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19歳の時、免許をとってすぐ自分で働いたお金で車を買った。といっても免許とりたてだからそんなにいい車乗っても・・・ということで、昭和63年車だという超オンボロの白いマニュアルの軽自動車を、友達のお父さんの勤める車やさんから10万円で買っただけなんですけど。初めて見たときはブレ-キやアクセルがゴ-カ-トのと変わらないんじゃないかと思うほどしょぼく、車体の壁も超薄型なことにがっかりした。(笑)それでもまぁ給料安いし仕方ないかと車やさんから鍵をうけとって今度はビックリw(☆o◎)wカギが束になっていて、4種類計8本ついていた。エンジンキ-と右ドアと左ドアとトランクの鍵が全部違うのだ。Σ( ̄ロ ̄lll)ガビ-ン私は車やさんの説明を聞きながら頭がいた~くなった。鍵に慣れるまで暗闇でドアを開けるのは一苦労。キ-ホルダ-はもちろんライト付き。鍵に慣れてきたころ今度は車の天井のクロスがはがれてきたので両面テ-プで貼った。友達を助手席にのせると「○ちゃ~ん。天井はがれてきたよぉぉ」と言われるので「押し付けたらまだ多分くっつくから(←両面テ-プ)お願い」と言っていた。ある夏の暑い日エアコンをつけて助手席にば-ちゃんを乗せて走っていると、「○○(←私)大変だよ。水がジャ-ジャ-出てきたよ」とというので見ると、ばぁちゃんの足元についているエアコンの排気口からシャワ-のように水が出ていてばぁちゃんの足元がベチャベチャになっている。慌ててエアコンを消し、車やさんへ行くと、エアコンで空気を冷やした時に出る水みたいなものを外に出す管が、途中無くなっているといわれた。買った時からついてなかったらしい・・・\(--;)オイ!そして1年がたち、エンジンをかける時に90度くらい鍵をひねればかかったものが180度ひねらなければかからなくなってきたある日のこと。仕事が終わり、暗闇の中でエンジンをかけようと鍵を鍵穴へ・・・アレっ?鍵穴がない!!!いつもは鍵穴がある場所を手がすっぽりくぐりぬけてしまった。きゃぁぁぁ~((((/*0*;)/職場へ戻り先輩に助けを求めた。「せっせんぱい・・・車のエンジンの鍵穴がありません・・・(ノ_
2005年04月28日
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今日も変な友達のお話。T子は少し人と違うところがある。何が違うのかというと、優先順位・大切なこと が人と違うのである。今日は例として一つエピソ-ドを思い出したので書いてみます。中学3年生の時、給食に出たパックの牛乳を飲んでいたT子。少々男らしいT子は牛乳パックをひねりつぶしながら飲んでいたのでパックがやぶれて牛乳が吹き出しT子のセ-ラ-服は牛乳だらけになった。「あぁぁ~大変だぁぁ~○ちゃん(←私)ティッシュちょうだい!!o(>< )o 周りも慌ててティッシュを探す。一番初めに私が見つけ、T子にティッシュを手渡した。するとT子何を思ったのか「(>人
2005年04月27日
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仕事中だが車の中に携帯電話を忘れたのを思い出したので外にでた。何もないところでつまずいた。「あっはっはっは-」笑われた。「くっそぉぉ~」と思って声の主を見たらカラスだった。くやしいぃぃ~(丿>ロ
2005年04月27日
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は小学校の先生か体育の先生になることでしたが、毎日の生活に流されてあきらめつつある今、子供ができたら部活動や少年団の指導員になる!ということに妥協した。そしてもう一つ。運動会の借り物競争などで「誰かのお母さん」というのを引い困っている子供の近くに、たまたまいた私が呼ばれて走ることになり、その子の手を引いて1位でゴ-ルテ-プをきった私は「○ちゃんのお母さんはや~い!!\(*^▽^*)/」と子供たちに褒められる・・・運動会が近づく時期になるとつい妄想してしまうのです。昔から少々運動が得意で、常にリレ-の選手であったり、部活以外にも陸上の大会や駅伝の大会に出たりしていた私。しかしずば抜けて何かの才能があるわけではなく何でもそつなくこなすという程度で周りの期待だけが先行していた。高校の時なんて陸上部に勧誘され入部はしたものの、走るのが嫌いで(疲れるから)一番走る距離の短い「走り高跳び」をやっていたくらいで。笑そんな私でも今ならまだ何も運動をしていない同じ年代の人よりは速く走れるんじゃないか・・・と思ったりするのであります。陸上をやめて10年近くもたつのに!!!Σ( ̄ロ ̄lll)そんな思いから生まれる「○ちゃんのお母さんはや~い!!!」という妄想。あぁ誰かとめてください.・゜゜・(/。\)・゜゜・.
2005年04月26日
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今昼食を買いにコンビニへ行ってきました。レジには見慣れないおじいちゃんがいました。今ご年配の方は皆元気で若く見えるので、70歳前の方を「おじいちゃん」と言っていいのかわかりませんが、とにかく65歳~70歳くらいの方がレジにたっていました。おぼつかない手つきで「はい○円がいってぇ~ん、○円がいってぇ~ん」とバ-コ-ドを読み込んでいくおじいちゃん。傍らには心配そうに見つめる指導担当の若い女性店員。少しずつ慣れてきたのか調子にのってスピ-ドが上がってきたおじいちゃん。「○がいってぇ~ん」の声もだんだん大きくなってきた。気分が最高潮に達した時、全ての商品の読み込みが終わり小計キ-を押したおじいちゃん。「はい 合 計 ド-ン!!! 」クイズ番組の司会者ばりの大声で言ってしまった。私はこらえきれずに笑ってしまったが、若い女性店員さんはびっくりしてひきつっていた。帰るとき振り返ると、おじいちゃんは若い女性店員さんからおこられていたが、あれはあれでおじぃちゃんのキャラなんだから直さなくてもいいんじゃないかと少し残念に思った。
2005年04月26日
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ある日かかってきた電話をとり、嬉しそうに話をしていたばぁちゃん。「うん元気だよ。Nちゃん(←東京の妹)は元気かい?」などと言っている。内容を聞いていると、友人が亡くなって気を落としているばぁちゃんを心配して東京の妹が電話してきたようだ。しばらく世間話をしていたばぁちゃんと妹。ところがばぁちゃんは突然敬語になり、「はい わざわざありがとうございます。元気な声が聞けて私も安心しました。では失礼します」と言って電話を切ってしまった。そしてばぁちゃんは、ヤレヤレといわんばかりに自分の座布団に座り、すました顔でお茶を飲んでいる。あれ??ばぁちゃん今のN子ではなかったのかい?私がばぁちゃんを見つめていると私の携帯が鳴った。N子からだ。「ねぇちゃ~ん。ばぁちゃんボケたの?今電話で話してたんだけど、突然他人行儀になって電話切られた~。・°°・(;>_
2005年04月25日
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東京で保育士をしている真ん中の妹にはつきあってかれこれ5年以上になる彼氏がいて今東京で同棲しており、2年以内には結婚するつもりらしいです。先日久々に妹から電話がきました。なんでも年末に彼の実家へ行って、彼の家族と年越しをしたのがきっかけで、彼との結婚が少しイヤになってしまったというのだ。妹:「姉ちゃ~ん、N子(←妹)もうダメかもしれない。なんかさぁ、前からそうなんだけど、Sちゃん(←彼氏)の家族静かすぎんの。うちはさぁ、ご飯食べる時でも結構みんなうるさいじゃん。Sちゃんのとこはさ、みんな一言もしゃべらないでもくもくと年越しソバ食べてんの。N子はさ、一応女の子なんだからソバの『ズルズル』すする音あんまり聞かれたくないワケ。なのに誰も何もしゃべらないから、みんながソバすする『ズルズル音』だけやたらひびいてんの。しかもさ、みんなソバ食べた後に、『超にごってて汚いドブ水みたいの』飲んでんだよ!!!しかもみんな無言だし顔真剣だし!!!おばさんに『Nちゃんも飲む?』って聞かれたけどあんな汚い水飲めないよ~。断るの大変だったよ~。うちだって大晦日にはソバ食べるけど汚い水なんて飲まないじゃん。ねぇ、あれってなんかの宗教なの?怖くてもうSちゃんの家行きたくないんだけどぉぉ(;>_<;) 」とのこと。オイオイ妹よ。彼のお母さんはお蕎麦屋さんやってるんではなかったかい?「汚い水」ってのは「そば湯」ではないのかい?うちは年越しは温かい蕎麦ってきまってるからそば湯飲まないけど、本格的な彼の家なら飲むのはごく普通のことだろう。そして妹よ。君は高校で蕎麦うちを習ったからと言って毎年我が家の年越し蕎麦作りを担当してたんではなかったかい?妹は私の話を聞いて大笑いしていた。私も大笑いしてしまった。それにしても「そば湯」飲んでただけでなんかの「宗教」って・・・妹は誤解がとけて安心したのか彼と仲良くやっています。
2005年04月22日
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最悪なお母さんのお話のせいで気分が重くなってしまったので今日は明るく おかしな友達の思い出話をします。中学3年生のある日の放課後友達のMちゃんが「相談があるの・・・」と泣きそうな顔で言った。聞けば「私 病気かもしれない・・・」と。ただ事ではなさそうな雰囲気に私も神妙な顔で話を聞いた。以下その時の会話Mちゃん:「私 膀胱か腎臓の病気かもしれない」私:「なんでそう思うの?」M:「尿検査がおかしいの」私:「今日出したばっかりなのにもう結果きたの?」M:「違うの・・・」私:「何が?」M:「私 前から人よりおしっこの量が多いの・・・」私:「?」M:「だってね、尿をとるカップからいつもあふれるの・・・」私:「?」M:「いつもジャ~ジャ~あふれて手にかかるの・・・」Mちゃんは泣き出してしまった・・・私:「ちょっとまってよ。まさか朝一番のおしっこ最初から最後までカップに入れようとしてるんじゃないよね?」M:「最初から最後までカップの中にしてるよぉぉ」私:Σ( ̄ロ ̄lll)私は泣いているMちゃんには悪いが、しばし呆れてその後大笑いしてしまった。私:「Mちゃん 朝一番のおしっこ全部をあのカップに入れようとしたら誰だってあふれるよ。最初は少し普通に出して、途中でとめてからカップをあててまたするんだよ」Mちゃん:「そうなの?私病気じゃないの?よかったぁ(≧∇≦)」その後Mちゃんはギョウ虫卵検査(ケツペタ)をずっとお母さんにやってもらっていたことが判明したのでもうそろそろ自分でやりなさい!とやり方を教えてあげた。今ではすっかりまともなOLになっている友達Mちゃんのお話でした。
2005年04月20日
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私がこのホ-ムペ-ジを立ち上げてから遊びに行く先は既婚者の女性のペ-ジが多いです。そこで日記を書いている方は皆とてもステキな妻であり母親です。今日はその中の一人のステキなお母様のペ-ジへ行った時に「世の中にはこんなにステキなお母さんがいるのに私が出会ったあの人はいったい・・・」と思い出してしまった最悪な話があるので書きます。今回書くのは一番最悪な一つだけですが、私が病院に勤めてる間に出会ったお母さんで良いお母さんだと思えたのはほんの一握りしかいません。私のペ-ジへ遊びにきてくれる子供をお持ちのお母さん。あなたたちはスバラシイ!!どうか自分に自信を持ってください。私は昔 小児科に勤めていました(看護婦ではありません)。そこは個人病院だったので、大きな総合病院とは違いスタッフは患者さんやその家族とより親しくなります。患者さんの中に自分はうつ病だと言い安定剤を飲み続けている喘息の男の子二人(5歳と3歳)をもつ30代前半のお母さんがいました。お母さんはそれなりに子供をかわいがっているように見えましたが、子供が喘息であるにもかかわらず、薬を定期的にもらいにこない時があり、小児科の先生によく怒られていました。その頃お母さんは子供だけでなく自分の身なりも気にしていない様子でしたが、そのうち夜スナックで働き始めたようでバッチリ厚化粧をしてくるようになりました。しばらくすると、お母さんのかわりにたまに来ていたお父さんではなく、25歳くらで若く見た目もそれなりのお兄さんが薬をとりにくるようになりました。いくら夜働いていてどんなにお化粧していても、そのお母さんはお世辞にも綺麗とはいえなかったので(←ひどい)私たちはそのお兄さんとお母さんの関係を不思議に思ったものです。そんなある日子供が二人とも風邪をこじらせて肺炎になり入院することになりました。お母さんは午後からまた来ると言って子供を看護婦さんに預けたきり連絡がとれなくなりました。1週間連絡がとれず、やっとお父さんに連絡がついたと思ったら、「もう俺は関係ない。あいつが勝手に男を作って出ていったんだから子供はかわいそうだと思うけど仕方がない。そっちで何とかして下さい」と言われました。結局お父さんはひきとりに来ませんでした。2週間たち、二人がお父さんもお母さんも迎えにこないことで泣くようになりました。病院でもそのまま預るわけにいかないし・・・と言ってるところへ前出のお兄さんが子供たちを引取りに来ました。話を聞くと彼はやはりお母さんの浮気相手だったようで、家を出たお母さんが子供を連れてお兄さんのところに転がり込みしばらく一緒に住んでいたので子供たちもお兄さんになついていたというのです。そして当のお母さんはと聞くと、「別の男の人を作って出ていった。連絡がとれない」と言うのです。お兄さんはまだ25歳くらいだったし、自分の子供ではないけれどあまりにも子供がかわいそうだから引取りにきたと言います。少しの間自分で面倒を見ると・・・迎えに来たお兄さんを見て二人はとても喜んでいました。私たちは何もしてあげられず、「困ったことがあったらここに来てね」と言うしかありませんでした。それから数ヶ月して私は病院をやめたのであの子たちがどうなったのかはわかりません。今でも残る看護婦さんに聞いてもあれからあの子たちは来ないと言いました。あれから7年がたちます。どんな形でもいいからあの二人がどこかで元気で暮らしていることを祈ります。そしてあのお母さんが自分のしたことを心から反省して罪をつぐない、みなさんのようなステキなお母さんになっていることを祈ります。
2005年04月19日
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ばぁちゃんの弟はまだ若いので元気だが、ばぁちゃんの姉妹は数年前に皆亡くなっておりばぁちゃんは誰かが亡くなる度に「次は私の番だわ」としみじみ言っていた。去年亡き祖父の最後の兄弟が亡くなった時も言っていた。その時本家である我が家には久々にばぁちゃんの子供たち(私の父の姉弟)や孫が皆集まった。私たち孫は別の部屋で談笑していたがおじさんおばさん達の何やら楽しそうな声に誘われ居間へ行ってみると、ばぁちゃんが押入れから引っぱり出してきたアルバムを見ながら「これがいいよ」とか「化粧濃すぎる」とか「その写真は恥ずかしいわ~」とか「このあたり無難じゃない?」などと言って大笑いしている。私が「皆楽しそうだね。何してんの?」と聞くとおばさんが「ばぁちゃんがさ、自分が死んだ時に葬式で使う写真今から決めておくってうるさいからさ。皆で選んでやってるの」と言った。ば ばぁちゃん・・・\(--;)そんなこと言ってる間にまたばぁちゃんが「これなんかどうだい?」と言ってきた。それを見たおばさん達が「かぁさん それじゃ若すぎるわ!」「何ぼ何でもずうずうしいわ!」と言ってまた笑っている。見ると今年80歳になるばぁちゃんの、50歳くらいの頃の写真・・・それはダメだよばぁちゃん・・・「やっぱり ダメかい」とばぁちゃんも笑っている。そしておばさんの一人が言った。「でもさ かぁさん そうやってもうすぐ死ぬ死ぬって心配してる人に限ってなかなか死なないもんだよ」と言った。ばぁちゃんは「そうかい?そんなことないと思うけどねぇ。だって食欲なくてご飯も前ほど食べられないんだよ・・・」と寂しそうに言った。ばぁちゃんは確かにごはんに関しては少食だ。でもいつもご飯の前にものすごい間食をしているのだ。食事の30分前に、プリンやゼリ-を二つ三つ平気で食べている。その後に皆と同じように食べられないのは当たり前だ。と私は思う。すかさず母がそう言ってつっ込んだ。皆大笑いした。ばぁちゃんも笑っていた。あんまり皆が和やかすぎて孫の私たちは写真に関して誰も「縁起でもないことするんじゃない」とはつっこめなかった・・・下は最近のばぁちゃん。(と言っても1年以上前)私の携帯にカメラが付いていると知って「ちょっと撮って」と言った時のだ。その時ばぁちゃんは「うまく撮れたらお葬式で使うから」と・・・オイオイ(^。^;) 結局「今笑わなかったからダメだわ~」と3回撮り直しさせられた。そんなかわいいばぁちゃんは今も元気です!
2005年04月18日
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昨年久々に映画館へ行った彼と私。見た映画はパイレ-ツオブカリビアン!!!もうジョニ-デップがかっこいいのなんの。王子役の主役らしき人なんてそっちのけで私たちはジョニ-に夢中。帰り道でも興奮冷めやらぬ状態。数日後、テレビでスマスマを見たらキムタクが目の淵を黒く塗りジョニ-のモノマネをしている。私はひらめいてしまった。彼の顔にもやってみよう・・・※おわかりのこととは存知ますが、彼はジョニ-には少しも似ていませんのであしからずジョニ-やキムタクより薄めに目を囲んでヒゲを描いてみた。「あの顔(←ジョニ-が映画の中でやっていたおどけた表情)やってみて!」彼は渋々やってくれた。何枚か写真を撮って遊んでいたがそのうち彼は自分のバカさ加減に気づいてしまったようだ。下はその時の写真ノリノリでやっている一枚と 我に返って悲しくなった一枚
2005年04月15日
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LE TIGREさんのコメントを読んで思い出してしまったエピソ-ド。私が彼とつきあい始めたばかりの頃、彼は残業で帰りが遅く、次の日も朝早くから仕事という日が多かった。彼の実家は彼の職場から車で40分。私が一人暮らしをしている家は15分。もともと彼は私の親友なのでつきあっていない時も疲れている時は私の家へきて泊まって私の家から職場へ通う日もあった(彼は私の服が着れるので 笑)。過酷な労働が3日間続き、彼が3日間連続で私の家から通った日があった。翌日久々のオフになった彼は3日ぶりに私を連れて実家へ帰った。(私は初めての訪問!)「いつもアンタにお世話になってるみたいですまないね。これからもひとつ宜しくたのみます」と彼のお父さん。「アナタの話は高校の時からよく聞かされてました。これからもよろしくお願いします」と彼のお母さん。「よく来たね~さぁどうぞどうぞ」とお兄さんも明るく優しく楽しい。晩ご飯をご馳走になり、和やかに時間はすぎて気づいた時には10時が過ぎていた。「○(←私)も明日仕事だし、遅くなるから・・・」と彼が言い、私が「遅くまですみません。お邪魔しました」と帰ろうとすると、お父さんが「おい おカァ(←お母さん)アレ!」といった。お母さんが「あぁ~ハイハイ」とお土産に、お米を20kgと冷蔵庫に入っていた肉や魚や野菜をたくさんくれた。何だか申し訳ないなぁと思いつつ玄関へ向う途中「じゃぁ気をつけて帰れよ。風邪ひくなよ。で、お前今度はいつ遊びにくるんだ?」と彼に向って言うお父さん。あれ?彼はこちらに帰ってきたのですが?と思ったがもう遅い。彼は実家に帰ってきたにもかかわらず、私の家に帰る(?)ことになってしまったのだ。お土産だと思ったものは彼の分の食料だった。以来彼は私の家に居候している。あれからもう3年がたつ。彼の実家に遊びに行くたびにお米や食料をもらってきている。LE TIGREさんがおっしゃるとおり私の未来はとても明るいです。(笑)
2005年04月14日
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彼のお父さんは私が今まで出会ったどのお父さんよりも最強です。本人にその意識は全くないのですが・・・彼の親なのでUPするのはやめようと思ったのですが、どうしても紹介したいので・・・ごめんなさい。一つだけ・・・<彼のお父さん最強伝説 その1>彼が高校生の頃何階建てアパ-トかは忘れたが3階に住んでいた彼一家。(4階だったかな?)ある晩お父さんは残業を終えて午後9時頃帰宅した。玄関で普通に靴を脱ぎ、普通に居間へ上がり、いつものように普通に食卓テ-ブルの前に座った。そして部屋を見回して一言。「なんだ また勝手に模様替えしたのか!」と台所に立っているお母さんに向って大声で怒鳴った。が、よく見るとお母さんはお母さんではなく一階下の奥さんで、そこは彼の家ではなく一階下の夫婦の家だったのだ。お父さんはやっと間違いに気づき「間違えました」と言って慌てて出て行き、1階上の自宅へ帰ったのだった。しかも慌てて出てきたので靴をはくのを忘れてしまった。お父さんはお母さんに「ちょっと下にあやまりに行って靴を取ってきてくれ」と頼んだそうだ。ほんとはもっといっぱいおもしろい話あるんだけど彼のお父さんということで今回はこのへんで・・・
2005年04月14日
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さっき母からメ-ルがきたのでそのお話。母からのメ-ルは基本的にひらがなが多く「、」や「。」がない。その上 たまに主語が省略されているのでわけがわからないことが多い。例えば昨年夏のメ-ル「毎日あつくてたいへんだわニラもあついもんだからしなびてきてビ-ルのんでよこになってるわ」訳すと、 「毎日暑くて大変だわ。ニラもこの暑さでしなびてきて(倒れて)横になってるし、暑いもんだからお父さんもビ-ルのんで横になってるわ」となる。途中からニラのことなんだかお父さんのことなんだかわからなくなっていまっていいる。また別の日のメ-ル「ハウスかけたかったけど天気悪いからできないから昨日は旭川にいってきて美奈子たちにあってきたみたいだしだからあまり遅くならないように帰ると思うよ」訳すと、「昨日から妹がハウスのビニ-ルかけを手伝いに帰ってきてくれているが、天気が悪いから仕事ができない。だから妹は旭川にいる友達の美奈ちゃんに会いに行ってきたみたい。そんなんで妹も疲れてて、遅くならないうちに帰ってしまうはずだから妹が帰ってしまわないうちに早くアンタもおいで」多分私しか訳せない。
2005年04月13日
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母は流行に敏感ではあるが少しずれている。健康に良いとされる食べ物や飲み物に関してはいつも先取り。世間で皆が食べ始めたり飲み始めたりする頃、母は既にあきて別のものを試している。でも言葉の流行に関しては遅い。昔流行った「なまら」(「とても」という意味?)という言葉、誰も使わなくなったころ一人得意気に使っていた。今は「超」を使っている。私も今でもたまに使うけど、母ほどではない。先日母はみんなに「ウンナ-食べる?」と聞いた。私が「ウンナ-って何?」と聞くと「ウィンナ-に決まってるしょ。今は何でも短縮形だよ」と誇らしげだ。でもウンナ-って・・・小さい「ィ」しか省略してないし・・・母はいつもそんな調子。母しか使わないであろうおもしろい短縮形は、他にもいっぱいあるんだけど、母があまりにも普通に使うので、どれが変なのかわからなくなってきてしまった。思い出したらまたUPします。
2005年04月11日
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春です。そろそろ変質者と呼ばれる方たちが増えてきます。私は過去に何度かあいました。小学生の頃友達の妹と二人で帰り道を歩いていました。田舎なので30分に一台車が通るか通らないかの道です。つぶすとプチっと音のなる小さな白い実をたくさん見つけたので、道路にまき、そこを通った車が踏む音を聞こう!ということになりました。数百メ-トル後に白い車が近づいてくるのが見えたので実をまいて準備しましたが、待っても車は来ません。歩きだすと少しずつ近づいてきて、私たちがとまるとその車もとまるのです。何かおかしいね・・・と言いながら歩いていると、とうとう50m先まで車が来ました。初めに車を見つけてから20分後くらいです。人が歩くくらいの早さで走っています。その時ちょうど前から友達のお父さんの車が来ました。白い車は突然Uタ-ンしてもの凄いスピ-ドで走りさりました。数日後 同級生の中で、白い車の若い男の人に道を聞かれて車に引きずりこまれそうになったという話が出て、先生が注意を呼びかけていました。中学2年生の頃いつも一緒に帰っている子が風邪で休み、たまたま一人で歩いていた時のこと。何度も行ったり来たりしている車があり道に迷ってるのかなぁ?と思っていました。そのうち後からゆっくり近づいてきて助手席側の窓を開けて「すみません」と声をかけられました。私は「ハイ」と言い、「これ見てくれませんか?」といわれて完全に地図だと思い込んでいた私が目をやると・・・男の太ももの毛が見えました。?と思いましたがもう遅い。男はズボンを足元まで下ろしていて私はアレも見てしまいました。男は「キャ-」というかわいい悲鳴を期待していたのでしょうが、私は「うわ」と小さな声で言っただけで走って逃げました。振り返って車のナンバ-を見ましたが、冬だったのでナンバ-プレ-トに雪がついていて見えませんでした。家について除雪をしていた父に泣きながら話し、二人で警察に行きました。いろいろ聞かれて帰ってきました。数日後、男の似顔絵と車の絵を描くように言われました。顔はデブでブサイクとしかおぼえていませんでしたが、車はだいたいおぼえていて、車マニアの友達に特徴を話すと「それは多分パジェロの何とか何とか(忘れた)だよ」といわれて警察に話しました。数日後、車で1時間ほど離れた田舎の町で調子に乗って同じことをした男は女の子にナンバ-をおぼえられてつかまりました。確かにつかまった男の車は私の友達が言ってたパジェロの何とか何とかでした。警察の人に「お陰で犯人つかまったよ。アイスでも買って食べてね」と3千円もらいました。今思い出しても警察で被害届けや調書を書くための質問は、中学2年生の女の子にはショッキングなものでした。高校2年生の頃朝まで友達の下宿で飲んでいて(お酒は20歳になってから!!)始発のバスで帰ろうと早朝のバス停で一人待っていた時のこと。私はその時珍しくミニスカ-トをはいていて膝上のハイソックスをはいていました。靴下が下がってきたので上げようと下を向いた時、股の間に緑色のものが見えました。次の瞬間「パシャ」っと音がしました。インスタントカメラでした。中に黒いスパッツをはいていたのでどうってことなかったんですが、とても腹が立って変態のオッサンを追いかけました。陸上部だったので・・・笑でもオッサンは速かった!ジャ-ジを着て運動靴を履いていたから尚更。私はスカ-トにロ-ファ-。完全に不利です。今でもあの時ジャ-ジに運動靴じゃなかったことが悔やまれます。みなさん本当に気をつけましょう。
2005年04月04日
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私がよく遊びに行くcocogenさんの日記で変なおじさんの話をしていたらいろいろ思い出したので書きます。バナナおじさん私の住んでいるところでは昔から有名な話です。そのおじさんはまるでバナナ(1房)を犬か何かの動物のように扱い、縄をつけて商店街を毎日散歩していました。理由はわかりません。いつか誰かが聞くだろうと思っていましたが、結局誰も何もきかないうちにおじさんは亡くなってしまったので永遠の謎になりました。まゆげおばさん高校生の頃片道1時間の列車通学をしていました。毎朝同じ列車に乗るおばさんで、大正時代のような赤いドレスを着た人がいました。そのおばさんは眉毛を茶色のペンで書いているのですが、その線は眉毛どころかこめかみまで伸び、そこでクルっと一回転させて耳の横まで伸びているのです。その線は日増しにのびていき、最後には顎で結ばれていました。何せ意味がわかりません。でも怖くて結局何も聞けませんでした。ピンポン玉の人やっぱり高校生の頃帰りの列車で入口付近に座って寝ていた私は目の前のつり革につかまってしやべる二人の男の人の声がうるさくて起きました。見ると二人は今で言うアキバ系の若者でなにやらマニアックな会話を楽しんでいました。しばらく盗み見していると、一人の方が自分の持っていた紙袋に手を入れました。次の瞬間、袋から出した手の一指し指と中指と薬指に何かはめていて、その手でつり革をつかみ直しました。よく見ると卓球に使うピンポン玉でした。ちゃんと「TSP」って(卓球道具のメ-カ-)書いてあったのをおぼえています。それに穴を開けて3本の指にはめている。意味がわからない・・・そしてもう一人の男の人はそれに関してノ-リアクション。もっと意味がわからない・・・(涙)私はその日一人だったので、とにかく「早く降りてくれ」と願うばかりでした。被害妄想の人これまた高校の頃、友人と二人で列車に乗っていました。少し離れた席で友人の男友達がテストの結果で談笑していました。男の子の近くに一人で座っていた20代後半の女の人がいきなり彼らに向って「スケベ!」と言いました。彼らは自分たちのことではないと無視していましたが、女の人は「やめてよもう。いやらしい。あぁやめてやめて!スケベ!スケベ!」とわざと聞こえるように悪態をついていました。私と友人も彼女の独りごとだろうと気にせず目をつぶってウトウトしているとしばらくして目の前に人の気配がするのです。おそるおそる目を開けると彼女がたっていて、友人と目が合うと「わかってるなら助けてよ!」と言って列車を降りていきました。意味がわかりません。誰か助けてあげて下さい。列車では本当にたくさんの変な人に出会いました。また思い出したら随時UPします。下の絵は眉毛おばさんです。絵が下手ですみません。もう少し太ってたと思いますがこんな感じです。 ↓
2005年04月04日
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