森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2022.01.29
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森田先生のお話です。

「何ごとにもとらわれる心」は、同時に「何ごとにもとらわれない心」でありまして、「心は万境に随って転ずる」ことになるのであります。
なおここでいうとらわれとは、広くいえば「注意の集中」であり、せまくいえば「注意の固着」であります。

心配症の人は、「とらわれる」という言葉は、あまりよい印象がありません。
「とらわれる」ことによって、不安、恐怖、イライラ、不快感が襲ってくるからです。でも「とらわれる」ことをなくすることはできません。
仮になくすることができたとすれば、無鉄砲な行動で自分の命や社会的な地位、人間関係がすぐに破綻に追いやられます。
「とらわれる」ことは、人間の進化の過程で淘汰されずに残されてきたことに思いを馳せる必要があります。「とらわれる」ことは、人類が生き延びるために必要なものだったということです。

でも高性能レーダーようなものを兼ね備えて、小さなことにもことごとく「とらわれてしまう」ことはなんとか改善したいと思っています。

森田先生は「とらわれたとき」に注意を集中させてはいけない。

そんなことをすれば、天気のよい日に拡大鏡を持ち出して、テッシュや新聞紙の上に太陽の光を一点に集めるようなものです。すぐに炎上してしまいます。
そのままにして他のものに燃え移ると大火事になります。

以上をまとめると、「とらわれる」ことはどうすることもできない。
あるがままに受け入れていくしかない。

つぎに「とらわれ」は、ここに問題がありますよ。
ここに解決すべき課題がありますよと教えてくれています。
あるいは、好奇心や興味が存在する場所を教えてくれています。
それをありがたく受け取りすぐに行動に結びつけていく。これが一つの方向です。
対応可能で事態が改善に向かうものではこの方向で努力する。

それ以外の「とらわれ」(神経症的な不安や不快感)は、あまり深くかかわらないようにする。谷間を勢いよく流れる小川のように速やかに流していくように心がける。そして次々と目の前に現れてくる「とらわれ」に飛び乗っていく。
これは「とらわれ」は間断なく現れては消えているということです。


森田のキーワードに「無所住心」という言葉があります。
心はどんどん移り変わっているので、集中や固定はできない。
またそうしようとしてはいけないということだと思います。

そういう意味では鴨長明の方丈記が参考になります。
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。





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Last updated  2022.01.29 06:36:27
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kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) New! 申し訳ございません。生涯森田様でした。
kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) New! 障害森田様 この記事の中で「心とは裏腹…
楽天星no1 @ 早速のご返事感謝 森田生涯さんへ 早速のご返事ありがとう…

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