CUANTAS VECES TU NOMBRE ESCRIBI・・

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2018.02.18
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カテゴリ: ジャイアンツ
神奈川高校野球 現役ヒーロー編 山口鉄也(横浜商)

負けるなら横浜で、悔いはない

普段はシャイな左腕が、燃えていた。
横浜は間違いなく神奈川ナンバーワンだった。勝てば甲子園に行けると思っていた。
2001年夏の神奈川大会準々決勝。横浜商(Y校)のエース山口鉄也(34)が、横浜との「YY対決」のマウンドに上がった。今でこそ力の差が開いている両校だが、当時はまだライバルと言える関係にあった。しかもY校は、春夏8度甲子園に導いた元監督の 古屋文雄が校長を務め、長男・克俊が捕手を任されるなど甲子園へのムードが高まっていた。山口の力みも、決して蛮勇ではなかった。

初回、いきなりの2死一、二塁。焦っていた。リードの大きい横浜の走者に対し、サインは「外角に外しキャッチャー牽制で二走を刺せ」。これを、見落とした。

直球が甘く入った。5番大河原正人(東芝)の打球が二塁に寄っていた遊撃手の逆を突き、先制打となった。連続四死球と中前打で畳み掛けられ、重い4点を失った。

「正直言うと、その時点でもう、駄目だと諦めかけました」

以降は立ち直った。1対5で敗れたが、手も足も、とは思わなかった。それでもやはり、横浜の強さが印象に残った。

「横浜はすごいうまい野球をしてきた。自分のクイックが良くないのを知っていて、どんどん揺さぶりをかけてくる。プロみたいな野球だった」

横浜の主将は現監督の平田徹が務め、荒波翔(横浜DeNA)や円谷英俊(元巨人)、エース畠山太(元富士重工)ら、充実の布陣だった。甲子園でも下馬評どおり、4強まで勝ち上がった。

山口はほぼ無名のままに終わった。

その4年前。山口少年を釘付けにしたのは「YY対決」だった。
1997年夏の準決勝。春のセンバツに出場したY校が、2年生の松坂大輔(中日)を擁して連覇を狙う横浜と対した。ベンチに入れなかったが、Y校には山口の3歳上の兄・大輔がいた。

1ー2の9回裏、Y校の攻撃だった。同点に追いつき、なおも1死一、三塁。ここで松坂が、まさかのサヨナラ暴投を犯す。翌年には春夏の甲子園と国体を制する「平成の怪物」に、高校最後となる黒星を付けた。

「あの松坂さんですよ。絶対に負けるだろうと思っていたのに」

進路を決める際、横浜の当時の部長、小倉清一郎から誘いがあった。ただ少年の心は決まっていた。「Y校のエースになって俺も横浜を倒したい」。共学であることも、大事な要素だった。その97年以来となる再戦が、自身最後の夏に訪れた。

「負けるんだったら横浜に、と思っていたので悔いはなかった。すっきりした、という気持ちが一番強かったです」

涙は、出なかった。振り返れば、甲子園常連だった強いY校の空気を生で知る、最後の世代だったかもしれない。

その実、左腕は練習が好きじゃなかった。ランニングの最中に公園で休み、自主練習に励む仲間をよそに帰宅した。プロへの思いがある一方、弱い自分がいた。

「気づいたときには大学のセレクションも大半が終わっっていて。そんなときにお誘いがあって」

海外での挑戦だった。米大リーグ、ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ。メジャー手前の3Aはおろか、1Aのさらに下のリーグ。そのレベルでも圧倒された。とてつもなく足が速い、肩だけは異常に強い、ハングリー精神がすごい。みな何かの武器があった。対して自分は・・・。自信はすぐに、崩れ去った。

単純に思った。もっとうまくなりたい。かつての練習嫌いが変わった。自主練、筋トレ、ランニング・・・やれることはやった。それでも、4年たっても、昇格できなかった。大学に行っていれば卒業の年、節目だと思い、帰国した。

2005年だった。横浜と楽天の入団テストは、不合格に終わった。そんな中、この年に新設された育成選手枠で、巨人が拾ってくれた。
2年目に支配下登録。ジャイアンツで左のセットアッパーの地位を築き、12年には史上初となる5年連続60試合登板達成。日本シリーズで胴上げ投手にもなった。自身でも想像していなかった、シンデレラストーリーだ。

座右の銘としている「今を大事に」という言葉には、練習に向き合わなかったY校時代の反省も込められている。

山口が僕の野球人生の原点と語るのは、横浜市立菅田中時代のことだ。当時の顧問・菅沼努を、今も恩師と仰ぐ。
中3の夏、3番・投手の山口の活躍により、同校は「ハマの甲子園」こと全日本軟式野球大会で初の4強入りを果たした。監督直伝のカーブは、高校でも最高の武器となった。

高校野球が終わった後は、進路相談もした。出足の遅れた教え子のため、菅沼は大学探しにも奔走してくれた。入学の手続きまで進めてくれていた恩師は、渡米という不義理にも、何も言わず背中を押してくれた。

「本当にいろいろとやってくださったのに、たくさん迷惑をかけてしまった」

昨年、不思議な巡り合わせがあった。横浜市立高校の教員となっていた菅沼がY校に異動となり、秋からは野球部部長に就任した。山口は「びっくり。何よりうれしいですよね」と喜ぶ。

山口は昨夏、打撃練習用のネットを母校に寄贈した。菅沼は笑う。「あいつも僕が部長になって、Y校をさらに援護してくれている。助かっています」。春夏16度の甲子園出場を誇るY校だが、直近の夏は2008年の県8強が最高だ。師弟の絆が、かつての輝きを取り戻すきっかけとなるか。
(敬称略・終わり)

ぐっさんの地元の新聞に、12日にこんな記事が。紙面はかなり、ぐっさんママ提供の写真が満載のようですね。いいな

載っている内容は、ぐっさんのコアなファンなら特に目新しいことはないと思いますが、私が以前から気になっていた、

>監督直伝のカーブ

・・・これ、2010年に先発に転向するときに解禁しようとしたら、プロ入りしたときに腕を下げたため、「単なるスライダー」になってしまっていた、と

このカーブ、いわゆる「 懸河のドロップ 」というやつなら、菅沼さんもそうだろうけど、工藤師匠の持ち球でもある。

しかし、これ、なんとか上手く使えないもんかな、と思うんだけど・・・無理かな。むしろ、カットボールとか、なんとかシームとか、今風のボールを習得したほうがいいんだろうかね?

18日の2軍ー3軍の試合では、ぐっさんの登板は、なし。2軍にいるベテラン勢は、フリー打撃で登板してる人たちが「進んでる」ほうで、ぐっさんはまだそれもなし。昨日フリー打撃で投げた澤村で、実戦は3月に入ってからだそうだから、ぐっさんもまずはバッピしてからだな。



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Last updated  2018.02.19 23:10:35
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Comments

バーニングハンマー9126 @ Re[1]:2002年の巨人って・・・(11/22) かつどンさんへ >乱 ファン感見てた…
かつどン @ Re:2002年の巨人って・・・(11/22) >乱 そんなことがあったのですね。確か…
バーニングハンマー9126@ Re[1]:強化試合、韓国と引き分け&「球辞苑」を見逃し配信?で見る方法(11/17) かつどンさんへ すいません、調べていた…

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