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2008年(平成20年) 日 佐藤浩市 妻夫木聡 深津絵里ほか 136分<あらすじ>港町・守加護でマフィアのボスの愛人マリに手を出した備後登命を見逃してもらうため伝説の殺し屋「デラ富樫」を連れてくることになる。探しても一向にデラ富樫を見つけられない備後は苦肉の策として、売れない俳優・村田大樹を映画の撮影と騙してデラ富樫に仕立てて乗り切ろうと画策する。深津絵里が本当に美しい。この後の作品「ステキな金縛り」もその美しさには目を奪われた。そんなに深津絵里のファンではなかったけれど、このザ・マジック・アワーの序盤から中盤にかけて、少し肌の露出が高めの深津絵里には、本当にノックダウン。綾瀬はるかのほうは健康的なかわいらしさが前面に出ていて、この作品のなかでは世の男性の支持は圧倒的に深津絵里に軍配が上がるだろう。翻って言えば、三谷幸喜というひとは深津絵里のような女優さんが好きなんだろうなあ。透明感があって、年よりも若く見えるようなタイプ。佐藤浩市がとんでもない大根役者をものの見事に大根になりきって演じているのがおかしくてたまらない。その他、多数の芸達者の俳優さんたちを無駄遣いのように出演させている。このころまでのフジテレビには面白い作品を制作するノウハウがあった。最近のフジテレビはテレビ番組、映画とも低迷気味。一時代を築き上げた組織も、その座に居続けることは大変な努力と自らを省みることが肝要なんだろう。昇っていくのはステップバイステップでも、凋落は一瞬だ。
2021.03.28
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1955年(昭和30年) 米 フレッド・アステア レスリー・キャロン 126分<あらすじ>大富豪の3代目経営者ペンドルトンは、フランスの孤児院を訪れた際、面白い18歳の女の子に感じ入るいわゆる妾にするような風聞を敬遠するため、名を明かさず資金援助してジュリー・アンドレを進学させる。条件は彼女に毎月手紙を書かせること。しかし元来気分屋の彼はそのことを忘れてしまって。少女文学の鉄板作品。男子のわたしかれすると、名前は知っていても読むことがなかった作品。少女に薦める小説だから、あしながおじさん=人格者の篤志家だと信じて疑ってこなかったのに。映画が原作に忠実だとすれば、むしろ恋愛小説なのね。この時代の映画は舞台の演目を全国津々浦々まで鑑賞させることができないから、映画で舞台劇を再現しているんだと感じる。主演の二人のバレエダンスは一級品。(どうしてもスカートがひらひらするとついつい目がスカートの中に目が行く哀しい男の性よ…。)この時代ならではなのか、ペンドルトンが思いっきりのほほん社長。鷹揚な時代、今のように社長があくせく労働をしない時代。もうこんな時代は来ないのかな。この程度の働き方が社長にはいいんじゃない。ま、勤務中にドラムを延々とたたき続けられるのはさすがに困るけどね。
2021.03.28
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1965年(昭和40年) 米・伊 ジュリー・クリスティ アオマー・シャリフほか 197分第一次世界大戦からロシア革命までの悲恋を描いた作品なんだと思う。しかし、あまりにロシアからソ連になるまでの歴史を無知なわたしには難解。ラーラを演じたジュリー・クリスティがとても美しいひとだ。
2021.03.28
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1971年(昭和46年) 米 クリント・イーストウッド 102分<あらすじ>ホテルのプールで泳いでいた女性が射殺される。捜査にあたるのはダーティハリーの通称を持つハリーキャラハン刑事スコルピアと呼ばれる犯人は10万ドルを要求し、応じなければ次の犠牲者が出るという。刑事もの。西部劇から鞍替えしてきたイーストウッドのハードボイルドぶりがサマになっている。強硬な捜査方針は、今の時代からすると違和感すら覚えてしまうけれど。この映画に触発されて日本も刑事ものがドラマ化が定番化し、例えば太陽にほえろや西部警察などといったものが派生して生まれたのかなあと感じた。サンフランシスコ警察、あの犯人を見張りもせず解放するからバスジャックにされてしまうんやないかい!この頃のイーストウッドはドナルド・トランプに似ているなあ…。
2021.03.21
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1936年(昭和11年) 米 チャーリー・チャップリン 87分<あらすじ>工員は単純作業の繰り返しと自動化の実験台にされたりと、精神を病む。退院した彼は車が落していった赤旗を持ったがために赤狩りに遭い逮捕されてしまう刑務所の生活に慣れた彼は無実の罪をかぶり再び刑務所へ戻ろうとするのだが。有名な機械歯車に挟まれるチャップリンの作品。機械化されていく時代を揶揄している作品なんだとばかり思っていたが。むしろ不景気に喘ぐ時代に生きていく難しさをユーモアで描き出している。歯車機械のシーンは、逆回転で撮影しているんだろう、これは当時目から鱗が落ちるような発想だったのではなかろうか。キャバレーでチャップリンが自ら歌声を発している、よく聴くメロディ。ああ、この作品から生まれた曲なんだなあとひとつ知識を深くできた。
2021.03.21
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1999年(平成11年) 米 ブルース・ウイリス 107分<あらすじ>マルコムは小児科精神科医、自宅に侵入してきたかつての患者に撃たれる。そこから1年後、マルコムは妻から無視されている日々が続く。そんな折、不思議な能力を持った少年と出会う。一度鑑賞したことを、途中で思い出し。この映画の究極の秘密に気づく。そうすると、もう感じることは「ああ、なるほど、道理で」ばかり。とはいえ、ナイト・シャラマン監督のテイストは苦手。わかりづらいなあ、とも思いながら鑑賞。
2021.03.21
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1965年(昭和40年) 米 ヘンリー・フォンダほか 167分<あらすじ>1944年の冬、まもなくクリスマスを迎えるドイツ戦線。連合国は気が緩み英気に欠け、逆にドイツ軍のヘスラーは乾坤一擲の戦車での突撃を企む。警察官あがりのカイリー中佐はドイツが何かを企んでいることを疑っている。わたしのインチキ格言誰だって現状維持が最も心地よい劇中、ヘスラーが戦闘続行できることに喜び、部下が何故喜ぶのかと問うた答えが「戦闘が続行できるから、戦服がずっと着られるから」と満面の笑み。部下はその答えに凍り付き配置転換を望む。たとえ戦争であっても、ひとはそこに慣れ切ってしまうと、現状のままを望むものなんだなあ。第二次世界大戦が終了して20年後にこのような作品が撮影されている。戦車の迫力、CGもないこの時代だから全て本物だろう。爆発もしかりで、実際に火薬などを使っている。本物にしか出せない(機械であれ)息遣いを感じさせてくれた。
2021.03.21
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1997年(平成9年) 日 唐沢寿明 鈴木京香 西村雅彦ほか 103分<あらすじ>主婦の鈴木みやこが執筆したラジオドラマの脚本は熱海を舞台にした平凡な主婦と漁師の恋物語ところがキャストのわがままから端を発した脚本変更はシカゴに女弁護士とパイロットの恋物語へと。生放送のなか、怒涛の脚本変更にしっちゃかめっちゃかな展開になり。わたしのインチキ格言会議は些細な発言から大炎上することが多い。この映画では主演声優が「律子」という名前が個人的な事情から名前を変更してほしい。そこからあれよあれよと、脚本が変更されていく。その展開はさすが三谷幸喜だ!と感服させられる。最初に「律子」が嫌だ!という申し出をプロデューサーは断ることが第一だ。会議進行者は「拒否権」を行使できるようにしておかなければならない。鈴木京香の平凡な主婦ぶり、緑のニット色のセーターになぜかそこはかとない色気を感じた。結構アップになっている唇にも。
2021.03.21
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1944年(昭和19年) 米 フレッド・マクマレイほか 107分<あらすじ>ウォルター・ネフは保険外交員のトップセールス、調査部のキートンとはお互いを認めあう仲そんな彼が夜の会社にフラフラとしながら録音機に向かって罪の告白を始める保険加入したばかりの男を殺害したのは自分だと告白を始めるわたしのインチキうんちく格言その1 鍵師にこそ最大の良心が求められる劇中、優秀な保険外交員が保険金詐欺を企てる。これは職業人のモラルが最大に問われるテーマを扱っている戦争で国民総動員とか言っている頃の日本なのに、米国はもうこんなテーマを扱い、見事に作品にして国民に娯楽として提供していることにも驚く。それはともかく。職業人で最もモラルを求められるものは何か?と問われたら。間違いなく鍵師だと思う。合鍵を自由自在に製造できるスキルがあれば、盗難、破廉恥なこと、なんでも自由自在だもの。その2 女のアンクレットは男を惑わせてしまう魔力がある劇中、男を狂わせてしまったのは女性の魅力なのか?いや、違うと思う。指輪やネックレスよりも足首に巻かれているアンクレットはその女性が持つ色香を二乗、三乗に掛け算的に増幅させてしまう。わたしがAVを撮影するとしたら、貴金属で求めるものはアンクレットだ。女性の脚にこそ最大の色香が隠されているのだから。
2021.03.18
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1954年(昭和29年) 米 ジェームズ・スチュアート グレース・ケリー 112分<あらすじ>カメラマンのジェフは事故で足を骨折し、車椅子生活を余儀なくされている。そんな彼にできる楽しみは、カメラの望遠レンズを使って裏窓から見る隣のアパートの住人達の人間模様の観察。ある日、いつも口喧嘩が絶えなかった中年夫婦の妻が突如として姿を消す。いやいや、いくら鷹揚な時代とはいえ、窓からこんなにガッツリ覗き見するのは犯罪に問われるだろうし、問われなくてもモラルに欠ける行動として、総スカンを食らうよ。笑サスペンス映画としても面白かった。何せ主人公は骨折した男、だから動けない、逃げられない、戦えない。だから人の生活を覗くしか暇をつぶすことがないのだけれど。それよりも、初めて観た動く「グレース・ケリー」黒いドレスに身をまとったグレース・ケリー、とんでもなく美しい。こりゃ、モナコの王子が恋に落ちるのも道理だわ。オードリー・ヘプバーンよりも色気がたっぷり。イングリッド・バーグマンほどのグラマラスさはないけれど。この3人の女優さんのなかで、実際に遭えるとしたら(デートできるとしたら)グレース・ケリーだなあと思った。
2021.03.17
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1931年(昭和6年) 米 チャーリー・チャップリン 87分<あらすじ>放浪者は一人の女性から花を買い、恋に落ちる盲目の彼女は彼を紳士だと信じ込み。放浪者はひょんなことから富豪の自殺を助け。チャップリンの有名な表情が見られる作品。何せまだこの頃はサイレント映画。このロマンス映画がトーキーの時代であればどのような作品になっただろう?とはいえ、サイレントだからこそ観劇者にはイマジネーションが求められ、空想する自由がたくさん与えられているのだろうとも思える。昭和60年頃に高校の英語の教科書にチャップリンの映画のシナリオが載っていた。この「街の灯」だったかなあと思いながら観たけれど、どうやら異なようだ。ということは「ライムライト」だと見当がついた。
2021.03.17
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1948年(昭和23年) 米 ジェームズ・スチュワート 80分<あらすじ>二人の若者が知人らしい男性を部屋で殺害する。死体をローチェストに隠したまま、予定されているパーティを始める続々と集まるメンバーは気づかないが、一人の教授が不審を抱く。舞台劇のように。舞台はひとつだけ、摩天楼が見える部屋の中で始まり、そして終わる。二人が何故その男を殺したいのかの動機がイマイチ。そこが明確ならふたりの犯人なり、被害者の男性のどちらかに感情移入できるんだけど。そのあたりがモヤモヤしてしまう。途中でどうやら恋敵であったことが判明するけれど。まあ、「恋は盲」目というのがこの動機なのかな。しかし、この舞台劇だけでものの見事に80分間、画面に釘付けにさせられた。教授がどんどん犯人の殺害を証明していく、自分が犯人の気持ちになり「うわー、バレる バレる」とどきどきしながら見入ってしまった。三谷幸喜の舞台劇にこの作品をモチーフにしたものがきっとあるような気がする。
2021.03.17
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2011年(平成23年) 米・英 ジェームス・フランコ 94分<あらすじ>アーロン・ラルストンは週末になるとアクティブなキャニオニングに繰り出す。楽しい時間を過ごしているはずが、岩と共に滑落、右腕を岩に挟まれ身動きができなくなる。食料と水は多少の蓄えはあるものの、全く身動きが取れないなか、彼は生き残れるか。この映画、大阪に住んでいたとき「千里セルシーシアター」に観に行った。これが初めてのセルシーシアターで観た作品。ダニー・ボイルがカメラに収める「BLUE」青・碧・蒼がたまらなく好きになり。そしてタイトルどおり127時間(約6日間)、彼が必死にもがき生き抜いた展開がとにかく凄かった。そのときの感想がこちら懐かしく思い出した。それにしても、ほぼほぼジェームス・フランコの独り芝居だったなあ。
2021.03.01
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2006年(平成18年) 日 寺尾聡 深津絵里 浅丘ルリ子 吉岡秀隆 117分<あらすじ>数学の教師が赴任先の学校で生徒に語りかける、それは数学を公式にただ当てはめるわけではなく。彼の幼少期、母が家政婦として勤めた先の博士の影響のようだ。ただ、博士は交通事故の影響で記憶が80分しかもたない。実際の数学教師は教科書から数字の羅列ばかり。連立方程式までは理解できたが数列や微分積分にカリキュラムが進んだ頃にものの見事に挫折したクチ。この歳になってフッと数列などを勉強したいと思うことがある。そのときの先生は、寺尾聰が演じた博士に習いたい。博士は丁寧に教えてくれる、そして数字に個性を持たせて教えてくれる。潔い数字、賢そうな√、友愛数。こんな風に10代の頃に教えてもらえていたら、と思う。「ステキな金縛り」のころが深津絵里が最高に美しい作品だと思う。この映画のころはその美貌にはまだ至らない感じだ。それでも実際に観ることができたらとんでもなく美人なんだろうけどね。
2021.03.01
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1925年(昭和元年) 米 チャップリン 96分<あらすじ>雪深い山へ金鉱脈を探しに出た男。迷い込んだ小屋にはお尋ね者がひとり、もうひとりの金鉱脈探索者がひとりの計3人その3人に加えて美女がひとり、チャーリーは恋に落ちる有名な靴を食べるシーンロールパンにフォークを刺して歩かせるシーン加えてクライマックスの小屋が傾きながらドタバタするシーンは面白かった。
2021.03.01
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1921年(大正9年) 米 チャーリー・チャップリン 53分<あらすじ>とある女が女優の道を目指すため、生まれた赤子を道に捨てるその赤子を拾った放浪者は赤子を育てることを決意する5年後絶妙のコンビになったふたりは強かに生きる術を身につける。そんな折、子どもが病に倒れる。初めてチャップリンの映画を通しで鑑賞した。トーキーではなくサイレント映画。取り立てて目を見張るべきポイントはなかった。そりゃそうだ、わたしは100年後にこの作品を鑑賞したのだから。100年!1世紀!その年月を遡ってこの映像が当時のひとびとにどれだけの衝撃を与えたのか想像することは難しい。日本では日露戦争が終結して数年後、ドキュメンタリー映像で観る当時の動画と比較すればこの映画が「楽しむこと」「涙すること」感動を誘う娯楽に仕上げているんだと思えるあらためて、チャップリンの歩き方、絵になるね。
2021.02.25
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1975年(昭和50年) 日 高倉健 宇津井健 千葉真一 ほか 152分<あらすじ>東京駅を出発したひかり109号に爆弾をしかけたという脅迫電話が入る。証明までに北海道のSL汽車が爆発炎上してしまうことから、これは本物の脅迫だ。終点の博多まで、犯人、警察、国鉄の三つ巴戦の駆け引きが繰り広げられる。晩年は「鉄道員」や「ホタル」のような、善人を演じることが馴染んでいた高倉健が悪者を演じている。元々は網走番外地シリーズでソノスジの方を演じたんだから、悪者は絵になる健さん。そして「赤い」シリーズで百恵ちゃんの父を演じることが印象に強い宇津井健国鉄の指令室長を演じている、なかなか堂に入った室長で警察ともとことんやり合う姿がかっこよかった。20年hど前にWOWOWで放送されていたのをチラッと見たことがあり、なんとなく気になっていた作品。博多に到着したらゲームオーバーという絶対条件がスリルを倍増させてくれる。80KM未満になると爆発するとはいえ、どんなに時間がかかろうが、一日で終わらざるを得ない物語。つまりタイムリミットが決められている作品、それだけに各駅を通過していく度に「あらま、博多まであと○駅ばい」と思いながら鑑賞。乗客を爆死させる展開はさすがにないだろうから、高倉健が自首するか、爆弾の回路を解除する術を教えて高跳びするか。エンディングはスタンダード。そういや昭和50年頃といえば、オイルショックから立ち直っていく途中で不景気だったんだよね。昭和50年の東京駅、新大阪駅をはじめ、昭和の日本の町並みが記録として残っている。今の東京駅界隈は地方都市の主要駅にすら見劣りする。ビルも本当に少ないし、東京の背丈が低い。池袋あたりは木造建築のオンパレードで、アパートくらいしか階層がある建物がない。新幹線には食堂車があるし。町には公衆電話が(赤・青・緑)あるし。
2021.02.23
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2001年(平成13年) 香 チャウ・シンチーほか 112分<あらすじ>黄金の右足を持つファンはハンの策略にハマリ今や落ちぶれてハンの部下でハンが靴を履く際に自分足を踏み台に差し出す体たらく。カンフーの名人の若者シンと出会い、そのキック力に目を見張る。少林寺拳法とサッカーの融合で大会優勝を目指していくのだが。少年のころのスポーツ漫画等身大の選手を描く 代表作 キャプテン ちばあきお等身大から徐々にあり得ない選手を描く キャプテン翼 高橋陽一とことんギャグに走る こういう漫画があったのだがすっかり忘れてしまったこの少林サッカーはギャグマンガのような作品。何も考える必要もなく、サクッと鑑賞マイケル・ジャクソンのthrillerのダンスを披露し。ブルース・リーへのリスペクトは欠かさず。笑いのエッセンスは万国共通でありながら、国ならではの笑えるポイントは異なるところも多々あるもの。文化や風俗の相違についてチラリと考えてしまった。香港が英国から中国に返還された数年後に撮影されていることから香港が欧米からの束縛から離れて自由を謳歌しているような雰囲気を感じる。あれから20年経過して香港を巡る情勢はきな臭い。2021年のいま、このような作風の映画が香港で製作されることを願う
2021.02.23
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1981年(昭和56年) 米 シルベスター・スタローン マイケル・ケイン ペレほか 110分<あらすじ>第二次世界大戦下のドイツの捕虜収容所、ドイツ将校はドイツ軍と捕虜軍のサッカー親善試合を思いつくハッチは脱出をもくろんでいる、この親善試合を脱出の絶好の機会にしようとしている途中いろいろあって、親善試合が催される、ハーフタイムに脱出がお膳立てされている。この映画はテレビで小学校の頃に観た記憶があったのだが。Wikipediaで観ると1982年だから中学2年。この映画でシルベスター・スタローンを知った。だから、私にとっては「ゴールキーパーをやっていたひとがロッキー」多くのひとが「ロッキーがゴールキーパーやってる」なんだろうけど。この映画でナチスドイツとは悪い存在なんだと知った。中学1年で習ったアンネ・フランクの日記は男子には面映ゆく。なんとなくナチスとは善悪でいえば悪なんだとはわかったけれど。その2つを教えてくれたのがこの勝利への脱出。35年ぶりくらいにこの作品を観ることができてとても幸せな時間だった。主演がマイケル・ケインだと初めて知った。強烈に思い出に残っているのはスタローンがボールをキャッチするシーン観衆がなだれ込んでくるシーン。ペレだけがサッカー選手なんだと思っていたら、Wikipediaで読むと多くのサッカー選手たちが出演されている(現役ではないにせよ)だからか!この作品のサッカーのゲームはステキな仕上がり。パスもトラップもシュートも「ほんまもん」後半のサッカーの試合は久々にテンションがあがった。プロや国家を背負ったゲームにはない、悲壮感がなく楽しみながら真面目なサッカー。スタローンもケインもペレも今は健在。異業種(?)で活躍しているお三方、いつかこのうちの誰かが天に昇っていく日、お参りに行ってほしいなあとつくづく思った。(不謹慎だけど)
2021.02.21
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1978年(昭和53年) 伊・米 ケン・フォリーほか 139分<あらすじ>死者が蘇り、人肉を食らう世界になった。フィラデルフィアで報道に携わるスティーブンは恋人のフラニーと共に都市部を脱出しようとするスティーブンの知り合いのSWATのロジャーとその同僚ロジャーの4人でヘリコプターで抜け出すも。B級映画の極み。そいうや知り合いにこの映画で盛り上がる人がいて、その世界観を語りつくしている姿を遠巻きに眺めていたクチ。こういうB級映画の大多数は(それが自然な作風になるんだろけど)監督や製作陣の趣味や拘りが色濃く反映されていき、鑑賞者が付いていけない、となることが多い。もちろん、この作品だって、コスプレやミリタリーオタクが涎を垂らして鑑賞したくなる作品なんだろう。今でこそ徹夜で仕事して廃人になるひとをゾンビと呼ぶし、冷蔵庫でカラカラに干からびた野菜をみつけるとゾンビ化した野菜発見!とか。ちょっとした常用漢字よりも使う頻度が高い単語になったゾンビ。その世界観がこの作品から始まり、世界に根づいた。文化を作る映画はどこか哲学的、普遍的なものを感じさせる。暴走族がショッピングモールを襲い、ピーター隊VSゾンビVS暴走族の三つ巴戦、いつの世も欲望のために戦いを繰り返す愚かさを教えてくれる。死んでしまった仲間の頭に弾を撃ち抜くことができるか、絶体絶命で自決を選択するか生きる可能性に賭けるか。特撮などは幼稚な技術(この時代だし、却ってこの手作り感があるからこそ安心して鑑賞できる)にも関わらず、もう途中で観るの辞めようと思い続けながら、でもこの世界観の虜になっている自分がいた。ひとりのエキストラが何度も登場しているんだろうけど、この当時での廃業したショッピングモールにこれだけのエキストラが集まるなんて、ものすごいパワーがあったんだろうなあ。
2021.02.21
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2005年(平成17年) 米・英・豪 ジョニー・デップ クリストファー・リーほか 115分<あらすじ>極貧のチャーリーが住む一家はキャベツスープの具材がキャベツだ。ウオンカチョコレートの創始者は世界に5枚だけのゴールデンチケットをチョコレートに同梱した文字通り大人買いした輩がチケットをGETしていく、そんななか最後の一枚はチャーリーが引き当てた。まぁ、ティム・バートンの世界観大爆発!原色、不可思議な装置。シザーハンズを思い出させてくれた幼い子ども時代の機械での不自由な生活。ティム・バートン自身はどんな幼児時代を過ごしたんだろうと思う。チャーリーをはじめとする5人の子どもたちの物語についつい楽しみを持っていかれるけれど、これって親子の絆の物語が芯にあるんだよね。子どもの欲望を満たすためになんでも尽くしちゃうパパ・ママ子どもの欲望を抑えるために厳しく育てる父親。その対比を親世代は見つめないといけないことだろ。子どもたちは、ウンパルンパの踊りをしっかり覚えなくちゃね。昭和世代のおっさんにはウンパルンパのおじ様が荒井注に見えてくる不思議さ。和訳で鑑賞したんだけど、どこかでウンパルンパの曲の詩を「ナンダバカヤロー」とか置き換えて歌ってほしかった。
2021.02.21
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1963年(昭和38年) 米 ロッド・テイラー ティッピ・ヘドレン 119分<あらすじ>サンフランシスコに住むダニエルズはペットショップでミッチという弁護士と出会う。目当てのラブバードがなくミッチはショップを去るが、ダニエルズは彼を驚かせようと、わざわざ彼が棲むボデガ・ベイという片田舎まで出かける。そこでは次々と鳥が人間を襲うような事象が起きはじめていた。作品が始まると早々にペットショップから出てくる犬を連れた老紳士がアルフレッド・ヒッチコックだろう。パニック映画の祖とも感じてしまう作品で、何しろ鳥が人を襲う理由がわからない。観客もわからないし、登場人物もわからない。講釈を述べる老婦人がいろいろと説明する、これがこの劇中での「鳥が人を襲う」ことと当てはまらない。理由なんかわかる暇もなく、事態はどんどん悪い方向に進んでいく。わたしたちが住む世界でも決して無縁ではない、何が何だかわからないけど事態が深刻になっていく経験は少なからずある。その教訓になる作品。女優さんの顔はあまり好みではないのだけど、ヒッチコックが撮影する「女性の脚」に色気を感じてしまう。今作でもダニエルズ、アニーにと後ろ姿でスカートから覗くアキレス腱あたりにキュンキュンしてしまった。
2021.02.21
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1986年(昭和61年) 米 ポール・ニューマン トム・クルーズ フォレスト・ウイテカー 119分<あらすじ>かつてこの道で名を馳せたエディ、気ままに暮らしているある日、ヴィンセントという若者の腕に惚れこむ、彼はまだ勝ちに拘るだけで駆け引きを知らない最強のハスラーへ育成するべく、エディはヴィンセントとその恋人と共に旅に出るこの映画、わたしの学生生活に大きく影響を与えてくれた。1987年に大学生になった者、大学の周囲にはいくつものビリヤード場があった。その冬あたりに初めて球を突き、ナインボールの面白さにどっぷりハマッた。なにせ、一人で球を突いたことすらあるほど。そういや、少年マガジンにも「ブレイクショット」なるビリヤード漫画も連載されて、かなり人気作品だった。本編に話を戻して、ヴィンセントの恋人役の女優さんは「アビス」で主役のエド・ハリスの妻役を演じたひと。一瞬だけどハスラー2で初々しいヌードを披露してくれている。(←スケベ根性)マーティン・スコセッシが撮影するビリヤードの玉とその動きを見ていると、もう20数年球を突いていないけど、「ああ、突いてみたいなあ」とつくづく。プールバーで突かせてくれるようなお店は化石を見つけるような至難の業。あるとすれば、ボウリング場の片隅か。どこかほかにビリヤード台あるだろうか。エディがヴィンセントを一人前のハスラーに育成する作品なのかと思いきや、育成の道は終盤にドンガラガッシャンと崩れてしまい、「はて、この話の結末は?」「やはり、ヴィンセントはエディと再会し教えを請い、優勝への道を進むのか?」その期待は裏切られてしまう。幾つになっても情熱を燃やすことができればそれでいいじゃないか!既にポール・ニューマンはこの世から去り、トム・クルーズもリーゼントヘアスタイルが似合わない還暦を目前に控えるお年頃になった。トム・クルーズは新しいスターを指名し、ハスラー3を作成してほしい。いや、トムはいつまでも自分がスターでいたいタイプだから(偉大なる映画オタクだしね)新人スターよりも自分が映えるように撮影しちゃうかもなあ。あ、エディは不覚にも負けてしまう凄腕ハスラーに若き日のフォレスト・ウイテカー。一度見たら絶対忘れられない容貌が特徴的なウイテカー。心ひそかにいつも応援している。
2021.02.21
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2006年(平成16年) 米 ジェイミー・フォックス エディ・マーフィー ジェニファー・ハドソンほか 131分<あらすじ>デトロイト。三人の娘がステージデビューをする、ドリーメッツ黒人男性ボーカリストの前座から始まった彼女たちは、やがて全米を世界を席巻していく。スターダムにのしあがる彼女たちには仲が引き裂かれていくことも発生するショービジネスの世界は忍耐と自立が必要元はミュージカル。この映画でもドリームガールズが歌うシーンの力の入りようはビンビンに伝わってくる。40歳代でトム・フーパー「レ・ミゼラブル」の虜になった身としてはこの作品の素晴らしさもよくわかる。iTunesでこのミュージカルのサントラを探すけれど見つけきれない。それほど曲の素敵さは筆舌に尽くしがたい。だからこそ、ドリームガールズは映画ではなく舞台で「観て」「聴く」経験に勝るものはない。それもブロードウェイ。或いはアポロシアター。ストーリーでは大成功を収めてスターの座を掴む(と同時に孤独も掴まざるを得なくなる)ディーナよりも、頑固でわがままな性格が災いして脱退の憂き目に遭うエフィにシンパシーを得た。この作品で久々に存在感を光り輝かせたエディ・マーフィー。裏のテーマでもある黒人と人権のテーマ。彼が白人女性に向かって「I WANT YOU」と歌い上げて迫り、ドン引きされて退場されていく。このシーンでの黒人ボーカリストのノリのよさと差別されることの嫌悪感を醸成させられたのはエディ・マーフィーだからこそと感じた。あー、サントラ見つけたいなーーーー!
2021.02.14
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1940年(昭和15年) ローレンス・オリビエほか 米 130分<あらすじ>大富豪マキシムに見初められ、あれよあれよと結婚までゴールインしたわたし豪邸があるマンダレイでの新婚生活が始まるも、わたしの周囲には一風変わったひとが多く一年前に亡くなったレベッカの影が色濃く。マキシムもわたしの行動には制約をかけてくる。名作と言われるこの作品をようやく鑑賞。なるほど。なんといっても女中奥さまのダンバース婦人の目力がすさまじい。こんな女中がいる豪邸に住むことになったら、毎日毎日鬱々として過ごさざるを得ないだろう。大富豪のマキシムも存在感がたっぷり。この二人に比すれば主役の女優ジョーン・フォンティンは…。でも。なんといっても、この映画の最大の魅力は「遂にレベッカは登場してこない」劇中に「R」の頭文字を象ったハンカチを始めとする小道具が出てくるたび。「レベッカは実在した奥さまなのか?それとも?」「レベッカは殺人事件の被害者なのでは?」「レベッカは本当は生きているのでは?」などと、中盤から後半にかけての脳みそを酷使しながらのストーリーを追いかける謎解き。名探偵コナンもビックリな作り方が80年も前に公開されていたなんて。
2021.02.14
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1991年(平成3年) 米 カート・ラッセル ウイリアム・ボールドウイン ロバート・デ・ニーロ 137分<あらすじ>ブライアンは幼少期、目前で消火活動にあたる父が亡くなってしまい、LIFE誌の表紙にもなった。長じてブライアンは幾つかの職業を経て亡父、そして兄が務める17分暑の消防隊員に就く。折しも放火による火事が相次ぎ、兄との決定的なスキル不足を痛感したブライアンは消防士から外れることを選択するバックドラフトは就職したその年の夏に鑑賞に行った記憶が鮮明にに残っている。アーノルド・シュワルツェネッガーのキンダガートン・コップと同時上映だったような記憶。当時はシネコン前夜で、映画館は座席指定ではなく、上映中であっても自由に館内に出入りできた(チケットさえ買えば)鑑賞しにいった記憶は鮮明なんだけど、内容はあまり覚えていない。数年前にもテレビ上映されたのを眺めたにも関わらず、今回もすっかり内容を忘れていた。ただ、エンディングでブライアンが新米消防士に温かい眼差しで接するのを覚えていた。バックドラフトの主役はなんといっても「火」90年代初頭、ターミネーター2でヘリコプターの操縦士のヘルメットにT1000(だっけ)が金属から人間の顔になる特撮が少年漫画、青年漫画で特集を組まれた時代。この火、今なら全てCGで再現できるんだろうけど、この作品での火はCGではないんだろう。(一部はCGもあるだろうけど)先年旅立った秋田犬のわさおを見るとカート・ラッセルを思い出す。毛が長いたれ目の犬を観るとウイリアム・ボールドウインを思い出す(アレックは思い出さない)それからレベッカ・デモーネイ。「ゆりかごを揺らす手」での悪女ぶりが強烈過ぎて、90年代中盤以降ほとんどスクリーンで観ることができなくなった女優さんだけど、彼女が放つ色気の虜になったクチ。この作品中にも夫のカートラッセル(スティーブン)と一瞬絡むシーンでの彼女の脚の素敵なこと。どうかもう一度スクリーンでそのおみ足を拝みたい。
2021.02.14
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1973年(昭和48年) 米 バーブラ・ストライサンド ロバート・レッドフォード 118分<あらすじ>1940年代のアメリカ、第二次世界大戦下、ケイティは貧乏女学生で共産主義に傾倒している。ハベルは悠々自適なノンポリ学生。二人は卒業後に再会し、恋に落ちる。しかし主義主張が正反対のふたりには幸せな結末は訪れそうにない。もしも神さまが「お前の望むとおりに顔を整形してあげよう」と許してくれるならロバート・レッドフォードの顔を希望する。それくらい、レッドフォードの顔立ちは完璧だと思う。昨年「さらば愛しきアウトロー」で俳優業を引退しちゃったけど。老いてなおハンサムなおじいちゃんだった。ストーリーを追いかけていくと。「あー、わかるなあ」だ。お互いに恋愛感情は持てるけれど、価値観が異なる。ものすごく偏った表現をすれば「閨は充実しても、陽の下での暮らし方に共通するものがない」価値観の違いはいくら埋めようとしても埋まらないもの。男女のどちらかが自分の価値観を押し殺してパートナーの価値観に合わせる。そういうふたりは将来を誓いあったり、ひとつ屋根の下で暮らしてはいけない。前半は退屈な時間の流れに感じたけれど、ふたりに亀裂が走りだしてからの時間はあっという間にエンディングへ向かっていく。ラストシーンでの再会、緊張してしまうし、そのエンディングしかないことはわかっているのだけれどどうにかならんものか、と思ってしまう。
2021.02.03
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2009年(平成21年) 米 マイケル・ジャクソン 111分<あらすじ>2009年6月25日に急逝したMichaelの直前の6月までの姿7月からのワールドツアーに向けてステージをエンターテインメントに仕上げていく模様が中心NEW HORIZONで英語の勉強を始めた身としては訳すと「これはそれです」たかがメイキングフィルム、されどメイキングフィルムステージが完成する以前の自分の姿を見せることに天国のMichaelには不本意なことだろう。しかし、ファンでなくても場面場面での彼の歌声、ダンスには引き込まれてしまう。2000年代後半にはわたしにとって多感な頃を彩ってくれたミュージシャンが3人天に昇った。この、MichaelJackson次にWhitneyHoustonそして忌野清志郎3人に共通するものは「魂のピュア」だと思っている。中学生から高校生に進学するころにthrillerがヒットしてモノマネしたし。初めて買ったLPレコードはthrillerだ。なのに、高校生になり多感になってくると(気取っていく世代だ)Michaelのピュアさが気恥ずかしくなってきた。だんだんとヘビメタだのフュージョンだのロックだのブリティッシュイノベーションだのと。大人を感じさせてくれるミュージシャンに心移りをしていった。10年前にも一度DVDで鑑賞し、こうして今回ひとりで鑑賞していても。「感激」と「気恥ずかしさ」が同居しながら鑑賞している自分がいる。ステージを作り上げていくうえで、彼は一切の妥協をしていない。そして観客が期待している姿を誰よりも理解している。ありきたりな言葉しか出てこない、やはり偉大なエンターテイナーだ。天国でもダンスしていてほしい。
2021.02.03
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1980年(昭和55年) 英 エリザベス・テイラーほか 105分<あらすじ>ミス・マープルが暮らす街に大掛かりな映画が撮影されることになった。往年の大女優マリーナ・クレッグが出演するのが大きな目玉になりそうだ。ところが共演予定のローラとの仲が悪く、どうなることやら。そんな矢先マリーナのファンだというヘザーがパーティ時に飲んだカクテルで毒殺されてしまう。カクテルは元々はマリーナが飲むものだった。マリーナは誰に狙われているのか??原作はもちのろん、アガサ・クリスティー。アガサの作品を映像化するのはなかなかハードルが高いようで、数年前に観た「オリエント殺人事件」も映画を観てから原作を読んで「!」となった。いや、オリエント殺人事件の犯人は・・・タブーなことをアッサリとやりきってしまうアガサ!さて、この映画の犯人。あのひとだろう!あれ?死んだあのひとだろう!あれ、このひとも死んだあのひとだろう!あれあれ、このひとも殺された?と、撮影人の思惑どおりに犯人と思ったひとが殺されていくという。エリザベス・テイラー、この当時48歳!じゅうぶんに美しいです。主役のマープル役の女優さんを食ってます。
2021.01.31
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2006年(平成18年) 米 デンゼル・ワシントン 127分<あらすじ>ニューオリンズ、フェリーが大爆発し594人の被害者が出るテロが発生。連邦捜査官のダグは捜査にあたり、やがてFBIとの接触から過去の映像をリアルタイムに観ることができるシステムに立ち会う。フェリー爆発の直前の被害者であろうクレアの家宅捜査をするなか、奇妙な感覚がある。兄、リドリーが示唆に富んだ作品が多いドライブシュートのひととするなら。弟、トニーは直球ドカーンなシュートしか蹴れない不器用なひと(褒めている)大出世作トップガンだって、ストーリーはあまり頭に残ってない。というか親友が事故で死んで、教官の女性と恋に落ちてハッピーエンドだよね。残念ながらトニーは既に天国に(いや自裁したら地獄に行かされても文句は言えないんだよね)いるんだけど、晩年のトニーとデンゼルはタッグを組んだ作品が多い。デンゼルの笑顔がとても好きなんだけど、これを引き出してくれたのはトニーなんだよなあと感慨深い。ストーリーは途中から複雑怪奇になっていくので、タイムパラドックスが起きたらどうなっていくんだろう?という疑問は起きるのだけれど。この作品はトニーの最高傑作のひとつだと思う。エンディングでデンゼルが現れてくるのは(直前に容易に想像できるんだけど)涙もんでした。ポーラ・パットンエキゾチックなお顔立ちで色気あるなあ。ミッションインポッシブル ゴーストプロトコルにもご出演。
2021.01.31
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1956年(昭和31年) 米 デヴィッド・ニーブンほか 169分<あらすじ>フランスの作家ジュール・ベルヌはSF作家の元祖、彼が書いた月旅行は映像化されこれが映画の始まりだ。ベルヌが予想した世界一周もやがて実現する、それは80日をいう常識外を超えた短い日数。この作品はその80日間で世界を一周するとある富豪の物語。↑、なんだか1984年のスクールウォーズのナレーションみたい。笑昭和43年生まれのわたし、日曜日の朝に観ていたのが「兼高かおる世界旅行」をぼんやり見ていた。この映像から得た常識、見識はきっとわたしの血肉になっているように感じる。この映画の音楽を聴いて心が児童のころに戻ったような気になった。今作ではスペインは闘牛の国香港は西洋とアジアの融合した都市横浜は。。。笑 あれが当時の欧米のひとが思っていた日本なんだろうインドでは象で移動して、牛は神聖なる生き物アメリカ、鉄道がよく止まる(西部開拓時代だからなあ)本編は観光映画。映画の魅力である、世界中のひとが同じ建造物・風景・食材・風俗・文化を共有できる。ミッションインポッシブルは、アクションにも重きを置いているけれど、あれも観光映画だ。エンディングがとにかく洒落こけている。モンスターズインクのエンディングはこの作品へのオマージュなんかな、とか思いながら。(似ているように感じた)
2021.01.31
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1945年(昭和20年) 米 イングリッド・バーグマン グレゴリー・ペック 111分<あらすじ>コンスタンス女医が勤務する院長は老齢を理由に後任をエドワード博士というひとに譲ったエドワード博士が着任するも、「思ったより若いのね」の声が聞こえたり、彼の行動には不可解な点が散見される。特に白いものに線が入っているものを見るとパニックに陥る。コンスタンスとエドワードは惹かれあい、コンスタンスは恩師ブルロフの元に身を寄せる。眼鏡をかけたバーグマン!知的魅力がアップしてGOOD!(パーマをあてたのか、うねうねしたヘアスタイルは好みじゃない)でもそれをヘアスタイルを差し引いても、バーグマンの美しさは余りある。ヒッチコック作品、最後の最後まで気が抜けないハラハラドキドキはあいかわらず。鑑賞者の心理を見抜いているとしか思えない撮影に脱帽。バーグマンの作品、「カサブランカ」「ガス燈」などは、あの時代にしか煌きを放つことができない作品なんだと思う。ガス燈の町の雰囲気をCGで演出すつことはいくらでも可能だろうけど、アナログでしか伝えられない映像ってあるんだろう。カサブランカは時代背景、撮影はわずか10年前の歴史背景を負っているから深みが増しているように感じる。これを2020年代に1940年代の80年前のことを撮影しても「あの時代のナマなところ」は再現できないと思うから。でもこの「白い恐怖」は現代版でリメイクしてほしいと思う。心理学者やカラー映像だからこそ逆に映えるであろう「白」ストーリーは複雑怪奇にならない程度に心理学者の考察を深めたり、エドワード博士のトラウマに至る経緯などを。ただ、エドワード博士の夢の世界(目玉がいっぱいのおどろおどろしいヤツ)は今作のまま引用してくれてもいい。
2021.01.31
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1959年(昭和34年) 仏 ジャン=ポール・ベルモント 90分<あらすじ>ミシェルはハンフリー・ボガートに憧れている。マルセイユで車を盗み、追われる身になった彼は警官を射殺して逃亡の身となる。親しんだパトリシアの元に転がり込んだ彼は逃亡のアテを探しているヌーベルバーグが何かはよくわからない。ストーリーの軸はなんとなくわかるけれど、「はてさてそれでどうなんだい?」と、「?」が頭上を駆け巡る。こんなストーリーがよくわからない作品なら即座に観るのを諦めるのだけれど。不思議と映像に惹き込まれる。1950年代のファッションでありながら全く古臭くないし、サングラスや縦じまのワンピース。かっこいい。
2021.01.31
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1939年(昭和14年) 米・加 ジュディ・ガーランド 101分<あらすじ>ドロシーはおじさんおばさんとカンザスに住んでいる夢見る少女ある日竜巻により家はふっとび、ドロシーは魔女の棲むオズの世界に飛んできた。彼女は案山子、ブリキ人形、ライオンと出会いながら魔法使いの棲む館を目指す無知とは恐ろしいもので。「虹の彼方に」はオードリー・ヘプバーンの歌だと信じて疑わなかったわたしにヘップバーン以前に歌われていたなんて。梨木果歩の作品に「西の魔女が死んだ」というジュブナイルもの。西の魔女ってなんなんだ?っていう謎が、オズの魔法使からなんですな。日本では日中戦争に舵を切られた時代。ノモンハンや、満州の映像を見るとき、白黒しかない。同じ時代にアメリカでは既にカラー。しかも娯楽作品にこんな予算をつぎ込んでいる。そりゃ、負けるわ。と、先日の若草のころと同じ考えが駆け巡る。奇しくも主演はどちらもジュディ・ガーランド。彼女の人生を少々調べてみると、古今東西天才子役に往々として見られる破滅的な人生。そりゃ、こんな10台のころに大金を手にすれば親も理性を失うし、本人だってどうしていいのかわからなくなるもんだ。彼女が生んだ子がライザ・ミネリ。そういえば面差しが似ている。さて、この児童文学の映像化作品。「子供に夢を見せようとすうなら、大人は本気でやらなければ子どもを導けない」ということ。3人のしもべたちが、真剣にそれぞれの役になりきっている。製作したひとたちが「本気で子どもたちに夢を見せてやろう!」という意気込みを画面越し、時代を超えて伝わってくる。アルミの銀粉はさぞかし肌にやさしくなかっただろうし。この作品、21世紀のCG技術に慣れっこになっているであろう幼児がきっと夢中で観るように思えてならない。エバーグリーンな映画のひとつだと思う。
2021.01.24
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1946年(昭和21年) 米 ケーリー・グラント イングリッド・バーグマン 101分ドイツ出身の父がナチスのスパイだったとして世間から非難されるアリシアそんな彼女にナチスの残党の一掃をもくろむCIAが近づくCIAのデブリンとアリシアはお互いに惹かれるものの、ミッションのためにアリシアはターゲットにしている富豪の妻になる。何せイングリッド・バーグマンは美しい。どこかのリンク先で美輪明宏がイングリッド・バーグマンは全てが美しいと書いていらっしゃた。わたしは唯一バーグマンにケチをつけるとしたら「歩き方」大柄なバーグマンにそんなリクエストをするのは無茶なものだろうけど。歩き方にもう少し女性らしさがあればなあ、と思う。結構ドスンドスンと歩いているように見えるのよね、バーグマン。監督がアルフレッド・ヒッチコックなだけに、古い映画でありながら本当にドキドキするシーンばかり。ワインの倉庫での証拠探し。モノクロでCGもんければスローモーションもないのに。(いやむしろそんなテクノロジーが無いから?)このままアリシアは死んでいくしかないじゃん!と思っていたら、最後の1分で。これが本当の「大どんでん返し」!もうひとつ。キスの連打!「こら!ケーリー・グラント!俺のバーグマンにそんなにキスばっかりするんじゃねえ!(怒)」この時代の映画でキスシーンと言えばブチュッと一回キスをしておしまいなんだけど、中盤でのキスシーンは妬けてしまうほどのラブラブぶり。
2021.01.24
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1999年(平成11年) 日 高倉健 大竹しのぶ 広末涼子ほか 112分<あらすじ>佐藤乙松は北海道の幌舞駅の駅長、石炭ディーゼル時代からの鉄道員(ぽっぽ屋)冠婚葬祭があろうとも駅の業務が最優先だ、それは娘の急逝や妻の他界の折ですら。同僚の杉浦はリゾート化されるトマムへの再就職が決まり、乙松を誘っている。この映画が公開されたころの記憶のひとつにこの映画を境にして映画館での広告が「絵」(アナログ)から「写真」(デジタル)に変わっていった。高倉健と広末涼子の絵が描かれた映画館が紹介されていたことを思い出す。絵師からすれば、やはり昭和のよき時代の銀幕スターの高倉健を描くのは至高の喜びだったのだろうしこれで筆を置けると思われたのかもしれない。浅田次郎の原作は未読、本の構成がどのようなものか興味がある。映画のように時代を行ったり来たりしながらの構成なのか、時系列での構成なのか。ただし、佐藤乙松を全て高倉健に演じさせてしまったのは残念。大河ドラマでも感じてしまうのだが、1990年代後半より主演は全てひとりの俳優さんに依存している。さすがに少年少女のころは子役(これもまた上手すぎる子役が多い)が演じ、次の俳優さんへバトンタッチ。2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」でもほとんどが長谷川博己で明智光秀の老い(ふけていく過程)が見えずらい。この鉄道員にしても同じで、昭和30年後半くらいから平成前半くらいまでの年月を高倉健に演じさせるのは無理がある。子どもが生まれるころとの相違は髪の毛を黒くしているくらい。こういう俳優が変わらないというのは鑑賞者であるわたしどもが「俳優が変わることへの違和感」が優先される、いわば劇の顔が変わることへの不寛容から始まったのだろうか(興行主の金銭事情も大きいのだろうけど)健全な映画、劇を製作してもらうためには演劇界には不寛容な観客の無茶な要望には耳を貸さず演技力を最優先で製作、撮影してもらいたいなあと思った。青年期、壮年期、晩年期と俳優を分けて、満を持して晩年期に高倉健が登場したら絵になるのでしょうか。
2021.01.24
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1999年(平成11年) 米 ウイル・スミス ケビン・クラインほか 107分南北戦争後のアメリカ。北軍出身の黒人と白人の性格が全く合わないふたりが南軍の科学博士をやっつける。日本では攘夷活動の時代とほぼ同じ頃の米国の南北戦争の知識が乏しく。きっとこの映画は下地に日本史でいえば黒船が来た!とか大政奉還をした!とかいう最低限の知識があると楽しめる作品なんだろう。リンカーンの肖像画があることくらいしか「ふむふむ」と頷ける知識がなく残念。ワイルド・ワイルド・ウエスト以前。大成功を収めた「メン・イン・ブラック」でウイル・スミスがスターダムにのしあがった。そのテイストでこの作品を撮影したんだろう。メカニックに代表されるようにこの作品でのスパイダー型移動機、磁力で亡き者に導く首切りマシンなど、アイディア自体は「おおっ!」と驚きを与えるCGはいたるところに溢れている。のだけれど。のだけれど!!二流のお笑い芸人がデビュー当時に大うけしたネタをアレンジして、笑いが失笑になってしまう、スベり笑いのような作品に感じざるを得ない。メン・イン・ブラックはウイル・スミスよりもトミー・リー・ジョーンズの存在がヒットの要因だったんだろうなあ。先年、アラジンで生意気で空気を読まない魔人を演じたウイル・スミス。彼にはこういう役割がいいのだろう。無敵な主人公ではなく、どこか弱みを握られている愛嬌のある主人公補佐。あ、ケネス・ブラナー。悪ノリしながら楽しそう。シリアスな顔立ちで演じる作品の印象が強いので、こういうブラナーは新鮮だ。ブラナー、外国人初でバカ殿やってくれんかなー。
2021.01.20
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2012年(平成29年) 米 クリント・イーストウッド エイミー・アダムスほか 111分ガスはアトランタブレーブスのスカウトマン。野球だって時代は最先端の技術が取り入れられる時代、パソコンでデータベースを元にスカウティングするビジネスマンのようなスカウトマンが羽振りよく活躍している。自分の目で見るガスはそういった輩をせせら笑いながら足で稼ぐ。そんなガスにも老いは訪れ、目がかすむ緑内障に罹患している。一人娘のミッキーは弁護士の道を駆け上がっているが、ガスの目となるべく休暇を取りスカウトに同行するこの映画は公開当時映画館で鑑賞した。そのときのいちばんの印象はエイミー・アダムスの色気とツンとした鼻。感想は当時と同じものだった。その意味ではこの作品はわたしにとってブレがない作品とも言える。
2021.01.20
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1953年(昭和28年) 米 リチャード。バートンほか 124分ティベリウス皇帝が治めるローマ帝国、護民官のマーセラスはエルサレムへ赴任するそこで彼は神の子と呼ばれる男を磔の刑に処す、その実務を担う。処刑後、残された衣を焼こうとすると体の中から稲妻にようなモノが走る十数年前によく手にした遠藤周作の本や阿刀田高の旧約聖書を知っていますか?それから塩野七生のローマ人の物語(未だ賢帝の時代あたりで途中のままだが)こういった本から得た知識が予備知識として備わっている自分にちょっとだけ誇りに感じながら観た。劇中にはイエスキリスト、ピラト総督の姿は登場してこない。主人公が護民官、ローマ帝国側からの視点。とかくキリストVSローマ帝国となると、ローマ帝国が敵役になる。この作品もキリスト教を是とする作品なので、ローマ帝国の印象は少なからず悪者として映る。塩野七生のローマ人の物語、先に書いたようにキリスト登場以前しか読めてないから「キリストが生まれたころのローマ帝国はまだ偉大だったんだ!」と断じることはできないけれど。うだうだ書いているが、言いたいことは「この時代のことを本で読みたいな」、と。また、この映画を観ていてフッと「STAR WARS」オビワンケノービ、ヨーダ。彼らはいつも衣で顔が見えないようにしている(それは映画上の演出なんだけど)でもあの衣はこの映画からルーカスがヒントを得たんじゃない?エピソード4でオビワン(アレック・ギネス)は「身体は滅びても魂は残る」なんて言ってダース・ベイダーの闘いに終止符を打ったし。潔くカリグラ帝の死刑宣告に主人公マーセラスとダイアナと共に刑場へ向かうシーンエンディングだって、シチュエーションは違うけどエピソード6のハン・ソロとレイア姫の別れが思い起こされるし。
2021.01.20
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1944年(昭和19年) 米 ジュディ・ガーランド 113分ごめんよ、この作品のストーリーはちっとも頭に入ってこなかった。セントルイスはいいところなんだなあ、と。無理やり例えるなら神戸あたりでどうかな。ひたすら頭を駆け回っていたこと。昭和19年、日本では鬼畜米英、贅沢は敵、もんぺ、鉱物は国家に差し出す。敵国の米国では、豪華絢爛にパーティを演出し、ラララと歌い、恋を語らう。しかも舞台設定は1900年ころ、日本ではロシアと覇権を争って(いや領土を守るため)いる時代。手塚治虫が戦後、ディズニー映画を観て。僕らが我慢に我慢を重ねていたときに、アメリカでは無くても生活に支障のないことに知恵を出して楽しませることをしていたんだ、と感嘆した話に思いを馳せた。しかし、100年前の女性のヘアスタイルは滑稽に感じる。
2021.01.12
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1991年(平成3年) 米 ジョディ・フォスター アンソニー・ホプキンス 118分FBI訓練生のクラリス・スターリングは上官クロフォードの教え子であり愛弟子。折しもバッファロー・ビルという猟奇的殺人を繰り返す犯人を突き止められないFBI精神科医でありながら人食いハンニバル・レクター囚人が何かのヒントを持っていると踏んだクロフォードはクラリスにレクターを訪ねるように指示を出す。20代のころ、レンタルビデオで鑑賞数年前、CATVか何かで鑑賞今回BSプレミアムで鑑賞と、これで3回目の鑑賞、これでようやくストーリーの半分以上が理解できた。(おいおい)場面が変わるのが一回の鑑賞では頭が追いつかない作品だなあとと自己弁護。1.FBI。2.レクターが囚われている刑務所。3.バッファロー・ビルの自宅。その3つの場所があることを理解したうえで、関連する様々な「現場」に鑑賞者が連れていかれる。あと、決定的に残念なのは。英語がわからないと完璧に楽しめない(満喫できない)アナグラムで人名を告げるところは日本人にはキツい翻訳をしてくれるひとたちは丁寧に訳してくれているが。そこは母国語でない辛さ。アナグラムについてはここが参考になりました。映画はクラリスがトレーニングするシーンから始まる。なんとスエット!今の時代なら速乾性の高いウエアがある、いやはや時代を感じる。時代を感じると言えば「女性の社会進出」も(ベタな言い方)クロフォードと連れ立って犯行現場へ訪れた際、彼女以外全員男性。クロフォードは監察官か誰かと別室にふたりで籠り、クラリスは地元警察の保安官たち(正確には違うのかも)からジロジロと遠慮なき好奇な目に晒される。前2回の鑑賞ではあまり気づかなかったけれど、クロフォードとクラリスには特別な感情がお互い横たわっているよう。それを見抜くレクター博士、やっぱすげーわこの博士。
2021.01.12
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2018年(平成30年) 日 リリー・フランキー 安藤サクラほか 120分スーパーマーケットで父と息子が抜群の連携で万引きをする。住まいには妻・妻の妹・祖母と5人暮らし。ある日、夫は帰り道でDVに遭っていると思われる女児を哀れに思い連れて帰る。この家族、万引きをする生活だけに留まらず、どこか変だ。登場人物、全員が何かしら人のものを盗んで生活をしている。正確には松岡茉優が演じた亜紀は財物は盗んでいないけれど、彼女は妹の名前を盗んで源氏名にして風俗店で稼いでいる。撮影をした家が、リアル過ぎるほど汚い散らかりよう。俳優陣の服飾がファストファッションでオーラが感じられない。(リリーさんは本当にそからへんにいる建築現場の労働者にしか見えない)民放のプライムタイム帯のドラマは「どこにいるの、そんなひと、そんなカップル」ファンタジーの世界で彩られる(だからほとんど観ることもない、恋ダンとか知らんし)この映画の擬似家族は「ひょっとしたら棲息しているのかも」と感じさせるものがある。底辺の世界で住み、そこから抜け出そうという努力もせず、盗みは職業の一部として生きている。万引きをしたことがある身として。だんだんとその財に対価を支払うことが「あたりまえ」から「異常」に変わっていく。この映画で度々盗まれるカップラーメン。買うものではなく、盗むことがあたりまえ、だと。盗んだ罪は罰として対価を支払わなければならない。カップラーメンなら稼いで返せるけれど(いやこれもおかしいことを言っているのだけれど)時間と記憶は返せない。だからリリーさんとしょうたがバスでお別れするとき、父親としての体験が彼を襲う。一方息子のしょうたは時間と記憶の深度が浅いからか、チラッと後ろを振り向くにとどまる。このあとの父と息子が再会する日は来ないだろう。父はどうやって立ち直るのか、息子はこの記憶を封印して成長していくのか。そして、りんと呼ばれていたじゅりはDV生活に戻り、ベランダの外の世界に焦がれながら暮らす。りんにとって、疑似家族での暮らしのほうが人間らしい生活を送れた日々なのだから。松岡茉優の体当たりな風俗嬢の役(胸がゆっさゆっさにはゴクリでした)安藤サクラの全裸に、ひとりで鑑賞しているのに目のやり場に困った。
2021.01.12
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1940年(昭和15年) 米 ジョエル・マクリーほか 120分ニューヨークの新聞社の社長は欧州での戦争開戦が気になるも、現地の特派員からは政治家のコメントをコピペしたような記事ばかり。生きた記事が欲しい社長は社内の跳ね返り記者ジョーンズを特派員として送り込む。欧州の要の政治家ヴァンメアとの接触に成功したジョーンズ、平和党のフィッシャーとその娘とも知り合うアルフレッド・ヒッチコック監督作品。雨の中でのヴァンメア暗殺のシーン風車での犯行一味とジョーンズのかくれんぼ・追跡のシーン80年も前の作品でありながら、ハラハラドキドキさせられる。映像の技術に頼らず、カメラアングルの工夫やエキストラの配置の工夫をすれば鑑賞者にスリルを与えることはできるんだなあ。中盤以降ストーリーが大きく動き出し、後半はちょっとバタバタと終わっていく印象。
2021.01.07
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2002年(平成14年) 英・仏・米・独 ヒュー・グラントほか 100分親父の印税収入の遺産で悠々自適に暮らすウイル。後家殺しのような恋愛をしたりと、ウイルはあまりいいヤツとは思えない。そんななか、SPAT(Single Parent Alive Together)で出会ったバツイチ女性の友人の息子と知り合うヒュー・グラントは、日本でいえば阿部寛がもっとも雰囲気が近い俳優さんなのかな。顔立ち・たれ目・独身貴族っぽい雰囲気など、通じるものがあるような気がする。日本もそうだけど、イギリスもシングルマザーで育てられる子どもたちの「心の健康」を確保することがとても難しい問題だと提起されている作品なんだろう。冒頭にボンジョビの曲の歌詞が紹介され。くるりと回って結末にもその歌詞で〆る。そういうウイットがいい。
2021.01.07
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1982年(昭和57年) 米 リチャード・ギアほか 124分ザックは父親ひとつで育てられた。父は海軍士官だが、堕落した生活を送っている。ザックは空軍士官学校へ入学し、パイロットへの訓練を受ける。原題が「An Officer and An Gentleman」この題からよくぞまあ「愛と青春の旅立ち」という邦題に転換したもんだ。ここで読んだ解説がとても腑に落ちた。この映画には思い出がある。大学に進学し、サークル紹介の一環で映画研究会が上映したのがこの作品。まだチェリーボーイだったわたしは性の描写ばかりが頭に残って。次に強烈だったのが軍曹のしごき、これが延々と見せられた印象だったが今回の鑑賞で「あれ?これくらいしかないの?」と。ちょろまかそうとするザックの浮薄さを見抜くフォーリー軍曹のしごきに「どこにもいくとろこなんかない!」と泣きながら絶叫するシーン。これがザックが20数年置かれた環境だったんだろう。愛も青春も関係なく、テーマは「のし上がる」「這い上がる」閉塞された環境から抜け出す泥臭さだ。同じようにヒロインのポーラも。空軍の訓練地でしかない地元から抜け出すにはパイロットとゴールインするしかない。だからポーラの友人は偽装妊娠を企てたりするわけだ。愛と青春の旅立ちなんてキレイな邦題からカップルでルンルンしながら観ると気まずくなること請け合い。軍曹が特訓に使う歌が(下賤極まりない)リズム感そのままにファミコンウォーズのCMに使われていた。「ファミコンウォーズが始まるぞ」「こいつはすごく面白い、のめりこめる、のめりこめる!」「母ちゃんたちにはナイショだぞ」とか、歌っていたなあ。この作品の4年後にトム・クルーズのトップガンが公開される。そしてこの86年以降日本は未曽有の好景気を迎え、トップガンのマーベリックのような努力をする姿よりもおしゃれでかっこいいだけの主人公が闊歩するトレンディドラマが隆盛するベトナム戦争の影が残るこの作品と影が見えないトップガンとも見えてくる。
2021.01.07
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1963年(昭和38年) 米 オードリー・ヘプバーン 113分旅行先で離婚を決意するレジーナに夫の訃報が入る。葬儀に訪れる夫の友人は胡散臭い輩ばかり、そして盗まれた金塊があると要求してきた。旅行先で知り合ったピーター、OSS(現在のCIA)の警部、レジーナの元に寄ってくる輩の誰が信じるに値するのか。ヘップバーンの衣装は全てジバンシーとのことで。赤・黒・白、サングラスとどれもよく映える。ジェームス・コバーン(モンスターズインクのランドールの声)ウオルター・マッソー(がんばれベアーズの監督)も出演。ピーターの本当の素性は予想の範囲内。金塊が何に化けているのか、というのがミソ。
2021.01.07
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2020年(令和2年) 米 ガル・ガドット クリス・パインほか 151分久しぶりに映画館で鑑賞した作品を書く。前作のワンダーウーマンは常に前を向いて生きて、女性が憧れる女性だった。今作のワンダーウーマンは果たしてそう映るのだろうか???1984年に舞台を設定した理由は冷戦真っただ中の米ソの対決というのはわかる。その理由をもっとわかりやすく映像で説明してくれたらよかったのに、と残念。ファッションや小道具などは多少なりとも1984年感は演出していたけれど、そこが中途半端だった。音楽でマイケルジャクソンとかカルチャークラブとかの曲を流したり、スターウォーズの映画をちらつかせたりすればいいんじゃないかなあ。無理に彼女の少女期を出さなくても。(とは言いながら少女期のシーンがいちばんテンションが高くなった)しかし、この映画がグダグダになってしまったのは作品がトランプ政権、トランプ個人へのメッセージを込めようとしたあまりにストーリーがブレてしまったことだろう。マックスを演じた役者の顔はどことなくトランプを彷彿とさせる。日本人でもこんな顔だちのひとがいるよなあ。。。そうだ、スリムクラブの真栄田くんだ。ということはトランプと真栄田くんは似ているんか??
2020.12.20
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1979年(昭和54年) 米 クリントイーストウッド 112分フランク・モリスはサンフランシスコのアルカトラズ刑務所に収監される。全員が独房で過ごす、米国一厳しい刑務所、その所長は輪をかけて囚人の自由を制限する仲良くなった囚人の自由が奪われたことに激高、絶望したモリスは可能性が低い脱獄を企てる脱獄を描いた映画は結構観ていて、先日のショーシャンクの空にとか、ニコラス・ケイジ「ザ・ロック」とか。この映画はそのふたつの作品の先駆者なんだろうなあ、と思いながら。黒人囚人との関わり合いはショーシャンクの空に通じるだろうし。アルカトラズはザ・ロックと呼ばれていたことはまんまザ・ロックに。収監されるまでのモリスの犯罪、犯罪歴、人物像は全く説明されず。脱出してからのモリスの生存や生き様も全く語らず。ただシンプルに、モリスが収監されてから脱出するまでだけにフォーカスを当てている作品。ハリウッドの作品は説明を省く、そこからはみ出たことを鑑賞者に委ねる。わたくし、モリスの生存説に一票を投じたい。
2020.12.20
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2018年(平成31年) 米 クリント・イーストウッド ブラッドリー・クーパーほか 116分園芸家アール、かつてはコンベンションで優勝をしたこともあるが90歳になる今では破産の身。離婚した妻、子どもたちとも疎遠なまま、孫だけは「おじいちゃん」と呼び、付き合ってくれる無事故無違反の彼を見込んだ麻薬組織は彼に運び屋に仕立てていく。最初こそブツが麻薬とは知らずにいたがアールは知りながらも大金の報酬のため運び続ける三面記事をタネにしてイーストウッド監督がものの見事に昇華させてしまった。朝鮮戦争の退役軍人という設定、これを理解しておかないとアールは単なる勝手気ままなじじいとしか見えなくなるのではないか。国のために身をもって報じた誇りを胸に生きているじいさんにとっては家族との絆を構築することはあまりに難しいし、理解できないことのほうが多かったのだろう。わたしの幼児期にはまだ明治生まれのおじいちゃんたちが町のあちこちにいて。雷じじいとか、竹馬を教えるおじいちゃんとか、いろんな爺様たちがいたことを思い出す。じいさんたちの口から出る単語はときにクラシカルすぎて困ってしまうことが多々あった。この作品でいえば「ニグロ」(じじいことば)と「ブラック」(いまのことば)作品では三回目(だったと思う)に大金の報酬の元手は麻薬だと気づく。そして12回成功し、その数回後で逮捕されてしまう。10回近く、麻薬の報酬として大金を得て。退役軍人会に寄付したり、孫娘の結婚式に金を出したり。イーストウッド監督の目線はそこに善悪を突き付けてこない。あくまでもそういう事実があったと目の前に広げてみせるだけ。それだけに。大金でなんでも買えたが時間だけは買えなかった。このセリフがジーンと沁みてくる。
2020.12.20
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2006年(平成18年) 日 松雪泰子 蒼井優ほか 120分昭和40年ころ、福島の常磐にある炭鉱都市は岐路に立たされる石炭から石油にエネルギーは転換し、遠からず雇用を喪失することになるハワイアンセンターという奇手を思いついたひとりの経営者は東京からダンスの先生を招聘する昭和のころは石炭から石油に転換。そして平成・令和は石油から電気へとエネルギーは転換しようとしている。このごろのニュースを見ていて、遠くない未来、例えば10年後、町にあるガソリンスタンドは更にセルフ化していくんだろうし、スタンドそのものももっと減っているのかもしれない。しかし、既にそのようなスタンドもあるけど充電スタンドが当たり前になるんだろうしスタンドの価値を維持するために新しいサービスが確立されていくんだろうなあ。と、映画を観ていて頭の半分ではそんなことが駆け巡っていた。徳永えりがかわいい。そして徳永えりの父を演じていた高橋克実の気持ち。フラダンスはストリップと大して変わらないじゃん、と思っているのはわたしもそうだ。娘がフラダンサーになりたいと言ったら高橋克実と同じことするような。(まあ、今ならDVで刑務所行きだけど)そのような偏見を持っているものがラストのダンスを観ると考えが改まる。なるほど、このフラダンスというのはかなりの体力を消耗する立派なダンススポーツだ。銭湯でのシーン、松雪さんは豊川悦治のイチモツを目にしたのだろうか?いやあ、このシーンはかなりの迫力だったので。
2020.12.20
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