時空の流離人(さすらいびと) (風と雲の郷本館)

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May 25, 2008
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「死海のほとり」 (遠藤周作:新潮社)を 読んでみた。作者の故遠藤周作氏は、一般には、ユーモアあふれるエッセイを多く書いていた狐狸庵先生としての方が有名かも知れないが、キリスト教をテーマにした作品群は欧米でも評価が高く、ノーベル文学賞の候補にも挙がったことがあったということだ。

 死海とは、もちろん、イスラエルとヨルダンの間に位置する、あの塩分濃度が異常に高い湖のことである。

○死海の塩


 小説家の「私」は、エルサレムで聖書学者をしている学生時代の友人の戸田を訪ねる。戦時中をキリスト教系の学校ですごした「私」は、イエスのことが心に引っかかっており、その足跡を訪ねてみようとしたのだ。「私」がイエスの足跡を訪ねるのと平行して、作品中に流れていくイエスの物語。ここで描かれるイエスは、決して華々しく奇跡など起こさない。ただ、多くの人の悲しみを、洗い流そうとし、苦しんでいる人の側で、一緒になって苦しみを分かち合うのだ。ただ愛のためだけに生き、それゆえに十字架に掛けられる。

 「私」は、イエスの足跡を訪ねているうちに、学生時代に大学にいた「ねずみ」という仇名の修道士のことが次第に気にかかってくる。その修道士は、「ねずみ」という仇名がつけられるくらいだから、小ずるくて、学生たちから軽蔑されており、最後は、ナチの収容所で死んでいる。いつのまにか、「私」はイエスの足跡を訪ねているのか「ねずみ」の足跡を訪ねているかが分からなくなってくる。

 「私」に「ねずみ」の最後を教えてくれた人は、「ねずみ」が、尿を垂れ流しながら、最後の場に連れて行かれるとき、その側に、彼と同じように囚人服で尿を垂れ流して歩く男の姿を一瞬ながら目撃したと言う。 イエスは、時代を超えて、「ねずみ」とも苦しみを分かち合おうとしたのであろうか。

 たまには、普段読んでいるものから、目先を変えて、こんな小説を読んでみるのも良いものだ。


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Last updated  August 23, 2009 10:25:05 AM コメント(4) | コメントを書く
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