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松下幸之助さんは幸せには3つあるといわれているそうだ。もらう幸せ。できる幸せ。与える幸せ。この中で与える幸せが一番質が高いと言っている。もらう幸せとは、給料をもらって自立できる幸せのことだろうか。そのお金で家族を養い、生活をどんどん豊かにすることができる。その給料で自分のできないこと、欲しいものを他人に肩代わりしてもらい手にすることもできる。できる幸せとは、問題点や課題を乗り越えたり、夢や目標に挑戦することだと思う。仮に乗り越えられなくても、目標を達成できなくても、努力精進した経験は貴重なものです。そのためには、絶えず自己内省しているよりは、外向きに物事本位の態度に重点を置いたほうがよいと思う。神経症に苦しんでいるときは気持ちが内へ内へと向かってしまう。しかも事実を軽視して、先入観や決めつけによってネガティブ、悲観的、マイナス志向に陥りやすい。これでは精神交互作用によって、容易に神経症に陥ってしまう。そうならないためには、価値判断しないで、目の前の出来事をよく観察することだ。見つめていると何らかの感情が湧いてくる。その感情を高めていくと、気づき、発見、工夫、アイデアなどが生まれてくる。意欲的になり、一心不乱に取り組んでいると、時の立つのも忘れるようになる。やりがいや生きがいはこのような過程を経て作り上げられるようなものだと思う。森田理論では、このことを「生の欲望の発揮」という。与える幸せとは、日ごろから人の役に立つことを見つけて、人のためになることをする気持ちが大切だと思う。他人から与えてもらうばかりで、与えることがない場合はバランスが悪くなる。それに加えて、人間関係の面では、他人に「かくあるべし」を押し付けないという姿勢をつらぬいたほうがよいと思う。「かくあるべし」を押し付けていると、他人の存在自体を否定し、対立的となる。どんなに理不尽なことをされても、その事実を価値判断しないで正確に把握する態度が大切である。そして一旦は受け入れる。その上で、自分の気持ちや意志と乖離がある場合は、その溝を埋めるべき話し合いをする。そういう姿勢を堅持することが大事である。「かくあるべし」を他人に押し付けている人は、自分自身にも理想や完全を押し付けている人である。二重の意味で葛藤を抱えているので、生きることが苦悩の連続となる。他人に「かくあるべし」を押し付けないというのは、最高の与える幸せにつながると思う。
2019.06.11
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イチロー選手が現役を引退した。オリックスで1278本、メジャーリーグで3089本のヒットを放った。通算4367安打である。名球会2人分の実績だ。それ以外にも盗塁や守備も超一流だった。日本での引退会見は未明まで続いた。私は「森田道」を歩んでいる人は、イチロー選手の生活ぶりや野球に取り組む姿勢をよく観察してまねることが大変有効であると思っている。この会見で印象に残ったことを投稿してみたい。まずルーティーンを大事にしていることだった。シアトルで試合のあるときは、奥さんの手ずくりのおにぎりを2個持参して球場入りをしていた。その数は2800個ぐらいで、せめて3000個までは握らせてあげたかったと語っていた。そういえば、球場入りする前の食事は、奥さん手ずくりのカレーに決めていたそうだ。その前には老犬の一弓と散歩に出かける。犬の名前は自分と奥さんの名前からとっている。その老犬の懸命に生きる姿にいつも勇気をもらっていたという。そういえば犬は15歳から20歳で寿命が尽きるようですね。そして球場ではパワーをアップする筋トレよりは、筋肉に柔軟性を与える運動に取り組んでいた。打席に向かうしぐさは毎回同じ動作をとっていた。屈伸やバットを立ててピッチャ側に押し出す動作は寸分の狂いもない。イチロー選手は試合のある日は、毎日同じ時間に同じ行動をとっていたのではないかと思う。森田でいうところの、愚直に規則正しい生活を続けていたということだ。私たちは毎日同じことの繰り返しだとマンネリになって、意欲が低下してくる。飽きがくる。精神の弛緩状態を緊張状態に転換するために、規則正しい生活よりも、次から次へと刺激のある行動をとって退屈から逃れようとしている。いつもカンフル剤を打って士気を高めようとしているのだ。イチロー選手は、試合で1本でも多くのヒットを打ってお客様に喜んでもらうことに生きがいを感じていた人だ。その目標達成のためには、脇目を振らず、毎日の生活を規則正しく送ることの意味をしっかりと持っていたのではないか。ルーティーンをこなすということは、前頭前野でいろいろと悩むことがなくなる。練習や習慣によって、前頭前野でなく、運動野などからの命令によって直接身体が自然にスムーズに動くという状態である。つまり精神拮抗作用のマイナス面を取り除くことを自然に身に着けていたと考えられる。それからイチロー選手は、「やりたいと思ったことをやればよい。成功するか、失敗するか考えてやるよりは、やりたいことをする。いろんな記録を作ったが、その記録を作るための努力を積み重ねていた時にやりがいを感じていた」という。私たちは手を付ける前から、頭の中で成功するか失敗するかを予想する。失敗する確率が高いと思うと、無駄なエネルギーを使うよりは、簡単に挑戦をあきらめてしまう。考えてしり込みしてしまうよりは、先に手を付けてみて、後で考えるという習慣の方がよほど意味があるということだろう。考えるばかりで、行動はお粗末というのでは、精神障害を招く。そんな計画性のない、軽率な行動はダメだと最初から決めつけてしまうと、幸運やチャンスはすぐに逃げてしまう。失敗の経験を積みあげることができないので、いつまでも成功には近づかない。森田では、食事作り、掃除、整理整頓、洗濯などの日常茶飯事を丁寧に取り組むことを勧めている。
2019.05.31
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ジム・ レーヤー氏は「過労死」について次のように述べている。過労死とは過労による死を意味する日本語である。(中略)長時間労働、ノルマ達成の大きなプレッシャー、睡眠不足、酒の飲みすぎ、タバコの吸いすぎ、家族と過ごす時間の極端な少なさ、厳しい家計、ラッシュと渋滞ばかりの通勤事情、運動不足、全くない回復時間、これが日本の多くのビジネスマンが置かれている実情である。過労になると、体に疲れが蓄積されて、体が動かなくなる。意欲ややる気が起こらなくなる。放心状態になる。無気力な精神に状態に陥る。興味が湧かなくなる。これはうつ病の症状とよく似ている。どうにも耐えられなくなり、死を選ぶ人も出てくる。その時になって周囲の人が初めて気づいて驚くのである。普通は元々人間に備わっている精神拮抗作用が働く。働きすぎだと感じると、休養を取る。休む。リラックスをする。緊張を緩める。心身共に弛緩状態にしてバランスをとるのだ。ところが、真面目で責任感の強い人、対人恐怖症で上司に言いなりになる人は、我慢して耐えてしまう。自分の感情とは反対の行動をとってしまうのだ。そのストレスは相当なものだ。そんな状態が慢性化すると、精神拮抗作用という人間に備わっている機能が破壊されるのだと思う。そして休息をとらないで、無理して追い込んでいつまでも働く。ついに肉体も精神が限界を超えたときに、もどうにもならなくなって死を選ぶということになる。限界を超えてしまうと、もはや他の選択肢はなくなり、後戻りできなくなるのだ。ここでは、元々人間に備わっている精神拮抗作用という、生存に必要な機能が破壊されてしまうことが一番の問題となると思う。日本では今後は、働き方改革の法律が国会を通過したことにより、 4週間に4日の休暇を与えれば、あとは24時間労働させても法律的には何ら問題はなくなる方向になっていくでしょう。会社の言いなりになって何ら疑問や反発することがなく、真面目に働く人ほど過労死の危険性は高まってくる。神経質性格を持っている人は、責任感が強く、仕事にのめりこむ傾向があるので特に注意する必要がある。身体的にも精神的にも無理がかかっていると感じたら、無理をしないことが必要なのだ。いかに仕事に対して不全感があっても、無理は禁物だ。仕事をさぼることは許されないとして、罪悪感を持つ必要はない。まだ初期のうちに気づいて手当をすることが肝心である。我々は元々鋭い感性を持っているのだから、こういう時に活用する必要があります。仮に仕事にのめりこんでも、一日の中で休息やリラックス時間を必ず取る。1日の中でバランスをとる必要があると思う。命あってのもの種だ。また、仕事だけではなく、家事、家族との団欒、友人たちとの交流、趣味、習い事、適度な運動、集談会への参加、ボランティア活動、自治会活動などとのバランスのとれた生活を送ることが必須である。仕事人間になり、役職者を目指すことに唯一の価値を見出していくような方向は避けたいものだ。今の世の中、同じ会社にいれば、そのうち中間管理職の役割が回ってくることは避けられないが、自分から積極的に動くことはあまりお勧めできない。のらりくらりしていれば、ときには非難されることがあるかもしれないが、役職者に引き上げられる機会は少なくなるだろう。また役職者になっても、担当部署の実績が上がらなければリストラや出向、依願退職という形で責任を取らされるのが現実なのだ。自分は会社で生活の糧を得るのが一番の目標であるという気持ちをしっかりと持っておくことだ。それを忘れて、人間関係を良好に保つことに大きな価値を見出している人もいるが、本末転倒なのではないかと思う。人間関係の悪化を理由に、社会保険完備の会社を退職することは考えものである。
2019.04.14
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スポーツの世界では、イメージトレーニングは実際の練習と同じくらい効果があるというのが定説になっています。ゴルフ界の帝王といわれたジャック・ニクラウスは「自らの安定したプレーの50%はイメージトレーニングによって支えられている」と語っています。ショット前に描いたイメージが主役であり、その後の実際のショットは、描いたイメージ通りに打てたかどうかの確認作業に過ぎないと語っています。イチロー選手は、試合後ベンチ裏にあるビデオブームにこもって、その日のすべての打席のバッティングフォームを自らチェックする習慣を身につけていました。そして「足の上げ方がめちゃめちゃ遅い。これではヒットなんて打てないよ」などとつぶやいていたのです。イメージトレーニングのパワーを自覚し、脳裏で頻繁に成功シーンをイメージする。これこそが、夢をかなえる大きな武器になるのです。最高レベルのイメージを最大限駆使してピッチャーの投げたボールを打ちにいく。高度なイメージに基づいた行為が、イチロー選手にヒットを打たせていると言えるのです。スポーツ界のみならずビジネス界においても、成功のイメージを描くことが夢の実現には不可欠です。一流のセールスマンは、大事な商談で顧客を説得するために、イメージの中で繰り返しリアルにリハーサルをするスキルを身につけています。たとえ顧客が難しい難題を要求してきても、想定したイメージを駆使して、見事に商談を成功させることができるのです。一握りの成功者たちは、鮮明なイメージを描いているから、成功を信じることができるのです。イメージすることに無頓着なその他大勢の人々は、偶然によってのみ、夢をつかむことができます。しかし、そんな心構えでは一生、夢を手に入れる事はできません。一方、一握りの成功者は、自分の描いた鮮明なイメージを頼りに行動を起こし、確実に夢を実現させていくのです。(イチロー試練からの実現力 児玉光雄 星雲社 76ページより要旨引用)私たち人間には、例えば大勢の観衆の前で楽器の演奏をしようとすると、プレッシャで舞い上がってしまいます。これは精神拮抗作用が働いているためです。うまく演奏したいという気持ちがあると、もし失敗でもすると笑いものになるという不安が出てくるのです。これに打ち勝つためには猛練習をして、練習段階では完璧な状態に仕上げることが必要です。私はアルトサックスの演奏会の前には、機械的に同じ曲を30回繰り返して練習するようにしています。この練習の数がある程度の自信をもたらしてくれるのです。でも成功を収めるためには、それだけでは不十分といわざるを得ません。つまり、失敗したらどうしようという不安が、欲望を上回ってパニックになることがあります。そんな時にこのイメージトレーニングは役立ちます。自分の状態をビデオなどを見てよく観察する。そして成功のためのイメージ作りをするのです。私はアルトサックスの練習時、難しい指使いの部分は、強弱の付け方をイメージしています。リズム感をイメージするのです。それだけで、成功のイメージが違ってきます。一番緊張するのは、曲の出はじめにソロ演奏で始まるときです。その時は、なるべくゆっくりと何回か指使いを確認します。ただし、これも何回も繰り返していると、かえって神経がそこに張り付いてしまうので要注意です。そのころ合いが難しいところです。それと仲間と一緒に演奏していますので、間に合わないときは一部分だけ一緒に演奏してもらって乗り切ることを考えています。そういう安心感があれば、成功間違いなしという気持ちになるのです。楽器の演奏は、多少緊張感がある方がうまくいきます。演奏が始まると、何も考えることがなく、勝手に手先が動いてくれていたという時の方がうまくいくことが多いようです。その時は、波に乗って、前頭前野はお休みしている状態です。これは口でいっても難しいことところです。猛練習によって体得することで、安心感がイメージできるのです。
2019.04.07
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神経質者の仕事に対する姿勢について、本多信一さんのお話を紹介しよう。1 、 「人生は演技なり」と心得て、普段の自分の性格を少し工夫してみよう。まったく無口な人でも、 「サラリーマンの役割」を与えられたと思えば、おしゃべりぐらいはできるようになります。しゃべれば人間関係ができてくる。つきあい社会がサラリーマン世界の実相ゆえ、自分本来の性格にかかわらず、なるべく「みんなと付き合う」演技をしよう。2 、内向型は超真面目人間ゆえ、テレビの俗な番組に興味がない。モーツアルトの音楽を聴き、純文学を読むのが最高と言う人が多い。しかし、これだと「お高くとまっている人」の評を得る。それゆえ、俗に交わるトレーニングが必要だ。人々の話題が俗っぽくとも、それに加わる努力が必要なのだ。高踏を去り、低俗を容認する努力を、私は真面目な顔で要求したいのである。つきあい酒、付き合いゴルフ、そうしたものを切り捨ててはいけない。プロ野球、高校野球、主要な競馬のレースなどもスポーツ紙を読んで、 「対話できるレベル」までにと努力すべきだ。3 、自分を知らせる努力をすることも大切だ。内向型の男性サラリーマンから相談されるテーマに、 「上司から嫌われています」 「 OL達から敬遠されて・ ・ ・ 」という問題がある。これは、上司やOL達と語りあう機会を自ら持たないせいではなかろうか。例えば「自分は無口で会話が下手だが、これは性格のせいです」 「女性の前だと、内向型人間って自意識過剰で固くなってしまうんですよね・ ・ ・ 」ということぐらいあらかじめ知らせる努力をした方がよい。4 、内向型はアイデアアマンゆえ、仕事に自分のアイデアを活かしてみることだ。 「考える人」としての私たちには、社業を抜本的に救うような企画が出せるはずだ。セールスに回されたら「販売はアイデアなり」と考えて挑戦してみよう。高名な発明家は、たいてい内向型人間だ。それゆえ、私たちも商品開発とか工場合理化、販売方法まで、その気になれば百でも千でもアイディアが出せるはずである。(内向的人間ほど大胆に生きられる 本多信一 大和出版 170ページより引用)これらは少々突飛な話かもしれないが、共感できる部分もある。仕事は自分の労力を提供して、生活費を得て、自分や自分の家族を養っていくことにある。ところがいつの間にかその目的が忘れ去られる。給料が自分の口座に振り込まれるのは当たり前という気持ちになる。そして別の目的にすりかえてしまう人がいる。会社内での人間関係を良好に保つことに最大の価値や目標を持つような人である。絶えず上司や同僚、得意先の言動に敏感に反応して、振り回される人たちである。自分の気持ちや意志はいつも抑圧している。こうなると会社勤めは針の筵に座らされているようなものだ。本多さんは、会社勤めに大切なのは、本来の目的を失わないことだといわれているように思う。自分が月給鳥となって自分や家族のためのエサをとってくるという本来の目的のことだ。昇進できない。大きなミスをしたので責任をとる形で退職するというのは如何なものか。良好な人間関係作りができないので、退職するなどということはもったいない。会社では、可もなく不可もなく、のらりくらりと定年まで在職していることは、それなりに大きな意味があると思う。そのために、本多さんは、人間関係を円滑にするために、役者のように演技をしてみることを勧められているような気がする。がちがちの「かくあるべし」を前面に押し出すと、とてもではないが定年まで持たないと思う。
2019.04.06
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2019.04.03
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社会一般の人に「森田療法」というのは残念ながら見向きもされていない。心の問題を抱えている人はどんどんと増えているのだが、薬物療法が主流だ。薬で簡単に回復を目指すことが主流だ。しかしこれではまた再発する。生きづらさは解消されることは、まずないだろう。失意のうちに人生は終わってしまうだろう。仮に精神療法を受けるとしても、認知行動療法が主流で「森田療法」を選択されることは少ない。このままでは「森田療法」の中心は中国に移ってしまうかもしれない。そして、日本人は、中国や世界各地で普及して、初めて「森田療法」「森田療法理論」素晴らしさに気づくのかもしれない。森田先生は人間の気質を7種類に分類されて、その中の一つに「神経質気質」を持った人間があるといわれている。日本の人口は1億2000万だから、どんなに少なく見積もっても、神経質性格を持った人は、1000万人は下らないだろうと思っている。そういう人が、森田療法という精神療法の存在を知り、学習のきっかけをつかむことは大変に意義が深いことだと考えている。森田療法理論を少しでも学習すれば、その後の人生が輝いてくるのだ。そんな宝の山を見逃してしまうのは、とてももったいないと考えているのだ。私は森田の魅力をあらゆる機会を見つけ、あらゆる広報媒体を使って、広く一般心の人に広報する必要があると感じている。そこで私が目をつけていることがある。私は神経症で苦しんだ時に、長谷川洋三先生の「森田式精神健康法」で森田理論との出会いがあった。そして森田理論を学ぶ自助組織に参加することができた。そうしたきっかけ作りを多くの一般市民に提供してあげることである。その場合、「心の健康セミナー」「出前森田」などの開催は役に立つだろうと思う。森田療法を知るきっかけ作りになるはずだ。その時にいきなり森田を前面に出してもみんなの関心を引くこともできないし、かえってしり込みされるだろう。しかしそういう人でも、心の関係する悩みはたくさん抱えているのだ。例えば考えられることを上げてみよう。ガンや難病で苦しんでいる人。不登校・ひきこもり・出社拒否、家族の人間関係、会社での人間関係、いじめ、子供の虐待、介護、愛着障害、発達障害、うつ病、全般性不安障害、多くの精神疾患、慢性疼痛、慢性皮膚病、慢性的に生きづらさを抱えている人。さらには強欲資本主義で最低限の生活を強いられてストレスを感じている人たち。そういう人たちは薬物療法、精神療法、カウンセリングなどを受けられていると思う。森田療法の立場から言えば、そういう人達に薬物療法などとともに森田療法を組み合わせることで立ち直りのきっかけが生まれているという事実を伝えていくのだ。私は、心の健康セミナーを何回も受けているうちに、森田の新たな展開に入っていると感じている。例えば、伊丹仁朗先生はガンや難病に森田療法を応用して、生存率を格段に向上されている。慢性皮膚病に森田療法を応用されている皮膚科の先生も大きな成果を上げておられる。慢性疼痛、気分変調性障害、慢性のうつ病などにも森田療法を応用されている医者もおられる。摂食障害やリストカットなどに森田療法を応用して、子供たちの心の問題に対応しておられる臨床心理士の先生もおられる。私たちは、あまりにも神経症と森田療法の結びつきが自明の理のような感覚にとらわれている。森田はそのような井の中の蛙のような世界でのみ有効なのではない。心と身体の関係は、心身一如である。ターゲットを絞って、森田に理解のある専門家とタイアップして、そういう改善例を粘り強く、心の問題を抱えている人に訴えかけている活動が、森田に今求められている課題だと感じている。
2019.03.16
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「平々凡々ありがとう」という詩が「生活の発見誌」に載っていた。きょうも 一日が すぎた平凡な 一日が すぎたとりたてて感動することも 感激することもおこらなかった朝起きてから夜寝るまでいつもと変わらぬ 平々凡々いつもと変わらぬ 平々凡々でも よーく 考えてみるといろんな角度から考えてみるともっともっと 大きく考えてみると交通事故もなくケガもなく病気もなく父も母も元気だ妻も子供も元気だ会社も順調素敵な友達もたくさんいるよーく考えてみると平々凡々どころかすばらしいことの連続じゃないかこれはすごいことだこれはすばらしいことだこれはすてきなことだ平々凡々どころか感動 感激 感謝じゃないか平穏無事の平々凡々感謝せずにはいられないありがとう今日も 無事で ありがとう平々凡々 ありがとう。(「ありがとう」の詩集 清水英夫著)淡々と繰り返される大きな変化のない日々の生活の中に喜びを見出しておられる。自分の生活をいとおしみ、感謝せずにはおられない気持ちなのだろう。こういう人は心身共に健康だと思う。後悔のない人生を送ることができる。「平々凡々」の反対は、毎日刺激があり、楽しいことがふんだんにある生活だ。例えば、飽食三昧、観劇三昧、鑑賞三昧、スポーツ三昧、旅行三昧、温泉三昧、買い物三昧のことだ。自分では何もせずに人に依存する生活のことだ。自分の力で作り出した喜びは少ない。それらを追い求めていると、日常茶飯事のことはほったらかしになる。興味が持てなくなる。自分の持っているものには関心が持てず、自分にないものを次から次へと探し求めている。欲望が欲望を生みだすような生活で、便利さ、快楽追及が最優先の生活である。これで心から喜べるような悔いのない人生を歩んでいければ、万々歳である。しかし事実はいつも反対になる。人間関係も悪くなる。そういう生活を追い求めれば、追い求めるほど、空虚になってくる。むなしくなってくる。生きることに何の意味があるのだろうと思うようになる。こうなると本当につらい。心の中で自分の現状、現実、事実を否定しながら生きている。十分なお金があって、欲しいものが何でも手に入るのに、つねに不安に追い掛け回されている。中にはうつ状態やうつ病になる人も出てくる。将来の展望が開けない。砂を噛むような虚しい人生に絶望している。反対に平々凡々と繰り返される日常生活の中で、小さな幸せのかけらを毎日見つけて人生を楽しんでいる人もいる。その人達は刺激のある大きな幸せを追い求めない。あまり動きまわらない。お金もそんなに必要としない。自分に備わっているもの、自分の身の回りにあるものを大事にしている。家族や友達を大切にしている。身の回りにあるものを創意工夫して精一杯活用して生活をしている。小さなとるに足らないような楽しみをそこらじゅうにもっている。塵と積もれば山となる。毎日の日常茶飯事がこそが宝の山なのである。私の座右の銘は「凡事徹底」であるが、「平々凡々」の考え方とよく似ていると思う。
2019.02.10
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私たちの広島集談会では、下記の通り「第3回心の健康セミナーin広島」を開催します。日時 2月10日(日) 14時~16時30分場所 広島市西区区民文化センター大会議室A 広島市西区横川新町6―1 山陽本線広島駅より山口方面2つ目の横川駅下車徒歩3分 交通の便はよいです。講師 岡山県倉敷市のすばるクリニックの伊丹仁朗院長演題 「ガン・身体疾患への森田療法の応用」体験談 生きがい療法実践者によるガン克服体験談入場無料 定員80名伊丹仁朗先生は、森田療法理論から「生きがい療法」を開発され、ガンや難病治療に応用されている方です。今や二人から三人に一人がガンになる時代です。これに対して手術、放射線、抗がん剤の三大治療が中心です。これらは標準治療と呼ばれています。それらの治療をうけると、免疫力が大きく低下するといわれています。一旦治っても、数年後再発する人が後を絶ちません。完治しないで再発することは大きな問題です。再発して進行すると、もう今の標準治療ではなすすべがなく、ホスピスに送られることになります。伊丹先生は治療法もなく放置される人のことを「がん難民」と呼ばれています。実際には30ものガン治療法はあるのですが、それらを希望しても治療として取り上げられることはありません。例えば温熱療法、ビタミンC療法、丸山ワクチン、気功などです。これらについては著書「絶対にあきらめないガン治療・30の可能性」に詳しく取り上げられています。京都大学の本庶祐先生は、「免疫チェック阻害剤」として「オプジーボ」を開発されました。これについてはこのブログ、2018年10月4日に取り上げています。伊丹先生は、さらに現在試験が続けられている、近赤外線光線療法、FAS阻害剤の治療法に注目されています。これが完成するとすべてのガンは結核治療と同等に完治可能な病気になるといわれています。これらは2016年4月2日このブログで紹介しましたのでご覧ください。健康な人でも毎日がん細胞は3000個ぐらいはできているといわれています。それをナチュラルキラー細胞が日夜退治してくれているおかげで、ガンにはならないのです。ですから普段の生活の中で、ナチュラルキラー細胞を活性化して、自己免疫力を高めることがとても重要になります。伊丹先生は、森田療法でいう「生の欲望」の発揮が、自己免疫力を高めて、がんの予防につながるといわれています。笑いのある生活もその一つだといわれています。伊丹先生は、ガン患者に寄り添い、富士登山、ヨーロッパ最高峰モンブラン登山、オーロラ見学ツアーなども実施されたこともあります。今では「生きがい療法ユニオン」を組織され、ガン患者・難病疾患に手厚い医療を目指して、大きな成果を上げておられます。その中でも、ユーモア療法、イメージ療法、体験療法、気功などはとてもユニークな活動です。今回のセミナーでは、生きがい療法の実践によりガンを克服した方が体験発表されます。積極的な目標や課題を持った生活が、いかに免疫力の強化に役立っているのかが分かります。伊丹先生の活動は、今では国内外で高く評価され、多くの人に注目されています。第17回森田療法学会では森田正馬賞を受賞されております。また、週刊現代が特集した「日本のガン治療の名医100人」にも選ばれた先生です。
2019.02.01
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広島市はほとんど雪は降りません。今年初めて山が白くなりました。我が家から見た東の山です。
2019.01.26
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2019.01.04
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歌謡曲の中には森田療法理論の真髄をついているのではないか、と思われるものがある。歌が好きな人は、歌詞を覚えて口ずさむことお勧めしたい。まず中島みゆきさんの「時代」と言う歌である。今はこんなに悲しくて 涙もかれ果てて もう二度と笑顔にはなれそうもないけどそんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょうまわるまわるよ時代はまわる 喜び悲しみくり返し 今日は別れた恋人たちも 生まれ変わってめぐりあうよ続いて「世界に一つだけの花」です。花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだねこの中で誰が一番だなんて 争うこともしないで バケツの中誇らしげに しゃんと胸をはっているそれなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる 一人一人違うのに その中で一番になりたがるそうさ僕らは 世界に一つだけの花 ひとりひとり違う種を持つその花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい最後に「花のように鳥のように」です。そこにあるから追いかけて 行けばはかない逃げ水の それがしあわせあるようでなくて だけど夢見る願かける 花のように鳥のように 世の中に生まれたら一途にあるがままの生き方がしあわせに近いこれ以外にも自分を励ましてくれる歌詞はたくさんあることと思う。ぜひ発掘して、自分の持ち歌にしてほしい。
2018.12.16
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厚生労働省が2016年におこなった意識調査に、 「生きていればいいことがある」と言う質問があった。これに対して、 「そう思う」と答えた割合は20代が最も低く、わずか37%だった。2008年の調査では、 62%が「そう思う」と回答しており、この8年間で大幅に減少しています。同様の調査は、 2013年に日本、韓国、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデンの7カ国の13歳から29歳までの若者に対しても行われました。 (内閣府 「わが国と諸外国の若者の意識に関する調査」 2013年)「自分自身に満足している」という質問に対して、 「そう思う」と答えたアメリカの若者は46%でした。これに対して日本の若者は7.5%でした。 「親から愛されている」と思っている若者も、日本が最も少なく35%でした。「自分にどの程度誇りを持っているのか」についても、日本の若者が最も少なかったという。また、日本の若者は、 「自分は社会の役に立たないと強く感じる」 「人は信用できない」と感じている若者が多かった。将来への希望を聞いたところ、 「希望がある」と答えた若者は12% 。社会に対する満足度を聞いたところ、 「満足」と答えた若者は3% 。 「自国の将来は明るいと思う」と回答した若者も同じく3% 。日本では比較的治安が安定し、飢えている人もいない。物質的には豊かで、基本的な生存権は保証されてはいるが、精神的にはとても不安定な若者が多い。仕事もフリーターや派遣労働者が多く、将来への展望が持ちにくい。正社員となっても、厳しく目標管理を設定され、ノルマの達成に追われている。他人の評価を気にし、自己を抑圧して、周囲の人に認められることばかりに神経をすり減らしている若者が多い。日本は大企業が、世界の名だたる多国籍企業と熾烈な生き残りをかけて戦っている。今や熾烈な経済戦争に勝ち残ることが日本の最大の目標となっている。その中で、国民の幸福がないがしろにされ、次世代を担う若者たちに夢や希望、生きがいを喪失させるような社会を作り出してきているのではないだろうか。日本はここらでいちど立ち止まり、社会のあり方、食料の自給、資源の枯渇、環境破壊、人間関係、生活のあり方、子どもたちの教育などについて見直す必要があるのではなかろうか。その際、森田療法理論の考え方が大いに役にたつと考えている。特に欲望を暴走させないための「不安と欲望」のバランスのとり方はとても役に立つと思う。またすぐに観念優先で、現実、現状、事実を否定してしまう態度は人間を不幸に追いやるものだという考え方は人類の貴重な文化遺産であり、すべての人が学んでほしいと思う。
2018.12.14
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今年も年賀状を作る時期になりました。今日は年賀状作りに森田理論をどのように活用するのかを考えてみたいと思います。年賀状は11月に発売されます。私は年賀状の裏面は11月に基本的な部分は完成させるようにしています。その年に携帯電話で撮った写真から、これはと思うものを選んで、年賀状に貼り付けます。そしてプリンターで印刷します。ここまでが第一段階です。その後は喪中ハガキがどんどん届いてきます。ですから、 12月10日まではそのままにしておきます。12月10日を過ぎると、今年もらった年賀状のリストから、喪中ハガキが届いた人をチェックします。私が現在年賀状を出している人は100名ちょっとです。それでも取り掛かるにはちょっと気が重くなります。そこで、毎日1日10名と決めて、 15日間で全てを完成させるようにしています。このように少しずつ年賀状作りに取り組めば、精神的に大きな重荷にはなりません。いつの間にか終わっていたという状況になります。これは、森田理論の「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にある」の実践ではないのか、と思うようになりました。また、余裕を持って取り組めるので、一言添えるメッセージをいろいろと考えるようになります。考えてみると、もらっている年賀状の多くは、裏面も印刷に出してそのまま出している人がいます。表もパソコンの宛名書きを利用して作成している人は、まさに義理で出している年賀状です。そんな年賀状では、もらった相手は思いやりは感じることができないのではないでしょうか。年賀状のやり取りをするだけの人間関係も大切にしたいものだと思います。今年や過去の付き合いの中で印象に残ったことなどを 一言ぐらいは書き添えたいものです。思い浮かばなければ、自分の今年の出来事、来年取り組む目標などを書いておきたいものです。たくさんの年賀状をもらう中で、もらって嬉しいのは、そういう言葉を書いてある年賀状です。私がもらって嬉しいのは、書道の先生をしている人で、宛名書きも裏書も毛筆できれいに書いてある年賀状です。写真などは張り付けてありませんが、他の年賀状とは一味もふた味も違います。それから絵手紙などを丁寧に描いている人はすごいなと思います。毎年、色んな題材を取り上げて、心がなごみます。 1枚1枚がオリジナルで丁寧に描いているわけですから、相当な時間がかかるものと思います。そういう年賀状は、自分のことを大切に扱ってくれているんだなとひしひしと感じます。そういうことは、友達同士で評判になります。もらってない人から年賀状の催促があると聞きました。評判が評判を呼び、年賀状の催促をされることは負担にはなるでしょうが、人の役に立っています。またその人も立派な生きがいづくりになっているのではないかと思います。私がもらった年賀状の中では、毎年版画を掘って、 1枚1枚丁寧に印刷しているものもあります。中には草木染めの顔料を利用して思い出を絵をしているものもあります。この絵は草木染の顔料を使用していますと書いてあります。まあなんと手間をかけている年賀状かと感動します。年賀状作りに心を砕いている人は、日常茶飯事にも丁寧に取り組んでいる人だと思います。丁寧に森田の実践をされているのです。 心の中では年賀状は、日本の悪い習慣だと思いながら、仕方なしに義理で出し続けている人とは、人生の楽しみ方において雲泥の差が生まれていると思われます。たかが年賀状、されど年賀状。真剣に向きあえば、向き合っただけの成果か出てくるのが年賀状だと思います。年賀状作りに対する基本的な姿勢は、一度にまとめて取り組まない。小分けに分けて、 11月から無理のない範囲で取り組む。いつの間にか12月の下旬には滞りなく終わっているという状態に持っていく。そして 1枚1枚、相手の顔を思い出しながら、相手にぴったりの言葉を吟味してみる。相手に小さな感動のお裾分けをするという気持ちで取り組む。森田理論に不即不離という言葉があります。人間関係においては、あまりベタベタと親密な関係作りを目指さない。必要に応じて、必要な時に、必要なだけの人間関係を幅広く築き上げることを目指す。そうすると親友同士の人間関係できまづくなって孤立することは避けることができます。コップ溢れんばかりの水を満たすことを目指すのではなく、コップに少しだけの人間関係をそこら中に広げていくほうに意識を向けていく。これが人間関係を円滑にするコツであるということを、森田療法理論から学びました。実際にこの方法を採用してみると、精神的にとても楽です。困ったときには多くの知り合いの中からぴったりの人が、専門的な立場から親身になって相談に乗ってくれることがよくわかりました。
2018.12.10
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「常識を疑うことから始めよう」 (ひすいこたろう サンクチュアリ出版)に森田理論に通じる話があったので紹介してみよう。 健康な人には病気になる心配があるが、病人には回復するという楽しみがある。明治時代の物理学者の寺田寅彦さんの言葉である。健康な人が病気のことを心配しすぎると神経症になる。思想の矛盾に陥るからだ。いったん病気になった人は、病気を治そうと目の前の目標に向かって努力するようになる。事実を明確にして、努力精進することは、 「努力即幸福」につながる。イチロー選手は、 「小さいことを重ねることが、とんでもないところに行くただひとつの道なのだ」といった。目標は大きく、実践は小刻みにということだ。大リーグで年間最多安打の記録を持つイチロー選手の言葉は重みがある。自分の欠点をどうしようもない弱みとみなすのではなく、自分が持って生まれた特徴だと思え。例えば自分はどうしようもない三枚目だとすると、たとえ女にだらしない人間であったとして、そのおかげで、大事に至らない。家族を大事にして、幸せな家庭を築くことができる。弱みや欠点は、見方を変えるとすばらしい強みや長所になる。人生とは、ないものを嘆くのではなく、あるものも工夫して、楽しむものである。自分にないものはないでいいではないか。自分にあるものだけで世界は変えられるのです。実際には、自分に備わっている能力や自分の持ち物をないがしろにして、見向きもしない人が多い。モーリス・ワシントンというサックス奏者が脳卒中になり、楽器の演奏ができなくなりました。サックスの演奏で生計を成り立たせることができなくなりました。その時に彼が言った言葉。 「もうサックスが吹けなくなってしまった。だからこれからは歌うことにしたんだ」きっと歌声も素晴らしかったのでしょう。しかし、ここで肝心な事は、人生の苦境に陥っても、可能性を見つけてチャレンジするということなのです。決して嘆き悲しむことではないのです。この時、モーリス・ワシントンは87歳であったという。お坊さんは、 鉢を持って家々を回り、お布施をいただきます。お釈迦様は、托鉢に向かう弟子たちに、こう言いました。「お金持ちの家ではなく、貧しい人たちの家を回って托鉢をしてきなさい」普通、お布施を頂くのですから、お金持ちのところに行くのが常識です。お釈迦様の思いは別のところにありました。貧しい人はなぜ貧しいのか。それは、自分のためにしかお金を使わないからであり、その人たちに与える喜びを味わってもらう機会を生み出すのが、托鉢の真の目的だと言うのです。
2018.11.10
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(読み方)心は万境にしたがって転ず。転ずる処、実によく幽なり。流れにしたがって、性を認得すれば、喜も無くまた憂いも無し。 (臨済録)(森田先生の解説)私どもの日常は、自分の腹加減や頭の具合でも、天気でも、周囲の事情でもたえず変化して、まったく諸行無常であります。けっして時間割や型や主義にあてはまるものでないということを知らなければなりません。そして型や悪智を去って、白紙のような自然の心のままになるときには、「心は万境に随って転ず」というふうに、周囲の変化にしたがって自然の感じが起こり、自然の理知の調節があって、それぞれその人の最善の能率が発揮されるようになることは、ほとんど不思議といってよいくらいであります。「転ずるところ実に能く幽なり」というこの「幽」が、すなわち「不思議」という事であります。そこで初めて、学者でも事業家でも、いたずらに古人の真似をするのではなく、すべてが独創的になるのであります。(神経質問答 白揚社 167ページより引用)「かくあるべし」という理想主義、完全主義をできるだけ少なくしていく。どんなに受け入れがたい不快な感情、出来事であっても、基本的には、その感情の事実を「あるがまま」に受け入れていく。なにしろ感情そのものは、台風や地震と同じ自然現象なのだから。そして、不快な感情や恐怖を抱えたまま、あるいは持ちこたえながら、注意や意識を生活のほうに振り向けて、日々の日常生活に精一杯取り組んでいく。森田理論が目指している生き方は、こんなところにあります。
2018.10.09
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今日は田舎行って墓参りしました。コスモスがきれいでした。コスモスはどこでもある花ですが、とても清楚ですね。その他、これまた清楚なピンクの花が毎年咲くのですが、名前は分かりません。田舎は稲刈りの真っ最中です。柿は今年は豊作です。栗がそこら中に落ちていました。柿食えば 栗も食べたい 里の秋
2018.09.23
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思いがけず集談会の仲間の方から入場券をいただき、今年初めてのプロ野球観戦でした。球場はきれいでした。テレビと違い応援の臨場感がすごかったです。コンコースがあり、内野・外野どこでも見れました。外野の選手が打者によって大きく守備位置を変更しているのがとても印象に残りました。現場に足を運ぶことの意味を再認識しました。
2018.09.12
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本日、このブログが当面の節目としていた100万アクセスを越えました。これはひとえに、読んでいただいている皆様のおかげです。本当にありがとうございます。感謝申し上げます。このアクセス数というのは、ブログを投稿するものにとりまして、とても励みになるものです。現在、投稿を始めて5年9ヶ月目となります。始めた当初は毎日10名から20名のアクセスが続いておりました。事実1年終わった時点で3万アクセス。2年目8万。3年目19万でした。アクセスが急に増加したのは4年目からです。4年目42万。5年目72万です。そして今日100万アクセスを迎えたのです。現在は平均すると、毎日1,000名近くの方々にアクセス頂いております。この数字は私にとっては思いがけないことであり、正直驚いています。今までの人生は失敗続きでしたが、唯一このブログだけは想定外の成功でした。今後は皆さんとともに森田療法理論を通じて共に成長していけたらと考えています。今や毎日投稿することが私の日課になっています。毎日ほぼ1ヶ月先に投稿する原稿を書いています。その間はもうすでに投稿記事を予約しているのです。そのために、毎日投稿材料を求めて、日々の生活を注意深く観察しています。また最近は格段に読書量が増えました。月間で20冊以上は読んでいると思います。投稿というのは、刺激というか、琴線に触れる出来事がないとできるものではないのです。その読書も、読みっぱなしではなく、森田療法理論の琴線に触れた部分をまとめたりして、より掘り下げて考えることができるようになりました。執着性という神経質性格に感謝しています。1年1年を振り返ってみると、毎年新たな森田理論との出会いがあったような気がします。今後、このブログでは、当然ながら神経症克服に関わるものを取り上げたいと思います。それ以外にも神経症周辺に位置している心の問題にも踏み込んでゆきたいと思います。続いて、もっとも力を入れたいのは、神経質性格者の特徴を活かした生き方の指針となるものを積極的に投稿したいと思います。そして、森田療法理論を基礎として、社会や政治のあり方、人間本来の生き方、人間関係のあり方、環境問題、医療や教育、子育ての問題などにも積極的に踏み込んでゆきたいと考えています。その過程では、私自身未熟者ですので、様々なご意見や異論はたくさんあろうかと思います。ホームページのプライベートメールからお寄せいただければ、森田理論を深めるために一緒になって考えてゆきたいと思っております。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。高良武久先生が10年一つのことに取り組めば、その道のエキスパートになれる。その時には対人恐怖症は、消えてなくなっているはずだと言われています。それを私が検証してみたいと考えています。10年の節目にはまとめを投稿してみます。以上、100万アクセスの節目にあたり、今後の取り組み方と決意を述べてみました。
2018.09.10
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臨床心理士を始めとして、心理関係の資格は民間資格のみだったのですが、2015年9月の通常国会で「公認心理師法」が可決されました。 第1回公認心理師試験は、2018年9月9日(日)に実施されます。 心の問題を抱える人に対応して、「公認心理師」資格が初めて国家資格として認定されることになったのです。 活動分野は、「保健医療、福祉、教育その他の分野」とされています。資格取得後は臨床心理の専門家として幅広い現場での活動が期待されます。 「公認心理士」ではなく「師」の字が正しい表記になります。 この国家資格の受験資格を得るためには、次のようなハードルがあります。 1.「公認心理師になるために必要な科目」を心理学関係の大学と大学院を出て修了する。 2.その後、文部科学省令・厚生労働省令で定める施設で、規定の期間以上心理関係の仕事に従事する。 資格取得のためには臨床心理士と同等の高いハードルが課せられています。 現在第一回目の試験に向けて盛んに模擬試験が行われていた。 その中に森田療法の問題も含まれているようだ。 ツィッターに次のような模擬試験の問題があったと投稿されていた。 臨床・障害(心理学検定一問一答問題集A領域編)より。 森田療法の入院4期について正しい順序はどれか。 正しいものを選びなさい。 1、生活訓練期―絶対臥褥期―軽作業期―重作業期 2、軽作業期―重作業期―絶対臥褥期―生活訓練期 3、絶対臥褥期―軽作業期―重作業期―生活訓練期 4、軽作業期―生活訓練期―重作業期―絶対臥褥期 簡単なサービス問題です。答えは当然3番です。 私は、大学と大学院で心理学を専攻して修了し、その後臨床経験を積んだ人に出すような問題なのかという強い疑問が湧いた。 専門的な精神療法の学習をした人なら、もっと難度を上げてもらいたい。 例えば私が問題を作成すれば次のような問題を出したい。 1、森田療法では「不安の取り扱い」に他の療法にない特徴がありますが、100字以内で述べなさい。 2、森田療法でいわれている「精神交互作用」について100字以内で説明しなさい。 3、森田療法でいわれている「生の欲望の発揮」について100字以内で述べなさい。 4、森田療法でいわれている「思想の矛盾」について70字以内で説明しなさい。 5、森田療法でいわれている「かくあるべし」の弊害とはどういう意味ですか。 森田療法は、国際森田療法学会も開催され、森田セラピーとして世界中で認知されています。 国家資格である「公認心理師」資格を授与されるような臨床心理の専門家には、日本で生まれた優れた心理療法である森田療法をもっと学習してほしいものだと思います。
2018.08.24
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森田先生の書は味わいがありますね。
2018.08.13
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いつも読んでいただきありがとうございます。投稿記事の右側の下のほうに、「category」欄があります。大まかに記事の区分けをしております。現在23分類しています。この中に「プライベートメール希望の方へ」を付け加えましたので必要な方はご利用ください。次に投稿記事の本文の前に、「新着記事一覧(全○○○○件)」というところがあります。ここを左クリックしていただきますと、「よく読まれている記事」というのが出てきます。繰り返し多くの人に読まれている記事が見つかりますので、ご利用ください。
2018.08.04
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元消防署の所長さんから防災についてレクチャーを受けた。参考になることが多かったので投稿してみたい。まず東南海地震ですが、ここ30年で発生する確率は60%くらいだと言われている。私が住んでいる中国地方では震度6程度の揺れがあるという。太平洋沿岸では甚大な被害が予想されている。日頃の耐震化の準備と心構えが大切になる。この場合瀬戸内沿岸では約3~4メートルの津波が押し寄せる。その場合、遠くへ逃げるのではなく、高いところへ上がるのが基本である。避難場所に指定されているマンションなどの3階以上に避難することが大切である。指定されているマンションなどでは、オートロックを外し、付近の住民を受け入れることが義務づけられている。緊急地震速報は、 5弱以上の地震が発生した場合に発令される。この場合は、机があれば机の下に潜る。公園などの広い場所があれば移動する。基本的には絶対に慌てて外に出てはいけない。外に出ると落下物で頭をやられる。地震では頭を守るということが第一です。ヘルメットかぶる。なければ鞄を頭の上に乗せる。それもなければ自分の手で頭を覆う。部屋内にいれば、できれば家具などの倒壊の恐れがない場所に移動する。トイレや風呂に入っていた場合は、すぐにドアを開けて逃げ道を確保する。エレベーターに乗っていた場合は、すぐにすべての階の停止ボタンを押す。近くの階で降りる。ブロック塀には近寄らない。ブロック塀は2.2メーターが限度です。それ以上は違法です。ブロック塀にはそで壁を作っておくことが必要です。次に、火災についても聞いた。火災は全国で1日100件程度起きているという。その原因は、タバコではなく放火が1位である。燃えやすいものを家の周りに置いておくと、「どうぞ火をつけてください」と言っているようなものだ。日ごろから整理整頓が大事だ。マンションは厚い壁に区切られて延焼を食い止める構造になっている。それなのになぜ上の階に燃え拡がるのか。それは、ベランダに可燃物を置いているからである。特にプラスチック容器の灯油缶から大火災につながるケースが多い。灯油缶の置き場所として、ベランダを選択するの誤っている。それも大量にまとめ買いをしているのは問題である。これらの話を30分ぐらい聞いた。実際役に立つ話ばかりであった。これらを参考にして、しっかりといざというときのために準備と心構えを持っておくことが必要だと思った。
2018.07.25
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「こころの旅」や「生きがいについて」などの本を書かれた神谷美恵子さんはどんな人生を送った人なのだろうか。「人に歴史あり」というが、大変興味がある。早速調べてみた。神谷さんは1914年(大正3年)生まれで、 1979年(昭和54年) に急性心不全で亡くなられている。65歳という年齢は、とても短いように思える。ところが、その残された業績は素晴らしい。妻として、母として、語学教師として、医師として精一杯の実績を残して、思い残すことなく旅立たれたような気がする。神谷さんは気品のある顔立ちで、家柄もよく、何よりも類稀な能力を持っておられた。半面、大きな大病をされ、太平洋戦争の戦時下で大変な苦労された。父親はのちに文部大臣を歴任された前田多門氏であった。父の海外赴任に伴い、9歳から3年間、スイスのジュネーブで暮らした。ここでフランス語を身につけた。19歳の時、ハンセン病国立療養所多摩全生園を訪れた。この体験が精神科の医師を志すきっかけとなった。21歳の時、肺結核を患い、軽井沢で療養生活を送る。一旦は治ったが、翌年再発した。本来なら死の病と言われた結核で意気消沈するところですが、神谷さんは療養中にギリシャ語、その他の外国語を独学でマスターする。その他、当時の女性にはかなり難しかった「英語科高等教員検定試験」の準備をし、その後合格している。この資格のおかげで大学で語学の教鞭をとることができたという。結核が治ってから、奨学金でアメリカに留学。コロンビア大学で本格的に医学の勉強を始める。27歳の時、戦時下のためやむなく帰国。東京女子医学専門学校へ編入学された。30歳の時、卒業後、東京大学医学部精神科医局に入局。31歳の時、しかし父が文部大臣に就任したため、父を助けて一時期文部省で翻訳者として働く。32歳の時、神谷宣郎氏と結婚する。その後、2人の男の子を出産し、立派に育てる。36歳の時、神戸女学院大学で教鞭をとる。英語、フランス語、精神医学の講義を行う。41歳の時、子宮がんが見つかる。43歳の時、岡山県長島愛生園非常勤職員となり、神戸から朝4時起きで通い始める。診療は主に土曜日と日曜日に行った。その他は神戸女学院大学や津田塾大学での講義などにあてた。58歳の時、体調不良の為、 15年勤めた長島愛生園精神科医長を辞任する。神谷美恵子さんは、兄の陽一さんに、「美恵子には逆立ちしても勝てない」といわせたほどの秀才であった。その兄も東大文学部教授となった。神谷さんは目指した目標はことごとく達成していた。また太平洋戦争も何とか生き延びることができた。ただ、病気には勝てず、肺結核を2回発症した。そして、 40代になってガンにかかった。それらも目の前の目標に向かって努力することで、免疫力がついて、最後に乗り越えられたのは自然治癒力の賜物であった。神谷美恵子さんは語学万能であったために、自分の進路についてはいろいろと迷われている。でも、最終的には19歳の時に志した精神科の医師としてハンセン病患者の医療の道へと進まれた。神谷美恵子さんは、大変忙しい毎日であったにもかかわらず、一つ一つ丁寧にこなして、自分の使命を全うし、存分に生きがいを発揮した人であった。その生き様が多くの人を惹きつけてやまないのだと思う。
2018.07.21
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生きがい療法の伊丹仁朗先生の勧めておられるガン予防法について紹介してみよう。1 .適度な運動の継続。2 、笑いと生きがいのある生活をする。3 、過労、ストレスを避け、睡眠を十分にとる。4 、緑黄色野菜・食物繊維・果物・海藻をしっかり食べる。5 、未精白穀類(玄米・胚芽米・全粒パン)を常食する。6 、牛乳・味噌汁・緑茶を毎日飲む。7 、食塩の摂取をできるだけ少なくする。8 、食品添加物や農薬使用の少ない食品を選ぶ。9 、肉食や動・植物性脂肪を少なくする。10 、便秘をしないようにする。11、肥満を避け、健康体重を保つ。12 、タバコをやめ、他人の煙も吸わないようにする。13 、日焼け(太陽光・紫外線)を避ける。14 、ピロリ菌や肝炎ウィルスの保菌者はその対策を取る。15 、必要によりビタミンA、C、Eや、ごく少量のアスピリンを常用する。16 、胃・腸・肺・乳・子宮・前立腺などの定期検診を受ける。(40歳以上の人)(ガンを退治するキラー細胞の秘密 伊丹仁朗 講談社 249ページより引用)これを私の場合で考えてみた。毎日仕事で階段の上り下りや歩くことを心がけている。だいたい毎日6000歩ぐらいだ。一人一芸の練習を毎日行っている。サックスの練習、腹話術、どじょうすくい、しば天踊りなど。毎日12時前には寝て、 6時40分に起きるようにしている。毎日野菜や海藻を取るようにしている。玄米食である。牛乳や味噌汁は毎日飲んでいる。7 、 8 、 9 はあまり心がけてはいない。便秘はすることがない。体重は60キロぐらい。少し肥満気味だ。タバコは吸わない。外に出るときは日焼けを避けるために帽子をかぶっている。ピロリ菌は調べたことがない。特にビタミン剤は飲んではいない。生活習慣病検診の時に、肺、胃、肝臓、膵臓、前立腺のガンの腫瘍マーカーの検査を行っている。その他、腹が冷えないように、夜寝るときは腹巻きをしている。こうしてみると、概ね伊丹先生の推奨されているような生活を送っているようだ。でもガン細胞は健康な人でも毎日3,000個はできると言われているので、油断大敵である。大事なことは、いきがいを持って、自己免疫力を高めていくことだと思う。
2018.07.18
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7月15日、森田先生のふるさとで墓前祭がありました。高知県知事、香南市長はじめ全員が献花をしました。約400名参加。続いて、高知県民文化ホールで作家で精神科医の帚木蓬生先生の記念講演会がありました。こちらは1000席の会場がほぼ満員。(おまけ) 高知はカツオのたたきが有名ですが、ひろめ市場で食べた藁焼きのものは最高でした。
2018.07.16
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私は現在、マンションの管理人をしている。その勤務棟の薄暗い駐輪場に蛇がウロウロしているのを見つけた。一瞬腰が抜けるほどの恐怖を感じた。その場を立ち去って管理人室に戻った。どうしたらいいのか。管理会社に電話をしてみたが、明確な指示はなかった。以前にスズメバチが出たときに役場に電話したことを思い出した。役場に相談すると、蛇を駆除する業者は知らないという。念のため、スズメバチを駆除する業者を紹介するので電話をしてみてくれという。すると、ある業者が2時間ぐらい待ってくれれば、駆除しに来てくれるという。私は長靴を履いて、椅子と長い棒を持って駐輪場に行ってみた。またカラーコーンに「蛇がいます」と書いて、駐輪場に置いて居住者に注意喚起した。すると、蛇が移動して見当たらない。そのうち思いがけないところにとぐろを巻いていた。また腰を抜かしそうになった。気持ちが悪かったが、自分ではとすることもできないので、蛇を見失わないように監視することにした。ちょうどお昼休みの時間だったが、放っておくこともできない。多くの居住者が来られたが、気持ち悪がって、すぐに退散された。蛇はその後1時間ぐらいじっとして動かなかった。そのうち私と仲の良い、 前理事長さんが車で帰って来られた。「そんなところで何をしているんだ」「あそこに蛇がいるんです」すると、前理事長さんは、蛇の側に近づいていかれた。そして、「これは青大将だ」と言って、長い棒を手に取られた。その棒で蛇をつつくと、身の危険を感じた蛇は急にすばやく動き回った。気持ち悪い。前理事長さんは、3分ぐらい格闘されて、ついに蛇のしっぽを掴まれた。そして引きずり出すと、 2メーターぐらいな大蛇だった。長い棒に蛇を巻きつかせて、そのまま国道の向こうの大きな川に投げ入れられた。私は気持ちが悪くて、一部始終を離れたところから見守るのが精一杯であった。そのうち駆除してくれる業者が来た。駆除後であったので、出張料だけで済んだ。その後前理事長さんと話をした。前理事長さんは、以前は自衛隊に勤めており、訓練で蛇を捕まえてそれを料理して食べる指導をしていたと言われた。蛇の肉はこんがりして美味しかったと言われる。マムシもよく採って焼酎に漬けていたと言われる。マムシの生態についても教えてもらった。マムシは綺麗好きであるという。水の綺麗な水辺にしかいないらしい。またマムシは夫婦で行動している。だから1匹マムシを見つければ、その近くにほぼ間違いなくもう片方のマムシがいるという。どうりで手慣れた駆除ができたのであった。私はこの話を聞いて、森田先生の話を思い出した。「神経質の本態と療法」の180ページに書いてある話である。人が犬に吠えかけられたとする。もしこの時に、小さい子供なら母にしがみつき、その懐に顔をうずめ、犬のほうは見ないで鳴き叫ぶ。普通の人ならば、仕方なしにまずその犬を見つめて、自分の態度を決めなければならない。この時は、その犬の一挙一動に対して、逃げるとか、立ちすくむとか、あるいは犬を追い払うとか、自然に臨機応変の処置をとるようになる。一生懸命に恐怖の対象である犬に集注しているから、無我夢中である。強迫観念はこのどちらでもない。 一時のがれの目先の安心を得ようとして、その犬を見ないように顔を背ける。その時、本人の注意はどこに向かうか。ただ、自分の不安の状態、すなわち自分の胸騒ぎ、脱力の感とか、寒気や震えということだけに集中し、心を奪われ、現実の対象を忘れ、自分の恐怖、不安の結果がどうなるかということが恐ろしくなる。これを私は恐怖を恐怖すると言うのである。このような内向的なものは自分の気分を目標としていて、気分は事実とは無関係に、いつまでも自分に内在しているから、日夜その恐怖に悩まされるようになる。「煩悩の犬追えども去らず」という風に、自分の心の中の犬だから絶えず悩まされることになる。寝ても覚めてもその苦しみに悶え苦しむようになる。私の蛇に対してとった態度は、 一時のがれの目先の安心を得ようとして、ただもその蛇を見ないように顔を背けた。しかし、そのまま放置しておくと居住者に迷惑がかかるので、駆除できる人を手配して、また舞い戻って監視していた。自分ではどうしても処理できなかったが、人の協力を得て、大事には至らなかった。私が蛇を恐れるというのは、いかんともしがたい。これが私ができる精一杯のことであった。
2018.07.14
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ここは広島県安芸郡海田町です。私がマンションの管理人をしている棟からの写真です。川は瀬野川です。手前の道は国道2号線です。向こうに見える山は広島市の黄金山です。この国道の手前4キロ付近には、豪雨で国道がえぐられて崩落しています。現在不通です。瀬野川の向こう側に山陽本線がありますが、流木が線路を塞いでおり、復旧の目途が立っていません。この近所に、テレビ報道でよく出ている安芸区矢野東、坂町、呉市天応があります。駅が水浸し、国道も土砂に覆われています。交通渋滞で大変です。行方不明者が多数おられ、県外の警察なども駆けつけて懸命な救出活動が続いています。驚くべきことに、6日夜の豪雨時には、緑の橋まで水かさが増しました。信じられないとは思いますが事実です。川には中州が多数あって、木が生えていましたが、すべて流されました。もう30分豪雨が続けば国道2号線を超えて、手前の一段と低い広範囲な住宅地に浸水して計り知れない被害が起きていたと思われます。ここは間一髪で助かったのです。教訓としては、自然の脅威を前にすると、大丈夫だろうという安易な考え方はとても危険だということです。自然を甘く見てはならないと思います。災害マップで危険地域として指定されているところに住んでいる人は、すぐに高台に逃げておくことです。とにかく命だけは守りたいと思います。命があれば、またいつか復活することができます。
2018.07.09
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このブログの背景に宇宙から観測している地球の様子を写した画像を使用している。当然私が撮影したものではない。誰が撮影したものかもわかりません。ある方からこれは肖像権を侵害をしている。ただちに使用を中止すべきであるという度重なる忠告をいただいている。ここで説明をしておきたい。この写真は、楽天ブログが簡単にブログを作成できるようにテンプレートに組み込んでいるものです。私は自分で一からブログを作ることができなかったので、そのテンプレートをそのまま使わせてもらっているのです。それでも肖像権を侵害していると言われるのならば、別のテンプレートに差し替えることもやぶさかではない。ただこの画面が、地球を観測しているというメッセージを送っているように見えるので気に入っている。そういうわけですので、損害賠償は起こりえないと考えています。今までもそんな指摘を受けたこともありません。ご指摘いただいている方は、是非楽天ブログのテンプレートの内容をご覧ください。どうかよろしくお願いいたします。
2018.07.07
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私の住んでいる広島県はバケツでひっくり返したような大雨が朝からずっと降り続いています。テレビ報道では、大雨を降らす雨雲がほとんど動いていません。多いところでは600ミリの雨量です。これは数十年に一度の災害だそうです。このまま明け方まで同じ状況が続くようです。消防車、救急車のサイレンが鳴りっぱなしです。県では自衛隊に災害派遣を要請しました。近くのよく知っている地名で、被害情報が続々とテレビに映し出されます。このままでは数年前の安佐南区での土砂災害並みの被害が予想されます。山の近くの人は非難勧告が出されています。私も生きた心地がしません。特に呉市は坂道が多く、崖の上に建つ家が多いので今後の被害が心配です。なんとか被害が最小限で収まることを祈るばかりです。西日本にお住いの皆さんのところでも、大雨かと思います。どうぞお気をつけてお過ごしください。
2018.07.06
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生きがい療法ではイメージトレーニングを行っておられます。リラックスして、目の前に良いイメージを約15分間静かに思い浮かびます。「白い砂浜に座って広い海を眺めている。目の前の海は体の中にも広がっていく。体の中の海に無数の熱帯魚が泳ぎ回って、ガンや病気のもとを見つけだしては全部食いつぶして逃げていく・ ・ ・ 」というイメージを展開していく。これだけでの単純な方法です。それを1週間に1回、イメージの写生をしてもらう。画用紙にクレヨンで写生する週一回写生をしていると、だんだん魚の方が強くなりガンが食い潰されていくというイメージが強くなっていきます。ボランティア10名で、イメージをする前とした後のNK細胞の変化を見ると、イメージする前にNK細胞が弱かった方は、イメージした後、全員強くなっています。もともとやや強かった人もさらに強くなっています。イメージトレーニングはいくつかのバージョン、熱帯魚のイメージ、孫悟空のイメージ、小川のせせらぎのイメージなどがあります。このガイドテープに従って15分間イメージをします。(生きがい療法と精神腫瘍学 伊丹仁朗)これは瞑想の一種だと思います。瞑想といえばマインドフルネスがあります。瞑想によって自律神経が整えられると思われます。私はマインドフルネスに詳しい臨床心理士の先生から、マインドフルネスのCDを買い求めて、それを聞きながら瞑想を行っています。鳥の声が聞こえてきます。アルファー波が盛んに出ているのではないかと思っています。ヨガや気功も同じような効果があるといわれています。現代人は過度なストレスに囲まれて、とかく自律神経が乱れがちです。1日の中でわずかな時間瞑想することによって自律神経のバランスを整えていくことが大切になります。
2018.06.23
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引き続いて、 「苦海浄土」 (石牟礼道子著)より、水俣の漁師の話である。また例によって、わかりやすく紹介してみたい。茂平さんとゆきさんは、 2人とも夫婦運が悪くて、それぞれ前妻、前夫と死に別れた。網の親方の世話で、茂平さんが50 近く、ゆきさんが40近くで再婚した。ところがゆきさんは、結婚後わずか3年目で水俣病を発症した。体の自由が利かなくなり、重いものが持てなくなった。船は手放し、仕方なく漁業をやめた。それまでどんな漁業をしていたのか。どんな生活をしていたのか。2人は力を合わせて漁業をしていた。二丁櫓と言われる夫婦舟に乗っていた。浅瀬を離れるまで、ゆきさんが脇櫓を軽くとって小腰をかがめ、 ぎいぎいと漕ぎ続ける。渚の岩が石になり砂になり、砂が溶けてたっぷりと海水に入り交い、茂平さんが力強く艫櫓をぎいっと入れるのである。追うてまたゆきさんが脇を入れる。両方の力が狂いなく追い合って舟は前へぐいっとでる。夫婦の絶妙な共同作業により、舟は自由自在に進むのである。一心同体の仕事ぶりであった。不知火海はのどかであるが、気まぐれに波がうねりを立てても、ゆきさんの櫓にかかれば波はなだめられ、海は舟をゆったりあつかうのであった。それもそのはず。ゆきさんは、 3歳の頃から天草で舟の上で育った。だから不知火海は自分の家の庭のようなものであった。彼女は海に対する自在な本能のように、魚の寄る瀬をよく知っていた。ゆきさんは、「私は水俣の漁師よりも、魚のおるところはよくわかる。だから沖に出てから、あんたは漁場の心配をしなくてもいい。私が舵を取るから、あんたは帆網さえ握っていれば、私が魚のとれるところに連れて行く」と言っていた。漁場につくと、櫓をおさめ、深い藻のしげみをのぞきいって、 「ほーい、ほい、きょうもまた来たぞい」と魚を呼ぶのである。しんからの漁師というものは、よくそんなふうにいうものであったが、天草女の彼女のいいぶりにはひとしお、ほがらかな情がこもっていた。ゆきさんは、体の自由が効いた昔を思い出しては、舟の上は本当によかったという。イカは素っ気のうて、舟に上げるとすぐにぷうぷう墨を吹きかける。タコは蛸壺を上げると、ツボの底に踏ん張って上目遣いでいつまでも出てこない。タコに、 「早く出てこい、出てこんかい」といってもなかなか出てこない。仕方なしに、手綱の柄で尻を抱えてやると、出たが最後、その逃げ足の早いこと、よくも8本の足をもつれさせないで素早く走り回る。こっちも舟がひっくり返るくらいに追いかけて、やっと籠に収める有様だ。この舟は2人が結婚したとき、新しく買った舟だった。 2人はこの舟をとても大事に扱った。漁期が終わると、舟に付いたカキガラを落として、岩穴に引き揚げて雨にもうたれないようにしていた。蛸壺はタコたちの家だと思い、さっぱりとしてやった。漁師は道具を大事にする。船には守り神が付いている。道具にも一つ一つの魂が入っている。敬って、釣り竿も跨いで通るようなことはしなかった。派手ではないが、穏やかで平穏な日々の生活を紡いでいたのである。それを有機水銀を含んだ工場廃液を水俣の海にたれ流していたために、水俣の漁師たちは壊滅的な状況に追いやられたのである。元の海を戻してくれと抗議してみても、水俣市はこの工場のおかげで市の財政と多くの水俣市民の就職口を賄っていた。抗議すればするほど周囲から白い目で見られていたという。漁で生活を成り立たせていた人にとっては、これ以上の不条理なことがあるだろうか。
2018.06.11
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石牟礼道子さんの「苦海浄土」という本は、水俣病の悲惨な状況を伝えている。この本の中で、私の目に焼きついたのは、水俣病で心身の自由を奪われた人々の姿であった。またそれ以上に心に残ったのは、水俣病が発生する前の地元の漁師の生活ぶりであった。この本は方言で書いてあるので、現代語風に訳して紹介したい。水俣の漁師は小さな舟に、鍋や釜、七輪、茶碗、皿、みそや醤油、焼酎の瓶も載せて漁に出た。昔から、鯛という魚は殿様が食べられる魚というが、我々漁師には普段の食べ物です。そうしてみれば、我々漁師の舌は殿様の舌と同じだ。海が濁らない梅雨の前の夏の初めには、魚が多く取れて、時を忘れて朝まで漁をすることがある。大漁になれば、すぐに港に帰りたいのだが、そういう朝に限って全く風が吹かなくなる。不知火海のベタ凪だ。そういうときは、いつ風がきても帆をあげられるように帆綱を緩めておいて、舟の中で飲食をする。奥さんにご飯を炊かせて、自分は刺身を作る。沖の綺麗な海水で炊いたご飯はとても美味しい。ほんのり色がついて、かすかな潮の風味がする。刺身は自分たちが釣った魚のうちから、 1番気に入った魚の鱗をとって、海水で洗う。どんな魚が脂がのっていておいしいか私ら漁師にはすぐ分かる。鯛はあまり太ったものより少し小さいものが私たちの口に合う。鱗をとって、腹をとって、まな板も包丁も海水で一旦洗えば、それから先は決して海水をつけてはいけない。骨から離して3枚おろしにしたあとで、もし海水で洗えば魚の風味がなくなってしまう。その鯛の刺身を山盛りに盛り上げて、ご飯が蒸れるあいだに、奥さんと一緒に焼酎を飲む。至福の時だ。これ以上の贅沢はどこにあるだろうか。寒くもなし、また焼き焦げるような暑さもない夏の初めの朝の海の上でございます。水俣のほうも、島原のほうもまだモヤに包まれて、そのモヤを七色に押し広げて太陽が昇ってくる。こうしてみると、空というものはつくづく広いものだと思う。そんな風な会話をしながら、海と空の間に漂っていれば、昨夜の働きにくたびれて、とろりとろりとなってくる。そんな時ひときわ涼しい風が吹いてくる。西風が吹いてきたのだ。急いで帆を上げる。西風が吹けば不知火海は、舟の向きは自分たちの水俣の港のほうに向かっていく。私たち夫婦は、破れた作業着を修理して着ていたが、自然の恵みをいただいて食べて、先祖様を大切に扱って、神様を拝んで、人のことは恨まずに、人の幸せを喜んで暮らしてきました。都会の人たちは、汽車に乗って、この水俣に来て、高いお金を出して旅館に泊まって、舟を借りて釣りをされる。それが都会の人たちの贅沢な遊びであるという。私たちは都会の人がうらやむような生活を毎日楽しんでいるのである。日々淡々と過行く生活に身を置きながら、贅沢はできないが漁師として毎日充実した日を過ごしている。都会で生活している人は、自分の意思とは無関係に会社に行って、自分の労働力を売って生活費に変えている。水俣の漁師の人たちは、換金のために漁師をしているとはいえ、労働が生活と一体になっているのである。そこにはストレスや人間関係の煩わしさはほとんどない。むしろ生活を楽しんでいる。人間本来の生き方としては、こちらのほうが本物に近いのではないだろうかと考えさせられる。
2018.06.10
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先日テレビで石牟礼道子さんの番組を見た。石牟礼さんは、水俣市に住んでいた。そこで水俣病の人たちと出会った。水俣では、かってチッソという会社が有機水銀を不知火海に垂れ流し、深刻な身体障害である水俣病を引き起こした。石牟礼さんは、水俣病をきっかけとして、人間の豊かさとは何か、人間いかに生きるべきかを問い続けた人であったのだ。その内容は、「苦海浄土 わが水俣病」など数冊の本にまとめられている。もし、石牟礼さんの活動がなければ、水俣病は国とチッソを相手どった損害賠償請求に終始していただろうといわれている。人間が生きるということを、水俣病を通して考えられた優れた作家であると思う。また石牟礼さんは、水俣病で苦しんでいる人達に大きな影響を与えたといわれている。たとえば被害者に緒方正人さんという方がいて、 「チッソは私であった」という本を書いておられる。その中で自分はチッソの被害者であるけれども、この水俣の海を漁師として荒らしまくった加害者でもあるのだ。有機水銀を流した人たちと同じ側に立っているんだと考えるようになった。緒方さんは、 「命の尊さと、命の連なる世界に一緒に生きていこうという呼びかけが、水俣病事件の核心ではないかと思っている」と言われています。水俣病で苦しむようになって、人間がこの地球上で生きるという問題をより深く考えるきっかけになったといわれているのだ。その後、訴訟運動から離れ、水俣病認定申請を自ら取り下げた。そして、水俣病で死んでいった人たちの慰霊碑の周りに自作の野仏をたくさん建てる活動を続けられたという。また杉本栄子さんは、水俣病で口ではいえない苦しみを抱えながら、 「チッソを許す」と言われた。かって杉本さんは以前はチッソ恨み、損害賠償請求の先頭に立って活動しておられた。その時心の中は国やチッソに対する怨念でいっぱいであった。しかし、国やチッソを許さないと自分の精神状態は苦しいばかりだっという。 国やチッソを「許さんと自分がきつか」と言われた。相手の非ばかりを探しまくり、相手とのにらみ合いばかりの生活は精神的には地獄の苦しみがある。理不尽なことを引き起こしたチッソの悪態の事実を認めて受け入れることをしないと、自分の精神状態がボロボロになってしまうといわれた。杉本家がある集落には、 「のさり」という独特の言葉がある。この言葉の意味は、幸運に限らず、病も不運もすべて天からの授かりものという意味です。今となっては重い病やチッソによる理不尽な公害を、起きてしまった事実として認めるしかない。そこを出発点にして生きていくしか方法はない。そんな生き方が人間が生きていくということではないのか。公害を引き起こした企業を憎み、自由の効かなくなった自分の身体疾患を否定するばかりの生活は、生きがいが持てず、みじめな気持ちになるばかりで精神的にきついということが身にしみてわかったといわれているのである。水俣病の原因を作ったチッソという会社に対して闘争を挑んでいくことは大切なことです。決して公害を垂れ流す企業は野放しにしてはならないと思う。もし闘争をあきらめてしまえば、チッソという会社は有機水銀を海に垂れ流すという事をいつまでも続ける。そして環境汚染を繰り返し、いつまでも人々を苦しめる。胎児性患者は、生まれてきた時から死ぬまで障害と付き合わなければならないのだ。そういう場合は、周到に準備して闘いを挑まなければならないと思う。その上で、先に述べたように「チッソを許す」という考え方も大事なのかもしれない。チッソを恨み、 「昔の安全な海を戻してくれ、健康体に戻してくれ」と思ってみたところで事実は覆えすことはできない。また地元にはチッソという会社のおかげで、生計を成り立たせている多くの住民がいる。その結果、水俣市に住んでいる人同士が対立して生活しにくくなっていた。「チッソを許す」というのは、体の自由が効かなくなった事実を受け入れるという面がある。事実を認めて、そこを出発点として生きていく方が、どんなにか精神的に楽な生き方ができるのではないだろうか。事実に向き合えばそこから新しい展開が開けてくる。そうすることで、自己否定に陥らず、自分たちが正面から苦悩と向き合うことができる。また自分達の体験をより多くの人に知ってもらう活動などに取り組むこともできるようになる。そうすれば自分達も窮地の中で、生きる意味を見出して生きがいを持って生きていけるのではなかろうか。
2018.06.01
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日本大学のアメリカンフットボール部の反則タックルの問題は今や大きな社会問題となった。監督が絶大な権限を持ち、コーチを使って学生を意のままにコントロールしていた。その監督は日本大学の理事会で人事権を握るNO2の要職も兼ねていた。運動部の予算の振り分け、コーチの人事権、学生の就職の斡旋までする絶大な権力を持っていた。それだけではない。相撲部の監督は今や日本大学の理事長まで上り詰め絶大な権力を保持している。絶大な権力の下で、その中に放り込まれたコーチや学生は監督の意向に逆らう事は許されない。逆らえば、コーチは路頭に迷い、運動部の学生は就職先の面倒をみてもらえなくなる。だからどんなに理不尽なこと言われても、引き受けて実行するしかない。日本大学のアメリカンフットボールの不祥事はこのような閉鎖的な組織の中で発生したのである。もともと日本の高校・大学の運動部は同好会であるという。そのために組織のあり方については、全く関心が払われてこなかった。そのツケが、今回大きな社会問題として表明化されてきたのだ。体育会系の運動部は、今や同好会と言われるにしてはるあまりにも巨大である。そのバックアップ体制としての父母会も巨大な組織となっている。高校や大学にはアメフト、バスケット、野球、相撲、陸上部、アイスホッケー、テニス、ゴルフ、レスリングなどがある。これらの運動は、大学の広告塔としての重大な役割を担っている。今や有名な運動部を持つことは、高校や大学の盛衰にも影響を与えているのだ。それだけに巨大な資金が投入されている。他の大学とのリーグ戦などが組まれて、中には入場料を取ったり、 TV放映料金をとったりする。アメリカの全米大学体育協会では、それらの金額は年間1000億円に上っているという。そんな巨大な組織になっているにもかかわらず、組織運営があまりにもお粗末であるのはどういうことなのか。先日、東大のアメフト部の監督がテレビ出演して重大なことを指摘していた。運動部のガバナンスのことである。運動部のガバナンスとは統治機能のことである。これはよくコーポレートガバナンス(企業統治)ということでよく耳にされている方も多いと思う。現代ではガバナンスを無視した会社経営は成り立たないと言われる。今や早急に大学の運動部にもガバナンスの確立が求められている。監督やコーチの権限、責任、役割の明確化、大学統治と運動部の統治の関係、監督やコーチと学生のあり方、運動部としての教育のあり方、父母会のあり方、マスコミとの関係、重大な死亡事故や怪我が発生したときの対応、運動部組織の監視体制、組織改革、意識改革、莫大な予算管理、経費の使い方、学生の就職口について、学生の日本代表選手の在り方、大学間における連絡や調整などについて予め検討して運営していくことが求められる。東大のアメフト監督によるとまずは、個々の大学でガバナンスを確立する。そして各大学を束ねる全日本大学競技スポーツ協会(仮称)などの全国組織が必要であるという。アメリカではNCAAという全米大学体育協会がありこれらの事を行っているという。 1,100の大学が加盟して、年間1,000億円を超える収入があるという。イギリスにもBUCSという協会が設立されているという。そういう意味では日本の大学の運動部は、ガバナンスが全く機能していない。その中で問題の一つとして、軍隊式のような閉塞的な監督・コーチと学生の問題が出てきた。カリスマといわれる監督が、自由自在に学生を将棋のコマのように扱っていたのだ。このような関係を解消しなければ、第二の日大問題はまたすぐにどこかの大学で発生することだろう。日大の監督・コーチを除名することも大切なのだろうが、ガバナンスに手を付けないと片手落ちだ。
2018.05.30
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北海道の砂川市に「いわた書店」がある。この書店は珍しい販売方法で本を売っている。それは、 「 1万円選書」と呼ばれている。注文した個人個人に合った文庫本を6 、 7冊ぐらい店主が見繕って届けるやり方である。こんなやり方でうまくいくのかと思うが、注文が多すぎて、現在3,000人待ちの状態である。申し込んでも抽選に当たらなければ買うことができないという。これは、本を読みたい人が自分はどんな本が向いているのかわからないということだと思う。そのため、この店主は毎日読書を欠かさない。年間300冊以上を読んでいるという。店内には自分が、本の好きな人に読んでもらいたいと思う本のみを置いている。ジャンルは多岐にわたる。ベストセラーや自己啓発本、ハウツー本は基本的には選ばない。注文を受けるにあたっては、まずカルテを書いてもらう。店主はそのカルテを丹念に読んで、ときにはメールでやりとりを重ねた上で本を選び発送するカルテには、まず読書歴を書いてもらう。今まで読んだ本とその評価について書いてもらう。次に、アンケート形式で次のような項目について自由に書いてもらう。・人生で大切にしていること・今までの人生で嬉しかったこと。苦しかったこと。・何歳の時の自分が好きか・これだけはしないと決めていることは何か。・あなたにとって幸せとは何か。これを私の場合で考えてみた。まず、人生で大切にしていること。森田理論を深めていくこと。森田的な生活を継続していくこと。今までの人生で嬉しかったことは、結婚して子供が生まれたこと。大学時代に日本全国を旅してまわった事。トライアスロンで完走したこと。森田療法に出会った事。いろんな資格試験に合格した事などである。苦しかった事は、対人恐怖症になり、他人の思惑に翻弄された生活を送ったこと。何歳の時の自分が好きか。これは今現在の自分が一番好きである。これだけはしないと決めていることは何か。自己破産しないこと。ガンなどの難病に犯されないこと。交通事故を起こさないこと。あなたにとって幸せとは何か。日々処理しなければならない課題や目標がたくさんあって、常に地道に努力精進している状態にあること。広く浅い人間関係を作りげて、交流を楽しむこと。これらの情報で、どんな本を選んでくれるだろうか。おすすめの本を聞いてみたい気がする。森田療法の本、これからの老後の人生をさらに豊かにしてくれる本、旅と人生。自給自足生活。田舎暮らし。人間関係に関する本、日々何かに挑戦して素晴らしい人生を送っている人たちの本などが選ばれるのではないかと勝手に思っている次第である。私は読書が好きで、それこそ年間300冊ぐらいは読んでいると思う。ほとんど森田に関係する本ばかりである。もっと言えば森田理論に関係する周辺の本である。その中から森田を深めるために役にたつ本を何冊も見つけた。森田理論を深めるための本、事実本位、凡事徹底、ユーモアのある生活、一人一芸、夢や希望、バランスや調和、ストレスや不安の役割と対応、神経質性格を活かした人生観の確立などのジャンルに分けて考えてみたい。これらをもう一度整理して、コメントをつけて、早めにこのブログで発信をしてみたいと思う。
2018.05.19
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心の働きが自然治癒力に大きな影響を及ぼし、ガン闘病中の人の治療効果を左右する。これは、今や世界の医学最先端の常識となっている。がん患者の心の状態と生存率の関係についてのイギリスでの研究によると、ガンに対して闘争心で対応した人々の13年後の生存率は80%であるのに対して、絶望感に陥った人々は15%と5倍もの差が出ることが明らかとなっている。ちなみに、冷静に受け止めた人と、病気を否定した人々はそれぞれ25% 、 50%であった。なぜこのような現象が起こるのか。それは心の持ち方とナチュラルキラー細胞の活性化の関係についての研究から明らかとなってきた。悲しみ、不安、恐怖、抑うつ、ストレスなどにとらわれて、ネガティブで消極的な生き方を続けている人は、ナチュラルキラー細胞というガンを捕食してくれる免疫機能が落ちている。毎日3000個はできるというがん細胞を攻撃する能力が落ちてくるのである。その力関係ががん細胞優位に傾いて逆転したとき、人間は容易にガンになるのである。神経症で不安や恐怖に翻弄されている状態は、身体に大きな負荷をかけているのである。特にうつ病の人はナチュラルキラー細胞の活性化が正常の人に比べて、 64%にも低下していたそうである。がん治療中、うつ病になる人は、欧米での調査によると、 48%から98%と驚くほど高率なるという。神経症の場合でいえば、うつ状態が続いているというのが問題になる。抑うつ神経症、気分変調性障害である。この場合も免疫機能に悪影響を起こしていることが考えられる。元々ガンになった人は、免疫機能が落ちている。それに加えて、うつ病になることでさらに免疫機能が低下してくるのである。したがって、ガンとうつ病になった人は、ガン治療だけに取り組んで、病巣を取り除いても自然治癒力が回復しないのである。多くの場合は再発や転移につながる。現在、うつ病には薬物療法が有効である。そしてまずストレス・過労を避けて、睡眠を十分にとり休養本位の生活をすることが大切である。その後うつ病が治ったあとがもっと肝心である。悲しみ、不安、恐怖、抑うつ、ストレスなどの対処方法を森田理論学習によって学んで、日々の生活の中で実践していくことが大事である。つまり不安や恐怖を持ったまま、外向きに仕事や日常生活に精を出すことである。そうすれば、ナチュラルキラー細胞が増えて免疫機能が正常になってくる。がんが完治するということは、心身両面からの治療が大切なのだということがわかる。そうしないと自然治癒力が発揮されることがない。森田理論は心身一元論であるといわれるが、ガンの成り立ちを見ていると、そのことがよくわかる。(絶対あきらめないガン治療・ 30の可能性 伊丹仁朗 三五館 28ページより要旨引用)
2018.05.15
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元慈恵医科大学教授新福尚武先生は、長い間、老人問題、特に老人の心の問題について取り組んでおられた。新福先生は、老人の方に次のようにアドバイスされている。歳をとって、心身の衰えや病気を抱える事はある程度やむを得ないことである。「 歳をあるがままに受け入れる」というのは、手放しで衰えていくということではなく、衰えたものに逆らわない。愚痴を言わないことです。皆さん、病気になる。病気になったら、その現実を素直に受け入れる。しかし、病気にならないようにするということは、人間にとって極めて大事なこと、大きな義務でもあります。歳をとり1カ月間ベッドに縛られて寝たままにしていると、足腰の筋肉が弱り立ち上がることができなくなってしまいます。頭のことになると、もっと急激な変化が起こります。前頭葉を使わなくなると、判断力や決断力が急激に衰えてきます。廃用性委縮が起こってくるのです。一旦脳神経が死滅してしまうと再生することはありません。普段から前頭葉を鍛えて認知症などを防ぐように心がけることが大切です。そのための、心の構えをしっかりしておく。実際には森田理論学習を続けることによって、 生き方の指針のようなものが身に付いてくる。老人になって、人生観が確立しているかどうかということは、人生の最終版を実りあるものにしていけるかどうかに大いに関係がある。人生観を確立できていない老人はみじめである。そう考えると、対人恐怖症で苦しみ、森田療法理論に出会い、学習できた事は感謝にたえない。振り返ってみると、森田理論学習のおかげで人生観の確立が図られたことはまちがいないのである。特に神経質性格を活かして生きていくということ。不快な感情に対してどのように対応していけばよいのか。生の欲望の発揮した生き方について。欲望と不安の関係はどうなのか。 「かくあるべし」を少なくして事実本位に生きていくということ。凡事徹底の生き方。好奇心を活かして一人一芸を極めた生き方。これらの考え方は、今や血となり肉となり、私の全身を駆け巡っている。新福先生は、さらに生きる心の支えや喜びというものを身につけておくことが必要ではないかと言われている。喜びの源は2つあります。 1つは自然に親しむ喜び。もう一つはものを創造する喜びです。一般的には物質的な豊かさを求めることが究極の喜びであるように思われている方が多いようです。また、日常茶飯事もできるだけ手を抜いて、他人に依存する生き方を目標にしている人もおられます。新福先生は、今まで何気なく見過ごしていた路傍の草花にも感動を覚えるような喜びが大切なのではないかと言われています。歌を作ったり、俳句を読んだり、絵を描いたりしていると、他人には想像できないような張り合い、喜びというものを感じることもできます。私は自給自足的な生活が究極的な喜びをもたらす自然な生き方ではないのかと考えております。草花を育てたり野菜を作ったり、小動物を飼育する。そして蕎麦を打ったり、様々な加工食品を作って楽しむような生活は、新福先生の言われるものを創造する喜びの基本形ではないかと思っている次第です。「終わりよければすべてよし」という言葉もあります。私たちはそこに焦点をあてて日々過ごしてゆきたいものです。
2018.05.05
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私が室内装飾の会社に勤めていたころの話です。お得意先より学校の舞台幕の注文をもらった。校章入りの一文字、袖幕、バック幕までついた値の張る注文であった。パソコンで注文内容を打ち込み、製造部門に回した。後日営業マンより取り付けに行ったところ、袖幕の寸法が30センチ短いという電話が入った。みんな卒業式に間に合わないで困っているという。誤った考え方、行動最初動揺した。まさかと思った。チェックも何回もしたし間違うことは考えられないと思った。粗利が少ない物件だったし、作り直すと即赤字になる。またそんな余裕もない。謝ってみたものの、そんなことで許してもらえるわけでもない。そのうち、営業マンが、「仕事に真面目に繰り組んでいるのか」等と叱責する。こんな間違いをされると自分の営業成績に影響する。足を引っ張るなという。また上司に報告して対応を決めるという。この上司は人を人とも思わない人で、とても恐ろしい。この上司のおかげで何人も退職に追い込まれたのだ。お得意先も寸法通りの商品をすぐに持ってこいという。それを聞いてますますパニックになった。下手をすると首になるかもしれないと思った。自分たちもミスをするくせに、私のミスは大げさに責めたてて、自分のミスには甘いのはどういうわけだと腹も立ってきた。FAXで送られてきた注文書を見てみた。数字が不鮮明でどちらにもとれるような状態だった。だから自分だけが悪いのではないとも思った。八方ふさがりで、次の仕事に取り掛かる気力がなくなった。こんなことがあると、また間違いがあるのではないかと神経過敏になるので、とても精神的に苦しい。またミスをするのではと思うから益々ミスを招いてしまうのだ。なにしろ時間勝負で毎日50件程度の注文をパソコンで加工して処理しているのだ。仕事は専門職で頭の回転力が必要で、誰にでもできないところがあるので、うまくいけば面白い。でもミスを恐れながら仕事をしていると、気が休まることがない。また実際にミスや失敗が発生するので苦痛そのものだ。問題点第1に、自分が間違っているのに間違った事実を認めようとしていない。FAXのせいにして得意先に責任転嫁をしている。第2に、ミスや失敗は誰にでもある。それなのに他の人はミスをしてもそんなに叱られない。それを自分だけがミスや失敗をして叱られる。どうして自分だけがこんなに責められなければいけないのか。会社には血も涙もない人間ばかりだ。理不尽だと思っている。劣等感的差別観が湧き起っている。第3に、1回重大なミスをすると、自分の存在価値はない。会社では役立たずの人間だ。会社をやめるかどうかという大問題に発展させている。さらに自分は人間として生きる資格がない等と考える。とにかく小さな問題を自分の一生を左右するような大きな問題に拡大してしまう。また自己嫌悪、自己否定の程度がひどすぎる。同僚には約300万の純損失を出した人もいる。それでもやめずに会社に残っているのをどう考えているのか。第4に、自分は常に完璧な仕事をしなければならないという「かくあるべし」が強すぎる。不完全な仕事ぶりは、他のすべてがダメだと言われているような気がする。ミスや上司や同僚の評価ばかり気にしていて抑鬱が強くなった。苦しくてしようがない。どうすればよいのか楽になる道があることに気がついた。それは自分には難しいことだが開き直ることだ。自分は完璧な人間ではない。未熟な人間である。ミスや失敗も多い。それを自覚すること。ミスをしたときは、経験上すぐに自分のミスを素直に認めて、まな板の鯉のような状態になることが一番楽な道であるということが分かっている。ミスをして苦しい時は一瞬なのだ。それは注射を打たれるときの痛みに似ている。打たれる瞬間は痛い。でもすぐに痛みは消える。その後注射を打ってよかったという安堵感が持てる。苦しみは長くても数時間なのだ。でもミスを隠したり、伝票でごまかしたり、自分のお金を使って買い戻したりするとそのつけは大きい。時には1週間も1カ月も繰り返されるようになる。逃げれば逃げるほど不安は膨らんでしまうのだ。そういうのを強迫観念というのだ。ストーカーから付きまとわれて、逃げて隙を見せると脅迫が続き、しだいに大きくなっていくのと同じことだ。最初からすべて理想通りにはゆかないけれども、5個のミスのうち1個や2個はその方向でやってみよう。普通の人は隠すとかごまかそうとしないで、欠点やミス、弱みや失敗をそのままあからさまに出すので相手は、あっけにとられて責める気も起きないのかもしれない。小さいミスから取り組んでみると案外うまくいくことが分かってきたのであった。
2018.04.17
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中国の諺に「狡兎に三窟あり」というのがあるそうです。この意味は、賢い兎は3つの隠れ穴を持っているという事だそうです。これはリスクを分散して、生命の危険を防衛していることだと思われます。神経症で悩んでいる時は、頭の中の大部分が症状のことで占められています。症状を克服するという事は、その比率を下げていくことが重要になります。そしてあれもこれも気になり、いつまでも神経症だけにかかわっておられない状態になればしめたものです。そのためには、内向している精神を少しずつ外向きに変えていくことが大切です。具体的には、普段の生活をいくつかのジャンルに分類してバランスをとっていくということになります。大きく分けると、仕事、勉強、家庭生活、交友関係、地域活動、趣味や習い事、運動や健康、自己啓発などがあります。神経症で苦しんでいる人は、主として職場での人間関係で苦しんでいる人が多いと思われます。そうなりますとたちまち苦悩と葛藤で精神的に追い込まれてしまいます。生活内容が多方面に展開してくると、注意や意識が外向きになって神経症とは無縁になってきます。仕事をする第一の目標は、自分と家族の生活を維持していく為です。そのことをしっかり自覚して、まずはタイムカードを押しに行くことに専念しましょう。最初から仕事が楽しくて仕方がないという人はいません。誰でも最初は生活のために嫌々仕方なしに仕事に取り組んでいるものです。そのうち、トラブルが発生したり、あるいは弾みがついて一心不乱になることがあります。そうなると感じが高まり興味や関心が出てきます。気づきや発見も出てきます。そうすると、意欲ややる気が出てくるようになるのです。しだいに仕事が面白くなり弾みがついてくるのです。家庭でも、炊事、洗濯、掃除、家計のやりくり、近所との付き合いは必要最低限の仕事になります。そのことだけでも、一日のうちの多くの時間を費やすことになります。子供がいる家庭では、子育てに割く時間も要ります。介護の必要な家庭では、そのための時間も必要です。神経症に陥ると、それらに割く時間が極端に少なくなります。おざなりになり、他人に依存するようになると精神状態も不安定になってしまいます。逆に日常茶飯事を丁寧にこなすようになると、神経症は少なからず克服できるようになります。それは行動・実践によって精神交互作用が断ち切られるからです。地域活動には、自治会の活動、講中の活動、マンションでは管理組合の活動などがあります。私は集談会の活動はこの地域活動の一環ではないかと考えています。これらを見てみぬふりをして生活するということは褒められたものではありません。積極的にとは言わないまでも、ある程度の地域活動に参加しないと生活しづらくなってきます。いざというときに助けてもらえる人がいなくなってしまいます。少しでも活動に参加することによって、近所で知り合いが増え、円滑な人間関係を築くことができます。神経質の人は、好奇心が旺盛です。あれもやってみたい、これもやってみたいと思っている人が多いようです。その気持ちに沿って、何でも手を出してみる事は、自分の人生を豊かにしてくれるように思います。私は老人ホームの慰問活動を年間30回ぐらいは行っています。。サックスの演奏、どじょうすくい、獅子舞、浪曲奇術、腹話術などの芸を日々磨いています。それぞれの人の趣味は様々に違うと思いますが、いくつかの趣味に取り組むと生活が豊かになるようです。次に歳をとってくると、ほとんどの人はいろんな持病を抱えています。健康に暮らしていくために、食べ物、運動、やりがい、経済的な自立、認知症について、普段から手を打っていくことは、人生90年時代といわれる今日ではとても大事なことだと思います。それらを無視した生活をしていると、仮に長生きをしても、ガンなどの難病に罹りやすく、最後は寝たきりになり、脳の機能が失われることになりかねません。このように意識して生活の幅を広げることを心がけて、バランスのとれた生活をしていると、ちょつとした不安や問題があるたびに大きく落ち込むという事はなくなってくると思われます。
2018.04.15
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本日は「生活リズム」と「体内リズム」の関係について投稿してみたい。「生活リズム」とは、起床、食事、排泄、入浴、運動、学習、労働、社会的交流、就寝などが一日の生活の中で規則正しく行なわれていることである。昔の人は太陽が昇ると共に活動をはじめ、太陽が沈むと体を休めていました。ところが、現代人は、電球を発明し、テレビやパソコンなどの普及によって夜型に変化してきました。夜間に仕事をする人も格段に増えてきました。つまり、全体的に生活リズムが崩れてしまったのです。「体内リズム」とは、例えば体温のリズムです。体温は37度付近で保たれていることはよく知られていますが、実際には早朝に低く、夕方に高いという「体内リズム」があります。最大で約1度近く差があることはあまり知られていません。このわずか1度という温度変化は、細胞の中で起こっている化学反応に大きな影響を与えています。すなわち、細胞が活動するべき昼間には体温を高め、細胞が休むべき夜間には血流も少なくなり体温が低くなっているのです。身体にとって大切な「体内リズム」は、体温以外にも無数にあることが分かっています。私たちは、食事をすると血中のグルコースの濃度が高まります。急に血糖値が高くなるのです。この毒性を回避するため、すい臓から出るインスリンが働くことによって、グルコースの濃度を元に戻してくれています。このインスリンは、昼間に出やすく、夜間にはあまり出ません。夜中に食事をすると、グルコースが毒性を発揮して血管系等にダメージを蓄積させることになります。インスリンはすい臓で分解されていますが、本来は働くはずもなかった時間帯に働かされるので、その細胞は弱って死滅してしまいます。脳の松果体から分泌されるメラトニンというホルモンがあります。メラトニンは眠りのタイミングを作り出すホルモンです。人間が眠るためには、体温の低下とともにメラトニンの血中濃度を高める必要があります。このメラトニンは昼間は分泌量が少なく、夜間になると分泌量が増えてきます。ですから、普段は朝7時に起きて、夜12時に寝るような生活習慣の人が、急に夜の9時に寝ようとしても、メラトニンの分泌量が低いので、眠れなくなるのです。さらにメラトニンは、脳の中にある体内時計の中枢に直接働きかけて、体内時計自体をも修正する作用があるといわれています。体内リズムと生活リズムがマッチしていないと、様々な病気になってしまいます。ガン、糖尿病、動脈硬化、うつ病や躁うつ病、認知症などです。これらを防ぐには、「体内リズム」に「生活リズム」を合わせることが大切になります。「体内リズム」は、人類の進化の過程で長年かけて築き上げてきたものです。自然現象とも言うべきもので、変えることはできません。私達の出来る事は「体内リズム」に合わせて「生活リズム」を変えていくことです。森田理論では、規則正しい生活をこなして行くことを目標としています。形を整えていくと、心身ともに健康に暮らしていくことができるのだと思います。森田先生は後年リズムの研究に強い関心を持っておられました。リズムに沿った生き方というのは、森田理論につながるものがあるのです。(体内時計の不思議 明石真 光文社新書参照)
2018.04.09
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岩井寛先生の所を訪れた神経症の患者さんのお話である。職業は新聞記者である。彼の悩みは、たったひとりで取材をしなければならない時に、手が震えるという症状です。コーヒーなどを出されると、茶碗がカチカチと音を立てて鳴ってしまう。そうなると、彼はインタビューどころではない。質問事項もみんな忘れてしまい、自分が何を考えているのかもわからなくなって、茫然自失してしまうのである。つまり彼は、上手くやろうと思えば思うほど、常に気にしている震えに注意が集中し、その結果、震えの症状がますます強まる。それを彼は、自分にとってこの上ない恥、あるいは大きな劣等感にしてしまうのである。そこで彼は普段の有能さを捨て、自己中心的に自分の症状を気にかけ、症状を無きものにしようとすることに、日常生活の全力を投じてしまう。彼は新聞記者の仕事を放棄して、諏訪の田舎に引きこもると言うのである。しかし、実家に戻ったところで、就職のあてがなく、どうして食べてよいのかわからない。手っ取り早く苦痛を回避して現実逃避を考えている。(森田療法 岩井寛 講談社現代新書 134ページより引用)神経症のためにすぐに仕事を辞めてしまう人は多い。集談会でも、転職を繰り返している人もいる。外国では転職を繰り返してドンドン待遇改善を図る人もいるそうだが、日本の場合は、転職を繰り返せば繰り返すほど、待遇が悪化する例が多い。最後には、アルバイトやフリーターのような仕事しか残っていない。そうなれば給料も少なくなるし、社会保険を自前で用意しなければならなくなる。正社員ならば健康保険、厚生年金は会社と折半だから俄然有利になる。私は大学を卒業した後、出版社に就職した。対人恐怖症のため、訪問販売の仕事ができなくなり、その会社は9年で退職した。つまり症状のために自主退職したのである。退職後しばらくは、症状から解放された。しかしその後自己嫌悪、自己否定で苦しかった。田舎に帰ってみたものの、30歳を過ぎた人の仕事はなかった。また街に出てきて、なんとか次の仕事にありついた。まだ時代環境がよかったのだ。正社員であったために、社会保険は完備されていた。今だったら、派遣社員かフリーターのような仕事しかありつけなかったのかもしれない。そこでも対人神経症を抱え、会社の中で孤立して、人間関係で苦しかった。その後、この会社は経営が傾き、リストラの嵐で大変な職場であった。私は定年までいかにして生き残るかということだけを考えていた。仕事にどっぷりとつかることもなく、最低限の仕事ぶりであった。休日にはストレスの発散のために様々な趣味の世界に没頭していた。それでバランスがとれて何とかもったのかもしれない。同僚たちは、出世して管理職になることを目標にして仕事に邁進していた。ところが出世しても、業績が上がらないと、最後には退職に追い込まれた人が多かったように思う。一旦辞めていった人が、今よりも待遇のよいところに転職できた人はほとんどいなかった。それよりも生活を維持していくことに汲々としていた。森田先生は、神経症のために仕事を辞めるという事に警鐘を鳴らされている。仕事やめれば神経症の苦しみから逃れることができるように思われる。しかし、実際には暇になった時間を持て余し、自己内省で苦しむようになる。そのうち精神交互作用で神経症はどんどん強まってしまう。最後には神経症として固着する。さらに、生活費に事欠くようになる。生活上の悪循環が始まるのである。親から引き継いだ遺産、親の年金があるうちはなんとか生活はできるかもしれない。しかし、それらがあてにできなくなると、たちまち生活に困るようになる。病気にかかったり、家電製品の買い替え、家の修理、親戚の冠婚葬祭、自動車の買い替え時期になるととても困ることになる。神経症の人を見ていると、会社での人間関係にエネルギーの大半を投入してる人が多いように感じる。仕事をする本来の目的は、自分と家族の生活を支えるための生活費を得ることだ。その本来の目標を忘れると、良好な人間関係作りのために会社に行くようになる。手段の自己目的化が起きているのである。人間関係は歯車にさす潤滑油のようなものだ。たしかに、それがあると歯車は滑らかに回転していくが、それ以上のものではない。神経症で、苦しくても、そのために簡単に職業を放棄しない方がよいと思う。休職してでも、転勤をさせられてでもなんとか仕事にしがみつきながら、神経症を治すという方向に舵を切り直してほしいものである。その道もいばらの道ではあるが、仕事を辞めるよりはよいことが多い。そのノウハウは集談会に参加している人たちからいくらでも教えてもらえる。集談会という自助組織から離れないでほしい。集談会に参加している人は、あなたに寄り添い、決してあなたを見捨てることはしないのだから。
2018.04.08
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森田療法を完成したと言われている高良武久先生は神経症で苦しまれた経験を持っておられる。旧制中学の時、厳しい軍事教練が行われていた。高良先生は、 「右向け右」の号令で左を向いてしまい、殴られたことがある。それ以来憎まれ役になって「牛馬にも劣るヤツ」と罵られていた。軍事教練のたびに殴られるので、教練のある日はひどく頭痛がするようになった。村の青少年で作った「舎」というある種の結社にも、年長者の暴力的な圧迫に抵抗して、いわゆる村八分にされたこともあった。高良先生は、よくは知的、権力的な状況を嫌い、自由な雰囲気を好む性格であった。 1人静かに自分の生活に浸れる読書の時間こそ、至福の時であったという。その後高良武久先生は鹿児島の第7高等学校に進学された。旧制の高等学校は全寮制であった。破れた帽子、ほころびがマント、高下駄等で身をまとって、見るからに汚い風体のバンカラぶりであった。乱暴で野蛮なことが多く、高良武久先生は寮生活に順応することができなかった。頭重感、頭痛、不眠、対人緊張、疲労感、過敏反応症、 少年時代から鼻に持病があり、鼻づまり、かゆみは常にあった。それとともに「人生いかに生きるか」という青年期によく体験する難問にあたって苦労しておられた。校医に診てもらったところ、神経衰弱という病名を告げられた。勉強することは禁じられた。落第の不安が襲ってきたので、校医の指示に背いてやむなく勉強を始めた。最悪のコンディションだったが、やれるだけやってみよう。神経衰弱が悪化してもいい。半ばやけくそだったという。神経質症状は相変わらずであった。 1年間ぶらぶらした後に、九州帝国大学医学部に入学した。3学年になった頃から、心境の変化があった。「人間、生きている限り不安はつきものであり、不安も生活の重要な内容であって、不安に刺激されて、向上に努力するものである。不安の存在を否定することが葛藤そのものであり不安から逃げることも敗北だ」森田理論のあるがままの精神に通じる一大変化であった。その九州大学精神科に下田光造教授が赴任してきた。下田教授は森田理論を高く評価していた。その下田教授の推薦を受けて、高良武久先生は東京慈恵会医科大学精神科に移られたのである。ちなみに九州大学では後に奥さんなられた和田トミさんと知り合っておられる。和田トミさんはアメリカ留学をされた才女であり、男勝りの活躍で、後に日本女子大学教授、参議院議員になられている。高良先生は森田先生の後を受けて、森田療法の理論化に取り組まれた。昭和15年(1940年) 4月、高良興生院を開院されて、神経症の治療に当たるとともに、多くの森田療法家を育てられた。
2018.04.04
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帯津良一さんのお話です。古代の人たちは航海をするとき、夜空にまたがる星を頼りに船を進めたといいます。そうは言っても、すべての星を把握していたわけではありません。大事な道標となる北極星やオリオン座といった星をきちんと心得ていて、それらを進路のたよりにしました。目印さえ失わなければ、目的地にたどり着けるということがちゃんとわかっていたのです。私たちの人生にもそうした目印となるような星が1つか2つ必要な気がします。これは出世したいとか、金持ちになりたいとかいった自己の欲が絡んだ目標ではなく、生きる根源にまでもっと深く貫かれた大きな志です。落語家の立川談志さんから、 「先生はどんな死に方が理想ですか」を聞かれたことがあります。私は自分自身が死ぬときのイメージをいくつか持ち合わせています。複数のイメージがあれば、心配も少ないというものです。そのうちの1つをご披露しました。「やはり私の場合は、谷中の居酒屋の前ですかね」と答えたら、さすが落語家さんですね。「それは、居酒屋に入る前ですか、それとも出てきたところですか」と身を乗り出して聞いてきた。思わず私はときめきながら死ぬなら、ちょうど居酒屋ののれんに手をかけて、いざ入ろうとするところがいいと思いました。これから美味い酒を飲むぞという時に、ちゃんと前のめりに倒れる 。これこそ理想だ、答えたら、談志さんもなるほど、と合点がいった顔をしてうなずいていました。一方、談志さんは、たとえどんなに深刻な病気を抱えていても、ふとした病で死にたいと言うのです。風邪をこじらせたとか、腹を壊したとか・ ・ ・あいつはバカだねぇ、を言われるような死に方。実に談志さんらしい。私たちもどうせなら、あいつらしいと言われる姿をイメージしてみたいものです。死生観を抱いていない医者に診てもらうことほど恐ろしい事はない。特に生死を分けるような病気にかかった場合などです。これはお医者さんである帯津さんの言われることだから間違いないと思います。死生観を持っているということは、人生観を持っているということです。人生観を持たないで患者をすぐに見離してしまう。あるいは患者を実験台として扱ってしまう。がんの医者は手術、放射線、抗がん剤の治療はする。しかし、それで治らなければホスピスに行くことを勧める。これでは命がいくらあっても足りない。最後まで患者の立場に立った医療を心がけるべきだと思います。(楽々往生 帯津良一 ベスト新書参照)この話を聞いて私の感想です。森田理論で1番大切な考え方は、「生の欲望の発揮」ということです。帯津さんもこのことを言われているのだと思います。終了間際まで「生の欲望」に沿って前向きに生きていく事はとても大事なことです。その際、夢や目標が達成できたかどうかという事は二の次のことだと思います。生きる事に未練をを持って、いまやりかけ中の仕事や目標などがきりがついてから死にたいと思っても自分の意思の自由にはなりません。むしろ未練を持ったまま往生していくのが普通です。このことを、帯津さんは、谷中の居酒屋の前で、死ぬのがいいといわれているのだと思います。帯津さんは、死んでも魂はそこで終わるのではないという死生観を持っておられます。やり残したことは次に生まれ変わったとき課題として引き継ぐのだという考え方のようです。私もこの考え方を支持したいと思います。神経質者の場合は、人生観の確立には森田理論学習がいちばんだと思います。年齢を重ねれば重ねるほど、味が出てくるのが森田先生の人生観です。一旦人生観が確立すれば、一生涯困らない訳ですから、生きているうちに少々苦労してでも、ぜひとも森田で人生観を獲得していただきたいと思います。そういう気持ちのある人にはできるだけ応援したくなるものです。
2018.03.25
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高良武久先生はヘビースモーカーであったらしい。 奥さんが何度もやめるように言ったが止めなかった。というよりも、止められなかったようだ。 高良先生は自伝で次のように告白している。 「私は、タバコは高校生時代から吸っていた。今から16年前にやめました。それはたばこの害がある程度はっきりデータが出たから、これではいけない、と決心して、一切やめましたけれども、やめた当座は、吸いたいという気持ちは抵抗し難く起こってきます。衝動的になります。ことに、条件反射といって、こういう場合にはタバコを吸ったという場面になると、ものすごく吸いたくなります。この吸いたいという気持ちは、どうすることもできない。不可抗力です」 結局高良先生がタバコをやめたのは、胃潰瘍の手術をして大変な目にあってからだった。「吸うか、吸わないかということは、我慢すれば吸わないでおられるものです。非常に我慢がいる。それを何日か続けていくうちに、1週間、2週間、1か月と経つうちにだんだん慣れてきて、吸わないで慣れてきて、吸わないことにも我慢しやすくなってきて、しまいにはタバコという観念が浮かんできても、吸いたいという気持ちは伴わなくなる。それで禁煙が成功したことになる」 これは強迫観念とよく似ている。強迫観念に伴って余計な行動をするのが強迫行為だが、強迫行為をしないということは、非常につらいことだけれども、我慢を続けていれば、しだいに強迫観念的な考えが浮かんできても、それを行動に移さないでも、つらくなくなってくる。そのような生活を続けていけば、強迫観念は単なる雑念に変わってしまうものだ。 (高良武久 森田療法完成への道 岸見勇美 元就出版社 196ページより引用) タバコは依存性がある。高良先生は胃潰瘍の手術がきっかけになったといわれている。 森田先生もタバコを止められたが、そのきっかけは、喘息で息ができなくなるという苦しみがあったからだといわれている。 私は以前パチンコ依存症になりかけたことがあった。お金をドブに捨てるようなものだというのは頭では分かっていた。でも欲望に負けてどうしても足がパチンコ屋に向いてしまっていた。それから抜け出たのは1日1000円しか持たしてもらえなくなってからである。禁断症状が出て苦しいが、これではどうしようもない。これを解決してくれたのは、時間の経過であった。1か月も経つとだいぶ落ち着いてきた。今では10年以上もパチンコをしていない。しようとも思わない。生活が破たんし、離婚して家族がバラバラになって初めてパチンコの弊害が身にしみてわかったという人もいる。何とかその前に抜け出す手立てが必要だと思う。 依存症から抜け出したい人は、自分はもう制御能力がなくなっていると白旗を上げることが大切だと思う。自力脱出はほとんど無理なことだ。白旗を上げたうえで、医療機関などの第3者に相談することだ。そして自助組織に参加して悩みを共有する人たちで助け合うことだと思う。アルコール、ネットゲーム、ギャンブル、買い物、セックス依存症など幅広い。痛い目に合わないと分からないという人もいるが、痛い目にあった後ではすでに時遅しという場合もあると思う。
2018.03.24
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ショッピングモールの歌姫といわれる人である。ある人からメールをもらいyou tubeで聞いてみるように言われた。教えてくれた人ありがとう。感謝です。泣かせる歌詞ばかりであった。森田でいえば、神経症で苦しんでいても、前を向いて生きていきましょうと励ましてくれている。唄を聞いているだけで、涙が出てくる歌は久しぶりだった。ほっと心が安らぐのは私だけではないようです。聞いてみてください。
2018.03.14
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田舎のお寺の住職さんが小学一年生の作文の話をしてくれました。森田理論に関係のある話です。 せんせいが、「きょうのしゅくだいは、だっこです。おうちのひとみんなにだっこしてもらってね」といいました。ぼくもみんなも「ええーっ」とびっくりしました。だって、だっこのしゅくだいなんて、はじめてだからです。なんかはずかしいとおもいました。でもうれしかったです。いそいでいえにかえりました。いえにかえってすぐ、おかあさんに、「だっこがしゅくだいにでたんよ。しゅくだいするけえ、だっこして」と小さいこえでいいました。おかあさんは、「へえ、だっこのしゅくだいでたん」とびっくりしていました。でも、すぐ「いいよ」とにっこりしていってくれました。おかあさんはすわってぼくをひざにのせて、りょう手でぎゅうとだきしめてくれました。おかあさんのからだはぬくかったです。だっこしてもらっていたら、ぼくのからだもぬくくなりました。ぼくが「おうちの人みんなにだっこしてもらわんといけん」といったら、おかあさんがちっちゃいばあちゃんに「だっこしてやって」といってくれました。ちっちゃいばあちゃんはわらって「おいで」といってだっこしてくれました。そして「大きゅうなったぇ」といってくれました。つぎは大きいばあちゃんにだっこしてもらいました。大きいばあちゃんはぼくをだっこして「おもとうなったのう」といってくれました。さいごはおとうさんでした。おとうさんはいきなりりょう手でぼくのからだをもちあげて、どうあげをしてくれました。ぼくのからだはくうちゅうにふわっとうかんで、きもちよかったです。おとうさんはぼくをゆっくりおろして、ぎっとだきしめてくれました。おとうさんのからだはぬくかったです。ぼくはまたしてもらいたいとおもいました。だっこのしゅくだいがでたから、かぞくみんなにだっこしてもらいました。さいしょははずかしかったけど、きもちよかったです。だっこのしゅくだい、またでたらいいなとおもいました。とても心温まる話だと思います。3歳までのスキンシップは、その後の人生に与える影響はとても大きなものがあるといいます。他の人間を信頼できるかどうかどうかは、その期間に決まってしまうからです。このことは十分に自覚しておく必要があると思います。最近はメールなどで直接会うことなく要件を済ますことが多くなっています。でもいつまでもそのパターンを繰り返すことは危険だと思います。たまには直接会って話をする。直接会って相手の顔を見る。相手の雰囲気を直接感じるということはとても大切です。森田では直接現地に出向いて、相手に直接会う。自分で実際に状況を掴むことをとても重視しています。実際に相手を見ないで、先入観で判断するということはいただけません。いつまでもそのパターンを繰り返すことは危険だとおもいます。
2018.03.12
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先日のプロフェッショナル仕事の流儀は、今年の干支にちなんで犬の話だった。その中で、中村信哉さんという犬の訓練士の人の話があった。以前は警察犬の訓練士をされていた。飼い主の元で飼われた犬が、飼い主を噛んだり、他の人が聞いたら虐待しているのではないかと思うような鳴き声をあげたり、大暴れする様になった犬を訓練して矯正させ、元の飼い主の元に送り届ける仕事をされている。もし中村さんのところへ行くことができないと、ほとんどの犬は殺処分として処理されているという。その数、年間4,000頭に上るという。問題行動を起こしている犬は、遺伝的なものもあるが、ほとんどは飼い主の飼い方にあるという。強いしつけをして、常に叱られて育った犬や誉めるばかりで過保護に育てられた犬などが問題を起こすようになる。つまり両極端に偏って育てられた犬である。人間もそうであるが、犬もいつも飼い主が犬に寄り添い、しつけをしたり誉めたりバランスのとれた育て方が必要なのである。そんな問題行動をする犬を常時100頭ぐらい受け入れて訓練をされている。朝は5時に起して運動と排便をさせる。規則正しい生活を身につけさせているのだ。8時から食事をとらせる。ここにやってきた犬はわがまま放題の犬である。特にその本能が掻き立てられ、押さえられないのが、この食事の時間である。この時に、我慢することと好き勝手をさせないというしつけを行う。これは徹底して訓練されている。餌を与える前に、 「伏せ」と指示して前足をひざまずかせる。それができるまでは餌を与えない。その時にギャンギャン吠えまくる犬は、竹の棒でで叩く。そのような訓練を1年余も続けていると、 8割の犬は飼い主の指示に従うようになる。でも2割の犬は社会復帰できず、訓練は断念することになる。しかし中村さんは、そういった犬を全て引き取って、亡くなるまで面倒をみているという。誰でも出来る事ではない。それだけの覚悟を持って取り組んでおられるのだ。私たちは森田理論によって欲望と不安のバランスを取ることの必要性を学んでいる。欲望の暴走も不安にとりつかれることも極端な方向に向かうことは破滅を招く。これは犬の育て方や子供の育て方にも言えることなのだということがよくわかる。次に、規則正しい生活を続けるということの重要性についても指摘されているような気がする。平凡な生活を毎日継続していくことが生きる土台となる。そして、神経症の蟻地獄に落ち込んだ場合でも、きちんとした森田療法によって克服できる。さらに森田理論の神経質性格の活かし方や人生観を確立していけば、再び社会に適応することができるようになるのである。神経質者は森田理論学習によって人生観を確立するようにしたほうがよい。
2018.03.02
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昨日に引き続き、 「農のある人生」 (中公新書)から投稿してみたい。塩見直紀さんが、 「半農半X 」という生き方を京都の綾部市で実践されている。「半農半X」とは何なのか。塩見さんによると、自分たちが食べられる分だけの農業に携わりながら、自分の好きなこと、個性を生かした仕事に就いて生計を立て、社会に役立っていくライフスタイルのことだ。このうち、半農とは日々の半分あるいは1年の半分を農業に費やすことではなく、小さな農業で家族が食べるだけの食べ物を作り、必要最小限のものを得て生きる小さな暮らしを意味する。家庭菜園でもベランダ農園でもよいから、農に関わり、汗を流す自給自足的生活を送ることが入り口となる。一方の半Xは、自分の天職(ミッション)を遂行して社会に役立てること。しかし、最初からそうなる事は難しいので、まずは自分が好きな事自分の能力や特技、個性などを活かし、最終的に社会に役立つことを目指す。大好きなことに夢中になっているうちに誰かの為になっている、社会の問題につながっているというストーリーは多いだろう。理想は、農とXのバランスがとれている暮らし方だ。Xが忙しすぎては農がおろそかになるし、農が忙しいとXが滞る。そもそも、忙しいと家族と過ごす時間がなくなるが、家族の団欒のない半農半Xはありえないという。塩見さんのライフスタイルはおおむね次のようなものだ。朝は午前3時に起床し、 6時まで読書や思索、書物などをして過ごす。午前6時になると、朝食作りにかかり、家族と一緒に食卓を囲む。7時半になると、仕事に行く妻と学校に行く娘を見送る。8時ごろから田んぼや畑で農作業に勤しむ。その後、昼食をはさんでポストスクールや著作の執筆など自分の仕事をする。ポストスクールと言うのは、自分が探して見つけた素敵な言葉をはがきに書き、 洒落た言葉を読みたい読者に送るビジネスだ。娘が学校から帰ってくる午後3時からは、家族の時間だ。家族を大切にすることは、 「半農半X 」という生き方の「いろはのい」だと塩見さんは言う。午後6時になると、家族揃っての夕食。 8時には娘と一緒に床につき、絵本の読み聞かせをして眠る。「半農半X 」の生き方では、自分たちの食べるものは自分たちでまかなうというのが基本である。塩見さんは2006年から、 1,000本プロジェクトと名付けた取り組みを始めた。1株の稲が育つと、お茶碗で軽く1杯分の米が実る。 1日3食食べるとして、 1人1,000本の米作りをすれば、 1年分の米を自給することができるという考えだ。田んぼに抵抗がある人でも、このサイズならやれそうだと思えるでしょう。より多くのお米を作ろうというつもりはなく、収量は気にしません。ここで、思索しながら自然や仲間と触れ合ってもらうのが大切です。イベントの乗りで稲刈りを楽しむのもいいですが、草取りの時間も大切にしてもらいたい。にぎわいだけではなく静けさも必要ではないでしょうか。塩見さんの生活は、とても魅力があるが奥さんが外で働いていいるので成り立っているのかもしれない。この生活でポイントになるのは「半X」である。塩見さんに刺激を受けて、半農半Xの生活をしている人がいる。半農半ヘルパー、半農半陶芸、半農半歌手、半農半NPO活動、半農半デザイナー、半農半著作などの人たちである。半農半歌手は、歌手の加藤登紀子さんの娘さんのYaeさんである。千葉県の鴨川自然王国で自然の中で子供を育てながら、半農の生活を送っている。そして親譲りの美声で歌手活動も続けられている。この人たちの生活を見ていると、人間が生きるという原点を見失っていないということである。 「狭い日本、そんなに急いでどこに行く」という川柳があるが、生活を忘れて金儲けに明け暮れる生活に意味があるのだろうかと考えさせられる。
2018.02.25
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テレビのインタビューで「あなたのの嬉しさの基準はなんですか」と聞かれて、イチロー選手は次のように話している。自分以外の人が作る状況によって、自分が幸せに感じられる、嬉しく感じられるとは思わないんですよね。自分が何かをやることによって、自分が幸せを感じるならば、わかるんですけれどね。単にそういった状況を見て、 「 ああ、自分は幸せだな」という風には思わないですね。(イチローの思考 児玉光雄 36ページより引用)同じく、 「もっとパワーがあればと思ったことはありませんか」という質問に次のように答えている。パワーは要らないと思います。それより大事なのは、自分の「型」を持っていないといけないということです。(同書 52ページより引用)ジョージ・ シスラーの年間257本の安打記録を破った後の記者インタビューで、 「その秘訣はなんですか」と聞かれての発言。結局は細かいこと積み重ねることでしか、頂上には行けない。それ以外には方法はないということですね。(同書 82ページより引用)以上3つのイチロー選手の言葉は、森田理論学習を続けている私たちにとっても参考になる。まず第一の言葉。症状で苦しい時は、その苦しさを和らげるために、回避行動をとる。アルコール、ギャンブル、グルメ三昧、趣味三昧、買い物三昧などである。これらはカンフル剤のように効いて、瞬間的には苦しみから逃れることができる。それはそれでよいのかもしれない。しかし、真の意味で葛藤や苦悩を解消してくれるものではない。イチロー選手は、人から与えられるものによって、喜びを感じるものは本物ではないと言われている。自分が問題や課題に対して、失敗や成功を繰り返しながら、取り組むことによって、人生の充実感を味わえると言われている。森田でいう「生の欲望の発揮」の中で自然に沸き起こってくる喜びが本物であると言われている。次の話は、イチロー選手はホームランバッターではない。そういう人がパワーをつけてホームランバッターを目指しても仕方がない。自分のことをよく分析して、自分の持っている能力や特徴を磨いていった方がよいということだ。私たちは森田先生が7つに分類された性格の中で、神経質性格に該当している。神経質性格は、他の性格特徴を持つ人と比べて、きわめて有能な特徴を持っている。感受性が鋭く、小さなことでよく気がつく。自己内省力が強い。分析力が鋭い。粘り強い。強い生の欲望を持っている。などなどである。それらの点に注目して、磨きあげていくことがより重要である。3番目の話は、偉大な成功のための、手っ取り早い秘策はないということである。自分の置かれた現状を受け入れて、そこから視線をちょっと上に向けて、努力精進していく以外に方法はない。地味な努力を日々続けていくことしか秘策はない。自分の立ち位置を、雲の上に置いて、理想や目標からかけ離れた自分を否定していては何も始まらないということである。どんなに幼稚な自分であっても、現実の自分に寄り添って少しずつ成長していくことが大切である。
2018.02.16
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