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週末、息子をはじめての登山に連れていきました。天気予報では雨だったので、半ばあきらめていましたが早朝息子に「晴れてる!」と起こされました。彼は初めてなので、ずっと楽しみにしていたらしく昨日から、なんとか行きたいと言っていたのです。私としては昨日までの雨もあるし、登山道も滑りやすいので初めての経験としてはどうかな?と思っていたのであまり気がすすまなかったのですが、朝の彼の顔を見て、行くことに決めました。急いで支度をして、家を飛び出し、車を三頭山の登山口まで走らせました。なんと登山口に着くころには、青空が顔をのぞかせ気持の良い風が吹いていました。息子の思いが通じたのでしょうか。準備体操をして、いよいよ出発です。今回は、とにかく初めてなので、とにかく楽しく登れればいいなぁ、と思っていたので、極力こちらからは細かいことは言わず、最低限の注意事項だけ伝えておきました。息子は意気揚々と歩き始めました。私は何も言わず、その後を着いていきました。まもなくすると、早くも苦しそうになってきて、「もう休もう」とか「うー、苦しい」とか言い始めました。まだ20分も歩いていません。私は心の中で「なんだ、まだそんなに歩いてないじゃないか。しっかりしろよ」と言う声が聞こえてきましたが、一方で、息子に従ってみるのも面白いかなというのもあって、休憩することにしました。さらに何度も途中で、「休みたい」と言う声が出たり、沢の水遊びをしたりで、普通なら1時間半ぐらいで登るところを、2時間半以上かけて、ゆっくりと登っていきました。おかげで私も鳥を観察したり、動物の足跡を探したりとけっこう楽しい時間になったのです。特に、頂上付近の最後の登りでは、本当にきつかったらしく、先に歩いていた私が振り返ると、息子はヨロヨロしています。そして、とうとう座りこんでしまいました。歩みよってみると、うっすらと目に涙を浮かべています。きっと、スイスイと登れないことがよほど悔しかったのでしょう。何も聞かずに、道の脇に二人で並んで座って、風に吹かれていました。かなり長い時間に感じられましたが、それが彼には必要な気がしました。しばらくすると、少し元気になったのを感じたので、「どうする?」と聞くと「登る」と応えて立ち上がりました。そして、とうとう頂上到着。そこにはなんと富士山がくっきりと姿を現していました。朝までの雨がウソのようです。息子も、嬉しかったらしく興奮して騒いでいます。二人で、おにぎりを食べてゆっくり休んだあとは一気に下りました。なんと帰り道は、彼はいっさい泣き言を言わず、一度も休まずに下山してしまいました。私のほうが、ちょっときつかったほどでした。下りてから、聞いてみました「登山、どうだった?」「うーん、最初と頂上の最後がきつかった。 でも楽しかった。また来たい。今度は逆から登りたい。」それだけ聞ければ十分でした。初めての経験は一生に一度。今はすぐには言葉にならないかもしれないけれどそこで得たものはきっと心と体の底のほうに残っていくことでしょう。素晴らしい一日をもたらしてくれた天気と山に感謝です。
2006年05月22日
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火曜から今日まで3泊4日で、両親と旅をしてきました。熊野三山の神社と伊勢神宮をめぐる旅行でした。あいにくの雨続きでしたが、老齢の両親とゆっくりとめぐるには、かえってやさしいリズムを作ってくれる恵みの雨だったように思います。私の父は若いときから祖父が興した小さな街工場を手伝っており、毎日とても忙しく働いていたのを覚えています。得意先を車で回るときに、幼い私と弟をよく連れていってくれたので、子ども心に父の働く姿は印象に残っています。母も父を手伝って、工場(こうば)で作業をしていることが多く、我が家にはいつもミシンの音が響いていました。そんな両親でしたが、私たち兄弟をよく旅行に連れていってくれました。あとで聞くと、それは仕事のついでに1泊でどこかにみんなで泊まるような、旅行とはいえないものもあったようですが、子どものころの私にはそれがとても楽しみでした。家族いっしょにで車に乗り、どこの席に座るのかでケンカになったり、宿泊先でトランプをしたり、大雨に降られたりして大騒ぎした記憶は体の中に今もしっかりと残っています。それは、言葉にはならないつながりのようなものであり、いつまでも消えない懐かしい思い出なのです。父が病気を患い、母も古希を迎え、昨年ごろから今度は自分が両親を好きなところに連れていってあげたいと思っていました。そしてそれが実現しました。行く先は父が決めました。歴史好きの父にとっては、日本の神々の地である熊野、伊勢は、一度めぐってみたいところだったのです。運転好きの父はいつもきまって旅行は車です。今回も栃木の実家からすべて車での旅です。今回は、なんだか恩返しのような気持で、できるだけ私が運転しました。助手席に座っている父を見ると、なんだか子どものころの自分を見ていた父の気持がわかるような気がして不思議な感じでした。旅先の宿で、孫たちの成長の話、私の子どものころの思い出、父や母の子どものころの思い出話が続き、その中には父のひいおじいちゃんに当たる人の話もでてきました。そんは話を夜遅くまでしていると、世代を超えて続いていくたしかなつながりとともに、人の命は消えても、人は物語の中にいつまでも生き続けるのだということもあらためて感じることができました。いつかそんな物語を自分の子どもたちに話して聞かせるときが来たらいいなと思っています。
2006年05月19日
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今日、娘と近くの森に散策に出かける途中のことでした。道端の何気ない木の下できれいな花を二人で見ているとき、突然、けたたましい鳥の鳴き声がしたのです。なにかと思って見上げたのですが、葉っぱが折り重なって何がいるのかよく見えません。とにかくその鳥は尋常でない啼き方をしているのできっと何か危険が迫っているのだろう、ということはなんとなく感じられました。目をこらして見ていると啼いているのは、メジロだとわかりました。姿もはっきり見えて、せわしく羽ばたきながら啼いています。その時娘が「あ、あそこに鳥の巣がある」と言ったのです。私は気がづかなかったので、よーく見てみるとたしかにそのようなものが見えます。そして、そのあたりから目を離そうとした瞬間私の目に、何かホースのようなものが横切ったのです。「ありぁ、何だ?」と思わず声をあげて、よくよく見ると、それは間違いなくヘビの腹です。大きさからすると、アオダイショウではないかと思いましたが木の枝に器用に体を巻きつけています。そしてその頭の先に、さっきの鳥の巣らしきものがあるのです。「そうか、ヒナを狙っているんだ!」と娘と顔を見合わせました。そうすると、あの啼きわめいえているメジロは親鳥に違いありません。そうして聞いてみると、その声はどこか威嚇しているようにも聞こえます。ヘビはゆっくりと巣に近づいているようです。私はきっと親鳥が何か行動に出るだろう、と心の中で思いながら息を殺してみていましたが、そのメジロはふと飛んでいってしまいました。きっと帰ってくるにちがいないと思い、そのまま見ていたかったのですが、娘が走っていってしまったので、仕方なくその場を去りました。森から帰る道で、やはり気になって、その木の下から覗いてみました。ヘビの姿はすでになく、あのあと起きた出来事は知る由もありません。家に帰ってからも、そのことが頭を離れませんでした。そこに、命というものをリアルに生きる姿を感じたからなのかもしれません。ほんの身近なところで、それこそ毎朝毎晩、虫や鳥や動物たちの生と死が交換されているということ、そんな当たり前のことが目の前にドーンと現れたような気がします。夜寝る前にいつもの昔話をして聞かせる時間に、娘と息子とそのことについて話しました。彼らがそのことをどう感じるか聞いてみたかったのです。いろいろ話してみましたが、うまく伝えることはできませんでした。きっと退屈な話に聞こえたのでしょう。途中でスヤスヤと寝入ってしまいました。でも、いつの日かこのことをしっかり伝えていかなければならないと思うのでした。
2006年05月10日
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週末に富士山の樹海でキャンプをしました。以前から、特別に何をするでもなく、ただただ焚き火を囲んで過ごすキャンプをしてみたいと思っていました。そこは、樹海のイメージとは違って、ちょっと開けた明るい森でした。一年中、薪に困らないほどの豊かな森で、鹿や他の動物たちの気配もします。そしてその森の下には富士山からの溶岩が横たわっていて私たちは、まさに富士山の体の上に寝ているような感じなのです。キャンプサイトに着いて、荷物を降ろし、近くの樹海を散策したあと、ゆっくりと火を興しました。数人で周辺から薪を拾っただけで、たっぷり一夜分あるかと思えるほどの薪が集まりました。そこで夕食を作り、お腹を満たしたあとは、ただただ、焚き火の周りで過ごしました。そうやって火を囲んでいるだけで、不思議と安らぎを感じ、遠い記憶が甦るような感じがします。きっと遠い遠い昔の人々もこうやって焚き火を囲んで夜を過ごしていたことでしょう。私たち日本人の生活の中には、囲炉裏という、まさに毎日家族で火を囲む習慣が、ついこの間まであって、私たちの体に中にも記憶として、しっかり残っているのだと思います。暗い夜に、火のありがたさを感じ、仲間や家族のつながりを確かめ、大いなる自然の中に生きていることを思い出すような、そんな時間を失ってはいけないと思います。大切な記憶を次の世代に受け継いでいきたいと強く感じた樹海の夜でした。
2006年04月25日
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今日は、小石川植物園で親子の自然体験ということで、ネイチャーゲームをしました。風が少し肌寒い日でしたが、子どもたちの元気は全開でとても楽しい1日を過ごせました。中でもみんなで裸足になって、足音を立てずに歩くゲームは久しぶりの裸足の感触がなんともいえず気持ちよい体験でした。足の裏に感じる土の暖かさや、草の冷たさ、同じ土でも太陽のエネルギーをたっぷり貯めている場所はさらに暖かく感じられます。枯葉を踏まないように、一歩一歩と全神経を足の裏に集中して歩くことなど日頃の生活では、まず経験しないことかもしれません。そうやって歩くうちに大人も子どももだんだんと感覚が開いていきます。感覚が開いてくると、音もよく聞こえます。風の感触も鮮やかになります。お腹も急にすいてきます。午後になって体験が終わるころには、みんなの顔がすっかり自然のままに戻っていました。
2006年04月15日
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今日、久しぶりにお墓参りに行ってきました。ご先祖様に会いにいくというのは、やはりたたずまいをただすというか、いつもどこかわが身を振り返るいい機会になります。子どもたちも成長してきて、お墓というのが何なのかとか、ここに眠っている私の祖父、つまり彼らの曾おじいちゃんがどんな人だったのかとか、そういうことにも興味を持てるようになってきていたので、今回のお墓参りはこれまでとはちょっと違う感じがしました。息子も娘はお墓をきれいに掃除したり、お墓の前で手を合わせてなにやらつぶやいています。ふと、おじいちゃんの顔が浮かんできました。明治生まれのとても厳しい人で、よく弟と二人で雷を落とされていました。とても恐ろしかった反面、やさしいところもあって、よく近くの土手を手をひかれていっしょに散歩したのを思いだしました。帰り道に、子どもたちに「曾おじいちゃんや、そのまたおじいちゃん、おばあちゃんたちは この世界にはもういないけれど、いつもおまえたちを見守って いるんだよ。お父さんももし死んだら、そうなるんだよ」と話しました。一瞬、彼らの顔が真剣な表情に変わりました。娘はあたりを見回して、「どこにいるのかなぁ」という顔をしています。どんな時代になっても、世代を超えたつながりを大切にしたいし、それをどこかで意識して生きることは、生きている時間を豊かにしてくれるように思うのです。------------------------------------------------------------ファミリーツリーでは、ゴールデンウィークに、おじいちゃん、おばあちゃんとお孫さんとのつながりを深める2泊3日のキャンプを実施します。名づけて「グラン・キャンプ」!初の試みですが、おじいちゃん、おばあちゃんからお孫さんに伝えたい知恵や物語を、遊びを通じて存分に分かち合う場を作りたいと思っています。八ヶ岳の麓、清里の豊かな自然の中で、世代を超えて子どもに戻って過ごすキャンプです。ご興味のある方はぜひ詳細をホームページでご覧ください。http://www.familytree.jp/modules/eguide/event.php?eid=5<グラン・キャンプ概要>日程:5月5日~7日(2泊3日)場所:キープ自然学校 松本ユースキャンプ場 (改装後間もない、きれいなキャビンでの宿泊です)費用:参加人数 2人 53000円 3人 79000円 4人 106000円 (宿泊、食事、保険代含む)対象:お子さん(お孫さん)の年齢は5歳~中学生ぐらいを想定しています申込み・お問合せ先TEL 03-3572-5004シンクキューブ 高橋、渡部主催:NPO法人ファミリーツリー (有)シンクキューブ協賛:株式会社トーイズ(TOYS CLUB)
2006年04月04日
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今日は代々木公園で、親子でネイチャーゲームをしました。天気にも恵まれ、桜が3分咲きの公園でほぼ1日、身近な自然と遊びました。いつも感じることなのですが、子どもの遊ぶパワーは本当にすごいですね。すべてが遊びで、遊びの中に大切なものが全部つまっているような気がします。彼らの目線は大人とは違っていて、宝探しなんかをやると実に面白いものを見つけてきます。中でも「何か音のするもの」というお題では木と木と叩いたり、笹を振り回してビュンビュンいわせたり、枝を折ってパキッとやったり、何か考えるのではなくて思いつきでいろいろやってくれます。そういう姿を見ていると、こっちも妙に楽しくなってしまってすっかり子どものころに戻ってしまいます。参加されたお父さん、お母さんたちも、自然の中で遊ぶうちに自分の中の子どもに出会って、遊び心がムクムクと顔を出してきたようです。最後には夕日に照らされて、みんな子どもの笑顔になっていました。参加者のお一人から、家に帰ってからもお子さんが「ゲームやろう」といってゴミ箱の中からいろいろと探してきて遊んでいます、というかわいくて嬉しいメールをいただきました。思わず、「また遊ぼうね!」と声をかけたくなりました。
2006年03月26日
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今日、久しぶりに代々木公園を歩きました。昨日春分の日に、東京では桜の開花宣言が出されていたので、楽しみにして出かけました。やはり桜の木々のつぼみはどの木も今にも開きそうに膨らんでいました。咲いている木はないかな、と歩きまわりながら、ようやく花を開いている木を見つけました。いったいいくつあるのかと思うほどのつぼみの中でその一輪だけが開いていました。なんだか、あたりの様子をそーっと窺うような雰囲気もあり、なんともかわいらしい花でした。花に近づいて匂いを嗅いでみると、懐かしい春の甘い香りがしました。平日だったので人も少ない公園で、保育園の子どもでなのでしょうか、6、7人の子どもたちが嬉しそうに自転車に乗って走っていきました。なんだか危なっかしいその姿と、咲き始めたばかりの桜の花が重なって、なんだかとても嬉しい気分になりました。鳥の羽ばたきの音がして空を仰ぐと、20羽ぐらいのハトが公園の空を楽しそうに旋回していきました。耳を澄ませば、カラスやシジュウカラやスズメの声が近くから遠くから聞こえてきます。どの声もどこか嬉しそうです。週末はきっと花見の人で大賑わいになるのでしょう。公園の木々は静かに心の準備をしているようでした。
2006年03月22日
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今日は娘の卒園式でした。別に私が卒園するわけではないのですが、息子に続き6年間お世話になった幼稚園なので、園庭の河津桜とももうお別れかぁ、と思うと、なんだかさびしい気持になってしまいました。卒園式では、やはり思わず泣いてしまいました。お父さんたちの中で大泣きしていたのは私だけだったらしく、後からお友達のお母さんに冷やかされました。いろいろな思いがこみ上げてきたのですが、なんといっても、子どもたちの可能性に満ちた姿は見ているだけで感動ものでした。入園式の時には、泣いてしまったり、席にじっと座っていられなかった子供たちが、胸を張って立派に歩く姿や声を張り上げて歌う声に、これからの無限の可能性を感じて、涙が止まりませんでした。そして、心から拍手を贈りました。そして、お世話になった先生方がわが子のような目で子どもたちを見守る姿と涙を流しながら、子どもの名前を呼ぶ声に、心から「ありがとうございます」という感謝の気持が湧いてきました。そこには120人の子どもと、親をはじめとした家族、幼稚園の先生方がいたのですが、私にはそこがどこか大きな家族のようにも感じられました。そして、こんな風に子どもたちをみんなで育くんでいくことが当たり前になったら、どんなにかいいだろう、と思わずにはいられませんでした。ファミリーツリーでの活動も、家族の形にとらわれることなく、血のつながりも超えて、人が人に関わりあって育まれていく、そんな場をファミリーととらえて応援していきたいと、あらためて強く感じた卒園式でした。
2006年03月16日
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とうとう、見つけました。私が通いたい、私だけの秘密の場所(サイト)を。以前から、身近な場所に、自然を感じられるサイト(場所)を持ちたいと、ずっと思っていて、探していたのです。そして、今日ふと思いたち、近くの気になっていたあたりを歩いていると、いつもは入っていかなかったところが呼んでいるような気がして、誘われるように入っていったのです。そこは、周囲の喧騒からは信じられないくらい静かな場所でした。小高い丘に上にぽっかり空いた空間には、いろいろな木々が立ち並び、爽やかな春の風が吹いていました。感動のあまり、呆然と立ち尽くしていると、一羽のカラスがやってきて、私から数メートルのところに降りました。カラスは私のことなど気にしていないようで、木をつついたり、地面を掘ったりして遊んでいます。ワイドアングルビジョンで、視線を向けないように注意しながら、しばらくそのカラスとの時間を楽しみました。言葉はもちろん通じていないのですが、たしかにそこには、私とカラスだけがいて、その場所を共有していたのです。私にはそれがなんとも嬉しくて、カラスが飛び去ったあとも切り株に座り、長い間風に吹かれていました。きっとこれからよく通う場所になることでしょう。身近なところに自然と深く触れ合う場所を持つことは私にはとても大切なことのように思えます。この場所との出会いに感謝したいと思います。
2006年03月15日
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日本に四季があって本当によかったと感じます。季節の移りゆく中で、体と心が変わっていくのを感じます。最近になって、4つの季節に加えて、日本人が昔から感じてきた季節の移ろいを示した二十四節気を意識することが多くなりました。約2週間ごとの季節の変化が、美しい言葉で表現されています。3月6日~20日は「啓蟄(けいちつ)」です。この言葉を初めて聞いたのは、たしか小学校4年のときだったと思います。先生が、土の中から虫や蛙などが春になったのを喜んで出てくるんだ、というようなことを話してくれました。子どもの頃から虫好きだった私は、なんだか妙にワクワクしてしまって、帰りのあぜ道で、虫がいないかと夢中で探してまわったのを覚えています。今日、ふとそのことを思い出し、道々に虫の動きを探してみました。残念ながら、まだ虫たちの姿を見ることはできませんでしたが、すずめ達がとても楽しそうにさえずっている声が聞けました。暖かな風を感じながら、心踊るような気持ちになりました。この時期は何か新しいことが始まる季節でもあります。昨日は名古屋で初めての勉強会をさせていただき、たくさんの方々との嬉しい出会いがありました。ファミリーツリーの活動を紹介させていただくことでお一人お一人の中に何かが芽生え、新しい動きにつながっていったらこんなに嬉しいことはありません。皆さんには、どんな動きが始まっていますか?
2006年03月08日
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昨日、娘の幼稚園で、お茶会がありました。年長になると、1年かけてお茶の作法を教えてもらい、この時期に親が子どもからお茶をいただく会があるのです。息子のときは仕事でいけなかったので、今回は、と楽しみしていました。会場は幼稚園のホールで、赤い敷物にお客様扱いの親は座り、その前の畳に子どもが座ります。子どもたちは一人づつ、「おさきに」、「どうぞ」と一人づつ声をかけあって、親の前まで歩いてきます。娘が私の前に正座し、お互いに正座して顔を見ました。娘はちょっと緊張気味の顔でしたが、嬉しそうです。私も思わず嬉しくなってニコニコしてしまいました。茶道の先生の合図とともに、子どもたちは、一生懸命に作法の通りにお茶を振舞ってくれました。お菓子をいただき、子どもたちがお茶を点てているときに、先生がこう言われました。「お母さん、お父さん、目の前のお子様をよくごらんください。 ついこの間まで赤ちゃんだったお子さんが、今は目の前でお茶を たててくれるまでに成長しました。 どうぞ、その姿をよくご覧になり、そして今日は お子さんがここまで育ってくれたことに感謝されてはいかがでしょうか。 ふだんは子どもを育てるということで、子どもが親に感謝する ことが当たり前に感じられるかもしれませんが、 当たり前のように大きくなってくれた子どもに対して、 あらためて感謝の心を向けてみるのも、素晴らしいことだと思う のです。」娘や他のこどもたちの姿を見て、本当にその通りだなぁ、と思いました。子どもが育つことはあまりに当たり前で、そこについつい感謝する気持を置き忘れてしまいがちです。でも、その当たり前に育っている子どもから、日々どれだけ多くのものを与えてもらっているでしょうか。毎朝、元気に「おはよう」と言ってくれる子どもたち。元気に幼稚園や学校に出かけていく子どもたち。お腹が空いたといって騒いでいる子どもたち。けんかして泣いている子どもたち。スヤスヤと寝ている子どもたち。どれも子どもがいてくれなかったら、体験できないことばかりです。そして、そういうことの中から、たくさんの感動や元気を気づかずにもらっています。子どもだけではないのかも知れません。妻や親や兄弟や親戚や、同僚や地域の人たち、私に関わってくれるすべての人たちとの間にある、当たり前のことへの感謝の気持ちを思い出させてくれた、お茶会でした。
2006年03月05日
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生まれてはじめて、本当の「震え」というものを経験しました。昨日の夜、トイレに入ろうとした途端、全身が小刻みに震え出しました。数日前から風邪を引いていたので、ああ、熱が上がって寒気がしてるのかな?程度に最初は思ったのです。ところが、トイレの中で震えが激しくなり、体に震度というものがもしあるとするなら、震度5ぐらいに揺れ出したのです。「これは普通じゃないぞ」と思っていると、さらに震度が高まりまるで、ガス欠の車が止まる寸前のように、ガックン、ガックンと大揺れし出したのです。ここまで来ると、さすがに恐れと不安が襲ってきます。本能的に、「まずい」、という感じがしました。面白いことに、頭のほうでは、「どうしたらいい?」と必死に考えているのですが、心のほうは、「もう仕方ない、身体に任せるしかないんじゃないの」と開き直った感じで構えているのがわかります。とりあえず、こういう時にできることといえば、布団にくるまり、身を丸めてじっとしているしかないんですね。そうしながらも、ものすごい勢いの震えは止まりません。歯はガタガタいうし、ちょっと収まったかと思うと、また激しいのがやってくるのです。必死にその震えに耐えていたのですが、しばらくするとある瞬間に、その我慢を手放すような感覚がやってきました。そう、ふいにその感覚がやってきたのです。すると、不思議なことに身体は相変わらずものすごい勢いで震えているのに、心はさっきより少し落ち着いています。さっきの頭と心のうちで、どうやら頭が考えるのをあきらめたようです。30分ぐらいに感じられたその震えも身体が高熱に達するとようやく収まりました。まるで台風一過のあとの朝のような感じで、静かです。熱のためボーっとした意識の中で、私は、自分の身体の中にある、とてつもないエネルギーを感じていたのでした。身体の中には自分も知らない世界というか自然が広がっていて、わかろうとすることをあきらめるぐらい、果てしないからこそ、それに身を任せることができるのかもしれません。そう思ったら、なんだか気が楽になった感じがしたのでした。
2006年02月22日
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1週間ぐらい前から娘が日記を書き始めました。何がきっかけだったのかは知らないのですが、毎日書き続けています。短い文章と、最後にお得意の絵が描いてあります。毎日、それを読むのが楽しみで仕方ありません。6才の彼女の心の中にはいったいどんな世界が広がっているのでしょう。親とはいえ、私にはその世界を知る手がかりは限られています。この絵日記はその世界の窓のようなものです。しかも、彼女の言葉と絵で感じることができるのです。今日の日記には、「ともだちとあそんでおさいふをなくした」、と書いてありました。ただそれだけなので、その先をいろいろ聞きたくなってしまいます。でもその先が書いてないからいいのかも知れません。なぜだかわかりませんが、娘の日記を読んでいると、言葉にならない世界を持ち続けることはとても素敵なことだと思えるのです。
2006年01月31日
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今日、地元でやっている親向けのワークショップに参加しました。娘の通っている幼稚園のお友達のお母さんたちの活動で定期的に行っているワークショップで、タイトルは『子どもの話を上手に聞こう』平日の午前中なので当たり前かもしれませんがお母さんたちが50人ほど参加していて男性は私一人でした。仕事がら普段ワークショップには慣れているつもりでしたがさすがに最初はちょっと違和感を感じてしまいました。講師の方は、JAMネットワークというNPO法人の方々で子どものじぶん表現力を伸ばしていくために、親子のコミュニケーションを普及する活動をされています。2時間ほどのワークショップでしたが、ロールプレイなども入っていて、とてもわかりやすく実践的なものでした。特に、子どもが気持がたかぶっていたり、泣いていたりするとき、まずは、親が言いたい気持をよこに置いて、包み込んであげ、気持を吐き出させてあげ、整理してあげて、最後に親の気持を伝える、という流れは、まったくその通りだなと思いました。同じグループになったお母さんたちと、泣いている子どもにどういう言葉をかけるか、というディスカッションでは、頭ではわかっていても、親の自分に余裕がないと、ついつい厳しくなってしまったり、自分の持って行きたい方へ誘導してしまったりする、という声が多く出ていました。そこでひとつ発見したことは、お母さんたちからは、子どもの気持聞くような言葉がけが多く、ではどうするのかという解決策を促すところはあまり出てこなかったのです。気持を受け止めてあげて、話をよく聴いてあげたうえでさて、どうするというところになると、親としてよかれと思う方向へアドバイスや指示をしてしまいがちです。講師の方もおっしゃっていましたが、ここが一番重要なところでここで、子ども自身に考えさせるアプローチをしてあげると子どもの自信につながります。たとえば、「今度同じようなことがあったら、どうする?」「もう一度やり直せるとしたら、どうする?」「ほかにはどんなやり方はある?」「あなたならどうしたい?」というような感じです。最後に講師の方も力を入れて伝えていらっしゃいましたが、子どもが生きていく力の中で大事なひとつは自分に自信を持つことであり、そのためには自己肯定感がとても重要だということです。そして、自己肯定感を高めるには、なんといっても子どもを認めて、励ます言葉が一番効きます。何かがあって泣いている子どもが一生懸命全部話してくれたとしたら、最後に、「話してくれてありがとう」の一言を伝えたいものです。その一言がきっと子どもに、話してよかった、また話してみようという意欲と自信を育んでいくと思うのです。ワークショップが終わって感じたことは、子どもの自己肯定感はもちろんのこと、親自身の自己肯定感もやはり同じぐらい大事なのだなということでした。
2006年01月30日
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最近、息子の様子に変化を感じています。話かけても、反応が薄いし、いうことにはことごとく反発してきます。今日も風邪気味なので、心配して、「服を着たら?」と声をかけると、最初は無反応。もう一度声をかけると、露骨にいやそうな目でにらみました。ちょっとカチンときて、「お父さんはその目はきらいだな。何か言いたいことがあるのか?」と訊くといかにもうざそうに「ああ、わかりましたよ、着ればいいんでしょ。」とようやく動き始めます。こういうやりとりが頻繁になってきたのですが、私にはむしろ喜ばしいことのように思えるのです。息子の中に自分というものがあって、きっと親から離れてみたいという気持が芽生えてきているのだと感じます。外の友達と遊ぶのが楽しくて、家に帰ってきたくない気持ともつながっているのでしょう。安心して過ごせる家族があるからこそ、外に向かって思い切って旅立てる。息子の変化は、そんな家族としての成長の兆しなのかもしれません。
2006年01月27日
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今日は、日差しがとてもあたたかく感じられました。バス停でバスを待つ間、全身に日を浴びていると、体中がポカポカと温まってきて、太陽の偉大さを心の底から感じました。すぐ近くの木の枝にスズメが一羽とまっていて、私と同じように体を膨らまし、目を細くして、日の光を気持ちよさそうに浴びています。「おお、おまえも気持ちいいのか」と、なんだか仲間を見つけたような気がして、嬉しくなりました。帰り道、駅のホームで電車を待っていると、河原の向こうに夕日が沈んでいきます。夕映えのオレンジ色が空に映えて、素晴らしい美しさでした。なんと表現したらいいのでしょう。まばたきをするたびに微妙に色を変えていく空を眺めていたら、電車に乗るのが惜しくなって、何台もやり過ごしながら、日がどっぷりと沈むまで、見ていました。すぐ下の橋には、トラックが走り、ホームではアナウンスが鳴っていたと思いますが、その数分間は、音が遠のいて、その空と一体になるような、幸せな時間でした。太陽、空、雲、風、鳥の声、土、雪、雨、花、木、月、星自然は都会に住んでいてもいつも近くにあります。身近な自然の中に少しの間入りこみ、じっくりと感じてみる、それはいつでもできる贅沢かもしれません。昨日本屋で目に飛び込んできた『タオにつながる』という本。老子のタオ(道)について書いた素敵な本でした。どこかでつながっているような気がしました。
2006年01月26日
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今日、めずらしく一人でランチを食べていました。コーチングまでに時間があったので、食べ終わったあとしばらくボーッと、もの思いにふけっていました。ガラス越しに、4人のお母さんたちが、それぞれにおそらく3,4ヶ月の赤ちゃんを胸に抱いておしゃべりをしています。かわいい赤ちゃんだなぁ、と眺めつつまたいろいろな思いをめぐらせていた、その時です。ものすごい、吸い込まれるようなエネルギーを感じたのです。「な、なんだこれは?」と目の前を見ると、さっきの赤ちゃんの一人が、私をじーっと見ているのです。その瞳は、とてつもなく美しくて、どこまでも澄んでいて信じられないほどの光を放っています。私はしばらくその瞳に釘付けになってしまいました。見ていると、どんどんその瞳の奥に吸い込まれていってその先には広大な宇宙が広がっているような感じさえしてきます。うまく言葉ではいい表せないのですが、そこには何も無くて、すべてがある、そんな世界があるように思えました。あまりに私が見ているのが変だったのか、ふと気がつくとその子のお母さんが、けげんそうに見ています。われに返り、ちょっと申し訳なくなって頭を下げました。それにしても、まさに「無垢」という言葉がぴったりの瞳でした。帰ってきて「無垢」を辞書で引くと「煩悩から離れてけがれのない状態」と書いてありました。あの子は私の煩悩を見ていたのでしょうか。
2006年01月25日
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今日、息子と娘にガツンとやられました。「お父さん、ぼくにはテレビ見ながら、マンガを読んじゃいけない とか言って、自分はパソコンしながら何か書いてるじゃないか。」とまずは、息子から一発。そのあと「お父さん、あたしには、バカって言っちゃいけないって言ったのに 今『バカじゃないの』ってテレビに言ったよ。」と今度は娘から一撃。うーん、参りました。君たちの言うとおりです。言っていることとやっていることが一致していることを「誠実」という、と昔教えてくれた人がいました。たしかに「誠」という字も「言うことを成す」と書いてあります。でも、そうはいってもついそうじゃなくなってしまうこともあるよ、いやそうじゃないことのほうが多いのが人生じゃないの?と言いたくなってしまう私ですが、子どもにはそんなことは通じません。だって彼らにとっては、自分でやっていない人にいいからやれ、と言われるのは納得できないからです。私も子どものころそう思ったし、今もそうです。全部はできなくても、言っていることとやっていることを合わせて生きたいものです。そしてそうなっていない自分に気づくことも大切なことなのだと思います。
2006年01月24日
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妻が本屋さんで働き始めました。小学校で読み聞かせのボランティアを始めてから絵本にさらに関わりたいと言っていたら、ちょうどよいタイミングで近くの本屋さんのパート募集があったのです。仕事があった日は、帰ってくると「楽しかった~」とか「でも疲れた~」といろいろと話してくれるので、子どもたちもよくその話を聞いています。1年前までは百貨店で働いていたので、子どもたちは、また母親が働き始めたことをどんなふうに感じているものなのかと思っていました。今日、ちょうど本屋に行きたかったので、幼稚園から帰ってきた娘を連れて、妻が働いている本屋に行ってみることにしました。迷惑になってはいけないなと思ったので、レジにいる妻には気づかれないように、本屋に入りました。娘は、お気に入りの絵本がたくさんあるコーナーに行くと、置いていある椅子に座って、熱心に本を読み始めました。私が目当ての本を見つけて絵本のコーナーに帰ってみると、ちょうど妻が絵本の片付けや、品だしをしていました。ちょっと声をかけると「ああ、来てたの」と妻。そのあと、娘の絵本のコーナーを片付けているのですが、娘の反応に驚きました。まったく反応していないのです。すこしぐらい声をかけるとかしてもよさそうなのにそこに母親がいないかのような感じなのです。どういうことかと思いつつ、妻がレジに戻っていった後に娘に訊いてみました。「ねぇ、お母さん気がつかなかったの?」「何言ってるの、お父さん。お母さんは仕事中なのよ。 話しかけたら、迷惑でしょ。」「おお、そうかぁ・・・・」「お父さん、さっき声かけたでしょ。あれはやめたほうがいいと思うよ。」「そ、そうだね。」おっしゃる通り。娘の指摘に驚きつつも、見ると、娘の顔はどこか誇らしそうです。「お母さんの働いてるの、どう?」「うん、かっこいい。」きっと、一生懸命働く母の姿を見て、彼女も嬉しかったのだろうと思ったのでした。
2006年01月23日
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今日、千葉県女性センターのお仕事で、男性向けに地域参画デビューのワークショップをさせていただきました。2007年から団塊の世代が定年を迎え、地域に参画し始めます。会社に勤めてこられた方が、あたらめて自分の住む街にどう関わっていくのかを考える時が近づいています。ここのところ、2007年は大学全入時代へにの突入などとあいまって特に注目されています。その時、迎え入れる地域と、入っていく方が少しでもスムーズに出会い、地域の発展のために手を携えていくために何が必要か、というテーマは、地域社会の発展という大きな視点だけではなく、団塊の世代の方がいらっしゃる家庭では、とても身近なテーマではないでしょうか。今日私は、地域に入っていく人と迎える人の間にはお互いを理解しようという気持ちと行動が必要なこと、そのために、「相手の話をよく聴く」、ということをテーマにワークショップをしました。参加された皆さんは、すでにそれぞれの地域で活動を始めている方々でした。さすがに問題意識も高く、実際に様々な活動もされているので、経験談をお聞きするだけでもとても勉強になりました。年齢も私の父だとしてもおかしくない方ばかりでしたのでどうなることやら、と思いながら進めました。そんな心配も必要なかったほどに、皆さん慣れないながらも、演習にまじめに取り組んでいただき、場もなごみ、それぞれに気づきを得られたようでした。中でも私がとても感動したのは、ある方のあり方でした。その方は、おそらく70歳に届こうかという感じの方で、とても精力的に地域の活動をされています。その方がワークショップの演習の中で、実に嬉しそうに相手の話を聴いておられるのです。ニコニコと笑顔で、素直にお聞きになる姿がとても印象的でした。ワークショップ後にその方が私のところに来られて、「私は本当に人の話を聴いていなかったことに気づきましたよ。 今日は本当によかった。家に帰ったら、妻の話をじっくり 聴いてあげようと思います。」と目をキラキラさせながら、嬉しそうにおっしゃったのです。私はなんだか無性に嬉しくなって、自然とふかぶかと頭を下げ、何度も何度も、お礼を言いました。と同時に、30ほども年の違う間でありながら、僭越ではありますが、ともに学ぶものとしての爽やかな共感のようなものを感じました。そして、年齢に関係なく、いつでも謙虚に自分を見直したり、知らないことに好奇心を向け続けることことの大切さをあらためて教えていただきました。そして、このようにして、異世代が出会い、交流し、学びあっていくことがそこかしこで起こっていったら、おのずと地域の力も高まっていくのだろうな、と思ったのでした。
2006年01月22日
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久しぶりの雪です。私の住んでいる横浜では、1年に1、2回しか積もるほどの雪は降らないので、降った時は貴重です。なにしろ、雪が降ると子どもたちは大喜びです。今朝起きて雪が降っているのを知ると、子どもたちの歓声が聞こえてきました。昨日まで沖縄での仕事から帰ってきて、今朝は朝寝坊をしている私のところへ娘がやってきて、カーテンを明け、「お父さん、雪だよ、雪!」と大声で教えてくれました。見てみると、本格的に降っています。昨日まで25度もある沖縄にいたので、ちょっと信じられない感じでしたが、次第に気分が高まってきました。今日はラッキーにも何も予定がない日なのです。朝食を簡単に済ませて、子どもたちとすぐにおもてに出ました。真っ白い雪がとてもきれいでした。新雪にひとつひとつ足跡をつけながら歩き、はらはらと落ちてくる雪を口で受け止めてていると子どもたちも面白がって真似をします。「つめたいねぇ。」「雪の味がする!」などといいながら、口をパクパクさせています。そのあと、3人で大きな雪だるまを家の前に作りました。娘は最近アトリエスクールというのに通っていてデザインに興味があるらしく、雪だるまの顔作りに妙にこだわりを見せています。黙ってみていると、なかなかいい感じにできあがりました。そして、当然のように雪合戦に突入しました。息子は最近遊びで野球をやることが増えているので投げる力が増していて、雪の玉がビュンビュン飛んできます。そのひとつが見事に私の頭に命中し、息子は大喜び。娘は、とにかくたくさんの雪をかかえてきては、投げるというより私の体にこすりつけて逃げていきます。私も最初は、子どもに合わせて余裕でやっていましたが頭に命中したあたりから、次第に熱くなっていき、気がつけば、一心不乱に雪の玉を子どもたちに投げつけていました。子どもたちは慌てて逃げ回り、娘は滑って転び、息子は大声でなにやら叫んで走りまわっています。3人ともしまいには、疲れ果てて休戦となりました。ヒーターの前で濡れた靴下や手袋を乾かしながら、子どもの頃を思い出しました。親といっしょに遊んだ思い出は今でも体に残っています。父と夕暮れ時によくやったキャッチボールは、風景や匂いといっしょに、よく覚えています。久しぶりに思い切り子どもと遊んだ一日でした。彼らの中にはどんなものが残っていくのでしょうか。
2006年01月21日
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沖縄にあるドリームプラネットインターナショナルスクール(通称ドリプラ)を見学させていただきました。1日という短い時間ではありましたが、驚きと発見と興奮であっという間に時は過ぎ、大きなインパクトを受けとって帰ってきました。なかなか言葉にならなかったのですが、ようやく何を感じたのかわかってきたので少し紹介してみます。私が一番インパクトを受けたのは、そこで学んでいる一人ひとりの子どもたちが、自分をしっかり持っていて、それをごく自然にそのまま表現していることでした。朝、部屋に入っていくと、誰ともなく挨拶を交わし、自然と目を合わせてくれて笑顔であたたかく迎えてくれました。それが無理をして作っているのではなく、彼らにとってはごく自然なことなのだということが、雰囲気でわかるのです。廊下でも階段でもそこでもそうです。嬉しくなるようなアイコンタクトや挨拶が溢れていました。そう、海外に行くと街ですれ違う人々が友達のように目を合わせ微笑みあう、そんな感覚に似ています。そこには、人を素直に受け入れる、人間としての開かれたゆとりのようなものを感じました。英語の授業を見学しましたが、みんな嬉々として会話をしています。勉強をしているというよりは、好きなことを友達といっしょに楽しんでいる、という感じなのです。ランチを食堂で子どもたちといっしょに食べた時、高校1年の子としばらく話をしました。話しているうちに大人の友達と話しているかのような錯覚に陥るほど、しっかり自分の考えを伝えてくるし、私の話もよーく聴いてくれます。とにかく彼らはどこで何をしていても、自分を自然に表現しているのです。どうしたら、このような子どもたちが育つのかそこまではとても1日では知りようがありませんでしたが、一つだけ確かに感じたことは、子どもたちに真剣に本気で向き合う大人がいる、ということでした。悩みも喜びも怒りも、すべてを全力でぶつけ合う関係、子どもの可能性を信じてどこまでも待つ、岩のような信念、そのようなものが、その空間に満ち満ちているように感じたのでした。
2006年01月20日
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雑誌を読んでいたら、百聞は一見にしかずの続きが書いてありました。『百見は一行にしかず』、だそうです。百回見るより、まずやってみたほうが実感できるというような意味だそうです。たしかにこれは思い当たることがたくさんあります。特に新しいことを始めるとき、いろいろ調べたり、見たりするのも大切ですがいつまでもそうしているのではなく、とにかく飛び込んでやってみる。そうすると、ああこういうことか、と体でわかるそういう体験を数多くしてきました。そして、さらにその先があるのです。『百行は、一考にしかず』だそうです。一考というのは、気づきや学びのことで、いろいろとやってみたことからの気づきを次に活かしてしていくと、行動自体がどんどん練れてくるというような意味だそうです。なるほどなぁ、と思いました。「失敗は成功のもと」、というのも同じような意味なのでしょう。そんなふうに自分のことを見回してみると毎日何気なくやっていることの中にも、いろいろと豊かなものがつまっているように思えてくるのでした。
2006年01月17日
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子どものイベントや旅行で、ことあるごとにビデオを撮ってはいるものの、なかなか見る機会はないものです。昨日、娘の幼稚園で剣道のおけいこがあり、ひさしぶりにビデオを撮ったついでに、かなり昔のビデオを家族で見てみました。それは、娘が1歳の誕生日のものでした。撮影は私。娘は食事をするテーブルにくっつけた椅子に座ってケーキを前に満足そうです。まだ言葉は話さないので、「ああ、うう、いい、えええ、」と何かを言っています。そのうちに我慢できなくなったのか、手を出してケーキをつかみにかかります。ビデオには、「ああ、まだまだ、だめだよ。」という私の声。そこに3才の息子が登場。「ぼくが先に食べる」といって手を出します。「それはおまえのケーキじゃないだろう!」とまたまた私のちょっと怒った声。すると今度は娘がまたケーキをつかみにかかります。「おおー、大変だぁ」とまた私の慌てた声。そのビデオを見ていた息子が「お父さん、うるさいねぇ。」と冷ややかな一言。たしかに、こりゃぁこうるさいよなぁ、と自分でも思いました。自分の言っていること、やっていることは自分では見えません。こんな機会があると、日頃の自分を振り返るきっかけになります。言葉が世界を作る、ということを聞いたことがあります。発している言葉には力があって、その言葉そのものの意味以上に人に影響を与えるのだそうです。肯定的な言葉が多いと、知らないうちに元気になり、否定的な言葉が多いと、だんだん沈んでいきます。一日では気づかないものでも、1年、5年、10年と積み重なると、その影響ははかりしれないものになるでしょう。ある瞬間を切り取ったビデオは、日頃気づかない当たり前になってしまっていることに気づかせてくれるものかもしれません。
2006年01月16日
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昨日、どうしても我慢できないことがあって、息子と娘を叱りました。それは、「ムリ」という言葉についてです。何かを頼むと、「ムリー」(語尾をのばす)と言ったり、テレビを見ていても、テレビに向かって「ムリー」と言っていたり。友達と遊んでいるときも、「ムリー」をとにかく連発します。気になってはいたのですが、流行り言葉のようなものかと思っていました。しかし、昨日は、食事の準備で料理を運んでほしいのでお願いすると、こちらも向かずに「ムリー」と言ったのでとうとう我慢できなくなったのです。。テレビを消し、二人と面と向かって、「お父さんは、そのムリーというのを聞くと、とても嫌な気持ちだよ。」 今もそれを聞いて、とても悲しくなっちゃったよ。 だって、何がどうムリなのか、それじゃまったくわからないじゃないか。 どう思う?」と話しました。最近叱るときは誰のために叱っているのか気をつけるようにしています。子どもはとても敏感で、自分のために本気で叱られているときは聞き入れますが、私がただムカついて当たっているときにはまったく納得しません。何度もそれで子どもたちに嫌な思いをさせてきたので私もだんだんと学んできました。今回も、これは子どものために本気で叱るぞ、と決めてかかりました。子どもたちには、親の本気はすぐ伝わります。気迫というのでしょうか。昨日も彼らはこれは尋常でないことがおきていると察知したらしく、話をするモードに変りました。「だって、みんなムリーっていうよ。」と息子。「そうそう」と相乗りする娘。「みんなが言うからというのは理由になってないなぁ。 それを聞いて嫌な思いをする人が目の前にいて、おまえたちは どう思うんだ?」とさらに聞きました。「うーん・・・・」何か言いたそうな息子の顔。「何か言いたいなら、なんでも言っていいんだよ。 言ってくれないとおまえが何を考えているかわからないんだよ。」「ムリーって言うと簡単だし。」と息子。「そうか。簡単だからなのか。」「そう、面倒くさいし。」「そうか、面倒だっていう気持ちはわかったよ。 でも、それじゃぁ、なんでムリなのかお父さんには 相変わらずわからないし、きっとお母さんにもわからないから どうしていいか困ってしまうぞ。 どううすればいいと思う?」「うーん、理由を言えばいいと思う。」「おおそうか。じゃぁ、さっきムリーっていったのは どういう理由だったんだい?」「テレビを見てたから、今はできないんだよ。」「そうか。そう言ってくれればわかるよ。 じゃぁ提案だけど、今度からムリーは使わないようにしよう。 その代わりに、理由を言うようにしよう。 どうだい?」「うーん、でもつい言っちゃうかもね」「そうだな、すぐに全部は難しいかもな。 だったら、言っちゃったと気づいたら、言い直せばいいんじゃない?」「それだったら、いいけど。」ここまで話して、ようやく息子の顔は納得気味になりました。娘は会話の意味はわかるようですが、言葉にしにくいようで聞いていましたが、最後には納得した顔になりました。今回は子どもたちのおかげで、お互いいい会話ができたようです。しかし、本当に叱るというのは、いつも試行錯誤です。そして、叱る度に、愛を持って本気で叱る、そんなやりとりの積み重ねが子どもたちの糧になっていけばいいなぁ、とつくづく思うのです。
2006年01月15日
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今日、ある方からのお薦めもあって、鎌倉の杉本寺というお寺の観音様に会いに行きました。仏教についてあまり知識も経験もないのですが、何か直感的に思い立ち、足が向いたのです。鎌倉駅から、鎌倉霊園の方へ歩いて15分ほどのところに杉本寺はあります。車通りの多い道から石段が続き、一段上がるごとに静けさが増していきます。特に、最後の石段は苔むした美しい緑色で、その歴史を漂わせています。なにしろこのお寺は天平4年(734)、つまり奈良時代に開かれたとされる、鎌倉で最も古いお寺なのですからこの雰囲気もうなづけます。石段を登りきると、そこには茅葺屋根の立派な観音堂がありました。土曜ではありましたが、小雨模様のためか、人もほとんどおらずお堂の中は本当に静かでした。ここには、ご本尊として、3体の十一面観音像がまつられています。お堂の中は薄暗く、ゆっくりとめぐっていくと、一番奥にその観音様はいらっしゃいました。薄暗い灯りに照らされて、そのお顔はほのかに輝いていました。観音様の頭には11の顔、つまり十一面があり、4方に向けて、それぞれ違った表情で、人々を励ましたり、叱ったり、勇気付けたりされているのだそうです。薄暗くて、細かい表情までは見えませんでしたが、雰囲気的に、とてもやさしい空気が漂っていました。その前に座り、手を合わせ、目を閉じていると、あたりの音は静まり、鳥の啼く声だけが聞こえてきます。何かをお願いに行ったわけでもなく、ただお会いしに来た感じだったので、お祈りするのではなく、ただただそこに座っていました。しばらくすると、どこからともなく頭の中に考えが浮かびます。「自分は何をしにここに来たんだろう?」「今お願いしたいことがあるとすれば何だろう?」「鳥がずいぶんと大きく啼くなぁ」などと、いろいろな考えが浮かんでは消え、消えては浮かびます。そのうちに、ふと気づくと、観音様のほうから、かすかに「何かを手放しなさい」という声が聞こえたような気がしました。そう確かに聞こえたわけではないのですが、そんな気がしたのです。「手放すって何をだろう?」すぐには何も浮かんできませんでした。ただ、この問いを受け取ったのが、今日ここに来た意味かもしれないなぁ、と思いながら、すぐ横に目をやると、そこには33体の像が並んでいます。初めて知ったのですが、観音様の「観音」とは、「音を観る」という意味で、その「音」とは、人々の願い、声なのだそうです。観音様はその音を聞くと、33通りの化身に姿を変えて、その人に必要な姿でその人を救うのだそうです。その33体の化身像の前で座っていると、一つ一つの姿があまりにも違うのに驚きました。穏やかな顔から、鬼のような顔、男、女、中には鳥のような顔をした像もあります。ふと、「そうか、さっきの声は、観音様が私の音を聞いて、必要なことを 話かけてくださったのかも知れない。」という思いが浮かんできました。とすると、いつも自分は何がしかの音を発して生きているのかも知れません。確かに気分がいい時の声と悪い時の声の音は違うし、体調がいい時は体の中の波調が整っているようにも感じます。自分を楽器にたとえてみると、その日その時の自分が音の違いとなっていくようなものかも知れません。自分は今どんな音を発しているのだろう。昨日は。明日は。そして、その音は周りにどんなふうに伝わっていくのだろう。そんなふうに思うと、誰かと共鳴する、ということが起きるのもなるほどなと思えてきます。お堂を出ると、いきなりすごい雨が降ってきました。地面を打つ雨の音が、今までとは少し違って聞こえました。さっきの観音様の「手放しなさい」は、「余計な雑音に惑わされず、自分の音に耳を澄ましなさい」、ということかも知れないなぁ、と思いめぐらせながら鎌倉の駅まで、ずぶ濡れになって歩いたのでした。
2006年01月14日
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先日コーチング関係の合宿でのこと。2泊3日の合宿には、特別な食事を提供していただけるスペシャルスタッフとして、暮らしの探検家、食デザイナーの大谷ゆみこさんと、その娘さんのゆうきさんが来られました。大谷さんは、20年以上も前から雑穀が体にもたらしてくれる素晴らしい恵みに気づかれ、その恵みを伝える活動をしてこられた方で、そのお考えや豊かな経験を雑穀の料理や本で紹介されています。いくつかの著書の中でも「雑穀の書」木楽舎には、ヒエ、アワ、キビなどの雑穀のルーツや、体への効用や簡単なレシピが紹介され見ていて、実に楽しい内容です。その本の中で、雑穀は地球のおっぱいで、飲んでくれないと地球というお母さんが、胸が張ってしょうがない、という声を発している、という表現に出会いました。大谷さんの料理を2泊3日の中で7回味わいましたが、まさにこのことが体でよくわかりました。アワの入ったスープを飲んでいると、飲んだ先から指先まであったまってきました。2回食べたころには、腸が活発に動きはじめ、寒い宿舎の中で夜に何度もトイレに立ちました。間違いなく体がよろこんでいるのがわかります。しかも、その料理のバラエティは、本当に雑穀と野菜しか使っていないの?と何度も聞きたくなるほどのもので、何の抵抗もなく思わず口に運んでしまう工夫があるのです。大谷さんいわく「とにかく口の中に入って味わってみれば、雑穀のパワーはすぐわかります。だからまずは口に運んでもらうまでの工夫が大切なんです」とのこと。本当にその通りだと思いました。肉や魚やファーストフードに慣れていると、見た目の感覚も味のうちのようなもので、いかにも野菜だけ、というものだと抵抗もあるのかも知れません。特に子どもなどはそうかもしれない、と思いました。いろいろなお話を伺いましたが、さらに驚かされたのは娘さんのゆうきさんの存在でした。18才になったばかりとのことでしたが、大谷さんがオーナー 「つぶつぶカフェ」 の出店責任者として今後海外展開なども手がけていこうとされています。ホームページ作りなどもしているとのことなので、どこで勉強されたのかとお聞きすると、なんと学校には行っていないとのこと。高校にもいかず、生まれた時から雑穀を食べて育ち、医者いらずだそうです。そのあまりに自然なたたずまいから、これが雑穀の持っているやさしさ、豊かさの表れなのだなぁ、と深く納得したのでした。大谷さんとゆうきさんの間にはパートナーというような雰囲気が流れており、なにか親子の新鮮な関係に触れる思いがしました。そんなこんなで、我が家では早速雑穀を取り入れた食事にチャレンジすることになりました。10年で骨の髄まで入れ変るそうです。
2006年01月13日
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今日、娘からはじめて相談されました。いっしょにお風呂に入っていると、突然「ねえ、私何か悪いことしてる?」「え?」「あのね。お兄ちゃんに私のチョコをたくさんあげたのに、 お兄ちゃんは、マシュマロをぜんぜんくれないのよ。 どうしたらいいと思う?」「・・・・そ、そうなのかー。」冷静に聞くと、とてもたわいもないことなのですが、私は、娘のその大人びた口ぶりに驚いてしまったのです。まるで、友達に相談を持ちかけるようなトーン。私は一瞬、言葉に窮してしまい、娘の顔をまじまじと見つめてしまいました。そのあと、急に嬉しくなって、「ねぇねぇ、その時、どんな気持ちだった?」と聞くと「うーん、いやだった。」「なんて言いたかったの?」「だめって言いたかったけど、そう言うとお兄ちゃん怒るから。」「そうなんだ。そう思ってるんだ。」「そうなのよ。」「でも、もういいわ。」「そう、いいのか。」「うん、もう忘れた。」と言って、無邪気に人形で遊び始めました。彼女の中に何が起きたのかはわかりませんが、相談され、相談にのる、という関係が二人の間に始まったことが、なぜかとても嬉しく感じられたのです。これから、どれだけ多くの相談を持ちかけられ、それに応えていくのだろう?そんなことを一人で考えながら、今日からは子ども扱いしないでつきあっていこうと、心に決めたのでした。
2006年01月11日
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正月に、10数年ぶりにスキーをしました。娘が熱を出してしまったので、息子と二人で出かけました。なにしろスキーをするのが20代後半以来なので果たして、滑れるのだろうか、ましては息子に教えることなどできるのだろうか、といろいろ考えながら、スキー場に到着。スキーをレンタルして、ゲレンデに入り、まずは初心者コースを探して、息子にスキーをはかせるのに一苦労。レンタルスキーのビンディング(留め金)がきつくてうまくはならないのです。二人でうんうんうなりながら、何度もトライするもののはまらず。息子はだんだん疲れてきて、「もう、いい」とふてくされて、雪の上に寝てしまう始末。それをみて、こっちもカッとなり、「なんだその態度は!」と思わず声を荒げてしまいました。これではいったい何をしに来たのかわかりません。気を取り直して、再度トライして、ようやくスキーを装着できたのでした。ここまですでに30分以上。「ふーっ、先が思いやられる」と思う間もなく、今度はスキーをはいた息子がいきなり滑りだし、見事に転倒。そこからが大変でした。スキーをやったことがある人はわかると思いますが初心者だと、転んでから立つのが大変なのです。特に、おしりをスキー板の間に入れてしまうと、気持ちは立ちたい、とあせるほどにスキーはどんどん前に滑ってしまいいっこうに立てないアリ地獄のような状態に陥るのです。私も最初にスキーをした時、その恐ろしい体験をしていたので息子の苦戦する様をみて、なんとかしてやりたいと「もっと体重をヨコにかけて」とか「おしりを山側に移してから立って」とかアドバイスするのですが、やっている息子にしてみれば、必死ですから馬に念仏で、何も聞いていません。ただただ、何度も立とうとしては、ズルズルと滑ってしまうのを繰り返し、いっこうに立ち上がれません。またも息子が「もういやだ!」とあきらめ口調で言うのを見て、またまたこっちも「おまえ、なんだその言い方は!」とつっかかってしまうのでした。そんなことをしているうちに、ふと気づいたのでした。なんで、オレはこんなにかっかしているのだろう?別にうまく滑れなくてもいいじゃないか。一生懸命やっているんだし、そのうち自分なりに滑れるようになるよ。そんな声が聞こえてきました。そう、いつのまにか、早くうまくならなきゃいけない、という自分にとらわれていたのでした。そう思い直して、息子を見ると、ふてくされながらも、また立とうとしている姿がなんとなく頼もしく見えるではないですか。よく見ると、最初よりは、だんだんと立てる方向に向けて進んでいるのもわかります。「おお、いい感じになってきたよ。もう少しだ。」と自然と励ましの声が出てきます。息子も私の変化を感じたのか、少し嬉しそうに笑ってがんばります。そうやって、とうとう彼は自分の力で立ちあがりました。すごくたくさんの失敗をしましたが、その後は転んでから起き上がるのがどんどん早くなっていって帰るころには、ほとんど転ばなくなっていました。たくさんのアドバイスより、たくさんの失敗のほうが彼にとっては役立ったのでした。思えば、自分が最初にスキーをした時も息子と同じだったしスキーに限らず、はじめてやるものの時は、まずやってみて失敗しないことには、うまくならないものです。そこそこにできるようになると、そういうことをすっかり忘れてしまいがちです。そのあと、初心者コースをボーゲンで練習したのですがまたまた多くのことに気づかされました。手取り足取り教えるつもりでアドバイスするとほとんどうまくできないのですが、「とにかくヒザに手を当てて滑ってみよう」ぐらいにざっくりとしたことだけ言って、自由にやらせて見ると意外に上達が早いのです。ひとつのことができるようになると、息子のほうから「今度はあっちのほうで滑りたい」とか「もっとスピードを出してみたい」とか言いはじめました。「やりたいようにやってみな」とほうっておくと、自分のやりたいことをやります。そして、簡単にはあきらめないのでどんどんうまくなります。そうしながら、どうしてもうまくいなかいような時にアドバイスするとすごく真剣に聴くのです。午後になると、ちょっと目を離すとはるか下のほうまで行ってしまい、探すのが一苦労になってしまいました。息子は、実に楽しそうです。見ている私も嬉しくなりました。子どもは自分でやりたいことを知っているし、それをやっているときが一番楽しいんだよなぁ、とあらためて気づかされたのでした。で、私のスキーはといえば、驚いたことに、意外にも体が感覚を覚えていて、決してうまくはありませんが、10数年前と同じぐらいには滑れたのでした。これも、きっとあの頃、お尻が痛くなるほど転びまくったおかげなのでしょう。失敗に感謝。そんな一日でした。
2006年01月05日
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あけましておめでとうございます。皆さんはどんな新年を迎えられたでしょうか。私は今年も両親の住む那須の実家に戻り、家族といっしょに過ごしました。庭の雪かきをしたり、大掃除をしたりと年末の行事をしながら、みんな元気で、いつもと変らぬ時間を過ごせることに感謝しました。そして、初詣の帰りに、思いがけず、素晴らしい那須の山々に出会うことができました。冬の澄んだ空に、雪化粧した那須の山々が連なり、その左には、塩原の山々が続き、その奥には遠く会津の雪山も見えます。そしてそのまた隣にははるか日光の山並みまでが一望できたのです。小4からこの地に住んでいたのに、これほどの大パノラマを見たのは初めてでした。あまりに見事な景色に、しばし見とれながら、「すごい!」「すばらしい!」などと連呼していると、子どもたちも嬉しくなったのか「すげぇ!」「きれい!」「うぉー!」とすごい騒ぎになりました。考えてみれば、気の遠くなるほどの昔から、この山々はこの地ですべての営みを見守ってきたわけですからこの堂々たる姿は、当たり前のことなのかもしれません。ずーっと、見とれている私を、山々がやさしく笑っているように思えてきました。その時、ふと那須の頂から立ち上る火山の煙に目が留まりました。全く動かないあたりの雄大さの中で、そこだけが動いていました。どこかそれは、この地球の命の躍動を見るようでした。しばらくその煙と対峙しているとどこからか山々の声が聞こえたような気がしました。言葉にするのはなかなか難しいのですが、「何かが始まる、変る、壊れる、あらたまる」、といったような感覚のものでした。これはきっと山からのメッセージだったのでしょう。昔の人たちは、こういう声をたくさん聞いて、頼りにしたり、励みにして生きていたのだと思います。横浜に戻る道では、今度はものすごく美しい夕焼けを見ることができました。山々の稜線に落ちる太陽が、空と雲をなんともいえない色に染めていました。身近な日々を送りながら、どこかで大いなる声に耳を傾ける、そんなふうに生きていく一年にしたいと思います。今年もよろしくお願いします。
2006年01月04日
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今日、公園で娘と遊んでいたら、彼女が何気なく枯れ枝と石を拾っている。何をしているのだろう?と好奇心が湧いて黙ってみていると、すべり台の下のちょっと影になっているところに座り込んで、なにやら作っているようだ。娘は夢中になって何かを作るのが好きで、途中で邪魔されるのが嫌いなのを知っているので、何気なく気づかれないように近寄りながら、見てびっくり。彼女は焚き火を作っていたのだ。石を円形に並べた上に小さな枝を円形にきれいに並べている。立派な焚き火の形だ。焚き火好きの私としては、黙っていられず、「いい形だね。どこで覚えたの?」確か、どこでもまだ焚き火は教えていないはず。「なんとなくね。」と答えかえってきた。なんとなくだって!?「なんとなくそういう形が作れるはずがないだろう」とのどの先まで出かかったが、すんでのところでこらえた。もしかしたら、そいいうことってあるのかも知れない。遠い遠い記憶が子どもの中にあって、ふとした拍子に現れることがあってもいいし、むしろあったら素敵だ。そんなことを考えていたら、ワクワクしてきて「ほんとの焚き火をしてみようか」と誘うと、「うん、やるやる!」と嬉しそう。それから、公園でせっせと二人で枝を拾った。「これが桃太郎のおじいさんがやっていた柴狩というやつだぞ」などと話ながら、両手にいっぱいの枝を集めた。家の近くの空き地でちょうどいいところを見つけてトラッカースクールで習った、ティピ式の焚き火を作る。まず火床の浅い穴を掘り、真ん中に火口になる枯れ草を丸めて置く。その上に鉛筆の芯サイズの枝から円錐状に枝を組んでいく。さらに鉛筆の太さの枝、親指サイズの枝、手首サイズと組んでいき、立派な焚き火が組みあがった。今日は時間がないので、マッチを使って点火。娘は心配そうに火の赤ちゃんを覗きこむ。風が強く、最初の点火はあえなく失敗。2回目もまたまた沈火。その時娘が突然、「そうだ、火の神様にお願いしよう!」といって、空に向かって手を合わせた。ちょっとびっくりしたが、私もいっしょに手を合わせた。そうして心を落ち着けて、そーっと3回目の火をつけた。今度は火の赤ちゃんがしっかり子どもに育ち、どんどん大きく立派な火に成長していった。もう安心だ。あとは自分の力で大きく燃えていく。二人でその火に当たりながら、手や体を温めて、火についていろいろな話をした。すべてが灰になったところで、石ですべての火を消し、その灰をあたりに巻いて、何事もなかったようにその場をもとの場所に戻した。最後に火の神様に二人でお礼をして、焚き火を終えた。短い時間だったが、どこか遠いところにある懐かしいものとつながれた、ありがたい時間だった。娘に感謝。
2005年12月27日
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