GOlaW(裏口)

2006/01/11
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カテゴリ: 西遊記



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 SMAPファンとして、TRPGリプレイ読みとして、ファンタジー狂いとして。
 辛口とだだ甘の両方を取り混ぜて、とことん語らせていただくことをお断りします。

 そして最初に一言だけ言わせていただければ。
 当管理人は2006年度版『西遊記』を徹底的に応援しており、脚本家と俳優陣、JAEの皆様を高評価しております。

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“何故、フジテレビは素直に東映(特撮ドラマの最前線を走る製作会社)と共同制作にしなかったのか”
 突っ込みはこの一言にまとめてしまえると思います。


 これまでフジテレビが製作し、その第一報記事の中に『大人のファンタジー』『時代劇ファンタジー』と称せられた作品は数多くあります。
 私も 『太閤記──猿と呼ばれた男』 や『徳川慶喜──犬と呼ばれた男』、『恋におちたら』等、いろんな作品を見ています。



 年末時代劇と 『恋におちたら』の第四話 は、“フジは、本気でファンタジー好きを舐めてますか?”という疑問を呼び起こすには十二分でありました(静かな怒り)。
 フジテレビが使う『ファンタジー』という言葉の意味は、『現実的で無い』『常世離れした話』なんです。そしてそれを“リアリティの欠損”に対する言い訳に使うんです。

 メディアがそうやって言葉を曲解して使い、歪曲されたまま広まる。その現実に私も、一ファンタジー好きとして憤りがあります。
 そして今回の『西遊記』でも細部に関して、これまでと同じ傾向があります。
 最後の一線でなんとか脚本の坂元さんが持ちこたえているんですが、それでも局側のフォローが一切無さそうなんですよね。


 じゃあ、そこまで管理人が繰り返す本来の『ファンタジー』とは?
『“現実”と良く似た世界に、別の法則を放り込み、再び再構築した世界。
 また、主人公はその特殊な法則に深く関わることで、“現実”では深く隠れた問題と直面し、立ち向かうことを求められる』
 簡単に纏めれば、こうなると思います。
(より正確な意味は 『ファンタジーを読む』

 つまり『作り話』≠『ファンタジー』であり、ファンタジーにはそれぞれに特有の『法則とリアリティ』が存在することになります。


 坂元さんは第一話で『封印』『岩から生まれた存在』という二つの法則を使い、『心』を描こうと頑張ってはいらっしゃる。
 …でもね、この辺りのリアリティを補完し、視聴者を惹き付けるためには、『妖怪』や『仙術や妖術』の描写(物語的にも映像的にも)ももっと増やさなきゃいけないんです。でも実際は少なすぎです。
 多分、描写の仕方そのものも分からないんだと思いますし、スタッフサイドもその必要性をまだ認識していないんじゃないでしょうか。
(ファンタジーの描写についての考証は 『新人賞の獲り方おしえます』久美沙織著 徳間文庫
 今回も、ここで指摘されている陥穽に嵌っている部分があります)


 これまでの風潮、そしてこの作品から鑑みると、『ファンタジーは作り事』という間違った認識がフジのドラマ制作部全体に染み付いているのでは?
 それにファンタジーはそれ専用のセンスがあり、これは経験でしか磨く事はできません。
 だからファンタジーや特撮に慣れている映画会社と共同提携し、外部の空気を入れる必要性があると思うんです。

 どうしてもフジテレビだけで作りたいんだったら、せめて『ファンタジー&特撮戦闘の考証』のブレーンを一人、ドラマの製作会議の時に呼んで欲しかった(時代考証の先生はいらっしゃるんだけれど)。
 『西遊記』のような『ハイ・ファンタジー』(ファンタジーのうち、異世界ものを指す)になると、難易度は更に跳ね上がります。専門の人は必要だったと思います。

 個人的には『F.E.A.R』などのアナログゲームの専門会社あたりに協力要請してほしかったですね。
 この手の会社には伝承や時代考証を徹底し、違う世界観に移行させるプロがいるので。

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 もちろん“ファンタジーとして成立している”ということがイコール“ドラマとして優れている”というわけじゃない。
 むしろドラマそのものとしてはしっかりと完成しているし、それは安心して見られる。これは脚本家の坂元さんの力量と、原典への思い入れのおかげだと思います。。

 どういったところが、ドラマとして完成しているのでしょうか。
『キャラクター小説の作り方』 の第十講で、大塚英志さんは“主題の宿る細部にこそ、神は宿る”とおっしゃっています。
 ドラマを観て感じていられると思うのですが、主演の香取君がすっごくいい表情を見せるシーン(“炎の雨の下”や“封印解除”、“変化”のシーン)があります。
 これらのシーンでは、台詞もシチュエーションも役者の演技も全て飛躍的に良くなっています。
 脚本家と役者と演出陣の本気が伝わってくるんです。

 これらの主題に繋がるシーンを、クライマックスの“口上シーン”で昇華させます。
 “口上”はそれこそ歌舞伎や演芸で培われ、今でも『時代劇』や『戦隊特撮物』、『ヒーロー物』に受け継がれた古典的な手法ですが、それを見事に生かしているんですよね。
 手法と主題がきちんと結びついているから、視聴者の意識もクライマックスまで持っていける。

 いい脚本家さんに巡り合ったな、と思います。

 …ただね、『主題の宿らない細部』の粗が目立ちすぎるんですよね(苦笑)。どうしてもそのギャップに戸惑いが生まれちゃいます。
 ファンタジーを生かす手法や経験値が無いから(そしてフジがそれをフォローする人を呼ばないから)、しょうがないのかな。

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 今回、悟空以外のメイン・キャラの行動理由や背景が描かれなかったのはマイナスかな。

 三蔵が“天竺に行かなきゃ行けない”というのも、会話中に出た程度。仏教をありがたがらない人間も多い日本人にとっては、“お経があれば、平穏になる”というのがぴんと来ないと思います。
 視聴者にとっては記号程度の認識しかないと思います。
 この辺り、映像の挿入などで少しは印象付けておいた方が良かったんじゃないでしょうか。

 そうすれば老子の『とっとと天竺に行け!』という台詞も、少し意味合いが変わり、悟空破門騒ぎにも厚みが出たと思います。

 …あるいは、これからしっかり補完されるのかな。


 八戒や沙悟浄に至っては、単なる先輩弟子という情報しかありません。
 それは絶対にこれから補完されるはずですが…されなかったら暴れるかもしれない(汗)。

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 おまけ。
 ただ今、 異能使い・リプレイ 鳴神の巫女(菊池たけし+矢野俊策/F.E.A.R) を読んでいます。
 この第二話『漆黒の顎』が、要チェック。
 P158、14行目の台詞にはこうあります。
ディオ:これ、あれだな? 三蔵法師が孫悟空にかぶせた“禁箍”みたいなもんだな。

 そう、つまりこの話は現代日本を舞台に、ある少女と封印されていた妖怪(狛燎)の物語なんです。
(…それだけだと『犬夜叉』になっちゃいますね。でも、ちゃんと展開は捻ってあり、読み応えがありますよ)

 P170-177の下りなんて、爆笑です。プレイヤーさんたちがこの状況を目一杯楽しんでらっしゃるのがわかります。
 …香取君も今頃撮影現場で、同じ楽しさを感じてるのかな。
“『封印』『ケダモノが人と交わる』という要素は、色んな人を魅了するだけの力がある”と実感します。

 芦原の血族と狛燎が交わるシーンなどは、第一話で『途方にくれ、弱々しい悟空』を彷彿とさせちゃいますし。
 これのおかげで『西遊記』現代日本転生の展開を見たくなりました(←待て)。
 興味がある方は読んでみてくださいね。





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Last updated  2006/01/11 10:57:47 PM


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