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しばらく書かずにいて、フェイスブックにメモをかきつけたりしていました。何年か前にアクセスしようとおもったら、パスワードがみつからず、、、でしたが、ようやくアクセスできました。ごぶさたしておりました。
2020.06.06
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早いもので、もう2年も前になりますが、そのとき、本当に、偶然、気が向いて聴きに行って、衝撃を受けた、イタリア出身の老巨匠といっていいアルド・チッコリーニ。http://plaza.rakuten.co.jp/classical/diary/200803230000/そのときで、すでに82歳を迎えていたので、正直、もう一度聴くことがかなうとは思えなかったのですが、この春、東京で3夜、豊田で1回コンサートをひらいてくれましたので、ちょうど、土曜に豊田で開いてくれた、ただ一回のリサイタルに、大阪から日帰りで行ってきました。前回が余りにも奇跡的であっただけに、さらに齢を重ねた巨匠に再会に、若干の躊躇はありましたが、 (「年の割りに」とか「全盛期を彷彿とさせる」とかではなく、 掛け値なしに「今、聴きうる最高の演奏(の1つ)」体験でしたので。)チッコリーニが近隣県で週末にリサイタルしてくれるなんて、モンペリエとかまで行くことを思えば、奇跡&夢のようなことでした。というわけで、今回、早々とチケットを獲得(@3000円)して出かけた次第です。今回は、一応、聴き手としては知っている曲ばかり。シューベルトのピアノ・ソナタD960と、ムソルグスキーの展覧会の絵果たして、どちらも、チッコリーニは、自らが必要と思う響きや音量やテンポに対するイデアに妥協なく向き合い、演奏上の「事情」や「苦労」などをまったく感じさせず、また、迷いや不安も感じさせることなく、今回も、これらの曲の「表現」の限りを尽くしたのでした。リストの折には「老巨匠だから遅めに設定しているのかな?」とでも油断させるほどにゆっくりと始まったものでしたが、今回のシューベルトも然り。ただし、今回は、こちらもチッコリーニの手腕を知り、また信頼もしている、、のが前回との違いでしょうか。前回同様、必要とあらば、いくらでもテンポを上げ、また、ホール中の聴衆の息が止まるかのような精妙なピアニッシモ(pppp......)から、腹に響くほどのホールを鳴らしきるフォルティッシモまでを、響きや音の始まり・終わりを崩したり暴れさせたりすることもなく、「必要な音楽、必然性のある響き、音型」として、それがいかに本来はリスクのあることであっても、そのリスクを、プロフェッショナルとして、完全に克服し乗り越えた上での、プロの仕事として、提示してくれたのでした。また、一部の音の美しさに酔い・溺れるというものではなく、音楽として、何の無理もなくバランスのとれた、しかし、十分に挑戦的で表現主義的な、柔軟にして堅固、潔癖にして能弁なシューベルト。元々が、生きることを突き詰めるほど死をも考えずにはいられず、情愛や夢をたたえるほどに孤独と寂寥にとりまかれる、、、そんな風情のあるシューベルトですが、そのありとあらゆる「襞」を、あくまでも、音楽そのものとして、説明的にも描写的にもならず、音は完全な「音」として慣らしきり、情に任せたアゴーギクや、音の崩し(始めと終わり)は一切なく、「完全な世界」「完全な音楽」「完全なピアノ」というものがあるとすれば、これではないか、、、と思わせるような演奏でした。楽譜をきっちり見たことがないうえ、僕はピアノがまったく弾けないのですが、漠然とした記憶では、普段あまり聴くことの無い、リピートもかなり(全部?)実行していたように思います。こうした精妙な表現を行うにあたり、「ノイズ」は、音質上も、和音のバランス上も、そして、テンポ上も一切ありません。「こうあってほしい」「こういうものであるはずだ」、、、そう思うような音楽が、確かに、ごくあたりまえのように、目の前に現れました。それは、決して巨大伽藍のような大げさなものでもなく、しかし、結果、巨大なのです。といっても、威圧感は一切ない、巨大さなのですが。展覧会の絵 は、シューベルトに比して、一般的には、さらに「響き」と「音量」と「テクニック」のまさに「展覧」の曲、、、というイメージがあろうかと思いますが、こちらも、響きと音量の面で、やはり、非常に多彩なパレットを用いた演奏でした。が、表現される世界は、シューベルトとはある意味対極。そして、かなり、アクロバティックな場面も続出します。さらに、最期に行くほど、体力も消耗するであろう「マラソン」的な曲でもあります。マラソンではあるが、ゴール前1kmほどで、宙返りやジャグリングやちょっとしたジョークもっ交えながら、最期には、オペラアリアを詠唱しながらゴールする、、といったくらいの負担かと。。。 およそ「老巨匠」が選びそうな曲では、一般的にはないでしょう。しかし、骨太な大音量や分厚い響きが必要なときには、そうした音が、迷い無く選ばれ、実在させられ、また、「マシン」としてのピアノの性能が存分に活かされもしたのでした。「永字八方」とは意味が違うかもしれませんが、あの、リストの折に聴いた、ありとあらゆる、響きと音量を存分に展開し、実在させる技能とセンスが、このムソルグスキーでは、再び聴くことができたように思います。恥ずかしながら、どうしても、ラヴェル編 で親しんでいるので、ピアノ版ではところどころ、「ああ、そうやったなあ、、、」と思い出すような人間ですので、ごくごく細部で、版や編曲との相違なのか、ある程度やむをえないミスなのかは、判然としない部分もありましたが、しかし、そうしたことも、音楽にはまったく影響を与えず、本当に、聴き応えのある「展覧会の絵」でした。シューベルトの深淵にせよ、夢や追憶にせよ、ムソルグスキーの万華鏡のような逍遥にせよ、驚愕にせよ、夢想にせよ、、、それらの幅広い表現に際して、チッコリーニ自身が、常に、フィジカルな人間としては、冷静でのめりこむことなく、姿勢も安定して、「ピアノをして語らせる」ことに徹しているように見えたことも、また、合理的なプロフェッショナルとしての理想をまざまざと見せていただいた気がします。やたら、顔芸をしたり、身体中でパフォーマンスするでもなく、必要な力学的な作用を、指を通じて、鍵盤に伝えるに際し、必要な姿勢や動きを、腕・肩・背骨&足(ペダル?)から、必要十分に与える。昔、オイストラフがヴァイオリンを弾いてる姿を見たことがありますが(もちろんヴィデオで)彼もやはり、映像だけ見ていたら、何の曲を、どんな曲を弾いてるのか想像もつかないほど、まったく「良い姿勢」で、きっと「基本に忠実に」立って、弾いていましたが、チッコリーニは、そのオイストラフと重なるイメージがあります。また、こうした非常に「具体的」な演奏に対する姿勢と実現方法、そして、音楽に対し、必要な響きと音量と全体のイメージと、すべての個々の音のそれぞれの「始まりと終わり」への当然のごとくの厳格さ、、、は、チェリビダッケの演奏を想いださせてもくれました。彼もまた、聴きようによっては、「とにかく遅い」とかいう印象をもたれがちですが、必要とあらば、いくらでもアップテンポも行いましたし、また、タタキつけるようなド迫力のフォルテの炸裂、、、とか、音がつぶれて歪んで崩れる、アクセントやスタッカート、、、や、エクスタシーを迎える忘我への本能的なアッチェレランド、、、などとは、無縁の、音楽全体でのイメージと、各瞬間でのそれらを必然的に構成するすべての音の積み重ねを、丁寧に、形作っていった人でした。(実演に触れたことのない人では、ジュリーニも、もしかしたら、そんな音楽家だったかも、、、とは思うのですが、わかりません。)そういえば、チェリビダッケも、日本で突如もてはやされるようになってからは「ブルックナーの精神性」とか言われましたが、しかし、プロコフィエフやムソルグスキー/ラヴェル、ミヨーなども、大好きでどんどん振っていた人でした。「無類の音楽好き」で「響き~表現への探求者」でもあったのでしょう。チッコリーニのアンコールは、1曲目が、意外や意外、エルガーの「愛のあいさつ」でした。本当に、混じりけの無い「歌」そのもの。。。。。目頭が熱くなりました。最後は、「火祭りの踊り」をやってくれるだろう、、、、と思いつつも、ふと、「ああ、巨匠は、この曲で、ぼくらに”さようなら”を言ってるのではないか、、、」とよぎってしまうほど、美しい、やさしい、あこがれとなぐさめと愛情に満ちた、「愛のあいさつ」でした。ピアノは弾けませんが、きっと、楽譜があったら、小学生でも弾けるような譜面なのかもしれません。すくなくとも、「技巧的」ではないでしょう。しかし、その曲を、本当に「ピアノ」であることすら忘れるほどに、音楽そのもの、歌そのものとして聴くことができました。そして、最後は、お約束のファリャの火祭りの踊り、、、です。前回と同様、何事もないかのように、姿勢を普通に正しながら、必要なところは、腕を必要なだけ振り上げて下ろし、必要なところは、指先を繊細に運動させ、豪快にして、スピーティにして、熱狂的ではあるが、崩れたり勢い任せなところはない、、、火祭りの踊りでした。が、同時に、「ああ、この人は、本当に、”音楽”が大好きで、好きで好きでたまらん人なんや!!!」と、しみじみと思い、ほとんど、ヤンチャな少年のようなほど「嬉々として」かつ「淡々と」弾く姿には、思わず、こちらが、笑みを浮かべずには居られませんでした。ああ、しかし、チッコリーニ、、、なんと、録音に恵まれない人なのでしょう。このファリャにしても、EMIに録音があり、ほとんど、同じ楽譜のはずなのですが、そして、今よりも40年ほども若い「バリバリ」の頃の録音のはずなのですが、自在感や自然さや天衣無縫さや響きの多彩さや均整、、といったものがあまり感じられない、普通にうまい人の演奏、、、といった感じすらしてしまいます。実演で聴いたおかげで、大分、補正をして聴くことは可能なのですが、友人に、チッコリーニってええで!!!って薦めたいときも、たとえば、この録音を薦めることはかえって誤解を生みそうです。EMIだから悪い、、、のかどうかはわかりませんが、とにかく、もっともっと録音がよかったら、、、、、と思わされるものが多々あります。また、もっと早く聴きに行けてたかも、、、、(ただ、だからこそ、こうして、僕のような者でも、聴きにいくことができる、、、のですが)前回も思ったことですが、生きていくうえ、、、ましてや、仕事をしていくうえでは、いろんな「事情」が存在し、、、それらはすべて、言い訳になりえます。それも、単なる言い逃れではなく、本当に、「正当な」言い訳にも。しかし、自分・僕、、、として、または、プロフェッショナルとして、「コレ」が必要であり、あるべきである!!と「思う」のなら、「ソレ」に近づき、実現させるための努力と工夫を重ねるべきであり、あきらめる、、のなら、それは、それまでのこと、、、であり、自分・僕、、が、心の底から想い・求めている、、、とまでは言えないものである、、、ということ、、、そして、チッコリーニは、超高齢、、、といってもよい歳になって、しかも、長時間フライトをしてきて、ありとあらゆる言い訳が可能な状態になってもなお、こうして、最高の演奏をしようとし、事実、実現してしまいました。プロとしての成算がなければ、来ないでしょうし、また、プロとしての成算ができるまでの努力を、日々(それこそ70年くらい!!!)続けてきてこその「本番」であり、この土曜の「果実」は、実に、文字通り「不断の」努力と意思の積み重ねの上での咲いた花が結実したもの、、、である、、、、とつくづく思いました。自分自身の「生き方」をも反射的に考えてしまう、そして、稀有のお手本ともでもいうべき、 (決してチッコリーニは誰か他者に対して求めたり誇ったりするようなものではまったくないですが)そのような機会でもありました。
2010.03.22
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NHKサラリーマンNEOの「サラリーマン体操」でもおなじみのコンドルズの公演、年末恒例の京都アートコンプレックスでのものに、昨日、夜の部、行ってまいりました。コンドルズの公演は一昨年に行ったっきりでしたが、昨年は、近藤良平さんのワークショップに、春と夏の2度、参加させていただく機会があり、(1回もののもので、「合宿」ではないですが)TVサラリーマン体操での洒脱でコミカルな表現とも、また、舞台でのちょっとマニア・固定ファン向き(?)というような表現とも異なる、というか、その基礎・根底となる、身体やそれを動かす意識への気づきと、その面白さを、とても、具体的かつプラクティカルに面白くわかりやすく伝えてくれはるものでした。子供も混ざった超初心者ばかりが相手でも、接するもの・出会う人・見る出来事のすべてに対して関心をもち、観察し、とりいれたり、反応したりしていく。特に飾らず、尊大にもならず、かといって、不必要にへりくだることもなく、一流のプロ中のプロに共通するものを、しっかりと感じさせていただける時間でした。(これは、ぐん先生の演劇のワークショップでも常々感じることです。)http://plaza.rakuten.co.jp/classical/diary/200803080000/http://plaza.rakuten.co.jp/classical/diary/200712210000/そんなこともありながらも、昨年一年と今年の夏も、コンドルズの公演は行ってなかったのですが、昨日は、声がけいただいて、急遽、当日券を目指していくことにしたものでした。開演1時間前から、当日券の整理券を配布ということで、その40分ほど前に着いたのですが、まだ11人並んでおられただけのようでした(あとでもらった整理券が12番やったので)。突如、この2日間、やたらと行列ができるのが、地元の人からしたら興味深いようで、並んでる途中で、近所のヨガ教室「Yoga studio TAMASA」というところで、かなり専門的にヨガを教えに来日されてるというダンカン・ウォンという方がその教室のおそらくは先生がたと思いますがお二人ひとなつっこくも上品な女性お二人と共に、やってこられたカタコトの日本語と英語で、何の行列なの?とか、コンドルズって?とか、訊ねてこられました。このダンカンさん、ヨガ界ではかなりなスゴい先生とのことですが、とても気さくで、(& 女性ずき・・・実際僕の前に並んでたお二人の女性もまた気さくでかつとてもチャーミングな方でしたので、まあ当然、、、か、、、 viva! globalism! viva! nature! )おかげで、並んでる時間も結構おもしろかったです。コンドルズや近藤良平さんの説明が結構難しくて、サラリーマンNEOで、ヨガの先生は大変納得してくださいましたが、ダンカンさんには、近藤良平氏は振付師でダンサーでTVにも自ら出ていて、ダンスやコントもやるユニットで、大野和士とともにストラヴィンスキーの火の鳥で子供向けのワークショップもやるなど多彩な活動をしている、身体表現グループだ、、、みたいなことを、口々にお伝えしました。このダンカンさんも、また、一緒にこられたヨガ教室のお二人も、とっぷりお話させてもらえたら、かなり面白そうでした。先の近藤良平さんや、ぐん先生とも共通するなにか、ホンマもんを自分で突き詰めてはる人独特の、物や人に対する懐を感じた気がしました。公演は、このアートコンプレックスの公演がとくに、表現される身体サイズに合ってるのかもしれませんが、とてもみやすいものでした。各演者のキャラクターを知ってるからこそ笑えるような「固定ファン向け」ギャグとか、猥雑な学生演劇風のテイストなどもあえてまぜながらの舞台ですが、とにかく、「身体をつかって、どんなことでも、どんなようにでも、表現してみよう!!」みたいなのがコンセプトというように、僕は受け取って、かなり関心して、あっというまの時間をすごすことができました。また、以前見たときよりも、「固定ファン向け」の比率が減った気もしますし、全体を通しての統一感(をあえて目指してないのは承知のうえですが)もあって、僕としては、素直に楽しめました。ものすごく、身体のキレ、意識した動きが徹底している人から、そこまででもない人まで、混ざりつつも、それらが総和となっておこなう「表現」は、とくにこの会場の大きさで効果を発揮するように思いましたし、また、熟達した方の動きは、本当にスゴいものでしたし、また、それほどでも、、という方でも、もちろん、一般の人間ができるようなことではないことで、「創造過程」が垣間見られようで面白かったです。(「それほどでも」という言い方は失礼でもうしわけないですが、 それぞれに、得意分野をお持ちだけれでも、それがメインになるパートのみならず、 あえて、超得意分野以外のものにも、挑みながら、、、という面があるようだと感じました。)「振り付け」や、舞台での位置どり、、、も、ある意味、内容がシンプルで、とくになにかのメッセージ性があるわけでもない、、、という舞台だからこそ、面白くみることができました。また、意外というか、あとから考えたら当然というか、、、コント仕立てで「ジェスチャーゲーム」をやる、、という半ば「大切り」があったのですが、これが、さすが、日々、身体表現をしている人たちどうしのものなので、素直に、実は、すごい「地力」が出ているなあ、、、と、かなり関心しました。(もし、たとえば、自分がやるとしたら、、、とか想像したら、ただ肉体を鍛錬してないから、、、とかの問題じゃなく、身体に対する発想と、ものごとの表現、、、、のイメージそのものの「ひきだし」がやはり違うなあ、、、と。)コントでのキャラの立たせ方などや、終演後の盛り上がり、交流ぶりについては、かなり、男性のみからなる(かならずしも眉目秀麗な人ばかりではないが「実はスゴい」という男性)集団を、女性が安心して応援し支持し夢中になれる、、、という場という面もかなりあるようで、 (コンドルズとその客層の男女の性別を逆転させて、 「20~50代の女性がセーラー服を着て踊ったりコントをしたりするのを、 何百人もの男性客が詰め掛ける、、」としたら、 社会的評価、、、、は、火を見るより明らかですしね、、、、)そういう面では、「女子更衣室に紛れ込んだ」ような感覚を受ける面もありますが、 (↑あくまでも比喩です、リアルで紛れ込んだことはありません。 ましてや、もぐりこむなんて、、)舞台を見ている間は、そうしたこともおおむねなく、本当に普通に「身体の表現の実験・博覧会」的意味も含めて、楽しめました。ワークショップに参加させていただいた体験があることも、アクセスしやすい理由のひとつかもしれません。久々に見て、やっぱり、この京都公演は、見る価値があるなあ、、、とあらためて思いました。
2009.12.27
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今年も、もう、年末、、、年末といえば、日本では、バイロイトですね? (←「ね」は余計)永年、NHK FMで、年末になると、バイロイト音楽祭の録音を続けざまに流してくれます。あまりに毎年のことなので、結構、ただ聴き流し、、、になるのですが、過去には、「幻」のショルティがただ一度だけ振った(CDにもなってない)年もありました。で今晩は、ニーベルングの指輪 の序夜「ラインの黄金」恒例のライトモティーフのファンファーレが3回まず鳴り響きます。会場でも実際に、開幕を告げるために吹かれるそうなので、以前は、そのライブっぽい音が流されて(ファンファーレは戸外なのですが)、あと、バイエルン放送協会のアナウンスがそのまま流されてから、日本の解説に、、、という流れだったのですが、久々に聴いてみると、モロにスタジオ録音風のファンファーレのあと、日本の解説が入って、あと、NHKが最近よくクラシック番組で使う、モロ「電子音」のよくわからんファンファーレが入る、、、というやや雰囲気的にイマイチな感じになってました(←コレは、どうでもいいことなんですが)。その気になれば、今は、バイロイトの音は、ネットでリアルタイム(夏、、の日本時間の真夜中)で聴くことすらできますが、PC経由の音は、どうもニガテです。。。。ところで、バイロイトの過去のライブは結構、CDにもなっていて、時代によって、録音条件もさまざまですが、おそらく、会場の構造や特性にもよるのでしょうし、曲の大層さにもよるのですが、おおむね、大柄で、力技的な演奏・録音が多いような印象があります。厳格で均整のとれた筋肉質の演奏、、、と賞されるカール・ベームの指揮した「指輪」も、正直、かなり、荒れたアンサンブルを、太線の輪郭で囲い込んだ、、というような演奏に聴こえます。金管のフォルテでの、カンニングブレスなども、各奏者のピッチや音質がバラバラなので、継ぎ目がモロに出まくっていて、また、音を「後押し」するのが下品で「もたれる」印象もあり、なかなか、全曲聴きとおすには僕はつらいものがあったりします。「迫力!」はまあ感じるのですけども。。。曲をすっかり慣れてしまってから聴くと、また楽しめるのでしょうか。。。しかし、ここ数年のバイロイトのライブの音は、FMで聴いても、過去の録音のCDに比べても相当にスッキリした音質とアンサンブルになっている気がします。マイクの配置にもよるのでしょうし、やっぱり、オケの国際的な水準が上がっているのでしょうね。今日、さっと、耳にした「ラインの黄金」は、実際はどうか知りませんがイメージ的には「ネオナチ?」みたいな「独逸民族復興!!」っぽい容姿と演奏をくりひろげがちなティーレマンが指揮したもの。・・このイメージは何の根拠もなく、彼のやや古風な「芸風」とワーグナーを特に得意にしているとこあたりからのイメージにすぎませんのであしからず。。。。(ちなみに、日本の「右翼」やまた妙にはやってる「教科書が教えない歴史!(日本軍は侵略はしてない、、とか、戦闘員しか戦闘してない、、、とか、、)」みたいなある意味ノンキな状況と違って、ドイツでは、「ナチ」は深く刻まれた罪であり悪というのが共通概念なので、社会的に逸脱してない立場の人間が、気軽に「ナチ」を気取ることは実際にはありえないようですが。)今日の「ラインの黄金」、冒頭の和音からして、とても、クリアです。「あいまいな原始」のイメージはむしろありません。弦の刻みもまた、そろっていて、これまた「靄」のようなものではなく、音符が見え、また、「拍」が見えるものです。そして、音が積み重なって生み出すライン川の波の高まりから、飛び出すラインの乙女の第一声の音程と歌詞の明確なこと!!そして、音楽はまったく弛緩せず、かといって、暑苦しい混沌にうずもれることもありません。低弦やホルンなどは、劇場の特性からか、ある程度、こもった感じはあって、たとえば、ベルリン・フィルがコンサートホールで演奏するような、マルカートなエッジは見えないものの、決して重くならず、音のボディはクリアです。ワーグナーの楽劇は、歌詞をすべてちゃんと追って聴いてないままに、聴く回数を重ねてるので、理解が浅く、客観的に音楽的な内容についてほかの演奏と比べることはできないのですが、印象としては、このティーレマンのワーグナーは、案外、「主旋律」を各場面で、ほぼ常に確保し明示していたように思います。ラインの黄金が、「トリスタン以前」の曲である、、、、ということにもよるのかもしれませんが、ワーグナーの比較的分厚いオーケストレーションにあって、このある種の「歌謡性」と「響きのヒエラルキー」を重視した演奏は、特徴と言える気がします。ただ一回、FMで聴いて判断するのはよくないですが、すくなくとも、今日の演奏を聴いて、「劇場人」としてのティーレマンの手腕の確かさとカリスマ(オケや歌手をまとめて長大な音楽を構成する)をたしかに感じましたし、人気があるのは、単なる懐古趣味ではないなあ、、、との思いを強くしました。(でも、この人のベートーヴェンは、以前聴いた範囲では、懐古系やったんですが、、、今はどうなってるでしょうね。)しかし、長時間で過酷なはずのバイロイトでのライブでの、オケの精度は驚嘆すべきものがあります。(昔の録音と比べて、、、)とくに、金管楽器では、少々、落ちたり、また、受け渡しでのピッチのズレなどは、「劇場らしさ」のウチ、、、という時代は、もうすっかり過去のものとなったようです。本当に美しいです。美しいバイロイト、、、、ワーグナーもきっと満足することでしょう。まさか、「日本」で毎年、それも「年末」に放送されるようになる、、、、とは夢にも思わなかったでしょうけども。。。明日のワルキューレを経て、「トリスタン以後」の作品である明後日のジークフリート、日曜の「神々のたそがれ」では、どのようなアプローチになることでしょう。楽しみです。それにしても、「歴史観」ではないですが、日本からワーグナーを聴くには、とくにナチもホロコーストも意識する必要もないのですが、ドイツでは、当然に、自国語で大層な「伝説」なり、シュプレヒコールに近いような音楽が数時間にわたって説明的になり響き続ける「ワーグナー」は、「音楽愛好者」が皆、素直に「楽しめる」というものでもなさそうです。 外国語で言葉の意味が、リアルにはようわからんから、かえって聞きやすい、、、ということはあるのかもしれません。ナチが政治利用したのももちろんですし、ナチ以前、、、から、ヨーロッパの「ゆるぎない伝統」としての「ユダヤ人蔑視」があったこと、、、その「基盤」の上に「ナチ」という「花」が咲いた、、、ということ(ナチが総選挙で正当に政権をとった=国民の"民主的"支持に基づいた政権だった、、、ということもあわせて)、思い起こさせるのかもしれません。戦後は、そうした政治利用やある意味「人工概念」である「民族」というもの(ドイツ民族にせよ、日本民族にせよ、、、)の色を廃した、抽象的な演出とある意味無愛想な(即物的な)演奏を特徴とする「新バイロイト様式」の時代を長く経て、今、保守回帰というよりは、ある意味ようやく、過去の経緯と決別して、堂々と「ドイツ民族なるもの、、、への憧憬」を真正面からとりあげても、「音楽は音楽」と思えるような時代をドイツは迎えつつあるのかもしれません。それは、ドイツという国が、「音楽」とは別のこと、、、、すなわち「政治」や実生活の面での過去の「罪」をオフィシャルに反省し、清算しようと努力を続けてきた、、、ということによるのかもしれません。 とくに「西」において。。。。余談ながら、、、過去の歴史にフタをし、責任を回避してきた「東」の状況は、ちょっと、「日本」に似てるかもしれません。そうした日本だからこそ、、、小泉~橋下~小沢~が「ナチ」と似ている、、、いうのはもちろん失礼ですし、言うべきではありませんが、ただ、投票行動に結びつく「民衆」のメンタリティや、また政治家側が「民衆」を扇動・誘導するノウハウとして、「弱者」「悪者」を規定する立場をGETして、タタく側になることで「安心」を与える、、、という形になっていることは、期せずして、ナチの政権維持と似たメカニズムになっていますので、これからますます日本は「過去」をむしろ拡大して繰り返そうとしている、、、のかもしれません。
2009.12.24
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今日は、先日の、1万人の第九で知り合いになった方が参加しておられて、また、指導くださった清原浩斗先生とピアノの矢吹直美先生が出演(指導)する、淀川区一千人の第九に行ってきました。淀川区民合唱団が母体になっている催し、とのことです。1万人の第九の本番の日以来のメンバーが舞台の上で活躍しておられるほか、終演後には、客席にも、おなじクラスの懐かしい仲間とも再会できて、客席と舞台でのつかの間の懐かしいひと時でした。合唱のコンサート、とくにアマチュアの合唱のコンサートはかなり久々でしたが、「一万人」に慣れていた耳には、比較的少人数の合唱団(といっても100人くらいは居てはるんですが、、1万人と比べて、、)として練習を積んでいる合唱の響きは、とても、新鮮でした。年齢構成からいえば、むしろ高めでもあるはずなのですが、音程も、また、声の響きも、よくそろっていて、「ひとまとまりのチーム」の響きがします。第九が、とくに、自分が歌い、また参加した曲なので、とてもリアルに違いが感じられて、優劣という問題ではなく(まあ「優」なんですが、、、)素直に良い曲やなあ、、、、って、思いました。アマチュアのコンサートらしく、かなり長時間の舞台だったのですが、冒頭に、第九の独唱者4人がそれぞれアリアを披露し、さらにあのリゴレットの4重唱 というところからのスタートでした。歌手はそれぞれに特徴があり、いずれもナマで聴けてありがたかったです。女声はとくに出色で、やや直線的な歌い方ながら若々しい澄んだ声のソプラノが歌うプッチーニに、倍音を多く含みまたオペラの場面を一瞬でその場に「降臨」させるかのようなアルトの歌うマスカーニは、なかなかのごちそうでした。そして、それぞれの歌手の特性や曲の個性にごく自然に寄り添うかのようなセンスに満ちた「呼吸するピアノ」を弾かれたのが、一万人の第九のレッスンでもずっと支えてくださってきた矢吹直美先生です。それぞれほんの短い曲なのに、プッチーニはオケで聴くあのプッチーニらしい響きと艶と「泣き」が、、また、ヴェルディはヴェルディで、特有の旋律の背後で8分音符がうごめきながら「メイクドラマ」してしまう、ヴェルディ特有の語法が、くっきりとたち現れてきたのにもびっくりでした。フィガロの「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」では、バリトン独唱がややおおらかな歌いっぷりでしたが、それをピシっと「枠組み」を与えつつ、あの第一幕の幕切れ前の高揚が再現されました。(個人的にはこの曲をFMながら生まれて初めて聴いたベーム=ウィーンフィル(&プライ)の演奏のオケ部分がなぜかリアルによみがえってきました。・・・これは単純に似た演奏という意味ではないのですが。)ずっとそのセンスや感受性そしてそれを音や音楽にする力に感服してきたのですが、今回、舞台の上の先生の音楽が聴けたことは、このあとの合唱のパートでの、これまた、音量の選択も含めて、ごく「あたりまえ」のように、ものすごい柔軟性を発揮しながらの演奏と合わせて、今年をしめくくるすばらしいひと時だった気がします。(先の1万人の打ち上げの折には、サインをいただいたスコアは永久保存版!!です)続く舞台は、清原浩斗先生の抜群の構成に支えられた一体感のある楽しいものでした。それにしても、冒頭にも書きましたが、先生の合理的な指導と団員の皆さんの研鑽によるのでしょうが、本当に、よくまとまった「合唱団」としての響きが心地よかったです。第九は、オケは無いので、矢吹先生のピアノに、エレクトーン、ティンパニ、そしてパーカションの伴奏なのですが、これがまたとても、きれいで、かつ「アンサンブル」していて、新鮮でした。オケ編曲はかなり技術的にもムリがかかるだろうと思うのですが、鮮やかでした。また、鍵盤楽器が2つというのも、いろいろと不都合がアンサンブル上出やすいと思うのですが、これもそんなことは一切感じさせず、プラス要因のみが届いてくる、、、というものでした。それどころか、声も合わせたアンサンブルの要ともなっていて、途中、独唱4人がおそらくバスの方が走ってバラケそうなところがあったのですが(たしかに、比較的難所なのですが)、ピアノがさっと、合わせながら、「引き戻し」をされたりと、八面六臂の大活躍でもありました。終演後の仲間や先生との懐かしい再会で感じたのは、「一期一会」ではあるものの、やはり、一緒にひとつのものをつくりあげるために、一緒に苦労して積み上げる、、、ってすばらしいことやなあ、、、ということでした。仕事でももちろんやってるんですけどもね(組織的な妨害や悪意とかと戦いながら、、、)。でもやはり「別のチャンネル」で、、、それがまた、再会してみて、「仲間」という気持ちを素直にお互い湧き上がってきたこともうれしかったことでした。合唱って、実際には、団に属してやったことはないのですが、オケのホルンに復帰は実際問題、もうムリでしょうし、かなうことなら、合唱はやってみたい、、、と思わせてくれる、そんなすばらしい、それでいて「普段着」なところもちゃんとある素敵な演奏会であり、機会でした。
2009.12.23
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大分前に購入しながら、しっかり聴く機会がなかった、カラヤンの若いころ、モノラルで、イギリスの当時の新設オケ「フィルハーモニア管弦楽団」とのベートーヴェンの交響曲全集から、「田園」を聴いてみました。以前にも、何度か聞いたことはあって、「晩年と違い、若いころのカラヤンらしい颯爽とした演奏!」という記憶があったのですが、聴き返して見て、なんとも、ありとあらゆる「田園」の演奏録音のなかでも、本当に、すがすがしい、清涼感にあふれた演奏に、驚かされました。まず、第一に、カラヤンの演奏の大半につきものの「レガート」の多用がみられません。かといって、トゲトゲした「トスカニーニ風」でもなく、まるで、シルクのような音の表情をもつ弦や管楽器の演奏が印象的です。また、管楽器どうし、弦と管の受け渡しが、とても、緊密で、かといって、堅苦しくはない、まさに「あるがままにある、、、」、、、Let it be とでもいえる演奏です。そして、テンポがまた、とても、違和感がまったくなく、きれいに流れます。澱んだり、タメやコブシをきかせたりはしない、、、、でも、かといって、あっというまにサラサラ流れてしまうでもなく、歌心は十分なのです。ホルンのトップは、伝説の名手デニス・ブレインだと思いますが、とくべつに、でしゃばることはなく、まさに、理想的な調和の中の演奏です。音質も、後年、かなり問題の多いものがおおいEMIの録音ですが、とても、美しく(ステレオではありませんが)1953年の録音とは思えません。こうして聴くと、フルトヴェングラーの録音が、彼自身がマイクセッティングとかに口出しをしすぎたのか、同年代では、きわめて、質の低いものが多い、、、ということがわかります。これだけの演奏をすれば(また、きっと、かなり合理的かつ効率的なリハーサルをしたはず)それは、文句なしに、フルトヴェングラーの後任として、ベルリン・フィルに迎えられるだろう、、、、と思う、、、そんな演奏です。もちろん、モノラルですから、「初めて聴く田園」としてのオススメはしませんが、ある程度、田園はいろんな演奏で知ってるよ、、、、という方には、一聴の価値はあるかと思います。
2009.12.15
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今年も、本番がおわりました。去年、初めての参加で、今年が2回目。夏からの12回、、、コンサートの本番をヤル!!という意味では、決して多くはない回数ですが、日常、音楽活動をサイクルに入れてない人々(僕も含んで)からすると、結構、いろいろと「やりくり」しないとクリアできない回数ではあります。ただ、ノルマ・義務、、というよりは、ちゃんと、専門の先生に合唱を教えていただき、それを、もともと、知り合いでもなんでもない人たちと「一緒に!!」歌って練習していく、という機会は、本当に、ありえないほど貴重でありがたいことです。今回参加したのは、大阪Cクラスというコース。今年、奇跡的に、社会人生活20年で初めて、平日の夜に予定を入れてもやりくりできる可能性が生まれたので、今年を逃したらもう一生機会はない、、、と、思い切って申し込んだのでした。12回3カ月はあっというまでした。教えていただいたことは、できたりできなかったり、、、ですが、その場でできなくても、あとで思い返して、どれだけ、実践しようとするか、、、、である、、、ということは、今日、あらためて、思いました。リハまで声の調子が最悪で、全然出なかったので、ファルセットとウィスパーで半分くらいを済ませながら、本番に賭けたのですが、リハから本番までにとにかく冷静に、これまで先生がおっしゃったことを、今一度、思い出して、やってみたところ、十分、、、とはいえないものの、なんとか、「舞台の声」で大分と参加できたのでした。普段からどれだけ意識するか、、、で、きっとこれからも大きい違いが出るねんなあ、、、と改めて、、、、細長く巨大なホールの特性は、時差を生じるなど不利な面も多く、とくに、女性(女声)の方々は、人数が多いこともあって、歌いづらい場所で御苦労された方も多かっただろうと思います。それにしても、今回の本番、合唱の主旋律が初めからドンドン、テンポが走りかけた場面はあったものの、かなりの程度、リハも含めての指揮者や先生の指導に基づくイメージが共通の「核」となって、本当に「一万人の第九」になった気がします。あと、テンポが走ったときに、指揮の佐渡さんが、速い方のテンポを選択してまとめてくださったり、かなり、アグレッシヴな演奏へと導いてくれはった気もします。本番のあとの打ち上げも、200人を超えるメンバーについて、人数のとりまとめやお金の管理だけでも大変だったでしょうに、幹事を引き受けてくださった方々の本当に「献身的」な努力と世話をいただいたおかげで、その200人がみんな、実りある本番をさらに、高めて、楽しく、心に残る体験にできたように思います。(予防注射の2回接種みたいなものかもしれません)清原浩斗先生のご指導の具体的な視点と目標を提示しながら、肉体的なイメージづけを根気よくしてくださる熱意とスキル、それに、多彩な表現と、よい意味での前向きな社交性、そしてもちろんパッと周りの空気が晴れるようなきれいで力づよい響きに満ちた声、また、ずっと、状況に応じて、きめ細かく各パートのバランスを加減したり、「ブレス」や「フレーズ」がまるで「息をする生き物」のように見事にしかも優しく歌いやすいようなピアノを弾いてくださった矢吹直美先生、また、佐渡裕氏の超多忙な中でのほとんど「混沌」に近い状態から、「核」を与え、具体的な「表現」にまで導き、実際に形にする手腕(&本番の臨機応変!)、そして、そうした状況にまた短時間で機敏に、技術的フォローをしてくださる合唱指導陣の先生がた、、、さらには、1万人の「群衆」を短時間で、トラブルなく、大イベントの「主人公」にちゃんともっていく運営スタッフの方々、、、ひとつのことをなしとげるにあたり、本当に多くの方々の努力と熱意があってやっとできることなのだ、、、と心から思いましたし、また、あらためて、多くの才能、熱意、誠意、、、、そうしたことを、合唱、音楽、運営、それに「打ち上げ」まで、本当に、感謝とともの、心に染みいる、、、そんな体験のできた「第九」でした。
2009.12.07
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ショパンのピアノ協奏曲といえば、「ピアノはスゴいが、オケ部分は習作程度で退屈」扱いされることが多いような気がしますが、かねてから、ツィメルマンが、自分で編成したオケを振りながら弾いた録音が、とても面白くて、オケ部分も、活き活きとしている、、、、という評判を耳にして、何度も何度も、CDショップで手にしながら、結局、今まで、買うことも聴くこともなかったのですが、このところのピアノブーム(自分の、、、です)に乗じて(?)、今回、ショパンボックスに入ってるのを聴くことができました。この曲、オケ部分も含めて、実は、かなり大好きで、聴いていると涙が出そうになることも多い曲です。とくに1番は、クラシックを聴き始めてすぐの頃、フランソワ・デュシャーブルというピアニストが、大フィルと共演したのをナマで聴くことができたもので、当然、新鮮なその頃の脳で聴いてるので、沁み込み度合いも大分違うものです。とにかく、美しいし、「夢見るよう」なメロディが音色(主に木管なら木管、弦なら弦)にピッタリのように僕には思えます。実際に弾いたり吹いたら、面白くないのかも、、、とも思いますし、ピアノが専ら弾いてる間は「背景」っぽくって、そのあと「合いの手」っぽいのも、「習作っぽい」と言われる所以かもしれません。で、この演奏、冒頭から、テンポをグっと落としながら、一小節、一拍ごとに、強弱や表情をつける、、、という「濃厚」な始まり方で、「!!」と思わせます。こうした「コントロール」感はずっとあるんですが、しかし、オケ全体が歌ってる、、、という感じで、レチタティーヴォっぽいともいえるし、「歌詞つき」っぽいような表情ともいえるかもしれません。また、各楽器の音色が、それぞれに「色」を出していて、混ざって溶け込むよりは、それぞれが室内楽のように存在をはっきりと見えるように、参加し、歌います。しかし、濃厚でも、リズムはとてもハッキリしていて、全てのフレーズもくっきりと演奏されるので、テンポ・リズム・推進力といった面で重たい感じはしません。そして、やはり、ピアノが入ってくると(この協奏曲は、古典的な形式で始まるため、まず、主題をひとしきりオケが演奏してから、ピアノが、主題で入ります。)、クリアな音質、オケ同様(!)クッキリしたリズム、響きのピアノが、白銀の艶とでもいうべき音楽を、ぐんぐんと進めます。ツィメルマンのこの曲の演奏は、実は、FMを通じては、有名なジュリーニと入れたLPや、サロネン指揮のバイエルン放送交響楽団とのライブなどで聴いてはきたのですが、FMのせいなのか、あんまり、そうした彼の「音」について印象を持ったことはなかったのですが、とても、流麗でクリアで「傷」や「バラつき」の無い音は、快感といってよいほどです。といっても、先のホロヴィッツのような音とは無縁に近い、ショウマンシップとか演奏効果を狙った響かせ方とは違う、音楽の形をくっきりとうかびあがらせるためにノイズを完全に排した、、、、というような音です。(もちろん、そういう「演奏効果」を意図している、、、のでしょうが)この曲、いつもは、かなりサラっと聴ける場合がおおく、また、ちょっとオケに不備がある演奏だと、極端にいえば、「もっちゃりしたオケは、置いて、ピアノ部分だけに集中する」みたいな聴き方になることもあるのですが、とても、面白く、スリリングでいながら、とにかくこの「歌」に惚れて演奏してる、、、その惚れ惚れ感、、、がとても小気味よい演奏でした。その分、「ずっと旅に同行する」という感じもあり、かなりな「満腹感」を得る演奏です。こうした演奏を「何度も」聴くかどうか、、、(回数としては何度も聴くと思いますが、たとえば、今の印象が残ってる間に、何度も聴くかどうか)となると、やはり、その情緒的な表現に同調した体験が残っている間は、しばらく聴かない、、、かもしれません。(飽きる、、という意味ではない)その意味では、音楽は、昔は全て、「ライブ」のみ、、、だったのだ、、、ということにも気付かされます。これはたぶん、いわゆるセッション録音と思いますが、ある意味、ライブっぽい内容を十分に持つ演奏でした。
2009.12.03
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ホロヴィッツは、ちょうど高校時代に、あの、伝説の5万円チケット、ボロボロライブ、、、にTVで遭遇して、(あんまりピアノに詳しいわけでは、今でもないですが)やたら、局所的に豪華な音をババンと鳴らすが、曲の原型がわからんなあ、、、、という印象をもったのが、意識した最初でした。(その後、このライブは、彼が薬物投与を受けていた影響が大きく、 また、実際のそのライブは酷評されたとのことですが。)が、その後、過去の録音をいろいろ聞く機会がそれなりにあり、また、「母国」ソヴィエトへの里帰り公演が、きれいな響きを活かした演奏で聴けたりして、やっぱり、「巨匠」というイメージはもっていたのですが、(ただし、ジュリーニとのモーツァルトの協奏曲の録音風景をみて、 どうみても、子供じみた変人、、、、というイメージも、、、)彼のCDは実際には、ラフマニノフのピアノ協奏曲の3番とソナタの入った1枚を持っているのみでした。そんなところへ、このところ、ナマのピアノの響きに圧倒される体験を何度かしてきたところへもってきて、ピアノ曲のCDそのものもあんまり持ってないことから、ホロヴィッツボックス(1枚あたり300円弱)を買ってしまい、昨日から聴き始めています。1枚あたりが昔のLPと同じ、というつくりなので、結構、これが心地よく聴けます。分量が、結構、ちょうどなんですよね。今にしておもえば。昨日聴いたのは、ホロビッツが、ナマ演奏から遠ざかっていて復帰したときの「ヒストリック・リターン」ライブ。これは、バッハ、シューマン、スクリャービン、ショパン、モシュコフスキ、ドビュッシーが履いてます。そして、生演奏から遠ざかっていた頃のステレオのスタジオ録音で、ショパン、ラフマニノフ、リスト、その次が、ボックスの中では最も古い(戦前のは無いから)「展覧会の絵」これは大分、ホロヴィッツが楽譜に手を入れてるのがわかります。で、プロコフエフとカバレフスキー(!)こうして聴くと、もちろん、若い頃の彼は、バリバリ!!度が全開で、後年になると(以前聴いたソヴィエトライブなど)、響きを重視するほうになっていったんやな、、、とわかります。といっても、響きそのものは、ずっと、彼の「名刺」のように特徴的ですが。。。。響きが美しい、、、そして、録音といえども、おそらくはピアニッシモの完璧なバランス、、、などは、内田光子にも、言葉で言えば共通していますが、(リズムの崩れなどテクニック面で、現代の内田光子がはるかに上であることは言ってもしかたない当然のこととして、)しかし、この二人ほど、究極の対極にある人はいないようにも思いました。ホロヴィッツは、(まだこんだけ聴いただけの印象なので、今後変わる可能性はありますが、今の印象、、、として)「響き」と「快速な"指"」を快楽・欲望の対象として、それを、聴衆の欲望に捧げている、、、というような気がしました。低俗という意味ではありません。(←そう言ってもいいかもしれませんが)彼が、長いこと、ナマ演奏を避けていた時期がある、、、というのは、スタジオ録音が活発だったことからすれば、まあ、グールドと似た状況だったのかもしれませんが(どちらも超絶技巧が売り、、という面もあったし)、常に、「客の反応」を意識していたため、それに疲れた、、、のかな、、、と思わせるほど、「リスナー」が悦ぶように、印象に残るように、、、手練手管を使っているようにも思えます。といって、もちろん、フレーズをまとめ弾きするような昔風なところはあるとはいえ、特別に、恣意的なルバートが目立つわけではなく、ある意味「端正」といってもいいかもしれません。が、しかし、古いモノラル録音からですら、聴く者は、響きに欲情してしまう、、響きに淫して溺れてしまう、、、"指"の速さに押し倒されてしまう、、、また、そうしたくなる、、、そんな演奏でした。こう書くと、やたら、退廃的な感じになってしまうのですが、それがまたある意味「健康的」このうえないほど「陽性」でもある、、、のが彼の魅力かもしれません。淫して溺れて欲情しても、でも、後ろめたさ、、、は無い、、、客を喜ばす、、、ということの根っこに、自分自身が、大好きで、音楽に身を浸して生み出すことがうれしくてたのしくて気持ちよくてたまらない!!!というところがあって、客に「合わせてる」というのではないように思います。ありあまるテクニックがあって、彼の好み・欲情があって(音楽的な)、それが時代や大衆の好みや欲情にもぴったり合った、、ということなのかもしれません。ちょうど、響きに執着したにもかかわらず、対照的な音楽家としては、カラヤンとチェリビダッケがいますが、指揮者の場合、「オケ」を得るか否か、、、という社会的背景が影響もするので、ホロヴィッツと内田光子の関係に直接はくらべられないかもしれません。とはいえ、快速にして、響きを重視、、というのは、カラヤンの壮年期までの志向には類似しているような気はしますが、、、また、唐突なのですが、響きをつきつめ、ドラマ性を求め、「客の悦び」を常に得ないと不安で仕方ない、、、という志向性と集中は、桂枝雀の落語を思い出させます。正直、演出過剰かと思わせるほど、これでもか、、と客の反応を引き出しでも、いくら反応を引き出しても、そこに安住せず、また、「次」への不安をずっと無限に抱き、また、そのための訓練を日常、片時もおこたらず、自分をすり減らして、舞台に立てなくなり、、、、という枝雀も、「芸」と「板」に全てを捧げた人生を突っ走った人生だったように思います。最後は、悲劇的な死を遂げられましたが、、、ホロヴィッツも、単なる美音ではなく、ドラマを、世界をつくりあげるための響きを駆使する、、、(とくに"指"の速さでは、「押し倒せなく」なってからは、一層、「響き」で勝負したみたいですし)ただし、そのドラマや世界は「美しいもの」であり、「豊かなもの」である、、、そういった、ある種の「楽天性」を感じさせます。本人が、痛々しいまでに繊細で、努力家で、もしかしたら、ペシミスティックな人だったとしても、、、そういう、表現や客との関係性での志向と、本人の内面(←あくまでも想像ですが)との関係もまた、ホロヴィッツと枝雀にはなにか、通じるものを感じます。
2009.11.28
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社会人になって初めて!といって良いと思いますが、休暇をもらって、内田光子のリサイタルを聴きに福岡までやって来ています。さすがにこの時期に休むために、3時間睡眠になってしまいましたが…福岡のアクロスホールは、当然、初めてですが、堂々たるシューボックス型で両サイドのバルコニー席の雑音は干渉しない、聴きやすいホールです(「兵庫県立」と異なり…)。ピアノソロにはやや広すぎるかな…と最初のモーツァルトのイ短調ソナタでは思いましたが(内田光子には珍しくややバタついた気がしました)、すぐさまホールの響きを身につけて、クルターク、バッハ、モーツァルトを続けて、演奏し、まるで、現代音楽の作曲家が新古典派的のモチーフをコラージュに用いながら作った一つの連作のようにも聞こえます。バッハの構造の普遍性とも言えますが、やはり「響き」を完璧にコントロールする内田光子だからこそ浮き彫りにできた「響きの普遍性」による「構造主義」的な光の当てかた、といえるかもしれません。後半のシューマンの幻想曲もさらにホールの響きを自家薬籠中のものとし、ffからppppまでを精妙な響きで多彩かつ余裕で描ききります。またルツェルンでのコジェナーとのリサイタルでも感心したのですが、シューマンの厚い和音が朗々と鳴り響いて行く中で、進行する全て和音がバランスを保って鳴り響くのはもちろんの事、その響きの中で「浮き」はしないまま、旋律ないし、進行上主たる音のラインがくっきり聞こえます。ピアノという楽器そのものの可能性と素晴らしさをも実感させてくれる、なにより、音楽の素晴らしさを実感させてくれる、コンサートでした!
2009.11.19
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もうひとつ、強く印象に残ったのは、彼の「舞台人」としての本性、、、です。無条件で、とにかく、「お客」を満足させる、、、喜ばせる、、、、そのことが、「あたりまえ」であり、そのために、できることを全てやる、、、のが、自分の使命であり、存在意義そのものである。そして、お客がどうしたら喜ぶのか、、、自分の何を見に来るのか、聴きにくるのか、、、それも、十分に判っており、感じている。そんな「舞台人」のようです。むろん、お客が見に来るもの、、、は、過去のマイケルの全ての時期の彼のベストの状態を「最低限」として、かつ、それにsomethingが魔法のようにプラスアルファされたもの。。。。と、痛いほど理解しているがゆえに、おそらくは、この映画で豊富に使われている、今の「全力以上」を出し切ったかのような、過酷なダンスに歌唱であったのかもしれません。自らの完成型のイメージの完全な「像」に忠実であったばかりでなく、お客が求める「像」にも、100%忠実であらねばならない、、、という残酷さ、、、まさに、ネバーランドの住人、ピーターパンのように、老いること、、歳を重ねること、、、が許されない、、、また、自分で許さない、、、彼が、舞台になかなか立たなくなり、また、今回が最後、、、と言ったのも、このリハでの一見、「若い頃のようなキレ」のある演技・歌唱からすれば、もったいない、、、とも思えるかもしれませんが、逆に、それほどのムリをして、ようやく、「最後のカーテンコール」の舞台を、マイケル・ジャクソンとして、行おう、、という決心をしたようです。演出や振付、キューのタイミングなど、自分の中の像は、また、お客の喜ぶツボであり、それを、はずすことなどありえない、、、、という信念と指導のもとに、舞台が徐々に、まとまり形をなしていきます。実際には、主に、2~3回の総練習(ゲネラル・プローベ)の映像を主に用いて、あと、オフステージの映像をとりまぜて、構成しているようです。ちなみに、当然のことながら、マイケル無しのリハが相当に重ねられた後、マイケルが登場したようです。(このあたりは、アマチュアオケや合同演奏会などの客演指揮とかでも同じです、、よね。)その「原型」にどこまでマイケルが関与したか、は定かではないですが、もしかしたら、もう何年も前から、そうした「構成」などは、考えていたのかもしれません。。。資金集めやプロモーター手配なども、思い立ってスグできる規模のものではないでしょうから。。。マイケル自身が実際に、どの段階で、どの程度、疲弊していたのか、、はわかりませんが、時系列としてはおそらく相当にランダムに構成された映像ではあるものの、映画としては後半あたりに、イヤフォンによる音声モニターを通じて自分の歌声を聴くことが困難である、、と訴えたり、リハではフルヴォイスで初めから歌わず温存しときたい、、、と訴えながらもスタッフや若手アーティストの希望に応じて全力で歌ったり、踊りがしっかりと決まらずに焦りやいら立ちをおそらくは持ちながらも、そのたびに、「God breath you」を相手に繰り返したり、、、、決して全盛期ではない自分、、、をおそらくは誰よりも思い知っているであろうことを想像しながら見ると、胸が痛くもなります。もしかしたら、実際、疲労困憊で、ミスが出てきたのかもしれないし、逆に、全然そうは見えなかったのかもしれないし、、、それはわかりません。ただ、本人が、マイベスト!!とは到底思えるはずがないことは、想像に難くありません。 目指すリファレンスが、老練で熟練した、ナイス・ミドル路線、、ではなく、全ての世代を冷凍保存したかのような「ベスト」なのですから、、、そうした、人間としての痛み、、、焦り、、、そして、それをオモテに出さないように、、、また、客の満足のみならず、全てのスタッフやクルーやメンバーもまた、彼にとっては、「喜ばせるべき相手」であったようです。機嫌をとる、、、という意味ではなく、彼の芸によって、感動させ、圧倒し、喜ばせるべき相手、、、マイケルの身体は、すでに、このとき、マイケル自身のものではなくなっていたのかもしれません。こうした本能的な「舞台人」としてのマイケルの姿をみて、これまた、思い浮かべたのが、あのモーツァルトでした。モーツァルトも、幼少の頃より、音楽「芸」をひっさげて、ヨーロッパ各地を周り、行く先々で、ヨーロッパ中の「お客さん」を、演奏や自作の曲で、驚かせ、喜ばせ、、、何が人を喜ばせ、関心を持たせ、驚かせるのか、、、を肌身で感じ、骨の髄まで、幼少期から、幾重にも刷り込んだ人なのでした。そして、やがては、片田舎ローカル出身ながら、ヨーロッパ各地の文化セクションに触れることで、「ヨーロッパ」文化を自らのうちに統合していくほどの吸収を重ね、それが、それまで存在しなかった、「ヨーロッパ音楽」の初めての作曲家への成長の基礎としていった人なのでした。こうした「幼少期からの舞台人」としての刷り込み、、、は、二人の天才に、似た影響を与えたように思いますし、彼らの音楽や芸(オペラもダンスも)が、先端を行きながらも、同時に、非常な人気を獲得したことも、そうした舞台人としての本能が人生の全てに作用していたから、、、ということも大きいように思います。すなわち、もともと持っている大きな才能の全てに対して、舞台人としてのセンスが働くように、デフォルトで設定されていた、といえるかもしれません。ちなみに、そうした本質的な面とは別に、おそらく結果論、、ではあるのでしょうが、経歴としても相似したところが見られるように思いました。モーツァルトは、そうした「ヨーロッパ音楽の天才作曲家」になるに至る前には、まず、「天才子役!!」から、「単なる、大きくなった子供」扱いによる人気・関心の消失、、、就職難、、、という苦渋と失望と落胆に満ちた日々を送らざるをえず、。その後、ウィーンという当時の「文化首都」で活動の場を得て、ダ・ポンテの台本と出会い、、、オペラ作曲家として存分な作品を生み出し、当時のウィーンに集まる各名奏者・名歌手と交流し、彼らの求めに応じて、または宮廷の求めに応じて曲をつくり、当時としては、非常な高額の収入も得るまでに至ったという人です。一方、いうまでもなく、マイケルはジャクソン・ファミリーの大人気の天才末っ子で、その後、大人になるにつれ、人気は一旦、凋落しかけたところへ、クインシー・ジョーンズとのコラボレーションにより、マイケル・ジャクソンは「再創造」されたといってよいわけで、 (・・・といってよいですよね?)世界的なベストセラー・ミリオンセラーを連発し、やがて、キング・オブ・ポップとまで言われ、巨万の富を手にいれながら、借金だの事業の失敗だの、またありとあらゆるゴシップの対象にされ、晩年の10年はほぼ「変質者扱い」(←もしかして日本だけ?)だった、、、、といえるでしょう。ちなみに、ご承知のとおり、モーツァルトも、高額な収入を得ながら、晩年には、人気の凋落(戦争のための不景気のせいともいわれてますが)に苦しみつつ、ありえないほど多額の借金をして、生活苦の中で(というか借金しまくって)晩年を迎えています。まあ、最後のところはあまり関係ないですが、この映画、そうした「天才」の面と、一方で、僕らの普段の仕事にもつうじる、「イメージ・目的・目標」を「人間」が作り出し、それを、具体的に提示し、交換し、相互に影響させあい、「実」にしていく、、、という営み、、、「諦めないこと」による仕事の研鑽、、、そうした、まさに、毎日の僕らの生き方そのものに「等身大」で感じられること、、、その両面がみられた映画のようにも思いました。(その両面の狭間にみられた、天才の人間としての苦悩・不安・焦りなどの弱さも、、、)
2009.11.15
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一昨日、木曜日になりますが、ちょうど9時すぎからのレイトショーに間に合う時間(@1200円!)に帰宅となったので、マイケル・ジャクソンのThis is itを観に行きました。多忙であったり、または油断して見損ない続ける僕としては珍しい快挙です。マイケルは、ちょうど全盛期が僕の高校・大学時代とほぼ重なるのですが、大学時代には、下宿にTVがなかったせいで、主に、洋楽をよく聴いていた僕は、マイケルも音だけで、接していたので、正直、「旋律の息の短い曲を(←ダンス系だったせいですね、、)裏声で歌う兄ちゃん」くらいの印象しかありませんでした。雑誌のインタビューは見たりしてたので、色が白くなってるのは、整形じゃなくって、病気だってことは知ってたのですが、その後、児童虐待の裁判沙汰になってからというもの、一般報道では、整形バナシや、変質者扱い、、、、って感じでずっと扱われてた気がします。5か月前まで、、、、皮肉にも亡くなってから、まとまって、彼の映像作品、、というよりは、ダンスを含めた彼のライブやPVが放映され、いまさらながらに、彼のスゴさを思い知った次第です。「身体表現」というものに、20歳前後の頃はあまり興味をもってなかったというか、意識する機会がなかったので、当時、スゴい!!と思えたかどうか、、はわかりませんが、、、で、本来、コレは、ライブで見ておくべき芸であると思いつつも(できれば、等身大で見られるステージで、、、←あと10年長生きしててもムリ、、、)、かなわぬ今、映画は、劇場でみておこうと赴いた次第です。以下、長年のマイケル・ファンの方には「あたりまえちゃうん、、」みたいな話が続くとおもいますが、、、この映画、遺作ともいえるし、本人の未公認映像、、ともいえるし、また、カテゴリーとしては、「メイキングもの」となるものでしょう。非常によく、映像素材を構成して、効果的な「作品」としています。マイケルのプライヴェート録画を素材としている、、とありますが、ゆくゆくは、メイキングのドキュメンタリーも意図していたのかもしれません。素材はまさに、「メイキング」そのものであり、映画単体でみたら「メイキング」と言い切ってよいものです。が、しかし、非常に特殊な構成の作品となっています。映画は全編を通して(もちろん彼が死んだ、、ということを前提にしていますが)「世紀の本番」に向かっての期待と興奮が高まっていくものとなっています。「ヤマあり、谷あり、、しかし、ご覧のとおりのマイケルの類まれなる天才と意思と努力そして”愛”のもと、スタッフ&メンバーがそれぞれインスパイアされ、力を合わせて、最後に輝かしい本番へ!!!」ほぼ、そういう、メイキングものの王道ともいえる構成になっています。ふつうであれば、その「クレッシェンド」に身を任せていけばよい、、のが、メイキングの常です。しかし、同時に、全ての人が、彼は、そして彼らはこの「本番」を迎えることがない、、ということを知ってみなければなりません。また、「それ」、、すなわち「彼の死」は、突然訪れるものであり、演出し再構成しているとはいえ(つまり、時系列に映像が流されているわけではない)、この「本番」への全力の営み、そして、刻一刻と近づく本番への高まりの中で、「いつ」この物語が、この映画が、中断され、「終わる」のか、、、それには、何の「伏線」もない、、、のです。(映画の中では、彼の超人的なパワーや能力を見せ付けた場面を連続させたあとで、 彼の迷いや、焦りや、疲れ、、、を後半、意識的にちりばめていってはいましたが)現実の「死」の多くはそうしたものでしょう。このmixiでも、長く更新しなければ、それは単なるご無沙汰か、それとも本人はこの世に居ないのか、、、それは誰にもわかりません。。。リアルでももちろんのこと、、、よほどの天寿以外、死とは、理不尽なもの、、、したがって、主題として、生と未来を志向している場面のみで構成されながら、「死」を意識しないといけない映画、、、ですし、また、構成として、「クライマックス」または「エンディング」がどこに来るのか、、、(ハッキリ言えば、今見ている映画の場面が、映画の全編の中で、どのあたりまで来ている場面なのか、、、)が、測りかねる、、、次の場面では死んでるかもしれない、、、そんな映画、、という2つの意味で特殊な映画であろうと思います。とくに、後者については、彼が死んだショックもさめやらぬ今の時期のほぼ「リアルタイム」上映だからよいですが、何年もたってから見た場合に、かなり、映画としては特殊な印象を持つことになるかもしれません。さて、内容というか、内容の中に映しだされている、マイケルやクルーたちの「しごとぶり」「生き様」ですが、、、50歳と到底思えないダンスの切れや、全ての曲をおそらくオリジナルのキー(原調)で、またオリジナルに近いアレンジで歌っているのにも、驚かされることは言うまでもありません。あの記者会見が笑顔で開けるようになるまで、ありえないほどの研鑽を積んできたのでしょう、、、きっと、、、次に、映画の中で、「マイケルは完璧主義者だから」というようなセリフがありましたが、完璧"主義"というよりは、彼の頭の中には、歌・サウンド・歌詞そしてダンス(身体の動き)・ステージの全ての「完成型」のイメージが、完全に、像を結んでいるようです。ないし、完全に像を結ぶまで準備をして臨んでいる、、、ようです。なので、「そのイメージを、形にせずに諦める」理由が何もない、、、形にしようとするのがアタリマエごく普通にそうしている、、という気がします。像を結んでいないひと、違いがわからないひと、、にとっては、なぜ??? 何のこと???と思うのでしょうが。振付の細部や、キューについて、スタッフに提案し、監修する、、、全てをスーパーヴァイズする、天才マイケル、、、が描かれていますが、「天才」というよりも、プロフェッショナルを感じました。そして、注意深くみれば、実は、「天才、ただ一人の頭の中で生まれいずるアイデアを、凡人が形にする」のではなく、多くのスタッフからのイメージの提供ややりとりを通じて、「像」を形作り磨いていることも伺いしれます。それこそ何十年間もの共同作業なども含んでのことでしょうけども、映画では、「最後のノミをふるうマイスター」的なマイケルの姿があります。天才かもしれないけど、職人であり、親方でもありながら、顧問的でもある、、、この姿をみて、連想したのは、カラヤンでした。カラヤンも多くの面を持つ指揮者ですが、その1つとして、オペラや映像の演出を自らが行ったことでも知られています。その多くは正直、彼の傑出した音楽のセンスとは比べ物にならないほど、陳腐で通俗的でウソモノ臭い、、ものが多いのですが、しかし、その評価は別として、やはり、彼のアタマのなかでは、オペラの音楽や歌詞や台本が完璧に入っていたとともに、舞台の見え方、演技、動きの全てが、「完成型」として「像」を結んでいて、やはり、「それ」から離れたものをとりおこなうことは、ありえなかったのだろうと思います。音楽そのものに対しても、もちろん、具体的な「像」を結んでいて、それを、オケのメンバーに適確に伝え、多数のオケのメンバーに「像」を共有させたうえで、本番は、インスパイアする役に徹する、、、というやり方で、空前の効果を挙げた、まさにプロフェッショナルな人ですが、それを、「当然のように」、舞台の演出や映像にも適用したのでした。とくに映像にいたっては、たくさんのカメラで流しどりして、適宜自分自身で編集する、、というまでになってしまったようです。 (また、「口パク」で好きな角度・照明での映像だけ撮ってあてはめるとかも非常に多いですよね。)マイケルとのセンスの違い、、といってしまえばそれまでですが、やはり、マイケルの場合、かなりの「言い分」が通る、、、まさに全員が「大切にし崇拝する」存在ではあったものの、多くの経験豊富なスタッフとの共同作業であり、また、かなりな他の人のスキルが、存分に活かされたステージであったようです。 彼のキャリアをつくりあげてきた人たちや、彼のキャリアに影響を受けた人たちによる、そうした仕事は、彼のイメージを知悉しており、悪く言えば「自己模倣」もまた「延長線上」も先回りして、「型」を提供できるまでのレベルであったようです。なので、非常に「マイケルらしい」ステージであり、かつ、「これまでにない初めての興奮」も上乗せされたステージが計画されていたようです。これは、「天才一人」に自他ともに、こだわっていなかったからこそ、、、ないしは、「一人の天才」の活かし方を、自他ともに知っていた、、、ということのように思いました。そしてその上での、マイケルの「完璧主義」が、「これくらいやれば十分だろう」「もうこれ以上はできないだろう」と思うメンバーやスタッフに対して、「いや、こうすれば、もっとよくなる!」「もっと、こうデキるよ!!」というイメージと目標を与えることで、「磨き」がかかり、さらに一皮向けた舞台に向かう、、、そういう営みをこの映画は映しだしています。 (「実際」がどうだったかは知りませんが)まさに指揮者のリハさながらに、または、役者に向かう演出家さながらに、マイケルとミュージシャンやコレオグラファーとの対話がなされ、それが、音楽や動きに活かされていく様は、「リハーサル風景」であり、メイキングの面目躍如たるところがあります。 (でも、、、本番は、、、、無い、、、)そうした「営み」の過程を映し取ったものであるがゆえに、映画の中で、マイケルの「スゴさ」を如実に示す場面として使っているダンスや歌のシーンの数々も、マイケル自身にとってはあくまでも「試作品」の段階で、直したいところ、改良したいところだらけ、、の「仕事場風景」だったはずです、、、なので、本当は、「マイケルのスゴさ」を示す映像、、として受け取るのは、彼のプロ根性からすれば、不本意なのでしょう。これは、「未発表テイク集、、、」でもあるのです。(生前、録音を認めなかったチェリビダッケが、死後、ライブ録音集が大量に発売されたことも、すこし思いおこされます、、、)
2009.11.15
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アルタミラの洞窟の絵を書く「原始人」があらわれると、それが、パンして、それを描いている絵になり、、、と「マンガ」のオマージュから始まるNHKの「マンガノゲンバ」実はこの番組を見るのは初めてでした。今日は、別の番組をBShivisionで見ていたのですが、寝入ってしまって、ふと眼をさますと、中島美嘉のスタジオライブをやっていました。(水曜夜、全国ナマ中継だったらしく、気の毒なほどアガっていて(るように僕には聴こえた) 歌声も震えていたので、正直、歌唱には、没入できなかったのですが、 一方、トークでは、素の田舎で育った実年齢の感性と人柄が表れていて、 むしろ、好感度と親しみ(←勝手に親しむな!というfanの方のご批判はご容赦)を 感じました。)で、そのままぼうっとしていると始まったのが、冒頭のシーンから始まる番組でした。で、いきなり、「今日は、島本和彦スペシャル!!!!」と言っているところをみると、普段は、一人の作家を集中的に取り上げる番組ではないのかもしれません。僕は、マンガは小さいころからそれなりには親しんできましたが、そんなに、コミックファンということもなく、その時代にそれなりに人気のあったものは、読んでる、、というくらいです。(アニメはさらに疎い、、、ガンダムには完全に乗りそこなっています、、、←ガンダムで検索してくれた方、ごめんなさい。)幼稚園~小学校低学年時代に、近所の散髪屋さんで借りて読んだ「少年マガジン」に連載していた「天才バカボン」が、「読むマンガ」の最初やったかもしれません。(当時「少年サンデー」に連載されてた「仮面ライダー」はTV版と違っていて、当時の僕には理解不能な晦渋さだった記憶があります。) 小学校ですから、学校で友達に借りて、、とかまあそれなりに人並みには触れてきて、あとのピークは、大学時代。クラブのボックスやみんなでいく定食屋や研究室に転がっている、当時全盛だった「スピリッツ」や「サンデー」(←これは「うる星やつら」が、スピリッツの「めぞん一刻」と隔週で載っていたから、、という理由も大きい)を読む、、という感じでした。当時は、まあ、マンガ雑誌全盛期で、ちょうど、「少年ジャンプの発行部数が、毎日新聞を抜いた!!」という話題が、渋谷陽一のFMホットラインで語られていた!!という時代でした。今は、マンガも「みんなが読むもの」ではなくなったようですね。そんなもんなので、その時期の特定の雑誌に連載されたものは結構記憶に残っているものの(時間があったから(?)、はたまた若かったから、選り好みせずにその雑誌のマンガは全部読んでいた、、)、それ以外は大して知りません。その後は、「いしいひさいち」(これももともと研究室の「蔵書」以来ハマりまいた)は例外とすれば、「のだめカンタービレ」に至るまで「マンガ」から縁遠くなっています。そのような人間ですので、島本和彦さんという名前すら知りませんでした。番組の中で紹介された、出世作「炎の転校生」も、「吼えろペン」も存在すら知りませんでした。 題名からすぐ判るとおり、パロディ風味をベースにしたものではあるのですが、(ちょうど、「忠臣蔵」と「監三五大切」の関係みたいに)紹介されている内容からすると、「ひと(自他)」に対する冷静な観察眼(それもあえて、肯定も否定も承認も疑問視もしてみよう、、というような自在な視点)と、それを「おもしろがってやる!!」というベースが横溢している作品であり、人柄のようでした。なので、トークが(きっと倍以上の分量を編集しまくったのでしょうがそれでも)とても面白く、「達観」しつつ「熱い」(押しつけがましくない熱さ、、というか、「湧き出る」感)というおはなしがきけました。マンガ家として、自分で「これ!」と思うもの(いわく「若いころのマンガ大好きだった"自分"を納得させる」)を出し、それが、読者から支持されているのに、編集担当に理解されず「否定」され続け、落ち込む、、、そしてつい「あわせよう」としてしまう、、、(あなたの「おもしろい」は、ちっともおもしろくない、、、とまで言われたそうです)でも、それは「おもしろくない」独立自営業で、クリエイターである「マンガ家」が、まさに、問題のある組織に就職して無理解な上司の下で働かざるをえない「サラリーマン」と同じ思いをし、心や自尊心までをすり潰されるような中で、「それでも、なお」と自分を奮い立たせて、自分の視座をもって、かつ、その「逆境」をまた、自分を新たに展開させる「シチュエーション」に展開することで、「次の機会」とする、、、、という営みをされてきたということ、とても、共感できました。自らが描くキャラクターに励まされる、、、こともあったそうです。それはちょうど「夢」の分析かなにかで、自我や抑圧を意識化し、かつ解放していく、、ような作業なのかもしれません。(島本さんが、本当に心がつぶれそうなほど苦しんでいたときに、「逆境ナイン」というマンガのなかで、主人公が行き詰まり絶望し切れて暴れる、、、というシーンを書いたら、自然と主人公の家族が勢ぞろいして(←それまで作中でまったく出て来させてなかったそうです)、「判る」「そのとおり」と口ぐちに理解と共感を示したとともに、「お父さん(どこの爺ぢゃ、、みたいなキャラ)」が、「大きな目的の前には、小さな逆境にいちいちとらわれるな。そんなことしてたら時間がいくらあってもたりん。受け流せ!!」と言うシーンを書いて、とても、自分自身がその創作の1時間の間に、心がずいぶんと軽くなった、、とのことでした。僕は、そうした創作をしませんので、そうした体験はできませんが、きっと、島本さんのマンガを読んだ人は、島本さん自身がした体験と同じ作用を、心の中にできただろうと思います。とにかく、自分自身を含めて、にんげんを「客観視」して、その上で「共感する」という感じが、楽しいトークの連続のなかに浮かんできたような気がします。なんでも、この「マンガノゲンバ」のキャラクターデザインもした方だそうなのですが、そのキャラクターを2つ提供したそうで、「もともと依頼されたのは1つだけで、2つめはサービスです」とのこと、そのサービス精神の根源は何か?と聴かれると、「うーーーん、、、、自信のなさ、、、ですね」との答えにまずは、びっくり(&感心)しました。いわく、「まあ、1つじゃ自信ないけど、2つ出しときゃまあなんとかなるかな、、」冗談半分ではあるんでしょうけども、ちょっとしたトークに真理や心理、それも「カッコわるい部分」を直視したようなコメントが続いてとても面白かったです。もともと、マンガ大好きで、マンガの読者の嗜好も熟知し、その嗜好を反応させる技法や構造もコントロールできる!!という、「三谷幸喜」に似た能力とアプローチを持った人のようなのですが、三谷幸喜さん自身は、どこまでも、本当に「自分と一体化」するようなアプローチは無く、そう見えつつ、あくまでも、「演出家」である(ひと、、とのかかわりという意味です。三谷氏はもちろん脚本家ですが)のに対し、島本和彦さんは、一体になったり、離れたり、、、といった立場というか、感覚をもっておられる人のように思いました。それは「自分自身」という「ひと」に対しても。こうした僕の感想は、番組で紹介されたごくわずかな事例と、なによりも、島本和彦さん自身がいろんなことをしゃべっておられた内容や印象からのものなので、実際に、作品を読んでみようと思います。(最後に、熱心な、マンガの読者の方々や、島本和彦さんの愛読者の方々、、、「実際の作品を読みもしてない」人間が、番組に感動した、、というだけで、アレコレ書いた不明、、、お許しください。 あ、あと、「中島美嘉」で検索してくれはった方もごめんなさい。)
2009.11.06
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大阪府と橋下知事のことを書くのが続いてしまっていて、根本的には同じ問題点を抱えたことなので、もういい加減、いちいち、指摘するのが面倒になってくるのですが、橋下知事と大阪府が、伊丹空港を廃止して、そこを「新都心」にするとの「構想」だとのことです。<空港について>空港そのものに関しては、最も利便性の高いものを最優先にすることが、「関西」「近畿」のアクセス性を高めることになる=国内外に対するポテンシャルが高まることになると思いますが、そうした議論抜きに、「"民間"の航空会社は、関空を選ばず、伊丹を選ぶから、伊丹を無くしてしまえ」というのは、いかにも「役所」または、昔ながらの固定的な計画経済を信奉するバリバリの共産主義者の考えとも言えそうです。(または、供給が需要を創出するというセイの法則の信奉者?)伊丹を廃止したら、ある程度、関空の発着が増えるだろうとは思いますが、関西・近畿全体の発着は減少することでしょう。そして、関西・近畿のアクセス性が今より低下することになり、経済競争力も長期的に失われていくことと思います。もちろん、「関空が伊丹よりも利便性が高い!!」のならそうはなりませんが、"民間"は伊丹のほうが利便性が高いから、伊丹に利用が寄ったのでしょうから。。。「民間なら」が口癖で、共産主義者大嫌いの橋下知事が、なぜ、そうした発想になるのか、わかりません。100歩譲って「24時間空港だから」ということはあるでしょうが、「24時間である」ことのメリットが関空でこれまでもどれだけ活かされているでしょう?今までも「24時間の国際空港」は関西では関空だけだったのですから、すくなくとも、夜間の発着は活発だった、、、はず、、、ということになりますが、、、都市・都市圏の機能を言うのなら、この関西・近畿がどんな機能を担うのが一番効果的か?_を考えて「投資」をすべき、、、さらに100歩譲って、関空も活かす可能性を探りつつ、関西の空港の重複・ムダをなくす、、、ということならば、すべて「市場」に任せる。つまりは、伊丹も神戸も関空もどれでも自由に選ばせる。各空港も自由に競争する、、、それこそが「自由主義経済」「資本主義」の合理性追求能力を活かすことになるのでは?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・注:関西空港ができた経緯そのものは、伊丹空港の騒音問題に端を発した、空港廃止が前提であったのですが、「埋め立て工法」と「浮体工法」でモメて、また場所も大阪湾と泉州沖でモメて、、、で、「都市の分散・拡大」を選んだものだったようです。経緯だけからすれば、「伊丹を廃止しなかったから、関空が干上がってる」という言説は正しいのですし、僕もずっと「筋論」としてそう思ってきましたが(ましてや神戸空港を新設したときは空いた口が塞がりませんでしたが、、、)、今となっては、場所の問題・都市の機能配置の問題から、3空港とも「今ある空港」として捉え、「これから」どうするか、、をクールに考えるべきかと思います。また、伊丹の場所は確かに、場合によっては、「転用」が魅力的な場所かもしれません。しかし、「新都心」、、、では、次項に述べるとおり、はなはだ非現実と思います。また、橋下知事と大阪府のプロジェクトは、どれもこれも「跡地」を大量に作りすぎ、、とも思います。単なる勉強・研究の間はそれでも別に良いのですが、現実となると実際に大きな問題になると思いますし、大阪という都市をさらに衰退させかねないと懸念します。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<新都心・副都心・再開発の乱立、過剰供給の恐れ>計画経済!!といえば、大阪府や、橋下知事、そして、大阪市と平松市長は、いったい、これから、どれだけの「新都心」「副都心」を再開発しようというのでしょう。オフィス床もすでに、ダブついているうえに、大阪市は、梅田と阿倍野で大々的な再開発による大規模な床供給を行おうとして必死なのに、、、この (1)梅田 (2)阿倍野に加えて、橋下知事と大阪府(大阪市も?)が言う「構想」が本当に実現しようと思うのなら、 (3)今回の「伊丹」 (4)WTC周りのベイエリア (これは新たなアクセス整備も不可欠 & 国の合同庁舎の移転費も誰が出す?というか移転するメリットは国はゼロでは?) (5)天満橋・大手前周辺(府庁と国の合同庁舎がゴッソリ抜けるので。一応、病院は1つ移転するとしても) (6)森之宮周辺(病院が移転して、他にも府の機関を売り払うとのこと、、、 「最後の一等地」との橋下知事のご発言もあるようで。)を、同時に、再開発して、今以上のものにしないといけなくなります。まるで、WTC周りに沸いた「不良債権のウイルス」を、広くまきちらすようです。投資効果・回収期待度の低いところへの、需要を上回る供給をもたらす「投資」をさらにしようということになるように思えます。それに、 (7)りんくうタウンも、ありましたね。。。。 <都市・産業に対するビジョン、真のポテンシャルの活用>肝心の産業構造の強化、都市経営の戦略を出さずに、こうした、耳目を引くようなことばかりが前面に出てしまっていて、大阪府は(大阪市も、、、ですよね、、、)、いったいどこへ行こうとしているのでしょうか。世界中が深刻な状態のときに、「自社ビルの移転」と「そのための大量追加投資」を、株主総会でアレコレやりまくる、、、って場合じゃないような気がしますが、、、すくなくとも、橋下知事と大阪府は、 ・大阪の街を、今よりも、分散させて拡大投資をするのか?(この40年間、大阪がしてきたこと) ・それとも、集約して、有力な資産を活かして、再生させようとするのか?大きな道筋を、もう一度、冷静になって、提示すべきと思います。橋下氏を支えるブレインの方々は、なぜ、こうしたことを直言しないのか?また、20年前・30年前に失敗したのと変わらぬ、いえ、それ以上に検討の浅い「プロジェクト」をなぜ大阪府民は支持するのか? (っていうか、支持してるのか?)本当に、橋下知事の好き嫌いとか、「抵抗勢力かどうか」とかではなく、知事ご自身も含めて、ぜひ、考えていただきたいと思います。今なら、まだ間に合います。橋下知事もまだ若く経験をこれからつもうとする政治家・行政の長なのですから、、、、
2009.11.05
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大阪の街が、「同時再開発」を行うことで栄える!!という論理をもとにした、府庁WTC移転への反対は、ここ何度か続けて書いたところですが、 http://plaza.rakuten.co.jp/classical/diary/200910270000/ http://plaza.rakuten.co.jp/classical/diary/200910250000/今日、和邇吉師さんから、それ以前のオーケストラ補助金カットに対する「江戸の敵を長崎で討とうとしているのでは?」とのコメントをいただきました。それは、とても大きな誤解なのですが、ただそうしたコメントをいただいて、そういう誤解をされる方もおられるだろうな、ということ、そして、大切なことに気付いたこと、について、改めて、ここに記させていただきます。橋下知事は、ご本人は、実は、政治とくに経済についてはそれほど特別なポリシーをお持ちの方ではなく、その分、「周り」に大きく影響をうけながら、機をみるに敏な独特の感覚と運動神経(←これは悪い意味ではありません)や利害感覚で、いろいろな判断をしておられると、僕は思っています。そして、そうした「周り」が実に巧妙に誘導しているのが今回のWTCである、と思います。もちろん、もともとは素朴なご本人の悪気の無い発想だったのだろうとは思いますし、TV界出身の「ビジュアルで訴える象徴」がほしかったという純粋な気持ちであろうとも思っていますが。ですので、良きブレインを持てば、良い花も咲かせられる人だと、実際に僕は思っていて、単なる好き嫌いで意見を言ってるのではありません。ただ、現知事になるよりも前から、大阪は文化についての力が弱まってしまっていて、コレは在阪企業の多くが、大阪へ金を落とすくらいなら、東京へ、、となってしまったため、どんどん、大阪の文化への投資を削っていったためが半分、そして、「文化の受け手」を育ててなかった、、ということが半分と思っています。オケへの補助金の一方的なカット反対は、そうした文脈のなかで、むしろいかにも役人が考えそうな一時的な話題づくりのイベント(イルミネーション(しかも大阪市とダブる)や水都2009など)に傾斜してることを反対したものです。とはいえ、このことをもって「反対派」になった人間が、府庁移転も反対してる、と、続けて読むと思われるかもしれない、、ということを、和邇さんは率直に気付かせてくれました。これは、ある程度は、橋下氏の政治というか「試合」の手法によるところも大きいと思いますし、彼を選んだ「雰囲気」にもよると思います。つまりは、「キミは、橋下知事の賛成派か? それとも反対派・抵抗勢力か?」という文脈におきかえられがち、、ということです。このことは、結構、これからの冷静かつ論理的な判断を、この大阪という街や、ひいては日本国民が行っていく上で、重大な点かもしれないと思いました。このような「試合形式」は、小泉氏がとくに「効果」を挙げた手法ですが、「敵」を決めて、みんなでタタくような「試合形式」を好むところは、言論の活発化による知恵や理性のパワーの集約、、という民主主義の利点を削ぐと懸念しています。これは、古今東西ありとあらゆる政治家にとって、抗いがたい魅力を持つ甘い蜜であるとは思います。毛沢東、ポルポト、ヒトラー、W.ブッシュ(9.11以後の)など、小泉純一郎氏を挙げるまでもなく、こうした手法を効果的に使った極端な例は枚挙にいとまがありません。橋下氏はまだ若いですし、もともと、「政治家」キャラではあるので、どうか、こうした甘い蜜にひたるクセを直して、より正しい意味での政治家になっていただきたいと思います。末尾で失礼してすみませんが、和邇さんからいただいたコメントと、その返事を引用します。(和邇さんは、礼をしっかり踏まえたうえで、懸念を言っていただいているので、僕の意見に賛同いただく方も、和邇さんに対して、誤解なきようお願いします。)>和邇吉師さんクラシカさん、はじめまして。私はWTCへの府庁移転に賛成ですし、今回の流れにはとりあえず“大阪冬の陣”完了ということで十分満足しています。意地悪な見方ですが、クラシカさんは江戸の敵を長崎で討とうとしていませんか。ここで“江戸の敵”とは、もちろん交響楽団への補助金見直しのことです。私の勘違いでしたら謝ります。交響楽は西洋文化ですから、税金よりも支援者からの寄付に頼るのが筋だと私は思います。(2009.11.03 20:24:40)これに対しての僕の返事は>クラシカ和邇吉師さん率直な感想ありがとうございます。オケの腹いせでは決してありません。ただ以前の記事からそう読む方がおられることはご感想をいただいて気付きました。和邇さんが決して悪意ではないことも十分によくわかりますので、決して皮肉ではなく、お礼を申し上げます。オケの補助金のこととは比べ物にならないほど、はるかに大阪の都市の問題のことが深刻です。正直海外のオケも寄付金と補助金で成り立っており、関西の財界が立ち直ればおっしゃるとおり解決することですし、とりたてて、「オケだけ」をひいきにすべきとも思ってません。(だからといって、水都2009やイルミネーションがどれだけサステイナブルかも怪しいですし、一方、邦楽を育成してるとも思えませんが。)僕が、「WTC&大手前&森之宮 同時再開発」を前提とした「府庁移転」に反対する理由は日記に書いたとおりです。WTCやATCが並ぶ、市場が見放した場所に府庁が移ったら栄える!という論理も、現在の「天満橋界隈」以上のものがなぜできるのか?不明ですし、(そもそも国の合同庁舎が「不便なところへ金をかけて引っ越しする」理由も資本主義経済では考え難いですし)大阪の業務・商業都心の規模から言って、「同時再開発」などありえず、梅田と阿倍野がコケないようにするのでも危うい、、のが今の大阪市だと思っています。意見は相違するようですが、賛同くださらないまでも、単なる好き嫌いや「橋下氏の反対派・賛成派」という「色分け」で大阪の街を見ないで頂けるとうれしいです。とはいえ、礼を踏まえた上でのご感想ありがとうございます。(2009.11.03 21:06:32)
2009.11.03
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朝ドラといえば、何回か一度アタリはあるものの、かなりの勢いで撮り進める必要があることや、単位時間あたりの会話量が多いことなどもあってか、かなり、コケる率が高いというか、また、視聴率狙いをしてさらにコケる率が高いというか、やたら、明るくて、ポジティブ志向の「おんなのこ」が、困ってる人たちをみつけては介入していって、幸せにしていくながら、自身も成長する!!みたいなパターンか、田舎から出てきて、、、(以下同文)みたいなパターンが比較的多く、また、にんげん よりも、出来事 を描いて済ませようとする(脚本の負担が大変なので、そういうラクな方に逃げてしまうのかも)ことも多いため、登場人物がおよそ、ありえない思考や行動を示す、、、ということもおおいのですが、今回のクールで始まった、ウェルかめ、、、設定そのものが、びっくりするほど特殊ではないんですが、主人公の「にんげん」の描き方、また、周りの人間、そして、周りとの相互のかかわり方など、なかなか、よく「にんげん」を描いているドラマのようです。主人公は、文字通り、成長していく過程の、社会に出たばっかりの「おんなのこ」ではあるのですが、若さゆえの、未経験ゆえの、まっすぐさとともに、肝心なものが見えていない、また見えていないゆえの残酷さ、不寛容さ、偏狭さ、、、、などもかなりストレートに描かれています。といって、それは、人間の悪さ、、、とかではなく、まさに、成長していく過程の「成長しろ」であって、「ありえない」ようなものでなく、むしろ、皆若いころは、そして、若くなくなっても、ときおり、人間の核のところで疼く、、、そんな部分を上手に描いています。きっと同年代の同じ「若さ」を生きている人たちがみたら、自分の恥部をみせつけられるような不快感さえもつのでは、、、と思うほど、ある意味「突き離した」脚本と演出になっています。本当の意味での相手の受容・興味・理解、、、すなわち「愛」なのかもしれません。(男女にもちろん限りません。)が、その意味では、やさしいかもしれないが「愛」を知らない「おんなのこ」の状態から主人公をスタートさせています。人格そのものが未発達、、、、これは、数々の「成長物語」を描いているかにみえる朝ドラにして、実は、あまりそうではない(例外は、「ちりとてちん」と「ファイト!」くらいか、、でも「ファイト」はかなりすでに完成された人格でした、、、)ことを改めて思い起こしました。そしてまた、「仕事」「社会人として」「プロフェッショナルとして」という視点でも、主人公に対し、あたたかくも辛らつな言葉を、上司が投げかける場面が多くあるのですが、それは、単なるイジメでもなければ、「実は良い人」の伏線でもなく、実際、単なる自己承認要求や、固定された興味や、自分だけの順位付け、、、などから陥る、「眼の前で実際に起こっていること」「実際に眼の前に存在している者・物」への正しい興味と理解の欠落 (アレは関係ないもん、とか、あんなのは私のスルことじゃない、、とか)を、シナリオの中で実際に主人公が行って、それを戒める、、という場面だったりしていて、「成長」や「生き方」という面からみても、とても共感できる内容になってます。もしかしたら、「学習塾の優等生タイプ(=絶対者からの評価と、他者への相対的優位に自分のアイデンティティを預けてる人たち)」などには(主人公はそれとは違うけど)、耳の痛いハナシもおおいかもしれませんが、きっとそういうタイプは自分とは重ね合わさないので気付かないでしょう。友人も、また、ちょっと協調性の無い友人が、辛らつな言葉を投げかけるのが、これまたなんの悪意もなく、図星であることが多く、それがまたドラマを進めていくのもよくできています。これらが、しかも、ユーモラスで、おかしみを常にたたえていて、深刻だったり、愁嘆場であったりはまったくせず、ノリ的には「ちゅらさん」的なノリで展開するようになってるという、非常に秀逸な脚本と演出がなされています。なにぶん、脚本も書きながら、撮影を進め、放映もしている、、という番組ですから、今後どうなるかは保証の限りではありませんが、かなり、見ごたえのある、かつ、朝にサラっとみても重たくならない(僕は毎日録画して帰宅後、15分みるのを楽しみにしてますが)、面白いドラマになっています。主人公は新人で、顔立ちやスタイルだけでいえば、「かわいい系」なんですが、これまた、役者としてよく演技しておられると思います。また、よい作品に出られてよかった、、とも思います。相乗効果、、ですね。室井滋が上司なんですが、これまた、良い味を出しています。脚本をもらって、文字で読んで、、、それを、どんな過程を経て、あんな「役」を自らの中に立ち上げて、形にするのか、、、と考えると、やはり、一流の役者ってすごいなあ、、、と思います。
2009.11.03
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今日は、京都まで、プレヴィンがNHK交響楽団を連れて、モーツァルトをやってくれるというので、行ってきました。例によって、チケットは6月頃から発売されてたらしいのですが、気付いたのは9月、、、なので、残った席から選ばざるをえませんでしたが、残っていただけありがたかったです。京都コンサートホールは気付くと、大分、ひさしぶりでした。10年近いかな、、、前、コープマンがやはりモーツァルトのレクィエムを演奏したのを聴いて以来かも。席は、このところの兵庫県立芸術センターの1階席の後ろのほうで聴いて、横からの雑音がヒドすぎるのに辟易してるので、避けた結果、舞台に向かって右手のソデの席の2階という、ティンパニの後ろあたりの席です。もっとも前から3列目なので、眼の前がティンパニということはなく、それなりに全体が見渡せますが。実際にホールに行ってみると、兵庫県立とちがって、両サイドの席は、1階席ではなく2階席にしているので、たぶん、1階席にありとあらゆる雑音が集まる、、、というようなことはなさそうです。考えたら、レクィエムのときも、大丈夫やったもんなあ、、、、そんな席なので、音としてかならずしも有利、、とはいえませんが、ちょっとだけ、オケの団員の気分とまでは言わないまでも、舞台上の音、、、が聴けました。また、心配した、トランペットやティンパニなどの音が、客席の最後部に反射して、「こだま」になるようなこともなく(サントリーホールは、コレが起こります、、、)、快適に聴くことができました。なにより、プレヴィンの指揮がすべて見えます。表情も、見えるので、たとえば、ハイドンっぽく、ホルンを強奏するところで、ちょっと、いたずらっこっぽくほほえんだり、また、とにかく、ムダな動きがないのが、みてとれます。(といっても、やっぱり、聴くのなら、ふつうの席がいいかな、、、)80歳を超えたというのに、テンポが弛緩することもなく、、、というか、ところどころ、オケが実際に弾いているよりも、もうちょっと、速めにしたそうにしてたように思える部分もありました。さすがに、若いころのプレヴィンだったら、乱れなかっただろうな、、、と思うような部分もあるにはあり、また、ちょっとだけ「お見合い」してしまうようなところも、立ちあがりのところではあったようにも思いましたが、さすが、N響!!全体に、とても機敏に、また、まるで「ひとつの生き物」のように、音楽の織物をつづっていきました。音色やフレージングのことは、また後でも触れますが、とにかく、自然、、、で美しい、、です。これは、それくらいに、綿密にイメージが共有されて、全員が、そのイメージに沿った演奏を(音量もアーティッキュレーションも)神経を研ぎ澄まして、万全のコントロールを以て、行ってはじめて実現するものです。 「ただ自然体」とかでは、もちろん、ダメなことは、小学校の音楽の時間の「合唱」を思い出していただけるだけでも、、、また、みなさんの職場で、ただガンバル、、だけしか指示ができない「上司」などを思い浮かべていただければ事足りることでしょう。あと、音楽のつくりの特徴として、フレーズのかたまり、、、、「段落」を意識して、オケに伝えていたようです。もちろん、「区切り」のみならず、その「かたまり」の中での「放物線」というか「アーチ」というか、「息」というか、そんなもの。。。。そして、それらが、また、見事に音になっていくのです。そして、それらが、相互に、紡ぎ合って、また、大きな単位の音楽になっていきます。モーツァルトだけのプログラム、、、といえば、どちらかといえば、やや、地味で瀟洒でオシャレ、、、みたいなイメージになりがちですが、そして、演奏が決して、感情表現を激しくしたようなものでも、「ロマンティック」なものでもなかったにもかかわらず、3曲聴いたら、「おなかいっぱい」な感覚に満たされました。そして、個人的には、「モーツァルトのオペラ」を聴いたような感覚にもとらわれました。これは、フレーズ、「息」そうしたものが、またそれぞれに交わし合い、つみあがっていき、流れていく、、、ということが、まさにオペラであるからかもしれませんし、交響曲の作曲家としてよりもまず、モーツァルトは、オペラの作曲家であり、生粋の「劇場人」であったことを、明らかにもしてくれる演奏であったようにも思いました。とにかく、これほどのモーツァルトの演奏が、関西で、、日本のオケで聴かせてもらえるとは、夢にも思いませんでした。本当に、ありがたいことです。さて、このプレヴィン、ジャズ・ピアニストとしても、というか、ジャズ界ではフツウにジャズピアニストとして認識されており(ただしここ40年ほどは主にクラシックで活躍しているので、「往年の」という感じではあるけども)、また、同じく若いころは、名アレンジャーとして、映画音楽も手掛け、あの、マイフェアレディの映画も、プレヴィンのアレンジ、、、そして、クラシックの作曲家としても、数々の歌曲や協奏曲に、オペラも2曲、、という、文字通り「マルチタレント」な指揮者ですが、クラシックの指揮者としては、若いころは、「中庸な」指揮者というイメージがあったのも事実です。今聴き返してみると、どうも、プレヴィンが主に録音していたEMIレーベルの録音の性格にもよるところが大きいようです(フォーカスの甘い、かつ、やや歪みの多い音質を、残響でボカしたような録音・・もしかしたら、4チャンネル録音とかのせいかもしれませんが)。ただ、たしかに、特別に速い演奏とか、遅い演奏とか、また、急に、ド演歌っぽく、テンポを変えたり、オケのバランスを崩壊させることで「ド迫力」を演出したり、、、というようなことは一切しない人なので、録音がたとえばフルトヴェングラーのもの並みに悪かったり、ラジオから、、、聴いたりする場合には、「特徴が無い」ように聴こえるのもムリのないことかもしれません。指揮者は、自分で楽器を鳴らすわけではなく、また、いつも同じオケで演奏するワケでもないので、「この人のみの音色」というものは、なかなか、出すのが難しいものです。そういうことをムリヤリしようと思えば、一流のプロの楽器奏者のそれぞれに、それまでと違った演奏方法をさせて、かつ水準を「それまでの自分のやり方」と同レベル以上にしないと、ひきあわない、、、というワケです。しかし、このアンドレ・プレヴィン、、、、先の古い録音は正直、かなりの「脳内復元」を要しますが、ある程度の条件で聴くと、たとえば、BSのTVで聴く、N響のライブなどでも、明らかに、オケの音色が、他の指揮者と異なります。ちなみにふつうに日本で暮らしてると、世界中と日本中のオケの中で、N響ほど、聴く機会に恵まれたオケはありません。すべての定期演奏会を放送してくれますから。。。そして、すべての定期演奏会が聴ける、、ということは、1つのオケが、ありとあらゆる指揮者によっと指揮される音楽を聴く機会になる、、、、ということになります。ちなみに、N響といえば、もう何十年も前から、日本のオケの中で見渡せば、図抜けて巧いオケではありましたが、放送で聴くと、これももしかしたら、録音のせいもあるのでしょうが、どうも大柄で、響きに艶がなく、表情が硬い、、、というイメージが長いことあった気がします。これはどの指揮者が振っても、、、、もちろん、ナマで聴いたら、当時でもスゴかったので、当時がダメやった、、、とかではないのですが、、、それが、「テレビで聴いても判る」ほど、、、というのは、このプレヴィンと、他には、デュトワくらいでしょうか。もっとも、デュトワが音楽監督を務めたくらいの頃以降は、N響は、これまた録音技術の進歩のせいもあるのかもしれませんが、TVやFMで聴いても、もう、「日本のオケ」といちいち思わなくてもいいほどの技量と音色を獲得してきたようには思います。それでも、やっぱり、さっと聴いて、明らかに「音色」が違う、、というのは、この二人が群を抜いているように思います。プレヴィンの音色は、とにかく、艶やかで(極彩色という意味ではない)、必要な肌理を、音楽の表情にあわせて、都度都度、選んでいく、、というような「パレット」の豊富さと適確さがあるように思います。また、音の形や、音量の変化、、、もちろん、それらは、複数のパートが動きながらおこるので、その相互のバランス(音色・和音)も保たれないといけないのですが、それらが、まったく、アタリマエのように行われる、、、という安心感・安定感があります。安心感・安定感といっても、それは、音楽が退屈とかいう意味ではなく、むしろ、音楽に没入するために、「演奏家の事情」や「難易度」はたまた「労働条件、、、」などの「いたわり」を考えずに聴ける、、、ということでもあります。しかし、これらが行えるオケというのは、やはり、相当の技量を備えていないといけませんし、また、それだけでなく、「言われたことと、言われたとおりにヤル」という「学習塾の優等生」みたいなのではダメで、「イメージを具体的に共有し、その実現について、具体的な方策をとれる」というプロフェッショナルな集団である必要があります。日本のオケは、ほとんどクラシックを聴かない人たちからも「技術的には一流かもしれないが、自発的な音楽がつくれない」というイメージで語られたり、とくにN響などは、バックがNHKで東京の老舗ということもあって、ちょうど、橋下知事が「民間と違って、、、、」みたいなことを「公務員」について語るのと同じようなことを言われたりすることがありますが、実際には、技量そのものが以前は、世界レベルとはハッキリありましたし、ここ十数年の国内外のオケのレベルの向上は、すごいものがあり、かつ、それらはハッキリとプロとしての演奏能力(もちろん「自発的な」演奏も含む)に現れてきているように思います。ちなみに、オケの自発性、、、というもの、、、これは仕事のチームにもある程度あてはまりますが、、要は、各自が、それぞれ、自分のベストと思うことをやっていては、崩壊する、、、ということになります。各々の「色」を見せるところはもちろんいろいろありますが、あくまでも、「全体でひとつの大きな音楽」をつくっていくことが、オケの使命です。そして、その「ひとつの大きな音楽」をいかに、しっかりと、大勢が共有できて、かつ力が発揮できるような具体的イメージを、指揮者が持って、かつ、それを、具体的に伝えることができるか、、、、、それが、優れた指揮者としての不可欠かつ絶対条件になります。(ちなみに、オケに好かれる指揮者は、世界中決まっていて、「練習時間の短い指揮者」です、、、これは労働時間が短い、、、というだけではなく、ダメ出しが少ないということでもあります。ダメ出し=一流の音楽家たるオケの奏者がベストと思って行った仕事を否定し変更を迫る、、、ということですから、、、、)今日のプレヴィンとN響の演奏は、両者が、そうしたプロとしての最良の仕事をした、、、ということが、音からしっかりと伝わってくる演奏でした。これほどのモーツァルトが演奏できるコンビは、世界中でも、正直、そうは無い、、、と本当に思います。これはもちろん、最近は、いわゆるピリオド奏法が主流になりつつある、、、、という事情もありますが。そう考えると、本当に、貴重な、稀有の機会に恵まれた、、、と改めて思います。
2009.10.31
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やはり、大阪府庁の移転は否決したものの、12月に破綻が確定する大阪市のWTCを「救う」ために、府庁が購入する、という案が通ったようです。結局、なしくずしに、「移転」はするのでしょうが、これで、大阪は、これまでよりも一層、「エエカゲンで楽観的な夢物語」を前提とした、ムダな投資と、機会・資源の喪失、、、の歴史をくりかえすことになってしまうのでしょうか?大改革や大議論のイメージがありますが、橋下知事率いる大阪府は、低迷する大阪の産業政策について、これといった提案はされず、一過性のイベントと、WTCへの府庁移転を含む土建系(特に根拠のない大手前・森ノ宮そしてベイエリアの再開発計画も含めて)に終始している気がします。WTCは財界の求めに応じた不良債権のもみ消し、、とも言えるでしょう。周りにも不良債権だらけ、、、という場所ですから、、、WTC周辺は。これまでの、大阪府や大阪市が、バブル期や高度成長期から繰り返してきた、数々の「プロジェクト」「構想」のようなものも、「当時」は、財界も企業もみんな期待して、賛成してきたものでした。きっと、「当時」でも冷静に考えれば、各プロジェクト、1箇所だけずつなら成り立つかもしれないが、国内や世界の需要が何倍にもなりつづけないかぎり、市内・府内・国内の無数のプロジェクトが乱立して共倒れになる、、、ということは、予想できたはずなのですが、それがまた「バブル」たるゆえんなのでしょうけども。しかし、今回の、湾岸や、大手前地区や、またもしかしたら、森ノ宮地区の「構想」は、それらよりもはるかに即席なものだし、そもそも、梅田や難波や阿倍野でも再開発しまくっていて、かつまだ衛星都市でもいろんな再開発を進めまくってるなかで、ホンマに成り立つんかいな、、、という危惧を抱かざるをえません。バブルの教訓や、楽天的なプロジェクトの教訓はどう活かされるのでしょう、、、今日、大阪府議会は、誰からみてもわかりにくい結論を出したわけですが、その「わかりにくさ」から推測するに、ここに至るには、賛否どちらの人たちも、きっと、苦渋に満ちた選択をしたことだろうとも思います。正直、小泉首相の郵政選挙や、それを真似た堺市長選挙(何の政治実績もない、これまでの府庁をつくってきた古手のお役人でも、橋下知事が推薦したら、現職をボロボロに打ち負かしてしまう!!)を目の当たりにして、賛成派にせよ、反対派にせよ、本当に、自由で、活発な意見が出せる場ではなくなってしまっているのではないか、、、そう心配してしまうような雰囲気の中で、「なんとも、わかりにくい結論」=「橋下知事にハッキリ反対した形にしたくない…結論」になったのではないか、と想像しています。この「わかりにくい結論」について、興味深いのは、ネット上での個人ブログもざっとみても、このオカシナ結論を、オカシイと言っている方々が多いのですが、その批判の矛先は、橋下知事の政治的な圧力には向かずに、議会・議員に向いている、、、ということでしょう。こと、ここに至ったら、大阪府議会の議員の方々には、実際に、この予算を使う12月までに、本当に、イメージではなく、また、「こころいき」だけではなく、大阪のためによいことなのかどうか?を、政治のプロとして(行政のほうは、よくもわるくも知事の命令でどんな答えでも出すでしょうから)本気で、命がけで、考えて、それでも、おかしい、、、と思ったら、今、賛成している人たちも含めて、予算の執行に反対をしていただきたい、、、と思います。本当は、それは、行政の仕事、つまりは、知事やお役人の仕事だとも思いますが、お役人たちは、イエスマンの集団になってしまっているようですので。最低限絶対に、ちゃんと検討しておくべきことは、 (府庁舎の安全とか、利便性とかも、、ですけども) ・湾岸地域に対する再投資(誰が、何を意図して、どれだけ) ・大手前地区に対する再投資( 同上 ) そして、もしかしたら、 ・森ノ宮地区に対する再投資(・・・成人病センターを移転して、、、って言ってるようなので)について、「思惑」や「期待」にとどまらない、責任ある判断と、そのための正確な分析が、絶対に必要だと思います。それが「最低限」であって、そこまでしても、「計画的に」はなかなかいかないのが「都市開発」だと思うので。今回は、「大阪府庁のお役人の職場が不便になるかどうか」というような、ちっぽけなハナシではない、、、、と僕は思っています。もちろん、それとともに、「イジメ・タタキ」を”される側”になりたくなかったら”する側”回るように、、、という「圧力」が有効になるような社会風潮が助長されている、、、ということも、気がかりなのですが、、、、単なるイメージなので、以下、一部、失礼な表現があるのはお許しいただきたいのですが、テレビドラマ的イメージのレベルでいえば、「議会・議員」といえば、ともすれば、守旧で保守で利益誘導、、、的なイメージが正直ある気がしますが、実際には、結局は、有権者や市民・府民・国民が、議会・議員に何を期待するのか?その期待を映す鏡だと思います。有権者が、目先や理不尽な利益誘導を求めるならば、そうした議員さんが力を持ち、そうでない人が落ちてしまう、、、イメージで選ぶなら、イメージ戦略に熱心なやり方の人たちだけが通る、、、で、正直、今は、鏡の側ががんばらないと、イメージや好き嫌い、、、で、流されそうな時代になっている、、、のだと思います。つまりは、「守旧で保守で利益誘導」的なイメージを貼られてきた議会・議員側が、逆に、有権者達に、あるべき姿を示すべき時だと思います。本当の意味での議会制民主主義の大切さを理解する有権者を育て、その有権者からこそ選ばれる議員、、になるために、、、それにしても、「タタく側についておかないと、タタかれるよ、、、、」という圧力で、議会の議員先生たちですら、意見がいえなくなる社会、、、「戦前」を笑ったり、批判したりできなくなりました。もちろん、有権者の僕らも、、、いえ、「今」の僕らこそが、、、、後世の子供たちからこう言われることをイメージしながら、日々を生きる必要があるようです。・・なぜ、あのとき、あなたがたは、何も言わなかったのか? なぜ、おかしいなら反対しなかったのか? 見て見ぬふりをしたのか???と、、、
2009.10.27
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<はじめに・・・大阪の「衰退」の完成へ、、、>記事1本目から、今のところは、人気者の方のなさることに反対するのは気がひけるのですが、、、、、大阪府が、WTC(大阪ワールドトレードセンター)ビルの購入を決めるようですね。別に、大阪府という役所に勤める役人の通いやすさ、、、とかだけなら、正直、大阪府自身の予算や効率が悪化しないのなら、どこに行っても仕方ない、、とは思いますが、、、、しかし、、、<大阪衰退のダメ押し>大阪という街が、さらに解体して衰退するような道を、議会自らが選んでしまったようです。まあ、大阪市やWTCのプロジェクトを支えて進めてきた財界や金融界の方々は、目先のオカネだけしか考えないようになってしまってるので、大喜びでしょうが、、、なにせ、あのビル(周りのビルもだが、、、、)市場価値は全然、、、、ってとこですから。。。。共産主義万歳!!!って感じなのかもしれません。。。<絵に描いた思惑のでっち上げ、、、、失敗の伝統>共産党ぎらいの橋下知事が、共産主義そのものというか失敗した計画経済を礼賛するような行動をとるのもおもしろいといえばおもしろいです。公的資金で、民も含めた経営の失敗(銀行は自らの判断で金を貸したり信託を受けたはず)を救済し、かつ、「需要を計画的に作る!!」ことを前提とした、夢のプロジェクトを立ち上げてるのですから、、、、。「若き、型破りの改革派知事」が、結局は、昔ながらの、「希望的観測だらけの副都心構想」をやっぱりでっちあげることにより、過去に投資した人たち(不良債権化して、借金を少しは返してもらいたかったりする人たち)や、土建工事をしてほしい人たちの御意向を活かしてるだけ、、という、結局、「これまでの大阪府知事」と同様の路線を、より強力に走ってるだけ、、、という気がします。<大阪の衰退の悪循環・・・拡大・分散プロジェクトの幻想>大阪というまちは、これまでも、「東京になろう!!!」ととくにお役人や財界のお偉方が、「プロジェクト」を立ち上げて、「分散して拡大しよう!!!」として、そのたびにコケ続けてきた歴史があります。要は、梅田や難波を、もっと拡大しよう!!!として、そのたびに、、、古くは、これはやむなくでしょうが、、、新幹線を、梅田から離れた「新大阪」に通し、その北方を、ニュータウンにしたこと(千里そのものは住宅地としては成功しましたが、、、)。そして、ほとんど、快速停車駅を全部、副都心!!にするかのような「再開発」の乱立と、失敗の数々、、、、極めつけは、「関西空港」です。。。都心である大阪市内ですら、主なオフィス・商業床は、御堂筋のラインから数ブロックの範囲が、際立っていて、松下(現パナソニック)の総力を挙げた、OBP(大阪ビジネスパーク!!)でも、都心そのものにもかかわらず結構なユルさです、、、、あ、もちろん、大阪市が総力を注いできた、ウォーターフロント(湾岸)の埋め立て・開発は、今回のWTC(大阪ワールドトレードセンター)に限らず、大コケもいいところです。テクノポートとか言ってたようですが。今回の湾岸の「夢」などは、このときの「計画」よりもまだ、杜撰で急ごしらえで、財界そのものもノリ気ではないのに、、、、<都市軸・都市の集積の解体>そうした業務・商業の核・軸とは別に、淀屋橋~天満橋のあたりは、いわゆる官衙(かんが)として、市役所そして、府庁と法務局を含む国の機関が集積していて、それなりなまとまりをかろうじて保ってきたところです。この「都市の集積」を解体することになる、、、、のが、今回のWTC府庁移転の最悪の「効果」になるでしょう。<2つの絵空事、、、、現大阪府庁周辺と、湾岸(ウォーターフロント)地区>今の府庁の周りも、当然のことながら大阪市内全体と同様、いえそれ以上に、オフィス床需要はダブつき気味で、最近建つのは超高層マンションばかり、、、長年ののれんを保ってきた「松坂屋」も数年前に業績が悪いまま改善もできず、閉店してしまいました。あくまでも、官庁街としての軸を保ってきたのであって、それが、今以上のオフィス需要や商業には結びつかないのは、現実がはっきりと証明しています。府庁や国の機関があつまっていても、商業・経済活動としての拠点や誘因になるわけではなく、あくまでも、それそのものの機能である、、、ということは、あまり議論の余地のないところでしょう。そんな「府庁」が移転したら、なぜ、突然、「湾岸」がアジアの経済・貿易拠点になるのか、お役人の考える絵空事は、いつも無責任です。今回は、超人気知事のアイデア!!ということになってますけども。。。。。ただ、WTCの周りには、他にもハナシにならないほどの「不良債権」が清算もせずに、いっぱいありますから、それらは、少し値上がりする、、、ので、いわば、昔、甘い見込みでお金を投資した人たちの大借金、、、を、少し救済することにはなるでしょう。なので、いわゆる「経済界」が、実際にはなんの投資もこれから約束してないけど、やたらと、「橋下知事主導による、府庁移転」に大賛成のリップサービスしてる事情はよくわかります。 古い、大阪府や市のお役所と財界のつながりそのまま、、、って気が、、、、そういう利害を主張する人たちが悪いわけではないのですが、そんな、もっとも古臭くて、正直、自らの経営判断ミスのしりぬぐいを税金でしてもらおう、、、というハナシが、なぜか、「若い、意欲に満ちた型破りの改革派知事」という「ワシらの味方!!」というイメージの人の下で行われているのが、皮肉といえば皮肉です。。。要は、世の中、「好き嫌い」ということかもしれませんし、大阪の人たちは、結局、大阪の街なんて、実際、もうどうしようもない、、と諦めてるのでしょうか、、、、もちろん、今の府庁の「跡地」なんて、今でも周辺のオフィス需要がさほどでもないところですので、格安で売って、高層マンションにでもしていただくしかなさそうです。一部、府立の病院を持ってきて(なんとか法人になってるのでしょうが)も、それはいわば「自家消費」ですしね。。。また、病院跡地が空くだけで、、、そうすると、「絵空事」は、2つじゃなくって、3つ要ることになりますね。。。。。<「誰」が、本気で、これからの大阪の街のことを考えるのか???>郵政民営化でもそうですが、世の中、「タタく側」になってしまって、人気者になったら、本来、損する側までの応援を受けて、「反対派」をワルモノにしてしまえる、、、、という風潮、、、なんとかならんもんでしょうか。大阪の今後が、本当に心配です。PS 府庁はまだ移転がきまったわけではないですが、「買う」ことにはなるそうです。また、本当にWTCに、今の大阪府のお役所がみんなスッポリ納まるのかどうか知りませんが、スッポリ納まるかのようなイメージがあるほどにデカい建物だそうなので、「ビルは買うけど(大阪市をはじめとする会社の破産の債務を、府の税金で肩代わりする)、移転しない、、、」なんてありえないですもんね。。。。大阪府議会議員の先生達も、いろいろと、恐怖心も感じて、なびいておられるのかもしれませんが、そんなにも弱い立場の人たちなんでしょうか。。。。そもそも、お役人の「経営陣」は、上に書いたようなことを、経済・行政のプロとして、一体、どう考えて、どう知事なり、みんなと議論して、説明してるのか、、、、とは思いますが、、、、こんなでは、「戦前の旧日本軍」とか「ダイエー、三越、そごう などのワンマン独善経営」の批判とか全然できないことでしょう、、、、
2009.10.25
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台風が久々に来襲しそうです。といっても、大阪湾に最悪のコースではないそうですが。こんな大荒れの天気のときって、例のWTCの周りってどんな状況なのか、世間では知られているんでしょうか。。。大阪の人たちは、あんまり、本気では大阪の街をよくしよう、、と思う人が少ないのか、諦めがよいのか、わかりませんが、大阪府庁のWTC移転問題でも、「大阪府のお役人の職場の問題」くらいにしかおもってなくて、そのお役人は、基本的に、「やっつけるべき相手」というように、橋下知事が「教えてくれて」いる相手の1つですから、みんなそれに喝采している、、、(喝采しないヤツは「お役人の仲間」扱い)という感じですが、 (橋下知事の手法は、TV流というか、小泉流というか、 そのときどきで「みんなでやっつけたいワルモノ」を指定して、 それをタタく(ワルモノはかならず自分よりは弱い相手) というやり方をしておられるので、 「タタく側」にならないヤツは、「ワルモノ側」のレッテルを貼る、、、 という、ちょうど、「イジメ」社会には、かなり有効なのだろうとは思います。)大阪の街をさらに衰退させる、かなりアブナイ「一手」になる気がします。要は、価値が無いので、大赤字になってしまった不良債権に、大量の税金をつぎ込んで、ただ、つぎ込む、、というかたちはとれないから、価値の無い場所に、役所を移転させる、、、というだけのことですので。もちろん、役所が移転しただけで、なにか、経済センターができることはありえないことは、今の天満橋界隈が、特別栄えてなくって、まだサラ地すらある、、ということからも、明らかだと思います。大阪という街は、オフィスやテナントの賃料からも明らかなとおり、梅田から難波までの都心中の都心と、淀屋橋から天満橋までの官庁中心の2つがかろうじて、都市の中心として成立していて、あとは、分散による拡大を図っては衰退する、、、という歴史でした。新大阪駅にはじまり、関西新空港、それに、WTCにATCなどの湾岸、泉佐野や岸和田の「コスモポリス」、東大阪や堺の「副都心構想」など、、、オフィス床のダブつきや、ここ数年限定のマンションラッシュの急速な冷え込み、、をみても明らかです。なのに、サラ地が目立つ森ノ宮界隈を再開発!!したり、官庁中心を崩して分散させて、大阪城の前の土地をマンション屋さんに売ったり、(森ノ宮青少年会館跡地と同じく、マンション屋さんくらいしか買わないから、、それも今後や怪しいけど)そんなことして、大阪の街が衰退するのは目に見えているのに、お役人がまた「バラ色の再開発の絵」を書いて、それをもとに、府庁をWTCの不良債権処理に使おうとしている、、、ことに対して、反対どころか、「お役人たちをやっつける、橋下劇場!!」と喜んでいる、、のが、今の大阪の人たちなのでしょうか?まあ、「どうでもいい」「どうにもならん」、「どうなっても一緒」という諦めと責任放棄があるのかもしれません。そんなですから、たとえば、今日見たいな台風の日に、湾岸がどんな状態になってしまってるのか???など、興味も持たないんでしょうね。。。。大阪市も、関西の財界も、WTCで大失敗して、その借金の肩代わりをしてもらいたい!!のが「悲願」ですから、(なので、当然、本気で、湾岸地域に今以上に「投資」をする気などない)自らが推した橋下知事を使って、大阪府の税金で、自らのWTCや湾岸開発の失敗をもみ消してくれることを、心から祈っているのは、よくわかります。皮肉なのは、「お役所の論理」を否定し、改革を唱えているかのようなイメージの橋下知事が、実際には、これまでの、古手の政治家とまったく同じ、「再開発」を唱えて、「バラ色のお役人のプラン」を書かせて、財界のご機嫌をとってる、、、ということでしょう。大阪という街は、もうダメかもしれません。とりあえず、台風のさなかの、WTCをTV中継するようなTV局はないもんでしょうか?そんなことしたら、スポンサーがつかないかもしれませんね。。。(府庁のお役人が勤務できないようになる、、、くらいのことは、大阪市の都心を解体してさらに空洞化する、、、、ということの重大さに比べたら、確かに小さいことなので、都心解体を承知で、移転を推してる人にとっては、確かに、さらにどうでもいいことではある、、、のは仕方ないですけども)経営判断をミスしても責任とらない、、、のは、お役所、、に限らないのかもしれません。
2009.10.07
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指揮者の若杉弘さんがなくなりました。初めて氏のお名前を聞いたのは、まだクラシックを聞き始めて間もない頃、音楽ではなく、NHKの普通のニュースのなかで、「日本人指揮者が、ライン・ドイツ・オペラの音楽監督に就任!!」というものを通してでした。今となっては、「日本人指揮者」という肩書きも、さほど必要としなくなってきたほど、もうあちこちで、いろんな人が活躍するようになり、あのウィーンのシュターツオパーの音楽監督に、小澤征爾が就任してたほどですが、当時としては、「とうとう、日本人指揮者もここまで!!」という感じでした。とはいえ、当時すでに小澤征爾がボストンシンフォニーの監督なって10年くらいたってた時期だったはずですが、本家ヨーロッパのオペラハウスの監督というものは別格のとりあげられかたでした。それからほどなく、氏が当時、音楽監督をやっていたケルン放送交響楽団(今もWDR交響楽団)の初来日を率いてのコンサートが、かなり大々的にFMで特集され生中継もされました。 (「大々的にFMで」という感じは、今の若い方には全く想像つかないでしょうが)FM雑誌でも来日前のインタビューも掲載され、本当に、新進気鋭の実力派として、頼もしく登場したのでした。来日公演で放送されたのは、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(独奏はコンサートマスターだったウルフ・ヘルシャー)、それに別の日かもしれませんが、マーラーの5番などだったと思います。ただ、じつは、これらには、僕は強い印象を持ちませんでした。FMのことですし、僕自身、これらの曲そのものもさほど知らなかった時期(とくにマーラー)でもありますし、なにより、「鳴り物入り」で登場したコンビ!!としては、よほどのあざとい特徴でもなかったら、当時の僕は、「!!」とは思えなかったのかもしれません。その後、一時的に、ドレスデンのシュターツカペレを振って、マーラーの1番をSONY(当時のCBS?)で録音したりして(音楽監督に近い地位にひところあったのかも)、やはり、小澤とはまた違った角度からの、華々しい「日本を代表する」指揮者としての地位を確立しながら、特に、活動としては、このところは石原知事から攻撃されまくってますが、東京都交響楽団の音楽監督として、マーラーの交響曲全曲演奏会を行ない、ライブ録音も発売したことは、その楽譜の検討・選択から、演奏の質まで、日本の音楽界にとって、画期的なことでした。現代音楽にも特に理解が深く、その紹介者としても実績を多く積まれた方のようでしたが、僕自身が、「現代音楽」に疎いので、その内容については、印象でしかありません。氏の音楽は、特別に、形容詞で語れるような、単純な特徴は余り無いように思えます。緻密で、きっちりとしている、、くらいかも。その分、オケの技量がハッキリと演奏解釈の印象に出てしまうのかもしれません。そんなわけで、ずっと「気になる存在」であった氏ではあるものの、好んで、その演奏会を選んで行く、、、ということはありませんでした。それでも、結果的にというか、意外と、何度か氏のナマ演奏に触れることができました。ただ、思い返せば、技量のしっかりした一流オケではなかった、、、のですが。初めて聴いたのは、もう20年以上前、、京都市交響楽団が、それまでの歴代の音楽監督を招いて順番に定期演奏会を行うというシリーズをしたことがあって、氏の回では、ブルックナーの8番だったので、この曲をナマで聴きたい!!ということもあって行ったものでした。会場は、全く響かないことで有名な(今はクラシックに使われることはほぼ無い)京都会館第一ホール。当時の京都市交響楽団のホームでした。その2階席でした。とにかく、音がこじんまりとしていて、前へ音が飛んでこない、、、という印象でした。今は大分違ってるのでしょうが、当時の京都市交響楽団は、確かに、全然ならない田舎のオケ、、、ではありましたから、ブルックナーの8番を、京都会館でやるのは任が重かったのかもしれません。しかし、ありえないことですが、この時点でのこのオケを、朝比奈隆が振っていたら、おそらくは、金管楽器が、それぞれの楽器のバランスが崩れて、和音が乱れようとも、フォルティッシモでは、「それぞれ、出せるだけ出す!!」みたいな絶叫が聴かれたことかもしれません。つまりは、若杉弘は、今にして思えば当然なのでしょうが、オケの技量を見極め、その中で、再現しようとしている音楽の形が損なわれないようなバランスを選びながら、慎重に音楽をつくっていったのでした。ご存知のとおり、ブルックナーの8番は、これまた、「カトリックの敬虔な精神性やオルガンの響き」、、、とか言おうと思えばいえるものの、まあ、最後には盛り上がるだけ盛り上がって、炸裂し、燃焼して、聴衆も煽りまくって終わる!!!という、結構、シアターピースな音楽でもありますので、「盛り上がろうぜぃ!!」的演奏にする、、、、というだけなら、プロのオケならそれなりにはできたでしょう。 それをしなかったところには、実は氏の特徴があったのだ、、と後からは思えます。 (当時は、「地味やし、鳴らないし、京響はやっぱり田舎のオケやなあ、、」くらいの印象でしたが。)次に聴いたのは、多分、僕がはじめて「びわこホール」に行って聴いた(見た)オペラ公演で、珍しい曲なのですが、ヴェルディの「ジャンヌ・ダルク」の日本初演(!)でした。氏は、びわこホールの監督かアドバイザーかもしておられて、個々では経済的にも企画的にも自立しずらい、各地の劇場が共同で、演出のプロダクションを手がけ、それを順次回ることで、それぞれの水準の向上と、全体の企画力の向上と継続を目指しておられたようです。その一環としての、ヴェルディ作品の全曲演奏シリーズだったかの1回でした。これも、「ナマのオペラハウスでのプロのオペラを聴いた(見た)ことないから、いっぺん行ってみよう」というだけの動機で行ったら、たまたま指揮者が若杉さんだったのでした。オケはまた京都市交響楽団だったのですが、先に聴いてから15年ほどを経たことによる技術の向上が著しいのか、また、ホールもよかったのか、そして、オペラに対する、指揮者とオケの熟練度にもよるのか、とにかく、オケも含めて、劇場の空間を緻密なスキの無い緊張に満ちた響きからなる音楽が埋め尽くし支配していた、、、そんなオペラ公演でした。合唱も、いかにもオペラの合唱といった、アタックのキツの硬い倍音の少なそうな響きながら、ピシッと揃って、オケや独唱とのスキを感じさせないものでした。(東京オペラシンガーズという団体でした。合唱単体のコンサートだったら、聴き疲れのするであろう響きではありましたが、、)どこからどこまでが指揮者の功績なのか、、、ということは、常に難しい問題ではありますが、今にしておもえば、奇曲といってもいいほど珍しい初演曲を、あそこまで緻密にスキなくまとめあげて、舞台として立ち上げるにいたった、具体イメージの創造力と提示力は、舞台経験が豊富でかつ、その企画・経営・運営にも長年にわたって責任者として携わってきた氏の力量を余すことなく発揮した果実であったのでした。普通は、散漫で混乱はしたが、初演だし、珍しい曲だし、仕方ない、、、その意欲に拍手、、、くらいなものになりそうなところを、オケ、合唱、独唱者の全てに対して、実演し表現するだけのイメージを徹底して、「スキが無い」という印象をハッキリと与えるほどのものにしたですから。(もちろん、公演そのもの、、もですし、演出家、舞台、美術、全てですが)氏を最後にナマで聞いたのは、大フィルの定期演奏会でした。朝比奈隆氏が、ブラームスの4番を振る予定にしていたコンサートでしたが、そのしばらく前に、朝比奈隆氏が亡くなり、替わりに振った「代演」でした。交響曲はそのままブラームスの4番だったのですが、その前のプログラムが元々何の予定だったのか忘れましたが、マックス・レーガーの「モーツァルトの主題による変奏曲」に変更になりました。アノ、「トルコ行進曲つき」のピアノソナタの第一楽章の超有名なテーマから、いかにも、戦前のドイツ、、、っぽい、独特の変奏を繰り返すもので、オケからすると、リズムも響きも難しいようで、また、各パートがとても切れ切れに音の素材を鳴らし、それらが全体で組み合わさって初めて、ひとつの音楽に聴こえる、、という合奏テクニック上もかなり大変な曲です。というか、大変な曲である、、ということを、その日の大フィルの演奏で思い知りました。バラバラ、恐々で、やっとこさ、最後までたどりついた、、、というような印象を受けたのでした。今にして思えば、大フィル(とくに朝比奈時代の)で、ああいった緻密な作業を求めることは、かなりのムリがありました。メインプロは、ブラームスの4番でしたが、こちらも、おそらくは、オケがバランスや響きや音程を崩さない範囲での表現を選んだ結果、とてもこじんまりとした地味な演奏であったような気がします。氏は、「ボテボテのファーストゴロでも、泥まみれになって派手にヘッドスライディングしてみせて、客を沸かせる」というようなところが一切無い人であり、また、おそらくは、本能や衝動のみに任せた結果、合奏としては崩壊するよう「演奏」や、濁ったまま平気な「響き」とか、そういったものをそもそも、自分の音楽の表現の中に、置いておられなかったのでしょう。そう考えると、東京都交響楽団とのナマを聞いてみたかった、、、と今さらながらに思います。僕の中では、初めて記事を見たころの颯爽とした印象がまだイメージのなかにあって、若手とはいわないけど、これからもずっと居る中堅の巨匠、、、という感じでいたので、死の報せは、本当にショックで、「え!!」と、声をあげてしまいました。正直、こうして思い返すまでは、「地味で面白みの無い指揮者やから、わざわざ聴きに行かなくてもいいな、、、」くらいに思ってしまっていたのですが、思い返すにつれ、氏が求めていたであろう、緻密で反応性と合奏能力の高いオケとの共同作業の果実を聴くべきであった、、、特徴が無い、、、と思ったそのことこそがヒントだったのだ、、、と気づかされます。いまさらながら、、、、、、もう遅いのですが、、、しかし、自分自身が、若いころに、若手として「未来」を当然のように担って登場しておられた方の死をの報せ、、、、それも、不義理にも、思い返せば、お世話になっていたではないか、、、という人の死、、寂しいです。合掌。
2009.07.21
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この日、前半の最後のプログラム、長さから言えば「メイン」といえる曲に選ばれたのは、バッハのパルティータの2番でした。僕自身は、バッハそれも鍵盤音楽にはそれほど詳しくもなければ、親しんでいるわけでもなく、ご多分にもれず、グールドのパルティータの4番に、最晩年のゴールトベルク変奏曲、リパッティの入れたパルティータの1番くらいしか親しんでおりません。この2番のパルティータ、聞いてみると、部分的には聞き覚えはあるので、聴いたことはある、、、のでしょうが、まあ、あんまり知らない状態でした。バッハは、どの音楽もすぐに胸にとびこんでくる、、という存在では、僕にとってはなく、またそもそも、鍵盤音楽という存在が、僕にとっては、いつもいつも親しめるというところまでは行っていませんので、ナマで、ほとんど初めて触れるバッハの鍵盤音楽、そして、どうも、この山本貴志という、響きやフレーズの抑揚についてのイメージの実現に全力を尽くし没頭する傾向を持つように見受けるこの青年が、論理的で対位法などタテヨコのつながりと構成が綿密なバッハの曲を、どのように弾くのだろうか??という点についても、とても興味津々でした。 (以下、そのような者の「感想」・・・ですので、 割り引いてお読みください)ドラマティックな冒頭の部分は、暴れず、音のスキマの無い響きで幕を開け、続く、対位法的な旋律線は、とても、軽快に、ひきずることなく、また、粘ることもなく、さわやかに音楽が進み、さらに、プレストか何か、速い部分になると、さらに、なんのためらいもなく、快速なテンポで突き進みます。しかし、テンポが走ったり、表情がキツくなったり、逆に、テンポにひきずられて無表情になる、ということがありません。そして、こうした部分にも、しなやかな曲線が描かれるかのようなウェーブが自然にかたちづくられます。 そして、伸縮自在な歌 といった音楽が立ち上がっているのですが、しかし、構成を崩したり傷つけたりするような恣意性は感じられませんし、ありがちな「歌いすぎて、流れが滞る」というようなこともないのが、この山本貴志という青年の優れた感性でもあり、テクニックでもあり、また、おそらくは、相当に突き詰めたアナリーゼの結果でもあるのだろう、、と思いました。この曲、緩急、明暗、、と結構変化に富んだ曲集になっていますが、なんというか、「今、作曲された曲なんですが、とても良い曲なので、ぜひ聴いてください」というような感じの体験になりました。そうでなければ、たとえば、まさに、バッハが書いた「音楽」を、今、改めて、書いて鳴らしている、、、「音楽」を便宜上、楽譜に書き記したものを、また、正真正銘の生きてる「音楽」として、生を吹き込んだ、、、そのような感じをうけました。とても、新鮮、、、でも、奇抜、、とかではない。(他の演奏との比較としては知りませんが)しかし、このナイーブで、「感性派」に見える、ヤワそうな小柄な青年、、実際には、超高速のフレーズを、極めてクリアに、なんの危なさも感じさせずに、軽快に弾き、鳴らす、、、、その頂点のテクニックとセンスを備えていて、一方で、弱音の極み、、、を、これまた、バランスになんの不安もノイズも感じさせずに美しく響かせる。そして、それらのどの瞬間においても、音楽の流れと完全に一体となっており、何のスキマも割れ目もない、表情が刻々と現れる、、、、僕はピアノが弾けないので、ピアノ演奏の実際のテクニックは全く知りませんが、相当、メカニックにも、フィジカルにも合理的な、、また、自分のイメージに合った「方法」を突き詰めている人のようです。このバッハは、ですので、全曲、とても、おもしろく、「古典!!」とも思わずに、まさに「夢中」で聴くことができました。バッハの作品に、このような形で、出会わせてもらえたこと、、そのことにも、とても、感謝したい気持ちです。しかし、そして、なにより、楽しい、美しい、、、、ものでした。後半は、ショパンの舟歌Op.60です。これも、大変有名な、「よく演奏されるヤツ」です。しかし、この「よく演奏されるヤツ」という存在、どうしても、慣習の刷り込みの呪縛から逃れにくい、、、また、逃れようと思うと、エキセントリックになってしまいがち、、、という演奏に触れることもままあります。前半のノクターンと同様、、、という言い方は失礼かもしれませんが、ここでも、この青年は、楽譜から、ピアノから、、、響きから、、、、たちのぼってくるものを、存分に、自分で受け止め、愛で、、、、そして、「思ったとおりに」、リリースして行きました。これもまた、その意味では、今、まさに生まれている音楽、、、という演奏。本当に、音楽が、、、、「この音楽が」、、、好き、、、愛している、、、ようです。そして、それを100%音にしている。ある意味、聴衆のため、、、、というより、「自分自身のために」「自分自身が愛する音楽のために」、ピアノを弾き、音楽を生まれさせている、、、、そんな感じも受けました。 (独りよがりという意味ではなく、また、実際にはもちろん聴衆へ届けること、、、に全力を尽くしておられる、、、ということは間違いないのですが、音楽の志向する方向性、、という意味で、、、)最後の曲は、難曲というか、奇曲、、、というか、ピアノの巨人、ラフマニノフのほぼ唯一演奏されるピアノソナタ、、である、第2番。考えてみると、激しく、表現の振幅の幅の大きい曲が並ぶプログラムです。それらと、モーツァルトとショパンで、緩和しているというか、、、、、この曲は、ものすごく前に、いずみホールで、グリモーによる演奏を聴いたのですが、正直、まったく何がどうなっているのやら全然わからん、、という状態でした。あの、やや響きすぎるホールのせいなのか、彼女が、ペダルを踏みまくっていたのか、、とか、思っていたのですが、どうも、もともと、パッと聴いて、飲み込みやすい曲ではなかった、、、、という気がしつつ、ずっと、それ以降、意識して聴く機会が無かった曲でした。で、この曲は、どうも、ラフマニノフという作曲家を、協奏曲の2番と3番以外に楽しむためには、きっと、理解するというか、「ピン」と来ておくとよさそうな曲だ (=彼らしさが詰まった曲)ということで、前日に、CDで「予習」を珍しくして行ったのでした。どうも、もともと、「ソナタ」といいながら、ほとんど、「カプリツィオーソ」または「ファンタジー」的に、次々場面が変わっていく曲のようです。ただ、オケが入っていないので、あの、「パガニーニの主題による変奏曲」のように、オケのパートが複雑で、オケの合奏力が伴わないと、ピアノパートともども「遭難・崩壊」してしまう、、、というようなリスクはなく、ピアノに集中できる点でも、「ラフマニノフらしさ」に触れるには格好のようです。きまぐれで、散文的、、とはいえ、切れ目なく続く「楽章」は、はっきりしていて、「3幕もののドラマ」にはなっています。1幕の中での「場」が多い、、、のではありますが。そんな、場面と表情の変化や振幅が多彩であるうえに、クライマックスでの複雑かつ高速なパッセージや、濃厚な和音の連続打鍵、、、から、ピアニッシモでの、夜更けのささやきのようなところまで、、、、こうしたおそるべき「難曲」は、この青年にとっては、「嬉々として」とりくむべきもののようです。まさに、巨大で変化に富んだ音楽に100%没入しながら、フィジカルは完璧に、客観的なコントロール下に置かれ、また、音楽の全体の構成は、とても、明確な見通しと設計がなされ、最終的に一分の狂いもなく、建造物が建ちあがる、、、そういった演奏でした。まあしかし、複雑というか、込み入った音楽を書く人ではあります、、、ラフマニノフ。。。前衛的では、全然無いのに、、、、ある種、難解で、また重厚極まりない大曲の演奏がおわって、存分に堪能した思いで拍手をしておりましたが、各曲の終わりの拍手はそれほどでもなかった会場が、最後はしぼみそうになりながらも、アンコール請求っぽい拍手。。。いくらなんでも、これだけやったあとで、アンコールはそうそうしないやろうし、やというとしても、ちょっと休憩せんとなあ、、、、と思っていたら、一回袖に下がって、出てきたと思ったら、まっすぐ、ピアノのイスへ、、、、まるで、マネージメントから、 「今日は、最後、1曲、アンコールおねがいしまーす」 「ハイ、では、1曲用意しておきます」という「進行表」に沿った打ち合わせしたから、、、といった、まるで、飾り気のない、テキパキとした舞台上の動きでした。ソデに顔が見えた段階で、「さあ、弾くぞ」というベクトルが、ありあり、、、アンコールは、ショパンの幻想即興曲でした。オケとちがって、大曲やったあと、チューニングの甘い、ほころんだアンコールを聞かされる、、、、ということもなく、また、おそるべきことに、演奏の疲れなど、まったく感じられない、、、音楽が始まるやいなや、、、その音楽が欲するテンポ、響きにまさに身をゆだねて没入し、、、 (で、同じく、忘我陶酔のように見せながら、実は、全体の構成・設計は、 極めて明確なもの)「これから、コンサートが始まる」としてもおかしくないような演奏でした。おそるべき演奏家でした。その音楽の、ほとんど頑固なまでの突き詰め方や、意思と情念が、完全に「具体的な出来事」として結実させるに至るまでの、おそらくは、ありえないほどの、集中と努力、、、それらを思うにつけ、この青年の、ほとんど、デビューしたて? と思わせるかのような、ソデからピアノまでの出入りの様子とのギャップが、また、イメージとしては、「音楽そのものにのみ、全ての興味がある」という感じの彼らしいものではありました。このような、恐るべき演奏家を聴く機会、、というものが、このようなところで、あるのか、、、と思うと、「知ってる」「知らない」、、、また「実際に行く」「行かない」の違いは、ものすごいものであり、これをもし知らなかったら、、、(実際、そんなことだらけですが、、、)と思うと、今回の「縁」には、やはり、本当に感謝ですし、幸運で、幸福なことでした。
2009.07.12
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先日、BSでリサイタルをみかけて、感銘をうけた山本貴志という20代半ばのピアニストのリサイタルに奈良の大和高田まで行ってきました。天王寺からJRで約40分。それほど、時間的には遠くないのですが、大和路線(昔の関西本線)から、和歌山線という橋本まで行く線に乗り換えると、すっかり、周りは田舎の風景です。世界的な実力を持つ若手とはいえ、そんな場所で開かれるコンサート。しかも、TVにほとんど出てない、、というだけで、関西では、ほとんど集客は望みにくい、、、 (これは、クラシックに限らず、、、)曲目は、晦渋とまでは言いませんが、客に媚びたところの無いもの、、、でもあり、また、たとえば、梅田・京阪神間からいえば遠く離れた場所で、日曜なのに、午後5時半から開かれるコンサート、、、ということで、チケットの売り上げは芳しくないようで、236席の小ホールの客席は6分の入りくらいでしょうか。やはり、人間ですから、落胆するほどに、客が少ないと、演奏にも影響が出かねません。。。少々心配でした。TVで聴いた、山本さんは、とても、響きを大切にしているようで、また、アゴーギク(緩急)も自在に使いこなしていながら、それが、自らのうちから湧き出るかのような変幻自在さを獲得している、、そんな印象の人でした。果たして、実演はどうでしょう、、、満席ではないワリに、ずっとザワついた感じの客席。値段がそれほど高くなく、また、ピアノを習っているお子さんと、習わせているお母さん(なぜかお父さんは少ない)の組み合わせが多いせいもあるのでしょうか。1曲目は、モーツァルトの幻想曲 ニ短調 K.397繊細な響きにより構成されつつ、感情の悲喜が、まだ寒い春の日にふと日差しをうけ、また翳り、、、といった感じの、メロディと響き、調性の移ろいなどが、この世のものとは思えないほど美しい曲です。 もちろん、「そのように」演奏されたときに限るのですが。。。。入場してきて、一礼してイスに座ったあと、手をハンカチでぬぐい、精神統一の時間。客席は、プログラム(1枚ものなのに)をペラペラ折ったり、サイフやカバンのチャックを開け閉めしたり、一部では、ヒソヒソとしゃべったり、、、、なかなか、静かになりません。静まるのを(ある程度)待って、手を鍵盤に下ろすと、冒頭の分散和音が、とてもひそやかに、しかし、しっかりとしたバランスで鳴り始めます。まだ、客席は咳払いやらが、ペラペラ、、が聞こえる中ですが、、、そして、まず短調の澄み切った、繊細にコントロールされた、ひそやかな歌が語りかけてきます。 とても音がきれい。ある音(鍵盤?)の音だけが、ビリつくのだけが残念でした。何か、共振しているようです。調律かメカニックの不具合なようでした。しかし、本人は、少なくとも、表情はそれによって左右されません。全神経と研ぎ澄まして、微妙な力の入れ具合、速度もコントロールし、とてつもないプレッシャーの中で音を生み出しているであろうに、そのさなかの、ヒドい咳払いの時も含めて、すくなくとも、顔や音楽には、外から判るような影響は受けておられませんでした。考えれば、プロ、それも一流のプロである以上、常に、客席が水を打ったようで、調律や楽器も完璧、、という場合ばかりとは限らないでしょう。この20代半ばの青年は、やや気詰まり程度の客の入りしかない、しかも、ざわついたままに、地方の小ホールでの本番でも、自らの表現を、悪条件に左右されずに安定して、もたらすための心身の訓練を、相当に重ねてきたのでしょう。この曲、全てが美しいのですが、とくに長調になって、春の歌を歌う場面の変化と歌は、聞きながら、どこかへいざなわれてしまいそうな、そんな音楽です。そんな「天上」をも思わせるような音楽は、実演では、濁りやミスや表現上の不自然さなどから、なかなか味わうことは難しいものです。ところが、今日、いきなり、冒頭で、そうした表現が実際に実演で行われたのでした。本当に、澄み切った音色・響き、そよ風よりもひそやかにささやくピアニッシモ、乾いた青空のような歯切れのよいフォリティッシモ、、、、「この曲は、こうあってほしい」と漠然と思い、想像し、願っていたとおりの演奏でした!!曲が終わった後の礼はとてもあっさりとしたもの。下手袖に一旦、退いてから、再び戻ってくると2曲目です。日本の現代曲で、三善晃 が作曲した、 En versありとあらゆる響きを駆使し、また、超絶的な技巧を、テンポ・音型・音量の幅、、、の全てにわたって要求される曲。途中、「爆発」と呼んでよいような箇所もあります。この山本貴志という人、「叙情派」みたいなイメージかと思ったら、超絶的に指がまわりまくる人です。まさに、「なんの躊躇も無く」、高速のテンポも選び、全ての音を克明に鳴らします。なので、初めて聴く現代音楽が、確信をもって、ぼくらの耳に届けられます。聴く側としても、とても安心して、「この曲はこのような音なのだ」と信じて、音楽に浸ることができます。まさに、実演でしか味わえない、ラヴェルの響きを、さらに現代の音楽へと昇華させたかのような、独特の三善晃の世界を、ピアノ1台、10本の指で、ありありと体験させてもらいました。次の曲は、ショパンのノクターンの第2番ノクターンの中でも、最も、有名で、「おけいこ」でも弾かれることも多い曲でしょう。三善晃の超難曲の後、一礼後、舞台に下がらず、すぐそのまま、ショパンが始まりました。全身ももちろんでしょうが、とくに指や腕の筋力の消耗は、三善晃の曲なんぞは、半端なものではないだろう、、と思うのですが、「若さゆえ」なんでしょうか。「やさ男」に見えて、強靭にして頑強で頑固、、、という面をお持ちなのかもしれません。ノクターンは、そうした肉体の消耗は微塵も感じませんでした。ただ、フォルティッシモの強力な打鍵や、高速の「真っ黒けの楽譜」というようなものでは無い曲ではあるので、ものすごく高度な次元では、この曲は、ある程度、若干のストレッチなのかもしれません。なにか恣意的な「変形」を生じたりはしない、柔軟で確かなショパン。しかし、たとえば、メトロノームで測ったかのような、機械的な拍節感のある演奏ではありません。常時、テンポ、、拍は変化していきます。といっても、不自然であったり、思いつきであったり、、、という変化ではありません。ちょうど、時間のアーチが投げかけられ、そのアーチがやがて霧とともに薄れ行こうとするうち、新たなアーチが投げかけられて、、、そのアーチたちが、また、大きなループを描く波に、きれいな影を落としていく、、、そんな感じの「変化」でした。なので、1拍目と3拍目は当然に異なる存在ですし、1つの拍の中でも、「時間」は、単なる均質・等速ではありません。「物理的な計測は不可能だが、全体が見事な統一感によって支配されている柔軟さ」といったものが、彼の音楽の中にはあるようで、このショパンもそうした演奏でした。テンポやバランスのとり方は、なので、慣用的なものとは異なる設定がされているところも多かったように思いますが、それが、また、ショパン本人が感じたこと、表現したかったことに沿ったものとして、自然に、こちらのこころにとどいてくる、、、そんな演奏でした。もちろん、山本貴志さん自身が、自ら、明確に「こういう音楽にしたい」「ここはああ弾きたい」というイメージを具体的に意識し、その表現のために、とてつもない我慢・節制・研鑽を重ねてきたのだろうということが、聴いてみて本当に伝わってくるものでした。チェリビダッケが、ピアニストだったら、特徴において似た演奏をするかも、、、とも少し思いました。山本氏は、誇張や再評価を志向しているのではなく、「感じたまま」を音にしているであることは相違しますし、「エキセントリックさ」を競うものではないのですが、「響きへの集中とこだわり」、「明確なイメージ(部分・全体)」においての共通性という意味で、、、
2009.07.12
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ベートーヴェンが書いた、5番目のピアノ協奏曲のあだ名です。本人が命名したわけではないけど、「運命」とちがって、一応、このあだ名はドイツとかでも通用はするようです。たぶん、、、ですが、皇帝のことは、これまで書いたことがないように思います。生まれて初めて行ったプロのオーケストラのコンサートで「新世界より」と出会って、すっかりハマってしまったことは何度か書いたことがありますが、その日の1曲目は、吹奏楽関係者(?)ならよくご存知の大栗裕の「神話」の管弦楽版の初演とうもので、2曲目が実は「皇帝」でした。しかし、なぜか、そのときは、「皇帝」はあんまり印象に残りませんでした。当時、父親が「ピアノはボロボロやった」と言ってたので、もしかしたら、曲の外形がわからないほど崩れていたのかもしれませんし、 (後年、実際、そういう演奏を聴いたことがあり、、、)ただ単に、まだ「クラシック」というものに親しむようになるかならないか、、という僕が、よくわからんかっただけかもしれません。しかし、「気になる」曲であることにはちがいないので、2回目に買ったレコード、、、が、「皇帝」でした。もちろん(?)というべきか、どの盤を買うか、、にあたっては、当時の「暮らしの手帖」で黒田恭一さんが推薦していた、ルビンシュタインがピアノを弾いて、バレンボイムがロンドンフィルを指揮したLPにしました。RCAの録音のその盤は、なんというか「溝」が浅くて、どんどん音が乾いていくような感じでしたが、今にしておもえば、おかしいでしょうが、「毎晩」、、本当に毎晩、この皇帝ばかりを聞いていた時期がありました。実際、「皇帝」を聴こうと思えば、その盤しかなかったわけですし、たとえば、「ビートルズ」のLET IT BEが出たら、そのアルバムをずっと聴く、、、という行為と、まあ寸分たがわない行為なわけですが、クラシックの鑑賞としては、オトナになったらあんまりしない、、、ですね。というか、できない、、、それくらい「むさぼるように」聴いたものでした。とにかく、威勢がよく勇ましいメロディとリズムに溢れ、スピード感が全編を貫き駆け抜ける、、という曲なので、その頃の僕にとっては、「ピッタリ」でもあったのだと思います。第2楽章はこれまた、油ののりきったベートーヴェンらしい、メロディアスで親しみやすくまた静謐にして安らぎと寂しさと慰めがたゆたうような甘美な(ただし、甘すぎない)曲です。大好きな曲でした。今でも、口笛でなら、全曲吹けます。。。(弾けます、、、と言って見たい、、、)当時、ラドゥ・ルプーというピアニストが大人気でしたが(デッカがメインのアーティストとして売り出し中でした。実際、後年聴いたらすばらしいピアニストでした)、彼が、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を録音したときのインタビューかで、「皇帝だけは、ミリタリックな感じがして好きになれない」と言っていたのを聴いて、そのピアニストを「食わず嫌い」になったほど、、、、でした。(・・・このあたりも、中学生、、、)それからほどなく、FMで、ポリーニがピアノを弾いて、最晩年のカール・ベームがウィーンフィルを指揮したコンサートのライブが放送されて、それを、「基礎英語」とかを録音するモノラルのラジカセで録音して、これまたそのテープを、ずっと聴いてました。音質は当然に貧弱なわけですし、ベースラインやいろいろなパートが絡み合う様が聴けるわけでもなく、ある意味「主旋律中心」な音質でしかなかったはずなのですが、それでも、ルビンシュタインとは似ても似つかない、粒立ちのまろやかで音が滑らかにつながり、常に、運動神経抜群!!といった様子で天衣無縫にかけめぐるピアノに、度肝を抜かれました。ちなみに、このラジカセでは、数本のカセットテープに録音しては、聴きまくって、また上から別の曲を録って、、、、ということをしていました。 (この「皇帝」は保存版に格上げになりましたが。)今から思えば、カセットデッキなるものを、「居間」にある「ステレオ」の買い替えに合わせて親が購入するまでの1年余りの期間のはずだったんですが、恐ろしく濃密な1年強だった気がします。その1年強、、ラジカセから吸収した音楽はかなりになります。閑話休題、そんなポリーニとベームがLPをレコーディングしたという広告がFMfanを飾ったのはそれからほどなくしてのことでした。しかし、当時の僕は、それを買おう!!とは思えず、ただただ、ラジオで放送してくれるのを心待ちにしていたのでした。その段階では、ステレオのカセットデッキがあったので。それから大分たって、放送されたものを聴いたのですが、なぜか、あのラジカセから聴こえてきた、シームレスで滑らかで天衣無縫な感じが聞き取れませんでした。なんとなくメリハリもないような気もして、、、それ以来、この組み合わせの皇帝を聴く機会は無いまま、十年以上が過ぎました。また、皇帝という曲が、他の曲に比べて、なんとなく、「一度走り出したらとまらない」みたいな、ある意味「誰が弾いても、うまければ、そんなに違わない」という感じの曲のような気もして、しょっちゅう聴く曲ではなくなりました。第2楽章だけは、普通に生活していても、なんとなく、アタマの中でなり始めることがあるほどで、あの安らぎと慰めは、僕の中で今でも特別ではあるのですが。ベートーヴェンのやや「ショウマンシップ」なところが、オモテに出た曲、、、ともいえるのかもしれません。CD時代になって、初めて買ったのは、ツィメルマンがピアノを弾いて、バーンスタインがウィーンフィルを指揮した全集盤でした。が、これも、正直言って、当時は、そんなに、「特徴」がわかりませんでした。どう聴いても、「皇帝」には違いない、、、そんな感じでした。バーンスタインらしい、ところどころの、クセのような「タメ」はあるけど、、みたいな。それ以降も、3番や4番に比べては、あえて取り出す曲ではなくなり、また、そもそも、ベートーヴェンのピアノ協奏曲も、よく聴く曲ではなくなった気がします。ひとつには、なんとなく、、ですが、CDで買った盤が、あんまりしっくりこない気がしたからかもしれません。これも今聴いたらまた印象が変わるかもしれませんが、、(今回は再聴してません)ちなみに、CDの場合、演奏の質、、も、もちろんなんでしょうが、音質のクセみたいなもので、とりだす頻度は大分変わる気がします。音質そのものは悪くないけど、微妙に、電子的な雑音がしたり、、みたいなのだと、もうそれだけで、楽しんで聴く、、という気がしなくなります。残念な例では、ピアノソナタで、ピアニストの爪が、鍵盤にカツカツあたる音がいちいち入っていて、それがまた、モーツァルトだったもんで、ピアノの音そのものはとてもきれいなのに、、というのもありました。LPだったら、ほとんど気づかなかった、、、でしょうね。。。そんなこんなしていて、たまたま、、中古CDで、ポリーニがベームと組んだあの盤が、500円で出ていたのを何年か前に買いました。再会、、、というか、まともな状態では、お初、、ともいえるかもしれません。はたして、聴いてみると、FMでLPがかけられていたものの「エアチェック」の音とは、まったく別ものの音です。全てのパートが活き活きとしていて(晩年のベームらしい抑圧的なところや、癇癪っぽいところはあるけど)、また、各パートの動きもガッチリとしていて、安定しながらもエネルギッシュといったオケの上を、ピアノが天衣無縫にかけぬけます。大昔のラジカセのときの「演奏」の印象にむしろ近い、、、、そんな演奏でした。録音が、当時のグラモフォンらしく、やたら、マイクが各楽器に近い感じなので、たしかに、「カチャカチャ」した感じはややあります。そのあたりが、とくに、当時のFMを通して聴くと、平板で騒がしい、、、感じに聴こえたのかもしれません。しかし、今聴くと、あのぶっきらぼうで、およそマトモにビートを刻まず、時折のツボだけを、上からのしかかるように、タクトを振り下ろす、大づかみなクセに、ある意味几帳面なベームの棒が目に見えるような演奏です。「サイン」といってもいいような、、、「指揮」、、、それに、若者だったポリーニが当時、他の演奏でも聞かせてくれたように、運動神経の張り詰めた「完璧」な演奏を隙無く繰り広げる、、、という組み合わせです。今度、阪急が北摂セレブ向けっぽい文化行事を行っている、昔の劇場「飛天」(今は「梅田芸術劇場」という名前に、、、)に、N響を呼んで、そこで、ミシェル・ベロフを独奏者として、「皇帝」を弾くという話を聞き、僕はそのコンサートには行きませんが、「皇帝」を聞きたくなって、久々に、このポリーニ盤を聴いたところです。やっぱり、この曲、奇をてらうなら別ですが、そうでなければ、ピアニストがあまり大きな構成の上では解釈上関与することは難しそうなほど、「カチっと」固まった曲という気がします。しかし、やはり、ピアニストの音色感や、音の形などは、ナマで聴けばさぞや、、、とも思います。このCDのポリーニは、やはり、解釈上、それほど、奇をてらったり、「特徴的」なことはしてませんが、それでも、その疾走感や音色、粒立ち、、、そして、それらから来る、「自然で軽やかな歌いまわし」は、この演奏の「特徴」となっています。そう考えると、ベロフもナマで聴けば、また、アタマの中での想像では及びもつかない、音色と香りを馥郁とただよわせてくれるのでしょう。。。。和音の一打だけ、、、、でも、全然違う、、って人は、ピアノならずとも、名手ではおられますし、また、第2楽章の時間の伸び縮み、オケとの間髪を入れない、掛け合い、、など、考えたら、「ライブ向き」の曲でもあるのかもしれません。ピアニストについては、本当に疎く、「皇帝」ならずとも、どれだけ、「聴くだけで」判るのか、は、僕はこころもとない、、のですが、でも、リサイタルにはでかけてみたくなりました。
2009.07.06
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もうこのごろでは、「クラシックの新譜」なるものを心待ちにしたり、あこがれたり、、、ということは、正直なくなってしまいました。もしかしたら、かなりの過去のものまで、「選び放題」だからかもしれませんし、FMやライブで、常時、「今」の演奏家に触れてるわけでもないから、、、かもしれません。ちょうど、「野球」も、せめて中継くらいでみとかないと、結果だけ見ても、あんまり、どこも応援する気にもならないように、、、、、以前の演奏家が魅力があって、今は無い、、ということではないとはおもいます。たぶん、僕の「接し方」が変化してしまったのでしょう。あと、ある程度は、マスコミなり、「レコード会社」の煽るかのような広告、、、が、もう見られなくなって、「ノセられなくなった」ということも少しはあるのかもしれません。それはそれとして、以前の「カリスマ」の1人が、カルロス・クライバーでした。即興性と、生命力が漲る音楽を、オーケストラから引き出す魔法のような彼の指揮は、まさに「垂涎」であり、また、「生きながらにして神話」でした。しかし、というか、だからこそ、、というか、彼は、「プロ」というには、ありえないほど、レパートリーが狭いうえ、極端に、仕事量(公演回数または録音量)が少なく、彼が、ある曲を演奏するならば、その曲がなんであれ、彼の演奏の解釈、表現を聞いてみたい、、、そんな指揮者でした。僕がクラシックを聴き始めたころは、彼が既に録音してたのは、オペラでは、「魔弾の射手」「椿姫(トラヴィアータ)」「こうもり」そして、交響曲では、ベートーヴェンの5番と7番の交響曲でした。僕が彼の演奏を初めて聴いたのは(FMですが)、このベートーヴェンの5番の交響曲。日本では「運命」とも呼ばれてる、ある意味、「定番」中の定番、、、の曲が、さすが30代の油の乗り切った作曲家が、今書き下ろしたばかり!!というような、激しく、片時も立ち止まらない、、、といった演奏が、目の前で(スピーカーの前ですが)繰り広げられたのでした。今にしておもえば、かなり類似した美点を持つ、他の演奏家もあり、彼だけが特別、、とまではいえるかどうか、、ではありますが、それでも、やはり、際立った特徴と美点を持つ演奏には違いありません。このようにしかし、ベートーヴェンのなかでも、際立って、「リズム」と「運動性」を、中核とする、激しい2曲に取り組んできた彼が次に取り組んだのは、一般的には、ベートーヴェンとは対照的な「歌謡的」で「ロマンティック」とされる作曲家シューベルトの交響曲でした。交響曲の当時8番といわれた超有名曲「未完成」交響曲と、32歳で死んだシューベルトが、さらに若い頃に書いた「習作」で、さほど演奏される機会があるわけではない3番の交響曲という、ちょっと意表をつくカップリングでした。そして、この盤が、クラシックを聴くようになった僕の前に出てきた、この人の最初の新譜でした。当時、FMから録音して、何度か聴いたのですが、正直、「特別に、他と際立って異なる特徴」が、たとえば、ベートーヴェンの2曲ほどあるわけでもなく、ただ、「元気そう」に演奏してる、、、という感じもして、それほど愛聴したわけでもありませんでした。「未完成」は当時も、特別に好きな曲だったにもかかわらず、、、です。むしろ、「のめりこむような慟哭」のような要素が、足りない、、とおもったくらいでした。当時、僕がこの曲に求めていたのはそれでしたので。後年、社会人になり、CD時代を迎えて、晴れて、FM録音ではなく、「実物」を購入したのも、今となっては、20年近く前のことになります。正直、当時も、ざっと聴いて、それほど、FMの頃と、大きな変化がある気もせず、それ以降、何度かは聴きましたが、正直、それほど愛聴してきたわけでもありませんでした。で、なぜか今日、さっき帰ってきて、無性に聴きたくなったのがこの盤でした。もしかしたら、数週間前に、「レコード芸術」を立ち読みした中で、当時発売されたレコードを回顧する特集で、この盤の記事をみかけたのも、影響しているかもしれません。初めは、シューベルトの交響曲第3番。曲そのものは変わりようはなく、歌曲やピアノや室内楽の天才シューベルトが、オーケストラ曲それも交響曲をつくるにあたっての、気負いと武者震いが、露骨に表れている、生硬でやや「大層」なオープニングの「和音1発」で始まります。しかし、この演奏は、その和音がすぅっと鳴り響き終わろうとするそのときから、重厚なその和音の体内からほとばしり出るかのように、脈打ちはじめます。リズム、ビート、、「時間」の刻み・波動のようなものが、最初から、底流にながれて、それが、どんどん湧き上がっていく様を描くかのように、最初の生硬さを、「ワクワク」感に変換しています。そして、主題が提示されだすと、もう音楽は常に、オンビート、全てのパートの音、弦の刻み、弦の返し、歌、それらに緊密に絡む木管に金管が、間然とすることなく、音楽の織物を生み出していきます。それにしても、弦の刻み、和音の重ね、、、なんと活き活きとして、また、ひとつの方向・脈動・コンセプトを共有して、音楽を進めていくことか、、、比較的、おっとりした曲想であり、時折立ち止まって振り返る、、、ような演奏も十分成り立つ曲のようにおもうのですが、また、少々、聴いてる方が恥ずかしくなりそうな、単純な仕掛けの曲であるのですが、それを、本気の青春に対するオマージュであるかのように、一瞬たりとも立ち止まることなく、振り返ることなく、緻密にして、生命力あふれる演奏が、4つの楽章を通じてなされます。そして、管楽器のソロやアンサンブルも、突出することなく、 (当時、「抑圧的」とか言われて批判されたカラヤン=ベルリンフィルのほうが、 むしろ、よほど、「ソリスティック」に振舞っています。 あちらは、カラヤンが、尖った発音を避けて、レガートにする傾向があったので、 印象はずいぶん異なるといえば、異なりますが。)しかし、音色はそれぞれの楽器ならではの美しさを、惜しげもなく、繰り広げてくれます。しかし、のどかな牧歌的な曲想の部分、たとえば、第2楽章の中間部などでも、十分にのどかで、美しいクラリネットソロが聞けるのですが、しかし、それですら、滞ることも、淀むこともなく、常に「交感神経優位」な状態で、フットワークの軽い演奏が、弦のリズムパートともども、緊密に進められます。イメージ的には、「1小節を、1つ振り」(・・・たとえば3拍子でも、1小節で3拍振るのではなく、1小節を1回転で済ませる)というような感覚が支配します。一方、オペラ指揮者らしく、、、というべきか、「場面転換」は、特に意を払っているようです。それがまた、主題提示、中間部、再現部といった、あまりにも単純でハッキリした、シューベルトの若書きのこの曲の構成を飲み込んで、単純な場面構成の場面ごとにハッキリした場面転換も設定しているのも、彼ならではかもしれません。そして、オペラ劇場のオケ、ウィーンフィルならではなのかも。第4楽章などは、そもそも、クライバーの得意としそうな、疾走しつづける、フィナーレで、冒頭の音から走り続けます。しかし、冒頭の細かな音符でも、突然ガツン!!ではなく、まるで、明鏡止水の水面が、その時間の流れのままで、やにわに静かに細やかに、さざ波が立って、それが、力強い波・動きへとどんどん「積分」されていく、、、、そんな仕上がりになっています。素朴で単純な曲、、、だからこそ、演奏の特徴が際立つ、、、そういう演奏なのかもしれません。未完成にも、共通したことが言えるとおもいます。ただ、決定的に異なるのは、未完成 は、形式が、ベートーヴェンの枠も遥かに踏み越えた、本当に、自由で、オリジナルなものであること。主題から、中間部、再現部の関係も、それ以前のどの作曲家のどの作品にも例を見ない、複雑で表現主義的ではあるが、様式破壊というよりは、新たな様式を築こうとしている(その試みは2楽章で挫折しましたが)そんな曲だとおもいます。僕がかつて好んだとおり、きわめて美しい旋律に満ちながらも、憂いに満ちた回想、甘い想いにはすぐに翳りが差し、突然に中断され、激しい慟哭から、悲しみを力とするかのような前進、、、寂しさを常に胸に宿し、何度も折れそうに、くじけそうになりながらも、ときに、泣き叫び、ときに、怒り、ときに、拳を握って立ち上がる、、、この作品以前には、本当に、類を見ない、統一感の中にも、ありえないほどの多彩な場面が、一体となって、展開していきます。そんなこの曲、、、都度都度、立ち止まって嘆いてうずくまり、ため息をついては、涙を流す、、、といった演奏もあれば、甘美な思い出のなかで、憂いを際立たせる、、、という方法もあり、それぞれに、この曲の魅力を伝えてくれる演奏となると思います。しかし、クライバーは、この曲でも、3番と同じく、立ち止まることは許しません。また、全ての音と音の間に、タテにもヨコにも隙間をつくりません。そうしたなかで、確かに、よく聴けば、当時、それまでになかったアプローチから、この曲に迫った演奏となっているようです。その後、ピリオド・アプローチの演奏が、台頭し、音価を短めにとって、速めのテンポの中で、リズムの脈動を途切れさせずに、全ての音の中に息づかせて前進させていく、といった演奏の作法に触れることが多くなったので、今聴くと、それらとの共通点も、結果的に多く、クライバーはまったくピリオドアプローチはとらず、むしろ「躍動的なロマン派」を目指したであろうに、結果として、ピリオド・アプローチによる演奏と、ある意味共通点が生まれていることは、皮肉でもありおもしろいことだと思います。躍動的なロマン派といっても、文学的な解釈ではなく、むしろ、生理的・本能的・感覚的なものである「音楽」を「音楽」として演奏しよう、としているようです。決して、「なんらかの事情で途切れてしまった、未完成交響楽を、若死にした天才作曲家の思いも込めて演奏しよう」 などとはしていない。ロマン派、、と書いたことから、矛盾してしまいますが。、即物的で感覚的な絶対音楽である「交響曲」を、ウィーンフィルの音色と機能を最高度に発揮して、再現した、、、そういう、やはり、際立った演奏である、、、と久々にこの2曲を、この盤で聴いて想いました。
2009.07.01
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先週は、そのほか、過労死で家族を亡くされた方、親と別れて暮らさざるをえない子供達の施設(これは大阪のよみうりテレビでしたので以前見ました)、そして、カチンの森で父を亡くしたアンジェイ・ワイダを追ったドキュメンタリー(これもNHKで放映したので(外注部門での受賞でした)見ましたが)がそれぞれ受賞しており、それぞれ、先の光市殺人事件のものも含めて、もともと「どうしても見たい」というほど興味があったわけでもないのですが、見出すと、どんどん、引き込まれて、みてしまいました。よく、「事実の力」といいますが、やはり、それをしっかりと、観察し、描いて、相手に伝える力は、本当に大切だと思いますし、偉大だとも思いました。今日も、午前・午後に分けて、受賞作品の放映があるのですが、午前中が、山口県の山間部で暮らす老夫婦や、離れて暮らす家族の姿を19年間にもわたって追ったドキュメンタリー「山で最期を迎えたい」でした。僕の不手際で録画をしそこねたので、部分部分を残念ながら見過ごしたところがありますが、これも、思わず、その夫婦に愛着が湧くほどの、上からでも下からでもない取材と、その夫婦のごく「自分たち」としての生き方・暮らし方に、共感が湧く、すばらしい作品でした。こうしたジャンルも、正直、「よくあるジャンル」という先入観が僕にはあって、もともと見るまでは、それほど興味がなく、「ああ、若い頃がんばった老人が、頑固にも山へ残る、、と言い張って、周りの思いやりと困惑と誇りなどを描くのだろうなあ、、」くらいなものでしたが、まあ先週からの流れもあるし、たまたまその時間帯、これといって見るものがなかったので見始めたものでした(今日は寝坊したもので、見ながら、ブランチ、、、)。特記すべきものとか、エコ!!とか、自然がすき!!!とかでなく、ただ、そこに居て、若いころから、そこで自分達の手で、努力してそこで生活を築き上げてきた、そして、体力が弱ってきたら、町の老人ホームに入るけれども、行けるときには、山へ行って、「自分達の作業」をする。その活き活きとした姿、立ち居振る舞い、自然さ、、、なによりも、しかし、僕が感動したのは、「夫婦」の間柄でした。本当に、お互いがお互いを、パートナーとして思っていて、信頼し、手伝いあい、愛着をもって、「一緒に」分担して、分業して、、、、かといって、決して排他的なのではない、ひとなつっこさも、二人ともにあって、そうした雰囲気は、還暦前後を迎える遠い町で暮らす3人の娘さんたちにも、いろいろな形で受け継がれて、「家族」となっている。19年間の取材のうちの最後、おじいさん(と呼ぶのは失礼かもしれませんが)が亡くなった後、おばあさんは、痴呆が進んでしまいますが、季節がよくなると、娘さんが山へ連れて行きく場面がありました。数年前まで、おばあさん自身が腰が曲がりながらも、子供のように、縦横に行き来していた山に行く道すがら、「おじいさんの姿が見えんのう。どっか行ったんかいのう。」と、心から、さびしそうに心配して娘に語りかけ、娘が、農作業をしている傍らで、「おじいさんのとこへ行きたいのう」とつぶやくおばあさん。娘が、「おじいさん、山の中で作業しとるかもしれんね。大きい声で呼んでみんさい。」というと、大きな声で「おじいさん!!」と何度も、、、穏やかで、でも、寂しい、、、痴呆になったときに、どんな発想に支配され、どんな感情になり、どんな行動をとるのか、、、自分を振り返ったときに、この夫婦の人生や夫婦としてのあり方のかけがえのなさを、伝えてくれた番組でした。
2009.06.21
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先週と今週は、BS2で、この1年に民放・NHKのすべての番組から、すぐれたドキュメンタリーを選んで放送する、、という、地味ながら、貴重な番組をやってくれています。地上波では、NHKは、「エコ」!!のイベントやらを、大宣伝しながら流してるなかでの、とても地味な放映です。(なぜ、キレイなロウソクを並べたら、それが廃油を使ってるにせよ「エコ」なのか? ヨーロッパで売れ残った太陽電池を国内で、税金を投入してさばいたら「エコ」なのか? 自家用車での外出を促すため、高速料金に税金を投入して「値下げ」に見せることを 黙ってみているのが「エコ」なのか? ・・・などは、おいといて、、、)先週は、ネットでも、各TV局でも、タタきまくった、「光市 殺人事件」の弁護団を追った、東海テレビのドキュメンタリー「光と影」は、特に、なかなか見られないものでした。たくさんおられる弁護団の中に「死刑廃止論者」として知られている方が居られたということから、「死刑廃止論者の政治利用」という風なストーリー立てでタタきまくられ、脅迫もたくさんうけた「刑事裁判の弁護団」。 弁護団そのものを、ありえないほど言語道断の非常識の人でなし扱いしたのは、ほとんどすべての報道がそうであったと思います。そんな風評がたった原因のもともとは、弁護士仲間の揚げ足もきっと背景にあったのかもしれません、、、そして、そんな風評に「死刑推進論者」や彼らに扇動された(一番ドぎつく扇動したのは、大人気の橋下弁護士ですが)一般の人たちの自称「正義感」(ただし匿名)にボロボロにされながらも、なんとか「裁判」として成立するよう悩み、議論しながら奮闘している弁護団を、東海テレビが追ったものです。結果としては、弁護団に密着して、そうした「風評」とは異なる、「正当で論理的な裁判が受けられるようにする」役割を果たしていることを、慎重に描いていました。もちろん、番組を何十回みても、弁護団の主張が正しいかどうか、は、わからないし、描いても居ません。しかし、刑事事件の弁護団として、裁かれる論点や事実関係の検証を行なおうとしている、そうして仮説や推論を提示し、裁判の場で議論しようとしている、ただ、死刑廃止とかではない(そもそも、死刑があることを前提として、犯罪の構成要件(殺意と計画性)を問うているのが、なぜ「死刑廃止論者の政治利用」という論法になるのか、ということもありますが)ということは、きっちり描かれていました。もっとも、風評はとてもキツいもので、ゲストの室井佑月さんも、開口一番「アレは、死刑廃止論者の安田さんが政治利用したのでしょ。その片棒担ぐような番組にされちゃわなかったんですか?」というようなコメントを、かなり、嫌悪感も交えながらおはなしされていました。当否は別として、「世間一般」や「マスコミ」に流布している「常識」は大体、彼女のような意見がベースなのでしょう。僕は、安田という人の名前も正直しらなかったのですが、それくらいに、タタくための論拠となる「情報」が入念に、TVやネットで流された、、ということも、彼女の発言からうかがえました。 これは、彼女が、偏った人とか、頑迷な人、という意味ではありません。なお、安田という人も、番組の中では登場しますが、死刑廃止論から、何かを論証しようとはしてませんし、弁護団の中では、事実認定から、心証形成まで、歯に衣着せぬ議論がなされていることが、描かれていました。この番組の取材・製作を始めたディレクターの方、ご自身、もし、風評どおり「死刑廃止の政治利用」があるのなら、番組製作は止めるという覚悟で、行なったそうで、それでも、自分の家族から「アンナひどい人の肩を持つなんて、そんなに心の冷たい人とは思わなかった」と言われ、一週間くらい口もきいてもらえなかった、、とのこと。「言論の自由」があり、「裁判への民間人参加」までしようという、自由国家であるこの国で、これほどのプレッシャーを受けて、ようやく、地方の1TV局が、作った番組でした。きっかけは、弁護団の中に、他に、かなり有名になってその弁護活動そのものが賞賛(サヨク、ウヨク とか関係なく、、、)された事件の弁護をされた方が数人おられて(安田という方は含まれていません)、「ある事件では、英雄、、、 なのに、ある事件では鬼畜扱い、、、なぜ、そういうことになるのか?」ということへの素朴な疑問が取材のきっかけだったといいます。ネットやマスコミを使って、「ワルモノ」を決めて、それをみんなでタタく、自分が叩かれなかったら、一緒にタタく、、そんな風潮を典型的に示した「事件」であったと思います。結果として、あの犯人が、どのような量刑が「正解」であるべきかは、僕自身はわかりません。この事件に限らず、「真犯人」かどうかを裁くだけでなく、どのような具体的な「証拠と基準」という事実によって、「犯罪」が成立し、どのような量刑が相当するのか、ということを決めなければならない「裁判」。裁判員制度が導入されようというときに、大きなものを投げかける番組でした。裁判とは、「悪いヤツ・イヤなヤツ・悪そうなヤツをみんなでタタく」のではなく、また、「目の前に居るヤツのなかから、”一番悪そうなヤツ”を選ぶ」ものでもなく、ましてや、「天に代わって、成敗する」というのでもなく、「正当で論理的な裁判が受けられるようにする」役割を果たすべく、検察側と弁護側が居て、その論理性と事実を冷静かつ具体的に見る、ということが、裁判の役割であり、とても大切であると改めておもいました。しかし、かみそりや弾丸の入った脅迫状も送り付けられ、「正義派・正論派」っぽい橋下弁護士(今の橋下知事)が、全国に呼びかけた「懲戒請求」の対応にも忙殺され、マスコミからは、悪の味方のように報じられ、身の危険もおかさないといけないなかでの弁護活動。。。その問題点そのものすら、ちゃんと報道もされない、、、そんな今の「イジメ・タタき」社会の下で、裁判員制度を導入するのは、あまりに社会として未成熟で、かつ、人々の心に余裕が無いなあ、、、と危惧もしました。そうした人たちを利用するには、格好のタイミングだということを、「政治家」たちはよく知っているのでしょうけども、、、
2009.06.21
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久々に、家で、ゆっくりリアルタイムでドラマを見ました。昨日(土曜)と今日の2話完結の渡辺謙主演のドラマです。主題とストーリーを絞り込んで、明快な構成にしたうえで、丁寧な演出で描いているので、見ごたえ十分です。内容はリアルなベースに基づきながらも、リアルさにこだわりすぎず、あくまでもドラマとしていて、また、実話を基にしていながらも、とくにメッセージ性を盛り込もうとはせず、良い意味での娯楽作として描いているのも、これはこれで、素直に、「ドラマ」「演技」「演出」として見られるます。渡辺謙のある意味「演技らしい」演技も、たっぷり見られました。明日は続きです。。。
2009.06.20
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さて、アンジェラ・アキのライブです。客層は、多くの「文化イベント」の多くが、未婚・既婚をとりまぜた女性が大半、、、というのが一般なことを思えば、年齢層が幅広く、かつ、男性も多めだったといえるでしょう。といっても、たぶん、女性が7割くらいだったでしょうか、、、「手紙」の効果でしょう。しかし、「手紙」だからといって、今回のライブの後援が、「郵政会社」であるとのこと。以前、ケヴィン・コスナーの映画「ポストマン」を、郵便局がポスターにしていたことや、「魔女の宅急便」が、クロネコヤマトが後援していたことなども、思い出しますが、とても、直接的で、ちょっと笑えます。なら100年会館は、巨大なホールですが、配席だけでいえば、ありえないほどの巨大さではないです。ただ、かなり、タテ長ではあります。また、天井や壁は完全に吸音仕様で、天井は、「ドーム型」でトラスを組んだ屋根そのまま。なので、アコースティックな催しは、想定していない会場です。ただ、釣りモノはいろいろしやすいようで、また、舞台も組みやすいのか、照明効果は、オーソドックなものながら、非常に効果的に駆使されていました。光線を見せるために、軽くスモークはたいていましたが、それほど、極端ではありません。クリアな舞台構成だったといえるでしょう。1曲目は、暗転で、アンジェラおよびバンドメンバー(ドラムスとベースの2人)が入場していて、明転するやいなや、アップテンポな曲が疾走を始めます。音量も、ホールのツツ一杯なやや飽和感のある設定。ベースの音がややブーミーで、音の粒立ちがにじむほど、、、それでいて、音がやや遠く響きます。「ああ、このホールは、こんな感じで、ずっとなんか、、、、」とちょっとだけ、落胆しかけましたが、どうも、そのあとの曲では、そうしたことはまったくなかったので、オープニング、落語でいうところの「開口一番」、オペラでいえば、序曲、、、という演出だったようです。あとは、距離を感じませんでした。今日のような舞台を見ると、「音は、温度と気圧が一定なら、空気中の伝達速度は等しい」という物理学の常識を疑いたくなります。今日は、音の速度が、速かったと思います。(きっぱり)それにしても、このアンジェラというひと、本当に、強靭な声の持ち主です。そして、そのすべてがコントロールされている、、、強弱、高低、硬軟、明暗、、、ありとあらゆる表現を、自らの気持ちや音楽の悦び、悲しみに、ストレートに結びつけて、歌として、伝えてくれます。決して、「勢い任せ」でもないし、「自己陶酔」でもなければ、「テクひけらかし」でもない。また、パワフルで、ときとして、必要に応じてソウルフルな瞬間すらあるものの、「ソウル歌手風」というのでもない。歌におうじて、いえ、歌の「場面」に応じての歌いこみ、語りかけ、絶唱、おもわず、ひきこまれます。歌そのものの魅力、そして、「声」の魅力、、、、そうしたものが、とても大きいと思いますが、それとともに、やはり、表現すること、、、に総じて共通するものも感じました。そのときそのときに必要な「こと」を選ぶ、、、、音量、音質、音程、テンポ、そして、姿勢、身振り、手振り、足のステップ、、、すべてが、「表現」していて、「伝えよう」としていて、実際、舞台全体から放射しているかのように、「伝わって」きます。「演劇」や「ダンス」でも、また、「日常会話」でも、実は、同じことがいえるのではないか、、、とも思いました。「常に、メゾフォルテで、プレスト」では、聴くほうも、つたわらない、「常に、悲嘆にくれ、絶叫して、怒りに髪をかきみだす、、、」のでは、ドラマは成立しない、、、僕自身、1時間くらいの講演を行うなどなら、それなりに、自分を意識して動かすので、それなりのご好評をいただいているのですが、日常となると、つい、プレスト・エ・メゾフォルテ・エ・コン・フォーコ、、、という感じになりがちなので、「セヴィリアの理髪師」にでもならない限りは、ちと、改めようかと、、、、いえ、聴いてる最中は、そんなに冷静に聴いてるのではなくって、ほとんど、嗚咽に近い状態になりそうなときやら、引き込まれてしまったときもありましたし、一方で、気楽にノリまくれる曲もたっぷり、、、でした。ただ、こうしたポップス系のライブには珍しく、1階席以外は、客席の動きはおとなしく、立ってリズムをとったり、ということはありませんでしたし、「フィルイン」のような「かけ声」も、周りはまったくありませんでした。 (1階席周辺はそこそこありましたが、それでも少なめかも)以前、よく行ってた、琉球・ウチナーライブでの「カチャーシー」は、実は結構楽しみにしてたのですが。そうした、肉体的なカタルシスはやや抑制されたものの、それを補ってあまりある、すばらしい、「今」しか体験できないであろう、「今」のアンジェラの、すばらしいライブでした。アンジェラは、ライブでも、十分にコントロールされた歌と声をきかせてくれる人なので、音をつくりこみまくってスタジオ録音よりも、声や歌そのものが、より裸で出る、ライブのほうが、圧倒的にすばらしさが、あふれ出るような気がします。もちろん、上にも書いたとおり、荒さや、勢い任せとは無縁、、、、その上で、その存在そのものを、まるごと受け容れたくなるような「力」「命」がみなぎっている、、、これは、やはり、ナマで体験できたことの意味と、幸運は、大きかったです。そうした悦びに満ちた体験をしたのち、難波まで帰ってきたら、すでに夜の9時すぎ。おひとりさまなので、コレは、、と、名物の、うどん屋に行こうかと思いましたが、さすがに、夜はしまっていたので、道具屋筋から、ぶらぶら、日本橋の1丁目まで出てきて、 (こういうルートを夜、オトコ一人で歩いてたら、 10000%「風俗帰りのオッサン」みたいなビジュアルでしょうが、、、、)東に向けて、ちょっと、店をみてたら、小さな1間間口のタイ料理のお店がまだ開いてます。夜中の12時まであけてるそうなので、「呑んだ帰り」の客もあてこんでいるのでしょう。入り口に一番近い席で、オバサンがすわっていて、明らかに店員さんです。タイ料理も最近あちこちにできてきたので、この店はどんなんかな?と思ってはいりましたが、とりあえず、店員さんは全員タイ人のようです。しかもみなさん年配。。。テレビがついてて、店員さんが(客もいなかったので)じっと見てはったのですが、タイの番組です。ケーブルテレビなのか、ビデオなのかは判然としませんが。「トムヤンクン・ラーメン」というのがあって、珍しいので頼んでみました。味は、トムヤンクン単体で食べるよりは、大分、やわらかめの味でした。でも、トムヤンクンそのもの。酸っぱ辛いあの味です。麺はやや細めで、固さは普通。かん水麺のようですが、それほど特徴は無い気がしました。1+1が10になる、、というほどの料理ではないかもしれませんが、引き算には決してなってない、、まあ、だいたい1+1=2という素直な味です。メニューはかなり豊富です。こう書いてくるとチープな印象を与えてしまったかもしれませんが、トムヤンクン・ラーメンで、790円。高くはないですが、チープなジャンクフードということもないですね。が、まあ、また、他のメニューも試してみたい、、、、「おひとりさま」のとき用のレパートリーに加えておこうかと思います。大将が厨房で一人。あとは、店員さんとおぼしきタイ人女性が二人。微笑みの国、、、なのかもしれませんが、どちらも、60歳は優にすぎておられ、さほどの愛想もあるのやらないのやら。無愛想、、とかではないのですが。でも、帰りがけに、ごちそうさまでした、、、というと、笑顔で、口々に「ナマステ」。。。。で、ちゃんと、手を合わせはるんですね。あれは、タイの習慣で、そういえば、大分前のクーデタ騒ぎ(というか、れっきとしたクーデタ未遂)の折、現地でニュースを伝えるアナウンサーが、みな、手を合わせてるのを見た、記憶がよみがえりました。こちらの「お辞儀」くらいの意味なんですよね。でも、こうして、「敵意がないこと」「謝意をもっていること」を、身体でしっかりと表現すること、、、って、結構、日本の社会から消えがちですが、大切な気がします。この色気もなにもない、お店ではありましたが、この「あいさつ」だけでも、そしてそれは単なる民族の習慣だとわかっていても、今日という日が、すこし、より明るくなった気がしました。
2009.06.13
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今日は、奈良まで、アンジェラ・アキのライブに初めて、行ってきました。紅白で「手紙~15歳の君へ」を聴いたときには、教え諭すでもなければ、上から励ますでもない、、、共感をベースにした歌詞について、「よくある、こころあたたますやさしさにみちたヒューマンな歌詞ではない」点に感心しながらも、そのときは、まず、ハリのある堂々とした声とステージマナーがとくに印象に残っていました。その後、ゼロというかマイナスの組織の建て直しと意識改革から初めて、3年間かかって、心身を削って立ち上げた大きな仕事が、なんとか、周りの共感や理解もひろがって、この春、軌道に載せた直後に、予想外のことがいろいろあって、ヘトヘトになってるときに、たまたま、帰宅したときにたまたま放映されていた、NHKの「SONGS」でのスタジオライブで、再び、この曲を耳にしたときに、その歌詞をきいて、衝撃を受けました。また、スタジオでの集中した歌唱にも、濃密な表現にも、、、、、このときは、また、他の主に、初期の有名曲もスタジオライブで、きめこまかく、また、シンプルな楽器編成で届けてくれたので、彼女の「歌」「声」そして、身体での表現が、ストレートに伝わってきました。で、ナマの舞台にぜひ「今のうちに」触れたい歌手と思っていたところ、ちょうど、ライブの告知があったので、チケットを確保していたのでした。会場は、「なら100年会館」、、、来年は、藤原京から遷都して1300年ですが、100年ってなにから100年か? と、、、奈良県ができてから、、、?落語「天狗裁き」じゃないですが、「天領」が県になったって、なんか地味、、、 (こういうときは、ネットで調べたらすぐ「合理的」な答えが出るので、あえて調べない、、、)はじめ、ならまちセンターと勘違いしていて、「もしかして、PAなしのアコースティック???」とまあ、バカな夢も一瞬みたのですが、そんな、おそるべきプラチナチケットが、発売日からうんとたったあとのチケットぴあでとれるはずもなく、だいたい、「TVに出てるメジャーな人のチケットはジャンルを超えて売り切れる」という関西の法則を挙げるまでもなく、今をときめく、アンジェラ・アキです。当然、奈良一番の大きな、コングレスザールでした。しかし、JR奈良駅の西側、、、なんにもないところです。というか、西側といっても駅前ゾーンですが、ここだけが「真空地帯」っぽかったのでしょうか?***近鉄の奈良駅から奈良公園にかけては、「みどころ」がありえないほど集中していて、まさに「古都」の名にふさわしい、古刹に神社(もともとは、寺も神社もまあ、まぜこぜやったわけやし)、、そして、町屋も、奈良町を中心に、当時のスケールを維持しながら、町が構成されています。また、もちろん、「団体観光客対応」もしている、「ポピュラー」なゾーンでもあります。そうしたゾーンから、JR奈良駅東側までは、三条通が貫き、ちょうど、その「観光」に対応する、通りとなって、にぎわっています。 (ただし、この通り、いかにも「歩行者専用」のような雰囲気をただよわせながら、 歩行者天国にすらなっていません。)***この通りには、実は、「天皇陵」が1つ面しています。通る人は、あまり気をとめませんが、、、******また、1本入ると、小路には、大小のお寺も、、、***さらに、東に行けば、「饅頭の祖神」までも!! (京都の吉田山には、「菓祖神社」というものもありますが、、、)******(*神社の中の石畳が、飾らない鄙びた美しさ、、、)***(出た脇には、間口1間の古い民家が、、、)***(以上「***」にはまた後ほど写真を、、、)そんな、奈良の街中、、、と、ちょうど、JR奈良駅を境に背中合わせにした、JR西側駅前ゾーンに忽然とあらわれた、巨大イベントホール、、それが、なら100年会館でした。
2009.06.13
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音楽評論家の黒田恭一さんが亡くなったとの知らせを眼にしました。僕が、クラシック音楽を聴き始めて、最初に買ったLPレコードは、カルロ・マリア・ジュリーニがシカゴ交響楽団を指揮したドボルザークの交響曲第9番「新世界より」でした。「新世界より」は、生まれて初めて行ったプロのオケのコンサートで聴いて、すっかり、「クラシック」、それも「ナマのクラシック」に夢中になった曲だったので、ぜひとも、「レコード」なるものを買いたい、、と思ったのでした。そのころ、我が家では、「暮らしの手帖」を購読していて、その中に、音楽評論というか、まあ、レコードの商品テストよろしく、始まった欄が、当時は、既に、クラシックをはじめとして、多種のジャンルの「これを聴くといいですよ」という紹介記事がありました。その主にクラシック(のみでなかったですが)を担当していたのが、黒田恭一さんだったのでした。クラシックというものを聴くようになるまでは、「暮らしの手帖」のそうした記事などは、存在も気にしたことがなかったのに、聴くようになったら、「親が読む商品テストと料理の雑誌」やったものが、急に「音楽の紹介のある雑誌」になったのでした。今にしておもえば、ごく限られた情報ではありましたが。そうしてみた記事にあったのが、ジュリーニの新世界よりでした。その記事になんて書いてあったのか、、、は思い出せません。が、とにかくオススメしていたのでした。そして、しばらくして、買ったLPレコードをみると、その解説(ライナーノート)を書いていたのが、黒田恭一氏でした。このLPは今も手元にあります。暮らしの手帖の記事を覚えていないのは、おそらくこのLPの文章が上書きされたからかもしれません。氏の解説は、芸術という感覚的なものを、なるべく、理詰めで、かといって「理論的」ではなく、説明していく、、というものでした。 導き出される結論は必ずしも、論理的必然ではなく、結局は、ある程度、あらかじめ「感性」が読み取った「結論」があって、そこへいたるまでの「説明」である、、、という感もありましたが。。。その意味では、「司馬遼太郎」が「歴史」そのものではなく、歴史上の人物や出来事に、「理由付け」をして読者の共感を得ているのと似てる気もしますが、黒田恭一さんは、聴き手・読み手に高所から教えて遣わす、という姿勢ではなく、「同じ平面」に立とうとしていた気がします。なんとか、良さ、特徴を伝えよう、、、そして、それをできるだけ、きっちりと説明しよう、、という姿勢が、黒田恭一さんの文章にはいつもあったように思います。ジュリーニの演奏の解説には、耳に親しくつい口ずさみたくなる"新世界より"としてではなく、優れた交響曲作曲家であるドボルザークの交響曲第9番としての性格を示した演奏であること、や、たとえば、「家路」の主題も、「家路」という歌ではなく、第2楽章の第1主題としての「毅然たる表情」をみせている。。。。(当時の僕は「きぜん」という読み方を知らずに「こくぜん」と読んでいて、「ああ、チェコ民族楽派やから、穀物に喩えてるんや、、、」とか思ってました。) というようなことを書いておられました。また、ジュリーニが、「イタリア人指揮者」ではあるけれども、「アルフレート・カゼルラに学んだ、アンチ・ヴェリズモオペラの指揮者」であることを思い出したほうがよい、、、、、、というような表現も印象に残っています。ヴェリズモオペラはともかく、アルフレート・カゼルラは今だにその音楽や音楽的特徴を僕は知らないまま、とても印象的な名前として見て記憶して、もう30年になります、、、、つまりは、「イタリア人=情念的で歌謡的で情緒的」というような(まあいえばプッチーニ)「おきまり」のイメージとは異なる性格の演奏ですよ、、、ということをおっしゃっていたようでした。たしかに、ジュリーニのこの演奏は「勢い任せ」ではなく、また、シカゴ交響楽団の特性や、当時のドイチュ・グラモフォンのアメリカ録音の特徴(近接マイクでの直接音がハッキリ入った録音)のせいもあるのでしょうが、すべてのパート・音が明確に聴こえてくる「歯切れのよい」しかしながら、テンポの安定した、かつ重たくはない演奏、、、でした。晩年のジュリーニのような超スローテンポということはなく、すべての「音符」の音価を正確に鳴らし、また旋律の単位をきれいにフレーズとしてきっちり最後まで納めながら、それらをあいまいにせずに組み合わせていく、、、なので、機械的な正確さ、、とはまた異なる、、でもやはり「隙の無い」演奏は、スローテンポではないものの、ジュリーニ晩年の様式に通じるものでもあったかもしれません。そうした特徴を、黒田恭一さんは、独特のアプローチから解説していたのでした。もっとも、この文章は、一般の紹介記事ではなく、いざレコードを手にとって、買おうかどうか、、と考えている音楽愛好家、、または、すでに買って、レコードプレイヤーのターンテーブルに載せた聴き手に向けられた「加減の無い」文章なのかもしれません。そして、「ライナーノート」それ自身が、当時で2600円したLPレコードとしてのそれなりの風格と品格を構成する一要素である、、、ということも意識した文章だったかもしれません。氏の文章の組み立ての特徴は、そのライナーノートにもよくあらわれているものの、その後接した黒田恭一さんの数々の文章の中でも、もっともペダンティックな文章であった、、と今思い返して、思います。このジュリーニの「新世界より」、、、初めて聴いたときは、装置が貧弱だったこともあり、当時としては珍しかった、第一楽章のリピートに度肝を抜かれたことと、また、名物トランペッター、ハーゼスのトランペットの音が、突如、飛び出す場面、、、などに気をとられたものでしたが。で、演奏の特徴、、、がどうというより、「新世界より」をステレオで聴く、、、ために、本当に、「毎日のように」このレコードをかけてばかりいました。第2楽章のところが傷ついて、ノイズが入る場所まで、今でも記憶に刷り込まれているほどです、、、1978年当時、、でした。まだ、その頃は、FMやTVに頻繁に登場するようになる直前くらいの時期だったと思います。その頃のFMのメインは、藁科雅美、大木正興、門馬直美、丸山圭介、そして「若手」で金子建志といった面々でした。が、ほどなく、黒田恭一さんは、FMのライブ音源の番組にもよく登場するようになりました。当時、なぜか日本の音楽評論家の多くは、カラヤンをけなしまくる人が多かったなかで、黒田恭一さんは、マジメに、カラヤンの演奏の面白さ、魅力をあちこちで書いておられましたが、当時は、それが「かなり特異」に見えるほど、日本の音楽評論家のカラヤンけなし、、、は、当時の「主流」でした。黒田恭一さんが、後に苦笑まじりにおっしゃってたのは、当時、ある人に、「あなたはとてもいい人なのに、なぜカラヤンの演奏をホメるのか?」と真顔でたずねられた、、、とのことです。決して、「あたりさわりのない」人ではないのですが、その演奏の聴きどころ、、、特長、、、を汲み取って伝えよう、、という姿勢が基本にあって、美点があまたあるカラヤンの演奏を、風潮でケナして終わらせる、、、というような姿勢にはまったく同調できなかったし、またする必要もなかったのでしょう。ですから、明らかな欠点のある演奏や、美点がみつけにくい演奏については、ケナすということをせず、ただ、とくにコメントもしていかない、、という方であった気がします。そして、放送では、独特の穏やかな口調、丁寧なことばづかい、判断の最後は聴き手にゆだねようとする姿勢(もちろん実際には自分の色が出ていますが)、そしてなにより「演奏の魅力を感じとって、それに触れる喜びを聴き手に味わって欲しい」という思いは、本当に強い人だったと思います。NHKではその後も重用され、レギュラー番組として担当されたのが、ちょうど20世紀が終わろうとしかけていたころにはじまった「20世紀の名演奏」でした。これは、メジャーな演奏家から、少々、名前が売れそこなったが魅力的な演奏家までに焦点をあてて、「録音というものによって、音楽を楽しむことができるようになった20世紀」の演奏を紹介してくれるものでした。権威からの物言いをせず、また、博識であることをひけらかしもせず、狭く偏った好みにとじこもらず、広くさまざまな音楽・演奏を聴き、それらの特徴・魅力を感じとってきた氏の積み重ねと、「自らが感じとったもの」を正直にさらけだす氏の誠実な姿勢が、十全に活かされた番組だったと思います。FMで聴く声もだんだんとしんどうそうになってきたな、、、とは思いながら、また、先日、TVでみかけた姿がとてもしんどそうで、「会話」も、相手の話をききとって文脈を整えながら話を展開する、、、ということが負担になっておられるような、急に老け込んだ様子だったのですが、まだ71歳、、、かなり重いご病気だったのですね、、、、仕方のないことではあるのですが、若い頃、、というか、ほぼ幼い頃から慣れ親しんできた方の死は、とてもさびしいです。氏が書いた紹介記事で思い出されるのは、たとえば、カラヤン=ベルリンフィルの、ハイドンのロンドンと、シューベルトの未完成をカップリングしたレコードです。氏を偲ぶには、カラヤン、、がいいのでしょうが、僕がはじめて氏の文章に出会った、ジュリーニの新世界よりの、LPはかけられなくなっているので、少し音質が違ってますが、CDを今から、聞きたい、、、と思います。合掌
2009.06.03
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教えていただいた、キーワード禁止で、スパムの書き込みの撃退に成功できたようです。禁止したワードは以下の2つhttp://http://www..jpです。これで、あの悪名高い「younrnet」などドメイン禁止する必要はなくなります。(あの悪名高い「yournet」に、僕のプロバイダが下請けに出されてしまい、 楽天ブログは事実上、単なる、一方通行の「ホームページ」になってました、、、)
2009.05.25
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楽天が野放しにしているスパムの書き込みですが、有効なキーワードを教えていただきました。僕自身が一旦試してから、お知らせしたいと思います。僕のプロバイダがあろうことか、yournetに「下請け」させる、という、野放図なことをされてしまってから、事実上、楽天でのブログが機能しなくなり、本当に困っているところでしたので、、、
2009.05.24
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KUMA0504さんへ大変ご無沙汰しています。ときおり記事は読ませていただいているのですが、先の日記にも書きましたとおり、関西の大手電鉄系プロバイダが、よりによってyoursnetに丸投げしてしまい、ドメインがyoursnetになってしまったもので、全然投稿とかが使い物になりませず、KUMAさんの記事にもコメントを書いては、消えて、、ということを何度か繰り返してしまいました。あと連絡手段がないので、このような形ですみません。入院されてたとのこと、大変でしたね。退院されたとの報告の日記でしたので、安心しながら読ませてはいただきましたし、冷静で具体的なルポルタージュも、さすがですね。プロバイダの関係から、相互の書き込み、、、ができなくなり、BLOGの本来の意味をなさなくなってしまってからは、ほとんど更新もせずじまいになってしまっています。もっとも、ほかのBLOGに移っても、楽天内の方との交流が途絶えたままになることにかわりはないのですが、、、くれぐれも、お大事になさってくださいますよう。
2009.04.22
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ギャラリー・アビィという市内のギャラリーで催されている写真展に、今日、職場を定時に出られたので、7時の閉館間際に伺うことができました。カメラというものを所有したのは、かなり実は最近で、当然、デジカメになってからのことなので、フィルム経験はまったくありません。また、コンパクトカメラと、携帯カメラしかしらない、、、という、なんの知識も無い人間なのですが、自分のをもってから、また、なんやかんやいいながら、携帯カメラで、ふと気に入ったり、気になった景色を撮るようになってから、写真ないし「風景や場面を切り取って絵にする」ことの面白さに少し、、、ですが、思い至るようになりました。また、mixiやBLOGのおかげも大きいと思います。いくらなんでも、撮って、ハードディスクに入れておくだけでは、、、やっぱり、どなたかに見ていただけて、またそれで反応でもあった日には、以前なら写真展でも開かない限り体験できないことでもあるわけで、、、ということで、そのホンマの写真展でした。堺筋長堀通りを少し下って西に入ったところにある、ビルの2階の本当にこじんまりとした一角のギャラリーでした。小さな部屋にふと入ると、お二人の方が写真をみながら自然にとても活き活きとお話しをされていて、ギャラリーの方かな、、と思って声をかけると、小さい部屋のそのまた小さい一角に、柔らかい物腰のマスターがおられて、丁寧に案内してくれはりました。あとで、そのお二人の方とも少し会話をさせていただくことができ、教えていただいたのですが、このギャラリーは、時折、テーマを決めた展覧会を開かれるそうで、基本的には参加自由ということで、門戸を開放しながら、写真を丁寧に愛する人たちの集まる場となっているとのことでした。マスターの方もですし、そのお二人の方も、突然入ってきた僕のようなアヤシイおっさんに対し、とても、あたたかく、親切にいろいろと教えてくださったり、お話ししてくださったりと、決して、おせっかいでなく、それぞれはそれぞれ、、という空気をちゃんと保ちつつ(なので至近距離で写真を眺めたり、別におしゃべりをしていても自然、、)、親切であったかい雰囲気を保っておられるという空間であり、時間でした。で、今週のテーマが「桜」お二人もおっしゃっていたのですが、やはり、「桜」というのは、つい写真を撮りたくなる対象であり、また「風景」として撮影される機会も多い花ですが、一方で、花盛りのときは、ある意味、「陰」を許さない「陽」の花、、、という面もあり(散るときにはそれが突然、翳りますが)、それらをまとめた写真展とはどのようなものなのか、それも興味がありました。でも、みさせてもらうと、濃い血潮が芯のほうで咆哮しているかのような熱い夜桜もあれば、水彩紙にプリントすることで、点描(ではもちろんないけど)か水彩画のようなテイストを少し交えたような桜、また、モノクロでの桜の連作など、とても、多彩で、また、対比やバランスがおもしろかったです。また、「完成」されきったものではないかもしれませんが、それぞれが、自分がこれは!!と思ったものを丹精込めて出展されていることもよくつたわってきました。さらには、普段、ついついPC上で写真を眺めることになれていたことに気づかされました。さきほどの、水彩紙はもとより、ツヤの有無、額の質感やデザイン、また、連作の配置、さらには「大きさ」そのもの(←これはPCでは制御不可)など、写真は写真で、ナマならではのものがありました。お二人の方は、ギャラリーにずっと親しんでおられる方のようで、マスターと共に、とてもよい時間を与えてくださりました。そのうち、お1人の肩は、4年前に始めたとのことで、ずっとフィルム写真(銀塩写真)を撮っておられて、モノクロでいろいろな表現をされていて、11月に個展を開かれるとのことでした。仕事帰りに、ほっこりと、とても気持ちの良い時間をいただけました。
2009.04.22
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今日は晴れたら、花見に行こう!!とおもってたのですが、なんとなく、家におります。ムリに元気そうに振舞っても、元気でないときは、そのままじっとしといたほうがいいのか、、、それとも、ムリにでも動いてるうちに、だんだん、習い性となる、、、のか、そのあたりはわかりませんが、、異動してから3日しかなく、その3日はとりたてて今までとくらべて「忙しい」わけではないのに、悲観的材料が満載で、この年度替りのいろんな経過とともに、どうにも気がはれない、、、というところでしょうか。いろんな境遇に身をおくことで、都度都度の「ひと」の態度が変わるひと、変わらない人、、、いろんなものがみえてきます。ただ、もしかしたら、こちらの気のもちようも???とか考えたりもしつつ、、、、例によって「仕事はその人を裏切らないけど、職場は平気で人を裏切る」のとおり、、、の繰り返し、、、それはそうと、「犬も歩けば」ならぬ、「犬もとどまれば」というか、久々に、FMのライブを聴いています。去年、日本に来てくれた公演を奇跡的に聴けた、あのチッコリーニのライブ。昨夏に、フランスでおこなわれたものです。前半は、モーツァルトのコンツェルト、そして、後半はショパンを数曲に、今、展覧会の絵、です。来日時とおなじく、安定してきれいで、しかも、よく「選んでる」響きです。「ものを言う」響き。80歳のワリには、といういたわりは全く必要ありません。あのナマで聴いたリストのまさに、音響マシンとしての多彩な無限のコントロールを、これらの作曲家でもみせてくれます。普段はオケを中心に聴いてるので、ピアノ協奏曲が聴きやすかったりするのですが、ここまで来ると、あきらかにピアノのみの独奏の曲が、うんと堪能できます。録音で聴いても、スゴい。これをナマできいてたら、やっぱり、鳥肌やったやろうと思います。ピアニッシモは録音ではわかりませんから、、、「偶発的」なところが無いです。響きもテンポも。それでいて、ガチガチ、、でもない、コントロールされまくりながら、自由自在。全盛期のジダンのようです。(←なにが??)テンポもやや遅めのところから表現を持っていってますが、といって、速いパッセージが弾けないから、、というのではない、、攻めるときは、攻めまくります。コンツェルトでもそれはまったくおなじ。オケが「待つ」というようなこともありません。つづく、ショパン、そして、展覧会の絵、、それぞれに、曲が許容する触れ幅のようなものが異なる音楽ですが、音のパレットも、必要に応じて出し入れしながら、過剰にならないが、平坦でもない音楽。この人のピアノの不思議なところは、ある部分を聴くと、とても遅く「訥々と」しているかのように聴こえるときもあるのに、難所でも必要とあらば、テンポを上げて、また強靭な音で豪快にならす、という自由自在さがあります。また、リストの実演のときに本当に思いましたが、響きのコントロールと選び方がとても美しいしバランスがとれていて、かつ積極的です。展覧会の絵は、そういったチッコリーニの特質をすごくよく出していた演奏だったように思います。しかし、プロとして、自らの目と耳を信じ、毎日「なすべきこと」を「なし」、それを続けることで到達する。。。「天才」というような名でかたづけるにはむしろ失礼な気がしてきます。それにしても、どのような人生を歩んできたのでしょうか。過酷にして厳しい道を究めるには、また、「ひとり」では、なしえないこともあろうかと、、、
2009.04.05
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久々にクラシックのコンサートに行ってきました。1月のベルリンフィル八重奏団以来、、、ずいぶんになります。ホールは、ザ・シンフォニーホール。やはり、ここの聴きやすさは、別格な気がします。フェスも別の意味でよかったのですが、もうなくなってしまいましたしね。。。よく知らなかったのですが、ピアノの指導者の団体か何かが催す「ピティナ・ピアノコンペティション」という国内のピアノコンクールがあって、その優勝かそれに近いピアニスト3人が、橋下知事に眼の仇にされている、大阪センチュリー交響楽団(指揮は岩村力)と共演する、というコンサートです。あ、橋下知事というか大阪府が眼の仇にしてるのは、大フィルや関西フィルへの貸付金も同じです。センチュリーだけ話題になってますが。「広く一般の関心が向いてない」という立場は、弱くてイジメられたり抹殺されても文句も言えない立場である、ということを熟知した「ケンカ上手=弱い相手だけとケンカする」の知事と役人ならではです。 WTC庁舎移転では、何の益も無い作業と議論を重ねて潰すだけで「被害者」っぽい立場を獲得したし、、、ほかの多くの課題があろうに、、、閑話休題。(ホンマに閑話です、、徹夜して議会を開こうと、たくさんの資料をつくろうと、30年前の副都心構想をカバーだけ変えて出してきてとってつけたように「ビジョン」とか「府市協調」とか言ってみたところで、、、、、、)曲目は、ラヴェル、リストの1番、そして、チャイコフスキーの1番という、「名曲プログラム」ながらも、多彩で、興味深いものです。ラヴェルもリストもよく知られた曲ですが、ナマは実は初めて。。。半端なセンセイが弾いたら、音やリズムをこぼしまくりそうで、解釈以前にとりあえず、テクニックはちゃんとした人で聴きたいものです。(以前、ベートーヴェンの皇帝と、ヴァイオリン協奏曲が、そこそこ、人気の邦人プロやったのに、ボロボロやったトラウマが、、、)で、若手で優勝した人なら、テクニックは、すくなくともボロボロということはないだろう、、というのと、プログラムとして、まとまっていること、また、ちょっとこのところ精神的に「オツカレ」ではあるけどもそんな折に聴くにも、重たすぎず聴き易い、、、ということもあって、今日、例によって直前に行けそうになったので決めました。若手のピアニスト、若い順に登場です。まず、1人目は水谷桃子さん。まだ18歳、昨年のピティナピアノコンペティションで準金賞を得たばかりの人です。曲はラヴェル。複雑なリズムから、叙情的なメロディ。楽譜みてないけど、頻繁な変拍子かまたは、ヘミオラの嵐が、快感という曲です。ラヴェルがジャズの影響も受けた、、とのことですが、もちろん、ジャズの影響を受けたといっても、マイルスはおろかチャーリーパーカーも出現してない頃のジャズですし、ラヴェルの一連の異国趣味の文脈で見たほうがよいのかもしれません。一方で、ストラヴィンスキーも既に活躍していた頃の曲でもあります。舞台慣れはまったくしておられなくて、出てきて、お辞儀をしてという動作がまずとてもぎこちなく初々しいです(ザ・シンフォニーホールはクワイヤ席もありますから、あらかじめどうするか決めてなかったら、高校生の若さですから戸惑うもの当然と思います)。もし同じ状況やったら自分やったらどうかな、、、と想像したりもします。もちろん仮に「ピアノそのものは余裕で巧い」という仮定を置いてですが。とはいえ、ラヴェルの協奏曲のナマ、期待が高まります。まずは、あの、鞭の音から流れ出すようにピアノと木管とそして息もつくまもなく、トランペットそして弦へ、、、あとはとてもラプソディックに展開します。ナマで聴いて初めて、細かいかけあいや、オケの各パートの分離がよくわかった気がします。面白い曲です。やっぱり。ラヴェルはホルン奏者に関しては、恨みでもあったのか、もしくは、あの当時のフランスのピストンのホルンのヴィブラートをきかせた、サックスとバッソンを丸めたようなホルンの音色を想定していたのか、「今のホルンらしくない」、かなり大変な高音のソロやオブリガートがあって、なかなか大変そうです(ボレロでもホルンはそんな扱いですね)。今のホルンで吹くと苦労のワリに、ややイマイチ感があるんですよね、、、、センチュリーのドルソンさんはいつもどおり達者に吹いてはりましたが。複雑なリズムのかけあいとかも、ちゃんと「字余り」無く、合っていていて、曲を味わうに充分な演奏だったと思います。第一楽章はややピアノソロがあわせることに慎重になっていたというか、逆算してあわせるようなところもあったかもしれません。これも聴く側の耳の変化のあるしスコア見て言ってるわけでなく印象にすぎませんが。ただ、音に濁りもなく、弾き崩しもなく、粒立ちも揃っていて、聴いていて気持ちのよい、若い演奏でした。それが第3楽章に行くと、ピアノがオケのテンポを煽って、最後まで突き進む!!という状態になって、ファゴット(パートでいえばバッソン)など、各管楽器は遅れ気味になりながらなんとか、、という状態でした。これがピアノが走ったのか、意図的なのか、指揮のせいなのか、楽器の限界なのか、それとも、譜割はそれが正解で僕の耳の錯覚なのか、、それはわかりませんが。しかし、こうしたあわせることも弾くことも至難であろう箇所の弾きぶりは、テンポも音もしっかりとイメージどおりに弾いている感じで、夢中かつ積極的という印象でした。もちろん、曲本来が求めているものとも一致している、質のよい再現という感じでした。ただ、全体に当然ながら、やはり、一生懸命弾く、という感じはただよっていて、第2楽章の、テンポが遅く、音数の少ないところは、拍節感が強い、確かめながら、音を置いていくという感じが少しありました。あとは、全体に、ピアニッシモが少ないというか、小さい音がメゾピアノくらいの音量で、音色の全体の変化もあまりまだ感じられません。といっても、曲を楽しむのに不足というほどではなかったです。この方は、まさに「これから、ピアニストになろうとしているばかりの若い才能」という感じでした。まだ「ピアニスト」ではない、、、でも、ピアノの演奏は、既に、大変なレベルに達しているばかりでなく、音楽を把握し構成する力も相当に身に着けている。そんな感じです。2人目は、リストの1番を尾崎有飛という当年とって20歳という方が弾いてくれました。こちらは、ステージへの登場の仕方にしても、すっかり慣れておられます。リストのこの曲もまた、オケ部分はリストの厚塗りのそれでいて、音色の変化に富む、ラプソディックなもの。といっても、この日の3曲の中では、一番、全体構成がハッキリしているほうかもしれません。単一楽章形式といいつつ、ほとんど4楽章構成といってもいいでしょうし、全体が大きなソナタ形式と考えてもいいかもしれません。オケとの合わせという意味では、ラヴェルほどのリスクむき出しな感じはないですが、ピアノがオケと渡り合うところもあり、音量は必要なようです。また、リストの独奏曲でよくあるように、やはり、「音響マシン」としてのピアノを駆使しているところがあり、相当な難曲のようです。聴いていておもしろいのは、その「音響マシン」としてピアノと、「音響マシン群」としてのオケとの対比も、ナマで聴くと、感じられました。この人もほとんど、破綻もなく、かつ、堂々と、この大曲をひきこなしておられました。さらに余裕で表現をしており、明確なイメージを持って舞台に居ることがよくわかります。極めて長身な方で、きっと手も大きいのでしょうが、難しそうに聴こえないほど安定した、面白く曲を聴くことができる演奏でした。リストの多彩で微妙で実験的な音響の駆使、、という意味でいえば、音色はやや似たような音色が続き、また、音量がやはりややメゾピアノ以上、、というところは、若さなのかもしれません。そうした意味で、この人は、「ピアニストになったばかりの実力派の若手」という印象でした。休憩後は、関本昌平氏の登場です。この人は、当年とって25歳。先の2人にくらればたら、いわば、このピティナコンペティションのOBのようで、大賞をもらったのは5年前とのこと。曲はおなじみのチャイコフスキーの1番です。この曲は、ナマでも比較的よく演奏されますが、センチュリーの編成はやや小ぶりな印象になります。もっとも、音楽監督が小泉和裕氏なんてしてるから、2管編成の室内オケのクセに、ブルックナーとか大編成向けの曲を並べて、よくわからんことになってしまってるセンチュリーですし、こじんまりとしすぎる欠点はありながらも、バランスを崩してしまう、ということの無いのが特長のオケですから、オケに特に問題はありません。この人が引き出すと、のっけから、「ああ、この人は、ピアニストになった人やなあ、、、」とつくづく実感させられました。音の鳴らし方も、たくさんの選択肢の中から、確信をもって選んで出して行ってる、、という趣で、音色の変化も多彩ですし、音量も本当のピアニッシモからフォルティッシモまでが、自由自在で幅が広いです。そして、随所の木管の歌に呼応して、ピアノのフレージングもまた柔軟に歌います。やはり、速いところでは、オケ側がややもたつき気味なところがあったり、とくにヴァイオリンの後ろのほうのプルトが、場所によっては若干、入りが遅れ気味なところがあったり(いつもじゃないですが・・・要はコンマスと見て”から”入ってる風が何度か、、)、やや、事情を感じさせる場面もありましたが、それも含めて「協奏曲」らしかったです。この日の3人は、3人ともに、すばらしく、とくに安定した、聴き手が曲に没頭できるに充分なテクニックを備えていて、偶発的な乱雑さがリズムや音色にも無いので、とても将来が楽しみです。そのうえでまた、「プロ」の階段をこれから登ろうとしている人、登り始めた人、ある程度登ってきた人のまた3者3様が、対照的に感じられ、各々の、言い尽くせないほどの努力と研鑽と、その上での、まさに日進月歩の日々であろうことも感じられました。来年聞いたら、絶対、今日よりも、巧く、深くなっているだろうことを、当然のように思わせてもらえること、、、それが「若い」ということなのでしょうね。
2009.03.28
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橋下知事は、とにかく地元大阪で大人気のようです。橋下知事が「良いと言ったから」、賛成!橋下知事が「ダメと言ったから」、反対!そして、「橋下知事の言うことに反対するヤツだから」、ダメ!と、中身でなく「敵か味方か」の論法になってしまいがちなのが悲しいところです。まあ、「敵が味方か」なら、自分が悩んで考えなくても、「橋下知事が言うこと」がモノサシになるので、ラクやし、ちょっとした「正義の味方側・改革派の気分(なぜならば、橋下知事側だから)」になれるのも魅力なのでしょう。府庁のお役人も多くの方はそうなって忠実に働いておられるようです。政治家としての手法(?)は、オーソドックスな人のようで、とにかく、「ワルモノ」をつくってタタく &とにかく、「目に見えて判りやすい目標」を設定して「実績」とする小泉手法でもあり、「おおさからしい」のでしょう。「ワルモノ」は、大阪府庁の職員、公務員、クソ教育委員会、児童文学館、最近では霞ヶ関・・くらいかな。「目標」は、イルミネーション、そして、WTCへの府庁移転役人というものは、上の命令にはとにかく従順なのか、きっと「選ばれた政策通」みたいなエリートの方達が集まって、WTC移転がとっても良いことである、、という資料を必死でつくって、「政策」アピールしてるようです。府の職員の通勤が遠くなるとかは仕方ないことかもしれないし、ただ、大阪府庁の窓口に行く回数が多いか少ないか、みたいなことは、どうとでもなるかもしれませんが。。。今日も「朝日新聞」に大阪市大の先生が、・大阪城の周りは、とっても、すばらしいところなのに府庁があるから、沈滞していてもったいない。&・ベイエリアはとてもすばらしいところだが、活かされて無いから、府庁が行ったら、経済的波及効果が大きい!!というとても矛盾したご意見を載せておられました。ベイエリアで波及効果があるなら、今のところでもあるだろう。。まあ、「まちづくりの専門家」って、結局、実際には、この程度でもなれるのか、、、というところですが。。。橋下知事は、ケンカ上手ですね。「弱い」相手とケンカする。まあ古来、ケンカ上手とはそうしたものですが。で、内容は、結構、古臭い。イルミネーションも、大阪市がずっとやってるもののとなりで、ごく小規模に大金かけてやるだけ。学校の芝生も、太田知事の目玉事業で知り合いの学校でも大分前からやってるし。。。偏差値教育どころか、たった一回の学力テストの点数をやたら争点したり。極めつけが、WTC。大阪は、誰のせいということでもないですが、「都心」の規模がある程度限られているところが、首都東京とは違うとこなのですが、ずっと「高度成長期」から、「夢の副都心構想!!」で、「いつかは東京に!!」コンプレックスに、「当時のエリートの方たち」はうつつをぬかし、そのたびに衰退してきました。新幹線の停車駅「新大阪」が、いつまでたってもかなりイマイチ、、であることもそうですし、「京阪神」から南への展開!!を目座した「泉佐野空港」=関西空港もそう、、、そして、副都心構想も、東大阪、泉佐野を言うにおよばず、「再開発」の数だけあり、「ベイエリア構想」というのも、ホントに大金とお役人と財界の人件費かけて、ずーーーっとやってたような気がします。よくある「協議会」とか何度か、「動員」受けたこともあったような(遠い目、、、)。大阪は、いわゆる業務都心は、ほぼ梅田周辺から難波周辺にかけての南北の軸とその周辺が極端にポテンシャルが高く、あとは、なだらか。そして、ほかは、工業中心に栄えてきた、、というのが、実際の大阪というまち(しかも、それは大阪市)。工業は戦前までの軍事の豊富な需要を基に発展して、それが戦後の発展の下地になりました。「なにわは天下の台所!!」というのはいうまでもなく、江戸幕府の統制経済での役割だったわけで、、、そのなかで、北浜が、その南北軸に隣接した証券関係、そして大阪城とその周辺は、官庁街。警察も法務局も、国営放送(NHK)も国の合同庁舎も造幣局も集まってます。まあ、もともと、大阪城が「陸軍師団本部」でマジの軍事中心でしたしね。。。そういう「官衙(かんが)」ゾーンですね。なので、その関連のオフィス街、、、今でもそこそこ空いた土地がちらほらあるほど。。。土地需要が目白押し!!ということはないようです。また、大阪全体でもオフィスは既に余り気味、、、「機会さえあれば、大阪に進出するのに!!」というような「高度成長期」のようなノリはありません。大阪府のお役人も、そんな「意外と使い道の無い、大阪城周辺」の状況をよくわかっていて、環境とか医療とか、「おまえら、若手研修か?」みたいな、「研究発表」を「政策」といってるようです。今は、橋下知事の大人気で、なんでもOKのようですが。なので、大阪城周辺から、府庁が抜けたら、「中途半端な官衙」が残るだけ、、、一方、WTCは「むかしの副都心の跡地に、府庁が来ただけ」となるだけ、、、またWTCは「民間」が永年にわたって「市場価値が無い」と判断しつづけてきた「破綻したビル」ですけども、その周りの土地も「埋立地」なので、イマイチ感があるワリに、「超高価」ですから、「田舎に移転」した場合のメリットである、「いざとなれば、タダ同然で周辺に拡張できる」とか「関連業種が安価に集積できる」というメリットがゼロです。。こんなにカンタンなことにも、大阪府庁の役人の「経営陣」は、知事に進言もできないのでしょうか。そんな「経営陣」が、ほかのややこしい行政課題をどうやって解決するのでしょうか?知事は、行政のプロではないし、大きな企業の経営経験すら実際には無いわけですから、正直、「ただ人気が出るように」したがるのは仕方ないかもしれませんが、プロのお役人は、こんなに明白なことに対して、意見も言わないで、一体普段、なんの責任をもって仕事しているのでしょうね。まあ、これも「800万府民の支持があるから」といえば済むのかもしれませんが、、、橋下知事、、、と、その周辺の言われたらなんでもヤル「優秀な」取り巻き、、、ホントに、伝統的な「大阪府らしい」、これまでどおりに輪をかけた人たちのようです。府庁がどこに行くかそのものより、大阪という街が、それをきっかけに、さらにさびれる、、、のに、それが、ただ、「変えたい」とか、ワケのわからない「まちづくり専門家」の自己顕示の道具にされようとしてるのが、住民としては、悲しいです。まあ、こうやって、衰退していくのも「おおさからしい」のかもしれませんが。。。税金払ってるのになあ、、、まあ、大阪という都市が、さらにムチャクチャになるのに、不良資産処分のために、ただ乗っかってる、大阪市も大概やけど、、、
2009.03.07
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後半は、お目当ての、シューベルトの八重奏曲です。一見「サロン・ミュージック」そのもので、事実、口ずさめるようなメロディに溢れ、寛いだ楽しい雰囲気に満ちているのに、陰影に冨み、ドラマティックな場面転換や、壮大ともいえるような構成が両立している、という曲。シューベルトの天才と、作曲にかける執念と集中力を思い知りますし、「大家」へ着実に歩んでいたことを実感できる曲でもあります。ベルリンフィル八重奏団は、15年前にザ・シンフォニーホールで、この曲の「元歌」とも目されている、ベートーヴェンの七重奏曲の、隙のなく、堂々とした、克明な演奏を聴いたのですが、このシューベルトはどのような演奏をしてくれるのか?ここで、先にラトルで聴いたベルリン・フィルが、これまでの僕の中の「オーケストラ」の定義を塗り替えるほどの衝撃を与えてくれたことを思い出すべきかもしれません。あのときの演奏は、オケの運動性や、個々全ての奏者の表現意欲、そして、同時に、相互の奏者の表現への感受性と反応、、、そうしたものが、究極まで行っていて、かつ、その彼らの「限界」を目指そうとして、リスクをあえて採る姿勢、、その上で、ありとあらゆる「表現のパレット」から、自在に選択して提示する、、という性格で、際立ったものだったのですが、同時に、「究極のブラームス」とか「今後、100年間、標準となるであろう演奏」または「正しい、あるべきブラームス像」といったものは、全く目指していなかった、、、それが、カラヤン時代との大きな違いだった、、、とも思ったのでした。「楽譜に書いてあり、作曲家が思い浮かべて、提示してくれた”可能性”を、"今"どのような形で活かすか??」ということに対する、「毎回のtrial」である、、それが、今のラトルと共同作業を行っているベルリン・フィルであるようでした。映画でみたとおり、だから、「毎回、リハーサルを入念にやる」のだとも思いました。「ミスのチェック」なのではなく、「また、別の表現を、questするため」のリハーサル。本体のオーケストラが、それほどの変貌をみせているわけですから、考えてみれば、そのトップ奏者を中心としたアンサンブルが変貌していないわけがなかったのです。。。ましてや曲が、シューベルト。この10年は、ベートーヴェンからこのシューベルトあたりまでの再定義、、見直し、、、が大分進んだ時代だったようにも思います。その前に、モーツァルトの見直しがありましたが。さて、曲の開始、、トゥッティの和音で始まり、アダージョで、各楽器が、動機を奏していくところ。懐かしく、あったかな、それでいて、ほのぐらい、、そんな音楽が鳴り響くところです。しかし、この日の彼らは、アレグロとまでは行きませんが、アンダンテといってもいいくらいのテンポです。速い。そして、ほぼ、そのままのテンポで、主部のアレグロへ突入しました。(実際には、序奏よりは、相当速くなってるはずなのですが、印象として。)遅い序奏に、速い主部、、、のイメージが覆った例としては、同じシューベルトといえば、大ハ長調交響曲(ザ・グレート・・以前は第9番、今では第8番の交響曲)を思い出します。あの場合は、元々、序奏部(実は第一主題提示)と主部でのテンポ変化は記譜されていなかったらしいのですが、序奏が4分の4拍子、主部に入って2分の2拍子、、とされていて、四分音符1個=二分音符1個となるので倍速!!みたいなこととされていたようです。以前の議論では、突然速くなるのはイマイチなのとロマン的盛り上げの演出の面から「序奏」から主部にかけて、アッチェレランドをかける、、という演奏の是非(楽譜に書いてないのに、、という)および、ソナタ形式なのに、第一主題の再現部で余りにもテンポが違った再現しかなされない!!ということが言われていましたが、近年、「実は、序奏部(第一主題)も、2分の2拍子だった!!」ということがわかり、旧来比で、倍速となる「序奏部」の演奏がなされるようになった、、、というものです。こちらは、慣れると、「倍速」のほうが新鮮で、旧来の「ワーグナー?」みたいな悠揚迫らざるテンポの序奏は、大げさに聴こえるから、慣れとは恐ろしいものです。。。話をもどして、、、この日のシューベルトは、ちょうど、そんな感じ。。この八重奏曲は、序奏部も主部も4分の4拍子で、テンポ変化の表示があるので、事情は全く違うのですが、イメージとしては、「主部は、2分の2拍子でした」という感じの快速で、「前へ前へ」という「2拍子系」に聴こえる演奏でした。スゴいのは、このテンポで入って、あとで加速しても、ちゃんとヤレる、、というところです。そして、ここで、再び、オーケストラ本体のことを思い出すべきかもしれませんが、続く、演奏は、まさに、「リスクを恐れず、やってみよう」というようなテンポの選択を行った演奏でした。その結果、隙の無い、安定した演奏ではなく、刻みのパートのテンポと、旋律のテンポがせめぎあったり、ヴァイオリンがテンポをあおったら、それを、管楽器がその「キラーパス」を受け止める、、といった風でした。第一ヴァイオリンは、かなり、キツめの発音で、随所で、やや音程を犠牲にしても、音楽にムチ打ちます。この「飛び出し」方は、やや、ウィーンフィルのキュッヒルに似たところがあるようにも思いました。彼の場合は、フル・オーケストラで飛び出すから、大分、意味は違いますが。ヴィオラのベテラン、シュトレーレは、映画での「満足という島の住人になったら、もう進歩は望めない」との発言どおり、古参ながらも、アグレッシブな内声の存在感がバリバリです。刻みをやや強調して全体のテンポを挑発しながら、受け渡してみたり、リズムの角を立てて、他のパートの反応をみたり、、、カラヤン時代からの名手の彼もまた、「今」を生きています。とはいえ、彼のこのアグレッシヴさは、カラヤン時代のベルリンフィルにも通じる、楷書のアグレッシヴさかもしれません。クラリネットのフックスは、本来、この曲の「主役」のはずですが、あえて、表現を抑制気味で、むしろ、「そちらが、バリバリ出るのなら、こちらは、あえて、whisperで行こうか?」みたいなところもありました。それでも、もちろん、しっかり聴こえるし、音は美しい限りです。ただし、たとえば、オケで聴く彼や、また昔のライスターやブランドホーファのような、骨太の音でアンサンブル全体の骨格として楔を打ち込む、、という立場になることをむしろ、慎重に回避したキャラクター設定を、この日の演奏はしてたように思います。ホルンのバボラクは、二十歳そこそこの頃、ミュンヘンフィルの首席になったばかりのときの来日ソロコンサートや、ホルン・クリニックで聴いたときの「天才的に上手なひと」とは、当然ながら、別人の感があります。完全に音楽家。アンサンブルの要として、文字通り、八方から飛んでくる音を、受け止めて、とても、自然な形で返します。そして、八つの音の「まとめ役」として響きをつくっていきます。あのアフラートゥス五重奏団のときにも感服したのですが、この「若い頃から破格の天才ホルン奏者」は、しかし、ベルリンフィルに入って、まだなお、一皮も二皮も剥けた、、ようです。というか、それほど、恐るべき研鑽と努力を積み重ねてきたのですね。。。ファゴットは、ホルンやヴィオラ、チェロと、きれいに自在につけていました。コントラバスも、ヴィオラと並んで、以前のベルリンフィルのアグレッシヴさを感じる、あざとくなく、限りなく安定して、和音を支えるとともに、全く、「重苦しさ」の無い、運動能力抜群のリズムを、「苦も無く」(←のように聴こえる)繰り出します。ツェペリッツを思い出させる、、、ベルリンフィルらしい、決然としたコントラバス、、でした。そんな特色の演奏でしたが、攻撃的で、ある意味「前衛」的な性格をところどころでみせながらも、まぎれもない、きれいで、楽しく、懐かしく、さびしく、夢みるようなシューベルトの音楽をたっぷりと聞かせてくれました。第1楽章に続いて、クラリネットの「語りかけ」から始まり、素朴で美しく静かな、旋律的な音楽のようでいて、結構、和音がゆらめいて、音楽全体の表情が変化していく第2楽章。(ところどころ、「サロン・ミュージック」の枠をはみ出て、弦楽四重奏曲の「死と乙女」あたりの世界を垣間見るような瞬間や、「ブルックナー休止」のような「間」があったり。。。実は、タダ者ではない、フランツ・シューベルト、漲る意欲と才能は、やはり抑えてもあふれ出てくるのですね。)続く、軽快そのものの第3楽章。スケルツォでもあり、舞曲風でもあり、、、交響曲第2番の第2楽章にやや似た、牧歌的であたたかいながらも、どこかさびしげなクラリネットの主題から始まる変奏曲の第4楽章メヌエットのクセに、メヌエットとは全く思えない、形式だけいえば、ロンド形式かもしれないけど、そうとも思えない、自在な、変化に富む第5楽章。そして、それまでの流れからは予想もしない、激しいトレモロから開始されて、突如、霧が晴れたかのように、「前進的」な主部を展開して行き、最後にコーダを壮大につくりあげて、全体を締めくくる第6楽章。この曲、楽器の響きの特性を本当によく活かしています。また、ホルンの立場からいえば、当時はナチュラルホルンやったから当然かのかもしれませんが、倍音列を、自然に活かすキャラクター設定を旋律的にもしながらも、全体の響きをつくりあげる役割も見事にあたえていますし、クラリネットの魅力はもちろん、ファゴットも、ホルンとのコンビネーションも美しいです。また、この組み合わせだと、えてして、硬質に聴こえる第1ヴァイオリンと、木管群(ホルン含む)の音色の対比が、また、とても、面白く、美しく、変化に富むものになっています。(その意味では、この日の、1stヴァイオリンは、とくに、硬質な音色のうえ、かなり、硬めのイントネーションで弾いていたので、この性格は際立ちました。バボラクのホルンがまた、音色の幅に富んだものだっただけに余計!!!)歌曲で「世界」をつくる、、という、ジャンルそのものを産み出したシューベルト、、、壮大で、形式そのものを拡大しかのような中に、夢や憧れとともに恐るべき影や孤独や迷いそのもの、、を音楽にしたかのようなたくさんのピアノソナタ、やはり、ものによっては、死も感じさせるほど、多彩な弦楽四重奏曲。本当に多くの作品を残しながら、オーケストラについては、その演奏機会、、という意味で、とても、恵まれた状態とはいえなかったシューベルト。自分の交響曲は、確認されているだけで、8曲あるけども、ほとんどの交響曲を公開の演奏会で音になったのを聴くことがなく、ともすれば、大半の曲を「習作」よばわりすることすらあるシューベルト、、彼が、オーケストレーション(楽器法)の名手、、とよばれることはまず聞いたことがありません。しかし、この八重奏曲を聴くと、その音色感覚のセンスの良さと、使いこなすだけの熟達にいたっています。そして、各々の楽器のことが「好き!!」であることが、ひしひしと伝わってきます。180年も前に亡くなった人のことを、どうのこうの言っても仕方のないことですが、彼がせめてもう10年生きていれば、音楽史は変わっていたのではないか???そんな気もします。シューベルトもまた、生きている間、ずっと、成長し、変貌しつづけていたのかもしれません。(この八重奏曲だけを聴いて、この感想で終わるのは変ですが、、、、)この八重奏団、ぜひ、また来日して、今度は、フルプログラムで、落ち着いて聴かせてもらいたいです。とはいえ、本当に、神戸まで行ってよかった、、、コンサートでした。(あ、でも、次は、ぜひ、ザ・シンフォニーホールで、、、)
2009.01.12
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プログラムは、前半が、森麻季も加えた、「ウィーン音楽集」。後半が、メイン・プログラムの、シューベルトの八重奏曲です。元々は、前半が、シューベルトだったのが、逆転したとのことです。歌手の都合なのかもしれませんが、よくわかりません。メインが後なのは別に普通やし、、、と思ったのですが、結果としては、やはり、先にシューベルトのほうがよかったようです。「森麻季とベルリンの仲間達のウィーン音楽ニューイヤー」が目当ての方からすると、シューベルトは長くて、やや退屈だったようです。。。ざわつきやら、「私語」まである状況は、さすがに室内楽のコンサートでは初めてでした。曲目は、こうもり序曲や、美しく青きドナウ、アンネンポルカ、締めくくりのラデツキー行進曲などのオケの編曲ものと、「こうもり」からアデーレのアリア2曲と、「春の声」そして、「メリーウィドウ」からジャズのナンバーにもなっている「ヴィリアの歌」が、森麻季さんの歌です。オケ編曲は、元々の曲からすると楽器の種類が少ないので、「"本来"ではない不自由さ」みたいな感じがあって、正直な感想を言うと、「すごく上手な人たちが、初見であわしてる」みたいな感じでした。よくいえば「気さくな、くつろいだ雰囲気」ともいえなくもないですが。オーボエのメロディをクラリネットが吹いたり、ホルン2本のハーモニーのところをファゴットが代吹きしたり、、、、ヨハン・シュトラウスの編曲ものといえば、ウェーベルンやアルバン・ベルクらが、サロン・ミュージックに編曲したものが比較的有名ですが(独特の音色感覚が「世紀末風」)、聴く限り、この日の編曲は、オケをなぞろうとしたもの、といった感じでした。(もし、シェーンベルクとかやったら、ゴメンなさい!)ブラバンでも、よく「オケの編曲もの」やりましたが、、、良いのはいいんですが、別に、ベルリンフィル八重奏団でなくても、、という感じではあります。それぞれのソロなども美しいのですが、「合奏のスゴみ」にはあんまりならないかな、、という感じでした。普段やってる楽譜なんかな???森麻季さんは、しかし、室内楽をバックにしても、声量のあるタイプではないようで、室内楽がバックで「ちょうど」くらいの声量でした。900人の中規模のホールですが、声が、ビンビン飛んでくるという感じはなく、舞台のプロセニアムまわりで声がきれいに整っている、、という感じの歌唱。とはいえ、曲が、洒脱な曲ですので、意図したものかもしれませんが、個人的好みとしては、ナマなので、身体のサイズ、ホールのサイズの声が聴きたかった、、という気はしました。声は、透明で、硬めでやや細身の声ですが、音程は正確で、丁寧ですし、その意味では、好感のもてる歌唱でした。で、、たぶん、、なのですが、声量については、結果としては、尻上がりに声が出ていたようには思いました。歌の最後の、ヴィリアの歌 は、かなり、「舞台から飛んできて、ホールに響く」声のように思いましたので。これらが表現意図なのか、どうかは定かではありません。そもそも、あくまでも、僕の主観にすぎませんので、こちらの耳や脳内イメージのズレを修正しただけなのかもしれませんが。前半最後の曲は、ラデツキーだったのですが、室内楽の演奏やし、まだプログラムの途中なので、手拍手はせんといてほしい、、と思ったけど、やっぱり手拍手でした。よくもわるくも、ベルリンフィル八重奏団は、とてもリラックスした、鬼気せまるもののない、「字余り」感のある楽譜を音にした、、、という印象が、正直残った前半でした。(決して、森麻季さんが、悪かったという意味ではないので、誤解なきよう。 ただ、この日の歌唱については、正確で美しかったのですが、 やっぱり、ナマの驚き、、、を体感できなかったです。 彼女が普段どうかは知りませんが、この日聴いたものは。)
2009.01.12
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神戸まで、ベルリンフィル八重奏団のコンサートに行って来ました。このホールは直前になると電話予約も取り置きも出来なくなるのですが、土曜日に尋ねた段階で、残りが少ない、、ということで少し諦めかけたのですが、当日朝の段階で20枚あるとのことだったので(関係者席を放出したのでしょう)、それでもややリスキーでしたが、無事、行って、入手・入場できました!!「関西は、実質重視(←大概、”東京と違って”みたいな言葉が入る)」という幻想とは裏腹に、ブランドとマスコミによる情報・嗜好支配が強く、とくにこの10年、クラシックも演劇も、よいプロモーターがどんどん居なくなってしまったので、特定の場所で、ナマに触れ続ける、、という機会が減ったものだから余計に、「超有名ブランド」のみしか成り立たない、、というか、催さない、、という状況になっています。悪循環。。。あ、もちろん、アマチュアとかインディーズは別ですよ。プロモートがほぼ自主運営だし、口コミとおっかけによる収益率くらいで大体は成立できる市場やから。で、関西では、そもそも、ベルリンフィルとウィーンフィルと大植英次、または、フジコヘミングか、それとも美少女系演奏家「以外の」クラシックのチケットが完売ということは滅多にありません。ないこともないでしょうが。で、室内楽となると、本当に、いつでもOKで、先日の、チェコの伝説的トランペット奏者、ケイマルのときは、大阪の梅田の都心の300席のホールが3割lくらいの入り、、、か、、また、本日のメンバーでもあるラデグ・バボラクが、古巣のチェコフィルの名手達と組んでいるアフラートゥス木管五重奏団のときは、すでに彼がベルリンフィルの首席になって大分たってからでしたが、同じホールで8割くらいの入りで、当日券余裕でOKでした。(このホールは、眼の前で、超名人が「一緒に」演奏してるのが聴ける、すばらしいホールなのですが。)今日は、会場は900人収容の多目的ホール。関西では、「ウィーン」に劣るかもしれないが、まあほぼ並ぶブランドである「ベルリンフィル」の名を冠した団体といえども、集客には不安があったのでしょう。実は、以前、この団体を聴いていますが、そのときは、関西の「興行界」が今ほど保守的にはなっていないころで、ザ・シンフォニーホール(朝日放送)も元気でした。近鉄劇場も、近鉄バファローズもあったしね。。。当時は、まだ僕はホルンを吹いている真っ最中でしたから、「ザイフェルトを聴いた」ということと、「ベルリンフィルは聴けないから、小型を聴いた」みたいなことを冗談で言っていました。実際、そのときの曲目は、当時、僕がオケ仲間とやっていたものでしたし。(ベートーヴェンの七重奏曲)それは、もう15年近く前。。。ホルンにザイフェルト、コントラバスにツェペリッツ、クラリネットがブランドホーファ、ヴィオリンがサシュコ・ガブリーロフとライナー・ネーメ、ヴィオラが今回と同じシュトレーレ、チェロがシュタイナー、ファゴットがレムケと、まだカラヤン時代のメンバーが基本のメンバーでした。今から思えば、隙の無い、安定した熟達した演奏だったと思います。イントネーションもとても揃ってしかも明確であったという記憶があります。その頃、僕が、もっとカラヤン=ベルリンフィルの演奏の良い聞き手であれば、「ベルリンフィルらしさ」も聴き取ることができたかもしれませんが。。。。そのころはCDも普通、1枚2500円くらいして、ごく稀に1000円で出る、という程度でしたから、いくらなんでも昨今のようなオトナ買いはできませんでした。その頃は、完売と行かないまでも、1600人のザ・シンフォニーホールが基本満席やったのですが、たしかに、今の関西、そもそも、「大阪でコンサートをしよう」というプロモーターが存在せず、神戸市の外郭団体が、やっとこさ催した、、、のが実情なのですから、主催者が興行をリスクあるものと考えたのも仕方ありません。。。そこで、関西といえば、「テレビに出てる人」「ウィーン」に弱い、、、(あとパリと東京にも実は反発しつつ、とても弱い、、、)の鉄則を守って、テレビの露出が最も多い美人ソプラノ歌手である森麻季を前半出演させて、ベルリンフィルのしかも八重奏団なのに、ウィンナワルツとウィーンのオペレッタのアリアを歌う、、、という企画にしたようです。ポスターも、彼女だけ、半身抜いた写真で、当然、メンバーよりはるかに大きい画像です。(おかげで、以前、このホームページをみたとき、ベルリンフィル八重奏団のコンサートとは気づかず、よくある「ウィーン^*^@」とか「ベルリン&#$%」とかの無名アンサンブルが伴奏についてるのかと、、、) http://www.kobe-bunka.jp/hall/jisyk/kou198.htm↑まあ、しかし、いくらなんでも、これで気づかないほうも、どうかしてるか、、、でも、良いように行っても、「白雪姫と8人の・・・」または、「ひばりのお姫様と、楽しい仲間たち」、、、、ですよね。。。そのようなわけで、チケットはほぼ完売だったのでした。これは、興行的な判断としては正しかったことになります。どこかの知事なら、絶賛することでしょう。中身じゃなくて、点数・偏差値・勝ち負け数の時代、、そんなことで、一旦、諦めかけたチケットでしたが、なんとか入手できました。
2009.01.12
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昨日観た、ベルリン・フィルの映画。3年前のアジアツアーに取材したものです。(記憶をもとにしているので詳細は不正確かもしれませんがご容赦)映像は、初めに、「Berliner Philharmoniker」とだけ出て、オーディションの風景が写ります。客席には、おなじみの団員の面々、、、舞台上には、オーディションの受験者。パーカッション奏者の演奏の音から、空港の風景、、、そして、音と映像がラップしていって、Trip to Asiaそして、、The Quest for harmony真っ青な空を、飛行機が横切り、白い飛行雲が一筋、、、この「The Quest for harmony」邦題では、まあそれほど意訳でもなく「最高のハーモニーを求めて」とされ、「世界最高のオーケストラ ベルリンフィルが、最高の音楽を探求して切磋琢磨する様子」をイメージされる訳がほどこされています。まあ、それも、違いはないのですが、この映画のスゴいのは、そういった「特別な人の特別な様」を強調しようとするのではなく、 (もちろん「特別な」緊張や努力や試練の中に居るのですが、、、)「自と他」、「個と集団」、「私生活と職業」、「劣等感と誇り」、「ヨーロッパ文化と異国の文化」、「伝統の継承と成長」、「母親と女性奏者」、「ヨーロッパ人とアジア系移民」、「審美眼(耳)と肉体・精神的限界」、「極限のプレッシャーと達成の歓喜」、「世代」、そういった、様々な矛盾や軋轢や齟齬をきたしかねない様々な要素、、、、しかし、矛盾や痛みを伴うからといって、廃することのできない、どれもが「必要」な要素、、、そして、そういったあらゆる要素のなかに、「調和」「折り合い」を見つけていく、、、そして、よりよい「調和」、よりよい「折り合い」を見出そうと努力する、、、そういった「人としての営み」そして「人が集まり、共に動くことで果たそうとする営み」、そういった「harmony」を探し求める人たちの、そして「人」の、懸命な生き様を、過酷で多忙な「楽旅」と、そして、philharmoniker未満の存在である「試用期間の"候補生"」たち、中心となる首席ソロ奏者やコンサートマスター等の中核奏者、そして、定年・引退直前のphilharmonikerの共時的な姿による「人生の旅」そんな、「harmony」を探し求める「旅」を描いた映画といえるでしょう。なので、まあ、興行的には仕方ないとはいえ、「最高のハーモニーを探して」という、やや「音楽オタク」的な題名は、本当は、音楽のharmonyと、人生や社会そして職業と個、民族、文化、などのharmonyとをかけている原題からすると、やや、ありきたり、、、な感がするのは、いたしかたないかもしれません。もちろん、音楽的にも、興味深いところだらけですし、「音楽マニア」には、もうすっかりBSとかで顔も名前も知ってる!!という奏者達が、自分のl言葉で、自分の心象や人生について語る(ああ、、、ドイツ語がわかれば!!!!)のですから、たまりません。ただ、「音楽」そして「音楽すること」を描いた映画であるにもかかわらず、「音楽映画」にとどまらないのは、主題が上に書いたようなものを軸にしているからです。僕自身は、もちろん、ベルリンフィルどころか、まったく、比べ物ならないアマチュアオケのなかのしかも「劣等生」で必死で、オケでホルンを吹いていた、、、というだけなのですが、それでも、もし、僕が、オケをやっていなかったら、どんなに他のことをしていても、絶対に経験できなかったような体験をしてきて、(音楽の演奏の機会、というだけでなく、人生として、また「個」のあり方や、「立場」「自我」の「危機的状況」への晒され方と処し方、恐るべき難題への懸命の努力、といった面も含めて)それは、実際、人生のほかの場面で、生かされてもいる、、と思うことは多いのですが、この映画をみて、その面では、通じるところが多かったことも、とてもうれしかったです。(音楽の能力の会得とか、才能という意味では、全く、共通するところが無いほど、彼我の差は絶望的ですけども。)また、もちろん、「プロとしての仕事の突き詰める厳しさ」と「その目標設定・目的意識」、「自己への厳しい評価」、「達成意欲」「使命感」といった面も、「職業人」としては、とても通じる面がありました。「厳しいつらいことをのりこえるからこそ、自分が(以後続けていけるだけ)強くなれる」という言葉、新人時代に非常にシゴかれたこと、厳しいプロの世界に入っての初めの数年間のことを述懐している言葉が印象的でした。あの、スタイリッシュで、繊細にしながらも、自在の強靭な柔軟さを持つオーボエ奏者、アルブレヒト・マイヤーですら、「入って3年ほどは、彼ら(先輩達)は、私を徹底的にシゴいてプレッシャーを与えた。もう自分はやっていけない、、と本当に思った。しかし、彼らは、私が一緒にやっていけるかどうか冷静に試していたんだ。」と語っていたことも、驚きでした。もちろん、成長する一流のプロは、どの仕事でも、「これでいい、、」と思って安心したりはしないものですが。だれかが、「もし、自分の出来に満足したら、もうそれで終わりだ。向上は無い。」というようなことも言っていました。マイヤーはまた、「世界中に、音楽の才能に溢れた人は無数に居る。」といいます。「が、しかし、努力や意思や自己犠牲をいとわない決意が無いならば、その才能は無に等しい。」とも、、、一見、世界最高の名をほしいままにする「天才」とも目されそうな人たちの言葉は、僕らが普通に普段仕事に取り組んでいるときの姿勢と、余りにも共通する、「おんなじ、プロ」としての言葉に溢れていました。もちろん、あまりにも過酷な個へのプレッシャーと多忙から来る疲労への対処、職業の負担と、私生活のバランスのとりかたについての工夫や苦心や苦悩も描かれます。女性ヴァイオリン奏者だったでしょうか、「楽団を離れても、音楽のことで頭はいっぱい。練習を詰めて行い、さあ、気分転換に、、と散歩にでかけても、つい音楽のことが頭にうかぶ、、、そして、”ママ、保育園に迎えに来て”という電話でハッと我に還る。 その瞬間からは、私は母親として完全に切り替わらないといけない、、、でも、そうはいかないこともある。」やはり、そういうものなのだな、、と、つい先日、当のベルリンフィルをナマで聞きながらも、時折、「仕事」のことが頭に浮かんできてしまった自分を思い出してました。また、楽旅のあいまのわずかな「オフ」の様子でも、各々の個性が描かれます。名ティンパニスト、ゼーガースが、蝶の観察を趣味にしている(採集ではなさそう)のも面白かったです。ティンパニも、常に最高の緊張を強いられる特別なパートですからね。。。いわく「ベルリンでは140種類しか蝶が居ないが、中国では500種類もいるんだ」とか、、また、ホテルまで輪行用の自転車を送っておいて、二人で長距離サイクリングにでかける奏者もいます。「平均3時間睡眠しかずっととってないのに、なぜか、走れるんだ。」おもしろかったのは、他の奏者で、「もうたくさん。オフは音楽から開放されるの!」とかいって、地元のアマチュアと、合奏して「楽しんで」いる様子があったり、、、また「組織」として「職場」としてのベルリンフィル、という見方もできます。能力のある人たちが集まり、共通の目的のために、都度都度の出来事に対処し、よりよい仕事を達成しようとしていく、そのための「方向付け」(ディレクション)を行うために、優れた指揮者を迎え、その指揮者にも妥協なく、ぶつかっていく。指揮者も「抑え付け」るのではなく、自らの能力を高め、具体的に仕事の目標と目的を提示し、かつ、出来事に応じて、修正していく、、、、そして、常に、見直していく、、、(「英雄の生涯」を、あれほど真剣に何度もリハーサルをして修正していってるとは、驚きでした。)「職場」とは本来そういうものですし、「僕らの職場」というのは、まさに、philharmoniker達にとっての「ベルリンフィル」と全く同じことなのです。でないと、実際、達成できない仕事、、が、僕らのとりくんでる仕事でもヤマほどあるのです。決して「たやすい」「誰がやっても同じ」仕事ではない(本当の意味で、そんな仕事は無い、、と僕は思います。そんなレベルにとどまる、、、ことは頻繁にみられますが、、)。奏者達の、個人的な劣等感やトラウマを赤裸々に語るシーンも、ちょっとほかでは見られないものでした。それはなにも「楽屋裏」の興味本位ではなく、人間ならだれでもあるそうしたものを彼らも当然ながらもっていて、それを、それぞれのやり方で「乗り越える」または「対処している」ということなのでした。また、「オーケストラは、ソリストになって目立ちたい、、という人間は要らない。ウチのオーケストラも以前はそうしたタイプの人間が居た。しかし今は違う。」といいつつ、一方で「強い人間はきっと他から認められなくてもやっていけるだろう。しかし、私は弱い人間なので、他から認められたい。だから、オーケストラの外でのソロ活動もしていきたい。」と語るのは、さきほどのマイヤー。また古参のベテランコントラバス奏者クラウス・シュトールは「オーケストラ奏者は、創造的芸術家ではない。再現的芸術家だ。」 で、ちょっと微笑んで、「でも、ときどき、そう認めたくなくなるときもあるんだ。」こうした、「個」の追求と、「共」の追求の葛藤も、フランクな言葉で綴られています。また、職業、プロフェッショナルとしての、追求についても、やはり、同じやなあ、、、と思う言葉、、、「初めは、同じ曲を120回もやれば、あとは楽勝だろう、、と思っていた。しかし、実際は違った。やればやるほど、課題が出てくる。できないこともみつかってくる。あとになるほど、どんどん大変になっていく。」こうしたプロの世界での感覚も、オケならずとも、僕らにとっては、とても親しい感覚ですよね。どんどん、次にやるべきこと、、、ぜひやりたいこと、やっておくべきこと、、、は、出てきます。そして、次の対処も、、、この反対の例としては、ある仕事が、「傍目」にはカンタンに見えたり(たとえば隣の係、、ていどでも)、また、安易に仕事に取り組んでいる者ほど、本当に「カンタン」に思ってしまって、レベルが低いままでも満足してしまう、、、また、自や他への「関心」「観察」「洞察力」を欠いてしまい、結局は、自や他への敬意の念を欠く、、、ということになっている例を見つけるのは、そう難しいことではありません。よく高校生くらいの「バイト」だけしたことがある子が、「あんな仕事」と言い放ったり、社内でも、「あんな部署」と断じてしまっていることも、そんなに珍しいことではありませんよね。まったく、音楽に興味が無い人、、には、ムリにオススメしても仕方ないかもしれませんが、ちょっとくらい興味がある人、、、そして、なにより、マジで仕事に取り組んでる人。否、「なにか」に、マジで取り組んでる人、、、には、必見の映画と思います。ちなみに、「映像」と「音」も、カッコいいです。あと、専門的なことはわかりませんが、非常に多彩な取材した映像、、つまり、リハーサル風景や楽屋、またホテルなどの様子はもちろん、それぞれの奏者へのふんだんなインタビュー、、そして、街の様子に、風景、、など、それらを、「編集」して、「組み合わせて」、、「作品」としていく、そのセンスと手腕は、ものすごいものだと思います。
2008.12.24
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ベルリンフィルは、30年前からずっと聴きたいオケで、10年以上前に一度は、アバドとの大阪公演のチケットを実際に買ったのに(たしかバルコニー席かどこかでしたが)、身内の不幸があって、行けなかった、、、で、それいらい、大阪には来ていない、、、のでした。たしかに余りにも高価、、、でしたが、大阪(まあ行ったのは兵庫でしたが)に来ること自身が稀有なうえ、土日にコンサートをしてくれる、、ということも、「千載一遇」ですし、また、100年以上前からの曲を演奏する「クラシック」とはいえ、「今」は、今しかない、、、ということを、過去の演奏家で、実際に聴けた人、、、、また、聴き逃した人、、、演劇や落語でもおんなじですが、そうした、「ナマ」のまさに「一期一会」を大切にしよう、、、とおもったのでした。で、会場です、、先に書いたとおり、この西宮のホールとは僕は相性がイマイチで、ザ・シンフォニーホールはもちろんのこと、フェスティバルホール(取り壊し決定、、、)と比べても、なにか、まとまりのない響きのような印象はぬぐえません。季節外れの「豪華志向」のデザインではあるのですが、、、いわゆる「側方反射」も、両側の壁面のバルコニー席が3階まで埋まっていることで、豪華な「セミシューボックス」っぽいデザイン(=側方反射が第一次反射として聴こえるのが利点)が活かされてないせいかな、、とも少し思います。いずみホールのように空気の量が足りない、、とか、平土間席が上がっている、、ということはないので、オケが混濁することはないですが。で、今日のベルリン・フィル、、、1曲目もブラームスの1番では、そうしたホールの間尺を、やや探っていて、ブラームスの2番で、ようやく、大体のスケールをつかんだ、、というような印象は正直ありました。ただ、ベルリンの、フィルハーモニザールこそ、天井も高く、響きはかなり拡散しそうなので、このホールのスケール感さえつかんだら、きっと、フィットした演奏をしてくれたであろうことがすこし残念でした。とはいえ、ものすごい演奏でした。オーケストラ、、というものの「意味」が変わってしまうような、、、演奏全体の設計の特徴は、ラトルらしい、メリハリの効いたもの。ブラームスという作曲家は、ちょっと聴きには、メロディアス&ドラマティックな古典的構成をもったロマン派、、、というところなのですが、ヘミオラ(楽譜上は4拍子だが、3拍子に聴こえるとか)や、シンコペーション(拍のオモテのように聴こえるが実はウラ)とか、また、2拍子系と3拍子系が同時に別のパートで鳴ったり、、とか、いろいろ「20世紀」を予感させることをいろいろやっているのですが、そうした「仕掛け」もとてもよく見えてくる解釈でした。それとあわせて、肉体的快感!!フレーズの1点にエネルギーを集中させて、放出する、、、というような、独特のスピード感と「ため」を、「オケ全体」で行ない、それが、また本当にビシっと揃って、集中・放出されるのは、「ベルリンフィルらしい」といってよいでしょう。といっても、アバド以降の、、ですが。ナマでは初めてですから、「らしい」なんていう資格ないんですが。。。それにしても、「音色」というもの(ピッチやフレーズ感や音のスピード感に「音の形」も含んだ「音色」)が、これほどまでに、一体化するときはするのか????と本当に驚きました。もちろん、各々が「対立的」にソロが浮いたりするときなどは、逆に、音に「名刺」がはりつけてあるかのように、オーボエでしたら、アルブレヒト・マイヤーさんそのものの音、クラリネットでしたら、ブランドホーファさんそのものの音、フルートだったら、パユさんの音、、、と、ハッキリとしているのに、(またしかし、それぞれが、その場面場面で、いろんな音量・音色・艶を選んで繰り出してくるわけですが)一体となるべきときには、とくに頻出する、オーボエとフルートでも、「ひとつの楽器」のようでしたし、木管やホルンそれに弦、、、などでも、ピッタリとひとつの音なのです。シュテファン・ドールのホルンソロと安永徹のヴァイオリンソロも、完璧にシンクロした音・音楽でした。あまりにも完璧なので、ヴァイオリンソロの「ヴィブラート」がやや「揺れ」に感じたほど、、、全ての金管群も、いざとなると、完全にひとつの響きで聴こえますし、必要とあらば、随時、オモテに出たり、また、溶け込んだり、、、、と、全ての瞬間が、「偶発的」であったり、「楽器の事情」であったりすることなく、多くの選択肢のなかから選択された音として、出されてくるのです。「融通無碍」という言葉もおもいうかびました。どれも、、、小さい音も、大きい音も、、「限界」や「制約」などの「事情」を感じさせない、、、必要とあらば、どの音量でも再現できますよ、、、そのような「余裕」に充ちた「選択」であることが、本当に実感されます、、、また、あえていうまでもないですが、また、各楽器が美しい、、、こと。。。。今日は、オーボエが「第二の指揮者」というくらいの活躍でした。マイヤーは10年近く前、奈良の山奥の自治体が「やまなみ音楽祭」という室内楽主体のコンサートをやったときに来ていたのを間近でナマで聴いて以来ですが(たぶんBPOに入ってまもなく、、のころと思います)、当然、このスーパーなオケの中心で吹く音・姿はまた別人です(10年たってますしね)。くわしいことはわかりませんが、たとえば、カラヤン時代のコッホなどとくらべると、とても繊細で細身ともいえるデリケートな音色、、、オーボエでもこうした音色の人は、ともすれば、ややピッチがズリ上がって不安定になったりするものなのですが(奏法でしょうか、、、、?)、マイヤーの場合はそうしたことはいっさいありません。(正確に言うと、ブラームスの1番の冒頭だけは、一瞬「そっち」に行きかけた瞬間がありました。リードがやや思ったように冒頭のときはならなかったようです。。。。が、その後、完全に「修正・調整」してきました。すぐ、ソロですからね、、、ブラ1、、、この「復元力」がまたスゴい、、です。)パユのフルートも当然初めてナマで聴きますが、輝かしく出るときは本当に光を放つかごとく、、それも、硬いのから柔らかいのまで、、録音で聴いているよりも、はるかに、「輝度」も「照度」も高いです。でも、よくある「巧そうな、縮緬ビブラート」はありません。むしろ、透明でストレート、、、音質は大分違いますが、フレージングのきれいさ透明さや「清潔さ」は、ニコレを少し思い出しました。ブランドホーファも、倍音の多い、溶け込みやすく、またソリスティックな音色です。こちらはもしかしたら、若いころのライスターとかもこんなんやったんかな、、という系列の音です。 ただし「重たさ」は無い、「アバド時代以降の音」ではあります。本当にきれい。安心して「身を任せられる」音です。弦がメチャ巧い、、のはもういうまでもないことですが、それにしても巧い、、、カラヤン時代の「巧い」とは大分ちがっていて(あくまでも録音ですが、、、)、カラヤン時代は、「筆圧」の高い、分厚い「鳴り」を特徴として、その「分厚い音」なのに、「運動性」(リズム、細かいフレージング、テンポの伸び縮み、表情付け、、、)を余裕で発揮しまくる、、、ところから来る「雄弁さ」が特徴のようにおもいますが、今日のベルリンフィルは、その「分厚さ」「薄さ」そのものを自在に変化させて、それそのものも、音楽の描写の一部にしてしまっています。いざとなったら、管楽器のトゥッティを多い尽くすほどのフォルティッシモも余裕で出せる、、といった感じがあります。また、「対抗配置」やったのですが、上手端、ひな壇の上のコントラバスも、真正面のチェロも、第一ヴァイオリンの奥のヴィオラも、内声が極めて、よくはっきりと聴こえます。しかも、分離しているのではなく、、、また、ラトルらしい、「テンポを追い込むことで、フレーズを分けるとともに、エスクタシーを与える」といったようなところで、急激なテンポアップでも、全ての弦楽器が(1本残らず)、同じテンポ感で、急激に緩急を、全ての音符・休符を音にしつくして、飛ばしたりあいまいになることもなく、完全に弾いてしまいます。音量の幅もしかり、、、繰り返しになりますが、ありとあらゆる「言い訳」や「事情」がまったく感じさせないのです。ですから、指揮者は、このオケとは喜びに充ちた共同作業、、、となるでしょうが、選択肢が無限にあり、どれでもが「可能」なオケに対して、自分が、最適と思う「解」をオケに伝えて、形にしていく、、、ということは、大変な能力が必要なことで、特別なことやと、つくづく思いました。能力がイマイチのオケなら、「コノ箇所は、ホルンが小さくならないから、、」とかまあ小さくしても「小さく吹くのは難しいから」とか、そういったことの「制約」の中からの選択を行うのが、指揮者ですが、このオケの場合、「やろうと思えばなんでもできる」相手に対して、共通の具体的なイメージを伝え納得させ音にする、、という「仕事」はなんと、能力が必要なことか、、改めて想像して思いました。。。
2008.11.30
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とうとう!!!やっと!!なのですが、小ネタ、、ながら、前日にちょっとした出来事がありました。。。土曜日に阪神電車で神戸にアカペラのレッスンに向かっているときに、西宮を過ぎたあたりでふと眼を上げると、「Berliner Philharmoniker」と書いた冊子を持った上品な女性が、、、心臓が凍るほど焦りました、、通常は「上品な女性」に力点が置かれてしかるべきところなのですが、ベルリンフィルの演奏会の日を間違えたのか、、と思ったからでした。というのは、8年ぶりにベルリンフィル、、関西に来てくれたのですが、大阪公演と西宮公演の2公演があり、大好きなザ・シンフォニーホールをとりたかったのですが、コジェナー(ラトルの"今の"奥さん)のリュッケルト・リーダーよりは、ブラームスのシンフォニー2曲を採って、西宮にしてたのでした。で、それは日曜日のはずなのに、、、眼の前に「西宮からベルリンフィルを聴き終えた方」がおられる、、、???で、それこそ「既婚者へのナンパ(左手の薬指に指輪)」と勘違いされたらあかんなあ、、、とおもいながらも、本当に焦って、、「今日は、29日ですよね?」と意味不明の質問にも嫌な顔をせず、、、またすぐお隣のご主人も気さくな良い方で、大阪のコンサートからの帰りで、とてもよかったこと、明日も行きたいほど、、っていうようなことをお話しくださり、ほっとした、、ということがあったのでした。たまたま、そのご夫婦も御影で降りられて、、、僕がまたレッスンに遅刻して向かっていたところでしたので、軽くお礼のあいさつだけしてそのまま脱兎のごとく、、、ではあったのですが、結果的に、気持ちのよい出来事でした(そのご夫婦の感じがとてもよかったので)。それはそうと、、ベルリンフィル、やっと生まれて初めて聴けました!「ひとつの生き物」のようでありながら、全ての細胞が無限の可能性と選択肢を備え、全ての瞬間に、意思により選択した結果を音として、音楽として生み出す。予め見通し見渡しながらも、ありとあらゆる出来事に反応しあう。各楽器や奏者が極めて明確にそれぞれの音や息遣いまでもをナマナマしくうきだたせるかと思えば、ある時はどう聴いても「ひとつの響き」に溶け込んで聞こえる。想像してはいましたが、目の前で実際に体験、いえ、「立ち会う」と、想像をやはり越えていました。兵庫県立芸術ホールはやはりやや音の拡散するホールで、ベルリンフィルも昨日やったザ・シンフォニーホールとの違いにとまどったかもしれません。一曲目と二曲目バランスには違いや問題はなかったですが、ピアニッシモも含めて、二曲目の方が「ホールを鳴らし切った」演奏だったような気がします。僕の耳が慣れた事もあるかもしれませんが。
2008.11.30
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今回のピアニスト、名前を知っていたのは、アブデル・ラーマン・エルバシャ、この人は、デビュー当時、NHKでは「アブデル・ラハマン・エルバシャ」と呼ばれていましたが、デビューから30年(当時はFMだったのでビジュアルは知りませんが)、すっかり落ち着いた貫禄のピアニストになってました。若い頃から、その成熟ぶりに驚嘆の批評が多かったという記憶がありますが(・・すみません、僕自身はFMでちょっと聴いただけですし、正直ピアニストの区別は当時は(今でもですが)つきませんでした)、今回の企画の事実上の発起人・ブレインとのことです。デビュー時はベートーヴェン演奏で評判をとってはった記憶がありますが。ピアニストの差異については、具体的に的確に言及するだけの積み重ねが無いですし、それぞれ聴いた曲も違うので、ただカンタンに思ったこと、、エルバシャは、非常に安定していて(平凡という意味に非ず)、「もっとも分厚い音」の分厚さ(暑苦しい、、に非ず)から、繊細なピアニッシモまでの幅が非常に広かったように思いました。他の人も基本的にそうでしたが、過度に「ロマンティック」になって音楽の外形が崩れる、、というような演奏はなく、折り目正しい中で、かなりのところまで、アグレッシブに、テンポにせよダイナミクスせよ、表現を突き詰めていった演奏だったように思います。さて、このエル・バシャ、僕が聴いた中では、大曲として「幻想曲」を弾いてくれましたが、ご承知のとおり、多くの場面転換があるなかで、たくさんの歌手が出てきて、オペラないし、多くの楽器からなるオーケストラの序曲のようでした。ピアノソロですから、オケと違い、「大編成の曲」「小編成の曲」というような言い方はするはずもないのですが、この「大編成の曲」である「幻想曲」、エル・バシャにとっても、特異なものの1つのようでした。といって、他の「小編成の曲」も、克明で確信に満ちたもの、という印象でしたので、「どっちがよい」とかじゃなく、どれも良いんですが。名前を知っていた人の2人目は、アンヌ・ケフェレック、、この人もデビュー当時、「ブレンデル門下の閨秀、パリジェンヌの若き風!!」みたいな紹介のされ方をしていた人です。ブレンデルが基本、ショパンを弾かない人、、というのも面白いですが、、すっかり、巨匠風の外見になられましたが、上品なご婦人といった雰囲気で、プロポーションはすっきり整っておられます(←体型のこと)。音楽は聴いた感じでは、この人が一番、テンポやリズムを動かす方向の作り方をしていたようにおもいますが、それとて、古めかしいところまでは行っておらず、「人間クサさ」が臭う手前でのレベルであったように思います。この人のピアニッシモはやはりとてもきれいでした。子守歌はこの人でしたが、息をのむほどでした。以前、ナマを聴いたことがあるのは、1人だけ、、児玉桃さん。この人は、なぜか、「たまたま行ったオケのコンサートのソリスト」になってることが多くて、プーランクの2台のための協奏曲は特に印象にのこってるものの、演奏そのものは、「頼みやすいから頼んだ」風にも当時は誤解していたのでした、、が、フランス在住だそうで、、で、まあ正直、ピアニストとして「ちゃんと」聴くのは昨日が初めてでしたが、この人も強力でした!ソナタの3番を弾いてくれたのですが、「こうしてほしい」と思ってるようなイメージどおり、それに、これも他の人とも共通してるものの、テクニック上の不都合やら事情は感じさせない、アグレッシヴな音楽づくりです。それでいて、恣意的な陶酔型のゆらしとかはない、、、美しく強く悲しく明るい熱く冷たい演奏でした。それにしても、協奏曲で聴いたときにはなんとも気づかなかったのですが、これほど、見通しのよい、透明感のある響き、そして、柔らかい音から鋭い音まで幅広い色彩を持っている人とは知りませんでした。他のピアニストは今回初めて名前を知ったのですが、全て、今が盛り(伸び盛り)の活きの良い、それでいて、センスのよい演奏を聞かせてくれました。なぜか、聴いた中では、1曲しか演奏しなかった、ジャン・フレデリック・ヌーブルジェという人は、ご存知「英雄ポロネーズ」を、特に、深刻ぶったり意味ありげにはせず、といって、「アホ」みたいに煽りもせず、ビシバシと等身大で、かつ、元気でクリアな音楽として聞かせてくれました。それにしても、響きがきれいだと、時折の不協和音もふくめて、安心して、響きに身をゆだねる幸福が味わえます。あとの、イド・バル・シャイという人は、これまた、極めてクリアで完璧な演奏をくりひろげるのですが、常に、楽譜は、おいていて、チロチロめくりながら演奏されます。初め、「珍品」の演奏やからかな、、、とも思いましたが、完全に自分のものにしまくってる曲全てでそうしてるので「習慣」なのでしょう。基本的に、「曲に感動している」状態でしたので、ピアニストの特徴を具体的に述べることはあまりできませんが、響きのそれぞれの違いが、眼の前で、あのようにくりひろげられるのに接すること自身、本等に奇跡的な体験でした。惜しむらくは、自分が弾けない、、、のは仕方ないにしても、以前録画した、ルイサダのレッスンあたりを「復習」してから行くと、滋味もさらに増したか、、、と思います。これほどの水準のコンサートが、この廉価で、梅田のど真ん中で、SOLD OUT にならない、、、のが大阪のしんどいところなのかもしれません。まあ、だからこそ、僕も行けたのですが、、、チッコリーニのただ1回だけのあの奇跡的な演奏会(日本国内でもソロは2回だけ、、)ですら、空席が出る、、、ようでは、関西から、コンサートが逃げていってもしかたないかもしれませんね。。。ピアノなんて「ならいごと」の人が多いというだけでも、本来集客しやすいようなものなのに。「ピアノの先生」は「このコンサートはイイよ!!」って言わないんでしょうか、、ちなみに、正直、あんまり「習い事」(=楽しみではなく、評価・勉強)のお客に囲まれるのはツラいのですが、、、(自分の楽しみで習っている人はよいのですが、「習わせる・聴かせる」「習わされている・聴かされている」みたいな雰囲気)2階席、、は、そうした方たちは、どうも避けるようで、よいのかわるいのかしりませんが、空席もそこそこあり(それでも最盛期の第10プログラムは満席に近かったですが)、学童期ギリギリみたいなお客は居なかったのも、正直よかったです。知ってるところだけ、陶酔して、指を動かしまくる(←でもズレてる)人が隣に来たときはちょっとジャマでしたが(これも、視野からはずせば問題ないですし)。。。サンケイホール・ブリーゼ が、運営も含めて、クラシックの小屋に今後なることは、おそらくなくって、「高級感の保持」のために、時折、公演がなされるだけかもしれませんが、今回の企画の実現は本当にすばらしかったです。
2008.11.24
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昨日のコンサート、チッコリーニ以来久々の、、というまでもなく、もともと、それほどたくさん「ピアノ・リサイタル」に行ったことがないのですが、まあ、とにかく、深く印象に残るコンサートでした。ただ、チッコリーニのコンサートとは対照的で、チッコリーニの場合は、アンコールは別とすれば、プログラムは、リストの曲集1つのみ、というもの、こちらは、ショパンの曲を順番に、たくさん、、、長時間に、、でした。3日12公演のうちの、最後の4公演を聞かせてもらえたことになりました。ピアノ・リサイタルには不慣れ、といいつつも、これだけタテ続けに聴くと(ショパンばっかり)「1つ1つの演奏や音をいつくしむ」、、、という姿勢が、やや、薄まるような気もしますが、それでも、「ショパン・マラソン・シャワー」でした。ピアノのナマでは、僕なりに、「こうあってほしい」というのがあって、それは、全てがバランスよく響いて、かつ、ホールの空気全体が、「フォルテ」もさることながら「ピアニッシモ」を、密やかで静かにしかし弱々しくなく、、(←イタリア語で書けば、そのまま「表情記号」になりそう)というようなものです。聴く耳がそのときそのときで違いますから、「絶対評価」ではなく、ただ僕の「体験」としてのなのですが、それらの体験をしたのは、ずっと前に、ザ・シンフォニー・ホールで聴いた「ディーナ・ヨッフェ」のショパンのバラード4曲、そして、また、「ピアノというものの新たな(といっても100年以上前ですが)特性と可能性」をもまざまざとみせつけてくれた先のチッコリーニのコンサート(http://plaza.rakuten.co.jp/classical/diary/200803230000/)でした。オケでの、ありえないようなピアニシモでいえば、昨年聴いた、パーヴォ・ヤルヴィ=ドイツ・カンマーフィルの「悲しいワルツ」、そして、チェリビダッケ=ミュンヘンフィルのシューマンの4番(こちらはしかし「完全なフォルティッシモ」の印象がさらに強い)。今回は、6人のピアニストということで、専門的なことは全くわかりませんが、それぞれに音の出し方・響きが違うような気がします。1曲1曲を論評するほどには、曲そのもののも比較して知ってるわけではないのですが、ただ、6人とも、「難しい曲を上手に」みたいな「習い事レベル」は当然超越した、「音楽」のレベルで、自在に響きを繰り出していました。フォルテもそうですが、特に、ピアニッシモやそこからのデクレッシェンドが息を呑むほど美しかったです。格別にこの印象が強かったのは「子守唄」ですが、バラードの4番でも、幻想曲でも、、これは、「この場」でのナマに触れる以外、絶対に体験できない体験でした。デクレッシェンドといえば、たとえば管楽器であれば、息とアンブシュアを支えながら、息を調節して減らして行き、、、、ということですし、「声」もまあそういうことなんでしょうが、ピアノの場合は(楽器の「ピアノ」)、叩いた複数の音をきれいに減衰させる、、ということで、叩いた瞬間に「あと」が決まる、、のですから、これはものすごい、コントロールだと思います。なにせ、「普段自分が練習している楽器」とはまず絶対に違う楽器・違うコンディションなわけで、いろいろ注文はつけようもあるでしょうが、どのみち「完璧に思い通りのコンディション」にはなるはずもないので(ホールの大きさも残響もどうせ違うし)、ありとあらゆる「耳と筋肉と脳のフィードバック」を要求されるのだろうと思います。昨日などは、6人の強烈な力をもった人たちが続けざまに引き続けるのですから、「調整しなおせる」のは、イスくらいのもの、、、「言い訳」はしようと思えばいくらでもできるでしょうが(人が弾いたあとだから、、とか、調律が自分向きじゃない、、とか)、各人の響きの「違い」やら、また、それぞれのコントロールされまくったピアノッシモからフォルティッシモを聴くと、そうした次元やストレスを、自らの力で「opportunity(←兵庫県知事風に言うと"チャンス"?)」に引き寄せているのだと感じました。限界までのフォルティッシモやピアニッシモ、デクレッシェンドを表現する、ということは、それだけ、「リスク」にも挑戦している、、ということだと思いますから。このプログラム、僕が聴いたのは、先にも書いたとおり、ショパンがマヨルカ島に渡ってから死ぬまで、、大好きなバラードの3番、4番、それにソナタの3番も入っていて大層なごちそうです。また、他の曲もかなりのものは、「何度も聴いたことはあるが、曲名と対応しない」というものも多く、大体において、創作全体に「捨て石」がほとんど無いことも驚嘆すべきことと思います。ショパンといえば、古いリパッティの録音を比較的よく聴いていて、最も多く聴く機会がある録音、、でもあるので(最近そうでもないですが、昔FMで「ハッ!」と思って感動して、後にまとめて最初に買ったのがリパッティだったので)、ついつい、あの特定の演奏(音質込み)がアタマに浮かびそうになるのですが、昨日の体験は、特に、それが「比較」とかにはならず、変な言い方ですが、「今、ここで、生まれている演奏」として、「リパッティがそのときそこでそうしたように」、、今聴いている、、と思える、、というような不思議な感覚でした。これは、ショパンが若い晩年に向かって、死とも向き合いながら、創作と演奏を続けていた軌跡をたqどる、、、ことと、同じく死を覚悟したリパッティの演奏の記憶とが交差する面があったこともあるのかもしれませんし、6人のピアニストの演奏が、「曲」を通じて、ショパン本人(の音楽)と、そして、そのショパンの音楽をずっと再現してきた、これまでの過去からの多くの奏者達と、また、聴き手達と、、その延長の上に、矛盾なく、高い水準で、次へ、、と進んでいくものだったからかもしれません。(←すみません、めっちゃこのあたり、論理的でなく、「印象」でモノを言っています。)とはいえ、作品番号もついていないような珍しいものも演奏され、バッハをまずはスケッチしたかのような習作っぽいものや、一瞬で終わるもの、また、子供の練習曲用?というようなものまで珍しいものも突然はさまるのが、またこのコンサートの特徴でもあります。きっと、ピアニスト自身、「今回、はじめて弾いた!」というものもあっただろうと思います。しかし、素人の耳ではありますが、「とりあえず、音になおしてみました、、私もあんまり知らん曲やから、、」みたいな演奏はなく、すべてが、「私が、皆さんにお届けする、これがこの音楽です」というものになっていましたので、「珍曲コーナー」的な雰囲気は演奏からは感じられません。また、詳しい人には当然のことなのかもしれませんが、いわゆる「子犬のワルツ」を含めた3つワルツが、気力・体力ともに衰えて、明らかに「死」を覚悟していた最晩年のものだとは知って、ショックを受けました。(その頃に書かれた「ギャロップ」という曲が、メッチャ、「子供のための」風です。ドビュッシーあたりがパロディとして書きそうな、、、)時系列で聴くと、バラードと、他の曲の位置関係にせよ、だいたいた「**集」でまとめられがちなポロネーズやワルツやノクターンの位置づけもわかって面白いです。元々、曲名をidentifyできる状態の人ならも、さらにさらに面白さが得られたことでしょう。僕より少し若くして死んだ、若きプロフェッショナルの思いと努力と無念、そして、「可能性」が感じられる気もしたのでした。「生き方」として。 (聴いてる間、そんなに「物語」で感動してたわけでもなく、聴いてる間は音楽そのもの、、を楽しんでたのですが)ほかも、そう思って聴くから、、というのも正直あると思いますが、「全盛期」から、「なんとか力を振り絞って、、」という時期のものまで、楽曲の規模そのものも含めて、本当に「音楽日記」な感じもしました。あと、何を言ってんだか、、、かもしれませんが、皆さんの響きが美しくシャープなので、ショパンが、和音を自在に使い尽くして、とくに「不協和音」がものすごく効果的に使われていることも、強く実感しました。必然性のある「場面」で、色々な「色」の不協和音を自在に使い尽くしている、、、リストのような「点描手法」ではなく、基本、同時に鳴らす和音を主としつつ、、、。また、さらに主観ですが、ピアノの、高音部と低音部、そして、中音域では、かなり「音質」が変わりますが、その「音質」の変化も、充分に使いこなしていて、あたかも、いくつかの楽器からなる1つの楽器 のように、ピアノを使っているかのような気がしました。弾いている人からすれば、「!?ん、左手と右手のことね!?」ってことなのかもしれませんが、両手で高音、両手で低音に移るところも含め、時に、同時に鳴り、あるときは片方の「伴奏」に徹するものの、あるときは、同時に「2重唱」にもなり、またあるときは、交唱のように歌い交わしもし、また、あるときは、「場面転換」で、次の「幕」にしてしまう、、そんな表現の幅をあますことなく、ピアノというものによって伝える、、、という意味で、超言い古された言い方ですが「ピアノの詩人」なんでしょう。ただしこの詩人、物静かに叙情的なことを朗読してるだけではありません。詩人は時に10人くらいが集団演舞したりもする、、そんなパフォーマーであり、コミュニケーターである、、と思いました。
2008.11.24
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改築されたサンケイホールで、ショパンの全ピアノ独奏曲を全曲、複数のフランス系一流ピアニストでやる!というのが今日まであって、金曜土曜は行けませんでしたが、今日は当日券あればぜひ行きたい!!と前々から思っていて、、、でお昼の部から行けました!一回一時間1000~1500円という破格の催しです。ピアノは専門的な事はわかりませんが、入れ替わり立ち代わり現れるピアニストは皆それぞれに響きの世界を完全にホールに作り出します。一流というものが自然に目の前に…僕が聴いてるのは、サンドと出会ったあと28歳以降の作品です。これから後半。晩年と言っても39歳。働き盛りでの病没なんですね。しかし、ナマのホンモノのピアニストの「ピアニッシモ」の響きは筆舌に尽くし堅いです。もちろんそれ以上のダイナミクスの響きが完璧である事、また充分な幅があることは前提なのですが。これはどんなに技術が発達しようとも、「録音」では絶対に体験出来ないものです。思い出したり、想像するよすがにはなりますが…どんな「ポルノグラフィ」も、「行為」そのものには決してならないのに等しいかもしれません。ピアノを習う機会が全くなくって、クラシックも元々オケから入ったから、詳しいワケではないんですが、本当によかったです。ピアノのソロって、落語と似たところがあって、ゴマカシが効かないから、ちょっとムラがあったり、なんかしっくりこないなあ(特にマチガエてなくても、、)ということも結構、体験することもあり、「CDのほうが、曲のよさがちゃんとわかるなあ」と思わされることも、実際、あるんですが、 (それでも、「喝采!!」とかやと、まあ「習い事」の延長だったり、 「おっかけ」だったりするから仕方ないのかもしれないけど、 ちょっと、正直、ツラいものがあります)今日は、そんな「但し書き」は全く不要の、まさに「音楽」だけがそこにある!!でした。まあ、入場料安いコンサートの宿命で、咳や紙めくりが多かったり、「私、ここ練習してる!!」という自慢系の幕合いのしゃべりはともかくとしても、演奏中に、微妙にズレてる「弾きマネ」が視界無いでウロウロしたりされた回があったりはしましたが、まあ、ヒドい!!ほどでもなかったかと、、、思ったより、子供連れは少ない(ほとんどいない)感じでしたが、それはもしかしたら、2階席だったからかもしれません。ピアノ習わせてる親御さんなら、指の見える1階席をとるでしょうから。ということで、ピアノ習ってない者にとっては、2階席(事実上3階くらいの高さやけど)は、結構よかったです。いずみホールほど「お風呂状態」にはならないので、響きが良い悪い、、という感じはなくって、すくなくとも、ピアノの響きを邪魔しないなあ、、と、僕としては、悪くない、、、感じはしました。ピアノやヴァイオリンというと、「習い事の一環での比較」みたいな雰囲気が客席周りにただよったりしてしまうのですが、今日は、そんな「難しい曲をまちがいなく上手に弾く」などというレベルでは当然なく、本当に、自在に音楽があふれ出るという感じでした。 響きでモノを言う、、というのは、全ての音がコントロールされて意図をした上で、その意図どおりに響いているということでもあり、その意図が、抜群のセンスだ、、ということでもあるんでしょう。しかし、今日みたいな演奏を聴くと、「調律師」というものが、ものすごく責任重大で、センスが要って、かつ、演奏者ごとの細かなニーズに対応できる能力が必要であることが、ものすごく実感できます。あれだけ微妙なタッチの弾き分けをしようと思ったら、鍵盤の重さから、ハンマーの反応具合から、「遊び」具合から、響く音量から、本当に「自分の身体のよう」であってほしいと心から願うでしょうし、それを「当然のように」欲することだと思います。(それを、10本の指ともでやってのけているのもすごい)また、今日のように6人の「腕利き」が同じピアノで続けざまに弾く、、というのは、演奏者側から言っても、細かい注文をつけたくなったり、言い訳もしたくなる場面もきっとあるのでしょうが、それを、やりのける、というところも、またスゴいもんです。しかし、これほど安価にしても、空席がチラホラ、、最後の回なんて、2回の後ろの方は、ヨコになって聴けるほど、、、というのは、やっぱり、大阪の限界なのかなあ、、、「習い事」ででも来そうなもんなんですが、、その意味でも2階席の後ろやからかなあ、、とはいえ、SOLDOUTでなかったからこそ、僕も行けたわけですが。。。4時間、超一流のイキの良い名人の演奏を聴いて、4000円、贅沢でした!!!椅子は取り替えてました。で、ケフェレックはかならず、出てきてから、高さを気にして、、、バル=シャイさんは、いつも、会場が(できるだけ)静かになるのを待って、、、、エル・バシャさんは、普通に出てきて、「いつものように」弾き始める、、、といった風、、椅子はしかし、マジで大事でしょうね。ワープロみたいに「力」は関係ないもんですら、高さや姿勢に影響されるくらいですから、、、1センチちがったら、もうメチャクチャ違うやろうなあ、、と素直に思います。しかし、ピアニストって、どうあがいても、また、世界最高!!の至宝!!!とかであっても、「楽器」だけは、その場のもの、、を使わざるをえないんですから、ナーヴァスになる演奏家が居ても(ミケランジェリみたいに)、一概に「変人」ともいえないほど、ものすごい、プレッシャーとストレスあるでしょうね。今日ほどの演奏をしようとする人たちだったら、、、(ただ、まちがわない、、とか、まちがってもガッツポーズ!!みたいな人たちは関係ないけど)ホールも多目的ホールとしては、ピアノを聴くには悪くないかな、、というのが個人的好みとしては思いました。シンフォニーホールだと、1階席の最後列が、案外まだ良いですが(ヨッフェはそこで聴きました、、)、3階まで行くともしかしたら、ピアノ独奏だとボヤけるかもしれませんね。「下手なピアノ」の体験は正直枚挙にいとまがないのでヤメますが、上手だろうと推測される中での最悪の体験は、(↑あくまでも体験です、、グリーモーやいずみホールの悪口ではなく、どちらも好きなので、そのあたりはよろしくです。)いずみホールの最前列で聴いた、エレーヌ・グリモーのラフマニノフでした。僕がラフマニノフに慣れてないだけなのかもしれませんが、ワヤワヤで、「どんな曲か」すらわからないような感じがしました。グリモーがまさかペダルを踏みすぎ、、なんてことはないので、ピアノのフタのせいか、いずみホールのせいか、とか、、、思ったりしてました。(ホンマに、ラフマニノフに僕がなれてなかっただけかもしれないんですが、、、)たまたまなんですが、今日の席が、本当のド真正面、、で、ピアノのフタがこちらに向いている、、という状態だったのもよかったです。
2008.11.23
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奇跡的に抜け出せて、大フィルの定期に行きました。梅田から全力疾走でギリギリ当日券、滑り込み。前半はリャードフの曲に、ダンタイソンを迎えてラフマニノフの「パガニーニ…」。マニアックにして技巧的で精妙な曲です。ナマで聴くと複雑でミニマルな要素を組み合わせまくって造られているようすや、再現(演奏)の至難さがダイレクトに伝わります。後半はショスタコの8番!ナマで聴くと別の曲のようです。凶暴極まりない。にしても、大フィル、良く鳴る、目の詰まった演奏をするようになったものです。久々に聴きましたが、立派なもんです。ああ、しかし、ショスタコの8番のナマ! 痛めつけられまくるような体験でした。そのなかに織り成す響き…決して、CDでは出来ない体験です。指揮は、ドミトリ・リスという、ウラル・フィルを育てた人とのこと。50歳少し前。指揮はダイナミックそのもの。以前、朝比奈さん時代に、パーヴォ・ヤルヴィが大フィルを振って、異例なことにブルックナーの4番と、ショスタコのヴァイオリン協奏曲を振ったときの姿を思い出してました。あのころはフェスティバルホールで、また大フィルも普段はあまり敏感に指揮者に反応しないオケだったところにムチを入れられて、、、という「カンフル剤」的状況でしたっけ。およそ「斎藤秀雄の指揮法」とは異なる印象(基礎は共通してるのでしょうが)で、新鮮でした。ナマとの比較はできないのですが(曲目も違うし)、TVで見た「ジャナンドレア・ノセダ」の「ダイナミックにしてやや乱暴」な感じが少しダブリます。でもとにかく今まで見たことある指揮の中で、一番、激しい指揮のような気がします。(ショルティも別の意味で、かなり唐突に激しい姿でしたが)しかし、大フィルの進境を見ると、大植さんのこれまでの仕事ぶりがおもいやられます。一見「情熱的!!」でありながら、実際には、一流のプロとして、結果を急がず、じっくりと積み重ねてきはったんやなあ、、、と改めて思いました。大植さんになってからは、むしろ、朝比奈時代の「とにかく、各々、フォルテ出せるだけは出す!!」みたいな合奏じゃなくなった分、バランスが崩壊しない範囲で演奏することを求めていた分、結果、シンフォニーホールででも、こじんまりと聴こえたりしてましたが、そこで表面的な効果や成果を狙って(← どこかの知事さんみたい、、)、台無しにすることなく、プロフェッショナルな積み重ねをされたようです。それに応えた、大フィルの皆さんもたいしたもんです。曲が曲だから、、、、というのもあるにせよ、以前では考えられなかった集中力に、ソロまわし、「成長するプロ」に久々に出会って、うれしかったです。まあ、大人気の橋下知事やそのとりまきの方々や関西の財界の方々からしたら、「アイツらは、努力もしないで、、」とマスコミでいいまくればよいでしょうけども。ムダな高層ビルを建てるプロジェクトに大賛成した企業やお役所が、その資金回収のため「だけ」に、都市の中心となる庁舎を移転させようとしてるクセに、人気をカサに、「改革」ぶってるようでは、何を言ってもムダですが。。。。ああ、しかし、超重厚な、凶暴なプログラムやったです、、、聴くのでも、めっちゃぐったりつかれました。(良い意味で)演奏する方の苦労は想像して余りあります。
2008.10.17
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(承前)そして、最後、順序が逆になりましたが、3つめが、大阪シンフォニカー交響楽団です。こちらは、やはり、僕がクラシックを聴きはじめた頃はなかったのですが、すぐあとくらいに創設されて、当時は「名前は聞くけど、プロ?」という感じの受け止めでした。今ならインターネットもありますが、当時ですと、演奏会のチラシか、音楽の友が頼りでしたしね。ここも、完全な私立、、、なのに、ザンデルリンクの息子を監督にして長く実績を積んできましたし、その後も、若手実力派の指揮者を監督に迎え、興味深いプログラムをたくさんやってくれているのですが、若手実力派の寺岡清高氏とともに、ここも今年からは、ドイツでずっとカペルマイスターをやっていた児島宏氏を迎えて、またまた、独特のプログラムを組んでおられます。関西フィルもそうなのですが、正直、それほどの日本国内では有名とはいえない(小泉氏の方が有名なのは有名のはず)、また政治力を持っているとは思えないドイツなど海外での叩き上げのベテラン指揮者と、若手の実力派指揮者を迎えて、恐らくはそれほどたいしたギャラも払えないからということもあるのでしょうが、結果、「大阪でしか聴けない!!」という体験を、豊富に提供していることになります。大植氏でも、日本国内での活躍歴はほとんど無い、、、アメリカやドイツの地方での叩き上げ、、で、かつ若手実力派、、という両方の面を備えた方ですし・・・(その後、日本人初のバイロイトデビューにはびっくりでした)。このオケ、何度も今まで聴きに行こうとしているのですが、平日は99%行けない、、ということもあり、結局今まで聴いたことがありませんでした。で、この金曜、BSで定期演奏会の演奏が放送されたのを録画して、今日聴くことができました。大阪に居ながら、東京から一旦、放送衛星に送った電波を受信して、初めての、このオケの視聴です。プログラムも、ウォルトンの戴冠式行進曲「王冠」、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「マクベス」、プロコフィエフの交響曲第7番、という、前衛ではまったくないけども、結構珍しいプログラムでした。放送で聴く、、というのは、本番の熱気や勢いや、また音量感も伝わらないうえ、逆に細かな乱れは非常によく判るので、いわゆる「地方レベル」のオケは不利なはずなのですが、放送で聴いてもこの演奏、とてもおもしろいものでした。なにより、「何が言いたいか」がよくわかる演奏。全体もですし、個々のパートの音楽もです。しかも、ごく普通に「音楽そのもの」を楽しむことができました。ウォルトンの曲は、冒頭のテーマは以前、NHKのテレビ番組のテーマにも使われていたり、ブラスの曲として演奏される機会があるので聞き覚えはありましたが、これがプロオケの実演で聴ける機会が大阪であったんですね!また、マクベスは、普通演奏されることのほとんどない珍しい曲です。普通CDでも「全集」とか買わないと聴く機会が無いでしょう(フィルアップになることが稀にはありますが)。プロコフィエフは、以前から、交響曲を全曲聴きたい、、と思いながら、実はいまだに、1番と5番という超超有名曲以外に聴きそびれています。4番もFMでは聴いたことあるんですがいまだにイメージが定着していません。どうも、曲の面白さがかつ正確に伝えてくれそうな交響曲全集のCDが見当つかないこともあって、、、7番は「青春」という副題(?)もついていて、まだ有名な方なんですが、これも初めてでした。ところどころ聴いたことあるような気もするので、完全に初めてではないのかもしれませんが。こうした「曲に対する初体験」をするのに、過不足の無い、しかも、とてもイントネーションのハッキリした演奏です。大阪シンフォニカー、せっかく、大阪に住んでるわけですし、また、関西フィルにしても、大フィルにしても、それぞれが、それぞれの個性と条件を最大限に活かして(超薄給かつ重労働ながら)、意欲的に活動してる「今」という機会を、ぜひ僕も活かして行きたいと思います。昨今の関西の政財界の「クラシックオーケストラ叩き」を観ていると、この果実もいつまで触れることができるか、、、オケといえども、「ずっとあるわけではない、、、」ということも思い知らされます。一度、なくすと、二度と、復活はしないのですが、、、ただ、消えうせてしまって、完全抹殺したら、その責任は誰も問われない、、、その値打ちや与えてくれたはずの豊かな時間すら思い起こすことすらない、、、という、悲しい現実を、政財界のえらいひとたちが悪用することも充分ありえる、、、のが、「おおさか」の実情なので。今、盛んに知事とお役人が言っている「大阪ミュージアム」(←いまさら、、)も、何年かしたら誰も思い出さないことでしょう。 でもその責任も、、、権力や財力を持った立場の人は、それに相応した程度には、「ひと」の営みや、社会の価値への理解と興味と敬意を持つ「責任」がある、、、ということをつくづく思います。
2008.09.28
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大阪には、プロのオーケストラが4つあります。(完全常設として。)これらのオーケストラについては、大人気の橋下知事やとりまきのお役人は、「オーケストラが何も努力してない」と自信をもって言い切っていて、あたかも、金満家がダラダラと趣味で集まって象牙の塔の中で毎日同じことばかりしてる、というイメージを振りまいています。その前から、関西の財界のエラいひとたちが言ってきたことをなぞって誇張しているようですが、、、 関西の財界は、特に近年、関西の文化には冷淡な場合が多いので、、、もちろん、例外もいらっしゃいますが。老舗は、大阪フィルハーモニー交響楽団、ここは戦後の関西のクラシック音楽を財界とともに支えてきたとも言える朝比奈隆氏が設立し10年前までずっと監督していたところです。ある意味音楽の技術的な面では実態以上にカリスマ化されていた主のような朝比奈氏の後、誰に後任を頼むのか、と思っていたら、あっとおどろく、大植英次氏。アメリカのローカルオケを育て、市民とともにレベルアップと市民文化への定着までを果たした方です。大植氏にお願いすることに成功し、氏とオケも粉骨砕身の努力で、今は、知事とその周辺の方を除いて、少しでも興味のある方ならば、朝比奈氏が亡くなった直後の悲観的な予測を完璧に跳ね返して、御堂筋の企業の参加(カネだけでなく場所も、人も)を得て、「大阪クラシック」を催し、定期演奏会を、集客も向上させ、プログラムも意欲的なものを組み立てて、という状態にまで持っています。熱血漢でわき目も振らない!!という風に見える指揮のアクションとは別に、とても冷静で、綿密な練習とトレーニングをして、かつ、具体的な演奏イメージを楽団員に与えているであろう音楽作りはプロ中のプロという気がします。「出たとこ勝負で」というところが意外となく、オケの響きやオケ全体の音楽を崩すような音は、個々の奏者から出すことを許さず、(朝比奈時代は、全体を崩しても、個々で音が濁っても良いから出るだけ出す、、というような場面も多く、それを「迫力」と愛した人も居ましたが、、、)オケとしての機能は大分向上したように思います。大阪に住んでるクラシックを聞いたことのあるひと、、、は、大概、この「大フィル」のお世話になっていると思います。朝比奈氏の頃は、朝比奈氏を、特に一部の評論家に、他の指揮者を攻撃する「飛び道具」扱いにするまでに神格化して持ち上げたりしていたので、オケの合奏の精度が他のオケと比べても相当見劣りするような演奏が多いことに不満も当時は多かったですが、今にして思えばやはりよくお世話になりましたし、一部の評論家が神格化しようとも、朝比奈氏自身は、非常に小さいコンサートや企業の冠コンサートでの小品集など、超高齢になってからでも非常にたくさんの仕事をしてはりました。創設者そのものなのでワンマンなところもあったかもしれませんが、少なくとも創設者としての気概と責任感は亡くなるまで立派に持ち続けた人であったとはいえるでしょう。関西の財界とのパイプも太かったようですし。その分、氏が亡くなったあとのオケの行方は大変心配されていたのでした。ただ単にイマイチな技術レベルの大編成の地方オケ、、になりさがってしまうのでは、、、と。なので、今の活況は、ものすごい努力と根気のたまものであり、かつ、必死の努力中なのだと思います。 (もっとも知事とその周辺は、「音大生のフレッシュな意見」をちょっと聞く、というパフォーマンスをして、、、、、以下同文)朝比奈さんが人間国宝になって今生きていたら、きっと、知事は満面の笑みで、一緒にテレビに映って「大阪の宝です」とか言ってたんやろうなあ、、、と思うと、亡くなった朝比奈さんがどれだけ悔しいか、、とも思います。次のオケは、関西フィルハーモニー交響楽団。こちらはちょうど僕が音楽を聞き始めた頃にはまだ「ヴィエールフィル」という名前で、チラシで見かける程度だったのが、高校の途中くらいに今の名前になったオケです。大フィルしかない頃に聴きはじめた者からすると、新興オケへの感心や情報を得る機会があまりなく、実際に僕が初めて耳にしたのは、社会人になってからでした。しかし、このオケ、そりゃ、世界的レベルの高性能オケ、、ではないですが、ナマで聴くと、「言いたいこと」がとてもはっきりわかる、面白い演奏をするオケです。指揮者の個性や指示が(たぶん)ものすごくハッキリと演奏に出るタイプ。元ベルリンフィルのオーボエ奏者シェレンベルガーが指揮もしたコンサートや、ピアニストのピレシュのご主人としても有名な人気ヴァイオリニスト、デュメイがソロと指揮したコンサート、先ごろ引退したジャン・フルネが振ったフランス音楽、そして、リヒャルト・シュトラウスの珍しい楽劇「ナクソス島のアリアドネ」の上演など、貴重な機会をたくさん立ち合わせていただけました。特に、演奏会形式のオペラなど、その練習の手間たるや想像を絶するはずなのに、やりとげて、やはり観る人は観てる、、というべきでしょう、それが評価されて、やがて東京公演にまで発展したそうです。 (←こんなのも無視して(知らないのでしょう)、「努力が足りない」の一言でぶった切りのようですが。)指揮者も超ベテランカペルマイスター型指揮者の飯守泰次郎氏と(シュトラウスもこの人です。バイロイトでも長くアシスタントをしておられた方)、若手イケメン指揮者の藤岡幸夫氏を迎え(いわゆる名曲コンサートやミニコンサートなども積極的に開催しておられます)、オケのプログラミング上の特徴も出しておられます。藤岡氏は今だに聴いたことがないので、ぜひ行きたいと思ってるのですが。。。3つ目をとばして、4つめは、大阪センチュリー交響楽団。平成になるころ、今話題の大阪府が、戦前からの儀典用の吹奏楽団(音楽団)を解体し、新たに創設した「室内管弦楽団」規模のオケです。当時、既に、3つもプロオケがあるのにわざわざ作る必然性に大きい疑問を抱いたものでした。また吹奏楽団としても、大阪市の音楽団は、とても活発に演奏し、演奏指導などでも大きい実績をあげて、親しまれていましたが、府の音楽団はあまりなじみのないものでしたし。ウワサでは現在、国会議員になっている、当時の府の幹部職員が、強引に作らせたともいいますが、「センチュリー」という名前からも、センスの悪さ(英訳したらどうきこえるか、、)と、絶対に誰かそれに気づいたはずなのに、その意見がマトモに言えなかった当時の雰囲気がうかがい知れます。(実際にはどうか知りませんが、まあセンス悪いネーミングではありますよね)それはそうと、2管編成の室内管弦楽団規模なのに、歴代指揮者の人選がまた変わっていて、初代が、ウリエル・セガル、という昔のレコードで時折合わせモノで名前を見たりするワリにねばっこり音楽をつくる人、また現在の小泉和裕氏もカラヤンコンクール優勝!!という肩書きがずっとついてまわる人ですが、特に音楽的な個性は感じられないものの大編成のロマン派の音楽を得意とするワリに保守的なレパートリーの人、、、なので、いつも彼らのコンサートでは、曲の求めるイメージに比して、こじんまりとした演奏、とか、室内オケの割りには歯切れの悪い、、、という印象を持つことが多いです。途中、実は、高関健さんが音楽監督の頃があり、室内管弦楽団の特性を活かした、意欲的なプログラムと演奏で面白い時期がありました。今にしておもえばあの頃が全盛だったかもしれません。その後、しばらく、金聖響氏が着任したことがあり、若くてやや思い込みの激しい面もありながらも、やはり、室内管弦楽団の特性を活かして、レパートリーそのものは相当保守的ながらも(いわゆるドイツ名曲路線)、いわゆるピリオド奏法を取り入れた演奏で、オケの新たな特徴を打ち出すかにみえたのですが、オケのカラーが出来るかな、、と思えるようになる前に、事実上のクビにしたようです。ものすごく人気もあって、集客力も抜群やったのですが。オケにも100%歓迎されたのではないでしょうが、たとえばリハをじっくりやる指揮者やすぐ妥協しない指揮者は嫌われるし、また若い指揮者が100%歓迎、ということもありえないので、自称文化通のお役人に嫌われたせいなのかもしれません。そうとしたら、今の知事にも知恵出ししてるお役人かも、、、ですが。そして、金聖響氏を退けた後に、小泉氏を頼んだのでした。ときおり、他所のオケと合同演奏することで、大編成の曲もやっていますが、やはり、ムリがあるようです。基礎力は高いオケだけにもったいない、、気はします。客演ではいろいろがんばっているようですが。 関西フィルとは正反対で、合奏精度は高いのに、オケとしての表現が薄い、、、鳴りきらない、、という印象を持つことが多いです。やはり、小編成を前提とした曲、演奏スタイルの場合ならば、比較的良い結果を出している、という気がしますので。しかし、知事が関西のオケの補助金を切り捨てる、、というニュースのとき、この府営オケであるセンチュリーのことばかりがとりあげられるのもズルい限りです。マスコミも、、、4つのオケのなかではおそらく一番、方向性が見えないオケなのに、、そして、大阪府にトドメにクビを締められようとしているオケは、ほかの3つのオケも同じなのに、、、(次へ続く)
2008.09.28
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