August 22, 2007
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カテゴリ: 現代社会の問題
●通りがけにあった区役所の図書館を覘いて、小松左京の『ユートピアの終焉:イメージは科学を超えられるか』という本を借りてきた。正直言って、この本はお勧めできるようなものではない。ユートピア論についてのエッセーから未来のことに関するゴッタ煮のエッセーを束ねた代物である。
●但し、ユートピアは幻想であり、デストピア(反ユートピア)になるという解説には同意できるところがあったので、以前「ユートピアはフレームでなければならない」といった趣旨の記事を書いたが、この補足の意味で、ユートピアのデストピア性についてコメントすることにした。

◆参考記事
未来社会とユートピアの関係

ユートピア

●トーマス・モアの『ユートピア』は、次のようなとんでもない代物である。
・市会または一般選挙場以外の場で一般の政治について多少でも協議することは、死刑をもって禁じている。
・奴隷制がある。姦通や無許可州外旅行の重犯者は奴隷刑に処せられる。
・傭兵による戦争が奨励されている。必要とあれば巨額の報酬の約束の下に、どんな危険な所だろうがお構いなしにどしどしこの傭兵を送るが、殆どその大部分が生還しないので、結局その報酬もそれだけ浮くというわけである。
・賭博、居酒屋、酒屋は無い。全国民が同じ型の服を着ている。
・人口が増えて新たな土地が必要になった場合には、島を出て内陸の荒地を開墾するが、そこに原住民がいる場合、かれらが一緒に生活せず、入植を拒むのであれば、彼らを追い払う。
・食事サービスや雑役を行うのは奴隷である。
・婚前性向は厳禁であり、もしそんなことがばれたら、一家が教会から指弾、排斥される。
・厳重な一夫一婦制で、一度結婚したら、原則として離婚できない。そのかわり、結婚前、花嫁、花婿候補はそれぞれ付き添い立会いで、双方素っ裸になって、それぞれの肉体上の欠陥がないか、丹念に調べあう。


●カンパネッラの『太陽の都』にはおよそ自由などというものがなさそうである。
・婦人共有制になっている。所有権というものは、自分だけの家をつくり、自分の妻や子どもをもつことから生じ、そこから利己心が生まれる。利己心がなくなれば公共への愛だけが残る。
・役人の選任は4人の統治者「太陽」「力」「知恵」「愛」と学芸の教師達であるということになっているが統治者に関しては統治者としての要件について書かれているだけであり、選挙はないようである。
・自由恋愛もなければ結婚生活もない。子づくりとしての性交と、性欲を満足させるための不妊女性との性交がある。いずれも管理されたものである。


●『ユートピア』や『太陽の都』はこういった具合で、このほかにも首を捻りたくなるような記述が多数ある。

反ユートピア

●ハックスリィの『素晴らしい世界』やジョージ・オーウェルの『1984年』は社会主義をもじったような理想的社会だと思うが、いずれも完全に統制された社会である。
●前者は生物学的培養によって人間を規格に応じて型通りに作り出す社会である。後者は北朝鮮のような社会を思い起こせばよいかもしれない。自発的に党の言うことが絶対の真理であると思うようにならされた社会である。

中世キリスト教世界

●異端審問や魔女狩りによる処刑などが行われた中世キリスト教の世界は、教皇とか法王庁の人達にとってはキリスト教絶対のユートピアであったに相違ない。

社会主義



資本主義的自由主義

●ところが、資本主義は相続制度という差別システムを前提としたものである。これは、富や権力の所有者達にとっての自由主義であって、多くの持たざる者や競争の敗者にとってはデストピアでしかない。
●幾多の希少生物種(の抹殺を含む生態系の破壊)、水と大気と土壌(の汚染)、資源(の乱獲・破壊)など地球環境にとっては、汚染人類史上の最悪のデストピア社会である。

イスラム教に基づく政治

●アフガニスタンのタリバンはスラム原理主義に基づくユートピアを建設しようとした。これは、排他的一神教による支配であり、他宗派にとってはデストピア以外の何物でもない。

デストピアにならないユートピアの条件

●思想や宗教と名のつくものによる支配は多くの場合デストピアになる。提案者や賛同者にとってはユートピアでも、非賛同者にとってはデストピアである。ユートピアとデストピアはしばしば表裏一体の関係にある。

●イスラム原理主義者の支配する世界が資本主義的自由主義者にとってデストピアであるように、資本主義的自由主義者のユートピアはイスラム原理主義者にとってはデストピアである。価値感は主観的なものであり、客観的な正しい価値観などというものは無いものと観念すべきである。

●国、企業、宗教、教育機関、NPOやNGO…はすべて組織である。国を股にかけた組織もある。組織には当然ルールがある。
●現代世界で、国は突出してはいるが組織のひとつである。未来社会では、国は行政区域のひとつに過ぎなくなるとともに、他の組織と比較して特別な組織ではなくなる。国法は居住地に適用されるひとつのルールに過ぎなくなる。
●ユートピアが主観的なものである以上、様々なユートピア(組織)がありえる。ユートピアが国である必要は無い。
●自身の所属する組織が、デストピアに感じられるようであれば、直ちに離脱可能でなければならない。
●人は、本人の意志のみによって、あらゆる組織に入ること及び離脱することができなければならず、何人もこれを妨げてはならない。選択の自由を容認しないユートピアはデストピアになる。

●このような各種の自称ユートピアが他者にとってデストピアにならないためには、

・ユートピア(組織)からの離脱希望者の無条件での離脱の自由
●この2つが守られなければ、自分達のユートピアは、他人達にとってデストピアになるものと考えなければならない。

●しかし、本人はユートピアから離脱したくても、経済的制約(土地やお金が無い)故に、離脱できない場合がある。組織の側も離脱希望者が経済的理由から離脱できないことを十分に承知していて、このことを利用して、名目上の離脱自由、実質的な拘束が行われているのが普遍的といえる。
●このように考えると、ユートピアの多くはデストピア的性格をもっているといえる。

●従って、離脱するための不可欠な条件として経済的制約の除去が追加されねばならない。例えば、私の考える未来社会では配当システムのようなものである。


未来社会の仕組みを考える(2)
未来社会の仕組みを考える(3)

フレームとしてのユートピア

●個別のユートピアは、他者にとってはしばしばデストピアにすぎない。従って万人にとっての普遍的なユートピアなるものは存在しない。万人にとってユートピアがありうるとすれば、様々なユートピアを許容し、これらユートピア間の移動・離脱が自由であるような、世界的フレームワークにならざるをえない。

●未来社会では、様々な組織のうち、住み易さや大きな生き甲斐を実感できるなどの理由によって人気がでてくれば、その組織の賛同者は増え、組織は大きくなるであろうし、人気がなくなれば衰退するであろう。
●一般には偏屈と思えるような集団、特定の主義主張や宗教で凝り固まったような組織も、小集団に留まるかもしれないが、ユートピアとして選択の自由によって並存するであろう。





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最終更新日  August 22, 2007 06:43:11 PM
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