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どうも昔から権力とか組織ってものに馴染めない性分だったような気がします。公《オオヤケ》なるものへのヒガミといったところでしょうか。ところがこの頃、協会本部の技術委員や山口支部の技術委員長を務める中で感じている事があります。それは「公というものは、それに向かって集約するものである」という事です。簡単に言えば「個である皆の力を集めて、大きい視点で大きいことをしようよ」といったところでしょうか。ただし、それをより良い方向にコントロールするには「大義」という大きな舵が必要なのではないかとも感じています。40代も目前ですが、このタイミングで公《オオヤケ》の視点を与えられた事はたいへんありがたいです。この業界がより良い方向に向かうには?そのためにももう少し、前に進んでいきたいものです。たぶん、そこが華のありかだと思いますから。
2008.11.13
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環境問題における最悪の思考、それは「可哀想」ではないかと考えます。例えば滅びゆく動物や大地を想うとき、それらに寄り添う事が出来る感情は「可哀想」ではなく、自分自身をも揺さぶる怒りや悲しみであるべきではないでしょうか?力強く動きたければ、力強く想い、力強く考え学びたいものです。
2008.11.06
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現在の地球環境問題を考えるとき、不謹慎ながら思うのは世の中は「破滅に関する情報」が大好きなのかなということです。私が子供の頃は、核戦争や公害問題がそれでしたし、その後の原発問題などもそれに該当するのでしょう。こうやって考えると、長い歴史の中で発生した飢饉や大病の流行、天変地異なども「破滅に関する情報」に該当しますよね。いつの頃から「破滅に関する情報」がエンターテイメント化したのでしょうか?案外、人類の歴史とそれとは一体化しているものなのかもしれません。破滅への幻想と、それを凌駕しようとする意思により人類は歩んでいるような気がします。
2008.11.05
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全ての仕事は、報告書によって完結します。レイアウト、フォント、そしてその内容。書きたい事をA4一枚へ凝縮すること。私はどのようなもので、誰に対してどのようなスタンスでなぜこの書類を作成したのか?そしてこの書類は何を目的としているのか?考えること、盛り込みたいことはたくさんあるのですが、最終的にはテクニック的な事よりも、人間力的な事が問われているような気がしているのです。
2008.11.02
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