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今日の午前中、仕事の最中に病院から着信。母の貧血がひどく、輸血の必要があるので了承して欲しいということ。血尿が治まっていたはずなのに、いったい何が起こって輸血するほどの貧血なんだろう?と思ったものの、その時はとにかく早く輸血が必要ということだったので、とにかくお願いして午後駆けつけました。すると、治まっていた血尿がまた急にひどくなり貧血がひどいということだったようです。実際ベッドわきのビニール袋に入っているそれは、血尿というより血液。ちょうどこれから泌尿器科の検査を受けるということで一緒に行くことになりました。で、膀胱に溜まった血液の塊を吸引しつつの検査で、炎症箇所が見つからず。血液の塊がたまっているのを全部吸引してきれいにしたら、出血も治まっていたという状況。一時的なものだったのかどうか。先生も不思議がっておられました。とりあえず、悪いところが見つからないことと、透析もこの4日間ほどやらずに済んでいるということで、少しずつ良い方向に向かっているはずとのこと。それにしても、貧血になるほどの出血がどうして急に起こったんでしょうか?まあそれだけあちこち弱っているのは確かなのですが。このまま落ち着くことを祈るばかり。
March 25, 2013
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昨日、今日と母の顔色が大分良くなって来たようです。血尿も治まっている様子。最初は流動食で水分厳禁(むせると危険なため)だったのが、お茶を飲めるようになりました。手の握る力も出てきているし。なにより言葉がはっきりしてきて、会話が成立する!「頑張るしかないから、頑張るよ!」と、入院当初から言っていましたが、本当に前向きに頑張ろうという本人の意識があるのが良いのかも。透析と抗生剤も効いているようで、ちょっとホッ。まだ一般病室には入れないんだけど、早く一般病室に入れるといいなあ。
March 23, 2013
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(3月19日分)前夜のものすごい風雨がうそのように晴れ渡ったこの日。予定通り娘の着付けを済ませ、家の前でも記念撮影などして卒業式へ。季節外れの暑さになるくらいの晴天。心配ごとを抱えながらの卒業式でしたが、お天気に恵まれただけでも良かったと思います。卒業式が始まったのが11時過ぎ。始まって少しして、携帯に着信。母の老人ホームから・・・。どうしたんだろ?と思いつつ、出るに出られずそのまま切れました。すると間もなくもう一度着信。こりゃ何かあったはずだ。会場の外に出てかけ直してみました。案の定。「血尿がひどい。」「ひどい尿毒症を起こしている」「すぐに入院して透析が必要」なので、「ご家族の了承が必要です」とのこと。家族が了承しないと、必要があっても対処できないということで。すぐにお願いしました。私の方は、式が終わってから長女と一旦帰宅して着替えた着物を持ち帰る必要があったので、何時に駆けつけられるかわからず。またもや夫に頼んで行ってもらいました。先生からの説明では「急性なので、透析と抗生剤の投与で炎症が治まれば数値が少しは下がる可能性もある」とのこと。結局、私が病院に到着したのは、夜8時ちょっと前。面会時間にギリギリ間に合いました。1回目の透析を終えて、まだ出血も治まっていない状態。顔色も手の色も悪く、話はしていたもののどれくら状況がわかっているのか?という感じでした。
March 19, 2013
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(3月18日分)この日、午前中途中まで仕事に行き、早退。そのまま母の病院に行き、退院手続きを完了。そして老人ホームに寄って、担当の看護士さんと面談。ところが、退院時にお医者さんから紹介状が出ていて、すぐにでも腎臓専門医に行きできるだけ早く透析を受けた方が良いという指示があったのです。そこで予定していた翌週の受診を繰り上げ、できれば翌日にでも連れて行きたいということ。私は翌日長女の卒業式。その予定は前々から説明してあったので、ホームの方で連れて行っていただけることになりました。病院へ行ってからのことは、わかり次第連絡を入れてもらうということで、お願いしてきました。ただし、卒業式最中はすぐに電話に出られないかもしれないので、着信があればこちらから折り返しかけ直しますと伝えておきました。そして急いで帰宅して、夕飯のことや翌日のおばあちゃん(義母)の朝食など手配(夫と末娘にお願い)してから埼玉へ向かいました。キャリーケースと着物一式入ったガーメントバッグが重くて、朝からバタバタしていたこともあり、長女宅に着いたあと、グッタリしてしばらく横になっていました。
March 18, 2013
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(3月15日分)脳梗塞で搬送され入院した母でしたが、日に日に言葉もはっきりし始め、少しずつおかゆなども食べられるようになってきました。この日主治医に呼ばれ面談しました。やはり脳梗塞よりも腎機能の方が心配とのこと。一旦退院して透析を受けられる病院に行った方が良いということを告げられました。そこで、病院を後にし、母の老人ホームに寄って、退院と別の病院に連れて行ってもらうことの打合せをしました。退院手続きをするには平日でなければならず。この日が金曜日で、すでに夕方だったため、最短で翌週の月曜日。ところが、18日の月曜日に私は長女宅(埼玉)に向かう予定を立てていました。19日が卒業式だったので、着物一式持って前泊する予定でした。でも、卒業式終わってからだと20日の休日が挟まって、もっと日が経過してしまいます。そこで、埼玉に行く前の時間に急遽退院手続きに行くことにしてお願いしました。ただ、別の病院へはその日のうちには間に合わないので、翌週の月曜日に行くという話になりました。
March 15, 2013
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(遅ればせながらの振り返り日記。3月11日分。)あの日から2年と言うこの日。朝学校についてすぐに母の老人ホームから連絡があり「ここのところ血圧が高く、薬も効かないようなので今日病院に連れて行きます」ということでした。診察の様子をまた後ほど連絡しますという一報だったのに、それから少ししてまた電話があり。まだ診察受けるほど時間が経ってないのにおかしいな、と思って出ると「あの後、体が右側に傾いてしまって、今は呼びかけには反応していますが休眠状態になっているので、救急車で搬送します」という連絡!ええ?こりゃ、脳溢血だ!4年前に脳梗塞やってから、血が固まらにくくなる薬を服用しています。血圧が高くなっていたというし、血管が切れたんだろうと思いました。急遽仕事を早退し、病院へ。職場から1時間かかりました。病院に行く前に夫に連絡したところ、私より先に駆けつけてくれていました。病室に着いたら、搬送されてすぐに点滴を受けて意識は回復し話もできるということにちょっと一安心。結局軽い脳梗塞でした。お医者さんの話では、脳梗塞自体は軽く、一過性の症状が出たということ。ただ、それ以上に腎機能の数値が悪いので、入院中に急変するような場合は腎臓の専門医に搬送しますということでした。母と話した感じでは、まだその日は意識があるとは言っても話がかみ合わなかったり、見えないものが見えているような状態でした。
March 11, 2013
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次女の卒業制作発表会がありました。美大の卒制と違って、個人でということはなく、グループで課題に取り組み制作、プレゼンします。プレゼンは作品だけでなく、パワポで何やら作って発表した模様。そのパワポの発表は先生方が見るだけですが、この日(5日)には保護者を招いての卒業制作で作った創作菓子の試食会がありました。私は2時間目まで仕事をして早退し、次女の学校へ向かいました。今年のテーマは「伝統」と「流行」だそうです。そのテーマに沿った創作菓子(生ケーキ)とピエスモンテの制作をグループで行います。ピエスモンテはケースに入れて展示されていました。その一部をチラッと。まずはピエスモンテ。(飴細工)創作菓子次女のはお花の形のレモンタルト。この創作菓子は、試食会に参加した保護者に優先的に販売し、保護者購入後一般のお客さんにも販売されました。1時間しないうちに完売したそうですwレモンタルト美味しかった!ところで、パティシエとかショコラティエとか、ある意味芸術家だなあと思いますね。美大生が、素材をお菓子にしたら、こういう創作菓子なんか色々とできそう!とか思ってしまいました。ピエスモンテなんかも、立体作品だしね。美大生がパティシエになったり、パティシエが美大で学んだりっていうことは実際ないのかなあ?
February 5, 2013
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超えるべき山が次々と現れ、毎日が山場のような日々でしたが、その連なる山々の最終(?)。13日(日)が次女ヤッピー☆の成人式でした。ヘアメイク&着付けは、着物を買ったお店でやってもらえるので、隣の市内のデパートへ。ヘアメイクが9時から、着付けが10時からの予約でしたが、早めに出たので8時半には到着。早く受付できたのですぐにヘアメイク開始してもらえました。しかもヤッピー☆は、メイクは自分でやりたいということで、その分早く終わり、予定より早く着付けも開始。おかげで着付けも早めに終わりました。はっち☆の時と同じく、着付けが終わってからすぐに母のホームに向かいました。そこから車で50分くらい。退院後ホームで元気にしているようでした。おばあちゃんに晴着を見せ、ホームの職員の方々にお褒めをいただき(笑)帰宅。お昼を食べてから成人式会場に向かいました。式の開始は午後2時からでしたが1時半から受付開始。1時半に行くと友達も続々集まり記念撮影大会wはっち☆の時もそうでしたが、うちの町の成人式はおとなしいものです。奇抜な恰好も無く、騒ぐ新成人もいません。来賓のあいさつ中も静かに聞いています。携帯の音が響くこともありません。式は二部に分かれていて、第一部は町主催の式典。二部は新成人の実行委員による会。第一部の式典も司会進行は新成人の実行委員が担当します。町内には中学校が一校しかないので、全員中学校の同級生。久しぶりに会うとは言え、みんなお互いによく知った仲です。なので、とても良い雰囲気の成人式でした。ヤッピー☆は友達とプリクラを撮りたいと言って、式後すぐに隣の市内のショッピングモールに直行することに。はい、運転手は私ですwところが、夕方で道が大渋滞!プリクラ撮って戻って、着替えて二次会の同窓会に行くことになっているのに、車が動かず!とにかく何とか帰ってから大急ぎで着替え、大急ぎでおばあちゃん(義母)の夕飯だけ先に出して、着替え終わったヤッピー☆を乗せて、また隣の市の某ホテルまで送り届けました。まあ、よく走り回ったこと!一日で180キロくらい走ったかな?疲れたけど、とにかく大きな山が終わってホッとしました。
January 13, 2013
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手術前の説明では、最短で手術後一週間で退院できると言われていましたが、それはあくまでも普段元気な人の場合。母は元気ですが、高齢ということもあるし、持病もあるし、手術前5日間ほど寝たきり状態だったので、リハビリがどれくらい進むかによって退院日を決めましょうと言われていました。術後の傷の具合などもどうなるかわからなかったし。私としては、1月いっぱいかかるかな?と覚悟していたのですが、5日には先生から「もういつ退院しても構わない」と言われました。受け入れ側の施設(老人ホーム)と病院とで色々と連絡を取り合ってくれて、リハビリも毎日午前と午後やってもらって、11日退院ということになりました。退院時は、ホームの方が迎えに行ってくれるので私は立ち会わなくても大丈夫と言っていただき、私は3時間目まで学校に行って、早退して病院の支払いだけ行きました。7日の始業式以来、連日のように休んだり早退したりの毎日。1日勤務できたのは水曜日だけ。母と夫の病院のはしごの日々もあり、毎日多忙でしたが、ようやくこの日に母も退院し、病院通いが終わりとなりました。この程度で済んだのは、本当に不幸中の幸いだったと思います。
January 11, 2013
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元々予定していた入院と手術(心臓の血管にステントを入れるカテーテル手術)ですが、まさか母の入院と重なるとは思ってもみなかったことです。でも、本当は12月中に手術したいと希望していたのに、病院の予約の空きが無くて1月7日入院、8日手術ということになったので、もしも希望通り12月中だったとしたら、母の手術と手術日が重なっていた可能性も大いにある。しかもその日は義母(夫の母)の通院予約日だったので、もしも3つ重なっていたらどうなっていたことか!(でも、もしそうなっていたとしても、どうにかやりくりしてあっちこっちそっちと行かなきゃなんなかったろうな・・・)そうならなかっただけでも不幸中の幸いか。7日は、始業式の日。お昼前に下校になるので、私は午前中だけ仕事に行き、その足で三女わっち☆の学校まで迎えに行き、わっち☆を拾って帰宅。お昼を済ませて、今度は夫の入院で病院に向かう前に、母の病院へ。夫とわっち☆と私で母の病院に行き。日々回復している母に、夫の方が「お大事に」と言われる始末。(爆)そしてそのまま夫の入る病院へ。(隣の市内)入院手続きを済ませてナースセンターに行くと、すぐに病室に案内され入院着に着替えて、すぐ点滴が始まりました。その日、私は夕方から仕事があったので帰宅して夕飯の支度など済ませて仕事へ。翌日(手術当日)は、仕事を休み病院へ。当初2番目になるはずだったのに、緊急の患者さんの手術が一人入り、二人入り、結局4番目になり。さらに、1時間程度で終わるはずの手術が予定を大幅に上回り2時間半以上かかりました。このドア↓の前の廊下の長椅子で3時間近く待たされました。予定以上の造影剤を入れて、何度も映像で確認しながらの処置だったようです。血管にバルーンを入れて血管を広げる時に一旦血流が止まるために相当苦しくなったと言っていました。まあ、何とか無事に終わったので良かったのすが、待たされている間、どうなっているのか中の様子が全くわからず・・・。途中経過とか教えてくれるといいんだけど・・・。一応時間をつぶすためにお茶のペットボトルと勉強道具は持って行ったので良かったんですが、お昼すぎには終わると思っていたので食べるものを持って行かず。全部終わって病室に戻ったのが3時過ぎ。お腹がすきすぎてクラクラしました。翌日、私は普通に1日勤務してから病院へ。(母の病院に先に行き、その後で夫の病院へ)本当は翌日には熱が下がるはずなのに、なぜか1日微熱が下がらず、夜になっても点滴が外れず。10日の退院予定が伸びるか?と心配しましたが10日の朝には36度台になり、退院直前まで点滴をしていたものの、延期にならずに無事に退院できました。
January 8, 2013
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(さかのぼり日記です。)元日は、毎年地区の新年会があります。地区には七十数軒ありますが、一軒に一人ずつ出席して行う地区の総会を兼ねています。そして今年はその新年会の当番班の班長なので、前日(大晦日)に材料の買い出しなど、全部行いました。大晦日に長女はっち☆が帰省することになっていたので、母が入院している市の最寄駅で下車してもらい、駅で拾って母の病院に向かいました。はっち☆がおばあちゃんと会うのは相当久しぶり。母は手術後日々回復していて、手術前とは別人のようにはっきりと話しもできるようになっていました。はっち☆の履いていた靴に気づいて「すごい靴履いてるね。」なんて言うほど。よく気づいたね~。手術前は本当に弱っていて、何を言ってるのかわからないほどで、会話がままならなかったのに。そして、病院を出てからそのまま翌日の新年会の買い出しに行きました。お店のカート2台分の上下段に山のように積み混み、長~いレシートを受け取って帰りました。買い出したものを、地区の集会所に運び込み。買い出しだけでも大変な騒ぎでした。何しろ、50人分のお料理を作る材料と飲み物(ビール、お酒、焼酎やソフトドリンク類)ですから。お弁当とお刺身は12月上旬に注文し、当日の開始時間ギリギリに配達してもらう手配になっていましたが、煮物や汁物を作ったり、お新香を切って盛り付けたりします。うちの班では、前回の当番の時に班長だった方がノートに用意したものを記録して渡してくれたので助かりました。その時(4年前)のメモと残っているレシートを頼りに材料を買い揃えました。そして、当日の朝。班の集合は9時でお願いしておきましたが、班長なので私は8時過ぎに行って、空気の入れ替えや掃除機をかけたり、座布団を日に干したりしていました。班の方々が集まれば、あとは皆さん勝手知ったるもので、どんどん作業が進みます。いつも味付け担当してくれる方にお願いして、私はいつもの通りほぼ雑用だけw11時開始予定で、15分前になってもお刺身(町内の魚屋さんに注文)もお弁当(町内の定食屋さんに注文)も届かず、ひやひやしましたが、ギリギリに届けて欲しいとお願いしてあったので、本当にギリギリに届きましたwお昼には一旦家に戻っておばあちゃん(義母)のお昼を出して、自分も大急ぎでかき込んでから集会所に戻りました。(夫は新年会に出席中)いつもの年よりも、皆さんお帰りになるのが早く、片付けも順調に進み、2時過ぎには帰宅できました。それから今度は母の病院へ。元日からバタバタとした一日でした。
January 1, 2013
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楽天ブログの方がほぼ放置状態です。でも備忘録として残しておきたいことだけこちらでアップしておかないと。今月20日の朝に、母の入居している老人ホームから電話があり、その日の早朝(5時過ぎ)に、母が居室で滑って転んで痛がっているので病院に連れて行きますという連絡。その時点では、どの程度なのか全くわからず。とりあえず病院に行って診察を受けてからまた連絡してくれるということだったので、普通に仕事に向かいました。すると仕事中に連絡があり、「大腿骨骨折」とのこと。うわぁ!しかも、その病院の先生によると、色々と持病(腎臓と、数年前に脳梗塞も)があって薬を服用しているので、手術に耐えられるかどうかと言う点と、術後の管理がその病院では難しいという話で、別の病院に行くように言われたと。一旦ホームに戻り、別の病院に行くことになりますという連絡でした。「手術はどうしますか?(手術をするか、しないか)」と聞かれ、一瞬判断に迷いました。リスクがかなり高いということ。手術に耐えられるのか?術後の回復はどうなのか?それでもそのままでは寝たきりになってしまう可能性大。と言うことで、「手術ができるのであればしてもらいたいが、無理強いはしない」と言うことでお願いしました。仕事をお昼までで早退させてもらい、午後搬送された病院に向かいました。やはり最初の診断と同じで、リスクが高いのでその時点では手術するか(できるか)どうか判断できず。とにかくあちこち検査をして手術ができるかどうか、その専門の先生方と相談して決めていただくことになりました。ただ、脳梗塞をやって以来、血が固まりにくくなる薬を飲んでいるので、一旦それを止めて、最低5日間置かないと手術ができないので、最短で5日後。29日から年末年始の休業に入ってしまうのでギリギリその前に手術できるかどうか?と言うわけで、手術に耐えられるかどうかと言う点と、年末の休業前に間に合うのか?と言う点で、どうなることか?と思いましたが、腎臓の先生に(手術しても)大丈夫と言われ、心臓や肺は大丈夫だということがわかり、26日手術が決まりました。手術できるというだけでホッとしたものの、毎日見舞いに行くと、母が日々弱っていくような感じで、心配になりました。動けないのでベッドに寝たままと言うこともありますが、入院した当日は元気に色々と状況を説明していたのに、だんだんと、声も小さくなり、言葉もはっきりしなくなり、目もうつろ。刺激の無い状態で弱ってしまっているのか?本人の話をよく聞くと「手術の日が近づいて来るとドキドキして・・・」と言うことを言っていました。それにしても何を言ってるのか聞き取れないくらいになってしまっていたので、何度も聞き返したり、わからないまま相槌だけ打ったりしていました。そして手術当日。手術自体は1時間かからない程度だということでしたが、術前術後の処置で2時間から2時間半くらいかかるというので、その間時間をつぶすための勉強道具を持参で待機。おかげで時間はすぐに経って、無事に終わり、先生からも予定通り終わったので、後はリハビリを頑張るように言われました。母もホッとしたのか、術前よりも術後の方が色々と話ができるようになっていました。そして術後翌日(27日)にはベッドで座って食事ができ、更にその翌日(28日)にはリハビリが始まり、立ったり座ったりしたそうです。そして今日(29日)は、立って足を交互に上げる(足踏みする)練習をしたそうです。車椅子でトイレにも行ってるとのこと。すごい!現代の医療のすごさ!大腿骨骨折して、金具入れて釘のようなもので固定して(レントゲン写真でしっかりと金具と釘が写っていました)、翌日には立てるって。あんなに弱って、このままわからなくなってしまうのでは?と思われた母が、今日は車椅子に座って色々と普通に話もし、向かい側のベッドのおばあさんが付けている器具を自分で外しちゃってうなってるからと、ナースコール押して呼んであげたりしてwすごい回復力。リハビリの先生にも褒められたとか。来月退院を目指してリハビリ頑張って、歩けるようになって欲しいものです。そんなわけで、年末のあれこれ何も終わっておりませんwww年賀状やらなくちゃ。
December 29, 2012
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平日ですが仕事を休んで、次女ヤッピー☆の専門学校に行って来ました。今日は店舗実習の日。作ったお菓子を実際に販売する実習です。2年生なので、何を何個作るか?と言う仕込みの段階から自分たちで考えて準備するようです。(1年生の時は、個数が決められていた)昨日は朝早くから作っていたようです。今朝も、私は4時過ぎに起きて、隣の街の駅まで送って行きました。年に2回くらいある実習ですが、今まで一度も行ったことがありません。本当は、今年の2月に行くつもりで、あらかじめ仕事の休みも取っていたのに、その日の前日に夫が緊急手術になってしまって、まだICUに入った状態だったので、とてもそちらに行くわけにはいかなくなり・・・。で、今回初めて行ってみました。販売開始が11時からですが、近所の常連さんが早くから並んでいると言うので、10時半に着くように行きました。その時点ですでに5人目。(番号札4番)焼き菓子を一通り。生菓子は、全種類は買いませんでしたが。(楽天の規定でこれ以上画像がアップできないらしい)学校の一階に、実習用の販売スペースが店舗の状態で作られています。あくまで実習用なので普段は使われていません。普段から売ってくれるといいのにな~。お店の奥の方で、チラッとヤッピー☆を発見!手を振ったけど無視されたw親と言うことは黙ってて、と言われたので、それ以上のアクションは控えました。(笑)焼き菓子は、明日学校に持って行くつもりで人数分買っておきました。平日に休むのはめったにないけど、たまにはいいね!
September 13, 2012
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毎年恒例8月16日お盆のミッション。私の実家の方のお寺さんに行って、父方、母方、双方のお墓に「○○家先祖代々」と言う卒塔婆を建てること。その卒塔婆が拝み終わって受け取れるのがこの日の15時から。なので、それまでの時間に他のところのお出かけをリンクするのが毎年恒例。と言うわけで、今回向かったのは上野です。朝7時前に家を出ました。わっち☆と一緒です。電車に乗ってしばらくしたら、隣に座っていたわっち☆の様子がおかしい。どうしたの?と聞いたら、「お腹が痛くて・・・」と苦しそうな顔。しょうがないので、急遽途中下車しました。トイレを済ませ、念のため持ち歩いていたビオフェルミンを飲ませました。また途中で痛くなると困るので、ちょうどすぐにあった特急の特急券を買って乗ることにしました。これが大正解。有料特急ならトイレがあるからね。で、無事に到着。前日にオンラインでチケットを買ってあったので、最初に向かったのが、東京都美術館。マウリッツハイス美術館展例のごとく・・・図録買いましたwこの図録、今までのと違ってかなり良かった!何しろビニールでパッケージされて密封されていたのは初めて。色も良かったし。透明プラスチックのカバーも付いていました。マウリッツハイス美術館展すっごく良かったんです!!!私好みの絵がほとんどだったってことですけど。フェルメール、レンブラント、ルーベンス、ヴァン・ダイク、ハルス、ブリューゲル、クラースゾーン・・・オランダ絵画の黄金時代の作品こそが、私の好みなのだと再確認しました。その後お昼は、PARK SIDE CAFEで。↑わっち☆が食べたトマトとモッツアレラチーズのパスタ。(私はカルボナーラだったんだけど、写真撮る前に食べちゃったw)お昼食べてから、今度は 国立西洋美術館へ。ベルリン国立美術館展こっちもフェルメール、レンブラントあったけど、時代の幅がありすぎて・・・・好みのはごく一部。で、お土産は・・・マウリッツの方が圧倒的に多い!本当は、マウリッツハイス行った後に、六本木に行ってエジプト展を見に行きたいと思っていたんです。が、わっち☆の調子が悪そうだったので、無理をせずに近場で済ませました。(ベルリンは行けなくてもいいと思っていたんだけど)予定より早く見終わって、そのまま実家のある埼玉に向かいました。3時前に駅前ではっち☆と待ち合わせしていたのですが、1時半に着いてしまったので、駅前のスタバで時間をつぶしました。はっち☆が来てからすぐにお寺までタクシーで向かい、卒塔婆を受け取ってお墓(2箇所)へ。とにかく暑かった~!お墓にお水をかけても、まさに焼け石に水状態。お線香に火を着ける間も暑くて大変でした。でも何とかミッションを完了しました。途中でちょっと冷たいものを飲んで一息ついて。やっぱり暑さが違う。我が家の周辺は、コンクリートが少ないので夕方になればスッと涼しくなるんだけど、周り中コンクリートと建物ばかりのところだと熱気がこもってる。おととしくらいの暑さよりはまだマシだったけど。とにかく無事にミッションを終え、わっち☆もその後復活して良かった良かったw
August 16, 2012
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(毎度のさかのぼり日記。《8月4日の分》)この日から成人式前撮りの予約が開始になりました。秋の日程(10月と11月)の分なので、きっと早い者勝ちになるだろうと思って、開店と同時くらいにお店に行き、無事に希望日を予約してきました。長女の時は、ゴールデンウィークに前撮りしましたが、今回は次女がGWは避けて欲しいということだったので、秋にしました。今年の秋は忙しくなりそうです。そして、この日の夕方は、母の老人ホームの納涼会。毎年末娘と二人で行っています。毎年暑い時期だけど、この日は夕方から涼しくなったのでとても過ごしやすく、良い夕涼みとなりました。聴覚過敏のある私としては、疲れがたまったり、寝不足だったりすると太鼓の音などがもう耐えられなくなるのですが、この日は意外と大丈夫でした。生の和太鼓の迫力はすごかった!ホームの周辺の地域の方々や地元の婦人会の方々なども参加していて、良いホームなんだな、と思いました。
August 4, 2012
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今日無事に義兄が退院しました。大きな手術だと思っていましたが、手術して1週間で退院できるなんて!(入院した時に10日程度と言われていたようです。「入院期間」が10日間だったってことです。)日本の現代の医療ってすごい。病院にいる方が何かあったときに安心ということはあるけど、予定通り退院になったということは順調な回復だったということで、その意味では一安心。今後もまだ色々と大変だろうけど。
July 30, 2012
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6月に義兄(夫の兄)が入院しました。最初は肺炎の疑いということで、一週間から十日ほどの予定でした。肺炎の可能性だったのに、熱がなくておかしいと言われ、抗生剤の点滴を受けても一向に良くならず。生体検査をしたところ、癌とわかりました。ステージ4。左側の肺が真っ白だと言われ、片肺全摘出になるのか放射線治療になるのか?最初に入院していた病院では処置ができず、一旦退院。そして、今月20日に国立がんセンターに入院しました。そしてこの日24日が手術日。我が家から車で3時間はかかるというので、朝5時前に家を出ました。(夫の運転)ところが、朝早かったため道はガラガラで1時間半ほどで到着してしまいました。病院に着いたのが6時半過ぎ。手術開始予定が8時半だったので、それまで待たされ。しかも実際に手術室に入ったのは9時前くらい。PHSを持たされて「院内だったらどこにいても構いません」ということでしたが、結局それから6時間半待たされました。結局、左側の肺の上部だけの摘出で済んだそうです。今の医療ってすごいなあ。肋骨も切ることなく、脇から開けて摘出し、気管支と血管の一部も切り取ってつないだりしたそうですが、出血は100CC程度だったので輸血も無しだったとか。術後にICUに運ばれた時には、もう話もできる状態。そして、翌日(昨日)の夕方にはもう歩けたそうです。血圧などもそれほど問題ないので、普通食が出ているそうです。順調にいけば10日ほどで退院予定とか。すごいよ!日本の医療!
July 24, 2012
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≪8日(日)の分≫今年は私の祖母の七回忌。命日は今月下旬ですが、先月お寺さんにこの日にお願いしておきました。と言っても、お寺さんで拝んでもらって卒塔婆を建ててお墓参りに行っただけですが。前日に、長女宅(私の実家宅)に一泊しました。長女と末娘と一緒に行き、途中で叔父夫婦と合流してお墓参りに行きました。前日から雨が降っていて、お寺から歩いてお墓まで行くのに(ちょっと離れているので)卒塔婆を持っていては傘がさせないなあと思っていたのですが、なんとお寺を出る時には雨が止んでいました。お墓参りが済んで、駅まで歩く途中で少し降り始め、雨宿りも兼ねて途中の喫茶店でお茶しました。これまでも、祖母のことでお寺やお墓参りに行く時は、必ず直前に雨が上がっていたので、この日もきっと大丈夫じゃないかな~?と言う気がしていましたが、まさにその通りになってびっくり!祖母の神通力!生前は雨女だったと言う話ですけどwたまにしか会わない叔父夫婦に美味しいアイスコーヒーをご馳走になって、少しゆっくり話ができて、良かったです。(亡くなった私の父が長男だったので、祖母の葬儀からずっと父の代理でやっています。)ずっと気になっていた祖母の七回忌が無事に終わってホッとしました。そして三年後には、父の七回忌です。時が経つのは早いなあ。
July 8, 2012
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前日までお天気が心配されたものの、当日は朝早くからよく晴れていて、一日暑いくらいの天気でした。去年までの勤務校は、9月に運動会でしたから、練習中(練習開始が7月)から本番まで猛暑・酷暑の中行われていました。それにくらべると暑いと言ってもまだマシなほうなんですが、それでも暑かった~!うぐいすが鳴く中の運動会は初めてでした。今まではセミの声がうるさくて、そのセミの声が暑さを増長させているように感じましたから。児童数の少ない各学年単学級の小規模校のため、一つの学年が出場する競技の数がすごく多い!全校児童の参加するものもたくさんあるので、低学年の出番は全部合わせて10種目!その10種類分の入場の隊形を覚えなくちゃいけない。練習の最初のうちは、大混乱でしたが、本番近くになって、だいぶスムーズに並ぶようになりました。そしてどの競技も本番は上出来!子どもたち、すごいよ!よく覚えたなあ~。私が担当している子どもたちも、4月に比べると走り方も安定してきたし。一人は4月頃、体の動きがすごくバランス悪かったけど、必死に走る姿がだんだんバランスよくなってきました。体も成長している時期なのでしょう。(やっと前歯が抜けたしw)私はと言えば、まだ声が変ww運動会最中もマスクしていました。どうしても大きい声出しちゃうし。歌も一緒に歌おうとしたけど、高音部は全く声が出ず、あきらめました。でも無事に終わって良かった♪
May 26, 2012
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風邪ひいたみたいです。ここ2~3日喉がチクチクするなあと思って用心はしていたんですが、今日の給食食べた後くらいから、ガラガラ声になってきた・・・(泣)かすれてるし、痛いし・・・。今日は夕方からもう一つの仕事に行く予定(月水金はWワーク日)だったのですが、急遽電話をして休むことにしました。ただでさえも人手不足の折、休むと言っても来てくれと言われるかなあ~?と少しは覚悟して電話したのですが、意外とすんなり「わかった。お大事に。」と言われ、ホッ。良かった・・・。で、近所の個人医院に行ったら、なんと休み!ええ?お医者さんって、普通木曜の午後が休みじゃないの?そこは、最近できた新しい医院なんで、初めて行ったのです。外の看板に、水曜午後休診と・・・。仕方がないのでそのままドラッグストアに行って、のどの痛みに効きそうなイヴプロフェン配合の薬を買って来ました。このイヴプロフェンって、よく効くんだけど、私にはいつも効き過ぎてクラクラして動けなくなるんです。でも早く治したいからと思って、帰ってからすぐに飲んで1時間ほど横になりました。が・・・!いつも午後は眠くてしょうがないので、その状態でイヴプロフェンなんて飲んじゃったら動けなくなるかな~?と心配したのに、ちっともそんなことがなく、第一、いつもの眠気が来ない!そういえば、いつも5時間目は眠い(←小学生並!)のに今日は眠くなかったwwwおかしい!起きてから夕飯のしたくを終えました。主婦は寝てられないからね・・・。水曜のこの時間に家にいるのは久しぶり。しかも眠くないのも久しぶり。(爆)今日は、ヤッピー☆の迎えが夜10時過ぎにあるからなあ。薬はその後に飲もうかな?次のWワークはあさってなので、なんとしてもそれまでには治したい。その前に、明日の仕事は大丈夫なんだろか?喉と声だけなんだけどなあ。こんな声になるのは何年ぶりか?覚えてないくらい久しぶりです。疲れが出たのかな~?お父さんが手術&入院して毎日病院行った上にWワークしていた時も、こんな風に疲れが出なかったけど。疲れてるという自覚もないし。いや、確かに毎日バタバタして朝から晩まで忙しい~!って毎日なんだけど、毎日同じだから。日曜日にちょっとダラダラッとしてリセットしてるし。はあ・・・この声何とかしたい。息吸い込むと喉のずっと奥のもっと下の方がザワザワっとなるのもイヤだな。これ以上こじれませんように。
May 16, 2012
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予報通り天気も良くなり、予定通り今日出かけて来ました~!毎年GWには、どこか都内に行っているので(<「都内」と言う言い方がすでに都内の人間じゃないことを表現していますね!)すが、去年はどこに行ったかな~?と、すぐに思い出せない!でも、こんな時はブログをやっていて良かったと思う・・・。はい、去年はこんなところに行ってました!おお!そうだった!そうだった!レンブラント、かなり好きです!で、今年はどこに行ったかと言うと・・・?一ヶ所目。レオナルド・ダ・ヴィンチ美の理想展。10時開場だったので、9時半にはっち☆と109前で待ち合わせて行きました。(末娘も同行。)会場は入り口ですでに行列。10時になるまでドアの外で待たされ、10時になる頃に誘導されて中へ入りました。ダ・ヴィンチも好きです。もちろん、図録も買いましたよ!↓Bunkamuraの次に、本当の予定では、東京駅のお菓子ランドに行くつもりだったんです。でも、Bunkamuraを出たのが11時半を回っていたので、お腹がすいていたし、「きっとお菓子ランドも混んでるよね~」と言うことで、次の目的地、上野に向かいました。上野に行ってお昼を食べてから国立博物館に向かうことにしたのです。で、上野に着いてアトレで食べようと思ったら、どこも行列。そりゃ、GWのお昼時ですからね。でももう並ばずに食べて早く移動したい!ってことで、ファーストキッチンへ。(パスタを食べました。)食べ終わって、博物館に向かう途中、西洋美術館前にさしかかったとき、ユベール・ロベール展の看板が目に飛び込んで来ました!「これも良さそうだね・・・」と私がつぶやいたら、長女が「私はむしろ(博物館よりも)こっちの方が見たい!」と言うので、急遽こっちにも寄ることにしました。これが、予想以上に良かった!大正解!私好みの絵だわ~!で、やっぱり図録を買いました~!(爆)図録だけじゃなく、ファイルとかハンカチ(メガネ拭き)とかも。(笑)ファイルとメガネ拭きも増殖中ですwwwそして、最後に博物館へ!↓やっぱり、曽我蕭白が良い!!雲龍図が迫力でした!ここでは、図録は買わずにファイルを買いました~!↓わっち☆もこの雲龍図が気に入ったらしく、同じファイルを自分で買ってました。西洋美術館から博物館に向かう途中で、「上野の森親子フェスタ」の本屋さんもチェックしながら歩きました。途中で高橋由一展の図録を持ってる人とすれ違って、あっちも行きたいな~!と思ったものの、もうとにかく歩き疲れて足がクタクタで・・・欲を言えばインカ帝国展も行きたかったんだけど・・・(欲張りすぎ?)
May 5, 2012
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昨日の日記です。久しぶりに母の老人ホームに行って来ました。どれくらい久しぶりかって・・・お正月以来です。何しろ、1月末に夫が急性心筋梗塞で緊急手術をして、2月は二回も入院したりして。ちょうど2月中は、ホーム側もインフルエンザやノロウィルスなどの感染予防のために家族の面会を中止していたのですが。3月は異動の件とか、もう一つの仕事も忙しくなっていたりでバタバタしていました。4月に入ってからも、歓迎会やら歓送迎会やら、研修やら・・・で、やっと行って来ました。今月お誕生日だったので、母78歳になりました。久しぶりに行ったら、ホームのトイレが改装されてきれいになっていたり、ヘルパーさんが入れ替わっていたりしてびっくり。母は相変わらずでしたが。(笑)まあ元気そうで何より。「今度これ買って送って!」とメモを渡されました。(爆)あっちこっち買出しに行かなくちゃ・・・!
April 28, 2012
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長女はっち☆は美大4年生になりました。今日は前期の学費を納めて来ました。(脱力・・・)はっち☆は3年生までに卒業単位をほとんど取り終わり、残すは教育実習と卒制だけになったそうです。と言っても、就活が一番大変!教育実習は来月。教職に就く気は全くないようですが、とりあえず教員免許だけは取るということで、母校(県立高校)に教育実習に行くことになっています。バイトも色々やっているようで、iPhoneアプリのキャラを採用されたり、お店のチラシとかメニューとかのデザインや、お店のディスプレイや壁画とか・・・まあ美大生ならではのバイトのようで。学生時代に色々と経験するのは良いことです。今しかできない、今だからこそできること、ってありますからね。早く就職が決まって欲しいけど、残りの学生生活も十分に満喫して欲しいと思う。うらやましいなあ。学生時代に戻りたいわ。
April 12, 2012
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次女ヤッピー☆も専門学校2年生になりました~!年度末の3月に現場実習があったり、補講があったりとバタバタしていて、本当に進級できるのか、ギリギリまで心配していましたが、何とか進級できたようです。(苦笑)今年度は週3回の実習があるそうで、今日も実習で作ったケーキを持ち帰りました。週3回、楽しみです♪(笑)夏にもう一度現場実習があるようですが、それと合わせて就活も始まります。大学の就活とはちょっと違うようですが、何とか希望するところに決まってくれるといいなあ。(あと、早く車の免許取ってくれないかなあ。)
April 12, 2012
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カテゴリーの娘たちの学年をやっと更新しました。末娘わっち☆も高校2年生になりました。私の勤務時間が30分遅くずれたため、朝は隣町のスクールバスのバス停まで送って行けることになりました。わっち☆を隣町まで送って、その足で職場に向かいます。始業式の日、途中でわっち☆から担任の先生が替わったとメールで連絡がありました。小学校3年生以来の女の先生となり(小4から高1までずっと男の先生が担任でした)、わっち☆としては嬉しかったようで「ラッキーだよ!」と。そして、クラス委員長になったそうです。(去年は副委員長でした)通信制とは言え、毎日通学するコースなので普通の高校と同じような感じですが、わっち☆にはこの学校が合っていたようです。のびのびと自分を出しています。勉強もそれなりに頑張っているようです。(笑)
April 12, 2012
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更新が滞りがちですが、ぼちぼちアップしていきます。新年度が始まって1週間。私は隣の小学校に異動になりました。それまでの学校の三分の一くらいの規模の学校。各学年単学級です。今は都会でも子どもの数が減ってるので単学級が増えているようですが、前任校は学年二クラスずつあったので、ずいぶん少ないなあという印象。でもそのかわりすぐに子どもたちの名前を覚えました。前任校では、「支援員(介助員)」でしたが、今年度は「学習支援員」という肩書きになり、仕事の内容も「学習支援」主体になりました。一番の違いは、トイレの自立ができているのでそういった「トイレ介助」が無くなったこと。職員室に自分用の机もあり、ロッカーもあり。(これまでは無かった)一番戸惑っているのは、日課の微妙な違い。ずっと染み付いている時間の感覚が少しずつずれていて、時差ぼけのような毎日。やっと少しわかり始めたかな~?というところ。辞令交付と同じ日に歓迎会があり、一番最初に校長先生に特別支援教育の話を色々としてしまいましたが、校長先生はとても熱心に聞いて同意して下さり、「先生方みんなにそういう話(特別支援教育の話<どんな支援が必要かとか、視機能の話とか)を知って欲しいなあ」と言われました。理解のある校長先生のおかげで、とても仕事のしやすい環境となっています。担当する子どもたちとも、まるでずっと前からココにいるような気がするほど馴染んでいます。子どもたちの今年1年間の成長が楽しみです。
April 12, 2012
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今日で23年度が終わりですね。ブログの更新が滞って、こんな時期になってしまいました。と言うわけで、今年度の総括。の、前にご報告。4月から隣の小学校に異動になります。今度は学習支援員として採用になります。これまでも学習支援も行っていましたが、あくまで介助員という範疇でした。うちの町では、今まで「学習支援員」と言う採用がありませんでしたから仕方ないのですが、今回初めて学習支援員の募集が始まり、そちらで応募して採用になりました。今までの勤務校には7年間勤めました。最初の3年間は末娘わっち☆もまだ小学生でしたから、保護者でもあり職員でもありという状態でしたけど、そのずーっと前の長女が入学した時から数えると、連続16年間お世話になった学校です。(三人娘の保護者として12年間プラス勤務7年間←うち3年間は保護者兼職員)まだ実感がありませんが4月からは新しい職場でまた頑張ります。そしてこの一年間の総括。まずは知的クラス2年生ダウン君のH君。おうちでも大事に育てられているために無邪気に素直に育っています。今年はそんなH君も、初めての反抗期のような場面が見受けられました。やっとそこまで成長したんだな、と言う感じです。給食で麺類やパンが出た時に、袋を開けることができませんでした。3学期になって、みんなで励ましたり声をかけてアドバイスしながら、初めて自分ひとりの力で袋を開けられました。開いた瞬間、パッと顔が輝き、本当に飛び跳ねて喜んでいました。これまでおうちでも、袋物はお母さんやおばあちゃんが全部開けてから渡していたんだそうです。だから自分で(自力で)開けたという経験が無い。どうやって、指や手を使って、どんな風に力を入れて、どこを引っ張ったら良いのか、と言うことが全くわからなかったようです。ゼリーやヨーグルトが出た時も、やっと開けることに成功しました。少しずつ学校で色々な経験をして、できなかったことができるようになっています。1年生ダウン君のK君。この一年間、遅刻しなかったのは1日だけでした。朝起きられないとか、起きたあともグズグズしていてなかなか学校に行く気になれずにお母さんがてこずっているようです。学校に来てしまえば、すごく頑張って「おべんきょうだいすき!」と言うほど。ひらがながほとんど書けるようになりました。読むのも上手になってきました。「み」と「り」だけ、発音するのが難しいようですが、それ以外は全部読めます。体重も順調に成長しつづけ、3月で41キロ。これ以上増えないように気をつけて欲しいんだけど・・・1年生女の子Lちゃん。年度途中に、普通学級から知的クラスに来ました。最初なかなか読むのと書くのが一致しなかったりしましたが、3学期の終わりにはほとんどのひらがなが読めるようになりました。そしてカタカナまで結構読み始めています。一人で絵本を読めるようになりました。K君とLちゃんの最大の課題は、トイレの自立。これは何としても来年度に何とかして欲しいなあ。そして今年度一番成長を見せたのは、情緒クラスの自閉っ子3年生F君。ある程度の会話が成立するようになりました。自分から「○○先生、これ、どうやってあけるの?」などと質問したり、L君たちに「L君、ティッシュ落ちたよ!」などと注意したりできるようになりました。英語の時間には、ALTの先生に英語で質問されて英語で答えていました。「F君が日本語でも英語でも会話が成り立つようになって来たわ~!」と感動しました。さらに、昨日の離任式で。情緒クラスの先生が退職されることになり、F君はおうちで先生宛のお礼の手紙を書いて持って来たのです!離任式の花束贈呈では、F君が自分の手紙を読んで花束を渡すことができました。これには一同びっくり!もちろんお母さんがおうちで書かせてくれたのでしょうけれど、これまでのことを考えると、あのF君のお母さんがそんなことをしてくれるなんていうのにもびっくり!最後の最後に驚かせてくれました。みんなこの1年間に本当にすごく成長しました。4月からその成長の続きを見ることができないのが残念。でもまたそのうち再会したときに、どんな風になってるか、楽しみです。
March 31, 2012
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24日(金)に入院し、当初の予定通り本日27日(月)に退院しました。入院した日の皮膚の状態は最悪でした。地肌全体が赤紫色で、全体的に皮膚炎となって盛り上がっていて、炎症部分は更に真っ黒に変色していました。脚や背中など一番幅広いところは手のひらで覆いきれないほどの面積が一面真っ黒でした。それ以外でも1円玉から500円玉程度の大きさで黒く変色した湿疹が全身に広がっていましたから、異様な状態でした。唇も腫れあがっていたし、唇の内側はぎっしりと口内炎で、食べ物が沁みると言っていました。そして入院してステロイドの投与が始まり、翌日にはその真っ黒く変色したところが、ただ赤いだけになっていました。あの黒い色はいつどうやって消えたんでしょう?その消える瞬間を見てみたいものです。(爆)そして同時に地肌の赤紫色も、普通の肌色になっていました。普通の肌色の上に赤い炎症が全体的に残っている状態です。しかも炎症部分が盛り上がっていたのに、盛り上がりが無くなって平らになっていました。ただ痒みだけは強烈のようで、しかもちょっとした刺激で連鎖反応的に広がってしまうらしく、夜はアイスノンで冷やしながら寝ていたそうです。一日一日と前日より良くなって、今日の段階では、だいぶ炎症範囲も減って来ました。退院時の注意として「過労を避ける」と言われました。一年で一番忙しく、神経を使うこの時期は、一年で一番過労になる時期です。明日から仕事に行くと言ってるし。ほどほどにしてもらわないと。今年のテーマは、「健康と節約」です。娘たちの学費と夫の手術&入院費で、家計が圧迫されています。Wワークを増やしてがんばらねば・・・そのためにも、家族全員「健康第一」!!
February 27, 2012
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《経過の記録としてアップします》夫がまた入院しました。と言っても今回は心臓ではなく、その心臓のための薬による薬疹が相当ひどくなってしまったためです。最初は21日くらいに、かゆみが出始めていたようです。22日の夕方帰宅したときには、体・手足と赤く発疹が出ていました。普通の蕁麻疹とは違うような発疹に見えました。素人の私は「薬疹じゃないの?」と言っていたのですが、薬自体は入院中から飲んでいるものだし、何か食べ物のせいかもしれないと思っていたようです。でもあまりにも広がってきていたので、このまま夜中になって呼吸器系まで狭くなってしまったら大変だし、心配して過ごすよりも早く診てもらった方が良いと思って、総合病院の夜間受付で診てもらいました。病院に着いたのが夜7時半くらいで、検査などしたらもしかしたら夜中になるかも?と思って覚悟したものの、「緊急性は無い」と言う診断でヒスタミン剤の注射をされ、蕁麻疹用のヒスタミン剤と軟膏が出され帰って来ました。病院に着いたときに検温して38度5分だったのにそちらの薬は出されず。とりあえず、薬をもらったので一安心して9時過ぎには帰って来れました。24日が退院後の診察日と言うこともあったので血液検査等はその時にすれば良いという判断だったようです。そして昨日の24日。朝には真っ赤だった発疹が黒く変色していました。異様な色でした。私も仕事を休んで夫を連れて行きました。自分で運転どころか歩くのも、足の裏が腫れて歩きにくい状態でしたから。予定通り血液検査とレントゲンを撮って、診察室に入って、心臓のことよりもその肌の異常な状態を見た担当の先生はすぐに皮膚科に行くように手配してくれました。そして皮膚科で。あまりのひどさに、皮膚科の先生方4人も集まって来て、写真も撮られたそうです。明らかに薬疹で、心臓の薬の一つの副作用に挙げられている症状だったようです。ただ、その一番重篤な副作用であるとすると、最悪の場合全身の皮膚が脱落していくことになる・・・・と言うことで、腿の皮膚を採取して病理検査に回されました。検査結果が出るまでの1時間にようやくお昼を食べに行くことができました。ずっと熱も38度台。時々悪寒でぶるぶる震えるし、皮膚は焼き芋が焦げたような色になってるし、いったいどうなっちゃうんだろう・・・と心配でしたが、幸い最悪のケースではないことが判明。薬を変えてもらって、ステロイドを投与して様子を見ることになりました。そのまま帰ることもできるけど、と言われましたが、病院で様子を見てもらうことにしました。いつどういう症状になるかわからず心配しているよりも病院で管理してもらった方が良いので。すぐに入院となり点滴を打たれ、夜には熱も下がったようです。今朝の段階では、まだ皮膚の状態は変わらずだそうですが(今朝メールが来ました)熱が下がって、やっと汗が出たそうです。とりあえず様子を見るために月曜日(27日)まで入院予定です。その間に少しでも回復してくれることを祈るばかり。それにしても・・・薬は怖いですね。
February 25, 2012
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先日公立高校の前期入試がありました。仕事柄、生徒たちの練習用に作った英語の問題からほとんど同じ文章が出ました!その他、予想していて出たものもありますが、出た教科が違ってた~!(爆)■英語で出ると予想していたものアクアライン(アクアラインマラソン) ↓ 社会で出ました!■英語で出ると予想していたもの チーバ君(千葉国体のマスコットから県のマスコットに昇格) ↓ 数学で出ました!!(まさかの数学での出題!)■理科で出ると予想していたもの 5月21日の金環日食 ↓ 英語で出ました!!!(まさかの英語での出題!)その他、予想していたけど出なかったものもありますが・・・「宇宙関連(はやぶさやスペースシャトル)」「皆既月食」「地震」「がんばろう千葉」「道の駅」「なでしこジャパン」「ボランティア活動」など。でも、まだ後期試験があるから、そちらで出る可能性も・・・?前期の結果はもうすぐ出ます。全員合格してくれていれば後期は必要無くなるけど・・・。
February 19, 2012
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《2月11日(土)分》そして、ついに退院。「11時までに退院してください。11前だったら何時でも良いです。」と言われた退院。ほとんどホテルのチェックアウト状態。(笑)お金さえ払ってくれたらいつでもどうぞ、という感じでした。病院に着いて、まずお金を払い、退院後のお薬ももらって、忘れ物がないかチェックしてもらって退院となりました。2週間分の薬が出たので、2週間後にまた診察の予約が入っています。とにかく早く退院できて良かった。本当は1ヶ月間は自宅療養というところですが、月曜日はちょっと仕事に行ってあれこれ確認してからすぐに帰って来ると言っています。まあ、本人が少しは自覚してくれているようなので、この調子でタバコもやめて、食生活を気をつけてくれれば大丈夫だと思います。
February 11, 2012
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《2月10日(金)分》前日の500m歩行で、問題が無かったようで、やっと院内自由行動になりました。そして、11日(土)の退院が決定。最初の説明では、普通1ヶ月と言われた入院ですが、ショートコース(1週間程度)、スタンダードコース(2週間程度)、ロングコース(1ヶ月程度)とあって、術後6時間おきの血液検査の数値次第でそのコースが決まると言われていました。そして最初の血液検査で「ショートコース」と決定されていたのです。が、200メートル歩行が予定より余分に入ってしまったので、一日延びました。それでも、この程度で退院ができたのは本当にラッキーでした。新機能自体はそれほど落ちていないのだそうです。私は一つ目の仕事を終えてわっち☆を迎えに行って、そのまま病院へ行き、院内自由行動が取れるようになったので、三人で1階の売店まで行って買い物ができました。この日は金曜日でWワーク日だったので、ゆっくりもしていられず、退院時に支払う預け金の額を知らされて愕然としながら急いで帰りました。帰って、夕飯とお風呂の支度をして急いでもう一つの仕事場へ。さらに、仕事終わって帰ってからヤッピー☆の迎え。まあいつもの日常ですが、その合間に病院が挟まった感じ。もう一つの仕事の方も忙しいので休んでいられないし、手術と入院費用と三人分の学費の納入があって、むしろWワークを増やさなくちゃいけないわ・・・と思いました。
February 10, 2012
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本当は、この日がリハビリ最終日の予定でしたが、一日ずれてこの日500m歩行。その前に、午前中担当の先生から説明があるというので行きました。病室に先生がレントゲン写真を持って説明に来てくれました。一本は、ステントを入れて回復していること。そのステントは、抗がん剤が塗ってあるタイプのものだということ。これは、塗っていないタイプのものだと内側が動脈硬化と同じように徐々に蓄積されて狭くなりやすいけれど、抗がん剤が塗ってあるタイプのものは蓄積されにくいということなんだそうです。でもこれは、術中に(部分麻酔だったので)「どっちのステントにする?」と夫自身が聞かれて「(蓄積)しにくい方で」とお願いしたのだそうです。(手術中に本人に聞くのか?まあ意識はあるわけだからね。)そのステントを入れた場所とは別の血管が、細くて途切れ途切れになっているんだけど、そちらは細すぎてステントを入れてもすぐにその内側が詰まる可能性があるので、ステントを入れずに血液をさらさらにする薬で対応しましょうということでした。これで様子を見て、9ヵ月後にまたカテーテル検査をするそうです。そして、午後500m歩行。これは結構きつかったようで。そりゃあ、普段から500mなんて歩いてないし。ずっと動いていなくて500m歩くのはきついでしょうね。でも、何とかクリアはしたようでした。
February 9, 2012
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《2月8日(水)分》この日は栄養指導があるというので、休みを取って行きました。当初出されていたリハビリ予定は9日までになっていたので、もしかしたら9日に退院になるのかもしれないと思って、8日と9日の両日休みを取っておきました。ところが、前日の200メートル歩行がクリアできず、一日延期。この日はとりあえず栄養指導を受けに病院へ。夫も一緒に、これまでの食生活などを聞かれました。うちで出している食事自体は問題無いと言うことになり、問題はその食事の合間の間色。仕事中に食べたり、仕事が終わって帰宅するまでの間におなかが空いて食べてしまうものなどがいけないということ。それはわかりきっていることでしたが。身長から割り出された適正体重になるまで、あと10キロ減量が目標になりました。入院中にこの時点で3キロ減になっていましたが、退院してからリバウンドしないようにすることが大事。入院中の食事は、ほとんど動かないので一日1500キロカロリーで出されていますが、仕事をしたり普通の生活に戻ったら2000キロカロリーまで良いそうです。ご飯なら200グラムまで、食パンで2枚など、本当に「普通」の量です。野菜を多めに取ること、果物をを取ること、乳製品を取ること、を気を付ければ量的には辛いほどじゃないでしょう。一番大きいのは、タバコをやめること。これだけは絶対に守ってもらわないと!本人覚悟はできているようですけど。家にあったタバコは全部処分し、車の吸殻も捨てて、車の中全体に消臭スプレーを噴霧しておきました。(^^)vこの日の午後、再度200メートル歩行をして、この日は無事クリアできました。
February 8, 2012
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《2月7日(火)分》仕事終わって、わっち☆を迎えに行って、役場へ行く用事(別件)を済ませ、その別件に関連する電話連絡を済ませてから病院へ向かいました。途中雑誌を買って来てというメールが来たので、急遽本屋さんに寄って雑誌を何冊か買って持って行きました。とにかく退屈している様子。テレビは見られるけど、ネットができないのが不満のようで。(そりゃそうだ!)この日は、廊下を200メートル歩いたものの、前日の50メートルの時と違って、「息があがった」と言っていました。終わってからの心電図にも多少異常があったらしく、本当なら翌日は500m歩行の予定でしたが、翌日もう一度200メートルを歩くことになりました。なので、リハビリ予定が一日余分になり退院も一日後退しました。
February 7, 2012
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《2月6日(月)分》仕事が終わって、わっち☆を迎えに行って、その足で病院へ。この日から点滴がはずれ、廊下を50メートル歩いた。看護士さんと一緒に話をしながらゆっくりと歩いて戻って来た。特に問題もなかったようで、本人も余裕。歩く前後に心電図と血圧を計って、問題なし。ここまで順調なリハビリ。この日は久しぶりのWワークで、病院から帰って大急ぎで夕飯とお風呂のしたくをして次の仕事に向かいました。娘に「お母さん、芸能人並のスケジュールだね」と言われました。それを言うなら「芸能人のマネージャー並の・・・」でしょ。
February 6, 2012
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《2月5日(日)分》前日まではベッドの上に上半身起こすだけだったのが、この日から室内だけ動けることになった。個室なのでトイレも室内にある。ベッドから降りてトイレまで行けるようになった。まあ、家にいても行動範囲は同じ程度ですけど・・・
February 5, 2012
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《2月4日(土)分》この日は、私は午前中研修があり職場へ行きました。本当はお昼過ぎまでの予定でしたが、最初に発見してくれた近所のお医者さんに報告を兼ねてお礼に行きたかったので、11時に研修を抜けさせてもらいました。ちょうどわっち☆も喉が痛いと言っていたので一緒に連れて行って診察してもらいました。研修会では、一人ひとり担当した課題を発表することになっていたので、一番最初に発表させてもらいました。そちらは何とかうまく行ったので一安心。何日か仕事から離れていたため、頭が戻るかな~?と心配していましたがすぐに戻りました。(笑)お医者さんに報告したら「そうか~!ステント入れてくれたのか!良かった~!」と言ってくれました。私が「まさか、手や腕が痛いのが心臓からだったなんて、思ってもみなかった」と言ったら「それが心筋梗塞の特徴なんですよ。」と言われました。そうなんだ・・・そんな特徴は、一般には知られていないんじゃない?もっとそういう情報を広めておいて欲しいものです。だって、息苦しさも、胸の痛みも何も無かくて、ただ手(手の平とか指)や腕や体の脇、肩周辺が痛いと言うだけだったのだから・・・そして、この日からお粥から普通のご飯になったようです。血管拡張剤を点滴している影響で頭が痛くなるらしいけど、見た目は元気になってきているようでした。私もこの日頭が痛くなったけど、午後ちょっと横になったら回復。寝不足のせいだったようなので、早めに寝ました。
February 4, 2012
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《2月3日分》私は仕事(学校)に行き、終わってわっち☆を迎えに行って戻ってから、わっち☆とはっち☆と一緒に病院へ。一泊で帰る予定だったはっち☆は二泊することになった。(バイトを代わってもらえて)この日から鼻の管が外れた。鼻の管は酸素だったわけで、心臓に酸素を送ることで心臓の負担を減らしていたようです。それが外れたってことは、順調に回復してるってことでしょう。この日は本当はWワーク日だったので、夜仕事に行ったら、シフトから外れていました。私が大変だろうと、外しておいてくれたようです。翌日の研修のことで確認しておきたいことがあったので、それを確認してからすぐに帰って来ました。おかげで予定よりちょっとゆっくりできました。翌日の研修では担当することを発表(プレゼン)することになっていたので、家で予習をして過ごせました。
February 3, 2012
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《2月2日分》この日は内科の一般病棟に移った。(救急救命センターのフロアから出て)そして、上半身だけベッドを起こして座れるようになった。微熱があるのと、血圧が上がったり下がったりしているけれど、退屈するくらいなのだからまあ元気な証拠だろうけど、この日はまだ点滴も鼻の管(酸素)もしていた。夜7時過ぎに長女はっち☆がお見舞いで帰省。駅ではっち☆を拾って再び病室へ。退屈していると言っていたので、はっち☆が漫画本を四冊持ってきてくれた。
February 2, 2012
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《2月1日分》この日、本当はヤッピー☆の今年度最後の店舗販売実習日だったので、そちらに行くつもりで前から年休を取ってありました。ところが、前日突然の夫の緊急手術&入院で、年休はそのために取ったような感じになってしまいました。手術の後の説明で、「術後に手術室からICUに向かう瞬間と、ICUに入ってからの5分以内に急変する事が多いので、この時点でなんともなければまずは大丈夫」ということでした。だから、カテーテル検査(&手術)の間は、その扉の前の廊下から離れないで下さいと何度も言われたわけだ・・・(おかげで飲み物すら買いに行くことができずに待たされ続けた・・・)で、翌日の2月1日朝8時半ころに病院から電話があり「今日のお昼過ぎ1時頃にICUを出ることになりました」と連絡がありました。一般病室に移ると言っても、救急救命センターのフロアでICUに隣接した部屋です。が、ICUでの経過が良好ということですぐに出されたということで、まずは第一段階(いえ、最初の5分が第一段階だとすると、これは第二段階)クリア。私はその病室を移る時間に合わせて、入院グッズを揃えて持って行きました。バスタオル3枚、フェイスタオル5枚、電動ひげそり、クシ、ブラシ、コップ、ティッシュ、など。タオル類は新しいのを買って、洗濯して大急ぎでコインランドリーで乾かして持って行きました。ICUを出たと言っても、点滴と心電図をつけたままで、仰向けのまま動けず、体が固まってしまって腰が痛いと言っていました。食事は全粥から。物を食べることも心臓に負担になるようです。
February 1, 2012
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(今日はもう2月11日になってしまいましたが、忘備録としてさかのぼり日記。その1)《1月31日》この日の数日前から、夫は手や腕、背中、体の脇などが痛いと言っていました。寝ていても痛くて起きることもあったようです。この日の前日の夜は、「胃が痛い」と言って胃薬を飲みました。私が「胃の痛みと心臓の痛みは、場所が近いから勘違いするらしいよ。心臓かもよ!」と言ったりもしましたが、「ここのところ胃がおかしいから」と言っていました。体の痛みは、寒くて体が冷えているから温めた方が良いかもしれないと言って、お風呂でゆっくり温まって寝たようです。が、朝起きて「(体や腕や手が)痛くて、1時間おきに起きちゃった」「手が痛いから運転できないかも」というほどでした。「お医者さん行ってきたほうがいいよ。」と言って、私は普通に仕事にでかけました。夫は、めずらしくお医者さん(近所のかかりつけ)に行きました。「手が痛くて運転できないかも」と言っていたのに運転して行ったようです。ちょうど1時間目の授業が終わったところで夫からメールが入りました。「心電図に乱れがあるから、すぐに(隣の市の)某総合病院に行って検査するように言われた。」私はすぐに年休を取って帰りました。救急で行くようにと紹介状も出してくれたので、救急受付に行きました。普通に受付していたら何時間も待たされますが、救急で紹介状ありだったのですぐに呼ばれて中に入れました。夫だけ入ったものの、私は外で待たされ続け・・・2時間後に呼ばれて担当の医師から説明がありました。(夫はまだ診察室)「狭心症か心筋梗塞の疑いがあるので、即入院してもらいます。」「!!!」詳しいことはこれからまだ詳しく検査しなくてはならないこと、検査の結果どういう処置(手術)をするのかの説明がありました。「検査でこうだったら、まずこれをやります。これをやってもダメだったら次はこれをやります・・・」ということを図を描いて説明され、同意するというサインをしました。「入院は普通1ヶ月くらいになります」病院に来る時は、検査して薬もらって一緒に帰れるとばかり思っていたのでびっくりです。で、更にびっくりしたのは、その後のカテーテル検査。検査をして、検査結果がわかってから後日手術の日程が決まって手術になるのだとばかり思っていたら、カテーテル検査をしてその流れでそのまま手術になったのでした。終わってから先生の説明を、画像(動画)で見せてもらいました。結局病名は「急性心筋梗塞」で、心臓の冠動脈の末端の先の方が完全に詰まってしまっていて、造影剤が入っていないのがよくわかりました。途中まで造影剤の入った血管が写っていて、途中からプツッと途切れ、少し離れたところにカテーテルの針金の先がチョロッと出ていました。造影剤が途切れたところから、針金が出ているところまでの空白の部分が詰まっている部分ということでした。そして、その詰まりを解消するためにバルーンで広げて、2ミリと3ミリのステントを2本入れ、入れた後の画像では、造影剤が針金の先が出ているところまでシュ~ンと流れて行くのがよくわかりました。もう一箇所別のところが細く途切れ途切れになっているのですが、そちらは細すぎてステントを入れても、また更に狭窄を起こしやすいだろうということでそちらは手を付けず。今後血液をさらさらにする(固まりにくくする)薬を一生飲み続けるということで対処することになりました。手術後はICUに入り、一晩そこで過ごしました。私は、説明を聞いてから一旦ICUに様子を見に行きました。部分麻酔だったので本人は手術のこともよくわかっていて、ICUでも話ができました。恐ろしい病気ではあっても、この程度で発見されてすぐに処置してもらえたというのは、相当ラッキーだったと思うしかありません。実際に、同じ病気で同級生が2人亡くなっていますから。本当に助かって良かったと思います。私は娘たちの迎えもあるので、一旦戻ってから、再び必要なものを持って病院に届けました。気づいたら、朝6時に食べてからその後何も飲まず食わずで、夜の8時過ぎに病院の帰りに寄ったスーパーでクラクラしてしまって、あわてておにぎりを一つ買って食べました。(初日の事はここまで。ちなみに、今日2月11日、無事に退院できました。)
January 31, 2012
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毎年恒例のお正月のおでかけ。今日行ったところは・・・ココ平清盛特別展。今日から開催だったのです。初日の開館と同時に入りました。チケットは前もってセブンチケットで買っておきました。入場する時は並ぶほどではなかったものの、次々とお客さんが来て、展示を見るためには前の方が進んでくれないと進めないと言う状態でした。(数年前の同じ場所での新選組展の時はもっと凄かったけど)甲冑の細かいところに施された模様(桜の花が散りばめられてかわいい!)や、清盛自筆の書など、見所満載。平家納経の三十三巻の巻物とそれを収めた入れ物のすごさ!戦国屏風絵や平家物語絵巻などの絵画作品も必見ものです。そして常設展示の方での企画展では、「絵で楽しむ忠臣蔵展」。これがまた良かった!数々の浮世絵の色とか構図とかデザインとか、まさに当時の最先端のメディアクリエーターによる作品と言う感じでしょうか。海外の画家たちに影響を与えたと言うのがわかる気がします。浮世絵以外でもびっくりしたものがいくつもあり、その中の二つほどご紹介します。一つ目はこれ。↓これは、武家火事装束で「女子用立烏帽子形火事頭巾」。要するに武家の女性用防災頭巾(マント一体型頭巾)ですね。火事の時にこれを被って火消しをしたり(女性でも火消しに加わることがあったそうです)避難する時に被ったそうです。手ブレしてしまって画像が見づらいのですが、とにかくゴージャス!金糸で龍の刺繍ですよ!これ、火事のときに使ったらもったいないでしょ!って感じです。(<庶民の感想)それと、もう一つ。↓何かわかりますか?これの説明はこちらをご覧下さい。 ↓要するに、それぞれの形の通り切りとって組み立てるわけです。すると、できあがりは?こちら↓この画像もぶれていて見づらいですが、見事に立体的な作品ができあがっています。こんな昔から日本にはこんなものがあったなんて!日本人すごいよ!江戸東京博物館だけで2時間ほど費やし、その後向かったのは・・・? ↓ここは、わっち☆の希望で行きました。と言うより、今年はここに行くと最初に決めていて、それと両国をリンクさせたわけです。着いたときにはすでに驚くほどの行列。ショップの列とカフェの列がそれぞれできていました。お昼を食べるつもりだったので、すぐにカフェの列に並び・・・並ぶこと1時間半。ようやく中に入って食べたのが1時半過ぎでした。わっち☆が食べたのは↓私が食べたのは↓おなかが空いていたので普通に美味しくいただきました。カフェからショップにつながっていたので、あらためてショップの列に並ばずに済んだのは良かったです。わっち☆は、お土産も買って大満足だったようです。
January 2, 2012
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長女はっち☆編。つい最近のことで。iPhone用の無料アプリ、ChatPetWorldで、イラストが採用されました。「くまま」というキャラクターです。(要するにクマです)無料アプリなので、iPhoneの方はぜひダウンロードして見てください!本人はiPhoneじゃなかったのですが、昨日ようやくiPhoneにしました。(ちなみに昨日のソフトバンクショップは大混みでした・・・)
December 31, 2011
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総括その3は、次女ヤッピー☆。まったく自由気ままなB型ヤッピー☆。(そういう私もB型ですけど<汗)自分の好きなことには全力で。気が向かないことは全く無視。学校(製菓専門学校)とバイトとライブ三昧という日々。先日はクリスマスライブのために、わざわざ北海道に二泊三日で行ってきました。しかも、帰りは大雪でフライトが2時間半遅れ!奇跡的に欠航にならなかったから良かったものの、危なく空港泊になるところでした。そして私は日々その送り迎えに振り回されております・・・(涙)
December 31, 2011
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2学期総括その2は我が家編。わっち☆(通信制高校)も毎日通学できました。前期の成績表も初めてもらって、赤点がなくてホッ。基本的に課題(レポート)の提出と期末テストで成績が出されますが、提出した課題が結構できていたので、期末での点数をカバーできたようです。(笑)後期の期末もがんばってもらわなければ・・・通信制高校って、私自身よく知らないところでしたが、毎月のように校外学習があって、バスに乗って出かけることがありました。そのうちの一つにアイススケートもあって、何とか転ばずに済んだようです。他にも東京証券取引所の見学とか、色々な体験ができたようです。文化祭は一般公開はされず、家族と見学希望の中学生だけでしたが、それなりに盛り上がって成功したようです。
December 31, 2011
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久しぶりに楽天日記。2学期が終わって、更に今年も終わってしまう今日になっての2学期総括その1(笑) まずは、職場の子どもたち編。特別支援学級(知的)の1年生Kちゃん。書けるけど読めない状態だった9月から3ヶ月経って、その頃読めなかった字が読めるようになりました。やっぱり毎日の積み重ねですね。感情のアップダウンが激しくて、自分ができないことや嫌なことがあると、とたんに能面のような顔(無表情)になって固まってしまいます。知的クラスですが、情緒面の問題が大きいと感じます。それでも少しずつできることが増えているので、これからも少しずつステップアップしていくでしょう。同じく1年生のJ君(ダウンちゃん)。J君の課題は生活習慣の確立。遅寝と暴飲暴食をやめないと・・・。体重増加がまずいです。(現在40キロ)トイレの自立は小学校卒業までを目標に。愛嬌のあるJ君は1年生の中でみんなに声をかけてもらえるキャラクターです。入学当初は筆圧も無かったのに、ひらがながだいたい書けるようになっています。2年生G君(ダウンちゃん)2年生ですが、一番幼いG君。おうちで大事に大事に育てられているのがよくわかります。カタカナもマスターして、一人で絵本が読めるようになりました。もう少しお兄ちゃんになれると良いんだけどね。特別支援学級(情緒)の、自閉っ子F君3年生。ある意味F君の成長が一番大きかった。入学当初は会話ができず、コミュニケーションを取るのが難しかった(トイレの自立もできていなかった)けど、今学期はF君の方から他者に話しかけたり、質問したり、質問に答えられる(普通の受け答えができる)ようになってきました。まだまだ長い会話にはならないけど、画期的なこと!「F君がこんなこと言えるようになるなんて!」とその都度感激していました。行事の参加も一人でできるようになってきたし。そうそう!ようやく今学期前歯が抜けたのでした。普通、年長さんくらいには前歯の乳歯が抜けるのに、3年生になってから抜けたってことは、全体的に発達が遅れているってことでしょう。F君が伸びる時期が今なんでしょうね。
December 31, 2011
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フォローしている地震予知の団体などが、年内(または半年以内)の巨大地震の可能性をツイートしています。某ニュース番組でも、イカやサンマが大漁だというニュース。3月の震災前もイカが大漁だったことから、また地震が来るのでは?と言う話があちこちで聞かれています。震災後であり、次の震災前かもしれない。備えあれば憂い無し。こんな震災支援を見つけました。↓
November 13, 2011
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末娘わっち☆が二泊三日の宿泊学習に行き、昨日無事帰宅しました。通信制高校ですが、と言うより通信制高校だからこそなのか?毎年宿泊学習があります。色々な事情で小学校~中学校にかけて、修学旅行などを未経験の生徒が少なからずいるために、その経験をさせたいと言う狙いがあるそうです。わっち☆の場合は小学校でも中学校でも参加していたのでその点は良いのですが、それでも高校に入って初めての宿泊だし、どうなるかな~?と心配でした。中学校までは、荷物の準備も私が先導して、と言うより私がやっていました。私が袋に仕分けして入れる時にわっち☆に説明しながらやっていました。そこで、今回は「もう高校生なんだから自分でやりなさい」とやらせることにしました。最終チェックはしましたけど・・・(笑)私が今までやっていたように、ちゃんと一日目の着替え、二日目の着替え、お風呂セット・・・などを仕分けて入れてありました。一番の心配は、お金の管理。3日間のうち、最終日はココだったので、最初の二日間で使い過ぎてしまうと、最終日のお小遣いが足りなくなってしまう・・・と思って、3日分のお小遣いを三つに分けて入れさせました。残った分は翌日に繰越し、最終日に一番残るように・・・後は、「友達にお金を貸したり借りたり、あげたりもらったり、してはいけない!」と言うことをよ~く言っておきました。結局、思ったほど使っていなくて、お小遣いもたくさん残っていました。我慢して買わなかったわけでなく、「良いのが無かったから」と言う理由で小さいものをいくつか買っただけ。「(スーベニア容器を持ち帰っていなかったので)ポップコーン買わなかったの?」と聞いたら「家族で行く時と違うから、買ったら持って歩くの邪魔になるから買わなかった」と。そりゃそうだわ。誰かに持ってもらうわけにいかないからね。確かにあの容器は、持ち歩くのには邪魔だわ。ちなみに、今回行った場所は、次の通り。一日目 ココによ寄ってから、館山のホテルへ。二日目 ココ二日目のところは、私も行ったことがなくて知らなかったのですが、平成16年から一部が公開されるようになったんですね。ここでいわゆる平和学習が行われたと言うことです。そして三日目がさっきの夢の国。修学旅行シーズンなので混んでいたようです。ハロウィンの季節に行ったことも無いなあ・・・<私とにかく楽しく過ごせたようで、一安心でした。
October 22, 2011
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今年担当している特別支援学級1年生Kちゃん(女の子)。最近ずいぶんひらがなの読み書きが上達してきました。1学期までは、自分の名前の字も一対一対応していませんでした。フルネームで書いているのに、どの文字がなんという読み方かをわからずに書いていました。最近は一文字ずつ読みを確認して書けるようになっています。それでも、まだ五十音全部と言うわけではなく・・・字の形も上手になってきて、今まで読めなかくて最近書けるようになった字「う」「よ」「め」「ろ」「や」なども、形良く書けるようになっています。が・・・・言われた字を書くことはできる。言われた字のカードを取ることもできる。「読めるようになったね~!」と言った直後に「まめ」の「め」が読めなくて考え込んでしまいました。今、「まめ」と言われて上手に一人で「まめ」と書けたのに。その書いた字を読んでごらんと言われて「ま・・・」だけしか読めず。「め」が出てこない。言われて、書ける。言われて、選べる。聞いた音がヒントになって選ぶことはできる。ヒントが無くなると、自分でアウトプットできない。もう一人、別の仕事で関わっている中学1年生の女の子。こちらは普通学級だし普通の学力。何の遅れも無いごく平均的などこにでもいる中学生。英語の問題で、穴埋めの単語が書ける。問題に答えて書くことはできる。でも、読めない。二人の状況は似ているけど、原因は違うんだろうか?Kちゃんの場合、ディスレクシアの読字障害なのかもしれない。脳機能障害(脳卒中や怪我による脳障害)で言語障害を起こした場合にも似ている。「わかっているのに出てこない」人の顔はわかるのに名前が出て来ない時と近いものがあるのかな?でも、「う」や「や」も同じ状況だったのに、最近は「う」も「や」も一人で読めるようになったからね。少しずつ成長(発達)してるのがわかる。きっとあと少ししたら「め」も読めるようになるんだろうな。
September 22, 2011
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