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さて、上海にある漢院でマンツーマンの授業を受けた。北京語を話す講師陣はすべて、23~24才の若者ばかりだ。東京でも私の部下の大多数が23~24才というから、奇しき縁を感じる。いやというほど四声をたたき込まれた。基本は音、そしてリズムだ。私のカタカナ英語発音記号など全く役に立たない。
万里の長城をワンリチャンチャンと書いても、通じない。ワンリィー、チャ――ン、チュオンと鼻から音を逃がすのだ、といわれる。「長」は外へ、「城」は内へ。呼吸なんだ、と。禅は、ツア――ン(ヌ)。子音で止める。Nを(ヌ)と発音するのだといい続けてきた私は正しかったのだ。日本語はまるで母音だけの言語のようだ。
だからdebateがカタカナのディベートとなる。aはエイという二重母音だが、日本にはない。またこのdが厄介だ。道教のdaoismとタオイズムと同じぐらい強く破裂させる。だからドゥベエイ(ト)となる。
日本語は難しい言語だといった人は誰だ。海外語の話せない日本人だけではないか。私の会った中国人は全て日本語が巧い。日本語は簡単だという。舌の構造が違うのだろう。私は、中国語も、とくに韓国語の発音も苦手だが、彼らは、あっという間に日本語をマスターしてしまう。
こんな私でも中国語の発音はほめられる。「先生は英語をやっておられたから、中国語はラクですよ」といわれる。西洋人は、音(耳)から入りマスターする。日本人は活字(眼)から入るから苦労するらしい。(つづく)