《櫻井ジャーナル》

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2010.09.25
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 那覇地検は24日、石垣海上保安部が「公務執行妨害」で逮捕した中国漁船の船長を釈放すると発表した。「今後の日中関係を考慮」したというのだが、検察が外交的、あるいは政治的な判断をするとは恐ろしいことである。東京や大阪の地検特捜部が政治的判断から特定の政治家を狙い撃ちしていると疑われている現在、絶対に口にしてはならないことを口にしたと言えるだろう。

 そもそも、この事件には胡散臭い点がある。事件の直前、東アジアでの軍事的な緊張を緩める動きがあり、それに冷水を浴びせるような逮捕劇だったということである。勿論、偶発的な出来事だった可能性もあるのだが、今回逮捕されたトロール船は通常とは違う特別なことをしていたのだろうか?

 東アジアは急速な経済発展を遂げている。ネオコン(アメリカの親イスラエル派)が潜在的な脅威だとしている地域だ。2000年に彼らが公表した報告書「米国防の再構築」でも、ライバルへ成長する前に東アジアを叩いておくべきだとしている。小泉純一郎と同じようにネオコン色の濃い菅直人政権がこうした考えに影響されていないとは言えない。

 東アジアには朝鮮という火種が存在する。国内が不安定な国で、リョンチョンで貨物列車が大爆発して多数の犠牲者を出したという出来事もかつてあった。事件の真相は不明だが、何らかの破壊工作も噂されている。爆発の2週間前にイスラエル系のウェブサイトで金正日暗殺が話題になっていたことも、そうした噂が流れる一因になっている。

 2003年の春、ジョージ・W・ブッシュ政権は空母カール・ビンソンを中心とする艦隊を朝鮮半島に派遣、6機のF-117が韓国に移動、グアムにはB-1爆撃機とB-52爆撃機が待機するという緊迫した状況にあった。その当時、好戦的なネオコンがホワイトハウスで主導権を握っていただけに、日本の外では開戦の危機を感じた人は少なくなかった。こうした動きにブレーキを掛けたのは当時の韓国政府とアメリカの旧保守派だったと言われている。

 旧保守派の大物、ドナルド・グレッグが韓国の李明博政権にとって都合の悪い話をインターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙に書いたのは8月31日のこと。ジミー・カーター元米大統領が平壌を訪問してアメリカ人の解放を実現した直後だ。「ロシアからの情報」という形で、3月に韓国の哨戒艦が沈没した原因に対する韓国政府の見解に疑問を投げかけたのである。韓国では李政権の主張に疑問を持つ人は多く、グレッグの記事は大きな波紋を呼んだ。もっとも、日本のマスコミは無視していたようだが。

 それから間もない9月8日未明、石垣海上保安部の巡視船が尖閣諸島の久場島沖で中国のトロール漁船の船長を「公務執行妨害」の容疑で逮捕したのである。日本政府の見解には関係なく、この海域が不安定な状況にあることは間違いない。海上保安庁もそうした状況を十分に把握していたはずで、世界を納得させる証拠を残し、逮捕するなら、その直後に情報を開示する必要があった。「外交判断」をするとしても、それはその後のことだ。今のままでは、本当に漁船が巡視船に体当たりしたかどうかも明確でない。捜査当局の主張が信用できないことは、大阪地検特捜部の一件でも再確認されている。

 尖閣諸島は1895年1月、閣議決定を経て正式に日本の領土として編入されたと日本側は主張してる。こうした問題では日本側の主張が無条件に正しいと言わないと「国賊」扱いされることになっているが、ここではあえて当時の状況を再検討してみる。

 日本の外務省によると、「1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認」したとしている。



 そして1871年に廃藩置県を実施するのだが、その翌年に「琉球藩」が新たに設置されている。この矛盾は「琉球王国」を日本の領土とするために生じた。1879年には「沖縄県」が設置されるのだが、「旧慣温存」を決めている。つまり沖縄県には本土並みの権利は与えていない。

 薩摩藩に支配されていたとはいうものの、琉球王国は独立した王国であり、清(中国)は宗主国だと認識していた。つまり、冊封体制に組み込まれ、琉球諸島を清は「縄張り」と考えていたはずだ。

 勿論、明治政府は琉球諸島にとどまらず、その先を見ていた。1871年、琉球藩が設置された年に宮古島の漁民が難破して台湾に漂着、五十数名が殺されている。この事件で日本政府は清国政府に対して賠償や謝罪を要求、1874年には3000名程度の軍隊を台湾に送り込んだ。この事件で清が日本を当事者と認めたことから、清は琉球王国を日本が支配することを認めたことになる。(琉球王国の意志は無視されているが)

 1875年には朝鮮半島で江華島事件が引き起こされている。朝鮮の首都だった漢城(現在のソウル)に通じる要衝、江華島の近くに軍艦「雲揚号」を派遣して挑発、軍事衝突に発展し、日本は朝鮮から治外法権を獲得した。朝鮮半島でこの事件が日本による侵略の第一歩だと認識されるのは当然だろう。

 当時、朝鮮も清と冊封体制で結ばれていた。つまり、清は朝鮮の宗主国だった。そうした中、1884年に親日派がクーデターを試みたものの、清が朝鮮駐留軍を出動させたために失敗する。1894年に甲午農民戦争が起こると日本は「邦人保護」を口実にして軍隊を派遣、日清戦争に発展する。

 この戦争で清を破った日本は、朝鮮側が帝政ロシアに接近することを警戒する。そこで朝鮮国王高宗の王妃、閔妃の暗殺を計画する。1895年10月、夜明け間近になって日本の官憲と大陸浪人で編成された暗殺部隊が宮廷に突入、閔妃を含む女性3名を暗殺している。計画の立案者は漢城公使の三浦梧楼だとされている。その後、日本の裁判で三浦たちは「証拠不十分」で無罪になっているが、現場を多くの朝鮮人、そして宮廷の顧問だったロシア人やアメリカ人が目撃しているので、この判決は日本にとって「恥の上塗り」ということになった。おそらく、日本政府の命令で三浦は暗殺を実行したのであり、彼を罰することはできなかったのだろうが。

 1895年。閣議決定を経て尖閣諸島が日本の領土として編入されたのはこの年のことである。中国人にとって尖閣諸島は日本の過去を思い起こさせるキーワードになっている。この点だけでも、日中友好に反対するのでなければ、日本政府はこの問題に対し、慎重の上にも慎重でなければならない。





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最終更新日  2010.09.25 16:26:17


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