」シリーズは、これまでにも様々な監督によって手掛けられて来た。おそらく、それらはどれも制作に携わったスタッフの熱い思い入れであるとか、監督のオリジナリティを独自に表現したりなど、試行錯誤が重ねられ、すばらしい作品に仕上げられて来たに違いない。「バットマン ビギンズ」も例外ではなく、脚本にこだわり、アクションシーンにも力を入れ、様々な特殊効果で作品全体をリアリティの感じられるものに高めている。ここでは特に、脚本に注目してもらいたいのだが、父と息子の関係に並々ならぬ絆を感じまいか?ブルースが正義の名の下に“バットマン”に変身するというその根底には、実のところ、父トーマスへの限りない思慕の情がこんこんと溢れているという裏返しなのでは?絶望の淵から這い上がる強靭な精神力を持ち、どんな時でも強くて勇敢であるはずの父親が、ある日突然、犯罪に巻き込まれ命を落とす。その不条理な最期は、ブルースにとって耐え難い瞬間であった。自分は(無抵抗を通して命を落とした)父のような二の舞はしない、だが父は自分にとって最も尊敬すべき人物であり、誇りである。この複雑な、父に対するコンプレックスがバットマンという超人を作り出したのかもしれない。大富豪の一人息子ブルース・ウェインは、幼なじみのレイチェルと追いかけごっこをして遊んでいた。その際、ブルースは枯れた井戸の中に落ちてしまう。レイチェルは慌てて大人を呼びに行くが、井戸の中でたった一人のブルースは、洞窟から突如として現れた数多のコウモリに襲われ、恐怖におそれおののく。ブルースの父親が救出に駆けつけ、大事には至らなかったが、井戸の中で遭遇したコウモリの大群がトラウマとなってしまう。ある晩、両親とともに出かけたオペラでもコウモリのシーンが出て来て、ブルースは最終幕まで観ていることができず、途中で席を立ってしまう。それに伴って両親も帰宅の途につくのだが、突然強盗が現れ、無抵抗の両親を殺害されてしまう。多くの哀しみを一人胸に抱え、青年になったブルースはあてのない放浪の旅に出る。この作品では、幼少のころのブルースがどんなプロセスを経て大人へと成長したのか、さらに、どんなきっかけでバットマンというヒーローを生み出したのかを探ってもらいたい。脇をかためる俳優陣はことにすばらしい。ほんのチョイ役だが、モーガン・フリーマンはキラリと冴えていた。素直にカッコイイと思った。先月、交通事故のため重傷を負ったそうだが、その後、容態の方はどんな具合だろうか?モーガン・フリーマンの一日も早いご快復をお祈りし、併せてお見舞いを申し上げます。 2005年公開【監督】クリストファー・ノーラン【出演】クリスチャン・ベール、マイケル・ケイン、リーアム・ニーソンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.08.17
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「よく聞け、化け物ども。このチームのクォーターバックは私だ。いいな? 君は高校でアメフトはやってないか。」「そのとおり(やってない)。がり勉オタクだった。でも15年後の今は21世紀を代表する科学者。美しい婚約者もいる。そして高校時代のクォーターバックが私に助けを求めてる。助けがほしかったら私の言うとおりにしろ。仲間への敬意も忘れるな。」石ノ森章太郎の作品である「ゴレンジャー」や「仮面ライダー」シリーズは、マンガの世界から生まれたヒーローだが、テレビ放送されてさらに子どもたちを夢中にさせてしまった。ヒーローはいつだって負けない強靭な精神を持ち、勇気と正義感にあふれ、この世の邪悪を好しとしないのだ。子どもたちは自分もこうありたいと切に願う。純粋でいたいけな感情は、ヒーローとともにあることを当たり前とする。必ずこの世に存在するのだと信じている。我々大人は、子どもたちのそういう無垢な精神を大切に見守ってあげなければならない。 アメリカにおけるヒーローマンガも同様だ。大人の視点から見たら滑稽で、ありえない非現実的光景かもしれない。だが、縦横無尽に活躍するヒーローたちを、羨望と尊敬の眼差しを持って見つめる子どもたちの存在を忘れてはならない。いまや有名人となったファンタスティック・フォーのメンバーのうち、リードとスーは結婚を間近に控え、世間は多いに盛り上がっていた。そんな中、世界のあちらこちらで不思議な現象が起こっていた。日本の駿河湾が凍りつき、エジプトでは突然の吹雪。ロサンゼルスでは大停電が起こるという怪現象だった。独身最後のパーティーを楽しんでいたリードのもとに、軍のヘイガー将軍が現れる。それは、怪現象が起きた場所の上空で観測された閃光の調査を依頼するものだった。今回の見どころは、未知の生命体であるシルバーサーファーとの絡みであろうか。最初は敵のような立場を取っていたのだが、いつのまにか地球の味方になってしまうのだ。それもこれもシルバーサーファーの故郷に残して来た恋人と、スーが似ていたおかげかもしれないが。この作品は4人の操る不思議な力を、童心にかえって思う存分楽しむことに意義があるのだ。2007年公開【監督】ティム・ストーリー【出演】ヨアン・グリフィズまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.06.04
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「神様は俺を憎んでる。」「女神様よ、憎悪には無関心。」「(君は視覚障害だから)俺が見えないくせに。」「なら見せて。いい?」(ベンの側に近寄り、体や顔に手を触れて確かめる。)「すごく悲しそう。普通と違うことは悪いことじゃない。」「俺の場合はわけが違う。」「心がけ次第よ。」アメリカのすごいところは、とうてい実写化はムリだろうと思われる原案を可能にしてしまうところだ。日本でも右に倣えとばかりに「ゲゲゲの鬼太郎」の実写化に踏み切ったところだが、アメコミのそれとは(スケールの大きさが違うので無理もないが)格段の差を感じてしまうのだ。さらに、アメリカという広大な面積を誇る国土を舞台にくり広げる、底抜けに陽気で明るい雰囲気の中に、いつしか視聴者はファンタジックな世界に呑まれてしまう。各人の個性が光る愉快なキャラクターに、我々は好感を持たずにはいられないのだ。マサチューセッツ工科大学卒の優秀な科学者リードは、宇宙嵐の研究のために、資金繰りに奔走する。現在は大企業の社長であるビクターはかつてのライバルだったが、リードは研究を成功させるために頭を下げ、資金提供を依頼する。ビクターは己の利益につながることを予測し、リードに投資することに。リードは相棒のベン、元恋人の科学者スーと、その弟ジョニーとチームを組み、宇宙へと旅立つ。ところが予想より早く訪れた宇宙嵐に巻き込まれ、その放射線を浴びてしまうのだった。 原作のマンガはすでに60年代に発表されているものだが、“強いアメリカ”を誇示しているようすがそこかしこから窺える。子どもたち一人一人の個性を尊重し、強くたくましい大人になるための激励のメッセージが感じられる。毎号の発売を心待ちにしている子どもたちへの応援歌が、高らかに聞えてくるような作品なのだ。2005年公開【監督】ティム・ストーリー【出演】ヨアン・グリフィズまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.06.03
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「憎しみが力を与えたのだ。さぁ父を殺し自分の運命を果たすがいい。父の後を継ぎ、私の僕(しもべ)となれ。」「(絶対に)イヤだ。暗黒面には入らない。あなたの負けだ。僕はジェダイだ。父もそうだった。」長かったアナキン・スカイウォーカーの物語も、この回で幕を閉じる。ジョージ・ルーカスのコメントによれば、「スター・ウォーズはダースベイダーの贖罪までの物語」であるらしい。「スター・ウォーズ ジェダイの帰還」と題されたこのサブタイトルは、2004年に「ジェダイの復讐」から変更されており、どちらかと言えば「ジェダイの復讐」の方が馴染み深いのではなかろうか。しかし、ジェダイの騎士たるや一時の感情に身を任せて憎しみに復讐を募らせるほど野蛮ではない。やはり改題された「ジェダイの帰還」の方がふさわしいだろう。前作では盟友ハン・ソロが凍結保存されてしまい、今回の最終作でルークとレイア姫がその救出に向かうところからストーリーは展開する。惑星タトゥイーンに住む悪党、ジャバ・ザ・ハットの下にハン・ソロの身は囚われていた。ルークとレイア姫はジャバの宮殿に潜入。ハン・ソロを救出する。無事にハン・ソロを救い出したルークは、その足で惑星ダゴバへと向かう。最後のジェダイであるヨーダも900歳という年齢には勝てず、その天寿を全うする。こうしてルークは残されたジェダイの騎士として、たった一人で父であるダースベイダーと立ち向かわねばならなくなってしまう。一方、皇帝パルパティーンとダースベイダーは、ルークを暗黒面に引き込もうと共謀するものの、ルークは決してそれに屈することはなかった。クライマックスはやはり、ルークとダースベイダーの父子対決であろう。ジェダイの精神を全うしようと、ルークは決死の覚悟でダースベイダーに挑むものの、双子の妹レイアの存在を知られて心が乱れてしまうところは、人間が持ち合わせている本質的な弱さを効果的に表現していた。その凄まじさは、ライトセーバーでダースベイダーの片手を切り落としてしまうほどの憎しみとなって表現されており、ルークの苦悩する心理を見事に演出していた。しかし、そんな若きジェダイのルークがライトセーバーを投げ捨て、皇帝パルパティーンに捨て身で立ち向かう姿は、「武器など必要ない。大切なのは信念を持って悪を拒絶することなのだ」と語っているように思えた。悪に迎合するぐらいなら、死んだ方がマシだとも取れるその勇ましさに、父ダースベイダーも心を動かされないはずがない。皇帝に立てつく息子ルーク・スカイウォーカーを、マスクの下から不安げに見守るようすが忘れられない。アナキン・スカイウォーカーは、大切な母を亡くし、愛するパドメも失って、今正に息子のルークさえ皇帝に殺されようとしている。アナキンは、我が身より愛するパドメとの間に生まれたルークを失うことなどできなかったのだ。そう、愛とは捨て身で尽くす、無償の精神。至上最高にして崇高なる魂であることを教えてくれるのだ。1983年公開【製作総指揮】 ジョージ・ルーカス【監督】リチャード・マーカンド【出演】マーク・ハミル、ハリソン・フォードまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.02.17
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