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パリでの3泊を終えて、昨日レバノン入りしました。約2か月ぶりの中東ですが、一気に現実へ!! レバノンについた瞬間、日本にいたことはまさに「夏の夜の夢のごとし」。

パリでは、かの有名なノートルダム大聖堂を見たり… →
コンコルド広場の夜景を楽しんだり… ↓

…と、まずまず平和な日々を過ごしまして、さてレバノンへ。到着日のレバノンは、まさにStorm (大嵐) の真っ最中。飛行機は着陸できず、上空をしばらく旋回し、雷と突風が落ち着くまで待機状態。なんだか私のこれからの生活を象徴している…? タラリ
とはいえ飛行機は何とか無事に着陸し、大雨と突風のベイルート市に降り立ちました。タクシーを予約してもらっていたのですが、なんと別の友達が空港まで迎えに来てくれていました。なにせ大荷物を抱えてましたので、助かりました。今回はビジネスクラスだったので、合計で69キロ(トランク3つ分)の荷物を預け、それに加えて機内にも15キロほど持ち込んでおりました。友達はあきれ顔。でも人生で最初で最後 (であろうと思われる) のビジネスクラスですもん、欲張りましたよ、私は。
家に到着した後は、インターネットの申し込みに行ったり、野菜を大量に購入したり、とかいがいしく(?)働きまして、全てはまずまず順調に思えました。用事が全部済んだから、あとはゆっくりくつろぎましょう、とほくそ笑んでアパートの部屋にエレベーターで向かっていたその時、超ポンコツのこのエレベーターがガタンと音を立てて止まりました。一瞬何が起きたか分からず、ドアを押すのですが開きません。
そうです、午後6時は魔の時間。政府からの電気の供給がストップしたのです。ええええ~~ッ? で、私はどうなるわけ??? エレベーターの中のボタンを押しまくりますが、もちろんウンともスンとも言いません。こ、この中に4時間もいろと? しかも4時間たって電気が回復する保障もありません。
実は常々、不思議に思っていたのです。エレベーターに乗っている最中に電気が切れた場合、どうなるんやろ~と。通常は、一番近い階にエレベーターは止まり、速やかに脱出する、という手順のはずですよね。ところが、このポンコツエレベーターは全く突然にガタンと止まり、上にも下にも1寸たりとも動かず、あとは不気味な暗闇に取り残されることに。
信じられへん!! 帰国したその日にこんなことが生じるとは!! 幸い、同じアパートのどっかの階のおばちゃんに知られる事態となり、救出作戦が始まりました。このおばちゃん、最後は怒って金切り声をあげていたので、どうしてしてくれたか聞けなかったのですが、いずれにしても上からエレベーターの籠 (かご) を少しずつ手動で下ろすこととなったようです。
私の乗った籠はしずしずと下に降りて行きますが、上からはどこまで下りているかもちろん見えませんので(ほんっとにオンボロなんです!!!)、上から「まだか」「まだか」という怒鳴り声がし、私も中から「まだ」「まだ」と怒鳴り返し…ハイテクなどというものはなく、全ては人間の目と手に頼るしかないのです。
しかもこのポンコツ、1Fまで下ろさないとドアが開かない仕組みになっているらしく、止まった4階から最下階まで到着するのに時間がかかります。やっと1階につき、ドアを押しあけることができました!! その頃には、赤の他人をなぜか助ける羽目に陥った例のおばちゃんが怒って金切り声をあげていて、「電気が止まる時間帯になんでエレベーターに乗るのよ!! 午後2時と午後6時には絶対に乗っちゃダメェェェェェ!!!」とお叱りを受ける羽目に。いやはや、とんだ騒動でした。
ベイルート2日目の今日は、さらに天気が大荒れで雹(ひょう)まで降る始末。この冬一番の寒さだとか。 さらにお昼の12時に電気が突如切れ、午後2時になっても6時になっても回復せず、やっと電気が来たのは午後11時。11時間も電気が供給されません。めちゃくちゃやな、レバノン!!!
そんなこんなで、「コントロール する される 生活」へ。ここレバノンでは、意に反して様々なことに自分の生活がコントロールされ、それに合わせていくしかありません。今日は暗闇の中でバッテリー式の小さなライトを持ち歩きながら、インスタントのお味噌汁をズズッと吸い、小さな光を頼りに顔だけ洗い、「バッテリーが切れる前に顔が洗えてよかった」と自分を褒め、1日が終わります。ほんま、こんなことで自分を褒めるなんて、レベル下がりそうやな。
先進国から第3世界へ帰ったことを心に刻みつけた瞬間でした。
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