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June 2, 2016
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カズオ・イシグロ著
土屋政雄訳
ハヤカワ epi 文庫





あらすじ

「私生活やその他のことを犠牲にしてまで完全無欠な執事になりたがっている男の話」(著者による説明)



作品の生まれた背景

カズオ・イシグロは5歳のとき日本人の両親と共に渡英。小学校から大学までイギリス人と同じ教育を受けて育つ。28歳でイギリスに帰化している。
デビュー作『遠い山なみの光』(王立文学協会賞)、二作目『浮世の画家』(ウィットブレッド賞)はイギリスとアメリカで主に読まれたが、「日本人はこのように考えるのか」という読者の反響がイシグロを辟易させた。『浮世の画家』は、日本人を主人公とした日本が舞台の作品であるが異国情緒を狙ったわけではなく、作者としては人間の普遍的な感情を表現したつもりであった。
そこで三作目は舞台をイギリスに移し、世界的にも「厳格で礼儀正しい」イメージのある英国執事を主人公に据えて『浮世の画家』でイシグロが描きたかったことを『日の名残り』の中で表現した。この作品はブッカー賞を受賞し、41歳時に大英帝国勲章(オフィサー)、44歳時にフランス芸術文化勲章を受章している。2008年には『タイムズ』紙上で、「1945年以降の英文学で最も重要な50人の作家」の一人に選ばれた。







......という上記の情報を知って、『日の名残り』ってものすごく格調高い小説なんじゃないか、とっつきにくそう、などと思っていたのですが、全然大丈夫どころかこれ、ダメ人間小説なんでありました。ダメ人間小説は好きだ! 主人公である執事スティーブンスがなかなかのポンコツなんです。過去を思い返しちゃあ自己欺瞞、自己弁護の嵐。

著者であるカズオ・イシグロはファンから「小説の表面だけ読んで理解する読者、執事が嘘を言っているかもと考えない読者についてどう思いますか」と質問されたことがあって、その時の講演でイシグロは「『離婚してよかった、人生が上向いたよ』と語る友人の言葉を聞いても、よほどの馬鹿でない限り『ああそうなんだ、離婚してよかったね』とは思わないでしょう。『離婚してよかった』なんて言うのは方便であって本心ではないということは誰でもわかることだ」と答えています。イシグロにとって、スティーブンスの言葉を真に受ける読者はいないことになっているので、執事の述懐をそのまま信じる解釈の仕方は間違いということになります。

スティーブンスは「執事なんだから仕方なかった」って言い訳で人生のあらゆることから逃げてきた。ミス・ケントンとの恋愛がうまくいかなかったのはしょうがないとしても(「品格」という衣服を脱げないと語るスティーブンスに愛の告白は到底無理です。恋愛小説読んでるところを彼女に見られただけで時が止まってしまう程、自分の感情と向き合うのを嫌い、傷つくのを恐れる人なのだ)、お父さんの臨終に際してもその場から逃げてしまうし、「車輪の中心」にいるという自覚はあるものの、外交への影響力絶大なダーリントン卿が誤った道を進もうとしていることを知りながらそれを止められず(これについても「執事たる者は」の言い訳を用意している)最終的に卿を死なせてしまう。ダーリントンだけでなく彼の名付け子カーディナルも戦死してしまう。ダーリントンは夫人もいないし、スティーブンス自身が言っていた通り執事は女房役も兼ねるのだから、主人の名声と生命を守るのが仕えるものとしての真の務めではないか。死なせてどうする。木を見て森を見ずとはこのことだ。
最初こそ、このスティーブンスの頓珍漢ぶりを笑って見ていられるのだが、だんだんスティーブンスの語りくちも変わってきて「信用できない語り手」ではなくなってくる。取り繕わなくなってきて後悔をにじませつつラストでは海を見ながら、なんと泣いてしまうのである! あの感情を表に出さないスティーブンスが! 私は悲しくなりました。新しい御主人であるアメリカ人のファラディを楽しませようとジョークの練習を決意する老執事の姿に。ジョークなんて、練習してどうにかなるものでもないし、そもそもスティーブンスはユーモアのセンスゼロだしさ。やめちまえ、そんなもんは!!

なぜ私が今更急にこの小説のことを言おうと思ったのか。それは、先月NHKで70歳の女性(半澤さん)が茶事に人生をかけ全国行脚するドキュメンタリーを見たから。番組の最初は見逃したのだけれど、この老婦人、スタッフにはやたら愚痴っぽいし、お客さんに対しては過剰なまでに謙遜するのだ(というふうに私には見えた)。場の設定をしたのは自分なのに石段を上がっては「はぁ〜、しんど。重いわ〜」とカメラクルーを見る。荷物持てってこと? 水辺に野宿を決めたはいいけれど足を虫に食われまくって「お〜、カユカユ。蚊取り線香がなければ(スタッフを見る)」買ってこいってこと?? 茶事の用意を漁港の用水路の上でやるもんだからお茶の道具をドブに落としてしまう。「どないしよ〜」通りかかった地元の漁師さんが拾ってくれたのだが、その晩半澤さんは高熱を出してしまう。ドブに落ちたやつ使ったからじゃないかな......。
来てくれたお客様にも「大したもんがありませんで」「雑草ばっかり食べさせてしもうて〜」「今日は盛り付けが見すぼらしくて〜」文字だと伝わりにくいな。お客さんが感想言う暇がないくらい自分の料理の至らなさをどんどん言っていくんです。せっかくの料理がまずくなっちゃうよ。あと、あまりにへりくだられると、こっちも「私のようなゴミみたいな者がこんな素敵なお料理いただいてしまってすみません」て言わなきゃこの人の基準ではマナー違反なのかとか色々考えちゃって気を遣うと思う。
一事が万事この調子で進むので、なかなかスリリングな視聴体験でした。

それで思ったのが、半澤さんて日の名残りのスティーブンスみたいだなあっていうこと。半澤さん自身これまでの人生色々と苦労されてきたそうで、あの過剰な謙遜も過去の反省から来ているのかもしれない。他の人はどうかわからないが、私だったらあの茶事はちょっと嫌だな。客のためにというより、自分の理想とする高みへどんどん突っ走っていくところが、あの老執事と重なるのだ。怒られないように非難されないようにあらかじめ予防線を張っておくところも。
でもさ、サービスする側がストイックじゃなかったからといって誰も怒らないし、たとえ怒られたとしてもいいじゃない、と私は思う。執事の仕事もその他のあらゆる職業も、きちんと真面目にやろうとしてたらいつの間にか時間が経っていて、人によっては婚期を逃したり親の死に目に会えなかったり、思い返したとき後悔や罪悪感を伴った苦い記憶になっていることは珍しい話ではないわけです。それでも人は前を向いて歩こうとするから、ジョークの練習をしてみようかなんて見当違いの方向を目指してみたり、過去の自分を正当化してみたりする。そんな人間のポンコツさが、私は好きである。





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Last updated  June 2, 2016 01:42:30 PM
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