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“革命”という言葉、そういえば長いこと、耳にしない・目にしない言葉だなぁ。 革命といえば、1960~70年代の学生運動を思い出し、そしてあの頃以来“革命”という言葉は日本では聞かれなくなったように思います。だから、今時の若者(ドイツとはいえ)であるこの映画の二人の青年ヤンとピーターが、金持ちばかりが優遇され、弱者が救済されない不公平な社会体制に怒り、反発し、抵抗を示す、そんな姿を見て、映画の中とはいえ「あー、今もこんな若者がいるんだぁ」と懐かしく、何か新鮮に感じました。彼らなりの反抗表明として行う、金持ちの邸宅に忍び込んで家具や調度品をめちゃくちゃに並び替えて、「財産があり過ぎる」とか「贅沢は終わりだ」というメッセージを残してくるという行為は、確かに人の意表を突くものだけれど、昔の学生運動の激しさを思うと、何だか“革命”と呼ぶには可愛いらしい行為にも思えます。理想社会への情熱を抱くヤン(ところで彼は仕事してるの?)は正義感に溢れ、純粋な人物ですが、ピーターの方はヤンに比べて純粋にというより、多分にお遊び的な感覚があるようです。現に時計を盗んで売り裁こうとしたりしてましたから。そして、不満を抱えながらも金持ちに賠償金を払うために働くピーターの恋人ユールは、ヤンと親しくなり彼に影響され、抑えていた感情を発散し変わっていきます。そんな若者3人に、今は大金持ちの経営者、昔はバリバリの運動家だったハーデンベルグという中年男性が関わってくることで、かつては純粋だった大人の視点(大金持ちではないけれど、世代的には私はどうしてもハーデンベルグの立場で観てしまいます)から見た若者達の姿という側面が加わり、そして物語は意外な結末へと進んでいきます。ハーデンベルグ世代の私も、彼の行動を見越して部屋を引き払っていた若者3人には思わず「よくやった」と思ってしまいました。(私なら警察に通報しただろうか、とも考えてしまいましたが)この最後の見せ方がいいんですね。(本国ドイツでは違うラストが用意されているという噂もあり、もしそうなら気になるところです)監督はこれが長編2作目だそうですが(まだ若くて、なかなかのイケメンでした)、この結末を観て次回作も期待大と思ってしまいました。内容的には若者達の友情と恋愛、情熱を描いた典型的な青春映画なのだけれど、単に青春映画とは呼べない、一味違う作品です。監督自身はこの映画について、「本来若者が持っているはずの社会を変革したいという熱意が現代では埋もれてしまっていると思う。この映画を観ることで、このままの社会ではいけないんだというエネルギーがまた若者達に溢れてくればという願いを込めた。また、二股をかけている女性に対して、決してひとりに絞ることはないというメッセージも込めています。」と語っています。<映画で、男二人に女一人という設定のものってホント多くて、逆はあまりないですよね。>これを読んで、実にストレートにわかりやすく監督の意図を表現した映画なんだなと思いました。ヤン役のダニエル・ブリュールは相変わらずの童顔、ピーター役のスタイブ・エルツェグ(クロアチア出身だそうです)は対照的にいかつい御面相がヴィンセント・ギャロ似、ユーロ役のジュリア・ジェンチは特別美人というわけではないけれど、透明感のある魅力的な女優さんでした。
2006/01/31
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開国以来まだ60本!の映画しか撮られていないというウルグアイ発の映画(勿論はじめて)です。セリフが極めて少ない、状況説明も殆どしない、全篇通じて何だかニヤニヤとしてしまう可笑しさが漂っている、観始めてすぐに、雰囲気の似てる映画があったよなぁと思い、そうだ、アキ・カウリスマキ監督の映画にとてもよく似てるなと思いました。色々なレビューでも、やはりカウリスマキに似ているという評価が多くて、あー、みんなそう感じたんだと思いました。セリフや説明が少ない映画というのはその行間を、観る側がそれぞれに読み取って、各人の想像力で自由に思い描くことができると思います。そこがこういう映画の面白さだと思います。この映画でも、兄ハコボはどうして結婚しているように、弟エルマンに見せかけなければならなかったのか?偽奥さんのマルタはエルマンの部屋を訪ねたが、ふたりの間には何が・・?(マルタはソファに寝ていましたが・・)別れ際にマルタがエルマンに渡した紙には何が書いてあったのか?工場に出てこなかったマルタは、その日休んだだけなのか、あるいはずっと出て来なくなったのか?などについては事前・事後説明は全くされていないので、自分で勝手にああかな、こうかなと考えることになる訳です。マルタは明らかにハコボに好意があったと思いますが、ハコボの方はそうは思っていなかったのカナ、けれど弟と親しくするマルタを見て微妙に感情が変化してきたような・・、マルタはハコボとは正反対の性格の弟に魅かれていったのでしょうか、エルマンの奥さんからの電話を切ってしまったところにマルタの感情が表れているような・・、という風に自然と、登場人物の心の動きを推察してしまうことになります。カウリスマキの映画でもそうですが、特に恵まれた才能や環境を持たない人間の単調な日常生活やささやかな心の動きを観ているうちに、登場人物に愛おしさを感じてしまう、そんな映画です。私はこういう映画好きですが、観る人に解釈を委ねる映画、ドラマチックな事件の起きない地味な内容の映画、美男美女が出てこない映画etcが好きでない人には退屈極まりない映画かもしれません。この映画、ちょっとした場面が妙に面白かったりするんですが、中でも一番印象的だったのが、ハコボが奥さんの振りをしてくれないかと頼んだ時にマルタが髪を耳にかきあげる仕草をした場面。この動作ひとつで、マルタの女心が見事に現わされていたと思います。
2006/01/23
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1974年、ホワイト・ハウスに飛行機で突っ込みニクソン大統領殺害を計画したサム・ビックという実在の男をモデルにして作られた映画です。飛行機で突っ込むといえば、2001年の「9・11」テロをどうしても連想しますが、その約30年前に未遂とはいえ、こんな事件が起きていたことは全く知りませんでした。実在のサムは貧しい家庭に生まれたそうで、映画(では父親がタイヤの商売で成功した裕福な家に生まれたという設定でしたが)とは異なりますが、タイヤの商売を計画していたことは映画通りなようです。サムはうまく世間を渡っていけない人間で、仕事は長続きせず転々と職場を変え、4人の子供がいながら奥さんに愛想を尽かされて、自分が家を出て別居中。しかし、決して質の悪い人間ではないのです。人種差別をしないし、理不尽なことに従えない、つまりうまく自分を誤魔化せない、他人や社会に同化できない不器用な人間なのです。残念ながら世の中は、自分の思いのまま進もうとすると生き難く、無理を強いてでも他に同調していかなければうまくやっていけません。それが出来ないサムは自分勝手で、社会性の欠落した人間ともいえます。でも、買うことを躊躇っている人に押し売りできなかったり、一方的に文句をつける人の非礼さを許せなかったり、愛する家族と一緒に暮らしたかったり、というのは非常識なことではないはず。だから、彼が奥さんに離婚を決意され、兄からも絶縁を宣言され、唯一の友人にも顔向けできなくなり、商売資金の融資も断られて、どんどんどんどん追い込まれて、眠れなくなり、げっそりやつれて、狂気に向かっていく様は見ていて本当に辛いものでした。彼は言います。「アメリカを砂漠に例えれば、私はたった一粒の砂にすぎません」「ささやかな夢を持つことも許されないのでしょうか」あまりにも孤独です。だからといって、元凶はニクソン大統領だから殺してしまえということが正当な思考でないのは当然であり、もっと懸命に何としてでも生きて抜いていく強さを持たなかった彼の弱さを責めることもできます。けれど、哀しいです。哀し過ぎる結末です。この映画、落ち込んでいる時に観ると、主人公の立場になってますます落ち込んでしまうし、ハッピーでポジティブな時に観れば、何て甘えた野郎なんだという気持ちになるような気がします。私は気が滅入っている時、しかも夜中に一人で観たので、人間の孤独をひしひしと感じてしまって、翌日まで気分が沈みがちでした・・。何といってもショーン・ペンの演技が素晴らしいです。特に最後、計画を実行すべく空港に出かけてから、殊に待合室で待っている時の虚ろな様子はホント演技を超えてる感あり。好き嫌いがハッキリ別れる俳優さんだけれど(私も別に好きじゃないけれど)、「アイ・アム・サム」のサムから本作のサムまで多彩な役柄をこなす演技力はホント凄いなと思います。
2006/01/15
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ジャームッシュ監督が1986年、アメリカの人気テレビ番組「サタデー・ナイト・ライブ」のために、ロベルト・ベニーニとスティーヴン・ライトを起用して撮った「コーヒー&シガレッツ/変な出会い」が始まり。以後17年に亘って撮った11の超短編(全体で97分だから1編が10分以下)を、まとめて観せてくれるのがこの映画。すべての話に共通するのが、2~3人の人物、コーヒー(1編だけは紅茶でしたが)とタバコと気まずい会話としらけた雰囲気・・。監督自身が遊び感覚で気楽に撮ったと語っているように、ホントにお遊び、どのお話にも別に意味などない。だから、この映画を観て何が言いたいのか分からなかったという感想を持つ人には全く不向き。確かに面白くも何ともないでしょうね。そして、この“間(ま)”、今風に言えば“ユルイ”“ダルイ”が受け入れられない人も全然だめでしょうね。まさしく“感覚”的に合うか、合わないかという映画。まさにこの映画そのものが“コーヒー&シガレッツ”つまり“嗜好品”的映画。リラックス・ムービーなのです。お洒落な感覚~モノクロ映像、音楽、、真上から映したチェックのテーブル、コーヒーカップの乾杯(思わず今度真似しようと思ってしまいます)・・・。私は好きです、この雰囲気。「ストレンジャー・ザン・パラダイス」とかお大の気に入りですし。ちなみに、特に面白かったのは「変な出会い」「カリフォルニアのどこかで」(なんとカンヌ映画祭で短編部門最高賞を受賞したそうです)「いとこ同士?」といったところでしょうか。「いとこ同士」のケイト・ブランシェットの一人二役も見もの。(しばらくの間気がつかなかったです)観た後、早速コーヒーが飲みたくなりました・・。
2006/01/13
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皆さんよくご存知の「有線音楽配信会社」の「株式会社 USEN 」が昨年、パソコンテレビを立ち上げました。私は始めの頃から観ていますが、その頃は古くてマイナーな映画のラインナップでしたが、最近は比較的新しい映画や話題作も紹介されています。また、監督特集などの新しい企画も始まり、充実してきました。何といっても最大の魅力は、完全無料で、いつ何時でも(オンデマンド)、観たい映画を選んで楽しめることです。私が一番最近観たのは、大島渚監督の作品特集の中の一本「愛の亡霊」です。感想については、次のリンク先をクリックして下さい。愛の亡霊なお、映画以外にもニュース、スポーツ、ドラマ、音楽などの豊富なコンテンツ(番組内容)が、こちらも完全無料で楽しめます。パソコンテレビを立ち上げるには、USEN パソコンテレビにリンクして下さい。現在、視聴登録者は590万人を突破しました。なお、楽天証券様の株価データでは、USEN株価も堅調に上昇中です。会社の概要は以下の通りです。社名■ 株式会社 USEN URL■ http://www.usen.com 所在地■ 東京都千代田区永田町2-11-1 山王パークタワー 設立■ 1964年 9月 代表者■ 代表取締役社長 宇野康秀 資本金■ 357億95百万円(2005年2月14日現在) 売上高■ 1,219億13百万円(連結)(2004年8月期) 経常利益■ 46億5百万円(連結)(2004年8月31日現在) 従業員■ 5,115名(連結)、3,979名(単体)(2004年8月31日現在) 事業所数■ 189ヶ所(2004年8月31日現在) 上場証券取引所■ 大阪証券取引所ニッポン・ニューマーケット「ヘラクレス」
2006/01/11
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「愛のコリーダ」がカンヌで絶賛されながら無冠に終わった大島渚監督が、2年後再びカンヌに挑み監督賞を受賞したのがこの作品。大島作品って、何だか小難しくて、異端的というイメージがあるけれど、これは彼の作品にしては非常に分かりやすくてシンプルです。若い男と関係を持った人妻が共謀して夫を殺す。しかし、ふたりは夫の亡霊に苦しめられ、遂には警察に捕らえられて、死罪となる。そんな内容が、村に伝わる怖い言い伝え話を語るかのように描かれています。ウーン、大胆な濡れ場も確かに多いが思ったほど(愛のコリーダには及ばず)ではなく、全体的に幻想的な雰囲気が漂います。吉行和子、若い時もホントにキレイ!今のイメージからは想像できないけど、相当に色っぽい(エロっぽい)し、こういう役をよくやったもんだと驚き。藤竜也は「愛のコリーダ」に引き続きの出演。この2本でポルノチックな俳優というイメージが、私的には出来上がってしまい、以後どんな役を見てもこれらの役柄(特に「愛のコリーダ」の吉蔵)のイメージがどうしても浮かんでしまいます。それにしても、藤が演じる豊次が吉行演じるせき(40歳代)より26歳若いというのはどうしても無理があると思うけど。幽霊になってからのせきの夫・儀三郎の田村高廣が実にいいです。考えてみればもともとこの人って、“幽霊”に相応しい浮世離れした雰囲気を持っている人だなと思い当たりました・・。井戸から死体を引き上げる時のドキドキ感はまさしくホラーです。
2006/01/11
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子供の頃、マクナマラ国務長官という名をよく耳にしたし、印象的な響きだったこともあって名前だけはよく知っているのですが、ハーバード大学院で助教授(25歳)、国務長官になる前はフォードの社長(44歳)、長官退任後は世界銀行総裁(51歳)というスーパーエリートの道を歩み続けた経歴は知りませんでした。アメリカ屈指の知性派であり、映画でも87歳とは思えぬ実にしっかりとした話しぶりです。(まだ車も運転していました!)彼は第二次大戦下、統計学を戦略に取り入れるべく設立された陸軍の統計管理学校の教授となり、翌年には陸軍航空隊に入隊、ルメイ少将の下、日本各地の爆撃や原爆投下に携わり、そしてケネディ大統領に請われた国務長官時代はキューバのミサイル危機に接し、、次のジョンソン大統領の下ではベトナム戦争の悪化、撤退と、近世の戦争や戦争勃発寸前の重大な危機の全てに関与してきたという、超重要人物なのです。「私は生涯を通し戦争の一部だった。」と本人も言っているように。この映画を観ると、個人としては武力行使や戦争には反対でも、国家という組織の下では個人の思惑とは逆の方向に向かって行く過程がよくわかります。山本五十六自身は戦争はしてはいけないと強く感じていたにも関わらず、結果は自身が戦争の総指揮をとることになってしまったという、先日観たNHKの番組を思い出しました。素晴らしい文化や技術を生み出しながら、一方では戦争という行為を避けることが出来ない、人間の愚かさを痛感します。彼は言います。「戦争は霧に包まれていて、どんな賢明な指導者や政治家でも全てを見通すことができなくなる」「戦争がなくなることはないだろう。正しい戦争、必要な戦争もある。しかし、戦争にも釣り合いが必要だ。正義のためとはいえ、東京大空襲や原爆投下で何十万という一般人の命を奪うのは釣り合いが取れた行為ではなかった。」「人間は過ちを犯す。しかし、核戦争の時代にその理論は通用しない。」 etc.そして最後にエリオットの詩を引用します。「人は探求をやめない。そして、探求の果てに元の場所に戻り、初めてその地を理解する」と。涙ながらに、第二次大戦時の日本への行き過ぎた攻撃とケネディ大統領のお墓のエピソードを語る姿に、人間マクナマラが垣間見れて印象的でした。マクナマラのような謂わば生き証人のような人物が語ることで、何と理屈を付けようが、戦争という殺し合いは絶対してはならないということを皆が肝に銘じる、それがこういう映画の持つ意義なのだと思います。それにしても日本では、現役を退いたとはいえ重要ポストにいた政治家が過去の真相や個人的見解を語る、ましてやそれが映画として公開されるなどということはまずないことだと思うので、やはりアメリカは開かれた国なのだなと羨ましく感じました。
2006/01/05
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いまや押しも押されもせぬ大監督となったクリント・イーストウッドですが、「許されざる者」「ミスティツク・リバー」そしてこの「ミリオンダラー・ベイビー」の3本を語ろうとすると、正直私にはまだクリント・イーストウッド作品の凄さがよく分かりません。確かにどれも、最後まで興味深く観続けられる映画ですし、家具に例えればモダンなデザインの北欧風というのではなくて、重厚な英国アンティーク風といった趣のする、落ち着いたトーンはもはやイーストウッド流ともいえる独自のスタイルを築いていると思います。しかし、彼が何を伝えたかったのかというと、私にはいまひとつ?なのです。宗教観とか、死生観とか、アメリカ人社会の下地にあるものを日本人としては理解しきれないということもあるのかもしれません。(イーストウッド映画は非常にアメリカ人好みがするのだと、ある映画評論家が言っていましたが)どの作品も人間の不条理さと人間の救済とは何ぞや?という問いかけは感じますが、「許されざる者」は最後に救いがありましたが、「ミスティツク・リバー」はどうしようもなく後味の悪いまま終わってしまいました。本作はそれよりはまだ少し救いがあったと私は思いますが。前半の展開は女版ロッキーのサクセス・ストーリーかと思いきや、後半は一気に尊厳死の問題に変化。監督自身は「これはシンプルなラブストーリー」と言っているので、この流れも単に愛の形を問うための背景に過ぎないのかもしれませんが。引っかかる点が幾つか・・・フランキーが娘との間になぜそこまでの確執ができたのか、何故マギーの家族が(若者表現で言えば)あり得ない~ほどに冷淡なのか、悪役ボクサーの反則ぶりがあまりにひど過ぎてリアリティーに欠けていないか、それから、私の義父も気管支切開して人工呼吸器を付けて1年間命を永らえましたが、声は全く出なくなりました。場合によってはあんなに喋ることができるのか?演技面でいえば、ヒラリー・スワンクは殴られて腫れ上がったり、傷だらけになった顔をアップで見せるなんて、普通女優としては嫌がるような役をやったというだけでも凄いなと思うので、2度目のアカデミー主演賞もOKと思います。モーガン・フリーマンは相変わらずの演技力ですが、今回が取り立ててどうの・・というほどの役ではなかったという気がするので、アカデミー助演賞受賞はこれまでの演技全般に対してのものではないかとまことに勝手に推察。イーストウッドは随分と老けてしまったが、枯れた感じがよかったなと思います。今回主演男優賞にはノミネートされていたが、俳優としてはまだ受賞したことないんでしたよね。「モ・クシュラ」の意味を伝えるところではホロッときましたが、泣きはしませんでしたね。年取って相当に涙腺は緩んでいるんですけどね。アカデミー賞も取った上に、傑作、感動、号泣・・とこれだけ喧伝されると、よくわからなかったとか、泣けなかったとか言うと、何かいけないことをしているような、肩身が狭いような気分になるんですよね。でも映画(に限りませんが)の感じ方は十人十色、わからないものはわからないと堂々と言ってしまいましょう!確かに、自分がいいと感じたものを人にもいいと感じて欲しいと思うのは当然の心理だとは思いますが、それは単なる嗜好のレベルの問題であって人格に関わるようなことじゃないのでね。ちなみに尊厳死のラストといえば、私には「カッコーの巣の上で」の衝撃が凄まじく、個人的ベスト映画にランクインしております。
2006/01/04
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結婚式目前の男(かつては人気者だった俳優、女好きのプレイボーイ)とバツイチの男(小説家になる夢を捨てきれず、離婚の痛手からまだ立ち直れず、ワイン・オタクの英語教師)、ふたりは性格も対照的だが大学時代のルームメイト時からの親友。その中年男二人が独身最後を惜しんで1週間の旅に出るという設定が面白い。というかアメリカでは結婚前に男性仲間で独身さよなら旅行みたいなことするのって、珍しくないのでしょうか。「ベリー・バッド・ウェディング」なんていう映画でもありましたよね。日本ではあんまり聞かないように思いますが。俳優(時々ミック・ジャガーに似て見える)の方は女目的、教師の方はワイン目的。結果、俳優は女にこっぴどい目に合わされながらも婚約者への愛を再確認し、教師は新しい恋に向かって新たな人生を踏み出そうとする。男の駄目さ、弱さと女の逞しさ、強さが対照的に描かれていて、とりたててドラマチックな事件が起きるわけでもなく、淡々としたストーリーです。こういう映画は退屈に感じる人もいるでしょうが、私は最後まで飽きずに観られました。景色もきれいでしたし。この映画、この年のアメリカの映画賞を席巻しましたが、昨今のハリウッド映画には珍しく内容的にも映像的にも決して派手とはいえない作風が却って新鮮味を与えたということでしょうか。CENTER WAYを全力で突っ走るような現代人の生き方でも、時にはSIDE WAY(脇道)に入ってゆっくりと歩いてみるのもいいんじゃないかと、そんな感じでしょうか。そのゆったりさが受けたんでしょうか。でも、そんな雰囲気の割には結構ポルノチックなシーンもあって、それは要らなかったんじゃないかと・・。特に帽子かぶった全裸のおじさん(おじいさん?)が走ってくる場面はたじろぎました~。まじ見たくないっ!!!(眠い人はここで目が覚めたかも)これって映画館でもモロ映ったんですかね?初々しいカップルが初デートで観てたりしたら、気まずい雰囲気になるんじゃないかと心配。(今の若い人はそんなウブじゃないって?)
2006/01/03
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映画サイトで調べると、ウン?これって主役はピーター役のヴィンス・ヴォーンだったの?っていう位に、相変わらずベン・スティラーのおバカ+今回は超イヤな奴キャラが強烈で、主役を凌ぐインパクトです。ホントこの人のおバカキャラ徹底ぶりは大したもんです。(それにしても今回の映画では彼のおチビが一段と目立っていたように思いますが、前より縮んじゃったとか?)本国アメリカで大ヒットし、映画館で観客は大受けでノリノリの大騒ぎだったようですが、日本人は言葉や社会性の理解度の問題もあるし、やはり根本的に笑いに対する基本的価値観の違いがあるということなのか、アメリカンコメディは本国ほどのウケはないようですね。だから日本人にはこの手の映画って、好き嫌いが分かれますよね。私は英語は得意じゃないですが、おバカ映画は好きです。これは抱腹絶倒とまではいきませんでしたが、まぁそれなりに笑えました、というところでしょうか。私達が子供時代にやっていたドッジボールとはルールが違いましたね。(ドッジボールは今アメリカで人気があるそうです)また、ドッジボールは中国が発祥地で、始まりは人の生首を投げ合っていた(恐ろしや!)と知り勉強になりました。美人弁護士役のクリスティーン・テイラーは実生活ではベン・スティラーの奥さんだと知り、あんな可愛い人がねぇとビックリ。それなのに映画では顔に跡がつくほどボール当てちゃって、いいんでしょうかねぇ。それにしてもスパナを使っての特訓はマジ痛そう!気の毒で笑えませんでした。それから、エンドロールの最後の最後(途中で観終えてはいけませんよ)、元のおデブさんに戻ってオッパイを・・・・ダメ押しともいうべきスティラーの徹底的オバカキャラ振りです。恐れ入りました、です。
2006/01/02
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