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首都高速から見える、皇居のお堀端には、満開の桜の下を歩くたくさんの人々。まるで冬の呪縛から解き放たれたかのように、一日で咲きそろった満開の桜は、うすい桃色に東京の町を染めていました。金曜日の夜のダンス教室でお会いしたTさんも、この週末、山梨大会に行かれるとのことで、いろいろお話ししているうちに、ある重要な情報を教えていただきました。「信玄公祭りで、道路規制があるらしいよ。」武田信玄と騎馬部隊、総勢1,600人による時代行列やパフォーマンス等が展開される、年に一度の大祭で、4月8日から10日のあいだは、甲府駅前を中心に通行止めが予定されているというのです。私たちが、宿泊予定していたのは、甲府駅前のビジネスホテルで、静岡大会の時と同じ、Y家の夫婦が車を出してくれて、4人で一緒に山梨に出かけることになっていました。彼らは土曜日の昼過ぎまで仕事なので、2時半頃待ち合わせをして、ゆっくり出かける予定でした。信玄公祭りのことなど、このときまで全く頭になかったので、念のために調べてもらうと、どうやら私たちの泊まるホテルは、信玄公祭りの真っ只中に位置しているらしく、「駅周辺は全面通行止めだから、4時までにホテルに来て下さい、って言われちゃったよ。どうする?」私は、バックにダンス音楽の流れる教室から電話して、一緒に行くY家の方々と話し合い、交通規制が解除されるまで、近郊のスパでゆっくりするということで話がまとまりました。ユーミンの「中央フリーウェイ」の歌の通り、右に府中競馬場、左にビール工場を見ながら、東京を西に向かって走っていくと、杉林の三多摩地区。Cちゃんと私は花粉症なので、花粉の濃度が上がってきたのに敏感に反応します。「なんか、空が黄色くない?」「こんなところで、車の外に出たくないよね。」妖怪雨降らしのCちゃんも、花粉大攻撃にはなすすべもなく、空には薄日が差して、うららかな土曜日。塩コショウコンビのMさんが運転する車に乗せてもらって、私たちは、窓に広がる春景色をゆったりと眺めていました。(つづく)
2005/04/09
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今日は、JBDF関東甲信越の春期全千葉ダンス競技会でした。さすがに3週連続となると、疲れが出てきて、朝6時に起きるのがとてもつらい。しかし、無理やり起きて、カーテンを開けると、快晴の空に朝日が輝いていました。「今日も絶好調!」心の中で小さくつぶやいて、準備を始めました。私たちはこの団体の競技会で、スタンダードC級ですが、今回は一つ上に挑戦。B級スタンダードにエントリーしました。B級競技会の参加者は、206組。今回も激戦です。千葉ポートアリーナは、とても美しい体育館で、フロアはスケートリンクのようにつるつるでしたが、「滑り止めスプレー使用禁止」の放送が、朝一番で入って、今までで一番、足裏を意識して踊りました。「ねこ」のように、ヒタヒタとフロアに足をつけていけば、つるつるのフロアでも滑らないで踊れるのではないかと思ったわけです。私たちは、1次、2次、3次、4次と予選を勝ち進んでいきました。隣に座って入らした方は、残念ながら一時予選で敗退、反対の隣の方は、最終予選で敗退でした。準決勝のスタンバイで、懐かしい方にお会いしました。「裸足のシンデレラ」 の救世主です。その時のお礼を言うと、「困った時はお互いさまですから。また、お役に立てるときはいつでも言って下さいね。」と、優しい言葉をかけていただき、感動してしまいました。同じ教室のB級の方も、準決勝に残っておられました。「何かずいぶん頑張ってるじゃない?」C級選手で準決勝に進んでいたのは私たちだけでした。絶好調です。残念ながら、決勝には進めまず、ベスト12で終わりましたが、この準決勝には大きな意味があります。C級からB級に昇級する条件の一つに、「準決勝以上に入賞したとき。」というのがあって、それを一つクリアしたことになったのです。教室のラテンの先生が、途中から見学に来られて、「ラテンより先にA級になっちゃうんじゃないの?」なんて、おだてられて、「そんなこと、ないない。」なんていいながら、結構喜んでいました。206組中の12組に残ったんですから、いい仕事してます。帰りに、今日もシャトーカミヤで、地ビールを飲んで来ました。ここには4種類の地ビールがあって、その中の一つに、スペシャルという、季節限定の地ビールがあります。先月飲んだときは、ただのハーフ&ハーフみたいだったこのメルツェンも、発酵が進んで甘味を増し、いよいよ美味しくなっていました。たぶん、来週には、ここの桜も満開。また、来なくちゃ。今日も充実の一日でした。
2005/04/03
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決勝進出は8組でした。そして、その中に私たちも入っていました。誰かが、「参加者の10%が昇級だから、256組なら25組だ」といっているのを彼は聞いたらしく、これで昇級は決まりだ、なんて言っていました。私は、ホワイトボードに、「C級戦の昇級は6位まで」と書いてあったのを見ていたので、そんなはずはないと思いましたが、それをいうと、また彼が変に緊張するといけないのでだまっておきました。一組ずつ、名前と出身県が紹介され、決勝が始まりました。私たちは、先生に直していただいたホールドを、できるだけ忠実に再現して、現段階でもてる力を全て出し切って踊りました。JDCの表彰式では、優勝から順番に呼ばれていきます。私は、心の中で、「お願いですから6位以内に呼んで下さい」と祈っていました。二人は、呼ばれたらすぐにでも飛び出して行けるように、スタンバイして、司会者の声に、全神経を集中していました。しかし、優勝、準優勝、3位、4位、まだ呼んでもらえません。また、ギリギリでシャッター閉められるパターンか?そう思ったとき、6位で私たちの名前がコールされました。駆け込み乗車、成功!の気分。扉は後ろで閉まりました。これで、静岡大会と合わせて2回昇級規定を満たし、今年度末にスタンダードB級に昇級が決まりました。7位、8位の方は、本当にお気の毒です。私たちもその悔しさを味わったことがあります。同じ表彰式に参加しても、トロフィーをもらえるのは6位まで、そして昇級も6位までです。嬉しいときは、一瞬です。同時に、悲しいときも一瞬で、また明日に向けての生きる努力が始まるのです。家に帰り着いたのは夕方の5時で、昼御飯も食べてなかったので、また、1杯無料の生ビールを飲みに、近所の中華料理店に出かけました。毎週末かよって、もう10杯もタダでビールを飲んでいる私たちは、すっかり顔を覚えられてしまったようです。B級昇級のお祝いなので、無料ビールの他に、もう1杯ビールを頼み、半額料理以外にも、1品だけ、通常料金の料理を頼んで、ささやかなお祝いをしました。最高に嬉しい一時です。今月末で「生ビール一杯無料」のキャンペーンが終わってしまうのだけが、ちょっと、残念。このブログを読んで下さって、いつも応援していただいているみなさんに、リアルタイムで昇級のご報告ができることをとても嬉しく思っています。これからも頑張りますので、「社交ダンスA級への道」どうぞよろしくお願いします。(おわり)
2005/03/30
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ワルツ、タンゴ、スローフォックストロットの3種目。256組全員はいっぺんに審査できないので、背番号順に17組ずつに分けて審査します。最初のグループを1ヒート、以下、2、3...ヒートと続きます。私たちは13ヒートでした。フロアに17組も入ったら、ぶつかって、自分たちの踊りができないという声が、踊り終えた選手達から聞こえてきました。確かに、どのヒートでも必ず誰かが衝突し、3ヒートに1回は、誰かが転んでいました。フロアは全然すべらない、私の好きなタイプ。私たちは、なんとか、うまくぶつからずに切り抜けていました。今日は、朝早くから、Y家のお母さまの心強い応援があり、ひときわ通る高い声で、私たちの背番号を呼んで下さっていました。1次予選、2次予選と予選が進んでいくと、そこで敗退された方がどんどん帰っていかれるので、ビッシリだった選手控室もポツポツ歩くすき間が出来てきました。そこを、午後からのラテン競技や、メイン競技に出場するプロの選手達が埋めていき、4次予選を踊り終わって陣地に帰ったときには、周りの顔触れが総入れ換えされていました。競技は果てしなく続くかのようでした。5次予選が終わったときには、もう2時を回っていて、さすがに早朝からの競技でお腹がすいていました。彼が月曜日の朝一番に、京都で会議があるので、試合が終わったらお昼御飯を食べて出発、の予定でした。当然、お昼ご飯は持ってきていません。思った以上の参加人数で、うれしいことに勝ち残っていたので、とりあえず、非常食用のバナナとゼリー、そして、最近凝ってる「都こんぶ」でつないでいました。陣地でむしゃむしゃ昆布を食べていると、よく見た顔が前を通っていきました。東部選手権に参加されるのでしょう。いつもお世話になっている教室の先生でした。準決勝まで進んだというと、とても喜んで下さって、ロビーのすみでこっそり、私たちのホールドを直して下さいました。そして臨んだ準決勝。今日も予選を1回踊り終わるたびにもめていましたが、256組が12組にまで絞られて、少しフロアの人口密度が減り、今までのうっぷんを晴らすかのように、黒いロングドレスをひるがえし、フロアに進みでました。(つづく)
2005/03/29
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試合の身支度を済ませて、1次予選開始前にトイレに行ってみると、すごい行列が出来ていました。C級だけで256組もいるんですから、他にD級、N級も合わせるとアマチュアのスタンダードだけで400人を越える女性が、この一つのトイレに大集合してるわけです。トイレ脇のドレッシングルームで、鏡に映った自分の姿を見たとき、私は、思わず目をむいてしまいました。ドレスの左脇、ちょうど男性のホールドが来る辺りが5センチくらい破けているではありませんか。大変。こんなことしてる場合じゃありません。私は急いで陣地に戻り、手伝ってもらおうと彼を探しました。しかし、もう、C級戦スタンダードの予選が始まっています。きっと、先にスタンバイしているんでしょう。競技がどんどん進行していく中、私はまた、ドレスを脱いで、普段着に着替え始めました。お着替えポンチョの中で、もごもごしているところを、競技会場の入り口から、私を探しにやって来た彼に見つかってしまいました。「なんでまた脱いでるの?もう試合始まってるんだよ!」そんなこと、知ってますよ。こっちだって緊急事態なんですから。幸いなことに、私たちの背番号は200番台ですから、時間的な余裕はありましたが、のんびり縫っている時間はないので、破けた部分を内側から安全ピン3本で縫うように留めて、もう一度着てみると、大丈夫、全然分かりません。今日は忘れ物も何にもなくてよかったなあと、思っていた矢先のハプニング。やっぱり何か起こったか。でももう、何が起こっても何とかなる、そんな自信が出来てきました。(つづく)
2005/03/28
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日曜日の駅は、通勤の喧騒もなく、特に今は春休みとあって、がらんとした静けさに包まれていました。斜めに差し込む朝日が階段を照らし、その中を大きな荷物を抱えた私たちは、改札に向かって黙々と登っていきました。「たまには、休みの朝、ゆっくり寝たい。」なんで、こんなにダンスばっかりやってるんだろう。私は一度、教室の若い先生にぼやいたことがあります。「最近、踊ってても楽しくないんです。」子供の頃、好きな映画音楽に合わせて、でたらめに踊るのが大好きでした。踊ることは、好きなんです。しかし、競技ダンスでは、いつも、上へ上へと努力する必要があるので、特に成績が停滞しているときは、その状態を楽しむことが出来なくなってしまいます。それは、仕事や、他のスポーツでも同じだと思います。決して、楽しいばかりじゃない、でも、やめられない、もがいてもがいて、ふと気が付くと、いつの間にか、見晴らしのいい所に出る、それの繰り返し。そんなことを考えながら、冷たい空気を、花粉防止マスク越しに大きく吸い込み、ホームから真っ青に晴れた空を見上げていました。東京メトロを乗り継いで、東陽町に下り立つと、駅から大きな荷物を持ったカップル達が、ぞろぞろと皆同じ方向に向かって歩いていきます。今日は、JDCの前期イーストジャパン選手権大会。東京のホテル・イースト21で行われました。私たちは、スタンダードC級戦に出場。しかし、あらかじめ往復ハガキで知らされていた背番号が200番台だったので、今日も激戦になることは分かっていました。受付をすませて、プログラムを見ると、予想を上回り、なんと、256組もいます。この中で、6位以内に入らなければ、B級への片道キップはもらえません。試合開始は9時。プログラムの最初は、私たちの出場するC級戦の1次予選です。選手控室は、すでにビッシリと埋め尽くされていました。(つづく)
2005/03/27
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試合のあった群馬県前橋市は、詩人萩原朔太郎の誕生の地です。大正初期、彼がまだ20代だった頃に、浅草雷門の近くにある、「神谷バー」に出入りし、当時流行の電気ブランのグラスを傾けながら、詠んだ詩があります。一人にて酒をのみ居れる憐(あは)れなるとなりの男になにを思ふらん電気ブランは、大正時代の実業家で、フランスから日本にワインの製造技術を初めて導入したとされる、大正のワイン王「神谷殿兵衛」が明治15年に作ったカクテルです。老舗の「神谷バー」は、今も浅草で営業を続けています。創業当時は、電気は珍しく、ハイカラな物には、みんな「電気○○」という名前を付けるのが、流行だったそうです。中身は、ブランデー、ジン、ドライベルモット、ホワイトキュラソー、ワイン等で製法は秘密にされています。伊香保温泉に行きそびれた私達は、三連休の最終日、3月21日、この神谷殿兵衛が作ったワイン工場に出かけました。これは、私達が以前住んでいた家の近くにあり、「結婚記念日おめでとう」ハガキが届いていたので、それにつられて出かけたのです。ハガキを持参すると、一杯無料の地ビールが飲めるので、生ビールもいいけど、こっちも魅力的。行楽にはもってこいの、素晴らしい天気になり、「神谷殿兵衛」記念館を見たり、庭に咲く梅の香りを楽しんだり、もう何度も行っている場所ですが、季節によって趣も異なり、何度訪れても楽しいところです。そして今回初めて、「電気ブラン」を試飲させてもらいました。アルコール度数40度で、ほんの一嘗めで舌がしびれる感覚でした。味なんてよくわかりません。フーっと息を吐いて、マッチの火を近づけると、大道芸の火吹き男のような芸が出来そうでした。この神谷殿兵衛が作った「シャトー神谷」は、茨城県牛久市にあり、これから桜の季節を迎え、沢山の行楽客でにぎわう所です。ワインの他に4種類の地ビールも作っていて、一杯無料の地ビール、彼は「ヘレス」、私は「ピルスナー」をいただきました。もちろん、このあとに、お金を払って、他の2種類もいただきました。決勝進出、おめでとう。また来ますよ。今度は3位以内に入賞して!●牛久地ビール6本セット(CKS-09)●電気ブランとワインケーキセット(CKS-07)
2005/03/24
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大会でいい成績だったら、つまり、もし3位以内に入れたら、伊香保温泉に1泊して、のんびり美味しいものでも食べようと、私たちは前日の土曜日に話していました。折角の三連休。遠征の締めくくりは温泉です。お風呂道具や、泊まる用意なんかも、ダンスウエアと一緒に持ってきていました。決勝を踊り終えて、表彰式を待つ間、去年よくB級戦でお会いした千葉のHさんとお話ししました。てっきりもう今年はA級になっておられるかと思っていたので、伺ってみると、何と、私たちと同じで、昇降級規定の勘違いから、B級残留になってしまったとのことでした。キレのいい踊りで、去年、A級戦でも決勝に残っていらしたカップルですから、私たちよりも、もっとA級に近い所におられるはず。強敵です。ノービス、F級、E級、D級と表彰式が進み、いよいよB級戦の結果発表です。6位から順に呼ばれていきますので、私たちは、「どうか、4位までには名前が呼ばれませんように」とずっと祈っていました。しかし、何としょっぱなに呼ばれてしまいました。6位です。トロフィーを一人1本ずつ、2本頂いたんですが、うれしいようでうれしくない、フィギュアスケートの安藤選手もこんな心境だったでしょうか。そして、優勝は、例のHさんでした。123組中6位なんですから、客観的に見れば立派なものだと思います。それに、サンバ・パソのB級戦で決勝に残ったのは初めてですし。しかし、このなんとも割り切れない気持ちは何なんでしょう。当然、伊香保温泉も中止。全競技が終了したのは7時頃でしたが、そのまま高速に乗りました。非常食用に買っておいたメロンパンやバナナで飢えをしのぎながら、関越道を真っ直ぐ東京方面へ。途中、突然思い出したかのように、彼が「あー!6位かー!」と叫び、その度に飴やらガムやらを与えて、家に着いたのは10時頃でした。何で途中でご飯を食べなかったかというと、理由があります。「一杯無料の生ビール」を飲むためです。家の近所に、中華風居酒屋がオープンして、3月末まで、本格中華の美味しいおつまみが半額、しかも、生ビール1杯タダですから、一人千円も出せば、お腹一杯食べられるのです。精一杯戦って、悔いはありませんでした。次の試合までにまた技を磨いて、今度こそ3位以内を狙おうと決意も新たに、この「一杯無料の生ビール」で乾杯したのでした。(おわり)
2005/03/23
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群馬県大会は、いつもメインアリーナで開催されていましたが、この日はバスケットかバレーの試合があって、ダンス競技会は少し小さめのサブアリーナで行われました。スタンダードの試合が終わって帰られる方もいて、そろそろ陣地取りのスペースが点在しています。会場の横に、日の光が差し込む明るいレスリングジムがあって、低反発マットが敷き詰めてありました。私たちは窓の近くに場所をとって、着替えに入りました。斜め向かいに座っていらした女性が、髪をまとめるところから化粧が終わるまでの一部始終をじっと見ておられました。参考になるかどうかわかりませんが、お役に立てばいいかな、と思って、気付かないふりをしていました。私も以前、同じように、上級者の化粧の様子をじっと見させてもらったことがありました。私たちの出場するラテンB級戦は、123組。いつも、多くても80組くらいなので、この出場者の多さに驚きました。どんなに出場組数が多くても、A級に昇級するためには、このB級戦で、3位以内に入らなければなりません。体育館をA, B二つのフロアに分けて予選がはじまりました。かなり狭い感じで、しかも床はつるつるでした。競技に慣れていないと、狭いフロアでは、すごいスピードで迫ってくる周りのダンサーに怖気付いて、自分の踊りが出来なくなります。種目はサンバとパソドブレ。どちらも移動距離の長い踊りです。1次予選が終わって陣地に引上げると、息も絶え絶えに倒れ混んでいる女性がいました。無駄な動きが多いと、必要以上に体力を消耗します。1次予選、2次予選、3次予選と勝ち進むうちに、123組が、24組にまで絞り込まれて、準々決勝。私たちは今まで、この2種目で決勝まで進んだことはありませんでした。しかし目標は3位以内。予選で敗退するわけにはいかないのです。ついに、フロアの仕切りが取り払われて、準決勝12組にまで、勝ち残りました。予選が一つ終了するたびに念入りに靴底を削り、滑り止めのスプレーをつけて次の試合に備えます。私は、決勝に残ることを確信していたので、一度もスコアボードを見に行きませんでした。思い返せば、今回も色々なことがありました。1週間前に首が動かなくなったときは、出場できるか危ぶまれる状態でしたが、ようやく金曜日に練習を再開出来ました。しかし、痛みを抑えるためにずっと貼っていたサロンパスにかぶれ、今度は痒くて、小麦色の肌にするかどうか、土曜の夜中まで悩んでいました。試合当日は、思いも寄らぬ大渋滞で、ここでも出場を危ぶまれる状況。しかし、ついに私たちは、決勝でコールされました。123組の中の上位6組に食い込んだわけです。ここで決めないと、いままでのすべての難関突破は意味がなくなる。赤いドレスに黒い長手袋、シルバーのアクセサリーに身を包んだ小麦色の私は、黒いコスチュームの王子様にエスコートされて、ぐっと首を伸ばし、決勝のフロアに進んだのでした。(つづく)
2005/03/22
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目標からあまりにかけ離れていると、最初からあきらめもつきますが、ちょっとがんばれば、とどくかもしれないとなると、悪あがきをしたくなるものです。つながっていた渋滞が、次第に流れ始め、前橋I.C.に到着したのが、受付終了20分前。競技会の案内に添付されていた地図には、「前橋I.C.から車で25分」と書いてありました。もういちど、会場のSさんに電話を入れてみましたが、まだ通じません。「受付終了から5分くらい遅刻なら、待ってくれるかな?」普通だったら、コンビニに寄ってお昼のお弁当やお茶を買ってから、会場に入るのですが、今日はそんな暇はありません。トイレ休憩もなしでした。1分の無駄も許されない状況で、私は凄いことを思いついてしまいました。「この車の時計、3分進んでるんだった!」群馬総合スポーツセンターの砂利の駐車場に、砂煙を上げて到着したとき、時計台の針は、ちょうど、11時半を指していました。受付終了時間、ジャストです。小学校からリレーの選手だった彼は、車を飛び出すと猛ダッシュで、体育館に向かって走って行きました。私は花粉防止のでっかいマスクをつけて、助手席から彼の姿がどんどん小さくなって行くのを眺めていました。私が走るよりは、絶対に早く受付に到達するでしょう。しばらくすると、緑色のプログラムを持った彼が疲れた顔で戻ってきました。「もう、準備運動完了って感じ。まだ10組くらい受付に来てない人がいたよ。」ひょっとすると、同じ事故渋滞に巻き込まれて、まだ抜け出せない方達がいるのかもしれません。午後のラテン競技の試合開始は2時半ということでしたので、お弁当を買いにコンビニに戻りました。心配して下さっていると悪いので、もう一度、Sさんに電話すると、今度は出てくれました。無事に受付が出来たこと報告すると、午前中のスタンダードの試合も、C級戦だけで17組も欠場が出ていたということでしたので、この渋滞で諦めた方もいらっしゃるのかもしれません。私達は午後からの試合でラッキーでした。会場では、スタンダードの予選が行われていました。大変な混雑で、シートを広げるスペースも全然ないし、寒いので、車の中でお弁当を食べて、ホッと、一息。なんとかスタートラインに着くことができました。(つづく)
2005/03/21
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今日は、春期JBDF関東甲信越ブロック競技会の最初の大会、全群馬競技ダンス大会でした。この大会は、千葉、茨城、埼玉、栃木、群馬、山梨、長野、新潟の各県大会を、春と秋で2回ずつ行い、その総合成績で昇降級が決まるという大会です。去年「クリスマスの受難」でお話しした通り、ちょっとした勘違いでA級昇級を逃してしまった私たちは、「今年こそA級を決める」つもりで、勇んででかけました。午前中がスタンダードの試合だったので、ラテンしか出ない私たちは、比較的ゆっくり、といっても朝8時頃ですが、出発しました。外環をぬけて関越道に入るとき、衝撃の電光掲示板。「所沢ー前橋 事故渋滞45Km」どうする?しかし、高速を使わないで行ったら、絶対に間に合わないことも分かっていました。突入するしかありません。他の車も、吸い寄せられるように料金所のゲートをくぐって行きます。ハイウェイラジオの交通情報を聞きながら走っていると、次第にスピードが落ちてきて、とうとう渋滞の最後尾についてしまいました。まだ埼玉県です。幸いなことに、事故車はたった今、移動が完了し、通行止めにはならず、これから渋滞も解消していく一方、という状況でした。しかし、受付終了前に、私たちが前橋に着けるかどうかは微妙です。「このままいくと、30分位遅刻だ。」同じ教室のSさんが、午前中のスタンダードから参加しているはずなので、代わりに受け付けしてもらおうということになりました。携帯に電話すると、留守電です。「ただいま、電話に出られません。ご用の方は...。」多分、試合の真っ最中でしょう。Sさんが携帯をチェックしてくれるのを願って、メッセージを残しました。「携帯、見てくれるかなあ。私だったら、試合中には、携帯なんか見ないもんね。」折角、遠くからやって来て、受付に間に合わなかったら、バカみたいですが、わりと楽天的で、「だめだったら、伊香保温泉でも行って、のんびりして帰ろ。」なんて、話していました。車は相変わらずのノロノロ運転。やっぱり遠征の時は、前日から泊まらないとだめかなあ、日帰りで群馬に行くのは、これが初めてでした。(つづく)
2005/03/20
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取れたボタンを安全ピンで修復して、準決勝に臨みました。今度は、普通のラテン音楽がかかりました。私たちはやっと通常の調子を取り戻し、だんだんスコアも良くなって、決勝に勝ち残りました。この段階で、他に3組、僅差で並んでいる選手がいました。ホテルなので、下は絨毯で、そこに木目の1メートル四方くらいのパネルが敷き詰められてダンスフロアになっています。私は、床が滑る時用の新しい靴と、滑らない時用の古い靴2足を持ってきていました。このフロアは、全く滑らないので、私たちの好きなタイプ。足がしっかり使えるのです。決勝は、今日の中では最高の踊りで、観客席からの拍手に答える余裕さえありました。さっきまでもめていたのが嘘のように、すっかり仲直りしてしまった私たちは、「オナーダンスだったら何踊ろうか?」なんていう相談までしていました。ノービスに出場されていた学連風のカップルがとても上手なルンバを踊っていたので、彼らがルンバだと私たちはチャチャかな、でも、オナーダンスであの演歌がかかったら嫌だから、やっぱりルンバか、などどコソコソ話していました。C級の決勝が終わると、すぐに表彰式です。ノービスの優勝は、やはり思った通りのカップルで、彼らはチャチャチャをオナーダンスに選びました。次のD級戦優勝の男性は、オナーダンスの存在をしらなかったのか、表彰式を待たずに着替えてしまっていました。次のプロD級優勝者は、やはり、関東選手権で2位だった(その1)に登場したカップル。こちらも、オナーダンスにチャチャチャを選びました。最後に、優勝でコールされた私たちは、久しぶりにオナーダンスを躍らせていただきました。ルンバです。静岡グランプリの直前に付け加えた、「拍手ポイント」のルーチンを、わざと倍の長さの8カウントに伸ばして、「みなさーん。ここで拍手してねー。」と、いうのに応えるように、会場から拍手が起こって、私たちもほっとしました。終わった後、先週、静岡に一緒に来てくれたCちゃんと待ち合わせて、ミニ懐石でお祝いしました。ホテルイースト21の試合の時は、そこに行くのをいつも楽しみにしていたのですが、オーナーが変わったのか、店の名前が変わっていました。ランチは安くて、3種類のおばんざいと、てんぷらと焼き物、煮物、ごはん、おみそ汁、おしんこ、デザートまでついて、もちろんビールの味も、最高でした。Cちゃんと別れて家に帰ってから、私たちは近くの天然温泉に出かけました。私はアカスリ、彼は足裏マッサージをしてもらって、のんびりお風呂に入り、これで、ご褒美も完了です。この日の収穫は、大トロ(一番大きなトロフィー)でした。(おわり)
2005/03/09
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私は2次予選の背番号のコールを聞きながら、必死にダンスシューズを履きました。だんだん自分の番号が近づいて来ます。「ああ、もうだめだあ。絶対間に合わない。」そう思ったとき、番号のコールが私たちの直前で止まりました。まだ靴を片方履いたところでした。思わず、「セーフ!」とつぶやくと、隣でおにぎりを食べる手を止めていた選手たちも、ほっとしたようにまた食べ始めました。「おれたちも焦っちゃったよな。」隣の選手達も笑ってました。「すみません」と小さな声で言って、シューズを履き、フロアにもどりました。どうやら参加人数が少なかったので、間に予定されていた2級戦とD級戦の予選がカットされたらしいのです。2次予選第2ヒート、最初の種目はチャチャチャです。ここで、信じられないことが起こりました。また、あの、演歌みたいな曲がかかったのです。いきなり尺八の音がしたときは、二人とも唖然としました。何でよりによって、この曲ばっかりかかるんだろう。お互いの目で、そういっていました。こんどは、彼の方が乗りきれずに新しく作った部分が崩れました。私たちはフロアの外に出た途端、お互い「バカ呼ばわり」の喧嘩です。全く大人げないんですが、最初のポジショニングについて彼が変な言い掛かりをつけてきたので、私も反撃に出ました。後から考えてみると、どうもあの演歌がかかると、二人の波長が狂うようです。他の3種目、サンバ、ルンバ、パソドブレに関しては、また、問題なく踊ることが出来ました。次に勝ち残ったとき、また出遅れそうになるのが嫌だったので、私はそのまま客席の後ろに待機していました。フロア脇で開いているダンスウエアのお店を見たり、試合の成績表を見たりして、ぶらぶらしいると、彼が手首を押さえてやってきました。「ボタンちぎれた」見ると、そで口から一本長い糸がたれて、その先に大きな金ボタンがゆれていました。(つづく)クロバーソーイング用品軽快で、便利なソーイングセットSS201ブルー
2005/03/08
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ダンスする場合、気持ち良く踊れる曲と、どうしても乗れない曲というのがあります。私たちの場合、演歌みたいな曲がかかると、どうも気分が乗らないんです。ラテンアメリカンですから。この日、最初の種目のチャチャチャで、いきなりそれがかかってしまいました。尺八や三味線や鼓、何度か聞いたことがある曲なので、踊れないことはないんですが、乗れないんです。しかも、試合前にリハーサル出来なかったので、最初の種目は私がボロボロでした。別のヒートの選手が踊り、次の種目を待つ間、私は彼がブーブー文句を並べるのを聞いていました。うまくいかなかったことに対して自分に腹が立っているときに、追い打ちをかけるように文句を言われるのは火に油を注ぐようなものですから、本当は言わないほうがいいですね。しかし私たちは、フロアの外でいくらもめても、一端フロアに入ると、世界で一番仲良しなカップルに変身する特技を持っています。サンバのコールがかかると、パチっと気持ちが切り替わって、エンターテイナーモードに入ります。何人かのお客様が、最初からずっと応援して下さっていました。サンバ、ルンバ、パソドブレを無難に踊り終わって、1次予選終了です。2次予選の前に、2級、N級、D級の予選が予定されていたので、私たちは一端陣地に引上げました。メイン競技の東部日本選手権に出場するプロ・スタンダードの選手が次々とやってきて、控室はいつのまにかぎっしり埋まっていました。敷き詰められたシートのすき間を縫って、自分の陣地に帰るのが結構大変です。空いていた隣のスペースには、やはりメイン競技に出場される様子の若いプロのペアがオニギリを食べていました。私は靴を脱いで足を伸ばし、プログラムを見ていると、彼が心配そうにもどってきて、「もう行ってたほうがいいんじゃない?」とスタンバイを促しました。私はさんざん文句を言われてちょっとムっとしてたので、「次の予選までまだ3つ競技があるよ。」と、体育座りで背中を向けたまま、ぶっきらぼうに答えました。すると、そこに放送が入りました。「次の競技は、C級戦ラテン2次予選。出場者は、○番、○番、...」彼は、あわててフロアに駈けていきました。(つづく)
2005/03/07
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本日はJCF東部日本選手権、プロ・スタンダード部門の試合がありました。場所は、ホテルイースト21です。私たちはこの前哨戦であるラテンC級戦に出場しました。先に結果を言ってしまいます。優勝です。なんでC級戦?以前にも何度かお話ししましたが、プロにはいくつかの団体があり、それぞれが独自級を持つ競技会を主催していて、2年ほど前までは、JDCとJCFは、アマチュアの団体であるJDSFと級の互換性がありました。そのときC級だった私たちは、JCFが分離してから級とりの試合に出ていなかったので、依然C級のままでした。今年から、昇降級規定が変更となり、そのままだと降級することになったので、またJCFの試合にも出てみることにしたのです。優勝して当然ぐらいの気持ちで行ってみると、2003年の関東大会で私たちが4位だったときに2位だった選手がいるではありませんか。JBDF関東甲信越の試合でも、ずっと負けていたので、彼はすっかりビビってしまいました。しかし、プログラムをみると、そのカップルはいつの間にかプロに転向していて、当然ながらC級戦にはいませんでした。出場組数27組、種目はチャチャチャ、サンバ、ルンバ、パソドブレの4種目です。いつも試合が始まる前に、一通りルーチンの確認をするのですが、今回は会場がホテルということもあり、ロビーで練習していたら注意を頂いてしまいました。ぶっつけ本番だと、一次予選がボロボロになるので、少し心配ではありましたが、みんな同じ条件なのですからしかたありません。先週の試合では、私のドレスと彼のボタンが試合中に絡んで大変だったので、今回は少し工夫しました。彼に黒い手袋をしてもらうことにしたのです。こうすれば、袖のボタンの上にかぶるので、私のドレスにもひっかからなくて安心。しかし、そう簡単には行きませんでした。ピッタリした手袋の端からコスチュームの袖がたらんと出て、カッコ悪いのです。「だめだ、これ、使えないよ。」本番直前になって、別の方法を考えました。答えは以外と簡単です。ボタンが外に出ないように、折り返せばいいのです。最初の種目は、チャチャチャでした。(つづく)
2005/03/06
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いつも何かしら忘れ物をする私が、今回忘れたのはスタンダード用の髪飾りでした。それがなかったお陰で、頭が少し小さく見えて、返ってよかったのかもしれません。今までの試合と少し勝手が違ったのは、時間短縮のためか、ワルツとタンゴを続けて同じヒートで踊り、全員が踊り終わると、次にスローフォックストロットを踊るという競技方法でした。予選は3回、76組のうち準決勝に進めるのは12組です。最初の、ピンチは2次予選のスロー。出だしで3歩出ては止まるを、3回も繰り返してしまいました。別のカップルと交錯しそうになって、道を譲っていたためです。そのせいで、半周したところで音楽が終わってしまいました。このときは、タンゴもイマイチだったので、今日はこれで終わりかと、私は早々に陣地に引上げて、また、オニギリを食べていました。スコアを見に行った彼が、そこに戻ってきます。「通過してたよ。一次よりいい点だった。もうすぐ、3次予選だから早くおいで。」1次はかろうじて予選通過している状態でしたが、今回も踊っていくうちにだんだん調子が上がってきて、ポイントもどんどん入るようになってきました。次のピンチは、準決勝。彼は、最初のワルツで足がつったそうです。お昼御飯を食べないで、ずっと踊っていたせいで、エネルギーが切れたに違いありません。もう、夕方の6時に近い時間です。足がつったまま、タンゴ、スローまで踊りきるなんて、彼は、本当に素晴らしいダンサーなのでしょう。私だったら、足引きずって退場します。今回C級戦スタンダードで初めて決勝に進みました。決勝では、彼が2度滑りました。タンゴのファイブステップで、ずるっと突然いなくなって、思わず笑っちゃいましたが、しりもちつくほどではなく、瞬間的に復活するのでギャグみたいです。スローでも、もう一度ツルリ。彼の方は、必死だったに違いありません。一方お気楽な私は、競技に使われた音楽がどれも素晴らしくて、思わず、踊りながら聞きほれていました。知っているミュージカル曲や、オペラの曲、まるで、天上の歌声のような美しいソプラノにのって踊るワルツは、戦いを忘れてしまいそうでした。もし天上界で神々の戦いがあるとしたら、こんな、美しい戦いに違いありません。色とりどりのドレスがキラキラと輝きながら、スウィングの度にひらめいて、雲間に舞うシルフィードのよう。撮っていただいたビデオを見ると、私たちは、風のように、その間を走り抜けていきます。この神々の戦いを制して、私たちは準優勝に輝きました。応援して下さったY家の方々も、大喜びで、本当に嬉しかったです。車が苦手なお母さまは、新幹線で家路に付かれ、私たちは、また、Mさんの運転する車に便乗させてもらって東京に帰りました。もう雪もすっかり溶けて、帰りは2時間弱で到着。新幹線より早かったかもしれません。空には、干し柿みたいなオレンジ色の月が、不思議な感じで浮かんでいました。車を置いて、御徒町で祝杯をあげました。久しぶりにトロフィーを2本もゲットできたのです。そりゃもう、ご想像の通り、ビールの味は最高でした。(おわり)この中の曲、かかりました。屋根の上のバイオリン弾き ACADEMY LIBRARY(期間限定) ◆20%OFF!<DVD> [GXBJB-16164]ロミオとジュリエット(1968年度制作版)【PPA-102276】 =>20%OFF!《発売日:05/01/05》◆ 【音楽CD】ワーグナー:楽劇《神々の黄昏》 全曲◆ バレエ「ラ・シルフィード」《全2幕》◆ ダンス音楽こちらからどうぞ
2005/03/02
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準決勝のサンバでは、衣装が引っ掛かって焦りましたが、そのあとのチャチャチャ、ルンバ、パソドブレは問題なく踊ることが出来ました。一週間前に始めた「アルファー・リポ酸」計画は、私には今のところなんの変化もありませんが、彼には素晴らしい成果をもたらしたようです。試して2日目に、いつもはいていたGパンが「おなか、ブカブカ」になり、入るかどうかあやぶまれていたラテンの競技ズボンが、見事はけるまでにお腹の脂肪がとれていました。雪と凍結のために通行止めが続いた東名高速道路は、2時10分にようやく解除となり、迂回路も大混雑で、参加を断念された選手が多かったようです。他の競技でも、「○番欠場です」という放送が何度も入りました。また、ようやくたどり着かれた選手を待って、競技が30分ほど遅延していました。外は、明るい太陽が降り注ぎ、昨日の雪など嘘のようです。体育館の窓からは、方向が悪いのか富士山は見えませんでしたが、外に出たらきれいに見えるのかな、などと思いながらオニギリを食べていました。そこへ彼がやってきて、「決勝に残っちゃったよ」と、いうではありませんか。はっきりいって、予想していなかったので、オニギリがのどに詰まりそうになりました。これも、雪で何組かの有力選手が来れなくなったおかげかもしれません。しずおか選手権には大変見ごたえのあるA級選手が何組も参加されていました。決勝には、日本のトップ選手に成長した静岡を代表する双子の競技ダンサー、久保田組を始め、2002年の三笠宮杯で、ウリナリと一緒に1級戦に出て優勝し、今、高校3年になった大村組、去年、一緒にB級戦で戦い、何度も優勝を飾った田中・小林組など、素晴らしい選手ばかりです。撮ってもらったビデオでよく分かるのは、もっと体を目一杯使わないといけないということ、もっとリズムにはっきりした変化を見せないといけないということです。他にもいろいろ比較してみると、課題満載です。決勝のルンバで、ちょっと出遅れてしまいました。というのは、いつも練習会でチャチャチャを練習している曲がかかったからです。きっと、間違えたといって、すぐルンバの曲に切り替わるんだろうと、しばらく待っていると、みんなそれでも次々と踊り始め、私たちも腑に落ちないまま踊り始めました。それとも、いつも練習に使っているのはルンバの曲だったのでしょうか。しずおか選手権ラテンの結果は、6位でした。私たちは、それでも大満足で、決勝に残れただけでも「うそみたい」と思っていたくらいです。なんと、トロフィーをもらうのは去年の6月以来8カ月ぶり。決勝が終わって、まだ汗もひかないうちに、スタンダードのC級戦です。私たちはバタバタと着替えて、次の競技に向かいました。予定では76組出場とのことでしたが、やはり雪のため何組かは欠場されたようでした。出場組数が前回の試合の半分以下ですから、昇級のチャンスです。C級戦で年間を通じて2回以上決勝に進むと、B級に昇級することが出来ます。今回もう一つ私たちが有利だったのは、体育館が広いので、思いっきり踊っても大丈夫ということです。前回は、半分踊って角に来てしまっていましたが、今回はその心配はありません。種目は前回と同じ、ワルツ、タンゴ、スローフォックストロットです。(つづく) TVあるある大辞典で話題のαアルファリポ酸+CoQ10配合夕亜【3月1日より順次発送いたします。】 ★楽天スーパーポイント10倍★【スーパーブロウ】■2個で送料無料■3個で代引料も無料■セルラ... αリポ酸(アルファリポ酸)
2005/03/01
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試合の朝、起きてみると、ホテルの窓は結露でびしょりになっていました。いい天気です。今日は、晴れの神様の勝ち。競技会に出始めたころ、私たちには、「晴れるといい成績」のジンクスがありました。最近はそれほど気にしていませんが、それでもやはり晴れていると、気分がいいものです。受付が11時と、普段の試合より随分遅いので、よっぽど参加人数が少ないのかと思ってしまいましたが、そうではなく、2級戦、1級戦、D級戦のラテン、スタンダード両方の試合を先に全部やってしまい、午後からの上級の試合と分けているのでした。10時半ごろ、沼津市民体育館に到着すると、中はまるで冷蔵庫のような寒さでした。この時間でこんなに寒いんだから、朝からの試合に出ていた選手は、きっと冷凍庫のような体育館で、踊っていたに違いありません。大寒波の神様は強力で、東名高速道路の通行止めはまだ続いており、競技に申し込んでいたにもかかわらず来られなくなる、東京・神奈川方面からの選手が続出しました。私たちの出場する「しずおかグランプリ(A級戦)ラテン」も、参加組数が減って、予選がなくなり、急きょ、戦わずして準決勝からということになりました。すごいラッキーです。雪が降ってもう一つラッキーだったことは、花粉がそれほど飛ばないことです。今年のスギ花粉の飛散量は、例年の数倍と何度もテレビで脅されているので、心配になって、2週間前に血液検査をしてもらいました。すると、スギ花粉にだけアレルギー反応が出て、それから薬を飲み始めました。試合中に鼻水やくしゃみが出たらこまるので、今回は助かりました。体育館は、とても広くて、とても滑りました。私たちは10時半にここに来てから、試合開始までの間、ずっと練習していたので、体は良く動きました。特に、振り付けの大半を最近代えてもらったチャチャチャは、まだ集中していないと間違えるので、ここに来て何度も練習しました。午後の試合は、C級戦、B級戦、ミドルシニア、グランドシニア、しずおか選手権(A級戦)の5つで、先にラテンの試合が行われました。これが私たちの今年初めてのラテンの試合。私は、昨年暮れに買ったコスチュームに初めて袖を通し、静岡にちなんだわけじゃありませんが、「ミカン色」になりました。たくさんのオレンジ色のリリアンがドレープ状に巻き付いていて、踊ると揺れる超ミニのコスチュームです。ところがこのリリアンが、最初の種目サンバで男性の袖のボタンに絡み付いて、大変なことになってしまいました。二人で一生懸命絡んだ糸をほぐし、ルーチンを一周しないうちに音楽が終わってしまいました。ショックです。朝、新幹線で駆け付けて下さったY家のお母さまと、一緒に車で来たCちゃん、Mさんが、ビデオを撮ってくれて、「どうしたんだろ」「なんか、ひっかかったんじゃないの」「やっぱり、なんかひっかかったんだ」しっかり、心配してくれている様子が録画されていました。(つづく)みかんの革命児 沼津の「寿太郎」≪こばやしフルーツの24時間タイムセール≫静岡県西浦産 青島みかん 5kg
2005/02/28
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27日は、第24回静岡県ダンススポーツ選手権大会でした。当初の予定では、早起きして新幹線で行くことになっていましたが、いつも応援に来て下さるY家の方々も一緒に行くということになり、前日の26日に出発することになりました。以前「紹興酒」と「塩コショウ」のお話で登場した友達のCちゃんと、ご主人のMさん、二人の車に便乗させてもらって、1時半に東京を出発しました。<第106話> 大応援団参照Cちゃんは、「遠足で晴れたことない」くらい雨女ですが、今日も明日も天気予報は「晴れ」。ただし、大寒波がやって来るので、かなり冷えそうとのことでした。一方、ご主人のMさんの方は晴れ男で、今回のバトルはMさんの勝ちに思えました。東名高速に乗って、海老名パーキングエリアを越えた辺りから細かい雨が降りだしました。Mさんは大喜びで、「妖怪雨降らし、本領発揮だ!」なんて笑っていたのもつかの間。山を登るに連れて次第に雪に変わり、御殿場のアウトレット店の辺りに来たころは、本格的な雪になっていました。周りの家の屋根も枯れ枝も真っ白に雪化粧して、金太郎で有名な足柄では、道路にも雪が積もってみんな徐行運転を始めました。雪が苦手な私は次第に無口になっていき、Mさんはスリップしないように運転に集中。Cちゃんとうちの主人は、「スキーに行くみたい!」と大はしゃぎです。徐行していた車の流れが、ついに止まってしまいました。と、後ろで「ドン」という鈍い音が響き、みんないっせいに振り返ると、私たちの真後ろの車が、その一つ後ろの車に追突されて、駐車ランプを点滅させて路肩に寄っていきます。「うわー。危機一髪だったね。」「後ろの車が車間詰めてたら、玉突きになるとこだったよ。」物凄くラッキーだったのは、これだけではありません。私たちが何とか通過して沼津に到着して間も無く、大井松田―沼津IC間は上下線とも雪のため通行止めになってしまいました。沼津は、Cちゃんが高校3年間住んでいたところです。学校の先生だったCちゃんのおばちゃんが、ここに住んでおられるので、みんなでちょっとよりました。庭にはもう梅が咲いています。沼津にはめったに雪が降らないらしいのですが、おばちゃんによると、「Cちゃんが来るっていうから、雪が降った」そうで、実は去年の夏にも、一緒に旅行に行ったとき台風が直撃して、屋根が飛んだというので、妖怪伝説もまんざら嘘ではないのかもしれません。そのままみんなで「ヴェルサンピア沼津」という丘の上の温泉に寄って体をほぐし、駅前のビジネスホテルにチェックインしました。途中、オレンジ色に輝く夕日と、まるで町よりも上にあるような海を見ました。雲間から、光の筋が何本も降り注いで、神々の戦いの終焉を見るようでした。仲見世のアーケードを歩いていくと、Cちゃんは、高校の時によく来ていた甘味屋さんや、ペットショップを見つけて、「ああ、ここ、よくきてたんだあ。」と懐かしそうに話してくれました。大寒波のせいか、夜はとても冷えて、おしゃべりすると、息が白く凍りました。みんなで美味しいパスタをいただいて、ホテルにもどると、私たちはそのままベッドに倒れ込んで眠ってしまいました。ふと目が覚めると、まだ、夜の9時半です。明日の支度を整えて、アサヒプレミアムビール「富士山」を飲んで、もう一度眠りました。明日は、富士山が見えるといいなあ、と思いながら。(つづく) アサヒ 富士山 缶350(写真左) ふじやまビール ピルス・ヴァイツェン・デュンケル 缶3本セット 【送料無料】御殿場高原ソーセージセット
2005/02/27
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昨日、2月13日は今年2度目の競技会。「彩の国ダンスフェスティバル2005」のC級スタンダード競技会に参加してきました。場所は、埼玉県の東武動物公園のそばにある進修館です。JDC主催の競技会で、他に、D級、ノービス級、2級、3級の競技があり、私たちが到着したときには、もう午前中のラテン競技の方々で選手控室は満杯状態でした。階段のくぼみのようなところに場所をとって、会場を見に行くと、3年ちょっと前に、ラテンのノービス級をここに受けに来たときのことを思い出しました。(詳しくは <第104話> 選択の自由参照)フロアはそれほど広くなく、ほぼ正方形です。C級スタンダードは、前回よりも参加者が多く、155組もエントリーしていました。この中でB級昇級への片道切符がもらえるのは6組だけ。相変わらず厳しい戦いです。1次予選は、12組ずつ踊りました。種目はワルツ、タンゴ、スローフォックストロットです。私たちがスタンダードで一番困るのは、距離感が分からないことです。ゴルフでも、下手なうちは、自分がどのくらいの力で打てばどのくらい飛ぶかが分からず、とりあえずフルスウィングするようなものです。最初のワルツで、いつも通り踊ったら、まだルーチンの半分しか踊っていないのに、もう角がすぐそこに来てしまっていました。ワルツを踊り終わって、脇に引っ込むと、リーダーがしきりに襟の辺りをさわっています。襟とシャツをとめている小さなボタンが飛んだ、というのです。「そんなボタンなくても踊れるでしょう」と思いましたが、それがないと、襟が上がってきてダメだというので、次のタンゴまでの間に、「落ち穂拾い」みたいな格好で二人して必死に探しました。足の踏み場もないほどの混雑した会場で、そんな小さなボタンがもし見つかったとしたら、奇跡としか言い様がありません。すっかり心が競技モードから外れてしまった二人は、タンゴも弱点が露呈しました。とっさにルーチンを代えられないのです。私たちの進路に、止まってポーズをいろいろ決めている人がいると、それをよけられないので、待っているしかありません。そういうときに限って、だれかが背番号を呼んでくれたりして、よけい気分は焦ります。「これで終わりだったら、動物公園でも見て帰るか。」踊り終わってトイレによってから、陣地の階段下にもどると、リーダーは早々とシャツを脱いでいました。「やっぱり、もう負け?」「シャツ脱いだら、ボタン出てきた」なーんだ、そういうことか。二次予選のワルツは、相談して、途中で向きを変えてみようということになりました。どうやって小さく踊ったらいいのか分からないので、それしかないと思ったわけです。タンゴも、進路を塞がれたらファイブステッップで逃げようということになりました。当然ぶっつけ本番ですが、ワルツの肝心な所で他の選手と接触し、私は踵を踏まれて靴が半分脱げてしまいました。サンダル状態で二、三歩進み、踵をねじ込んで何とかそのまま踊り続けることが出来ましたが、ステップはグチャグチャです。ワルツの方向を代える作戦はうまくないので、思いきって、ルーチンを半分カットすることにしました。相変わらず本番で試行錯誤している私たちですが、なんとか最終予選まではこぎつけました。ベスト24です。残念ながら今回は、準決勝には進めませんでした。三次予選のあたりで、リーダーが「Y家のお母さんが応援に来てくれてる」のを発見したというので、ご挨拶にうかがおうと思ったところ、もう、姿がありませんでした。忙しい時間の合間をぬって、わざわざ遠いところ応援に来ていただいて、本当にいつもありがとうございます。今月の27日に日本武道館で開催されるウリナリの社会人ダンス選手権大会限定64組に、まだ余裕があるので、ノービス級以下の方でご希望の方はJDC事務局の方にお問い合わせ下さいという放送が、競技の途中にありました。1級以下か、競技会に出たことのないかた、未登録の方、テレビに出るチャンスですよ。今回、ノービス級に、素晴らしく上手な若いカップルが出場していて、最初のナチュラルターンをしただけで、会場からどよめきと拍手が起こりました。ノービス級ですから当然ベーシックルーチンだけなのですが、一つ一つの動きが、お手本を見ているようで、あのままC級戦に出ても優勝しちゃうんじゃないかというほどの美しいダンスでした。きっと、学連で鍛えてしばらくブランクがあり、また競技に復帰したカップルでしょう。あっというまに選手権の常連になるに違いありません。私たちも、早くあんな風に踊れるようになりたいものだと話ながら、すっかり暗くなった動物公園を背に、駅への道を歩いて行きました。 カフスセット(白蝶貝) 社交ダンス用 燕尾服
2005/02/14
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競技会では、体力も精神力も消耗しますので、それが終わった後の、開放感はすばらしいものです。特に、いい成績を取ったときは格別。自分にご褒美をあげたくなるのです。最近では、成績に関係なく、時には試合の前からこのご褒美の方に目がいってしまうこと、しばしば。昨日の競技会も例外ではありません。競技会場のある草加のイトーヨーカドーには、各階にレストランがあり、その一覧が、競技会場のロビーに置いてあるので、どうしても目がいきます。数日前から風邪をこじらせて、ゲホゲホ咳をしながら競技に臨んでいたリーダー。そういえば、昨日の競技会場には咳をしている人がとても多かったです。仕事と練習で医者に行く暇もないので、試合前は卵ばかり食べていました。これは、先日テレビでいっていたのですが、風邪薬は、卵の白身を乾燥させて作っているというのです。成分表に書いてある、塩化リゾチウムは、卵の白身に含まれているとのこと。それなら、風邪薬買うより、卵食べた方がいいだろうと、この短絡的で乗りやすい一家は思ったわけです。あんまり卵ばかり食べると、別の意味で身体に良くないんじゃないかとも思うのですが、試合は目前ですから、とにかく卵を食べ続けました。で、実は、結構よくなったんです。さすがに今日くらいは、もう卵いらない、気分だったので、ロシア料理店に行くことに決めました。日本料理、韓国、中華、イタリアン、フレンチ、タイ、トルコ、ロシア、インド。ぱっと思いつくのはこのくらいですが、皆さんだったらどれを選びますか?どれも好きですが、ロシア料理にはちょっとした思い出があって、どれか一つと言われると、わたしはロシアです。もう、いまは無くなってしまいましたが、お茶の水から神田に向かう途中に、ロシア人老夫婦のやっている、不思議なロシア料理店がありました。誰かに教えてもらわないと分からないような地下で、しかし、店はいつも繁盛していました。この人たちはいったいなぜ、ここにいて、こんな暮らしをしているのか、聞いてみたくてしかたありませんでした。しかし、無口なその二人は、注文を聞いて、奥に引っ込むと、それっきり出てきません。料理を無愛想にテーブルに置くと、また、すぐに奥に引っ込んでしまいます。友達に教えてもらって、その店に初めて行った私は、スパイか何かじゃないかと思ったくらいでした。この店のボルシチは絶品でした。これだけをお替わりして何皿でも食べられるくらい、体中に野菜や肉のエキスが浸透していく気がしました。キエフというカツレツもすばらしい味でした。サクっと揚がった衣に包まれたカツのうまみが、中に入ったバターとチーズと絶妙に絡んで、ナイフを入れると、ジワーっと溶け出してくるのです。私はよく、お客さんや、友達をその店に連れて行きました。数年前に、久しぶりに通りかかると、そのロシア料理店は無くなっていました。ロシアも体制が変わって、もう、スパイも引退かななんて、冗談で言っていましたが、あのおいしいボルシチがもう食べられないのは、残念でなりません。昨日は久しぶりに、おいしいボルシチをいただけて、満足でした。やわらかい黒パンと大きなホタテ貝柱のバター焼き、今思い出しても、またお腹が鳴りそうです。支出以上に収入があると、どんどんお金持ちになっていくように、食べることが大好きで、競技会で消耗した分以上に、栄養補給している私たちは、なかなかダイエットできないのも、当然かもしれません。レシピNo.111 ボルシチスープストックトーキョー 無添加食べるスープ SST-55あの伝説のモンパルナスのピロシキ6個入り
2005/01/31
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「東京のお土産に、草加せんべいはいかがですか?」昔、新幹線の車内販売のアルバイトをしていた時、自分でこのフレーズを口にしながら、「なんで草加は埼玉県なのに、東京土産なんだろう。」と、漠然とした疑問を抱いたことがあります。今回、試合で初めて草加に行って分かったのですが、ここは、埼玉といっても、かなり東京よりのとてもにぎやかなところでした。東武東上線の草加駅前にある、イトーヨーカドーの7階に、競技会場となるアコスホールはありました。第12回ダンスユニオン、DSCJダンススポーツ競技会の埼玉大会、JDC主催の競技会です。この日のメイン競技は、ユニオンカップでしたが、私たちが参加したのは、スタンダードC級戦のみでした。ラテンに比べてスタンダードは、まだ場数それほどを踏んでいないので、なるべくたくさん出ようというのが今年の方針です。参加組数はこの日の競技で一番多い117組でした。種目はワルツ、タンゴ、スローフォックストロットです。先週買ったばかりの新しい靴は、床にピッタリ吸い付くようで、とてもいい感じ。ダンスシューズは靴底がバックスキンのように毛羽立っていて、履き込んでいくうちにつるつるのテカテカになって滑りやすくなるので、いつも金ブラシで毛羽立てたり、滑り止めを塗ったりして、ケアする必要があります。広い練習場がないので、スタンダード種目を通して一周踊ったことがなく、予選が練習のような私たちは、1次予選はガタガタで、1種目終わるごとにあやふやなルーチンのことでもめていましたが、予選通過の72組になんとか潜り込んでいました。2次予選は72組中48組がピックアップされます。1次よりはずっとフロアの広さに慣れて、場所取りもよく、問題なく通過。3次予選、フロアに14組の選手が入り、いきなり混雑した感じになりました。私たちのような試合経験の少ない選手にとって、これが一番の難関です。よけ方が分からないのです。ぶつかった後のフォローもうまくありません。踊り終わって、「今日はここで終わりだろう」と二人とも観念していましたが、なんとギリギリ通過してしまいました。4次予選、C級戦スタンダードの今までの最高は、この最終予選です。ここにきても、まだタンゴのルーチンに関してもめていました。手帳に書いたレッスンでの注意事項をもう一度見直し、問題のタンゴも自己流に解決して、ベスト12に挑みました。予選を踊るたびに、私たちの踊りはますますキレも伸びも良くなっていく気がしました。最初あやふやだった部分も、自信を持って1歩1歩が踏み出せるようになり、競技会で練習させてもらっている感じでした。そして、ついに、準決勝、初のベスト12に入ることが出来ました。5人の審判が3種目に対して点を入れるので、満点が15点。準決勝では、点が割れて、10点と9点が2組ずつ、7点が3組、6点が4組、4点が1組でした。そして、7点までの選手が決勝に進みました。私たちは6点。残念ながら決勝には進めませんでした。競技後の講評で、JDCの先生が、各選手の直すべき点に関してご指摘くださり、例えば、○番の選手は、ホールドに力が入って、女性を腕で引っ張っている、とか、○番の選手は、男性が女性にかぶっているとか、とても参考になりました。私たちも何か言っていただけたら、と思って、じっと聞いていましたが、特にありませんでした。最後に、「C級戦では、予選を勝ち進むにつれて、どんどん踊りがよくなっていく選手がいた。」とおっしゃっていましたので、それが私たちだろうと、勝手に納得して、自己最高をマークした今年最初の試合から、気分よく凱旋したのでした。草加せんべい詰合せ・大ホンマのキモチバレンタイン、チョコが嫌いの彼にはこれ
2005/01/30
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「ひょっとしたら、A級に昇級してないかもしれないよ。」今年のクリスマスイブは、先生のこんな爆弾発言。私たちは今年の前半で、DSCJ (JDSF)のA級昇級を決めていました。B級戦で3位と5位で2回決勝に入賞しているうえに、A級戦でも6位と優勝で、2回決勝に入賞しているので、こちらは、間違いなく来年度A級でした。先生のいわれたのは、もう一つの競技団体、JBDF関東甲信越のほうで、クリスマスイブに渡された、来年度の選手登録用紙を見ると、ラテンB、スタンダードCと書かれていました。B級からA級に昇級するには、2つの条件があり、そのどちらかを満たせばよいと記載されています。1 B級競技会で2回以上、3位以内に入賞すること。2 B級競技会で1回3位以内に入賞し、A級競技会で2回以上準決勝に入賞すること。私たちの成績は、B級戦で群馬大会4位と新潟大会3位、A級戦では、長野大会と埼玉大会で準決勝に入り、昇級規定の2を満たすので、てっきりA級に昇級していると思い、後期のラテンには出場しませんでした。今年から、昇級規定が変わって、ここには、思わぬ落とし穴があったのです。クリスマスの日、大会事務局に問い合わせてみると、事務局の先生は私たちのことをご存知でした。というのは、昇級審査会という会議があって、私たちも昇級審査の対象になったらしいのです。昇級規定の記載をよーく見ると、一番下に、昇級の制限なる項目があります。そこには、「D級以上の競技会で出場組数が50組以下の場合は、上記昇級規定によらずに、出場組数による昇級を準用する。この場合は決勝入賞のみに限定する。」と書かれていました。A級選手は少ないので、A級戦に50組以上が参加することはほとんどなく、たいてい、20~30組です。私たちの出場したA級戦もそのくらいでした。この場合、「準決勝入賞」には意味がなく、たとえば30組出場のA級戦なら、その決勝、しかも4位以内に入らなければ、審査対象にならないということです。今回の昇級規定変更で、私たちのような勘違いの選手が多数いたらしく、事務局には問い合わせの電話がたくさんかかってきているとのことでした。ショックです。知っていたら、後期の試合にも出たのに。年賀状にも「祝!A級昇級」って書いて、もう出しちゃったし。まあ、DSCJの方はA級昇級しているから、間違いではないんですが、また、来年も激戦のB級戦で3位以内をねらわなければなりません。実は去年の12月も、似たようなことがありました。去年最後のDSCJの試合で、優勝ならA級、準優勝ならB級という、極めてまれな同点決勝があり、審判の多数決3対2で私たちは準優勝。今年もB級ということになってしまいました。このことがあって、私たちは正月返上で練習しました。そして、今年の早い次期にA級昇級を決めたのです。今回、B級維持が決まった瞬間、私の心の中には闘志が燃え上がりました。ちょっと落ち込んでいた彼にも、その炎は飛び火したはずです。A級昇級が決まっていたら、しばらく練習しなくなってたかもしれませんから、かえってよかったかもしれません。社交ダンスA級への道はまだまだ続きます。 J.S.バッハ ヨハネ受難曲 BWV245 J.S.バッハ:マタイ受難曲
2004/12/27
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このブログの初日に書いた、ユーリ&ヤグダと同じスロベニアから、グレゴール&リサが、昨日、教室にやって来ました。彼らは、先週は秋田で、今週は東京のパーティでデモを踊るために来日し、途中、私たちの教室でのラテン練習会に立ち寄ってくれたのです。一昨日、パーティが終わったばかりのせいか、練習会参加者も、私たちを含めて2組だけで、きっと後で言ったら、みんな悔しがるに違いありません。グレゴールは長い足に逞しいボディ、甘いマスクの好青年。リサは、まるで上品な砂糖菓子のようにスィートで、小柄な金髪のおかっぱ娘です。しかし、ダンスシューズを履いて、ひとたびフロアに立つと、なんて大きく見えるんでしょう。床から生えた大木のような足から来るトーンの強さ、自由自在な身体の動き、スピードコントロール、コネクション、どれをとっても、私たちとは次元が違いすぎて、比べ物になりません。彼らは世界ランキングでベスト24くらい、と言っていましたから、まだまだ世界は遠いぞ、と肌で感じました。練習の後、ストレッチをしながら、いろいろ話を聞きました。グレゴールは、まだ19歳の大学生です。いつも、どんな練習してるのか、気になって、聞いてみました。「ベーシックも含めて、その時の課題や躍り込み、いろいろやって、一日4~5時間かな。」「4~5時間?!毎日?」「試合のある土日は練習しないよ。」そりゃ、そうでしょ。他にジム行ったりしてトレーニングもするのかと聞いてみると、「大学は体育学部だから、講義もあるけど、ほとんど実技なんだ。サッカーもやるし、バレーもやるし。だから、それ以上にジムに行って鍛えようとは思わないね。」二人がどこで知りあったのかも聞いてみました。「ロンドン。リサはイギリス人なんだよ。競技するのに、どちらかの国の所属にする必要があるから、スロベニアにしてるけどね。」「リサもスロベニアに住んでるの?」「そうよ。私はもう学校卒業したから、今は、ダンスの練習だけ。」ダンスに国境はないのです。特にヨーロッパは地続きですから。どのくらい試合に出てるのかも、気になるところです。「多いときはね、7週間連続ってこともあるんだ。IDSFの試合がヨーロッパのいろんな国であるから、今週はハンガリー、来週はリトアニアっていう感じ。他にブラックプールやロンドンインターみたいな世界大会にも参加するから、シーズン中は休みなしだよ。」「参加費は全部自腹なの?」「IDSFの試合は、ファイナルに残ると賞金がもらえるの。それを次の試合の出場料に充てるのよ。」やっぱり、踊りの次元も違うけど、出てる試合のスケールもかなり違うなあ、と実感しました。世界中の高いレベルの選手が集まる試合に、たくさん参加すると、それだけでいろいろいい影響を受けることができそうです。この短い練習会だけでさえ、こんなに凄いイメージトレーニングをさせてもらえたんですから。今回が、彼らの初来日。スケジュールが過密で、昨日は初めての自由時間。浅草と上野に行ってきたと言ってました。今日は秋葉原に行くそうです。リサが私に、「プロなの?」と、聞きました。なわけないでしょ。踊り見りゃ分かるじゃないの。アマです。もちろん。でも、ちょっと気分いいなあ。頭の周りにお花が飛んでる気持ち。サンキュー、リサ。今後のお二人の活躍を心からお祈りしています。 スロベニア発行民族衣装切手 ベンチ スロベニア
2004/12/22
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思いのほか大変だった今年最後の試合。その後日談を、少々。ボタン穴の開いていなかったシャツは、競技会の帰りにダンスショップに持っていきました。メーカーに送り返して、造り直してもらうことになり、昨日、出来上がったと連絡が入りました。この燕尾服用のシャツ、名前が「イカムネシャツ」といいます。見ると「なるほど」と思うような、イカの形のかざりが、胸の部分についています。イカムネシャツクリーニング屋さんのシャツも取りにいきました。「それは大変だったね。急いでるようなこといってたから、一番上においといたんだけどねえ。うちの姪も社交ダンスやってるのよ。夫婦でやってるなんて、いいわねえ。」日曜日のいきさつをお話しすると、十分すぎるほど同情されてしまいました。部長は、火曜日にわざわざ彼の所にお礼に来られたと言っていました。「ビデオありがとうね。参考になったよ。でも、ぜんぜんダメ。今度、教えてよ。」彼の周りの人たちは、いったいなんの会話なんだろう、と思ったに違いありません。私たちは水曜日に六本木ヒルズで、慰労会をしました。少しブルーがかった白の電飾で光り輝く並木道は、雪をイメージしたもの。エントランスのクモのオブジェの周りは、真っ赤な電飾で彩られ、そこだけ燃えているようでした。私たちがここに来るのは初めてで、せっかくだから、と大展望台に登りました。ペ・ヨンジュンの写真展の最終日とあって、エレベータは圧倒的に女性の比率が高く、私たちは特にファンというわけでもないので、まっすぐ展望台の方に向かいました。地上250mの大パノラマ。東京の夜景は地平線まで続き、まるで銀河の中心に降り立ったようです。「あ、東京タワー、東京タワー!」美しくライトアップされた東京タワー、新宿の高層ビル群、渋滞の首都高に続く赤と黄色のランプの帯、あまりの美しさに、我を忘れてはしゃぎ回ってしまいました。「ねえねえ、おのぼりさん状態になってるよ。」彼に言われて、はっと我に帰りました。夜景が好きじゃない人なんて、この世にいないでしょう、きっと。去年クリスマスに何貰ったか、皆さんは覚えてますか?ひょっとして何も貰ってないかも。自分が何あげたかすら、思い出せません。ただ、一つだけ、私には忘れられないクリスマスプレゼントの思い出があります。それは、私たちが結婚する前の話です。その時つきあっていた彼に、クリスマス間近の晴れた日、ドライブに連れて行ってもらいました。全然知らない道をますます街から遠ざかっていく方向に走り、あたりはもう薄暗くなってきました。着いたのは、なんと、飛行場。セスナに乗って、ナイトクルーズです。「宝石箱のような」という表現では、とても足りません。関東平野全体が、遥か彼方まで光に満たされ、それはまるで、巨大なクリスマスツリーでした。私は窓に張り付いて、瞬きもせずに眺めていました。この一つ一つの明かりが、すべて人の営み。1千万個を越える命の輝きを、このとき私は胸に焼き付けました。もちろん、彼氏のポイントは私の中で大幅アップです。ご想像の通り、その時の彼氏が、いまの旦那さん。今年のクリスマスプレゼントをまだ決めていない方は、このインパクトの強い、夜間飛行はいかがでしょうか。あなたの大切な人のハートをがっちりつかむこと、請け合いです。クリスマス期間特別運航ダイヤ(総合案内)ヘリ・ナイトツアーズ新宿(スターライト) 12月セスナ・ナイトクルージング大阪コース
2004/12/10
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2004年12月5日、東京都豊島区の雑司ヶ谷体育館で開催された、JDC主催、第2回TDAチャリティダンス競技大会、これが今回のお話の舞台です。ラテン、スタンダードともに、ノービス、D級、C級、B級、そして、TDA東京ダンス杯の競技が用意されていました。前夜の暴風で電車が大幅に遅れ、午前中のラテン競技に出場予定だった人の多くは、とても大変な思いをされたようで、それに巻き込まれなかっただけでも、私たちは、まだ、ましだったのかもしれません。私たちの出場するC級スタンダードは、午後からで、全競技の中で一番出場者が多く、113組。何とか競技会場にたどり着くことができて、ほっとしたのもつかの間、またしても次なる問題勃発です。「ねえ、このシャツ、不良品だ。」見ると、袖にカフスボタンを通す穴が、片方だけあいていません。えー!!そんなことあるんだ。新品の、しかも16000円もするシャツなのに!もう今から、取り替えにいくわけにはいかないし、これ、一着しかないんですから、このまま着るしかありません。カフスボタンのところを安全ピンで見えないようにとめて、何とか形になりました。1次予選の第一ヒートから試合は大荒れです。参加人数が多いせいか、フロアがとても滑りやすく、転倒する人がC級戦だけで2組もいました。すごい音がして、頭を打ったり、膝をうったり、幸い、大けがには至りませんでしたが、その度に競技は中断しました。私たちは、靴底を念入りに削り、滑り止めのスプレーを塗って充分注意していましたが、それでもタンゴですべって、なかなかシャープな動きが出来ません。1次予選では同じフロアに15組もいたので、ぶつからずに思いっきり踊るのは不可能でした。2次予選では、ワルツで大失敗をしました。彼曰く、「反対側から出たから、フロアの感覚が狂っちゃったんだよ。」フロアは普通、長方形なので、長い方と、短い方で、ルーチンの組み合わせを変えてあるのですが、最初の長い方を踊り終わったあと、突然真っ白になって、次、何やるか忘れたらしいのです。私たちは、角で行ったり来たりホイスクを繰り返し、とうとう一周することもできませんでした。もう、完全に終わった、と思いましたが、「仲良しの誓い」があるので、文句もいえず、しょんぼりおにぎりを食べていると、「上がってたよ!!」彼がうれしそうにもどってきました。予選が進むにつれて、落ちた人たちがどんどん帰っていくので、体育館が空いてきます。私たちも、もう少し邪魔にならない所に移動しようと、空いたスペースに荷物を移しました。と、何と、隣にシートを広げていたのは、彼と同じ会社の総務系の部長でした。部長達は、ノービス級に出場中。この何百人もいる会場で、隣になるというのは、なにか特別なご縁でもあるのでしょうか。世界は狭すぎる......。部長たちは準決勝まで進みました。私たちも4次予選、ベスト24にコマを進めていました。最終予選でのワルツは、この日、最高の踊りだったと思います。音楽が鳴り始めると、なぜか、今日起こったいろいろな出来事が浮かんできました。それでも、今、ここで踊れている自分たちの幸運は、何かとてつもなく大きな力で守られているからのような気がしました。「ここまで踊らせてもらって、ありがとうございます」その大きな力に対して、それから、「仲良しの誓い」を守って一緒に踊ってくれているリーダーに対して、心から感謝すると、自然と涙があふれてきて、でも、こんな競技中の、しかも予選で泣くのはかっこ悪すぎなので、私は天井を凝視して、瞬きをせず、必死に涙をかわかしました。結局、私たちも、部長たちも、ここで終わってしまいました。部長たちはとてもきれいに踊っていましたので、きっとすぐに、わたしたちのライバルになるでしょう。ビデオを撮って差し上げると、とても喜んで下さいました。体育館を出る頃には、もうすっかり日が落ちていました。駅に向かう道は、学習院大学の壁にそった石畳で、今朝の大風で落ちたイチョウの葉が、厚く降り積もっていました。まだ、ところどころ緑の混じる黄金色の道は、とてもフカフカで、私たちの長かった一日を、優しくねぎらってくれているかのようでした。 M:I-2
2004/12/09
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彼のミッションは、燕尾服用のシャツを店で買って、試合時間に間に合うように競技会場に来る、でした。「シャツ、もう一枚買おうと思って、買ってなかったのがいけないんだなあ。」「でもさ、そういうのって、何かきっかけがないと買わないじゃない。今回のが、いいきっかけになって、よかったよ。」こんなことを言っている私ですが、実は、ミッションをより困難なものにする事柄を隠していました。携帯電話を家に忘れてきたのです。広い試合会場で、私たちはどうやって再会することが出来るんでしょうか。初めての場所ですから、待ち合わせ場所を決めることもできません。電車でわかれる前にそう告白すると、彼はちょっと心の中で「このボケ!」と思ったに違いありません。「こんなときこそ、携帯は役立つんじゃない。」でも「仲良しの誓い」のおかげで、ボコボコにへこまされずにすみました。余談ですが、私の携帯の着メロは、ミッション・インポッシブル(スパイ大作戦)です。彼は、途中下車してダンスショップに直行しました。店は何と、準備中。11時開店と書いてあります。そっとドアを押すと、鍵が開いていました。「すいませーん。急いでるんです!今日、これから競技会なんですけど、シャツがないんです。お願いします!」彼の必死の形相に、店員さんも圧倒されたのか、急いで在庫のシャツをいろいろ見せてくれました。丁度いいサイズがなく、「小さくて入らないより、大きいほうがまし」と思った彼は、その大きめのシャツを買って、駅に走りました。試着もしないで....。目白駅に降りると、彼は迷わずタクシーに乗りました。「すいません。○○体育館、急いで下さい。」「今日は、○○体育館のお客さん多いんですよね。何かあるんですか?」「ダンスの競技会です。」駅からあっという間に着いてしまいました。11時15分。よかった、間に合った。さてさて、うちのかわいい奥さんはどこに場所とったのかな。会場は大変な混雑でした。選手控室からあふれ出た人たちが、トイレ前や階段、競技フロアの周りにまで陣地取りシートを広げていて、探すのは大変です。フロアを一周しても見つからないので、受付に戻ってみると、汗だくで駆け込んできた、見覚えのある人がいます。それ、私です。「あれ?もしもし、今来たの?」11時25分。ギリギリセーフでした。「何で、先に来てるの?一緒に行けば良かったあ。」無事、受付を済ませて、再会も果たし、もう場所がないので、フロアの隅の方の隙間に小さくシートを広げました。やっと、スタートラインに着いた私たちでしたが、もう1日分の集中力とエネルギーを使い切った感じでした。しかし、守護天使のいたずらは、まだまだ続くのです。 ダンス用燕尾服(オーダーメイド)
2004/12/08
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私のミッションは、11時30分までに競技会場に到着して、受付を済ませること、比較的楽勝です。昨夜の暴風で電車が遅れていましたが、もう11時近かったので、かなりダイヤは戻っていました。目白は初めてでしたが、「地図と太陽さえあれば、どこでもいける」と自負していた私は、駅から学習院大学の脇を通って1キロほどのところにある体育館に行くのに何の問題もない、はずでした。駅を降りてみると、掲示板が、日本語と韓国語で書かれています。明治通り沿いに、韓国街があるそうです。前に競技会に行くような風貌の、髪をきちっとセットした男女が歩いていて、学生風の人たちも多かったので、何も考えずにその流れについていきました。「へえ、こんな店があるんだ。」町の様子を眺めながら歩いていくと、商店街の人たちが、今朝の風で散ったイチョウの葉を掃除していました。気が付けば、いつのまにか競技会風のカップルが消えています。「ははあ、さては、荷物が重いからタクシーにのったんだな。私は、歩くのね。たった1キロだもの。」確か地図で見たら、駅のすぐ側に学習院があったのに、商店街の裏なのかな、コンビニでお昼のオニギリを買うついでに聞いてみよう。「○○体育館て、どこですか?」「知りません」「学習院て、このへんですよね?」「知りません」まずい、日本人じゃないのかな、この人。時計を見ると、11時15分。あと、15分しかありません。外に出て、目白通りの看板を見ると、「新宿区」と書いてあります。私たちの試合は、「豊島区」のはず。歩道で、落ち葉を掃除しているおばさんに、聞いてみると、「学習院?ずっとむこうのほうよ。」といって、私の来た道を指さしました。耳がカーッと熱くなるのが分かりました。「私って、ほんと、ばかじゃないの。」大きなかばんをゴロゴロ引きずりながら、小走りで今来た道をもどり、そんな自分に呆れました。「何で、地図見ないで、人の後をついていっちゃったんだろう。カルガモじゃあるまいし。」太陽は確かに、最初からこっちは西、といっていました。私が行くべきなのは、東!「これで間に合わなかったら、絶対しゃれにならないよ。3時までオペラなんか見てたからいけないんだ。」もう絶対間に合わない、と思って、いよいよタクシーに乗りました。最初からタクシーに乗ってればよかった。「すいません。○○体育館、急いで下さい。」「○○体育館?それ、どこですか?」えー!!私に聞かないでよ。地図、地図!「これが目白通りで、これが明治通りだから、ここです!」体育館について、私は受付までダッシュしました。外は気温25度、12月の夏日です。競技の前にもう汗だくです。このあと競技に出られるかどうかは、この最後の走りにかかっています。見上げると、3階の受付まで外階段。私は大きく1度息を吸うと、大きなかばんを担いで一気に駆け上がりました。(つづく)デジタルコンパスGPS 72
2004/12/07
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私たちには、万能の守護天使がついていて、いつも見守ってくれています。ただ、どうやら、ちょっとばかりいたずら好きのようです。私たちが昨日結んだ「仲良しの誓い」、本当に守れるかどうか試すように、次から次へとわなを仕掛けてきます。競技会に持っていく荷物をまとめ、寝る前にストレッチをしとこうかな、と床に座って、テレビをつけると、ハイビジョンでオペラをやっていました。しかも、私の大好きなワーグナーの「マイスタージンガー」です。慌ててテレビ欄を見ると、朝の4時までやることになってます。「あー、だめだ。こんなの見てたら、明日起きられない」ドイツのニュルンベルグという町、教会でお互いに一目惚れした旅の騎士と美しい娘。彼女に結婚を申し込むためには、歌合戦でマイスター(名人)にならなければなりません。ちょうどテレビをつけたとき、その歌合戦の朝、騎士が愛する人を勝ち取るために、作曲している所でした。「詩やうたは、すべて正夢のなぞとき」、これから、いいところなんです。騎士が作った歌を、ライバルが盗みに来ます。私はストレッチにかこつけて、結局3時頃までずるずるオペラを見てしまいました。試合の朝、起きてみると、素晴らしい天気。巨大な低気圧が通りすぎたあとで、まるで初夏のような太陽が窓から差し込んでいました。天気予報を見ると、最高気温25度。夏にもどったの?私は慌てて半袖をさがしました。オペラにひっかかって早起きできなかったので、駅前のクリーニング屋さんには、電車に乗る前に寄っていくことにしました。結局、家を出たのは、「この時間に出ないと間に合わない」ギリギリの10時でした。さすがにこの時間なら、クリーニング屋さんもやってるでしょう、と駅のロータリーに出てみて、私たちは固まりました。クリーニング屋さんが、休みです。年中無休のはずなのに、何で今日だけ休み?それとも開店時間がもっと遅いのかしら(後で聞いたら、休日は12時からとのことでした)。受付時間に間に合わなければ、試合には出られません。燕尾服用のシャツがなくても、試合には出られません。私たちは、クリーニング屋さんの閉じたシャッターの前で、作戦会議をしました。このミッションをやりとげるには、手分けするしかありません。作戦は、こうです。私は、このまま予定通りの電車を乗り継いで会場に行き、申込を済ませて、着替えておく。彼は、一番近いダンスショップで途中下車し、シャツを買って、会場に急行する。もし試合前に私と会えなかったら、プログラムでまず出場時間を確認し、着替えて、競技会場で現地集合。物凄い綱渡りです。競技会出場という、私たちにとってはよくある出来事が、ミッション・インポッシブルに変貌していきます。さて、私たちの計画は成功したのでしょうか。続きはまた明日。ワーグナー:「ニュルンベルグのマイスタージンガー」■■■オペラ大好き! ワーグナー■■■
2004/12/06
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未明まで吹き荒れた暴風が、全ての空気のよごれをぬぐい去ったかのように、東京の空は透き通った快晴でした。目白へ向かう電車の扉にもたれて、ビルに切り取られた真青な空を見上げながら、私は、今日、この事態を招いた原因を一つ一つ思い起こしていました。同じころ、開店前の店の入り口で、大きな荷物を抱えた彼は、ガラス越しに店の中をのぞき込んでいます。ふと見ると、鍵が開いている様子。そっと扉を押し開けて中に押し入り、開店準備中の店員さんを捕まえて、「すみません。急いでるんです。お願いします!!」ことの発端は、昨日の夕方。今年最後の競技会を明日に控え、私たちはダンス練習場でもめていました。タンゴのステップの一つが、どうしても男女でかみ合わないのです。6時20分を過ぎた辺りから、突然、たくさんの人が練習場に入ってきました。まだもめていた私たちも、さすがに「何かあるな」と悟って、聞きに行ってみると、今日は月に1度の特別講習会で、あと10分で貸し切りだというのです。テーマは「スタンダードとラテンにおける、回転運動の原理」。なんだか物理の講義みたいですが、教えて下さるのは、JDCでスタンダードとラテン共にA級で、10(テン)ダンサーとしても活躍されている先生で、私たちも飛び入りで参加させていただくことにしました。参加者は20名ほどで、全員がカップルです。まず、ラテンダンスにおける回転運動の講義。これは、主に、男女各自が個々に行うものですが、スパイラルとスリー・ステップ・ターンという2種類の回転を美しく速く行うための重心の移動、身体のバランス、足の位置を実践を交えて説明して下さいました。続いて、スタンダードの回転運動。こちらは、ラテンとは全く原理が異なります。スタンダードは、男女が組んで踊るので、どうしても男性が女性を回そうとしたり、女性が男性の邪魔をしたり、思うようにいきません。なぜ、ワルツでお互いが回っているように見えるのか、先生は「固定点に対する物体の運動」だとおっしゃいました。私たちは男女手をつないで、真っ直ぐ歩き、男性が好きなときに止まる、という実験をしました。男性が止まると、女性は真っ直ぐ歩きを継続しているのに、つないでいる手に引かれて、男性の周りを回っていきます。ワルツの回転運動は、この男性と女性が交互に固定点になることによって、回転しながら進むという話でした。なるほど、いわれてみると確かに、スピンターンなどで、女性が男性の後ろに回り込もうとしたり、男性が女性を回そうとしても上手くいかないのはこの原理に反しているからなんですね。私たちは、最後に、もめていたタンゴのことについて質問させていただきました。タンゴはこのワルツの原理とは、ちょっと違うのですが、こちらも納得できて、とても有意義な時間を過ごすことができました。あのままもめていたら、きっと、険悪なムードのまま、競技会に臨まなければならなかったでしょうから、そういった意味でも、とてもラッキーだったと思います。講義が7時半過ぎに終わって、私たちはまだしばらく練習を続けていました。種目はワルツ、タンゴ、スローフォックストロットですから、いくらでも練習材料はありました。「あ、しまった!」彼が突然、引きつったような顔で私を見つめました。「クリーニング屋さん、行くの忘れた!」競技会で着る燕尾服の下には、それ専用の特別のシャツを着ます。何かあったとき困るから、もう1枚もってたほうがいいねと言いながら、まだ買っていませんでした。そして、1枚しかないそのシャツはクリーニング屋さん。「普通のYシャツで出ちゃえば?」私は全然、ことの重大さを分かってませんでした。彼は、シャツがなかったら棄権するしかない、と言いだし、練習どころではなくなりました。「朝、一番でクリーニング取りに行けるよ。」幸い午後のスタンダード競技だけしか申し込んでいなかったので、11時30分までに会場に行けばよかったのです。もし、午前中のラテン競技にも申し込んでいたら、アウトでした。練習はそこで切り上げて、近くの美味しいイタリア料理の店に行きました。今日は随分もめたので、明日は絶対お互いの悪口を言わないことにしよう、という「仲良しの誓い」を、ビールで乾杯しながら、結んだのでした。(つづく)ミッション・インポッシブル(期間限定) ◆20%OFF!<DVD> [PDI-62]
2004/12/05
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競技会にかこつけての旅行は楽しいものです。今回は日本一の渓谷美、昇仙峡にやってまいりました。湯村温泉郷からバスで30分ほど登っていくと、ロープウェイの乗り場があります。平日だというのに、46人乗りのロープウェイは満員状態でした。頂上に着くと、今まで見たこともないような幻想的な風景が広がっていました。甲府盆地は霞に沈み、その白く静かな海の上には、さらに真っ白な雪を頂く富士山が光り輝いていました。右の方に目を移すと、南アルプス連峰が軒を連ね、晴れ上がった青空にくっきりと浮かび上がっています。私たちはビデオを持って来なかったことを後悔しました。こんな絶景はもう2度と見られないかもしれない。彼は自慢の新しい携帯で撮ろうとしましたが、こんな肝心なところでボケが入り、なんと電池切れです。仕方なく、私のちょっと古い携帯で写真を撮りましたが、皆さんにこの素晴らしさをお伝えするのは到底無理な代物です。私たちはその眺めにすっかり魅せられて、しばらくそこから動きませんでした。何分くらいそこにいたのでしょう。強烈な紫外線で、肌がチリチリしてきたので、遊歩道を歩いてみることにしました。道は尾根伝いに続き、右も左も崖、という状況がとても新鮮だったので、思わず「ロード・オブ・ザ・リング」のテーマが浮かび、二人で歌いながら歩いていきました。すると、突然、「弥三郎岳登山口」という立て看板が現れます。「これからはいよいよスリルに満ちた登山道です。それだけ、登頂・下山には充分気をつけて下さい」なんだか、肝試しのような看板です。「どうする?」「もどる?」私たちは、まだそれが、どんなにすごい物語の始まりなのかを知りません。全く登山用の格好はしていないし、彼は通勤用の革靴、私もちょっとヒールのついた靴です。しかし、好奇心はそれに勝りました。だんだん登りがきつくなっていき、それでも一応「遊歩道」なのか、梯子がかかっていたり、鎖を伝って登れるようになっているのですが、9割来た所で、私たちは脚を止めました。山頂は目前です。しかしこの山は、もの凄い円錐形でした。頂上に近づくにつれてますます細くなっていき、もうすでに右も左も真っ逆さまに切り立った崖です。彼はそこに残るというので、私は一人で最後の登頂を決めました。頂上には、好奇心旺盛なカップルと、裸足の外人がいました。「立っていられる場所」は、半径2メートルくらい。360度のパノラマです。頂上は平ではなく、土も木もありません。チャーハンみたいなドーム形で、ゴマ塩のかたまりのような花崗岩ですから、ズルッときたら、そのまま真っ逆さまです。富士山は相変わらず白く輝いています。耳を風が吹き抜けていきました。私はめまいがするような感覚を覚えて、そこに座りました。10メートルほど下では、彼が心配そうにこちらを見ています。カップルが降りていくと、入れ替わりに彼が登ってきました。立っていられないで、お尻でずって上がってきて、私の側に座りました。「足がすくんで、立ってられないよね。どうして上がってくることにしたの?革靴だから無理しない方がよかったんじゃない?」「降りてきたカップルの女の人がさ、上に行かないんですか、っていうから、行きます!って、つい、いっちゃったんだよ。」裸足の外人はみかんをむしゃむしゃ食べ始め、そのまま帽子をかぶって寝てしまいました。気がついたら天国とかいうことがないといいんですが。きっと、慣れてるんでしょうね。私たちは、「頂上に立つ」ということがどんなに不安で、そして最高の気分かを初めて噛み締めていました。空にはたった一つ雲が出て、アルファベットのZという文字を描いていました。カラスが悠々と尾根を渡っていき、この時ばかりは憎まれカラスが神々しくさえ感じました。私たちはこのあと、素晴らしい達成感に満たされて、昇仙峡を下ってきました。ロードオブザリング【ロード・オブ・ザ・リング】アルウィンのペンダント
2004/11/25
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競技会場から歩いて15分ほどの所にある、湯村温泉郷で私たちは一泊することにしていました。泊まったのは甲府富士屋ホテルというシティホテルです。窓からは、雪をいただく富士山が、ちょうどいい大きさに見えました。山は、近すぎると圧迫感があるし、遠すぎると存在感がないので、この「ちょうどいい大きさ」というのがとても気に入りました。彼がどこかで調べたらしく、湯村はオールドローズが有名だということなので、注意して見てみると、もう11月も終わりだというのに、温泉街の裏庭には、色とりどりのバラが咲いていて、寒くてヘロヘロのミツバチも最後の力を振り絞って、魅惑の花々を巡っていました。競技は昼過ぎに終わったので、それから湯村を散策。温泉街を抜けていくと、向うからは、しっかり「登山」の格好をした一団が降りてきます。そのとき3時前頃でしたので、山頂までは無理としても、途中の分岐点までとりあえず登ってみようということになりました。地図を見ると、うねうねの道が山頂まで続いています。上り始めてみて、すぐに、「これは無理」というのが分かりました。道はますます狭く、急になって、5分ほど上っただけで、太ももが重たくなってしまいました。あっさり諦めて、弘法大師が808年に開かれたという塩澤寺だけ見て、武田信玄公のまつられている武田神社に行くことにしました。とてもラッキーだったのは、宝物殿で特別公開中の有名なのぼりが見られたこと。紺地に金の文字で、「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」と書かれた、大きな旗です。今は色あせて、ほころびもありますが、戦いで結集した武田の兵士たちは、この旗印の見て、どんなにか士気が上がったことでしょう。文字には孫子の百戦百勝の知恵と、それを実現する武田信玄公の自信が感じられ、幾万の戦国武士たちのどよめきが聞こえてきそうな気がしました。宝物館を出ると、すでに肌寒くなってきていました。武田神社から駅に向かうまっすぐの坂道を、私たちは走って降りました。競技会で3回しか踊らなかったので、エネルギーが余っていたのでしょうか。いえいえ、単に寒かっただけです。途中、山梨大学、放送大学が両側にあり、勤労感謝の日で学校がお休みのせいか、あたりはとても静かでした。湯村までの道のりを歩いているうちに日が暮れてしまい、途中のガソリンスタンドで道を聞くと、「まだまだ、随分あるけど、歩いていくの?」彼はバスに乗りたがっていましたが、私は断然歩くつもりでした。夕食の鉄板焼きを限りなくおいしいものにするために、なんとしても、おなかペコペコにしたかったのです。痛めた股関節の方はどうなのよ。実はまだ痛いです。原因は無理な開脚です。お辞儀も正座も出来るようになりましたが、前屈は無理。もう3回目なんです。いつも完全復活まで1ヶ月かかります。湯村温泉につかって治らないかなー。2回入って、足裏マッサージまでしてもらいましたが、そう甘くはありません。ふと気がつくと、私たちは電気もつけっぱなし、テレビもつけっぱなしのまま、爆睡していました。朝早くから競技会で、そのあと何キロも歩いて疲れがどっと出たようです。なんだか長い一日でした。
2004/11/24
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夜明け前に家を出て、新宿7時発の「スパーあずさ1号」にて、甲府駅へ。車窓に広がる秩父連山は、朝日に輝き、紅葉の真っ盛りです。今日は、今年の関東甲信越大会を締めくくる、全山梨競技ダンス大会です。昨年まで北関東5県、千葉、茨城、埼玉、栃木、群馬で開催されていたJBDF北関東支部の大会に、今年から長野、山梨、新潟の甲信越3県が加わり、関東甲信越大会となりました。春秋2回ずつ行われる県大会の総合成績によって、来年の級が確定するのですが、今回の山梨大会は、今年最後のチャンスに昇降級をかけた選手が集結し、私たちの出場したスタンダードB級戦は、大変な激戦となりました。あわよくばこの試合で決勝6組に勝ち残り、B級昇級を決めようともくろむ実力派C級選手と、3位以内に入賞してA級に昇級しようとするB級選手、また、C級に降格しないために、最終予選までは勝ち残りたいB級選手。この日に行われた、他のどの級より、参加人数が多い、総勢120組。甲府駅からタクシーで5分ほどのところにある、緑が丘スポーツ公園大体育館で競技は行われました。真っ青な空と澄んだ空気、紅葉の山々に囲まれたすばらしいところです。体育館に着いて、いつものように陣地とりシートを広げてビックリ、隣は、茨城の大会事務局でお世話になったご夫婦カップル、同じB級戦に出場です。さらにその隣は、茨城のサークルの時にお世話になったカップル。なんだか遠征している気がしないほど、その他にも知っている方がたくさん回りにいらっしゃいました。いよいよ競技開始。フロアをA, B二つに分けて、私たちはAフロア、ワルツとスローフォックストロットです。試合の順番待ちをしていると、彼が、「ねえねえ。」といって2階観客席を指差しています。そちらを見上げてみると、「あれ!お母さんだ。」いつも応援して下さっているダンス好きの友達のお母さんが、観客席で手を振っています。はるばる東京から、私たちの応援に駆けつけて下さいました。これは何としてでも、いい踊りをして、応援に応えるしかありません。1次予選からエンジン全開で踊りました。私たちは現在C級で、1つ上のランクの試合に出ているわけですから、相当気合いを入れても足りないくらいです。全120組のうち、43組がB級選手、その中で6位以内に食い込むのは並大抵ではありません。踊ってみると、フロアが随分狭く感じ、ラテンに比べてスタンダードはそれほど場数を踏んでいないので、フロア上の人口密度が高い気がしました。必然的によけたり止まったり、つまったりすることが多くなり、やる気は満点なんですが、なんとなく不完全燃焼のまま1次予選は通過しました。120組が70組に減って、2次予選。相変わらず、よけたり踏まれたりしながら、いま一つパワーを出し切れずにチマチマ踊ってしまいましたが、それでも、いいところもあったのか、3次予選にコマを進めました。折角だから持ってきたビデオをとらねば、と思い、2階席にセットしにいって、応援に来て下さったお母さんのお席にご挨拶に伺いました。いつもながら、ビシっと背筋を伸ばして、審判のような目で試合をご覧になられていて、遠くから見ても「気が出ている」のが感じられます。しかし残念ながら、私たちは3次予選で敗退し、120組中33位という成績に終わりました。着替えている所にお母さんは来て下さり、彼の大好物のバームクーヘンを下さいました。「何がいけなかったんでしょうねえ。とっても上手でしたよ。」と励ましても下さり、本当にありがたく、申し訳ない気持ちでした。実は誰にも言ってませんでしたが、1週間前のラテンの練習で股関節を痛めてしまい、数日間は、お辞儀も出来ない状態でした。そのストレスから免疫力が落ちたのか、前日には熱を出し、今朝になるまで試合に来れるかどうか危ぶまれる状態でした。しかし、歩けないほどではないし、歩けるということは踊れるということなので、それは全然理由になりません。熱も、もうすっかり下がっていましたから、問題は体調ではなく、実力です。「練習不足のせいだと思います。」私がそう答えると、お母さんは、納得されたようで、そのままお帰りになられました。本当にありがとうございました。お母さんの応援がなかったら、私は弱音を吐いて、3次予選よりもっと早い時期に敗退していた気がします。どうぞ、次にご期待ください。次の試合まで、気合い入れて練習します!!
2004/11/23
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今日は、北関東全千葉ダンススポーツ大会のスタンダードC級戦に参加しました。今年の春からスタンダードを再開して、春の大会でC級に昇級し、昇級してすぐに参加したスタンダードC級戦では最終予選までだったので、今回の再挑戦でどこまでいけるか、ちょっと楽しみではありました。ただ、この試合に向けての練習を開始したのが1カ月前だったので、先生も「もう少し前から始めてればなあ」とおっしゃって、それでも詰め込み即席は毎度のことなので、何とかなるかもしれないと一生懸命教えて下さいました。参加組数は220組。千葉県ポートアリーナの大きな体育館を二つのフロアに分け、やはり200組を超える参加者のD級戦と交互に予選が行われました。種目はワルツとスローフォックストロット。スタンダードに関しては、まだ見る目が養われていないので、すごく上手い人とかすごく下手な人の違いは分かりますが、一緒に踊っているC級レベルの中で、自分たちがどのくらいの実力なのかさっぱり分からないのです。一次予選が終わって、半分の選手が勝ち残りましたが、なぜ自分たちが勝ち残れたのか、どこがよかったのか分からないまま。私たちは十分な練習時間がとれなかったので、とにかく出だしの一面だけ何度も練習しました。そして一番練習したところを審判の立っているラインに合わせ、二次予選もそこからスタートしました。愛すべき私のリーダーは、時々、予想だにしない面白いことをしてくれます。さんざん練習したワルツのスタートの見せ場、ランニングウィーブを勝手に全部カットし、私の頭の中には「?」が一杯になってしまいました。ワルツが終わって、どうしてカットしたのか聞いてみると、照れ笑いをしながら、「何考えてたんだろう?なんであんなことしちゃったかな?今度は絶対ちゃんとやるから。」二次予選が終わったころ、先生が応援に駆け付けて下さいました。「もっと、up & downね。いいよ、昨日の練習の成果出てるよ」三次予選、今度は絶対間違えずにランニングウイーブに入るだろうと、勝手に決め込んでいた私は見事に裏切られました。実は、この見せ場のランニングウイーブは、春の大会が終わった後にくっつけたもので、まだ潜在意識に染み込んでいなかったので、頭が真っ白になると、たぶん昔のベーシックルーチンに戻ってしまうのでしょうね。今回はうまくフォロー出来ずに、審判の並んでいるラインで、彼はシャッセ、私はランニングウイーブ、一瞬でしたが、ワラワラ状態になってしまいました。もう絶対に終わった、と思っていると、なんと勝ち残ってしまいました。四次予選まで少し時間があったので、彼はその部分のシャドーをひたすら繰り返し練習していました。四次予選、五次予選、まで勝ち残り、ついに準決勝。いままで二つに分けていたコートが全面になり、果てしなく広いフロアになりました。私たちはまだスタンダードは経験不足なので、もし他の選手よりいい点があるとすれば、ラテンで鍛えたパワーだけです。今まで広いフロアで練習したことがなかったので、フルパワーで踊るとどのくらい距離が出るのか想像できませんでした。ワルツの最初の一面、自分たちもびっくりするほど距離が出ました。でも、それだけです。コネクションもバランスもまだまだで、試合結果は220組中ベスト12。それでもうそみたいにいい結果です。
2004/10/31
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今日はアジア選手権の本戦です。アマチュアもプロもトップの中のトップを競う戦いで、東京体育館はたいへんな賑わいでした。昨日出場した選手は特典として今日の本戦の無料チケットがもらえました。私は6時まで別の用事があったので、主人に先に行ってもらい、なんとか7時前くらいに到着することができました。ものすごくラッキーなのは、もうこの時間から来る人は多分いないせいか、SS席を割り当ててもらいました。正面最前列の中央の席です(通常なら26000円)。私が入ったとき、丁度、アマチュアラテン決勝が行われていました。テレビでしか見たことのなかったデフィリッポ兄弟が目の前でチャチャチャを踊ってくれて、細い、早い、すごい、もうスピンなんて、半径0mなんじゃないかという速さでした。日本のアマチュア勢もいつものメンバーが健闘しています。競技は、アマチュアがアジアオープン、プロがアジアクローズド(アジアの選手だけ)とアジアオープン(全世界のトッププロ参加)のそれぞれラテン、スタンダードがあり、やはりいちばんすごいのはアジアオープンです。ラテンのオープン戦は、きのうレクチャーをしてくれたブライアン組を始め、ロシアのティモキン組、リュピン組、スロベニアのスクフカ組、イギリスのカトラー組そして日本からはたった一組山本組が決勝に残りました。どの組もすばらしいので、いったいどこをみたらいいのか悩んでしまいました。女性はみんなスーパーモデルみたいにスタイル、ルックス抜群で、しかもすごく踊りも上手なんですからもう私なんか「踊っててごめんなさい」という感じです。私の席の目の前に往年のチャンピオンだったドニー・バーンズが審判をしていました。このアジア選手権は昨日も含め、すべて外人審判でした。スタンダードの方は、イギリスからホーソン組、クロスリー組、イタリアからピノ組、ゴッゾーリ組、ボンシニョール組、アメリカからウィルキンス組が決勝に残りました。個人的にはイタリア系ダンスがすごく好きで、特に音楽にあって美しかったのはゴッゾーリのヴェニーズワルツでした。スローはやはりイギリス系の選手の方が波のような美しく滑らかで上品な踊りをしていた気がします。東京体育館はとても広くて、通常私たちが競技会を行う会場の4倍くらいあって、昨日競技で踊った時、半分くらいしか使えなかったのですが、さすがこの決勝に残っている選手は、オリンピックの体操の床の演技のようにぎりぎりはじまで踊るのです。特にクイックステップは、全力疾走のようなスピードであっという間に反対側まで駆け抜けてそれを2分も、5種目合わせると10分も走り続けるのですからただ事ではありません。結果は、昨日レクチャーをしてくれた二組が優勝し、それぞれオナーダンスでルンバとスローを踊ってくれました。ホーソンはオナーダンスで、出しっぱなしだった表彰台につまづき転んでしまいましたが、それも演出か?と思えるほど、すてきなスローを無事踊り終えました。すべての競技が終了して主人との待ち合わせ場所にいくと、彼は2階席だったらしく、「それならもっと遅くいけば良かった」といっていました。でも、今日もオナーダンスを踊り終えたブライアンと言葉を交わせたといってよろこんでいたので、お互いすばらしい一日だったと言えると思います。
2004/09/26
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私たちが昨日出場したのは年齢別の日本代表選考会でしたが、年齢制限なしの文字通り日本一を決める大会もあります。各ブロックが毎年持ち回りで年2回開催するグランプリと秋に東京で行われる三笠宮杯での成績を総合してランキングが決まり、上位2組が日本代表として来年開催される世界選手権に派遣されます。来年の世界選手権は11月にドイツのクレフェルドで行われるそうです。今年度のグランプリは、ラテンが大阪と沖縄で、スタンダードが静岡と宮城で開催されることになっており、その宮城の試合というのが昨日のダンスグランプリin仙台だったのです。スタンダードの方は私たちはまだまだで、今年1級戦から再開し現在C級ですからグランプリに出るほどの実力はありません。同時開催なので、中にはラテンのシニア日本代表選考戦とスタンダードのグランプリと両方出られているカップルもいます。私たちも早く実力を付けて両方出られるように頑張りたいと思います。今日NHKの「地球・ふしぎ大自然」という番組でニューギニアの極楽鳥の特集をやっていました。ニューギニアには、きつねや猫のような天敵もなく、木の実を奪い合うリスなどの小動物もいないため、オスは美しく身体を飾り求愛のダンスを踊るためだけに進化を重ねて現在のような美しい羽を持つ鳥になったのだと言われています。私たちがダンスに情熱を傾けることができるのも、社会が平和で食べ物に困っていないからなんだとこの番組を見て別な意味で感じるものがありました。
2004/09/13
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本日は日帰りで仙台に行ってきました。仙台市青葉体育館で開催された2004ダンススポーツグランプリin仙台に参加するためです。私たちがエントリーしたのは、世界シニアラテン選手権派遣選手選考競技会という試合で、来年12月にスペインのサルーで開催される世界選手権の日本代表を決める試合です。ダンスの世界でシニアとは今年度末の時点で男女共に34才以上のカップルで、毎年選考会は2回行われ、これらの試合で優勝したカップルが日本代表になれるのです。日本のダンス人口はいったい何万人なのか想像もつきませんが、その中で34歳以上というとかなりの割合を占めると思われます。さらにその中で日本一になるのは並大抵のことではありません。今年7月18日に第一回目の選考会が静岡で開催され、その時は7位だった私たちは、今度こそ優勝という意気込みで仙台に乗り込みました。これは初めてのことなのですが、どうしてもどの衣装にするか決められず、昨日ネットの占いでラッキーカラーを探していたところ、すごい占い結果が出てしまいました。「今日の運勢エネルギーを表す星は、「帝旺」という強気・頂上を意味する星です。人間の一生に例えると、<高 い地位と安定した生活を手に入れて、人生の頂点を極めたイメージ>になります。今日は、強力な運勢があなたに微笑み掛けている一日。普段なら到底無理なチャレンジでも、挑戦してみることで好結果が得られるはずで す。頭ごなしに駄目だと決めつけず、捨て身の覚悟でトライしてみては。運は、決してあなたを見放しません。」やっぱり優勝するんだ!!!もうすっかりその気になって「ヤルゼ、ヤルゼ」モードで鼻息も荒く仙台に出陣。そして結果は、何と準決勝敗退。うっそーーー。スペインが待ってるのはわたしたちのはずなのに...。そんなわけで、早々に日帰りしてきてしまいました。折角仙台まで行ったのに美味しいものも食べず、仙台のセブンイレブンのおにぎり。でも、さすが米所、オニギリ美味しかった気がしました。
2004/09/12
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第25回日本インターナショナルダンス選手権大会の模様がNHK教育テレビで本日放映されました。プロフェッショナル決勝で、ラテンは世界チャンピオンであるドイツのブライアン組、スタンダードは今年アマチュアからプロに転向していきなり全英選手権で4位に入ったイタリアのゴッゾーリ組でした。この試合は今年の春、日本武道館でおこなわれたもので、優勝した両カップルにはNHK杯も授与されました。種目は昨日の日記に書いた5種目ずつですが、この大会ではラテンではパソドブレが、スタンダードではクイックステップがそれぞれソロ競技となり、最初の16小節は全選手が同じベーシックステップを踊るという規定がありました。ダンスの競技会は、通常ソロ競技はなく、全員がフロアーで同時に踊ってそれに審判が順位を付けていきます。ステップには基本ステップであるベーシックと自由に変形を加えたバリエーションがあり、3級までとノービスではベーシックステップのみで踊らなくてはなりません。但し、同じベーシックでもトッププロが踊るとまるで違う踊りに見えます。それは、ボディコントロールが完璧なうえに音楽を自分たちの身体で表現するリード&フォローができるからです。何でもそうかもしれませんが、上になればなるほど、他の人と同じことをしていてはダメで、一つ上を行くための工夫が必要になってきます。今回、同じ音楽で同じ振り付けで踊ったトッププロ達は、タイミングの微妙な取り方、手やボディの表現、フットワークの力強さやスピードの変化でそれぞれの特徴を出していて、大変勉強になりました。
2004/08/15
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アテネオリンピックが開幕しました。開会式の美しい演出に感動された方も多いと思います。社交ダンスもオリンピック種目に加えようという取組は続いています。ダンスのさかんなオーストラリアで行われた前回のシドニーオリンピックの際に、公式種目となるのではないかという予想がありましたが、現段階においてはまだ検討中とのことです。現在アマチョア世界戦のチャンピオンはラテンがドイツ、スタンダードはイタリアの選手です。ヨーロッパでは選手層が厚く、アマチュアとプロの実力差がそれほど離れていないので、アマチュアチャンピオンがプロに転向していきなりファイナリストになることはめずらしくありません。また、パートナーが別に国の人というケースも多く、ラテンアマチャンピオンのフォルミカはドイツ人、パートナーのニキフォローバはロシア人です。世界戦を制するために国境や言葉の壁を越えてより強力なパートナーを求めるのです。ダンスパートナー同士が恋に落ちて結婚というパターンもよくありますが、夫婦生活がうまくいかなくなるとダンスパートナーも解消、ということになります。日本でも有望な選手は県を越えてカップルを組んだりしますが、練習時間を作るのが大変だろうと思います。私たちは夫婦ではありますが、職場が男性は東京、女性は茨城で住んでいるところは千葉県と三県にまたがって活動していますので、平日練習時間を作り出すのは結構大変だったりします。皆さんはいかがですか。
2004/08/14
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