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週末、息子をはじめての登山に連れていきました。天気予報では雨だったので、半ばあきらめていましたが早朝息子に「晴れてる!」と起こされました。彼は初めてなので、ずっと楽しみにしていたらしく昨日から、なんとか行きたいと言っていたのです。私としては昨日までの雨もあるし、登山道も滑りやすいので初めての経験としてはどうかな?と思っていたのであまり気がすすまなかったのですが、朝の彼の顔を見て、行くことに決めました。急いで支度をして、家を飛び出し、車を三頭山の登山口まで走らせました。なんと登山口に着くころには、青空が顔をのぞかせ気持の良い風が吹いていました。息子の思いが通じたのでしょうか。準備体操をして、いよいよ出発です。今回は、とにかく初めてなので、とにかく楽しく登れればいいなぁ、と思っていたので、極力こちらからは細かいことは言わず、最低限の注意事項だけ伝えておきました。息子は意気揚々と歩き始めました。私は何も言わず、その後を着いていきました。まもなくすると、早くも苦しそうになってきて、「もう休もう」とか「うー、苦しい」とか言い始めました。まだ20分も歩いていません。私は心の中で「なんだ、まだそんなに歩いてないじゃないか。しっかりしろよ」と言う声が聞こえてきましたが、一方で、息子に従ってみるのも面白いかなというのもあって、休憩することにしました。さらに何度も途中で、「休みたい」と言う声が出たり、沢の水遊びをしたりで、普通なら1時間半ぐらいで登るところを、2時間半以上かけて、ゆっくりと登っていきました。おかげで私も鳥を観察したり、動物の足跡を探したりとけっこう楽しい時間になったのです。特に、頂上付近の最後の登りでは、本当にきつかったらしく、先に歩いていた私が振り返ると、息子はヨロヨロしています。そして、とうとう座りこんでしまいました。歩みよってみると、うっすらと目に涙を浮かべています。きっと、スイスイと登れないことがよほど悔しかったのでしょう。何も聞かずに、道の脇に二人で並んで座って、風に吹かれていました。かなり長い時間に感じられましたが、それが彼には必要な気がしました。しばらくすると、少し元気になったのを感じたので、「どうする?」と聞くと「登る」と応えて立ち上がりました。そして、とうとう頂上到着。そこにはなんと富士山がくっきりと姿を現していました。朝までの雨がウソのようです。息子も、嬉しかったらしく興奮して騒いでいます。二人で、おにぎりを食べてゆっくり休んだあとは一気に下りました。なんと帰り道は、彼はいっさい泣き言を言わず、一度も休まずに下山してしまいました。私のほうが、ちょっときつかったほどでした。下りてから、聞いてみました「登山、どうだった?」「うーん、最初と頂上の最後がきつかった。 でも楽しかった。また来たい。今度は逆から登りたい。」それだけ聞ければ十分でした。初めての経験は一生に一度。今はすぐには言葉にならないかもしれないけれどそこで得たものはきっと心と体の底のほうに残っていくことでしょう。素晴らしい一日をもたらしてくれた天気と山に感謝です。
2006年05月22日
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火曜から今日まで3泊4日で、両親と旅をしてきました。熊野三山の神社と伊勢神宮をめぐる旅行でした。あいにくの雨続きでしたが、老齢の両親とゆっくりとめぐるには、かえってやさしいリズムを作ってくれる恵みの雨だったように思います。私の父は若いときから祖父が興した小さな街工場を手伝っており、毎日とても忙しく働いていたのを覚えています。得意先を車で回るときに、幼い私と弟をよく連れていってくれたので、子ども心に父の働く姿は印象に残っています。母も父を手伝って、工場(こうば)で作業をしていることが多く、我が家にはいつもミシンの音が響いていました。そんな両親でしたが、私たち兄弟をよく旅行に連れていってくれました。あとで聞くと、それは仕事のついでに1泊でどこかにみんなで泊まるような、旅行とはいえないものもあったようですが、子どものころの私にはそれがとても楽しみでした。家族いっしょにで車に乗り、どこの席に座るのかでケンカになったり、宿泊先でトランプをしたり、大雨に降られたりして大騒ぎした記憶は体の中に今もしっかりと残っています。それは、言葉にはならないつながりのようなものであり、いつまでも消えない懐かしい思い出なのです。父が病気を患い、母も古希を迎え、昨年ごろから今度は自分が両親を好きなところに連れていってあげたいと思っていました。そしてそれが実現しました。行く先は父が決めました。歴史好きの父にとっては、日本の神々の地である熊野、伊勢は、一度めぐってみたいところだったのです。運転好きの父はいつもきまって旅行は車です。今回も栃木の実家からすべて車での旅です。今回は、なんだか恩返しのような気持で、できるだけ私が運転しました。助手席に座っている父を見ると、なんだか子どものころの自分を見ていた父の気持がわかるような気がして不思議な感じでした。旅先の宿で、孫たちの成長の話、私の子どものころの思い出、父や母の子どものころの思い出話が続き、その中には父のひいおじいちゃんに当たる人の話もでてきました。そんは話を夜遅くまでしていると、世代を超えて続いていくたしかなつながりとともに、人の命は消えても、人は物語の中にいつまでも生き続けるのだということもあらためて感じることができました。いつかそんな物語を自分の子どもたちに話して聞かせるときが来たらいいなと思っています。
2006年05月19日
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今日、娘と近くの森に散策に出かける途中のことでした。道端の何気ない木の下できれいな花を二人で見ているとき、突然、けたたましい鳥の鳴き声がしたのです。なにかと思って見上げたのですが、葉っぱが折り重なって何がいるのかよく見えません。とにかくその鳥は尋常でない啼き方をしているのできっと何か危険が迫っているのだろう、ということはなんとなく感じられました。目をこらして見ていると啼いているのは、メジロだとわかりました。姿もはっきり見えて、せわしく羽ばたきながら啼いています。その時娘が「あ、あそこに鳥の巣がある」と言ったのです。私は気がづかなかったので、よーく見てみるとたしかにそのようなものが見えます。そして、そのあたりから目を離そうとした瞬間私の目に、何かホースのようなものが横切ったのです。「ありぁ、何だ?」と思わず声をあげて、よくよく見ると、それは間違いなくヘビの腹です。大きさからすると、アオダイショウではないかと思いましたが木の枝に器用に体を巻きつけています。そしてその頭の先に、さっきの鳥の巣らしきものがあるのです。「そうか、ヒナを狙っているんだ!」と娘と顔を見合わせました。そうすると、あの啼きわめいえているメジロは親鳥に違いありません。そうして聞いてみると、その声はどこか威嚇しているようにも聞こえます。ヘビはゆっくりと巣に近づいているようです。私はきっと親鳥が何か行動に出るだろう、と心の中で思いながら息を殺してみていましたが、そのメジロはふと飛んでいってしまいました。きっと帰ってくるにちがいないと思い、そのまま見ていたかったのですが、娘が走っていってしまったので、仕方なくその場を去りました。森から帰る道で、やはり気になって、その木の下から覗いてみました。ヘビの姿はすでになく、あのあと起きた出来事は知る由もありません。家に帰ってからも、そのことが頭を離れませんでした。そこに、命というものをリアルに生きる姿を感じたからなのかもしれません。ほんの身近なところで、それこそ毎朝毎晩、虫や鳥や動物たちの生と死が交換されているということ、そんな当たり前のことが目の前にドーンと現れたような気がします。夜寝る前にいつもの昔話をして聞かせる時間に、娘と息子とそのことについて話しました。彼らがそのことをどう感じるか聞いてみたかったのです。いろいろ話してみましたが、うまく伝えることはできませんでした。きっと退屈な話に聞こえたのでしょう。途中でスヤスヤと寝入ってしまいました。でも、いつの日かこのことをしっかり伝えていかなければならないと思うのでした。
2006年05月10日
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