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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)********************************************************今日の朝日新聞で知ったんですが、フランスBDの巨匠メビウスさんが先月、亡くなっていたんですね。日本人作家に与えた影響も大きかった人でした、合掌。3/10フランスBDの巨匠メビウスさん死去 日本作家に多大な影響よりフランスのメディアの報道によれば、同国のバンドデシネ(BD)の巨匠メビウス(本名:ジャン・ジロー)氏が、2012年3月10日に73歳でなくなった。同氏は最近、闘病生活を続けていたという。 バンドデシネはフランスのコミックアートを指すもので、大人向けから子ども向け、さらに様々なジャンルを網羅する。日本のマンガや米国のコミックスに相当する。メビウス氏はそのなかで特に際立った存在で、世界的に知られた作家である。 日本でも多くのファンを持ち、日本のマンガやイラストレーション、アニメーションにも多大な影響を与えた。本国だけでなく、日本でもその逝去を惜しむ声が広がりそうだ。 メビウス氏は、1938年フランス生まれ。1960年代よりメビウスの筆名で創作を開始した。独特な世界観と作風で、高い評価を受けてきた。日本では2010年末に翻訳出版をされ注目された『アンカル』、『アルザック』などの代表作がある。 一方、その活動はバンドデシネだけにとどまらない。映画やアニメーションの創作にも深く関わった。『エイリアン』や『トロン』、『フィフス・エレメント』などの歴史に残る映画にデザイナーとして参加した。アニメーションでは、ルネ・ラルー監督のSF作品『時の支配者』のデザインが代表作となっている。 また、日本のクリエイターへの影響についてもしばしば言及される。大友克洋氏、松本大洋氏などメビウス氏からの影響を語る作家は少なくない。アニメ監督の宮崎駿氏と交流もよく知られている。ふたりは2004年にフランス・パリで二人展を開催し、話題を呼んだ。漫画あれこれから「メビウスの世界」を再掲しまます。<メビウスの世界>最近になってフランスの漫画作家メビウスを知ったのですが・・・おお 松本大洋と似たテイストやんけ♪ (松本大洋がメビウスの画風に影響をうけていると言われておるそうです)松本より先行していたかも知れないが、なかなか、いい味出てますね。Moebius.fr公式サイトメビウスって誰?
2026.09.29
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)********************************************************『BD 第九の芸術』という本を図書館で借りたのは、メビウスについてもっと知りたかったわけです。【BD 第九の芸術】古永真一著、未知谷、2010年刊<「BOOK」データベース>よりコマの否定、吹き出しのみの構成、メタレベルのストーリー、ダンスとのコラボレーション…ほとんど分類不能、クールジャパンの対極のアヴァンギャルド―古くはバタイユがBDのアーナキーさに注目し、70年代に前衛集団「バズーカ」、90年代に前衛漫画集団「ウバポ」、大御所メビウス、ポードワンなどを紹介しながら、第九の芸術と言われるBDの歴史的背景と表現媒体の可能性を見る、待望のBDアヴァンギャルド論。<読む前の大使寸評>BDという言葉より先に、大御所メビウスを知り、その圧倒的な技量に驚いたわけです。ということで・・・BD(フランス漫画)の中でメビウスが占める位置とか、影響力を知りたいわけです。AmazonBD 第九の芸術宮崎駿や松本大洋に大きな影響を与えたメビウスでしたが、惜しい人を亡くしたものです。<大御所メビウス>p124~126より BDのことはあまり知らなくても、メビウスの名前だけは知っている人は多いはずである。日本のマンガに詳しい人なら大友克洋や宮崎駿に影響を与えた人物だと記憶しているかもしれない。しかし日本では、実際にメビウスのマンガを読んだことがあるという人は少ない。ほとんど邦訳されていないのだから無理もない話だ。リアルタイムで『メタル・ユルラン』誌を読んでいた世代、あるいは海外から作品を取り寄せるような愛好家を除けば、日本ではもっぱらBDの巨匠というイメージが先行し、卓越した画力だけが注目されてきた。 BDの象徴でありながら、メビウスはアメリカ文化の影響を強く受けている。BD自体がアメコミの影響を強く受けてきたのだからある意味で当然ではあるが、アメリカの映画業界の活躍のひとつとってもメビウスの場合は他の漫画家に比べて際立っている。メビウスの作品には、アメリカが中心的な役割を果たした20世紀という時代が刻まれている。 メビウスが「バズーカ」と違って生き延びた理由としては、ジャン・ジロー名義のウェスタン『ブルーベリー』(1965)をヒットさせると同時に、アメリカのコミックスやイラストや映画を肯定的に自作に取り入れたことが挙げられる。日本人には想像しずらいかもしれないが、フランスではウェスタンがBDのジャンルとして定着している。人気の背景には、砂獏の荒野には伝統的なヨーロッパの石造りの重厚な町並みにはない開放感があるからだろう。砂漠のウェスタンと宇宙を舞台にするSFは、フロンティア・スピリットという共通点もある。 メビウスはウェスタンからSFまでこなすエンターテインメント性と芸術性を兼ね備えていた。メビウスはSFやウェスタンという極めてアメリカ的なジャンルで傑作を発表し、アメリカでも成功した数少ないフランスの漫画家なのだ。彼の迫力ある絵や幻想的でユーモラスな世界は、娯楽性を兼ね備えることで幅広い読者層を獲得し、その芸術性や斬新な作風によって既成のBDのイメージからの脱却を推し進めた。メビウスとその時代を概観すれば、アメリカ文化の影響力の大きさとともに、良きにつけ悪しきにつけマンガが子供向けの読み物から後にアートとして評価されることとなるクオリティを獲得していく過程がわかるだろう。ロング・トゥモロー<フランス初、アメリカ進出マンガ誌>p140~141より 師匠になることを笑いながら快諾し、精神的に支えた人物がホドロフスキーだとすると、メビウスの才能を爆発的に開花させたフィールドは、1975年創刊の雑誌『メタル・ユルラン』である。 『メタル・ユルラン』で展開されたメビウスならではの幻想的な世界や高い画力に裏打ちされた精緻な描写は、世界中のマンガファンのみならず映画界にも衝撃を与え、「スターウォーズ」「ブレードランナー」や「エイリアン」といった映画史に残る傑作が制作されていった。 『メタル・ユルラン』の興亡に関しては、当時大学受験もせずに家出同然の状態で同誌に参加したセルジュ・クレールが描いた『日記』(2008)というBDがある。 いわば『メタル・ユルラン』のドキュメンタリー・マンガで、脚色混じりとはいえ実在する人物の舞台裏が生き生きと描かれ、『メタル・ユルラン』の創刊に尽力したジャン=ピエール・デュオネが序文を書いている。(中略) 『メタル・ユルラン』は政治的な有効打となるほどの経済的成功を収めることはできなかったが、フランス語圏のマンガ雑誌がアメリカに進出したことは、BD史において特筆すべきことである。BD業界ではアメリカのコミックスが仏訳されることはあっても、その逆の例は少なかった。 雑誌が担っていた役割や期待は今よりも大きかった。だからこそ政治的な意味づけができたのである。インターネットが普及していない当時、雑誌は情報伝達で重要な役割を果たし、流行の仕掛け役でもあった。 マンガ雑誌は掲載作の単行本を紹介する広告塔としても機能していた。しかも雑誌ならば、購買力のない若者でも気軽に買って読むことができる。グーグルのイメージ検索や大画面テレビも身近にない時代にあって、マンガ雑誌はイメージの魅惑をかきたてる媒体として大きな役割を担っていた。現在、BDの出版社は、日本の「マンガ」の人気との相乗効果もあって活況を呈しているが、雑誌はというとフランスでも日本でも娯楽の多様化やネットの普及によって衰退傾向にある。それだけに雑誌が時代を象徴するというムードは想像しづらいかもしれない。アルザック<『アルザック』>p150~152より メビウスの多彩な画風をウェスタンのジャン・ジローとSFのメビウスに分けたとき、そのSFのメビウスのなかには、略画的な絵柄と細密な絵柄のスタイルがある。メビウスは驚くほどさまざまな絵柄を描き分けながら、それぞれの作品にふさわしいスタイルを探り当てる。『アルザック』では、盟友のフィリップ・ドリュイエにも顕著なアール・ヌーヴォー的な装飾的なコマ割りがなされ、台詞も説明文もないので字幕のないサイレント映画を観ているようだ。沈黙の音色に耳を澄ますべき作品とでもいおうか。 このように写実的に描かれたSFマンガでテクストが皆無というのは珍しい。言葉というノイズを消去し、グラフィックなヴォイスだけで語りかける。メビウスの描線は言語的な意味で編み上げられる表層のネットワークよりも深部へと入り込み、自らの無意識に深く沈潜することによって、読者の無意識に働きかけようとする。 メビウスは『アルザック』の序文で「ひじょうに個人的で、感覚の次元に属するもの」を呼び覚まし、「無意識の周縁にある、意識のもっとも深いレベル」を表わすことを目指したと述べている。たしかにページを操る読者は、無音の世界という夢幻的な感覚を抱くだろう。悪夢の魅惑というべきか、翼竜に跨って空を飛ぶ主人公アルザックが目にするのは、化け物の顔に変貌する女であり、わけもなく襲ってくる怪物だ。夢ほど脈絡のないイメージが続くわけではないが、一般的にマンガの読者が期待しているようなわかりやすさはなく、肩すかしをくらうような結末で物語は断ち切られる。もっともそれこそが幻想文学の短篇の余韻であり醍醐味と言うべきであろう。 そもそも「アルザック」とはいったい何者なのか。《ARZACH》、《ARZAK》、《HARZACK》、《HARZAK》、《HARZAC》、《HARZACKC》と目まぐるしく変わる表記は、メビウスが影響を受けたと公言するレーモン・ルーセルの言語遊戯を感じさせると同時に、キャラクターの自己同一性が保たれていないことがわかる。 こうした言語遊戯は、混沌とした複数の自我を固有名詞へと束ねた主体によって構成される世界とは異なる時空を描くうえで、表現上のアクセントになる。フリージャズの演奏が技術と形式に裏打ちされてはじめて威力を発揮するように、錯乱した世界もメビウスの卓越した画力によって生々しく視覚化されるのだ。『Inside Moebius』和訳より<物語表現>p228~230より 日本ではボードワンは過小評価されている感があるが、メビウスは高い評価を受けている。メビウスの描く絵や線の魅力については言をまたない。あるいは百言を費やさねばならない。他方でメビウスには語り口の魅力というものもある。それが自伝的BDにも生かされている。 実際に話すという意味での語り口は、2009年5月6日に京都国際マンガミュージアムで行われたイラストレーター村田蓮爾との対談で堪能することができた。自伝的マンガ『インサイド・メビウス』から抜け出てきたかのような黄色いTシャツ姿のメビウスは、ユーモアと誠実さを兼ね備えた飄々としたトークを繰り広げ、ペンを片手に実際に目の前で描いてみせた。 講演では何度か「物語表現」という言葉を口にされていたが、このことは物語をいかにして造形するかというメビウスの問題意識を再認識させるものだった。また現代のBDでは珍しくないイラストブック的な形態も、自らがパイオニアだという自負を語っていたのも印象深かった。つまりメビウスは魅力的な絵を描くだけでなくマンガの可能性を追求する革新者でもあるということだ。 すでに触れたようにメビウスは『巨根男』で左右別々のストーリーを同時進行させるという実験的な形式に取り組んだ。話の断片を並べていく作風は『アルザック』では幻想的に、『密封されたガレージ』ではユーモラスに生かされていた。だが残念ながら日本ではメビウスの卓越した画力ばかりが注目され、物語の技法に自覚的な漫画家だということはあまり認識されていない。 ここで取りあげてみたいのは、メビウスの物語る語り口の魅力について、ジャン・ジロー・メビウス名義で描かれた『インサイド・メビウス』(2004-10)という不思議な作品についてである。全貌が明らかにならぬまま現在も続いているシリーズについて論じる難しさはあるが、ほとんど邦訳されていない現状に鑑みれば今のメビウスを紹介できるという利点はあるかと思う。 とりあえず「自伝的マンガ」と記したが、一読すれば一筋縄にはいかない作品だということがわかる。メビウス本人がキャラクターとして登場して、実生活とも重なる
2026.09.28
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)********************************************************図書館で『ビアズリー怪奇幻想名品集』という本を借りたが、ほとんど全頁がモノクロームの線描画であり・・・大使にとってはいわば大人の絵本になっているのです♪この本の解説にあわせて、その絵の一部を紹介します。『アーサー王の死』挿絵(1893)『サロメ』挿絵(1894)『スチューディオ』付録(1895)『リューシストラテー』挿絵(1896)『アリ・ババ』表紙(1896)<ビアズリー芸術の特質>よりp140~142 ビアズリーは、さまざまな美術から影響を受けている。作家の個性は、多様な影響を消化していく中で生み出されるものだが、ビアズリーも例外ではない。重要なのはその消化の仕方であり、影響を受けた対象から、何を、どう学んだか、ということである。 同じ対象から影響を受けたとしても、作家によって学ぶものは異なる。さまざまな対象から受ける雑多な影響の総体が、個性を形づくるのである。では、ビアズリーはどのような環境の中で、どういう影響を受け、どのような個性を作ったのだろうか。 19世紀末はアール・ヌーヴォーの時代であった。アルフォンス・ミュシャ(グラフィック)、エミール・ガレ(工芸)、エクトール・ギマール(建築)など、フランスで活躍した作家が有名だが、アール・ヌーヴォー自体は各国で流行した国際的な運動で、中でもイギリスはその発祥の地として、多くの作家たちが活躍した。 特にウィリアム・モリスによるアーツ・アンド・クラフツ運動は、アール・ヌーヴォーの先駆的な試みとして重要な例である。モリスの作ったケルムスコット・プレスの出版物は、ビアズリーが『アーサー王の死』を制作するにあたって参考にしている。また、初期には非難が大きかったグラスゴー派の作品を擁護した雑誌『スチューディオ』には、ビアズリーも挿絵を描いていた。 ビアズリーの作品にも、明らかにアール・ヌーヴォーの要素が色濃く反映されているが、それはこうした環境を考えると極めて自然なことであったように思える。『サロメ』に見られる、優美な曲線を生かした装飾的な細部の表現などは、イギリスのアール・ヌーヴォーの、洗練された様式を代表するものと言っても過言ではない。(中略) 後期の作品でより顕著になってくるのは、ギリシャの陶器に描かれた人体表現を応用した作品である。ギリシャの陶器では、黒地に赤、あるいは赤地に黒で人体がくっきり浮き上がるように表現される。ビアズリーは白い地にはっきりとした輪郭線を用いて、大胆で動きがあり、どこかユーモラスなギリシャ風の人体を、『リューシストラテー』などのエロティックな主題に応用して、開放的な性愛賛歌を作り上げた。 こうしたエロティックな作品においては、日本の浮世絵、それも春画からの影響も考慮に入れるべきだろう。ビアズリーが実際に日本の春画をアトリエに貼っていたという証言が残っているが、そうした事実がなくとも、春画の影響は歴然としている。(中略) こうした多様な影響を、モノクロームを基調とした鋭い線描によるスタイルへと昇華させていった。それが単なる摸倣でなく、個性的でオリジナリティあふれるものであったということは、エドゥアルド・ムンクやパブロ・ピカソ、レオン・バクスト、パウル・クレーなど、ビアズリーの様式に影響を受けた芸術家が数多くいたという事実を見れば明らかである。 日本にもビアズリー調の絵を描いた作家は少なくない。夏目漱石の本の装丁を手掛けた橋本五葉、版画同人誌『月映』の中心的な作家だった田中恭吉、大正ロマンの代名詞でもある竹久夢二、資生堂の宣伝美術で知られる山名文夫などはその代表的な存在だ。彼らもまた、単なるビアズリーの摸倣ではない個性的な芸術を創造し、後の時代の作家たちに影響を与えている。 さらに大きな可能性を秘めながら、若くして亡くなったビアズリーであったが、その芸術は、時代を超えて確かに受け継がれていったのである。松本大洋さんは、知ってか知らぬか・・・・『鉄コン筋クリート』、『ナンバーファイブ』の鋭い線描には、ビアズリーの影響が見えるのです(大使の場合)【ビアズリー怪奇幻想名品集】オーブリー・ヴィンセント・ビアズリ, 富田章著、東京美術、2014年刊<「BOOK」データベース>より【目次】ビアズリーの生涯/1 初期作品と『アーサー王の死』/2 『サロメ』の衝撃/3 『イエロー・ブック』から『サヴォイ』へ/4 円熟の時代から終焉へ/ビアズリー芸術の特質<大使寸評>晩年のモノクローム線描の独創性、完成度は鬼気迫るものがあるが・・・・現代のイラストレーターを凌駕するような独創性に驚くわけです。25歳で夭折していたのか・・・死を予感していたのだろうか。図書館でこの本を借りた半日後に、原田マハの書評を見つけたので、参照ください。rakutenビアズリー怪奇幻想名品集ビアズリーの画像
2026.09.27
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)********************************************************図書館で『東眺西望』という歴史エッセイ集を、手にしたのです。陳舜臣さんというフィルターを通すと、中華の歴史に親しみが湧くので不思議なものです♪【東眺西望】陳舜臣著、たちばな出版、2006年刊<「BOOK」データベース>より「世界の歴史」を俯瞰する。困難があり危機を感じると、人は歴史をふりかえる。古今東西の果てしない人間の歩みを地球的スケールで考え、世界を念頭において考察する。人間の未来への英知をめぐる好歴史エッセイ。<読む前の大使寸評>陳舜臣さんというフィルターを通すと、中華の歴史に親しみが湧くので不思議なものです♪rakuten東眺西望「大唐の春」前史あたりを、見てみましょう。p141~144<非漢民族政権の時代> 分裂と断絶の時代であったという。たしかにそうである。後漢という統一王朝が崩壊して、三国分立となり、束の間の統一ののち、南北に分裂し、北は「五胡十六国」という細かく分裂した時期もあった。 現在の中国では、「胡」ということばが、民族差別のにおいをもっているので、できるだけつかわないようにしているようだ。北が五胡十六国の時期、南には東晋王朝があったので、「東晋十六国」という表現にすることが多い。 差別用語をなるべく用いない趣旨はわかるが、五胡という時代名称は長いあいだ用いられている。胡とは一般に非漢族系の民族を意味するが、漢族の姓にも多く、差別の度合いからすれば、夷、テキ、戎、蛮などよりはおだやかな響きであろう。 北方に乱立した十六の政権は、すべて非漢族系民族のものではない。前涼、西涼、北燕の三政権は漢族が支配したものなのだ。五胡とはふつう匈奴、ケツ、鮮卑、テイ、キョウの五民族をいいう。正確には五胡プラス漢族の小政権乱立時代と呼ぶべきである。だが、主流が非漢族政権であったことはいうまでもない。 漢族の統一王朝がすがたを消し、北方では非漢族政権の支配が圧倒的だったので、漢文化の立場からは、あきらかに断絶があった。後漢がほろびたあとを、分裂と断絶の時代形容することそれ自体は正しい。だが、分裂と断絶の時代であったからこそ、かえって統一と継続にたいする願望が強烈であったという逆説も成り立つ。<多民族国家の時代> 分裂のなかにも分裂がある。どんな小さな政権でも、それは多民族国家であった。この時代を「民族大移動」の観点からとらえることもできる。中国史からみれば、「北方民族の南下」であり、征服王朝の誕生にほかならない。その領域には、もとから住んでいた民族(多くは漢族)と、新しく支配者としてはいった民族と、すくなくともニ民族が存在した。その意味で、北方の諸政権は、濃淡の差はあれ、多民族国家であったのだ。 南はどうか? 洛陽を拠点にしていた西晋がほろび、一部の皇族が有力者に擁立され、南京で政権を樹立したのが東晋である。彼らも「南下」したのであり、そこにはもとから住んでいる人たちがいたのはいうまでもない。 江南の地も漢文化圏であったが、洛陽とは異なった文化や生活があったのだ。おなじ漢族でも、風土がちがうし、方言の差もはなはだしかったのだから、南下組と原住組とでは、おたがいに異民族とかんじたかもしれない。 また実際に少数民族もすくなくなかった。湖北といえば、中国のヘソといわれるように、位置的に全中国の中心であるのに、義陽蛮、五渓蛮、武陵蛮などと呼ばれる少数民族が住んでいた。それより南はおして知るべしであろう。 胡といい蛮といい、あまり科学的な名称ではなかったようだ。肉体的特徴が際立った異民族とそうでないのとがある。後者のばあいは、ただ生活様式が異なるというだけにすぎないことが多い。<武陵桃源郷> ユートピアのことを、中国では「桃源郷」という。陶淵明に有名な「桃花源詩」という作品があり、それによれば東晋の太元年間(376~396)に、武陵の漁師が道に迷って、とつぜん桃の花咲く桃源郷に足をふみいれたことになっている。きいてみると、そこの住民は秦の時の乱を避けて、移住したあと外界との往来がなくなったそうだ。 秦時の乱といっても、始皇帝の暴政のことなのか、あるいは始皇帝の死後、陳勝・呉公の挙兵から、項羽と劉邦の天下争いの乱のことかよくわからない。 始皇帝は紀元前210年に死んだから、東晋太元年間といえば、それから約600年経過している。武陵桃源郷の住民たちは、秦が滅亡して漢がおこり、前漢、後漢を通じて400年もつづいたことを知らない。そのあとに、魏があり晋があったことを知らなかったのはいうまでもない。 秦時の乱を避けたといえば、彼らこそ中原のなかの中原、いわゆる漢文化圏の申し子のような人たちであったはずだ。言いかえると、漢族のなかの漢族である。だが、600年ものあいだ外界との接触がなければ、迷いこんできた漢族の漁師の目にも、異民族のように映ったにちがいない。この本も陳舜臣アンソロジーに収めておくものとします。『東眺西望』1
2026.09.26
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)********************************************************図書館で『アンドリュー・ワイエス水彩・素描展』という本を、手にしたのです。ワイエスの水彩・素描の習作を集めた、わりと地味な本であるが・・・ええでぇ♪この本の画像をネットで探したけれど見つからなかったので、ワイエスの絵を添えることにしました。【アンドリュー・ワイエス水彩・素描展】常葉美術館編、印象社、2006年刊<「BOOK」データベース>よりデータなし。<読む前の大使寸評>ワイエスの水彩・素描の習作を集めた、わりと地味な本であるが・・・ええでぇ♪ci.nii.アンドリュー・ワイエス水彩・素描展アメリカン・リアリズムのあたりを、もういちど見てみましょう。p106~107<アメリカン・リアリズムの位置付け:金原宏行>■日本人の写生観 このように日本人にもいろいろな写生観があるが、ワイエスの写生は、日本の言葉でいえば、写生、それは中国の画にいう「気韻生動」とパラレルの関係にあり、ワイエスの画面にはそこに寂寥というものが入っていることが大きな違いではないかと思う。そこに生きているものの美を画面に定着させ、生きる意味を問うドラマがあるといえる。画面からそんな思いがするのである。 東洋の美意識は、対象に向けて「筆あり、墨あり、これを画と言う。韻あり、赴きあり、これを筆という」(『画冊論画』)として、筆致が重視されることに帰着するであろうが、一方でワイエスは、思想的に詩人ソローやホイットマンの考え方に影響を受け、東洋でいう道教の教え、無為自然に依拠しているといえよう。My truth behind the fact(事実の背後に私の真実がある)という言葉は、その如実な反映であろう。 このように東西の写生を少し比較してみると、ワイエスの作品には、絵というものは、人の営みや自然とともにヒューマニティを豊かにする可能性を秘めている東洋画とも共通するところがある。そんなことを考えさせるself documentであり、そのため共感の芸術といえる。それが、われわれに語りかけるメッセージが多く、日本にファン、理解者が多い理由であり、日本人に親しい水彩技法によっているからなおさらである。 水彩画の本流は、いうまでもなく英国であった。ロンドンの南西にイースト・サセックスの真珠と呼ばれる村がある。アンバレー村で、ここは水彩画家の聖地といわれ、明治の画家丸山晩霞には水彩による《アンバレー村》がある。 ワイエスのドライブラッシュは、自然の風景の背後に人間の死や生きることの難しさを蔵した作風であり、これらが単なるイラストレーションと異なって、画面の深みとなり、詩魂と写実とが画面に見事に融合している。■おわりに 現代の画壇にあって画家を持って任ずる人は、アメリカにも日本にも数多い。ただが檀という狭い世界に引籠もり、そこでの立ち振る舞いに忙しいのであるが、それに対してワイエスという孤独な画家は、いわゆる画壇とは没交渉であることで生きてきたようにみえる。 しかしワイエスの絵画には、見るものに直ちに響いてくるものがあって、連作ヘルガにも若さと輝きがあり、体臭がある。時にはそこには女の誇りのようなものすら感じられ、少しも卑しくはない。 ワイエスは89歳の現在も溌剌としたエスプリで発言し、テンペラ、ドライブラッシュ(水彩)の卓越した技術によって強く訴えかけてくる。絵画に<かたちの絵>、<魂の絵>があるとすると、ワイエスの絵は、まさしく後者<魂の絵>であろう。『アンドリュー・ワイエス水彩・素描展』1『アンドリュー・ワイエス水彩・素描展』2『アンドリュー・ワイエス水彩・素描展』3アンドリュー・ワイエス水彩・素描展画像
2026.09.25
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)********************************************************リドリースコット作『ブレードランナー』はメビウスの漫画に触発されて作られたそうです。それだけ、メビウスのインパクトは大きかったわけで、メビウスがバンド・デシネ作家であることや、バンド・デシネという言葉も後から知った次第です。・・・ということで、 バンド・デシネについて復刻して読み直してみましょう♪*********************************************************図書館で「バンド・デシネ徹底ガイド」を借りて読み進めているが・・・この際、バンド・デシネについて、あれこれ集めてみました。・バンド・デシネ徹底ガイド・メビウスの世界・メビウスつながりで「ブレードランナー」を読む・宮崎駿とメビウスの対談・フランソワ・スクイテンがすごいMoebius.fr公式サイトより「メビウス アルザック・ラプソディ」予告編BDfile(ベデフィル)<バンド・デシネ徹底ガイド>これ1冊でバンド・デシネの全てがわかる優れものである。個人的には谷口ジロー、松本大洋のインタビュー、BD通が選ぶ必見バンドデシネが良かったけど。それから、メビウスの紹介も充実しています。【バンド・デシネ徹底ガイド】原正人編、玄光社、2013年刊<「BOOK」データベース>よりデータなし<読む前の大使寸評>リドリースコット作『ブレードランナー』はメビウスの漫画に触発されて作られたそうです。それだけ、メビウスのインパクトは大きかったわけで…メビウスがバンド・デシネ作家であることや、バンド・デシネという言葉も後から知った次第です。宮崎駿監督も影響を受けたようですね。rakutenバンド・デシネ徹底ガイドこの本を読んで、個人的に読みたい本をメモしておきます。・B砂漠の40日間:メビウス・闇の国々:フランソワ・スクイテン・ピノキオ:ヴィンシュルス・氷河期:ド・クレイシー・雲の彼方:ロマン・ユゴー・あと、追記予定<メビウスの世界>最近になってフランスの漫画作家メビウスを知ったのですが・・・おお 松本大洋と似たテイストやんけ♪ (松本大洋がメビウスの画風に影響をうけていると言われておるそうです)松本より先行していたかも知れないが、なかなか、いい味出てますね。メビウス・ラビリンスロング・トゥモローMoebius met sa patte sur“Télérama”!バンド・デシネの巨匠メビウスさん死去 マンガ家の大友克洋さんら追悼ツイート松本大洋のナンバーファイブをおまけだ♪ナンバーファイブ<メビウスつながりで「ブレードランナー」を読む>メビウスとブレードランナーをつなぐということで、『ブレードランナーの未来世紀』という本を読んでいるんですが・・・・【ブレードランナーの未来世紀】町山智浩著、洋泉社、2006年刊内容(「MARC」データベースより)保守的で能天気な80年代ハリウッド映画の陰で、スタジオから締め出された映画作家たちは、異様な悪夢の世界を描いた映画を作っていた。その理由を、入手可能な資料と監督自身の言葉を手がかりに解きほぐす。<大使寸評>ブレードランナーの原点はディックの小説かと思っていたが、メビウスの漫画だったのが意外でした。Amazonブレードランナーの未来世紀メビウスとブレードランナーをつなぐものとして、『ロング・トゥモロー』という短編の漫画があったのです。ブレードランナー誕生秘話とでも言うんでしょうか♪<ロング・トゥモロー>p229~230 リドリー・スコットとハンプトン・ファンチャーは80年4月、ハリウッドに合宿して脚本の練り直しに入った。「映像においてスタイルはテーマそのものになる」それが、CM出身のスコットのポリシーだ。彼は、まずファンチャーに尋ねた。「窓の外はどうなっている?」『ブレードランナー』の舞台はどんな世界か、と訊いたのだ。ファンチャーが答えられないと、スコットは言った。「ヘヴィ・メタルだ」 『ロング・トゥモロー』のストーリーを書いたのはダン・オバノン。スコットの『エイリアン』の最初のシナリオを書いた男だ。彼はフィリップ・K・ディックの大ファンで、『トータル・リコール』と『スクリーマーズ』でディックの原作を二回も脚色している。 この『ロング・トゥモロー』こそが、スコットにとっての『ブレードランナー』の「原作」である。何しろ彼は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んでいないからだ!『LongTomorrow』ロング・トゥモロー「メビウス アルザック・ラプソディ」予告編<宮崎駿とメビウスの対談>宮崎駿とメビウスの対談より宮崎:ぜひとも完成させて下さい。今度は上手く行きますよ。メビウス:ありがとう。漫画の『風の谷のナウシカ』もアメリカで出版されるそうだね。とても楽しみだ。コミックが出版されれば、映画ももっと有名になるはずだしね。英語で読めるようになるというのもとても有難いことだよ。本当は、フランスでも出版してもらえると申し分ないんだけれど。いま、フランスの出版社にそういう話が持ちかけられているそうだよ。たぶん、興味を示すところが出てくると思う。宮崎:ありがたいですね。メビウス:それに、このまま上手く行けば、また一緒に話す機会を作れると思うんだ。宮崎:でも、フランス語はからっきしで(笑)メビウス:心配は要らない。今度は英語で手紙を書くから!(笑)<フランソワ・スクイテンがすごい>フランソワ・スクイテンのBDがすごい♪のです。建築家一家に生まれた関係からか、建築デザインを感じさせる知的なテイストがええでぇ♪『闇の国々2』より次の「ブリュゼル」は1991年に『(A suivre)』誌で連載が開始され、1992年に単行本として刊行された。「パーリの秘密」では、現実の都市パリとよく似た都市が描かれ、実在の歴史的建築物と思しい建築物が多く登場している。そしてその中の一章「アブラハム博士の奇妙な症例」では、パーリとパリがどこかでつながっていることが暗示されている。一つのトポスを中心にあちらの世界とこちらの世界が表と裏のように、光と影のように存在している。この主題をおそらく初めて組織的に『闇の国々』シリーズの中で展開したのが、この「ブリュゼル」である。選ばれた都市は二人の作家にゆかりの深いブリュッセルである。ちなみにブリュッセルはBruxellesまたはBrusselと綴り、ブリュゼルはBruselと綴る。ブリュッセルの近代化の歴史がブリュゼルのそれとどう重なりどう異なるのか、ペータースの序文と併せてお楽しみいただきたい。.【闇の国々】ブノワ・ペータース (著), フランソワ・スクイテン (イラスト)、小学館集英社プロダクション、2011年刊<商品説明より>〈闇の国々〉――それは、我々の現実世界と紙一重の次元にある謎の都市群。 ある日突然増殖しはじめた謎の立方体に翻弄される人々を描く『狂騒のユルビカンド』、 巨大な塔の秘密をめぐる冒険から、数奇な運命へと導かれる男を描く『塔』、 未知の天文現象により、体が斜めに傾いてしまった少女の半生を描く『傾いた少女』、 傑作と名高い選りすぐりの3作品を収録した歴史的名作シリーズの初邦訳。 メビウス、エンキ・ビラルと並び、BD界の三大巨匠と称されるスクイテンが、ついに日本上陸。 繊細な描線、計算されつくされた構図、あらゆる芸術のエッセンスを詰め込んだBD芸術の真骨頂!<読む前の大使寸評>この本を渇望するのだが・・・・この本を図書館が買ってくれるだろうか?それが問題ですね。Amazon闇の国々闇の国々 試し読み*********************************************************■2014.02.02バンド・デシネあれこれhttps://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201402020000/
2026.09.24
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)********************************************************『佐々木マキ アナーキーなナンセンス詩人』を図書館に予約していたが・・・5日後にゲットできたのです。ラッキー♪図書館に出向いて、借りていた『うみべのまち』を返し、都合よくこの本をゲットするなど・・・個人的には佐々木マキのミニブームになっているのです。この本から初期のマンガのあたりを紹介します。<マンガの実験>よりp22~23 「天国でみる夢」を発表以降、マキさんは作品を追うごとにその実験性を深めていきます。この1960年代末~70年代初頭はちょうど前衛マンガの黄金期にあたり、つげ義春「ねじ式」(1968年)や林静一「赤色エレジー」(1970年~)などの実験的な作品たちが次々と「ガロ」誌上に登場しては世間を騒がせていました。 その前衛的なスタイルは、熱狂的な支持と同じだけの反発も生み出し、ときに「難解マンガ」というレッテルを貼られて揶揄されることもあったと言います。 たとえば、「ガロ」1968年9月増刊号に発表された「うみべのまち」という作品は、冒頭で青年のシルエットが「うみべのまちで ぼくらはなかよしだった」という謎めいたセリフを発しながら、まるでオーケストラの指揮をするようなポーズで有刺鉄線の前にたたずむシーンからはじまります。 たしかに、読みこもうと思えばそこにいくらでも難解な哲学的メッセージや深遠な芸術的意図を見出せそうです。しかし、いったんその世界に浸るようにして読み進めていくと、どこかで「難解」とも「深遠」ともほど遠い、とてもシンプルな心地よさが感じられます。天国でみる夢うみべのまち佐々木マキを知っている人は、絵本作家、漫画作家のどちらとして捉えているのか?…大使の場合は、「シュールな線描画が素晴らしい漫画作家」となるのです。この本はモノクロームの漫画編とカラーの絵本編と2分される構成となっています。【佐々木マキ アナーキーなナンセンス詩人】佐々木マキ著、 河出書房新社、2013年刊<「BOOK」データベース>よりあるときはアヴァンギャルドなマンガ家。またあるときはキュートな絵本作家。そしてまたあるときはクールなイラストレーター…。はたして、その正体は!?作家のこれまでの軌跡を一望する、決定版「佐々木マキ入門」<大使寸評>この本はモノクロームの漫画編とカラーの絵本編と2分される構成となっています。佐々木マキを知っている人は、絵本作家、漫画作家のどちらとして捉えているのか?…大使の場合は、「シュールな線描画が素晴らしい漫画作家」となるのです。この本も佐々木マキの世界に収めるものとします。<図書館予約:(3/8予約、3/13受取)>rakuten佐々木マキ アナーキーなナンセンス詩人
2026.09.23
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)********************************************************図書館で『TOUR DE FRANCE』という本を、手にしたのです。なんか小学校の教科書のような本であるが・・・錆びついたフランス語を学びなおすには打ってつけの本だろうということで、チョイスしたのです。【TOUR DE FRANCE】駿河台出版社編、駿河台出版社、2017年刊<「BOOK」データベース>より【目次】La Bretagne-Point de grammaire:形容詞の最上級/La Normandie-Point de grammaire:関係代名詞quiとque/Les Hauts-de-France-Point de grammaire:受動態/Le Grand-Est-Point de grammaire:国名の冠詞と前置詞/La Bourgogne-Franche-Comt´e-Point de grammaire:関係代名詞o`Ù/L’Auvergne-Rh^One-Alpes-Point de grammaire:形容詞tout、toute、tous、toutes/PACA(Provence-Alpes-C^ote D’Azur) et la Corse-Point de grammaire:不確かなニュースや出来事を表す条件法/L’Occitanie-Point de grammaire:直説法単純未来/La Nouvelle Aquitaine-Point de grammaire:中性代名詞en/Les Pays de la Loire-Point de grammaire:「思い出」を述べる直説法半過去/Le Centre-Val de Loire-Point de grammaire:関係代名詞dont/Les DROM(La Guadeloupe/La Martinique/La Guyane/La R’eunion/Mayotte)-Point de grammaire:depuis/il y a<読む前の大使寸評>錆びついたフランス語を学びなおすには打ってつけの本だろうということで、チョイスしたのです。rakutenTOUR DE FRANCE先ずINTRODUCTIONから、見てみましょう。p8~9<INTRODUCTION>Àvez-vous remarque que la France a une forme plutot geometrique?Èn effet, si bous tracez un HEXAGONE,vous pourrez assez facilement dessiner les contours de la france comme ci-dessous :Les medias emploient regulierement cette expression,«l‛HEXAGONE», pour eviter de repeter «la France». Cette reference a un hexagone n'est pas seulement dans le langage. Certaines societes, associations ou federations flancases lutilisent dans leur logo. Èt puis, on retrouve aussi l‛hexagone sur les pieces flancases de 1 et 2 euros. Mais la France, ce n'est pas seulement l‛Hexagone. l‛Hexagone ne designe que la France metropolitaine. Il faout y ajouter la France d'outremer:les territoires francais situes en dehors du continent europeen.Leur designation officielle est les DROM—COM(Departement et regions doutre-mer-collectivites doutre-mer). Cependant, dans la conversation courante, on les appelle souvent de leur ancien nom, les ROM—TOM(Departement doutre-mer-collectivites doutre-mer).ここまで綴ってきた仏文は、以下に示すフランス語の綴り字記号を無視しているわけだけど・・・気にはしているのです。そのうちフランス語のフォントを取りこめるかな?***********************************************************『フランス語の綴り字記号とアクセント』よりcafé(カフェ)やgarçon(ギャルソン)のように、日本でもメジャーなフランス語の中には、文字の上や下になにやら記号のようなものがついていますよね。これらは「綴り字記号」(Signes orthographiques)と呼ばれるもので、忘れられがちではありますが、それがあるために「なんだかフランス語っぽい!」というオーラを放っているフランス語の名脇役でもあります。今回は、これらの愛すべき「綴り字記号」とお友達になるべくお勉強に励んでみましょう。<目次>・アクサンテギュなど……フランス語の「綴り字記号」の種類とは・アクサンテギュとは「e」の上にくっついて、発音を変える記号・アクサン・グラーヴは同音異義語の識別に役立っている・歴史の生き証人アクサン・スィルコンフレックス■アクサンテギュなど……フランス語の「綴り字記号」の種類とはまず最初に、「綴り字記号」の種類についてみてみましょう。「é 」 : accent aigu(アクサン・テギュ)「à,è,ù 」 : accent grave(アクサン・グラーヴ)「â,î,û,ê,ô」 : accent circonflexe(アクサン・スィルコンフレックス)「ï ,ü,ë」 : tréma(トレマ)「ç」 : cédille(セディーユ)「'」 : apostrophe(アポストロフ)「-」 :trait d'union (トレ・デュニオン)一般的にフランス語の「綴り字記号」と見なされているものは上記の7種類です。それでは、ちょっと「綴り字記号」についての理解力を診断するテストがあるフランス語のサイトFrançais correctif の診断ページで復習とまいりましょう。「綴り字記号」でないと思うものの上をクリックしてみてください。「Bravo!」と出れば正解ですいかがでしたか? それでは、「綴り字記号」について一つ一つみてみましょう。アクサンテギュとは「e」の上にくっついて、発音を変える記号です。■アクサンテギュとは「e」の上にくっついて、発音を変える記号まずは、上の3つaccent aigu(アクサン・テギュ)、accent grave(アクサン・グラーヴ)、accent circonflexe(アクサン・スィルコンフレックス)がアルファべの「e」の上につくとどうなるか?ということから話をはじめたいと思います。フランス語の「e」は、アルファベット読みすると、「ウ」となります。この「e」の読み方は複雑なので、いろいろ読みの規則があり、「ウ」と読んだり「エ」と読んだり、発音しなかったりとかいうパターンがあるのですが、この「e」の上にaccent aiguをつけて、「é」と表記すると読み方は「エ」となります。café(カフェ/コーヒー)、opéra(オペラ)などがその例です。このaccent aiguは「e」の上にしかつきません。また、「e」の上に他のアクサンがついて「è」、「ê」となった場合にも、père(ペール/父)、tête(テット/頭)という風に、発音は日本語で言えば同様に「エ」となります。ただし、フランス語では、前者は[e]という発音記号で、e fermé(狭いエ)、後者は[ε]という発音記号で、e ouvert (広いエ)と区別されます。豊富な音声ファイルがうれしいLanguage guide.org のページで、音の違いが聞けますので聞き比べてみましょう。いかがでしたか? 最初はちょっと聞き分けにくいかもしれませんね。[e]の方は日本語の「イ」の口の形のように口の両端を左右にひっぱるようにして「エ」という音をだします。[ε]の方は、横ではなくあごと舌を下にひっぱるような感じで「エ」と発音するとうまくいきます。[e]は日本語の「エ」より狭く、[ε]は日本語の「エ」より広い感じです。ちなみに、sakéとか、karaokéのようにすでにフランス語になっている日本語は、accent aiguで表記されています。まあ、「細かいことはいいわ。」とおっしゃられる方は、「e」の上になにかしらくっついていたら「エ」と発音すると覚えておきましょう。(長くなるので以降省略)
2026.09.22
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)********************************************************図書館で『辛くてオイシイ韓国』という本を手にしたが・・・つい韓国で食べた辛い料理を思いだすわけです。中華料理屋で食べた赤いチャンポンには、その辛さに閉口したけど・・・その他の赤い料理は、見た目ほど辛くなくて、これはクセになりそう、いやクセになったのです。【辛くてオイシイ韓国】日本放送出版協会著、日本放送出版協会、2001年刊<「BOOK」データベース>より利川で幻のケゴリキムチに会い、木浦で名物生タコのおどり食いと格闘し、水原の骨付きカルビに涙する…全身で味わいつくす韓国“食”紀行。<大使寸評>日本人チームが書いた韓国料理レポートであるが・・・・伝統の味、多彩なキムチなど、味についてなかなかディープであり、ええでぇ♪rakuten辛くてオイシイ韓国大使が韓国に出張中の定番メニューといえば・・・・朝はソルロンタンで、昼は韓国メーカの社食、夜はキムチチゲだったのです。朝は自前で食べたが、夜は韓国メーカの前の食堂で接待で食べたわけです。接待といっても、残業前の夜食として食べるわけで、だんだんと、安いメニューに落ち着くわけで・・・キムチチゲは嫌というほど、食べたのです(笑)。でもね、会社をリタイアした後に韓国旅行に行った際、食べたくなったのが・・・・もっとも安い鍋物・キムチチゲだったのです。東横イン釜山駅にいちばん近い食堂で食べたキムチチゲです。味は、ま~普通でしたが、弁当缶に入れた赤色ご飯(玉子焼きのトッピング)が付いているのが、この店のこだわりのようです。キムチチゲ・・・ということで、この本でキムチチゲのあたりを見てみましょう。p42~43<古漬けキムチも、ちゃんと食べ尽くす> 韓国で「どんなキムチがおいしいの?」というのは、愚問だ。 日本では各家庭ごとに味噌汁の味があるように、韓国も家庭によってキムチの味は異なる。味だけでなく漬け具合も、浅漬けが好きな人もいれば、白菜が透明になるほど発酵したものを好む人もいる。 キムチは一般的に、漬け始めてから2週間くらい経つと、味がなじんでおいしくなるといわれる。そのくらいの浅漬けでも、あるいはさらに発酵させて酸味が出たものでもそれぞれ独特の風味を持っている。キムチはさまざまな発酵段階の味を楽しむことができるのだ。 白菜キムチが好んで食べられる時期は漬けてから1ヵ月くらいが多いようだ。この時期のキムチは、味がしっかりしみ込み、やや白菜の歯ごたえがある状態。だが、まったく違う味を好む人もいる。 キムチ好きの中には、相当発酵が進んだものを好む「通」がいるが、それでも少数派のようだ。 漬けてから半年も経って、発酵しきったキムチはどうするか。味が極端に酸っぱくなってしまった白菜キムチは、そのまま食べるより調理したほうがおいしいからだ。 代表的なのは、近頃日本でもすっかりおなじみのキムチと豚肉を煮込んで作るキムチチゲ。これは、発酵が進んだキムチでなければいい味が出せないし、白菜の柔らかい食感がまるで違う。古漬けキムチの面目躍如の一品だ。 また、キムチの炊き込みご飯もいい。米を研いで、通常のご飯を炊くのと同じ分量で水を入れ、そこに古漬けの白菜キムチを細かく刻んで加える。炊き上がるときれいな色に染まり、味もしっかりしみ込んだ炊き込みご飯になる。この記事も韓国料理あれこれに収めておきます。
2026.09.20
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************「漢字がつくった東アジア」を読み進めています。日本が最初に中華圏から独立したとする切り口が、ええでぇ♪今はない渤海という国が大使にはエキゾティックなんですね。歴史上、日本とは友好的であったし、抗争も無かったようです。<渤海の辿った道>p173~176 それでは、独自の年号までもった渤海国とは、どのような歴史を辿ったのか。それは、あまり明らかではありません。なぜなら、渤海国自身によって書かれた歴史書が残っておらず、同時代の日本の『続日本紀』や、中国の『旧唐書』などから再現するしかないからです。 926年、第15代の大イセンという国王が契丹の耶律阿保機に亡ぼされ、渤海国の歴史はここで終わります。したがって698年から926年までの230年ぐらいが渤海国の歴史ということになります。それは、日本でいえばおおよそ奈良時代から平安前期。政治的に独立した後、中国的文化を意識的に学び、擬似中国的な国家を形成っしつつ、平仮名(女手)の誕生によって、文化的独立に至る時代に相当します。 靺鞨人の国家・渤海が、なぜ、日本や朝鮮のように安定した形態をとることがなかったかといえば、王を中心とするごく少数の官僚達は、漢詩・漢文に通じ、東アジアの政治的関係を理解していたとしても、圧倒的な数の民衆は、これとは無縁の無文字的空間にあったからであると考えられます。西にモンゴル、さらには突厥という遊牧の空間に接する靺鞨人は、東アジア漢字文明に半分だけ足を突っこんだにすぎなかったからです。 新羅が立ったのは676年で、その20年後には渤海国が立ち、ある意味でここに朝鮮半島での南北時代、北と南という二つの国が立つという構造が生じました。 さて、ここで見ていただきたいのは、698年から926年ということは、律令日本時代と重なるという事実です。日本は710年に奈良朝に入ります。794年には奈良から平安に遷都して、894年には遣唐使を廃止しています。 (1日文字数の制約で省略)wikipediaに靺鞨、渤海の位置づけが載っているが・・・ま~民族勃興史を見るようで感慨を覚えます。wikipedia靺鞨より靺鞨(7世紀後半)渤海(8世紀、9世紀頃) 靺鞨(まつかつ)は、中国の隋唐時代に中国東北部(現在のロシア連邦・沿海地方)に存在した農耕漁労民族。南北朝時代における「勿吉(もつきつ)」の表記が変化したものであり、粛慎,挹婁の末裔である。16部あったが、後に高句麗遺民と共に渤海国を建国した南の粟末部と、後に女真族となって金朝,清朝を建国した北の黒水部の2つが主要な部族であった。「中国からの独立」という白川さんの独特な切り口を拝聴してみましょう。<唐の滅亡と東アジアの文化的独立>p188~190 こうしたことを総合的に考えると、900年から1000年代のところで、東アジアの各地方は文化的に独立することがわかります。この900年から1000年代に越南でも独立の気運が起ってきます。 一方、朝鮮半島は、北では926年に渤海が亡び、南では919年に新羅から高麗に代わっています。ここでも文化的な独立めいた動きが生じます。 日本は、国が亡ぶような大きな政治的な変革は見られないものの、それに匹敵するような文化的な革命と断絶がこの時期に起きます。それは女手の成立です。再三繰り返すように、女手が誕生したことにより日本は文化的な独立を遂げますが、それがちょうど越南が中国から離れて独立する時期と重なるのです。 ここで非常に興味深い原理がひとつ抽出できます。それは、「東アジア漢字文明圏における独立は、自主的に中国風の体制を整え、漢字文明・文化を推進する」ということです。 一般的に、独立するという場合には、支配者の束縛から離れて自分たちのものを打ち立てることを意味しますが、東アジアで自分たちのものを打ち立てようとする場合には、かならずいちど政治的にも文化的にも中国化する必用があります。まず中国の政治制度を学び、中国の文化を積極的に取り入れ、あたかも中国と同じような政治的・文化的形態になる。その経験を経たあとに、はじめて文化的な独立が成立します。これが東アジア漢字文明圏における独立の条件です。 非常に矛盾に満ちていますが、わかりやすくいえば、京都と奈良の違いです。あるいは、京都の町でいえば、御所と禅院の違いです。奈良とはいったい何かというと、あれは中国です。中国のものをどんどん取り入れて、中国と瓜二つの姿になることを目指したのです。この逆説的な動きが、日本が白村江の戦いで敗れ、中国から独立したあとに起きます。つまり自主的に中国文化を吸収することによって独立するしかないのです。 それほど中華の文明というもの、知識学問というもの、政治制度というものが圧倒的に大きく、水圧が高いのです。それを自分のものとして取り入れなければ中国からの相対的な独立はありえないのです。 たとえば奈良時代の写経。写経によって中国の文字を知る、中国の文を知る、中国の知識を知ることを徹底することによって独立が果たされたのです。(中略) 越南でも、脱中国化を達成して独立しようと思えば中国化しなければいけない。つまり中国化することによって脱中国化するのです。日本の場合もそうですし、朝鮮の場合もそうです。これが漢字文明圏における独特な独立の形態だと思います。 拙著『日本書史』で詳しく述べていますが、私は900年を日本史におけるひとつの分水嶺と考えてもよい大きな区分と考えています。900年までを、奈良時代あるいは空海などが活躍する平安初期を含めて「擬似中国時代」と考えます。この時代の文化は、中国から独立していちばん最初にやってくる姿をしています。東アジアの国が政治的に独立したあっとには、中国のごとき姿をする時代がかならずやってくるのです。それを経た後にやがて「違いのわかる大人」になることがあります。日本でいえば、女手をつくることによって、和歌と和文の表現力を手に入れ、擬似中国段階を脱して日本化することになります。 同様の試みが、東アジアではやはり文字をめぐって起ります。日本では女手でした。朝鮮ではハングルをめぐって起ります。そして越南ではチェーノム(字喃)という、いわゆる越南文字をつくることを通じて起ってきます。この「喃」の字がまさにチェーノムです。「口」扁が表音のための借用字であることを表し、「越南」の「ノム(南)」という音を合わせてつくられた越南文字です。中国に組み込まれながら、一貫して反抗的だったヴェトナムの文化、王制を見てみましょう。辺境としての悲哀は朝鮮半島より大きかったようですね。チェノム<朝鮮、越南、日本の支配体制>p199~201 江戸時代までは一貫して、朝鮮半島は日本に大陸のいろいろな文化を伝えるというかたちで、ある意味での師匠役をしてきたわけです。けれども、半島側には豊臣秀吉の朝鮮侵攻に象徴されるような、とんでもないことをする、わけのわからない要素をもっている島だという認識もある。そういうなかで、朝鮮半島の、大陸と孤島のあいだにあるという中間の意識は、単に半島意識ということだけではなく、孤島との関わりを絶えず意識させられてきたと考えられます。 元の侵攻に対して、越南が選んだ対応は反抗でした。文化的民族主義としてチェーノムはつくられました。しかし先ほどいったように、大陸を北といい自分たちを南というように、基本的に自分たちを大陸と同格に見ようという意識が支配層にあります。 なぜか。それは越南が中国だからです。とはいえ、体制に組み込まれて、生活しているだけの被支配層は別です。支配する層は、要するに中国です。だから大陸の南朝なのっです。まさに南朝を建てるというような意識から越南は生まれてきたのです。チェーノムが基本的には漢字と同じ構造の亜漢字であり、また(それゆえ)越南語が中国語と同じ単音節孤立語でありつづけていることにも触れておきましょう。 さらに興味深いのは、朝鮮、日本、越南の三つの国で支配体制が異なることです。朝鮮は基本的に「王」、つまり王制です。この王制というのは、再三述べているとおり、皇帝のもとにある王制です。要するに冊封された王制です。あくまで「自分たちのところには王しかいない」という考え方です。皇帝がいるとは考えないし、また考えられもしないのです。 それに対して、日本の場合は「皇帝」です。皇帝とは名乗らないけれども、王とも名乗らずに、その中間的な概念、もしくは模擬皇帝概念として天皇をつくる。天皇制が強化されるのは近代以降です。しかも日本史の過半を実際的に支配したのは、古代には摂政や関白、あるいは院、そして中世、近世は征夷大将軍、つまり将軍でした。わかりやすくいえば、日本の場合、皇帝でも王でもない天皇という制度になります。 ところが越南の場合は異なります。対中国的には王でありながら国内的には皇帝と称するのです。実際問題としては中国の皇帝と冊封関係にあり、したがって王、あるいはもっと貶められて郡王ぐらいのこともあるのですけども、王でありながら国内的には皇帝と称するのです。したがって越南がいちばん中国的なのです。中国でありながら中国とは違うという、むろん朝鮮あるいは日本とはまた違った姿をとるのです。 話は少し脱線しますが、これは絶妙かなと思うのは、越南を含む半島をインドシナ半島と呼ぶことです。すなわちインドの文明と中国の文明がちょうどそこで交差し、共存している半島です。中国大陸に発する漢字文明は東海岸の方から越南へと南下してきますが、西の方からはインドの文明が押し寄せてくる。それは文字が、越南以外のところでは、アルファベットでもなく漢字でもない、いわゆるサンスクリット系の文字が基本的に使われていることと関連しています。 越南が独立するときに、「漢唐はわが帝国にして、孔孟はわが祖師なり」という考え方が払拭すべき意識として語られました。この考え方を払拭しなければ越南の独立はありえないというのが越南の独立のときの考え方です。それほど越南の知識人のあいだには、中国大陸の文化・文明が自分たちの礎であるという考え方が根強くあったのです。wikipediaチュノムによれば、一般のパソコンでも大多数のチュノムを表示、印字することが可能となっているそうです。ベトナム語のローマ字表記化についてはwikipediaクオック・グーに詳しいが・・・1945年独立を期に、中華のしがらみを絶ったのでしょうか?(クオック・グーとは、もちろん国語ですね)漢字がつくった東アジア1漢字がつくった東アジア2漢字がつくった東アジア3
2026.09.19
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************鯨食といえば・・・私が幼少の頃にはわりと一般的な食料であって、母手作りの「大根おろしまみれのクジラ焼き(のようなもの) 」を食べたものです。コスパが良かったので庶民的な食べ物だったのでしょう♪環境テロ団体シー・シェパードの標的にされてきたニッポンではあるが・・・食べたいものを、食べさせてくれよな~♪*********************************************************捕鯨の様は、古来より画材を提供しているように、古来人にとってクジラは巨大な食材として映るようですね♪・・・ツボが疼くので以下のとおり復刻して紹介します。*********************************************************図書館で『日本捕鯨史』という本を、手にしたのです。中を覗くと、思いのほか画像が多くビジュアルなのが・・・ええでぇ♪【日本捕鯨史】中園成生著、古小鳥舎、2019年刊<「BOOK」データベース>より2019年7月、日本は商業捕鯨を再開する。「日本には歴史と伝統がある」と語られるが、その実態をどれくらいの人が理解しているだろうか。「鯨と日本人の歴史」を再考し、見つめ直す一冊。<読む前の大使寸評>中を覗くと、思いのほか画像が多くビジュアルなのが・・・ええでぇ♪rakuten日本捕鯨史「第五章 古式捕鯨業時代後期」の中で、欧米捕鯨が興味深いので、見てみましょう。p101~103<2 欧米捕鯨の日本近海進出と開国>■アメリカ捕鯨業の発展 17世紀初頭に入植が始まった英領植民地アメリカでは、当初から漂着鯨が利用されていたが、17世紀中頃には沿岸捕鯨が始まり、次第に沖合へと進出していき、18世紀中頃には船上で製油する方法がおこなわれるようになっている(『クジラとアメリカ』)。 当時のアメリカ捕鯨業が主な対象としたのはマッコウ鯨だが、この鯨の頭部には、脳油と呼ばれる浮力の調節に役立つ油が詰まっていて、これが良質の機械油になることがわかったのである。当時のアメリカ捕鯨では、大型帆船を用いた母工船(普通「捕鯨船」と呼ばれる)に30人程度が乗り組んで航海したが、漁場が遠方に広がるにつれて長期の航海を余儀なくされ、母港に帰投するまでの航海日数が4年に及ぶこともあった。 母工船も次第に大型化し300~400トンに達したが、船主が資金を出して準備をおこない、乗組員には利益のなかから役割に見合った割合の報酬が出た。 当時の母工船には通常五艘ほどの捕鯨ボート積まれていて、それぞれに士官(櫂の舵を取る)、銛打ち、漕手四人が乗り込んだ。母工船のマストにいる見張りが鯨を発見すると漕ぎ出し、銛(ハプーン)を打ち込んでボートを曳かせて疲労させた後、木の葉形の刃先の槍(ランス)で突いて仕留めた。マッコウ鯨の場合、脳油を獲ったあと、皮脂だけ剝ぎ取って製油し、残りの肉や骨は投棄した。 18世紀前半、アメリカ船籍の捕鯨母工船は北大西洋での操業を主としていたが、後半にはアフリカ北西沿岸、カリブ海周辺、ブラジル沿岸に進出している。1791年にはホーン岬を太平洋に進出し、漁場の中心は大西洋から太平洋に映るが、漁場は次第に北上し、日本近海の漁場(ジャパングラウンド)も1820年に確認され重要な漁場となる。アメリカ船籍の捕鯨母工船は1846年には735隻に達し、母港のニューベットフォードやナンタケットは非常な活況を呈した。当時のアメリカの捕鯨業は、南部の綿花生産とならぶ重要産業であり、機械の潤滑油や街灯の燃料を供給する事で、欧米の産業革命の進展を支えたのである。■日本周辺漁場への進出と開国 アメリカの捕鯨母工船に救助された後、捕鯨に従事した経験がある中浜万次郎(ジョン万次郎)は、1848年ごろ中国と日本の間の海では、万次郎が乗り組んでいた船を含め50隻ほどの欧米の捕鯨母工船が創業し、小判240万両と想定される莫大な利益を上げていると幕府に報告している。 日本海を含めた北太平洋の捕鯨漁場は、欧米の捕鯨業にとって当時最重要の漁場と認識されていた。しかし同漁場の弱点は、近くに補給をおこなう港が無かった事だった。当時の欧米の捕鯨母工船は、何年間も航海を続けることができたが、水や食料、燃料の薪は補充する必要があり、ハワイ諸島は太平洋で操業する欧米の捕鯨母工船の補給港として栄えた。 しかしハワイは日本周辺を含む北太平洋の漁場からは遠く、補給港として最良の位置にあった日本の諸港は、オランダ・中国に対する管理貿易がおこなわれていた長崎などを除き、外国船に対して閉ざされていた。欧米の捕鯨母工船の船員の中には、日本の離島や海岸に無断で上陸して薪や水を入手したり、食料をかすめ取る者もいて、幕府も神経を尖らせていた。 日本を開国に導いたペリー提督の来航目的の一つには、アメリカ捕鯨母工船への物資補給の要請があった。日米和親条約の第二条には「伊豆下田、松前地箱館の両港は、日本政府に於てアメリカ船薪水食料石炭の欠乏の品を日本にて調候丈は、給し候為め、渡来の儀差免し候(後略)」とあり、特に函館は日本海で操業する母工船の補給基地として重視された。アメリカの駐日総領事ハリスは1857年の日米協約で、函館に入港する捕鯨母工船は年間300隻に達していると報告し、函館への副領事の駐在と、母工船などに物資補給を請け負うアメリカ商人の居留を幕府に承諾させている。さらに1858年に締結された日米就航通商条約では、日本海岸の新潟が開港場に盛り込まれたが、これも母工船の補給港としての役割が重視されてのことと思われる。『日本捕鯨史』4:アメリカ捕鯨業の歴史『日本捕鯨史』3:欧米捕鯨の日本近海進出『日本捕鯨史』2:鯨製品の流通『日本捕鯨史』1:こんにちの鯨食
2026.09.18
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『東インド会社とアジアの海賊』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると、アジアの海賊、国姓爺、アヘン戦争とか興味深い史実が見られます。要するに、清朝末期の列強の大陸侵食が興味深いのでおます。【東インド会社とアジアの海賊】東洋文庫編、勉誠出版、2015年刊<「BOOK」データベース>より誰が海賊だったのか?海賊の多様性を歴史から読み解く。17世紀初頭にヨーロッパで誕生した東インド会社とその海上覇権の確立にあたって大きな障壁となった現地の海賊たち。両者は善と悪という単純な図式では表せない関係にあった。東インド会社もまた海賊であったー。東インド会社と海賊の攻防と、活動の実態を明らかにする。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、アジアの海賊、国姓爺、アヘン戦争とか興味深い史実が見られます。要するに、清朝末期の列強の大陸侵食が興味深いのでおます。rakuten東インド会社とアジアの海賊英メネシス号の中国兵船砲撃アヘン戦争と清朝水師のあたりを、見てみましょう。p280~282<清朝に雇われたイギリス海軍>■清朝の海上支配の動揺とアヘン戦争 清朝の海上支配の崩壊は貿易と治安の両方面から進んだ。周知のように、18世紀末以降、世界的に貿易は拡大し、中国においても、イギリス向け茶貿易の発展により、広州貿易は急速に拡大した。ところが、この広州貿易の発展に仲介業者が対応できずに倒産するなかで、仲介業者以外の商人たちが貿易に参入し、貿易管理制度は動揺を始めた。 一方で、中国の対欧米貿易の中心となっていたイギリスにおいても、貿易の拡大の中でイギリス東インド会社以外の商人、アジア間貿易をになう地方貿易商人が成長し、彼らの批判もあって東インド会社の貿易独占権は失われていった。そして1834年には中国貿易の独占権を失うことになる。中国における東インド会社の時代は終わったのである。こうして中英双方で既存の貿易制度は変更を迫られていた。 治安の問題についてみると、18世紀末~19世紀初頭にかけて、いわゆる「嘉慶海寇」と呼ばれる海賊活動の活性化が、中国東南沿海においてみられた。清朝水師にこれを十分に鎮圧できる能力はなく、海賊を投降させて水師として雇用する招撫や、ポルトガルの軍事力利用など、様々な手法でどうにかこれを沈静化させた。 嘉慶海寇の沈静化の背景には、アヘン貿易の発達があるだろう。東インド会社がインドにおいて専売したアヘンを広州周辺に大量に持ち込んだのは地方貿易商人であるが、広州周辺でこれを入手していったのは沿海の広東人・福建人である。かれらの多くが漁業・海運関係者であり、もともと海賊であった者も多い。実際、アヘン運搬船は清朝水師が手を出せないほど重武装している場合もあった。 沿海の人々にとって、小型船を襲撃する海賊稼業よりも、アヘン貿易はより大きな利益があったであろう。このアヘン貿易の拡大によって銀が流出したことは、清朝財政に大きな影響を与えたため、清朝は真剣にこれを取り締まろうとした。しかし、貿易管理を仲介業者に依存していたために、中国人側の行為を取り締まることができず、結局外国人商人のアアヘンを没収い、それがアヘン戦争の契機となる。 1840年に始まったアヘン戦争であるが、戦争そのものは、軍事技術の格差だけでなく、清朝側の戦術の拙劣さもあり、清朝側の一方的な敗戦に終った。なかでも、東インド会社海軍の汽走砲艦メネシス号の活動はめざましいものがあり、先述の挿絵もメネシス号の活躍を示している。ただし、中国に派遣されたイギリス艦隊の大半は帆船であり、また老旧艦であった。そもそもイギリス海軍の主力は本国防衛と地中海方面への対応のためヨーロッパ海域に展開していたのである。もっとも、清朝相手ならばこの程度の海軍力で十分であるとイギリスは判断したのであろう。 実際、対外戦争を経験したことのない清朝水師は大打撃を受けた。イギリス艦隊は沿海の広範な地域に展開したが、戦場となったのは広州周辺から、福建(〇門)、浙江(舟山、寧波付近)、江蘇(乍浦、上海、鎮江)で、いずれも海上・水上交通の要衝であった。このうち広州周辺の戦闘で清朝側は戦闘ジャンクを少なくとも数十隻を失い、〇門では40余隻の戦闘ジャンクが破壊された。 これによって、広東・福建の水師は海上警備能力を失い、清朝の海上支配はここに完全に崩壊した。そうした中で、海賊活動も活性化し、清朝に代わってイギリス海軍がその掃討にあたるという事態も生じていた。清朝が無償でイギリス海軍にアウト・ソーシングしていたような状況が皮肉です。なお、イギリス向け茶貿易については、『紅茶スパイ』7という本が面白いのでお奨めです。『東インド会社とアジアの海賊』1:東インド会社の特徴や商品『東インド会社とアジアの海賊』2:徽州海商と後期倭寇『東インド会社とアジアの海賊』3:ポルトガル人や後期倭寇の海賊行為『東インド会社とアジアの海賊』4:オランダ東インド会社の登場『東インド会社とアジアの海賊』5:オランダ東インド会社のダークサイド『東インド会社とアジアの海賊』6:清朝水師と海賊の関係
2026.09.17
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『本当の翻訳の話をしよう』という本を、手にしたのです。おお 村上春樹×柴田元幸の翻訳談義ってか・・・これは期待大である。【本当の翻訳の話をしよう】村上春樹×柴田元幸著、スイッチ・パブリッシング、2019年刊<「BOOK」データベース>より【目次】帰れ、あの翻訳(村上春樹+柴田元幸)/翻訳の不思議(村上春樹+柴田元幸)/日本翻訳史 明治篇(柴田元幸)/小説に大事なのは礼儀正しさ(村上春樹+柴田元幸)/短篇小説のつくり方(村上春樹+柴田元幸)/共同体から受け継ぐナラティヴー『チャイナ・メン』(村上春樹+柴田元幸)/饒舌と自虐の極北へー『素晴らしいアメリカ野球』(村上春樹+柴田元幸)/翻訳講座 本当の翻訳の話をしよう(村上春樹+柴田元幸)<読む前の大使寸評>おお 村上春樹×柴田元幸の翻訳談義ってか・・・これは期待大である。rakuten本当の翻訳の話をしよう村上さんが創作テクニックを語っているので、見てみましょう。p194~196<村上流短編小説の書き方> 村上:僕は短篇を書こうと思ったら、必ずまとめて書きます。ばらばらには書かず、六つか七つ、ざっと書いてしまう。柴田:それはなぜでしょうか?村上:そういう書き方しかできないんです。僕はたぶん本来的には長篇作家なんでしょうね、一息にまとめて短篇を書く方が楽なんです。短篇を書くサイクルに入ると、短篇のモードが出来て、2、3週間に1本というペースで書いていく。『女のいない男たち』も『東京奇譚集』も『神の子どもたちはみな踊る』も一気に書いています。柴田:村上さんは初期の短篇集からすでに統一感がありましたよね。『神の子どもたちはみな踊る』からそれがいっそう強まった気がします。村上:テーマを設定して書いているからですね。もしそうじゃなくて、この雑誌から依頼されたから書きましょう、みたいにばらばらにやっていたら、うまく頭がまとまらない。柴田:テーマがあっても、結末まで見えて書きはじめるわけではないですよね。書き出すときにどこに行くかわからないというのはすごく楽しいことですか?村上:楽しいですね。いったいこれはどんな話になるんだろうと、楽しみながら書いていくんだけど、短篇は二週間くらいで書いちゃえるから、二週間後には行き先がわかります。長篇は二年先までわからなかったりするから大変です。そういう意味では短篇は楽。ひとつの短篇を書いたあと、まだアイドリングが続いているうちに次を書きはじめると、またすぐに書ける。 僕にとっては、短篇って、何かきっかけがあれば書けてしまうものなんです。『東京奇譚集』のときはキーになる言葉を二十数個選んで、これとこれとこれで一篇を書く、次はこれとこれとこれというふうに決めて書いていきました。すごく即興的に。柴田:それで思い出したんですけど、たぶん初めて村上さんがワープロを使った現場を見ていて、突然村上さんがキーボードを叩いて「僕が森を歩いていたら熊が出てきて~」と書きはじめて、ああ、作家はすぐ物語が出てくるものなんだ、と驚いたのが印象に残っています。村上:1980年代、買ったばかりでまだ使っていなかった富士通のワープロを新潮社クラブに持っていったときですね。スティーブン・キングの『ミザリー』じゃないけど、何か書けと言われれば、わりにその場でするする書けちゃうんですよ。柴田:それは子供のころからですか?村上:そんなことはないです。三十を過ぎてからです。柴田:作家になってから、ロックされていたものが外れたみたいな感じなんでしょうか?村上:ペイリーさんみたいに分裂症っぽいのかもしれない(笑)。なんにも訓練していないのに、そういうのができちゃうのも不思議だなと思います。 昔は短篇からふくらませて長篇を書くということもありましたが、最近はないですね。『女のいない男たち』のいくつかの短篇について、「続編はないんですか?」と訊かれるんですけど、もうひとつそういう気がしないんです。たぶん僕の中での短篇の位置が変わってきたんだと思います。『本当の翻訳の話をしよう』1
2026.09.16
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************<『シルクロード悠々』3>図書館で『シルクロード悠々』という本を、手にしたのです。陳舜臣さんは、神戸が生んだ作家ということで親近感があるわけで・・・更にシルクロードとくれば、読むしかないでしょう♪【シルクロード悠々】陳舜臣著、文芸社、2005年刊<「MARC」データベース>よりなぜ、日本人はかくまで、シルクロードに魅せられるのか。シルクロードへの道、西域慕情、シルクロードの古代と近代など、先人の道を辿り、世紀の遺産に感動する旅紀行と歴史エッセイ。『週刊読売』ほかに掲載したものを収録。<読む前の大使寸評>陳舜臣さんは、神戸が生んだ作家ということで親近感があるわけで・・・更にシルクロードとくれば、読むしかないでしょう♪amazonシルクロード悠々西域マップ「第三部 シルクロードの古代と近代」で、西域の基礎知識を、見てみましょう。p94~96<古代の西域に関する文献> ところで私は、西域に関する歴史を読むときに注意しなければならないと思うのは、そこに住んでいる民族が、たとえば千年前とか二千年前と現在とでは、おのずと違うということです。とくに日本のような島国ですと、各地から人間が入ってきたでしょうが、だいたい民族の大移動のような経験をもっていない。ですから、この国にはわれわれの祖先が住んでいたのは当然だという観念が、ひじょうに強いわけです。ところが西域の場合には、がらりと民族が変わってしまう。 三蔵法師玄奘がインドへ経典を取りにいった7世紀の時代・・・その紀行文などを見ますと、西域の人は皆「高鼻深眼」と書いてあります。鼻が高くて眼が窪んでいるということは、明らかにイラン系の特徴です。つまり、西域は胡人の国であるといわれたけれども、そこには主としてイラン系の人が住んでいた。 ところが、もちろんイラン系の人も残りますが、その後は主たる住民がトルコ系になってしまって、それでトルキスタンといった呼び名も出てきます。ここで「istan」というのは、ご承知のように何々人の土地という意味で、たとえばアフガニスタンというのはアフガン人の土地ということですから、少なくとも玄奘三蔵が旅行した当時の西域は「イラニスタン」であったといえると思います。 かつての西域の人たちは、すぐに場所を変えてしまった。それは第一に、あのあたりには遊牧民がたくさんいましたので、移動するのが当たりまえであるという考えがあったのではないか、とおもいます。むろん農民もいましたが、われわれ米作をおこなっている東アジアの人たちにくらべて、その土地に定着するという考えが薄かったのではないか。 それから、家の建築材料も運搬しやすいものでできていたということもあります。遊牧民の家はパオ(包)ですが、これは移動式の住宅で、たたんで馬に乗せて運ぶこともできる。また農民の家も簡単にできるものです。雨が降らないところですので、槌を固めて天日にほすだけの土煉瓦の家です。 有名な万里の長城にしても、北京の北にある八達嶺あたりは明の時代に造られたりっぱな煉瓦の長城ですが、西のほうに行くと板ショウといって、板を両側に立てたなかに土を入れて水でかきまぜた後、かわかして固めて板をはずすとできるような城です。ふつうの家の場合、ちょっと大きめの煉瓦ですが、それは焼成しないで、踏み固めて天日に干すだけのもので、それを積み重ねて家を造る。ですから、すぐ簡単にできてしまうものです。『シルクロード悠々』2:三蔵法師の足跡『シルクロード悠々』1:インドの聖地めぐりこの本もシルクロードあれこれR1に収めておきます。
2026.09.15
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************UBER EATSやUBERタクシーに気をつけていないと、アマゾンの二の舞になるで!・・・中国企業も追っつけないアメリカ企業のルールを見直してみようと思うので、以下の通り復刻して見てみましょう。*********************************************************図書館に予約していた『アマゾンのすごいルール』という本を、ゲットしたのです。かつて、アマゾンが本のeコマースを始めた頃は手早い配送には感心したものだが…昨今では、日本の流通業界を振り回すほどの巨大企業になりましたね。…その成功の秘密を見てみましょう。【アマゾンのすごいルール】佐藤将之著、宝島社、2018年刊<「BOOK」データベース>よりだからAmazonは成功した!Amazonの最大の武器は超合理的な「仕事術」だった。アマゾン ジャパンの立ち上げメンバーがジェフ・ベゾス直伝のメソッドを初公開。最速×最高の結果を出す仕事術と14の心得。<読む前の大使寸評>かつて、アマゾンが本のeコマースを始めた頃は手早い配送には感心したものだが…昨今では、日本の流通業界を振り回すほどの巨大企業になりましたね。…その成功の秘密を見てみましょう。<図書館予約:5/18予約、9/28受取>rakutenアマゾンのすごいルールアマゾンといえば、高速の自動倉庫というイメージが浮かぶのだが、それだけではないようです。p236~238<日本の一流メーカー並みの管理指標を設定し、倉庫を運営> アマゾンでは、顧客体験の一つとして「お客様からいただいかオーダーを、どうやって最速で届けるか?」に飽くなき探究心を燃やし続けています。その象徴と言えるのが、『フルフィルメントセンター』と呼ばれる倉庫の秀逸なテクノロジーです。 大量のオーダーを、驚くほどの速さで処理していきます。そのスピードを体感していただくと、誰もが感嘆の声を上げます。正直申し上げて、他のEコマースのリテーラーが求めているレベルとは雲泥の差があると思います。 アマゾンでは、前述したとおり、主要事業の一つとして、「FBA(フルフィルメント・バイ・アマゾン)」というサービスを行なっています。物販者の在庫をお預りして、アマゾン上あるいは別のサイト上で売れた場合に、倉庫から発送するサービスです。 小田原にある倉庫のFBAカスタマーを増やそうということで、ときおり倉庫の見学会を開催しました。その際、私はよくガイド役で会社の説明をした後に、倉庫内を見てもらっていました。 見学者の皆さんに、最後に私が見せるのが『シューター』です。 梱包され出荷ラベルが貼られた荷物は、コンベアで最終出荷工程に運ばれてきます。その最後に巨大なバーコードスキャナーが設置されていて、出荷ラベルのバーコードを読み取り、それがどの「配送業者」が「どの仕向け地に」配送するものか判断します。その判断に基き、それぞれの配送業者さん向けのシュートに自動でポストされ、その商品をピックアップして、トラックに載せて運んでいくのです。(中略) 見学者の皆さんは、テクノロジーの導入により、恐ろしいほどの速さで、大量の出荷作業が行なわれていること、しかも24時間常にこのスピード感でオペレーションをしていることに圧倒されてしまうのです。 このスピード感を可能にしたのは、他ならぬオペレーション部門の英知です。 アマゾンがオペレーションで目指しているレベルは、「物流」のレベルではなく、トヨタなど世界い冠たる日本の製造業が求める『工場管理』のレベルです。事実、現在アマゾンのオペレーション部門で働いていらっしゃる方の中には、日本のメーカー出身の方が多いのです。『アマゾンのすごいルール』1
2026.09.14
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館に予約していた『ミヤザキワールド』という本を、待つこと1週間でゲットしたのです。 ハードカバーでぶ厚くて重たい本であるが、冒頭に16ページものカラー画像を配するサービスがええでぇ♪取りあげた題材が宮崎駿のアニメとあれば、これは読破できるような気がします。【ミヤザキワールド】スーザン・ネイピア著、筑摩書房、2020年刊<「BOOK」データベース>より世界を魅了しつづける巨匠の秘密とは?中・韓・ロシア・アラビア語版も刊行される決定版「宮崎駿論」。30世紀の有毒の森、神々が疲れを癒す湯屋、赤毛のさかなの女の子、ふわふわの森の精―これらに共通する要素とは?“アニメ・クイーン”の異名をとる米タフツ大学教授が、アニメーション作家・宮崎駿(1941‐)が手がけた『ルパン三世 カリオストロの城』(1979)から『風立ちぬ』(2013)まで11の長編映画と、漫画版『風の谷のナウシカ』(1982~94)を徹底解剖。その人生と芸術との知られざる関わりを解き明かす。映像作品はもとより、膨大な日本語・欧文文献を8年がかりで渉猟、宮崎監督本人とスタジオジブリ関係者への直接インタビュー、大学で教える宮崎駿ゼミでの知見も踏まえ、「闇と光」がせめぎ合う「ミヤザキワールド」の魅力に迫る。日本版オリジナルの序文を収録。<読む前の大使寸評>ハードカバーでぶ厚くて重たい本であるが、冒頭に16ページものカラー画像を配するサービスがええでぇ♪取りあげた題材が宮崎駿のアニメとあれば、これは読破できるような気がします。<図書館予約:(10/25予約、11/01受取)>amazonミヤザキワールド『もののけ姫』の「異質性」が語られているので、そのあたりを見てみましょう。p298~302<第11章 他者の顔『もののけ姫』の横断される境界>『もののけ姫』では過去に用いられたことのない手法で「他者」が視覚化されているだけでなく、他者もまたこちらを見詰め返しているのだ。いたずらっぽく笑いかけるコダマの表情から、傷を負った大猪の視線に込められた恐るべき憎悪に至るまで、『もののけ姫』はあらゆる形で他者がこちらを凝視する様子を描き出している。 シシ神の奇怪さと美しさを余すところなく表現することにより、宮崎はこの映画に明確な倫理的方向性を与えたのである。それは、自然とは人間が支配するものだという陳腐な考えを超越するものだった。 かかる観点から言えば、本作は、自然の「カワイイ化現象」が起きているとコアなファンでさえ認めるディズニー映画とは対照をなしている。例えば、ディズニー映画に関する著作があるデイヴィッド・ウィットリーは、名作『バンビ』でも自然が感傷的に描かれる傾向があることを認め、次のように指摘いている。「種が異なる動物が『友だち』として付き合う様子が演出され、人間から見て可愛く見えるように意図的に目が大きく描かれている。さらに、自然の天敵を登場させないことで牧歌的で無垢な世界を創造するなど、あらゆる要素が組み合わさって、自然界の完全性と異質性を全面的に尊重する姿勢とは相容れない、感傷的な世界観が生み出されている」『もののけ姫』は、自然界との関係を描き出す際に、従来の自然描写にしばしば見られる擬人化傾向を概ね避けることに成功している。優れたアニメ技術を駆使することで、本作はフランスの哲学者エマニュル・レヴィナスの言う「他者の異質性」を表現している。それどころか、人間を対象としたレヴィナスの関心を凌駕する形で、「他者」の種類にまったく新たな項目を追加してしまったのである。 この映画で明らかにされる「異質性」は、人間の観客に自分が自然界といかに近くて親密な関係にあり、しかも相互に依存し合っているか気付かせる。 宮崎がこれをどのように実現したかを知るには、映画の物語に目を向ける必要がある。最初に、傷を負って錯乱状態となり、タタリ神と化した大猪の身体で、その全身から吹き出たヒルのようなものは、実は自然と超自然とテクノロジーの表象で、猪の超自然的な変身を象徴している。 だが、この変身自体は、テクノロジー(大猪のナゴの守の肉体に食い込み、内側から蝕みつつある鉄のつぶて)によって引き起こされたものである。従って、タタリ神となった大猪は、人間のテクノロジーを内部に埋め込まれた超自然的な生き物であり、ある種の「ハイブリッド(異種交配種)」とみなすことができる。 大猪から呪いを受けた結果、アシタカ自身も「ハイブリッド」と化す。痣に象徴される呪いは、ナゴの守と同様に、彼の命も奪おうとする。その代わりに、呪いは超人的な力と活力、それに優れた戦闘能力をもたらす。もっとも、ナゴの守がそうであったように、アシタカの超人的な力も呪いだけではなく、内部で膨れ上がりつつある憎悪と怒りから生じている部分がある。 ナゴの守は苦悶の最期を迎えつつも、「汚らしい人間どもよ。わが苦しみと憎しみを知るがいい」といういまわの際の言葉を残す。こうして、映画の冒頭のシーンから、人間社会は単に自然・超自然界と対峙しているというより、むしろその不可分な一部として組み込まれていることが明らかになる。それは複雑な全体を構成する一部に過ぎず、より大きな世界では人外のものが人間に直接語りかけ、感情的・肉体的アイデンティティの内部にまで浸透しようとする。 アシタカとその出自のエミシ一族は、自然と人間の間の橋渡しをする平和的な民族で、エミシの行動は、戦争に明け暮れる大和民族の国家とは著しい対照をなしている。だが、アシタカはこの平和で寛容な生活様式を続けることを許されない。彼は自分で髷を切り落とすと、アカシシのヤックルにまたがって村を出る。この瞬間に、アシタカもまた「他者」へと変貌を遂げるのである。 故郷とその住民たちから追放された彼は、シシ神という強大な力を持つ山の神が住む緑豊かな森林へと足を踏み入れていく。シシ神の森の存在をアシタカに教えたのは、素性の知れないジコ坊という人物だった。物語の序盤に登場する森のシーンを通じて、観客は映画の精神的な核心へと引き込まれていく。 それは、人間と動物と超自然的な生き物が、認識や所属の境界を越えて生きている魔法の領域である。深く澄んだ池があってキラキラ輝く蝶が舞い、深い緑色をした巨大な古木がそそり立つシシ神の森は、宮崎が何度か訪れたことのある神秘的な屋久島の森に着想を得ている。樹齢2000年以上の屋久杉があることで知られるこの島は、ユネスコ世界遺産にも登録されている。 アシタカはこの森で、自然界と超自然的な世界の住人と三度にわたって遭遇する。最初の相手は人を寄せ付けず、二番目は茶目っ気たっぷりで、最後に出会う存在は神秘的な力を持つ。最初の出会いでは、アシタカはエボシ御前に置き去りにされた二人の負傷者を偶然救うことになり、その時突然、川の向こうに誰かがいることに気付く。倒木の枝の後ろに隠れて様子を窺っていると、銀色の毛をした三頭の巨大な山犬と、山犬の毛皮を被って赤い仮面を背中に吊り下げた人間の少女がいるのが見えた。 この少女こそヒロインのサンであり、映画のタイトルにある「もののけ姫」にほかならない。「もののけ」とは人間に取り憑いて苦しめる霊の類いや妖怪を指す言葉だが、この場合はサン自身の他者性と人間社会から引き離されている状態、そして彼女を拾って家族の一員として育てた犬神の親子との絆の深さを暗示している。(中略) アシタカが遭遇する最後の超自然的な他者は、まごうことなき霊的な体験をもたらす。負傷者の一人は「ここはあの世の入り口だ!」と警告し、別の道を行くように懇願するが、彼は無視して森の中のさらに奥深くへと踏み込んでいく。アシタカの視線は、苔むした林間の空き地の向こうへと引き付けられ、さらに池の対岸の雑木林から発している金色の輝きに釘付けとなる。 その光の中に何頭かの小さい鹿がシルエットとなって浮かび上がり、続いてもっと大きくて無数の角が生えた鹿に似た姿の生き物が姿を現す。それこそシシ神の昼の姿にほかならない。神秘的なその生き物が顔を向けると、アシタカはアザのある方の腕に激痛を覚え、水の中に入れて痛みを和らげようとするが、その間に鹿の姿をしたものは静かにその場を去っていく。『ミヤザキワールド』4:トトロは「死神」であるという都市伝説『ミヤザキワールド』3:『天空の城ラピュタ』『ミヤザキワールド』2:「訳者あとがき」と「日本の読者へ:スーザン・ネイピア」『ミヤザキワールド』1:『千と千尋の神隠し』
2026.09.13
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『私の貧乏物語』という本を、手にしたのです。日本にあって中韓にない価値観としては、「清貧」もそのひとつではないだろうか♪ということで、この本をチョイスしたのです。【私の貧乏物語】岩波書店編、岩波書店、2016年刊<「BOOK」データベース>より非正規雇用比率が四割を越え、セーフティネットが手薄なまま多くの人たちが貧困や孤立にあえぐ日本。いま、希望とは?そして生きていくための支えとは?笑い、怒り、涙、出会い、気づき、覚悟、提言…各界の三六人による各人各様の「貧乏物語」からそのヒントをさぐるエッセイ集。<読む前の大使寸評>日本にあって中韓にない価値観としては、「清貧」もそのひとつではないだろうか♪ということで、この本をチョイスしたのです。rakuten私の貧乏物語内沢旬子さんの貧乏物語を、見てみましょう。p30~35<貯金の鬼> 100万円を貯める。それだけを考えるようにした。100万円貯まったら、自分は自由になる。実家という牢獄から出ることができる。会社というきわめて居心地の悪い組織からも離れ、片道切符でシベリア鉄道に乗って、行方不明になるのだ。 自由は、お金で買える。24歳の時、私は本気でそう思っていた。真の自由、となれば購えるものではないことも、もちろんわかってはいたけれど、そんなkのは机上の論理。現在自分が置かれた不自由な状況を解決するものは、お金。お金しかなかった。 両親は私が未熟であることを理由に自宅に縛り付け干渉し続け、何かをしようとすれば激しく否定された。抗議をすれば、今も養われている立場に変わりはないとはねつけられるのであるから、養われない立場になって好き勝手に暮らそうとするのはごく自然の論理というもの。 1ヵ月の基本給14万8000円。実家に2万円を入れた残りのほとんどを、私は貯金に回した。利率の良い会社の財形に6万円、さらに百貨店の積み立てに月に5000円。12ヵ月後には6万5000円の優待券がもらえたので、これで服代を賄った。残りは10万円貯まるたびに郵貯の定額貯金に回した。こちらも利率が5%ほどだったろうか。 バブルと呼ばれたこの時代に、私が味わった唯一の「景気の良い」ことは、この利率の良さだけである。もし1000万円持っていたら、どれだけお金を殖やすことができるのだろう。電卓を叩いてため息をついたものだ。 鎌倉の新興住宅地にあった実家の価格は、たった45坪の敷地のしょぼい木造住宅だというのに、1億円に届くかという上昇ぶりだった。購入価格はその10分の1くらいだったのだから、売ったらものすごい儲けになるはずなのだけど、売ってしまったら新しく住む場所を確保しなければならず・・・どうにも動きようがない。 結局、この時代の恩恵は、余分な資産を蓄えた人にはあったのかもしれないけれど、ごく普通の生活をギリギリで送る者たちにとっては、6万円が6万5000円になるくらいの見返りしかなく、家賃や不動産価格の高騰に苦しめられていたように思う。 しかしギリギリでもマイナスに転じない環境下にいた自分は、経済的にはまだ恵まれていたといえよう。私が通った大学のキャンパスは、渋谷にあったにもかかわらず、バブル期特有の華やかさも、あのバッグを買わねばという妙な同調圧力もなかった。そしてどういうわけか、私が顔を出していたサークルに集う学生たちは、仕送りが十分ではなくてカツカツの暮らしをしている人が多かった。(中略) 土日は遊ぶとお金がかかるし、家にもいたくなかったため、恩師の友人が教える大学の授業を聞きに行き、残りの時間は喫茶店でアルバイトをした。時給は700円くらいだったろうか。会社の仕事は営業経理で、楽しさも面白さもまるでわからない、苦行のような業務内容だった。しかも前任者が帳簿を合わせずにめちゃくちゃにして辞めていったため、入社して半年間は毎日3時間以上残業していた。それでも月の手取りは、アルバイトを合わせて20万円を超えることはなかった。 衝撃だったのは、会社の先輩女性の手取りを聞いたときだった。勤続何年だったろうか、30半ばにして、30万円に達していなかった。 横浜郊外で、バスとトイレが別の、女性が住んで安心のマンションに住もうと思ったら、10万円を切る物件はとても少なかった。これだけ働いても、それじゃあ、賃貸マンションに住んだら本当にギリギリの生活しかできないし、そこから家やマンションを買おうと思ったって、まるで無理ってことじゃん・・・どうしたらいいわけ??? 男女雇用機会均等法は施行されたばかりで、一般職と事務職という言葉の違いは知っていた。けれども待遇にこんなふうに差がついていくなんて、それが独立できるかどうかを左右するなんて、何もわかっていなかった。自分は本当にバカだったと思ったけれど、もう遅い。男女平等なんてまるでうそっぱちだ。 大学を出るときには自分とまったく同じ能力の男性が、同じ会社に入っても入口が違うだけで、片方は独立して暮らせるだけの右肩上がりの給金を手にしてゆく。こちとら、同じ右肩上がりといっても角度が違う。定年退職まで勤めたって月に30万もらえるのかどうか。しかも30すぎればババアと陰口を散々叩かれる。内沢さんが「男女雇用機会均等なんてまるでうそっぱちだ。自分は本当にバカだった」と悔やんでいるが・・・ニッポンの限界を見るようです。内沢さんの新著『漂うままに島に着き』によれば、内沢さんは小豆島に移住したようです。【漂うままに島に着き】内沢旬子著、朝日新聞出版、2016年刊<商品説明>より乳がん治療の果てに、離婚をし、一人暮らしを始めた著者。しかし、東京のせまいマンション暮らしが我慢できなくなり、地方移住を検討し始める。香川県の小豆島に移住を決め、引っ越しを終えてからの折々の心境の変化をつづった地方移住顛末記。<読む前の大使寸評>Ⅰターン先としての小豆島・・・いいんじゃないでしょうか。内沢さんは癌治療中の身であり、また身辺整理の思いもあって小豆島に移住したそうだが・・・癌で胃を全摘した大使にとって、内沢さんの生き方には切実な関心があるわけです。<図書館予約:(10/27予約、4/25受取)>rakuten漂うままに島に着き『漂うままに島に着き』3byドングリ『私の貧乏物語』1:湯浅誠『私の貧乏物語』2:星野博美
2026.09.12
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『明治維新とは何だったのか』という対談本を、手にしたのです。おお 半藤一利さんが明治維新について出口治郎さんと対談しているのか・・・これは面白そうである。【明治維新とは何だったのか】半藤一利×出口治郎著、祥伝社、2018年刊<「BOOK」データベース>よりあのとき、日本を動かしたのは龍馬でも松陰でもなかった!知の巨人2人が、薩長史観に隠された「幕末・維新」を語る。<読む前の大使寸評>おお 半藤一利さんが明治維新について出口治郎さんと対談しているのか・・・これは面白そうである。rakuten明治維新とは何だったのか『第4章 「近代日本」とは何か』で賊軍を、見てみましょう。p222~226<薩長が始めた太平洋戦争を「賊軍」出身者が終わらせた>半藤:あえていえば、太平洋戦争を始めたときの海軍中央(海軍省と軍令部)の首脳部は、ほとんどが薩長の出身者なんですよ。出口:そうじゃないのは、長岡出身の山本五十六ぐらいですね。半藤:その山本は開戦時にはいわば現場監督で中央にはいませんでした。制作を決定する中央にあったのは、永野修身という軍令部総長が土佐の人ですけど、それ以外はほとんど薩長ですね。しかしその連中が、みんな若い世代なので日露戦争の実態を知らないんです。ロシアに勝ったという栄光だけは知っていましたけど。出口:神話の部分だけを教わってきたんですね。半藤:そういう人たちが太平洋戦争に踏み切ったんですよ。それで真珠湾攻撃をやってみたら成功したものだから、その永野という軍令部総長が「ほら見ろ、戦争はやってみなきゃわからないんだ」なんていう調子で威張ってたんですね。出口:場当たり的ですねえ。半藤:しかも日露戦争のときと違って、この戦争をどうやって収めるかを誰も考えていないんです。だから私は、「大日本帝国は薩長がつくって薩長が滅ぼした」と言いたいんですよ。薩長の連中が軍国主義の下地をつくり、日清・日露の二つの大戦争にどうやら勝ち、さらに勝手な神話をつくり上げて、その後の日本をリードして、昭和の軍隊をあの無謀な戦争に追い込んだんです。 では、その戦争を収めたのは誰か。終戦時の総理大臣の鈴木貫太郎は薩長ではありません。彼が生れた関宿藩を治めていた久世家は、代々の殿様が幕府の老中を務めていました。徳川譜代の名門です。つまり「賊軍」に属するんですね。出口:関宿藩からは、徳川慶喜の警護のために結成された彰義隊に加わる者もいたそうですからね。半藤:久世の殿様が大坂代官だった関係で、鈴木貫太郎自身は大坂で生れたんですが、鳥羽伏見の戦いで慶喜が薩長軍の錦の御旗に恐れをなして江戸に逃げ帰ったとき、鈴木家の人たちも生後間もない貫太郎を連れて関宿に逃げ帰りました。つまり鈴木貫太郎は、幕末に「官軍」と「賊軍」ができたそのときに生れた人なんです。出口:いわば生れたときから賊軍なんですね。半藤:それから、その鈴木貫太郎内閣の海軍大臣だった米内光政。この人も親は盛岡藩士ですから、賊軍です。出口:陸軍大臣の阿南惟幾との敗戦をめぐる論争で、「一日も早く講和を結ぶべきだ」と主張したのが米内光政でした。半藤:さらに最後の海軍大将として戦争の終結に尽力した井上成美も仙台藩の出身ですから、賊軍です。薩長の連中が終わらせ方も考えず無謀にも始めた戦争を最後に終わらせたのは、賊軍出身者たちなんです。いささか強引な論法ではありますけど(笑)、私はそういうふうに考えていますね。 これに戦争の途中で戦死した長岡藩出身の山本五十六も加えてやりたいんです。彼が生きていて軍令部総長か何かになっていたら、戦争終結のために身を挺して頑張ったと思うんです。彼らはみんな戦争の悲惨を骨の髄まで知っている人たちですからね。ある意味で、戊辰戦争に始まる「官軍」対「賊軍」の構図は、太平洋戦争が終わったときにひとつの決着を見たんです。<世界の情報をシャットアウトすると現実離れした妄想が膨らむ>出口:こうしてペリー来航から第二次世界大戦における敗戦までをひとつながりの歴史として眺めてみると、教訓とすべきことが、いろいろと見えてくるような気がします。ここで半藤先生とお話しして僕がいちばん強く感じたのは、広く世界を見ることの大切さですね。 たとえば日露戦争を終わらせるとき、伊藤博文が日本とロシアの国力を冷静に比較して「ここで講和するしかない」と判断できたのは、やはり若いときに岩倉使節団の一員として世界を見てきたからだと思います。アメリカの国力の大きさがよくわかっていたからこそ、講和の斡旋をセオドア・ルーズベルトに頼むことになったのでしょう。 しかし第一次世界大戦が終わったあたりから、日本のリーダーたちはあまり世界を見なくなりました。ワシントン軍縮条約から脱退し、満州事変を起こすなどして国際連盟からも脱退、「世界の孤児」のような状態になると、留学先もナチスドイツしかなくなってしまいましたよね。そうなると、世界のことが把握できなくなるんです。世界の国々に対してオープンな姿勢でいなければ、情報が入ってこない。情報がなければ、リアリズムも失われるんですよ。実際に世界に出て行かず、部屋の中にこもって考えているだけだと、現実離れした妄想が膨らむじゃないですか。 その意味で、近代日本のキーワードは150年前から今日にいたるまでまずは「開国」だと思うんです。「鎖国」をしてしまうと、ロクなことになりません。『明治維新とは何だったのか』4:西南戦争『明治維新とは何だったのか』3:五万石を薩長に「盗まれた」長岡藩『明治維新とは何だったのか』2:薩長のスタンス『明治維新とは何だったのか』1:起きて困ることは「起こらない」と思い込む日本人
2026.09.11
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『タンタンの冒険 その夢と現実』という大型本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、漫画の画面とそのシーンの元になった写真が載っているし・・・なにより丁寧な解説に好感を持つわけでおます♪【タンタンの冒険 その夢と現実】マイクル・ファー著、ムーランサール ジャパン、2002年刊<商品の説明>より本書では「タンタン、ソビエトへ」から未完成の最後の物語「タンタンとアルファアート」までの物語を 順に解説しています。 現実世界を想像の世界に取り込んだエルジェのクリエイティビティ、 完璧なものへの彼の追求など、エルジェの創作のすべてを語っています。 慎重なリサーチが もたらす各ストーリーの詳細の正確さは、エルジェの作品の大きな特長です。 実際にエルジェが参考にした資料写真とその反映されたシーンを対比させながら 解説されているので、より深く「タンタンの冒険」の世界を知る事が出来ます。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、漫画の画面とそのシーンの元になった写真が載っているし・・・なにより丁寧な解説に好感を持つわけでおます♪amazonタンタンの冒険 その夢と現実訳者の想いを「訳者あとがき」に、見てみましょう。<訳者あとがき>p204~205タンタンとエルジェと私:小野耕世 私がタンタンの生みの親、エルジェに会ったのは1972年11月3日のことだった。私はイタリアのルッカ市で開催された第8回国際コミックス=アニメ大会(LUCCA8)に、日本からの初めての代表として招待されて来ていた。 初めてタンタンのマンガを手にしたのは、1960年のことで、東京・神田の古本屋で「レッド・ラッカムの宝」の英語版(1959年にロンドンで刊行されたもの)を見つけて買ったのである。現行の版と同じハードカバーだが、背中の部分が赤色だった。 読み始めると、すぐに夢中になってしまった。こんなにおもしろく深みがあり、楽しく美しい品格のあるコミックスがあったのか。それから私は「タンタン」の英語版を次つぎと洋書店(丸善)に注文しては、届くのを楽しみにしたものだ。 この本を訳しながら、タンタン・シリーズのなかでも、この「レッド・ラッカムの宝」が最も売れていると知ったのだが、私は偶然、最も人気のある本を最初に読んだことになる。それは幸いだった。私はまっさきに、大酒飲みのハドック船長が大好きになってしまったのだから・・・。 ルッカのホテルでエルジェに会ったとき、私はあこがれの人を前にして、すっかり緊張していた。(中略) そのとき私は、手に小型カメラを持っていたのだが、なんだか恐れ多いような気がして、写真をとらせて下さいと言うことができなかった。いまにして思えば、もちろんエルジェは喜んでカメラに収まってくれたにちがいないのに。その代わり私は、スケッチブックをさしだした。 たいていの人がエルジェニサインを頼むとき、タンタンとスノーウィの絵を描いてもらうのだろうが、「ぜひ、ハドック船長もいれて描いてください」と私は頼んだ。彼は、そうしてくれた。その絵のなかでハドック船長は「コンニャローのバーロー岬!」と(フランス語で)言っている。 私はこの年の10月、東京からまずサンフランシスコに行き、1960年代の末から70年代初めにかけて西海岸を中心に盛んだったアンダーグラウンド・コミックスの旗手ロバート・クラムに会っていた。クラムは最新作のマンガ「フリッツ・ザ・キャット」の原画16ページ分を私に託してくれた。それで私は、さらにニューヨーク、ロンドン、パリ、バルセロナをまわってルッカに至る旅のあいだ、ずっとその16枚の原稿をスーツケースにいれていた。 その話を私がすると、エルジェは身をのりだすようにした「その原稿、いま持っているのかね?」「持っています」「見せてくれないかね?」「もちろんですとも」私はすぐに原画をとりだして、エルジェに渡した。彼は1枚1枚、ゆっくりと目を通していった。「おもしろいね。実におもしろい」と彼はつぶやいた。「クラムは偉大だね。すばらしいよ。いいねえ」。 私はエルジェの反応に感激していた。タンタンのマンガとクラムのいわゆる<アンダーグラウンド・コミックス>とは、いわば正反対の描法である。エルジェは保守的だと批判されていたという話も、私は読んだことがあった。そのエルジェが、新しい価値観をひっさげて登場した時代の最先端を行くロバート・クラムのマンガに目を輝かせている・・・。 ああ、そうだ、これが本当のエルジェなのだと、私はそのときさとったのだった。『タンタンの冒険 その夢と現実』4:紅海のサメ『タンタンの冒険 その夢と現実』3:燃える水の国『タンタンの冒険 その夢と現実』2:金のはさみのカニ『タンタンの冒険 その夢と現実』1:青い蓮
2026.09.10
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『つげ義春を旅する』という本を手にしたが・・・・漂泊願望があるつげさんだから、その旅の独特な味には・・・しびれるわけです♪【つげ義春を旅する】高野慎三著、筑摩書房 、2001年刊<「BOOK」データベース>より「ガロ」の編集者だった著者がつげ作品の舞台となった風景をさがして東北の秘湯から漁港の路地裏までを訪ね歩く。砂煙のまいあがる会津西街道で見つけたワラ屋根のある景色や、老人たちとともに時間がとまった上州・湯宿温泉、赤線の雰囲気を残す東京下町など、貧困旅行を追体験する。失われた日本の風景のなかに、つげ義春の桃源郷が見えてくる!つげ義春との対談も収録。図版満載。<読む前の大使寸評>漂泊願望があるつげさんだから、その旅の独特な味には・・・しびれるわけです♪rakutenつげ義春を旅する「ゲンセンカン主人」は、群馬の湯宿温泉のイメージで構想されたようです。p134~136<「ゲンセンカン主人」と湯宿温泉> 怪優・佐野史朗がつげ義春役を演じた映画「ゲンセンカン主人」が上映され、予想外のヒットとなったのは、1993年の7月であったが、映画の原作であるつげ義春の同名作品が『ガロ』誌上に発表されたのは、映画をさかのぼること25年前、1968年の7月号においてである。 つげ義春は、「ゲンセンカン主人」の1ヵ月前に「ねじ式」を発表しており、一部の読者のあいだでおおいなる衝撃をもって受け止められていかが、「ゲンセンカン主人」もまた、「ねじ式」に優るとも劣らないほどの評価を持って迎えられた。 あらすじを紹介しておこう。死んだような静かな温泉町にやってきた中年男は、駄菓子屋の老婆から、ゲンセンカンの旦那にウリ二つだといわれる。日本髪を結ったゲンセンカンの女主人は、耳が聞こえず、口も不自由だった。かつてゲンセンカンを訪れた男は、女主人と関係をもち、そのまま宿に留まったという。老婆の話に興味をそそられた中年男はゲンセンカンに泊まろうとする。「そんなことをしたらえらいことになる」と、温泉街の老婆たちが必死にとめようとする。ビュービューと嵐がふきすさぶ中、ゲンセンカンに近づいていく男。旅館の玄関先で恐怖で顔をひきつらせた女主人と旦那がその男を待ちうける。 発表当時、私は、「ゲンセンカン主人」から「ねじ式」以上の戦慄をうけた。この作品は、闇の深淵に迫ろうとする作者の強い意志がうかがわれると同時に、自己破壊の衝動ともいうべき存在論的な内向性が露わであった。たぶん、この作品には、「ねじ式」以上に、作者の思念なりが如実に表されたとみていい。 「ゲンセンカン主人」が発表される数ヶ月前、上州や信州の旅から帰った作者は、深夜、私の住まいを訪ねて、旅行譚に花を咲かせた。そのとき、氏は、群馬の湯宿温泉について、より多くを語ろうとしていた。ワラ屋根のある風景を求めているけど、今でも残っているだろうか?p57~60<ワラ屋根のある風景>高野:桧枝岐の温泉はどういう感じでした。つげ:温泉はどうということはないんです。温泉は、村はずれに共同浴場が一軒ポツンとあるだけで、ですから泊まった宿も普通の風呂だったんですね。そういえば、あとになって泥湯に行ったけど遅かった。泥湯もだいぶ改築されて、ワラ屋根はなくなってましたからね。高野:奥会津の周辺では、あとどこか強く印象に残っている場所はありますか。つげ:ちょっと離れているけど、北温泉なんかも好きですね。高野:北温泉については、エッセイやペン画、水彩画などで何度も紹介していますね。つげ義春といえば北温泉というぐらいで、つげさんの影響で、ぼくも7、8回行っています。じつは1週間前にも、雪の北温泉に行ってきたばかりなんです。つげ:北温泉に近いというか、白河から岩瀬湯本に通じる街道とか、高野さんも行ったことのある勢至堂とかの宿場に興味があったので、会津の方に行ったんでしょうね。高野:会津西街道は、ひんぱんに行ったり来たりしているようですものね。当時、あんな人里離れた街道には、誰ひとり関心もっていなかったと思いますよ。つげ:なんかウロチョロしているんだね(笑)。やはり、古い街道に関心があったからでしょうね。高野:ぼくは、つげさんの持っている地図帳に鉛筆でしるしがしてあったので、そういう宿場の存在を知ったわけですけど、つげさんは、どこから知識を得たんですか。つげ:民俗学者の宮本常一さんの本にでも紹介されていたんでしょうね。ワラ葺きの家や宿場がごっそり残っているとか書いてあったのかもしれない。高野:なるほど、宮本さんの本か。ぼくは、つげさんが行ったり来たりしているころから十数年たって会津西街道へ向かうわけですけど、横川宿に行ってみて、つげさんは70年代の初めころにすでに訪れているので、よくこんなへんぴなところを知っていたなあ、と不思議でしょうがなかった。つげ:そうね、雑誌や旅行案内の本で紹介されることもないしね。なんかありそうだなあ、という勘というものかもしれないですね。ですから、偶然ということかな。高野:「旅籠の思い出」の中で中三依の大黒屋に泊まったら宿の夫婦がケンカをはじめてしまってなんて書いていましたけど、写真をみると、大黒屋もワラ葺きですね。しかし、70年代に入ってもまだ宿屋をやっていたということは、泊まる人がいたということでしょう。あのへんに民宿はまだなかったころですものね。つげ:商人宿ですね。あそこで、すこし話を聞いているんですけども、泊まる人は、やはり商人なんですよ。雪の深いところですから、行商人がやってくるんです。ですけど、だんだん商人よりも釣り客が増えてきたと言っていました。高野:釣り客といえば、つげさんにすすめられてはじめて岩瀬湯本に行ったとき、ゴールデンウィークのせいもあって、湯口屋は釣り客がいっぱいで、泊まれなかったんですよ。味気のない別館の方に案内されてしまった。 そうですか、会津西街道の存在は知っていたけれども、中三依や横川の宿場にあんなワラ葺きが残っているとは、想像もしていなかったんですね。つげ:そう、本当に偶然だね。あの近くに山王峠というのがあって、そこにも宿場があって、本陣が残っていたんですよ。つげさんの“多摩川体験”が載っています。p281~282<「散歩の日々」「無能の人」と武蔵野> さて、いよいよ調布篇のクライマックスである。「無能の人」シリーズが『COMICばく』に発表されたのは、1985年6月から翌年の12月までだった。「石を売る」「無能の人」「鳥師」「探石行」「カメラを売る」「蒸発」の6篇で構成され、独立したそれぞれが、ユーモアとエロスに富みつつも、奥行きの深い秀作として結実していた。 その根底に横たわっていたのは、孤立感であり、またあるとくべつの虚無感であったりしたのだが、全体を包み込んでいたのは、読み物としての娯楽性であったと言えよう。 十数年を経た今日、これらの作品は、名作のほまれ高いけれども、発表当時にあっては、マンガベスト100(『COMIC・BOX』誌上)で、マンガ評論家、読者を含め誰ひとりとして1票も投じていなかったのだ。けっきょく、竹中直人の映画化によってあらためて注目されることになったといってもいい。この事実は、マンガ評論家のお粗末さを物語っている。 ところで、当シリーズのなかで「鳥師」はさらに一段と抽象性の濃い、そして精神性の強い作風を示していた。もちろん、「鳥師」とて、多摩川の河原で石売りにはげむ助川助三の貧乏物語がベースとなっている。したがって、ここでは、シリーズの代表作ということで「鳥師」をとりあげるにとどめたい。 つげ義春は、1978年から93年までの15年間を多摩川東岸の染地の団地ですごした。この団地は、20棟以上が並ぶ大きなものだった。作者は、団地に近い多摩川の土手を散歩するのを日課としていた。あるとき、河原で石拾いに精を出している老人に出遭い、「無能の人」のモチーフを構想したらしい。 いわば、多摩川の土手道や河原は、作者にとっての憩いの庭というか、生活空間のひとつであったと思われる。団地住まいになる以前の酒井荘や富士マンションも団地からそう遠くない距離にあった。つまり、作者は、「無能の人」までの20年を多摩川ぞいで暮らし続けていたわけだ。多摩川周辺の風景がことさら好みにあっていたのか、それともたんに家賃が安かったからであるのか、その理由は知らない。 作者は、つねづね、山奥でひっそりと暮らしたいという願望を抱きつづけていた。だが、団地住まいをやめたとはいえ、じつは現在も多摩川ぞいで日々を送っているのである。ということは、“多摩川体験”25年に及ぶ。
2026.09.09
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『ビゴー画集―諷刺・風俗素描』という本を手にしたのです。パラパラとめくると、漫画調のもの、実写調のもの、風刺画、とジャンルも多彩で・・・画集と銘打ってあるとおり、とにかく線描画、銅板画のオンパレードなのが嬉しい。【ビゴー画集―諷刺・風俗素描】ジョルジュ・ビゴ-著、岩崎美術社、1973年刊<カスタマーレビュー>より今は亡き岩崎美術社からの「双書 美術の泉」からの1冊。出版社の倒産により現在は古書かバーゲンブックといった方法でしか入手できなくなっています。良質なシリーズでしたので他社からの復刊を望みたいですが、難しいでしょうね。<読む前の大使寸評>パラパラとめくると、漫画調のもの、実写調のもの、風刺画、とジャンルも多彩で・・・画集と銘打ってあるとおり、とにかく線描画、銅板画のオンパレードなのが嬉しい。amazonビゴー画集―諷刺・風俗素描巻末の解説の一部を、見てみましょう。p1~8<ジョルジュ・ビゴー探索:酒井忠康> 明治19年12月11日の『朝野新聞』に、いささか困惑ぎみの、つぎのような記述がある。 「先年我くにへ渡来し自今麹町五番町辺に住居する仏国の画工ビゴーは我東京市中を徘徊せる紙屑拾いあるいは新内語りなどの緒商人を呼び入れ日本人の最も賤しき状態を写してその本国へ送りやるとのことなるが、これ等は大いにわが国風に関し外人の軽蔑を受ける一端ともなるべければ何とか御免を蒙り度きものなり」。 当時の人たちが、おおやけには、国粋的感情のつよいころであったから、この「仏国の画工ビゴー」にたいする眼も、しぜん厳しいものになっていたのはありそうなことだ。しかし、かならずしもこういった厄介者あつかいにばかりされていたわけではない。ビゴー自身は、フランス人特有の愛嬌のある男で、なかなかの社交家であった。 シャレものではあったが、本質的な画家の眼をもった、かなり切れ味のいい人物である。どんな男かといえば、ビゴーはずんぐりした図体で、まる顔でラテンふうのドジョウひげを生やし、ときどき中折り帽子をかぶっては、ぶらり散見して歩いていたらしい。ニ、三度ビゴーに会ったことのある、長原止水の談によると、ビゴーは、畳の上に日本の机をすえ、マドロスパイプで煙草をすって、いかにも一癖ありそうな人物であったという。 この「一癖ありそうな」男は、パリはカルチェ・ラタンの小官吏の子として、1860年4月7日に生をうけている。早く父をなくし、母の手ひとつで育てられ、そのためか非常に淋しがりやだったそうである。母が余暇に絵筆をもったらしいから、その影響で画家となったのだろう。 1872年に美術学校に入り、肖像画で名高いカロリュス・デュランやレオン・ジェロームの指導を受けた。山本芳翠や藤島武二も。ここで学んでいる。やがて、ラ・ヴィ・モデルヌ社に入り、エミール・ゾラの『ナナ』の挿絵をかいたり、『ル・モンド・パリジャン』紙に挿絵を寄せながら、エドモンド・ド・ゴンクールなどと親交をむすんでいる。日本趣味の洗礼をうけ、1881年(明治14)の暮、日本にむかう。21歳から22歳ころのことである。 日本では、はじめ官職にあって、当面の生活は安定していたわけであるが、どういう理由からか、三味線をひき月琴を愛す好奇心の旺盛な「変な外人」として、粋な日々を送ることになる。■粋なお雇い外国人 ジョルジュ・ビゴーは、「」とか「」などと書いて、日本名にして得意がっていたが、来日したのは、1882年(明治15)1月15日のことである。『』の記事では、明治16年となっているが、『』には、明治15年の1月15日に来日し、10月15日から翌々年の10月14日までの2年間、陸軍士官学校の画学教師になっていることが書かれている。渡部修二郎『』にも同じ記録があり、月給60円のお雇い外国人のひとりだった。(中略)■『トバエ』、官憲を困惑さす さて、ビゴーといえばすぐ連想されるのは、『トバエ』のことである。明治20年(1867)2月から横浜居留地の海岸五番館クラブ・ホテル滞在中に発刊し、和紙に石板刷のもので26冊ほど出されている。月に2回の発行で、ちょうど1年ぐらい続いたことになる。 これもやはり風刺雑誌で、チャールズ・ワーグマンの発行した『ザ・ジャパン・パンチ』につぐものである。『ザ・ジャパン・パンチ』は、奇しくも、『トバエ』発刊の数ヶ月前に終刊している。ワーグマンの筆致にくらべると、ビゴーの『トバエ』は、したたかな諧謔味があって、暴露時代の今日のわれわれにはおもしろい。『トバエ』という名は、平安末期の画僧、鳥羽僧正の戯画にまつわる、いわゆる「鳥羽絵」からとったものだ。 はじめに述べたように、ビゴーの辛辣な政治風刺は、しばしば日本の官憲の眼にふれ、官憲の内部側にも、ビゴーに対する批判がないわけではなかった。(中略)トバエの数枚を見てみましょう。 彼自身、『トバエ』では第一号の表紙にピエロ姿で登場するのをはじめ、ときどき思いがけないところに自分の顔を出している。
2026.09.08
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館に予約していた『言ってはいけない中国の真実』という文庫本を待つこと8日でゲットしたのです。同じ著者の『上級国民/下級国民』という本を予約しているが、なかなか巡ってこないので、ちょっと前に刊行されたこの本を予約したら、即入手できたのです。【言ってはいけない中国の真実】橘玲著、新潮社、2018年刊<「BOOK」データベース>より崩壊説を尻目に急速な経済成長を遂げた人口13億の大国・中国。満州からチベット、内モンゴルまで、その隅々を旅した著者は、至るところで不動産バブルの副産物で「鬼城」と呼ばれるゴーストタウンに出くわす。高層ビルが林立する超モダンな廃墟が建てられる元となった「錬金術」の仕組みに着目し、日本と異なる国家体制、組織のあり方、国民性を読み解く新中国論。<読む前の大使寸評>同じ著者の『上級国民/下級国民』という本を予約しているが、なかなか巡ってこないので、ちょっと前に刊行されたこの本を予約したら、即入手できたのです。<図書館予約:(1/18予約、1/26受取)>rakuten言ってはいけない中国の真実人口ボーナスと人口オーナスが語られているので、見てみましょう。p193~196<生産年齢人口が減少するとバブルがはじける?> 日本は敗戦後にアメリカの占領下で経済の復興を成し遂げたから、アジアの国々のなかではもっとも早く人口ボーナスを享受することになったが、その分だけ人口ボーナスが終わるのも早かった。 団塊の世代がリタイアするようになると、若者よりも高齢者の数が多くなる逆ピイらミッド型の人口構成になる。そうなれば、働き手一人あたりの社会的な負担は重くなって可処分所得は減り、そのうえ将来の増税や社会保障の削減を見越して消費を控えるから景気が悪くなる。 人口が減れば必用な住宅の数も数なくなって、と院など一部を除けば地価も下落するだろう。このように人口構成が経済成長の重荷になった状態を「人口オーナス(負荷)」という。 長期的に見れば、人口ボーナスというのは需要の先食い(前借り)であり、人口オーナスでその儲けを吐き出すことになる。『老いていくアジア』で大泉氏は、日本の高度経済成長が人口ボーナスで説明できるように、1990年代以降の「失われた20年」は人口オーナスで説明可能だとしたうえで、東アジアの国々でも、いまや遅れてきた人口ボーナスが終わりつつあると述べる。 人口ボーナスの時期にちがいがある理由は、それぞれの国の現代史を見ればすぐにわかる。韓国は朝鮮戦争が、中国は膨大な餓死者を出した大躍進政策と文化大革命が、ベトナムはアメリカとの長い戦いがあって、本格的なベビーブームの時期が日本より「」と呼ばれた韓国、台湾、香港、シンガポールは日本からほぼ20年遅れて人口ボーナスが始まり、1980年代に「東アジアの奇蹟」を起こしたがこれらの国の出生率は日本よりも低く高齢化が急速に進んでおり、この1~2年で人口オーナスの時期に入ることになる。 文化大革命後にベビーブームの起きた中国は日本からほぼ30年遅れて人口ボーナスが始まり、1990年代からの改革解放による爆発的な経済成長につながった。中国の成長が他のアジア諸国を圧倒したのは、多産少子から少産少子への移行から生じる人口ボーナスとともに、農村から沿海部の都市への労働人口の大規模な移動が生産年齢人口の急増をもたらし、人口ボーナスの効果にレバレッジをかけたからだ。 しかしその中国も、一人っ子政策などの影響で少子高齢化が進むのも速く、2010年代からは人口ボーナスの効果はほとんどなくなり、早晩、人口オーナスの停滞期を迎えることになる。『言ってはいけない中国の真実』1:鬼城(ゴーストタウン)のメカニズム
2026.09.07
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『図説不思議の国のアリス』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると・・・この本にはアリスとキャロルのポートレート、キャロル自筆のイラスト、ジョン・テニエルの挿絵、アーサー・ラッカムの挿絵などがてんこ盛りであり、まさにビジュアル本という感じでおます。【図説不思議の国のアリス】桑原茂夫著、河出書房新社、2013年刊<「BOOK」データベース>よりおかしな住人の出自を探り、奇妙な論理を読み解く、魅惑のワンダーランドの完全ガイド。【目次】序章 不思議の国への招待(『不思議の国のアリス』の成立/地下の国こそ不思議の国 ほか)/第1章 アリスの「不思議の国」へー『不思議の国のアリス』を読む(ウサギ紳士に誘い込まれたアリス、深い穴を落下/いきなり小さくなったアリス ほか)/第2章 アリスの「鏡の国」へー『鏡の国のアリス』を読む(アリス、鏡の国でチェスの駒を驚かせる/鏡を通して見ればちゃんと読める文字 ほか)/第3章 アリスとキャロルと写真術(キャロルにとっての写真術/キャロルの時代の写真術 ほか)<読む前の大使寸評>この本にはアリスとキャロルのポートレート、キャロル自筆のイラスト、ジョン・テニエルの挿絵、アーサー・ラッカムの挿絵などがてんこ盛りであり、まさにビジュアル本という感じでおます。rakuten図説不思議の国のアリスジョン・テニエルの挿絵を、見てみましょう。p37<ドードー> このドードーの姿は、作者キャロルも、また少女アリス・リデルもともに親しんでいたであろう。クライスト・チャーチにある自然史博物館に掲げられたドードー像に生き写しである。すでに幻の絶滅動物に対するキャロルの哀惜の思いがこの登場の仕方からも伝わってくる。それにしてもうしろのほうからのぞき込むようにしているサルの存在も気になるところだ。物語にはまったく登場してこないのだから。アーサー・ラッカムの挿絵を、見てみましょう。p62~63<法廷は大荒れ。アリスは叫んだ!> 「平気よ! あなたたちみんな、ただのカードじゃないの!」 このとたん、すべての登場人物や動物たちはカードとなって空中に舞い上がり、アリスの上にふりかかった。そしてこれこそが、不思議の国での冒険のフィナーレであった。 夢はおわった。キャロル自筆のイラスト、見てみましょう。p57<ウミガメモドキ>(ルイスキャロル直筆のオリジナル原稿のイラスト絵より)キャロル自筆のウミガメモドキ。いわくいいがたいおかしさと不気味さがある。ウン いわくいいがたいというか、シュールやなあ♪『図説不思議の国のアリス』1
2026.09.06
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************<仏文書籍あれこれR1>最近、図書館で借りた本と、古い蔵書なんですが、仏文書籍について適当に集めてみます。なお、辞書や専門書は除外します。・『Voyage au centre de la Terre』2009年刊・『Au sud de la frontiere, a l'ouest du soleil』2008年刊・『Apres le tremblement de terre』2002年刊・『KAFU Le Bambou nain』1998年刊・Polaroids de Jeunes Filles(1994年刊)・LE JACASSIN(1970年)・Le Petit Prince(1968年)・L'histoire vecue de la seconde guerre mondialeII:Le siege(1963年)R1:『Voyage au centre de la Terre』を追加【Voyage au centre de la Terre】Jules Verne著、Livre De Poche、2009年刊<商品の説明>よりFollows Professor Lidenbrock, his nephew Axel, and their guide Hans as they venture deep into a volcanic crater in Iceland on a journey that leads them to the center of the earth and to incredible and horrifying discoveries<読む前の大使寸評>なんと言っても、l'edition originale の挿絵が大量に載っているのが嬉しい♪amazonVoyage au centre de la Terre***********************************************************************【Au sud de la frontiere, a l'ouest du soleil】村上春樹著、Distribooks、2008年刊<カスタマー・レヴュー>よりEcrit alors que Murakami est toujours en exil (a Princeton aux Etats-Unis), "Au sud de la frontiere, a l'ouest du soleil" n'est publie que quatre ans apres son predecesseur, le tres fumeux "Danse, danse, danse".En lisant la quatrieme de couverture, je prends peur: on craint le Murakami sentimentaliste qui avait a mon sens completement echoue dans "Norwegian Woods/La ballade de l'impossible".Heureusement, "Au sud..." n'a rien a voir.D'abord parce que le style est profondement resserre, et la chronique des 37 ans de la vie de cet homme, Hajime, ne prend que 200 pages environ. Pourtant on sait beaucoup de choses de lui a la fin du roman, et le lecteur est devenu, un peu, son intime.<読む前の大使寸評>おお 村上春樹作品の仏訳版ではないか・・・ということで借りたわけでおます♪尚、太子の借りたペーパーブックは、BUSSIERE CAMEDAN IMPRIMERIES社、2002年版のものでした。amazonAu sud de la frontiere, a l'ouest du soleil【太子注】この本の日本語原題は「国境の南、太陽の西」で、村上春樹の7作目の長編小説です。***********************************************************************【Haruki Murakami-Apres le tremblement de terre】Haruki-Murakami著、10*18、2002年刊<カスタマー・レヴュー>より①Un simple battement d'aile de papillon en Amazonie peut-il declencher par une reaction en chaine un tremblement de terre au Japon ? Cela tombe bien, Murakami nous le prouve dans cette suite de nouvelles, toujours aussi subtiles, profondes et surnaturelles ! Oui, un evenement peut bouleverser votre vien comme la lecture de mon commentaire et l'achat de ce roman que vous ne regretterez pas !②この短編小説集は、阪神淡路大地震の闇と少なからず孤独な心が通ずる主人公達の魂の再生の物語だと私は理解しました。最後の「蜂蜜パイ」の淳平は西宮市夙川出身で早稲田の文学部を卒業した短編専門の小説家、つまりそれはもう一人の有り得たかもしれない村上さんの姿でした。本書は読者の人生経験に即して深いメッセージを伝えることが出来る優れた短編小説だと思います。<読む前の大使寸評>「神の子どもたちはみな踊る」が含まれた短篇集であるが、「Apres le tremblement de terre」(大震災後)という書名の日本版なんてあったかな?amazonHaruki Murakami-Apres le tremblement de terre『Haruki Murakami-Apres le tremblement de terre』2:「蜂蜜パイ」の冒頭『Haruki Murakami-Apres le tremblement de terre』1:「神の子どもたちはみな踊る」の冒頭***********************************************************************【KAFU Le Bambou nain】Ccatherine Cadou訳、Picquier poche、1998年刊<「BOOK」データベース>よりデータなし<読む前の大使寸評>この本をチョイスしたのは表紙の浮世絵がキレイだったこと、それと錆びつきかけたフランス語のブラッシュアップになると思ったからです。amazonKAFU Le Bambou nain***********************************************************************【Polaroids de Jeunes Filles】Jean-Philippe Delhomme著、光リン社、1994年刊<商品の説明>よりフランスのイラストレーター、ジャン・フィリップ・デロームの作品集。1988年から1992年の4年間にわたり、フランスのファッション雑誌『グラムール』に連載された中から後半に掲載された作品95点をショートストーリーとともにまとめた一冊です。<読む前の大使寸評>日本の新書より大きくて細長い特殊サイズである。各ページの構成は。上半分にカラー画像、下半分にストーリー文章となっていて、これまた独特でおます。なお、私が借りた本の表紙はモノクロ(左側)の方です。yahooPolaroids de Jeunes Filles『Polaroids de Jeunes Filles』1***********************************************************************【LE JACASSIN】Daninos Pierre著、Le Livre De Poche、1970年刊<大使寸評>皮肉、かつお笑いの辞典であるが、この本だけで仏語を修めるものではありません(当然です)本屋ではHacshtte社のLE LIVRE DE POCHEシリーズがすぐ目に付くが、このシリーズは日本の角川文庫、岩波新書などよりもっとシェアが大きいシリーズなんでしょう。AmazonLE JACASSIN***********************************************************************【Le Petit Prince】Antoine De Saint-Exupery著、HEINEMANN EDUCATIONAL、1968年刊<「BOOK」データベースより>ふるさとの星を出発した星の王子さまは、命令好きの王さまの星や、うぬぼれ男の星などを旅します。最後に地球にやってきて、サハラ砂漠で飛行機を修理中のパイロットに出会います。心をとらえて離さない不思議な物語。<大使寸評>私が買ったのはHEINEMANN EDUCATIONAL社(英国)のハードカバーであるが、さすがにこの本はアマゾンで出なかったので、アマゾンのMariner Books社の情報を載せました。AmazonLe Petit Prince『星の王子さまのはるかな旅』2:砂漠の王さま『星の王子さまのはるかな旅』1:星の王子さまが生れたところ***********************************************************************【L'histoire vecue de la seconde guerre mondiale II : Le siege】Marabout社、1963年刊<裏表紙説明>よりEn 500 photos et 100 000 mots, cet ouvrage uni-que en son genre nous presente la -guerre 1940/45 comme une experience humaine complete, tant a l'echelle des nations que des individus. Chacun des quatre volumes forme un tout, mais, ensemble, ils tentent une exploration en profondeur de l'epoque contemporaine. L'histoire vecue de la seconde guerre mondiale donne une vision immediate et saisissante des divers aspects de la plus complexe, la plus tragique et la plus heroique epopee que l'humanite ait enduree.Ce deuxieme tome de l'histoire vecue de la seconde guerre mondiale s'ouvre sur la resistance acharnee de la Grande-Bretagne contre les as-sauts de la machine de guerre nazie. II se pour-suit par les hostilites dans l'Atlantique Nord et la Mediterranee, l'invasion des Balkans et de la Grece, le combat-poursuite dans les deserts d'Afrique, l'attaque-suicide de l'Allemagne contre la Russie et l'inhumaine cruaute des batailles d'hiver. Pearl Harbour et la suite des victoires japonaises en Extreme-Orient terminent le volume.<大使寸評>第2次世界大戦シリーズで日本にも言及しているので、軍事オタクにとって見過ごせない本である。フランスの書籍ECは古書に関しても、いけてるやん♪bibliopocheL'histoire vecue de la seconde guerre mondiale II : Le siegeフランス語リンク集/All Aboutフランス関連の蔵書
2026.09.05
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)このところ、早朝や夕刻にツバメが飛んでいるのを見かけるが・・・彼らの季節感は温暖化の影響で乱れていないだろうか? 我ら人類の季節感は既に壊れているのだが。*********************************************************今日は我が町のツバメたちが見えないぞ・・・どうやら昨日、旅に出たようです。とにかく温暖化のせいで、七十二候の「玄鳥去」から、実態が1ヵ月ほどズレているようです。ということで、以前の日記から復刻します。***********************************************************************日に日に、群れで飛ぶツバメが少なくなっているような、このごろですね。七十二候に「玄鳥去」というのがあるけど・・・どうも我が町生れのツバメたちは、もう飛び去っていて南の地域を移動中ということのようです。ネットでこんなサイトがありました。七十二候「玄鳥去(つばめさる)」。巣立ったヒナは、どんな旅に出るのでしょうかより■もう帰る巣のない幼鳥たち。「渡り」を前に、集団で暮らします 食糧や繁殖のため定期的に長距離を移動する『渡り鳥』。日本でもいろいろ見られます。ツバメなどの「夏鳥」は、春に来て子育てし、秋になると南の国に去っていきます。オオハクチョウなどの「冬鳥」は、越冬するために北の国から日本にやってきます。チドリなどの「旅鳥」は、北国で繁殖し南国で越冬するため、中継地点として日本を通りかかります。 人間の世界では、転々とする苦労人を「渡り鳥」と表現したりしますが、『渡り』の旅はまさに苦労の連続。嵐や天敵など危険もいっぱいです。ツバメたちも、毎回命がけで種の楽園をめざします。 5月下旬。生まれてからおよそ20日で巣立った一番子のヒナたち。ツバメは2回子育てをする親が多く、生まれた巣は、これから育つ弟妹(二番子)たちのもの。巣立った子の居場所はありません。 そこで、幼鳥たちは集まって、出発の日まで水辺のアシ原や大きな樹木などで集団生活をします。早く一人前にならないと、南の国に渡っていけません。渡り鳥としての自覚を高める寮生活といったところでしょうか。幼鳥は、尾が短いので遠くからでもよくわかります。 夏になると、2回目の子育てが終わった親鳥たちも集団に加わります。夕方、空にたくさんのツバメたちが集結して、日が沈むと一斉にねぐらに入っていきます。「集団ねぐら」は毎日少しずつ移動するうえ、夜明けにはツバメたちはもう飛び立っているので、なかなか見つけにくいようです。集団はだんだん大きくなり、秋には数千~数万羽もの大群になるといいます。■歩かないツバメ。渡り鳥を見送れる場所をご存じですか? ある日の明け方前に小グループで出発。親鳥から先に南へと旅立ち、幼鳥は渡る体力がつくのを待ちます。連れて行ってはもらえません。7月後半になると、ねぐらは親の割合が少なくなってきます。それでも10月頃までには、皆出発するようです。 渡りにはいくつかのコースがあるようです。まだ一度も通ったことのない何千キロもの空の道を、親もいないのに、幼鳥はどうやって迷わずに行けるのでしょう? ツバメには、目印のない海の上でも目的地に向かって飛び続けられるよう、太陽や地磁気によって方角を知る能力があるといいます。さらには、目的地に近づくと地形や目立つ建造物をたよりに正しい場所を見つけるのだそうです。生まれながらに「渡る力」が備えられていたのですね。 ツバメの体は、空中生活用にできています。食事はもちろん、水浴びすら下に降り立つことなく水面すれすれを飛びながら一瞬で(カラスもびっくりの瞬間行水で、水飲みとの区別がつかないくらいです)。大きな翼は長距離飛行に耐える丈夫さなのに、退化した足は弱くて歩くのが苦手。他の小鳥と比べて巣立ちまでの日数が長いのは、巣立ったらすぐ飛ぶ必要があるためです。 高速で飛びまわりながら小さな虫を見分ける目。飛んでいる昆虫をくわえとりやすいように大きく深く開く、嘴。上嘴には左右5本ずつくらいヒゲがあり、虫取りアミの役割をします。 飛行速度は時速45km、最高時速は200kmともいわれます。また、長い尾や翼のひと振りで、急旋回・急降下・停止飛行も思いのまま! 多くの渡り鳥が、気流が安定していて天敵に襲われにくい夜間に渡るなか、飛翔力に優れたツバメは、昼間に堂々と渡っていくのです。体力のついたツバメたちは南の地域を移動中のようだが・・・来年の春にまた帰っておいで。
2026.09.04
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『飛行士たちの話(新訳版)』という文庫本を、手にしたのです。おお この本は旧訳版で見た覚えがあるで・・・ということで、再度借りたのです。【飛行士たちの話(新訳版)】ロアルド ダール著、早川書房、2016年刊<「BOOK」データベース>より偵察飛行に向かってから二日後に帰投したパイロットは、その間の記憶を失っていた。だがある戦闘中、仲間が撃墜されたのを見た彼は不可解なことをつぶやき、何もかも思い出したと叫び出す。彼が見たこの世のものとは思えない光景とは?後世の作品に多大な影響を与えた幻想譚「彼らに歳は取らせまい」をはじめ、従軍経験をもとにしたデビュー作など、著者のストーリーテラーぶりを存分に味わえる10篇収録の処女短篇集!<読む前の大使寸評>おお この本は旧訳版で見た覚えがあるで・・・ということで、再度借りたのです。amazon飛行士たちの話(新訳版)ハリケーン「カティーナ」の続きを、見てみましょう。p173~176<カティーナ> 夕食後、われわれ三人はモンキーと一緒に格納庫に行った。モンキーが言った。「機銃掃射が気にはなるけれど、ドイツ軍は絶対に格納庫を攻撃してこない。なぜなら、格納庫の中には何もないってことを知ってるからだ。で、今からわれわれ4人で4機運んで、第二格納庫に隠しておこうと思うんだが」 いいアイデアだった。通常、ハリケーンは飛行場の周囲のあちこちに分散して駐機させる。ずっと飛ばしておければいいのだが、そういうわけにもいかない。その結果、一機ずつ敵に狙い撃ちされていた。われわれ4人はそれぞれハリケーンに乗り込み、タキシングして第二格納庫に入れた。全機格納すると、4人で力を合わせて巨大なスライドドアを閉めて鍵をかけた。 翌朝、太陽が山の背後から姿を見せるまえにユンカース87の一群が襲来し、第二格納庫は吹き飛ばされ、あっさりと地表から消え去った。彼らの爆撃は正確で、両脇の格納庫は被弾すらしなかった。 その日の午後、ピーターがやられた。ハルキスという村がユンカース88に爆撃されているという知らせを受けて彼が出撃したのだが、そのあと二度と彼の姿を見ることはなかった。陽気で笑顔を絶やさない男だった。ケント州の農場にいる母親が送ってくる淡いブルーの細長い封筒をポケットにしまい、それを肌身離さず持っているような男だった。 この中隊に配属されて以来、私はいつもピーターとふたりで同じテントを使っていたのだが、その夜も私がベッドにはいったあと、ピーターがテントに戻ってきた。信じてくれなくてもいい。そもそも信じてもらえるとは思っていない。それでもこれはほんとうの話だ。 いつも私のほうが彼よりさきにベッドにはいっていた。というのも、われわれが使っていたのは、ふたりの人間がすれちがうこともできないほど狭いテントだったからだ。ピーターは毎晩2分か3分ぐらい遅れてテントに戻ってきた。その夜、私はベッドに横になって考えた。(中略) まったくいつもと変わらなかった。どさっという音、簡易ベッドの木製の脚が軋む音。フライングブーツを片方ずつ脱いで地面に放る音。いつも片方を脱ぐのにもう一方を脱ぐ三倍の時間がかかる。そのあと毛布をめくるかすかな音と、ちゃちな造りのベッドが男ひとりの体重を支えて軋む音。 毎晩そういう音を聞いていた。同じ音を同じ順番で。その夜はベッドの上で上体を起こして声をかけた、「ピーター」暗いテントの中、私のその声はやけに大きく響いた。「やあ、ピーター。今日はついてなかったな」返事はなかった。 私は気味悪くも怖くもなかったが、指で自分の鼻に触れて、ちゃんと自分がそこにいるのを確かめたのを覚えている。そのあとは疲れていたので眠りに落ちた。 翌朝、隣りのベッドを見ると、人が寝た跡が残っていた。しかし、私はそのベッドをフィンにも見せなかった。ただ毛布をもとの位置に戻して、枕をふくらませた。 われわれがアテネ防空戦を戦ったのはその日、1941年4月20日のことだ。今後あれほど激しい格闘が繰り広げられることはないだろう。最近では、飛行機は航空団や飛行中隊といった編隊を組んで飛び、攻撃も指揮官の指令どおりに整然と系統だっておこなわれるからだ。戦闘機乗りがひとりで激しい空中戦を繰り広げるなど、今日ではまずありえない。しかし、アテネ攻防戦では、15機のハリケーンが30分にわたり、150機から200機のドイツ軍爆撃機と戦闘機を相手に美しくて長い空中戦を繰り広げた。『飛行士たちの話(新訳版)』1:カティーナこの本もロアルド・ダールがつなぐ輪R2に収めておきます。
2026.09.03
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館に予約していた『韓国むかしの味』という文庫本を、待つこと4日でゲットしたのです。カラー写真満載のビジュアル本であるが・・・どれもが味わい深い小さな店のレポートになっているのがええでぇ♪ 10年前の本なので、今その店があるかどうかは定かではないが。【韓国むかしの味】平松洋子著、新潮社、2011年刊<ブログのレビュー>より韓国全土を30年近く旅した著者の、むかしの味の記録。ガイドブックには載っていない、華やかではない、それでいて味わい深い庶民の味が紹介されています。それは大都市ソウルでも。「食べる旅は人に出会う旅でもある」との著者の言葉のとおり、出会った料理の作り手たちの、引き継がれた味、歴史、想いは、料理の味わいに深い感慨を与えています。<読む前の大使寸評>カラー写真満載のビジュアル本であるが・・・どれもが味わい深い小さな店のレポートになっているのがええでぇ♪ 10年前の本なので、今その店があるかどうかは定かではないが。<図書館予約:(7/05予約、副本3、予約0)>rakuten韓国むかしの味">仁寺洞 智異山の家庭式韓定食(二人前)韓国料理で意外だったのは、生野菜やナムルが美味しかったことです。そのナムルが気になるので、求禮の「ドンウォン食堂」を見てみましょう。p38~40野生であればあるほどナムルはおいしい「とびきりナムルがおいしい」と韓国全土に名を馳せる土地、それが全羅南道・求禮(クレ)だ。毎月3と8のつく日に開かれる求禮の五日市には、霊峰・智異山のふもとで採れた野草がいっせいに集まると聞き、市の立つ日に合わせて一路求禮に向かった。 早朝、市に入るなり目を見張った。トゥルプ(タラの芽)、コサリ(わらび)、コグマスン(さつまいもの茎)、カジュク(ニワウルシ)・・・露店にあふれている葉っぱ、野草、山菜は切り口まできりっと立って新鮮そのもの、豊富な量にも圧倒される。 長年、おなじ場所で露店を出しているソンさんに頼んで、うっすら霧の残る翌朝、自分の摘み場所に案内してもらった。市で偶然知りあったソンさんだが 「わたしの大学生の息子も調査研修で日本に行ったとき、ずいぶんお世話になったから」と、こころよく案内を引き受けてくれた。 ソンさんは63歳、夫のキムさんは65歳。智異山のふもとに代々譲り受けた土地があり、農薬も肥料も使わず、夫婦で野草(ナムル)を何十種類も栽培している。市場へ売りに行くのは妻のソンさんの役目だ。「ナムルは野生であればあるほどおいしい。野菜も人も、たっぷり陽を浴びて自然のなかで育ったものに勝るものはないから。農薬や肥料を使うと確実に育つけれど、からだによくないし、味もおちる。子どものころから土といっしょに育ちながら学んできました」 土地の手入れを引き受ける夫のキムさんが言う。「苦いものこそからだにいいから、ナムルも毎日かならず食べなくちゃいけないよ」 青空の下で味わった智異山のナムルはえぐみ、ほろ苦さ、噛めば噛むほどいろんな味わいが滲み出てくる。その求禮の「ドンウォン食堂」(現在は閉店)にとびきりの「ナムル名人」のハルモニがいると小耳にはさんだ。イ・ナムドクさん、68歳。もともとイさんは20年にわたって求禮一と評判を取った食堂の女主人だった。 名士や政治家までイさんの味を求めてやってくるうち、イさんの手は「ミウォンの手」つまり「味の素の手」と呼ばれ始めた。「おいしさが湧き出る」、そんな特別の手というわけである。『韓国むかしの味』2:生野菜やナムル『韓国むかしの味』1:普州式ピビムパプ
2026.09.02
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『ポケットに外国語を』という文庫本を、手にしたのです。下手の横好き外国語といえば・・・俺のことか?と思う大使でおます♪【ポケットに外国語を】黒田竜之助著、筑摩書房、2013年刊<「BOOK」データベース>より世界に通用するために外国語を勉強しなければ!そんな気持ちを脱力させて、言葉本来の面白さを感じ取りたい。古本屋で知らない外国語のテキストを買ってみたり、時には現地にいってみたりとあちこち思考をめぐらした結果がこのエッセイに詰まっている。しかも、外国語をもっと楽しく勉強したい人へ向けたアドバイスとして読める。文庫化に際して未収録作品多数!<読む前の大使寸評>下手の横好き外国語といえば・・・俺のことか?と思う大使でおます♪rakutenポケットに外国語をロシア語へのアプローチが語られているので、見てみましょう。p211~215<モスクワ、シベリア> 友人の管啓次郎さんがエッセイ集を出した。『ホノルル、ブラジル』(インスクリプト、2006年)は、わたしにとって特別な本である。最後にわたしとの対談が収録されているからだ。 対談はかつて、雑誌「UP」2004年12月号に「夜明けのロシア語、黄昏のポルトガル語」と題して発表された。同じ職場で英語教師をしている二人が、ロシア語やポルトガル語の魅力、さらにことばと文化について話し合うといった企画だった。この対談が再録されたことにより、『ホノルル、ブラジル』はわたしにとって、自分の本ではないのだけれど、自分の本でもあるという、不思議な存在になった。 管さんはよき友人であるが、趣味や好みについてはわたしとだいぶ違う。それはこのエッセイ集の題名からも分かる。ホノルルにもブラジルにも、わたしは行ったことがない。さらに副題が「熱帯作文集」というのだが、これは気温40度のアリゾナが快適という彼にこそ相応しいが、暑いのが苦手な者には思いもつかない語結合だ。わたしだったら、きっと「ツンドラ作文集」になるはずである。 あるとき彼が「ボクのやっぱり好きなもの」として犬、ゴルフ、そして英語の三つを挙げた。これもことごとく違う。わたしは犬よりもウサギが好きだ。ゴルフはやったこともないし、スポーツだったらスキーのほうがいい。そして英語については、好きといえるほど素直になれない。 じゃあ菅さんの英語に対して、黒田はロシア語なのかと問われると、それも迷う。実のところ、これは長年悩み続けてきた問題なのだ。 それでも、対談はわたしがロシア語を語り、菅さんは英語ではなく、ポルトガル語を語ることから始まった。 そもそも、わたしのロシア語はまったくの偶然である。中学二年生のころ、テレビのロシア語講座を見ていて、こういう文字が書けるようになったらいいなあという、ごく軽い気持ちが始まりだ。 一方、菅さんはポルトガル語にたどり着くまでに少し時間がかかる。英語の大好きだった少年が、大学でフランス語、それからスペイン語を経て、ポルトガル語を始めるのは24歳のとき。だが年齢は重要ではない。それよりも彼が小学生の頃に持っていたポルトガル語のイメージが「葡萄のことば」だったというのが面白い。 ポルトガルを漢字で書けば葡萄牙となり、それは当て字で意味がないといえばそれまでだが、そういうイメージは大切にしたい。ロシア(露西亜)だって「露のことば」というイメーイが膨らむ。中学二年生でロシア語を始めたわたしには、そのときロシアという露がキラキラと光り、心に染み透っていたのかもしれない。 詩的な菅さんは詩人フェルナンド・ペソアにのめりこむが、散文的なわたしはキエフ・ルーシ史に興味を持つ。20代半ばでいきなりブラジルに飛びこんでいく菅さんは、中学生の頃すでにアメリカでホームステイを体験しているが、わたしはといえば海外長期滞在が未だに実現できていない。あまりにも違う二人の方向。 だが、奇妙な共通点がここで浮かぶ。菅さんもわたしも、活字の人なのだ。「簡単な本の多読は外国語学習の王道だよね」と語る菅さんに、わたしは百パーセント賛成。そう、ブラジルに行ったからって、それだけで言語が上達するはずがない。彼はむずかしくない本をせっせと読んだ。これはわたしも実践している。日本だけでなく海外でも、簡単な本をたくさん読んでことばを滑らかにしていく。ずいぶん違うように見えた二人の外国語へのアプローチ方法が、ここで接点を持った。 どうして活字なんだろうと疑問に思うわたしに、菅さんはある答えを示す。「人の心がことばでできている以上、生身の人間にもかならずその背後にはあるまとまったアーカイブ(文書群)がある。それには、文字に頼る以外の接近の仕方はない」。ことばを表面的なものとして軽視したがる人たちに対するこんな反論があったのかと、わたしは素直に驚く。彼のいう通り、人は表面に出ないものを、いっぱい抱えこんでいるはずではないか。 活字というのは本には限らない。新聞の家庭欄やCDの歌詞カードだって、外国語を楽しむために必用なアイテム。話題はさらに映画やインターネットへと広がる。インターネットは言語マイノリティーが主張するのに格好の手段なのだが、その際にどの言語で発信するか、つまり自らの固有言語を選ぶか、あるいは多くの人が分かるメジャー言語にするか、という問題に突き当たる。 ここで菅さんは「アンブレラ言語」という概念を提唱する。(中略) 「あるアンブレラ言語の中にいる小言語の使い手が、ひょいといたずら心で一つの傘を飛びだし、別の傘の下に身を移してみる。あるいは別の傘の下にいる誰かといきなり直接接触する。そういう無根拠な接続が、いちばんおもしろいと思う」 これはわれわれ二人のことだ。わたしたちが多言語に惹かれるのは、一つの傘を飛び出して別の傘の下に身を移してみたいという、ほんのいたずら心なのである。おもしろがっているのに過ぎない。何かがおもしろくなければ、外国語なんてだれも勉強しないはず。『ポケットに外国語を』2:にぎやかな言語学『ポケットに外国語を』1:サマセット・モームの「外国語学習小説」
2026.08.31
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館に予約していた『ドードーをめぐる堂々めぐり』という本を、待つこと5週間ほどでゲットしたのです。ざっとめくってみると、カラー画像が思いのほか多くて・・・ええでぇ♪【ドードーをめぐる堂々めぐり】川端裕人著、岩波書店、2021年刊<「BOOK」データベース>より江戸時代初期のこと。『不思議の国のアリス』や「ドラえもん」にも登場する絶滅鳥ドードーが、日本に来ていたらしい!400年の時を超え、その後の行方を追って、四国へ長崎へ、チェコ、イギリス、オランダへ…ついにはモーリシャス島に這いつくばり生命のワンダーに分け入る!日本史と西洋史、博物学と生物学の間を行き来する旅に、ご一緒しましょう。<読む前の大使寸評>ざっとめくってみると、カラー画像が思いのほか多くて・・・ええでぇ♪<図書館予約:(1/09予約、副本4、予約6)>rakutenドードーをめぐる堂々めぐり『第1章 日出づる国の堂々めぐり』でドードーの出島上陸を、見てみましょう。p27~29<「ラスト・ショーグン」の孫が可能性を指摘していた> ドードーの生息地だったモーリシャス島は、オランダ船がアジアに来る祭の中継点であり、途中でドードーを載せてきても不思議ではない。事実、オランダ船はしばしば動物を伴って来日した。 蜂須賀は、この書簡に言及した上で、「当時の日本において、ヨーロッパの船が来たのは長崎が最も確からしい。そこで、長崎図書館のⅯr.R.Ⅿasudaに問い合わせたところ、ドードーについてのいかなる情報も追跡不可能と回答があった」と報告した。 そして、日本人である蜂須賀が調べてもわからなかったのだから、この件はきっと「迷宮入り」だろう、と多くの関係者が思ったまま、半世紀以上が過ぎた。2014年の「論文」の著者の一人である当のヒューム自身も、2006年の時点でドードーの歴史を振り返った論文では「バタヴィアから日本へと生きたドードーが送る準備がされていたが、それが実行されたのかどうかは今となっては確かめようがない」と書いている。 しかし、それが確かめられた! というのが、今回の発見だ。<「商館長日記」や会計帳簿に記される> さて、「論文」によると、オランダ商館長が代々、書きつないだ“daghregister(日記)”、“facturen(目録)”、“negotie journaal(会計帳簿)”といった文書の中にドードーが記載されていた、という。蜂須賀が長崎県立図書館に問い合わせてもわからなかったのも当然だ。ドードーの受け取り手は、日本人である前に、まずは現地の東インド会社の社員だったわけで、その記録は日本の図書館ではなく、本国に回収されて保管されていた。 最も需要な文献である「商館長日記」(daghregister)の書き手は、商館長フルステーヘン。彼が所属するオランダ東インド会社が派遣したヨンゲン・プリンス(Jongen Prins)号が長崎にやってきて、それを受け入れるところから話が始まる。この船には時期商館長であるフレデリック・コイエット(Fredrik Coyet)が乗っていた。フルステーヘンにとっては自分がバタヴィアに帰任する時に使う船でもある。 「論文」では、ヨンゲン・プリンス号がやってきた1647年8月29日からフルステーヘンの日記を日毎にまとめたり、ときには訳出して引用している。以下、その時系列に沿って紹介するが、逐語的に訳して示す場合は「論文」からの重訳ではなく『日本関係海外史料 オランダ商館長日記 譯文編之十』(東京大学資料編纂所)の訳を採用する。(中略) この時、舟に載せた物品の「目録」と「会計帳簿」の双方にドードーの記述があるというのが、ウィンターズらの最初の大きな発見だ。 いずれの場所でもドードーは他の一般的な荷物とは別枠として扱われている。(中略) もう一方の「会計帳簿」の方にも、シカとドードーが挙げられて、例外的に値段が記入されていない。つまり、商取引の材料というよりも、むしろ、高い地位の人に贈る目的だったと考えられる、と「論文」では述べている。『ドードーをめぐる堂々めぐり』3:出島ドードーの「発見」『ドードーをめぐる堂々めぐり』2:『不思議の国のアリス』のドードー『ドードーをめぐる堂々めぐり』1:絶滅鳥類の代表
2026.08.29
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『星の王子さまのはるかな旅』という本を、手にしたのです。ちょっと古い大型本であるが・・・美しいヴィジュアル版で、内容も充実しています。【星の王子さまのはるかな旅】山崎庸一郎監修、求龍堂、1995年刊<「BOOK」データベース>より物語の忘れられない場面の数々に、作家であり飛行家だった著者サン=テグジュペリの、ロマンに満ちた感動的な生涯を重ねあわせながら、『星の王子さま』の世界を旅する一冊。フランスとモロッコに取材した撮り下ろしの写真と、魅力的な執筆陣により、読者の〈夢〉を裏切らない美しいヴィジュアル・ブックが完成した。 <読む前の大使寸評>ちょっと古い大型本であるが・・・美しいヴィジュアル版で、内容も充実しています。amazon星の王子さまのはるかな旅序章「星の王子さまへのオマージュ」を見てみましょう。p9~12<星の王子さまへのオマージュ:池澤夏樹> まず、簡単な疑問からはじめよう。『星の王子さま』は本当に子供の本だろうか? 作者のサン=テグジュペリがこの本を子供の読者のために書いたことはまちがいない。語り手であるパイロットが登場してウワバミに呑まれたゾウの絵をはじめる前に、この本をレオン・ウェルトにささげるという言葉があり、その後には、献辞の相手が子供ではなく友人とはいえ一人の大人であるわけを子供たちに説明する文章が続いている。 本当は子供たちの本なんだけれど、いろいろ事情があってこういうことになったと言った上で、献辞は「子どもだったころのレオン・ウェルトに」と書き改められる。あくまでも子供の本、大人は入ってはいけませんと言わんばかり。 しかし、この本はずいぶんむずかしいのだ。これは、むずかしいから子供にはわからないという意味ではない。この本の中には子供にわからない言葉、子供が知るべきでない話は何一つない。 だが、これは退屈な子供が夢中になって読んで、わかったと思って、そのまま忘れるような本でないことはまちがいない。読み捨てるわけにはいかない本。これを読んだ子供は何度となくこの本へ帰ってくる。それを繰り返すうちに少しずつ大人になってゆく。(中略) こうして、星から星への旅をつづけてきた王子さまは地球に降りたつ。その場所は砂漠、サン=テグジュペリが最もよく知っている地形である。彼は一度アジアへの長距離飛行の途中、リビア砂漠に墜落した体験がある。その時のことがそのまま王子さまとの出会いの場面に使われている。そう、彼ら二人は共にこの砂ばかりの地へ「天から」来たのである。 この本の中の地球はどこかおかしい。だいたい人がほとんど出てこない。王子さまが降りたところが砂漠だった以上、ヘビが言うように「砂漠にゃあ、だあれもいない」のは当然だろう。その後で彼が会った花は、人間は6、7人はいるだろうと言う。「かれこれ20億人の大人」が住んでいるはずの地球なのに、寂しいかぎりだ。 そして、この印象は最後まで変わらない。王子さまは1年の間この大きな星に滞在したけれども、その途中で人がたくさん住んでいる地域で暮らした形跡はまったくない。サン=テグジュペリは都会が好きでなかった。がらんとした何もない地形の上を飛びつづけた飛行士が都会に帰ってきた時の雑踏の中の寂寥感を、彼は『南方郵便機』に書いている。『星の王子さまのはるかな旅』2:砂漠の王さま『星の王子さまのはるかな旅』1:星の王子さまが生れたところ
2026.08.28
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************このところ、デジタル庁の河野大臣がマイナンバーカードの不調について毎日のように謝罪しているが、想定内なのでいっこうに驚かないのです。・・・ということで、『デジタル・ファシズム』を復刻して読み直してみたい。*********************************************************図書館に予約していた『デジタル・ファシズム』という新書を、待つこと3ヶ月半ほどでゲットしたのです。堤さんは、新設された「デジタル庁」を利権の館と喝破しているが・・・現在の政府と官僚が主導するなら、さもありなんと思うわけです。【デジタル・ファシズム】堤未果著、NHK出版、2021年刊<「BOOK」データベース>より行政、金融、教育。国の心臓部である日本の公共システムが、今まさに海外資本から狙われていることをご存知だろうか?コロナ禍で進むデジタル改革によって規制緩和され、米中をはじめとする巨大資本が日本に参入し放題。スーパーシティ、デジタル給与、オンライン教育…いったい今、日本で何が起きているのか?気鋭の国際ジャーナリストが緻密な取材と膨大な資料をもとに明かす、「日本デジタル化計画」驚きの裏側!<読む前の大使寸評>堤さんは、新設された「デジタル庁」を利権の館と喝破しているが・・・現在の政府と官僚が主導するなら、さもありなんと思うわけです。<図書館予約:(10/04予約、副本5、予約40)>rakutenデジタル・ファシズム「第4章 本当は怖いスマホ決済」でベーシックインカムが語られているので、見てみましょう。p136~140<Go Toトラベルとデジタル給与の共通点> デジタル給与は選択制だ。最初はそれほど普及しないだろう。 だがそれは入り口に過ぎない。 最初は選択制でも、キャッシュレス比率80%という目標を達成するために、政府が今後様々な分野をキャッシュレス化して外堀を埋めていく中で、デジタル給与を選ぶ人の割合は増えてゆくだろう。 思い出して欲しい。 日本の規制緩和の合い言葉が、「小さく生んで大きく育てる」であることを。 あらゆる分野のルール変更が、全てをデジタル化するという政府の目標に向かって着々と進んでいるのだ。 デジタル給与はトップバッター。 次に控えているのは「〇〇ペイ生活保護」や「〇〇ペイ年金」あたりだろう。 ATMで並ばずに済む程度の利便性と引き換えに、私たち国民の大切な資産や個人情報、この国を支える中小企業や飲食店、地域を支える地方銀行などを差し出すほどの価値は、果たしてあるだろうか?<危険すぎる竹中平蔵式「ベーシックインカム」>「毎月7万円ほど支給すればいいんですよ」 2020年9月にパソナグループの竹中平蔵会長がテレビでこう発言し、ネットで大炎上したのが、毎月決まった額を全国民に給付する「ベーシックインカム論」だ。「7万円で生活できるのか」という疑問や「一定以上の収入がある人から後で回収するならベーシックインカムではない」などの指摘に加えて、そもそもベーシックインカムを入れること自体の是非を問う声が出たが、問題の本質はこの制度を今の日本に入れることで一体何をめざしているのか、という政府の青写真にあるだろう。 中国を訪問した時に大きな感銘を受けたという竹中氏は、スーパーシティとキャッシュレスをセットで日本に導入するために尽力中だ。以前からあちこちで提唱している、この「竹中平蔵式ベーシックインカム論」の先にあるイメージもまた、中国の成功例が色濃く反映されている。 国全体のデジタル化を急速に進める中国では、前述した「信用スコア」の点数によって、受けられる公共サービスに差がつけられる。政府が好ましくないと判断した人物は、デジタル化した中国社会でまともに暮らせなくなると党幹部が公言するほどに、信用スコアは完全管理型社会のツールとして効果が高い。 デジタルは、ボタン一つで簡単に人の行動を止めることができる。 現金ではないのでタンス預金もできない。それゆえデジタル化とベーシックインカムがセットになると、国民は生きる術を政府に強く依存することになってしまう。蛇口を開けるのも閉めるのも政府が握ることになるので、反政府の暴動は減ってゆくだろう。 現に中国では、政府が導入した信用制度とキャッシュレスの組み合わせを導入して以来、国民の“お行儀”が格段に良くなったと言われている。信用スコアが落ちると社会的サービスへのアクセスが経たれ、まともに暮らしていけなくなるからだ。 日本でもPayPay銀行が個人の信用スコアを企業に販売し始めており、2021年5月に成立したデジタル改革関連法では個人情報保護法が緩められ、これからは思想信条や犯罪歴、病歴などのセンシティブな個人情報も次々にデジタル化されてゆく。『デジタル・ファシズム』4:忘れられる権利『デジタル・ファシズム』3:第4次産業革命『デジタル・ファシズム』2:デジタル庁、三つの特徴『デジタル・ファシズム』1:利権の館「デジタル庁」
2026.08.27
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************挿絵とか挿絵本が好きなので・・・『アール・デコの挿絵本』という本を復刻して読み返してみようと思ったのです。*********************************************************図書館で『アール・デコの挿絵本』という本を手にしたが・・・版画と造本に触れていて、大使のツボをクリーンヒットしているのです。それになにより、彩色挿絵の頁が多くて、きれいな本になっています。【アール・デコの挿絵本】鹿島茂著、東京美術、2015年刊<商品の説明>より■1920年代前後に登場したアール・デコの豪華挿絵本は、モード・ジャーナリスム隆盛を背景に、優れたイラストレーターや版画職人、裕福な購買層に支えられ、手間暇かけて少部数出版されたため、今日では稀覯本としてコレクター垂涎の的となっている。■本書は、イラスト、活字組版、複製技術、アート・ディレクションが一体となって生まれる総合芸術の魅力を、さながら実際にページを繰るがごとく、表紙から奥付まで、造本上の部位毎に項目をたて、役割や特色を、名作から厳選した実例を添えて解説。また、バルビエ、マルティ、マルタン、ルパップの挿絵本の中から、その世界観をじっくり味わえる傑作をテーマ別に多数紹介。<読む前の大使寸評>版画と造本に触れていて、大使のツボをクリーンヒットしているのです。それになにより、彩色挿絵の頁が多くて、きれいな本になっています。Amazonアール・デコの挿絵本挿絵本といえば版画との関係が深いが、そのあたりにふれたところを見てみましょう。<ポショワールと板目木版>よりp92~94 アール・デコの挿絵本を支えた二つの版画技術ポショワールと板目木版。一流のイラストレーターと卓越した技術をもつ職人との幸福な出会いが、後世まで語り継がれる見事な挿絵を生み出した。■ポショワール 現代のように写真製版によって、原画を複製する技術が未熟だった20世紀初め、一流のイラストレーターたちが多用したのがポショワール技法だった。版画職人ジャン・ソデによって完成されたこの技術によって、鮮やかな色彩表現となめらかで均一な彩色が可能となった。■板目木版 木材を縦割りにした板を使う板目木版は、木目を効果的に生かして、シンプルながら大胆な表現が可能な版画技法。1922年、ジョルジュ・バルビエが初めて板目木版による複製技法で制作した『チビリスの歌』は、浮世絵の研究によって独自の技術を開発した彫り師であり刷り師のF=L・シュミットの手によって、造本芸術史上に残る大傑作となった。この本でもジョルジュ・バルビエの挿絵を多数紹介しているけど・・・ええでぇ♪ネットでジョルジュ・バルビエの画像を探してみました。ジョルジュ・バルビエの画像より
2026.08.26
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『恋する文化人類学者』という本を、手にしたのです。副題が「結婚を通して異文化を理解する」となっているが、著者の鈴木さんは如何なる恋をしたのか?・・・興味深々である♪【恋する文化人類学者】鈴木裕之著、世界思想社、2015年刊<「BOOK」データベース>よりこれは恋の物語であり、異文化交流の物語である。アフリカで、著者は彼の地の女性アイドル歌手と恋に落ちた。結婚式は、8日間にわたる壮麗なものだった。激しい異文化の渦に巻き込まれた著者が、自らを素材に語る体験的入門書。ラヴ・ロマンス風文化人類学入門。<読む前の大使寸評>副題が「結婚を通して異文化を理解する」となっているが、著者の鈴木さんは如何なる恋をしたのか?・・・興味深々である♪rakuten恋する文化人類学者「第6章 結婚式」で著者の派手婚を見てみましょう。p148~150<1 長ーい結婚式>■1—1 派手婚のはじまり 地味婚、派手婚、パーティー婚・・・結婚式にもいろいろあるが、私が望んだのは地味婚であった。それには理由がある。 当時、私はアビジャンのストリート文化の調査をしていたのだが、ひとつ不安に思うことがあった。ストリート・ボーイにもさまざまなタイプがある。いきなり現れて自分たちの生活について根ほり葉ほり質問してくる私を、極東からわざわざ来てくれた友人として迎え入れてくれる者もいれば、正体不明の怪しげなアジア人としてこころよく思わない者もいる。 もし後者のタイプのストリート・ボーイが私の結婚のことを知ったら、「いっちょ、邪魔してやろうか」などという邪悪な考えにとりつかれ、結婚式を妨害したり、あるいは花嫁の親族に危害を加えかねないのではないか。そのことをニャマの父親に相談したところ、たしかにそのとおりだ、ということで、親しい親族だけに声をかけ、できるだけ地味婚にしよう、という話に落ちついた。だが、私は大切なことを忘れていた。そう、アフリカ人の人々はおしゃべりなのだ。とりわけグリオは。 それから数日後、アビジャンの街を闊歩していると、ある新聞の一面が私の目に飛びこんできた。アビジャンでは通りに面したキオスクなどで新聞が売られることが多い。その際、日本の駅の売店に並ぶスポーツ新聞のように各紙の一面を目立つ目立つようにずらりと並べる。通行人は一面の大見出しや写真を見て、読みたい新聞を買っていくのだ。 それらのなかの一紙にニャマのグループ<レ・ゴー>の写真が載っていた。「またコンサートでもあるのかな」と思いつつ見出しを拾い読みした私の顔から血の気が引いてゆく。なんとそこに書かれていたのは、「ニャマが日本人と結婚 その名はスズキ」というものであった。 つまりはこういうことである。花嫁の側が親族会議を開き、結婚の申し込みから受諾までの経緯と結婚式の日取りが伝えられた。各人はその日に向けて準備を開始するのだ。親族会議の最後に地味婚についての説明があったのだが、もうかれらの気持ちは結婚式に飛んでいってしまっている。 あのアイドル歌手のニャマが、結婚、しかも国際結婚なんだって。各人が自宅に戻って家族に、隣近所に、友人知人に吹聴する。それを聞いた者が同じことを繰り返す。三日もすれば、もうアビジャン中のジュラ社会の隅々にまで話がゆきわたる。当然そのなかにはジャーナリストもいるだろう。彼らがこんな特ダネを放っておくはずがない。かくしてわれわれの結婚に関する第一報が報じられ、私の地味婚作戦は見事に失敗。ここに派手婚の膜が開かれたのである。■1—2 八日間のセレモニー 前章で述べたように、私の結婚式は8月19日の月曜日から8月26日の月曜日まで、なんと八日間もかけてとりおこなわれた。本章では、この長い結婚式のプロセスを紹介し、それを人類学的に解釈してみようと思う。祖のまえに、結婚式会場について説明しておこう。 会場の中心となるのは花嫁の実家とその前の道路。結婚式のあいだ道路は通行止めとなり、即席の屋外結婚式会場となる。ここで太鼓にあわせて出席者が踊り、グリオの歌声が響きわたる。家の中庭では女たちが炊きだしに精をだし、主だった出席者や遠路はるばるやってきた親族などに食事が振る舞われる。そして家のなかでは花嫁を中心とした儀礼がとりおこなわれる。 ここで一つ、結婚式会場に関する驚くべき決まりを紹介しておこう。それは、花婿はけっして会場に近づいてはいけない、というものである。万が一、隠れて近づいたのがみつかたりしたら、罰金ものだという。主役の片方が排除されるとは、いかなる結婚式なのだろう。『恋する文化人類学者』3:結婚にいたる道『恋する文化人類学者』2:いかにして文化人類学者になるか『恋する文化人類学者』1:恋人の素性
2026.08.25
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『タンジール・海のざわめき』という本を、手にしたのです。モロッコのタンジールという町にカスバがあるわけで・・・大使にとって、とてもエキゾティックに響くわけです。ジブラルタル海峡に面した町であるが、砂漠が感じられるのがまた、ええでぇ♪【タンジール・海のざわめき】ダニエル ロンドー著、河出書房新社、1993年刊<「BOOK」データベース>より地の果ての夢の町、タンジール紀行。ボウルズ、バロウズ、ジュネ、ケルアック、ギンズバーグ、カポーティ、そしてドラクロワ、マティスなど、欧米の数多くの芸術家たちを魅了したモロッコの港町タンジール。この「生者たちの国」の魅力を、人々の簡素な暮らしぶりと美しい自然の描写のなかに描く。<読む前の大使寸評>モロッコのタンジールという町にカスバがあるわけで・・・大使にとって、とてもエキゾティックに響くわけです。ジブラルタル海峡に面した町であるが、砂漠が感じられるのがまた、ええでぇ♪amazonタンジール・海のざわめきモロッコのラクダボウルズやこの本の著者ロンドーの魅力について「訳者あとがき」を、見てみましょう。p203~205<「訳者あとがき」> ボウルズが「生者たちの国」と呼んだアフリカの港町タンジールは、18世紀中葉に完全にアラブの支配下に入って以来、もっとも近いオリエントとして西欧の人びとを魅了してきた。 ヨーロッパ社会のモラルを逃れ、エキゾティズムを求めてやってきた作家や貴族、大富豪たち。「一度人を見失ったら二度と見つけられない」強烈な光線、それに引きつけられてきたのは画家ばかりではない。ロンドンの有名な探偵社ピンカートンは尾行訓練のために新人をタンジールに送りこんだ。地中海の入り口というタンジールの地の利のよさは海賊と密貿易人を呼び集め、国際管理地帯の存在がスパイに活躍の場を与えた。そこはまたいかがわしい金融取引の舞台ともなった。 画家たちはタンジールを絵画にし、作家たちはタンジールを背景に小説を書き、旅行記を残した。タンジールに関する著作は数限りなくある。 そんな多くのタンジール本のなかで本書に際立つ特徴は、見方によっては西欧中心主義、あるいは新植民地主義とも取られかねない視点を完全に脱し、なおかつ第三世界への甘ったるい思い入れにも流されていない点である。タンジールに移り住んだ欧米の文化人や富豪のエピソードは、彼らが多かれ少なかれ自分の文明によって傷つき、そこからはみ出した人たちであるだけに、確かに興味深いし、考えさせられるところも多い。 しかしそれはまた、彼らの奇矯な振る舞いに関心を集中させることにもなり、歓楽と悪徳の都タンジールという過去のイメージばかりが強調される。ロンドーは、こういった人びとについては最小限の言葉で語るに留め、現在へと眼を転じて、市井のごく普通の人びとを登場させる。「ここは百の歌、二百の歌がある」という郵便配達員、荒れ果てたヨーロッパ人墓地の管理人、笛の音で客をもてなすジャジューカの楽士・・・・彼らの簡素な暮らしぶりと自然の描写のなかに、「生者たちの国」の魅力が生き生きと浮かびあがる。 本書はまたフランス人好みの理屈が出てこず、長々と薀蓄を傾けるところもないという点で、まったくフランス的ではない紀行文である。この二百ページあまりの中で、ロンドーは自分の感情をあからさまに示すことが一度もない。有名無名の人びとの小さなエピソードの積み重ねと美しい風景描写だけで「ドリーム・シティ」タンジールの夢の雰囲気をみごとに創りあげているところに、本書独特の味わいがあり、ロンドーという書き手の非凡さがある。ウン この本はフランス人の書いた本にしては読みやすかったが・・・訳者がいうようにフランス的でないからであり、それは著者がジャーナリストだったからなんでしょうね。『タンジール・海のざわめき』2:タンジールの歴史『タンジール・海のざわめき』1:ナザレびとモラン
2026.08.23
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『タイワニーズ』という本を、手にしたのです。温又柔、余貴美子、陳舜臣、蓮舫など、この本が取り上げている在日台湾人がええわけです。【タイワニーズ】野嶋剛著、小学館、2018年刊<「BOOK」データベース>より日本は台湾を二度も捨てた。それでも彼らがいたから、強く、深くつながり続けた。在日台湾人のファミリーヒストリー。<読む前の大使寸評>温又柔、余貴美子、陳舜臣、蓮舫など、この本が取り上げている在日台湾人がええわけです。rakutenタイワニーズ陳舜臣は以前から気になる作家であったが、第5章でその足跡(つづき)を、見てみましょう。p242~245<二つの祖国> ジャーナリズムの人物考察においては生い立ちをたどっていくのがセオリーであるが、陳舜臣には、自らの過去や内面に関する内容が含まれる著書は少ない。 参考となるのは2003年に発売された単行本『道半ば』と、日経新聞で2004年6月に連載された「私の履歴書」である。ただ、いずれも前半生を語ったのみで、作家として大成してからのことは含まれていない。 この二つの文献資料に加えて、陳舜臣の長男で、フォトグラファーとして活動している陳立人と、陳舜臣の姪にあたり、兵庫県立大学で華僑研究を手がけている前出の陳来幸に、それぞれインタビューを行って彼の人生を辿ろうと思う。 陳立人は、現在、神戸にある「陳舜臣アジア文藝館」を主宰している。インタビューも陳舜臣の主な作品の現物や遺品などを展示している同館で行った。 陳来幸には、同じ神戸の華僑歴史博物館で話を聞いた。彼女がこれまでに発表した陳舜臣と陳家に関わる貴重な文献資料も提供してもらった。 陳舜臣の一族はもともと中国・河南省〇川に源を発する一族で、福建省から台湾に渡った移民の家系だった。陳家は、台北郊外の新荘というところで小作をやっていた。 陳舜臣の父・陳通はこの陳家32代にあたる。 陳通は、台北に支店があった神戸の商社「西村商店」の職員として働いていた。事務能力の高さが買われて1919年に神戸に転勤した。陳通にとっては、高齢となった父・陳恭和や妻を連れての来日であるから、それなりに「落地生根(移り住んだ土地で根を張って生きていくという意味)」の覚悟をもった渡日だったと思われる。 のちに陳通が独立して立ち上げた会社は泰安公司という名前で、神戸の華僑としては最も古い老舗に属している。 陳通は、9男3女と子沢山だった。それが男の存在価値を証明する時代でもあった。長男は早逝し、陳舜臣は小説を志し、前述のように、泰安公司は陳来幸の父で四男の迎臣が継承した。 記録上、陳舜臣は神戸で1924年に生まれたとされるが、陳立人によれば「日本に行く船の中で生まれたかもしれないとおばあちゃんが言っていました」という。子供の多い家庭には、当時の時代情勢もあり、あやふやなことも多かった。「私の履歴書」で陳舜臣は〈私は1924年に日本の神戸で生まれた。生まれた時から私はマイノリティの道を選んだ〉と書いている。〈家で使うことばと外で使うことばが違うのはなぜか? おまえは台湾人だからだ。では台湾人とは何か?〉〈作家としての原点がそこにあると思う〉 この点に対する陳来幸の解釈はこうだ。「幼いころから家の『中』でしゃべる言葉が通じない『外』の世界、つまり『二つの世界』の存在を意識し、差別には敏感であったのでしょう」 鋭敏な感性を持つ子供は、得てして寡黙になる。陳舜臣も子供のころは口数も少なく、引っ込み思案だった。本人も「小さいときから体が弱く、運動するとすぐ骨を折ったりしてましてね、それで外に出るのが嫌いで、本を読むのが好きだった」と述べている。 神戸市立諏訪山尋常小学校に通った陳舜臣は教師から「日本語わかるね?」と尋ねられたこともあった。そのころに陳舜臣はすでに日本語のほうが台湾語より上手かった。 ただ父の陳通は、幼い陳舜臣に対して、中国の古典をひたすら声を出して読み上げる「素読」を命じている。つまり漢学の素養を身につけていた。のちに作家として中国語の原典にあたるうえでどれだけ有益だったかは想像に難くない。 戦前の神戸には、中国大陸系と台湾系が両方、日本社会の一部として混じわりながら暮らしていた。生まれた環境がすでに、台湾、中国、日本という複雑性に包まれていたのだ。複雑な環境での成長は、時に人の才能を刺激する。 複雑な社会のマイノリティである「台湾人」の真実を問いかける思いが、自分の作家人生の根っこにあることを、陳舜臣も明確に意識していたことがわかる。『タイワニーズ』2:陳舜臣『タイワニーズ』1:温又柔
2026.08.21
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************「ブレード・ランナー」や「スター・ウォーズ」なんかのSF映画が私のツボなので・・・『SF映画術 』という本を以下のとおり復刻して読み直してみましょう。*********************************************************図書館で『SF映画術』という本を、手にしたのです。副題が「ジェームズ・キャメロンと6人の巨匠が語るサイエンス・フィクション創作講座」となっていて興味深いのだが・・・創作講座というよりもSFが大好きな巨匠たちによるSF賛歌になったような本になっています。画像も多くてビジュアルなところもいけてます。【SF映画術】ジェームズ・キャメロン著、DU BOOKS、2020年刊<「BOOK」データベース>より映画『月世界旅行』(1902)からドラマシリーズ『ストレンジャー・シングス 未知の世界』まで。映画、小説、ドラマ、神話…各巨匠が自身のインスピレーション源を語り尽くす。知られざる「フォース」の正体とは!?ここでしか語られていない、驚愕の映画制作の舞台裏も。<読む前の大使寸評>副題が「ジェームズ・キャメロンと6人の巨匠が語るサイエンス・フィクション創作講座」となっていて興味深いのだが・・・創作講座というよりもSFが大好きな巨匠たちによるSF賛歌になったような本になっています。画像も多くてビジュアルなところもいけてます。rakutenSF映画術「LESSON5 美しきモンスター」でリドリー・スコットとジェームズ・キャメロンが「ブレード・ランナー」、「エイリアン」などについて語っているので、見てみましょう。p234~237<雨の中の涙のように> 広告業界で数多くのCMを制作していたリドリー・スコットは、映画監督に転向後、1979年のスペースホラー映画『エイリアン』でSFジャンルに大改革をもたらしたが、それ以前に撮った長編映画は、1977年の『ヂュエリスト/決闘者』のたった1作だった。 美大出身の画家的な視点を持つスコットは、宇宙船ノストロモ号の天井の低さや通路の狭さを、平面も角度も細部まで手を抜かずに表現したのだが、そこには、ある計算があった。悪夢のような捕食者が解き放たれ、何も知らない乗組員に忍び寄る前に、閉所恐怖症的な感覚をしっかりと観客の中に植えつけていたのだ。 エイリアンの成体ゼノモーフが黒い身体を怪しく光らせ、新たな獲物を求めてさまようとき、シガニー。ウィーバー演じるエレン・リプリーは勇気を奮い起こす。その危険な存在に対峙するため、そして生き延びるために。 スコットの次なる作品は、未来の捜査官リック・デカード役にハリソン・フォードを起用した1982年の『ブレードランナー』だったが、彼は再び、SF映画のスタンダードのレベルを引き上げてしまう。そのアイデアはあまりにも時代を先取りしていたため、『ブレード・ランナー』の精神はその後何年も経ってようやく評価されることになった。それでも、スコットはハリウッドを象徴する存在であり続けた。 彼は、驚くほど多才かつ多産なフィルムメーカーで、視覚芸術家としての素晴らしい才能を思い存分作品に注ぎ込み、誰も見たことないほど美しい銀幕の映像を創り上げていく。しばらくSFから離れていたスコットだったが、『プロメテウス』(2012)と『エイリアン:コヴェナント』(17)で、最近同ジャンルに戻ってきている。この2作は、彼が誕生させた『エイリアン』ワールドの前日譚。さらに、『オデッセイ』(15)は、火星に取り残された宇宙飛行士が生き延びる様を綴ったアンディ・ウィアーの小説「火星の人」(11)が原作で、アカデミー賞7部門にノミネートされた。 このインタビューで、スコットとジェームズ・キャメロンは、AIの危険性、映画史上最も偉大で息の長い人気を誇るモンスターであるエイリアン、『ブレードランナー』の最高に印象的なシーン(レプリカントのロイ・バッティが「雨の中の涙のように」と語るモノローグ)のメランコリックな美しさなどについて語り合う。■アッシュとレイチェル・・・理想的人造人間JC:私は年齢を重ねたら、あなたのようになりたいと思っているのです。今日も、その気持ちに変わりはない。あなたのように、エネルギーと映画に対するパッションを維持したい。あなたはひとつの作品が終わると、すぐに次の作品の撮影に入る。それが終わると、また次の作品・・・というように。そして、信じられないほど審美眼の持ち主だ。RS:結果として、たまたま、そういう道を歩んできただけだよ。私の人生プランは、プランがないことだからね(笑)。JC:今日ここに私たちが揃っているのは、ふたりともSFというジャンルが大好きだから。そして、私と同じく、あなたも子供の頃にありとあらゆるSF作品を観てきたはずだ。そもそもは、デザイナーとしてキャリアを始めたんでしたよね? 大学はロイヤル・カレッジでしたよね。RS:そう。ロンドンのロイヤル・カレッジ・アートでね。当時は娯楽といっても、我が家にテレビはなかった。1954年に初めて、イギリスの自宅にテレビが届いた。しかも、白黒テレビがね。だから、私は本をたくさん読んでいた。SF小説に夢中になったね。初めてのお気に入り作家は、H・G・ウェルズだった。宇宙ものには食指が動かなかったから、アイザック・アシモフに傾倒することはなかった。JC:アシモフは初期に、ロボット工学やロボット三原則に関する本を結構書いていた。あなたは『ブレードランナー』を作り、『エイリアン』シリーズでは第1作の他、『プロメテウス』と『エイリアン:コヴェナント』を監督した。それら全てに人造人間が登場するから、人造人間が出てくるあなたの監督作は4作品だ。RS:『ブレードランナー』のロイ・バッティはAIだが、大陸間弾道ミサイルだってAIだよ。あれがコンピュータで管理された爆弾だということを皆は忘れているようだけどな。コンピュータの美しさは、感情を持っていないということ。否定的な感情も肯定的な感情も、何も持っていない。『エイリアン』の1作目で、自責の念を持たないアンドロイドのアッシュが出てくるが、彼は、なかなか素晴らしいテーブルスピーチを行える、完璧なAIだ。自身の決断や選択を変えてしまうような感情的なものが全くない。JC:だが、あなたは『ブレードランナー』でレイチェルという感情を抱くAIを取り扱った。あれはラブストーリーだった(最後にはラブストーリーだとはっきりする)わけで、そう成立させるためには、彼女は感情を持っていなければならなかった。RS:レイチェルはパーフェクトなネクサス6型(レプリカントの最新モデル。安全装置として寿命は4年に設定されていた)だった。まあ、人間がそう呼んでいるわけだが。とにかく、エルトン・タイレル博士(タイレル社社長で、レプリカントを開発した科学者)が誇る最高傑作だった。彼女は白紙の自慢の種で、博士は、彼女がどこに行こうと誇らしげに見ている。JC:レイチェルは、“人間であることの意味”を常に学び、吸収し続けているという印象を受けました。彼女が人造人間だという結論を下すのに、デカードはすごく時間がかかっている。他の物ごとを決めるときの5倍の時間はかかっているんじゃないかな。だが現実の我々は、AIについての最も重要な問題をのらりくらりとかわしているような気がしてなりません。もし機械が人間に十分近づき、人間同様に複雑な思考をするようになったら、どの時点で、我々は彼らと人間の区別がつかなくなると思います?RS:AI開発を行う人間が本当に優秀であれば、絶対に機械に組み込まないもののひとつとして感情を選ぶはずだ。プログラムの方程式から、感情を除外する。感情は実に多くの様相を導く。愛情と同様に、欺瞞、憤怒、憎悪といったものまでもね。H・R・ギーガーが描くエイリアンについては『リドリー・スコットの世界3』がお奨めです。『SF映画術』3: 美しきモンスター 『SF映画術』2:錆び付いた「未来」『SF映画術』1:『スター・ウォーズ』という革命*********************************************************■2023.06.18
2026.08.18
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『三蔵法師が行くシルクロード』という本を手にしたが・・・・国名をドングリスタンとした大使は、この本が説くような西域に憧れるわけでおます。ちょっと、ジャンルは異なるが諸星大二郎が描いた西遊記の世界もええなぁ。【三蔵法師が行くシルクロード】菅谷文則著、新日本出版社、2013年刊<「BOOK」データベース>より「西遊記」の舞台をめぐるユニークな歴史発掘紀行。【目次】序 日本とシルクロード/1 玄奘三蔵(三蔵法師)とシルクロード/2 シルクロード探訪(東ローマの金貨/アフガニスタン/中央アジア/キルギス/シリア、イラク、イラン、ロシア/中原と匈奴/インド/ソグド移民/海の道)/3 シルクロード研究の今後<読む前の大使寸評>国名をドングリスタンとした大使は、この本が説くような西域に憧れるわけでおます。ちょっと、ジャンルは異なるが諸星大二郎が描いた西遊記の世界もええなぁ。rakuten三蔵法師が行くシルクロード西域記の日本への来着を見てみましょう。<死後も旅する玄奘三蔵>p18~20 1942(昭和17)年12月に日本軍が南京で玄奘の頂骨の納められた石棺を掘り出した。翌年2月23日に時の親日政権である汪兆銘・南京政府に引き渡され、その一部が2年後に日本側に分骨された。そしてさいたま市の慈恩寺に、玄奘の舎利塔として十三重石塔が建立され、丁重に祀られた。 玄奘が長安に帰着後に、太宗李世民の命により、インド・西域に関する書物を執筆し、646年7月13日に完成したものが、『大唐西域記12巻』である。玄奘が詳しく足跡を残した111国、伝聞した28国などに関する最新の状況を提供したものである。ちなみに『西遊記』はこれらを基に書かれた。 『大唐西域記12巻』が日本に伝来したのは、日本に戒律を伝えた鑑真(688~763年)が、754年に来着した時に持参した『玄奘法師西域記1本12巻』が最初であった。 玄奘の求法の経過と、その仏典の翻訳などの事蹟を記述した『大唐大慈恩寺三蔵法師伝10巻』があり、奈良の法隆寺、興福寺には古い写本が伝えられている。法隆寺には、法師などの足跡を知るための地図さえ残されている。 シルクロード地図、なかでも中央アジアの東部は、玄奘の足跡が色濃く残された地域である。私たち考古学徒は、そのルートを出土品や遺構からさぐり、玄奘がたどった以外のルートをもさがすことを目的に、中国から中央アジアを研究調査している。そのシルクロードから日本に伝えられたさまざまな文物をひもときながら、絹の道がもたらした文化を考えてみたい。玄奘さんの功績の一端を見てみましょう。<シャカの教えを広めた人々>p28~30 入竺、つまりインドの仏蹟に向かう僧の目的は、玄奘までの多くの僧は、経典の将来であったようである。もちろん、天竺や西域の経典は漢文ではなく梵語(サンスクリット)や、その他の多くの言語で書かれていたので、いわゆる語学の修得も大きい目的であった。 中国の仏教に関するテキスト、つまり経典は、先に記したクラマンジュー・鳩摩羅什などが翻訳した35部300余巻の旧訳経典に、玄奘が翻訳した74部1335巻の新訳がある。その違いの一例を記しておくと、観世音菩薩が旧訳で、観自在菩薩が新訳である。このためよく知られている般若心経の冒頭の経文は、『南無観自在菩薩・・・』である。ただし、観世音菩薩、略して観音は世に広く知られていたので、それが習慣的に用いられ、現在に至っている。(中略) 玄奘が伊吾(現在の新疆ウイグル自治区ハミ市)に至った日に、伊吾の仏寺に泊めてもらった。すると寺には漢人の僧が三人もいて、そのうちの老僧は、唐僧が来寺したことを知って、僧衣に帯も結ばず、裸足で飛び出してきて、玄奘に抱きついて、この年になって、再び漢人に会えるとは夢にも思わなかったといい、号泣した。 この伊吾は、のちに唐領となるが、この時は、高昌国と関係が深い胡国の国であった。 玄奘が伊吾に到着したのは628年と推定されている。唐朝の成立は、618年であるので、この老僧は隋か、あるいはその前の北周に中国から西に向かった僧であった。隋と唐は異境への旅を厳禁していたが、北周はかなりゆるやかであった。著者の菅谷さんが、白馬寺を訪ねています。<明帝の感夢と仏教伝説>p158~159 中国大陸の北部では儒の思想が孔子により誕生し、のちの宗教として儒教となる。一方、中部から南部では神仙説などが各地に種々のかたちで生まれ、のち道教となっていく。 現在の日本や韓国の仏教は、ともに漢文に翻訳された経典を用いているが、本来は北インドからネパールにおいて説法していたシャカの教えである。仏教がパミール高原を越え、あるいはヒマラヤ山脈やヒンズークシ山脈を越えて中国に、いつ、どのように入ってきたかは定説がない。 仏教の中国初伝について正史の記述は『後漢書』である。ただし、後漢書の編述は南北朝の宋(420~479年)の歴史家ハンヨウであるので、それ以前のさまざまな伝承が混在している。『後漢書』の記述は、後漢・明帝の感夢求法説といわれている。この記述と白馬寺伝説が結びつく。 「明帝が夢の中で神人が身体から光を放ち宮殿の前に飛来してくるのを見た。帝は大いに喜び、翌日群臣に、この神は何であるかと問うた」と『後漢書』にある。続いて明帝は使者を大月氏国に遣わして『42章経』を写させたという。そして宮外に寺を建て、洛陽城の城門の上に仏像を安置した。こうして国豊かに民はやすらかとなり、夷人も中国(後漢)を慕ったとある。最後は、儒の教えの帝徳を美化する場合の常套表現である。 白馬寺は、この時に建てられたという。白馬寺伝説では、42章経と仏の画像を白馬に載せて帰ったという。そこで寺を建て白馬寺といった。 仏教の確実な中国での始まりは、文献研究を中心とした研究法、磨崖に彫られた彫像の研究、石窟の壁画や題記からの研究、経典の漢文への翻訳史からの研究など、多方面で論じられているが、最終結論には至っていない。 実は、仏教を始めたブッダは、歴史上に存在したガウタマ・シッダールタの称号である。漢訳では釈迦牟尼と表現され、シャカといいならわされている。シャカは著述を残しておらず、弟子や信者の質問に答え、大衆のために説法をした。その亡くなったすぐあとから、その説法がまとめられ、現在の経典に受け継がれていく。 私が初めて白馬寺を訪れたのは1980年2月の寒い日で、ロウ海鉄道の白馬寺駅で下車して、寒々とした道をたどった。現在では参詣者のための食堂や土産店が軒を並べ、寺内にも香煙がたえることがない。 白馬寺の大門の左右には、赤く塗られた焼成レンガのセン積みのハの字に開く高い壁がある。よく見ると、すべて後漢の画像碑である。70年代の文化大革命期に古代書が破壊されて大量に出た墓セン(レンガ)の再利用であった。西遊妖猿伝西域編公式サイトより
2026.08.18
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************<『キトラ・ボックス』>図書館に予約していた『キトラ・ボックス』という本を、待つこと3ヶ月ほどでゲットしたのです。新疆ウイグル自治区とキトラ古墳天文図とが、どう繋がるのか興味深いのである。【キトラ・ボックス】池澤夏樹著、KADOKAWA、2017年刊<「BOOK」データベース>より奈良天川村ートルファンー瀬戸内海大三島。それぞれの土地で見つかった禽獣葡萄鏡が同じ鋳型で造られたと推理した藤波三次郎は、国立民俗学博物館研究員の可敦に協力を求める。新疆ウイグル自治区から赴任した彼女は、天川村の神社の銅剣に象嵌された北斗が、キトラ古墳天文図と同じであると見抜いた。なぜウイグルと西日本に同じ鏡があるのか。剣はキトラ古墳からなんらかの形で持ち出されたものなのか。<読む前の大使寸評>新疆ウイグル自治区とキトラ古墳天文図とが、どう繋がるのか興味深いのである。<図書館予約:(4/19予約、7/05受取)>rakutenキトラ・ボックスキトラ古墳天文図この本の語り口を、ちょっとだけ見てみましょう。p19~20 讃岐大学文理学部の藤波三次郎准教授は院生を相手の「考古学演習2」の授業を終えて自分の研究室に向かった。 テーマは2年前に瀬戸内海のいくつかの島で行った高地性集落の発掘調査で出た遺物の分析と同定だった。 瀬戸内から畿内にかけて、定住には適さない標高2百メートル前後の高地に弥生時代中期の居住の跡が見つかっている。軍事的な目的と言われるがそのわりには長期の滞在が可能なように設備が調っている。時には槍が刺さったままの兵士の死体などという生々しいものが出てくる。 しかし藤波准教授が学生と分類しているのは兵庫県家島諸島男鹿島の遺跡の出土品で、もっぱら土器の破片という平和的な性格のものだった。残念ながら大発見の見込みは薄い。 自分の部屋に戻る途中、藤波准教授はエレベーター・ホールで社会学の宮本美汐にばったり出会った。研究室は同じ建物の3階と4階だからすれ違うのは珍しいことではない。 「三ちゃん、元気?」と美汐は気安く声を掛けた。 「ちょっと、それは軽すぎないかい、宮本先生」 「そうか。たしかに学内で三ちゃんはまずいか。では、その後いかがお過ごしですか、藤波先生?」 「それもわざとらしい」 この二人、しばらく前には恋仲だった。男の方が他に気を移して仲は壊れ、しかも彼は新しい相手にさっさと捨てられたのだが、だからと言って美汐との仲を回復させてもらえる筈がない。顔を合わせるたびにからかわれるのが関の山。それでも三次朗の私生活でもなく、彼の研究にまつわる話。なにしろ美汐は好奇心が強くてどんな話題にでも首を突っ込んでくる。専門は社会学で最近は「人間の安全保障」という分野に力を注いでいるらしいが、それが社会学とどう繋がっているのか三次朗には皆目わからない。いずれにしても美汐の社会学はずいぶん広い範囲の好奇心に駆動されるもののようだ。 「男鹿島の遺跡から・・・」 「その話はこのまえ聞いたよ。その後ですごい展開があった?」 「いや、そういうわけでもないが」 正直に言うと三次朗は美汐が苦手だ。元気がありすぎて、気が強くて、相手をしていても追いたてられるような気がする。ところで、この本を読んでいてわかったのだが・・・この本は『アトミック・ボックス』の続篇になっているのです。アトミック・ボックスより<原発と原爆の違い:永江朗> サラリーマンを辞めて漁師になった父が、臨終にあたって娘に託したのは国家機密だった……。 池澤夏樹の『アトミック・ボックス』は、機密ファイルを持った娘が公安警察に追われながら、父の秘密と謎を解いていくという冒険小説である。 スピード感あふれる展開が気持ちいい。読んでいるうちにヒロインの美汐とともに自分も駆けたり泳いだりしている気分になる。 追われる者と追う者という古典的な枠組みのなかで、扱われていることは今日的かつ壮大だ。 美汐の父は大学で数学を専攻し、コンピューターの専門家になった。メーカーで設計の仕事をしていたが、上司からの命令である極秘プロジェクトに参加する。それは国産の原爆をつくるシミュレーションだった。ところがプロジェクトは突然中止、チームも解散する。前後して父は自分が胎内にいるとき広島の原爆で被爆していることを知る。被爆者である自分が新たな原爆をつくろうとしていたという事実にショックを受けた父は、故郷に戻って漁師になっていた。やがて福島で原発事故が起き、父は癌になった。そして、原爆開発計画の証拠ファイルを、娘に託す決意をする。 登場人物たちの口を通じて語られる、核に関する情報や見解が、「考えろ」とぼくたち読者の背中を押す。「ずっと運転しつづける発電所に比べたら、出番を待って眠ったままの爆弾の方が作る方が気が楽さ」と極秘計画のスタッフがいう。核の連鎖反応をずっと続ける原発の方がコントロールが難しいのだ。 アメリカのスリーマイル島原発事故が1979年、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故が86年、そして東電福島第一原発事故が3年前。大きな事故だけでも、すでにこんなに起きている。「安全が確認されたものから再稼働」という言葉がいかに無意味であるか、ちょっと考えただけでもわかる。それなのに……。 ◇『アトミック・ボックス』池澤夏樹著、毎日新聞社、2014年刊<「BOOK」データベースより>28年前の父の罪を負って娘は逃げる、逃げる…「核」をめぐる究極のポリティカル・サスペンス!<大使寸評>池澤夏樹が、これほど面白く読める活劇をものにするとは、意外でした。ほぼ同時期に読んだ「コラプティオ」、「やっちゃれ、やっちゃれ!」と比べてみると、この本がいちばん面白く読めたのです。この3作品の優劣を比較するのはどうかとも思うが(笑)、ストリーテラーとしては池澤夏樹が優れているということでしょうね。rakutenアトミック・ボックスこの本も池澤夏樹の世界に収めておきます。
2026.08.13
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.rtfデータには往生こいているので、図像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、図像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『明治の世相:ビゴー素描コレクション2』という大形本を手にしたのです。パラパラとめくると、日本人にとって辛辣なイラストに見えるが・・・どことなくユーモラスで優しいところもあるのです。【明治の世相:ビゴー素描コレクション2】ジョルジュ・ビゴ-, 芳賀徹著、岩波書店、1989年刊<「BOOK」データベース>より明治20年から23年まで、横浜居留地で刊行された『トバエ』は、当時の日本の世相を冷徹な眼力で描いたもので、その辛辣な政治諷刺は、ビゴーの諷刺画の最高傑作といわれている。『トバエ』を中心に220余点収録。<読む前の大使寸評>パラパラとめくると、日本人にとって辛辣なイラストに見えるが・・・どことなくユーモラスで優しいところもあるのです。rakuten明治の世相:ビゴー素描コレクション2p149~150<フランスから来た浮世絵師:芳賀徹> 『トバエ』を中心としたこの素描集を繰ってゆくと、ジョルジュ・ビゴーというのはまことに才気活発、あらゆる意味で「達者な男」だったことに、あらためて気がつき、感心する。 彼自身、『トバエ』では第一号の表紙にピエロ姿で登場するのをはじめ、ときどき思いがけないところに自分の顔を出している。他に水彩の自画像などもある。 それらを見ても、この絵師は日本人の生活と社会にぶしつけなほどの好奇心を向け、そのなにげない細部にまで鋭敏な眼を走らせ、日本人との少々のトラブルなどは持ち前の陽気さとフランス人としての優越感によってまたたくまに乗りこえてしまったにちがいないと思われる。少なくても画中に見えるところではそんな風な男だ。 18年の日本滞在中、後半になるとさすがに少し太ったようではあるが、それでも背は高くて高すぎず、顔は面長で眉は濃く、黒っぽい眼は丸く大きくれ、よく動きよく笑う。長くて高い鼻の下には濃い口ひげを生やしたり、剃ったりしている。艶のいい頬やもみあげのあたりからはいつもオー・ド・コローニュのいい匂いなどさせていたのではなかろうか。そんな風にも思われるほど、こざっぱりとして、身奇麗だ。(中略) 明治15年(1882)4月、来日して3ヶ月目に横浜で撮ったという侍姿の写真も残っているが、なかなかハンサムな優男に写っている。これではビゴーの身辺にさまざまな日本女性が出入りしたというのも、もっともだと思われる。作品から推しても彼自身かなりの色好みだったと思われるが、女のほうから眺めてもちょっと惚れたくなるような洒落者だったのだろう。 口にくわえている曲がったパイプをちょっとはずすと、たちまち軽快な早口のフランス語が飛び出し、それに片言の面白おかしい日本語や、ときに英語も混じったのにちがいない。男の眼は愉快そうにまた皮肉っぽく、いきいきと輝きながら・・・・。 このようなパリ生まれのパリっ児の才人が、1870年代の後半、ジャポニスムがいよいよさかんになるパリで、フェリックス・ビュオやエドモン・ド・ゴンクール、フェリックス・レガメなどと知り合いになり、日本に憧れてついに明治15年(1882)1月末、22歳の若さで横浜にやって来たのである。 そしてそれから明治32年(1899)6月、39歳で帰国するまで、前に記したように実に18年の間を日本で暮らした。 いわゆる文明開化時代の終りの頃から、自由民権と鹿鳴館の時代、そして憲法発布と日清戦争、またなによりも条約改正へと、内にも外へも揺れ動き、急速に変転する明治半ばから後半の日本列島の情景を、あのよく動く眼で上から下から、表から裏から、外国人の治外法権の特権を生かしながらも大概は斜めから、ほとんど絶え間もなく観察し、記録し、風刺をこめて描いていったのである。ビゴーのこの漫画集、石版素描集が面白くないはずがない。 ビゴーの作品は、『トバエ』などの石版画のみならず、その水彩や油彩の作品も含めて、まだまともにフランス美術史のなかに位置づけられてはおらず、フランス・ジャポニスム運動の一環に名をとどめるにすぎないという。それは無理もないことである。 ビゴーは才気ある絵師にはちがいなかったが、同時代のマネヤモネやルノワールやゴーガンとならぶような第一流の独創の天才ではもちろんなかった。第二流でさえなかったろう。しかし、この異国における風刺の絵師をそのように同時代母国の画壇にすぐさまひきもどして格付けをしてみようというのは、たとえば徳川美術史の上で淋派や南画派と浮世絵師とを直接にならべてどちらが偉いかと問うのにも似て、あるいはそれ以上に、ジャンル、技法、また職分の別を故意に無視してしまうことになりかねない。 ジョルジュ・ビゴーにはジョルジュ・ビゴーの、19世紀後半の東西美術・文化交流史、また明治日本社会史の上における「分」、役割というものがあったのであって、彼はそれを十分に立派に果たした。おそらくはドーミエの風刺画の流れに北斎漫画の刺激が加わった画環境のなかから出てきて日本に渡来し、その資質と境遇とさまざまの偶然とから、明治日本の世態風俗を独自の見方で思うさまに描き批評するのが、その生涯の主要な仕事となってしまった画家。 彼はみずから「仏国の江戸っ子なりと自称」していたそうだが、まさにフランス生まれの浮世絵師、パリからやってきた明治の浮世絵師として、河鍋暁斉、チャールズ・ワーグマン、小林清親ら、日本における先輩・同僚の向こうを張ることとなったのであった。私たちはそのような日本なりの評価を添えて、いつか彼をフランスの近代美術史、美術社会史の分野に一時帰国させてやればよいのであろう。■ビゴー漫画のプロンプター ところが、明治の世相風刺の絵師としても、ビゴーの独創性はどの程度であったか、どのあたりまでが彼自身のものといえるのか、一応は疑ってみる必用のある作も少なくない。 とくに『トバエ』を中心としたこの「明治の世相」の巻で、日本語の文章を長短さまざまに書き入れた政治風刺の作については、かならずや日本側の協力者がいたにちがいない。達筆で書かれたその文字はもちろん、ときに中国の故事や漢詩の数句を織りこんだりする文章も、日本人でかなり学のある者でなければ書けないものであることは確かである。さらには風刺の発想そのものも日本人協力者から来ているのではないかと思われる例もある。トバエの数枚を見てみましょう。
2026.08.12
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.rtfデータには往生こいているので、図像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、図像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『秘蔵写真200枚でたどるアジア・太平洋戦争』という本を、手にしたのです。終戦記念日が近づくと、メディアもこぞって戦争特集を掲げるので・・・私もあの戦争は何だったのかと思うわけです。【秘蔵写真200枚でたどるアジア・太平洋戦争】井上祐子著、みずき書林、2018年刊<「BOOK」データベース>より戦時下の日本とはどういう場だったのか。そして大東亜共栄圏のもとで各国の人びとはどのように暮らしていたのかー。陽の目を見ることなく眠っていた写真2万点のなかから200点を精選し、詳細な解説とともに紹介。陸軍参謀本部傘下の写真工房“東方社”の実像に迫るとともに、当時の日本・中国・東南アジア各国の変動していく社会をとらえる。<読む前の大使寸評>終戦記念日が近づくと、メディアもこぞって戦争特集を掲げるので・・・私もあの戦争は何だったのかと思うわけです。rakuten秘蔵写真200枚でたどるアジア・太平洋戦争「はじめに」で東方社とか宣伝誌『FRONT』が紹介されているので、見てみましょう。p6~8<東方社と「東方社コレクション」>■東方社とは 東方社とは、陸軍参謀本部傘下の特殊機関として、主に対外向けの写真宣伝物を制作していた団体である。同社は1941年春に設立されたが、設立のきっかけはその2年ほど前にさかのぼる。 当時陸軍は、張鼓峰やノモンハンにおいて、ソ連との紛争に敗北していた。そのため参謀本部第二部第五課(ロシア課)と第八課(情報・宣伝・謀略)では、ソ連への宣伝・謀略の強化によって日本の威信を回復することを考え、ソ連の国家宣伝のためのグラフ雑誌『USSR in Construction(ソ連邦の建設)』に対抗しうるような雑誌の制作を、後に東方社の初代理事長となる岡田桑三にもちかける。 岡田は映画俳優でもあったが、映画や演劇だけでなく、写真や写真宣伝物に対しても造詣が深く、当時、国際報道写真協会の同人であった。国際報道写真協会は、写真家木村伊兵衛、グラフィックデザイナー原弘、美術評論家伊奈信男らが運営していた中央工房に併設された対外写真配信機関であり、ここを拠点に彼らはソ連やドイツなど海外の雑誌や宣伝物に学びながら、写真宣伝物の研究を進め、実績も積んでいた。 東方社は、この中央工房・国際報道写真協会を軸に、評論家の林達夫、民族学者の岡正雄・岩村忍などが加わって設立された。(中略) 当初の運営資金は三井や三菱など財閥からの寄付に仰いだ。陸軍参謀本部の音頭取りで作られた東方社は、資材は陸軍から支給され、制作品もすべて陸軍が買上げるという陸軍と深く結び着いた団体であったが、あくまでも民間会社で、前述のように参謀本部の特殊機関という位置づけであった。気鋭の知識人やクリエーターたちが集まって、対外宣伝物という一種の“軍需品”を参謀本部の下で制作していた、特殊な民間写真工房だったといえば、少しわかりやすくなるだろうか。(中略) 1941年5月に作成された設立趣意書によれば、東方社は『東亜建設』という一冊一テーマの月刊グラフ雑誌の刊行を業務の中心に据えていた。同誌が予定していたテーマには、「産業戦士」、「高等専門教育」、「駐日留学生」、「働く日本女性」などがあり、「日本海軍」、「日本陸軍」もあったものの、必ずしも軍事宣伝を優先したものではなかった。しかし、世界情勢が変転する中で、その性質を変えざるを得なくなっていく。 つまり、40年9月に日独伊三国同盟が結ばれ、41年4月に日ソ中立条約が結ばれる一方で、同年6月に独ソ戦が始まり、日本政府・軍部は南進に舵を切り、対米英戦争が必至となった。そのためにソ連を主たる対象とした国家宣伝誌『東亜建設』は、中国や東南アジアを主たる対象とした軍事宣伝誌『FRONT』へと切り替えられることとなったのである。『秘蔵写真200枚でたどるアジア・太平洋戦争』2:占領初期の華北地方『秘蔵写真200枚でたどるアジア・太平洋戦争』1:占領初期のマラヤ・シンガポール
2026.08.10
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.rtfデータには往生こいているので、図像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、図像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『フランス語っぽい日々』という本を、手にしたのです。どこを開いても・・・夫の描くマンガの頁、妻の述べる説明の頁がセットになっていてわかり易くて興味深いのである♪【フランス語っぽい日々】じゃんぽ~る西×カリン西村著、白水社、2020年刊<「BOOK」データベース>より外国語を愛する、外国語に苦しむすべての人に。日仏夫婦が漫画とコラムでつづる、異文化・外国語学習・子育ての悲喜こもごも!<読む前の大使寸評>どこを開いても・・・夫の描くマンガの頁、妻の述べる説明の頁がセットになっていてわかり易くて興味深いのである♪rakutenフランス語っぽい日々カリンが新旧のシャンソンについて述べているので、見てみましょう。p78~79<35 シャンソンで Èn chanson> 外国語の学習法でつい忘れがちなものに「歌 chanson」がある・・・息子が日本語で童謡を歌っているのを聞くたびそう思います。それまでは知らなかったけれど、日本のちびっ子たちがみんな知っている節回しのおかげで自然と覚えることができた言葉が童謡にはたくさんあります。 息子は歌でアルファベットを覚え、フランス語で10まで数えることもできるようになりました。言語にはその言語固有のメロディーというものがあって、たとえ何も理解できないとしても、よく聞いてそのリズムやイントネーションを覚えることが肝要。子どもは見事にそれをやってのけます。 日本人にとって「シャンソンchanson」といえば特定のカテゴリーを思い起させます。それは、必須の作詞家や歌い手の名とともに刻まれた1940~80年代のフランスの流行歌。シャルル・トレネ、ジョルジュ・ブラッサンス、ジャック・ブレル、セルジュ・ゲンズブール、エディット・ピアフ、ジュリエット・グレコ、シルヴィ・バルタン、ジェーン・バーキン、フランソワーズ・アルディ・・・以下略。 日本にはフランス好きの小さなアマチュア歌手グループが数多くあり、みなこうしたアーティストたちのシャンソンを覚え、たがいに感染力の強い熱心さで分かち合っていることにいつも驚かされます。 想像してみてください。パリのあちこちで演歌のリサイタルを開く、何十ものフランス人集団があるでしょうか。 いっぽうで、これらアーティストの全盛期以降もフランスの歌謡曲はかなり進化しているのに、残念ながらバンジャマン・ビオレ、ドミニク・A、ブリジット、ケレン・アン、クリスティーヌ・アンド・ザ・クイーンズといった才能豊かな彼らの後継者たちは、日本ではほとんど知られていません。 バンジャマン・ビオレに「東京の椅子 Une shaise a Tokyou」という歌がありますが、最近のアーティストたちはまだまだ日本では人気の座を獲得できていません。ぜひ一度聞いてみてください。きっと耳に残るはずです。イヴ・モンタン、ジャック・ブレル、エディット・ピアフ、シルヴィ・バルタンなどをよく聞いたが・・・最近のシャンソン歌手はさっぱり知らないのです。1940~80年代以降のシャンソンについては聞く機会がなくなったのだが、メディアが取り上げないためか、フランコフォニーの意気消沈のためか?『フランス語っぽい日々』1:言葉とは思考の方法
2026.08.09
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早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?暦の上では立秋であるが実際は蒸し暑い盛夏であり、高校野球でも足をつる選手が頻発しているが・・・今年は各地で、40度超えの気温を記録する有り様で、まったく季節感が狂ってくるよなあ。『日本のならわしとしきたり』という蔵書に二十四節季の記事があることを思い出したのです。【日本のならわしとしきたり】ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は二十四節季でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon日本のならわしとしきたりこの本で、立秋のあたりを見てみましょう。和暦p20~21<立秋>過ぎてしまえば朱夏、また楽し秋立つ己 現行の暦(太陽暦)では、8月07日ころ「立秋」を迎える。この日から立冬(11月7日ころ)の前日までが「秋」の季節となる。立秋は1日だけでなく、次節気「処暑」の前日までを立秋としている地域もある。 しかし一般的には、立秋に入った日を「秋立つ日」とし、次節までは「立秋を迎え~」とか「立秋を過ぎて~」のような使い方をされている。 立秋を過ぎるころはまだまだ残暑が厳しく、体感的には「夏」の感じが濃厚だが、日一日と深まる朝晩の涼しさや空の高さに「秋の気配」を感じることがある。俳句では、立秋から立冬前日までの期間は秋の季語が用いられるが、秋に入ったばかりのころの微妙な気候を言い表した季語に「新涼」という言葉がある。 炎暑、猛暑の季節から小さな秋を見つけ、ホッとする風情がにじみ出ていて、言い得て妙な季語となっている。ちなみに『暦便覧』では「初めて秋の気立つがゆえなれば也」と説明している。 また「立秋」から、時候の挨拶は「秋」となり、「暑中見舞い」は「残暑見舞い」となる。さらに全国高等学校野球選手権大会も立秋のころが開幕となる。こうした定例行事や約束事が消化されつつ季節は移ろい、秋が深まっていくのである。 一方、旧暦で暮らした時代の人々に大きな影響を与えた概念に「陰陽五行思想」がある。中国の春秋時代の成立で、わが国には仏教、暦法などと共に5~6世紀に伝えられた。陰陽と五行の概念を合わせて、複雑な事象の解明が目指された思想である。「陰陽五行思想」によると、季節は春夏秋冬と中央の5つに分類され、内訳は、春は、「青・青龍・東」、夏は、「朱・朱雀・南」、秋は、「白・白虎・西」、冬は、「黒・玄武・北」、中央は、「黄・麒麟・真ん中」となっている。 神獣はいずれも想像上の動物で、朱雀は鳳凰に似た鳥、玄武は亀に蛇が巻き付いたもの、麒麟は市販のビールのラベルに同じ、青龍の絵は縁起物としてわが国でもふだんに見ることができる。わが国へのこの思想の影響は大きく、たとえば「会津の白虎隊」の名の出典にも影響があるようだ。 西欧の古典の理解には「聖書」の素養が必用なように、わが国の古典をひも解く場合や旧暦の理解に、知っておくと便利な概念ではある。 また七十二候には「涼風至(すずかぜ、いたる)」「寒蝉鳴(ひぐらし、なく)」「蒙霧升降(ふかき、きり、まとう)」がある。いずれも一読で風景がわかる候となっている。 ちなみに、蝉は夏の季語だが、蜩(ひぐらし)は秋の季語、また、霧は秋の季語である。霧と霞は良く似た事象だが、霞は春の季語となっている。「大暑」は、現行の暦では7月23日ころに初日を迎え、立秋(8月7日ころ)の前日までがその期間である。快晴が続くなか気温は上がり続ける。『暦便覧』では「暑気いたりつまりたるゆえんならばなり」と記されている。二十四節季の大暑に注目(復刻)*********************************************************■2022.08.07二十四節季の立秋に注目(復刻)https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202208070003/
2026.08.07
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*********************************************************図書館で『陽気なイエスタデイ』という本を、手にしたのです。国立国会図書館に勤めていた阿刀田さんは、図書館の権威とも言える存在でもある。・・・ということで図書館を活用するノウハウが見つかるかも♪【陽気なイエスタデイ】阿刀田高著、文藝春秋、2001年刊<「BOOK」データベース>よりオクラから聖骸布まで…作家の好奇心は尽きない。日々の出来事をちょっと変わった視点から見つめ、紡ぎだしたエッセイ集。そこには新しい発見がある。<読む前の大使寸評>国立国会図書館に勤めていた阿刀田さんは、図書館の権威とも言える存在でもある。・・・ということで図書館を活用するノウハウが見つかるかも♪amazon陽気なイエスタデイ阿刀田さんの「資料の利用法」を見てみましょう。ややアナログではあるが、情報活用のヒントが見つかるかも。p157~159<蔵書の整理・活用法> 資料の利用法について、私は二段階あると考えている。そう考えるほうが、結局便利なのだ。 第一のステップは、今、自分がやっている仕事について、どんな資料が役立つか、それを知ることである。たとえば、人間の死についてエッセイを書いていて、―えーと、臨終のときの言葉を集めた本があったな。そう、山田風太郎さんの「人間臨終図鑑」。二巻本で・・・。あれが役に立つぞ、きっと― と、過去の読書の記憶から必用なものを思い出すわけだ。 第二ステップは、それを自分の手元に持って来て、見られるような状態にすること。もちろんパソコンの画面に映るのでもかまわないけれど、普通のイメージで言えば、机の上にその本がそろうことである。山田風太郎著「人間臨終図鑑」の上下2冊が手もとに置かれることである。 自分の蔵書を充実させるということは、この二つのステップを、一つにまとめてしまうことなのだ。「あの本が役に立つはず」「はい、それがここにあります」という姿である。 これが便利であることは言うまでもないけれど、たくさんの資料を利用しなければならない立場では・・・まったくの話、現代では専門的に資料を利用するとなると、ほとんどの場合“たくさん”を想定しなければならないのだが、この便利が逆にあだになる。将来の便利のため、つね日頃からやたら資料を抱えておかなければうまく機能しない。 二段階に分けて・・・第1ステップをクリアーしただけでも、うれしいではないか。なにが役立つか、わかっただけでもすばらしいではないか、と考える。これがわかればしめたもの、有利なポジションに立ったと考えればよい。 そして、次にそれをどう手元に引き寄せるか。よい資料に気づいたことを喜びとしてから第2ステップを踏めばよい。この道を踏まず、第1ステップと第2ステップを一緒にしていたりすると、 -なんで、あの本がみつからないんだ、確か持っていたはずなのに- と、やたら苛立ってしまうのである。 具体的に記そう。 私はと言えば、たとえば雑誌を読んだときには目次を開き、読んだ記事に丸印、読んでおもしろいと感じた記事に二重丸をつける。そのあと、その目次を切り取り、本体は捨ててしまう。目次だけを雑誌のタイトルべつに綴じておく。そういうシステムを採用していた。 後日、なにかの折に、 -えーと、確かこれに関連すること、前に読んだな。「文芸春秋」の・・・5年くらい前の- と思い出して、目次の束をながめる。「文芸春秋」か「中央公論」、記憶がはっきりしないことはあるけれど、「図書館雑誌」だったか「プレイボーイ」だったか、とまちがえることはありえない。5年前か10年前か、これもごっちゃになることは、まあ、ない。目次の束を捜せば、簡単に見つかる。ここまでが第1ステップだ。 次に「文芸春秋」の平成3年5月号とわかったなら、それを図書館かどこかで借り出せばよい。すなわち第2ステップである。私の場合、近所の区立図書館の分館に訴えれば翌日の午後に入手できる。ウン この記事は参考になったでぇ♪ でもね、雑誌の目次を切り取って保管するというようなアナログ作業は、とても真似することは、出来へんで。ところで、阿刀田さん一押しのロアルド・ダール著『キス・キス』という短篇集を、当市の図書館に借出し予約しているので、近日中に紹介いたします♪『陽気なイエスタデイ』3:読書こそが青春の道しるべ『陽気なイエスタデイ』2:<女主人>:運命をかえた1冊『陽気なイエスタデイ』1:図書館と貸し本屋のちがい
2026.08.01
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恐竜と鳥類との進展の境目当たりが、私の目の付け所になるわけで・・・ということで、ネット情報や書籍から古代生物に触れた個所を以下の通り復刻して見ましょう♪******************************************************************図書館で『古生物たちのふしぎな世界』という新書を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると、とにかく、想像力を加味したカラー画像がええでぇ♪・・・ということで、ネット情報や書籍から古代生物を集めてみます。・(科学)魚類の化石に「指」の骨、前肢へ進化途中?(2020年)・古代生物のオオスナモグリか(2019年)・古生物たちのふしぎな世界(2018年刊)***********************************************************************(科学)魚類の化石に「指」の骨、前肢へ進化途中?より魚類の化石に「指」の骨、前肢へ進化途中? カナダ・ケベック州で10年前に発見された約3億8千万年前の魚類の化石の胸びれに、「指」にあたる骨が隠れているのが見つかった。魚類から陸で暮らす四肢動物への進化段階とされる化石はいくつか知られるが、前肢(手)の指に関わる骨がはっきり確認できたのは初めて。 化石は、四肢動物に近いとされるエルピストステゲ・ワトソニのもの。長さ1・57メートルのほぼ全身の化石から、カナダと豪州の研究チームが胸びれ部分をCT検査したところ、指にあたる2本の骨と、指の可能性がある3本が見つかった。 両生類や爬虫類につながる四肢動物が現れたのはデボン紀(約4億1900万~3億5900万年前)の後期。エルピストステゲはこれまで、最初期の四肢動物に最も近い魚類の一種と考えられてきたが、研究チームは指の発見により、エルピストステゲがこれらの魚類のなかでも最も四肢動物に近かったと位置付け、「魚類と四肢動物の境界をひくことさえ難しくなってきた」としている。 魚類化石に詳しい城西大大石化石ギャラリーの宮田真也学芸員は「外見上は胸びれだが、前肢へ変わる過程で指がつくられていたことがはっきりした。ただ、エルピストステゲそのものが四肢動物の祖先になったのかは、まだ分からない」と話した。(米山正寛)四肢動物に最も近い魚類ってか、なんかやや薄気味悪い生物である。***********************************************************************<古代生物のオオスナモグリか>『古生物たちのふしぎな世界』という本を読んで以来、古代生物が気になる大使であるが・・・絶滅の甲殻類 オオスナモグリが発見されたという、このたびの衝撃的なニュースには驚いたのです。2019/06/05“絶滅”の甲殻類 オオスナモグリか 干潟で発見より■スナモグリ 日本の海辺では主に3種類日本の海辺に生息するスナモグリの仲間は「二ホンスナモグリ」など主に3種類が知られています。いずれも干潟などに穴を掘ってその中に潜り込んで生活し、ハサミの部分は固いものの、ほかの部分は白っぽく柔らかい体をしています。一方「オオスナモグリ」は、50万年から8万年前の地層から化石として出土していて、現在生息しているスナモグリよりもハサミが大きいことなどからこの名前がつけられました。すでに絶滅したと考えられていましたが、おととしの1月、熊本県天草市の海底の堆積物から「500年から400年ほど前のハサミの殻が見つかった」と日本古生物学会で報告され、現代でも生きている可能性があると考える研究者もいました。今回「オオスナモグリ」の可能性が高いとみられている個体は、一般的な「二ホンスナモグリ」と比べるとひとまわり大きく、今後、生息域や生態の研究を進めていきたいとしています。千葉県立中央博物館の駒井智幸主任上席研究員は「スナモグリの仲間は深い巣穴を掘るため、特殊な機材を使い、潮がひいて海底が現れるような場所で捕獲することがある。オオスナモグリの場合はさらに深く、発見しづらい環境で暮らしていた可能性があるのではないか」と話しています。***********************************************************************【古生物たちのふしぎな世界】土屋健, 田中 源吾著、早川書房、2018年刊<「BOOK」データベース>より恐竜だけが古生物じゃない!前恐竜時代にもさまざまな古生物が生きていた。三葉虫が繁栄し、アノマロカリスがカンブリア紀の覇者となる。デボン紀にはアンモナイトの仲間がまっすぐのびた円錐形からしだいに丸くなり、ティクターリクが“腕立て伏せ”をはじめる。古生代最後のペルム紀には、イノストランケヴィアをはじめとする単弓類が覇権をにぎる!ダイナミックかつドラマチックな古生代の物語。100点に及ぶ精緻なカラーイラスト&化石写真で解説!<読む前の大使寸評>とにかく、想像力を加味したカラー画像がええでぇ♪rakuten古生物たちのふしぎな世界ティクターリク『古生物たちのふしぎな世界』3:脊椎動物の上陸作戦『古生物たちのふしぎな世界』2:脊椎動物の祖先『古生物たちのふしぎな世界』1:アロマリカリス
2026.07.31
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*********************************************************図書館で『ロシア・ナショナリズムの真相』という本を、手にしたのです。世界の大迷惑とも言えるロシア・ナショナリズムが述べられているので、チョイスした次第です。【ロシア・ナショナリズムの真相】植田樹著、彩流社、2019年刊<「BOOK」データベース>よりソ連崩壊後の混乱と怒りと屈辱感は、今から150年前のクリミア戦争の敗北から農奴解放、革命へと向かう一大転換期の時代と類似点が極めて多い。ドストエフスキーはこの時期、大作の執筆の傍ら、雑誌に連載した『作家の日記』の評論で、スラヴ派の論客として政治、社会評論家として精力的に活動したが、その主張や当時の対ヨーロッパについての屈折した視点や感情は、現代のロシアの行動を理解する上では不可欠である。プーチンに率いられる現代ロシアの強力なナショナリズム、大国意識の底にあるスラブ主義の本質に迫る。<読む前の大使寸評>世界の大迷惑とも言えるロシア・ナショナリズムが述べられているので、チョイスした次第です。rakutenロシア・ナショナリズムの真相「あとがき」で、ロシア人の本質が述べられているので見てみましょう。p301~303<あとがき> 歴史を鳥瞰すると、現代のロシアとドストエフスキーが生きた19世紀後半の帝政ロシアとは実線ではないが、幾つもの粗い点線でつながっているように見える。それを本書では試みに「ロシア・ナショナリズム」という一本の線でつないでみた。それは普段は目に触れることのないロシアの大地とロシア人の心の奥深くに時代を超えて脈々と流れている。 本文で記したように、同時代のロシアには「スラブ主義者」だけでなく「西方主義者」もいたし、 スラブ主義者の陣営にもドストエフスキーとは違う傾向の思想家も大勢いた。従って本書ではドストエフスキーだけでなく彼を囲んだ、それらの知識人の群像や肉声を通して ロシア・ナショナリズムの輪郭と本質をつかむことをめざした。 何事にも「変わるもの」と「変わらぬもの」があるのはロシアも同じである。例えば、現代のロシアの知識人や若者の関心は時代を反映して教会よりも社会思想、ソビエト時代には政治イデオロギーに向けられていた。しかし、昔も今もロシア人の心の中では西のカトリックやプロテスタントではなく、「東の正教」への帰属意識が決定的に強いことには変わりない。 皇帝はいなくなっても民衆が「強い国家指導者」に依存する体質も変わっていない。市民としての個々人の自由や権利よりも民族や国歌を重要視する「共同体」を志向する思想も根強い。 現代の中央アジアをめぐるロシアと中国の勢力圏争い、中東のシリア、トルコをめぐるロシアと欧米のNATOとの綱引きなどの構図は、19世紀のバルカン半島をめぐる「東方問題」と重なって見える。 クリミア半島やウクライナ、グルジア(ジョージア)問題などをめぐる欧米諸国によるロシアに対する不信感や制裁も、 19世紀のバルカン半島やコンスタンチノープルをめぐる西ヨーロッパ列強諸国との緊張関係と対比できるだろう。時代は違っても「ロシアとヨーロッパの間の距離感」は本質的に縮まっていない。「歴史の縦の時間軸と地政学の横軸に ロシア・ナショナリズムが絡み合う三次元の立体的構図」の中で現代の変貌する様々な事象が生起している。 とは言え、現代のロシアの政治も外交も、帝政ロシアの19世紀のそれとは同じでないことは言うまでもない。国家体制は違っているし、歴史体験や文明の進化によって生じた人々の意識の変化、内外の環境も諸条件も全く違う。歴史は繰り返されることはない。ソビエト体制は多くの弊害をもたらしたが、科学技術や産業を飛躍的に発展させた。そして今ではロシア人としての自覚も自信も一層深まっている。 しかし、現在、未来の事象が過去と断絶して全く無関係に起こることも稀である。 変わるものと変わらないものが絡みあって螺旋状に動いている。(中略) 国家や民族も現在を生きるにあたって過去を全くは無視できない。現代のロシア人の考え方や政策の深層にも、そうした意味での「ナショナリズム」の因果律を読みとることが出来るだろう。 本書の上梓にあたっては 彩流社の社長、竹内淳夫氏に重ねて多大のご尽力とご支援を賜りました。末尾ながら、ここに心からの御礼と感謝を申し上げます。 2019年2月『ロシアナショナリズムの真相』1:ロシアナショナリズム『ロシアナショナリズムの真相』2:ロシアナショナリズムの本質
2026.07.29
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*********************************************************著名な絵本作家といえば、私の場合ショーン・タンが筆頭になるわけで・・・『ショーン・タンの世界』という本を復刻して読み直そうと思ったのです。油彩画や彫刻まで手掛けているようだが、モノクロの線描画が一押しでおます♪*********************************************************図書館で『ショーン・タンの世界』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、油彩画や彫刻まで載っていてショーン・タンのすべてが見られるわけで・・・ええでぇ♪【ショーン・タンの世界】ショーン・タン著、求龍堂、2019年刊<出版社>よりオーストラリアの作家ショーン・タン(1974年~)は、1999年に刊行した初めての絵本『ロスト・シング』を元に、2010年に短編アニメーション映画を発表し、同年の第83回アカデミー賞の短編アニメ賞を受賞しました。2006年に発表した文字なし絵本『アライバル』は大きな反響を呼び、各国で刊行されています。本書は、2019年5月に開催される日本初の展覧会『ショーン・タンの世界 どこでもないどこかへ』展の図録兼書籍として刊行。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、油彩画や彫刻まで載っていてショーン・タンのすべてが見られるわけで・・・ええでぇ♪rakutenショーン・タンの世界『ロスト・シング』原島恵さん(ちひろ美術館主任学芸員)の解説を、見てみましょう。p178~179<ショーン・タンのまだ語られていない物語をもとめて:原島恵> 2019年1月、私はショーン・タンに会いにメルボルンへ行った。案内されたアトリエは、コロニアル風の建物が建ち並ぶ静かな住宅街の一角にあった。うっそうとした緑に囲まれた小さな平屋建ての家は、100年以上前にたてられたものだという。終始穏やかな彼は、幼い子供たちの世話のために度々中座しては、私たちの要求や質問に根気よく応えてくれた。 笑うと少年のような表情になるこの作家の内側に、創作への妥協のない情熱が持続していることがはっきりと感じられた。そして常に公正に意見を受け止め、面白いことを共有しようとする態度は、彼の作品から感じられるものと同じだった。(中略) 彼が初めて原稿料を手にしたのは1990年16歳のとき、SF雑誌の表紙絵である。公表されていない作品であれば、さらに時を遡る。幼いことからアニメーションやSF映画に親しんでいたタンは、11歳のときに絵入りのSF長編物語を自作している。大学では美術と英文学を学ぶ傍ら、SF雑誌にイラストレーションを描き、同人誌に短編小説も発表している。 タンにとって、物語をつくることと、それを視覚的にとらえることは、当初から分かちがたき結びついているのだろう。その後、ヤングアダルト向けのホラー小説シリーズに絵を描き、本格的にイラストレーターとしてデヴューする。 彼が初めて取り組んだ絵本は、ゲアリー・クルーと組んだ『ヴューワー』(1998年)だ。物語は、少年がゴミ捨て場で見つけたのぞき眼鏡のような道具を通して、戦争や災害の歴史を目の当たりにするという内容である。(中略) 絵を中心に場面が展開し、文章も画面のなかの視覚的効果を考えて配置している。翌年、ふたりは、第一次世界大戦に従軍したオーストラリアの男を描いた絵本『思い出』で再び共同する。男の人生に沿って、1本の樹の変遷が見開きページで挿入され、過去の出来事を表す場面では、ひとつの場面にいくつかのコマを配置して、そこに写真を元にシタモノクロームの絵を描いている。コマや写真を使い、時空間を移動する表現は後の『アライバル』へつながっていく。(中略) タンが初めて絵と文を共に手がけた絵本は『ロスト・シング』(2000年)だ。彼は、絵とことば、それぞれが語るものと欠落部分を読者に意識させるように場面を構成している。 文で「そいつ」または「迷子」と呼ばれる生き物は、絵では、異形の生き物として描かれている。「迷子」には顔がないため、煙突のような部分から吐き出される煙や、ストーブのような体から出ている触手から感情を推測するしかない。 背景には、威圧的な建物や規格品のような家や電車に乗る無表情な人々が描かれ、そこは管理主義的な社会であることが読み取れる。絵本そのものに貼られた「国家書籍管理局」による検閲済みのラベルがその推測7を確かなものにする。「迷子」はこの社会からはみだした存在だ。語り手である少年は紆余曲折の末、「迷子」に適していそうな場所を見つけるが、「この話の教訓はなにかなんて、聞かないでほしい。」と書かれている通り、結末をどうとらえるかは私たちに委ねられている。 物語の筋立てとことばは単純だが、絵にはいくつもの視覚的要素が織り交ぜられ、多くのことW語りかけてくる。例えば、表紙はオーストラリアの画家、ジェフリー・スマートの絵を下敷きにしている。他にも、エドワード・ホッパーやヒエロニスム・ボスの絵、物理の教科書、1930年代の機械、メルボルンのトラム、チャールズ・シーラーの写真など多岐にわたる。視覚的要素が参照や引用されている。 だが、「迷子」は何者で、どこに帰属するのか、その正解は描かれていない。目には見えているけれど、感嘆に名前をつけたり、置き場所を決めたりできないものを前に、私たちは途方に暮れ、自分の記憶を探る。タンはその意味をこう語る。「最終的に物語は意味を持ち、私たちが広い心を持って日常の中にある曖昧さを積極的に受け入れることの大切さを思い出させます。こうして私たちは、閉ざされた意味の忘れられた状態、息詰まったリテラシーから救われるのです」『ショーン・タンの世界』4:夏のルール『ショーン・タンの世界』3:ロスト・シング『ショーン・タンの世界』2:インタビューQ3『ショーン・タンの世界』1:インタビューQ1、Q2
2026.07.22
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『雑草はなぜそこに生えているのか』 (復刻)*********************************************************図書館に予約していた『雑草はなぜそこに生えているのか』という新書を、待つこと5日でゲットしたのです。いま森絵都著『カザアナ』という小説を読んでいるところだが・・・その小説では「病によき種をあてる草読」となっています。とにかく、野草あるいは雑草に目がいく昨今でおます。 【雑草はなぜそこに生えているのか】稲垣栄洋著、筑摩書房、2018年刊<「BOOK」データベース>より「抜いても抜いても生えてくる、粘り強くてしぶとい」というイメージのある雑草だが、実はとても弱い植物だ。それゆえに生き残りをかけた驚くべき戦略をもっている。厳しい自然界を生きていくそのたくましさの秘密を紹介する。<読む前の大使寸評>いま森絵都著『カザアナ』という小説を読んでいるところだが・・・その小説では「病によき種をあてる草読」となっています。とにかく、野草あるいは雑草に目がいく昨今でおます。<図書館予約:(3/17予約、3/22受取)>amazon雑草はなぜそこに生えているのか ホトケノザ「第五章 雑草の花の秘密」を、見てみましょう。 p86~88■紫色の花が選んだパートナーは? この優秀なパートナーを惹きつけるために、ハチを呼び寄せる花は、たっぷりの蜜を用意してハチを出迎える。 ところが、これには問題があった。 蜜をたくさん用意してしまうと、ハチ以外の他の虫も集まってきてしまう。せっかく奮発して用意した蜜を他の虫に奪われてしまうのだ。 紫色の花は、どうやってハチだけに蜜を与えることができるのだろうか。 人気のある学校に入るためには、「入学試験」というものがある。 じつは、紫色の花も、蜜を与える昆虫を選ぶための「選抜試験」を行うのである。 紫色の花は、複雑な形をしているのが、特徴である。この複雑な形が、まさに入試問題である。 身近な雑草であるホトケノザの花を観察してみることにしよう。■ホトケノザの花の秘密 ホトケノザは、スミレやタンポポほど知られていないかも知れないが、小学校の生活科の教科書でも紹介されるほど、身近に見られる雑草である。 ホトケノザは小さな花だが、よく見ると、なかなか美しい花を咲かせている。 下の花びらには、斑点のような模様がある。これが、蜜のありかを示す「蜜標」と呼ばれるものである。蜜標はガイドマークや、ネクターガイドとも呼ばれている。この蜜標を目印にして、ハチはこの花びらに着陸する。下の花びらはまるでヘリポートのような役割を持っているのだ。 ホトケノザは、ミツバチが訪れるのには小さいが、小さなハナバチが訪れる。そして、花びらに着陸すると、ちょうど着陸した飛行機を誘導するラインのように、花の奥に向かって蜜標が続いている。この道しるべに従って、花の奥深くへと進んでいくと、花の一番深いところに蜜があるのである。 横からホトケノザの花を見ると、花の形が細長く、花の中が奥深くなっている。じつは、この狭い中に潜り込んで行って、後ずさりして出てくるというのが、普通の昆虫は得意ではない。これに対して、ハチは花の奥深くへ潜っていくことを得意としているのである。 蜜標が蜜のありかを示すサインだということが理解できる頭の良さ、そして花の奥へと入っていくことのできる勇気と体力を持った虫だけが、蜜にありつくことができる。 こうしてホトケノザは、知力テストと体力テストによって、パートナーとしてふさわしいハチだけに蜜を与えることに成功しているのである。 ホトケノザだけでなく、紫色をした花は、どれも蜜標や奥に深い構造をしている。『雑草はなぜそこに生えているのか』3:「第三章 播いても芽が出ない」の冒頭『雑草はなぜそこに生えているのか』2:「第二章 雑草は強くない」の続き『雑草はなぜそこに生えているのか』1:「第二章 雑草は強くない」の冒頭 *********************************************************■2020.03.28『雑草はなぜそこに生えているのか』4https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202003280000/
2026.07.10
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『懐かしい!1960年~1970年代に流行ったフレンチ・ポップスやカンツォーネを楽しむ!』というサイトがええわけで・・・性懲りもなく以下のとおり復刻して読み直してみましょう♪*********************************************************おっちゃん音楽館の『懐かしい!1960年~1970年代に流行ったフレンチ・ポップスやカンツォーネを楽しむ!』というサイトがええわけで・・・他人のサイトではあるが、以下のとおり復刻、そして加筆させていただきました。(チョット、厚かましかったか)*********************************************************いつもご視聴いただきありがとうございます。今回は1960年代中頃から1970年代始めにかけて大ヒットした懐かしいフレンチ・ポップス、カンツォーネを特集してみました。00:00 アイドルを探せ(シルヴィ・バルタン)01:21 そよ風にのって(マージョエリー・ノエル)03:03 夢見るシャンソン人形(フランス・ギャル)04:22 オー・シャンゼリーゼ(ダニエル・ビダル)05:43 シェリーに口づけ(ミッシェル・ポルナレフ)07:15 ほほにかかる涙(ボビー・ソロ)09:06 花のささやき(ウィルマ・ゴイク)10:38 雨(ジリオラ・チンクェッティ)11:57 夢みる想い(ジリオラ・チンクェッティ)今想えば、これらの曲はなぜか1960年代中頃から1970年代始めまで大ヒットして、その後はさっぱりという状況ですが、時代の流れだったんでしょうかねえ。いい曲が多く、ラジオ番組などでもしょっちゅう取り上げられてよく聴いた記憶があります。また、日本の歌手がカバーして、それもヒットすることも多く、楽しませてくれましたねえ。イタリアのサンレモ音楽祭は有名で、日本からも布施明や伊東ゆかりなども参加していました。この音楽祭からヒットした曲が多く、やはり聴かせてくれます。全体的にやっぱり時代がのんびりしていたというかある意味のどかやったんやなあと感じさせられますな。今の世の中はやかましい(笑)フレンチ・ポップスは、従来のフランスの曲というとシャンソンになるわけですが、それと区別するように名付けられたそうです。本当は欧州系の音楽ということでイギリスの曲も入れようと思ったのですが、さすがに時間的に無理なのでイギリス系はまた改めて。ペトゥラ・クラークの「恋のダウンタウン」とか、ザ・シーカーズの「ジョージー・ガール」とか取り上げたい曲があるんですけどねえ。まあ、おいおいということで。***********************************************************************ウン 私の好きな以下をとりあげている(&言及している)のが、ええでぇ♪・シルヴィーバルタン「アイドルを探せ」・雨(ジリオラ・チンクェッティ)・The Seekers - Georgy Girlそれから『1960年代のアメリカン・フォークソングもたまには聴いてみよう』、『今夜は懐かしい映画音楽ピックアップをどうぞ』に見られるようにおっちゃんの渋い選曲には痺れるのでおます♪*********************************************************■2020.03.02XML懐かしい!1960年~1970年代に流行ったフレンチ・ポップスやカンツォーネを楽しむ!https://www.youtube.com/watch?v=6Uc97cirp9Q
2026.07.07
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昨日書いた「個人情報・パスワード等」を読み返したのだが・・・冗長なヵ所、意味不明なヶ所があったので、削減しております。<font color="brown"><個人情報・パスワード等></font>■気になる言葉、課題■難読漢字をどう書くか■恨500年に基づくカルト集団=統一教会、日本の警察をあざ笑うようなハナロシステム■.rtfデータの操作性向上について■デジタル朝日のスクラップブック https://digital.asahi.com/member_scrapbook/?iref=pc■2008年新潟のスナックで歌った曲■新しいBingへ質問:闇バイトへの勧誘、スマホ比較、文体例、■OneDriveの設定■「青木の法則」:自民党の経験則■オキシトシン=絆のホルモン、戦争への誘惑■携帯電話ポータルサイト(政府系)■ポール・ジャクレーの木版画■中国人の団体観光客の容認はオーバーツーリズム、スツケースの不法投棄、中国人の経済感覚はエグイ■インド発の個人認証システム■小松左京『大震災’95』、『復活の日』、核酸兵器(むきだしの核酸)、アメリカ文化センターで最新情報を入手■地域ネコがお友達■ペロブスカイト太陽電池:薄くて軽い、中国で量産工場が稼働開始、積水化学工業の次世代型太陽電池■大型蓄電池:玉野市の電池工場は自社の電力を賄う、EVの急速充電所に採用済み、電気運搬船を2025年船出を目指す■元田の教育勅語は朱子学に基づいていたので、伊藤博文は嫌っていた。軍部が統帥権を持ち出して機密文書「統帥参考」は終戦前に焼却処分された。■腸内細菌:短鎖脂肪酸でT細胞を生み老化防止、食物繊維(バナナ、納豆など)で育菌、バナナ状のウンチが目安■超減圧蒸留の米焼酎(只見町)■高架下の活用:レタス工場、ホテル、学生寮など、神戸元町は先行例■フィルターバブル&エコーチェンバー:個人のネットに反対意見が見えなくなる</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">太字<b></b><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/"><戻る></a>*********************************************************<hr size=3 color=green> <気になる言葉、課題>・魚肉たんぱく:消化吸収率が高い、かまぼこ、ちくわ・ワークマンがユーチューバーを社外取締役に採用・「赤缶」カレー粉スティック ・AI作画イラスト・地雷系・エレファント・マザー(NHK)・zakzak 夕刊フジ・NHKスペシャル「国家主席・習近平」、台湾統一、https://plus.nhk.jp/watch/ch/g1・大規模言語モデルの驚異と脅威 https://www.youtube.com/watch?v=PUuk4Cv-ycg・元町香美園のカレー・アニサキスアレルギー:魚介類の生食は要注意・マイクロソフトBingはミニ版のチャットGPTである。・水彩絵の具とガラスペン・免疫チェックポイント阻害薬・ニジェールからフランス人の脱出、危険な脱出には慣れている、ニジェールのウラン産業・国立国会図書館ギャラリー展示 https://rnavi.ndl.go.jp/jp/gallery/gallery-exhibitions/index.html・謎の承認とウラン争奪戦 サンジェの手記とコンゴのウラン鉱石 ウラン鉱石の在庫をニューヨークに出荷 1942年9月米軍に売却契約・Ⅹ社(旧ツイッター社)の恣意的な運用開始にともなって、日本の自治体はⅩ社のSNSを廃止さかん。・京都試作ネット:小さな組織が世界を征する。・西野亮廣の公式ブログ。 https://chimney.town/blog-all/<hr size=3 color=green> <インターネットラジオ><a href="https://freesoft-100.com/web/netradio.html">無料インターネットラジオ一覧</a>インターネットラジオとはネットラジオとも呼び、インターネットで楽しむことができるラジオです。AMやFMなどのラジオ放送局などが提供していたり、個人でネットラジオ局を開設して放送している番組もあります。ネットラジオには音楽番組を扱ったり、トーク中心だったりラジオ番組によって内容は異なります。配信形態も録音したものを放送する「オンデマンド配信」だったり、リアルタイムに番組を放送する「ライブ配信」だったり、ネットラジオ放送局によって様々なカラーが出ています。ポッドキャストでも配信されているので、あわせて確認しておくとよいかもしれません。NHKプラスが見えるので、テレビの必要性は薄い<hr size=3 color=green><フランス関連>・ゴダールの「中国女」 2012.11.10・『星の王子さまのはるかな旅』(復刻) 2022.11.30・『フランス語の綴り字記号とアクセント』 2022年10月01日・『フランス仕込みの暮らし術』2 2023年04月15日・Le dictionaire multifonctions TV5が提供する便利サイト。仏仏辞書、同義語辞典、動詞活用検索等・在日フランス大使館 https://jp.ambafrance.org/-Japonais-・『Au sud de la frontiere, a l'ouest du soleil』 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202007260001/・2011.05.02XML ずっこけフランス滞在記 (2) https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201105010000/<hr size=3 color=green><中国の地方行政区分>安徽省福建省甘粛省貴州省黒竜江省河南省湖北省湖南省江蘇省江西省吉林省遼寧省青海省陝西省山東省山西省浙江省台湾省 (実効支配していない)<hr size=3 color=green><YOU TUBE>・YOU TUBEで好きな歌を 2022.12.27・ジャンヌ・モローがきれいだった頃 2008.08.08・「サチコ」も「Adoro」もあるでよ~♪ 2008.08.12・恐ろしい軍楽隊? 2008.10.03・韓国トロットを巡ってみます 2008.11.28<a href="https://www.youtube.com/watch?v=EKe9ybFDQ1A">Du hast den farbfilm Vergessen</a><a href="https://www.youtube.com/watch?v=FcVoVojY-qA">テレサ・テン/ 想いで迷子</a><a href="https://www.uta-net.com/movie/1045/mHv34c73sCI/">踊り子 村下孝蔵</a><a href="https://www.youtube.com/channel/UC9mUAcbBdLJa-CRZ7FKgA5w">シシドカフカ</a><hr size=3 color=green> <楽天ブログのデータ>・腑抜けの闘病記 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/7031/・沈黙の艦隊 https://silent-service.jp/・「業務スーパー」創業者の地熱発電:自社工場で得た資金でパッケージ型発電所を設計・施工する。大手建設企業とフランチャイズ契約して運営、地産地消の町おこしエネルギー、<a href="https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2023-07-27/RY9XYDT0G1KW01">業務スーパー創業者が描く日本の地熱発電の未来</a>2015.12.16XMLキムチチゲを作ってみるか https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201512150000/2023.08.07XML『キャッシュレス進化論』3 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202308070000/2020.10.03XML『KAFU Le Bambou nain』 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202010020001/2013.08.06XML『ガロ』を見ずに過ごしてきた 2017.05.24XMLhttps://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201308050000/2020.09.20XML『メーター検針員テゲテゲ日記』2 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202009190001/2020.02.19XML『死なないつもり』3 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202002180000/2018.01.04XML『アジア辺境論』8 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201801040001/2020.01.20XML『文学的商品学』3 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202001200000/2023.06.22XML今お騒がせ中のチャットGPTであるが5 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202306210000/2021.11.02XML『日本語の乱れ』2 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202111020002/2018.03.09XML『日本語のこころ』3 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201803090002/2019.03.03草木国土悉皆成仏の繋ぐ輪 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201903030001/2014.08.30XML種田陽平の世界 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201408300000/2019.10.20XML我が町のツバメはいずこ(復刻) https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201910190002/2018.02.02XML『鉄の文化誌』5 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201802010001/2019.02.12XMLサピエンス全史(上)4 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201902110002/2023年02月23日『宇宙はなぜ美しいのか』3 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202302230001/2013.06.24XMLベトナム語の悲哀 (4) https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201306220001/2021年12月07日『さえずり言語起源論』42023/10/04XML森林公園 コルチカム (1) https://plaza.rakuten.co.jp/hirugaonotubuyak/diary/202310040000/2016.02.03XML『ハトはなぜ首を振って歩くのか』2 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201602020001/2016.01.29朝日デジタルの書評から84 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201601290000/ 越境者の政治史・<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201509070000/">ベン・シャーンを追いかけて3</a>・<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201509050000/">ベン・シャーンを追いかけて2</a>・<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201508260000/">ベン・シャーンを追いかけて1</a>・<a href="https://tabelog.com/hyogo/A2801/A280101/28032866/party/">コパ・カバーナ</a>:ブラジル料理・<a href="https://www.jma.go.jp/bosai/#pattern=rain_level&area_type=class20s&area_code=2810000">キキクル神戸</a>:気象庁・<a 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2019.01.04・「釜山港へ帰れ」 2011.04.17・ベ-シックインカムがつなぐ輪R1 2019.01.16・安藤サクラあれこれ 2019.01.23・無頼の輩たちR1 2019.01.27・周防正行の世界R1 2019.01.28・縄文人の世界 2019.01.29・(異論のススメ)GAFAの市場支配 2019.02.01・『ルイス・キャロル小辞典』3 2018.12.21・『本気で考える火星の住み方』2 2023.01.10 ・「アナログ共和国」日本 2020.05.05・司馬遼太郎の中国観 2013.06.01・『ベン・シャーンを追いかけて』 2015.08.26・『デジタル終活のすすめ』 2023.01.24・八百万の神様が世界を救う (2) 2012.06.20・『馬の世界史』2 2022.02.14・『頭に来てもアホとは戦うな!』5 2018.06.22 ・『殺し文句の研究』2 2017.11.05・『パリ散歩画帖』 2017.03.26・ジャック・プレヴェール『鳥への挨拶』 2014.10.26・『藤田嗣治パリを歩く』3 2022年02月12日・『客家民居の世界』1 2018.09.08・『日本人が知らない日本の戦争史』4 2021.08.14・鳥と恐竜の境目 2023.01.22・『居候としての寺山体験』2 2019.06.02・小野正嗣のあれこれ 2020.08.05・中国が海を支配したとき2 2014.01.01・「全国アホ・バカ分布考」読書レポート#6 2012.07.29・『デューン 砂の惑星』が公開されたが 2021.10.19・高野秀行の世界R6 2021.11.06・『ぼくの翻訳人生』8 2019.06.23・漢字文化圏あれこれR2 2018.04.27・漢字文化圏あれこれR11 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/13010/・吉岡桂子記者の渾身記事32 2019.11.24 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201911230001/・温又柔『魯肉飯のさえずり』3 2021.12.19・『猫が歩いた近現代』1 2022.01.13・『もっと知りたい ミュシャ』3 2022.01.21・クリント・イーストウッド監督作品集R1 2022.01.22・堤未果『デジタル・ファシズム』5 2022.02.07・ブレイディみかこ『他者の靴を履く』5 2022.02.11・『日本捕鯨史』3 2022.04.06・『ショーン・タンの世界』5 2022.05.18 ・『Voyage au centre de la Terre』3 2022年05月08日 ・『The Constant Gardener』復刻 2021.05.11・老人力あれこれR4 2022.07.29・通訳、翻訳についてR23 2022年07月21日・『ダチョウはアホだが役に立つ』2 2022年08月19日・『アラビアのロレンス』(復刻) 2022.09.26・『もっと知りたいゴーギャン』3 2022.09.26・『台湾生まれ 日本語育ち』4 2022年10月31日・『水素社会入門』5 2022.10.22・『資源争奪の世界史』5 2022.11.28・小川洋子『HOTEL IRIS』 2022.11.18・『映画の巨人たち リドリー・スコット』3 2022年12月30日・『女のいない男たち』5 2023年01月20日・『なぜデジタル政府は失敗し続けるのか』3 2022.12.17・韓国料理あれこれR3(復刻) 2022年12月01日・NHK「半導体 大競争時代 第1回」 2023年01月31日・宇宙への関心R6 2023年03月31日・『高野秀行の世界R7』 2023年02月19日・『太陽諸島』4 2023年03月23日・砂漠の映画あれこれ3 2023年03月14日・バンクシーあれこれR4 2023年03月03日・村上春樹『夜のくもざる』4 2023.04.10・『いっとかなあかん神戸』3 2023年05月31日・『タイワニーズ』5 2023年05月18日・勝手に関西遺産12 2016年11月19日・Bernard et Bianca au pays des kangourous・映画でボクが勉強したこと・THE BONNIE & CLYDE BOOK<hr size=3 color=green><復刻済みのデータ>・『鳥と世界の意外な関係』(復刻) 2023.01.11・『本気で考える火星の住み方』(復刻)2023.05.・『『Shall weダンス』アメリカを行く』(復刻)・『ジャポニスムとスーパーフラット』(復刻)2023.04.05・映画パンフレット『ラストエンペラー』(復刻)2023.04.03・『鳥への挨拶』(復刻)2023.03.25・『腐敗と格差の中国史』(復刻)2023.02.13・『三谷幸喜 創作を語る』(復刻)2023.02.07・『頑張れ、製造業!』(復刻)2023.02.01・『古今東西エンジン図鑑』(復刻)2023.01.28・『食は韓国にあり』(復刻)2023.01.21・「サチコ」も「Adoro」もあるでよ~♪(復刻)2023.01.14・『鳥と世界の意外な関係』(復刻)2023.01.11・『ウニはすごい バッタもすごい』(復刻)2022.12.04・韓国料理あれこれR3(復刻)2022.12.01・『一冊でわかるロシア史』(復刻) 2023年01月12日・NHK 「ロックが壊した冷戦の壁」(復刻) 2023年05月26日・『星の王子さまのはるかな旅』(復刻) 2021.11.19・福岡伸一『生命海流』6 2021.12.05・『尾野真千子の世界』(復刻) 2022.09.11・『タンタンの冒険 その夢と現実』(復刻) 2023年01月06日・『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』(復刻) 2023年04月02日・『恐ろしい軍楽隊?』(復刻) 2023年05月30日・『本気で考える火星の住み方』(復刻) 2023年05月07日・「韓国トロットを巡ってみます」(復刻) 2023年05月02日・『探偵!ナイトスクープ』の世界(復刻) 2023年06月07日<hr size=3 color=green><お奨めサイト><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201812190002/">難読漢字をどう書くか</a>より<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/13022/">方言あれこれR3</a><table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【君が異端だった頃】<img src="https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/124a6d9b3049a12dedc57a5e15ff92718c8ba98f.26.9.9.3.jpeg" border=0 name="insertImg" />島田雅彦著、集英社、2019年刊<「BOOK」データベース>より3月生まれの幼年期から、めくるめく修業時代を経て、鮮烈なデビューへー。戦後の文学を彩った、文豪たちとの愛憎劇と、妻がある身の最低男の、華麗なる遍歴と、不埒な煩悶と。最後の文士・島田雅彦による自伝的青春私小説!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/30予約、副本12、予約252)>rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/15949262/">君が異端だった頃</a></td></tr></tbody></table><hr size=3 color=green><2008年新潟のスナックで歌った曲>・長崎は今日も雨だった・釜山港へ帰れ・ノラ・愛人・雪国・踊り子・ブランデーグラス・for you・サチコ・愛の終着駅・さそり座の女<hr size=3 color=green><OneDriveの設定>・重要情報「個人用 Vault」を設けた<hr size=3 color=green><予備>*********************************************************この日記はブログにUPできたのだが、OneDriveの設定かなんかの関係で一部は不調である。
2026.07.05
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『おいしゅうな~れ 』 (復刻)このところ、パソコンのこの日記が雑音にまみれて重くなってきたので・・・過去の日記を復刻してUPすることにしています。*********************************************************女三代の100年物語、回転焼のあんこ、おいしゅうな~れ、be delicious、京都太秦の撮影所、ジャズトランペッター、ルイ・アームストロング、殺陣の虚無蔵、撮影所の休憩室、英語学習放送、ハリウッドのチャンバラ映画、岡山弁の安子さん、ひなたのアメリカ留学 ・・・何でもありのてんこ盛りのドラマが同時進行のように続いてきたが、その最終回が今日終わったのです。最終回では、直近の10年間ぐらいの出来事が突風が吹くように描かれていて、なんじゃこれという作りになっていたが・・・まあいいか♪『カムカムエヴリバディ』キャスト・出演者一覧、相関図【2021年後期連続テレビ小説】を見てみると、なんとたくさんの役者が出ているものかと、驚くのです。*********************************************************■2022.04.08おいしゅうな~れhttps://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202204080002/
2026.07.01
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