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「香辛料貿易」をめぐる戦い

<「香辛料貿易」をめぐる戦い>
「香辛料貿易」をめぐる戦いが、ポルトガル、スペイン、オランダ、フランス、イギリスなどの間で繰り広げられたが、その経済的背景には、香辛料貿易が運送が容易な割に利益が大きいという事情があったのです。

・・・そのあたりの状況について、ネットを覗いてみました。




ハイパー世界史用語集「香辛料」 より
 インド、東南アジアが産地の、西欧の食生活で不可欠とされた産物。インド洋交易圏・東方貿易の主要な交易品であり、特に大航海時代以降の香辛料貿易は活発に行われた。

 広い意味で香料ということもあるが、厳密には香辛料(スパイス)は口に入れて刺激を味わうもので、胡椒・丁字・肉桂(シナモン)・ナツメグ(肉ずく)・カルダモン・ジンジャーなどがある。それに対して狭い意味の香料は、香りを楽しむもので、乳香や白檀などであるが、これも東南アジアの特産であった。

 これら香辛料類は育成に気候の適したインド、東南アジアの特産のものであったのでインド洋交易圏の主要な交易品であったことが『エリュトゥラー海案内記』などからもうかがえる。さらにムスリム商人によって紅海を経て地中海に運ばれ、レヴァント貿易(東方貿易)で主としてヴェネツィアの商人によってヨーロッパにもたらされ、肉食文化の中で需要が高まり、高額で取引された。一方、香辛料は南シナ海を経て中国にも運ばれていた。
 15世紀に入り、オスマン帝国の地中海への進出によってレヴァント貿易が困難になると、香辛料を求めて直接アジアに進出しようとしたポルトガルによってアフリカ南端を廻るインド航路が開発され、ヨーロッパとの間の直接的な香辛料貿易が始まった。つづいてスペインやオランダ、フランス、イギリスなどが香辛料貿易に乗り出し、香辛料はさらに重要な交易品となった。

 しかし、インドにおいてはイギリスの覇権が確立する過程で、イギリス東インド会社の扱うインドからの輸出は綿花や茶が主力となっていき、香辛料貿易はインドネシアに進出し、オランダ領東インドを植民地支配したオランダが主導権を握ることとなる。

■香辛料の種類と産地
 注意しなければならないのは、香辛料と言ってもその種類が多く、また種類ごとに産地が違うと言うことである。またその多くは現在でも産地の風土が限定されるためか、特定の土地に限られることが多い。
胡椒は最も広く見られ、インドのマラバール海岸(カリカット、コチンなど)、東南アジアのスマトラ島などが有名であった。
肉桂(シナモン)はセイロン島(スリランカ)の特産であった。
丁字(クローブ)はモルッカ諸島のテルナテ、ティドーレなど5つの島でしか産出しなかった。
肉ズク(ナツメグ)はモルッカ諸島の南のバンダ諸島でしか産出しなかった。
 特に丁字・肉ずくの特産は香料諸島と言われ、16~17世紀にはポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスが激しくその利権を巡って争うことになる。

■香辛料の需要
 ヨーロッパでは12世紀頃から、牧草の枯れる冬の前に家畜を屠殺して保存し、食料とする肉食が一般化したが、塩漬けにされた肉を食べるには、胡椒などの香辛料でにおいを消さなければならなかったため、その需要が急速にのびた。つまり、肉の味付けと保存のために胡椒などの香辛料が必要であったので、特に上流社会で次第に多量に用いられるようになった。そしてこの香辛料貿易は、運送が容易な割に利益が大きかったので、貿易商人達は競ってその輸入を行った。


「香辛料貿易」をめぐる戦いとしては、以下の本が興味深いのです。
『カレーの世界史』1
『東インド会社とアジアの海賊』4 :オランダ東インド会社の登場
『スパイス戦争』3 :日本人海賊の登場

運送が容易な割に利益が大きいと言えば、イギリス―清国間のアヘン貿易が酷かったようです。

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