《櫻井ジャーナル》

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2010.08.05
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 65年前の8月6日、アメリカ軍は広島へ原爆「リトル・ボーイ」を投下、上空580メートルで爆発させた。ウラニウム235を使った爆弾で、そのエネルギーはTNTに換算すると13から18キロトンに相当、14万人を一瞬のうちに殺したとされている。勿論、核兵器はそれだけで終わらない。放射能の影響が続くのだが、詳しいデータは日米両国政府が隠してしまい、明確になっていない。

 原爆が実戦で使用されたのは広島と長崎だけなのだが、放射能/放射線による障害という点では「劣化ウラン弾」によると見られ深刻な影響が最近、イラクで問題になっている。 2005年頃からファルージャで奇形児が急増、ガンは4倍、14歳以下に限ると12倍に増え、白血病は38倍になったという。また男の生まれる率が激減し、男女の比率は女1000名に対し、男は850名にすぎない。

 2004年の春、アメリカ第1海兵遠征軍のジェームズ・マティス司令官は、ファルージャで激しい掃討作戦を展開し、多くの市民を殺害した。当然、市内では反米感情が高まったのだが、そこへ「ブラックウォーター(現社名:Xe)」に雇われた軽武装の傭兵4名が送り込まれ、待ち伏せ攻撃で殺害されたのである。予想された犠牲だと言えるだろう。

 この出来事を利用して占領軍側はさらに激しい攻撃を展開、その際に劣化ウラン弾や白リン弾が使用されたと言われている。「核兵器」と「化学兵器」が使われたのである。その影響がないと考える方が不自然だ。

 ところで、原爆の研究開発は1939年8月、ナチスがこの爆弾を手にする危険性を懸念した科学者、レオ・シラードがアルバート・アインシュタインの同意を得てフランクリン・ルーズベルト大統領宛に書いた手紙が切っ掛けだとされている。手紙は同年10月、アレキサンダー・サックスが大統領に手渡し、「ウラニウム諮問委員会」が設置されて研究がスタート、マンハッタン計画につながる。

 しかし、ドイツの敗戦が時間の問題になり、原爆の実用化に目処がたったころ、シラードとアインシュタインは原子爆弾の使用に反対するようになる。シラードは1945年5月8日に大統領と会う約束を取りつけるのだが、4月12日に大統領が急死したため、会談は実現しなかった。

 新大統領はハリー・トルーマン。4月25日にはヘンリー・スティムソン陸軍長官とレスリー・グローブス少将(当時)がトルーマン大統領と会い、原爆について説明している。

 核爆発の実験に成功したのは7月16日のこと。24日にトルーマン大統領はソ連側へ原爆の保有を知らせたのだが、ソ連はその事実をすでに知っていた。5月の時点で原爆を投下する候補地に挙げられていたのは京都、広島、横浜、小倉だというが、7月25日になると京都が除かれ、広島、小倉、新潟、長崎になっている。

 第2次世界大戦後、原爆や水爆が使われなかったのは「運」が良かっただけである。アメリカの場合、1950年代から核兵器の使用を準備、1963年にひとつのピークを迎えた。さらに、1983年にも全面核戦争の危機があったことがわかっている。アメリカの「友好国」だというイスラエルの場合、第4次中東戦争(1973年)で核兵器の使用を閣議決定している。言うまでもなく、核兵器保有国は、その核兵器を「使うため」に持っているのである。





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最終更新日  2010.08.05 16:23:34


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