必見! の再放送決まる・・・「ロシア革命 世界を覆ったユートピア幻想」(NHK総合:映像の世紀)→ 11 月 6 日(木) 23 : 50 ~ 0 : 35 2025-10-29 はんぺん
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NHK【映像の世紀バタフライエフェクト】「ロシア革命 世界を覆ったユートピア幻想、アンドレイ・サハロフが見た共産主義の崩壊と希望」
(気になる NHK )から・・・・
https://nhk.shigeyuki.net/?p=12586
目次
理想を追い求めた時代の光と影『ロシア革命 世界を覆ったユートピア幻想』
皇帝の終焉と革命の幕開け ― 民衆が動き出した瞬間
世界に広がった革命の波 ― “ 平等 ” という希望
世界恐慌が招いた“共産主義ブーム”
第二次世界大戦 ― 勝利と拡大、そして “ 正義 ” の錯覚
科学と理想 ― 核と宇宙に託された夢
崩壊の序曲 ― ゴルバチョフの改革と民衆の反乱
理想が暴走したとき、自由は失われる
理想を追い求めた時代の光と影『ロシア革命 世界を覆ったユートピア幻想』
「みんなが平等に暮らせる社会をつくりたい」 ――それは人類の永遠の願いです。 20 世紀の初め、その理想を現実にしようと立ち上がった人々がいました。 ウラジーミル・レーニン 率いる革命家たちです。
彼らが起こした 『ロシア革命』 は、世界の政治・思想・文化を根底から変えました。
今回の『映像の世紀バタフライエフェクト』では、その革命の始まりから終焉まで、 「ユートピア幻想」 がどう生まれ、どう崩れたのかを、貴重な映像とともに追います。この記事では、革命の熱狂、恐怖政治、そして理想の崩壊までを深く掘り下げて解説します。
皇帝の終焉と革命の幕開け ― 民衆が動き出した瞬間
20 世紀初頭のロシアは、ニコライ 2 世が支配する広大な帝政国家でした。しかしその栄華の裏には、深刻な貧富の差と政治への不信がありました。農民は土地を持たず、工場労働者は過酷な環境で働き、知識人層は検閲と弾圧に苦しんでいました。
1905 年、労働者と民衆が皇帝に直訴した 「血の日曜日事件」 で、多くの犠牲者が出たことをきっかけに、人々の不満は一気に噴出。革命の火種はこの頃から燻っていました。
そして 1914 年、 第一次世界大戦 が勃発。ロシアは戦争に参戦しますが、物資不足と兵士の大量死で国内は混乱。皇帝ニコライ 2 世の権威は完全に失われ、 1917 年 2 月、ついに 帝政が崩壊 します。
後継として 臨時政府 が発足し、民主的な新しい国づくりが始まろうとしました。ところが、その動きを待たずして亡命先から帰国したのがウラジーミル・レーニンです。彼は 「全ての権力をソビエト(労働者評議会)に!」 と呼びかけ、 ボリシェヴィキによる武装蜂起 を指導しました。
こうして 10 月革命が勃発。帝政の瓦解からわずか半年後、ロシアは労働者と農民の国へと変わります。革命を記録した映画『皇帝からレーニンへ』には、荒れ果てた帝都と群衆の熱狂が生々しく残されています。
世界に広がった革命の波 ― “ 平等 ” という希望
ロシアの革命は、世界中の人々に「変革は可能だ」という衝撃を与えました。ドイツ、ハンガリー、日本などでも労働運動や学生運動が高まり、 社会主義思想 が広まっていきます。
レーニンは世界の労働者を組織化するために 『コミンテルン(共産主義インターナショナル)』 を設立し、資本主義に対抗する国際的なネットワークを作りました。
一方で、戦争や内乱の混乱が続くロシアでは、食料不足や暴力が蔓延。理想の国家を目指していたはずの革命は、次第に 苛烈な現実 へと変わっていきます。
レーニンの死後、権力を握ったのは ヨシフ・スターリン 。彼は 「社会主義建設五カ年計画」 を掲げ、国を強制的に工業化していきました。
世界恐慌が招いた“共産主義ブーム”
1929 年、アメリカのウォール街を襲った株価暴落 ―― 『世界恐慌』 です。資本主義の崩壊を予言していたかのように、企業倒産と失業者の波が世界中に広がりました。
その一方で、ソ連は 計画経済 の下で順調に成長を続けていました。国が生産を管理し、労働者全員に仕事を与えるというシステムが、人々の不安を救う“希望の形”として注目されます。
アンドレ・ジッド、バーナード・ショー、 H ・ G ・ウェルズ といった知識人たちはモスクワを訪れ、 「ソ連こそ未来の国家」と称賛 しました。
失業と貧困に苦しむ資本主義諸国にとって、ソ連の繁栄はまるで “新しいユートピア” のように見えたのです。
しかし、その繁栄の裏では恐怖が静かに広がっていました。スターリンは反対派を 「人民の敵」 と断罪し、 秘密警察 NKVD による大量粛清 を実施。レーニン時代の同志、 レフ・カーメネフやグリゴリー・ジノヴィエフ、さらに国外亡命中のレフ・トロツキーまでもが暗殺 されました。
夢見たユートピアは、すでに 恐怖と服従の国家 へと変貌していたのです。
第二次世界大戦 ― 勝利と拡大、そして “ 正義 ” の錯覚
1941 年、 アドルフ・ヒトラー 率いるドイツがソ連に侵攻します。 『独ソ戦』 です。凍てつく大地での激戦の末、ソ連は大きな犠牲を払って勝利。ナチス・ドイツを打ち破ったその功績は、世界中で 「共産主義=正義」 というイメージを強めました。
戦後、ドイツを含む東欧諸国には次々と共産党政権が樹立。 ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、ルーマニア ――いずれもソ連の影響下に入り、東西冷戦の構図が形づくられていきました。
日本では、 GHQ (連合国軍最高司令官総司令部)が政治犯の釈放を命じ、徳田球一らが復帰。 共産主義運動 が再び息を吹き返します。戦後の民主化運動や労働運動にも、この時期の思想が深く関わっていました。
科学と理想 ― 核と宇宙に託された夢
1949 年、スターリンの 70 歳を祝う記念式典には、世界中の共産党指導者が集結。毛沢東をはじめ、アジアの新興国指導者たちも顔をそろえ、ソ連は社会主義世界の中心として圧倒的な存在感を放ちました。
科学の分野でも、ソ連は次々と成果を上げていきます。 アンドレイ・サハロフ による水爆開発、そして 1961 年には ユーリイ・ガガーリン が世界初の有人宇宙飛行に成功。「地球は青かった」という彼の言葉は、ソ連の科学力と人類の未来を象徴するメッセージとして世界中に響きました。
しかし、 同時に国内では物資不足が深刻化。計画経済は非効率に陥り、農業は衰退。国民生活は次第に苦しく なっていきました。
やがてサハロフは、 国家が個人を支配する現実に疑問 を抱き、体制批判を始めます。 「数字で示される繁栄は、実際には幻に過ぎない」 と語ったサハロフの言葉は、後の改革運動の象徴となりました。
崩壊の序曲 ― ゴルバチョフの改革と民衆の反乱
1980 年代後半、時代の転換点を迎えます。ミハイル・ゴルバチョフが登場し、 『ペレストロイカ(改革)』と『グラスノスチ(情報公開)』 を打ち出しました。
しかし改革は混乱を招き、店頭から商品が消え、庶民の暮らしは悪化。民衆の不満は爆発し、ルーマニアでは 独裁者ニコラエ・チャウシェスク政権 が倒れ、チェコスロバキアでも 「ビロード革命」 が起こります。
そして 1991 年 12 月、ソビエト連邦は正式に消滅。 70 年以上続いた “ ユートピア国家 ” は、静かに歴史の幕を閉じました。
理想が暴走したとき、自由は失われる
番組が訴えかけるのは、 「理想の実現」 と 「人間の尊厳」 は両立しなければならないという教訓です。レーニンもスターリンも、最初は理想を信じていました。しかし 「理想のための犠牲」を正当化した瞬間、社会は恐怖と監視に 覆われていきました。
現代でも、 AI や国家システムの自動化など “ 理想の効率社会 ” が進んでいます。だからこそ、私たちは歴史から学ばなければなりません。 どんなに崇高な理念でも、人間の自由と尊厳を軽視すれば、それは 新たな “ 独裁 ” を生み出すのです。
まとめ
この記事のポイントは次の 3 つです。
・ロシア革命は平等と自由を掲げて始まったが、独裁と恐怖の国家を生んだ。
・スターリン体制の繁栄は、粛清と監視の上に成り立っていた。
・ソ連崩壊は、人類が「理想と自由のバランス」を取り戻すための転換点だった。
100 年前に生まれたユートピアの夢は、やがて 恐怖の現実 へと変わりました。『映像の世紀バタフライエフェクト』は、その歴史を通して私たちに問いかけます ―― 「理想を追うとき、あなたは人間らしさを失っていませんか?」
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