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小学校4年のとき、時効だから告白しますが、1回だけタバコ吸ってみたことあります。多分、どこか道に落ちていたものだったかもしれません、勝った覚えもないですし、自宅にはありませんでしたから。それでも、子供時代、隣で大人がタバコ吸うと、いい臭いだなあと思っていた(今は、臭いなと思う)。タバコは税金をもっと上げたらよいが、この税金、旧国鉄の赤字返済に回されているって、何か違うんじゃないか?18歳のとき、山合宿を終えて、くたくたになって、山を下りて、寺の境内で、同輩が、どうだと1本進めてきた。そのとき、吸う習慣はなかったが、何気なく吸ってみたら、美味かった。ところで、ブータンでは、タバコ売ってませんから。
2010.05.31
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アジアとヨーロッパの架け橋といいながらトルコのヨーロッパ部分は3パーセント程度か。アタチュルク空港に到着して、さっさと、荷物を1階で預け(これが結構高く500円ぐらいした)、ソクソクとタクシーを拾い、「ハギアソフィア」という。しっかりメーターが倒されたことを確認する。我ながら、アヤソフィアの別名、ハギアソフィアを名にして、贅に入る。しかし、空港なのに、荷物がなくいきなり観光地を目指す、トイモーご一行様に運転手も多少不審な顔をしているが、それは愛嬌である。車内から海岸通沿いを眺めていると、高揚してくる。なんて船が込み合っているのだ。黒海を行き来う船が一斉集中か。テオドシウス2世東ローマ皇帝の城壁。ローマ皇帝・・・どうもその名は、高校時代の歴史のお勉強で名前だけをいくつか覚えており、何をしたかどうかは分からない。初代アウグストゥスのオクタビアヌス、カリギュラやネロやティベリウスの古代ローマ、五賢帝時代(マルクス・アウレリウス・アントニウス含む)を経て、そこから覚えているのは、コンスタンチヌス、テオドシウス、レオ、ユスチヌスとかかねえ・・・。ボスポラス海峡が見え始めた。対岸はアジアである。1980年代後半、遠く中国から陸伝いに来たことを思い出しながら、再度贅に入る。40分程度でアヤソフィアに到着。2000円程度。(4人ならバスと変わらない)帰ります。空港近くに来ても尖塔あり。空港からも尖塔が見える。時間が少し余ったので、急いで地下のスーパーマーケットで、やっつけ土産とビールを購入。ビール飲む。飛行機搭乗になってもまだ尖塔が見える。パスポートには、テルアビブで貼られたシールがあり、帰国してから調べた。私は2番で非常に刑期が軽いのだが、1~6まであるらしい。清く正しく薄くしい私は、別室行きの6番ではなく、クリーンな2番である。 2009年GWトルコ・レバノン・ヨルダン・イスラエル旅行 イスタンブールへ レバノン料理最高 ベイルート、レバノンのナニコレ。 ベイルートガイドブック ベイルート戦火 レバノン・ベイルート昼夜 レバノン・ベイルート→ヨルダン・アンマン、ゴラン高原 ヨルダン・アンマン朝夜 アンマンガイドブック ヨルダン側死海DEADSEA1 ヨルダン側死海DEADSEA2 ヨルダン・アンマン→イスラエル・テルアビブ130キロ イスラエルの歴史おさらい 入国厳しさ世界一のイスラエル入出国 テルアビブにて イスラエルgourmetの旅 キプロスを越えて 飛んでイスタンブール 20年ぶりのイスタンブール グランモスクで一杯のチャイ 東京→大阪
2010.05.30
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ヨルダンの朝の散歩に限り、観光案内をするつもりです。だから残念ながら、ナイトスポットは残念ながら、良き中年のために秘密にしておくが、少しだけならスケベナイトクラブも存在するようである。観光局朝も早くから交通量も多く、アルフセインモスクが中心となります。アンマン市内地図を俯瞰しても、その起伏、高低差は分からないが、丘の街なんです。それでも12時間もあるけば、おおまかなとろは全部歩き回れると言う感じです。タクシーでの異動は、なかなか客待ちしているタクシーが少ないように見受けられますが、タクシーはメーター制で、10分ぐらい乗っても100円程度です。ね。第一次世界大戦後、オスマントルコは崩壊し、イギリスは、ユダヤジンにユダヤジンの国を建国することを約束しながら、アラブ人にアラブ人の国を作ると約束しながら、早々に、フランスと山分けしやがったのですが、その際に、建前もあるので、小分けして、シリア、レバノン、ヨルダン、イラクなどのアラブ人の国を独立させよった。人工的にであり、イラク?ヨルダン?地元の人たちは、さぞ何だ、その名前?と思ったことだろう。まあ、イギリスが愛し、独立させたったヨルダンとイラクは預言者マホメット家の血をひく王家であり、その後、イラクはバース党に倒され、今、血筋を残す唯一の国となっていますね。トランスヨルダンハシメテ。ニンファエウムは2000年前の噴水。子供の頃のことを思い出したら、この中東あたりどうだったかというと、戦争戦争、だったけど、オカモトコーゾーなどのように、ゲリラとなって、今は、テロという言い方が主流になりながら、中味は、小規模になったかというと、言葉はより個人的になったように感じるけど、結局は国家がやらかしていることなんだよね。市場。すぐ近くにも金市場ゴールドスークがあるのですが、朝なので、ズズーンと閉まってましたわ。ローマ劇場 ローマ皇帝が2000年前に作ったんだってよ。ヨルダンも石油がでない国ですが、案外、今は、経済まあまあうまくいっているみたいです。医療や衣類や農産物の輸出が好調なのに加え、イラクから金持ちが随分逃げてきていてるみたいですね。建設ラッシュもあります。イスラエルとも随分仲が悪かったが、最近は関係もシリアやレバノンと違い、妥協したのか、10年ほど前から陸路でも行き来できるようになりましたと。イラク戦争のとき、ヨルダン、フセイン国王の背広姿をよくテレビのニュースでみたなあ。何度も暗殺の危機を乗り越え、イラク戦争のときにはフセインに味方して、世界中から非難されたが、(ああ、だから唯一イラクに民間機飛ばしてたのか?)戦争に負けると、さっさとイラクと決別絶縁という立ち回りの良さでした。それにしても、フセイン大統領は、クエートを占領して、「ここは昔イラクだったんだ、ここを撤退するなら、イスラエルも占領地撤退せいや」と理不尽なことを要求したが、論理的には正しい。それにしても、クエートなんか金持ち国家に行っても働いているのは外国人、特にパレスチナ人が多く、当時フセイン大統領の発言に、大いに喜んだ。戦争後、よくも協力しやがってと、クエートはパレスチナ人を追い出したってことだよね。アンマン城 歴史で昔習ったマルクスアウレリウスアントニウス皇帝の命によってとくられたということ。観光客慣れもそうしていないので、そう声もかけられたりはしないが、子供は、好奇心が抑えられず、結構寄ってきましたと。 2009年GWトルコ・レバノン・ヨルダン・イスラエル旅行 イスタンブールへ レバノン料理最高 ベイルート、レバノンのナニコレ。 ベイルートガイドブック ベイルート戦火 レバノン・ベイルート昼夜 レバノン・ベイルート→ヨルダン・アンマン、ゴラン高原 ヨルダン・アンマン朝夜 アンマンガイドブック ヨルダン側死海DEADSEA1 ヨルダン側死海DEADSEA2 ヨルダン・アンマン→イスラエル・テルアビブ130キロ イスラエルの歴史おさらい 入国厳しさ世界一のイスラエル入出国 テルアビブにて イスラエルgourmetの旅 キプロスを越えて 飛んでイスタンブール 20年ぶりのイスタンブール グランモスクで一杯のチャイ 東京→大阪
2010.05.29
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学ぶ前に、アメリカ人の方々にお日本のアメ基地のことをお知らせしますと、馬鹿なマスコミの煽りにより、タンにスキャンダル化しているだけです。この国は、アメリカの属国で敗戦国なのに、基地を移転するにせよ何するにせよ、決定権なんかもってナインですよね、それなににボンボン首相は、県外に移すとか勝手な約束を国民なんかにしちゃって、問題の立て方がそもそも間違っているんだよね。仕方ないこと議論したりして、嫌われてるんだよ、バカだからかわいそうになっちゃうよ。 いってみれば、人事権のない課長が、沖縄支店に嫌われ係長がいるので、他県の支店に異動させるわなと部下に約束して、あっちこっちの支店に聞いてみたらどの支店もそんな係長いらんわ、と言われ(言われるのも分かっていたのに)、オロオロしてたりなんかしてるわけ。オメ、ただの課長だろ、人事権ねえだろ。そら、社長に上申することぐらいはできるだろうけどさ。ってな感じですね。オシッコダメ、イヌ、オシッコダメ・・・ニホンノイヌハ、ニホンゴガ、ヨメルノデスカ?スシハココ・・・ニホンデハ、ココニスシアリ、ト、ジコシュチョー、シナケレバ、ナラナイ、ノデスカ?ペチャヤキ、アホヤ・・・ッテナンデスカ、ニホンノ、ソ-ルフードデスカ?ニホンジンハ、ジブン、ヲ、アホト、ヒゲスルノデスカ?シャシンドウジョー・・・ジュウドウ、ノヨウナモノデスカ?タイヤキモ、シロデスカ?才能っていうか、努力っていうか・・・周辺や環境が決定したり・・・するけれど、まあまあ、就職前に才能多少あったのか、と思われるのは、あったかな・・・数学は確かに良くできて好きだったけど、センスあったかと言われると、分からない。小中学校で音楽はダメでしたが、その中で、作曲だけは、なぜか練習もしてないのに、トップの点数だったなあ。ああゆうのを伸ばせばよかったのか?中国では何に才能があるか遺伝子で分かる検査を受けられるそうだけれども、分かっちゃうと面白くないし、飛び抜けた才能とまでなると分からないよな。あなたは音楽的才能あります、短距離走の才能があります、そういわれても地域のナンバーワンになれるとしても、それ以上ともなれば・・・ましてメシくってウハウハ生活送るとすれば。そんなに早く適性が分かるのも考え物かもなあ。しかし、うまくいく(生活していける、お金持ちになる)のは、往々にして情熱的で絶対ヤル!という絶え間ない努力よりは、時流に乗ったことをすることだね。
2010.05.28
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"Even if the car interrupts why, is not the horn sounded?" ・・・ It is because a scary person comes out when unskillfully sounding it, and there is a reverse-cutting possibility. It coyly sounds it when not beginning to move though the signal became blue. When the horn is sounded, I hold light murderous intent the fellow who sounded it though I actual am not a scary person. It is a move to get on a super-luxury car because it is not done so. "Warum machen Sie Ihnen gesunden Horne nicht, auch wenn ein Auto darin schneidet?"Wenn es darin ber?hmt ist ... Armut, eine wilde Person kommt heraus, und der Grund ist weil es umgekehrt schneiden Sie es, und es wird vielleicht gemacht.Wenn ich nicht anfange, wurde aber ein Signal zu beantragen, die Blauen, es kann die Sache geben, die ich in retiredness ber?hmt bin.Wirklich bin ich keine wilde Person, aber halte den leichten Drang, um zum Typ zu t?ten, der es aussprach, als auf gedr?ckt.Weil es nicht betrachtet wird, es deshalb zu sein, ist es ein Umzug, in ein super Luxusmodell zu geraten. "Por qu? no lo hace Horne leg?timo aun cuando un coche corta en?"Cuando es famoso en ... poorness, una persona feroz sale y la raz?n es porque ?l el corte inverso ?l y puede hacerse.Cuando no empiezo a mover un signo sin embargo se volvi? el azul, puede haber la cosa que soy famoso en retiredness.Real no soy una persona feroz, pero sostengo el impulso ligero para matar al tipo que lo son? cuando toc? la bocina.Porque no es considerado para que para ser ?l, es un movimiento para entrar en un modelo de lujo excelente.「なぜ柔道、剣道、書道、茶道、華道はみんな“道”が付くの?」・・・そのほか、散歩道(さんぽどう)、旅行道など、術と交わる部分は大きいですが、道は極める意味もあり、最終的には、老荘思想に通じています。タオです。"Pourquoi faire judo, kendo, calligraphie, c?r?monie du th?, tout le "gain de l'arrangement de la fleur "un chemin?"Les autres, promenade (comme au sujet d'une promenade), l'art de cours du voyage et partie traversant a un grand ... mais il y a la signification pour ?tre capable d'?tre plein d'et le chemin sait philosophie de Laozi et Zhuangzi pour le dernier.C'est Tao. 「お箸の正しい使い方とタブーは?」・・・お箸で人を刺してはいけません。お箸の持ち方見たら結構、育ちが分かってしまうシロモノでもあります。出自を隠すには、ナイフとフォークを使うことをおススメします。「???? ?? ????? ??(taboo)?? 」 ???????? ??? ???? ????. ???? ?? ? ?? ??, ????? ????? ?? ?????. ????? ??? ????, ???? ??? ???? ?? ?? ???. 「何の目的のために、街でティッシュペーパーを配っている人がいるのですか?」・・・資金を出している人は、その商品やサービスを売るためです。しかし配っているアルバイトは、単にノルマを果たすために配っています。最近は、ヘビメタ系のアルバイトを見かけなく寂しい思いをしています。Para "qu? prop?sito, hay una persona que distribuye un tejido a en un pueblo?"Una persona que saca un ... el fondo es vender el art?culo y servicio.Sin embargo, el parttimer asignando lo distribuye para lograr la cuota meramente.No veo un parttimer del sistema de metal pesado y percepci?n recientemente solo. 「日本のサラリーマンやOLの典型的な生活は?」・・・朝起きて、満員電車に乗り、密着する他人をモノとして捕らえる修行の時間を経て、会社に行き、夜飲んで終わります。"Das typische Leben von japanischem B?roarbeiter und OL?"Ich bin auf darin ... Dynastie und ?berholt und geht zur Gesellschaft und, auf dem ?berf?llten Zug, h?ren Sie auf, die Zeit asketischer Praktiken zu Verhaftung zu trinken, die bei Nacht eine andere Person als eine Sache haftet.「会社は、なぜ残業が多く、休みが少ないのですか」・・・他人は自分の仕事を任しておくことが出来ないと考えるからです。また、周りがなかなか帰ってくれないからです。A raz?o ? porque pensa isso ... outra pessoa n?o pode partir o trabalho da pessoa "h? muito trabalho de ser?o, e por que a companhia tem que poucos descansa."Al?m disso, a raz?o ? porque a circunfer?ncia n?o devolve prontamente.「援助交際って何?」・・・売春のことです。援助交際という言い方は禁止したほうがいいです。"What is the enjokosai?" ・・・ It is prostitution. You should prohibit the expression of juvenile prostitution.「知らない人にぶつかっても謝らないのはどうしてですか」・・・友達や会社や取引先の人は、非常に大切にしますが、その他大勢は、どうでもいい人たちと思っているようなので、無視です。「どうして何でも「かわいい」と言うんですか」・・・ボキャブラリーが単純に不足しているからです。一言で済めば無難でどうとでも肯定的な意味が取れるからです。その中味に関しては、意味がありません。「父親の転勤にどうして家族がついていかないのですか」・・・父親は、お金さえ家庭に振り込んでくれたらそれでいいからです。母親にとって重要なのは、子供であり、自分のことは棚に上げて子供に期待し、転校させるなんてかわいそうと思うからです。旦那と離れるより、地域社会の友達と離れるのが嫌だからです。「どうして日本人の中学生はいつも制服を着ているのですか」・・・大人が規則を決めておいて画一させておくと管理しやすいからです。しかし、案外、子供たちの間でも、毎日着て行く服考えるより決まっているほうが楽という意見もあります。「日本人はなぜ短く省略した日本語を使いたがるのですか」・・・喋るのがもったいないからというのが第一義にありますが、身内だけで通じる言葉を作って結束を固めるというみみっちい考え方もあります。「物を贈る時「つまらないもの」と言うのはなぜですか」・・・つまらないものだからです。つまらないものなら贈るなという意見もありますが、とにかく、賄賂を渡すことに意味があるのですね。"? perch? quello dice "una cosa ottusa" quando gli d? una cosa"; o come per il ... la cosa indegna ? perch? ? esso.C'? l'opinione che io non lo do se indegno, ma, c'? in ogni modo, un significato nel dare un dono.「どうして日本のドラマではHしている場面を放送するんですか」・・・テレビは、教育よりも視聴率の方が大切だからです。「日本のニュース番組に国際ニュースが少ないのはなぜですか」・・・重要なニュースは国家がアホな国民に知らせたくないからです。特に、何かつまらない芸能スキャンダルを繰り返し報道しているときは、裏に何か重要な事件が起こっているものだんです。「お笑い番組などでよく相手の頭を殴るのはどうしてですか」・・・脳の細胞を壊しているのを肯定するからです。 さて、これで、どんなけ、検索、世界からされて集まるかなフラッグ・・・
2010.05.27
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AB型の特徴のようなものをネットから拾って集めてみた。AB型男性は、なにごとも器用にそつなくこなす合理的なタイプのようです。また、理論派というより感性派で、ノスタルジックで詩的なところもあり、かなりの理想論者であるようです。→まさしく、私は合理主義の感性至上主義な詩人であり、ファナテックである。合理的にテキパキと仕事をこなしながら、同時に非現実なことを考えられたりします。そんなところが人望を集め、慕われれることも多いようです。→確かに、私は白昼夢の中で仕事をやり過ごしながらも、何だか分からないが、分からないところがスゲエ人(或いはスゲエ呆れた人)とも言われているかも知れないと思う。日によって自分の表現の仕方が違うように見えるのもAB型男性の特徴のようです。ですので、相手によって二重人格的に思われたり、少し変わっていると評価されたりする人もいるようです。→日によるというか相手によって表現方法を変えるのも私の特徴だ。仕事の取引先や社内の社長、学生時代の友達、前に住むばあさん、従兄弟の子供など、それぞれの表現を変えている百変化である。AB型男性は、ナイーブなところもあり、ものごとにこだわるタイプのようです。防衛本能が強い方で、自分を隠し、相手を理解するまで自分を出さないところがあるようです。そのせいで、第一印象で悪く見られがちです。→私も得体の知れない相手や今日知り合った人にいきなり踊り出したりアッカンベーをしたりはなくそほじったりと自分のおちょけた面を極力出さないよう努めています。そのため、第一印象は何を考えているか分からないなと思われることもありますが、付き合いが長くなっても、あいつはなんだと思われているかもしれないね。主体性に少し欠ける面があるようで、流れのままに、ごく自然に生きているようです。相手をけ落としてまでの出世を望まず、そんなところが要領悪く見られることもあります。協調性があると言うよりは、妥協的なようです。たとえ自分の問題であったとしても、傍観的にクールに物事を見てしまいます。そして、意見をだそうと思った時にはもう物事が決まってしまっていたということもよくあるようです。しかし、決まったら決まったなりに自分のやるべきことを考えるタイプのようです。ですので、一見何事にも一歩引いた冷たい感じを受けますが、頼み事をされると嫌と言えない人の良いタイプなのです。→流れるままに生きているとよく言われますが、流されているだけという意見もあります。確かに出世に興味は薄く、協調性はないけど、妥協は得意です。常にゴルゴ13にように自己を客観的に見ています。たまに、見ているだけで自己を傍観者にしてしまうこともあります。とにかく、頼みごとをされるとノーというのが不得意なので、できるだけタノミゴトをされないよう逃げまくったり、能力をひたすら隠し続けています。AB型男性は、スマートに仕事をこなします。考え方がよく整理できていて、目的をしっかりとらえて行動するところがあり、しかも発想が豊かなようです。総合的に物事をとらえないと力を発揮しないタイプのようですので、広い視野に立った仕事に向いています。方針をしっかり理解すると、キチンとした仕事をしますが、納得がいかないと放り出すこともあるようです。「理由はいいからこの仕事をしておいて」といった場合「理由が分からないような仕事は受けられません。」といったこともあるようです。→発想は豊富といわれますが、それが現実味を帯びていないというか、意味がないと思われることも多いです。特にこちらは「意味」を考えていないところがあります。目的はしっかりしていても、缶が得方の整理はどうもできずに常に靄がかかっています。総合的に物事を捉えても、歯車として働くのも悪くないと思っています。方針がしかりしないと、納得しないと仕事は尻切れトンボになるのは皆さん同じかと思います。会社員は、特に理由が重要ではないので、あまり、理由を追求することはありません。AB型男性はとりたてて野心が無く、平凡な道を望む平和主義者なところがあるので、あえてライバルをつくるとは思いません。競争相手がいてもマイペースで、ユニークな企画を立て、自分の力で地位を勝ち得るタイプのようです。上司としてのAB型男性は、実力重視主義で、気に入った部下を登用していくほうではないようです。ですので、自分の立場や待遇には敏感です。自分の能力を評価されていないと思うと、グチひとつこぼさずスッパリと、自分を評価してくれる会社に転職してしまうようなこともよくあるようです。→野心が欲しい、平凡が欲しいと思っています。ワールドワイドな平和主義者で、皆で儲けようと思ってます。競争するから負けるので、競争にならない方法を取るように仕事をして、確かに特異な地位を占めているかもしれません。しかし、新規飛び込み業者の対応(うまく、粘り強くニコニコ話を聞いて追っ払うのが得意と思われているので)や倉庫の整理(ついつい倉庫のどこどこにナニナニがあると記憶力がいいと思われているので)や10年前の資料(物持ちが会社一いいと思われてる。そのため、椅子が机に入りませんが)も任されるので、多少パシリ的なところもあります。経済観念はしっかりキチンとしているほうです。数字には強いようで、財テクでも、それなりの実績を残すようです。こまかくデータを集めて研究するにはしますが、気ままにやるタイプなようです。大きな失敗をすると投げやりになることもありますが、防衛本能が強いタイプなので、経済的破滅の一歩手前でブレーキをかけられる理性も持ち合わせています。お金にはけっこう細かく、コツコツと貯める方のようです。ですが、行動が一定していないようで、通帳をいろいろ持ちすぎて、自分の財産がどれぐらいか把握できないこともよくあるようです。→数字には強いですが、それだけのようです。たしかにデータフォーマットだけ作って満足して入力作業怠ります。小さな失敗でも投げやりになるので、理性をもって何もしません。我慢することも、細かくコツコツ貯めている意識はありませんが、まったく自分の財産の把握ができていないのは事実です。もしかしたらマイナスかもしれません。欲しい物が特にないからかも知れません。でもある日、カード使えませんと言われるかも知れません。お金には細かく、貯蓄していく方ですが、淡泊なので、ケチではないようです。相手におごっても、おごり返してもらうことを期待しませんし、すぐ忘れる方です。しかし逆に、相手からのお祝いのお返しをキチンとせず、忘れてしまうこともあるようです。けっこう衝動買いもするようです。しかし、衝動買いした品物も、うまく使いこなすので、結果的にはムダ使いしたことにならないようです。→確かに、おごってもおごり返してもらうことは期待しませんが、その逆もあり、おごってもらったことをすぐ忘れます。全てものを買うときは衝動買いと思ってます。熟考して買い物をした記憶がありません。しかし買い物は嫌いなので、あまりしません(時間の無駄と感じてしまうからです)不必要なものをあれこれと細かく買うタイプではないようです。しかし、自分の気に入ったものであれば、徹底的に買い集める、コレクター的なところがあるようです。その場合、単純に好きで集めていることが多く、実益がともなっているわけではないようです。どうしても欲しいものがあれば、お金を借りてでも買い求めたり、足を棒にしても探し求めるところがあります。他人には二束三文の価値しかないものでも、捨てようとせず、大切に持っているタイプのようです。AB型男性の経済観念は、そのときによって変わるようです。独自の物差しで判断して買い物をするので、まわりの常識的な判断でははかりがたいお金の使い方をするようです。→今の珍スポ巡りのことでしょうか。しかし、2年ぐらいで飽きました。常識では計り知れないお金を使っているというのは言いすぎですね。AB型の頭の切れはバツグン。 特に論理的な思考に優れ、瞬時にして物事の先を読む判断力は他の血液を多くリ-ドしている。また物事の本質を見抜く洞察力もかなりあるようだ。 ただし、記憶力に関しては、人並みかそれ以下なので注意が必要。普段の頭の良さで目立っているだけに、つまらない覚え違いや度忘れ程度でも信頼を台無しにしてしまう危険がある。→ポカ、勘違い、暴走、ド忘れ、よく会社ではそういわれる。社内では分かっているので笑って終わるが、外では気をつけろよと言われる。仕事の仕上げる速度が適当なため異常に速いので、他人が気がついて止めに入ったときには終わっているということもある。AB型が集団の中でなってしまいがちな状態。 密なコミュニケ-ションが苦手で、どうしても周囲とズレた行動をとってしまうのがその原因。普段から喜怒哀楽を表に出すことを避けているAB型は、素直になろうと思っても相手にうまく気持ちを伝えることができない。 無理に感情論で接しようとすると、「なにか裏があるのでは?」と警戒されてしまうのだ。→確かにポーカーフェイスです。密なコミュニケーションは苦手と言うより、キライ、というか、相手のことがいくら言われても理解できないことが多い。また自分も何を言っているのかよく分からなくなる。AB型がすぐに感じてしまうもの。 計算高いAB型は、なにをするにも先を読みながら行動するタイプ。ただ、それだけに少しでも見通しどおりに物事がすすまないと簡単にあきらめてしまう傾向が。これは、情熱的にがんばることを嫌うAB型の気質の悪い表れである。 あとほんの少しので手に入れられた成功もかなりあったはず。 そんなチャンスをみすみす逃がし続ける。→まあ、そんなこんなで、まさに、AB型に当てはまることばかりで驚く私であった。まあ、ただ、私の血液型はB型ですけどね。
2010.05.26
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バブルだったと言ったのは、バブル経済が破綻した92年頃だったかと思うのだが、その真っ只中の頃、そういう言葉はなく、こういうのが永遠に続くのだと、いい年した大人たちはババ抜きに勤しんでいた。ちょうど、今の中国を見ているようで、日本人は危なっかしい感じで見ている人が多いと思うが、当の浮かれているいい目している中国人は全くきがついていない。ただ経済規模がでかっく、人権とか環境とかそういったものがない政治体制なので、弾けると言うのは、もっと先の話かとは思うのだが。 実は、私も、就職活動だけは、バブルの申し子で、入社したら弾けましたという世代なのだが、この人たち普通なら入れないような大企業に大量に入って、今お荷物になってますなんか囁かれる由緒正しい世代でもある。 ウエブの時代ではなかったので、リクルートや日経なんとかや毎日なんとかから勝手に1メートルに及ぶ企業雑誌が勝手に送られてきて、1ページも見ませんよという状態が続き、学校に就職活動課というか、専用のブースがあることにも夏過ぎるまで気がつかなかった。企業は血眼で人を集め、監禁し、東京に何社も同時に行き、交通費稼いでバイトするような奴とか、何処にいっても食事時に連れて行かれるとか、みんなスゲーなと思いつつ、内定をすでに5社以上取っているものばかりに、気がつけばなっていたのであった。俺も就職活動本気でしなければならないのではないかと。 今や、フリーターは凋落の一途だが、当時は、若い頃はフリーターのほうが時給がよく、正社員より金回りもいいので、フリーターを選んだり、いまやっているバイト先で就職だという者もいると聞いた。 フリーターって、プータローって去年まで言ってなかったか?とオレは思い出し、危うく、目先だけの気楽さと時給の良さだけで、フリーターになるところであった。というか、考えたのは3分もなかったけど。 しかし、学生時代にブラブラして堕落していた私と、そんなに働かんでもええやん的アジア的ムードと快楽にどっぷり浸かっていた私は、暫く働いて、金貯めて、また旅に出て、就職して、また旅してを繰り返すか、とも思ったが、もしかしたら、就職がいつでも出来て人手不足なのは今だけかもしれない。いや、職種さえ選ばなければそういう生活もできるだろうとは思ったが、アジアでだらけた30代、40代、50代の人を見て、羨ましいなあと思える人は、さすがにおらず、職業としては、夏山のロッジに夏に働き、冬は旅行とか、夏は潜水業で漁業し1年分ためて冬は旅行という人ぐらいがまあ、まともな人で、あとは、面白おかしい訪問販売やトラック運転手や怪しい仕事やを聞いたが、そうですかという感じで、うようよしていた、自称ジャーナリスト、カメラマン・・・勘弁してくれよであった。 また長い旅行に出るまで、40年の我慢か、と思いつつ、残業がないところがいいなと思いながら、でも旅行代理店は他人が旅行に行くのはむかつくし、商社を受けては、「ずっと世界の僻地でビジネスを拾い集めます」みたいなことをアピールしながらも無視され続けたわけであった。「天安門事件なんか起こした中国と取引やめないのですか、そんな企業おかしいですね」といっては会社を去る若いだけの私でもあった。 そんなこといってたら、レナウン(東証1部上場)が中国企業に買収されましたね。受けに行った頃は、世界一位の売り上げだったのに。レナウン娘とウハウハするつもりだったのに。まあ、でもアパレルにどうしても、興味が持てず、途中から面接辞退(というかサボリ)してしまったけど。結局周りの友達は5つから10個ぐらいの内定を取って選んでましたが、私は一つ決まったら早々に就職活動やめました。面倒だったからね。それもゼミでは、決まるのが一番最後でしたね。 それにしても、大して仕事への親和性も分からないし、何も発揮してないのに、人の都合の良いように使われすぎないように気をつけような、能はなくても爪隠そうなと老荘的に思いながら奢っていたのも確かであった。 結果、仕事内容は、そう大変なことでもないけど、仕事にまつわる周りの人って、自分どおりにいくはずがなく大変だな。
2010.05.25
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仕方ないので、ここで、最近1人恒例のマイガイドブックをチョット作ってみることにしました。なぜなら、ベイルートのガイドブックで、いまさらオレも若くないからなあでも、海外旅行は10回ぐらいしたかな、という人向きです。すでに幾つか紹介しております。<入国>飛行機で 少し前までなんと、パスポート残存期間が1年ということが記載されていたのですが、それはひどすぎるということで、半年になったようです。しかし、成田で乗り継ぎの際に、ああ、3ヶ月以上あるから大丈夫ですねと言われました。もっと重要なのは、イスラエルのスタンプがあれば入国できないので、行く順番とか、イスラエルでは別紙にスタンプを押してもらうとか何らかの対応が必要です。入国はカンタンですが、スタンプだけは執拗にチェックされました。私も3人がかりでチェックされました。ビザは1ヶ月不要無料です。(シリアからの陸路なら有料ビザのようです。またシリアには空路で行けば、事前にビザをとっておかなけばなりませんが、陸路でシリアに行くならアライバルビザをボーダーで有料で取れるみたいです)ベイルートに入るにはどうするかというと、どの場所でも同じなんだが、その空港HPを開いて、どんな航空会社がどこから飛んでくるのかを調べることから始めるということですね。(日本からの直行便はないよ)<入国>陸路でイスラエルとシリアに面してますが、イスラエルは行けませんというか、2010年5月現在、政情不安の中ででも、比較的ベイルートは安全だが、イスラエルと接する南部へ行くのは興味本位ではやめておいたほうがよさそうですね。<ベイルート、ハリーリ空港から>タクシーは、はっきりいって大変高くたかだか10キロないのに、30ドルです。空港タクシーは一律で、空港モグリタクシーも、ソレに習って30ドルで言い寄ってきます。半額にしたければ、空港から出て、流しのタクシーを捕まえれば半分ぐらいになるでしょう。あるいは乗り合いタクシー(セルビスタクシー)の乗るとか、そこよりもっとあるくとバスがあるみたいです。空港内に公共バスやリムジンバスは入ってきていないようですね。<見所>観光地については、ここに網羅しておきます。まあ、爆撃後ですけど。それから、こんな珍なところもあります。特に、見所もないので、じゃんじゃん、歩くしかないです。12時間歩けば、だいたいベイルートが俯瞰できるのではないでしょうか。<宿泊>安宿のあった旧市街は、爆撃で破壊されたので、あまりベイルートには安宿はないようです。ベイルートの高級ホテルは地中海沿いにインターコンチフェニキアとかあるが、中規模ホテルが集まっているのは、ハラム通り。とにかく、今の時代、宿泊はネット予約しかしません。よさげなホテル見つけたら、他のネットのサイトを見ながら価格比較して、一番安いところで予約すればいいのではないでしょうか。だいたい、私の場合、5~6の格安料金ホテルサイトからの予約です。オークションサイト(最高値をつけた人がその価格で泊まれる)までありますので、それもチェックしてます。予約は、だいたい、3日前から当日に予約しています。しかし、今回は、当日行くことになったので、30分で3つもホテル決めたので、もう適当に値段とだいたいの場所で決めましたね。9000円ぐらいだったでしょうか。<食事>レバノン料理。参考。ワラクイナブという御飯をバナナの葉で巻いたものが、ウマイ。。<アルコール>アルマザビールはピルスナー系で、キリスト教徒も多いので結構メジャーなアルコール事情のような気がする。2,300円で飲めます。蒸留酒はアラク。夜はバーも結構ある。レバノンワイン、昔、偶然、日本の安売り店で買ったことがあります。<気候>いやはやの地中海気候ですね。他の砂漠灼熱というのではなく、四季のある国ですね。<物価>ドルも通用するというか、勝手に1ドル=1500として民衆は換算します。レバノンポンドは、15000を15と言ったりするので、物価を見極めないと、うっかり10倍間違えて払ってしまうかも。<市内移動>タクシーはブラブラしています。<マッサージ>してません。<ショッピング>してません。<観光><写真>軍事関係は撮らない方がいいです。<旧市街>爆撃の後は、建て替えではりぼてのようになっているので、行く価値ないです。ベイルートの魅力は、ズバリ、戦火と観光か。あと私の場合は、毎日がレバノン料理でも大丈夫です。(毎日がタイ料理、毎日がインド料理で大丈夫なのと同様に)。もう少し季節が違えば、一日で朝に2時間でスキーに行って、午後にビーチで寝そべるなんて芸当も可能です。 2009年GWトルコ・レバノン・ヨルダン・イスラエル旅行 イスタンブールへ レバノン料理最高 ベイルート、レバノンのナニコレ。 ベイルートガイドブック ベイルート戦火 レバノン・ベイルート昼夜 レバノン・ベイルート→ヨルダン・アンマン、ゴラン高原 ヨルダン・アンマン朝夜 アンマンガイドブック ヨルダン側死海DEADSEA1 ヨルダン側死海DEADSEA2 ヨルダン・アンマン→イスラエル・テルアビブ130キロ イスラエルの歴史おさらい 入国厳しさ世界一のイスラエル入出国 テルアビブにて イスラエルgourmetの旅 キプロスを越えて 飛んでイスタンブール 20年ぶりのイスタンブール グランモスクで一杯のチャイ 東京→大阪
2010.05.24
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余命期間半年を切ると、もう入国できない国が増えるので、今回パスポートは終わりであり、まとめておきまする。最終ページから紹介。その第2弾である。。そんでもって、1994~5年パスポート左より、2009シンガポール。。2007年グアテマラ。グアテマラの入国審査が一番カンタン、省略、適当であった。コンピュータによる照合はなく、パスポート出してからスタンプ押されるまで、マジ、5秒ぐらいである。え、あれれ、とびびり、感激したぐらいである。(そのあとのエルサルバドルなんか、スタンプさえなし。)詳細はこちらで、しかし、エルサルバドル、自国通貨なし。これは属国でしょ。団子さん兄弟はアメリカで、ロサンゼルス、ロサンゼルス、サンフランシスコ、いずれも2007年。アメリカって入るときは、五月蝿いのに、出るときは勝手に出て行けとパスポートコントロールがないんだよねえ、セキュリティだけ。右、2006年ドイツフランクフルト、ベルギーブリュッセル。2007フィリピン。これが、チャックインに1時間半のスローペースで、スタンプ押されるまで30分と出国にえらく並ばされるという結構酷い国であった。昔からそうだったかなあ・・・ああ、結構、そうだった。左側は2007年、記念すべき日帰り海外旅行、上海。2005年カナダヴァンクーヴァー。右2009ドイツフランクフルト、ポーランドワルシャワ。EUの入口と出口だけスタンプ押すんだよね。そんな訳で、EU以外は、ゲートが違うところにあって、セキュリティ過ぎてから随分あるいて、EU内のところ越えてからパスポートコントロール。2007バンコク。2007ベトナム。非常に懐かしいかつてのドンムアン空港のようであった。(国内線が国際線だったドンムアンの頃ね、空港にエアコン効いてないとき)。2007香港。2010イスラエル。もっとも厳しい空港。詳細2009サンフランシスコ。2007香港。ページにまたがってイスラエル。2004カナダ。2010イスタンブール。2006ソウル。2005ヒースロー。ヒースローでは不法労働者と「間違われて、昔、えらい目にあったことがあるので、いい思いではない。2005年、インドネシア。アライバルビザ10ドル奪取され、シール貼られて終わり。2004シアトル、カナダからの陸路国境のボーダー。2006台湾。2006成田VOID。2005シンガポール。2006帰国、一度だけ利用した中部国際空港、セントレア。2003香港。2008、オランダ、アムステルダムスキポール。2001台湾。2004北京。2008バーミンガム。詳細はこちらで。2008ワシントンDC。2007台湾。2000ニューヨーク。2008ワシントンDC。2008コペンハーゲン。2006ハワイ。 まとめ。パスポートに残る軌跡。2000 関空-ニューヨーク-関空。2001 関空-台北-関空2002 関空-上海-関空。2003 関空-香港-関空。2004 関空-北京-関空。成田-シアトル-ヴァンクーバー2005 -シアトル-成田。成田-シンガポール-インドネシア-シンガポール-成田。関空-ロンドン-パリ-関空。2006 関空-釜山-ソウル-関空。関空-ハワイ-関空。成田-台北-中部。関空-フランクフルト-ブリュッセル-ワシントンDC-成田。2007 関空-ハワイ-関空。関空-香港-サイゴン-香港-関空。関空-サンフランシスコ-バンコク-成田。関空-マニラ-関空。関空-上海-関空(日帰り)。成田-ロサンゼルス-グアテマラシティ-エルサルバドル-ロサンゼルス-メキシコ2008 -サンフランシスコ-関空。関空-バーミンガム-フランクフルト-関空。成田-コペンハーゲン-カイロ-ミュンヘン-香港-シンセン-香港-マカオ-香港-関空。成田-バンコク-プノンペン-バンコク-成田。関空-ソウル-関空。 関空-サイパン-関空。成田-ワシントンDC-アムステルダム-ウィーン-ブダペスト2009 -フランクフルト-関空。成田-バンコク-ラオス-バンコク-香港-関空。成田-バンコク-ラングーン-バンコク-シンガポール-成田。関空-済州島-関空。関空-ハワイ島-関空。成田-ワシントンDC-フランクフルト-ワルシャワ-キエフ2010 -フランクフルト-リスボン-フランクフルト-関空-ソウル-関空。成田-イスタンブール-ベイルート-アンマン-テルアビブ-イスタンブール-成田
2010.05.23
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今日は、待ちに待ったかどうか分からない野球観戦であった。一気にビールを紙コップ大ジョッキ並みのものを2杯と、弁当を食べ、2回か3回の表か裏か、そのあたりか、まあだいたい、適当な時間に切り上げて帰宅へと相成るのであった。試合は、阪神オリックスだったが、それは球場に行ってから知ったが、遂に、私は、名前を聞いたことがある選手が出場してきたのであった。城島という選手だ。彼はマリナーズではないのか、それに、セリーグとパリーグが何故、春先に試合をしているのかがよく理解できないでいたが、どうやら、マリナーズを首になったということであり、オールスターみたいなものをやっているのだろうと理解したのであった。 奈良と神戸が昨年あたりに阪神電車と近鉄電車が乗り入れて行けるようになり、それで帰ってきたという状態で、沿線が違うので、川沿いを歩いて1,2キロの散歩で帰るというイメージ。 金とワサビの関係は知らないが、このトンカツや美味いと取引先の人に教えてもらい、一度行くと、ムチャクチャ味噌汁が美味かった。川沿いを行くことにする。この川沿いには、谷崎の家がありますねん。クエッションを通り抜ける?クエスチョンだ!川に流されながら。それにしても、先程、球場で食べた弁当が、油っぽくて、おまけに、肉だらけで胸が悪い状態だ。いや、ビールを早く帰る為に一気に飲んだからか。醤油もかけすぎたか・・・英語で醤油のことは、ソイソースというが、ソイビーンといは大豆のことだ。こちらはジャンピングビーンだ。このソイって、語源は、いやはや、シューユである。ただ訛っているだけである。多分、英語圏に伝わっ頃は、シューユソースといわれてたのではないか・・・英語圏ではないが、オランダに輸出されたようだね。しょゆこと。川の流れる音が心地よい。風船のようだ。風船・・・そういえば、第二次世界大戦時に、日本はアメリカ本土を攻撃したことがあるのだ。そおことは、ほとんど知られていないようだが、風船爆弾だ。1000個の風船爆弾は、100個もジェット気流に乗ってアメリカ西海岸を攻撃したのであった。これは、逆向きに気流は流れていないので、日本からだけしか攻撃できない。これに生物化学兵器が乗っていたら大変だと、またあまりに簡単な仕組みによる心理的恐怖感を与えるにも、値段的にもえらく有効で、アメリカも本気で徹底的に調査したようだ。大局からではなく、一個一個対応していかな、なかなか難しいんだよなあ・・・あれ、何がだ・・・。さておき、帰ってコーヒー飲もうと思った。先日は、トルコではチャイばかり飲んだが、そのほかの国ではトルココーヒーを何度か飲んだ。あれは、バリコーヒーと同じように、上澄み液を飲むのである。ざらざらでぐいっと飲むと、あれ、泥かと思うほどである。ヨルダンのアンマンで夜中、喉が乾き、そういえば、ホテルの近くにさっき、コーヒー屋があったなと思い、でかけた。開いているかは分からなかったが、開いていた。何人かが、こちらをみて、何処からきたか聞いてきた。珈琲は、ポットに入れたあと、ポットごと、焼けた土の上に乗せて蒸す。ヨルダンディナールは店によって、いや同じ店でも、1Dとか100とか書いており、常識内で換算して払わなければならない。横にコーヒーの値段が書いており、2.3とかいてある・・・え、300円?そんな高いか?いや、分からん、高級品なのかと、1ディナールを3枚だすと、一枚でいいよといってお釣りをくれた。30円であり、0.23ディナールであった。まあ、それなら物価から考えて納得だが、書き方が良く分からない。客が、あの店主は正直者だろ、いい男だというと、店主は照れて、いいやおれは悪い人間だよ、と言ってコーヒーをくれた。 コーヒーの原産地はエチオピアだ。モカってイエメンの都市なんだよなあ。いけないことに、モカ港を経由すればモカコーヒーになっちゃうのが、ヤッパリイケナイなあ。あ、タイ語よめねえ・・・
2010.05.22
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東京で芝居があったので、見に行ったついでに、神社によってきたが、すっかり珍スポに飽きてきている自分に今更に気がつくのであった。 この著者の本は全部読んでいるが、これも、また感動した本であった。 一般的な日本人とは、といっても何が一般的な分からないのだが、イスラムのことをどう思っているのだろうか。日本にいると、外からの断片的な情報しかないので、マスコミのイメージしかないのではないか。 まあ、そういうことなのだが、イスラムから帰ってからすぐに、東京は品川区二葉に行った。行ったのだが、正直、行ったという感じもすることもなく、終わった。 昔、大阪国際民族博物館館長のウメサイタダオ先生は、(ああ、東南アジア紀行って夢中で読んだなあ)東洋と西洋の間を中洋(さすがに漢字変換なし)と呼んだ中東。勿論、ヨオロッパから見たから中東で、インドは東アジア、タイは東南アジア、日本は極東だね。確かに、日本は仏教の影響があったから、インドまでなら何となく馴染みがあったけど、近代は、西洋主義に毒されたので、あんまりイスラムって何だか分からないし、下手すると、全員が狂信者で、アブネ人たちと見たことない人は思うかも知れない。原理主義者というのは、これキリスト教徒のことで、聖書に忠実にやりまひょ、という人たちで、それになぞらえてコーラン通りにやろうとしている人たちのことをキリスト教徒がそう呼んでいるだけで、アンタファンダメンタリスト?って聞いても、なんだそりゃ?ときっとイスラム教徒には言われると思う。 しかし、古代ギリシア文明を引き継いだのはイスラムであって、中世ヨオロッパは、まあ、なんて悲惨でミジメだ時代だ、野蛮なキリスト教徒の十字軍がやってきた、なんだあのへなちょこは・・・てな感じだったのである(そうでないときもあったけど)・・・ああ、またそのときが来たら、イスラム教のことをカンタンにまとめよう。こうして世界地図を目の前にしても、「あそこに行ってみたい」とか「まだあの国に行ってなかった」という国は実はもうない。ところで、そんな訳でハルジ氏の言う通りかもしれないが、あの国を見たい、あの国に行ってみたいという未知の国への憧れがあったが、確かにその情熱が徐々にヤケクソ化している気もするが、結構、その国や場所のことを事前、事後に調べたり、本を読んだりするのは、これはこれで結構楽しいような気がする。嗚呼、気がするだけかもなあ、というか、同年代が懸命に仕事したり(あ、オレも懸命にしてた)、子育てしたり、家族のために歯を食いしばったり、介護したり、看護したり、地域コミュニティやマンション管理組合や親戚一族郎党との付き合いや活動や激論を交わしている中、ホント、ボンクラですみませんという気持ちもちょっとは持てやということですね。それに、フリーターやニートで年収が100万200万ぐらいなら、1人生活でもこんなことできないよなあ、と思いながら、今後一部の管理や指導をする人と、その他外国人と仕事を奪い合うような単純作業の中、本当に時代に助けられましたありがとうございます。私の就職時期は、まあ、フツー大学行けば、フツーホワイトカラーになれるのがフツーでしたが、今じゃフツー大学にいけば、2割ぐらいしかなれないっていうじゃない。正直、私も自信がありません。今、学生なら就職できるかどうか。ありがとう。 思えば、地方の高校生だった頃のワタシのあこがれの国は北海道であった。とにかく、広々した緑の草地が拡がり、日本唯一の360度地平線の風景を見てみたかったのである。そんな場所がどこにあるのか、詳しくは知らなかったが、とにかく、外国は怖いところと言うイメージがあったので海外旅行なんか考えたこともなかったのである。結局、北海道に初めて行ったのは、働いてからということになり、それも、順調に社員旅行だったか、報奨旅行かなんだかであったのであった。いや、もしかして、国内線に乗ったのもそのとき初めてだったのかもしれないぞ、と思ったぐらいである。はじめて訪問した外国はフィリピンだった。80年代半ばはまだ円も1ドル240円で、アルバイト代で格安航空券を買って海外に高飛びというわけにも行かなかったので、確か、タイ航空で往復8万円以上下と記憶する。(それから半年たったインドに行った時は1ドル160円となり、それでも往復16万円であった。そんな訳で、今の旅行より高くついた気もしよる)。フィリピンの着く前に、耳がブロックされた子供が泣いて、何だか世も終わりという気がしたし、空港でトイレに入ると、すぐにいちゃんがタオル持ってきて肩のマッサージしようとするし、空港から出るには、だんだん出口が細くなり、現地人の視線が怖かったし、出ると、空港職員ネームプレートをぶら下げた人が寄ってきて、1ペソ(16円)で行けるバスがあるのに、32ペソ=512円するバスに乗せられたのにも参った。(ペソはドンドン沈没していき、2年後行った時には1ペソ=4円になっていた。物価は3倍ぐらいになって、庶民は更に苦しくなっていた)。以降、学生時代は、年間4ヶ月ぐらい海外旅行をしていたのだが、いよいよ、就職してしまいこれで旅行も終わりだねえと思っていたわけですね。実際に新入社員の夏にタイに1週間行ったあと、ニューヨーク、スペインに行ったぐらいで、結婚して、これからいよいよ行くことはないなと思いきや、1人で、毎年ヨーロッパやインドに行くようになり、それでも、年1回程度であった。しかし、何故だか、ブログ開始とも重なっていないのであるが、2005年ぐらいから、またもや行きたい病になってきた気がする。貧乏性なのか1週間休みがあると、暇でどうしようかという気になって行き急いでいるのかも知れない。その頃までは、意識でなんとなく30カ国ぐらい行ったよなあと思っていたので、ここ5年で20カ国ぐらい増やしたってことか・・・なるほど。この年齢になっても年数回の休みには必ず海外を訪れている私であるが、考えれば定年退職を円満に済ませることがもしできるとすれば、どんなけ行くつもりやねん。という気もする。それも、なんだか、ゆっくりいけるのはいいなあ、でも、昔みたいに極安旅行はもう体力的にできないモウロクジジイになってしまっているような気もする。そういうのを、観念的で義務的というのだろうか。きっとチェルノブイリにもエルサレムにもまた行くだろう(多分)しかし、10代20代の頃と比較すると感性は退化しているだろうが、中年と比較すると、あまり感動も印象も感じる度合いも変わらないかも知れないなあ。まあ、そんな感じでハルジさんの日記をパクましたが、この前テルアビブでは、アメリカみたいやなあ、のように、今後もどこかに記憶を合わせるかもしれませんね。ニューヨークに行った時も、何だかインドっぽいなあと思ったし、アムステルダムに行った時は、なんだかニューヨークみたいだなあと思った(ニューヨークは昔、ニューアムステルダムって地名だったね)。そんな感じで、そのときはよろしく。(何がだ、何をだ?)
2010.05.21
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余命期間半年を切ると、もう入国できない国が増えるので、今回パスポートは終わりであり、まとめておきまする。最終ページから紹介。パスポートは全48ページ、余白ページを5ページ残したのであった。最終ページには生意気にも2009ウクライナ。パスポートコントロールがなっていなく、列はムチャクチャ、割り込み自由、怒号かっとび、パスポートにおかしいところがあると、その人をパスポート検査官がそのまま別室に連れて行くので、その列(になっていない)が急に進まなくなり、他の列に割り込もうとし、団子になる。詳細はこちらで、抜けるまでに1時間以上かかる。1時間以上かかったのは、アメリカとインドぐらいだわ。左側は2010、この前のヨルダン入国。入国カードはなく、すんなりと、無言のまま入国できるのだが、ふと、イミグレを抜けた後、パスポートを見ると、「cntact the nearest police station within one month」(一ヶ月以内に近くの警察に出頭しなさい)とスタンプが押されてある。何だこれは。急に心配になり、インクアイアリーで聞いてみると、「ああ、まあ、どこのホテルに泊まっているとかの確認だよ、あ、そうだね、3泊以内ぐらいだったら、別に行かなくていいんじゃない?ははは。」だって。おまけにガイドブックには、国内線とテルアビブだけは国内線空港から発着していると書いてあったので、ドメステックに行かねばならないのか聞くと、「ああ、誰だそんなこといったのは、国際線は全部ここだよ、ははは」とのことだった。はははじゃねえよ。ちなみにヨルダン出国時には何のお咎めもなしであった。ただ、多分であるが、イミグレーションオフィサーが隣にいた先輩?にパスポートをヒラヒラさせながら、これはいいのか、というようなことを聞いていた。先輩は、ああ、いいよいいよ、というようなことを言っていたので、心配なら警察に行ったほうがいいのかも知れない。右側の土色スタンプは2010イスタンブール、特に何もなし。左側2009マレーシア、シンガポール。シンガポールに入国には、タバコ1箱も、酒1本も持ち込みできないんで、かなりケシカランけつのあなの小さい国である。詳細はこちらで。右、HHWはハワイである。左より、フランクフルト。成田出国VOID、飛行機乗れなかったら戻される。免税品の購入があれば、これは、返さなければならない。勝手に戻れないので、航空会社職員に連れられて戻るが、航空会社も忙しいので、ボンクラのために、わざわざ直ぐに送ってくれるわけではなく、ひたすら誰か職員の勤務が終わるなり暇になるまで、ぼーっと過ごす。2010懐かしのソウル金浦空港、帰りは仁川空港から。キンポー空港が懐かしかったかというと、すっかり忘れていた。左2009バンコク。右、2009ミャンマーのビザ。イミグレに並ぶと、みんながみんなA4の紙を取り出して、イミグレに提出。判子係と、ビザと同時に出してもらったA4の招待状のようなものをチェックする係の2人が対応するが、何の質問もなく、用紙が間違いなければすんなり入国可能。詳細はこちらで。2009バンコク香港。左2009済州島。この後暫くして、空港りにゅーあるおーぷん。2009WASはワシントンDC。左より。2008サイパン、アメリカといえど、スタンプも違い、入国も本土と違い、すごい流れ作業の入国、なんの質問もアメリカの癖に無。2009バンコク。2009ドイツフランクフルト。2009ラオス、ビエンチャン。調べ物したのが古くて、アライバルビザが必要かと思い、成田でセキュリティのあと、中に証明写真あるか聞いたらないといわれ、また戻ってわざわざとって来て、そして、ビエンチャン空港でビザコーナーに並んだのに、いつの間にやら2週間はビザがいらなくなっていた。おめえ、何日いるんだ、日本人は2週間いらないんだぞ、と少しにザ係に呆れられた。ビザはいらないからな!30分も並んで損したのであった。左、カンボジアはアライバルビザが必要で20ドルをふんだくられるどころか、出国のときにも10ドルを盗られるのだから結構小さくむかつく。右は、2007ハワイ。2008中国の蛇口というのは、シンセン。ドイツか香港に飛び、香港に入国せずに、そのまま船に乗ってシンセンへ。ここでは、大事件が起こるので、銀行で両替なんかしてはいけない。私は荷物を預けずドイツから飛んだが、シンセンに行くなら、荷物を出さないよう、荷物預かりタグを船のチケット買うときに渡すのである。すると、出て来た荷物を空港職員が船に積み替えてくれるというのだが、結構、それは心配である。心配であるが、荷物を預けて居なかったのは私だけのようで、1番に船を出た。皆さんは船に積まれている荷物をピックアップしてから出て行くのであった。1番に出たのが失敗だったのは後の祭り。涙の詳細はこちらで。2008カンボジアプノンペン。ビザ代さえ払えば、入国カンタン。左側。2008怪しく中国本土、香港、マカオを行き来しすぎてムチャクチャになる。シンセンから香港に入るのは、みんなに着いていってはいけない。皆さん中国人か香港人だ。うっかりついていけば、あなたは1階下!と言われる。右側。2008バンコク。2008ソウル。左側。2010レバノン。入国カードあり、入国はカンタンだが、3人がかりでイスラエルのスタンプがないか入念にチェックされる。勿論、あったら入れません。2008フランクフルト、ミュンヘン。右側。エジプトのアライバルビザがっつり15ドルもふんだくられる。エジプトは、ムチャクチャで、イミグレよりも前に旅行会社が入ってきており、勧誘している。詳細はこちらで。続く。
2010.05.20
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早朝、ベイルートの朝のコルニーシュ海岸通を歩いていると、砂漠のない唯一の中東の国で、ラクダを発見。それも、ほぼ店の横で捨てられ状態。後ろは、すぐ崖で、海なので、蹴れば、海に落ちる算段。咄嗟のことだったので、ぶれましたが、いわゆる「私が未確認の飛行物体」ベイルートのラムレッタルバイタ海岸に沈む。ベイルートのサエーブサラーム通りにで、勝手にシンドバットを発見。ベイルートのサエーブサラーム通りにで、マネキンを学ぶ。ロシア大使館の近くに変な煙突の家があり。駆け落ちOKの標識でしょうか。荷物もしっかり持ってなんだか紙テープで通りがカラフル状態の独立通り。カラフルな日よけで、何故かイタリア贔屓。車が自爆テロかと一瞬びびったら、子供がシャボン玉必死のパッチで吹き散らかしてました。剪定が低すぎて、目線で顔を打つ植栽のあるブリス通り。ベイルートでは花屋の配達も車でOKのソウラン通り。おまけ。壁の向こうは墓地。墓の中まで根が食い込んでいる気がするレバノンでした。 2009年GWトルコ・レバノン・ヨルダン・イスラエル旅行 イスタンブールへ レバノン料理最高 ベイルート、レバノンのナニコレ。 ベイルートガイドブック ベイルート戦火 レバノン・ベイルート昼夜 レバノン・ベイルート→ヨルダン・アンマン、ゴラン高原 ヨルダン・アンマン朝夜 アンマンガイドブック ヨルダン側死海DEADSEA1 ヨルダン側死海DEADSEA2 ヨルダン・アンマン→イスラエル・テルアビブ130キロ イスラエルの歴史おさらい 入国厳しさ世界一のイスラエル入出国 テルアビブにて イスラエルgourmetの旅 キプロスを越えて 飛んでイスタンブール 20年ぶりのイスタンブール グランモスクで一杯のチャイ 東京→大阪
2010.05.19
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テルアビブからイスタンブールまで2時間15分1000キロのフライト。厳しいインタビューを終え、ゲートで2時間暇にする。今回は、乗れないとか、搭乗券を落とすといった失態もなかったのである。オスマントルコの時代、モロッコからウクライナからアゼルバイジャンからイエメンまでの広大な国家であり、何かいつもひっかかるのが、オスマントルコは第一次世界大戦当時、まだ存在していたことであり、その敗戦により解体されたということである。それでも、トルコの名が残ったのは、戦勝国の言うがママは嫌だと抵抗したケマルアタチュルクの功績が大きい。近代トルコの父である。それでも国家は、日本の2倍の面積を持ち、あのあたりで、どんな風景でもあるよ、ってな感じの国はスペインとトルコだよな、と何となくずっと思っているのだ。豚は使ってませんよ、との注意書き有り20年前、初めてトルコに行った時、首都がアンカラだということを知り、イスタンブールじゃなかったんだと驚いたと記憶する。アンカラに着いてから首都だと知ったのだ。20年前かあ、当時日本人宿で有名だったモラはまだあるのだろうか・・・(泊まってないけど、遊びには行った)どうやら、もうないのではないだろうか。そういえば、昔は、ネットもなく、紀行文出版されているのもそうなかった時代、ときおり、情報は旅行者からということで、あんまり群れるのも嫌だが、日本人旅行者宿というのに泊まったり訪問したりしたような気もする。80年代、バンコクはチャイナタウン、カルカッタはサダルストリート、ネパールはタメルかフリーク。神戸港から上海に行き、遂に、3ヵ月後、陸路で8700キロ先の、イスタンブールのボラポラス海峡を渡ったとき、おお、ヨオロッパに入ったのおと感慨深く思ったのも、今は、急に今から行くことになりました、チャンチャンという具合で、時代も(いや、オレの年齢か)変わったものである。パキスタン、イランとアルコールもないまま(他のものはあったか)、久しぶりにイスタンブールでビールを飲んでぐっときたものだが、考えれば、トルコに入ってすぐ飲んでも良さそうなものなのに、やはり学生時代は1日の予算に一杯のビールは、結構きつかったのかも知れない。ある程度情報を得てたとしても、アテネで買う航空券代のことも頭にあったし、カードも持ってなかったし、1日の予算が移動費含めて1000円だったし・・・。そんなことを思い出していると、イスラエルを飛び立ち、地中海上空を飛び、キプロス島の上空を飛ぶ。キプロスは、半分をトルコが占領中で、南半分が独立国家となっている。まだ行っていない。学生時代に、紀行文を読んだぐらいだ。マルナラ海向こうの2500メートルのウル山の雪山を眺めながら、やがて、飛行機はイスタンブールへと到着したのであった。 2009年GWトルコ・レバノン・ヨルダン・イスラエル旅行 イスタンブールへ レバノン料理最高 ベイルート、レバノンのナニコレ。 ベイルートガイドブック ベイルート戦火 レバノン・ベイルート昼夜 レバノン・ベイルート→ヨルダン・アンマン、ゴラン高原 ヨルダン・アンマン朝夜 アンマンガイドブック ヨルダン側死海DEADSEA1 ヨルダン側死海DEADSEA2 ヨルダン・アンマン→イスラエル・テルアビブ130キロ イスラエルの歴史おさらい 入国厳しさ世界一のイスラエル入出国 テルアビブにて イスラエルgourmetの旅 キプロスを越えて 飛んでイスタンブール 20年ぶりのイスタンブール グランモスクで一杯のチャイ 東京→大阪
2010.05.18
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イスラエル人とは、昔から仲良くなったが、やはり、イスラエルという国は、やり方がムチャクチャなので、おさらいをしておこう。周辺アラブ諸国と報復合戦を繰り返す国だが、そもそもイスラエルと、欧米諸国がはっきりいって、悪いのはまぎれもない事実だ。2000年前から流浪してきたユダヤジンが神に約束された国家を建設・・・それもパレスチナに住む住人を押し退けて・・・そんな論理が通るなら国家をもたない最大の民族クルド人の国を作らなければならないし、日本はアジアを取り返えしてもいいし、日本はアイヌに東北や北海道を帰さなくてはならないし、ポーランドなんかどうなるの毎日国が消えて復活を日替わりで繰り返しか? 世界各国へ国を失い散らばったユダヤジンは、各国で仕事が与えられず、汚い仕事だった金融業を主に営み、それが金持ちへの第一歩となったわ、ドイツナツスにやられて同情をひいていたわである。ヘルツルがユダヤジン国家なる冊子を出し、胡散臭いシオニズム運動が勃発、エルサレム周辺の土地を金持ちユダヤジンが買い始めたんだよね。勿論、それまではは、アラブ人もおおらかなので、入ってくるユダヤジンに対しても、どうぞどうぞうんうんたうにゃの親切な人々であったが、そしてアラブ人もユダヤ人も仲良く暮らしていた突然、ここいら一帯はおいらもののなのだとシオニストが入ってからびっくりしたのがアラブ人。気がつけば、軍事力も政治力も握られていた。これって、なんだか、アメリカのメキシコ占領と同じだね。アメリカ人がどんどんメキシコに来て、どうぞどうぞと仲良く暮らしていたら、突然、ここらはアメリカの土地じゃあと鼻息荒く占領し、びっくりしたメキシコ人がそりゃあかんやろ、と攻め立てると、アラモの砦に引きこもって、結局殺されてしまうというまこと身勝手なアメリカ人の物語に、アメリカ人は歪んだ歴史を学んで、勇敢なアラモの戦士が野蛮なメキシコ人を憎む記念碑として涙する。 いつも、契約じゃ武力じゃとだまし討ちするのが欧米人のやり方さ。 第一次世界大戦時、パレスチナは、オスマントルコの領土だった。20世紀までオスマントルコがあったなんて、なんか、すっごく不思議に感じた高校生時代であったが、要は、イギリスというには、汚い国で、アラブ人にガンバレ、頑張って勝ったらオスマントルコから領土やるぞ、と約束し、ユダヤジンに頑張って勝ったらオスマントルコの領土をやるぞと約束し、フランスとは、頑張って俺らが勝てば、オスマントルコを分けっこしようなと約束していたのである。それで、オスマントルコは第一次世界大戦に負け、イギリスは勝ってしまったので、この3枚舌の約束なんか、土地が一個なのに守れる訳がなく、妥協に妥協を重ね、とりあえず、アラブ人の国ヨルダンを認めたってわけで、パレスチナはイギリスの領土になったわけ。 その後、結局、国連がパレスチナを分割してユダヤジン国家を認めたってわけ。それもおかしな話でパレスチナ人とユダヤジンの人口比7対3なのに、分割案は4対6となっていたのがムチャクチャな話。それも肥沃な土地のほうをイスラエルに多くね。イギリスは戦争で疲弊していて、もう植民地持つ力もなかったんよね。それからエルサレムは国際管理で、テルアビブの空港の名でもあるベングリオンが初代首相としてイスラエル建国を宣言するが、周りのアラブ諸国はそら、反発するのは当たり前だよね。今風に言えば、普天間基地をアメリカが後押しして、普天間国を宣言して、アメリカ人が住むようなものだね。イスラエルのは、ヘブライ語で神の戦士っていうのも腹立たしくないか。 怒ったのが、アラブ国家連合軍でイスラエルを攻撃した第一次中東戦争ね。カンチンにやっつけられるわと思っていたイスラエルが、密かに武器を集めたり奪ったりしてて、ここでまけたら国がなくなると必死のパッチ、反面、アラブ連合軍はなめてかかったら、8ヵ月後イスラエルが勝ったどころか、さらにエルサレムの半分を含む領土を増やして、パレスチナ人(=アラブ人)を押しやった。さすがに、国連も領土を増やすのはまずいと勧告したが、無視。それにしても、ユダヤジンがアレだけナチスに虐殺されたのに、パレスチナ人をあれだけ非道残虐に虐殺したんだろう。2回目は、エジプトが散々搾取されていたスエズ運河をわしらの国のもんじゃいと宣言したら、イギリスフランスが怒ってエジプトを攻撃したのに乗じてイスラエルも参戦。いわゆるスエズ動乱っていうのね。侵略だろ。あれね、日本が終戦というのと、世界が日本敗戦というのと同じね。3回目はイスラエルが奇襲攻撃をエジプトシリアヨルダンに向けてたった6日間で終了させ、ガザやシナイ半島ゴラン高原ヨルダン川西岸(エルサレム全部)を占領してしまった。このときが一番領土広くしたときかな。野蛮だね。こりゃあかんやろと国連はいいますが、無視。そして4回目、断食月ラマダンに攻撃したが、不意を食らったアラブ諸国もソ連の援助で、結構頑張った。要はこんなムチャクチャなことをするからパレスチナ難民が発生し、パレスチナでもインティファーダが投石で抵抗し、過激なアラファトのPLOができたわけで、エジプトのサダト大統領はイスラエル国家を遂に認めるかわりにシナイ半島を取り返したりしたのだが、妥協したのはけしからんと暗殺されたりして、アラブ諸国内も亀裂ができてしまった。小学校か中学校のとき、新聞一面に乗ってたのを覚えている。イスラエルもラビン首相がアラファトと和平交渉したので、暗殺されたし。これは、15年前の話。アラファトも穏やかになったなあと思った。強硬派だけではもう解決しないと模索したのだろうがそれがオスロ合意だね、それゆえ、強硬派に命を狙われたが、一説によると、PLOの資金を握っていたので殺すに殺されなかったとか。スイス銀行にでも預けていて彼しか口座番号を知らなかったんだろうねえ。その後、シャロンが強硬路線によりオスロ合意も崩壊。今も、何万人というパレスチナ人が先祖代々住み続けてきた土地を、追い出され、家屋を潰され、難民になったり日雇い労働者になったりしている。極道ぶりに抗議すれば殺される。結局アメリカの後押しでイスラエルは存続し、そして、他のアラブ諸国は、自国のことで忙しく、パレスチナ問題ももうあまり積極的に関わっていないというのが現状だ。領土を取られそうな接する国を別にして。 ところで、今のアメリカの凋落で、ひとつの予想もある。イラン革命やベルリンの壁崩壊を予想したなんとかさんの意見だが、景気が悪くなり、黒人やヒスパニックもマイナーでなくなっている中でスケープゴートになるのはユダヤ人だというのである。そんなわけで、またもやユダヤジンが差別され、イスラエルに逃げていく人が増えるというのである。ユダヤジンが従事するのは、金融が中心だ。さらに、お金と一緒にもっていかれ、さらにアメリカは弱体化するというのである。イスラエルは、じゃあ、更に強くなっていくのか?日本はアメリカと一緒に沈んでいくのか。ああ・・・・。 2009年GWトルコ・レバノン・ヨルダン・イスラエル旅行 イスタンブールへ レバノン料理最高 ベイルート、レバノンのナニコレ。 ベイルートガイドブック ベイルート戦火 レバノン・ベイルート昼夜 レバノン・ベイルート→ヨルダン・アンマン、ゴラン高原 ヨルダン・アンマン朝夜 アンマンガイドブック ヨルダン側死海DEADSEA1 ヨルダン側死海DEADSEA2 ヨルダン・アンマン→イスラエル・テルアビブ130キロ イスラエルの歴史おさらい 入国厳しさ世界一のイスラエル入出国 テルアビブにて イスラエルgourmetの旅 キプロスを越えて 飛んでイスタンブール 20年ぶりのイスタンブール グランモスクで一杯のチャイ 東京→大阪
2010.05.17
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アンマンからエルサレムまで80キロ、エルサレムからテルアビブまで50キロ、すぐそこなのに、国境を陸路で越えるという方法もあったのだが、そんなに近いのは、来てから分かったことで、もっと情報を集めていたらまた別のことを考えていたかも知れないが、南米行くと決めていたので、必死のパッチでアルゼンチン情報集めていたので、まあご愛嬌。アンマン空港で、行き先は、なんというか、シナイ半島のエジプトの都市シャームエムシェイク、ダーマンサウジアラビア、ドバイ、サナアイエメン、ジッダサウジアラビア、ベイルート、カイロ、デリー、メジナサウジ・・・アンマン空港では、残ったディナールを数え数え、ビールと飯を食った。テレビでは、ニューヨークのタイムズズクエアで爆弾テロがあったと第一報が入ってきた。(犯人は25時間後逮捕。自宅のキーも逃走用の車のキーも爆破する車に忘れてきたのであった。ドバイ行きエミレーツに搭乗する際に逮捕。エミレーツで首長国っていう意味なんだねえ・・・)その間に店員にその銘柄のビール切らしているんだけどといわれてじゃあ、これといって飲んだあと、支払いの際に、そのビールは20円ほど高いことが判明、ディナールがあっさり10円ほど足りなくなった。ディスカウントできないか、上目使いで懇願てみるが、これもあっさり拒否され、残りは1ドル札で更に両替と相成り、日本にコインを数枚持って帰る羽目となる。さて、搭乗だ!とセキュリティを通ろうとしたら、搭乗券がない。落とした。たまたま後ろに並んでいたシャキシャキバアチャンが英語で、さっき、向こうで搭乗券落としているのを発見した人がいたよという情報を得て、急いで戻るが、良く分からないので空港職員を捕まえて、一大事です!大変です“と訴える。空港職員さんは、「ノープロブレムだ」と笑顔で答え、なんだ、インドかと一瞬悪い予感がしたが、すぐに動いてくれ、2,3人の掃除の人を捕まえて聞くが分からず、セキュリティか何かのオフィスに連れて行かれると、おお、さっきあったので、搭乗券は、搭乗口に持って行ったので問題ないぞ、いわれて、飛行機乗る手前で受け取りなさいと適切なアドバイスを頂く。飛行機の離陸時間が近づき、先程まで、余裕のプーをこいていたのが嘘のように感じながら、搭乗口に行こうとするが、セキュリティではパスポートと搭乗券の照合があり、説明してもあ、そうと言われ、そこで待てと言われ、並んでいる人を続々とさばいている。照合係りが1人しかいないのに、飛び立つ飛行機は何機かあるのである。ソワソワしながら、とにかく、行かせてくれと懇願するが、搭乗券がないのでダメだ。この列が終わるまで待てと言われるが、列には次々と人が並んで行くので、一向に終わる気配がない。このままでは無視されてしまうんではないかと、やがて焦り始め、やがて飛行機は飛んでいくのではないかと思い始め、同じ飛行機に乗る若くて気の弱そうで勇敢な人を列の中から探し出し、見ず知らずのアジア人好中年のために、搭乗口にあるであろう私の搭乗券を持ってきてもらえまいかと依頼するのであった。勇気のいる仕事でった。オレでなく、頼まれる人がである。頼まれた勇気ある人は、果敢にも引き受けてくれ、やがて10分ほどして、セキュリティの向かう側から搭乗券を振りながら、戻ってきてくれたのである。一瞬、神に見えたが、本当に神様であった。何せ、搭乗口に行くまで下り一方通行のエスカレーターを降りるのであった。エスカレーターの横に階段はない。そして搭乗券を手に戻ってきてくれるときは、エスカレーターを勇敢にも走りながら逆走して上がって来てくれたのであった。そして、そこにガラスのドアがあり、乗るときは開けることができるのだが、逆からは開けることができず、すでに乗客は全員降りて搭乗口に行ってしまい、誰もいなかったようで、ガラス戸を思いっきり、ドンドン叩いて遠くにいる空港職員を呼んでくれたのである。しかし、気がつかれるまで5分はかかり、その間、ドンドンとガラス戸を叩いてくれていたようである。そして、セキュリテイ手前まで戻ってきて、私と目が合って、空港職員に説明をしてくれているのだが、「なかなか、内容が通じないようで、こちらも、パスポート搭乗券照合係りに、来た来たあそこあそこ、と受け取りに行こうとするが、待て待て、と後ろを振り返ってもくれず、15メートルほど先まで行かせてくれないのである。遂に、何とかかんとか、セキリティゲートの横から、搭乗券を受け取ることができ、丁重なお礼をし、成田空港で買ってきた1000いくらのお菓子を贈呈するにいたったのであった。結局、飛行機は、私のせいなのかどうかは分からないが30分程度のフライトというのに、30分程度出発が遅れたのであった。テルアビブのベングリオン(初代大統領)空港から市内まで15キロほど離れているので、鉄道で行く。3,4駅である。やたら兵士が多く、ムチャンコ多いのであった。ほとんどの飛行機はテルアビブに到着し、首都エルサレムまでは50キロも離れており、鉄道でも90分もかかるのである。聖地なんで、何か警戒しているのだろうか。成田空港でガイドブックを買い、検討したとき、この日程ではエルサレムに行く時間がないことが判明。国を削るか、エルサレムを削るか、しまった、帰り関空行きにしていたら、成田行きよりさらに6時間の余裕ができ、イスタンブールに戻る便を夕方便にしたら、行けたのになあと、残念がったのも、ほんの4日前のことである。こういうのを用意周到じゃないというのであろう。テルアビブは、20世紀に出来た新しい街で、なんだこれ、アラブじゃねえ、アメリカだ、サンタモニカか?何だ、犬を連れている人が多く、自転車も多く、バイクが減る。ロケーションは地中海沿いの最高ランクの場所にあった宿屋を確保したが、セキュリティはなかなか最低ランクで、窓の施錠がなかったのであった。空港のものものしさや、空港まで来る中でやたら兵士が多かったのに、なんだこれは、このアメリカナイズと言うか、属国というかアメリカの一州のような感じは。イスラエルの旗がはためいていなければ、どこだここは。平和な感じがある。見せ掛けの平和ということは分かっているのだが、アラブの中の異質がここにあった。ところで、成田空港プレゼントは、勿論、賄賂用である。こんなときのために、用意しているのである。こういうのを用意周到というのである。最後まで余れば、いつも、帰りの飛行機の乗務員に渡すのである。渡して、更によりよいサービスを受けようとする浅ましい魂胆なのである。さて、ビールを一杯やって作戦会議を練って、早速出発だ。残された時間はそう多くない。その前に、死海でパンツで泳いで、パンツが塗れたので、ノーパンでジーンズを履いて飛行機に乗ってきたので、出発の前にパンツを履く。 2009年GWトルコ・レバノン・ヨルダン・イスラエル旅行 イスタンブールへ レバノン料理最高 ベイルート、レバノンのナニコレ。 ベイルートガイドブック ベイルート戦火 レバノン・ベイルート昼夜 レバノン・ベイルート→ヨルダン・アンマン、ゴラン高原 ヨルダン・アンマン朝夜 アンマンガイドブック ヨルダン側死海DEADSEA1 ヨルダン側死海DEADSEA2 ヨルダン・アンマン→イスラエル・テルアビブ130キロ イスラエルの歴史おさらい 入国厳しさ世界一のイスラエル入出国 テルアビブにて イスラエルgourmetの旅 キプロスを越えて 飛んでイスタンブール 20年ぶりのイスタンブール グランモスクで一杯のチャイ 東京→大阪
2010.05.16
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ヤボ用があって、東京渋谷に行ってきたが、時間があったので、ちょっと寄り道した。 という訳で、死海の塩を堪能したので、後学のため、渋谷の博物館に寄ってきた。 断っておくが、現日本たばこ産業だっけ、JTは元々、タバコと共に塩を専売に売っていた時代がありましたね。塩は、そうです、今でこそ、ミネラル不足で唯一採り過ぎて数々の病気を引き起こしている塩ですが、塩がなければ、人間しにます。そんな生命線を専売していたのは、勿論戦争と関係があり、日露戦争でロスチャイルドに借金した日本、その借金返済の手段の一つとして塩を専売にして、値段をガグーンと上げた。上げるにあたって海外から安く塩を仕入れ、国民に高くドドーンと売りつけたのであります。そして世界第二次世界大戦で、塩が海外から入らなくなり、今まで安い海外塩で国内塩産業が廃れていたというので、塩不足で、ドドーンと実は人が死んだ。勿論、数字は公表されてませんし、餓死とかといっしょくたにされとることでしょう。そんでもって、戦後は、工業製品のいわゆるエンカナトリウムを売り出し、ただ辛いだけの塩を売りつけまくって国民の健康を害させながら、空中分解ってなわけで、まあ、簡単にいえば国による殺人ってことだよね。いやはや、そんなところが30年前に開館したっていわくつきの博物館ってな訳。サラリーはソルトからきてるからねえ・・・。 塩、ということであるが、塩でなく、岩塩に似た砕かれたクリスタルの結晶のような岩塩のような砂糖。そのような砕かれた砂糖が、トルコやイランにはチャイの横にいつもあった。これを、チャイに放り込むのではない。少し齧るのである。或いは、奥歯の奥に砂糖を挟む込み、喉の奥で甘みを感じるのである。角砂糖ではこれはでけん、いけん。ところでチャイとはインドではミルクティだが、元々、ペルシャ語で茶のことだ。それに、イギリス式の葉を入れてお湯を注ぐのではなく、葉を入れてお湯をいれてから一緒にグラグタ煮立てるのである。イギリス式は、確かに香りを味わうことができるが、味が濃く出ないのである。どちらが好きかは、まあ、人に寄るが、チャイは、グイグイいくらで飲んでしまえるので、オレはこっちのほうが好きなのかもしれないなと思うのであった。何せ、オレは鼻が悪くて、いつお詰まっているから、香りに疎いのである。マ、グイグイいけるのは、イギリス式では味が薄くなっていくからかもしれない。(あ、アラブではシャイね)ん?塩の話だったかも知れない。死海では、そら塩がとれますよ。渋谷区の役所ホールも売名してちゃんちゃんそんなわけで銀行でマクド食って終わり。ハチ!今日、30年ぶりに、頭虫が頭の上をクルクル回りました。
2010.05.15
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夢、叶えたら?30年以上前に、本の写真で見た光景。(プラス泥塗ってます。海水パンツがないんで、普通パンツで浮きます。)死界、黄泉の世界で浮け、潮が速い、湖というのに、ぼーっとしえたら、イスラエルに密入国になっちまう。本当に浮くのか?それより、水に入って行く中、足を切りそうだ。草履がない。がんばってひょこひょこと入って行く。そして、本当はどうなんだ、あ、本当は、浮くのだ。浮きすぎて泳げない、バランスも難しい口に入って、グエエ、それはカエルの悶絶死さながらであった。塩辛いのではなく、吐き気を催すぐらいである。本を読んでいたら、何故か、流される。気温は20度程度だが、水温は高く、晴れると日差しがキツク暖かい。世界で最も低い陸地にいるんだなあ、と思うと、変に愉快な感じだ。皆さんも、楽しんでおる。しかし、不思議なものである。DEADSEAが訳されて死海なのに、子供のころから死海だけを知っていて、え、英語でDEADSEAっていうの、それ死海そのままじゃん、ははっは、と笑ってしまう本末転倒。泥は3ディナール、約500円、無視して塗ってたら金払えと言われ逃げる。ホイッスル吹かれても、遠くの人は無視してました。俺の真似して、新聞広げるおっさん。もう、オレは、他人に笑われて本読んでいる写真知らない人たちに随分撮られてしまいましたよっと。南部やイスラエル側はもっと大規模とか塩が溜まり水の透明度と色彩が綺麗なのだが、ここは素朴なだけ。シンクロナイズトイモイ!ビュリフール!じゃ、さよなら、トンで行きます、キーン・・・これから空港に直接向かうのはやめて、このままイスラエルまで行きます。 2009年GWトルコ・レバノン・ヨルダン・イスラエル旅行 イスタンブールへ レバノン料理最高 ベイルート、レバノンのナニコレ。 ベイルートガイドブック ベイルート戦火 レバノン・ベイルート昼夜 レバノン・ベイルート→ヨルダン・アンマン、ゴラン高原 ヨルダン・アンマン朝夜 アンマンガイドブック ヨルダン側死海DEADSEA1 ヨルダン側死海DEADSEA2 ヨルダン・アンマン→イスラエル・テルアビブ130キロ イスラエルの歴史おさらい 入国厳しさ世界一のイスラエル入出国 テルアビブにて イスラエルgourmetの旅 キプロスを越えて 飛んでイスタンブール 20年ぶりのイスタンブール グランモスクで一杯のチャイ 東京→大阪
2010.05.14
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そこの君、死海といえば、イスラエルだと、間違っていないか?半分は正しいのだが、死海の半分はヨルダンにも面しているのである。そのことは、ゴメン、不肖トイモイ博士もうっかり、知らなかったのである。(エルサレムから30キロ、アンマンから50キロである) 小学校の時、死海に浮きながら本を読んでいる写真を見たことがある。はしょって考えても30年以上も前の話である。それは本だか雑誌だか図鑑だか忘れたが、世界不思議なとことかもの(ねっしーとかイエティとか)の図鑑の一環でみたものか。誰も溺れることのない湖がある・・・子供の頃、そんなことを聞いた人も多いのではないか。 ホテルをチェックアウトして、荷物を転がすが、アンマンのタクシーはメーター制であり、結構、安いのだが、ここは交渉性に自ら切り替えるのである。といっても、何故かベイルートと違い、客待ちでぼーっとしているタクシーがなく、流しばかりである。場所が悪いのか。それに、オマエ乗れへんけとクラクションも鳴らしてこないし、ゆっくり走ってこっちを見るということもない。意気地のない私も、仕方ない時間がない、じゃんじゃんタクシーを止め、メーターも止めた交渉を開始である。「死海経由の空港、今、11時だから、死海まで1時間から2時間の運転、滞在1時間、空港に13時から14時の到着でハウマッチ?」交渉は決裂を重ね、その中でも概ねの相場感を静かに養いつつあり、遂に、たまたま車を掃除しているタクシードライバーとの交渉の結果、日本円にして4000円で手を打つ。言い訳をすれば、バスは朝以外は不定期便であり、帰りもバスに満席で乗れなかったり、何よりアンマン市内に帰るのではなく、空港に行くのである。でもまあ、そんなことはどうでもいい。アンマンに、沙漠の町に、雨が降る。 緩やかに、ぐんぐん、高度を下げていく。いつ終わるのか、という程、下り坂が続く。緑がなく、正に死界に降りていく感じであり、やたら注意したトラックが超低速で走り、どんどん抜かして行く。事故も多いようだ。あまり速度を上げなくてもいいよ、と思うほどである。やがて霧になり、前が見えなくなる。運転手は、大丈夫、やがて霧も終わり雨もなくなり、晴れるから、と言っていたが、まさに、晴れた。アンマンの気温は20度程度で1年で一番過ごしやすい時期だったと思うのだが、さすがに、そんなので泳げるのであろうかと不安にないつつあったが、それは、何故かマイナス420メートルの死海、気温が高く問題ないよ、ジョルダン人の水遊び季節は3月から4月なんだよ、というのであった。グランドキャニオン計画という看板があった。死海は、渓谷である、それも、キリマンジャロやケニア山、紅海を通って死海へ抜ける、アフリカ大陸の東側を縦断する巨大な渓谷だ。その端から温泉が湧き出し、地球全体を俯瞰すると、これはえらいこっちゃと思うのであった。ちなみに死海マラソンもある。 やがて、湖が見えた。塩の濃さは海の30倍(元々海底だったし)、塩の濃度30パーセント。川の出口のない湖で、水分が干上がるのみで塩度が上がっていくのである、温泉や鉱物も吹き出ており、順調にカドミウムもガンガン出ているので、飲めばえらいことになるんどえある。とにかく、干上がっているので、そのうち死海はまっぷたつになり、そのうちなくなるとの噂でもある。生意気なことに、死海リゾートまで存在して、最近はリゾートでエステなーんて、な状態だそうである。死海沿いにリゾートホテル建設ラッシュで、色は統一されているのか?と思いつつ、タクシー運転手は、高いから政府公営ビーチがいいよね、といい、やがてアンマンビーチに到着し、そして、私も遂に、生まれてから最も低い海抜に立つのであった。公営といえど、入場料はドドーンと2000円近くの入場料を取るのであった。死海の向こうの対岸はイスラエルである。私は仁王立ちである。晴れると日差しがきつい。(つづく)バスタオルを1JD(ヨルダンディナール=135円)で借りる。海水パンツも借りたいというと、それは「BUYだ」とたしなめられる。 2009年GWトルコ・レバノン・ヨルダン・イスラエル旅行 イスタンブールへ レバノン料理最高 ベイルート、レバノンのナニコレ。 ベイルートガイドブック ベイルート戦火 レバノン・ベイルート昼夜 レバノン・ベイルート→ヨルダン・アンマン、ゴラン高原 ヨルダン・アンマン朝夜 アンマンガイドブック ヨルダン側死海DEADSEA1 ヨルダン側死海DEADSEA2 ヨルダン・アンマン→イスラエル・テルアビブ130キロ イスラエルの歴史おさらい 入国厳しさ世界一のイスラエル入出国 テルアビブにて イスラエルgourmetの旅 キプロスを越えて 飛んでイスタンブール 20年ぶりのイスタンブール グランモスクで一杯のチャイ 東京→大阪
2010.05.13
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夜にヨルダンのアンマンに着いた。沙漠の中にポツンとある空港から市内に入り、ホテルに入る。ホテルは予約が成就されておらず、面倒なので、向こうの言い値で泊まることにする。後から、旅行代理店に文句をいうつもりだ。あ、ネット上の代理店というか香港資本だけどね、まあいいか、早々に、荷物を置き、3分程度で、早速、夜遊びスタートである。 ヨルダンは、近年、内紛も随分前に終わり、落ち着いている。イスラエルと国境を接してはいるが、領土を取られ盗られしながらも、今は、険悪絶頂の関係にあるわけでなく、レバノンと違い、陸路でも行き来することができる(というかレバノンとイスラエルは隣国だが空路もない)。というか、アンマンからエルサレムまで80キロである。ほんの、その、先である。 夜を歩くと、まず、150ドル程度で泊まれるルロイヤルホテルが見える。ここは、イラク資本のようで、テロを避けたい外国人が気休めに安心したく泊まるそうだ。 ヨルダンもイスラムの国といいながら、バーもある。ただ、結構高いところか最低のところかで、中間みたいなところが、あるのだろうが、良く分からないのが難点である。それにしても、ベイルートの夜のような緊張感はなく、死ぬか安全かの世界ではなく、何となく、ほとんどの戦時中でない国と同じように、ぬるま湯である。つまり、ひとまず、まず、安全だ。命の危険はないが、カツアゲにあったり、絡まれたり、強盗にあったりするのではないかという不安が暗闇を歩くと、少し感じ、多少緊張して気をつけて歩く必要がある。それは、気がつけば、普通である。 帰り道、偶然、酒屋を発見した。2時まで店開けているよとのことだった。私の中で、何故かフィリピンでヨルダン人留学生と仲良くなっただけに、何となく両国の交流があるのかと思っていたが、案外、レバノンやヨルダンにはフィリピン人がメイドとして結構やってきているのだ。あるいは、ショーガールとしても。 酒を買おうとしたら、フィリピン女性が2人入ってきてビールを買った。風貌からメイドかと思われた。レジの時に、なぜか、私の買ったのも一緒に精算しようとしたから、彼らからみたらアジア人は同じなのだろう。或いは、私がフィリピン人に見えたか。とにかく、10パーセントアルコールビール、ペトラにドビュビュー!そして、酒を飲みながら夜な夜な、1人明日の作戦会議、脳の中で議論は白熱モウロクジジイ。二日酔いも、何だというのだ。 睡眠は、昨日もであったが、4時間程度である。おまけに今日は朝食付きである。そして、7時には、またアンマンの町に繰り出し、昼まで、5時間、歩き続けるのであった。まずは、レインボウストリートを目指す。すぐにイラク大使館。 アンマンの町は起伏があり、朝から小学校に囲まれ、昔、懐かしのインタビュー攻撃であった。ベイルートと違い、タクシー待ちがなく、結構、コマメに人は乗車しているようで、やがて、朝野渋滞にまきこまれていく。しかし、一歩入れば静かである。夜明け前のアザーンは心地よい。最近は、ミナレットから割れたスピーカーで流すものだが、それでも、湧き上がるような交響であるアザーンの力は、イスラム教でない私には異国情緒を感じるというのもあるが、そもそも、コーランは、韻を踏んでおり、五月蝿いなと最初は思っても、やがて、美しく聞こえ、不思議な魅力に取り付かれる。 不思議なものである。ユダヤもキリストもイスラムも、同じ神を信仰しているのである。アダムとイブの話もノアの箱舟の話もコーランには出てくる。具体的に。それでも、行って見れば分かる。2000年前が同じような風土ならば、3者、それは厳しい宗教だと感じることができる。厳しく律する宗教である。しかし、5月、なんて、それを感じさせないぐらい穏やかな気候なんだろうか。ヨルダンは、そういえば、イスラムの預言者マホメットの家系を引く王家(ハシミット家)が率いる唯一の国なんだよなあ。そんなことを知った昔、それだけで、一度行ってもいいよなと思っていた。つづく・・・山に、建物が張り付く。 2009年GWトルコ・レバノン・ヨルダン・イスラエル旅行 イスタンブールへ レバノン料理最高 ベイルート、レバノンのナニコレ。 ベイルートガイドブック ベイルート戦火 レバノン・ベイルート昼夜 レバノン・ベイルート→ヨルダン・アンマン、ゴラン高原 ヨルダン・アンマン朝夜 アンマンガイドブック ヨルダン側死海DEADSEA1 ヨルダン側死海DEADSEA2 ヨルダン・アンマン→イスラエル・テルアビブ130キロ イスラエルの歴史おさらい 入国厳しさ世界一のイスラエル入出国 テルアビブにて イスラエルgourmetの旅 キプロスを越えて 飛んでイスタンブール 20年ぶりのイスタンブール グランモスクで一杯のチャイ 東京→大阪
2010.05.12
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ベイルートの町には、過剰なぐらいのタクシーがぼんやり、町中の至る所で客待ちをしているので、ホテルを出ると、すぐに3度は声をかけられるどころか、やたら町を歩いているとクラクションを鳴らすので、何だろうと振り向くと、乗れ乗れ攻撃であり、ああ、町中がクラクションで五月蝿いのではなく、オレの周りだけが五月蝿いのかと気がつく。 こうなったら(どうなったら?)、タクシー選ぶのも選り取り見取りのアッケラカンのカーである。人の良さそうな運転手を人相学的にじっくり探すのみである。チェックアウトして、ゴロゴロ荷物を転がしていると、タクシードライバーの格好の餌食である。しかし、餌食とまんまとならずに、気の弱そうな爺さんに目をつけ、空港までいくらよ、と聞くと、2万レバノンポンドという。これが、15万(約900円)というと、あっさりOK。乗り込むと、爺さんは、道脇に置いてあった自分の椅子を取りに行き、助手席に置いた。ああ、外で座ってのんびり客待ちしてたって訳ね。 運転中じいさんの携帯電話に電話があり、今空港に向かっているから1時間後だったら乗せることが出来るよ、うんうん、じゃ、1時間後に行くわ、と言った。 へえーそうなんだ。あ、あれ?俺なんで、分かったんだ?あれ?あ、このじいさん、すっごい訛りの英語しゃべってるじゃん。それも、流暢というか、話し相手の言葉を聴いて言語をスイッチするのでなく、最初から英語だったぞ。アラビア語か、宗主国だったフランス語ではないのか・・・まあ、その辺は分からない。分からないうちに、ベイルート・ハリーリ空港に到着。ハリーリ元大統領は、5年前に暗殺された人である。顔が見たければ、こちらにある。あ、別に見たくない? レバノンのベイルートからヨルダン(ジョルダン)のアンマンまで飛行時間は1時間。空港税も、ドドーンと3000円である。まあ、ドドーンというのもどうだか、ではあるが、空港から山を見ると、近場に山肌に家が建ち並び、サインフランシスコみたいな感じがするのであった。ジョルダン航空の客室乗務員は、こりゃ堀が深くて美人だわ。機内は、豪華な革張り、てか、古い飛行機は、革貼りが多いのも事実。 やがて、空港から飛び立ち、共同住宅ばかりの建物の上を通り、やがて、地中海へ抜けた。やがて、ゴラン高原を抜ける。思えば、息子ブッシュが起こしたイラク爆撃の頃、たった一社、民間航空会社が定期運行していたのである。それがバグダッドアンマン間を飛ばしていたロイヤルヨルダン航空。しかし、バグダッド市内から空港に行くのが危なっかしくて仕方ない。武装勢力エリアを突っ走って空港に行くしかないのであった。マシンガンを持った兵士に何度も停められ、何処にいくのか聞かれたそうである。空港の入り口では乗ってきた車から、専用バスで空港建物に行かねばならなく、勿論軍用犬シェパードの入念なチェックを受けてからだ。それでも、空港の外にはタクシーの1台もないのに、空港建物内は免税店があったり、まったく平和な国にいる錯覚に陥るそうである。そして、対空砲火を避けるために、小さな範囲を頭から地上に突っ込むような体制から旋回し、1時間もしないうちに、対空砲を警戒しながら、美人客室乗務員と飛んでいくというシステムだそうで、あの戦争下で定期便飛ばしている航空会社、呆れるのだか、スゴイのだか、隣国だから仕方ないのか、一種の感動のようなものを感じたのであった。やがて、山脈を抜け、シリア砂漠が始まった。沙漠の上を飛ぶのは雄大だ。ところどころに、人工物があり・・・ヨルダンから国境を接するイラクへの唯一の道が続き・・・沙漠の中にある空港へと降りてゆく。土の上に飛行機が置いてある。沙漠の中にポツリと空港があり、ノンビリと飛行機は降り立った。ペトラ遺跡とイスラムらしい窓を通り抜け、ヨルダン、アンマンクイーンアリア空港に着いた・・・アンマン市内まで約30キロ。タクシーの値段は決まっている。19.5ヨルダンディナール、約30ドルである。市内に入り、ホテルに着き、20払うと、あと5よこせといってきたので、単純に無視してホテルに入った。エジプトと同様、金属探知機を抜けてホテルに入る。 2009年GWトルコ・レバノン・ヨルダン・イスラエル旅行 イスタンブールへ レバノン料理最高 ベイルート、レバノンのナニコレ。 ベイルートガイドブック ベイルート戦火 レバノン・ベイルート昼夜 レバノン・ベイルート→ヨルダン・アンマン、ゴラン高原 ヨルダン・アンマン朝夜 アンマンガイドブック ヨルダン側死海DEADSEA1 ヨルダン側死海DEADSEA2 ヨルダン・アンマン→イスラエル・テルアビブ130キロ イスラエルの歴史おさらい 入国厳しさ世界一のイスラエル入出国 テルアビブにて イスラエルgourmetの旅 キプロスを越えて 飛んでイスタンブール 20年ぶりのイスタンブール グランモスクで一杯のチャイ 東京→大阪
2010.05.11
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旅行はした。それで今回、一番良かったのは何だろう。インドに行って、いつも、思うことは、街角の掘っ立て小屋で飲む一杯のチャイだ。それを飲むと、来てよかったなあと思う。 イランも橋の下で飲んだチャイ屋が一番印象に残っているし、パキスタンもカイバルホテル屋上で飲んだチャイ、トルコもそうである、ネパールもそうであった。一杯のチャイを飲むと、このためにここまで来たんだよなと思え、最高に贅沢でダンディだ。自分の時間は、止まり、自分以外が目まぐるしく動き、生まれてからずっと掘っ立て小屋の端に座っている感覚に陥る。今まで生きてきた、何気ない過程、何年も前にあのとき一瞬思った感情や思いが、頭蓋骨の殻を破って、昇華していく。こうやって、記憶が始まり、土手から落ち、妹の人形を取り上げ泣かせ、ラジヲ体操に夏休みに行き、授業参観で恥ずかしい思いをし、妹の飼っている文鳥が三輪車に轢かれ三輪車に乗っていた子供の母親が「気持ちわる」といったのに、その母親に泣きながら腹を立て殴りかかったことを思い出し、そして中学校高校大学と一瞬にしてコマ送りにされ、働き、そして、やっと、この茶店に辿り着いた・・・そんな気がする。いつもいつも辿り着けばその延長だ。ここに来るために何てことない人生を送ってきた。そして、チャイを飲む一瞬だけ、一区切り、そこで自分の時間が止まり、人々が働いたりする光景、歩いて通り過ぎる光景を俯瞰する。 救われるのだ。救いを求めているわけでも、どん底に陥っている訳でもないのに救われるのである。それを多分、感傷というのであろう。 22年ぶりにイスタンブールのグランドバザールに来た。当時、イランから遺跡とかみてきて、すっかり観光地には飽きてきていて、トルコは、観光らしいことを何もしていないことに気がついた。ただ毎日、その辺りで、何時間もチャイを飲み、そして、歩き、またチャイを飲んで休んだ。22年後のバザールは綺麗になったな、というイメージだけで、昔、さあ、どうだったかな。点の記憶が散在するだけだった。感傷だわ、ただの旅愁。ただの旅愁に救われる。 2009年GWトルコ・レバノン・ヨルダン・イスラエル旅行 イスタンブールへ レバノン料理最高 ベイルート、レバノンのナニコレ。 ベイルートガイドブック ベイルート戦火 レバノン・ベイルート昼夜 レバノン・ベイルート→ヨルダン・アンマン、ゴラン高原 ヨルダン・アンマン朝夜 アンマンガイドブック ヨルダン側死海DEADSEA1 ヨルダン側死海DEADSEA2 ヨルダン・アンマン→イスラエル・テルアビブ130キロ イスラエルの歴史おさらい 入国厳しさ世界一のイスラエル入出国 テルアビブにて イスラエルgourmetの旅 キプロスを越えて 飛んでイスタンブール 20年ぶりのイスタンブール グランモスクで一杯のチャイ 東京→大阪
2010.05.10
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昨日の深刻さを残しつつ、午前中に4時間半ぶっとうしで歩いたので、念願の昼食とする。 レバノン料理、それは中東料理の王道であり、世界三大料理のひとつとされるトルコ料理と、まあまあ似通った部分もある愉しみ料理でもあった。わざわざ、東京に食べに出かけたいわくつきでもある。いや、結婚式の合間にだったわ。このときも、言っていたが、欧米では、戦火を逃れてレバノン人が多く住んでおり、そこで、レストランを経営、野菜をフンダンに使うので、欧米ではダイエット料理の位置づけもあると、新宿のレバノン料理屋の店主は話しており、そのあと、ネットでみたら、そういうことが結構書かれていた。 それは、ヒヨコマメ、ヨーグルト、オリーブオイル、ハーブ、セサミ、レモンをフンダンに使った料理で、付け合せに野菜ガンガンですよ、てな感じである。イスラエルやパレスチナにあるファラフェル(まあ、ヒヨコマメコロッケ)やフムスも多く取り入れられているというか、もともとあるのか、それは知らないが、一般的にあるのである。 そういえば、日産のカルロスゴーン社長は、確かレバノン出身だったとおもったが、あらら、奥さんのレバノン料理のお店潰れましたと。 何故か、ラデッシュがムチャクチャ美味く、そのあとで食べたラデッシュがうえらく色褪せてがっかりしたほどであった。ヨーグルトにヒヨコマメ混ぜて、パンにつけたら、オイ、美味いぞ。パンは食べ放題、羊乳から作ったヨーグルトにオリーブオイル混ぜたラバンメーズ。パンにつけたら、オイ、美味いぞ。絞めはトルココーヒー、泥のようで、上澄み液を飲むが、結構、砂糖いれないと、およよ、という感じでもあり、何十年ぶりにコーヒーに砂糖を入れたような気がした。ピザか。下町を歩けば、また食べているものも多様化するか。特に、見所もないので、イブンシーナ通りの海岸沿いに旅行者は亡霊のように集まるシステム。そういうシステムだが、さすがに日本人はいない。特に、30代40代の子育て世代など、それはないだろう、と思われるが、最近の20代は海外志向は少なく、統計で見ると、20代より40代のほうが海外渡航人数が多いのは、何だ、40代から子育てで大変な世代や家族でも行けるまあまあ余裕のある世帯のほうが、分母の多い20代全員より多いとは、興味が内向きになっているからなのだろうか。地中海で釣りして、隣のレストランに卸すかい。疲れて、またビールか。 2009年GWトルコ・レバノン・ヨルダン・イスラエル旅行 イスタンブールへ レバノン料理最高 ベイルート、レバノンのナニコレ。 ベイルートガイドブック ベイルート戦火 レバノン・ベイルート昼夜 レバノン・ベイルート→ヨルダン・アンマン、ゴラン高原 ヨルダン・アンマン朝夜 アンマンガイドブック ヨルダン側死海DEADSEA1 ヨルダン側死海DEADSEA2 ヨルダン・アンマン→イスラエル・テルアビブ130キロ イスラエルの歴史おさらい 入国厳しさ世界一のイスラエル入出国 テルアビブにて イスラエルgourmetの旅 キプロスを越えて 飛んでイスタンブール 20年ぶりのイスタンブール グランモスクで一杯のチャイ 東京→大阪
2010.05.09
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多分、ベイルートのことを初めて読んだのは、大学に入ったばかりの頃に読んだ「何でもみてやろう」だったような気がする。戦火の跡、それは、多くの建物き刻まれている。3時間休みなく歩き、ほんの10年前、20年前が想像される。廃墟になったもの、そのまま使っているもの、そして、それは、戦車や兵隊の存在で、現在に続いている感じがする。特に旧市街の外れがまだまだ無残さ(一番酷かった旧市街は建替えが進み、つまらない映画セットの街となった)窓も吹き飛んだ廃墟とか、兵士の監視とか。手放して避難するとか、住み続けるとか、戻ってくるとか。デモとか祭りとかソレに巻き込まれたオレとか5年前に暗殺された大統領とか、写真撮っている不謹慎なのは、私を含め全員とか、記念写真とかピースとか。元インターコンチネンタルホテル?、その前に新インターコンチフェニキアとかでも、人々が生きている限り、日常の生活は続く。地中海は相変わらず青いまま。世界中には、戦争や動乱、内紛、紛争が続き、それが日常化している場所は沢山あり、生まれたときから生命の危機ほどの争いのなかった子供たちも数多く、戦争が日常、平和や停戦が異常。異常が嬉しい。そして、そんな知ったかぶりの自分が恥ずかしい。 2009年GWトルコ・レバノン・ヨルダン・イスラエル旅行 イスタンブールへ レバノン料理最高 ベイルート、レバノンのナニコレ。 ベイルートガイドブック ベイルート戦火 レバノン・ベイルート昼夜 レバノン・ベイルート→ヨルダン・アンマン、ゴラン高原 ヨルダン・アンマン朝夜 アンマンガイドブック ヨルダン側死海DEADSEA1 ヨルダン側死海DEADSEA2 ヨルダン・アンマン→イスラエル・テルアビブ130キロ イスラエルの歴史おさらい 入国厳しさ世界一のイスラエル入出国 テルアビブにて イスラエルgourmetの旅 キプロスを越えて 飛んでイスタンブール 20年ぶりのイスタンブール グランモスクで一杯のチャイ 東京→大阪
2010.05.08
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イスタンブルから1時間45分。かつて中東のパリと呼ばれた避暑地リゾート地であったベイルートに到着した。昔は、ヨーロッパの経由地として、JALなども、寄港窓口であったようだ。元々国土は豊かで温暖な気候は中東のスイスと呼ばれ、アラブ国家で唯一沙漠のない国である。アラブと言ってもキリスト教徒が4割もいる。1970年代80年代の内紛、5年前の元首相暗殺とそれに伴うシリア軍の撤退、4年前のイスラエル侵攻で、いかにも暗澹とした事件が流れる中、それでも、今は、その爪跡を残しながらも、今は南部(イスラエル国境付近)以外は政情不安は多少あるにしても安全とみた。 飛行機は出発が遅れ、ベイルートに到着したのは、午前0時を超えていた。入国は、そう難しいものではないのだが、ページのスタンプ確認に審査官以外に2人の係員が入念に調査した。イスラエルのスタンプがないかどうか確認しているのだろう。スタンプがあれば入国できないので、急遽、イスラエルは後で行くことにしたのである。(イスラエルの入国に他国のスタンプがあってもお咎めなし。但し、尋問は増えそう) 空港からの正式タクシーは30ドルであり、これはムッチャ高いのである。たった7,8キロしか市内まで離れていないのにである。少し外に出ると半額になると書いてある(帰りは、市内から空港まで交渉10ドルつまり15万レバノンポンドだった) さて、どの国に行っても、この1発目、通貨の単位が良く分からない、物価が分からない、ムッチャ疲れている、結構もうどうでもいい早くホテルに行きたいという要素が固まり、寄ってきたオッサンを無視していたが、30ドルというので、正式タクシーと同じなので、もういいかと3分も歩いて移動すれば半額になるというのに、乗ってしまう。イカン、なんて軟弱な人間になってしまったんだ、と乗ってからしばし反省する。反省と共に、だんだんむかついてくる。オッサンが屋根に取り付けてあったタクシーの看板を取り、自分のIDを隠したことを目撃して更にだんだんむかついてくる、なんだ白タクかよ、まあ正式タクシーと同じ値段だから怒らないけど、やっぱり、不甲斐ない自分に対しては怒っている。そういう状態も、何の、15分程度でハムラ地区に到着。ダウンタウンにあった安ホテル群は、内戦で崩壊してしまったようである。 物価は、よく分からないが、インフレは結構あるようで、内戦で逃げていたレバノン金持ちが、金を持ったまま帰国してきて、更にインフレを招いているということを聞いている。それはともかく、まずは、夜中の2時ではあるが、散歩開始だ。ホテルの目の前のバーを見ると、人で満席状態だ。しかし、そこから1ブロックも歩いていくと、警察警察・・・そして軍人軍隊・・・尋問は受けないものだが、爆弾テロなどを警戒しているのだろうか。他の店はほとんど閉まっているので、水とタバコとお菓子だけうっていた屋台で水を20円で購入、あのタクシー運転手め、水買えば150ボトルも買えるじゃねえか!と自嘲気味に呟き、すぐさまホテルに引き返したのであった。何だろう、この夜の散歩、死ぬか安全か、だ。これだけ警察がいれば、まずチンピラにカツアゲされたり暴行や強奪にあうことはないだろう。そういう意味では、他の都市と比べ安心して歩ける。しかし、銃を構えた警察や軍隊に、もし、襲われたら、そのときは終わりだ。誤解で殺されてはたまらない。そんなことはないだろうが、ふと、これはこれでやばいなと思う。アフガニスタンがタリバンに占領されて、音楽や女性が働くことや、自由な交通機関などが廃止され、特に女性は病気になれば、親族以外の男性との接触を禁止されているので医者にもいけない、教育も受けられない、窮屈でツライ社会になってしまった。しかし、タリバンが追い出され、街に自由が戻ってきたと同時に、治安は悪化したのだ。強盗ごーかんが多発するようになったのだ。 その一歩手前という感じがするのであった。 翌朝は、7時から、早速、散歩開始である。開始と言っても、リゾート地ではあっても、とくだん観光して見回るようなところはなく、とにかく、坂を下り、地中海を目指すのであった。あの夜はなんだったんだ。不穏な空気の欠片もない明るい太陽の下、私は、グイグイ進むのである。 2009年GWトルコ・レバノン・ヨルダン・イスラエル旅行 イスタンブールへ レバノン料理最高 ベイルート、レバノンのナニコレ。 ベイルートガイドブック ベイルート戦火 レバノン・ベイルート昼夜 レバノン・ベイルート→ヨルダン・アンマン、ゴラン高原 ヨルダン・アンマン朝夜 アンマンガイドブック ヨルダン側死海DEADSEA1 ヨルダン側死海DEADSEA2 ヨルダン・アンマン→イスラエル・テルアビブ130キロ イスラエルの歴史おさらい 入国厳しさ世界一のイスラエル入出国 テルアビブにて イスラエルgourmetの旅 キプロスを越えて 飛んでイスタンブール 20年ぶりのイスタンブール グランモスクで一杯のチャイ 東京→大阪
2010.05.07
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7時間も機内で寝た癖に、またもやお疲れモード気味であったが、いつもの定期便(ハシモト大阪府知事が廃止させようとしている成田伊丹便)に乗るのである。もう関空の没落はえらいこっちゃであり、廃止する前に、今、関空からアメリカ本土に行ける航空会社はサンフランシスコただ1便だけなんだぜ。終わってるじゃん。ソレはさておき、1席の猶予もなく満席である。席はおばあちゃん、私、そして若い女の子という席順であった。オレ寝ている。のに・・・おばあちゃん「あなたどこに行ってきたの?」オレ「はあ、ちょっとトルコまで」おばあちゃん「どうでしたか?」オレ「天気良かったので良かったです」おばあちゃん「何日間?」オレ「1週間ですね」(あ、余計な嘘付いてしまった)おばあちゃん「へえ、そうなの、結構短いわね」オレ「仕事がありますからね」(他の国に行ったことは怪しまれるから言うまい)おばあちゃん「私はね10日間DCに行ってきたの」オレ「そうなんですか」(あ、オレが乗れなかった便じゃん、もしかして乗れてタラ帰り一緒だったかも知れないジャン、あれ、なんでオレ横浜便?)その後、元気はつらつおばあちゃんは、話し続けるが、オレは、ハア、ヘエ、ホウとか返事をしていると、おばあちゃんの言葉数も減り、ようやく収まり、私も安眠の境地に入って行ったのであった。すると、おばあちゃんは、私を差し置いて、隣の若い女の子をターゲットに喋り始めた。おばあちゃん「あなたはどこ行ってきたの?」おねえちゃん「マイアミなんですよ、9ヶ月短期留学してました」オレ(あ、両隣で喋り始めてチョト鬱陶しいなあ、オレも不寛容だなあ)おばあちゃん「どこから帰ってきたの?」おねえちゃん「同じDC経由で帰ってきました」オレ(あ、オレが乗れなかった便じゃん、もしかして乗れてタラ帰り一緒だったかも知れないジャン、あれ、なんでオレ横浜便?)おばあちゃん「マイアミってどんな大学なの」おねえちゃん「マイアミ大学で、日本人も5人ぐらいいましたよ、私以外は長期でしたけど」オレ(チラっと目を開けて隣の女の子をチラ見する。・・・よく日に焼けてるじゃん、あ、また横浜便だ。)おばあちゃん「へえ~。日本はどちらの大学なの?」おねえちゃん「同志社大学3回生で、経営学の勉強を専攻してます」オレ(あ、同志社かいな、何か聞いたことあるな・・・某ハルジ氏とか、某心斎橋氏とか・・・)おばあちゃん「いい体験なさったのね」おねえちゃん「高校のときも1回短期留学して、これで2回目ですけど、もう長期で海外行くことはできないでしょうねえ。旅行でちょこっと行くぐらいかなあ」オレ(そうそう、旅行でちょこっと行くぐらいだよ)おばあちゃん「私も息子が2人いてね、いや、弁護士と医者なんですけど、2人ともボストンの大学にも留学させたのよ」おねえちゃん「へーすごいですねえ・・」オレ(自慢の息子よろしいなあ。うちのオカンやったら、息子は未だにフラフラして根無し草のベランメイなのよ、といいそうだわ。)おばあちゃん「海外で体験させるのもいいかと思いましてね」おねえちゃん「なかなかできないですものね。」オレ(あれか、出来が悪くて、留学させた口か?医者は金が有ればなれるしな・・・まさか、アメリカの州でしか通じない弁護士じゃねえだろうな、はっ!スマン、意地悪にも悪態ついてしまった!)おばあちゃん「それで、あれですね、いい人と会えて結婚できたらいいですね」おねえちゃん「そうですね、銀行にでも就職して、いい人見つけられたらなあと思ってます」オレ(カックン、なんじゃそりゃ。ああ、今時銀行員?留学して、ズバッとキャリアを積んでいく気概は、あ、ない訳ね・・・まあそんなもんか)そこからまた長い話が始まるのであったが、だんだん私の解釈も疲れてきて、安眠の境地へと再び落ちて行ったのであった。 伊丹に着き、バスに乗り、そういえば、俺らの世代ぐらいか、バブルの時代に浮かれて、海外行くじゃ、留学するじゃ、そのままキャリアアップ目指すじゃ、うまくいかんかったらまた再就職すればいいかとか、多くの人間が考えていた時代は。冒険してもいい頃の景気の良さだったものなあ。がんばろうや・・
2010.05.06
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オープンのリクエストチケットは厳しいものがありまする。トイモイさん、満席ですが、誰か1人でも来なかったら乗れますよ、ということで、大抵、1人ぐらい寝坊したり乗り継ぎ失敗して空席がでるものであり、大抵それで成功体験してきてしまった不肖私目は、早々に成田に向かったのであるが、さすがに、ゴールデンウイークなるもの、そのような幽霊乗客が3人ほど集合しており、凡そ3人ほど乗れなかったのである。無情にも、目の前でアメリカ行きは満席のまま離陸していったのであった。ああ、オレの乗る飛行機が目の前を通っていく・・・ 考えるに、ヨーロッパが火山の影響で、無料でアメリカアジアなどに振り返られる人が多かったとみて、こちら方面は急遽ダダ込みになったと推測されるのであった。 出国したが、税関でVOIDの印を上から押され、成田空港にて、佇む中年、フト考えた。いや待てよ、ヨーロッパ方面なら逆に開いたのではないか?そういう疑問が沸々と頭脳不明晰の中、思いを馳せてしまうのであった。とにかく、成田空港近くのホテルのチェックインした後は、ただ、眠るだけである。怪我した野獣がじっとして傷を癒すように・・・心の傷を・・・の前に、ぐっすり眠ってしまうのであった。 翌朝、9時、電話確認したところ、オープンのリクエストチケットは優しいものがありまする。トイモイさん、トルコ航空なら空席が有ります。帰りも今のところ、何席か空席があります、との色よい返事を受け、急遽、喜々として、空港に出向き、何も考えてなかったので、急いで、スゴイ出費だが、地球の騙し方を3冊も購入し、なんで、中東一式にしてくれねえんだよ!とぼやきながら、それでも、まあ、騙し方しか緊急及び個人ガイドブックはないよなあ、英語分からないし・・・と、単純に買い集めたのであった。 そして、忘れないように、南米行きのリクエストは涙を飲んで取り消したのであった。 しかし、トルコ航空は、関空にも出ているので、何となく、ウーンという気分にはなりつつも、まあ、早速、チェックインし、その間に、急いでインタルネットでホテル予約するのであった。なんと、あまり言いたくない穴場なのであるが、成田空港のANA国内線カウンター前の座席からは、無料無線インターネットをつなぐことが出来るのである。時間がないので、中心街の場所と値段だけで、急いで30分程度で3カ国のホテルを決めたのであった。返信されるバウチャーは受け取る時間もないが、それは、愛嬌、あとは、行く行くスピンである。 それにしても、そういった飛行機や宿のネットでの小細工の効く便利な社会になったのだが、ネットワークは脆弱であることがまたもや、今回の噴火で判明しているわけだ。ほんの十数年前までどうだっただろうか。いまや物流は世界各国から安くて品質のようものを求めて注文されていたりして、ニュースでも見たが日本国内の日産工場やアメリカの工場が、アイルランドなどからの資材が調達できずに工場操業一時停止になったり、イタリアなどのレストランが食品輸入できずにメニュー変更されたり、となったが、そういうことは確かにほんの少し前まではなかったようだ。人やモノの移動が滞り、バックアップ的なものが需要予測以上に常に用意されているのではなく、つまり代替バスもそんなに増発できるわけでなく、代替滑走路を持つ余裕空港もなく、世界各国の株などは世界各国に分散されており、保有する他国の企業や人は被害を被る。コンテナ船では間に合わないようなオランダのチューリップなどのような生もの輸出も大打撃であり、地理的な多様性は、まあ、大変なんだなあ~、など暢気にしている間に離陸。 徐々に老いが迫り、体がぼろっちいくなっていくことが分かりつつある。だから楽チンコースを選ぶのである。しかし、身体的なこともさることながら精神的にはどうなのであろうか。何ができるのか、というより何ができないか、が多くを占めてくるようになると、これ、老いなのだろうか。いや、若者でも、もうだいたい見えてきちゃった、分かっちゃったと限界を作ると、別に批判じゃないけど、一種の老いのようなものかもしれない。 なかなか、何もできない自分の要素が増えてきたら、なかなか不寛容な社会であることを実感していくものであろう。病気や障害のある人は、まさに昔から自分は一体何の役にたってんだと悩んできたことであろう。この社会では、基本、常に生産性をチェックされて生きていかざる得ないことになっている。行き過ぎると、不安→自己実現、自分探し→やっぱり何の価値もない自分→死との隣り合わせコースに陥る。いやいや、何もできなくなる、自立できなくなっていくといっても、1人で全てまかなっているロビンソンクルーソーではないのだから、自立とは、外部社会のネットワークを使い支えあうとか支えられるとか、まあ車椅子やメガネとかペースメーカー使って、できないことを多少騙し騙しででもできるようになることであろうか・・・しまった・・眠い・・・・シベリアを越え・・・やがて、12時間、イスタンブールの街が見えたのであった(続く) 2009年GWトルコ・レバノン・ヨルダン・イスラエル旅行 イスタンブールへ レバノン料理最高 ベイルート、レバノンのナニコレ。 ベイルートガイドブック ベイルート戦火 レバノン・ベイルート昼夜 レバノン・ベイルート→ヨルダン・アンマン、ゴラン高原 ヨルダン・アンマン朝夜 アンマンガイドブック ヨルダン側死海DEADSEA1 ヨルダン側死海DEADSEA2 ヨルダン・アンマン→イスラエル・テルアビブ130キロ イスラエルの歴史おさらい 入国厳しさ世界一のイスラエル入出国 テルアビブにて イスラエルgourmetの旅 キプロスを越えて 飛んでイスタンブール 20年ぶりのイスタンブール グランモスクで一杯のチャイ 東京→大阪
2010.05.05
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イスラエル出入国は大変厳しいということは聞いていたが、これをクリアすれば、まあ、オレも今後は大丈夫だろうさ。今日帰ってきてから、調べると、こんなのや、或いはこんなのがあった。事前情報1. 入国より出国のほうが厳しい尋問がある。出国には、3時間前には到着するルールがある。ほんまか。2. 今後レバノンシリアサウジアラビアイラクなどに行く場合は、イスラエルのスタンプがあれば、入国できないので、その場合は、別の紙にスタンプを押してもらい、出国時にそれを渡すということ。逆はつまり他国のスタンプがあっても問題ないとのこと、しかし、イスラム圏に行っていたら、大変な尋問を受ける可能性があるということ。3. 一人旅は大変ヤバイ。§入国(淀みなく答えたわけではないですよ)女性入国審査官「どこから来ましたか」私「日本です」入国審査官「違います、前の国です」私「アンマンです」入国審査官「何処に泊まりますか」私「ゴールデンビーチホテルです」入国審査官「バウチャーはありますか」私「ありません」入国審査官「何故ないのですか」私「ネット予約して、プリントアウトする時間がなかたからです。ここに、手書きのナンバーなら控えてます」入国審査官「何故来ましたか」私「観光です」入国審査官「イスラエルは初めてですか」私「そうです」入国審査官「何日イスラエルに滞在ですか」私「1日です」入国審査官「え、たった一日ですか?何故ですか」私「私は日本で会社員の雇われ人で今回も5日しか休みがとれていません。時間がないのです。」入国審査官「ここまで日本から何時間かかりましたか」私「だいたい飛行機に乗っている時間は14時間ぐらいでしょうか」入国審査官「そんなに時間かけてきて、1日ですかおかしくないですか」私「もっとゆっくり滞在したいですが、明後日から仕事なので帰らなくてはなりません」入国審査官「ここから帰るのですか」私「直行便はないのでイスタンブール経由で帰ります」入国審査官「じゃあ何故、アンマンからイスタンブールにいかないのですか」私「生きている限り一カ国でも多くの国を見たいのです」首をかしげながらスタンプをガッシャン、紙を渡される。そのまま、外に出ようとすると、皆紙を渡している。私も渡すとソレを見て、「はいあなたこっちね」と止められた。どんどん出て行く中で、私と、もう1人西洋人若者男性1人組が止められた。先に彼から質問で、立ち話の中での、質問で耳を凝らす。どうやら、イスラエルに友達がいるようで、その友達を訪ねてきたらしいが、友達の両親の名前、住所まで聞かれている。持ってきたもの、友達と何処で知り合ったか、そんなことが聞かれているのが聞こえてくる。なかなか参考になる。別室でなくて立ち話風が微笑ましい。そして私の番。女性係員「イスラエルの知り合いはいますか、誰かに荷物頼まれましたか」私「いいえ」係員「イスラエルは初めてですか」私「そうです」係員「何日イスラエルに滞在ですか」私「1日です」係員「一日?いったい何のためですか」私「観光です」係員「一日で何を観光できるというのですか」私「今から、数時間、街を散歩して、お土産買って、食事して、ビール飲むのです」係員「他の国は?」私「全部1日です」そこから10分程度意味のない質問が続いたが・・・係員「ではいいでしょう」私「オレ、何か問題ありか?」係員「問題ない」§出国(淀みなく答えたわけではないですよ)良く分からないが4時間前に空港に到着。チェックインカウンターに行く前に、審査があり、まだ、通ってはいけないといわれる。3時間半前に、通っても良いと言われるが、私の便に乗る人間で、私は3組目という早さであった。さて、またもやチェックインカウンターに行く前にマンツーマン質問コーナーである。前の西洋人男性カップル?がやたら男性係員に質問され、10分が経過しようとしている。もう1人女性係員がやってきて、私に質問開始。係員「あれ1日?」私「そうです」係員「誰かに荷物頼まれた?誰かに荷物パッキングしてもらった?誰かに不意に接触された?荷物はずっと手元に持っているか」私「いいえ(最後は、はい)」係員「あなたの両親は何をしている?あなたの家族は?あなたは独身か?」とプライベートでどうでもいい質問(向こうにはテロリスト要件の確認)をぶつけてきて、そして、その質問の中にいくつか重複する質問を織り交ぜ、先程と違う答えをしていないか確認される。係員「いっぱいプライベートなことも聞いてごめんね。終わり」ということで、終わり、荷物のセキュリティチェック。何か荷物にビームのようなものを通す。男性係員「何か粉のようなものがあるけど、何?」私「塩」(オメーの国が国力挙げて売っている塩だろ)男性係員「それは何個?」私「えーっと、うーん、3つ」男性係員「違うよ」私「え、そうかなあ、いや、3つだよ」(4つだったかも・・・)男性係員「OK」私「あ、いいの?」男性係員「でもここからじゃあ2つしか見えないけどね」私「はあ・・」男性係員「ん、砂で何かボトルがあるけど・・・」私「ああ、おみやげですね」男性係員「うーん、何か絵(デザイン?)が見えるけど・・・」私「絵?・・・」この時の質問の「ピクチャー」というのが、私には分からなかった。イメージ的に、写真や絵というと、平面的図案を想像してしまい、この質問にはなかなか答えられず、やっと、やり取りで何のことか分かった。私「ああ、ラクダだ。ヨルダンって書いている」男性係員「そうそう。自分で買ったの?」私「はい」男性係員「じゃあオシマイ」そうして、無事ここも5分程度ですり抜け、無事出国したのであった。出国スタンプは、ほんの30秒程度で終わり。終わりはいいけど、まだ、離陸まで2時間半もあるんですけど・・・もうゲートにいるんですけど・・・・暇じゃん・・まあ、でも、結果的には、勝利した!か?・・・ 2009年GWトルコ・レバノン・ヨルダン・イスラエル旅行 イスタンブールへ レバノン料理最高 ベイルート、レバノンのナニコレ。 ベイルートガイドブック ベイルート戦火 レバノン・ベイルート昼夜 レバノン・ベイルート→ヨルダン・アンマン、ゴラン高原 ヨルダン・アンマン朝夜 アンマンガイドブック ヨルダン側死海DEADSEA1 ヨルダン側死海DEADSEA2 ヨルダン・アンマン→イスラエル・テルアビブ130キロ イスラエルの歴史おさらい 入国厳しさ世界一のイスラエル入出国 テルアビブにて イスラエルgourmetの旅 キプロスを越えて 飛んでイスタンブール 20年ぶりのイスタンブール グランモスクで一杯のチャイ 東京→大阪
2010.05.04
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