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aki20067984

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世代論である。

或る一つの世代の「愚かさ」と言うのは、
次の世代へと継承される。そして、また、
次の次の世代へと。

本稿は、日本人の精神史について述べるものと
なる可能性は、有るのだが、そうなるには、
恐らく、一つの完成された形となるまで、
数年を、要すると思う。

多分、早くて2、3年、遅ければ5、6年。

SATURN、詰まり土星は、ゆっくりと、
そして、じっくりと、歩みを続けていく。
私は、山羊座の男であり、御存知の様に、
土星は山羊座のルーラーである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、先ず、手始めに叩き台としたいのは
良く有る様な、団塊世代ではなく、その
直後の世代である。
勿論、その後、団塊世代論を総括的に
語っていくのだが、先に書いたように
「愚かさ」の継承と言う点で言うのならば、

その途中でショック・アブソーバーとなってくれる
様な世代が存在しなかったために、
団塊世代の「愚かさ」を、諸に、或いは、
直に、浴びてしまったと言って良い、
その世代である。


について、考えて見たい。
詰まり、1957年から、1951年生まれの
その辺りの世代である。

ここで、1957年で、区切っているのは、
奇妙に思うかも知れないが、この後、話の
核心となる、彼等の世代の受けて来た教育の
ある種の特殊性と、大きく関わって来るので、
1957年で区切った。
また、その時代の教育の特殊性の観点からすれば、
1958年での区切り方も有る事は、有る。
しかし、明確に言える事は、1959年生まれ以降の
所謂「新人類世代」は、最早、その50年代生まれの世代
とは、明らかに異なる別のタイプの存在となる。
理由は、此処でも、その世代の受けて来た教育に
特徴が有るからだが、詳しい事は後述する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この世代の持つ特有の「愚かさ」に関する
問題点は、以下の通りである。

1.具体論が展開出来ない。或いは、多少は出来るかも
知れないが、具体論のレヴェルを一通り、
説明し終えてから、抽象論的な纏めの部分、或いは
結論部へと、話を繋げて行く事が出来ない。

これは、理科系の人ならば、その様な訓練を
積んでいる筈なので、文科系のその世代の
者の特徴、と言うか、極めて顕著に現れる
一種の「症状」である。

彼等の話し方の特徴は、あくまで一般的に
言うならば、導入部では、具体的な物事、
例えば、自分の体験談から話を、始めていく
様な素振りを、ポーズとして、見せて
置きながら、それで、具体的には、如何いう体験を
したのか、話さない。此れが、もう決して話さない
と言うか、99%以上話そうとしないのである。

そして、その後、70年代のヒッピームーブメント
末期にあった様な、適当にお茶を濁した様な、
毒にも薬にもならない様な、極端に抽象的な
精神訓話を述べて、尻切れトンボの様に、
極めて、中途半端な終わり方をするのだが、
その後、聞き手からの質問に対しては、
更に、訳の分からない抽象論で答え、
その会話は、双方のオウム返しの連続と
なって、時間制限いっぱいまで、延々と
続く、と言う状況に成り易い。

そして、ある程度知的な聞き手が、
「先程、貴方は、A,B,そしてCと言いましたが、
ABとCとでは、矛盾が有りませんか。」と
尋ねたりすると、「自分が結論として、言いたいのはC
である。」と答えて、平然としている。
では、何故ABについて語ったのかと、尋ねても、
昔はABにも、興味が有ったのだが、今、もう
そう言う事には興味は無い、等と答える。
だったら、最初からABについては、話さないか、
話した場合は、それはもう、以前の事であり、
現在はABについては、全く興味がありません、
その理由は何々だからです、と此処まではっきりと
明言すべきなのに、そうはしない。
一種の幻惑的言説戦略である。

また、こう言う幻惑戦略に腹を立てて、剥きになって
反論して、合理的に、そして、論理的に
話を進めようとするのが、所謂新人類世代なのである。
其れに対して、1960年代後半生まれ以降、
当然、1970年代前半生まれの、団塊ジュニア前期世代を
含めて良いのだが、彼らは、決して剥きになって、
反論したりはしない。理由は、馬鹿な奴は、所詮馬鹿だから、
こちらも、馬鹿レヴェルで、いや、もっと輪を掛けた
大馬鹿レヴェルで、対応すれば良いのだと、
考えているからである。

詰まり、人は能力的に皆、同じである訳が無い。
世の中には、頭の悪い奴が沢山居るのだから、
そう言う「てーのー」の相手を、仕事上であれ
何であれ、しなくてはならない時は、
こちらは「あほう」として対応する、
と言う、ある意味で極めて、真っ当な、
そして合理的なコミュニケーション戦略を
展開しているのである。

残念ながら、新人類世代はこの様な、割り切り方が
必ずしも、若い世代よりも得意である、とは言い難いのだ。
認めたくは無いが。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

では、此処で一旦切る。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

では、続きを。

その50年代生まれの世代の問題点
の、其の2で有るが、

2.主観的にものを言い過ぎる。
詰まり、客観的事実は如何なのかと言う
事を、検証して、煮詰める作業を、
殆どやらない、或いは、やったとしても、
極めていい加減に適当にやって、
済ましてしまう。恐らく、「愚かさ」
と言うよりも、「頭の悪さ」の問題だと
思うが、客観的事実がどの様であるかについて、
検証していく方法論を、持っていない。
不勉強と言えば、その通りだが、結局
50過ぎになるまで、その様な
検証法を、学ぶ事も無く、今まで

だらだらだらだらだらだらだらだら
だらだらだらだらだらだらだらだら

生きてきてしまった。

そのせいで、多くの40代以下の者は
会社の会議等で、既に頻繁に
経験済みだとは思うが、この50代の
会議参加者は、会議の議題と関係有ろうと、
無かろうと、前後の脈絡も無く、
唐突に、自分の「気持ち」を述べてしまう事が
よくある。先ず、「気持ち」と言うのは
「意見」ではない。客観的事実を踏まえた上で、
自分の、当然、主観的な意見を述べる。
これが、当たり前なのだが、この世代の
人間は、必ずしも、その様な会議の
大原則を守る訳ではないし、守る事を
期待する事すら出来ない。

彼等、或いは彼女等は、唐突に言う。
「ところで、何々が何々になってるけど、
それについては、物凄く変だと思う。」

勿論、この「何々が何々になっている」
の部分は、事実ではある。それが、会議の
議題に関係有るかどうかは、兎も角として。
問題は、「物凄く変」と言う部分である。
「変」以外に主観的なフィーリングを
述べた他の言葉が、入る事も、当然
あるのだが、典型的な、フィーリング言葉
として、此処では、「変」を挙げた。

此処で、問題は2つある。

先ず、第一に、
「貴方の気持ちなど、誰も
尋ねてはいない。なのに、何故唐突に
自分の気持ちを述べてしまうのか。」
と言う事。

そして、第二に
「変」と言うのは具体的に如何言う事なのか。
そもそも、その人一人の主観的な印象に
過ぎないのに、他の多くの人間も、
自分と同じ様に、「変」だと思っているはずだ、
「常識」で判断すれば「変」に決まっている、
と言う、一方的な思い込みの元で、発言している。
これは、OVER-GENERALIIZATION 詰まり、
過度の一般化の誤謬であり、その意味で
非論理的である。少なくとも、この
発言の段階では。

勿論、その後、「変」とは如何言う事か、
についての返答は「いや、唯、変に感じる。」
と言う自分の個人的なフィーリング、印象、
主観を繰り返すだけで、丸で、
コミュニケーションは不可能である。

また、既にお気づきの様に「変」と言う事に
ついての具体的説明というのは、本人が
「此れは自分の気持ちであり、そう思う。」
の一点張りで終わってしまうので、
結局、ここでも、問題1で挙げた
「具体論の欠如」という事柄が、当然
付随して来てしまうのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

では、再び、此処で一旦切る。





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Last updated  Jun 11, 2006 05:53:18 PM
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