GOlaW(裏口)

2006/02/01
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カテゴリ: 西遊記



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 それではまずは『台詞』『シーン数』『戦闘』の配分感覚について思うことを語らせていただきます。

 第四話に入って、脚本家さんは大分慣れてきたみたいですね。こうなってくると“坂元さんの成長を見守る”楽しみなんかが生まれてきたり(←何様のつもりだ、管理人)。
 それでもまだまだ“あちらを立てれば、こちらが立たず”と言った感じですね。ちょっと悪癖も目立ち始めましたし。

 『悟空の啖呵と主題がぶれた』とか、再びプロット段階から些か(←ほんとに『些か』なのか? 汗)の問題も再燃しましたし。
 『丁寧に撮る』というスタッフの姿勢が、“シーン数に制限を掛ける”という『足枷』になり始めているのも感じます(…オーストラリア行ったり、霧の発生に時間かけるぐらいなら、過去映像をどんどん撮ってください…。涙)。

 そんな今回の“主題と啖呵のぶれ”や“描写不足”についてはページを改めて語らせていただくことにして。

 シリーズ全体に蔓延している最大の難点から語る事にします。

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 前回からの繰り返しになりますが、
『ハイ・ファンタジー(異世界物)は現代物より、どうしても情報量が多くなる。

 だからこそ、できるかぎり情報は映像やエピソードに任せ、台詞は必要最低限に減らすべき』
 これは私の持論です。
(かくいう自分も、台詞や地の文の情報バランスや描写法は苦手なんですけどね。苦笑)

 『第四話』でも会話による情報量が多かったですね。特に今回は『回想シーン』の方が生きたと思われる台詞が多かったです。
 ほんとに『テーブルトークRPGのリプレイ本』を読み上げているような、そんな錯覚が起こりましたよ(汗)。
(そして今時のリプレイ本ですら、長い回想シーンや心理描写は“小説”として描写しなおす)
 さすがに今回は目に余りましたね。“ドラマである事”の利点、“視覚”からのアピールという武器を、わざわざ殺しますか(頭痛)? あまりにもったいなさ過ぎます。
(個々のシーンについては、また改めて具体的に例を挙げる予定です)



 “台詞には全部頼ってはダメ”というのは、以前にも触れた 『新人賞の獲り方おしえます』 のP220-222『本マグロの大トロのセリフ』にもあります。
 特に下段の注意事項には、“主人公の演説ははっきり言ってジャマ”と切り捨てられていたり(凹)。




 また、どうしても言葉だけだと軽くなる部分があります。
 『口に出すのもはばかられる悪事』『一人が好き』…etc.の悟浄のセリフでの描写がありますよね。

 今回のドラマでは『仲間想い』を主軸に持ってきています。
 “エロスとタナトスは仲良し”といいますが、“対になる感情を強調することで、描きたいことをより際立たせる”のは確立された手法でもあります。
 悟浄の友情を主張したいなら、よりはっきりと『昔の孤独』を強調し、描写を加え、印象付けるべきです。それが主題をより深めます。


 …って、そう書いてる私自身も、このバランスを取るのが下手なんですけどね(台詞と背景描写のバランスって、頭の中だけだと取り難い)。人の事なんて言えないなぁ…(←おひおひ)。

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 また、戦闘シーンの描写について。

 戦闘というのは、ただ行なえばいいってものではありません。
 第一話の『盛り上げどころの無い雑魚戦三回』の悪夢もまだ記憶に新しく、それくらいなら全ての戦闘を省いてくれたほうがいいです。
 むしろ今回の月9という枠は、『戦闘を必ずしも行なわなくても良い』という可能性を見出してくれました。それはすごくいいことだと思います。

 『獏』のように“間違った善意”で行動している妖怪なら、戦闘無しでもいいでしょう(その場合は説得を盛り上げる必要がでます)。
 その他にも“復讐や警告”に現れたもの、“種の保存”“薬の材料”の為に人間に近づくパターンもありえます。その場合なら仲介者として天界人を呼んだり、別の手段を探したりする方向に持っていけばいいと思います。
 他にしょぼい中ボスなら買収に。人間や無理に酷使される下僕なら、睡眠薬を持ったり。
 むしろそういった『戦闘回避に知恵を絞る』展開を視野に入れれば、更に物語の幅は広がります。
 戦闘をしない事そのものは、すごく評価しています。
 月9特撮特有の強みにもできますよね(他の特撮番組では、スポンサー会社の玩具の宣伝のため、この『戦闘回避』はしょっちゅうできません)。


 …しかし。
 今回みたいな脅迫&犯罪示唆犯が敵で、しかも面子の中に被害者(及び被害者の元婚約者)がいる状況で、戦闘を直前キャンセルしますか!?
 戦闘というのは、上手く使えばキャラクターや主題さえ掘り下げる道具になるんですよ。


『女の子だってRPGしたいんだもん!』冒険企画局編 のP98-102に『上手な戦闘の使い方』という項目があります。
 これは『RPGや格闘物が好きでない視聴者にも受け入れられる脚本』という観点からも、当てはまります。

 この項目で『戦闘はあくまでスパイス』だと、執筆された佐藤さんは言います。そして、
“雑魚キャラをただぶつけるような戦闘を考えなしにシナリオに放り込んでいったら、、シナリオというシチューはとんでもない味になってしまいます”
とも書かれています(…それを読んだ時、私は『第一話』を思って血の涙を流しました…)。


 今回は旱魃という大災害を引き起こすような外道(…『水攻めはのんきな戦』と過去にドラマの中で言い切った放送局ですし、災害に関する描写にかなり鈍感かもしれない…。滝汗)、しかも悟浄とは因縁が生まれました。
 そういった敵ならば戦闘中、キャラクターに心情を吐露させることもできます。
 『俺の拳骨はどんな料理よりも激辛だぜ』『俺の女を泣かす奴は許さん』の台詞は、攻撃と一緒に呟かせると効果的です。
 殺陣と絡めた一言は、長台詞よりも視聴者に響きます。

 それに『岩に鍵を掛け』たり符を使う妖怪なら、威力は無くとも嫌がらせみたいな能力(それこそ、ギャグもできるような)を付加することも出来たと思うんですけどね(こちらはページを改めて解説)。


 何よりも。“戦うべき相手”、“戦わざるべき相手”を明確化させることで、その両方の事例を明瞭にもさせます。
 一番大切なのは、この“何の為に戦い、何を敵とすべきか”を明瞭化させることです。これが無ければ、戦闘シーンに意味が無くなります。
 『戦闘のための戦闘』なんて、ドラマがやるべきじゃない。本当の格闘技番組に任せるべきです。


 だからあくまで戦わなくてもいいような敵との戦闘シーンは省いてもいい。
 だけど、シリーズを通して戦闘シーンを取り入れるのならば、外道はぶっ飛ばして欲しい。

 そんな風に、『戦闘シーン』の取り扱いにも丁寧になって欲しいと願います。

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 今回の『西遊記』には、確かに『もう少し踏み込め…。涙』『もう少し展開を練れ…。汗』と思う部分が山積みです。

 でも同じぐらい、『可能性』も『成長』も『有利な部分』もあります。

 この月9『西遊記』の特性をスタッフ自身が見極め、先に進んでくれることを願います。





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Last updated  2006/02/01 08:38:05 PM


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