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2009.07.12
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カテゴリ: 音楽
この日、前半の最後のプログラム、長さから言えば「メイン」といえる曲に選ばれたのは、


僕自身は、バッハそれも鍵盤音楽にはそれほど詳しくもなければ、
親しんでいるわけでもなく、
ご多分にもれず、
グールドのパルティータの4番に、最晩年のゴールトベルク変奏曲、
リパッティの入れたパルティータの1番
くらいしか親しんでおりません。

この2番のパルティータ、聞いてみると、部分的には聞き覚えはあるので、

まあ、あんまり知らない状態でした。


バッハは、どの音楽もすぐに胸にとびこんでくる、、という存在では、
僕にとってはなく、
またそもそも、鍵盤音楽という存在が、僕にとっては、
いつもいつも親しめるというところまでは行っていませんので、
ナマで、ほとんど初めて触れるバッハの鍵盤音楽、
そして、
どうも、
この山本貴志という、響きやフレーズの抑揚についてのイメージの実現に全力を尽くし没頭する傾向を持つように見受けるこの青年が、
論理的で対位法などタテヨコのつながりと構成が綿密なバッハの曲を、
どのように弾くのだろうか??

とても興味津々でした。

 (以下、そのような者の「感想」・・・ですので、
  割り引いてお読みください)

ドラマティックな冒頭の部分は、暴れず、音のスキマの無い響きで幕を開け、
続く、対位法的な旋律線は、とても、軽快に、ひきずることなく、

さらに、プレストか何か、速い部分になると、
さらに、なんのためらいもなく、快速なテンポで突き進みます。
しかし、
テンポが走ったり、表情がキツくなったり、逆に、テンポにひきずられて無表情になる、
ということがありません。
そして、
こうした部分にも、しなやかな曲線が描かれるかのようなウェーブが自然にかたちづくられます。 そして、伸縮自在な歌 といった音楽が立ち上がっているのですが、
しかし、構成を崩したり傷つけたりするような恣意性は感じられませんし、
ありがちな「歌いすぎて、流れが滞る」というようなこともないのが、
この山本貴志という青年の優れた感性でもあり、テクニックでもあり、
また、おそらくは、相当に突き詰めたアナリーゼの結果でもあるのだろう、、と思いました。

この曲、緩急、明暗、、と結構変化に富んだ曲集になっていますが、
なんというか、
「今、作曲された曲なんですが、とても良い曲なので、ぜひ聴いてください」
というような感じの体験になりました。

そうでなければ、
たとえば、まさに、バッハが書いた「音楽」を、今、改めて、書いて鳴らしている、、、
「音楽」を便宜上、楽譜に書き記したものを、また、正真正銘の生きてる「音楽」として、
生を吹き込んだ、、、
そのような感じをうけました。


とても、新鮮、、、
でも、奇抜、、とかではない。(他の演奏との比較としては知りませんが)


しかし、このナイーブで、「感性派」に見える、ヤワそうな小柄な青年、、
実際には、
超高速のフレーズを、極めてクリアに、なんの危なさも感じさせずに、
軽快に弾き、鳴らす、、、、
その頂点のテクニックとセンスを備えていて、
一方で、弱音の極み、、、を、これまた、バランスになんの不安もノイズも感じさせずに
美しく響かせる。
そして、それらのどの瞬間においても、音楽の流れと完全に一体となっており、
何のスキマも割れ目もない、表情が刻々と現れる、、、、

僕はピアノが弾けないので、
ピアノ演奏の実際のテクニックは全く知りませんが、
相当、メカニックにも、フィジカルにも合理的な、、また、
自分のイメージに合った「方法」を突き詰めている人のようです。

このバッハは、ですので、全曲、とても、おもしろく、
「古典!!」とも思わずに、まさに「夢中」で聴くことができました。

バッハの作品に、このような形で、出会わせてもらえたこと、、
そのことにも、とても、感謝したい気持ちです。

しかし、
そして、
なにより、楽しい、美しい、、、、ものでした。



後半は、ショパンの舟歌Op.60です。
これも、大変有名な、「よく演奏されるヤツ」です。

しかし、この「よく演奏されるヤツ」という存在、
どうしても、
慣習の刷り込みの呪縛から逃れにくい、、、
また、
逃れようと思うと、エキセントリックになってしまいがち、、、
という演奏に触れることもままあります。

前半のノクターンと同様、、、という言い方は失礼かもしれませんが、
ここでも、
この青年は、楽譜から、ピアノから、、、響きから、、、、たちのぼってくるものを、
存分に、自分で受け止め、愛で、、、、
そして、「思ったとおりに」、リリースして行きました。

これもまた、その意味では、今、まさに生まれている音楽、、、という演奏。

本当に、音楽が、、、、「この音楽が」、、、好き、、、愛している、、、ようです。
そして、それを100%音にしている。
ある意味、聴衆のため、、、、というより、「自分自身のために」「自分自身が愛する音楽のために」、ピアノを弾き、音楽を生まれさせている、、、、
そんな感じも受けました。 (独りよがりという意味ではなく、また、実際にはもちろん聴衆へ届けること、、、に全力を尽くしておられる、、、ということは間違いないのですが、音楽の志向する方向性、、という意味で、、、)



最後の曲は、難曲というか、奇曲、、、というか、
ピアノの巨人、ラフマニノフのほぼ唯一演奏されるピアノソナタ、、である、第2番。

考えてみると、激しく、表現の振幅の幅の大きい曲が並ぶプログラムです。
それらと、モーツァルトとショパンで、緩和しているというか、、、、、

この曲は、ものすごく前に、いずみホールで、グリモーによる演奏を聴いたのですが、
正直、まったく何がどうなっているのやら全然わからん、、という状態でした。
あの、やや響きすぎるホールのせいなのか、彼女が、ペダルを踏みまくっていたのか、、
とか、思っていたのですが、
どうも、もともと、パッと聴いて、飲み込みやすい曲ではなかった、、、、
という気がしつつ、
ずっと、それ以降、意識して聴く機会が無かった曲でした。

で、この曲は、どうも、ラフマニノフという作曲家を、協奏曲の2番と3番以外に楽しむためには、きっと、理解するというか、「ピン」と来ておくとよさそうな曲だ (=彼らしさが詰まった曲)ということで、
前日に、CDで「予習」を珍しくして行ったのでした。

どうも、もともと、「ソナタ」といいながら、ほとんど、「カプリツィオーソ」または「ファンタジー」的に、次々場面が変わっていく曲のようです。

ただ、オケが入っていないので、
あの、「パガニーニの主題による変奏曲」のように、オケのパートが複雑で、オケの合奏力が伴わないと、ピアノパートともども「遭難・崩壊」してしまう、、、というようなリスクはなく、
ピアノに集中できる点でも、「ラフマニノフらしさ」に触れるには格好のようです。

きまぐれで、散文的、、とはいえ、
切れ目なく続く「楽章」は、はっきりしていて、「3幕もののドラマ」にはなっています。
1幕の中での「場」が多い、、、のではありますが。

そんな、場面と表情の変化や振幅が多彩であるうえに、
クライマックスでの複雑かつ高速なパッセージや、
濃厚な和音の連続打鍵、、、から、
ピアニッシモでの、夜更けのささやきのようなところまで、、、、
こうしたおそるべき「難曲」は、
この青年にとっては、
「嬉々として」とりくむべきもののようです。

まさに、巨大で変化に富んだ音楽に100%没入しながら、
フィジカルは完璧に、客観的なコントロール下に置かれ、
また、音楽の全体の構成は、
とても、明確な見通しと設計がなされ、最終的に一分の狂いもなく、
建造物が建ちあがる、、、
そういった演奏でした。

まあしかし、複雑というか、込み入った音楽を書く人ではあります、、、ラフマニノフ。。。
前衛的では、全然無いのに、、、、



ある種、難解で、また重厚極まりない大曲の演奏がおわって、
存分に堪能した思いで拍手をしておりましたが、
各曲の終わりの拍手はそれほどでもなかった会場が、
最後はしぼみそうになりながらも、アンコール請求っぽい拍手。。。

いくらなんでも、これだけやったあとで、
アンコールはそうそうしないやろうし、
やというとしても、ちょっと休憩せんとなあ、、、、

と思っていたら、
一回袖に下がって、出てきたと思ったら、
まっすぐ、ピアノのイスへ、、、、
まるで、
マネージメントから、
 「今日は、最後、1曲、アンコールおねがいしまーす」
 「ハイ、では、1曲用意しておきます」
という「進行表」に沿った打ち合わせしたから、、、
といった、
まるで、飾り気のない、テキパキとした
舞台上の動きでした。
ソデに顔が見えた段階で、
「さあ、弾くぞ」というベクトルが、ありあり、、、



アンコールは、ショパンの幻想即興曲でした。
オケとちがって、
大曲やったあと、チューニングの甘い、ほころんだアンコールを聞かされる、、、、
ということもなく、
また、
おそるべきことに、演奏の疲れなど、まったく感じられない、、、
音楽が始まるやいなや、、、
その音楽が欲するテンポ、響きにまさに身をゆだねて没入し、、、
 (で、同じく、忘我陶酔のように見せながら、実は、全体の構成・設計は、
  極めて明確なもの)
「これから、コンサートが始まる」としてもおかしくないような演奏でした。


おそるべき演奏家でした。
その音楽の、ほとんど頑固なまでの突き詰め方や、
意思と情念が、完全に「具体的な出来事」として結実させるに至るまでの、
おそらくは、ありえないほどの、集中と努力、、、
それらを思うにつけ、
この青年の、
ほとんど、デビューしたて?  と思わせるかのような、
ソデからピアノまでの出入りの様子とのギャップが、
また、
イメージとしては、「音楽そのものにのみ、全ての興味がある」
という感じの彼らしいものではありました。


このような、恐るべき演奏家を聴く機会、、というものが、
このようなところで、あるのか、、、と思うと、
「知ってる」「知らない」、、、また「実際に行く」「行かない」
の違いは、ものすごいものであり、
これをもし知らなかったら、、、(実際、そんなことだらけですが、、、)
と思うと、今回の「縁」には、やはり、本当に感謝ですし、幸運で、幸福なことでした。





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Last updated  2009.07.23 01:38:26
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